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2007-12

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「架橋」24号

架 橋 24
              2005 春



目   次

○小  説 
路上の詩人 …………………………… 磯貝治良
見殺し ………………………………… 立花 涼 
○詩と川柳
在るということ ……………………… 原田芳裕
川 柳 ………………………………… 韓 日珠
○エッセイ 
「현해탄」は「玄界灘」である …… 朴 燦鎬
○コラム
○会 録
○ある集い そしてあとがき






 路上の詩人

磯(いそ) 貝(がい) 治(じ) 良(ろう)          

 シンソンハは孤独に死んだ。
 シンソンハ――漢字で表わすと、姓のシンは申、名のソンハは星河。
 彼とはもう十年以上、会っていなかった。消息も途絶え、彼のひげ面の顔を思い出すことさえ、ほとんどなかった。というよりも、彼との交友は短かく、三年間ほどにすぎなかった。彼には他人を戸惑わせるところがあった。躁と鬱がめまぐるしく入れ替わったせいかもしれない。私が知る三年間は、彼の五十八年の人生における躁の季節であったようだ。
 いま彼を偲ぶ縁(よすが)として私の手もとに残されたのは、たよりないほど片片たるものにすぎない。画面に黒のボールペン(一枚は筆ペン)でびっしりと書き込まれた四枚の葉書、「人間性復活宣言」とタイトルの付いたB四判一枚の汚れの目立つコピー、長編詩一篇が掲載された雑誌一冊、被告人意見陳述書のパンフレット、そして新聞記事の切り抜き数枚くらいのものである。
 ところが死に接してみると、彼と交わした淡い日日が不思議なほどに濃密な時間として蘇ってくるのだ。
 シンソンハの死を電話で伝えてきたのは、寄せ場労働者の組合のボス大東誠だった。
「シンさんが亡くなった」
 大東誠の物思わしげにくぐもった声を聞いたとき一瞬、私はうまく呑み込めなかった。シンさん? しかし、電話の声がさらにつづくまえに、私のなかでシンソンハの名前はつながった。大東誠が何かを説明しようとするのを遮って、通夜の日時と場所だけを確かめ、私は電話を切った。冠婚葬祭の苦手な私は気がすすまなかったが、行けば久しぶりの知人と会えるだろうと、夕方を待った。
 案の定、通夜の会場には顔見知りばかりがいた。会場といっても、八畳ほどの質素な和室。電話で名前を聞いた葬儀場は、八階建てのビルにホテルのような設備をもって名の知れたものだったが、それと道路ひとつへだてて古びた二階建てのここは、特殊な死者のための部屋らしい。
 上がり口の狭い土間には十数人分の靴がかさなるように脱がれている。部屋にはそれに見合う数の人間がいて、強い体臭がこもり、線香のにおいが混ざっている。葬儀用の礼服を着た者は一人もいない。背広の者もいない。アノラックやジャンパー、作業着ばかりで、どれも日雇い労働の年季が染みこんでいる。
 部屋の奥まった正面に座卓に白布を掛けただけの「祭壇」。私が知っている頃の年恰好のシンソンハが、手入れのゆきとどいたひげの仏頂面でこちらを見ている。葬儀社を通して引き伸ばした写真ではない。額縁にもはいっていない。横十センチ縦十五センチほどの少し皺のよったのを厚紙に貼って立ててある。「祭壇」にはほかに仲間の誰かが書いたらしい達筆の「同志申星河」の位牌と、皿に五、六個盛られた蜜柑があるきりだ。
 私が写真に向かって頭を下げ、「祭壇」の前の棺を開いてデスマスクに手を合わせたあとで、大東誠がシンソンハの死について簡単な説明をしてくれた。
 シンソンハが名古屋の寄せ場から出奔したのは十年ほどまえ――私との交友が途切れて間もなくだったが、二年ほどまえに名古屋に戻っていたという。大東誠とは往き来があったが、寄せ場の仲間とはほとんど交渉を絶っていた。ひどい鬱の状態にあってアパートに閉じこもる日がつづいたからだという。
 シンソンハが最初に救急車で病院に運ばれたのは、一年ほどまえ。救急車は自分で呼んだらしい。強度の鬱状態のために何日も食べ物を口にせず、一種の栄養失調症だった。収入がなく、日雇い労働者が借りるアパートの家賃一万五千円も滞るほど窮乏していたのは確か。でも、栄養失調症はそのせいだけではないらしい、と大東誠は言う。
 入院して点滴治療などを受けて回復し、退院した。それからは大東誠が、健康を保つ食費と家賃くらいの金は融通することにした。その一方で生活保護を受給するための手続きをすすめた。ところが、退院から一か月ほど経つと、シンソンハはふたたび同じ症状で入院。大東誠は入院先の医師に、栄養失調とは別の原因もあるのではないかと質したが、肝臓と心臓に不安はあるが、それは二次的なものだという返事だった。
 最低限、必要な食費は渡していた、シンさんは自分の意思で食べることを拒否してたのではないだろうか・・・・・・大東誠はすこし険しい声で言う。私にはそれが、シンさんは自分の意思で生きることを拒否しようとしたのではないだろうか、というふうにも聞こえる。
 結局、シンソンハは入退院を四度くりかえし、死の時も入院中だった。
 三日まえに大東誠が病院を訪ねたとき、シンソンハは衰弱はしていたがベッドの上に起きなおり、タバコを吸いたい、と言った。そして、けさのまだ暗いうちに病院から、午前二時十五分に亡くなった、と連絡がはいった。二日まえに生活保護の受給が決まったばかりだ。
 シンさんは現場からトンコするのも上手だったが、仕事中の一服も名人だった。三日まえに病院で、タバコを吸いたいと言ったのは、最後の一服のつもりだったのかなぁ、と大東誠は言う。
 シンソンハは行路病死者ということになった。寄せ場労働者の組合で血縁の者を探そうとしたが、手がかりがない。シンソンハの出身が広島県と知れていたが、彼はすでに四十数年前にそこを出奔して一度ももどっていない。遺骨は組合で引き取ることにして、葬儀は彼が在住する区役所に挙げさせようということになった。シンソンハが住民登録をしていないというので、区の福祉課は最初、難色を示した。大東誠たちは強硬に交渉して認めさせた。
 そうして区役所が二日間の借用料だけを出して設定されたのが、本館で葬儀が行われる折の遺族の宿泊施設か従業員宿舎かの、この和室だという。明日の告別式では、寄せ場労働者の支援をしている真宗大谷派の僧侶が読経する。
 私が大東誠から説明を聞いているあいだ、参会者たちは盛んに話し合っている。
 十数人の輪はほぼ三つに分かれている。当該の労働者、キリスト教の宣教師や医療班など野宿者支援の人、寄せ場と関係のふかいテント芝居の劇団員である。それらの人が醸し出す雰囲気は、通夜の席というよりも開けっぴろげな寄り合いの場のようだ。あれこれの話題のあいだにシンソンハを偲ぶ言葉が紛れこむというふうである。酒は出ていない。アルコール依存症で入退院をくりかえす労働者があとを絶たず、組合事務所での飲酒は禁じられているので、それに倣っているのだろう。
「西畑さんがいないな」
 私との交友の期間をふくめてシンソンハとながく一緒に暮らしていた西畑正子の姿が見えないのに気づき、訊ねる。大東誠はちょっと苦笑し、口ごもる。
 劇団員の輪の中心にいたばばちゃんが隣にやってきた。ばばちゃんはテント劇団「風の使者」の座長だ。大友龍四郎という立派な役者名があるが、なぜか「ばばちゃん」と呼ばれている。「風の使者」の役者は、男はほとんどが寄せ場で働き、女は水商売のアルバイトをしている人が多い。働いて資金がたまると、公演の旅に出る。日本列島兇状旅と銘打って、北は北海道の二風谷、南は沖縄の西表島まで、一年ほど掛けて旅興行をする。私が素人まかせに書いた芝居をずたずたに脚色して、これは旅興行の合間に幕間公演と銘打って小さな劇場で上演したこともある。それ以来、ばばちゃんはなぜか私を先生と呼ぶ。
 私が部屋の顔ぶれを見まわしたのに目ざとく気づき、その理由を察したらしい。ばばちゃんは無沙汰の挨拶もそこそこに、西畑正子が不在の理由を明かした。
 シンソンハが名古屋から出奔したのは、ある劇団の女優を追ってだったという。その劇団「星の使者」は名古屋の寄せ場ではなく、東京・山谷を拠点にしている。やはりテント芝居の劇団で、「風の使者」とは兄弟あるいは姉妹の関係にあって、私も知っている。さくらという女優は名前も顔も思い出せない。
 さくらとシンソンハは同居を始めると、山谷周辺だけでなくやがては埼玉あたりまで住まいを転転とした。西畑正子が尋常でない情熱と執念で二人の所在を探し訪ねたからだ。やがて西畑正子が探索をあきらめた頃には、寄せ場の仲間たちにも二人の消息をつかむ手がかりは失われていた。したがって、シンソンハが二年まえに名古屋にもどるまでさくらと一緒だったかどうかはわからない。さくらに去られて、名古屋にもどったのかもしれないな、頼る人が必要な男だから・・・・・・余計なことを私は思う。
「だから、西畑さんは来ませんよ。来れば愁嘆場になる。芝居じゃないんだから、それは困る」
 一通りの説明を終えて、ばばちゃんが笑いもせずに言うと、大東誠が引きとった。
「さくらは来るかもしれない。連絡取れたから」
「西畑さんの居所はわかっているの?」
「名古屋にいるらしい。調べれば、簡単にわかる」
 大東誠が答えるのを、ばばちゃんがすかさず引きとる、
「連絡できませんよ。シンさんが二年も前に名古屋にもどってたこと知らせなかったのがわかったら、えらいことになる。それでなくても、大東さんの藁人形を作って日毎、五寸釘をぶっ刺しているという噂だから。西畑さんは、大東がシンさんの出奔を止めなかったって、怨んでる」
 それにしても、あれだけシンソンハに尽くした西畑正子に連絡しないのは酷だと思ったが、私の出る幕ではない。
「おおひがしまことの藁人形と五寸釘。劇団風の使者の舞台だな」
 言って、私は笑った。大東誠が苦笑し、ばばちゃんと楡(にれ)ちゃんとトンコマンが、遠慮なく笑い声を上げた。
 三人が喋りあっているあいだに楡ちゃんとトンコマンが加わって、五人の車座ができていた。楡ちゃんはちょっと過激なところのある活動家タイプだが、プロテスタントの宣教師。宣教師らしい形(なり)をしているところは見たことがなく、真冬でも下着のうえによれよれの薄地のジャンパーを着て、いつも素足に西洋の宗教画の人物にみられるような草臥れたサンダルを履いている。三十年近く、ホームレス生活者の支援をしている。トンコマンは年季のはいった生粋の寄せ場労働者。本名は知らないが、スーパー・トンコマンをつづめてトンコマンとだけ呼ばれることが多い。由来は言うまでもなく、けつわりのスーパー名人だからである。逃走するのは仕事の現場からだけではない、警察や暴力手配師から逃げるのも一級品らしい。
 車座の四人、年齢はよく知らないが、六十五歳の私より皆、若い。とはいっても、ばばちゃんとトンコマンが四十代後半、大東誠と楡ちゃんは六十歳に近いか。話しはじめると年齢不詳になって、コンビニエンスストアーの前にたむろしている若者の雰囲気になる。
「シンさんの借金上手には参った」
 トンコマンが言う。
「へー、トンコマンも金、貸してたのか」
 大東誠の口ぶりはあきらかに疑っている。片方の手の親指の腹でもう一方の手の指のあいだの付け根を順順に押して、それを左右の手交互に繰り返すのが大東誠の癖だ。頭のなかの考えを一つ一つ数える仕種に見えなくもない。
「仲間のなかで貸してないのがいたら教えてほしいよ」
 トンコマンが口を尖らせると、楡さんが茶茶を入れる、
「さすがのスーパー・トンコマンも、シンさんの借金からはトンコできなかったわけだ」
「いくら貸してたんだ」
 大東誠が意地悪く訊ね、トンコマンは口を濁した。
「トンコといえば、シンさんもなかなかトンコの名手だった」
 ばばちゃんがそう前置きして、言葉の随所に苦笑をまぶしながら、ある出来事を披露した。寄せ場であぶれた労働者を賭場に誘っている地場やくざを見つけて、シンソンハとばばちゃんが抗議した。シンソンハの啖呵はなかなか様になっていた。ところが二人はたちまち数人の若い衆に取り巻かれた。ばばちゃんはど突かれて鼻血を出し、口の中を切り、股間に蹴りを入れられて地面に蹲まってしまった。気がついたときにはシンソンハの姿はない。てっきり組の者に拉致されたと思い、股間の痛みを堪え堪え組合事務所に知らせる途中、シンソンハが笑みを浮かべて現われた。「ばばちゃん、その格好、どうした?」と、彼はすました顔で聞いた。
「黒皇会鬼町一家との抗争の時も、シンさんのトンコは絶妙だった」
 大東誠が山谷での暴力団との闘争のことを言う。楡ちゃんがそれを引きとる、
「図体もでっかいし、こわもての面貌だったけど、案外、蚤の心臓だった」
 ほかの者にもそれぞれに類似の経験がよみがえって、車座は笑いになった。部屋のなかのほかの輪もそうだが、使者を弔うという雰囲気はない。不謹慎というのでもない。穴のあいた風船に徒に空気を入れあっこしているような、奇妙な感じだ。「祭壇」からシンソンハのひげに覆われた仏頂面が、それを見ている。
 ちょっと座が白んだ。
 西畑正子にこだわって、私は言う、
「二人の関係は、すごい起伏だった。まるで世界じゅうの幸せを二人占めしてるみたいなときもあれば、死ぬの死なないのという修羅場もあったらしい。シンさんはアパートを追い出されると、金がないから、やたら人を青カンに誘った。おれも二度ほどシンさんに誘われて野宿したことがある。二、三日後に会うと、もう西畑さんと腕を組んで歩いてた」
「変わり身の早さにはみんな振り回された。特に鬱のときは泣かされた。一週間でも部屋に閉じこもったきり」
 楡ちゃんが言うと、ばばちゃんが妙に真面目な表情を作って言う、
「鬱のとき一番辛かったのは、シンさん本人だったのじゃないの」
「指紋押捺拒否闘争のとき、シンさんは輝いてた。人生最大の躁の時だった。労働者としても、活動家としても、輝いてた」
 大東誠が言った。
「シンソンハは詩人だった」
 私は言った。
 話は止めどなくつづくようだったが、明日の告別式にもまた来るので、私は帰ることにした。
 一月の冷たい風が吹く夜の街に出て歩きだすと、背中に呼ぶ声がする。振り向くと、大東誠とトンコマンだ。酒のない席はどうも苦手だ、近くのトンちゃんの店で少し飲もう、と言う。私は一も二もなく賛成し、三人は肩を並べて名古屋駅西の方向へ歩いた。


 一九八五年四月、日本列島を吹き渡る風は淡い炎の色をにじませて、鋭利に光っていた。若い在日コリアンたちの叫び声が風を赤く染めていたのだ。その風のなかで、私はシンソンハと出会った。
 寄せ場で働く在日二世の仲間が指紋押捺を拒否した、と連絡してきたのは十年来の友人大東誠だった。ある在日韓国人男性が、外国人登録法が義務付けている指紋押捺を拒否したのは五年前の一九八〇年。たった一人の叛乱は燎原の火のように広がり、私の身近にも三年まえに拒否して一年後に起訴され、すでに法廷で争っている青年がいた。私がその裁判支援にかかわっていたので、大東誠はいわば「経験者」として私に協力を要請してきたわけである。
 外国人登録証の切替申請に行ったシンソンハが区役所の窓口で指紋押捺を拒否したその日の夕方、私はオケラ公園へ急いだ。オケラ公園では寄せ場労働者の組合ササニチローが毎年暮れから正月にかけてテントを張り、野宿労働者のために炊き出しをしたり、「風の使者」の野外芝居をしたり、演説をしたり、越冬闘争をする。いわば本拠地である。
 公園には、さまざまな服装(とはいっても寄せ場労働者特有の雰囲気)の男たちが三、四十人集まって、春の公園をどこか灰色っぽくしている。一人だけいる女性の姿が不自然に目立つ。
「シンソンハさんです」
 大東誠が紹介した背丈の高い四十恰好の男は、ひげ面のなかのぐりっとした眼を柔らかくして、手を差し出した。握手する手はがっしりと大きく、固かった。
 シンソンハの大きな体の陰に隠れるようにして彼と同年くらいの女性が、よろしく、といった目顔で頭を下げる。色白のやわらかそうな肌のひとだが、眼の表情に神経過敏な感じがある。その女性が西畑正子だった。
 大東誠がハンドマイクを手に区役所での指紋押捺拒否の様子を報告し、シンソンハにマイクをゆずった。シンソンハは二言三言、小さな声で挨拶すると、ポケットから折り畳んだ一枚の紙片を取り出し、響きわたる声で読みはじめた。
 私の手もとに残された、四隅に印刷の汚れのあるB四判一枚のコピー「人間性復活宣言」がそれである。

  人間性復活宣言
一、この世に生を享けて四十年。人間と生まれて、祖先を恨み親を憎んだ少年時代。小学校に入学した時から既にして謂れなき偏見と差別に因って、同級生や上級生にいじめられ、にんにく、チャンコロ、チョウセン野郎、チョウセン帰れ等等と差別され、担任の教師にさえ殴られたことも幾度かあった。
 今はただ民族の誇りと、父母の恩愛に報いる為にも敢えて茲に一人の人間として指紋押捺を、小生、生きて在る限りに於いて永遠に拒否する事を宣言するものです。
 世界と謂えども、地球と謂えども、同じく人間が生を営む大地であります。
二、「国破れて山河あり 城春にして草木深し」中国の詩にも有る如く、父母兄弟が嘗てどんな思いで春秋を送り、痛哭涙し、慟哭したことであろうか。
 日本国は、朝鮮の大地を蹂躙し、言葉・氏名を奪い、多くの同胞を強制連行して、異郷に棄民し、今尚、私達朝鮮韓国人を抑圧、差別していることか!
 しかも、日本国(人)は、この悪業に恥じることもなく、在日朝鮮人に耐え難い屈辱を強いる指紋押捺と外登証の常時携帯を強要している。
三、日本帝国主義による朝鮮植民地支配の三十六年、私の先達達に無情無慈悲の皇民化政策を断行し、幾多の青春を抹殺してきたことだろうか。
 此の国に生まれ、此の国に育ち、此の国で学ぶ私達二世三世も、此の国で殺されて逝った全ての学生、労働者の残念無念を思う時、私、申星河は今、一人の日雇い労働者として人間性復活宣言を発表し、より新しく生まれ変わることを父祖三千年の霊前に誓うものであります。
四、希わくば、心ある学生、労働者、市民の理解を得て、稀代の悪法外登法の抜本的改正、なかんずく指紋押捺強制制度が明日にも廃止されるように、共に闘うことを訴えます。
 今日、一九八五年四月十八日を期して私は、自ら一切の差別と抑圧の桎梏から解放される為に起ち上がり、全ての人間は生まれ乍らに平等であることを叫び、全ての被抑圧人民、被差別大衆と共に闘って行くことを宣言するものであります。
 一九八五年四月一八日
         在日朝鮮人日雇い労働者・申星河

 シンソンハのたたかいを支えるために「たかが指紋されど指紋 炎の旅団」が結成された。寄せ場労働者の組合ササニチローが中心にあって、支援の人たちの輪がそれを囲む恰好の組織である。組織といっても規約らしいものがあるわけではない。命名にふさわしく、寄せ場から非暴力の抵抗に決起したシンソンハと共にたたかおう、という元気な合言葉があるだけだ。代表者もいない。本来なら組合ササニチローのボスがそれに当たるはずなのだが、表立つことを嫌う大東誠は私をうまく使うつもりらしい。
「たかが指紋 されど指紋 炎の旅団」は活動を始めた。
 まだ陽の昇らない早朝、仕事を求めて寄せ場に集まった五百人の労働者に外国人登録法の実態を訴える。陽が中空に昇る頃、仕事にあぶれた労働者を集って区役所を攻める。指紋制度の不条理を糾し、押捺を拒否したシンソンハを警察に告発するな、と迫る。警察に逮捕させないためである。区役所の担当課長は、告発はしません、と約束するが勿論、それが逮捕を免れる保証にはならない。夕方には、どこそこで何かの集会があると聞けば駆けつけて、例の合言葉「寄せ場から非暴力の抵抗に決起した・・・・・・」を枕詞に訴える。
「炎の旅団」はおおよそそんな活動をくりかえしたのだが、難問が一つあった。肝腎のシンソンハ本人が、しばしば姿を表わさなかったのだ。鬱の症状に見舞われてアパートの部屋に閉じこもったためだろうか。そうではない。人間性復活宣言を発して以来、彼はむしろ躁の状態にあった。籠から放たれた鳥のように飛んでいたのだ。
 私の手もとに四通の葉書が残されている。四通目のそれが筆ペンで書かれている以外は黒のボールペンを使って、いずれも刻み込むような筆跡でびっしりと書かれている。特に最初に来たそれは表の面をも三分の二ほど文字が占め、宛先の住所と名前を窮屈にしている。すべて横書きである。

  〈最初の葉書〉
 前略。中途半端な紅葉が街かどに舞い散る東京は山谷に来ています。先日は炎の旅団の行動に出席しなかった無礼をどうか許して下さい。先ず自己批判をします。大兄のお蔭で小生も、人間らしく再生する事が出来そうです。今日は韓君の裁判でしたが、出席出来なくて残念です。韓君は元気でしょうか? 出来るだけ新しい人々にも拒否宣言を出して貰い、明日に向けて再構築す可きかと思います。それにつけて、支援者、貴下、或いは各拒否者の書簡文集的な物を出したらどうでしょうか、『炎の旅団』7号はもう出るのですか。
 山谷に来ると時間的制約が多くて行き度い処に行けないのですが、炎の旅団のこと、私の拒否理由等を地道に説いているところです。小生のパンフも20部以上販売しました。韓国では昨日、また民主化闘争の学生が戦警によって殺されました。若者の犠牲の上に我が祖国も徐々に解放統一に向かっていることは確かですね。
 ヤマのヤクザ鬼町一家との戦いも浅警マンモス権力との二重対峙状況にあり、犬の暴力の方がもっと怖く、機動隊との攻防の毎日で、ここに来た翌くる日も労働者が一人、マル機に踏んだり蹴ったり殴られ放題の乱暴狼藉の上にパクラレました。小生も不当にもデッチ上げられ逮捕されるかも知れません。しかし日雇いの置かれている現状を見る時に我々の戦いを放棄することは更なる弾圧と桎梏が強化される、そして野垂れ死に攻撃と使い捨て、切り捨ての強化になるでしょう。抑々、近代日雇い労働者のルーツは1920~30年代の中国人苦力、朝鮮人徴用・強制労働等に起因し、アイヌ民族や部落民、琉球人等も最底辺で酷使されて来たのですね。
 それは扨て、名古屋も晩秋のエレジィ的な今時分の季節(とき)が一番佳いとは思いませんか。我が妹西畑正子も気が強くて、なかなか人の言うことをきかない処があります。小生も彼女も家なき子として長い孤独の果に凹凸が伴侶になった訳で、どうかひねくれ者同士の正子と星河を行末長くご指導下さり、今后共、兄弟同様の御付合を希えれば幸福です。今、日本の民衆は砂漠の中に居るのでしょうか? 書き度い言の葉のひとかけらも書けませんが、追々、寒くなります、風邪など引かないように。どうか寄せ場の労働者共々永き縁を御願い致します。 匆々
 一九八五年十一月十六日
      山谷争議団にてボクサーと共に、申星河
 
 あて先の私の姓名には大仰に「大兄様」と付されている。文末にある「ボクサー」は名古屋の寄せ場で働く若い労働者で、ボクシングジムに通っているのでそのニックネームが付いている。

  〈二通目の葉書〉
 拝啓 アンニョンハシムニカ。オレガンマニムニダ。上京以来、様々な遭遇と邂逅が有り、劇団・星の使者の横浜寿、東京八幡山公演を見届けて候。人生、一生修業なり。大兄のお蔭を頂き、不条理日本国の入管法とか外登法とかが如何に許し難い法律であるか、頭からバイスケに一〇杯の砂礫を喰らった如く目覚めて候。
 八幡山にて星の使者の聖四郎氏、高本氏、権ちゃん、道下君その他何年振りかの友人知人に再会して愉し。東京の都心にて四~五日前に大雪が降りましたが、時は越冬越年。どうか名古屋の兄弟姉妹に於かれては夢夢、風邪等引かれることなきやう。空一つ大地一つ人間の世も亦一つ 人生真直ぐ一生一度、生きる斗いです。親分なし子分なし天涯一人、幾久しく御付合い下さいますことを。 匆々
 一九八五年十二月十日
    ヤクザ鬼町に殴られた腕が痛いです、申星河

  〈三通目の葉書〉
 前略 上京中の車中より文差し出し候事、どうか宜しく叱責の程を。本日は冬至の日でしたそうで、遠い昔を昨日の如く思い出します。母存命中はいつも小豆粥とか餅とか多くの御馳走を前に母と二人の時も法事(チェサ)と同じ礼拝をしたことが夢のようです。母が私を生んだ年齢と同じく四十三才も残日僅かばかりの時節ですね。放浪の果てに求真したものは自からの愚かさと空虚、メーテルリンク青い鳥は何処にもなく、安住の地はなかった。
 海守兄貴に知遇を得てこれから少しは人間らしき生き方が出来れば幸甚です。明日は越冬82・1・4斗争でパクられた同志三名の最終判決日です。彼らの行なった行動は正当であり、天地神明に誓って潔白自明の理であります。ジングルBellの流れる巷、何と一年の過ぎ行くSpeedのQuick! 斗いはこれからです。どうか共にあらゆる差別、不条理と斗い、真のアジアの平和の叶い来たる日を望みを以って恒常的に前進しましょう。特に年末年始は何かと忙しく飲食のChanceも多いことです。呉々も健康に留意されて、今後もご指導と鞭撻の程を。草々
 一九八五年十二月二十三日
     JR銀河車中より大垣号を経て東上中
                申星河生徒より

