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2020-02

「架橋」第7号 「見果てぬ夢」雑感ノート4

『見果てぬ夢』雑感ノート(四)
――采浩の人物像について 下

 (ペエ) 鐘(チョン) 真(ジン)

[四] 「朝鮮人になる」ということ
 朝鮮人に生まれついたものが『朝鮮人になる』ということ、この一見何でもないように見えることばの中に、李恢成文学のきわだった独自性の一端が示されている。

これは、李恢成の三十四歳のときの作品『われら青春の途上にて』を評した小林勝のことばである。小林勝は、おのれの中にある朝鮮植民者としての侵略性とその裏返しの罪障感との葛藤に、自虐的なまでに苦悩しながら日本人のモラルを問い続けた作家として知られている。日帝時代、朝鮮植民者の日本人は百人が百人とも、朝鮮人の頭上に暗雲のような優越感と抑圧感を居坐らせていた。なのに彼は被抑圧者の朝鮮人に逆に劣等感と恥辱感を抱いた。その精神構造のパラドックスに、彼の睥睨すべからざる人間的感性と良識が見える。歴史と風土に鍛えられた朝鮮民族の土着的なものの凄みのまえでは、小林勝は自身が卑小に見えたのである。それは日帝権力が「不逞鮮人」とおびえたのとは全く異質の、人間感情の深奥からくる戦慄であった。
 率直に言って私は日本に対しては偏見的朝鮮人だから、日本人には希望も幻想も抱かない。にも拘らず小林勝のような日本人に出会うと、うれしいというか凄いというか、妙に複雑な気持になってしまう。小林勝的タイプの日本人は支配層の中には絶対に居ない。彼はほんのひとにぎりの野人派に属するにすぎない。が、そこから発する光は足許の日本人よりも、部外者の在日朝鮮人に大きな影響を与えてしまいそうである。小林勝は、私たちにとって左右の対面のちがいはあるにしても鏡みたいな存在であるかもしれない。彼はマジョリティの異民族社会の一角に生きる異端少数者の屈折した意識構造の洗礼者である。在日朝鮮人のそれとの真摯なる近似形を所有した稀有の日本人として、私たちは彼を記憶するだろう。彼が李恢成文学は「朝鮮人になる」ための文学だと言ったとき、奪われた朝鮮を取り戻そうとする在日朝鮮人二世の文学に、ちょうど殺人者ラスコリーニコフが娼婦ソーニャによって浄化されていったように、まぶしいものを感じたのではないだろうか。
 それはさておいて、李恢成が四十歳を越えて書いたこの『見果てぬ夢』の作中人物、朴采浩と趙南植の鮮烈な生き方と思想を見たとき、彼は「朝鮮人になる」ための模索を一貫して追求している文学者であることを改めて思い知る。李恢成は初期の作品で、差別と偏見の日本人社会で人間的にゆがんでしまった「半日本人(パンチョッパリ)」が、民族的誇りに目覚めながら「朝鮮人になる」ための自意識をつかんでいくみちすじを取り付かれたように描いてきた。この『見果てぬ夢』では、人間的かつ民族的自立と主体性をもつに至った人物が、さらに鋭く踏み出して祖国の統一と民主化に積極的に現実参与しようとする物語が描かれる。「在日」する境遇で自己存在の地点を定める民族的なものの発見と認識が、「朝鮮人になる」ための思想的展開の第一段階とするなら、それの第二段階は、分断克服の民主化と統一事業に献身する人間像の創造と形成ということになるのだろうか。李恢成の次のことばはそれを語っている。

  分断された南北の人間としてではなしに、統一朝鮮人像を、この時代に生きるわれわれ若い世代でしっかり堅持して、そうした渾然一体とした人間像に対する創造力を発揮しなければならない。 (傍点は)

 従来の李恢成の民族同一性の思想は、すでに獲得できた自己変革の立脚点を基盤にして、こんどは祖国と民族の丸ごとの社会変革へと弁証法的発展を見せ、行動的にも具体的な南の革命運動を担うという使命的意志が溶接されていくのである。
 疎外されている辺境的な「在日」する境遇を、日常身辺の小さな事件を切実に切り取ることで、矛盾を象徴的にあぶり出す在日朝鮮人文学の有効性を、もちろん李恢成は否定しているわけではない。しかしそれらを執拗に描くことは、『見果てぬ夢』作品化前後から李恢成文学の主要なテーマではなくなったようである。李恢成の行動的民族同一性の思想は、いまや太いベクトルになって一直線に祖国の反体制民主化運動に向かっている。李恢成は七二年の訪韓を契機にして、祖国の民主化の戦いに関する文章を矢次早に発表した。
「北であれ南であれ わが祖国」の統一朝鮮思想を掲げ、苦闘している韓国の民主回復の抵抗運動に単に声援を送るだけでなく、より尖鋭に政治問題にも行為者としてコミットしていった。幾十星霜も「歳月の侮蔑」にさらされ続けてきた祖国分断の現実をどのように受けとめるのか、どのように克服するのか、いつになったら「侮蔑」を断ち切る刃を振りあげるのか。李恢成は韓国の民主化運動を分断止揚の直接的エネルギーの昂揚と爆発だととらえている。彼は海外に住む同胞、在日朝鮮人としての特殊性と自由を武器にしてそれに全身的に呼応しようとしている。そのことが民族文学者の自己に課せられた責任だと固く決意している。『約束の土地』、『追放と自由』あたりから彼の作品特質も明らかに変容が見られる。文学題材が私小説的世界から歴史の実在性をふまえた虚構性の強い世界へと拡がり、登場人物も作者の近似した分身像から時代開示の運命を背負う典型像へと深化されていく。その視点も過去をふり返ることから現在そのものを直視し未来へと見据えられていくパノラマ的様相を呈してくる。
 真正なる「朝鮮人になる」ためという彼の文学の中心的思想とテーマは、『見果てぬ夢』では「在日」する同胞を越え、「本土育ち(ポンドペギ)」にもそしてすべての異郷朝鮮人にも訴え得るものとして、明らかに同胞の海へ漕ぎ出ていこうとするものがある。彼が提示する朴采浩と趙南植の人物像は、李の思想的文学的成果の所産であるところの行動的民族同一性の具体的形象であると言ってよい。「朝鮮人になる」という主題追求は、在日朝鮮人の枠組から民族文学の範疇へと拡大され進化していくのである。おそらくこの統一朝鮮人像の意図は、分断時代の歴史と現実が要請する真実性に深く合致するものとして、民族に受け容れられるのではないだろうか。
 いまここで『見果てぬ夢』が必ずしも歓迎されていない一部の新世代の、その彼等が活発に展開している新しい「在日」する論についてすこしふれてみたい。
 多くの新世代の思想感情の根っ子にあるのは、「欣然と帰ってゆく祖国がない」という帰属意識の空洞である。ここでいう「祖国」とは地勢学上の朝鮮半島のみを指さないのは断るまでもない。彼等には呼称としての民族の外被はあっても、個体史の上にどう刻みつけようとしても民族実体が身近に見えてこない。この祖国喪失感から「在日」する境遇を思想的にどう位置づけていくのか。彼等の真剣な思索行為はある意味で、三十六年の日帝支配と四十年の朝鮮分断の不幸不遇の総つけの一端を支払わされているものだと言えるだろう。彼等は時々、先輩世代の思想は祖国一体論であり民族一辺倒であるときめつける。そして既成思想からは新世代層の意識の中心部は救済できないのだと言う。彼等の迷走する方向感覚のいらだちと忿懣やるかたない異議申立てがある切実感をもって確かに伝わってくる。彼等の「在日」する論が時代の重みをもってこうしていま急浮上してきている。彼等が社会的発言のマスを形成するまでに世代成熟したこともあるが、「朝鮮人になる」という主体性獲得の道が長い分断固定状況下で一層困難になってきている現実を何よりも物語っている。
 彼等の中心的論点は二つである。民族秩序につながる価値基準から解脱したい。もうひとつは、「在日」している現状を借りものではなく自前のものとしてとらえたいという思考である。これら二つの論点の当然の帰結として、独立王国的発想が生まれ「在日」する人間としての帰属性と自由を高く掲げようとするのである。彼等は根茎としての日本的なものの依拠に動かしがたい事実の重みを添加しようとする。彼等の「在日」する論は、財産としての民族的なものの価値に疑問を投げかける。日本生まれの一期生的世代にとって奪回と復元の対象実体であり理念的支柱であった民族的なものの全能性を否定しようとする。裏返して言えば、彼等における民族的なものの退化退歩現象が進んでいると言えなくもない。それは航路のない海図を引っ張り出して出帆するに似て、いつか「日本」という海溝の渦に巻きこまれる危険を感じさせる。その行きつく先を想像したとき、二重三重に暗然とならざるをえない。「日本」という曳き船につながれてどうにか難波はまぬがれるが、もうそのときは自己操舵装置は半分錆びついてしまったということにならないかと怖れる。宇宙大飛行したが実はその時空間は、釈迦の掌の中でしかなかったという孫悟空にはなってほしくない。慠然と胸を張る彼等の自己主張的な「在日」する論が、日本的秩序に支配される自己撞着的回路を止揚しない限り、再び岩に閉じこめられる孫悟空になる怖れが多分にある。そんな彼等が民族的な磁場からはなれて「在日」独自志向に漂うのも、世代の推移につれ多数意見として定着する傾向にあるから、事は厳粛かつ重大である。日本的なものに比重がよりかかるこの跛行的発想が、単なる形而上の問題だけでなく、めしをくうという生活基盤の問題に密接にからんでいるだけにまた複雑である。先輩世代は民族的責任の立場から、彼等のためにやらなかったこと、出来なかったこと、これからしなければならないこと、それらを言論を総動員して緊要に言わなければならないだろう。分断矛盾の落とし子的混迷の様相がここにあり、その克服は全同胞的課題であるからである。
 ともあれ彼等の主張は、既成世代の思想や言説に鋭い再検討と批判の矢を投げかけている。しかし一期生的世代が、「日本」の政治的文化的経済的影響を受けながら、あの悪魔に影を売った男の、自分が自分でない境遇を、民族的なものを軸にして克服してきた、それぞれの主体性獲得の道を彼等は軽視している。「民族」と「日本」の相関図において格闘のすえ、「民族」に普遍的真実を探ってきた経緯を誤解している。こうした民族世代の全体財産とも言うべき思想的営為には、もはや継承し学ぶべきものは少ないと彼等は言う。果たしてそう言い切れるかどうか。それに加えて分断止揚の統一朝鮮への志向性と視点が彼等にとってはさほど重要性を帯びてこないと言う。これは明らかに彼等の思想的欠陥だと言ってよい。それはそれとして、若い世代によってたとえ否定的角度からであれ、自己存在の根本義において「民族とは?」「祖国とは?」「日本で生きることとは?」といま洗い直されてきたことは意義深いことである。百家争鳴、甲論乙駁、同胞社会でこの種の論議が沸騰するかぎり、やがて論議はそれぞれの渦と支流を集めて本流に到るだろう。ちょろちょろの湧き水でよい、各々自身そうなぞえることで、いつかはねあがりも混沌も錯迷も併せ呑む同胞の海の包摂に出会うことができるはずである。
 「在日」する朝鮮人二世の私が、祖国と民族の概念をなんらかの方法で肉体化しようとしたとき、私なりに種々の標的を定めてきた。そのときの恰好のしかも特大の標的のひとつがこの『見果てぬ夢』であった。私の力量では『見果てぬ夢』のエッセンスを語り尽くすことはできないが、優れた文学作品のもつ支配律がおのずと私自身に命じるものがあるはずである。現下では私たちの主体性問題は常に分断の悪魔性によって翻弄されている。『見果てぬ夢』に言及することは、それに抗する私の戦いだという想いがある。そんな意味でこの雑文も小さなたたき台位にはなるだろう。なかでも采浩と南植のふたりの存在は、その生きざまその思想その行動において、分断時代に生きる「朝鮮人とは?」を問題提起的な人物形象として差し出されており、それに言及する意義は小さくないと考える。彼等ふたりの鮮烈な朝鮮人としての人格の輝きに同胞(はらから)としてこだわるような興奮なり共感なりをもってほしい。たとえそれが異議と反発でもかまわない。もし感じないとしたら、その者の差し出す「在日」する論など、暴言と言われようが私はまともに聞く耳をもてない。南植や采浩を身近かに引き置いて考えることは、言ってみれば自身の生き方と存在根拠を検証するひとつの作業を試みることと同義ではないだろうか。統一民族的な新生こそが海外に住むものであれ、本国に生きる者であれ、民族形成史のなかで主体的な自己位置の確立を保証してくれる、と采浩らは言う。この考えと生き方は彼等固有の特殊なものだろうか。采浩らほどの傑出したスケールとダイナミックな人間的枠組みは稀有である。しかし彼等の思想と行動は朝鮮人として生きるうえで、一般的かつ基本的な問題を多く含んでいる。
 李恢成の思想的立場と作品世界は新世代からは必ずしも支持されていないと先に言った。むしろ民族磁場からの独立云々を主張する彼等の「在日」する論と李恢成は対極にあると見做されている。しかし彼等とて『見果てぬ夢』の中心人物の采浩と南植には注目せざるをえないだろう。「朝鮮人になる」というテーマが新しい「統一朝鮮人像」として容認されるか拒否されるか、彼等によって徹底的に掘り下げてほしい。在日同胞社会の地盤沈下は、いま内堀は日本的なもので埋められ地ならしされ、外堀は民族的なものの軽視と枯渇で乾上っている。

