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2019-02

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「架橋」21 水について

水について

磯(いそ) 貝(がい) 治(じ) 良(ろう)

 それは音だった。なにかの感触だけが耳もとに囁く気配だったが、音にはちがいなかった。闇のなかに無音のまま忍び入ってくる音。
 何だろう? 蛇でも玄関から這い入(い)ってきたのだろうか。玄関の扉は閉まっているはずだ。枕もとのカセットラジオは沈黙している。深夜ニュースで、豪雨と日和(ひより)川の水位の情報を聞いていたはずなのに、うたた寝のままスイッチを切ったのだろうか・・・・・・。
 夢とも現ともつかずそんなことを考えながら、目覚めきらないまま起き上がって、玄関さきの部屋に明かりをつけた。背中にかすかな痛みを感じるのは、床板の間に敷きものもせず寝ていたからだ。柱の時計は四時を数分まわっている。夜は明けていない。
 無音の囁きが聞こえたはずの玄関を調べる。隙などない扉から一匹のふとい蛇が這い入って、三和土(たたき)に身をくねらせている。肌にうろこもない、透明な蛇だ。またあらわれたか。私は声に出して、そいつに言う。神話であれ説話であれ民間信仰であれ、フォークロアの世界で蛇はしばしば水の神だが、こいつはどうみても爬虫類を擬態している。
水の蛇が最初にあらわれたのは八時間ほどまえ、昨夕八時頃だった。気づいたときには、玄関の三和土に深さ十数センチの水がたまっていた。三日まえから間歇的ながら凄まじい雨が降りつづいて、排水溝の機能が一時的に麻痺したのだろう、と高をくくって様子をながめた。雨はほとんどやんでいた。その後、雨音は間遠くなり、二階部屋の寝床にはいって眠りに落ち、しばらくしてだった。階下の電話が鳴った。零時、町役場からだった。「自主的なものですが、避難勧告が出ました。町内のみなさんに連絡してください」町内会の世話人である私は、電話を使ったり直接訪ねたりして、月当番にその旨を告げた。二時間近くを要して連絡をすませ、玄関さきの間にラジオを置いて横になったのだった。ニュースは日和川の水位が警戒水位をこえたことを告げていたが、寝入ってしまったらしい。いや、堤防のもっとも低い個所では、水位は溢水まで三十センチに迫っているとの情報も聞いたはずだ。

閉ざされて隙もないはずの玄関扉から這い入って水を擬態する蛇は、身をくねらせながら三和土の四囲にそって這っていたが、行き場を失ったふうに体をふくらませはじめた。おもむろにはじまった変態は、突如、蛇の姿体をうしない、正体をあらわした。みるみる三和土を満たし、水の層を分厚くしてくる。下駄箱の足が水中に立ち、壁の水位が一センチずつ高くなっていく。その速度は肉眼でわかる。傘立てがゆっくりと倒れた。八時間まえの浸水とはちがう! 私のなかば覚めきらずにいた意識は、完璧にふきとんだ。
家の者を起さなくては・・・・・・。玄関さきを離れるより早く、息子と妻が二階から下りてきた。異変に気づいている顔だ。不思議なものでも眺めるように、三人で玄関の水を見た。水のほうも息を殺して無音のままふえつづけ、上がり框に近く迫っている。まるで水位の上昇に魅入られたようにそれを眺めていた三人が、同時に玄関さきを離れた。
三人が三様、いくつかある部屋に走りこんだ。何をどうという目算もなく当てずっぽうに持てるものを二階へ運び上げる。階下に下りたときには足もとを水がひたしている。それから一、二分後、玄関のほうでドンという音がして、家の中は真っ暗の闇になった。漏電ブレイカーが落ちたのだ。床にちかい壁のコンセントは水没している。息子が台所のガスの元栓を切っている。一個しかない懐中電灯は妻が使い、私と息子は闇の中で動きまわる。眼でさぐり、手でさぐり、足でさぐり、勘にたよるほかないとはいえ、四十年間住んだ家は意外なほど身体感覚になじんでいる。体を家具や柱にぶつけることはない。それでも特に意味はないまま、三人は自身を励ますふうに声を挙げて、たがいの所在をたしかめあう。
洋服箪笥から礼服と三着ほどしかないスーツを運ぶときには、部屋の水位が膝をこえている。「冷蔵庫が倒れた」妻の声が聞こえ、わたしの近くで書架の小さいのが倒れた。音はしないが、闇の中の気配でわかる。不意に足もとが揺らいだ。畳が持ち上がったのだ。浮きあがった畳は片方を水面に突きだして斜(はす)になる。六段組み書架にぎっしり並ぶ蔵書は、いま運べば上二段ほど助かるかもしれない。そう思ったとき、柱の軋むような音がする。箪笥が鳴いているのだ。股間のものが水没し、水は臍の下あたりまできている。「おーい、二階へ避難するぞ」返事はない。私は斜めに傾(かし)いだ畳を足裏で探り探りして、その部屋をのがれ、床板の間を抜けて階段を上がった。十三段ある階段はすでに三段が水の下だ。妻はすでに二階に避難していて、ありあわせの衣類に着替え、濡れたパジャマが水を絞って柱にハンガー掛けしてある。私も着換えていると、どこにいたのか息子が下半身の衣服をずぶ濡れにして二階へ上がってきた。
蛇を擬態した水が玄関にあらわれてから十五分と経っていない。

私と妻ねんこは、間仕切の障子をはずすと十二畳の広い間になる北側の部屋で過ごすことにした。三十七歳独身の息子一郎は南側の自分の部屋にはいってしまった。
九月の闇の息苦しさを払おうと、北側の窓を開け放つ。外界はまだ闇のなかにあってしんと静まり返っているが、家の内よりは幾分、白みがかった闇だ。雨は降っていない。懐中電灯をかざして窓の下の道路を照らしてみる。車輛一台が通れるほどの幅で東西に通じる道路が、流れない川になっている。向かい合わせの家を電灯の光でさぐる。玄関の扉が三分の一ほど水没し、ガレージの車はナンバープレートが隠れている。その隣家のブロック塀も子どもの背丈ほどまで水に没している。確かめるべきは確かめた。そんな気分に納得し、私はとりあえず横になる。ねんこは二階に避難するや、時を待つというふうに横になり、寝入っているとはおもえないが時時、寝息に似た音をもらしている。

ヘリコプターの激しい響きを耳にして私は起き上がった。眠ってはいなかった。プロペラ音はしばらくまえから遠く聞こえていた。重く垂れこめた曇天だが、夜は明けている。ヘリコプターの機体にテレビ局のマークが見える。低空を何度も旋回して、それは視界から消えた。
道路の水位は増えつづけていて、向かいの家の玄関ドアが半分近い高さまで水に没している。ガレージの乗用車はボンネットが完全に隠れ、水はフロントガラスを這いのぼりつつある。部屋の中をあらためて眺める。浸水のあと十分ほどのあいだに運び上げた机の抽出しや衣服やカセットラジオや何かの箱やが、まるで野放図に散乱している。それでも壁ぎわに場所をとってあるのが、それなりに整頓の意図を示している。
まったく虚をつかれたなぁ。手を拱いて水の意思にすべてをゆだねるほかないと観念したとき、階下で水のさかんにながれる音が聞こえる。階段を数段下りて耳を立て、トイレの水洗タンクであることに気づいた。私はジャージーを脱ぎすて、パンツもとって素裸になる。階段の水は五段目まで達している。それを数えるようにして階下に降り、プカプカ浮いているソファ椅子や卓子をかきわけて、水量を調節する円球タッパーが浮いてしまっている。水道管につながる元栓を締めると、流水は止まった。臍の上まである水を平泳ぎの要領でかきわけて二階へもどろうとしたとき、とっさに閃く。バケツが要る。風呂場まで行こうとして居間に一歩踏み入れた瞬間、右足がズブッと床を抜いて体が傾ぎ、胸のあたりまで沈んだ。体を立てなおしてはみたけれど、片側をそりくりあげて半分浮かぶ畳や横転した茶箪笥が邪魔して、居間を抜けるのはどうにも危なっかしい。無理かな。諦めかけたとき、茶箪笥の脇に青いポリバケツが漂っているのに気づいた。ありがたい、これがあればなんとか用便は足せる。二階へもどると、衣類のなかからTシャツを拾い上げ、体を拭いてパンツとジャージーを着ける。
部屋の片隅に置いたポリバケツが頼もしい。