 三通目の葉書では私の姓名にいっそう大仰に「先生貴下」と付されている。「貴下」は朝鮮では一般に「様」に当たる呼称として個人に付される。文中に「海守」とあるのは私の姓である。
「上京中」とあるのは、二通目の葉書のあと一旦、名古屋に戻り、ふたたび山谷へ向かったのだろう。

  〈四通目の葉書〉
 拝啓 一九八六年はより厳しき年のOPENと思います。兄さん何うですか? 月日は徒に重ねるのみ、年は寄り青春はセピア色から白く消えてゆくうたかたの泡、目出度くもなく嬉しくもなし。餅を喰らい杯を重ねるも亦、夢枕でせうか。只、外登法廃絶に尽力し、斗い、例へ傷ついても尚、二十一世紀の人類に嘲笑われることなき様、本年こそ斗争元年、拙い私奴を呉々も指導鞭撻の程、大東誠共々伏して宜しく希います。TOKYO-山谷にて
匆々
 一九八六年一月二十日
  早朝にカラス一羽が泪橋イノムチョノム
  と騒ぐ残月空に 申星河

 四通の葉書は、シンソンハと私が出会ってのち九か月の頃に集中している。文面は彼独特の事大がかったものだが、人間性復活宣言以後の内面の昂揚がよくわかる。寄せ場労働者あるいは在日朝鮮人として、たたかうことへの憧れに似た決意。そこにはたぶんに気負いと自己陶酔が紛れこんでいただろう。それでも十数年ぶりに四通の葉書を読み返して、あらためて気づく。シンソンハがあの時期、彼のルーツをめぐる精神の放浪に何らかの決着を着けようとしていたことを。
 四通目の葉書にある「イノムチョノム」は、彼の国の言葉で「あいつこいつ」というほどの意味で、母国語を話せないシンソンハはあの時期、なけなしの朝鮮語を努めて使おうとしていた。

「たかが指紋されど指紋 炎の旅団」は自治体との交渉、集会の開催、パンフレットの発行などの活動を続けた。その過程で私は、シンソンハの来歴を知ることになる。直接、彼の口から聞き知った話と、のちに裁判で読まれた被告人意見陳述の内容とを併せてたどると、シンソンハの生には漂泊の感がつきまとう。四百字詰め原稿用紙九十枚ほどの意見陳述書はB四判のパンフレットにまとめられて残っている。濃いピンク色の表紙には「我が魂の叫びから ふたたび恨(ハン)を継承して」と題名が付されている。文中の人名、地名その他には片仮名でふんだんに朝鮮語ルビがふられている。
 在日二世シンソンハが生まれたのは、日本の敗戦一年前の一九四四年八月十七日、兵庫県宝塚市の生(なま)瀬(ぜ)というところの飯場。
 父は一九三五年頃、生まれ故郷の慶尚北道に妻と一人の娘を置いたま玄海灘を渡ってきた。軍港拡張開削工事やダム・トンネル工事、河川林道工事の飯場で働きながら五十四歳で亡くなるが、シンソンハは父が民族運動をしていたことを幼な心にも憶えているという。
 母と娘(シンソンハの姉)が着の身着のままで日本に辿りついたのは、父の渡日から三年後。母は日本語が解らないまま、父が働く飯場でシンソンハの兄と彼を生む。
 シンソンハは意見陳述のなかで母のこと、父の死にもふれながら、多くのスペースを割いて生い立ちを語っている。

  申星河の意見陳述(抄)
 私が物心ついた頃、オモニ(母)は金属回収業、所謂スクラップ屋を細々と始めたばかりでした。オモニは日本の生活に馴染めないうえに、喘息持ちで健康に不安を引きづっていました。それでも貧しさを凌いで私と兄を高校に入るまで育ててくれたことに感謝しています。
 アボジ(父)は解放後の祖国へ帰る機会を逸して、失意の日々を苦悶しながら暮らしていました。しかし、近郷近在の日本人とも率直に交際して、私たち一家は貧しいながらも春秋それぞれの愉しい思い出があったような気がします。
 異郷で苦労を共にしたヌナ(姉)は、飯場で会計をしていた男性と結婚し、一九四五年八月十五日に日本敗戦から二年後、解放された祖国、大韓民国(テハンミングク)へ帰ったそうです。私が小学校三、四年生の頃、手紙が来ました。夫、二人の子供と一緒に写った写真が一枚入っていて、農村を背景にした非常に美しいスナップで、幸せそうな姿が強く印象に残っています。
 私が民族差別を知ったのは小学校に入ってからです。上級生や同級生から教室で、にんにく臭いなぁ、おまえは朝鮮人じゃ、と言われたり、学校の行き帰りにも、チョーセン朝鮮へ帰れ、にんにくトンガラシくさいからカライ、と囃し立てられ、惨めな暗い気分になったものです。私は家に帰ると両親からソンハという本名で呼ばれましたし、家ではヒョンニム(兄)も小さい時から自然に朝鮮語(チョソンマル)で日常会話をしていました。幼い頃から友達も村の人々も私のことをソンとかソンちゃんとか愛称で呼んでいました。そう呼ばれることに少しも違和感はなく、腹が立つということもありませんでした。
 朝鮮戦争(ユギオ)が勃発した時、私は六歳でした。同族相食む戦争の金へん景気の当時、我が家は哀しいことに、同胞の命を奪う銃弾に変わるかもしれない金属の回収、スクラップ屋をしていました。アボジはそのことを思う心労と、夜昼なく働く身体の疲労、そして国へは帰るに帰れないジレンマの中で困憊していたのでしょう。私が中学一年になった春に胃癌で倒れたのです。
 オモニは、あれが効く、これが良いと聞けば様々な薬を買ってきては、摺ったり煎じたりしてアボジに飲ませたのでした。しかし病状は悪化するばかりで、遂に手術を受けることになったのです。そのとき、オモニと私とアボジのトンム(友人)が四時間に及ぶ開腹手術に立ち合ったのですが、既に末期症状で手遅れの状態でした。発病以来二年余、痛い痛いと苦しみ続けて腹膜炎を併発し、一九六〇年の九月に永眠したのです。韓国にいる娘や娘婿、孫(ソンジャ)たちの顔を二度と見ることなく、自らも生きてふたたび故郷の土を踏むこともありませんでした。
 オモニと私はどう生きて行けばよいか、有り余る悲しみで暗澹とした気分でした。オモニは食事もろくすっぽ取らずに、一週間以上もアイゴー、アイゴーと慟哭するばかりでした。将来への見通しは真っ暗闇で、私は躁鬱症を発症し、学校(ハッキョ)の授業を受けていても不安で、無常感と死の誘惑に襲われ、拙い遺書を書いて自殺を図ったりもしました。中学三年の八月の夜、運搬用の自転車と百キロ近い荷物もろとも約十メートルの崖下に転落して六ヶ月の重傷を負う事故を起こしました。
 それでも義務教育だけは卒業して広島市のある私立高校を受験したのですが、ものの見事に失敗して、次の公立高校を受験する予定は放棄してしまったのです。心身ともに疲労困憊した一人の少年は、体の弱いオモニと二人でボロ買い、金属廃品回収に明け暮れながら捲土重来、雪辱を期して、少しずつ受験勉強を始めました。私は文学が好きでしたから、日本の古典文学から外国の名作を片っ端から読書して、自らも詩歌作文の類を創ったりしてもいました。
 明くる春、広島県立加計高校に合格、少し希望が沸いてきたものです。十六キロ離れた学校に毎日通学できた喜びを今も忘れられません。
 学校から帰ると、スクラップの整理を手伝いました。新聞紙や襤褸切れの山であったり、何百枚ものセメント袋だったり、麻袋にどっしりと重く詰め込んだ鉄屑や鍋釜です。その頃はオモニも立派に日本語が話せるようになり、姐さん被りにモンペと前掛け、地下足袋姿で、あっちの部落からこっちの村へと回って商売をしていました。四貫目と二十貫目の竿秤と錘分銅を二種類持って、都会ではゴミにして捨てるものまでも正直に計って買うのです。
 私はといえば、一年送れて待望の高校生になったのですが、いつしか不良グループと交わり、母に金をせびってはタバコを買い、無頼派気取りで長髪、高下駄、肩にナップザックという恰好で通学し、二年生の時、遂に二週間の停学処分を受けてしまいました。一層気持が荒れて、オモニに逆恨みの暴力も振るいました。隣り部落の亡きアボジの友人の家へ何度も逃げ込むほどに、オモニを苦しめたのです。
 ある日の蝉時雨の激しい午後、一台の乗用車が家の前に止まりました。白衣を着た二人の屈強な看護人に抑えられて睡眠薬か何か入った麻酔注射を腕に打たれ、気がついたら鉄格子の嵌まった精神病院のオリの中でした。放縦な生活が改まることなく、遂に県知事承認の措置入院者となったのです。
 精神病院はまったく辛い所でした。分厚い鉄の二重扉に外から鍵を掛けられ、窓という窓には大人の太い親指ほどもある鉄格子が嵌められ、その中での暮らし。食事前にお茶と一緒に無理矢理飲まされる薬。少しでも暴れると両手両足を縛られ、パンツ一枚にされて、電パチと恐れられている電気ショック療法の繰り返し。文句を言ったり楯突けば、昼なお薄暗い保護室に入れられます。保護室は刑務所の独房とそっくりな構造で、小さなのぞき穴、食器の出し入れが辛うじて出来る開口部、トイレも中に剥きだしの穴が一つあるだけです。最低一週間の懲罰措置としてそこに入れられるのです。
 言うことを聞かなかったり反抗する者には看護人が柔道技で暴力療法。それが終わると喋ることさえ出来なくなる注射を打たれ、唯生きているだけの腑抜けた魂の抜殻のような患者が作られるのです。一九六〇年代の当時、日本の精神科病院はまともな人間を長いあいだ幽閉させて廃人にしていく、というのが当たり前だったようです。また作業療法と称して病室や廊下、トイレの掃除、はては炊事洗濯まで只働きさせるのが実態でした。私の入院した病院が患者への人権侵害と脱税で摘発され、新聞に大きく報道されたことがあります。作業療法という名目で患者に裏山を削り取る重労働をさせ、新しい病棟の建設のために土木労働を強制したうえに、多額の架空賃金を計上したのです。
 十日に一回くらい、オモニが着換えの他に菓子やら果物やら餅やら鶏の丸焼きまで拵えて持ってきてくれるのですが、面会室で私の両手を握り締め、ただアイゴー、アイゴーと哭くばかりでした。
 ある時、女子病棟で首吊り自殺者が出たそうで、患者が二、三人集まれば脱走する相談でした。十一月下旬のある日、院内の研修会で医者、看護人、看護婦が一堂に会するので、一時間ほど監視の目がゆるんだ。三年と五年くらい入退院を繰り返していた先輩患者二人が、チャンス到来と私の部屋に知らせに来て、逃走の手はずは整っているから、おまえ逃げろと言うのです。一年に一度あるかないかの絶好の機会だと言うのです。おまえはまだ若い、こんな所にいたら本当の病気になり、廃人になってしまう、と半ば強制的に勧められ、逃走経路の地図まで用意して脱走の手順まで教えてくれたのです。木枯らしの前触れのような風の吹くなか、ひたすら畑を、田んぼを、川に架かる橋を駆け、夜中にヒロシマに着きました。中学校の同級生の家に行き、千円の金を借りました。家に帰れば再び病院に戻されることは火を見るより明らかであり、そのまま広島駅より大阪行きの夜行列車に乗ったのです。
 心残りはオモニのこと。オモニのことを思うと申し訳ない気持で一杯です。一睡も出来ないまま梅田の駅に降り立つと、冷たい横殴りの風がぴゅーぴゅーと吹きつけていました。
 大阪では釜が崎に行けば仕事があると、子供のころ同胞の話に聞いていたのを思い出し、一番電車に乗って霞町、いまの新今宮で降りました。二、三日現金仕事に行き、当座の生活費を整えてから、二ヶ月契約で生駒山の麓の土方飯場に入りました。淀川の水を工業用水として堺市に送る、大阪土木の下請け仕事です。一心不乱に働いてあっという間に三ヶ月が過ぎた頃、広島に帰ったのでした。
 早速、オモニと二人、病院に入院時の蒲団、衣類、日用品を取りに行き、院長から「寛解」と大きなゴム印を押してもらい、正式に退院となりました。アボジが生前、学校より人生の大学が有意義だと言っていたのを思い出して、親孝行の真似事をしようと一念発起、オモニと一緒によろず廃品回収の仕事をしました。ところが、このまま一生を終わるなんてまったく情けない気がしてきて、大阪へ行こうと、来る日も来る日もオモニを説得しました。
 ようやく念願が叶ったのは一九六四年二月の初め、二十歳前のことでした。手紙で応募した歯科器材商会に採用されたのです。その店も丁稚奉公的な待遇で、朝は五時に起こされ、問屋から仕入れた器材を自転車に積んで歯医者に納入して回り、そこで注文も取って夕食頃に帰り、夜は伝票の整理です。さらに社長の三男坊の宿題、勉強を見てやり、炬燵もない寒い屋根裏部屋で寝るのです。給料は月五千円位。早く一人前になってオモニを大阪に呼び長年の苦労に報いたい一心で、少ない給料の中から月々欠かさず送金しました。大阪市内だけでなく富田林市から堺市まで毎日十時間も真っ黒になって自転車で配達して回るのですが、食べ盛りの若さです。腹が減って腹が減って、ジュースやコーラの壜を拾っては金に換え、コッペパンを齧ったことも度々でした。
 五ヶ月くらい働いた頃です。履歴書に日本名で応募していたのが発覚してしまったのです。店の三人の息子にはからかわれたり、同僚からはおまえ朝鮮人やてなぁと言われる回数が多くなります。白い目で見られているような気拙く息苦しい雰囲気が募り、とうとう喧嘩同然に店を飛び出してしまいました。以後、二十年間の放浪的な職業遍歴が始まるのです。
 当時は日本社会における民族差別とか偏見について深く考えることもなく、若さにまかせて何処に行っても働けば生活出来るという意識が強くありました。いま思えば、もっと早く民族的に目覚めていればおのずから生き方も違っていただろうと後悔もあります。
 アボジが亡くなって前途に希望を失い無常観に襲われたこと、高校時代の荒れた日々、精神病院に入れられるような行動を取ってしまったこと、それら一つ一つには、当時はそれと意識はしませんでしたが、日本社会の朝鮮人に対する差別や抑圧への恐れ、不安、絶望が影響していたと思います。このような心理的重荷は、日本人の皆さんには見えにくいかもしれませんが、たとえ露骨な差別を受けなくても、私たち在日朝鮮人二世、三世には深く沈着しているものなのです。
 私の恐れ、不安、絶望はその後、不幸にも幾多の体験によって証明されるのですが、私の成人してから二十余年の歳月は、このような日本社会に生きる心理的、社会的重荷を如何に克服するか、朝鮮人として如何に自分を定立するか、その民族的闘いの道程でありました。
 そして、日雇い労働者として働きながら、いま指紋押捺を拒否し、被告人として法廷に立っている私は、人間として、朝鮮民族の一人として、一つの到達点に立っているのであり、同時にようやく出発の地点に立ち得たと確信しています。

 シンソンハが大阪の歯科器材の店を飛び出して間もなく、母が父と同じ癌を病んで倒れた。彼は九か月のあいだ母を看病して、その死を見とどける。野辺の送り一切を済ませ、家を売り払うと、広島を離れた。一人いた兄のことを彼はなぜか語らなかったが、シンソンハが天涯孤独になったのはそのときである。その後、電気工、歯科技工士見習い、店員、鉄骨鍛冶工、製缶工、トラック運転手助手、沖仲士、土木建設作業員などを転転とする。
 名古屋に来たのは一九八〇年。港の荷役会社で働くが、本工にするという約束を破られたうえ馘首される。その労働争議を寄せ場労働者の組合ササニチローが支援して、二十年余におよぶ関係が始まった。
 さらに数年後、彼はふたたび解雇される。そのときの会社は鋳物工場だった。彼は全身真っ黒になってセキ折工として働き、毎日出来高払いの賃金は満足できるものだった。シンソンハは、それら解雇事件の根にはあきらかに民族差別があったと主張していた。逆に、寄せ場に求人に来る人夫出し業者に同胞が少なくなく、稀には暴力的で劣悪な飯場を経営する者もいた。そんな同胞との労働争議には胸を痛め、彼らもまた日本社会の経済的な差別構造の被害者であって、解放されなくてはならないというのが、彼の持論だった。
 シンソンハは矛盾もかかえながら、たたかいを経験し、朝鮮人であり寄せ場労働者である自分を追い求めていたのだろう。
 西畑正子とはどのように出会ったのだろう。シンソンハ自身の口から聞いたことはないが、名古屋に来て間もなく、私と出会う四、五年前のようだ。噂によれば、解雇撤回闘争か越冬闘争かの集会でシンソンハが自作の長編詩を朗読した、そこに参加していた西畑正子がその詩にすっかり感動した、というのがきっかけらしい。
 当時、シンソンハは飯場仕事にはいるとき以外は定宿もなく大東誠のアパートに居候していた。西畑正子はその彼を強引に彼女のアパートへ引き取った。寄せ場の仲間たちは、シンソンハが西畑正子に「拉致された」と冗談に言い合った。その話を聞いて、ササニチローの事務所へ報告に駆けつけた粗忽者の仲間がいた。シンソンハが暴力手配師に拉致されたものと勘違いしたのらしい。
 私が知ってからの二人は愛憎、複雑にからまりあって一筋縄ではいかないドラマの主人公になっていた。私自身が修羅の現場に立ち会ったというのではない。西畑正子が髪を振り乱し、包丁かなにかを振りまわしてシンソンハを追いかける、などという噂の真偽は知らない。ただ「たかが指紋されど指紋 炎の旅団」の会議や行政との交渉に西畑正子が一人で顔を出すとき、彼女はとても不機嫌だった。時に会議と交渉を混乱させ、彼女自身が混乱した。そんなときは勿論、シンソンハが不意に姿を消して五日も六日も彼女のもとに帰らないときだった。その事実だけは私に断言できる。シンソンハに誘われて野宿を付き合わされたからだ。
 わが妹(シンソンハは西畑正子をそう呼んだ)には、始終、手こずってる。公園のベンチに仰臥して夜空の星を眺めながら、シンソンハは詩でも朗読するふうに来し方の人生や朝鮮民族の想いを語ることが多かったが、そんな話題の合間に西畑正子との暮らしについて挟んだ。
 彼は、ある会社の事務員をしている彼女の収入で食わせてもらっている。彼女はそのことに不満はなく、むしろ彼が仕事に出ること、ことに飯場にはいって何週間も彼女のもとから離れることを嫌った。また彼が異性であれ同性であれ誰かに関心を持つことを、彼女は過剰に嫌悪した。彼の素振りにその気配を感じとった夜、彼女は異常な欲望に憑かれ、けものの声を上げて何度も彼の体を求めた。シンソンハは率直な表現を使ってそれを私に話した。彼女の激越な性のふるまいには逃れたいほどの気持にさせられる、とも彼は言う。私の耳にそれはのろけや猥褻な言辞を弄んでいるとは感じられなかった。シンソンハの黒目の目立つ大きな目、頑丈に角張った顎、顔の三分の一ほどをおおうひげ、その容貌は精力的な印象をあたえたが、彼は性に関して意外と淡白だったのかもしれない。
 西畑正子はどのような経緯でかはわからないが二十年ほど前、十代の後半数年をアメリカで暮らしたという。英語を話せるのはそのせいだろう。クリスチャンでもある。両親はかなり以前に亡くなり、兄弟姉妹はいないらしい。血縁の者はいるようだが、交渉はすっかり絶っている。私がそれらのことを聞いたのは、彼女本人からではなくシンソンハからである。いずれにしても、西畑正子の境遇も天涯孤独に近い。
 西畑正子とシンソンハが共に暮らすことになるきっかけには、シンソンハの自作詩を朗読する姿とその詩があったとしても、互いの孤独が深く介在しているのだろう。愛情、複雑にからまりあった関係にも孤独が深く刻印されており、その関係を破綻から救っているのも孤独にちがいない。
 ところで、私の手もとに赤と黒で二分した装丁の表紙に『炎と壁』と題された百三十頁ほどの雑誌が残されている。そこに二段組み五頁にわたるシンソンハの長い詩が載っている。これが二人を結んだ詩かどうかは私にわからない。

  私たちは決して忘れない
 私たちは憶えている
 あれは遥かな昔、昨日のよう
 あの寒い峠を
 山脈を越えて命からがら
 逃げていった故郷の邑々(むらむら)を
 峠から見下ろせば
 遠くとおく、住み馴れし我が家
 遊び歌ったあの道
 同胞友達の家々 
 机を並べて学んだ学校が
 鉄の砲火を浴び、燃えさかる紅蓮の炎となって
 赤く小さく消えていったことを
 決して忘れはしない

 哭き叫ぶオモニたち、兄弟姉妹たちの慟哭が
 山々の鳥たちに伝承し
 我が祖国、三千里錦江の
 永久永遠に忘れられない
 恨(ハン)の日となったことを・・・・・・
 倭奴(ウェノム)よ
 日帝よ

 私たちは流民棄民にさらされても
 必ずや我が祖国を取り戻すであろう
 堅く誓ったあの日から
 我らは遊撃戦士
 僕らは抵抗者
 幼い子供たちを背中にしっかりと負うて
 凍てつく断崖絶壁の上で左の拳を振り上げ
 天に向かって吼え叫んだアボジの姿を
 私たちは決して忘れはしない
 おお泥棒国家
 日帝大和、イルボン(日本)よ

 小鳥たちはきょうも啼く
 受け継いだあの恨を 無念の檄を
 今も胸に刻んで知らしめてくれ
 翼を大きく広げて
 世界中の仲間たちに
 なぁ鳥よ 鳥よ 鳥たちよ

 我らは山に潜伏(ふ)し
 川に栖み
 野に耕し
 海に泳いでも
 命生きてある限り
 末裔たち、子孫のつづく涯に
 祖父や祖母、父母の
 愛情と勇気と正義の戦死を
 そしてその悲劇をこそ
 北は白頭山から南はハルラ山まで
 河を越え時を千切(契)り
 累々とつづく屍を越えて
 嗚呼、その大地の底から叫ぶ・・・・・・

 ハン(恨)の歴史
 やられつづけ、呪いつづける者の
 あのうたが聞こえないか
 日本とは世界一の泥棒国家と謂う友あり
 この国に誕まれ育ち、教育をされ
 帝国主義皇国史観を強制され
 石ころが大岩になり腐ったコケにおおわれて
 それが国の象徴まほろばになり
 しきしまの瑞穂の大和の国になったなどと
 君が代を教えた軍服の似合う教師どもよ
 覚えているだろうか

 おまえ劣等民族の子よ
 朝鮮人、にんにくの子
 下賎の子よ、トンガラシ野郎
 あざけられ、ののしられ
 何も知らない俺たちだった
 僕の弁当を、靴を、帽子を、衣服を
 嗚呼、肥溜めに投げ込み
 棒で追い、石を投げつけ
 チョーセン帰れと口々にはやし
 追っかけた子供たちよ
 僕はいま思い出す
 割れ割けた頭、血まみれの顔
 薪割り棒の恐怖を
 裸足の踵に突き刺さった
 山砂利の錐の哀しみを

 物心ついた時から廃品回収の家に育ち
 心の芯までひもじくて寒くて飢えていた
 荷物を満載したリヤカーを引き
 自転車を漕ぎ
 鉄屑、古タイヤ、襤褸切れ、紙屑
 買っては売る日々
 生きるとは耐え忍ぶことと
 骨身に沁みて、了解した日々

 アジアの国々、無告の民の犠牲の上に
 屋上屋を重ね、
 無上の享楽と贅を謳歌する国
 宇宙の一惑星地球の片隅日本列島にいま
 あらゆる搾取と強奪、物資と支配が集約され
 誕まれ育つ人の子にとって幸か不幸か
 収容所列島スチールアイランドは
 支配者の論理に取り込まれ
 「愚かな考えを持っているものは
 この国には必要ないので出て行ってほしい」
 大蔵大臣にしてプチファシストの弁

 双刃(もろば)、二重(ふたえ)三重(みえ)の差別と抑圧と虐待と管理の刃
深く静かに、さらに深く静かに浸透し
 かくして我ら八十七万の在日外国人
 外国人登録証明書こと犬の鑑札によって
 締め付けられ、さらに強く締め付けられ
 アパルトヘイト人種隔離政策の
 南アフリカ共和国パス法にも匹敵する
 外国人登録法と出入国管理法
 われらを締め付け
 さらに強く締め付けて 政治囚人化

 げに恐ろしきイルボン(日本)のドンよ
 いつか来た道の戦争体制
 侵略と略奪と殺戮のリハーサル
 嗚呼、我が父祖四千年の
 愉しき伝承をふたたび蹂躙するか
 我ら末裔またしても風前の灯か
 ああ、嗚呼