  歴史の現場、歴史の中の民族の生のみが彼の本籍地だ。

 これは政治的にきびしい状況下の南の中から出てきた高銀(コウン)のことばだが、「在日」する状況にもそのまま当てはめてよい。「在日」する状況から民族的なものを捨象したところで一体何が残ると言うのか。現代の民族史の中で民族的なものの最大の集中表現である、南の分断止揚の民主主義運動、民族統一運動、民衆伝統運動につながらないところで、どんな新たな「在日」する思想を創造しようと言うのか。それは土台を無視した空中楼閣のようなものではないだろうか。好む好まざるに拘らず私たちには負性であれ呪縛であれ、民族に依拠している。そこからエネルギーを吸引し抽出する作業を通してしか正鵠は得られない。疎外と差別の「在日」する状況も分断と独裁の祖国状況も、民族をバネにしてしか克服再生できない。他の何物にもそれは代替できないのである。私はそう考えている。
 在日朝鮮人二世の非転向の政治犯徐(ソ)勝(スン)・俊植(ジュンシク)兄弟のことが想起される。海外同胞として祖国の民主化と統一のために何が出来るか、何をなすべきか。彼等ふたりはそう自ら問い自ら心に決めて祖国の南の地に赴いた。その真正の「朝鮮人になる」という意志と生き方は、不条理にも軍事独裁政権の反共国是の人身御供にされた。その運命は分断時代の民族矛盾を一身に背負う象徴的存在となった。李恢成は『見果てぬ夢』を書くうえで、徐兄弟の物語から「なかんずく多くの示唆を受けた」とあとがきに書いている。公開された『徐兄弟・獄中からの手紙』(岩波新書)には、彼等の何物にも侵されない驚くばかりの高貴で美しい人間の尊厳とその思想が横溢している。外からの圧力を内的な力に変えるものが思想の力と言うなら、彼等ほど強靭な思想の持主はいない。彼等ふたりの歴史的位置は、解放後の米軍政から李、朴、全と続いた反共独裁政治のもとで、暴力と恐喝と人権抑圧を強いられた民衆受難の現代史の一環としてとらえられている。徐兄弟の受難と獄中抵抗は、分断時代の最も尖鋭な人民の反権力闘争のひとつである。また分断を拒否し民族合同を志向する統一運動の典型的な表現と見ることもできる。加えてもうひとつある。分断下の在日朝鮮人の主体性問題を問うとき、政治的文化的打擲を克服して本源的存在の民族を奪回していく人間的自立の物語でもある。
 権力の拷問と懐柔の淵にありながら、彼等ふたりは常に来たるべき春の予兆を強調し続ける。それが出来たのは、自民族に対する限りない深い信頼と歴史真実の必然性がわが身にあるというゆるぎない信念であった。獄窓にありながらも圧迫に屈しないどころか逆に彼らの精神はますます光り輝いていく。その精神の偉大性、純粋性、前進性はまさにあの鉄と邪気をたべる不(プル)可殺伊(ガサリ)である。「不思議な虫」としか言いようがない。同時に彼等は同胞と家族に対して神々しいまでの深い愛情を示す。それに反比例するように、悲痛の自己運命への怨嗟と悲壮心は低くなるばかりである。これは一体何に由来するのだろうか。成員としての個人のよりどころがどこにあるのか、彼等はそれを常に念頭に置く。その際立った聡明な知性と謙虚な魂の表白は、信じるものに生きる人間の限りない精神の奥行きを見せてくれる。失うこと即ち得ることという精神勝利と悟達の境地は、彼等の内にある「積極的民族主義」の血脈とは無関係ではないだろう。
 彼等は、「在日」する同胞二世が祖国の民主化と統一運動に参加した嚆矢であると言えよう。徐兄弟の言う「積極的民族主義」の思想は、日本で生まれ育った者が意志的に民族として生きる自己の生の存在証明であり、到達点であった。そして生きることの全テーマを確固たる目標として差し出した決意でもあった。「在日」することも朝鮮、という彼等の秀れて自生的な民族知性のまえでは、日本的境遇も日本的情緒も桎梏の果てに、民族の力に転化されていくだけである。朝鮮人の人間解放は、祖国と民族の統合と不可分の関係にある。そう徐兄弟が考え行動したとき、彼等は「統一朝鮮人像」としての輪郭によってすでに縁どられていたのである。
 在日朝鮮人二世の趙南植は言うまでもないが、朴采浩をも「朝鮮人になる」人間像と見ることはちょっと唐突かもしれない。が、その実そうでない。ここでは「朝鮮人になる」とう概念と志向は何度もふれたように、祖国統一と民主化をめざし、分断時代を止揚する役割をもつ革命人間としての人格を要求されている。だから李恢成は、民族分断の条件と状況を具体的に克服できる知と勇をもつ人物として、時代の要請と念願のまえに采浩らを登場させたのである。作家精神で祖国(もちろん政治的意味から海外同胞も含む)の現実に向い合い未来展望に立ったとき、冷徹に歴史把握しようとすればするほど、常に一定の覚悟と決意を前提にして行動する采浩的人物の真実性が、抜き差しならぬ必然性を帯びて浮上してきたわけである。
 [五] 近代自我の克服
 断っておくが、私は理論的な知的冒険としての文学論を展開しようとしているのではない。いずれ俊秀の人が出てきて、『見果てぬ夢』の本格的な作品の意義づけや解釈方法を必ずやってくれるだろう。またやってもらわねばならないだろう。作品のもつ時代性がそれを要求している。私はあくまでも民族の一読者として実感的感想を述べるだけである。民族の一読者だと言ったが、厳密に言うなら、日本的風土と情緒を丸ごと抱えこんでいる在日朝鮮人二世としての実感的読み方ということになる。実感的読み方が文学批評として力が弱いどころか、むしろ誠実な読み方の一つであるといういささかの自負もある。しかしこの秀れた文学作品『見果てぬ夢』を全体的にも細部的にも、新たな光の輝きを与えるあのダイヤの研磨技術でもって論評できないのはざんねんである。思うことの十分の一も表現できない、また鋭く作品把握できない自分の力不足が恨めしい。肩の力を抜いて、と一方では自分に囁くのだが、所詮無器用、なんとも締まらない文章のところてんで、よくぞ「雑感ノート」と銘打ったものである。
 私は常に『見果てぬ夢』を自分の事情に引き置いて読む作業を貫いてきたつもりである。言いかえれば、私という一個の人間の重量と枠組が規定する感度でしか読む能力の無い男である。明度の低い短眼レンズと暗箱でできた原始的なカメラ、それが私である。しかし私は被写体『見果てぬ夢』を何とか自分のフィルムに写し撮ってみたい。いや被写体がそう私に命じるのである。だがその被写体は、私のフィルムの枠から大きくはみ出し、何枚写しても写し切れない。強烈な個性と生き方を持つ采浩と南植は、私にとってある種の分光器みたいなものであった。私の中にあるものが否が応でも白日にさらけ出され、そして微細に比較されてしまう。自分の欠陥や傾向に向き合わされ、次に眼に焼き付けられてしまう。卑小で軟弱な自分が、采浩の前に引きずり出され裁かれるような憂き目を味わうことになる。そうした自己省察作業を抜きにしてはこの『見果てぬ夢』を読めなかった。ある意味でそれは民族的なものと日本的なものの私における闘争でもあった。私は『見果てぬ夢』を踏み台にして「統一朝鮮人像」の思想にぐーと近づきつつある自分を感じている。
 一般的に小説の普遍性は、まず読まれることによって成立し、次に読者がそれぞれもつ価値観に従ってそれを享受し、同時に千の批判と感想を浴びるというその自由さの中にあると思われる。作品の自律性と読者の自律性のぶつかり合いは、感動という精神高揚の上昇気流を発生させるだろうし、逆に退屈だけでなく不興や反発などの反作用を及ぼすこともある。興味深く読むか読まないかは読者の絶対の印象にゆだねられている。つまり小説は各人の価値観に異質的に働きながら批判対象たることを自ら望む。厳密に概念規定されている論理学や哲学体系とちがって、小説は人間の精神の自由が公認されている限り、どんな読み方をされても一向に差し支えない。空に浮かぶ雲を見て、私たちは「母の顔に似ている」とか「像の親子づれのようだ」とか、そのイメージの自由な連想を楽しむ。しかしもし雲自体を全くちがう物体のたとえば鉄塊そのものだと言ったとしたらどんなものか。そのように小説への批判と感想は読者の自由な権利と言えども、おのずから作品が限定する範囲というものがある。その範囲の逸脱は避けるべきなのである。しかしその範囲の線引きをどこにもってくるか、これまた読者の自由な批評の中にあるから事は微妙である。
『見果てぬ夢』は、未完の朝鮮革命の論理と倫理の創造をめざす小説である。未だ開かずの扉になっている歴史の新秩序、喜怒哀楽を全体の奉仕に重ねる人間の価値、そのふたつを求めて孤独な戦いに挑む人物たちの物語である。とてつもなく壮大な夢に現実打開の歴史の必然性を見据えた若き獅子たちの記録でもある。その作品主張は当然ながら激越で普通人の価値観や神経感情にある後進性と激しくぶつかり合うものが準備されている。そういう意味で読者との格闘も現実変革の思想小説がもつ宿命的ダイナミズムの一つであろう。革命の論理と精神の権化たらんとする采浩の人物像が、自己世界の不可侵性を守ろうとする現代人によって、どこかうそっぽい人物だと冤罪を科せられるのも、そこに理由がある。
 采浩はいわゆる近代意識の源基と見做されてきた自我なるものとの葛藤の中で、絶えず自己爆発をくりかえし、憂鬱と呻吟のすえ、人間的解脱をとげるといった私小説的人物ではない。私小説では人物は、自我の確立、自己世界の防衛、それも体験と情感を何よりも固執する方向で自己完成化させていく。私小説の読者は日常身辺の告白や観察といった自我追求文学の回路に馴れる余り、采浩のように、変革期の歴史的現実がそれ自体もつ劇的展開を主体的に生きようとする人物に対しては、個人と無縁の英雄かスーパーマンが演じる物語だと見てしまうかもしれない。それは単に想像力が乏しいだけでなく、自我が限定してしまう世界観の偏狭性のためだと思われる。自己の属する社会と伝統、自己を自己たらしめる空間と時間の因果のひろがりに対して、能動的な関係を否定してきた日本文学愛好者の落し穴がここにある。日本文学に、自己露出から自己精神の開示という過程で、社会や歴史に眼を注いできた作品が全然なかったというのではない。しかしそこでは社会改造劇はせいぜい間接話法で語られてきたにすぎない。
『見果てぬ夢』では、采浩の人物像のテーマの重点はあくまでも自己内部の自己運動的変革よりも、社会変革に連動して動員される自己個人の捨象に、より多く置かれている。采浩は人格の内部外部の統一を革命の論理と倫理で武装しようとしている人間である。何よりも際立っているのは、行動も感情もおのれの意志のコントロールタワーで「革命の利益のために」と命令を下していることである。彼は神経衰弱とか小心翼々などとはおよそ無縁な骨太な人物である。彼にあっては人間的展開とは、個人の論理秩序の隠遁的な完成、或いはわけ知り顔の和解になんかあるはずがない。あくまでも支配権力が強制する敵対矛盾に真正面から立ち向い、民族独立と民衆解放の真正なる統一社会の建設と現実をめざす、その革命への信仰にしかない。
 卓抜した知識と思念の力をもつ知識階級の才能は、事物の全的で同時に微細な分析や説明に長けている。人間の内面世界にくいこむことで、人間存在の意味を問うという哲学にも知識階級は厖大な思惟と経験を重ねてきた。かたわら自己を軸にして内省してきた反面個人に属した喜怒哀楽を容認対象として、一人称化して普遍的意識の権利を与えてきた。個としての存在体の独立を常に命題として優位に置いてきた。その結果、社会性と人間性を対立また転倒の位置関係に置き代えてきた。極端な場合、特に日本小説がそうだが、「社会的に生きる」ことよりも「人間的に生きる」ことが社会摂理の公認を得られると自己解釈してきた。民族の存在体のまえでは、個人は全体に奉仕することではじめて屹立できるのだと言い、個人に属するものを第二義的に考える采浩の論理と倫理は従来の個偏重の思想とどうしても相容れない。
 朝鮮文学にも本格的近代小説の嚆矢と言われた李光洙の『無情』『有情』が、自我の解放をテーマにしたそうした種類に属する作品としてある。彼は恨五百年の封建秩序の呪縛と重圧から脱出しようとする新時代の男女の自由恋愛を描いた。それなりの旧時代否定の功績はあったが、民族独自の人物形象に成功したとは言い難い。人物は日本的西欧的教養と意識をもった朝鮮生まれの擬似近代人であり、どうひいきめにみても普遍的民族イメージを代表する者とは言えない。長い外圧と内圧の鉄鎖の下では、朝鮮民族は余暇や有閑といくばくかの相関関係にある西洋的近代の自我空間の伝統は、はじめから民族的資質としては稀薄であった。むしろ自我解放よりも民族解放をめざす抵抗像に独自の民族特性が豊かにあった。
 采浩のように全体への献身のために、知識と思念の力を武器にして全身全霊、社会矛盾に戦う人物は、朝鮮抵抗史の中では全く新しいタイプの人物だが、その抵抗像は民族伝統からはみ出るものではない。采浩の存在が違和感でもって迎えられたとしたらそれは不当というものだろう。
 ちょっとここでわき道にそれるが、李恢成と安岡章太郎の、七九年十月号『群像』上の対談(『風よ海をわたれ』同時代社所収)をのぞいてみたい。この対談は『見果てぬ夢』について長大に語られているだけに興味深い箇所が随所にある。その一部。