ヘリコプターの轟音が頭上まじかといった喧しさでひびく。窓からは雨雲の消えない空に一機の姿しか見えないが、三機ほどが低空を旋回しているのだろう。エンジン音が入り乱れ、ぶつかりあって渦を巻いている。
道路は水嵩を増して、ゆっくりと流れる水が汚泥の色にそまりはじめている。向かいの玄関が表札の近くまで水に没している。ガレージの乗用車はあたままで水をかむり、天井がかすかに水中に映っている。私の家の車庫は、二階の真下にあって息子の車は見えないが、同じ状態になっているだろう。斜向かいの家のブロック塀は大人の背丈ほどある高さだが、あと数センチで水に没しようとしている。部屋の置時計は七時五十分ほどを差している。
妻のねんこは、一度ポリバケツで小用をすませ、窓の外を眺めたきり、目を閉じて寝そべっている。ときどき薄目をあけてわたしの様子をうかがう。その都度、彼女に声をかけようとして、私はためらう。「じたばたしても、何もできないでしょ。水は気がすんだらもどっていくわよ」そんな言葉が返ってくるにちがいない。こんな事態に本心で平静を保っているのか疑わしいが、私より肚が座っているのは確かだ.息子はときどき窓の外を眺めにきて、道路の水を偵察するが、ほとんど自分の部屋にいる。本でも読んでいるのだろう。
水のやつ、どこまで増えつづけるつもりか? 情報をつかまなくては・・・・・・。
さいわいカセットラジオは助かっている。玄関さきの間で深夜、日和川の警戒情報や海をわたって電波にのってくる韓国語放送を聞いたまま私が忘れてしまっていたのを、息子か妻が機転よく二階へ運び上げたのだろう。いつもはコンセントを使ってNHKのハングルニュースやラジオ講座を聞くそれには乾電池はセットしていない。衣類をひっかきまわしたり抽出や箱の類をのけたりして「がらくた」の山を探すが、肝心の電池はどこにもない。階下でマルチボードの抽出にはいったまま水に沈んでいるのだろう。電気が来なくては、ラジオは聞けない。ちぐはぐなのだ、この家は。
電話が鳴った。四時間まえ水が床上をひたしはじめたとき、妻が階段脇の架台にあった電話機を持って長いコードをひきずり、二階の入口まで運び上げていたのを思い出した。四十年前、この家に住むと同時に敷いたダイヤル式黒烏色のそれがさかんに鳴っている。そうだ、電話を友人にでもかけて情報を確かめればよかったのだ。
階段の水は中段あたりまでのぼってきている。それを眺めながら受話器を取った。
「はい、水口」
「あぁ、わしだ。大丈夫か」
名古屋市内に住む兄の声だ。
「全然、大丈夫じゃない。いま階段の中ごろまで水がきている。そいつを見ながら話している」
「テレビがひっきりなしに町の風景を写しとる。まるで海みたいだ。M鉄道の駅舎が半分ほど水に隠れて写った。おまえの家あたりも画面の下のほうに何回も写った。見えただろう」
「見えるわけないよ、停電してるんだから。それにテレビは一階で水の底」
「そうだったな」
兄はちょっと口調を変えて、状況を伝える。
「自衛隊が決潰した堤防に土嚢を積んどる。川の水は減ってきているようだが、あれじゃ何ともたるい感じだな」
「この辺では、水はまだ増えつづけているよ」
「百メートルも破堤したというからな」
「そうか、日和川の堤防が切れたのか。深夜のニュースでは氾濫まであと三十センチというのは聞いたけど」
「新川?」
私の家から直線で一キロほど西北を流れる、県の管轄する人工の一級河川で、東南を流れる建設省一級河川・日和川と新川に挟まれた旧水田地帯の住宅地に、私の家は位置する。
「おッ。また、おまえの家のあたりが写っとる」
「道理でヘリコプターの音がうるさくて電話の声が聞きとりにくいはずだ。あいつが撮ってるんだ」
「避難所へ行かなくて大丈夫か。平屋の家は水没しそうに見えるぞ」
「まさか二階までは来ないだろう。それに泥水の中を泳ぐ趣味はないよ」
「さっきボートが写っていた。避難所へ人を運んでいるらしい」
「避難所も水につかって、似たりよったりだろう」
「道路の車がみんな画面から消えた。水の底だ」
「・・・・・・」
「ねんこさんと一郎君はどうしてる?」
「大丈夫。二人ともおれより肚が座っているよ」
「よし。様子をみて陣中見舞いに行く」
兄は気合を入れるように言って、電話を切った。
あくせくしても始まらない。私も妻に倣って畳の上に体を横たえた。昨夜から碌に眠っていないのに、眠気は来ない。それと意識はしないが気持ちが苛だっているのだろう、疲労感がはっきりしない。空腹感もない。それでもポリバケツにしゃがむと大便は出た。バケツの縁に尻が安定せず中腰の構えになるので、無様な恰好だ。毎朝の便量の半分ほどしか出ない。訳もなく妻の視線を気にしながらティッシュを使う。息子は一度、小便に来たが、大便のほうは我慢しているようだ。
横にはなったものの、うまく気持ちが座らない。ときどき窓の外を眺める。曇天がうすれて淡い陽が差しはじめている。向かいの乗用車は完全に水に没して影も形もみえない。玄関の表札も隠れている。斜向かいの家のブロック塀も姿を消している。眼の下の「川」は幾分、様子が変わっている。一時間ほど前まで東の方向と西の方向から流れてきて、家のまんまえあたりで淵をなしてかすかな渦をつくっていたのが、流れは停滞し、渦も消えている。水位は目測で二メートルくらいか。
水位はそれからも微妙に上がりつづけたが、正午頃になって止まった。
「おーい、おーい」
遠くで人を呼ぶ声がして、私は目をひらいた。水位の上昇がとまって気持が落ち着いたのか、うたたねをしていたらしい。声はくりかえされている。懐かしさの感情がすーと胸にはいってくる。浸水以来、向かいの家の家人が窓から外を眺めることがあって人の顔は見ていたが、人の声は家の者と兄の電話以外に聞いていない。それとは異質の懐かしい、人間の声だ。そうだ、水に閉ざされた町におれと同じ境遇の人間たちがいるのだ。ちょっと大袈裟だけど、そんな懐かしさだ。
私が起き上がるのと同時に、ねんこも同様の感情にさそわれたのか、すばやく身を起して窓のほうへ走った。
私とねんこは示し合わせたふうに首を窓からつきだした。西の方向、三十メートルほどさきの四つ辻あたりからボートが二艘、こちらにむかってくる、二艘とも消防団の服を着た男性がオールを漕いでいる。自衛隊のボートではないらしい。前をすすんでいるボートには赤ん坊を抱いた女性が一人乗っている。家々の窓にむかって大声で呼んでいるのは、後続のボートでオールを操っている男だ。どの家も森閑として窓からのぞく顔はない。
二艘のボートはみるみる近づき、若夫婦と赤ん坊を乗せたそれは、私とねんこが見下ろす窓の下を速度もゆるめず通過した。避難所へ急ぐのだろう。後続のボートがオールを休めて西隣の家のまえで止まった。消防団員が声をかけながらスチール製の梯子を二階の窓に渡す。すこし手こずっていたが、うまく掛かったようだ。隣家の老人が息子に体をささえられながら梯子に足を掛け、これ以上は不可能とおもえるほどの緩慢な動作でボートに降りた。体を縮めて正座した老人は、不安そうに窓のほうを振り返る。避難用具でふくらんだバッグが窓から投げ落とされた。
ボートがふたたび窓の下一メートル数十センチの水面をすすみはじめる。消防団員が、二階から首を出している私たちに気づいて声をかけた。
「もう一人乗れますよ」
ねんこが目顔で、行かない、と私に告げる。
私がその旨を伝えると、消防団員は「避難所に行けば間もなく食糧がとどくはずですよ」と念を押したが、返事を待たずにボートを出発させた。
「おなか、すいたわね」
遠去かったボートが広い通りを左へ曲がって消えるのを見送りながら、ねんこが言う。
時計を見る。午後二時を過ぎている。きのう夕食を摂ってから二十時間近くが経っている。
「我慢しよう。死ぬようなことはない」
冗談半分に私は応える。ときどき自分の部屋から顔を出す息子も、空腹のことは何も言わない。
「腹に入れてうんちしたくなるのも嫌だからな」
部屋の隅に置いたポリバケツの中身が側に近づくと悪臭を放ちはじめている。暗くなったら窓から捨てよう。そう思いながら畳の上に横たわる。ねんこはすでに横になっている。増水が止まって、いっそう肚が座ったのだろう。ボートから呼ぶ声が聞こえるまで時時、大胆に鼾をかいていた彼女は、いまもかすかな寝息をもらしはじめている。
私は階下の様子をたしかめにいきたい誘惑を覚えるが、無理だろう。階段の水位から察して、床上でも水は首の近くまであるにちがいない。
気を紛らすために、息子の部屋と隣合せの自室にはいり、きのう届いたばかりの雑誌『日本新文学』をひらく。集中力は平時の五〇パーセントくらいに減退していて、文章の意味がうまく吸収できない。それでも時を稼ぐつもりで読みつづけていると、電話が鳴った。
「もし、もし、水口さん? チェヒョンです」
「あぁ、チェ君」
在日文学を研究する会の仲間で年下の友人チェヒョンからだ。
「昼前から電話してたんですけどつながらなくて」
チェヒョンは、ようやく声が聞けて安堵するふうに言う。兄から電話がはいって以降、とだえていた。正午をはさんで数時間、リーンと鳴ったきりウンともスウとも言わず切れたことが数度あったが、そうか、回線がおかしくなっていたのだ。
「朝は通じてたんだけど。うちの電話は超古典的なダイヤル式だから停電には強いんだよ。電気を使う新式のは全滅だろうね」
チェヒョンは、なるほどという言葉をくりかえしてから訊ねた。
「水の具合はどうですか。減りはじめていますか」
「いや、全然。二時間ほどまえに増水は止まったけどね」
「おかしいな。自衛隊と行政が二十台のポンプ車を出して吸水作業をしているというニュースがながれたのは、だいぶ前ですよ」
「汲み上げた水はどうしてるの?」
「新川へ入れてます」
「新川? 新川が決潰したんだろ。そんなことをして大丈夫かね」
「新川の破堤個所は応急の修築がすんで、水位もさがっているようです。大丈夫でしょう」
私とチェヒョンは、まるで被災住民と災害対策本部の担当者のような会話をした。
「ゴムボート調達しましょうか」
「さっき消防団のボートを断ったところだから」
「とにかく水が干いたら応援に駆けつけます。台車はありますか」
チェヒョンが言う。台車? 私は一瞬、その意味を解しかねたが、片付け作業には台車が必要なのに気づいた。赤帽の宅配会社を自営しているチェヒョンは、さすが先の読み方がちがう。
「台車は、不燃物のゴミ出しの日に使っているのが一台ある」
「もう一台持っていきましょう」
片付け作業か。階下の千冊をこえる蔵書や資料類は全滅だろうな・・・・・・。脳裏をその情景が掠める。
チェヒョンとの電話が切れると、それを待っていたようにまた電話が鳴った。
「もし、もし、体、大丈夫?」
女性の声が急(せ)きこむように、いきなり安否を訊ねる。
「ええ、人間は大丈夫。命の不安はまったくありません。静かな水が来てるだけですから」
「テレビ見て、びっくりしちゃった。水没している町の地名が、水口さん家(ち)とまるごと一緒やないの」
聞き覚えのある声だが誰だろう?
「声を聞いて安心したわ。でも、いつもの元気ないやんか」
「こんなとき元気なのがいたら、顔を見たいよ」
相手の調子にのって軽口をたたいたとき、やっと誰かがわかって、名前が口をついて出た。
「そうよ、京都のスニやんか」
キムスニは二十年来の知人だ。ながくつづけていた米屋と薬局の店をたたんで、夫婦で韓国へ語学留学していて、何年か会っていない。
「日本に帰ってるの? ムンテギさんも帰ってるの?」
私のほうが懐かしくて訊ねかえす。
「そんなことどうでもええやんか。何もでけへんのが辛いけど、とにかく無事でよかったわ」
「ぼく自身だって二階に閉じ込められて何もできない。電話してくれただけで、励まされるよ。ほんと、ありがとう」
「長ばなしは迷惑だろうから、電話切るね。またおいしい酒を飲むの楽しみにしてるわ」
キムスニからの電話が呼び水になったかのように、それからわずかな間合いをおいて黒烏色のダイヤル式は鳴りつづけた。姉や妹たち、在日文学研究会や日本新文学会の仲間たち、市民運動グループの友人や私の著書を出している小さな出版社の社主などからの電話だ。思いがけない旧知の声の訪問もあって、北海道や沖縄からもとどいた。テレビニュースの画面で水に沈む町の光景が全国にながれているのを実感する。

