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2019-11

「架橋」20 あとがき

   『架橋』20号まで

       ――あとがきを借りて

▼『架(か)橋(きょう)』今号は20号である。ふつう記念号というほどのものではない。それでも発行母体の在日朝鮮人作家を読む会が一九七七年十二月に発足して二十三年目、雑誌創刊からちょうど二十年目という短くはない道のりを経ての二〇号なのだから、「あとがき」を借りてふりかえっておく。さきに載せた「総目次」も同様の意図である。
 『架橋』の創刊は一九八〇年一月。誌名は、在日朝鮮人と日本人が協同して文学を創りだしていく、その架け橋に、という意味で、なかまの蔡孝(以下、敬称は省く)が命名した。
 創刊号の「あとがき」に蔡孝は書いている。「(略)ここに一つの解答がある。それは日本人同士、朝鮮人同士の、そして朝鮮人と日本人の違いの確認という事である。それは自己の立場や意識をより深く認識することにより、他者をもより深く認識しうるという、想像力の問題としてとらえるべきものでもある。在日朝鮮人の作品を読むということは私達自身を日常もろとも白日の下に晒け出し、その根底をも問い直すことを意味する。(略)このような作業は、ついに個人を超え、国を超えて、共有しうる何かを創造せざるを得なくなるだろう。私はそれを〈架橋〉と呼びたい。このパンフレットはそこに至る里程標である」(文中にある〈朝鮮人〉は朝鮮籍、韓国籍、日本籍取得者のすべてをふくむ〈在日〉の民族的総称である)
 右の文章に「パンフレット」とあるように『架橋』は当初、冊子形式で発行された。号を重ねるごとに質量を整えていくが、四号までは小説・詩などの「作品」はなく、權星子の短歌「命運憶う」11首(光州事件関連によって囚われた金大中氏をうたったもの)を除けば、ほとんどがエッセイ、随感の類だった。そんななかで鐘眞の李恢成作品論が唯一、まとまった評論だった。
鐘眞は在日朝鮮人作家を読む会(以下「読む会」)が発足して間もなくの一九七九年からほぼ十年間、在住する奈良県から毎月のように会に参加した。難儀な持病をかかえての名古屋通いだったが、創刊号によせたエッセイ「朝鮮人としての再発見」で吐露したように、内なる民族を探ね、発見するための旅だったにちがいない。そのあいだに、いずれも李恢成論である「傷だらけの構図――『死者が遺したもの』を読んで」「『見果てぬ夢』雑感ノート」1~4を書いた。後者は「雑感ノート」などと謙遜しているが、力作だ。のちに講談社文庫版『見果てぬ夢』に解説も書いた。
在日文芸誌『季刊 民涛』の立ち上げから終刊まで編集委員も努めた。一九九〇年代以降、健康上の理由もあって会とは疎遠になっているが、『架橋』にとってかけがえのない存在だ。筆者=磯貝個人にとっても、多くを教えられ、敬愛する友人である。
冊子時代の主な文章をピックアップすると――蔡太吉「独白」「金石範の小説に触れて」文学謙「喪失と脱自」安田寛子「さらさねばならないもの」藤本由紀子「私自身をとりもどすための」劉竜子「『見果てぬ夢』の中の女たち」、それに磯貝治良の『見果てぬ夢』評「〈民衆〉という陥穽」、『火縄銃のうた』論「抵抗史を継ぐ」などである。
前記の蔡太吉、文学謙はいずれも蔡孝のペンネーム。当時の彼らしいテレのあらわれだが、その後、蔡孝は風(プン)物(ムル)など民族楽器による表現にアイデンティティの方向を求め、グループ「ノリパン」を率いて活躍中である。『架橋』への登場は偶偶(たまたま)になっているが、「読む会」草創期以来の文学を語れる友人として、得がたい人だ。
「読む会」を入口にしてさまざまな活動へ飛び立っていく、それは会の持ち味になっている。
冊子時代は『架橋』のプロローグといった段階だった。参加者の意識は、文学的関心というより〈在日〉の場合、民族的アイデンティティを探ねる旅、日本人の場合、〈在日〉を鏡として自己確立を計る――ちょっと恰好つければ、そういう「実存的」な関心が勝っていて、たがいのまっとうな関係をつくりだすこと自体がいとなみの目的になっていた。磯貝が「読む会」発足から二年間ほどのこととして創刊号に書いた「会のあゆみ」は、その事情を語っている。