 シンソンハは愛知県警N警察署に逮捕された。自治体による告発はないままの逮捕だった。
 あれはいつだったか。韓国の作家ファンソギョンが来日中のことだった。
 ファンソギョンは「客地」「韓氏年代記」「張吉山(チャンキルサン)伝」「武器の影」などの小説で知られる反体制民主派作家。その彼が在日コリアンの青年たちを指導して、東京と大阪でマダン劇(民衆劇)を上演した。その途次、名古屋に立ち寄った。小さな講演集会を開くためだった。講演のあと、カトリック教会の施設で作家を囲んで交流会がもたれた。私とシンソンハもそれに出席していた。
 シンソンハが、ソンムル(贈りもの)だといって、韓国から来た作家にシガレットケースを渡したのは、交流の集いが終わりに近い頃。シガレットケースが日頃、シンソンハが常用している古くさいものだったので、贈りものとはまた大仰な、と私は思った。ところが、のちに真相を知って私は赤面し、シンソンハの行為に脱帽することになる。シガレットケースの中には、同胞の作家に謝意を示すための千円札が数枚、きれいに折り畳まれてはいっていた。彼が寄せ場の労働者から募ったカンパだという。
 そんなことがあって数日と経たない日の逮捕だった。シンソンハが区役所の窓口で指紋押捺を拒否してから一年八か月余が経っていた。いま手もとにある黄ばんだ新聞の切り抜きで正確な日付けを確かめると、それは一九八六年十二月二十五日、クリスマスの日である。
「たかが指紋されど指紋 炎の旅団」では、すでに一か月前から緊迫した空気を感じとっていた。前月初旬にはN警察から任意出頭の最初の呼び出し状が届き、これには、本人が胸を怪我して出頭できない状態である、指紋押捺制度には断固、反対である、と添え書きしてN警察署に返送した。二度目の呼び出し状にも同じ対応をした。寄せ場で暴力手配師と揉み合って胸を痛めたのはたしかだが、もちろん出頭できない状態ではない。その頃から「炎の旅団」は緊張した。警察の手入れに備えてササニチロー事務所の押収されそうな物を他に移し、シンソンハが外出するときは必ず仲間二人が付き添う。
 三回目の呼び出し状は無視した。四回目は署員が直接、シンソンハのアパートを訪ね、呼び出し状を手渡そうとしたが、彼は受取りを拒否した。N警察が逮捕令状を取ったのは、その翌日らしい。
 その日の午後、仲間たちが、シンソンハの姿がわずかな隙に事務所から消えているのに気づいたときは、時すでに遅かった。ササニチロー事務所が装甲車と機動警察隊員によって取り囲まれ、シンソンハを探しに行くことができなくなっていた。
 午後三時少し過ぎ、シンソンハは事務所から程遠くない街路を名古屋駅西のロータリーの方向へぶらりぶらりと歩いていた。西畑正子と同居するアパートに向かっていたのではない。ロータリーはアパートとは反対の方向だ。彼は冷たい風の吹く街を何のために一人で歩いていたのだろうか。まさかジングルベルの音に誘われたのではあるまい。のちに詰問すると、風の声を聞きたくなって、と彼は答えたが、私はそういう理由付けを真に受けない。いまだに理由は不明だが、彼に説明不可能な言動が似合っていたのはたしかだ。
 黒っぽい乗用車とパトカーが、街路を歩くシンソンハの背後にゆっくりと近づき、二台のクルマから二人の私服と制服が一人、飛び出した。彼らは大柄なシンソンハを取り囲むようにし、私服の一人が令状を示した。シンソンハは抵抗することなく、路上で逮捕された。往き交う人人がほとんど気づかないほど呆気ないものだったらしい。
「たかが指紋されど指紋 炎の旅団」十五人ほどがN警察署に押しかけたのは、夕暮れてからだった。逮捕の知らせは早くにはいっていたのだが、装甲車と機動隊員による事務所の包囲はつづいていて、押問答と小競り合いを繰り返すばかりで駆けつけることができなかった。
 N警察署の正門と通用門はすでにロックアウトされ、内側を横隊に並ぶ機動隊員が固めている。抗議書を渡すために中に入れろと迫る私たちと機動隊員とのあいだに、門扉を挟んで小競り合いが繰り返されるが、埒は明かない。やむなく釈放を求めてシュプレヒコールを繰り返す。いや、ただこちらの存在をシンソンハに知らせ、励ますために、ハンドマイクで叫びつづけるのだ。
 駆けつけて二時間くらい経ったろうか、通用門からコートも着ない若く肥満の男が出てきた。さりげないふうに私の傍に近づいてきた。
「シンさんは、ここにはいないらしいですよ」
 男は耳打ちするふうに言い、A新聞の記者と告げる。
「確かめてきてあげましょう」
 わたしが問い返すより早く記者が言って、また通用門からはいっていった。
 十分ほどしてもどってきた記者は、私から聞いたとは言わないでくれ、と前置きして、シンソンハは県警本部へ移送されているらしい、と教えてくれた。何のことはない、私たちはほとんどの明かりが消されたN警察署の建物に向かって、そこにはいないシンソンハを励ますために声を張り上げていたわけだ。
「炎の旅団」はワゴン車などに分乗して、N警察署から五キロほどの県警本部へ向かう。そこでも抗議のシュプレヒコールを繰り返し、シンソンハに仲間の意思を伝えようと声を嗄らした。結局、一時間ほどで引き上げたが、後日確かめたところによると、私たちの意思は寒風にむなしく散っていた。シンソンハのいる取調室にも留置場にも、私たちの声は空気の振動ほども届かなかったという。
 翌日ふたたび「炎の旅団」は、車をつらねて県警本部へ押しかけた。寄せ場労働者に支援の者が加わって、旅団は前夜の倍にふくれていたが、県警本部の正門は固く閉ざされ、立哨する警官の姿もない。日曜日だった。
 裏側へ回る。そこの通用門は開いていた。三十人ほどが、雪崩を打ってとはいかず、警戒気味にぞろぞろとそこをはいる。ガラス張りの裏玄関は閉ざされているが、その前に制服を着た年輩の警察官が一人だけ立っている。一団がこちらへ回ってくるのを予測して待ちかまえていたふうだ。デモのとき白い指揮棒を持って規制の指揮をする感じの警察官が制止するのを無視して、ガラス張り玄関ドアーを開こうとするが、施錠されていてびくともしない。
「玄関を開けて、われわれを中に入れろ」
「休日だから開けることは出来ない」
「シンソンハを釈放しろ」
「私にそんな権限はない」
「権限のある者を呼べ」
「権限のある者はいない」
「ならば、おまえが不当逮捕の説明をしろ」
「できない」
「抗議書を受け取れ」
「受け取るわけにいかない」
 押し問答を繰り返すうち、「炎の旅団」はしだいに興奮してくる。相手の胸を小突かんばかりに大声を上げる者がいる。スーパー・トンコマンが唇を尖らせて、いまにも得意の痰唾の鉄砲を吐きかけようと構える。テント劇団「風の使者」のばばちゃんが腰のズックベルトからスパナーを抜いて、玄関の施錠を開けようとガチャガチャやっている。ばばちゃんは上から下まで鳶職のスタイルだ。
 いつの間にか、中庭のむこうの倉庫のような建物の前に十数人の機動隊員が現われている。隊伍を組むというふうではない。ひとかたまりになって、休日勤務の所在なげに、こちらを眺めている。勿論、事が起きれば重たい靴音を響かせて飛んでくるだろう。
「炎の旅団」は、声明文「申星河に対する不当逮捕に抗議する」を読み上げて、県警本部をあとにした。
 事務所にもどって、私たちは驚いた。そこにシンソンハがひとりポツンといてテレビを見ていたのだ。

 シンソンハはその日、名古屋地方検察局に送検され、身柄は同地検から処分保留のまま釈放された。私たちが県警本部裏門の通用玄関で一悶着起こしていた頃には、彼は釈放されて事務所に向かっていたことになる。
 ほぼ二十四時間の拘束からもどったシンソンハは、物思いに耽るふうに寡黙になった。「炎の旅団」の皆は一泊とはいえ取調べと留置場の一夜が精神を疲弊させたのだろうと話し合ったが、シンソンハは私に真相を打ち明けた。
 釈放されて三日ほど経ったある日、めずらしく彼のほうから私を酒に誘った。駅西のホルモン焼きの店で飲みはじめて、しばらく彼はほとんど口を聞かなかった。
 酒がかなりはいったところで、シンソンハは言った、「海(かい)さん、おれは駄目な男だ。完黙もできなかった」
「身元が全部、割れてんだから、完黙しても意味ないだろ」
「それはそうだが、意志の問題だ。指紋も拒否しきれなかった」
 どういうこと? 拒否してるじゃないか・・・・・・。そう問う私の目を察して、シンソンハはテーブルに置いたままのコップの底を見ながら、上半身を屈めた姿勢そのままの沈鬱な声で応える。取調べの際、両手十指の指紋を取られたというのだ。捜査指紋というやつだ。
「抵抗したんだろ?」
「最初のうちは・・・・・・。だが三人がかりで抑えられて、抵抗しきれなかった。こちらが指紋押捺拒否者だから、やつらも意地になってた。一人が柔道の締め業をかけてきて、ちょっと朦朧としたところでほかの二人に両手の指紋を取られた」
 それじゃどうしようもない、あんたが恥じることはない。そう言おうとして無意味な慰めであることに気づき、私は別のことを言った、
「大東さんには話したの?」
「恰好悪くて話せんよ」
「とにかく、弁護士を介して県警に抗議しなくては」
「それは困る。恥をさらしたくない」
 あんなときウリ民族は舌を噛み切ってでも抵抗してきた。シンソンハが酒のせいもあってか、くぐもっているのに妙に激した声で言ったとき、私は話題を変えた。
 わたしには意外なことが一つあった。シンソンハの逮捕から釈放にかけての「炎の旅団」の行動に、西畑正子がまるで顔を出さなかったことである。
「妹は、呼び出し状がきた最初から警察に出頭するよう、おれに勧めていた。おれを逮捕させたくない、としつこく言ってた」
 西畑正子は、シンソンハが寄せ場労働者の組合ササニチローに祭り上げられ、闘争に利用されているとも言っているという。任意で出頭すればたしかに逮捕は免れただろう。しかし、どのみち送検、起訴の道を遮断することはできない。出頭拒否はシンソンハのたたかいの意思だった。だからといって、私に西畑正子の気持を責める資格はない。
「妹は、おれと十年近く暮らしているのに、朝鮮人の心を知らない。おれとあいつのあいだには、男と女の川とはちがう、もっと深い海があるのに、妹はそれを理解しようともしない。二人がうまくいかないとき、いつもそのことを感じる」
「そうかな。それはあるだろうけど、ちょっと違うんじゃないか」
 シンソンハもそうだが、私も酒の酔いに胸の裏側の薄膜を撫ぜられるような気分になっている。
 シンソンハと西畑正子には、もう少し説明しにくい人と人の生身のぶつかりあいがあるのでは。男と女をへだてる川もあるだろう、朝鮮人と日本人をへだてる海もあるだろう。それだけか? 二人の場合、孤独ゆえにその分、裸形のままぶつかりあっているのでは。二人の場合にかぎらないが、孤独と孤独がたたかいあいながら、離れられないものなのだろう。

 シンソンハは、翌一九八七年三月二十三日、外国人登録法違反により在宅のまま起訴された。
「たかが指紋されど指紋 炎の旅団」は早速、法廷闘争の準備にはいった。
 弁護人には熱海宏と南村美明の二人を抜擢した。熱海は質素な外見に見合って内気そうな人物だが、四十歳代前半の少壮の弁護士。検察側との攻撃防禦のやりとりでは、のらりくらりと見えていつの間にか論争を有利に導くのを得意技としている。
 南村は三十歳代後半の女性。聡明かつ勝気そうな容姿のとおり、離婚して一児を育てながら、二年ほど前に司法試験を突破した。大学は法学部ではなく、文学部でアラブだかの古代象形文字を専攻したという。法廷での彼女の手法は熱海とは正反対。法律用語は極力避けて、巷の言葉を使い、竹を割ったような弁論を展開する。シンソンハの裁判では終始一貫、「被告人」という言葉は使わず、「シンさん」とか「あなた」とか呼びかけた。
 外国人登録法における指紋押捺制度の違憲性、人権侵害、法の下の平等・内外人平等の原則など法律論争については弁護人二人に任せるとして、「炎の旅団」として法廷闘争の核心はシンソンハの意見陳述だ。傍聴席をいっぱいにして、シンソンハが積年の想いを存分に陳述する場面から劇的に始めなければならない。
 意見陳述書を執筆するにあたって、仲間のあいだに危惧の声が囁かれた。シンソンハがすべてを自分で書くと言ったのだが、日頃の彼の生活態度、約束反古への無頓着などを知る仲間たちは、成りゆきに疑念を抱いたのだ。私も内心、危ぶんだ。詩を書き、文章作りに特異な情熱を持つ彼のことだから約束どおり書くだろう。しかし、意見陳述書にはふさわしくない、独りよがりの一篇の詩のようなものを書くのではないだろうか・・・・・・。
 シンソンハは、仲間の懸念を知ってか知らずか、燃えた。姿を見せなくなって一週間後、彼は四百字詰め原稿用紙九十枚の意見陳述書を携えて、私たちの前に現われた。見事に仲間たちを裏切ったのだ。

 シンソンハの外登法違反第一回公判は八月二十七日、支援者が八十数席の傍聴席にはいりきれないほど集まって、名古屋地方裁判所の大法廷で開かれた。
 法廷は冒頭から波乱含みの様相を呈する。被告人認否の場面で弁護人が、検察側起訴状にあるシンソンハの国籍を問題にしたからだ。起訴状には被告人の国籍が外国人登録証と同じ「朝鮮」とある。日本政府は、大韓民国(韓国)は国籍だが、朝鮮民主主義共和国とは国交を結んでおらず国家として認めていないから、外国人登録上の「朝鮮」は国籍ではなく記号にすぎないと言い慣わしてきた。ところが、起訴状の国籍の項には「朝鮮」とある。ならば、名古屋地方検察庁は「朝鮮」を国籍として認めるのか。認めないのなら、シンソンハの国籍はどこか――というのが、弁護人の主張。その問題は、弁護人との公判準備の段階で「炎の旅団」(といっても裁判に関する弁護士との打ち合わせ一切は私と西畑正子に委ねられていたのだが)から示唆したものだ。
 弁護人の追及に対する検事の応答は言を左右にして要領を得ず、結局、裁判所預りとなる。
 シンソンハの意見陳述は、被告人認否が行なわれないまま始まった。満員の傍聴席に励まされてか、シンソンハの意見陳述は九十分間、なかなか堂堂たるものだった。
 冒頭に有名なある詩が読まれた。

  序 詩
 死ぬ日まで空を仰ぎ
 一点の恥辱(はじ)なきことを、
 葉あいにそよぐ風にも
 わたしは心痛んだ。

 星をうたう心で
 生きとし生きるものをいとおしまねば
 そしてわたしに与えられた道を
 歩みゆかねば。

 今宵も星が風に吹きさらされる。

 尹東柱(ユンドンヂュ)という朝鮮の詩人の詩だ。治安維持法によって捕えられ、一九四五年二月、福岡刑務所で獄死した。日本の敗戦によって朝鮮民族が植民地支配から解放される六か月前、二十七歳の死だった。その死には生体実験の疑惑がもたれている。
 敬愛する詩人の詩を朗読したあと、陳述では多くの時間を割いて、生い立ち、労働と流浪の人生が語られる。終盤では、朝鮮人であり寄せ場労働者であるみずからの存在性を闡明し、時に激越に日本国家を糾弾した。
 九十分間におよぶ陳述の随所に、指紋押捺を拒否した理由が述べられる。

  申星河意見陳述書(抄)
 私が四十歳にして外国人登録法に定められた指紋を押さなかったのは厳然たる事実であり、それは人間としての止むに止まれぬ一片の真実に基づいた、ささやかな怒りと抵抗でありました。もしこの世に父母と姉が生きていたなら、「おまえのしたことは正しい。天地に恥じることはない。星河よ、よくやったのう」と言ってくれるはずです。
 そもそも外国人登録法とは南アフリカのアパルトヘイト法のアジア版であり、外国人登録証とは犬の鑑札に類するものであります。
 私は今、インド独立の父マハトマ・ガンジーの言葉を思い出します。
「今、私が闘わねば祖国の民衆は永久に英国に占領され、あらゆる権利を奪われたまま更に抑圧されるだろう。聖なるガンジス河、母なる大地インドを侵略者の汚辱に染めてはならない。今此処で人種差別と闘わなければ祖国の解放は永久に訪れないだろう」
 マハトマ・ガンジーは南アフリカにおける人種差別撤廃に努力し、現在のパス法の前身である人種差別法に抵抗するため「犬の鑑札」を焼き棄てました。非暴力による良心的不服従の闘いを貫いたのです。このたびの私の行動がその闘いの末端に連なるものといっては、僭越でしょうか。(略)
 私は戦争と植民地支配という不幸な時代の落とし子です。わが民族の先達は人間的権利と独立の日を求めて血を流しました。私の指紋拒否の戦いは、ハラボヂ(祖父)、ハルモニ(祖母)、アボヂ、オモニたちの伝統に励まされたものです。日本帝国主義の植民地侵略が人類史上稀にみる悪として今日、糾弾されているように、外国人登録法もまた人類史上稀にみる悪法として世界の人々から糾弾され、近い将来に撤廃される日が来るでしょう。私たち拒否者の行動は歴史の承認を受けるでしょう。(略)
 本裁判に臨むに当たり、私は、すべての人間があらゆる社会において平等に共存共生すべきであるという論理に基づいて、指紋押捺拒否の正当性を訴えていきます。また、自らの人間性の尊厳は言うに及ばず、民族の同一性と統一を希求する時代の責任において、裁判を闘うつもりであります。
 裁判官と検事に再度お尋ねしたい。あなた方はいかなる心境で、一介の日雇い労働者である在日朝鮮人二世を裁こうとなさるのか。
 たかが指紋されど我らの指紋なり。本裁判を日本はおろかアジア、世界の人々が注目しています。あなた方こそ世界の民衆によって審判を受けようとしていることを、夢々お忘れなく。
 裁判長、英智ある審理と公判を進められて、どうか後世に模範となって残るような判断を下されるよう、強く希望します。

 シンソンハの意見陳述が終わったとき、満員の傍聴席から拍手が沸き起こる。裁判長の注意にもかかわらず、それはしばらく鳴り止まなかった。

 第二回公判は翌九月二十五日に開かれ、検察、弁護人の双方が冒頭陳述を行ない、証人申請にはいった。
「炎の旅団」では四人の証人を申請する。一人は、在日朝鮮人の人権問題に取り組んで奔走し「真の朝鮮人の友人」と呼ばれている日本人歴史学者。二人目は、反戦平和を訴える巨大な彫刻を制作することで知られる沖縄の彫刻家。これは裁判長が沖縄出身の判事であるために選んだ。大和が琉球に対して行なった同化と差別の歴史を証言し、それとアナロジーの関係にある在日朝鮮人の歴史と現在を照らしだすのが狙いだ。奔放な性格の彫刻家が法廷で演じるにちがいないパフォーマンスにも期待した。そして、あとの二人が西畑正子と私。
 公判は第三回から一か月置きのペースで、法務省外国人登録課長、自治体の登録窓口職員など検察側証人の尋問を挟んですすむ。弁護側の証人調べは、「真の朝鮮人の友人」である歴史学者の実直な証言、彫刻家の期待に違わず躍動的な証言と順調にすすんだ(ただし彼が証言した時には、裁判長は沖縄出身の判事から別のそれに交替していて、私たちの目論見は外れた)。
 ところが、弁護側の証人調べは西畑正子のそれでつまづいた。
 外国人登録証の常時携帯義務がいかに自由な生活を圧迫するものであるか、違反した場合の重罰制度がいかに抑圧的であるか、そして犯罪者まがいの指紋押捺制度がいかに屈辱を強いるものであるか――彼女の証言の焦点は、十年間、シンソンハと共に暮らす立場から、それら外国人登録法の理不尽を告発することであった。
 彼女は法廷の雰囲気にのまれて、極度に緊張した。弁護人の尋問がすすむにつれて落ち着くどころか、緊張はさらに高まり、しばしば質問を取り違えて時に検察側をほくそえませるような受け答えをする。ついには嗚咽をこらえて絶句した。南村弁護人の畳みかけるような口調がいっそう緊張に輪をかけるのか? 口ごもりがちな性格そのままにポツリポツリと質問する熱海弁護人に交替したが、西畑正子は立ち直れなかった。
 私には数日前に尋問内容を打ち合わせたときからすでに危惧があった。彼女は打ち合わせの途中から寡黙になり、表情をこわばらせた。一服することにして、雑談の折にシンソンハのことが話題になる。南村弁護士が冗談まぎれに、シンさんみたいな男性と一緒に暮らすあなたも大変ね、と言う。私も調子を合わせて笑った。その瞬間、西畑正子は顔面を蒼白にして何か叫んだ。シンソンハが二人に侮辱されたと思ったのだろう。そのまま席を立ってしまった。
 あの頃すでに彼女の緊張は募っていたのだろう。それと察して尋問は女性同士の気安さを当てに南村美明が担当したのだが、西畑正子の緊張はその思惑を凌駕していた。彼女の証人調べは見合わせるべきだったか? いや、彼女はその提言を一蹴しただろう。シンソンハが逮捕される前、彼の出頭拒否を諫めていたのとは打って変わって、裁判にはいってからの西畑正子はそれに情熱を傾けていたのだから。
 私の証人調べは、梅雨も明ける頃になるだろう。証言は、十数年来、在日コリアンの若い世代とさまざまに交流し、ある大学で「日雇い講師」としてマイノリティの人権などを講じている者として、日本人の立場からの外国人登録法批判ということになる。朝鮮人はじめ在日外国人に強要する指紋押捺制度が、「日本人の問題」であることを明確にしたい。そんなことを思いながら、私はなかば手ぐすね引き、なかば緊張して、証言に立つ日を待った。そして笑ってしまった。
 私の証人申請は裁判所から却下されたのだ。裁判長が法廷でその旨を告げたとき、満員の傍聴席は騒然となった。あちらこちらから野次と抗議の声が飛び、裁判長が注意し、騒ぎはさらに高まり、十人ほどの廷吏が駆けめぐって傍聴人を一人、二人と退廷させようとする。廷吏と傍聴人の揉み合いがあちらこちらではじまる。裁判長が突然、叫ぶ、「全員、退廷」
 全員が裁判長の命令に従って退廷したのは、別の指紋押捺拒否裁判で傍聴人が開廷時の「起立」を拒否して騒ぎ、法廷に機動隊が導入された経験があるからだ。逮捕などの無駄な犠牲は避けなくてはならない。傍聴人がぞろぞろと退廷するとき私とササニチローのボス大東誠が最後まで残ったのだが、私は何気なく振り返って法廷と傍聴席をへだてる柵のむこうを見た。ひげ面の大男つまりシンソンハが、オレはどうすればよいのか、というふうに被告席のまわりを右往左往している。「被告人はそのまま席に残って」裁判長に指示されて、シンソンハは要領を得ぬ顔のまま被告席に掛けた。傍聴人なし、被告、弁護人、検事だけで公判はつづいた。
 退廷した「炎の旅団」と支持者は、裁判所の路上に集まって、抗議のシュプレヒコールを虚しく繰り返す。その声は威勢ばかりは盛んだが、行く先の当てもなく飛散する花びらのように四月の風に運ばれる。
 おや? シュプレヒコールがつづくうち、私は気づく。こんなとき真っ先に目立つテント劇団「風の使者」のばばちゃんと寄せ場労働者のボクサーの姿が見えない。大東誠にそのことを告げると、彼はまわりの誰彼に訊ねるが皆、首を傾げるばかりである。
 翌日の午後になって事の経緯(いきさつ)が判明した。傍聴席で張り切りすぎた二人は、廷吏に捕えられて監置処分に付されていたのだ。裁判所の留置施設に一晩泊められ、法廷を侮辱した廉により罰金二万円を言い渡されて釈放されたのだ。いくぶん萎れた風情で事務所に現われた二人は、その経緯を照れながら告白した。
 そんな幕間狂言を随所に挟みながら、公判はすすんだ。

 一九八八年の晩秋、シンソンハの指紋押捺拒否裁判は弁護人の最終陳述を終えて結審した。
 一年余にわたる公判のあいだ、シンソンハは勿論、被告人として法廷に立ったが、それ以外のとき、私たちの前から姿を消すことがしばしばだった。山谷にいるという情報もあったが、西畑正子や大東誠さえ行方を知らない場合が少なくなかった。野宿をしながらどこかの町や村を訪ね歩き、時には海でも眺めながら広告チラシの裏に詩を書いているのだろう。独り、身と心を解いて、在日の身世を和らげているかもしれない。私たちは彼の不意の行動を心配しなかった。
 判決は翌年の梅の咲く頃か。私たちはその結果に期待していなかった。すでに一審、二審をふくめて十件ほどの判断が下されていたが、いずれも拒否者の主張は認められず罰金刑の有罪だった。
 年が明けて一九八九年早早、昭和天皇が死んだ。裁判所は外国人登録法違反容疑者すべてに免訴を言い渡した。大赦令にともなうものだ。
 免訴された係争中の拒否者三十余名は、いっせいに反撥。天皇の国家の不条理な法律によって逮捕され、起訴され、裁かれたうえ、その死によって免訴されるという、このうえない屈辱に跪くことはできない、裁判を受ける権利を戻せ――そのように主張して、今度は原告として大赦拒否訴訟を起こした。
 シンソンハはその訴訟の原告に名を連ねなかった。彼の人生において最も輝いた躁の時間は、そのとき尽きたのかもしれない。