夕暮れまえになって、気のせいだろうかと思えるほどの兆候ながら、水が干きはじめた。向かいの家の玄関ドアやブロック塀の水位が微妙に下がっている。
ときどき弱い雨を降らせていた雲が薄れてきた。西の空に夕陽の淡い光がもれている。「川」の水は落日のにじむ空の色に似ているが、それを映しているのではない。汚泥の色だ。
「おーい、おーい」と呼ぶ人の声がして、東側の広い通りをボートがつづけざまによぎる。避難所へ向かうのだろう。どのボートにも人が詰まっている。三十分ほどまえヘリコプターが、避難所には食糧が用意されている旨を告げて旋回していた。広い通りをボートが通りすぎるたび小波がよせてきて、窓の下の「川」を西へながれていく。
ボートと水とさざなみ。私はふっと脈絡もなく思い出す。中野重治の『むらぎも』の変哲も無い場面だ。文学と政治運動のはざまで青春の憂鬱をかこっている主人公が、ボートに乗っている。静かな水面のオールのさきにとろりと巻く輪、しだいに小さくなっていくその列、水というよりは液体という感じの水――そんな描写があって、都会の喧騒になじめぬ田舎出の主人公も水の上では心安らぐのだ。もう何十年も前に呼んだ小説のそんな一場面が、なぜ唐突に記憶からよみがえるのか。いま美しくはない水に包囲されて、まるで『アルトナの幽閉者』みたいに二階の部屋に閉じ込められているのとは雲泥の状態なのに。
そういえば、サルトルのあの作品をよんだのも四十年は前だろう。文学に取り憑かれはじめた学生時代にJ・P・サルトルを遮二無二に読んだのだったが、『存在と無』など哲学書をふくめて全冊揃っている人文書院版も、いま階下で水の底に沈んでいる。
 窓の外を眺めて埒もないことをめぐらしているうち、淡い夕陽は落ちていた。向かい家の玄関ドアの上方に水面から五センチほど変色している部分が見てとれる。それだけ水位は下がっているのだ。