『架橋』が現在のような文芸雑誌の形式をとったのは、一九四八年四月発行の五号からである。とくに意識してこなかったけれど、以来、年一回の発行つまり年刊になっている。
この号から「作品」が登場する。それは読む=討論する活動から書く=創造する活動への変化を示している。端的にいって「文学」がやってきたということだろう。小説が磯貝治良「梁のゆくえ」劉竜子「夏」の二篇。それにアジア太平洋戦争で中国大陸へ出征した父親の手紙によって構成した記録長編の中山峯夫「農民兵士・父からの手紙」と醴泉(權星子)の紀行短歌「対馬万緑」28首があり、エッセイ類の掲載もひきつづく。
雑誌『架橋』の幸先はよく、「梁のゆくえ」が全国同人雑誌推薦作として同年の『文学界』八月号に転載された。
劉竜子がみずからの原風景として少女時代の経験を書いた「夏」は、生まれてはじめて書かれた習作であるが、その後「葉かげ」「紅いチマチョゴリ」「おとずれ」など立てつづけに発表。めきめきと創作の腕を上げた。十年ほど前「旅人宿酒(チュ)幕(マク)」という魅力的な居酒屋を開業して、「店と客が恋人」の日々に追われ、残念ながらペンを折っていたが、今号で十年余ぶりの復活だ。
小説についてふりかえっておこう。
六、七号に「野辺戯の日よ」「岬をめぐる旅」を書いた松本昭子は、ずいぶん以前に磯貝が催していたジローの文学小屋の「生徒」で、奔放で特異な作風が人気を呼んだ。八号に「南京虫のうた」を発表して以来、達者な作品で読ませている渡野玖美は、石川県山代温泉の人。在日朝鮮人とのあいだに生まれた三人の娘を孤軍奮闘、育て上げ、日本人と朝鮮人のはざまに生きた体験を主題にしている。遠路を「読む会」に参加することによってそれを書けるようになった、というのが彼女の弁。第一回日本海文学大賞の受賞者で、『金沢文学』の有力な書き手でもある。
渡野玖美は『架橋』に発表した作品も収める小説集『五里峠』(近代文芸社)『帰る道』(中日出版)も上梓している。単行本のはなしが出たついでに他のそれについても記しておこう。
賈島憲治の雨森芳洲シリーズの第一回「雨森芳洲の涙」が発表されたのが八号。「――憂鬱」「――孤独」「――苦悩」「――運命」と書きつがれて『雨森芳洲の涙』(風媒社)にまとめられた。賈島が本名の加藤建二で試みている韓国小説の翻訳(十五、十六号)も貴重な仕事だ。
磯貝治良は五号の「梁のゆくえ」以降、『架橋』には欠かさず小説を発表している。一九七〇年代以降、在日朝鮮人文学にかかわる評論をいろんな雑誌に書いて、『始原の光――在日朝鮮人文学論』(創樹社)『戦後日本文学のなかの朝鮮韓国』(大和書房)を出したりしたので、『架橋』に小説を発表しはじめた当初、小説も書くのかね、と不思議がる人(特に〈在日〉の知人)もいたけれど、じつはもともと小説を書いてきた人間なのだ(全然、自慢することではないけれど)。
ともかく磯貝が『架橋』に発表した作品を中心に編んだのが小説集『イルボネ チャンビョク』と長編小説『在日疾風純情伝』(いずれも風琳堂)である。『在日疾風純情伝』は九号以降に載せた連作・羽山先生シリーズに書き下ろしを加えてまとめたもの。
小説の新しい書き手が登場して誌上にちょっと新鮮味があらわれるのは十号から。そのハシリが当時、二十歳くらいだった津田悠司で「俺たちの旅」「さまよえるオランダ人」によってみずみずしい才能をみせた。会のメンバーであった金成美と結婚し、そのほうでも先鞭をつけたが、なぜか小説を書かなくなった。
若い世代といえば、文真弓が一四号から登場。会のメンバーから「学生さんですか」などと訊ねられたりしたが、三人の娘をもつ二十歳代の母親だった。「ふくろう」「ビー玉」「大潮」「空気だま」と発表した作品はいずれも短編だが、弾(はず)むような感性と文体のきらめきに注目すべきものがあって、三世世代の〈在日〉の内面をフレッシュに表現する。目下、充電中。