 李 だから、朴采浩という人間を書く場合に、なにも、あいつは倒すべき相手だから(五星財閥の義父についての認識が話題になっていた-)サッと横を向くとか、そうなればこれは朴采浩の欠陥かもしれません。
 安岡 そうそう。だから欠点として書かなければいけない。
 李 それをぼくは、何も弁護なんてしてませんよ。
 安岡 おまえはしているよ。
 李 そういうふうにあなたが勝手に思っている。
 安岡 いや、そうじゃない。それはオレの直観でそう思う。君は朴采浩をさまざまにほめあげるわけ。
 李 そういうところもありますね。
 安岡 あれはいけないのよ。彼を批判しているのは、残念ながらKCIAだけなんだよ。オレが読んで、こいつは批判しているなと思ったのは、KCIAの尹、戦争でもって自分の肋骨をえぐられているやつ。オレが見たところ、あいつだけが批判しているんだよ。変なインポをからかう女、スパイのような、あんなのは批判も何もしていないよ。あれじゃダメなんだ。
 李 なるほどなあ。安岡さんが朴采浩的タイプをひどくきらうのは、よくわかるような気がしますけれども、いやがるのは、そういう意味で非常によくわかりますね。
 安岡 あんなものはしょうがないもんね。
 李 いやあ・・・・・・。わかってきましたけれども、ぼくは決して彼をスーパーマンとしてなんか描いていませんよ。
 安岡 もちろんスーパーマンであり得ないさ。
 李 あり得ないですよ。
 安岡 けれども、人格的に非常に高いとか、そういうことをいっているわけだよ。あんなもの高かねえや、低くもないけれども。

 さらに安岡は語る。「最大の不満は、主人公朴采浩の性格が、どうもぼくにははっきりしなかった。つまり人物像が希薄なんだよ」「だからぼくは、あの朴采浩なる人物はダメな人間としてとらえざるをえないな。そういう意味でリアリティーのない人間だというふうにぼくは思ったよ」と。対談の中から朴采浩についてまとめ的なふたりの発言をひろってみる。李「朴采浩には欠陥があるのです。でも欠陥をのりこえようとしてああいうふうに生きざるをえない人間というものをどうみるかという視点、その共感がほしいしかきたかった」。安岡「どうすればあいつがもう少し人間的な厚みをもって出てくるかというのが課題だな」。
 そのほか安岡は語る。土着の社会主義について、「ただ思いつきをいっている程度のものだろう、あれでは」とか、「歴史ということを頭の中に浮かべているように書けているとは、ぼくには思えなかったんだな」。土着の社会主義も片なしである。ただ、土着の社会主義に対比して、それを浮き彫りする背景として、土着の民族資本の発達史を、その五星財閥の物語についてもっと描くべきだという不満に対しては、李恢成も素直に同意する。安岡は、五星の義父との関係についても、采浩はそのなんらかの影響下にあるはずだから、そこが突っ込み不足だとも批判する。そして安岡は采浩をプチブルだときめつけ、李が「どうして朴采浩の生き方がプチブルなんですかね。プチブルならどうしてああいう思想が出てくるのですかね」とただす。安岡は「そこが現在の君の欠陥といいたいわけ。プチブルだからってそういう思想は出てくるよ」。李「要するに、そういう階層的なものから抜け出して、一つの進んだ考え方、この社会を改革していくための思想を彼はもとうとしているといいたいのです」。と、まあこういった調子でふたりは噛み合わない。それに、金芝河の『五賊』は、「あれは単なる落書きみたいなもの」とか「祖国の統一なんてありっこないからな」、「朝鮮は分断されたままだよ。片っ方はソ連、片っ方は米国・・・・・・」と、彼一流の毒舌は一刀両断然である。
 安岡章太郎といえば、日帝時代の朝鮮に生まれ、そこで成長し、自らの植民者の体験を思想的に整理した作家だということになっている。彼は被差別部落問題や在日朝鮮人問題にも精通し、どちらかといえば反権力姿勢を濃くし、民衆と庶民の真情に深い理解を持っている。そう一般に見られている高名な作家である。
 この対談は文学の先輩と後輩という関係で、きわめてざっくばらんに語られている。安岡の歯に衣着せぬ表現、べらんめえの威勢よさ、奥の間までずかずかはいりこむ無遠慮さなど、役者的あくの強さで無礼と節度のきわどいところで李恢成に対する友情を保っている。この対談はふたりの人間がにじみ出ておもしろい。李恢成はときどき絶句する。だんまりをきめこむ。恐らくそのときは苦虫を噛みつぶしたような顔をしていたのだろう。これは私の想像だが、「なんでこのおっさん、わかってへんのやろ。ああ、これが日本の物書きの相場かいな」と心中思っていたかもしれない。ほんとは李恢成がそれほど品性下劣であるはずもなく、そう露骨に思うほど単純ではないだろう。李恢成は言うまでもなく謙虚で賢明な文学紳士である。祖国状況の文学体験から、何よりも文学は表現と批評において自由は守られねばならぬと彼は考えている。いずれにしろ安岡の不満は朴采浩に集中する。安岡のために言おう。彼は大まじめだったのである。安岡の近代小説観からすれば、采浩の人物像については承服しがたい不自然さが眼についたわけである。だからこそ問題なのである。
 加賀乙彦や五味川純平、中里喜昭らも『見果てぬ夢』をめぐって李恢成と対談している。彼等は第三世界的視点と韓国の民族文学の潮流について熱い関心を持っている。朝鮮民族はいま最も尖鋭な民族矛盾の状況下で、民族統一と民主主義のために戦っている。それは世界新秩序の建設という歴史的実験に挑戦する秀れて先進的な偉業でもある。そういう認識を彼等はもとうとしている。『見果てぬ夢』の価値をそうした民族的るつぼの中から出た収穫だととらえる。少なくとも日本的秩序の枠組みを打つものとして存在する「挑戦的なもの」の際立った文学表現として、『見果てぬ夢』を取りあげようとしている。それは日本人にとって謙虚に学ぶべき種類のものだと考えている。文学者としての朝鮮認識もさることながら、加害者日本人の民族責任の思想とは別の、朝鮮民族に対して人間的尊厳と節度をもっている。それはちっぽけなことかもしれないが、私たちにとっては最大の関心事である。私たちは日本人に向い合うとき、必要以上に過敏なリトマス試験紙をもつ。それは動物的嗅覚と言っていい位、鋭く日本人の朝鮮観をかぎとろうとするものである。
 話は流れてしまったが、安岡の近代小説的発想の奥には、いまだ剔抉できない朝鮮蔑視思想があるのではないだろうか。近代主義の顔をした、その実個人自我思想の後進性が、安岡に見られるように、『見果てぬ夢』を見当はずれに読ませてしまったのではないのだろうか。こうした読み方は何も安岡ひとりに限るまい。日本人知識層の本質の底部にある慠りがそうさせるのかもしれない。安岡の欧米文学に感応する水々しい感性は、朝鮮人文学に向けられたとたんに想像力と理解力がしぼんでボケてしまう。なぜだろう?
 [六] いびつな精神土壌の克服
 貧しい患者からは診療費を取らぬといったがために、同業者や警察から苦しめられた仁徳の医者の話をきいたとき、南植は思ったのだった。「この国では献身的であることは危険なことなのだ」と。これは南植のことばだが、采浩のそれと見做してよい。

  社会道徳の中に、人間が人間のために尽すことが却って訝しむ奇怪な風土が生じてしまっているからではないのか。そういう過酷な精神風土、敗北した美徳の中で人間の価値が侵され、゛人並みにやるしかない”という諦観や絶望が人間の精神に蔦のように絡みついているせいではないのか。そして蔦に絡まれた精神はこの国の文化にも蔓延して暗い魂のジャングルをつくっていく・・・・・・。これは怖ろしい人間の希望への冒瀆なのだ。この精神の暗闇を変えることなしにどうして心の人間解放があり得るだろう。

 人間の希望や性善を純粋に受け容れないゆがんだ猜疑心と邪しまな打算に染まった管理と恐怖が支配するこの国。正なるもの、美なるもの、善なるものが本来の価値そのままに数えられる社会をめざして采浩と南植は捨て石になろうとしている。朴采浩をモラルを基底にした人物形象、それも分断時代から統一時代を生きる「統一朝鮮人像」の知識階級のそれと読んだとき、その問われるモラルとは、人間の価値がそのまま価値として平凡に素直に認められないという、この「非人間的な苛酷さが埋まってしまっている精神的土壌」を変革するためのモラルということだろう。
 「いびつな精神土壌」は一体どこから来たのか。「歳月の侮蔑」の中で醜くゆがんでしまった症候群(シンドローム)的なものもあれば、それを許してきた伝統的民族の後進性があげられよう。民族形成史のうえでしみとなり垢となったこれら反モラル的欠陥、たとえば「恨(ハン)」に象徴されるうしろ向きの隠忍自重の、辛抱、辛抱の体質、哀号と怒りは大噴火しても理念化できない一過性の激情、既成の価値秩序に手もなく頭を垂れる負け犬のような事大主義、一族郎党の利益固守に明け暮れる、反対派は皆殺しの陰険で姑息な党派性などがある。これら民族的短所は、人間の価値を踏みにじり民族の英気の芽を摘んできた。こうしたこの国の病理と意識構造、民族の絶対性の裏にへばりついたその虚偽性、それらを変革するありうべきモラルの体現者として采浩は形象されている。当然ながら采浩的人物は現有秩序と既成の精神土壌から露骨な拒否と反撃を浴びるだろう。それは新しいモラルの建設者として避けることのできない時代の宿命と言える。現に日本に住む私たちでさえ、采浩ほど高みに昇れないのは言うまでもないが、采浩に心動かされながらもそのあまりに厳しいモラルの追求にいささかの不協和音を洩らさずにはおれない。最も私たちの場合、その因は民族的短所というよりは、日本的情緒とあの近代自我により多く侵されているためのようではある。
 ところで民衆の先達としての知識人は今まで何をしてき、今は何をしているか?
 日帝時代、多くの知識人が民族的節操を曲げ、゛皇道支配”のちょうちん持ちになりさがり、自民族に弁解のしようのない破廉恥な民族叛逆者になった歴史的事実がある。いま祖国の南の地で同じように強権に媚を売り、その民衆支配のお先棒を担ぐことで、自らの保身に汲々としている、一部の知識人が居る。民族の危機を訴え、民衆を啓蒙する自覚した知的花郎(ファラン)としての役割を、そうした知識人は放棄していると言われても仕方ない。権力の侍女となった似非(えせ)非知識人にはどんなことがあってもなりたくない、なってはいけないと采浩は固く心に決めている。たとえそこまで汚れていなくても沈黙と無抵抗で終始することは、権力の横暴を黙認しその助長を助けることになる。彼等には日帝時代の反省もなければ禊もない。知識人は日帝時代の苦い体験を生かして、是は是、非は非と、民族と民衆の側に立って知的武器としての思想と思念に自らを駆り立てるべきなのである。四・一九世代が、日帝時代の残滓を払拭せよ、その精神的遺産を精算せよ、と思想提起したのは、皇民誓詞の世代に根強くからまっている奴隷根性が、民族の新秩序建設の不成就の真因の一つと見たからである。解放後、日本の新帝国主義をバックに次々と独裁政権が居坐ってきた一端の責任は、知識支配層が暗々裡にそれを受け入れてきたその迎合性と後進性にある。采浩はこれら旧世代の愚かで卑怯な知識人には絶対になりたくないのである。
采浩は西欧的知性の合理主義と朝鮮の伝統的抵抗英雄の不可殺伊の統合の化身だとくりかえし言ってきた。しかも彼は新しい民族秩序と人間の価値基準の創造をかかげる四・一九世代でもある。彼は光復の波、アメリカ軍政下の教育、六・二五の避難の旅と、分断の不遇と悲運が次々と生じたその渦中で幼少時代を送った。彼は日本的要素を払拭できずに意識分裂し、日帝秩序を踏襲し、分断状況に自らの保身を重ねてきた皇民誓詞世代ではない。四月革命の中核的役割を果たした歴史的事実に見られるように、四・一九世代は分断克服の積極的理念として、自生的民族統一思想を高くかかげている。思想的文学的枠組みの基底を四月革命の経験に置く金芝河や高銀や黄(ファン)暎(ソギョン)がそうであるように、四・一九世代の知識人には「統一朝鮮人像」に近いイメージがある。彼等は何度逮捕されても、行動する知識人としての自らの民族の先鋒の位置を高く押しあげるばかりである。