 八畳ほどの和室一間きりの告別式会場は、身動きできないほどの人で詰まっていた。とはいっても、昨日の通夜に集まった顔ぶれに新しい顔が加わって、二十人ほどか。参会者といっても、アノラックやジャンパー、セーター、土木現場の作業着といった身なりばかり。一人だけ礼服のひとがいるが、知らない顔だ。野宿労働者のために医療ボランティアをしている医師か、労働争議にかかわる弁護士あたりだろう。若く、知識にたずさわる職種の人に見える。
 ぎっしりと参会者の詰まった部屋の中央前方に小さな空間があり、蜜柑箱かなにかに白布を掛けた焼香台がある。そのむこうで袈裟を着けた中年の僧が、「祭壇」に向かって読経をはじめた。寄せ場労働者の活動を支援している真宗大谷派の僧侶だ。
「祭壇」からは、縦十五センチ横十センチほどのボール紙に貼られた写真のシンソンハが、ひげにかこわれた仏頂面でこちらを見ている。「申星河同志」の位牌と皿の上に数個乗った蜜柑は通夜のときのままだが、参会者の誰かが供えたのだろう、小さな二基の花輪と折箱三個が「祭壇」に供えられている。
 僧が読経のまま合図をして、焼香がはじまった。車座になった輪の前列の者がすむと、あとの者は人の膝を跨ぐようにして焼香にむかう。跨ぐ拍子によろめいて、誰かの体におおいかぶさる者もいる。
 数珠を持たない私は、焼香し、少しながく合掌する。瞑目すれば、シンソンハを送る気のきいた言葉が思い浮かぶかと考えたが、巧くいかない。シンソンハの人生における指紋拒否闘争のあの三年間と、そのほかの時間との大きな落差だけが、まるで地中の闇にひらいた深い陥穽のように蘇る。鬱の時だけではなく、躁と鬱の起伏に富んだ循環そのものが、日本で生きる在日朝鮮人二世シンソンハにまといついた、しつこい影であったろうか。
 全員の焼香がすみ、僧の読経が終わって、大東誠が追悼の言葉を読んだ。二十分ほどつづいたそれは、死者を悼むというより、寄せ場労働者の集会で読み上げられる闘争宣言をおもわせるものだった。シンソンハがどういう気持で聞いたか、苦笑しているか、案外、拍手でも送っているか。「祭壇」からこちらを見ている顔は、相変わらず仏頂面でよくわからない。
 棺が告別式会場の和室から早早に運び出される。仲間たちがわれがちに手を貸して、私も棺の端に手を添えた。玄関前の路上には、霊柩車ではなく白いライトバンが停まっていて、棺はそれに積まれる。特別の許可を取って役所が回したものだ。
 火葬場へは、大東誠が運転する車に数人が乗って、従いて行く。私も誘われるが、ここで別れることにした。不意に、生きていた時そのままのシンソンハの顔が目の前に顕われ、ひげ面のなかの大きな眼を人懐っこくひらいて、握手を求めてきたからだ。
 シンソンハはすぐに消えた。白いライトバンは火葬場にむけてあっけなく出発した。それを見送りながら私は思う。棺の中のシンソンハを送るのではない、友情を交わしたあの三年間の濃密な時間を見送るのだ。




    鷺沢萠と渡野玖美の死
 鷺沢萠が今年(二〇〇四年)四月十一日に亡くなった。数日後の新聞報道で知って驚いた。
 在日朝鮮人作家を読む会でも昨年十二月の例会で『私の母』を取り上げたばかりだった。ハルモニ(祖母)が韓国人である彼女はソウルへの語学留学のあとクォーターのコリアンを自称し、『ケナリも花 サクラも花』『君はこの国を好きか』『私の話』などを書いて、ルーツをめぐる自分探しの旅をすすめ、鷺沢萠のコリアランドを着々と形成しつつあった。
 筆者はそのことに注目し、「鷺沢萠の進化過程」(『〈在日〉文学論』所収)なる一文を書いた。
 鷺沢萠の死から数日後、会の仲間である渡野玖美から「なぜ彼女は死んだのですか」という驚きと悲嘆のメールが届いた。私に答えられるわけがない。生者が死者について憶測することは許されないでしょう、とだけ返信した。
 その渡野玖美も一か月ほどのちの五月に急逝した。           (花二輪)




 在るということ

原田芳裕(はらだよしひろ)

  道 たんぽぽ 笑い声
  父 温もり 母
  私はその時子供だった

  息 白い 細波
  私は 歩む
  薄い 夏 戯れ

  昔 いつ 潮(うしお)は
  果てなく沈む日の
  向こうにも続く

  それがクニだ
  童も歩みも大人へと続く
  小さい 命 魂

  重なれば 重なって
  淡く実る時代も過ぎ
  いつしか培われた 国という形も
  考えることなく皆が生きているから
  私は韓国も日本も忘れ去られて
  今、日本に在る

  流れる音景に馳せる
  この国でないものから
  この国を創ろうと思う

  私の母は韓国人で
  そして
  今、私は日本語で詩を書く



 川 柳

韓(ハン) 日(イル)珠(チュ)

    一期一会
  川柳が私を好きになりました
  いい出会い生きる力が湧いてくる
  シナリオのない人生に今がある
  終日なき趣味に追われ老いもせず
  在日という人生に古希が来る
  民族の誇り縫い込むチマチョゴリ
  統一の夢を紡いで半世紀
  祖国(くに)仰ぎ燃えた頃が懐かしい
  借住まい思いつつ生き故国(くに)遠く
  もう過去か祖国チョゴリも熱かった
  一期一会大事にしたい余生です
    お好み焼き
  や元気か熱い握手に名が出ない
  ウリトンポ心も弾むハンマダン
  自治会に馴染んで町が好きになる 
  発言の都知事知性が足りないか
  クラス会差別いじめを謝まられ
  生きる術本・通名使いわけ
  町内に溶けこみ好きな盆おどり
  広島の干柿想い苗木買う
  お好みのむこうに淡い恋がある
  おだてられ受けたスピーチ眠られず
  晩学のパソコン我を試しみる
  あなたなら出来ます上手く乗せられて
  生きて行くメモカレンダー重くなり
  ストレスも生きる力にリサイクル
  年一度心が通う年賀状
  冬ソナにはまり慕情まだ淡く
  朝信はウリミレハナにイオですね
    母 妻
  活け花に母の残したムルバガチ
  ビネ飾りの母いやだった幼き日
  五歳してウリ民族の差別知り
  戦争と差別を生きたタヒャンサリ
  アイゴーは母の口ぐせ味があった
  望郷の山河はいつも母がいる
  赤糸でむすんでみたい母のくに
  おかめだがこぼれる笑顔君が好き
  趣味持つ妻で貧乏苦にならず
  妻がいるこれほど美味い酒はない
  二十年妻と呼ばれてありがとう
    拉 致
  九一七期待空しく愚痴がとぶ
  あれからの人生観変えました
  滅入りそう連日連夜故国(くに)非難
  在日の我らも拉致の子孫だが
  プロデューサーがいる脱北のシナリオ
  嫌がらせ伝統のチマチョゴリ脱ぐ
  山ほどの過去の謝罪拉致が呑む
  あれからか温かい絆も距離が出来
  民族の誇りいつしか染みとなり
  飲めないが酔って泣きたい時がある
    金剛会
  長寿会義理だがいやに馴染んでる
  長寿会天寿を目指す始発駅
  長寿会故郷語れば酒になる
  長寿会幾年仰ぐ他郷暮らし
  長寿会化粧いきいきバス旅行
    追 悼-夫
  供花(くげ)の金大中人脈しのばせて
  今も唄やってますかあの十八番
  携帯とメガネ猪口も墓の中
  墓まいりまだ呼ばないで言い残し
    追 悼-兄
  喜寿の兄百歳誓い事故に逝く
  転がった石にもなにか理由あろう
  彼の国のアリラン峠どう越える
  今日迄とにかく生きた道がある
  広島に来いやと兄の呼ぶ声が





 「현해탄」は「玄海灘」である
        ――地名・人名の読み、表記について

      朴(パク) 燦(チャン) 鎬(ホ)

   (一)
 昨年十一月十日付の中日新聞夕刊の〈からむニスト〉は、「ルビや註にもご注意を」と題して『対談 笑いの世界』(朝日選書)を取り上げていた。
 〈辛夢〉氏は「桂米朝と、九歳下の筒井康隆のウンチク合戦が滅法楽しい」と評価しつつも、「(高瀬)實乗を“みのり”。(芦乃家)雁玉に“がんたま”と、間違ったルビを振ったのは、一刷の五日後に出た二刷で“みのる”“がんぎょく”と直されていた(仮にも米朝、筒井の両氏が言い間違えたとは思えない)」と苦言を呈し、ほかに写真説明や註の間違いも指摘している。
 全くそのとおりだが、“實”と旧漢字を使うからには“乗”は“乘”でなくちゃ、という思いも筆者にはある。
 人名の読み違えについて思い出すことがある。何年か前、先年夭折した如月小春氏が演出した演劇『金色夜叉』をテーマに、NHKが如月氏をゲストに迎えて制作した番組が放送された。ところが、彼女を含めた出演者がみな、登場人物の「富山」を“とやま、とやま”と繰り返し言っていたのだ。画面を見ながら、演劇人や放送人でさえ“とみやま”と読めない時代になったのだなあ、と溜息をついてしまった。
 それにしても、日本の固有名詞の読みは実に複雑多様である。岩手県に、“上野”という四十年来の友人がいて、ずっと“うえの”と呼んできた。ところが、あるとき電話をかけたら奥さんが出て「“うわの”です」と言うではないか。びっくりして、思わず番号を確かめてしまった。当人に訊いてみたら、「大学時代は、面倒臭いから“うえの”で通してきた」と苦笑いしていた。
 また、拙著を韓訳してくださった安東林(アンドンリム)先生は、「“東海林太郎”が、どうして“しょうじ・たろう”と読めますか」と嘆じていたが、その“東海林”の読みをご存知の安先生が、小畑実を“こばたけ・まこと”と読んでいた。
 英語圏でも人名の読み方には違いがあるらしく、“リーガン”と呼ばれていた米国の州知事が大統領に当選するや、「“レーガン”と発音してくれ」と修正させた。だが、これとて日本の複雑さに比べれば物の数ではない。
   (二)
 朝鮮の固有名詞でも、元来の漢字読みとはかけ離れた読み方をするものがある。その代表的な例が姓の「金」で、字の本来の読みは“금(クム)”なのだが“김(キム)”と読む。また、“金”のつく地名はほとんど“금”と読むが、「金浦」「金泉」「金提」などは“김”となっている。そんな中で、“김”より“금”の音感を好んだある作曲家は、電話帳から、すべての届けを한글(ハングル)表記で、“금수현(クムスヒョン)”にしてしまったという。
 こんな例もある。慶尚南道(キョンサンナムド)「陜川(ハプチョン)」の本来の読みは“협천”なのだが、“陜”の音が“狹(ヒョプ)”と同じなのを嫌った地元の有力者が“합(ハプ)”と変えさせたのだという。
 ところで、一昨年の釜山アジア大会の映像で気づいたのだが、釜山の表記が“Busan”となっていた。それまでは“Pusan”だったので、怪訝に思った人もいたかと思う。
 日本語には「清音」と「濁音」があって、たとえば“か”は清音で、“が”は濁音とする。ところが、朝鮮語にはこの概念がなく、“가”は“か”と“が”の中間的な音だという(在日二世の筆者には、語頭で“か”、語中で“が”に聞こえる)。したがって、朝鮮語では“プサン”と“ブサン”は同じなのである(日本語式にいうならば“プ”が清音、“ブ”が濁音ということになるか)。
 こう書くと、“プ”“ブ”は“フ”の半濁音、濁音ではないかとの反論もあろうが、朝鮮語では“ぱ・ば行”と“は行”とは別系の字音である。その理由は“p”“b”が唇を破裂させるのに対し“h”は喉の奥から息を吐き出すからで、むしろ“あ行”と近い関係にある。
 話をもどそう。一昨年九月、故郷の長水に眠る父の墓参をした折、道路標識を確認してみた。それまで“Changsu”だったのが、やはり“Jangsu”と改められていた。“Cha”の部分だけ“Ja”と塗り替えられていたものもあった。
 筆者はかつて『架橋』16号の『「キン・シガ」とはあんまりだ?』(一九九六年)で、朝鮮名の日本読みのややこしさについて触れたが、英字表記はさらに複雑である。
 たとえば、日本語表記では“チョン”または“ジョン”となる「정」姓(鄭、丁)を人名録で見ると、大部分が“CHUNG”であるが、他に“JUNG”“JEUNG”“CHEUNG”“CHOUNG”“CHYUNG”“JEONG”“ZONG”“JEOUNG”“CHUN”などがある(合同年鑑・一九七六年版別冊)。
 欧米で有名になってから日本に紹介される韓国人の名は、英字表記をもとにカタカナで記されることが多い。現在は日本でも“チョン ミョンフン”と呼ばれる指揮者・ピアニストの鄭明勲も、かつては“MYUNG HUN CHUNG”で紹介され、“ミュン・フン・チュン”と呼ばれたことがあった。
 われわれが“サムソン”と呼ぶ「三星」の英字表記も“SAMUSUNG”なので、日本では“サムスン”で定着してしまった。“HYUNDAI”と表記される「現代(ヒョンデ)」は“ヒュンダイ”となり、ビデオ映像作家の白南準(ペクナムジュン)氏は“ナム・ジュン・パイク”である。
   (三)
 表題の『「현해탄」は「玄海灘」である』に入ろう。
 このほど終刊となった『新日本文学』が、昨年の五・六月合併号で「〈在日〉文学の全貌」という特集を組んだ。金石範(キムソクポム)氏の『火山島』を評論した磯貝治良氏の力作が掲載されたのをはじめ、名古屋在住の蔡孝(チェヒョ)、李銀子(イウンジャ)両氏も執筆している。
 この特集で筆者の目を引いたのは、『架橋を希求した作家 金達寿』という一文を執筆した佐藤修氏が、金氏の出世作『玄海灘』を『玄界灘』と繰り返し記している点である。
 そもそも、作品の顔ともいうべき題名を、他人が勝手に改変すること自体が解せない。キー打ちして出た字を、うっかりそのまま印字してしまったのか、あるいは意識的だったのかはともあれ、在日朝鮮人文学を語るにおいては軽率のそしりを免れないだろう。
 “玄界灘”か“玄海灘”か、その表記をめぐっては、地元でもかねてから論争があったようだ。二十年程前だったと記憶するが、古文書・公文書などの資料や地元での使用例を調査して検証した結果、“玄界灘”に軍配が上がったと報じられた。
 しかし、“玄界灘”に落着したからといって、“玄海灘”が抹消されて然るべきだとは思えない。試みに、出身地の異なる友人たちに尋ねてみたところ、全員が「玄海灘」と答えている。辞書では、一九六九年の『広辞苑』第二版には【玄界灘・玄海灘】と併記されているが、一九八八年の『大辞林』初版に「玄海灘」の記載は無い。
 翻って韓国では、この海域を“현해탄(ヒョンヘタン)”と呼ぶ。「玄海灘」の韓国読みで、普通はリエゾンして“ヒョネタン”となる(玄界灘の読みは“현계탄(ヒョンギェタン)”)。李熙昇(イフィスン)編著の『국어댓전(こくごだいじてん)』(一九八二年の修正増補版)では、「현해탄」とともに「겐까이(げんかい)-나다(なだ)」が載っているが、「玄界灘」の表記は無い。
 何故か。かつて日本人に「玄海灘」と教わったからに他ならない。そしてこの현해탄は、単なる地名以上の意味を有している。
 日帝はこの海を渡って朝鮮を侵略し、ついには武力で国家を強奪した。関東大震災での朝鮮人大虐殺の直後には、命からがら釜山港へと逃げ帰る人たちであふれたし、七、八十万から百数十万にも及ぶ朝鮮人が“地獄船”で強制連行されたのもこの海だ。
 職を求めて連絡船に乗った人にしても、それは過酷な植民地支配の結果である。その一方で、青雲の志を抱いて渡航した留学生がいたのも事実だ。
 悲喜こもごも、血と汗と涙にいろどられた在日朝鮮人一世の歴史を象徴する海「ヒョネタン」。朝鮮人にとってこの海は、あくまでも「玄海灘」なのである。





  『8月の果て』は果てしなく
 どえらい小説が登場した。当代物書き屈指のトラブルメーカー柳美里の『8月の果て』である。
 元来、「反権力」「反社会」「反秩序」、ときに「非常識」なのが物書きのはず。ところが昨今では薄気味悪いほど上品になってしまった。だから正統を守って物議をかもす柳美里に拍手を送ってきた。
 聞くところによると、「8月の果て」の新聞連載が中絶したのは、「すっすっはっはっにいくら原稿料を払っているのか」「旧日本軍性奴隷のことをこんなにまともに書いたらやばいんじゃないの」といった声に責任者が屈したからでもあるという。そうだとしたらA紙は情けない、バカを見た。雑誌連載から単行本化というおいしいところをS社にさらわれてしまった。そのうえA紙を目の仇にしている(であろう)評論家に腰巻文まで書かせてしまった。『8月の果て』はナショナリズムの呪縛にとらえられた日本文学が目を白黒させる快作なのだ。この小説を書ききったことで、柳美里はさらに果てしなく走りつづける。
       (すっすっはっはっ)




 見 殺 し

立花(たちばな) 涼(りょう)

   1 スナック「風月(プンウォル)」
 嶋田は気持ちよさそうにマイクを握っている。それを尻目に、三十分前の会話を思い出していた。「ほんならお前、知らんかったんか?」「ああ、何も」卒業後三十五年の同窓会の後、二次会のバーでの会話を思い出していた。所用で一次会には参加できず、二次会に合流したのだった。
 三日前バナハオ山中で同級生の大久保の遺骸が発見された。隣の席にいた事情通のデンツーが不思議そうな顔をしていた。デンツー、名前が伝一郎、事情通の「通」と併せてデンツー。
 「新聞にも出てたやないか、フィリピンの山の中で遭難や」
 「なぜ又そんなところへ?」
 「大久保は仕事でマニラに二年いたその関係やろ」
 「昔の女に会いに行ったゆう説もあったで」
 横から嶋田が口を出す。
 「フィリピンのか?」
 「決まってるやないか」
 「それでまたなぜ遭難したの?」いかがわしいことで評判の雑誌社に勤めるデンツー、「いずれにしてもや、一人息子はもう結婚してるし北山に買(こ)うたデカイ家のローンも本人が亡くなったんでチャラ、どころかおつりが来るんで奥さんが路頭に迷うことない。息子の厄介にでもなってやな、家売ったらなんぼ安う見積もっても一億にはなるな、あの家」人のフトコロにまで通じている。「不幸中の幸いてこんな時の言葉かな」呑気なもの。これが二次会での会話だった。
 嶋田はまだ唄ってる。二次会を早々に切り上げ、嶋田と二人で京都駅裏にあるコリアンスナック「風月(プンウォル)」に来ていたのだ。
 「嶋田さんのお友達ですか」店のママだと言って四十過ぎの女性が挨拶に来た。切れ長の眼が印象的。「いつも贔屓にしてもろてます」達者な京都弁、店の名からして〈在日〉かな。
 「どこにお住まいですか」
 「名古屋」
「へえ、今日はまた・・・・・・」同窓会のあったことを言うと、「また京都にお越しの節はぜひ」慌ただしそうにカウンターに戻る。
 「バナハオ山って知っています?」世間話のつもりで、店の売れっ子という聖(サンタ)マリアに訊いてみた。マニラからやって来たマリアはいつの間にか聖(サンタ)マリアと呼ばれているとか。
 「ええ。でもバナハオはルソン島でしょう」行ったことはないが名前だけは知っていると。彼女はネグロス島の出身で飛行機でも一時間以上離れていると言うが、バナハオ山もネグロス島もどこにあるのか見当も付かない。
 「旅行にでも行かれるんですか?」頬が紅い。
 「いや違うけど」さっき嶋田の歌で一緒に踊ったせいだろうか。日本語の読み書きを覚えるために昼間は学校に通っているとか。
 「バナハオ山はマニラの南百キロほどのところにある」戻って来た嶋田がバナハオ山を耳にして大久保の話を簡単にすると聖(サンタ)マリアは大げさに驚いた風。
 「実は大久保がフィリピンに渡る直前に喧嘩したんや」いつもなら、へー、まだ喧嘩するほど若かったかなぐらいの軽口は叩くのだがさすがに今夜は黙って彼の顔を見た。
 「デンツーには知られとうなかったんで」
 「当然だな。悪事千里じゃないけどあいつの耳に入ったら翌日には日本中が知ってることになる」
 「さっきお前さんが来る前もちょっとその話題で盛り上がったんやけどな、黙ってた」自殺ではないかと一瞬思う。「でも九・一一のテロ事件のおかげで話題すぐ変わってホッとした」
 「テロねぇ・・・・・・」
 「ああテロや」嶋田も目を落とした。テロからもう三ヶ月ほど経つ。アメリカの空爆はまだ続いていた。有線の放送だろうか、のんびりした演歌が聞こえる。
 「もうクラスの半分は死んだかな?」
 「アホな、そこまでは行かへんで」
 「三分の一」
 「それくらいは行くかも。けどホンマよう死によったわ」時代のせいだったろうか。そうでないことはない。暗い時代だったと今なら言えるだろう。第一に貧しかった。そしてその分激情に溢れていた。激しい情念は冷めた後の空虚をやり過ごすのが難しい。あの頃運動の衰退と共に毎年のようにクラスから自殺者が出た。すぐ思い浮かぶだけでも住吉、佐々木、加地、萩野。みんな二十代で逝ってしまった。しかし大久保はなぜ今頃になって・・・・・・いや彼は自殺やない、遭難とデンツーは言った。
 「自殺やないんだろうな」嶋田はチョットこちらを見てタバコを取り出す。火を付けてやると礼のつもりか軽く会釈して大きく煙を吐き出す。
 十一月の二十二日、R大で社会学を講じる嶋田は関西空港のロビーでコーヒーを飲んでいた。学会の行われる仙台行きのフライトまでまだ一時間以上あった、と嶋田が語る。
 「俺は空港でのこの時間が好きなんや。毎年海外に仕事かねて出かけるけど飛行機乗る度(たんび)にロビーで過ごす時間、この時間がたまらんほど好きなんや。え? そのことは何度も聞いたてか、まあええがな。そこから始めんと話が出来んのや。空港ゆうんはどこ行っても同じ匂いさせとる。ロンドンのヒースローでも韓国のインチョンでも空港は空港で、奇妙に重力のない空間なんやな。まだ飛行機乗ってへんのにもう身体が三十センチくらい浮いてる気ィせえへんか。しがらみだらけの地上からちょっとばかし解き放たれたような解放感、重しがなくなった寄る辺ない頼りなさ、何か起こるかも知れんゆう旅への期待感かな、そんなんがゴッチャになってコーヒー飲みながらボーてしてるんは気持ちがエエ。ただ喫煙場所の隔離されてるんが困りもんやけど。インチョンはウイングの果てやしヒースローは檻みたいな場所に入れられ愛煙家受難の時代やな。
 外国行くんやったら「社会学」やるに限る。研究ゆう名目で出張費申請して海外旅行できるんやから。ほいで論文の一つも紀要に書いときゃそれでメデタシメデタシ。それにな何研究してもエエ、この世に社会と無縁なもんなんてあらへんし。ソウルのマクドナルドの店舗数かぞえて日本と比較しとる学生おったけどそんなんでエエんやで、最近の卒論て。それでも欧米化の指標の一つであることは確かやしな。そやからなんぼでも海外行くキッカケ作れる。公費で遊べるなんて役得かな。税金の無駄遣いやて? 俺は私学の大学やで。なに、私学でも助成金は税金やろがてか、そりゃそうやけど。
 向こうからチャコールグレーの粋なコート着た初老の紳士がうつむき加減に歩いて来る、て見てたら大久保やった。アイツ、俺に気ィつかんと隣に座りよる。
 『出張か?』いきなり声かけたんでちょっとビックリした風にこっち見て、『近くやけど』『そうか、俺はロスまで。元気か?』『もちろん。こっちはフィリピンや。先生は学会かな』
 俺は黙って頷く。大久保はM産業の下請けのナントカゆう会社に勤めてたん知ってるやろ。左遷されよったんや、M産業から。そやけどその時はテッキリ出張やとばっかし思てたんで何で行くんやとは聞かんかった、当たり前やわな。ところがそれが迂闊なことすぐに分かった。
 『リストラは大丈夫か?』同窓会でも話題になってたけど寄るとさわると最近はこの話。中年は辛いわあなア。『的中や』『的中て?』大学みたいな世間の風のあまり当たらんとこにおるとモーレツ・サラリーマンの私生活なんかはよう分からんかった。そやけど同窓会のおかげで少しは骨身に染みるようにもなった。
 いつの同窓会やったかな、ちょうどお前さんが始めて参加した時やから十年前か、バブルが弾けて間もない頃やったなァ。あの時大久保は、『大学の先生にはわからんでしょうけどね』慇懃な物言いするときは腹に一物ある時ゆうくらいは俺にも分かる。『二十四時間働けますかってソラゴトやあらへん。毎日の業務の他に取引先の接待、部下の管理を兼ねた飲み会、「内憂外患」とはちょっとチャウか、まあエエがな、月に十日は出張。それでのうても帰宅は毎日深夜、夕食を家で食べるなんて週に一回もない。土日はおきまりの接待ゴルフ』左手にビールのグラスを持ち、右手にはタバコ。せわしなく灰を灰皿に落とす。『下手したら一ヶ月近くも子供の顔見ィひん』『それでも奥さんとは身体重ねてるんやろ?』『そりゃ当然、これは男子たるものの義務やしな』『義務か?』『労働でんがな、労働! 毎日過酷なもんやで』『でもその分、実入りはいいんやろ』『まあね、数年前に家建てた』『どこに?』『北山通りちょっと上がったところ』『エエとこやないか』
 俺がわざと誉め上げたら大久保その時ばかりは満更でもなさそうやったん覚えてるか? 覚えてへん? 物忘れの激しい奴やな、お前さんは。
 『広いんか?』『ざっと百坪』さすがに周囲の羨望を集めとったやんか。高級住宅街の北山に百坪やで。『高(たこ)ついたやろ?』『ざっと二億』みんな喉まで出た言葉を飲み込んでしもうた。『そういうたらM産業てハウスメーカー部門もあったな』とデンツー。『そう、俺の出した金は二億やけど二億五千万の値打ちはあるな』『従業員割引の類か』『そんなとこ』
 それが五年前、前回の同窓会には来んかった。その心境わかるわな、羽振りのエエ時はともかく尾羽打ち枯らした我が身を人前に晒しとうないゆうんは当然や。デンツーの話では仕事上のミスから子会社のユタカ産業に出向ゆう形で左遷なんやて。一部上場企業から地方の中小企業、エライ格下げでんな。何があったかはようわからんけど(さすがにデンツーもそこまで知らんかったみたい)ビジネスの世界は厳しい。それに較べたら教師稼業なんて遊びみたいなもん。ミス犯しても次の授業で『ゴメンゴメン』ゆうて訂正したらそれで済むんやからな。
 空港でコーヒー飲みながら大久保が話してくれよった。とうとう会社が倒産して流浪の身なんやて。ローン抱えて今更失職したなんて家の者には言えへんさかい毎日出勤し仕事で疲れた振りして夜遅う帰る、そんな毎日。今度フィリピンで新規まき直し、新しい会社作るんや言(ゆ)うとったのにな」