 家は二日目の闇に閉ざされた。
 水位が下がりはじめたのを確認できて、かえって憂鬱が体を領してきた。意識はしないまま虚の状態にあった精神が、息をふきかえしてきたのかもしれない。二十四時間以上、何も口にしていない、一滴の水分も摂っていない。アイマイモコとしていた空腹感は、ひどくまっとうなものになって神経をおそいはじめている。碌に睡眠をとっていないのに、眠りはいっこうに訪れてこない。
 かといって「アルトナの幽閉者」に何を為す術もない。畳の部屋に横たわったまま、私はいつのまにか闇の中で水と対話している。
 早朝、蛇を擬態した水が玄関からはいってきて二階に閉じ込められて以来、不思議なことに、階下で水に沈んでいるもののことを忘れかけていた。それがふかふかと水に浮かぶように脳裏にめぐってきた。
 箪笥、冷蔵庫、洗濯機、炊飯器、テレビ、テーブル、ソファ、椅子、衣服類――家具家財はたぶん全滅だろう。努力すれば、それは諦めることが出来る。通帳の類は二階に仕舞ってあって、階下にあった現金もねんこがいちはやく身につけた。家具家財や衣服は買い直しが効くし、手を施せば使えるものもあるだろう。破損した壁や畳も修繕、買い換えが効く。取り返しがつかないのは・・・・・・。そう思い至って、私は息をのんだ。
 私が住んでいるのは、途中、多少の手が加えられているとはいえ築五十五年の木造家屋だ。二階に負担がかかるのを避けて、蔵書の七割が一階六畳の間を書庫のようにして置いてある。読み終えた本は、古書店を営む友人にせっせと進呈することにしているので、「書庫」にあるのは、必要なもの、愛着のあるもの、絶版になって久しく入手困難なものばかりだ。古書店を漁っても探し出すのは至難とおもえるものも少なくない。
 野間宏の全集から『青年の環』『生々死々』にいたる全著作、埴谷雄高の『不合理ゆえに吾信ず』『闇の中の黒い馬』『虚空』『死霊』全巻、ドストエフスキー論、政治論、映画論などに併せて未来社刊のタイトルを『○○と△△』と二字熟語でそろえたエッセイ集全冊などの全著作(それらのなかには扉に短い言葉を添えたサイン入りで著者から贈られたものも何冊かある)、長谷川四郎の晶文社刊全集に『ボートの三人』『山猫通信』、ブレヒトやロルカの訳詩集などを併せた全著作、井上光晴は『地の群れ』を読んで以来、さかのぼって『書かれざる一章』『ガダルカナル戦詩集』『死者の時』から『心優しき叛逆者』『明日』にいたるまでの小説に詩集を併せて七、八十冊はあろうか(この作家からも贈呈されたサイン入り本が数冊ある)。大西巨人は『神聖喜劇』全冊をはじめ比較的あたらしいものを含め十冊余、いいだももの『斥候よ夜はなお長きや』『アメリカの英雄』もある。『ベトナムから遠く離れて』など小田実の小説や評論集も何冊かある。江夏美好の『下々の女』や『阿古女のうた』は若い頃、彼女が主宰する同人雑誌に加わっていて贈られたものだ。「昭和文学」というシリーズは全巻ではないが、二十冊ほど揃っている。それに吉本隆明、鮎川信夫、長谷川龍生、大岡信らの現代詩シリーズ、その他諸諸の書物が階下にある。外国文学の翻訳本もある。『魯迅選集』、カフカの折折に読んだ単行本に加えて全集、サン・テグジュペリの主要な小説と日記、アンドレ・マルローの主だった小説、ベルトルト・ブレヒトの戯曲や詩などだ。その他諸諸の翻訳本が階下にある。
 死児の歳でも数えるように次次と名前と題名(タイトル)が出てくる。気持は目をふさいでいるのに、ずらり並ぶ背表紙が意思を主張しているように浮んでくる。おまえはまだ半分しか目をひらいて見ていない、肝心なものを見ずに逃げようとしている・・・・・・。書架に並ぶものだけではなく、納まりきらずに床のあちらこちらに積みっ放しになっている本たち――千冊をこえる書物と資料たちが、群れをなしてそう言いつのってくる。
 そうだ、肝心な蔵書がまだ階下にはある。在日朝鮮文学を主とした在日関係の書籍だ。三十年来、在日文学を読み学び論じて著書も著し、その間二十三年にわたってささやかながら在日朝鮮人文学を研究する会をつづけてきた。そうして溜まった文学作品や文学以外の在日関係の書籍に、さまざまかかわった社会運動の資料などふくめれば、五百冊は下らないはずだ。個人が所有する在日朝鮮人文学の蔵書として、ちょっと自負に値するかもしれない。これまで思いもつかなかった、そんな考えが、いまは高慢にも掠める。金史良、張赫宙、尹東柱、金達寿、李殷直、張斗植、姜舜、金石範、金時鐘、金泰生、呉林俊、金鶴泳、李恢成、高史明、宗秋月、姜魏堂、梁石日、飯尾憲士、宮本徳蔵、麗羅、成律子、成允植、金蒼生、鄭貴文、李良枝、李正子、鄭承博、徐勝、李起昇、立原正秋、つかこうへい、元秀一、朴重鎬、徐京植、金在南、金学鉉ん、竹田青嗣、成美子、趙南哲、金重明、尹健次、香山末子、伊集院静、鷺沢萠、廋妙達、鄭閏熙、深沢夏衣、柳美里、崔龍源、李龍海、金真須美、北影一、申有人、姜東、金蓮花、金満里、金賛汀、朴慶植、姜在彦、鄭清正、李淳馹、朴一、河信基、玄月、金城一紀――闇の中に横たわって瞼を閉じていると、まるでキィをたたくようにとめどもなく名前が飛び出してくる。名前とつらなって背表紙の書名がするすると出てくる。ときに装幀までがあざやかに浮かぶ。その一冊を読んだときの、喜怒と哀楽の気分の襞や、作中の小さなエピソードが、記憶によみがえって、胸を掠める。その一冊を書評し、論じ、著したときの苦闘や興奮や著者からの手紙のある一言やが、脈絡もなく、苦渋や懐かしさをともなって、私の人生の一場面のように回想されてくる。作家や題名ばかりではない。いまは廃刊になっている雑誌の『民主朝鮮』『まだん』『三千里』『民涛』『ちゃんそり』『青丘』といった誌名までが次次と思い出される。
 これは一体、何だろう? 私は書物についてもっと冷淡だったはずだ。本が読み終えられて書棚に並ぶなり床に積まれるなりすれば、それはもはや各各の厚味をもつ四角形の軟らかい物体にすぎないとみなしていたはずだ。
 ところがいま、書物は私の人生の一側面であるかのように蘇ってくる。水が書物の性質を変えたというのだろうか。水の底に沈み滅びることによって、なにやら物体以外のものに姿を変えたというのだろうか。
 滅ぶ? 階下にある千冊余の本が滅ぶ? たしかに、それらは完璧に水の底に沈み、全滅の状態にちがいない。しかし、私には見えない。水の底でどんな姿をしているのか、どんな表情をして書棚に並んでいるのか、諦めきって静かな表情の顔をしているのか、あるいは崩れ落ち重なって苦悶の表情を浮かべているのか、じっと沈黙しているのか、何かを叫んでいるのか。それら情景の一切が、いま私には想像できない。
 もしかして・・・・・・。闇の中で私は思う。生きのびている本があるかもしれない。書棚の最上段あたりのそれが。曳かれ者の小唄みたいに、そう思う。そのそばから、否・・・・・・と思う。全滅したとして、それが何だろう。私はすでに無所有の人になろうと決心したのではなかったのか。負け惜しみとわかっていて、そう思う。
 三年前、世間で言う還暦をむかえた私は、以後の人生の指針に、あることを決めた。行き当たりばったり出たとこ勝負を人生の手法としてきた私には、柄にもないことではあるが。
 これまでの人生は、世間並みと言えないけれど、「溜まる」人生だった。物質的にだけではなく、がらくたものとはいえ精神的なもの・知識とよばれるもの・規範らしきものも溜まってきた。言ってみれば、蓄積の人生だった。これからはそいつを逆転させよう。物質であれ、非物質であれ、蓄積したものを一つひとつ捨てて「失う」人生をめざしてみよう。「過剰」から「欠如」への折り返しターンというわけだ。そして死の時は、まったき無所有の人となって消えていきたい。
 無所有の人――それがどういう存在であるのか、はっきりとは想像できないままに、そんな決意めいた夢を考えたのだった。その「夢」が突如、水の畏怖すべき力によってかなえられたというわけだ。
 闇につつまれた部屋で、妻のねんこは軽い寝息を立てている。間に間におとずれる自分の鼾に驚いて鼻を鳴らしたりする。ねんこは結構すっきりとした気持で眠っているのではないだろうか。八つ当たりと承知のうえで、そんな邪推が私に浮かぶ。
 「これ、なんとかならないのかしら」六畳の間を占領して立て付けの悪い障子の元凶にもなっている蔵書を眺めては、うらめしげに愚痴るのが、もう随分と以前からの彼女の口癖になっていた。そう言ったあとで、誰かに上げてしまうなり、古本屋に売り払うなり、廃品回収に出すなり、方法はどんなであれ処分できないものだろうか、と迫るのだ。築五十五年の木造家屋にとって蔵書はあまりにも傲慢な重圧であるのはたしかだ。だからといって、この水難を千載一遇の好機と喜ぶことはないだろう。私は彼女がひそかにほくそ笑んでいるように錯覚する。
 すると、どういう訳だろう? さきほど階下で水没している本のあれこれが思い出されたのと同じように、こんどは二階の三畳ほどの板の間にあって助かっている蔵書のあれこれが、これもキィを叩くように次から次へと脳裏にあらわれてきた。ドストエフスキー、カミュ、サルトル、トルストイ、ゴーリキー、ゴーゴリ、ガルシン、バルザック、ジイド、フローベール、ボーヴォワール、ヴェイユ、スタンタール、ゲーテ、バイロン、ハイネ、グラス、シャミッソー、スタインベック、モーパッサン、フォークナー、モリエール、ゾラ、マルクス、レーニン、シェイクスピア、ポー、ボッカチョ、毛沢東、キムヂハ、モーム、メルヴィル、ゲバラ、ソルジェニツイン、パステルナーク、花田清輝、マルケス、ムニャチコ、メイラー、ヘッセ、大江健三郎、C・ウィルソン、ピカート、小林勝、安部公房、クレジオ、ヴァイス、サド、秋元松代、アラゴン、島尾敏雄、ランボー、シリトー、丸山静、バルビス、中野重治、リルケ、高橋和己、ドス・パソス、坂口安吾、石川淳、ワイルド、杉浦明平、ニーチェ、小林多喜二、コロレンコ、ヒューズ、ボールドウィン、ライト、ユーレデール・・・・・・
 まるで脈絡もなく、際限もなく、呪文のように、人の名が記憶のむこうから飛び出してくる。私は息苦しくなり、それをまぎらすために、意趣返しのように呪文を妻のねんこに向ける。
 ねんこは日頃から、著書が売れなくて出版社に迷惑をかけるしか能のない私を、世間態がわるい、と忌み嫌っている。しかし、その著書八冊と、小説や評論やその他諸諸の自作品が載っている雑誌二百冊ほどは、二階三畳板間で無事だ。ザマーミロ・・・・・・。私は、闇の中で舌を出す。