  抒情詩人は感傷ではなく、民族に、歴史に全身を投げ出す予言者であるべきだと思います。讃美の人であるよりは、批判の人であることを望み、静かな夜の瞑想よりは、真昼のまっただ中で血の声を叫ぶことを望みます。

 これは民族詩人高銀の言であるが、「抒情詩人」をそのまま「知識人」と置き代えればよい。
 何度も言うように、采浩の人物像は、ありうべき理想像としてよりは、民族形成史の中で分断克服の時代的使命を背負った、そうしたモラルを体現した必然の息子として、現に生きなければならないんだという強い主張をこめて、李恢成は彼を登場させた。だから采浩は突出した英雄像としてではなく、あくまでも革命をめざす自覚と行動の知識人の先鋒的役割をもつ普遍的人物の範形として、作者は浮き彫りさせようとした。従って采浩に象徴される新モラルの創造的人間は、民族統一と民衆解放を標榜する南の民族文学のリアリズムとロマンチシズムに合致する。采浩的人物は作者の想念のためをそそぎこんだ典型像ではあるけれども、分断朝鮮で命賭けの革命運動を進める人士の中に厳然と生きている。采浩の人物像は単に彼自身の個別性を越えて、現実に民主化と統一の事業に邁進する朝鮮民族にとっては、ありうべき民族的イメージとして包含されるものである。采浩と歴史英雄との民族系譜の関係はすでに前稿で言及した。采浩の人物創造それ自体が秀れて民族文学と言ってよい、と私は考える。なぜなら民族文学の本質は、創造と抵抗の等質性にあるからである。白楽晴(ペンナッチョン)は言う。

  分断時代の文学の思想を一言で言えば、統一の思想である。統一をなしとげるのに必要なすべてに対する認識であり、省察であり、統一を阻害するあらゆるものに対する反省と否定である。

 白楽晴の「統一思想」を体現する者が、李恢成のめざす「統一朝鮮人像」である。それは究極のところ、『見果てぬ夢』創作動機の最大の眼目であるところの分断克服の論理と倫理、それの創造をめざす人物が持たねばならないモラルということになる。こうしたワンコリアの論理倫理は、民主的統一をめざす者にとって、「民衆哲学の原理」になるものだという予感を李恢成は持っているのである。
 「統一朝鮮人像」としての采浩と南植は、革命事業のためには自らもつ人格も生命も家庭もすべてを犠牲にすることも辞さない人間である。むしろ意志的に個人利益を排除しようとさえする。個人に属するものをどれだけ克服できるかで、自分の革命精神の多寡さえ計量しようとする。彼等は個人感情や個人事情を整理しようとする意志のほかに、思想と科学的武装で固める論理の力をも、人格の最も重要な部分として自らにきびしく課す。昔も今も朝鮮革命家にとって一つのアキレス腱は、論理力不足であった。采浩はそう厳粛に受けとめている。高龍との議論で采浩はこう語る。

  「私はひとつだけ誠実な態度を持しているつもりです。それは論理には論理で応えるという態度です」
 そして知識人の多くは、
 「残念なことに感情家が多くて、卓を叩いて激越な心情を吐露した揚句の果に男泣きしたりする。しかしそれで終ってしまっています。でもそういう感傷的な身勢打鈴によって知識人の役割は担えぬでしょうし・・・・・・。必要なのは人間の条理を踏まえた論理です」

采浩は南植の逮捕で、組織の危急について弁護士殷錫糊(インソクホ)と協議したときにも次のように語る。

「われわれはいまは慌てず、焦らず、騒がず、人間を作っていく時機(とき)なんだ。慎重に大胆にだ。正義心の強い、誠実で、愛国心があって、何よりも自分で物を考えることのできる人間。何もはじめから社会主義者って人間はいないからね。論理(ロゴス)で考える人々をふやし、科学的な判断と思想を抱く人間を獲得し、その思想を普及させていく。そしてさまざまな同志や同調者が各分野に根づくことだ」

最も多数でありながら受動的で後発的な底辺民衆層は別にして、日帝時代から従来の進歩的人士と言えば大体こうである。徒らに長きせるで大地を叩いて恨み節をうなる両班(ヤンバン)、読書人(ソンビ)が、革命の大儀よりもおのれの見識や党派の正当化作業に狂奔するぬけがらのような「独立運動家」か、ボルシェビーキの基地から発せられる指令や言説にただ忠実たらんとする理論家か、火砲のテロにしか抵抗思想を表現できなかった不遇の革命家などである。歴史の制約と旧思想の悪弊があったとはいえ、悲憤慷慨、権謀術数、教條妄従、暗殺潜行のどのタイプも、朝鮮革命の指導的役割を担えなかった。誰も抵抗と解放の民族理念と論理を、全民族的結集の旗の下に構築できなかった。解放後も全体として踏襲するこれらの革命家のパターンを采浩は人間的に克服しようとしている。彼が描く同志像と同志戦略は、こうした欠陥を克服しようとする人間的集団である。歴史に内在する無限に豊富な現実から、采浩は革命実践の哲学論理と志向論理を築きあげ、それを行動基準の方策にしようとしている。
唯一思想の原則に妄従する政治人間、意志と思弁を捨てた上意下達の官僚人間、研究室に閉じこもり定義と概念を解説する学者人間、小市民意識の事なかれの見て見んふりの生活人間、物欲と権勢欲のわが身よければすべてよしの経済人間、抵抗に代えて頽廃と享楽と呪詛に身をしずめるやぶにらみの人生人間、階級観念が欠落して民衆地盤に根をおろせない貴族人間、そうした種類の人間の生き方を采浩は徹底的に批判するだけでなく超克しようとする。そのためにきびしく激しく意志的に自己統制と自己建築を課そうとする。これは彼の倫理的課題であった。前述したように、朝鮮革命の思想と行動の中にあった種々の民族的障害、たとえば族閥と出身に固執する党派性、朝鮮的展開の度量を怠った指導原理に対する妄信性と非科学性、中国の八路軍に見るようにきびしい規律で人間改造しなかった没精神性と非人格性、これら民族の意識構造の内部矛盾と後進性を打つことは、采浩にとっては言ってみれば論理的課題であった。
情実よりも信念と知性に生きる男、個人としての人間的欲望を限りなく全体の欲求に合致させる男、合理的科学思想と志向を現実変革の論理にする男、こうした采浩的人物は、李恢成が時代命題の解決の糸口をたぐろうとしたとき、必然的に創造されねばならないものだった。同時に情理や因習に密着して生きてきた古い朝鮮人像のアンチテーゼとしての積極的意義もある。
このように統一の中身を構築していかなければならない「統一朝鮮人像」の形象は、単なる想像上の虚構人物でよいはずがない。民族歴史の正当な継承性と現実変革のリアリティーを抱保する、ありうべき人物として形象されなければならない。たとえ理想像と現実像の齟齬からくるうそっぽさを感じるとしても、典型像の意図のまえでは重大な瑕瑾ではない。私はそうふんでいる。「統一朝鮮人像」の価値は、現実変革のエネルギーとイムパクトに全人格が奉仕するその知と勇の生きざまにある。
思うに論理的倫理的に生きるとは、一体どんな生き方なのか? 自ら律する思想根幹や道徳秩序に抵触しないという平穏かつ無抵抗的な生き方ではなく、その向背にかかわるときに踏み留まり、さらには前進させる自己闘争的な狷介な姿勢と行為ではないだろうか。采浩は自らの論理倫理を、朝鮮民族の近代現代の革命行為が生んだ思想経験を土台にして、それを「政治哲学次元」にまで接続していく作業と過程にくっつけていった。民族の歴史の意味と民族の連続革命の意味を追求し、民族の存立を支えるための歴史的教訓と歴史的総括をつかんでいこうとした。采浩の生き方と思想はそうした哲学の意志的な実践者であることを自ら証明しようとしたものである。彼自身にその哲学の忠実な下僕たらんとして同時に革命家の典型像たらんと命じたのである。彼の生き方が求道的で禁欲的で、すべては革命第一の利益と戦術のだめにと、その精神に奉仕するのは必然の成行きなのである。彼の次のような言葉は、その哲学の実践者としての認識から出たものである。
「中途半端な思想の持主はいざとなれば逃げ出す」
「自分の思想に確信をもっている人間が殉教者になる」
「深刻な現場に生きている矛盾した人間の実状から出発しないと、われわれは涙を流してもその人々は救えない」
[七] 田圃に入らずして
「もし南植が、故郷の人々を避ける理由が『迷惑をかけたくない』というだけなら、いつまで経っても君はその人々を変えられないよ。いいかい、田圃に入らずしてどうして田植えができるんだ?『革命』をやるとか言う人々が自分の家族や親戚をそっとしておいて、口では『革命勢力』を保存しておくと言いながら、実際には何もせずに『へその緒』で庇っている。こういうタイプの革命家こそ、他人に向っては大事変が迫っているとか言って宣伝煽動する。こんなことだから、統一も長びくんだ。どういう意味でも身近かな人々の中でわれわれの思想に同調し、支持してくれる人間をつくり出さなくてはならない。もちろん決して無理はしてはいけないが、いずれにせよ故郷に行く必要があるんじゃないのか」

南植の父は解放直後の頻発した人民蜂起に身を投じた過去をもつ。父は玄界灘をポンポン船で、船底にどぶねずみのように折り重なって命賭けで日本に密航してきた。父は故国では立派な赤野郎(パルゲエイン)なのである。韓国では現実に参加したが最後、国事に関係したが運の尽き、死ぬまで生命は脅えねばならなかった。五百年の封建政治以来、一族郎党に罪科の係累が及んだ風土は、独裁政権下でますます強化されていく。刑罰の連鎖作用は家族親族に恐慌を強いている。有形無形の脅迫と恫喝で平安たるべき人間の魂が荒野に投げ出されている。父のことで故郷の祖母や叔父はいまだに辛い目に会っている。南植はそんな理由で父の故郷を訪ねることをずーと避けていた。南植のそんな逡巡に采浩がぶっつけたことばである。
その後、南植は農村の叔父の家を訪ねたときの印象を、わざわざ日本から獄中面会にきたかつての同級生小池克彦に語る。

 「面会が終ったら、韓国の農村を見ていってほしい。・・・・・・穂波が一面に波打っていてどこも黄色い世界や・・・・・・。穂波を渉ってくる風の匂いが何ともいえない。きっと、きみはこの国が好きになるよ」