   2 大久保の手紙
 自分の人生は・・・・・・つまるところ失敗だった。俺の生きた証は、月並みな言い方をすれば一人の子供だけ。俺はこんな人生を生きるつもりはなかった・・・・・・「ではお前はどんな人生を生きるつもりだったんだ? 何もなかったではないか? こんな人生を生きたいというどんな理想があったのだ?」いや待ってくれ。誰だって人生を生きる前に人生の青写真など描けない。人生は偶然に満ちている。だれも思い通りの生など生きることはできない。当然じゃないか? 誰かが言っていた。人は皆初体験の時を生きるのだと。四十代になれば三十代より経験は増えるがしかし四十代という時期を生きるのは初めてなのだ。そして五十代も。おそらく六十代もそう。人は永遠に初めての時を生きる。それしかない。だったら手探りで生きるしかないじゃないか。誰も〈うまく〉など生きられなくて当然じゃないか? 「そしてたまたま失敗の連続だったという訳か」とう、そうなんだ。「うまい言い訳を見つけたものだ」言い訳じゃない! 事実だ。ただし失敗の人生を生きる者でも最後の逆転を夢見ることは出来る、オセロゲームのように。両端を取って間のチップスを全部白に反転させる最後の一手、それが勝負を決めるのだ。最後の一手!
 「社長と刺し違えたろかッ!」
 最後に出社した日、俺は子飼いの部下を三人ほど連れて北の新地で飲んだ。もうこんなこともない訳だ。かなり酒の入った時、吐き捨てるように言ったのは一番若い下田だった。親会社の陰謀を知っているのは私だけ。これ以上彼らを刺激する必要はない。世の中には知らなくていいこともあるのだから。
 「止めとけ止めとけ」K大を出て出生頭と言われてきた古川(来年には本社のM産業への昇格が内定していた)が下田の顔を見ずに呟く。
 「そうですよ、犯罪は割に合わんいいますやろ」ママの低い声が響く。
 「そう言えば誰かが言ってましたね」課長の(だったと言うべきか)柳川。「リストラに合(お)うた中年の自殺者、新聞にはそう載らないけどこの数年で増えてるんですよ。かなりの数に上るそうです。そやけど自殺するくらいなら何で経営者と刺し違えないのかって。そうすれば経営者もリストラしにくくなる。こいつ首切ったら刺しに来るんやないかてそう思わせたら我々の勝ち。経営者も簡単にはリストラも出来んようになるとかそんなこと言うてましたな」
 「それみろ」下田が我が意を得たように言う。
 「柳川君とこ、子供は?」と俺が尋ねる。
 「中三と中一、男二人です」
 「そやったな、しがらみがあると難しいわな」
 みんな黙り込んでしもうた。ママは苦笑いをしている。
 「四十代後半にもなると、再就職も難しいんですよ」柳川がシンミリとした面もちで始める。「刺し違えようとまで思いませんけどこの仕打ちはないやろとも思てます。一泡吹かせたい言うか、このまま何もないまま終わるゆうんが信じられない、というより気持ちがおさまらんのです」柳川の言葉に古川も下田も頷いている。
 「どうしようて言うんや?」柳川がこちらを向いた。何か胸に秘めたものがあるのだろう。焼き物を始めている彼は早期退職をして焼き物師になる予定だと聞いていた。いわゆる「老後」の計画という奴だ。
 「何も・・・・・・ありません。焼き物師になるプランが消えたことだけは確かですけど」
 「女性問題で失脚しかけて細君からワキが甘いて批判されてた政治家がいましたけど」
 古川が自分でボトルからウイスキーを注ぎながら言う。「ツメが甘いゆうことになるんでしょうかね、人生のツメが」
 「君はまだ再起できる、若いし」となだめる柳川に、「そうでしょうか? 来年もうすぐですけど四十ですよ。二十年近く働いて来てやっと仕事の奥まで見えて来て、中堅とかベテランの域に入ったとか言われてましたのにまたイチからやり直し! たまらんじゃないですか」真摯に詰め寄る姿勢。
 「仕事があるだけましなんだよ」これも柳川の偽りのない声だろう。年齢が違うと受け止め方が違う。いや彼らのやり場のない怒りには通じるものがある。異なるのは受け止め方ではなくその後の生き方なのかも知れない。生き方の〈構え〉にズレが生じるのは間違いないだろう。
 朝、会社に行く振りをして家を出る。行けるだけ遠くの町に行って町の中を歩き回る。繁華街から路地裏まで。思いがけず台所から顔を出した主婦に胡乱な眼で見られたことも再三だった。ある日、南茨木の駅からずっと南の方に歩いて行った。
 「tulong!」タガログ語だった。続けて「ヘルプ!」と英語が聞こえ思わず駆け出していた。角を曲がった駄菓子屋の前に二人の警官に囲まれたリタがいた。
 「どうかしましたか」日本でタガログ語を耳にするとは思わなかった。そしてタガログ語で話し掛けたときのリタの顔は喜びよりも以外さの方が浮き立っていた。
 「ちょっと困ってまして」若い方の、おそらくまだ二十代の警官が説明した。近所の住民から「挙動不審(という言葉は使わなかったが)」の女性がうろついて困ると通報があったため彼女を見つけて尋問したところ「案の定」外国人、パスポートの提示を求めたけどいかんせん言葉が通じない。我々としてもパスポートか外国人登録証かを見せてもらわないことにはどうしようもないということだった。タガログ語でリタに説明してやるとパスポートも登録証も部屋に置いて来たらしい。名刺(これが使う最後になるだろう)を警官に渡し自分が保証人になるから解放してやってほしい旨を訴えた。
 「M産業の方でしたか」残っていたM産業時代の名刺がこんなところで役に立つとは。関西一の規模を誇る大手企業、警察なんかにはまだハバが利くらしい。
 マニラからやって来たリタ、送って行く電車の中でタガログ語が話せて嬉しいとしきりに言う。それが初めての出会いだった。リタは何のためらいもなく俺を部屋に招じ入れた。
 「カモテキュー食べますか」懐かしい食べ物、サツマ芋のフライだ。ガランとした部屋。ベッドだけが隅にありボストンバッグが二つベッドの横に投げ出してある。カーテンもない。一昨日日本に着きその足でこの部屋に連れてこられた。流しに辛うじてヤカンと湯のみが一つあるばかり。雑貨品を買いたいが言葉が通じないので「組織」に電話をしたら茨木駅まで来いと言われた。ところが誤って南茨木駅で降りたようでうろついている間に警官に尋問されたという次第らしい。
 「一緒に買い物に付き合ってあげる。組織に電話したら」
 「そうだ、行けなかったことも言い訳しなくっちゃ」二人はお茶も飲まずに出かけた。茨木の百貨店で必要なものをリタの言うままに買い与えた。それぐらいの金はまだ自由になったし何の下心もなかった。
 「日本に来たお祝いだ」「それは困ります」「気にすることはない」「気にします」「じゃあ」と俺は妥協案を提示した。「働いた最初の給料で返して貰おうか」「はい、忘れません」懐かしいカモテキューをご馳走になり夕刻まで話をした。
 それから毎日、俺はリタの部屋に通うことになった。日本語を教えるために。
 「後一週間したら仕事に就いてたくさん稼いで故郷にいる家族に送るの」渡航から仕事の世話までする「組織」があると言う。「まずそこに払ったお金を稼がないと」「いくら払ったの」「二百万」驚いた顔をすると弁解するように「仕事の仲介料も入ってるの」相場は知らないが決して低い額ではない。年齢を聞くと二十一歳。俺がフィリピンから帰って二十年だから、そんなことはあり得ない。杞憂に過ぎない。
 フィリピンでは英語が通じるのに俺がなぜタガログ語を覚えたかというのはシルビアのおかげだった。というか覚えたかった。大学で第二外国語は中国語を選んだ。フランス語やドイツ語をやる気にならなかったのもあの「西洋かぶれ」が大嫌いだったし「おフランス」をやっている女子学生たちには吐き気を催した。もっとも大学はストのせいで授業はほとんどなく結局中国語も初歩の初歩しか学ばなかったけれども。マイノリティに対する圧倒的な共感があった。日本人の事大主義ほどイヤなものはないと考え生きてきた。俺自身が精神的にマイノリティだからか?
 読み書きが出来ないため食堂でウエイトレスをしていたシルビア、ホントに優しい子だった。マニラに派遣されていた二年の間、一度も日本に帰らなかったのはシルビアのため。詳しいことは避けるがおおよそは察してくれると思う。カトリックの彼女は日曜の朝の礼拝を欠かさなかった。週に二度は告白にも出かけていた。結婚の約束はしなかった、しかしこのままマニラに残ってもいいと真剣に考えないでもなかった。日本に未練がなかったとは言わないがシルビアと別れるつもりもなかった。勝手な言い分だと取られるだろう。俺もそう思う。しかしシルビアと別れて飛行機に乗った時初めて、人生を一度しか生きられないのを腹立たしく思ったのも事実だ。現地の取引先の経営者、これは地元経済界の有力者でずいぶん便宜を図ってやり見返りもたくさん頂いた。それがシルビアとの生活費となり最後は手切れ金ともなった。
 「どんな仕事?」明日から仕事を始めるというリタを就職祝いに梅田のイタリア料理の店に連れて行った。ワインを飲みながら尋ねる。「ホステス」「給料はいいの?」「月に十三万、いいでしょう」ちょっと得意そう。ホステスの給料にしては安すぎる。そう言うと、「日本語が上手くなってお客さんがつくともっと上げてくれるそうよ」「組織に掛け合ってやろうか?」「・・・・・・」「しばらく様子をみるか」リタが黙って頷く。
 事件は四ヶ月後に起こった。言っておくが娘のようなリタとは何もなかった。彼女の部屋で毎日日本語を教えていたが綺麗なものだ。リタの日本語はメキメキ上達した。もともとタガログ語と英語のバイリンガルだし語学の感覚には鋭いものもあったのだろうが、それよりも一時も早く一人前のホステスになりたい、たくさん稼いで故郷に仕送りをしたい、組織への借金も返したいという思いが強かったのだ。「生活かかってるものね」それがリタの口癖だった。日常会話にも慣れ客も付いたというのに一向に給料が上がらないことを知った俺は、「組織に掛け合うよ」茨木の事務所に出かけて行った。
 「あなたが大久保さんですか?」黙っていると、「リタとどういう関係ですか」四十代の浅黒い男。流暢ではないその物言いからすると日本人ではないよう。側のもう少し若い男、こいつは日本人かな。
 「契約を明確にしてほしい」俺はタガログ語で言った。男は驚いた風で、「あなたは日本人ではないのか?」「それも関係ない。要はリタの就労契約を明確にして欲しいということだ」「明確だ」表情のない顔というより読みとれない。職業柄身に付いたものか、強面で応対するつもりなのか、それも分からない。「書面で交わして欲しい」「既に交わしている」一枚の紙切れを差し出す。一番下にリタのサインがある。なるほど渡航並びに就労に関する契約書であることは確かだ。就労条件の規定もあるが給与のことは欠けている。「こちらの指定した職場で二年以上働くこと」とあるばかり。
 「給与額の明細が記されていない」「それはこちらで決める、働きに応じて」「昇給はないということか」「そんなことはない、リタが一生懸命に働けば昇給する」「その条件は?」俺も苛立って来た。「大久保さん、いいか。これはリタと私たちとの契約だ。あなたに口出す資格はない」「私はリタの代理人だ」「証明するものは?」「リタに聞いてみればいい」「法的なことを言っているのだ」俺は引き下がるしかない。相手がここまで世慣れているとは思ってもみなかった。「じゃ、リタに来させる」「結構だ」掛け合いは無駄に終わった。のではなかった。
 翌日部屋に行くとリタはまだ寝ているのか声をかけても返事がない。この三ヶ月なかったことだ。俺は近くのコンビニで時間をつぶして昼頃にもう一度ノックした。やはり返事がない。再びノックし、もう一度ノックする。何となく部屋に人の気配がする。無人ではないよう。リタか、それとも・・・・・・俺は引き返した。
 翌日、俺は迷った末やはりドアを叩いた。声のしないまましばらくしてドアが開いた。
 「どうかしたの?」無言のまま湯を沸かし始める。お茶を飲む間もリタは口を利かなかった。「何かあったの?」
 「見て!」Tシャツをめくると腹部の青黒いアザが痛々しい。「リンチか」リタの話では一昨夜、仕事が引けると表にトムソン(例の浅黒いフィリピン人)の使いの者が車で迎えに来て茨木の事務所まで連れて行かれた。事務所に入るとトムソンはいきなりリタの腹部を殴った。しばらくは息も出来なかった。痛みはその後で一挙にやって来た。使いの男が抱きかかえるようにして車に乗せアパートまで送り届けた。その男の一言「ルール違反だよな」「もう一度掛け合いに行くよ」「止めて」リタは目に涙をためて苦痛に耐えている。
 「分かった」抱きかかえるようにベッドに運ぶと俺も横になった。リタが首に回した手を離さなかったからだ。涙が首筋に触れる。ヒンヤリとした。かすかな香料がリタの髪から漂って来る。不謹慎かも知れないが俺は欲望を感じた。リタの背に手を回し力を込めずに押さえる。しかし欲望を感じたものの身体が言うことを聞かないことに俺は気づかざるを得なかった。こんな時にさえ・・・・・・俺はもう・・・・・・妻との関係は既にもう何年も前になくなっている。最後が何年前だったかさえ覚えていない。当然と言えば当然なのか? 何も言わないリタの髪の香りだけが俺を刺激し続ける。リタはそのまま眠ってしまう。
 「リタに暴力を振るうのは止めて欲しい」組織の事務所で掛け合いを再び始めた。「あなたには関係ない」「ないことはない」「とっとと帰りな」若い日本人に合図すると男は出ていきすぐに屈強な男二人と一緒に戻って来た。背筋が凍る。頭の中で鮮血が跳ねた。一メートルの高さまで舞い上がる・・・・・・俺は暴力は嫌いだ。大嫌いだ! 暴力だけは許せない。「どうするね」トムソンは薄ら笑いを浮かべている。俺は席を立った。立つしかなかった。それ以来リタの部屋には行っていない。理由? リタと関わることが恐ろしくなった。あるいは何もしてやれない自分にリタの部屋に行く資格がない? そうかもしれない。推測は任せておく。
 とにかく俺は無性にシルビアが恋しくなった。その思いだけはうち消しようがないのだ。どうしてももう一度バナハオ山を見ておきたい。そう思ってやって来た。

   3 『イーリアス』
 同窓会に木屋町での二次会からしか参加できなかったのは墓参りに行っていたから。同居人の由紀子の父親と兄の三十三回忌、来年になる母親の三十三回忌も兼ね、前日墓参りを済ませた。その日は広島の小さな料亭で由紀子の叔父つまり父親の弟一家を招待して行われた。もちろん主催は由紀子と私。もう一泊するという彼女を残して一人京都に駆けつけたのだった。
 昨日、新幹線の中で、
 「ゴメン、忙しいのに」週末に近いせいか、けっこう混み合っている。指定車両の通路にまで溢れてはいないもののデッキには立っている人がいた。新幹線の旅行は味気ない。
 「さあビール、ビール」ビールでも飲まないと旅行気分になんかなれないじゃないとまだ昼にもなっていないのに由紀子は駅弁を開けて缶ビールを飲んでいる。風景は速すぎるしスーツ姿の旅客が多い車内ではのんびりした旅の風情は感じようがない。二人そろっての旅は熱海以来だ。
 「別に一泊二日ぐらいどうってことないさ」実家のことで私を引っ張りまわすのに由紀子はまだ抵抗を残しているらしい。「小川の叔父さんに会うのも久し振りだから」元気づけるように言った。由紀子の父親は彼女が高校二年の秋に亡くなっていた。被爆者だった。東京の大学に進んだ兄の死が余程こたえたのか一月後に亡くなり看病疲れから母親も翌年に後を追うように逝ってしまった。家族を亡くした由紀子を叔父の小川夫妻が面倒を見てくれた。と言っても高校を卒業するまでの一年あまりで由紀子は名古屋のN大学を選んで下宿を始めた。叔父夫婦はその後もなにくれと由紀子のことを気にかけてくれ、おかげで一緒に暮らす時も叔父にだけは挨拶してくれと頼まれ広島まで出かけたのがもう十年ほど前。
 由紀子と初めて会った頃、小さな塾の講師をしていた。二三十人ほどの中学生と高校生とを教える私塾を経営する町田(大学時代同じアパートの住人だった)が職にあぶれた私を呼んでくれたのだ。京都のR高校を卒業後、東京のW大に進学したものの折からの大学闘争、授業に出ることもなく下宿と友人の間をふらつき回っている内に大学からはみ出していた。構内に平和が訪れる頃にはもう大学とは無縁のバイト人生を始めていた。結局大学の授業に一度も出ることなく「放校」されてしまい「授業なんか一度も出なかったぞ」、それが長い間誇りにしていた唯一のものだった。
 「あのう、学生課の貼り紙見たんですけど」野暮ったい黒いスーツを着た女の子が心持ち高潮した顔つきでこちらを見る。新学期までまだ少し間のある二月の終わりだった。受付にいた私が、「講師の応募?」「ハイ、そうです」「じゃあこれに記入して呼ばれるまで待っていて下さい」「ハイ、分かりました!」大きな声だ。まるで教えられたように身体を九十度に折って礼をする。記入した用紙を持って戻って来た女の子、「あのう、何を読んでいらっしゃるのですか?」「これ? 『イーリアス』」「は?」「ホメロースの『イーリアス』」「何ですか、それ?」記入された用紙を見ると得意教科は英語とあるが在籍は理学部。当然かな。「古代ギリシャの叙事詩」「面白いですか」「それほど」「なのに読むんですか」それが由紀子との出会い、広い額が気丈そうに見せている。
 その後結局八年の間彼女は塾で英語を教えて生計を立てた。院に進んだのち大学に職を得た由紀子の生き方は無風の大学を生真面目に生きた見本のようなもので、私たちの世代には望むべくもないものだった。
 私は当時一人の女性と住んでいた。
 二年前の夜、授業が終わって帰ろうとしているとかかって来た電話、「仕事終わった?」声ですぐにヒロミだとわかる。授業の終わる時間を知っていたよう。「じゃあ飲みに行きましょう」東京にいた時、W大の或る劇団の看板女優だった彼女、私は熱心なファンだった。パチンコで稼いだ金をはたいては高級な酒を差入れしていた。いわゆる「追っかけ」をしていたのだ。歳は私よりも二つか三つ上だったと思う。栄(さかえ)に出て焼き鳥をご馳走した。二軒目はちょっと静かなバーへ。かなり酔った後で、
 「東京にはもう戻らないから」ハンドバック一つで東京から逃げるように「落ちて」来た彼女はそのままネコのように部屋に居着いた。しばらくして知ったのは劇団の主宰者であり脚本と演出を兼ねた槙野という男が若い女優と恋に落ち、以後ヒロミには主役が回って来なくなったという。「名古屋で一旗あげるんだ」が当初の口癖。始めからあまり信じていなかったけれど彼女に憧れていたわたしには幸運以外の何ものでもなかったと言える。
 「何ィッ、これ!」「味噌カツ」「どうしてカツに味噌なんかかけるのよ」「でも旨い」「おばさん! この味噌ダレ取ってくれない」
 ヒロミは決して味噌カツを食べなかった。味噌煮込みうどんも毛嫌いしていた。彼女が最も憤慨していたのは「カツ丼」。「カツ丼って、名古屋じゃご飯の上にキャベツとトンカツ。それにソースをかけて食べるのね。でもカツ丼ってとじた卵と一緒に出てくるものなのよ!」住めば都にならなかった。二年も「田舎」にくすぶっているとさすがに東京の水が恋しくなってそのうち「東京に出たい」と口癖のように言い出す始末。
 由紀子が就職も決まり塾を辞めて行った翌日、ヒロミは一枚の書き置きを残して、来た時と同じようにハンドバッグ一つで出て行った。残された彼女の下着を見ても寂しくも何ともなかった。
 「あら先生」それから五年ほど経った初春の夕暮れ、花見がてらの鶴舞公園でバッタリ由紀子に出会った。地味なダーク・ブルーのコートが返って表情を浮き立たせている。
 「花見ですか」視線を遠くに移した。「ええ」「お一人?」「そう、小川さんは?」「私も」視線を足もとに落とす。二人で花見客の中を縫うように歩いた。花見だけは毎年欠かしたことがない。故郷の桜には及ばないもののこの季節だけは部屋にじっとしていられない。
 「もう三度目なんです、今年の花見」「そんなに?」「この時期は比較的余裕があるから」「私も」学生時代と違う雰囲気を由紀子は漂わせている。単に職場の外では違う表情を持っているに過ぎないということか。人には様々な表情がある。
 「『イーリアス』は終わりましたか?」学生時代、ストやロックアウトで学校に行けない日々が続いた。最初の一年はパチンコばかりしていた。プロ並みの腕になり挙げ句にはいつも行く店では支配人らしい男に「今日はこれでお帰り願えますか」と何がしかの金で追い返されるようになった。大学の二年目になると次第に不安になって来た。このまま何もしないで卒業してどうするんだろう。それから毎日本を読み出したが手持ちの本はすぐに尽きた。古本屋で文庫本を十冊とかまとめて二三十円で売っているのを買い漁り、『大菩薩峠』も『戦争と平和』も『源氏物語』も読んだ。ランダムにまとめて売っているので『大菩薩峠』の二巻目だけは三冊も持っていたし『失われた時を求めて』の四巻目「ソドムとモゴラ」は読まずじまい。呉茂一訳『イーリアス』上下二巻の岩波文庫。どういうワケか、この長大な叙事詩を全部暗記しようと思ったのだ。聞くところではホメロースダイ(ホメロース語り)という語り部がいたとか。なら出来ないはずはない。「憤りの一部始終を歌っておくれ、詩の女神ムーサイよ、ペーレウスの子アキレウスの呪わしいその憤りこそ数知れぬ苦しみをアカイエ勢に与え、またたくさん雄々しい勇士らの魂を冥府(よみじ)へと送ってやったものである。」
 『三国志』を読んだ折り、戦闘シーンで死に行く戦士等の数そのあまりの多さに合計すると当時の人口より多いのではないかと滑稽な感を覚えたが、トロイア(イーリアスとはこのトロイアの別名)とギリシャそれに神々が一緒になって闘う物語にはまた別様の滑稽さが漂っていた。全二十四巻、一年で一巻、二十四年で完成する。四十四の歳には覚えきっているはずだと。
 「まだ十六巻目」由紀子は吹き出した。「ごめんなさーい、まさか本気だとは思わなかった」当然かも知れない。「すごいね。覚え終わったらお祝いしてあげる」
 それから八年後、「熱海に行かないか?」由紀子はためらう様に頷く。知り合ってから二十年あまりが経っていた。それがプロポーズ? 由紀子は「お祝い」のつもりだったろうか。式も挙げなかった二人の新婚旅行。その頃はもう海外へ新婚旅行に行くのが普通になっていたのに。
 子供は由紀子との合意で作らなかった。自分のみを養うのに精一杯の二人に子供という宝は重すぎたのか、それとも何かにつけ及び腰になっていただけなのか。いや単に二人とも歳を取りすぎていたからだけなのかも知れない。籍もまだ入れておらずこれからも入れるつもりはない。だから妻とは言わない。世間には互いに「同居人」と称している。
 熱海の旅館で由紀子が言った。
 「三十になるまで毎朝眼の覚めるのが怖かった。自分が発病しているのではないかって」被爆者の子に発病する可能性は高い。白血病だ。結婚など考えられない。「それに・・・・・・高校に上がる年にすぐ上の兄が交通事故で、二年後、数ヶ月の間に両親と兄を亡くし自分も長くないという強迫観念に憑かれていたの」いつ死が訪れるか分からない恐怖。今こうしている間にもヒタヒタと押し寄せているかも知れない。今夜は幸せでも翌朝起きれば発病している? 「兄の自殺の原因は発病だったと思う」・・・・・・由紀子の明るさは性格なのか、それとも暗闇の底までたどり着いた果ての明るさ? あるいは自分の恐怖を隠蔽する隠れ蓑に過ぎないのだろうか?