 水への怒りや憎悪を全然、覚えないのが不思議である。
 眠れないまま横になっていて、畳が水気をふくんだように妙に湿っぽく感じられはじめたのは、いつ頃からだろうか。水面は階下の天井から一メートルは下にあって、二階の畳とのあいだにはそれ以上の空間があるはずなのに、水分が蒸気のように吹き上がってきて家そのものを侵しはじめているのだ。
 そもそも水とは何だろう?
 私は辞典で確かめてみようとおもいついて、起き上がった。枕もとの懐中電灯を手に自室へはいる。時計は十時四十数分を差している。まず窓を開け放って、股間のものを取り出す。スチール製の手すりに片手を置いて上半身を支え、一物を思いきり突きだして小便をする。闇の水面ではじける音は、まるで耳もとのそれのように聞こえる。
 それから机の前に座って、懐中電灯の光が目の前に当たるようにセットすると、一九九一年一月一五日第一刷発行の『広辞苑』第四版を開く。〔水〕は二四四九頁にあった。

〔水〕①酸素と水素との化合物。分子式H2O 純粋のものは無色・無味・無臭で、常温では液状をなす。一気圧では、セ氏九九・九七四度で沸騰、セ氏四度で最大の密度となり、セ氏零度で氷結。動植物体の七〇~九〇㌫を占め、生存上欠くことができない。全地表面積の約七二㌫を覆う。万一七「片貝の川の瀬清く行く-の」②(湯に対して)冷水。「-で冷やす」③液状のもの。「腫物の-を取る」④洪水。「-が出る」⑤池・湖・川・遣水(やりみず)など。紫式部日記「例の絶えせぬ-のおとなひ」。「-に落ちる」⑥相撲で、力水(ちからみず)のこと。「-をつける」→水入り2。⑦〔建〕水平のこと。あるいは水平を表す線。

以上の説明につづいて、用例が二十二種類挙げられている。「-が合わない」「-が入(はい)る」「-涸(か)る」「-清ければ魚(うお)棲(す)まず」「-心あれば魚心あり」「-澄む」「-と油」「-にする」「-に流す」「-になる」「-温(ぬる)む」「-のしたたるような」「-の流れと人のゆくえ」「-の低きに就くが如し」「-は方円の器に随う」「-も漏らさぬ」「-をあける」「-を打ったよう」「-を得た魚(うお)のよう」「-をさす」「-を向ける」「-を割る」
  読み終えて、私ははなはだ不満だ。いま私が対話している水の容貌、性格と随分かけはなれている。
「無色・無味・無臭」というが、「純粋のもの」はたしかにそうであるとして、いま私が対話している水は、汚泥の色をして、得体の知れない異臭をただよわせ、飲めば無味どころではない。「生存上欠くことができない」はずのものが、私の生存とまではいわないが神経の末端くらいはおびやかしている。「全地表面積の約七二㌫を覆う」それが時に気紛れをおこすのも仕方ないとして、なぜよりによって私の家に侵入してくるのか。「④洪水」まさにそうだ。しかし、なんて木で鼻を括ったような記述だろう。いま私が経験している身体的・心理的シチュエーションからはあまりにかけはなれて遠い二文字熟語ではないか。この記述からは、洪水と、窓の手すりを掴んで上半身を支え股間のものを水面のほうへ差し出している人間の姿との因果関係をとらえることは至難ではないだろうか。
 「⑤池・湖・川・遣水(やりみず)など」もあまりに静的な記述にすぎて、時に荒ぶり、暴力的なエネルギーを揮い、叛乱の自由を所有する、水の本質に目をつぶっているのではないか。万一七「片貝の川の瀬清く行く-の」にいたっては、言語道断なほど抒情と叙景にすぎるのではないか。〔水〕の説明に、侵犯、叛乱、無秩序のイメージが忌避されるのは、それが日本的抒情・叙景を冒すからなのか。そういえば日本文学の伝統では、水は抒情・叙景の対象であって、優しさ・偉大さ・美しさ・清冽・慰撫として描かれることは枚挙に暇がないほどだが、牛や馬や大木が濁流とともに轟轟と流されていくイメージは描かれてこなかったのではないだろうか。(私はやたら当り散らしたい気分になっているようだ)。
 「用例」を見てみよう。一見、さきの「説明」と五十歩百歩のようでもあるが、穿(うが)ってみれば現在の私の心境になかなか示唆に富むそれがなくはない。
 「-が入(はい)る」とは相撲用語だが、現在の私は責め手を失って、にっちもさっちも動きがとれず、文字通り「水入り」の状態だ。
「-清ければ魚(うお)棲(す)まず」あまりに清廉すぎると、かえって人に親しまれないのはたしかにそのとおりで、私などには心強い喩だが、いま私の家に居すわっている水はあまりに濁りすぎている。清濁合せのむ、というのが通俗的ながら頃合だろう。
「-にする」堕胎するの喩とは初めて知ったが、空しくする、とはまさに階下の諸諸が遭遇している運命だろう。私もまた、心を空しくしてこの受難に当たるしかない。「-に流す」もまた、過去に未練するなかれ、心機を一転しろ、との託宣だろうか。
「-になる」無駄になる、ふいになる、とは只今の状況に露骨、直截すぎて、脱帽するほかない。
「-の流れと人のゆくえ」前途の知れにくいのは人生の一般だが、まさに現在の私の境遇はそれの好個の例ではないだろうか。
「-の低きに就くが如し」物事の自然ななりゆきというのは忌忌しいが、そのなりゆきの止めにくいこととは、現在の私の境遇を言い得て妙だろう。
「-を打ったよう」全六千四百戸の町は、無音の闇につつまれて静まり返っている。
「-をさす」ちょうど一年前、身すぎ世すぎの仕事一切から解放されて、慎ましやかながらほどほどにうまくいっていた私の暮らしに、突然、邪魔がはいって不調になった。その無念は、辞書の「用例」などにかかわりなく水の襲来をうけて私がまっさきに覚えた感情だった。
懐中電灯の光は小さい文字を読みすすめるのに不適なのか、私の眼はチカチカと痛みはじめた。音を立てて『広辞苑』を閉じ、懐中電灯を消す。しばらく瞼を閉じていると、不意に「用例」にはなかった言葉が浮んだ。
「寝耳に水」なるほど見事に譬えたものだ。いやいや、喩えなどではない。まさかの闖入者のことなど夢にも考えず眠りに沈んでいて、なにやら耳の中に液体のしのびこんでくる冷たさに気づき驚いて飛び起きた人もいたにちがいない。