文真弓とともに小説欄の常連となったのが、申明均。一三号以来「サットンの誓い」「輝きの時」「成仏を願う男」「オモニの予言」「許されぬ者」「変々凡々」を発表して、巧まざるユーモアと諧謔が人生の哀楽を語る。
ほかに大阪在住の金成根「闇のゆくえ」(一一号)、全州李家の両班の末裔を自称する李淑子「パダンの丘」(一八号)、成眞澄「手」(九号)がある。李淑子の作風にはフランス文学ふうなしゃれた感覚があり、〈在日〉文学のあたらしい展開を期待させる。成眞澄は蔡孝、磯貝らとマダン劇グループ・マダンノリペ緑(ノク)豆(トウ)の活動もしたが、いまは遅咲きのオモニをしている。
柳基洙という人が「郭公の故郷」(一五号 翻訳)「パルチザンの愛」(一七号 日本語作品)の二篇を載せているが、この人は韓国の作家。会のメンバーである間瀬昇のソウル(当時京城)時代の医学校の学友という縁である。磯貝治良の小説について一つだけふれると、「漁港の町にて」(一六号)「青の季節」(一八号)「檻と草原」(一九号)は自伝的連作であり、幼年期から高校生時代までが書かれていて、さらにつづく。
以上、作品と人物アラカルトみたいな芸のない紹介になってしまったが、小説作品をふりかえってみた。二十年間、二十号を経たわりに書き手の顔ぶれが限られてしまっている。原則として、題材を朝鮮(人)と日本(人)のかかわりに限る(在日朝鮮人の書き手の場合は特に制約はない)、としているせいなのだが、老若を問わずあたらしい書き手の登場を待ち望んでいる。
詩についてふれてみよう。詩のジャンルは小説以上に稀少だ。
先鞭を付けたのは、愛知県立大学で朝鮮韓国語を教えている文重烈で、「詩5篇 歌詞3篇」(一一号)と「詩3篇」(一二号)。いずれも朝鮮語の原文に磯貝が日本語の訳文を付して、対訳形式で掲載した。これは『架橋』ならではの企画として特筆しておきたい。文重烈は貴重な問題提起である評論「民族主義と民主主義と」(一三号)も書いた。
ほかに詩では卞元守「雪解けの頃」(一八号)と「あおあらし」(一九号)があるきり。人間まるごと詩を作る人といった趣の卞元守は、会では古い仲間で磯貝にとってもかけがえのない親友(チング)。月に一回の例会のため岐阜から参加するのを「生きがい」(本人の弁)にしている彼が、ついに一八号で沈黙をやぶったのだ。『架橋』にとっては一種の「事件」といっていい。透明な言葉のイメージが特徴なのだが、散文的長詩「あおあらし」にはさらに民族の呼吸=リズムが横溢して、辛酸の題材なのに詩風は明るい。〈在日〉が様変わりするなか、純粋に民族を語り、ナショナル・アイデンティティを求めつづける詩人だ。
『架橋』は文芸雑誌なのだから、もっともっと詩を作る人が登場してほしい。
短歌のジャンルでは何人かが作品をよせている。
權星子(醴泉)についてはすでにふれたが、さらに吉岡卓が一五号に「赤とんぼとハルモニ」11首、梨花美代子が「韓国の地ふみたり」21首(一六号)「花大根の花の咲く」20首(一八号)「厳寒の中国国境地帯からの便り」12首(一九号)、今号の北原幸子「わたしの中のわたしたち」11首がある。
吉岡卓は車椅子で旺盛に活動する青年で、一五号の短歌は韓国を訪れた体験と旧日本軍慰安婦だったハルモニとの出会いをうたっている。梨花美代子はすでに歌人として長い経歴の人で朝鮮とのかかわりをまっこうからうたいつづける。サンフランシスコ講和条約以前に在日朝鮮人と結婚し、のちにさまざまな事情あって「無国籍」のまま外国人登録、指紋押捺を強要されたが拒否しつづけた。数年前、日本名で韓国に戸籍を得た。つまり韓国に日本式のあらたな姓をひとつ創造したのだ。年齢を感じさせない楚々たる風姿の人だが、稀有な人生に似て歌には硬質のテーマ性がある。
『架橋』はジャンルの序列化をしない。記録、紀行文、エッセイの類もたいせつにしている。蔡孝の訪韓記、同人雑誌『海』の主宰者でもある間瀬昇の村松武司にかかわる追憶の記録、津田真理子(岩田多万亀)の朝鮮との出会いをつづる文章、趙眞良のルーツ探訪のエッセイなど大切にしたい寄稿だ。