   4 喧嘩
 「お前は負け犬や」俺は思わず怒鳴ったんや。そやのに大久保、何も聞かんかったみたいに手の紙コップ見てる。売店の女の子がこっちを窺ってるけど空港で口喧嘩するんてそんな珍しいことなんやろか。
 「今が不遇やゆうてこれまでの人生すべて否定することあらへんやないか」声を落として言う。「お前はエエやんか」「何で俺が『エエ』んや」「大学なんてとこにいたら、昔のままの生き方が出来るしや」俺が怒り出したのはまだ終わりもしてへん自分の人生否定するなんて余りにも情けないからや。
 大久保が声落として言う。「人、裏切ったことあるか?」「・・・・・・」「あっても言えへんわな」「何が言いたいんや」「ほんなら裏切られたことは?」「ないこともない」「そやな、五十年以上生きてたらそんなこともあるわな」「三十年近く尽くしてきた会社にある日ポイてされたら人間不信になるんも当然やろな」「会社かァ」大久保は吐き出すように言うた。「違うんか?」「組織なんていつもそうや、自身が生き延びるためにはいっつも個人に犠牲を強いよる」「そやったな。あの時も」「あの時?」「そや大学の自治会が・・・・・・」「やめとこ、そんな昔話」「そやな」
 大久保はコーヒーの紙コップをテーブルに置くと、「会社の倒産は体(てい)のエエ〈リストラ〉やな」「長いこと勤めてたらそれぐらい分かるやろ」「リストラやったら退職金の上乗せとか経費かかるやんか、そやけど倒産やったら知らんふりも出来る。専務とか社長は親会社のM産業に戻り、部長以下はハイさよなら」
「俺は思うんやけどな」て持論を述べてやった。「リストラって要は首切りやろ、言葉だけ体裁ようしても内実は変わらへん。そやけど景気が悪なって人辞めさすことで乗り切ろてするぐらいのこと高い給料貰てるお偉方でのうても誰にかって出来る。俺にかって出来るで、心さえ鬼にしたら。そやけどそのシンドイとこを頭ひねって乗り切るんが高い給料貰てる人間のやることチャウんか。従業員の生活に対する責任はどこ行ったんや」
「そんな単純なもんでもないけどな」大久保は苦笑いしてる。「年功序列、終身雇用、これこそがJapan as No.1の秘訣やゆうてつい最近まで自慢してたやんか、組織のお偉方は。それが一夜明けたら掌(てのひら)返したようにリストラ、リストラや。アメリカ型の合理主義的経営や」「お前さんら学者先生がチャンと社会を指導せんからや」「学者にそんな力あるかい!」「自分で手足もぎ取ってんとチャウんか」「どういうことや」「まあエエけど」大久保はそんな議論なんかしとうもないゆう顔でこっち見た。「俺かって別に無駄飯食ってるつもりはあらへん」「象牙の塔に立て籠もってる教授を批判したんは昔やったな」しかしすぐにイカンイカン、お前さんと話してるとすぐあっちの方へ話題が行ってしまうと苦笑い。「悪かったん、職業柄しかたあらへん」
三十数年前、俺が大久保やデンツーたちと同じヘルメット被ってたん知ってるやろ。資金獲得のためC大の自治会乗っ取って文学部の大学院生が委員長やっとったけど、七十年安保を前に闘争はメチャクチャ盛り上がってた。日本がアメリカの軍事力に依存する間は独立国と言えない、安全保障条約を延長することはとりもなおさず日本国のアメリカへの従属を意味する、学長をはじめ教授はこの事態にいかなる態度をとるのか、明確な返答を求める・・・・・・団体交渉の席上でTはこんなこと言うてた。学者が学者であるという特権に居座って政治に対してコミットしないのは卑劣以外の何ものでもない! デンツーも大久保も俺と一緒に、そうだ! そうだ! て野次飛ばしてた。
 「今は時代が悪いわな」「どう悪いんや」大久保が言う。「俺の大学にな、李魯哲(イ・ノチョル)ゆう英米文学の助教授がおってな、このリー先生の仰るには教育現場は非政治的であるべしみたいな通念が今やあるけどこれほど政治的に創り出された空間もない言うんや」「詳しく言うたら?」「今や高校・大学では政治の話はタブー。そやけど昔俺たちの頃って中学でも共産党員の教師が結構政治の話、普通にしとった。そやから六十年代後半からは高校でも闘争が起こったんや。高校生の政治意識は今と較べもんにならんくらい高かった。ところがそれにこりた文部科学省・教育委員会は大学を含む教育現場の脱政治化を画策しよったんやな。その結果がこれや。中高・大学生の政治的無関心」「なるほど目下非政治的空間て思われてる教育現場のその非政治性ゆうんは政治的に作られたもんやて言うことやな」「その通り、非政治的空間ゆう政治的空間なんや」「日韓和平交渉の結果がセンター試験への韓国語導入やもんな。教育と政治が無関係であるはずあらへんのは当然や」「そのリー先生な、盛んに学生煽っとるんや。君ら今の日本のあり方、エエ思てるんかて。そしたら学生ら、しょーもなっ、て冷めた眼返しよるだけやてリー先生愚痴ってた」「繁栄の中で手足どころか心意気まで奪われてしもたゆうとこかな」「まあそんなとこ。自民党の所得倍増計画、高度成長路線の勝利や」「そやけどその学生たちの親が俺たちなんやけどな」「お前らが甘やかすからや」この点だけは俺、結婚もせず子供も作らず免責されてるけど。「お前さんはどうなんや」大久保チラッと俺の方見た。「俺か・・・・・・俺はゾンビたらんとしてる」「なんやそれ」「何度死んでも生き返る」軽蔑するような眼。「あの裏切りで最初に生きる牙、抜かれてしもたけど」自治会の委員長が自殺し副委員長の山崎が大学側と取引した。機動隊の導入回避する代償として団体交渉権を放棄した。新委員長の山崎は自治会の存亡賭けた闘いやて言うてた割には闘争は尻すぼみ、そりゃ団体交渉権なくしたら闘争のしようがないやんか。二年後には自治会も解散、山崎はいつの間にか大学の助手になっとった。この話、前にもしたな。
 「山崎はどうしてるんや」大久保は懐かしそうに言う。みんな山崎の裏切りには唖然としてしもたけど大学はいつか卒業する、みんなおらんようなった後で彼はとうとう教授にまで昇進しとる。母校の大学教員と学会で会うて噂ときどき耳にするけどそう悪ないで。処世術のうまさだけでは言い切れんもんあるな。「俺たちは」大久保がシンミリと「あの空白埋めようとガムシャラに走って来たんやろか」「モーレツは空白の補償行為てか」「でもやっぱり埋め切れんかったんかな」

   5 聖(サンタ)マリア
 同窓会のあった翌々日、嶋田から電話があった。週末に京都まで来ないか、何だったら俺がそっちに行ってもいい。ちょっと話したいことがある。土曜日の最後の授業を終えて新幹線に飛び乗った。車掌が検札に来て「のぞみ」だからと言って追加料金を巻き上げて行く。新幹線の一時間ほど『オデュッセイア』第九巻の暗誦に耽った。『イーリアス』のトロイア戦争は終わり、勇士オデュッセイアの故郷イタケーへの帰還の物語、その『オデュッセイア』を今度は暗誦している。同じく二十四巻。終わるのは六十八歳。
 「ほんならギリシャ語はペラペラやろ」日本語訳では意味に頼り却って暗誦しにくい、『イーリアス』を始めて数ヶ月で悟った。以来古典ギリシャ語の原典を覚えて来た。「長短短」が六回繰り返される「ダクテュロス・ヘクサメトロス」と呼ばれるリズム。暗誦は意味よりもリズムに頼る方が効果的なのだ。そう告げた時の嶋田の反応。
 「そんだけギリシャ語覚えたらギリシャ行っても言葉に不自由せんで済むしエエがな」ほとんど通じないよ、「花こそ咲けめ、みたいな古文で喋るのと同じだから」「でも古文でも半分以上理解できるがな」「それにイオニア方言だし、ダメだと思う」「そうなんかなあ」「第一ギリシャに行く機会なんて一生ないから」
 京都に着いたのはもう十一時を回っていた。「風月(プンウォル)」までは歩いて十分ほど。この辺りに韓国人の多いのは東山トンネルを掘るのに動員されたせいだと嶋田は言う。彼は先に来ていた。席に着くやいなや、「大久保から手紙が来たんや」「大久保?」「そや」「でもあいつは遭難したんやろ」「死ぬ前にマニラで投函してる」「・・・・・・」「死者からの手紙、ゆうとこかな」
「それにな、三日前マリアがパクられた」「聖(サンタ)マリアが?」「売春容疑や」「それで」「下手したら強制送還」
やりきれない思いが胸を締め付ける。ママが側に来て切れ長の眼を伏し目がちに腰を下ろした。

   6 大久保の手紙・2
 リタと別れる決心をして自宅に帰った夜、俺はウイスキーを飲みながら居間でテレビを見るともなく見ていた。
 「庸一の子供のことですけど」妻が傍らに来た。来月長男に子供が生まれる、その祝いや何かの相談だった。美智子、庸一の結婚相手だが、彼女が実家に帰っているのでそこにも挨拶をしなくてはいけない。いつどういう形で?
 「任せるよ」これまでのように俺は言ったが、「テレビ、切ってくれない」風向きが怪しいと察してすぐにスイッチを切る。あなたは私の話を聞かない。私よりテレビの方が大切なのね。何度も小言を言われている。
 美智子の実家にどうするか、どうにか打ち合わせが一段落して、「いよいよあと五年で退職ね」「そうだ」「ローンはまだ八年残ってるけど退職金でなんとかなるわよね」「ああ」「余ったお金で海外旅行でもしましょうよ」「海外旅行?」「ええ」「フィリピンは?」「いやよ」「どうして」「どうしても。行くならヨーロッパがいい」「・・・・・・」「パリかローマか、そのあたり」
 妻はフィリピン滞在中一度もやって来なかった。もちろん子供に手がかかったこともあったがそれだけだろうか? 本心のところは分からない。聞いても言わないだろうから。アジアはイヤだという言葉を避けるほどには「教養」を身につけている。
 庸一の結婚式から帰った夜、「庸一は私一人で育てたようなもの」妻がポツリと言った。積年の恨みが込められているかのような口吻だ。反撥しないのが生活の知恵というものか。確かに子供に手のかかる時期、仕事仕事の日々だった。単身赴任で二年もフィリピンにいた。「生活費を稼いだのは誰なんだ」は縺れをいっそう複雑にするだけなのは分かっている。
 「ご苦労だったね」ねぎらいの言葉に苛立ちが消えて行くことを願った。もう寝ようという時、「あなたに先立たれたくない」
 こういう言葉を独身のお前さんは愛情表現と取るかも知れないが俺の見方は違う。結婚以来ずっと「専業主婦」だった妻は今さら糧を得る道のないことをよく知っているからだ。俺は金を運ぶ伝書鳩。その役に不満なのではない。結婚する時誓ったのだ、この女の面倒は生涯俺が見ると。低血圧で〈宵っ張りの朝寝坊〉の典型である妻は子供が小学校に行っている間ことのほか朝が辛かったよう。中学校になってからは子供が勝手に起きて学校に行っていた。近頃は夜に睡眠薬を飲むせいかますます起きる時刻が遅くなる。起きても午前中は何も出来ないでいる。いわゆる〈出来た女〉ではないのはもちろんだがそれはお互いさま。俺は一人で朝食を食べて来た。お互い生きるのに懸命だったのは間違いないからそんなことをとやかく言う気は毛頭ない。ただ三十年近く一緒に生活をして来た相手にチクリチクリやられるのが耐えられない。
 「あなたはまじめに働く人よ、でも人の心の分からない人」
 俺の人生は失敗だったとこうなってつくづく思う。三十年連れ添った相手と心を分かち合えず、老後に旅行の一つもさせてやれないのだ。退職金? そんなものはもうとっくにないのに。ローンが払えなくなるとこの家は明け渡さなければならない。そんなみじめな思いだけはさせたくない。ユタカ産業に左遷され給与が下がった時も家だけは手放さないよう努力して来た。今頭にあるのは保険金のこと。俺の命には二つの生命保険がかかっている。借金のために銀行がかけたものと妻のためのもの。俺の命は合計三億円の価値がある。一人息子の庸一はもういいだろう。あいつはあいつで何とかやって行く。もう大人なんだし。妻は庸一を医者にしたかったらしいが小学生の時すでにその望みを棄てなくてはならなかった。もっとも庸一の成績からすれば却って幸福だったと言うべきだが。
 五年生の時、担任の教師から電話があった。妻が学校に駆けつけてみると庸一は保健室に寝たまま。理科の実験中に隣の生徒が誤ってメスで自分の腕を切り大量の血を流しそれを眼にした庸一は貧血を起こしてその場で卒倒してしまった。
 「血を見るとダメみたいですね」担任は薄ら笑いを浮かべていたろう。その夜妻が言った。「庸一は医者には向いていないみたいね。あんな意気地なしに育てた覚えはないのに・・・・・・」「遺伝だ」と出掛かった言葉を飲み込む。いや獲得形質が遺伝しないとすればこれは遺伝ではないがあれ以来血を見ると足の力が抜けるようになりその体質を息子の庸一は受け継いだに違いない。
 「どうぞ」先日電車の中で小さな子を抱いた女性に席を譲った。初老の男に席を譲られ彼女はたいそう恐縮していた。「一歳ぐらいですか」と声をかけてみたかったがそのまま窓外の景色に目をやった。この歳になると無闇と子供がかわいい。先日も母親に背負われた赤ん坊の頭を撫でてしまいそれに気づいたらしい母親に怪訝な顔をされた。庸一の小さい頃のことがしきりに思い出される。至福の時が長続きしないなんて三十代の男にわかりっこない。取り返しがつかないからいっそう追憶の念が掻き立てられるのだろうか。庸一も子供が大きくなってから俺と同じ思いを抱くかも知れない。
 一日一日真剣に生きてきたつもりなのに三十年という年月の固まりになった途端、ホゾを噛むような思いに襲われるのはどうしてだろう。過ぎ去った歳月ほど人を切なくさせるものはない。
 好きな女を持つのは爆弾を抱えるようなものだ。これでも俺はかつて妻を愛していた。我が身のことは自分で始末できる。しかしいつも側にいるわけでもない女に恋をすると時限爆弾を抱えなくてはいけない。しかも自分でセットできない時限爆弾。
 出張から帰ってみると妻が臥せっている。「朝から熱があるの」昨日から何も食べていないという。若かった俺はオロオロしてどうしていいかわからない。まだ結婚して間もない頃だ。牛乳と卵を買って来て粥を作ってくれと言う。「どうして電話しなかった」「仕事中に悪いと思って」なぜか無性に腹が立って妻を怒鳴ってしまった。「バカ、これからはすぐに電話するんだ」「でも少し熱が出たくらいで」それもそうだ。しかし数日間機嫌が悪かった。
 爆弾はいつどこで爆発するか分からない。ただ一つ確かなのはそれが俺の不在の時だってこと、これだけ。
 「寿司がおかしいの」出張先のホテルに電話があった。運動会でずっと出かけていた庸一と妻は夕食に近所の寿司屋から出前を取った。だが握りのマグロがプンと匂う。電話をかけて苦情を言っても取り合ってくれない。「うちはそんな古いネタ使っていません」の一点張り。「じゃ、俺が電話する、番号を教えて」寿司屋は苦情の主が女だったせいか高飛車に出たのだろう、俺が電話すると新しいのをすぐに配達するという。折り返し妻にそう言ってやると悲しそうに、「そう、よかった」とだけ返事をした。手の届かない所に大事なものがあるというのは切ないものだ。大切なおもちゃを抱いて寝る子供の真似を大人はもう出来ない。
 俺は自分の人生で三度、大きな裏切りをした。一度はシルビアを棄てた時。だがその時には既に妻への大きな裏切りもしていたのだ。俺はその朝いつも通りシルビアの頬にキスをして、いつも通りの時間に部屋を出た。昨夜、不思議なものでシルビアも最後の夜だということが分かっていたような気がする。何も言わずとも分かっていてくれたような気がする。「暖かい手ね」いつまでも眠ろうとせず私の手を握りしめては頬に当てていた。
 部屋を出てしばらく歩いてから後ろを振り返ると見えないバナハオ山が黒くそびえ立っているのだった。