私は自室――七五センチ+一二〇センチ四方の座卓、蛍光スタンド、筆記具、大小二対のアイヌ夫婦の木彫り人形と済州島の火山石で作ったトルハルマン・トルハルバンの置物、韓国の仮面劇の仮面、亡くなった父母が茶を飲みながら談笑する写真、時計、カレンダーなどのほかには書籍や資料類が乱雑に積み上げられているだけの四畳半の部屋。本を読んだり原稿を書いたり調べものをしたりするので、「書斎」と呼ぶのも可能だが、その言い方を私は好まない――を出ると、北側の部屋にもどって横になり、闇の中でふたたび水と対話する。
水にたいする故(ゆえ)知れない畏怖を知ったのは、いつ頃からだったろうか。まだ十歳になるかならないかの少年の頃。それは荒ぶり叛乱する水ではなく、静かに深い色をたたえたそれであった。
漁港の町は、ゆるやかな傾斜をなして低い丘のかたちをしていた。小学校は、対岸がうっすらとかすむ海と馬蹄形の浦とを眺めて、丘の上にあった。小学校の背後、北側には共同墓地と避病院があり、疎林のなかの野道を下っていくと、鬱蒼と木木のひしめく広い谷がある。昼間でも陽の差さない谷に、沼のようなかなり大きい溜池があった。学校帰りに、家とは反対方向のそこ一の谷へはじめて行ったのが、小学生の三、四年生の時だった。友だち数人とする道草の、初めての探検といえるものだったろう。
木木にかこまれた池は、どんよりと暗緑の水を浮かべ、得体も知れないほどに底深く見える。暗暗とした木木の影がいっそう得体の知れなさを煽るかのようだ。池の底には巨大な魚の姿をした怪異な生きものが棲んでいるようにおもえる。鯰の化けものが棲んでいて、人の屍体も沈んでいるかもしれない。少年は訳もわからず不安になる。水の底には、いつも見馴れている風景とはまったく別の、なにやら想像もつかない、薄気味わるい世界がある。恐ろしい魔界みたいな光景がある。
あのときの不思議な恐怖は、何だったのだろう。私ひとりのものだったのだろうか。一の谷から帰る道道、「池の底には何が棲んどるのかなん」「おときさが一の谷で神かくしに遭ったのは、水にさらわれたのかなん」などと言い合ったのは、少年たちみなの経験だったのかもしれない。いつもぞろりとした紅い長襦袢だけの恰好で町を徘徊していた狂女おときさが突然、すがたを消して、神隠しに遭ったといううわさが子どものあいだにもひろがって間もない頃だった。
何の恐れも覚えず遊んでいた海の水が怖くなったのも、ちょうどその頃だった。石垣でかこわれた小さな湾が少年少女たちの水遊びの場だったが、そこには幅十メートルほどの水口があって、潮の干満に合せ背丈の立たない海になったり、飛びはぜ跳ねる泥の瀬になったりする。満潮時に幅十メートルをこちらからあちらへ、あちらからこちらへと、くりかえし泳ぎ渡るのが、少年少女が泳ぎを覚えたことの証明だった。ところが、石垣の上にしゃがみこんで赤児の泣くような海鳥の啼き声を真似ているおときさの姿を見かけなくなってしばらくのあいだ、私は水口を泳ぎ渡ろうとして溺れる夢を何度も見たのだった。
水にたいする得体の知れない畏怖は、長じるにつれても引きずっていた。一の谷からさらに北へ行くと、周囲〇・七キロほどの上(かみ)池と一・三キロほどの七本木(ひちほんぎ)池があった。その向こうに灌木の疎らな山地があって、崖から目の細かい砂が採れた。中学から高校生の頃にかけて、自転車の荷台に大きな木箱を積み、それを採りに行くのが私の仕事だった。父は、酒樽の菰かぶりのしるし描(か)き職人だった。商標の絵文字を刷り込むためには、そのまえに菰の面を水に溶かした砂で菰擦りして均(なら)さなくてはならない。目の細かい砂はそのために必要だった。
上池と七本木池のあいだを三メートル幅ほどの地道がはしっていた。砂山へ行くために数百メートルのその道を自転車で走る。風の強い日には池の水は波立つが、風のない日の水面は森(しん)と静まりかえって、気味悪く底深さをたたえている。私は自転車を走らせながら決まって、水の深い底には何が棲んでいるのだろう、とおもう。化け物みたいな魚や人の屍体が沈んでいるのではないか。巨大な蛇が棲んでいるのではないだろうか? そんな妄想に取り憑かれるのだった。
妄想は大人になって一人旅をよくするようになってからも、去らなかった。青春の時期、山陰の宍道湖、近江の琵琶湖、東北の十和田湖、北海道の阿寒湖などを旅したものだが、水底の異形への恐れはついてまわった。水底の巨大な蛇への妄想には理由があった。

そろそろ日付の変る時刻だろうか。夜につつまれて、家の内も戸外も静まりかえっている。水の面は私の背中の下、十数メートルのところにあって、闇の底でコトリとも物音を立てない。この静けさは、水が運んできたものだろうか、そういえば、水底の異形への私の畏怖は、いつも静かで底深げな池や湖の水面によってもたらされたような気がする。荒ぶる水は水そのものの相貌が恐怖を呼ぶ・・・・・・。そんなことを考えていて、町の静けさは、いつもなら深夜も聞こえつづけるバイパス22号線のトラックの音が完全に絶えているせいだ、と私は気づく。
しばらくのあいだだったが、家の井戸に大きな蛇が棲みついたのは、いつ頃だったろうか。あれも一の谷の溜池で水底の異形を妄想したのと同じ頃、十歳そこそこの夏だったと記憶する。
井戸の水が変だ、なまぐさい味がする。最初にそう言いだしたのは、長姉だった。それから妹たちが騒ぎだし、母も首を傾げた。父と二人の兄と私の、男たちは気にしなかった。家じゅう騒ぎだしたのは二、三日してからだったろうか。
蛇だ。井戸の底をたしかめた父が叫んだ。長兄と次兄が代る代る井戸を覗きこむ。でっけーのがおるぞ。兄たちは怯えているのか感動しているのか判別のつかない声を挙げる。私も井戸の上縁に両手をささえ、へっぴり腰に覗く。暗い底に透明な水が幽かに光っていて、青っぽく長い影が映っている。それはすーっと水の底に沈んだかとおもうと、ゆるゆる身をくねらせながら水面へ浮き上がってくる。青大将かなん。
女たちは怯えて井戸を覗こうとしなかった。百姓の娘で育ったのに異常なほど蛇嫌いだった母は、顔色を失っていたにちがいない。
どのようにして蛇を井戸から出すか。それが男たちの思案だった。釣瓶で掬い上げるには、相手が大きすぎる。海でわたり蟹を獲るとき仕掛ける囮を使うか。銛鉤を使うか。縄梯子を吊るして誰かが下りていくのなら、いっそのこと手掴みに捕えてしまおうか。それなら中学生の次兄のお手のものだ。
そんな相談をめぐらしているときだった。何を罰(ばち)当たりを言っとるのかなん、蛇は水の神さんだで、滅相なことをしたらいかん。ああして家(いえ)守りをしてくれとるだがなん。気丈な祖母がそういって、家の者を叱ったのだった。
それで蛇は井戸の底に棲みつづけたのだが、いつどんな経緯でいなくなったのか、私には思い出せない。いや、知らされなかったのだろう。そもそも蛇があのときどうして井戸にはいったのか、地上から壁づたいに下りたのか、地底から水底へあらわれたのか、それさえ家の者にわからなかった。蛇はどこへ消えたのだろう? 行方について家人は何も口にしなかった。それを問うことがなにかしら禁忌でさえあるようだった。私は、不思議さは不思議さとして、子どもなりに納得してきたようにおもう。いまにして考えれば、父が祖母に知られない仕方で、たとえば深夜に銛鉤か囮か手捕(づか)まえか何らかの方法で捕まえて、神明さんの森へでも捨てた、たぶんそんなことだったろう。
水底には蛇が棲む、と空想癖がついたのは、井戸と蛇の一件のせいだったという確信はない。蛇、殊に白蛇が、しばしば水の神であると知ったのは、随分のち神話や説話や民間伝承に接するようになってからだ。