南植は観念的な祖国観から「田圃」という現場主義に身を投じることで、農村、稲穂、風の匂いと目線が地を這い、五感が農村、風土、民族と自然に感応していった。「田圃に入れば蛭にも吸いつかれるけどね」と新たな苦難と苦痛は増すが、それとて革命家の現実認識を深めてくれるものである。「田圃」から得た発見と手応えは喜びも苦しみも共々、南植の思想に新たな創造性と発展性を産み出してくれた。
「田圃に入らずして」、「へその緒で庇うな」、「身近かな人々」の三つは采浩の革命実践のときの規範の柱である。「田圃に入らずして」は、研究室や在家で理論や教理をひもとくよりも現場に足を運べ、とその決意と実践を促すことばである。「へその緒で庇うな」は、どこか逃げ道を用意して半身で構えている革命家の個人感情をたしなめている。「身近かな人々」の同調と支持を求めることができないでどうして民衆に受け容れられる革命勢力の拡張ができるかと説いている。いずれも孤絶と中傷にさらされている革命家が民衆の理解を得るための第一歩ではないかと言っている。この三つの範形を通じて采浩がいかに革命人間として心と志向と生き方をきびしく自分のものにしようとするのかを、読者は作品で読むことになる。
南植が清渓川(チョンゲチョン)のどぶ川に入って腐臭の死体を捜そうとするのも、采浩が国土統一院をやめて高麗大の教壇に立つのも、金大中事件のとき、氏は国内に留まるべきだと主張したのも、北の秘密党員と何回も出会うのも、そして事前の情報を得たにも拘らず亡命しないで敢えて牢獄の鎖につながれたのも、言ってみれば土着の社会主義者采浩なりの「民衆の中(ブ・ナロード)へ」のきびしいまでの実践原則を守ったにすぎなかった。そこで具体的にどう切り結んでどうかいくぐっていくか、革命家の価値が試されていたわけである。統一と民主主義の民族的テーマも分断克服の民族的悲願もそこを通らないことには一歩も近づけないのである。どれもすべて革命の現場という観点から一貫している。彼には個人的関心の産物の保身のためなどという小さな発想はどこを探してもない。迷いがあるとしたら革命に有利かどうかを計るときだけである。
「田圃に入らずしてどうして田植えができるんだ」という理屈はきわめて単純明快な論理である。それは同時に地雷を伏せた危険地帯に足を踏み入れる勇気と細心さを要求する。実践活動の戦略の妥当性のほかに個人に属する種々の葛藤との衝突もある。しかし朝鮮革命の徹底的な実践者であらねばならぬというこうした采浩の認識は、具体的な事件と葛藤の局面でいつも不動の指針として提示され機能しようとするのである。
采浩ははじめて南植を同志として強力に入韓をすすめたときにも、同様の論理をくりひろげている。

  「私たちはあの土地で苦しみ、悩み、沈黙し、抵抗し、血を流している民衆への想像力を失っては、人間的自由を得ることができないと思うんだよ」

采浩は南植に眼を朴正熙(パクチョンヒ)だけでなく、韓国の民衆に注ぐべきだと語る。革命家の同胞感覚とは民衆と共に苦しみ共に生きるその姿勢と、そこに注がれる視点によって肉付けされ、それが民衆の支持を受けるのである。当時、韓国政権は積極的に共産圏と招待外交をすすめ、また朝総連の組織の人々にも祖国墓参団の名目で訪韓の機会を与えていた。朴正熙(
)がこうした政略的な秋波を送っているのをとらえて、「向うの出方を利用して」南に入るべきだと采浩は語る。当時、朴政権を孤立させるためには、絶対に仕掛け訪韓を拒むという政治論理が反朴体制の在日朝鮮人韓国人のあいだでは力をもっていた。自分自身は訪韓して「寝返った」と言われても構わないが、と南植は真剣に問い返す。

「私はごらんの通り躊躇しています。これは冒険主義じゃないかと・・・・・・。困難な境遇で反朴運動をしている良心的な民団組織の人々に害をもたらし、その結束を妨げるという結果さえ生む可能性があるのです」

采浩は在日朝鮮人は朝鮮民族という全体の環の一部だというあの「円の思想」を持ち出して、在日同胞の質的役割にふれて革命の主人公は「どこで生れたかは問題じゃない」と主張する。そして別の動機から日本の招待を欣然と受けた呂(ノ)運(ウン)享(ヒョン)や、蔣介石の査証(ビザ)で中国に出かけたアグネス・スメドレーの故事を引用して、統一したら変えると公言する統一する者の主体の欠けた「熟柿主義者ってのはつまらん」と吐き捨てる。

「私は同志をもとめている。・・・・・・自分の行動に責任をもち、時代の運命に誠実で多感な困難を怖れず孤独にも耐えられる人間が必要なのだ。どうか、じっくり考えてほしい」

采浩と南植は意見の一致を見、南植は祖国の懐に赴く決心をするのである。こうして南植は「田圃に入らずして」は統一と民主化の仕事はできないのだという政治的信条をもって韓国に行くための下準備とその偽装工作に入っていく。思い入れよりも具体的行動を、掛け声よりも現場へと、暴風雨に晒されている朝鮮革命運動という帆船の乗組員になっていく。南植はその決心を親しい友人にも両親にも誰にも打ち明けなかった。自分の本心を晒け出さなかったために、落後したとか、堕落したとか、非難と軽蔑の眼差しを浴びる。そのとき采浩は南植の心の中の淋しさをのぞいて冷徹に注意を促した。

「これからも転向者扱いされていいじゃないか。むしろ有難い話さ。きみは『転向』したんだ。しっかり『転向』していてくれよ。革命家の中には犬にもシッコをかけられないような憂き目に遭いながら地下活動をしている人もいる。立派な『転向者』じゃないか」

個人主義的な安逸の小世界の自己満足など、およそ革命家には縁がない。それを捨て切ったぎりぎりの所で革命の大義に生きることができる。表面上の敗残者の顔などむしろ恰好の仮面であるわけである。思想的にも精神的にもそうふっ切れてこそはじめて地下運動家としての苦しい戦いに身を投じることができる。
 「在日」であれ「本国」であれ祖国の民主化運動になんらかの行為を起こそうとすれば、やはり勇気と犠牲と骨肉をからませた痛苦の愛国心が要求される。高見の見物主義では到底、祖国を動かすベクトルの素因子にもなれない。それは火中の栗を拾う危険と同居しており、残酷な運命を背負っていかねばならない。危機一髪のどたん場を何度もすり抜け、終には幽閉のお姫様を救出するハッピエンドの冒険劇ではないのである。成功の報酬はおのれの歴史を創造するという矜持と革命の正当性への確信にしかない。あとに続く時代の為に光明と希望のひとすじの糸にでもなればよいという崇高な犠牲精神だけである。
采浩は「在日同朋画家」孫敬南(ソンキョンナム)を訊ねて日本へ入るときにも、この「田圃に入らずして」の思想が彼の行動基準の根底を支えていた。

「靴底に土をつけて飛び込んでいった方がよい。危険を避けなくてはならないけれど、その方が収穫は大きいだろう。もし自分が頭でっかちになっておれば、それを洗ってくれるのは、同朋の真実なのだ」

 采浩はこうひとりごちる。数年前までは朝総連の活動家だった孫敬南と秘密裡に出会うことは、お互いの立場上非常に剣呑なことだった。ひとりの同志を得るために充分な準備とふさわしい環境を考えると言っても、状況は常に制限付きである。大胆で細心に決断を下さねばならない。それも行き当たりばったりでなく行動の原則性をもたねばならない。采浩の現場主義は監視の眼をかいくぐらなければならないだろうし、ときには判断の誤りもあろう。ひとたび過ちを犯せば革命に重大な影響を及ぼしてしまう。かと言って「ぎりぎりのところまで進み出ないことには、大したことはできない」のである。「田圃に入らずして」の思想は、革命家が何はともあれ実地に飛びこみ現場に踏み留まる基本的な戦略なのである。

 「よくてもわるくても、この地を自分たちの力で変えていくべきじゃないのか。意識分子が、困難なときにこの国を見捨てたら残された民衆はどうなるんだろう」

 四月革命の輝かしい戦果が、元日本帝国陸軍に忠節の一軍人にかすめとられた。その直後の弾圧旋風で采浩の同志たちは獄につながれ或いは発狂したりした。ある友人がこの地を逃れて北に行こうと誘ったとき、采浩はこう言ったのだった。
彼は北へは行かなかった。しかし軍事政権の攻撃で座礁した四月革命の歴史の敗北感と懐疑心から、采浩は一年ばかりヒッピーまがいのヨーロッパの旅に出た。ドイツでマルクスの墓を訪ね、フランスでアルジェリアの学生に出会い、イギリスでアイルランドの民族主義者の家に泊ったりした。転々としながらも、「時代が要求する課題は自分が担わねばならぬ」と自身に言い聞かせて、結局自分の国に帰ってきた。多感であればあるほど青年は事物の本質を嗅ぎわけていくものである。他国の民族抵抗運動家との出会いで、「田圃に入らずして」の思想を再認識させられたのである。「祖国が待っている」というあの革命家の帰巣本能によって自身が強く命ぜられたのである。四月革命の挫折以来、民族の逼塞状況が激化すればするほど、逆比例するように「田圃に入らずして」の思想は彼の革命実践の不動の政治的信条に加重されていくのである。
 ひとりのカリスマ的独裁者の狂気の専制支配と自己陶酔的な維新政治によって、民主勢力とその抵抗思想が他力依存志向に変質させられたり、自己撞着的な条件付闘争に修正させられたりした。金大中事件のとき、金大中個人の人権を重視して「原状復帰」「出国」がさかんに言われた。それに強く反対した采浩の論理の根底にあったのがこの「田圃に入らずして」の思想であった。かれにとってはこの「田圃に入らずして」は、物事は現実から出発しなければならないという現実直視と、どこにも逃げ場はない、ここでしか戦わざるをえないのだという現場参与の象徴的ことばである。

 「勿論、私は一人の人間の生命を尊重しないということではない。そこは誤解しないで戴きたいものだ。しかし人間には肉体的生命があると同時に政治的生命もある。私が金大中氏に望みたいのは、民衆政治家として彼がこの困難な時機に、民衆と苦楽を共にしてほしいということだね」

 政治家には「亡命」の特権はあるが、三千五百万の民衆には「亡命」の自由はない。激しい反朴運動が盛りあがったとき、肝腎の民衆政治家が居ないのであれば「三・一運動のときの苦い記憶を人々は思い出すハメになるだろうね。あのときは、いざというときになって指導者が腰くだけになったので民衆は大きな犠牲を払った」のである。そのうえ「国民こそ自分にとって良心の根源だ」とのべる金大中自身にとっても辛いジレンマにならないかと采浩は心配する。金大中事件を民主主義回復運動の一環ととらえ自身に引きおいて考えるのは、「自説の正当性を主張するよりもその結果に責任を自覚しようとする」采浩の革命家のモラルからも当然であった。
 のちに逮捕の危機が迫ったとき、彼は充分に時間的余裕があったにも拘らず国外脱出よりも敢えて最も過酷な下獄の道を選んだ。真向から権力者と抵抗者の鮮明対決の闘争に入るのは、民衆と共生共苦を重ねる以外には革命家の生きる場所はないというごくごく単純明快な論理による。
 金芝河は民衆を次のように説明した。

  勤勉であり、愚かに見えて豊かな天の知恵をそなえ、力なく無気力に見えながらじつは偉大な力と強い意志を秘め、粗野であるが隣人に対して人間らしいあたたかい愛情をもち、堂々と誇り高くたぎる力にみちた姿・・・・・・。