   7 〈リー先生〉
 俺はみんなが知ってるようにアメリカに逃げた。卒業は日本におらんでも出来たんや。当時大学は頻発するスト、ロックアウトで授業なんかロクに行われてへんから試験のしようもない。大学側も過激な学生には、はよ出てってもらいたいんで俺たちはみんな卒業させられてしもたゆうワケ。カリフォルニアで一年働いてその金で大学の聴講生になった。大学の教授連とコネ付けて入学の話取り付けてから日本に帰って正式な留学生ビザ取得したって次第。当時まだアメリカの大学で学位とるのん珍しかったさかい、六年後に帰国してもうまい具合に私大の講師にもぐりこめた。
 思い出しても闘争が収束した後のあの空しさはどうしようもなかった。毎日下宿で呆然としてた。何も手につかんゆうんはあの時のこと。このままではどないもならん思うてアメリカへ渡った。どこでもよかったんやけど父親の仕事の関係もあって当時はアメリカが一番行き易かっただけ。アメリカに行くことが決まってから向こうで社会学の理論をきちんと学んで日本の社会を「転覆する」理論を構築したるなんて雄大な構想もあったけど、アメリカで生活してるうちにダンダン気が変わって来たんや。アメリカ人の底抜けの明るさ、何かゆうたら「ヘイ、パーティね」明けても暮れてもパーティ、パーティ。虐げられてるはずの黒人もダンスのリズムに乗っていっつも踊っとる。こいつら何やろうて思た。
 七十年代、六年間のカリフォルニア生活で得た結論は一つは圧倒的なモノの豊かさと安さ。今の日本にもモノが満ち溢れているけど根本的な相違はアメリカのモノは安いの一語に尽きる。基本生活費が安くつくゆうこと。それも所詮は国家戦略の勝利やねんけどな。とにかく酷い差別があり矛盾が山ほどあってどうみても崩壊寸前やのにそれでも円滑にとまでいかんでも何とか社会が成り立ってるんは生活必需品の安さ。パンとか野菜とかハムなんかだいたい日本の三分の一までや。「とにかく食ってはいける」てそう言う時の収入が段違いに低い。これが一番大きな相違。
 二つ目は権威のないこと。そら権威もあるにはあるで、大富豪とか大学の先生・政治家とかには一応敬意払われてるし憧れてる人間も多い。けどな、権威主義とはぜんぜんチャウ。何てゆうたらエエんやろ、価値観の多様性ゆうても微妙にズレてる。個人主義ともチャウな。とにかくゴーイング・マイ・ウェイが普通なんや。いろんなあり方がみんなOKなんや。それは日本にない自由やった。周囲に気を使わんでエエのが気楽。日本のように隣近所や周囲の目ぇ気にせんでも生きていけるゆうんがアメリカの長所。彼らの生活見てたら俺は眼から鱗が落ちる思いやった。「そうか、こんな風に肩肘張らずに生きたらエエんや」て。日本に帰ったら窮屈で帰った当初は無性にカリフォルニアに帰りたかった。ホームシックみたいなもん感じた。
 リー先生つまり李魯哲(イ・ノチョル)な、こいつは俺と同じカリフォルニアにおったゆうこともあって、歳は親子に近いほど違うんやけど「ウマが合う」てゆうかよう一緒に飲みに行くんや。ちなみに言うとくけどアイツは生粋のエリートでカリフォルニア大、俺は名前も出せない州立のカレッジ。日本人は知らんけど東大と手芸種智院大学ぐらいの差があるんや。手芸種智院大って聞いたことないか。空海の建てた日本一古い大学やさかい千年近い歴史がある。京都の九条大宮にある東寺、真言宗の総本山。この寺の付属大学やな。毎年定員割れしてるってくらいやけどな。
 リー先生は学問の世界ではエリートやけど現実では違う。〈在日〉の貧しい家の生まれ。そやから反骨精神だけは人一倍旺盛。
 今年の春の教授会で教授の定年延長が提案され可決された。その審議の際唯一反対論をぶったのがこのリー先生。「今世間は不況でリストラとか早期退職とか給与の高い高齢者よりも体力があり給与の安い若者を使うという風潮が一般である時期に、当大学が高齢者を優遇するのは世間の反撥を買うことは必至で引いては来年の学生募集に差し支えるのではないでしょうか」
 世間の風潮に逆らうことで学生募集に差し支えるから反対か。なかなか上手い理屈弄しとるな、俺は感心したで。考えてみ、若手が反対なんは火を見るより明らか。教授が退職せんことには助教授連は教授になれへん、定員が決まってるしな。そもそも教授会で教授の定年時期を延長するてゆうんも何かおかしな話やで。そら教授たちはそんなしんどい仕事やないさかい一年でも長く勤めて給料貰いたいし退職金の額も増やしたいわな。それを教授会にかけて誰が反対する、そやろ。教授会は教授と助教授だけから構成されてる。助教授かていずれは教授になるんやから悪ない話。悪いのは助教授が教授になるんも教授会の承認によるゆうこと。そやからここで反対して教授たちの反感買(こ)うたら自分の教授昇進に差し障りが生じる。助教授連は教授の定年延長は自分が教授になる時期が遅れるから内心では反対なんやけど昇進のこと考えたら反対出来ひんのや。そこでリー先生あからさまな反対論ではなく搦(から)め手(て)から攻めたゆうわけや。知能犯やな、こいつ。それでも反対1、保留3、賛成大多数で可決。パチパチ。
 後であの保留は誰やねんて、また嗅ぎ回るしょうもない奴がきっと出て来よるで。教授室に戻ってからリー先生の研究室に電話かけた。教授は教授室貰えるけど助教授は講師と一緒の研究室しかないんや。コールするけど誰も出て来(こ)おへん。仕方あらへんし又の機会ゆうことで帰り支度始めた。タバコもう一服しておもむろに腰上げる。近頃の会議は禁煙ゆうんで愛煙家には辛いもんがあってな。タバコの煙が毒やなんてトヨタの陰謀やで。タバコの煙が身体に悪いゆう風に宣伝して地球の温暖化だけやのうてホンマに体に悪い排気ガスの問題から目ぇを逸らせるためやでて、名古屋の大学で夏期の集中講座の際にしたら学生の総スカン。豊田市から来てる学生の多いのんすっかり失念してた。
 立て続けに二本吸い終わってJRの稲荷駅まで来たら前をトボトボ歩いてるんは他でもないリー先生。高槻まで帰るゆうのを無理矢理(でもないか)引き留め近くの居酒屋に入った。
 「お疲れさん」何も返事がない。かなりご機嫌斜め。そりゃそうか。反対1ではな。俺は商売柄、定年制と産業効率について勝手に喋った。リー先生がほとんど上の空ゆうんは分かってたけど実はこっちも上の空。塩味のキツイ砂肝、ちょっと臭いがキツイ。この店イマイチやな・・・・・・まずいよあれは、いや、砂肝のことやない。さっきの会議の件。教授昇進が遅れるでて言うたら、別に教授昇進にこだわってへんさかいゆう返事しよるやろし、なかなか熱弁やったなて誉めたら、反対なんやったら何で援護してくれへんかったんですかて切り返されるやろし、ここんとこはどう話題振ったらエエかなかなか難しい。そんな思案するくらいやったら何でリー先生誘たんやてか? そこは「義を見てせざるは勇なきなり」、ちょっとチャウか、ホントの「義」は会議での援護射撃やったんやけどまあエエがな、一杯おごってやりとうなっただけや。
 「延長案を言い出したのは学長の羽田氏と違うんですか?」とうとう先生口開きよった。
 「そや、それがどした」空になったグラスにモルツを注いでやる。こいつ結構味にうるさい奴でビールは麦芽百パーセントやないと嫌やてこだわりよるんや。
 「羽田氏て嶋田さんと」俺の方チラッと見て「同(おんな)じで七十年代生きた人と違うんですか?」要は闘争学生やってたってこと言いたいみたい。「そや羽田氏はN大全共闘の副委員長やったお人やで」「それが何であんな愚劣なこと言い出すんです?」「時代が変わったゆうことかな」「時代が変わると人まで変わる」「そういうこっちゃ」「でも俺の国籍・立場は変わらない」「・・・・・・」「日本は豊かになり生活も変わった、思想もかな」リー先生そう言うてグラスのビール一息に飲み干した。「思想は脱ぎ捨てることが出来るからいいけど、国籍いや〈在日〉ゆう立場は変えることできひんのです」「額に印きざまれたカインゆうとこか」「違います。カインはあなたですよ。私たちはむしろ殺されたアベルかな、いやいずれも比喩が適当でないですね」
 「まあエエがな。確かに日本国籍持ってても〈在日〉ゆうんはついて回るわな」〈在日〉の差別、〈在日〉だけやあらへん、差別はいかんゆう大義名分のおかげでよけい差別が潜在化し陰湿になっとるゆうんは俺にもよう分かる。リー先生ビール瓶を取り上げ自分のグラスに注ぎついでに俺のにも入れてくれる。「おねえさん、ビールもう一本」ハーイと向こうで威勢のいい返事。ついでに軟骨の唐揚げ注文しよった。
 「犯罪おかしたら必ず朝鮮名出しますよ、マスコミは」「しかしあれだけ左から右に極端に変わる奴も珍しい」砂肝の最後の一切れ、リー先生に「どうや」てアゴで示したら、彼、おもむろに箸を取り上げる。「珍しくないですよ。それに本質は変わっていないかも知れない」「うん?」「この店入った時からアテにせんかったけどやっぱりハズレですね」「砂肝、旨うないか?」「ちょっと臭いますよ」「一皿三百円やったらこんなもんかも知れんで」「そうですかね」「軟骨の唐揚げ、期待しよ」「無理や思いますけど」粗末な食生活してる割に口が肥えてるゆうんも厄介なもん。
 「権力欲、かな? 嶋田さんの世代、全共闘の世代とも言いますけど彼ら今たいていの世界で管理職になってるでしょう」「そういう時期やな」「自分たちはあれだけ自由に振る舞ってたのに何で若い世代にああ抑圧的に出て来るんでしょ」「それが権力欲やって言うんか」今度はまっすぐ俺の方見て言いよった。
 「嶋田さんは何で反対せんかったんです、保留の一票、嶋田さんでしょ」来た来た。そう聞いて欲しかったんかも知れん。そやけどこれってマゾみたいなもんかな。自分の弱いとこ突いて貰いたいなんて。出汁巻きつついてた手ぇ休めて、「反対票二つ欲しかったんか?」「違います」リー先生、空になったビール瓶のラベルじっと見てる。「嶋田さんの考えが知りたいだけです。賛成大多数の現状、嶋田さんの一票では変えようないことぐらい分かってます。それより・・・・・・」「じゃ踏み絵やゆうワケやな?」「踏み絵?」その時「お待たせ」言うてハッピ姿の女の子が軟骨の唐揚げ持って来た。それ一切れ摘みながら「そや俺を試す踏み絵」「そんなつもり毛頭ありません。そやのうて個人的に知りたいんです」「賛成ではなかったゆうだけやったら答えになってへんか?」「反対でもない」「違うんやな。若い奴はすぐ黒か白か二項対立でしかもの考えられへんさかい青い言われるんや。黒でも白でもないゆうんがある、この世界には」俺は居心地の悪い思いしながら言葉を継いだ。「灰色ですか?」「そう言うてもエエ」「いいですね、灰色になれる人は。〈在日〉はいつも黒ですよ」「そんなことはない」「灰色になれないんです。自分は灰色でいいと思うても世間が白でないから黒だって決めつけて来るんですよ、社会が」「それは分かるけど」
 そろそろ日本酒に変えるか、言うたら頷いたんで「お銚子、ダブルで」て大声出した。「パレスチナに対するイスラエルかな」「?」「イスラエルはパレスチナのテロルに会うたびにテロルに数倍する報復を以ってしよる。これでもかこれでもかって言うほど。あれ一つは心理作戦でな、徹底して攻撃することで相手の戦意喪失狙ってるんや」「嶋田さんがイスラエル?」「チャウチャウ、これは比喩や。徹底してやられて戦意喪失したパレスチナ、それが俺たちの世代かも知れんて言いたいんや」「七十年代の闘争の挫折のせいだってことですか」お銚子が来たので残ったビールそのまま二人とも酒に切り替える。「でも学長の羽田氏見てると戦意喪失したパレスチナ・ゲリラには見えませんけどね」「あそこまで変わらんでもエエ言うんやろ」「あれじゃまるでイスラエルに寝返ったとしか言い様がない。プチ・シャロンですよ。私には分からんのです。というか挫折のせいやなんて言うてられるんは日本政府の庇護があってノウノウと生きられる人たちの台詞やないんですか。〈在日〉、パレスチナもそうですけど挫折なんかしてられへんのです」「キツイ批判やな」「別に悪気はありません」「分かってる」
「でも、挫折したからゆうて戦線離脱できるのは日本人です。〈在日〉は戦線離脱できひんのです。存在自体が〈前線〉なんやさかい」「たしかにお前さんらは存在自体が政治的やわな」「違うんですよ」「違うて、何がや?」「〈在日〉が政治的なんやないんです。いや、こう言うた方がええかな、〈在日〉の政治性こそ、〈日本人〉の政治性を浮き彫りにさせる鏡やて」「どういうこっちゃ? ようわからんわ」「〈日本人〉は普段自分たちを非政治的な存在やおもてるけど、それはその政治性が隠蔽されてるからです」「近代国家にあっては、非政治的存在などあり得ない」「そうそう」やっとリー先生に誉められたかな。
「学校が政治的に作られた非政治空間であるように、政治なんかに関わりたくないゆう〈日本人〉の日常の感覚も政治的に作られたもんなんですよ。政治的なのは〈在日〉だけやあらしません。国民はみな政治的存在なんです」「かつての闘士も今は非政治的な一市民や思うて生活しとる」「そうゆう自分の政治性にも気ぃつかんと」「近代国家の巧妙なシステムやな」「・・・・・・日本の社会変えるためには日本人の力が不可欠やのに良心的な日本人が挫折を隠れ蓑にダンマリ決め込んでるゆうんがハガユイのかも知れません」「なに甘チョロイこと言うてんのやっ、てか?」「隠れ蓑がないんです、パレスチナ人も黒人も」
何やさっきから同(おんな)じとこグルグル回ってる気がする。もう酔うたんかいな。今日は酒の回りが早いなあ。リー先生、一人でチョコに酒ついで飲んでる。別に気まずい雰囲気やのうて互いに自分の考える世界に浸ってるゆうとこ。以前リー先生と知り合って間もない頃、彼、俺の留学経験から得たアメリカ分析読んだらしくこう言いよった。
「アメリカに権威主義がないゆう分析は結構です。でもそれが翻って日本の権威主義に対する批判とならなかったら意味のない論文でしかないでしょ」俺はこういう単刀直入な批判好きやな。そやから悪口とは思わへん。「日本の権威主義、これはどこから来るかって分析に至らへんのやったら書き手は誰に向かって何が言いたいんか理解できんのです。単におのれの留学体験ひけらかしているだけやないですか」ちょっと嫌みな言い方やな。けどそう言われても仕方ない面も確かにある。俺は言うた。「日本は小さい国で長い歴史持ってるさかい、ヘンに凝り固まってる。近代化するにはあまりに背負うてるもんが多すぎるんや。一回全部チャラにせんと日本にホンマに近代化はやって来ないやろな」「その一番の桎梏が天皇制と官僚制と学歴主義。これらは三位一体で日本の社会に巣くってる病巣やないですか。そこんとこに切り込まへん限り論文の名に値しません」そうかも知れん。そやけど俺にそんな度胸あるんやろか。リー先生やったら度胸の問題やないでしょ。度胸やなんて言うてる間はまだ甘チョロイ。〈在日〉はネコを咬む窮鼠。追いつめられたらやるしかない。追いつめられない者は度胸がないてうそぶくことができる、そう言うやろな。
「ニンニクの臭いとガーリックの香り」ゆうリー先生の言葉、思い出した。あれは一年前や。二人でパスタを食べながらワインを飲もうって、イタメシの店に入った途端、俺が「ああ、えーガーリックの香りやな」てつぶやいたら、先生、そう言いよったんや、「ニンニクの臭いとガーリックの香り、ですか」俺、「何や、それ」「ニンニクは臭くて、ガーリックはええ香りゆうことです」「そやからそれがどしたんや」その時はそれでおさまったけど、ワインを赤白一本ずつ二人で飲んだ後、別のバーで、「ガーリックがええ香りやゆう言い方は、ニンニクは臭(くさ)いを含意してるんです」「ようわからんな」「日本社会でニンニクの臭いを臭いとはゆうても、ニンニクの香りとは言わんでしょう?」「うん」「ニンニクは朝鮮人のメトニミーなんです」「メトニミーて?」「換喩て訳されてますが、近隣のもので置き換える比喩のこと」「そうやな、朝鮮人とキムチは切り離せへんし、ニンニクもそうやな」「で、日本社会でニンニクくさいんが嫌われるんは朝鮮人蔑視そのものなんです。ニンニクが朝鮮のメトニミーであるかぎりは」「もし、イタリアから入ったパスタがもっと先やったら、ガーリックの香りとして別に嫌われはせんかったやろ、ゆうことやな」「朝鮮を植民地にしていなかったら、ニンニクくさいゆう表現もなかったやろて思ってます」
異文化の友だちを持つっておもろいなて反応したら、釘を刺しときますけど、て前置きして、「私ら、友だちにはなれません」やて、「かめへん、俺は勝手に友だちや思てる」彼、苦笑いしながら「過去の歴史がある限り、イーブンな関係はありえへんのですよ。それを勝手に友だちやなんて、そんなん現実を無視したセンチメンタリズムやないですか」そうかも知れん。そやけど、俺に出来ることはそこまで、とその時はそう思てた。
「そやけどホンマ、燗酒てまずいですね」手にしたチョコをつくづく眺めながらリー先生がのたまう。「そうか、旨い思うけど」「酒を温めるなんて邪道ですよ」「邪道でも何でも旨かったらエエやんか」「旨いですか?」「ああ旨いでこの酒」「ちっとも旨いことあらしませんがな」「旨いがな」そう言いつつ銚子を差し出すとスッとチョコ出しよる。「大体ですな、アルコールを温めて飲む世界が日本の他どこにあります」「あったら悪いんか」「悪いどころの問題やありませんわ。アルコールは揮発性の高い飲み物やのにそれワザワザ揮発させてしまうなんて愚の骨頂ですやんか」「愚の骨頂、よう言うてくれるわ、さっきからカパカパ飲んでるくせに」「それは嶋田さんがこの店選んだ責任の問題でしょう」「責任?」「エエ、この手の居酒屋、安いかも知れんけど味覚に対するセンシビリティ欠いてる思いませんか」「そのセンシビリティ麻痺させるために飲んでるんやさかいこれでエエんや」「今日は嶋田さんのおごりですよね」「もちろん」
「そやったら我慢しときます」

   8 忘却
 「記憶するのは忘却との闘いなんだってあなた、初めて会った時に言ったの覚えてる?」
 「覚えている。記憶力はいいもので」「いきなり言うんだもの面食らった」あの頃『イーリアス』を覚えるのに必死だった。四巻まではすんなりいったがその辺りから前後が混同して、「グチャグチャになって来た」「同じような戦闘シーンが多いから?」「そう。でも不思議なもので十巻過ぎると次第に物語の流れに沿って行けるようになった」「流れ?」「何度も何度も繰り返す、そうすると徐々に自分がホーメロスになったような気分になる」「どんな気分?」
 休みの日には前の週に覚えた件りを最低三度、朝から語り出す。月の初めにはその年の分を始めから。夏が近づく頃にはマル一日かかっても終わらないようになり、次第に始めの方が覚束なくなる。しかし忘れれば繰り返すだけ。記憶する方途は一つしかない。忘れる前に繰り返す。これだけ、これしかない。記憶は忘却との闘い。人は忘れるという。しかし忘却は記憶しようという努力をしないからだ、きっと。そのうち覚えたフレーズが無意識に口をついて出て来る。心地よく言葉が流れる。パリスがヘレネを熱愛しアキレス(アキレス腱のアキレスだ)が弓を射る、戦場に舞い上がる紅い砂埃。ホーメロスが甦り時が消える。
 夜になっても浪の音が消えない。いや周囲が静まるだけにいっそう大きく耳を打つ。熱海の夜は浪の音だけが繰り返し繰り返し静寂を破っている。由紀子は暗闇の布団の中で言う。愛する者を亡くした寂しさは暗闇の海に一人放り出されたような心細さ。そんな寂しさは愛する人、そんな人がいても絶対に味わわせたくない。だから結婚なんかしない。そう頑なに突っ張って来た。
 「一緒になるのは別れを待つことだから」「死ぬ時は一緒だ」歯の浮くような台詞も言える年齢にはなっていた。由紀子が眼をつむって手を握り返す。恐る恐る触手を伸ばして求愛する蝶。死という強迫観念の中で孤独に耐えていた彼女はその孤独の寂しさを味わい尽くして人に対して臆病になっていた。
 「トラウマだね」返事がない。浪の音だけがいつまでも耳に届いてくる。しばらくして、「大学生の時、一番親しかった友人にも言われたわ。でもね、私、トラウマって嫌な言葉だと思う」「昔を思い出すから?」「そうじゃない。トラウマって言われるともうそこに私はいない。世間一般のトラウマ体験に解消されてしまうような気がする」「言葉は概念だから体験の個別性は掬い取れないんだ」「言葉だけが私の表面を滑っていく。トラウマって言えば他の人には分かり易いかも知れないけれど、その分私の気持ちはこぼれ落ちていくのね」「分かるよ」「分からないと思うわ。言葉は過去の重みに耐えられない」「経験したものでないと分からないというのもどうかな」「どうしても伝わらないの」「伝わらないと始めから諦めることもない」「でも伝わるとも思えない」
 その夜はそれだけだったが翌朝、「a hedgehop’s hug て分かる?」「何だいそれ?」「訳してハリネズミの抱擁、かな」「それが」「ハリネズミが求愛のために相手を抱きしめれば抱きしめるほど、ハリが身体に刺さって互いに血を流すの」孤独に含まれた毒が周囲にばら撒かれる。あまりのイメージに言葉が出ない。
「悲しいね」愛することは人を傷つけることかも知れない。しかし私は愛する者になら傷つけられても痛みは感じないだろう、むしろ痛みを甘受するだろうと思った。「針治療もたまにはいいと思うよ」笑いに紛らわすしか出口はない。
由紀子とは誰なのだろう? 「また見てる、イヤだぁ」「イヤかい?」「イヤ、そんなにジッと見つめられるなんて気味が悪い」どうすれば由紀子の顔を、表情を網膜に焼き付けることが出来るか、いつの頃からかそんな試みに耽り始めた。額から目から鼻から口元から全部焼き付けそれから眼を閉じ一つ一つ再現して行く。いつでもどこでも由紀子の表情が再現できるようにするのだ。しかし由紀子の表情はいつも指の間から漏れる水のように他愛なく消えて行く。ホンの数秒、二秒か三秒網膜の上に浮かび上がったかと思うとすぐさま闇の底に沈んで行くのだった。『イーリアス』は記憶できるのにどうして表情は記憶できないのか。音の高低は記憶できるのに音色は想起できない。記憶は記憶できるものしか記憶しないのだ。けれどもその記憶できないところが私を支えているような気もする。記憶できないことは私が私でなくなることかも知れない。由紀子が由紀子でなくなることを意味するかも知れない。暗闇で由紀子の頬を撫でる、それでも記憶することができない。由紀子はどこにいるのだろう。彼女の言うように私は永遠に由紀子の表情をとらえることが出来ないのだ。
大学生の頃、ストで授業のないのをいいことに芝居に熱中しヒロミを追っかけていた。演劇は瞬時に消え行く「芸術」。そのはかなさが気に入っていた。どうせ定着できるものなどこの世にないならいっそ瞬時に消えるものを追い求める方がましではいか。ただ劇団に入らなかったのはとても他人と一緒に何かをするなんて出来そうになかったから。由紀子が言う。
「ホントに社交性のない人、あなたって」他人と十分以上一緒にいるのが苦痛だった。例外は由紀子だけ。マイナスの磁石同士なのに。引き合うように私たちはっくっついている・・・・・・どうかして私は誰もいない世界に移動したいのかも知れない。由紀子と一緒に。しかし彼女はイヤだと言うだろう。
「ねえ、お願い」由紀子の好きな場面はトロイアの武将ヘクトールがアキレウスにたおされ両親が嘆き悲しむ場面。二十二巻だ。アキレウスは殺したヘクトールの腱に穴を空け紐で括って戦車につなぎ見せしめにイーリオスの町中を引き回す。私の語り出す古典ギリシャ語の響きに由紀子はうつむき加減でジッと耳を傾ける。
「ヘクトールの頭はすっかり砂埃にまみれていた、それを眺める母親は、頭髪をむしって、つやのよい被布(ベール)を遠くへかなぐり捨て、息子の姿を眺めやっては、とても烈しく泣き叫んだ。父王もまた痛ましくうめき声をたてるのに、あたりに居合わす人々もみな、町中が号泣と悲しいうめき声とに取りこめられた。それはちょうど、この小丘の多いイーリオスの城市全体が、てんからそっくり火にくべられて焼亡するのと、そっくりな様子だった」

   9 大久保の手紙・3
 バナハオ山には忘れ難い想い出がある。昔の仲間に会うのがイヤだと外出するのを嫌がったシルビア、たった一度だけ一緒に出かけたことがある。どういうワケかバナハオ山に登ろうということになった。山など登りたくなかったが一緒にタクシーに乗って山の麓まで行きサトウキビ畑の途切れたところで車から降りた。楽しかった。仕事に明け暮れたマニラでの二年間、一番楽しかったのがこのシルビアとのピクニック。誰も歩いていない山道を彼女の手を取り抱き寄せ恋人同士のように歩いた、歌を唄いながら。シルビアはフィリピンの民族歌謡を次々と歌った。これまで彼女の歌など聴いたことがなかっただけに新鮮だった。俺はもちろん中島みゆき。手を握り子供のように前後に振りながら歩くなんて年甲斐もないようだが幸福だったのだ。日本のことも仕事のことも何もかも忘れていた。
 「もうダメ」「まだまだ」「でももう歩けない」山の中腹でシルビアの持って来た昼食を食べ生ぬるい缶ビールを飲んだ。シルビアは「マニラはあっちの方ね」飛んでもない方角を指さす。「違うよ、あれがラグナ湖だから北はあっち」「え? そう?」コロコロ笑う。「ホント方向音痴!」「よくそれで生きて来られたね」「いいナビゲーターのおかげ」「神父さんのことかい」ワザととぼけて答えるとシルビアは笑いながら肩に頭を預けて言う。「海の音が聞こえるな」山の中腹で海の音が聞こえるとは思わなかったが一瞬耳を澄ませる。風の音だけが強く響いていた。
 六九年の秋、俺は本当に「革命」が起こると信じていた。いや錯覚していたというべきか。矛盾だらけの現実、朝鮮戦争、ベトナム戦争、いつまで経っても世界は静かにならない。それにますます酷くなる日本の学歴社会。俺は社会を「変革」しなければいけないという小川さんの言葉を正しいと思ったし一緒に「運動」することも「正義」であると信じていた。タバコの煙が朦々と立ちこめる薄暗い大学のボックスに毎日通って彼らの激しい議論に耳を傾け、自治会の機関誌を隅から隅まで読んだ。デンツーが大学の図書館から盗み出しみんなに回してくれた大月書店版の『資本論』を順に下宿で読んだ。立派な装丁だった。表紙の薄いブルーが俺たちの希望を確かなものにしてくれるようにさえ感じられたものだ。「革命が起こる!」いや少なくとも何かが変わる。そんな期待感だけが蔓延していた。それを信じなければ誰もすべてを犠牲にして「闘争」などしなかったろう。授業はなくいつまでも続くロックアウト、日常茶飯事となった内ゲバ、機動隊との殴り合い、こんな異常な事態が何事もなく収束するなんて誰も思えない。収束する時には大学が、社会がきっと大きく変わっているはずだ!!
 なのに、何事もなかったかのように社会はもとに戻った。呆気ないほどに。そして何も変わらなかった。「平和」なそして「豊かな」日々が延々と続いて行った。いや変わったものがある。一つだけある。それは俺たちだ。俺たちの生き方は紛れもなくあの「闘争」の刻印を持っている。黒にしろ赤にしろ、様々な色を刻印は持っているが皆一様に深い傷を負ったことだけは間違いないのだ。
 あれは夢だったろうか。夢だとしたら悪夢としか言い様がない。俺の人生最初の裏切りはデモの隊列から逃げ出したこと。それまでも裏切りはあったかも知れないが確信犯だったのはこれが最初だ。忘れもしない六九年の一〇・二一。デモの戦闘は山崎だった。小川さんは中盤で指揮を執っている。
 「シュプレヒコール!」
 小川さんの低い声がよく通った。日比谷の公会堂前で集会を開いた後、国会議事堂までデモ行進するはずだった。それが途中であんなことに・・・・・・俺はいつも「後ろを固めます」と申し出て出来るだけ後尾にいるようにした。なぜなら先頭ほど機動隊とぶつかる確率が高かったからだ。機動隊と真っ先に衝突するのが先頭の一隊。先頭で旗を振るのは勇気のいることだった。自分の臆病から率先して「後尾を固めます」と後ろに回った。誰もその意味に気づく者などいない。デモの時はみんな興奮しているし自分の恐怖と戦うのが精一杯だったからだろう。それがどういうワケかその夜は先頭に近いところにいたのだ。警察のサーチライトが夜空を照らしそれを切り裂くように旗竿が何本も舞っている。
 「来たで!」横にいた男が枯れた声を出す。側に来た機動隊が分厚い長靴で足を蹴る。挑発しているのだ。時折ヒジでも小突いて来る。文句でも言おうものなら「公務執行妨害」で逮捕。ジッと我慢するというより暴力に対する恐怖から背中が震える。相手は身長も体重も遙かに上回っている兵士だ。隊列が徐々に動き出した。
 二十メートルほど前を行く山崎がもう少しで国会議事堂だという時。「ピー!」というホイッスルを合図にそれまで歩道際で整列していた機動隊が一斉にデモ隊に襲いかかって来た。一瞬にして乱闘。旗竿や角材で応酬する学生に武装した機動隊が容赦なく殴りかかる。数の上でも勝る彼らは次々とヘルメット学生を地面に叩きつけ引きずって行く。その姿をサーチライトが鮮やかに浮き上がらせる。ひときわ大きな悲鳴がして眼をやると、真っ二つに割れたヘルメットを両手で抱えた小川さん、そこへ後ろから金属棒で殴りかかる機動隊員、鮮血が一メートル以上舞い上がったような気がする。明るいサーチライトの光がクッキリと照らし出していたように、俺は記憶している。
 血の色を見て膝の力が抜けてよろめきながら隊列(もうその時は隊列なんかなかったけど)をはずれ逃げ出した。何も考えられなかった。ただ恐ろしかった。路地から路地へ、暗闇から暗闇へ転げるように走り、部屋に帰って翌朝までマンジリともしなかった。大学に行きたかったが怖かった。どうしても足が向かなかった。一日おいて勇気を振り絞り大学に行ってみるとロックアウトは既に解かれ、正門前には何百人という機動隊員がガードをしていた。大学側が機動隊を入れたのだと分かった。俺はそのままノンポリ学生の振りを装い下宿に戻った。
 小川さんが自殺したという噂が流れた。しかし殺されたのだと確信している。俺は彼を見殺しにしたのか? いやそうじゃない、あの時の傷は大したことなどなかった。闘争の挫折から死を図っただけなのだ。無理にもそう思おうとしたし真相を究明しようなどとは恐ろしくて出来なかった。お前さんたちが逮捕された仲間の救援活動をしているのをしり目に俺は運動から遠ざかった。ただそれ以後五十代の今まで血を見ると膝の力が抜け立っていられなくなるという後遺症だけが残ったのだった。
 明日バナハオ山に登る。シルビアには会えなかった。既に亡くなっているという噂を耳にした。誰の子供か女の子を一人産んだとも聞く。その子は今頃どこでどうしているのか。ただ健やかに育ってくれていることだけを祈っている。そして故郷のみんなも。元気で。