妻のねんこの鼾が止まっている。寝息も聞こえない。浸水から二十時間は経っている。その間、彼女は偶に窓から「川」の水位を眺めたり旅の本をめくったり青色ポリバケツで用便を足したり友人から見舞の電話に出たりするほかは、私と言葉を交わすこともほとんどなく、横になったままだ。さすがに眠気は遠のいているのだろう。口にはしないが空腹を相当に覚えているにちがいない。私はといえば、四十三歳頃に掛かった十二指潰瘍の症状を軽微ながらひきずっていて、さきほどまで空腹時の痛みが鳩尾(みずおち)の下あたりにあったが、空腹と痛覚がひびきあう境域を過ぎたのか、いまはすっきりと落ち着いている。心なしか眠気が後頭部あたりに忍びよっているようだ。
それにしても、ねんこの肚の座りようは一つの発見だった・・・・・・。闇の中にもっこりと人がたをつくっている彼女の寝姿を脳裏に浮かべながら、私はおもう。日頃から、よく言えば鷹揚、悪く言えば無頓着、そんな性格であるのは知っていた。風姿とは真反対のそんな性格も、生活をともにして四十年間、これといった災厄や苦難に出合うことなく暮してきたからこそだろう、とおもっていた。ひとたび日常が崩れるような大事に遭遇したなら化けの皮は簡単に剥がれるだろう、そう思っていたのが逆に、水の来襲をうけていっそう遺憾なくそれは発揮されたのだ。
本来なら関係は反対でなくてはならない。私のほうがあたふた気に病むのは、辻褄が合わない。日ごろの言動からして、泰然自若でなくてはならないのは私のはずだ。
エラい人になるために、世間的地位を得るために、カネに執着するために、きらびやかな家庭を確立するために、書かれたものが売れて「作家」になるために、がんばろう! 私には人生の途上においてそういう情熱が湧きあがったためしが一度もない。自意識は並以上にある。他人の成功を全然妬まないではない。それでいて、上昇への情熱というものがまるで湧かない。ガンバルとか、根気とか、探求とか、そういうのがなにかにつけても苦手だった。困難は敬して遠去ける。要するに怠惰と猶予(モラトリアム)への逃亡が身上の性格なのだろう。それで小学生の頃から「小さなニヒリスト」を自分のなかに意識していたというわけである。
しかし、怠惰と逃亡癖の根拠には、ある信条があったのは確かな気がする。世の中にはいろいろさまざまな生き方がある。上昇のために何かを我慢してガンバルよりも、好きな道を行かなきゃ損だ。そういう損得づくが、「小さなニヒリスト」が長じての人生のポリシィらしきものに変じたのだろう。
六十三歳になる現在、それでどういうことになっているのか。結局、現代らしさの規制から逃れたがっている自分がいる。否、それから見放されたがっている自分を発見するのだ。体制や制度と呼ばれるもの一切から逃散したがっている自分、コンピュータや情報を嫌悪してワープロさえ使えない自分、ファッションやグルメを軽蔑して最小限の衣食に甘んじたがっている自分、マンションではなく築五十五年の木造古家に固執している自分、貧しい収入を誇りたがっている自分、生活の便利よりも質素に憧れている自分、利害の人間関係よりも無益の友情を尊重している自分、健康至上の風潮から逃れたがっている自分、名詞の肩書を厭悪している自分、無所有の幻想に憑依したがっている自分、存在の痕跡をすべて消して果てる死を求めている自分、そういう人生の一切をこよなく愛したがっている自分――
つまりは私の人生は、現代という価値からまぬがれること、見放されることを空想してきたのであり、いまやいよいよ確信をもってそんな人生を希求しているはずなのだ。それは、リアリストである妻ねんこの人生信条とは対立するものであり、事実、物質生活の安定に執着する彼女とは生活実践上の論争がたえなかった。ところが、どうしたことだろう? 物質生活の大半が水の底で消え去ろうとしているいま、彼女は肚を据え、私はあたふた気に病んでいる。化けの皮が剥がれたのは、私のほうと言うべきか。
どちらにしても・・・・・・と私は思う。水は凄い。私のような無所有を夢みて実際にも質素このうえない暮し向きの人間にも、測り知れない財産を所有して豪邸住まいの人間にも、等なみに酷薄なのが、水の凄さだ。
そんな埒もない思いが脈絡もなく脳裏をめぐってくる。まるで眠気を邪魔しにくるようだ。すぐそこまで眠気はきているのだ。頭の芯のあたりが、ふわーッと溶けていくような感じが行きつ戻りつしている。頭蓋のうちの肉が実際にとろけだすような感じで、意識が見え隠れに遊んでいる。
私はいま、向こう側へ渡ろうとしているのだ。家へ帰ろうとしているのか、誰かを訪ねようとしているのか、よくわからない。向こう側が何もない。それでも、なにがなんでも行かなくてはならない。野道のようなところを行くのだが、気がつくと目のまえに水が溢れて道を塞いでいる。たいした水嵩ではない.膝あたりまで水につけてじゃぶじゃぶと行けばよいのに、なぜだか渡れない。仕方なく回り道をしようと、引き返して歩きだす。それでも行くべきところへ行き着けない。歩いても歩いても、気がつくと大きな池のまわりをめぐっていて、抜けられないのだ。
あれは何だったのだろう。現(うつつ)のなかで夢を真似て見ていたような、夢のなかで現実ごとと知りつつ見ていたような、不思議な体験だった。とにかく見るたび、すでにくりかえし経験したことのように感じるのだった。終いには決まって困り果てたすえに目を覚ますのだが、困り果てるのが目的のような、不安の感情を風景にあらわしたような、そんな夢うつつだった。
そろそろあれがあらわれるのかもしれない。夢ともうつつともつかない意識の襞に、そんな思いが掠める。その直後なのか、時を経てからなのか、予感をはぐらかされるように、奇妙な音が耳をうつ。砂の上を何かがズルズル、ズルズルと移動するような音だ。何ものかが這うような、引き擦り上げられるような、執拗な音。
そうだ、おれはさっき友人のKと玄関さきで分かれたばかりだった。随分酔っていたから帰るさきを見失って戻ってきたのかもしれない。私の体が起き上がっていた。階段の上まできて、あッと声を呑む。奇妙な音の正体が知れた。でっかいのや子どもみたいなのや、二階への階段をうずめてひしめいている。蛇たちにちがいないが、一匹一匹を見ると人の顔みたいに滑稽な表情をしている。なんだ、みな笑ってやがる。私は階段の上から眺めて、そう呟く。だが、蛇たちを見ているのは私ではなさそうだ。死んだ母のようでもあるが、誰ともよくわからない顔だ。首だけのそれものっぺらぼうに笑っている。
早くKを助けなくては・・・・・・。友人が衣服を土まみれにして玄関で倒れているのが見える。私は見知らない首をひっこぬいて、提灯みたいにかかげる。蛇たちを踏んづけて、じゃぶじゃぶと水音を立てながら階段を下りる。踏んづけているのは足ではなく意識みたいなものらしい。首だけになった私は玄関の部屋を抜け、ドアを開ける。闇の中に視線を凝らして探す。玄関前の幾分、傾斜になったコンクリート地のうえに、泥まみれの長いものが落ちている。少し屈折しているが、伸ばせば一メートル七〇センチほどはあろうか。首のない、布の紐だ。
いつのまにどんなふうに、私は泥水に汚れた紐になっていたのか。夢うつつのなかで私は不思議におもう。

現(うつつ)と夢が混濁している状態のままうっすらと眠りから覚めて、鳴っているのが電話と気づいた。闇に馴れた眼をこらすと、置き時計の針は四時を少し過ぎている。蛇を擬態した水が玄関をはいってきたのと同じ時刻だ。二十四時間が経ったことになる。
それにしても随分と早い電話だな・・・・・・。そんなことを思いながら、受話器を取る。
「ヨボセヨ(もしもし)、ミヂュグチソンセンニム テギヂョ(水口先生のお宅ですか)」
「ネー クロッスムニダ(はい、そうです)」
「チョー キムヒョスニムニダ(わたし、キムヒョスンです)」
「ヒョスン氏。オレガンマニエヨ(久しぶりです)」
韓国の金孝順だ。六、七年前、日本語を学ぶために日本へ来て三年ほど名古屋に住んだ。在日の友人の紹介で知り合って、日本語学校に通うかたわらアルバイトをしたいという彼女のために日本人の友人が経営するホテルの厨房の仕事を紹介したり、在留資格の問題で入国管理事務所に同行したりした。彼女が帰って間もない頃、韓国を訪ねる機会のあった私は、両親と同居する光州(クァンヂュ)の家で二晩泊めてもらい、一九八〇年五月の光州事態の跡や犠牲者が眠る望月洞共同墓地を案内されたり、同じ全羅道の南原(ナムウォン)(李朝時代の有名な小説『春香伝』の舞台となった土地)にまで同行してもらったりした。手紙のやりとりもあったが、ここ二年ほどはとだえていた。
「ヒョスン氏 チグム イルボネワイッソ?(いま日本に来てるの?)」
「アニエヨ(いいえ)、いま釜山(プサン)に住んでいるのです。半年前から日本語学校の先生の職が見つかって」
金孝順は日本語でつづける。電話でも手紙でも、彼女が日本語を使い、私が韓国語を使うという逆転現象がならわしになっている。もちろん私のそれは日本語直訳式の変な韓国語だ。
「きのう、NIB国際放送のテレビニュースを見て驚いたのです。水害地の風景に水口さんの家たずねたとき記憶にあるRマンションやS駅が写っているじゃないですか。その近くをゴムボートが往来しているじゃないですか。とても怖くて、何度もあの風景が頭に浮んで、充分に眠れなくて、それでこんな早くに電話したのです」
金孝順は達者な日本語で一気に喋った。彼女は「おっかなびっくり」という日本語を解するほどの腕前だ。
「コマッスムニダ。テダニキポヨ(ありがとう。とても嬉しいよ)」
「いますぐ日本へ飛んで生きたいです。いいえ、行かなくてはならないでしょ?」
海を渡ってくる声は真実味をおびている。
「アンデアンデ。コクチョンハヂマセヨ。ナン ムサイニッカ(駄目、駄目。心配しないで。私は無事だから)」
私は力を込めて断る。孝順さんの気持ち、とてもありがたいよ、などと応えたら、彼女は大急ぎ航空券を手に入れ、ほんとうに名古屋空港めざして飛行機に飛び乗るかもしれない。彼女は典型的な韓国人なのだ。
金孝順は何度も同じことをくりかえし、ほんとうに大丈夫か、と念を押し、水が去ったら必ず電話をくれるよう言って、切った。