こうした「力強く立ち上がり圧制をくつがえす偉大な民衆」に采浩は愛と信頼を持ち続けている。その憧憬と確信があるからこそ、「俺は亡命が嫌いだ。地べたにへばりついてでも祖国に残るだろう」と狂おしいまでにも「田圃に入らずして」のこの地に執着したのである。このように采浩は自分が遭遇する重大転機の度毎に、この「田圃に入らずして」の思想で情勢判断を下し、また自身の身のふり方、進むべき道を決断していった。金衝(キムヂョン)泌(ピル)総理に政治家のエリートコースで権力中枢に君臨できる政務秘書官にならないかと懇請されたときも、同じ思想から学生を指導する大学の教壇を選択した。仮装して朴政権の最奥部に潜びこんで行動の制限を受けるよりは、組織の仕事のために自由な時間を確保できる場所で働くことが要求されていたからである。そのとき、采浩は進退を同志たちと慎重に相談した。政務秘書官を「承諾するためには拒絶以上の意味がなくてはならなかった」からである。采浩は自分の行動の一つ一つを、自分自身の本質、つまり革命の目的と結びつけるその方途の中に常に模索していた。彼にとっては何処が革命現場か、いつもそれが問題であった。
〔八〕へその緒で庇うな
真実と正義のためには身を滅しても貫き通すという積極的熱気には、従来から温存されてきた調和や充足を乱してしまう。当然のことながら家族や身内さえも傷つけ巻きこんでしまう。采浩にとってずーと先の達成されるべき民族の理想を生きることの意味にした以上、眼前の個人的なものは文字通り統一という神殿に捧げられたいけにえである。「身近かな人々」である家族を「へその緒で庇うな」という采浩の思想は言うまでもなく変質的な被虐趣味のためでもなく、遊侠の徒の仁義とかのねじれた英雄主義のためでもない。
朝鮮民族の不幸の最大原因に日帝時代の被支配と被抑圧がある。そしていまは国土の分断と民族の分裂がある。これらの歴史的状況が朝鮮民族にとって、人間が仕合せな生活を営むための最小の単位ともいうべき家庭家族の存在を常に脅してきた。日帝時代に土地を奪われ、肉親を奪われ、ふるさとを奪われ、家族の離散と家庭の破壊の悲運に見舞われなかった朝鮮の「家」は一軒もなかったと言って過言ではない。采浩の父朴秋嶺(パクチュリョン)は解放後、ソウル駅の大歓迎の群衆の中へ放浪の中国大陸から帰り着いた。何十年ぶりかで出会う出迎えの妻の顔も見忘れ、「お迎えごくろうさまです」と神妙な顔付きで言った。家族邂逅の一つのエピソードにすぎないが、なんとも苦い。この夫婦は再会できたことだけでも幸運であった。同族殺傷の朝鮮戦争では、さらにその悲劇は無辜の民を襲い地獄絵図さながらに繰り返された。統一革命党の羅道卿と羅景利兄妹は朝鮮戦争の孤児である。解放直後から獄窓にある朱老人とその差入れに通う老妻も戦争で愛息を失った。そして現在は李、朴、金とファッショ独裁反共政権のパルゲェイン狩りの嵐が吹きに吹き荒れ狂っている。彼等にとって家族団欒は遠い禁断の夢になってしまった。いまだに天井らや地下に身を潜めていなければならない。趙南植一家、南植の従弟の海石一家、そして采浩と玲淑と燦(チャン)は分断政治の暴圧のためにその愛する肉親を囚われ家庭生活の平和を台無しにされている。そして人間としての正当な欲求やささやかな安息すらも抑えこまれてしまっている。反体制分子として世間の白い眼にも堪えていかねばならない。
民族の独立と平和と幸福は民衆のそれと同一のものであり、同時に家族のそれを支えるものであり、さらには個人ひとりひとりのそれでもある。家族家庭というものが民族の底辺を構成し、家族家庭の集積集合が民族を支えている。そうした視座と発想はあたりまえすぎることだが、この『見果てぬ夢』の作品意図の一つでもある。李恢成には家族の群像を描き出すことで民族の全体像を浮びあがらせる、或いは民族そのものを象徴化していく作風がある。どの作品でも作中人物が家族世界という揺籃を出たり入ったりしながら、人間存在ないしは民族存在の意味を問うという手法がとられている。李恢成の作品が家庭小説だと一部で言われるゆえんである。この『見果てぬ夢』でも、采浩や南植らの革命をめざす主人公たちの戦いを常に家族の切実で熱い愛情と葛藤にからませて作品構成している。家族の平安を妨害し破壊している下手人は誰か、愛する肉親を奪う犯人は誰か、そこを常に下敷きに引いている。家族から遊離した個人は誰も居ない。その単純な事実を李恢成は先ず書こうとしている。それがリアリティーというものだろう。李恢成文学の平明さと親しみ易さは、この家族を軸にした作品世界にもその秘密があるように思われる。
老境にある父朴秋嶺は革命の大義の途上で、さまざまな悲惨な光輝、醜悪な謀略の実体を数限りなく甜め見てきた。革命が必ずしも「正義とか理想、道徳によって作動するものでなく」、また「聡明な青年ほど理想を信じ、政治に真実を賦与しようとして、犠牲者の数に入ってきた」のもその眼で血が吹き出すような思いで眺めてきた。いま父は革命の光と影を悲痛と慙愧の心でなんとか回想記に染めあげようと筆をとっている。死んでいった同志たちがそのときの姿そのままで語りかけてくるという夢幻の境地に耽るときもある。その父が采浩に贈りたい詩があると言って蘇東坡の詩を口ずさんだ。

人家養レ子愛二聡明一
我為二聡明一誤二一生一
但願生レ児愚且魯
無レ災無レ害到二公卿一

 詩に託して愚かでもいい、長生きしてほしいと言うのである。かつて父は「青酸カリを飲もうが青龍刀を呑もうが、思ったことを言える人間でなくてはならない」と諭してくれたことがあった。その父がある直観にもとづいていまこう言っている。革命の中にある荒涼とした非理を経験した父だから、息子にはこの業苦の道を歩ませたくないのだ、そう采浩は父の胸中を洞察する。しかし「采浩はそのとき黙っていた。それが父にたいする愛情でも批判でもあった。親の盲目の愛に悲しみをおぼえていた」のである。「へその緒で庇うな」の思想は骨肉の情愛が深ければ深いほど冷徹さを増すようである。
 独立運動家として長い闘争歴の中で、いちどたりとも節操を曲げなかった父でさえ、いまこうして老年が弱気を誘ったとはいえ、父子の情に負けようとしている。革命家の先達と尊敬する父だけに、通俗的な喜怒哀楽の欲求を革命の大義のために抑えてほしかったと采浩は心中深く思う。自分はもう「感情を折りたたんで」しまっているのである。最後の最後まで個人を捨象したあのきびしい公的感情で父は息子を見守ってほしかったのである。
 采浩のこの個人感情を拒否した冷徹さはそのまま息子燦にも向けられている。非合法の地下運動に身を捧げ、生活の即物的快楽と平和を捨てたその父の運命を幼い息子も甘受すべきだと采浩は考えている。その酷薄と悲運の中から憤怒を爆発させて世界矛盾を感得してほしいと欲している。しかし一方では子どもは時代を受け継ぐ世代であり、社会の病弊から手厚く守られ救われなければならない存在だと熱い思い入れを抱いている。采浩は言う。

 「未来は子供たちのものだ」
 「子供たちは現代が人間に強いてくるあらゆる病気から解放されるべきだ」
 「子供は別だ。出来ることなら、子供は暴力から守りぬきたい。・・・・・・かといって子供の運命を口実にして、やることをやらないってことはあり得ないのだ」

 統一のための理念を模索し、統一のために生死を賭けるのが、分断時代に生きる采浩や南植であるなら、統一事業を完成させ見守っていく者は後代の若者であり子供である。采浩がわが子燦に格別の愛情を注ぐのは、ひとり父親としての情をこえて後代に期待する考えであり、どこか魯迅の「子供を救え」の思想に相通じる。だから政府の要職を捨てて大学の副教授となって学生たちを指導しようともした。韓国の学生階級の革命の先導としての歴史的役割もさることながら、後代にかける夢が大きいからである。また革命的家族愛の思想からも、民族の成分を形成していく新しい世代に家族離散などの悲劇を、それが民族を引き裂くひとコマであるからには絶対味わせたくないと、采浩は考えている。革命にまつわる犠牲に子供をまきこむのは、「フロの湯を流そうとして赤ん坊まで流す」ことにならないか。自身は統一のために死ぬ世代と認めても、子供まで戦闘死の隊列に並べることはできない。子供の時代には、朝鮮革命の大道が広く長く通じていて真の解放と独立の果実がたっぷり賞味できる状態にしておきたいというのが、采浩の夢想である。革命家にとって夢想が希望であり希望が確信につながっていく。分断が強いる病理と精神破壊が大人たちを支配している。反動と強権、抑圧と脅迫のまえで多くの大人は沈黙と隷従の徒になっている。それにくらべて子供の汚れを知らない純一性、疲れを知らない活力は無限大の可能性を秘めている。それは防衛して大きく育てていかねばならないものである。だが独裁と分断の柵に囲まれたこの国の政治の貧困は、子供といえども容赦なくその精神枯渇の檻に閉じこめようとしている。しかし矛盾自体が鍛えてくれる力というものもある。子供をいつまでもガラスのケースに飾っておくわけにはいかない。かと言って徒らに風説に晒し危険な防波堤の上に立たせる必要もない。だが現実の「歳月の侮蔑」はもっと非情で苛酷である。人間の甘い夢をいとも感嘆に打ち砕くことを知っている采浩は、革命家の息子ゆえに燦が出くわす運命をすでに予感している。

  統一とは、この国の民百姓がいちずにねがう心の病いなのかもしれなかった。だが、歳月の侮蔑に逆らおうとする者には、次の世代にも病気は容赦なく襲いかかってくる。

 だから采浩は、父の「愚かでもいい、長生きしてくれ」というやさしさに哀しみを覚えたのである。父のやさしさは結局「歳月の侮蔑」に身を預けることになるのである。「へその緒で庇うな」は、革命家は決して個人の喜怒哀楽の感情によって行動を律すべきでないという痛苦と冷徹を覚悟した洞察と実践を求める思想ことばなのである。
〔九〕感情を折りたたんでいた
 朴采浩と南宮弼宇(ナムグンピルウ)は四月革命のあとで、南北学生会談を推進しようとして意気軒昂に動いたことがあった。その弼宇が政府機関の国土統一院に勤める采浩に久しぶりにある酒幕(チュマク)で出会った。

「不思議な晩だわ。死んでしまったと思っていた両班が生きとったとは!いいか、君をちらっと見かけたから何年ぶりかで話しかけるのはそれでも昔の友情の賜物なんだ。・・・・・・が、それも今晩かぎりさ。いいか、今度どこかで見かけられたら『糞爆弾』でもくらわんように精々注意してくれ」
 そう叫んで弼宇は外に消えた。
 朴采浩はその後姿を深追いもせず、心の中で《きれいだな》と思いつつ、いきり立つ職員の腕を抑えただけである。彼はもう感情を折りたたんでしまっていた。
 
かつての同志の誤解すら、革命の利益のことを考えて今さらながら采浩は解こうとしなかった。彼は感傷に浸る甘えや自虐に酔いしれる心境人間からとうに「感情を折りたたんで」訣別していたのである。彼は感情に左右されない冷徹な生き方をひたすら守ることを決意していた。革命する者の思想と行動の規範に個人的感情を捨てることの一章をすでに設けていたのである。

革命に寄与するか否かを基準として物事を判断し、行動する生活態度を彼は身につけていた。《革命》のために必要あるならば、生活上の外被をまとうことはさして問題ではなかった。・・・・・・こうした環境が彼に微塵もの感傷性をゆるさなかった。自然と懐が深くなった。めったに本心を明かさぬ慎重さと磊落さを兼ね備えた。剛気であるかと思えば細心である。常に二つの手を使い分ける生活をしていた。

朴采浩も《権力》をもとめていた。だが、自己の栄華や立身出世とは縁もゆかりもないところからその《権力》を志向していた。革命の利益になるのなら、彼は何でもやってのける肚をきめている。そのための仮装(カジャン)は《必要悪》であった。
 小盆を全世界に見立ててピンセットで砂や小石や木切れの各材料を細かく積みあげていろとりどりに彩色して配列して超ミニの坪庭的風景を制作する空間芸術がある。それを何と呼ぶのか知らないが、そのこじんまりした雰囲気は私たちの情緒や発想に似ている。野生味がなく奥行きがなく立体感がないという点で。日常性を重視する小市民意識、歴史や政治よりも目先が関心の物欲型生活態度、深層心理に意味付与をおく個我思想、それらを小乗的にこねくりまわすのが、小盆の上の小細工のように思えてならない。日常瑣事と想像力を同化してしまっている私たちの感性からは、この「感情を折りたたんだ」采浩的人物はちょっと把握しきれないのではないのだろうか。むしろ共感よりも嫌悪を、真実性よりも虚偽性を、人情味よりも非人間性を、それも甚だしい程度で感じるかもしれない。
 人間であるからには誰もが当然個人感情をもっている。しかも個人感情は影のように切り離すことのできないものとしてある。唯一目的のために個人に属する幸福や喜怒哀楽の感情を意志の力で捨象できるかどうか。そんなことをじくじく考えるのが私たちの相場である。南宮弼宇の胸ぐらをつかんで「俺の魂が死んでいるのとでも思うのか」と思いのたけをぶちあけたい衝動を押える采浩には、革命の使命と責任に全精力と全感情を傾注しようとする革命家としての人物統一があると見たい。
 個人感情を捨象した革命的生き方を自らに強制するのは、なにもひとり采浩や南植だけではない。革命家として人間である以上、身辺の喜怒哀楽の激情に身を預けたい衝動に衝かれることがある。北の秘密工作員高龍の場合とて同じである。彼は南の実情をじっくり理解しようとして自分の足でソウルの街なかを歩きめぐる。高龍とは金日成の主体思想一辺倒の硬直した教条主義者の多い北の者の中で、采浩にはじめてほんとの共産主義者を見つけたような希望と尊敬の念を抱かせた男である。
 現在、北の体制は国家意志だけが浮上して民衆意志は少しも反映しないどころか、その所在の断片さえうかがうことはできない。統一思想も金日成一色で塗りつぶされて民衆思想は不毛である。不毛というよりは「偉大なる元首」という固い表層膜で覆われて芽を出す余地がない。しかし李恢成は硬直した公式主義者ばかりじゃない、「真者(ジンジャ)」も居るんだと言って高龍を登場させた。金日成思想に埋没されているふうに見えてその実、離れがたい同族感情と社会主義思想の真正なる朝鮮的展開を考える人物の存在を李恢成は紹介した。こうした人物が北にも居ることはあたりまえと言えばあたりまえなのだが、体制に絶対服従と奉仕とで忠誠度と人格能力を計られ、自由で大胆な発想を抑えこまれているところでは、現実に彼のような人物の存在を知ることはむつかしい。李恢成は北への是々非々の冷静な批判的立場を貫きながらも、一方ではその豊かな想像力とその鋭い直視力で、また社会主義思想そのもののうちにある科学としての真実性から、希望と信頼を抱かせるマルキシストをよく形象したのである。
 その高龍が南に秘かに入ってきたとき、朝鮮戦争以来、三十八度線で引き裂かれた老いた母を二十何年ぶりかで訪ねようとする場面がある。母懐かしさと親不孝がいやがうえにも邂逅の情をかきたてる。彼は母のいる里に夢中で車を走らせる。しかしその一歩手前で親子の情愛に溺れてしまいそうになった自分の行為の無謀さにはっと眼がさめる。