いまや『架橋』の名物になった朴燦鎬のエッセイが登場したのは九号。以来、毎号発表しつづけている。特に十九号の「すべての河は海へ流れる――韓国歌謡史番外・在日篇」は、他に類のない著書『韓国歌謡史』解放前編(晶文社)をもつ彼が、その続編として最近まで韓国のメディアにハングルで発表していた解放後編の番外として日本語で書き下ろしたもの。解放後(戦後)の在日韓国人民族運動のなかで歌われた歌謡を紹介して一〇〇枚をこえる力作だ。歌謡史にとどまらず、在日韓国青年運動の解放後史をも詳細に跡づけていて、じつに貴重な仕事だ。研究人肌の朴燦鎬は、ちょっと高級感があって無類に旨い焼肉を供する「長水苑」の店主でもある。
十八号に掲載された北原幸子の自分史「この人の世の片隅で」も一〇〇枚をはるかにこえて、なおかつ端正な文体と無駄のない構成で、磯貝が思索的自分史と銘打った。苦難の人生を情緒的に描く凡百のそれとは違うからだ。身体に障害をもつ女性が、さまざまな人との邂逅、書物との出会い(在日朝鮮人文学も大きな役割をもつ)を通して、社会との関係のなかで自己を確立していく。まさに負を担って存在するもののアイデンティティの旅が、思想形成の過程として表現されているのだ。自分史というジャンルであるにもかかわらず『文学界』の同人誌評や『新日本文学』の文学の水脈欄ほか多方面で高い評価を得たのは、この作品が文学の原質を示しているからだろう。
最後に一五号には、在日朝鮮人作家を読む会が二〇〇回をむかえたのによせて、メンバーの随感12篇と二〇〇回分の会録が載っていることを記しておく。
「あとがき」を借りて、ながったらしく冗漫な文章になってしまった。ここで今後の抱負とか課題を書けばひきしまるだろうけれど、それは好みではない。十年後どんな『架橋』になるか、それを愉しみにしていればいい。行きあたりばったり、出たとこ勝負、それがわたしの人生の手法なのだ。
▼今号には、劉竜子が十余年ぶりの登場。朝鮮戦争の時代を背景に〈在日〉少年の生の寸景を描いて、小さい小説ながら好篇だとおもう。賈島憲治の「雨森芳洲の悲しみ」(二〇〇枚)は、巻末に載る広告が示すように、以前まとめられた『雨森芳洲の涙』以来のシリーズ再登場である。磯貝の「すゑの話」は『架橋』にはそぐわない作柄だけれど、先年亡くなった母への記憶のために載せた。
 ほかのエッセイ、短歌も味わっていただきたい。
▼最後に昨年十二月の望年会でおこなった、恒例の「読む会」テキスト人気投票一九九九年版である。
①徐京植『子どもの涙』磯貝治良「檻と草原」(『架橋19号』)②金史良『光の中に』柳美里『ゴールドラッシュ』金満里『生きることのはじまり』③李恢成『時代と人間の運命・対論集』朴燦鎬「すべての河は海へ流れる」(『架橋19号』)津田真理子「わが継母」(同上)
                       磯貝治良

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梨花美代子さんのこと

梨花美代子さんの最近のご様子を知りたく、お名前をWebで検索すると、貴誌『架橋』がみつかりました。20号の磯貝治良様のあとがきに梨花さんについて少し書かれたものがありました。私は何度かお会いし、「無国の詩」についてお教えいただいたことがあります。
貴誌によると韓国で籍を得られたとのこと、現在は韓国でお住まいなのでしょうか。
もしよろしければ近況をお教えいただきたく、お伺いします。
また梨花美代子さんの短歌が記載されている16号.18号.19号を入手可能であればお知らせください。
神戸市在住 もりきかずみ

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『在日朝鮮人文学』について

在日朝鮮人文学朝鮮文学 (ちょうせんぶんがく)は朝鮮民族によって書かれた文学である。現在の朝鮮半島は人工的に南北に分断されており、北の朝鮮民主主義人民共和国では「朝鮮文学」と呼ぶが、南の大韓民国では「韓国文学」と呼ばれる。日本ではこの両者を含めて「朝鮮文

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