一時間ほどして部屋の中が明るくなった。窓を開け放つ。「川」の水が最高時にくらべると五分の二ほどに減っている。向かいの家の玄関やブロック塀にくっきりと残る変色の跡でそれがわかる。車庫の乗用車も上半身を水面にあらわしている。
水はいっそう黄濁して汚れきっているくせに、朝の光を浴びてそれなりに輝いている。五日ぶりの晴天だ。
私は階下への階段を降りてみる。階段の中頃まであった水は二段目ほどまでに減っている。その位置から身を乗りだして部屋のほうをのぞくと、反り返って斜めに立った畳や転倒した家具その他諸諸が、まるで家を取り壊した跡の残骸のように折り重なっている。水位はまだ膝の上あたりまではありそうで、部屋の中へじゃぶじゃぶとはいっていく気にはなれない。
「水がだいぶん減っている」
私が声をかけると、ねんこは、そうみたいね、と応えて億劫そうに身を起す。私がうつらうつらしているあいだに、彼女は水の様子を確かめていたらしい。
彼女が階段のほうに消えたとおもうと、ピチャピチャと水を跳ねる音が聞こえる。階下へ下りたのだろうか。階段の下をのぞくと、何のつもりだろうか、彼女は階下の水をまるで渚で水遊びでもするように素足で弾いている。それでもさすがに部屋にはいる気にはなれなかったようで、階段をひきかえしてきた。
息子が北側の部屋に顔を出した。寝不足なのか、眠りすぎたのか、空(うつ)けた表情をしている。憔悴の色が隠せないのは、空腹のせいもあるのにちがいない。
彼が碌すっぽ言葉を交わさないまま自室にもどって間もなく、ヘリコプターが飛んできた。今朝もヘリコプターは夜の白みはじめるのを待ちかまえていたようにあらわれて、轟音を撒き散らし、屋根をぶちぬくように耳朶を打ちつづけた。盛んなときなどは三機ものそれが、競い合うように頭上で旋回し、家の中でさえ言葉を交わすのに難儀をするほどだった。いま飛んできたのはテレビ局のそれではない。町の知らせを伝えるヘリコプターだ。応急の護岸作業が完了してふたたび決潰の危険はなくなったことに併せて、町から救援の食糧を支給するので避難所まで取りに来るようアナウンスしている。
息子が、旅行用の大きなリュックを背負い、短パンの裾をたくしあげるほどの水の中を五百メートル先の避難所へ向かった。大きめのバッグを選んだのは、隣り近所数軒の救援食もいっしょに受け取ってくるためだ。
二時間近くも経って、息子はまだ太ももまである水の中を帰ってきた。救援食が届くのを避難所で待っていたのだ。背負ったリュックが全然、ふくらんでいない。救援食の支給は一戸当たり小さな餡パン二個ずつだという。息子は七戸分のそれを一軒一軒回って配った。
そういうあいだも私はしょうことなく水の干き具合を眺めたり、電話の応対に出たりして、時を過ごす。電話は昨日のそれにも増して鳴った。ひっきりなしといった気味合いに鳴りつづけて(妻へのそれも少なくない)、無為をかこつ気分ではない。あらたに安否と気使ってくれる肉親友人知人に混じって、昨日につづけて続編の声をよせてくれる人もいる。
そのなかに妻への電話がかかる。気がつくと、ねんこの姿が二階に見えない。階段の上から大声で呼ぶと返事か帰ってきた。一階の床上の水は踝を隠す程度に減っている。階下で何をしていたのか、ねんこは濡れた叩(はた)きを手にしたまま現れて、階段を上がってくる。私から電話器を受け取ると、水が干いたから、これから片付けよ、などと明るい声で高校同級生の相手に伝えている。

床上の浸水が干いたのは午後三時前だった。床下の水は残っており、道路の水深は四十センチほどはあるだろう。
私はようやく階下へ降りてみる気になった。泥水に汚れて板壁も床もぬるぬると変色し、土壁の表面は水に浸った高さまでが剥がれ落ちている。畳が斜めに立ち上がって、転倒した箪笥やソファと三すくみに折り重なり、その隙間から床下の水が見える。台所では冷蔵庫や食卓、椅子、炊飯器が取っ組み合いの恰好に散乱していた。どれもこれも泥にまみれて本来の姿を失っている。
本たちはどうしてるだろう? 裸足がぬるぬると滑りそうなのをおっかなびっくりに、書庫代わりの六畳間までたどりつく。部屋を覗いて、私は愕然とするより呆れた。想像したとうりだ。部屋の壁ぎわ三方に置かれた書架の、そのまま立っているのは大きいのが一台きり。二つの書架はひっくりかえって書籍のほとんどが放り出されている。もともと書棚にはいりきらなくて床に積み上げてあったのは、書架の下敷きになってひしめき、悲鳴を上げている。
そうだ。本来、頁がめくられて読まれるはずの本たちは、いま泥水まみれの軟らかい瓦のようになって、悲鳴をあげている。
私はすこし非情な気持ちで本たちに背を向け、部屋を離れた。足の踏み場も無いそこには、はいるわけにもいかないが、入口あたりの一冊を手にとってみる気も起こらなかった。
浸水以来、最初の訪問者があらわれたのは、そんな折だった。
水のなかを人の歩く音が近づいてきて、玄関に、こんにちは、と呼ぶ声がした。妻のねんこが居間や台所で倒れた小物を立てたり移動させたり、甲斐甲斐しく動きまわっているのを眺めては、タフな人だなぁ、と感心しながら、私が玄関さきの間でうろうろしているときだった。
「どうぞ。鍵はあいてますよ」
扉が開いて顔をのぞかせたのは、知人のOだ。Oは民衆派の税理士などと呼ばれている人物だが、碌碌、税金を納めるほどの収入はない私とは、むろん仕事上の付き合いはない。俗にいう市民運動の仲間であって、昵懇というほどではない。
玄関さきに立ったOは体の前と後に大きな梱包した荷物を括りつけて、不思議な恰好をしている。葬式のお悔やみみたいによく聞き取れない言葉をふたこと三こと口にすると、Oは体の荷物を外して上がり端に置き、梱包を解きはじめる。ビニール袋にはいった下着類とサンダル、便箋・封筒・ハガキ・切手・筆記具など郵便用品の収められたプラスチックケース(透明なそれを透かして「お見舞い」と書かれた熨斗づつみも見える)、七十センチ角ほどに丹念に折り畳まれているが、広げれば相当に大きなものであろう新品の青いビニールシート――梱包を解くとそういう品物が次次とあらわれた。
「これは、これは・・・・・・」
私は感嘆の声を上げたきり、あとは言葉にならない。水害見舞いとして、なんと見事な想像力だろう。あらわれた品品は、ほとんど表現された思想の域に達しているではないか。
Oは、何かお手伝いでもあれば、といった表情を浮べて、私の顔を見返した。
「何しろ、こんな状態でして。まだ手の付けようがありません」
私は感謝の気持ちを込めて頭を下げる。
「そうですね。じゃあ、失礼しましょう。くれぐれも無理はなさらないで」
Oはそう言うと踵を返し、来たときと同じように長靴が立てる水音とともに玄関から去った。妻を呼ぶ暇もなかった。私は柄にもなく込み上げてくるものを覚え、水音が消えるまで立ちつくしていた。
六十歳になったとき決心したように、空想ではなく、死ぬ時は無所有の人となって死んでいかなくてはならない・・・・・・。私は、何の脈絡もなしに、それが人生への感謝であるかのように、自分に呟いた。水は恰好の災厄だったと考えたとして、曳かれ者の小唄などではない。 

道路の水が完全に干いたのは、午後四時二十五分。蛇を擬態した水の訪問から三十六時間後だった。

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『在日朝鮮人文学』について

在日朝鮮人文学朝鮮文学 (ちょうせんぶんがく)は朝鮮民族によって書かれた文学である。現在の朝鮮半島は人工的に南北に分断されており、北の朝鮮民主主義人民共和国では「朝鮮文学」と呼ぶが、南の大韓民国では「韓国文学」と呼ばれる。日本ではこの両者を含めて「朝鮮文

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