  あやふく、自分は誘惑に勝ったのだ。この南の地で危険を冒して自分を守ってくれている同志たちの信任を裏切らずにすんだのであった。自分には、いま肉親に会う権利はない。・・・・・・いまこの瞬間、自分はこの南の祖国にいながら、おなじソウルの空の下で夜を過ごしながら、母や弟たちと会うこともなく明日は発っていかねばならないのである。断腸の思いであった。夜の更けていく音を彼はじっと堪えてきいていた。

 人間の繊細な感情とか弱い面を無視してただ勇ましい英雄だけを登場させたら、それは決して民族文学としてよく形象された作品ではないだろう。白楽晴は言う。

  激しい作家精神に立つ強烈な歴史意識をもった作品であればあるほど、人間は不義に抗拒し歴史を創造したいという巨大な戦いの意志であるとともに、そのようなことを実行する主体はやはりすべての人間的弱点を備えた人間であるという認識をはらむのではないでしょうか。

 どんな人間にも勇と怯、決断と逡巡が同居している。だから不可能の壁に挑む人間の行為にはさまざまの人間の価値のドラマが生れる。成就への困難を引き受け、物神の暴力に抵抗し、英雄的気慨で犠牲を怖れず、驚くほど至潔で高貴な人間の一面がその人間的弱点をくぐりぬけて磨かれていくのである。
 状況が要求するとき即座に勇気と決断の意志的選択ができる回路を自らもつ采浩は、はじめから人間的弱点を止揚した男ではない。彼の個人的特長は歴史と現実が鍛えたものであり、彼自身の思想と感性がそれに激しく反応して築かれていったものである。

「人間は誰しも生きることを望んでいるよ。革命家といえども人間なのだから。いやもっとも単純に生と歓びを愛している人間だからこそ未来まで生きていたいのじゃないのか」
 誰にしろ、革命をめざすものは、悲惨な光景に遭遇しなくてはならないのだ。しかもそれは革命の性格ではなく、反革命のもつ非人間性によって強いられた悲劇の反映なのだ。こういう悲劇から人間を解放するために革命の論理と倫理が存在している。時代が悲劇的な様相を帯びている限り、個々人の涙を拭うために革命家の役割がある。

 張りつめた綱渡りの戦いの毎日を送っているからこそ、采浩は平凡な生活と小さな欲求に潜む人生の価値を最もよく知る人間であるのかもしれない。だが革命家は人間的開放をつよく求めれば求めるほど、個人に属する慰安や快楽から遠く離れていかねばならないという宿命がある。祖国の統一と民主化のためには、自らを人間的平和に浸って生きていく権利も余裕も捨てなければならない背理が横たわっている。采浩はその宿命と背理を無自覚的に生きるのではなく、強い意志の力で革命に生きるものの使命感として認識していった。彼は状況の困難な胃袋に身を投じ、それをくいやぶって出てくる獅子身中の虫なのである。対岸から冒険する人間ののんきな批評など入る余地がないほど采浩は阿修羅然としている。過度の意識分裂と人格喪失に陥り、肥大化した欲求不満と精神の放縦を背にし個人感情に支配されている現代人の傾向からは、恐らく采浩は単にまばゆい存在というだけでなく、実在感を認めがたい別世界の住人に見えるだろう。
 私たちでさえささやかな良心と正義の気概をもって社会参与することがある。たとえば指紋押捺拒否のデモで、無関心と冷笑の眼差しの街頭を連ねたり、光州虐殺の指弾大会で怒りのこぶしを突きあげたりする。でもめったに官憲に暴行されたり逮捕されたりする身の危険はない。せいぜい当局にマークされ、隠しカメラでパチパチ撮られ多少の薄気味悪さを覚悟するだけでよい。悲憤慷慨してもおひらきのあとは、親しい仲間とまるで宴のように寄り集い呑んで食らう酒盛りの儀となる。どのみち平和と安全の風景はくずれない。私たちは厳格な意味で采浩の思念と行動に体験移入できない。とても実感などできないのである。かと言って采浩の人物像を真剣に論評しようとするとき、ただ敵わんと脱帽するわけにもいかない。ひとはすべて自らの立場で物言う権利がある。要は共感できる心とそれぞれの場所からできることをしようとする水々しい精神の問題である。
 現代人の属性の最大のもののひとつ、自己懐疑心をもたないと言うことで采浩は際立っている。おのれの論理に対する自信、革命の持つ歴史の必然への予見、統一を築く世代の自認、革命の捨石たらんとする殉教心、平然と「転向者」になる勇気、いずれにも采浩には迷妄がない。従って彼は自己存在の根拠をゆさぶられるようなうしろ向きの懐疑にぶつかることがない。人間的弱点あるいは分裂した自己矛盾をかかえこみながら、悪戦苦闘、正義と邪悪、真実と虚偽のきわどいところで踏み留まろうとする苦悩型の人間ではない。じゃ、彼における人間的弱点とは何か?革命のために全思想、全人格、全生命、全時間を捧げることのできる彼のその生き方自体が、ある意味で彼の人間的弱点と言ったらどんなものか。個人の喜怒哀楽を完全に捨象できない人間存在を全的には容認しようとしない、その鉄壁の論理倫理の慠りの中に彼の人間的弱点があるのではないだろうか。時には死病にまでこうじる人間の懐疑心とその周辺情念に自ら同情と洞察を禁じた如く、他人にも禁じようとした。これは、人間観察においても革命の論理と倫理を駆使しなければならない采浩にとっては、自己撞着的な人間的欠陥に思えるのだがどんなものだろうか。
 李恢成がこの小説で、民族形成史の新秩序を引き受け時代の先づけを創っていく人物を形象しようとしたときから、采浩のその欠陥は予想されていたにちがいない。当然ながら李恢成の中にあるマルクス主義の論理体系から生れる理想的知識人はリベラリストとしての教養人ではない。また個人尊重の美学追求に執念をもやす自己陶酔型の文人趣味でもない。彼等はより巧妙な解説者や表現者であっても自らは何者にも献身しない。李恢成の関心は資本主義の矛盾、強権政治の被民主性、既存秩序の非人間性、それらを突いていくと同時に自らの中にある階級的浮遊性を清算できるプロレタリアートの側に立つ実践的知識人にあった。画一化や合理化を嫌い、意味付託に抗するあの孤高を好む知的貴族は、群衆の中の無事なひとりとして安全な場所を守りたいという内に向う保身の変形存在にすぎない。知的道楽者、知的放蕩者には自己を民衆民族に同一化する作業よりもせいぜい自己美学にしか興味がない。李恢成が描いた采浩はちがう。采浩の存在は、分断と分裂、権力集中と自由抑圧の南北の政治状況で、いまいかに生きるべきかそして戦うべきかという現代的課題と、いかなる社会をめざしいかなる人間をつくっていくかという将来的課題を模索する責任と自覚の知識人の典型としてある。それは民族の未来創造の公的財産としてのありうべき知識人像としてある。また共感を呼び志気を奮い立たせ範に擬せられる魅力と資質を備えた人物としてある。それだけに采浩のきびしい論理と倫理ゆえに導かれる彼の人間的欠陥は、人間を総体的に描かなければならない文学としてそれなりに描く必要があったと思われる。「人間的厚みに欠ける」という安岡章太郎の評言はこの限りにおいては正しい。もっとも南植も采浩を「人間臭さが欠ける」と言っている。このことは采浩の全体像を見るうえで興味深いところなので引用してみる。同時にふたりの「統一朝鮮人像」の柔と剛の対比を見ることにもなる。

  彼の人物的特徴は、あの強靭な意志や冷厳な情熱、明晰な判断力と大胆な行動といったものであった。それらの資質が彼の魅力であることはまちがいない。それは革命家が備えるべき資質としては立派だが、何処となく人間臭さが欠けているところに疑問が残るのだった。彼の個人的資質に人間への愛情が希薄というわけではない。むしろ階級的愛情は人一倍つよい人間だが、彼のように革命にすべてを従属させる人間に避けられない生き方が、非情などこか行き過ぎた判断を自他に下す場合があると考えられる。

この南植の采浩観は大方の読者のそれに近いと思われる。南植はもうひとりの同志的結合をした魅力ある人物、牧師金致烈(キムチヨル)と比較して言う。

朴采浩は慎重かつ大胆な人間だとすれば金致烈は野放図であり楽天的でさえあった。

南植はソウルの清渓川のスラム街で住民に献身的に奉仕する金致烈との出会いのあと、赤裸々に自分の内面をさらけ出すことができた。金致烈が魂の救済に手を貸す宗教者だと言うこともあるが、南植は彼のまえでは肩の力を抜くことができた。そのわけは威圧感を与えない開けっぴろげの性格と遠慮を溶かしてしまう包みこむような暖かさと、何よりもどこにでも足を突っこむ金致烈の気張らない泥くさい生き方にあった。金致烈にはどこを探しても高踏的な貴族趣味はなかった。相手に垣根をとり払わせてしまうあの「安心できる人間」の雰囲気があった。采浩が頭で考えたあとで行動する知識人としたら、致烈はからだで行動したあとで頭で考える知識人であった。手のうちを全部見せてそのくせ呑みこんでしまう無手勝流の、あの歴史の試練を生きた民衆の悠然とした構えが彼にはあった。朴采浩には圧倒されるような畏敬の念を抱いても、南植は青春の胸に秘めたあの呵嘖の根を引きずるようなくらい性的経験などはとても話せない。金致烈にはそれを素直にしゃべり、すーと懐に身を預けられる兄貴みたいなところがある。最も采浩に近い南植でさえどこか窮屈さを強いる采浩は、その威圧感が他の人物にも等しく感じられている。羅道卿は「相手の自由な発想や禁忌(タブー)の精神を感じさせぬずうずうしいばかりの活力」と采浩にある種の嫉妬心を抱く。羅景利は「あくのつよいその態度に反発心を禁じえないのだった。悪くいうと、まったく隙がない」と言う。采浩の同志や理解者ですら采浩の人間を尊敬しても、その生き方にいくばくかの抵抗感をもたざるをえない。あまりにもきびしく緻密に革命の論理と倫理に徹するその生き方に誰もが威圧感を感じたのである。
〔十〕采浩の性的不能
論理の原則性や法則性を根っからもたない私が、批評の基準などもあるはずがなく、こんにゃくのようにのらりくらり「雑文」をここまで書いてきた。気が付いたらこんなにも長くなってしまい、改めてまとめ方が下手だわいと恥じ入りまた驚いている始末である。いままで私はなんとも手ごわい英雄然とした采浩に挑発されて、私の精神の土庫奥深く眠っていた何ものかがうずき出すというふしぎな興奮と感慨を味わい、それをだらだらと書いてきた。総じて采浩讃歌に終始している。大体が私の考察、いや感想は、采浩のくり出すパンチを一方的に浴びるまるで受身的追認の作業であった。せめて一矢を報いる私の攻撃はまるでなかった。これから言おうとすることはその一矢になるかもしれない。これを言うことは私の采浩への友情であり、同時に采浩を神格化しないわが健全なる精神の証しにもなる。さあ采浩の金縛りの術から逃れ出られるかもしれないぞ。
采浩の人物像を肯定しようとしてきた意図に反し、しかも揚げ足とりになる危険があるかもしれないが、采浩の性的不能についてどうしてもふれておきたい。個人に属する欲求や葛藤を第二義的に考える采浩が、神経の精神のストレスから肉体的生理的障害を受けるという事実と、夫婦愛の肉体的交感を革命のまえでは瑣末なことだと切り捨てる態度とがどうしても承服できないのである。
どうして李恢成は采浩を性的不能者と設定したのか。意志と理性の力であの極限の肉体的苦痛の電気拷問にも音をあげなかった采浩がどうしてインポなのか。凡庸でない超弩級の意志と理性で革命の論理と倫理を築きあげようとする采浩が心因性の性的不能者? ありえない話である。革命精神の権化、難局にたじろがない超人的な不屈の魂、決して視線をはずさない睥睨した態度、核心を突いてくる不敵で挑戦的な言動、私情や我欲を拒否した心のうち、しかも明解な論理の刃で裁断する知性、まるで不遜と尊大と核心と意志が衣服をまとっているような采浩がである。不能の原因は糖尿病に加えていわゆる「革命病」又は「インテリ病」だと言う。革命宣言の構想、地下運動の財源の捻出、獄中同志の救援活動そして家庭問題、それらがたとえ采浩に極度の精神的神経的圧迫を加えたにしてもである。彼のからだと心に打撃を与えられるのは物理的な生命破壊の力しかないはずである。采浩はすべてに強い男でなければならないのである。読者の思い入れがそうだというのではなく、采浩がその個別性を越えて民族の共有財産的な人物だから、そうあってほしいのである。金芝河が描いた朝鮮民衆のシンボル、五体をちぎられ、眼をくりぬかれ、耳と鼻をそぎおとされても「ズシン ズシン」と日夜ソウル中に不気味な音を響かせて権力者を震撼させた『音の来歴』の農民のようにである。彼はイメージとしては不死身の生命体でなければならない。物権のまえでも精神的ストレスのまえでも、常に強靭な肉体力と精神力の持主でなければならない。それを困難と重圧の中で実践してきた男である。革命の論理と倫理を掲げた采浩が女性関係において貞潔を乱してはならぬと性的不能に閉じこめたわけでもあるまい。采浩の人間的側面の一部として性的不能をもってきたとしたら、それはやはりおかしい。それにたとえ性的不能であってもセックスは瑣末なことだと切り捨てるのはどうか? 采浩らしくない。

「こんなものたいしたことじゃないよ。人生の目的のないときにはセックスは最大のものになるが、何かやることがあるときは、エトセトラの一つでしかないんだ」

玲淑(ヨンスク)が不安と淋しさから采浩を求めたとき、采浩は軽蔑したように冷やかに言う。「あなたってもう神様ですものねえ」と惨めな気持をかくすよう玲淑は精一杯の皮肉を吐く。玲淑は采浩が夫としての機能をなくしたことよりも、こうして性的なものを無価値だと、つまり自分の心奥の葛藤をのぞこうとしないその慠慢さに異議をはさまずにはおれなかったのである。
采浩をとりまく三人の女性、五星財閥の末娘の玲淑、六・二五の戦災孤児で統革党の女性党員の羅景利、KCIAとアメリカの二重スパイの文淑(チョムンスク)らは、貞淑、怜悧、妖艶の三者三様の女性的魅力をもっている。彼女等と采浩の交渉は幕間劇のようなもので、必ずしもこの小説のテーマではないが、采浩の女性観は彼の革命人間としての抜き差しならぬ関係があると考えるならじっくりと眺めてみる必要があるかもしれない。個人の喜怒哀楽を革命の祭壇に祀りあげてしまった采浩には、恋愛も肉欲もすでに無縁である。しかも彼は性的不能だから女性を性的に愛することはできない。その采浩が初めて心動かし「性的にいい女」だと思った女性が居る。羅景利である。
羅景利は「指令で動く」兄道卿とちがって自分の頭で物を考えようとする柔軟さと謙虚さをもった活動的な女性である。危険な地下工作にも大胆に的確に冷静にやってのける。そして女性の魅力を隙のない身粧いと理知的な瞳の中に宿している。ある日、北の後継者問題にからませて朴采浩と羅景利は金日成の主体思想についてじっくりと意見を交した。

言い終ったとき、朴采浩は非の打ちどころのない完璧な自分を感じた。・・・・・・。彼は羅景利の顔を穴のあくほど見つめた。彼女もまた暗くこもった顔をしていた。全身から抜けていく力を必死に防ごうとしているのが感じられた。その顔はどこかしら神々しいほどに美しかった。・・・・・・朴采浩は非常に優しい気持になって彼女を眺めた。なぜか男女が性交を共有したあとに打ち溶けるあの神聖な落着きさえ顔に漂い出ている気がした。一瞬にせよ、そんな気分に染ったのは彼自身をおどろかせた。それは淫(みだ)らなものではなく、最も自然で本能的な感情の昂揚がもたらす臨場感さえ伴っていた。完全に、彼は人間として幸福であった。

美しい場面である。采浩も普通人の感性をもつことが確認できてほっとした場面でもある。こんなふうに采浩が女性を眼のまえにして自己陶酔に沈んでいくのは珍しい。采浩が自分自身に驚いた以上に私たちも驚く。彼は性的不能だけど性的情緒不能ではなかったのである。これが妻玲淑に向って、革命のまえではセックスなどつまらんと言った同じ采浩とは思えない。一瞬にせよ、あの性的恍惚を感じ幸福感に耽ったのだから。当然のことながら、個人の喜怒哀楽を革命のまえに捨てようとしたが、采浩は自らの人間的感情を滅却したわけではないことを示している。捨てようとするのとはじめからないのとは根本的にちがう。でもここには少なくとも采浩の中に自己撞着がある。この自己撞着こそが采浩の人間的欠陥だとする作者の計算がここにあるのかもしれない。もし采浩が玲淑の性の悩みを共有する優しさを示していたなら、そして玲淑が求めていたのは単なる肉欲のためでなく、采浩の愛と夫としての存在を確める行為であったことを理解していたら、羅景利に精神的性交を果した采浩の行為を認めるのに私は少しも吝かではない。
采浩だが、彼のその性観念は決して古くないのである。
統一革命党の李文奎(イムング)が闘争中に妻の妹と男女の特殊関係に陥った。それはお互いにしか頼る者が居ないという極限状況下が生んだ惨酷な運命としか言いようがなかった。朴政権はこれみよがしに「共産共妻。共産主義者ってのは、女を共有する思想だからああなんだ」とそれを道徳的退廃だと宣伝した。采浩はそれが話題になったとき、「仮りに女関係があったとしてもいいじゃないですか。革命家といえども人間ですからね。・・・・・・むしろ李文奎に深い人間的なものさえ感じる」と言って羅道卿を驚かす。羅道卿は「一夫一婦制は大切にしませんと。こういうことをおろそかにしていると、女の件で敵につけこまれるのです」と非難気味に言う。「いや、私が最も排斥するのは儒教的な倫理道徳で人を縛ることです。何も私はブルジョア的な性道徳を奨励しているわけではない」と采浩は淡々と答える。単純な一夫一婦制のルールの道徳規範で男女の関係をしばれば人間に対する形式主義に陥ってしまう。選択できない状況や運命に出会ったときの人間の内面世界の必然性こそ問われるべきだと言う。「革命家の場合だって同じことです。雲の上で暮らしているわけでもあるまいし、無色透明な生き方をしているわけでもないんですから」。
たしかに采浩の考え方には非の打ちどころがない。男女空間の交渉や感情や葛藤が運命のいたずらに支配されることがありうるということに理解と同情を示す。男女問題に関しても必ずしも石部金吉ではない。むしろ采浩の性観念は柔軟で反封建的で新鮮でさえある。だがひとたび自分の身のうえに置きかえたとき、その考えはとたんに男女の愛を禁欲的、無価値的なものに見做してしまう。男女の愛は、陽なたにほしたふとんを小さな引き出しの中に押しこめられないように、外部的力で制御できないところがある。
大体が采浩は女を感情によってではなく論理によって愛する男と思われる。歴史の進歩をとめてきた朝鮮人の論理的欠如を克服しようとする采浩が、愛のかたちにおいても女性美よりも論理美(そういうものがあるとして)を重視するのは認めよう。そんな愛の形があっても一向に構わない。ただ普通の人にとって異性愛は、理屈をこえた生理的本能的性欲と無関係でない場合が多い。たとえプラトニックラブであってもその憧憬する女性の性的魅力にほとんど心奪われるものである。イブが完全な肉感美を誇り女としての優美で繊細な魅力をふりまいても、采浩は決して禁断のりんごの実をとろうとしないだろう。たとえ心動かされてもりんごをたべる最後の男になるだろう。采浩はあの知性も理性もかなぐり捨てて抗しがたいパッションに包まれて本能の雄になるなんて絶対にありえない。もし采浩の本能の扉を開けるものがあるとすれば、女身の肉体的官能美よりは論理の服をきた頭脳明晰な理知美なのかもしれない。景利にあのエクスタシーを感じたのも采浩の論理の波長に景利のそれが響き合ったからである。
「人生的享楽を断念してしまった男」でしかも性的不能者の采浩には、素顔をかくした鉄仮面のような無機的な冷たさがある。いっとき上司であった張室長が采浩に「いっぺん地べたにおりてきて、この妓生(キーセン)を抱いてみい」といったのは采浩を皮肉る面罵のことばだったが、妙に小気味よかった。采浩が女性を愚弄するなどありえるはずもなく、しかし人間的にどこか女性に対して一線を画して敬すれど近づけずといった雰囲気を、俗物なりに張室長は嗅ぎとったのである。俗っぽく言えば采浩の女嫌いは感心したことじゃない。女は男にとって無限に開かれる世界への道先案内人であったりする。たとえそうでなくても場合によっては、女は男の人生目標の大半を占めるときがある。また他の大目標とも共存しそれをサポートする存在たりうるものである。采浩には基本的に女を同伴者と見る思想が欠けているように思われる。
人間のあらゆる表情と行為は性欲の変形であり、人間の意識下の性欲願望が人格を形成するとフロイドは言った。言うまでもなく男女の愛は、動物としての雄と雌が意識的無意識的にかかわらず、性欲志向の微妙な感情と本能のぶつかり合いが精神と肉体を支配する一般的なドラマである。
『静かなドン』のグレゴリーは奔流のような激しい情事にそのつど全生命を傾け、何度も不倫をくりかえす。肉欲の本能を抑えられない野蛮人のように。これは帝政ロシアの底辺の家畜的な農奴から階級としての農民へと人間回復しようとする時代の意志でもあった。赤軍と白軍、革命と反革命のあいだをピンポン玉のように行ったり来たりするグレゴリーにとっては、男女の愛の媾合と革命の修羅もいわば同心円上のふたつの点みたいなもので、ぬきさしならぬコザック農民の時代性と階級性を帯びたものであった。『赤と黒』のジュリアンは貞淑な貴婦人と奔放な令嬢のふたりを熱愛する。青年特有の上昇欲が野心と理想を天秤にかけて振幅する。それは青年が異質な恋愛対照との交渉を通してフランス革命の新秩序と旧秩序に出会っていく歴史のドラマであった。いずれも共通しているのは革命の文脈の中で男女の愛を描きながら、人間の多面性と社会矛盾の問題性を浮き彫りにしていることである。
私は何も采浩にこのふたりのように恋多き男になれと言っているのではない。彼が自制的な生き方の中で男女の愛にも禁欲的倫理的であるのは一向に構わない。私はむしろそれを支持さえする。彼は彼なりの愛のかたちで革命のダイナミズムの中で女性に出会っていけばよい。だが何も性的不能の条件をつけて采浩の対女性の世界を狭くする必要はどこにもない。李文奎事件で人間中心主義の性道徳観を示すのも、羅景利にはじめて心動かし忘れていた性的刺激を思い出すのも、女幻の術で籠絡しようとする文淑の誘惑をはねつけるのも、玲淑のうずく官能を肩すかしするのも、いずれも性的問題に反応する采浩の人間性が、是非は別にしてにじみ出てきたものである。それは采浩のめざす革命の論理と倫理の文脈に結びついていくものである。采浩自身「神さまでいるのはもうごめんだ」と言わせて苦笑させるような問題ではないのである。

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