   10 過去
 嶋田は忘れているが、私が初めて同窓会に参加したのは五年前。どこから調べたのか、名古屋の自宅に電話がかかって来た。「来週、同窓会があるんや。来(こ)おへんか」三十年振りなのに昔のままの口振り。飛び去った年月が揺らめく。「絶対来なアカンで、エエな」とうとう約束をさせられてしまったそれがキッカケだった。なのに嶋田は十年前と思いこんでいる。人の記憶などアテにならない。(「風月(プンウォル)」に客はもういなかった。ママはカウンターの中で私たちの夜食を作っている。手紙を読み終わって私が、)「由紀子の兄だ」「誰?」「C大の自治会委員長だった男」「いや、その由紀子て?」「同居人」「ふうん、俺たちのリーダーがお前さんの同居人の兄さんてか、世の中狭いなあ」「学生運動していたなんて聞いてなかった」「闘士は誰も家族に「闘争してます」なんて言うかいな。親はみんなうちの子だけはヘルメットも被らんとまじめに学業にいそしんでるて信じてたもんや」嶋田は灰皿の上で手紙を一枚ずつ燃やした。
 「大久保が義兄を殺したことになると思うか?」「官憲(懐かしい言葉)が殺したかそれとも自殺か。ただ大久保の記憶に負い目が残ったことだけは確かや」しかし大久保の記憶に負い目が残ったとしても、見殺しの罪、犯した裏切りが由紀子の両親にまで及ぼした累については負い目も記憶も一切ないだろう。知らないことは記憶のしようもないのだ。嶋田と私は黙ってタバコを吹かしグラスを傾ける。
ママの聞いたという聖(サンタ)マリアの言葉を、嶋田が伝える。
――一九八七年二月、二十年に及ぶマルコス体制が崩壊しました。暗殺されたアキーノ氏の未亡人コラソン・アキーノ氏の国民議会の選挙における劇的勝利によってマルコス体制は覆ったのです。世界中の注目の的であっただけに激しい衝撃を世界に与えましたがその四年前の八月アキーノ元上院議員が空港で暗殺されたのはもっと衝撃的な出来事でした。事件の取材に来ていた一人の日本人記者が仕事の合間にせっせと女遊びをしていて一人の娼婦と親しくなりました。娼婦は日本人を憎んでいましたが金払いがいいので客として逃がす手はないとその男の相手をしました。けれども日本人記者は娼婦に優しくしたので、彼女も次第に心を許すようになり、寝物語についつい娼婦は身の上話をするのでした。
かつて結婚を固く約束した日本人の男がいました。けれどもある日男は何も言わずにマニラを後にしたのです。自分のような女を日本人が「現地妻」と呼んでいることを知った女は騙した男と日本をこの上なく憎みました。一九四一年に始まる日本軍の過酷な支配で国土が徹底して荒らされたばかりか、こんどは貧しい女の心まで平気で踏みにじる日本人のやり方に激しい憤りも覚えました。それと同時に騙された自分の愚かさにも気づいたのです。娘にはきちんとした教育を与えようと女は必死で働きました。けれども産まれた娘はまもなく病気になって亡くなってしまいました。あとに残ったのは病院への借金だけ、女はやむなく男相手の商売を始めたのでした。
ある日、日本人記者は女に一軒の家を与え楽に生活できるように計らいました。そして憎いあの日本人に復讐しようと言いました。記者を信じた女は復讐の喜びの中で何もかも話しました。
 ――大久保さんは私を愛してくれました。私と結婚したいと言ってくれました。十八の私は疑う心を持たず大久保さんの言葉に従いました。大久保さんはとても優しくそして大事にしてくれました。明るい部屋も与えてくれました。お金もたくさんくれました。私は貧しさの中から抜け出した喜びもあって有頂天になっていました。
一緒に生活して一年ほど経った時、あの人はバナハオ山に登ろうと言い出しました。山など登ったことのない私はイヤだと言いましたが大久保さんは聞き入れませんでした。慌ただしくタクシーに乗せられたけれども、三時間以上続いたドライブは楽しいものでした。それから二人で細い山道を登りました。ビンロウ樹の林を三十分ほど歩いた後、いきなり大久保さんは私の手を引っ張り草むらの中に押し倒しました。始めは大久保さんの気持ちが分かりませんでしたがその手が下着にかかった時、何をしようとするのか分かりました。私はこんな明るい場所ではイヤだと言ったのに大久保さんは何も言わないでわたしの口をふさぎました。
――立ち上がった時右足のフクラハギから血が出ているのに気づきました。急いでハンカチで傷口を縛り大久保さんに気づかれないよう血の痕を拭き取りました。大久保さんが血を嫌いなのは知っていましたから。でも歩き出すと足が痛くてこれ以上山を登れそうにないと大久保さんに訴えました。大久保さんは苦笑いをして私の手を取って登り始めました。手を取って貰ったのは嬉しかったのですが引き返してくれた方がもっと嬉しかったと思います。傷は一ヶ月治りませんでした。
大久保さんは子供が出来たら結婚しようと何度も言いました。私は素直に信じていました。今から思えば結婚する相手なら一緒に表に出てもいいのに外出を共にすることはありませんでした。その頃は何も疑問に思いませんでしたが今となっては用心していたのだと思います。いつでも私をマニラに棄てて帰れるようにと周囲の人間に気を配っていただけだったのでしょう。ビナツボ火山やタール火山はリゾート地なのに誰も行かないバナハオ山をわざわざ選んだのも人に会うのを避けるため。それでもその時はまだ疑う心などありませんでした。
――その日も大久保さんは「病院に行くんだよ」と言っていつも通り優しい笑顔で出かけましたが本心はもう戻らないつもりだったのです。人があんなに平気で嘘をつけるなんて思いも寄りませんでした。生理がいつまでもなかったので妊娠したかも知れないと前の晩に言ったら大久保さん、子供が出来た、子供が出来たと喜んでくれました。子供が生まれたら結婚しよう、今の妻とは別れて日本でシルビアと一緒に暮らすんだと言って。でもみんな演技だったとは思い出しても腹が立ちます。産婦人科に行って三ヶ月だと言われお祝いのつもりで大久保さんの好きなハイビスカスのブーケを飾り、ご馳走をして待っていたのにその夜はとうとう帰ってきませんでした。それでも仕事のトラブルがあったのだと自分に言い聞かせ、次の夜ももう一度ご馳走を作り待ちました。心なしかブーケの花が萎れて来たので思い切って全部棄てました。その夜も何も食べることが出来ずに眠りました。それから二度と大久保さんは戻って来ませんでした。そして永遠に。当たり前ですよね。もうその頃には日本の暖かい家庭で楽しい団らんを過ごしていたのでしょうから。
娼婦の語る話を録音して日本人記者はこれで復讐が出来る、賠償金もタップリ貰えると女を喜ばせました。しかし喜びも束の間、テープを持った日本人記者は連絡するからと言って帰国したまま一年も二年もナシのツブテ。女は「醜い日本人」の男に二度も騙されたのです。しかも記者の去ったあと愚かな女は身籠もっていることを知りました。子持ちの娼婦では客を取れません。そんな女を哀れんだのか地元のボスが面倒を見てくれました。男はマルコス体制との癒着の中で産をなしたクローニーと呼ばれる人たちの一人、マルコスの失脚と共に窮地に立ち入った彼は外国に逃げ出しました。女は幼い娘を抱えて再び男を相手の仕事をするほかありませんでした。日本人を憎め、日本人は鬼だと言い続け、娘は毎日毎日母の言葉を聞いて育ちました。仕事がたたったのか女は八年後に亡くなりました。残された娘はカトリックの養護施設に入れられ育ちました。十五になって施設を出るといつの間にかマニラの街角に立つようになっていました。そのうち日本に行けば楽に生きられるというトムソンの甘い言葉に乗せられ日本にやって来たのです。
――日本にやって来た翌々日、私は奇遇にも大久保さんに再会、いえ会ったのは初めてでした。警官に脅され困っている私の前に突然大久保さんが現れたのです。母の話から思い描いていた顔かたちとはまったく違っていて今でもあれが大久保さんだったとはちっとも信じられません。「オークボマサル」という名前だけは記憶に焼きついていましたから彼が名刺を出して警官の一人に「オークボマサルさんですか」と尋ねられた時にはホントに驚きました。神様はいるんだと率直に思いました。
復讐のつもりだったかって? よく分かりません。憎いか懐かしいかさえ分からないのです。いまもって。トムソンにケガを負わされた後、大久保さんがトムソンのところに行って殴られる、もしくは殺されること、それをひそかに期待していたかも知れません。組織の事務所に行くように、行かざるを得ないように仕向けたような気がするのはなぜなのでしょう?
それにあの時、大久保さんが見舞いに来てくれドアを開けた時、トムソンだったらと護身用のナイフをポケットに隠していました。痛みでうずくまる私をベッドに運んだ大久保さん、横になった私の背に手を回した時、もし大久保さんがその気になって迫ってきたら、男のあれをチョン切ってやるつもりでした。やはり私は大久保さんを憎んでいるのでしょうか?
――その日以来、大久保さんには会っていません。大久保さんが母の眠るルソン島で亡くなったことが唯一の慰めかも知れませんね。彼は母を愛していたんでしょうか。それとも単なる「現地妻」だったのでしょうか。でも私にはもう何の関係もないことだと思います。
確かに聖(サンタ)マリアいやリタはネグロス島の出身ではない。ずっとマニラにいた。ネグロス島出身ならタガログ語ではなくヒギライノン語かセブアノ語のはず。そんなっことも私たちは知らなかった。ただネグロス島と言ったのは曽祖父がかつて入植した地、当時アメリカの政策で過剰なルソン島の人口を減らし、ネグロス島で盛んだったイスラム教の力を押さえるために入植が奨励されたのだ。しかし祖父が抗日戦争で、父も駆り出されたベトナムで戦死、母親とシルビアは親戚を頼ってマニラに戻って来たらしい。フィリピン人はいつも強国に振り回されているワリには歴史の表に出て来ない。
リタが「組織」に多額の借金をしていたのはパスポートのせい、出国のためにリタは私生児であることや年齢を偽っていた。
「せっかく『組織』逃れてココ来やはったのにいつの間にか仕事させられてたなんて、哀れどすなあ」若い頃宮川町で芸子をして家族を養ったというママは我が身を顧みてかリタに同情している。

   11 希望
 ママが夜食を持ってテーブルに来た。キムチニュウメン。温かい煮麺に辛いキムチが香ばしい。毎年十一月の三日、この東九条の地でハン・マダンの祭りが行われる。昨年、韓国の民族仮面劇(タルチュム)が韓国からの役者も招いて盛大に行われた夜、主催者の朴貞実氏が取材に来ていた雑誌記者と共に遅くやって来た。そう言ってママが話したことはいっそう思いがけない事実を私たちに明らかにした。
 「その記者サン、歌は唄わらへんかったんやけどしたたかに酔っぱらわはってな、たいそうな愚痴撒き散らかしやはってんやわ。ホンマなら俺、今頃はアフガンにいるはずや。アフガンやのうたらニューヨーク。国際政治が専門やったのに今では落ちぶれて国内ばっかしやて。ホンマ失礼なお人どっしゃろ。それやったらここのマダンのこと見下したはる事になりますしな。ま、それはともかくそのウチ自慢話になって香港がイギリスに返還された九七年は香港の『オリエンタルホテル』ゆう一流のホテルに二週間滞在していたとか、フィリピンでのアキーノ氏暗殺の折りには取材で一ヶ月マニラにいたとか・・・・・・マニラで可愛そうな女に出会って敵討ちしてやったことあるんやて息巻いたはりましたで。何でも日本の商社マンに騙され売春婦にまで落ちぶれてる子持ちの女性、その方のために卑怯な日本人男性懲らしめてやった、商社マンの勤める会社突き止めてそいつに社会的制裁加えてやったんやて言うてはりました。今時珍しい正義感の強い人や言うてみんなで感心してたんどすえ。でももしマニラの女性の方がマリアのお母はんやったらその記者サン、結局敵討ちどころか後足で砂をかけるようなエゲツナイ真似しやはったことになりますな。それともマニラにはそんな女性の方立ちぎょうさんいてはるゆうことでっしゃろか、そこらへんは行ったことないさかい何とも言えまへんけどな」ママは水割りのグラスを飲んで一息入れた。
 「フィリピンから何で女性たちが出稼ぎに来てるかって日本の男どもはちっとも考えんとフィリピン行ったら女買い漁るだけや」嶋田は義憤に耐えないという風。「韓国へも昔キーセン旅行なんてツアーが一頃流行ったなあ」「ホンマに男どもは」「ちょっと待っておくれやっしゃ」ママがカウンターに戻る。「どないしたんや」話の腰を折られたようで嶋田が大声で呼びかける。「確かまだ名刺が・・・・・・あったあった。そう田畑さんやったわ」「田畑? 下の名前は?」
 嶋田と私が同時に尋ねる。ママは答えずに名刺を手渡す。「週間モンド副編集長 田畑伝一郎」デンツー、あいつだった。
 どこか寒いところにいるマリアに伝えられる話ではない。デンツーとシルビアとは無関係? ママの言うように似た境遇の女性がたくさんいるだけなのか。それともデンツーはマニラから戻る飛行機の中でシルビアの一件を記事に書く代わりにもっと「おいしい」方法を考えついたのだろうか。大久保の勤め先M産業に記事を売りつけるという「おいしい方法」。M産業は醜聞を恐れて金を出し大久保は左遷。大久保にすれば自分のポストで醜聞を買ったことになる。金を独り占めしたデンツーは何知らぬ顔、ホクホクで生きている。
 「マリアの父親は・・・・・・」「暗澹たる気分になるなあ」ニュウメンがのびてしまった。食べるタイミングを失したようだ。「しかしな、デンツーがそこまでやるか?」嶋田の説はリタのために創り出した「メルヘン」とばかりは言い切れない気もする。「デンツーはな、記事をチャンと書いたんや。けど編集長か或いは経営者そのどっちかがM産業にかくかくしかじかの記事書くでて知らせて、その結果M産業から記事買収の話が持ち出されたゆう経緯やったかも知れへん。今出版不景気言われてるやろ、買収金は雑誌運営のために使われた、経営者がそう企んだゆう可能性も否定できひんな。そやからデンツーは自分の理想ゆうか夢ゆうか現実にはありもせんかったこと事実であるかのように思い込んでここで話したゆうことかも知れんで」「サラリーマンだったら社の方針と自分の思惑とのギャップで涙を呑むなんてよくあることだ」
 ただ内心こんな風にも思った。デンツーは「オオクボマサル」が旧友であることを知って「売る」ことを断念したのだが彼の意に反して誰かが強行したと。シルビアの「復讐」よりも「友情」を選んだとも考えられなくはない。それがシルビアとの出会いと大久保の左遷とのタイムラグを説明する。もしすぐにデンツーが行動していたら大久保は家を買うずっと以前に左遷されたはずだ。
 デンツーを弁護するのは何も彼のためだけではない。嶋田は意を強くして続ける。「それにな、大久保わざわざフィリピンくんだりまで出かけバナハオ山で最期迎えようてしたんやろ。それはシルビアと束の間にしろ幸福な想い出があったからや。そしたら大久保はシルビアとの愛に殉じたゆう見方もできひんのかなあ」その場にいない聖(サンタ)マリアに聞かせるよう、「そういう〈総括〉(これも懐かしい言葉)もあってエエやんか」
 デンツーの「読み」遠り、大久保は事故死と断定され保険金は契約通り支払われた。北山の家を売却した夫人の手には数億の金が遺ったという。シルビアとの想い出のバナハオ山で「事故死」するという大久保の打った「最後の手」は、いずれにしろ功を奏したと言うべきだろうか。それともまだ一つ償いが残っていると言うのは死者に鞭打つことだろうか。
 聖(サンタ)マリアを強制送還から救うにはどのような手があるのか、ママの頼みもあって嶋田は弁護士と相談を始めていると言う。大久保やデンツーの意図がどのようなものであれ、リタという後遺症は厳として存在すると言うべきだろうか。
 「ゾンビやでゾンビ!」酔った嶋田は別れ際までワケの分からないことを叫んでいた。「リー先生のおかげで俺はゾンビになったんや」
 翌日昼前の新幹線で名古屋に帰った。『オデュッセイア』の暗誦を続ける。十年のトロイア戦争を闘った後、イタケーの知謀に長けた戦士オデュッセイアが故郷に帰る旅を詠った物語、彼はトロイアからイタケーまで帰るのに十年を費やした。その辛苦をホーメロスは朗々と詠ったのだ。第九巻、食蓮人(ロードパゴス)との出会いの場面。「食蓮人(ロードパゴス)たちもべつにわれらの仲間を殺すつもりはなく、蓮を食べさせたのだったが、蓮の甘い実を食べた者は、みんな、報告しに帰ってくる気はもうなくなって、その場で食蓮人(ロードパゴス)たちと蓮を食べてとどまりたがって帰国を忘れてしまったのだ。泣いているかれらを私は無理矢理に船につれて来て、うつろな船のベンチの下に引きずりこんで縛った。そこで私はほかの忠実な仲間の者に、誰かが蓮の実を食って帰国を忘れることがないように、急いで船に乗り組むように命じた。彼らはただちに乗って、ベンチにつき、並んで坐って、灰色の海をオールで打った。」
 オデュッセイアの「帰還」を妨げる幾多の困難、この直後にはキュクロープスの地で一つ目の巨人ポリュペーモスに苦しめられるのだ。オデュッセイアのように、「最後」にたどり着くまでにはまだ十五巻、十五年だ。果たしてたどり着くか定かでない。私たちの人生も「帰還」の道を歩んでいるのだろうか。それとも帰り着くためには自らを縛るオデュッセイアの狡知が必要だというのか。
 新幹線でたまたま隣り合わせた女子大生、かつての教え子だった。十九歳、リタより二つ上だけだ。京都の大学から帰省するところ。就職に有利な薬剤師の資格をとるつもりで「薬剤師なら結婚しても稼ぐことできるでしょう」ドライな言い方だった。若いということは将来を夢見る喜びだろうかそれとも計算せねばならない苦痛だろうか。マクドナルドでバイトして正月はハワイに行くつもりだった、なのに「テロ」のせいで見送りになってしまったと無邪気に話す。名古屋に着いて、「せっかくだから飯でも一緒に」「昼には帰ると母に言ってますから」駅前の食堂で食事を一人で済ませた。由紀子に空しく消えて行った兄のことを話したものか迷っていた。仕事前に一度着替えなくてはと思った途端、日曜なのを思い出した。地下鉄は混んでいた。自宅のドアを開けても人の気配がせず、寝室のドアを明けてみる。由紀子が臥せっていた。
 「どうしたの、気分でも悪いの?」
 「今朝から、熱があるの」薄目を明けて呟いた。




    言葉って何?
 政治している人間の言葉がメチャ笑える。
 以前、「周辺事態法」の論議のとき、「周辺」とはどこを指すかと問われて、小泉さん、それは地理的な概念ではない、と答えていた。
 自衛隊をインド洋に派兵するとき、戦闘行為とはどの段階を指すか、と問われて、石破さんは、爆弾が落とされた時点が戦闘行為だ、と答えた。
 このたびのイラク派兵では憲法を踏んづけて「イラク特措法」をでっち上げ、「非戦闘地域とはどこか」と問われて、小泉さん「自衛隊のいるところが非戦闘地域であります」と答えた。これって、コンビニの前で酒盛りをしている中学生たちに「未成年者が酒を飲んではダメ」と注意したら、「おれたち酒飲んでんだから成人だよ」と返されたようなもの。
 いや、もっと高尚な思案に耽っているのかも? 言葉が事実を指し示すか、事実が言葉を指し示すか。事実と虚構の関係はいなかるものか・・・・・・
 小泉さんには一日も早く政治から足を洗って、小説書きにでもなってほしい。(獅子にピアス)




会    録

第301回(2003・6・22)徐京植『過ぎ去らない人々』
                報告者・卞 元守      参加者 12名
第302回( 8・24)玄月『おしゃべりな犬』
                 報告者・中島和弘      参加者 13名
第303回( 9・28)『架橋』23号合評会 PART 1
                報告者・ 東      参加者 8名
第304回(10・26)『架橋』23号合評会 PART 2
報告者・金 三宝      参加者 15名
第305回(12・14)鷺沢萠『私の話』
                報告者・磯貝治良      参加者 9名
第306回(2004・2・22)国本衛『生きる日燃ゆる日』
                報告者・卞 元守      参加者 10名
第307回( 4・25)趙南哲詩集『グッバイ アメリカ』
                報告者・加藤建二      参加者 8名
第308回( 6・27)趙博『ぼくは在日関西人』
                報告者・左近明子      参加者 9名
第309回( 8・22)徐京植『プリーモ・レーヴィへの旅』
                報告者・磯貝治良      参加者 9名
第310回( 9・19)「変容と継承-在日文学はいま」
          ――『〈在日〉文学論』出版のつどい
         ①話・磯貝治良+参加者フリートーク
         ②ノリマダン(多数のグループ、個人が友情出演)
                              参加者 80名
第311回(10・24)磯貝治良『〈在日〉文学論』
                報告者・立花 涼      参加者 13名
第312回(11・28))姜尚中『在日』
                報告者・中島和弘      参加者 15名





    ある集いそしてあとがき

▼今年(二〇〇四年)九月十九日午後、名古屋YWCAビッグスペースで「変容と継承-〈在日〉文学はいま」と題する集いが催された。今春、拙著『〈在日〉文学論』が新幹社から出たのを機会に持たれた。出版のほうは酒の肴みたいなもので、在日コリアンと日本人の交流の場を創ろうというのが狙い。
友人の蔡孝氏とその仲間の酒向由美子さんが準備万端を整えてくれた。当日は会場設営、音響、受付などプロデュース一切に知人たちが当たってくれた。感謝。
第一部は、磯貝の話とフロアーからのフリートーク。磯貝のおしゃべりは、三十年近い〈在日〉文学との付き合いについてイントロの部分で幕。
在日コリアンとの付き合いは少年期からの原風景みたいなもの。さらに一九七〇年代から現在まで文学とは別の領域での関わり合いがつづき、それを源流として〈在日〉文学があるという気持がつよい。そのことを話そうとしたら並大抵ではない。イントロの部分で終わった理由の一つはそれだが、実は参加した人の話のほうを聞きたかった。自分で語る話など先刻、自分で解かっているのだから興味の持ちようがない。
案の定、フロアーからの話が面白かった。「共生」という落とし穴について、〈在日〉文学と日本語の関係について、天皇制についてなど時間さえあればトコトン議論したい話が出た。残念ながら第二部が迫っていて時間がなく、こちらもイントロの部分で幕。
後日、集いに参加した友人から、あんたの話のなかで印象に残った言葉がある、と伝えられた。「国家にまつろわない生き方をしてこそ、日本人は在日コリアンと出会うことが出来る」「たたかいながら歩いていけば、必ず向こうから来る人と出会える」
そんな物騒なことを言ったっけ?
第二部は、ノリマダン(遊びの広場)。
三つのグループと個人三人が、ノーギャランティで友情出演してくれた。感謝。
幕開けはセンメッチュというグループのチャンゴ(杖鼓)演奏。センメッチュ(生ビール)とは人を食ったネーミングだが、演奏は本格派である。
次いでヒロミちゃんこと酒井弘美さんのサンシン(三線)の弾き語りによる沖縄唄三曲。少女のころ本土に働きに来たおばの身世をつづるオリジナル曲が胸に残る。
李朝憲氏は韓国の伝統文化を伝えるプンムルホンヂン(風物魂振)を率い、チャンゴ教室を開く、名うての演者。今回はミンソクチョン(民族村)を名乗って一人演戯「恨(ハン)の言霊-アイゴの世界」を熱演。笑いを誘いながら、アイゴの言葉に込められた民族の喜怒哀楽を演じ分けた。鼓手とワキが共演。
ノリパン(遊びの場)は若者と中年の在日コリアンと日本人が混然一体、協働してノンアク(農楽)などを演じているグループ。今夏にはソウル公園も行い着実に進化の過程を辿っている。今回は若い男女八人による舞踊ハクチュム(鶴の舞)を演じて参加者を魅了した。
在日一世のハルモニ(おばあさん)の身世を二人語りで演じてくれたのは、ウリマルサークルイッポの三十代前半の女性二人。本来は朝鮮語で演じる劇グループだが、日本語の語りでハルモニの想いを見事に伝えた。
最後に取りは言うまでもなく、唄う浪速の巨人「パギやん」こと趙博氏。パンソリの短歌(タンガ)一曲と、おなじみ「ヨイトマケの唄」在日バージョン。今回はひとしおリキが入っていた。手前味噌でない証拠に、十回以上それを聞いたという新幹社の高二三氏も「今日のヨイトマケは最高だった」と言っていた。
集いには遠路、岩手・遠野、埼玉、千葉、京都などからをふくめて八十人が参加してくれた。感謝。
▼今号は諸般の事情があり約一年半ぶりの発行である。内容は読んでいただいた通り。相変わらず慎ましやかな中身だが、三人が初登場である。
 最後にちょっと時期遅れだが、恒例の「読む会」二〇〇三年テキストの人気投票の結果を記す。①徐京植『過ぎ去らない人々』玄月『おしゃべりな犬』磯貝治良「革命異聞二〇一五」②金石範『虚日』③劉竜子「ウトロ」ビョン ウォンス「あられ」④徐京植『半難民の位置から』柳美里『石に泳ぐ魚』鷺沢萠『私の話』
 二〇〇四年十二月一日                      (治良)



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「架橋」23号

架 橋 23
                 2003 夏



目   次

○ 小  説 
革命異聞二〇一五 …………………… 磯貝治良
ウトロ ………………………………… 劉 竜子 
あられ ………………………………… ビョン ウォンス
○ エッセイ 
私の一九七二年 ……………………… 朴 燦鎬
○ コラム
○ 会 録
○ あとがき






 革命異聞二〇一五

磯(いそ) 貝(がい) 治(じ) 良(ろう)          

 三層のドームからなる巨怪な建造物は、夜の闇のなかに黒黒と屹立している。それは、建造物というよりは甲殻類の巨大な化物を思わせた。化物の目玉からは探照灯(サーチライト)の光が放射されている。それは、ばかでかい建造物を延延と囲って防衛する壁塀を越え、さらにその壁を包囲して広広とめぐる「原野」にとどいている。光の射撃が東から西へ、西から東へ間断なくくりかえされ、雨に煙る暗黒の空間を舐めつくす。
 それでも、頑強に閉ざされた大門の前は死角になっていて、そこにへたりこむ奇妙な風態の老人の姿を捕えることはできなかった。老人が宇宙服のように着込んだ雨合羽のなかで、体に括りつけられた三個の時計が秒を刻みつづける。
 カチ カチ カチ カチ・・・・・・
 老人が大門の鉄扉に背を持たせたまま坐りこんでから五分近くは過ぎただろうか。街との境界から「原野」を通って大門へと至る道路(それは戦車でも往き来しそうな頑丈な道路だった)を、降りしきる雨のなかを歩き通してきて、果敢にも鉄扉に三度挑みかかり、撥ねかえされ、敢えなくへたりこんでしまってから、三個の時計は五分近く鳴りつづけているのだった。
 老人は、顎が首にくっつくほどに項垂れて身じろぎもしない。眠りこんでいるようにも見えたが、そうではなかった。たしかに意識はしばしば間遠になったが、壁をめぐる「原野」の涯から響いていた海鳴りは、まだ聞こえていた。風の声、閃光の音も、耳を打っている。老人が何かに気づきでもしたように時時、面を立て、ぎょろりと眼を剥いたりするのは、それが自分を呼んでいると意識の深い底で気づくからだった。
 しかし、もはや海鳴りは、巨怪な建造物を包囲する群衆のどよめきでも、三十万人の喊声でもなかった。幻想の音は、老人が錯覚するほどの力を失っていたのだ。
 カチ カチ カチ カチ・・・・・・
 時計は雨音に混じって単調に時を刻みつづけ、それは永遠につづくかとおもえる。
 老人もまた、両腰と背に括りつけた時計の時の歩みに誘なわれて、静謐な永遠の途上にあるかのようだった。不意に面を立てて眼を剥くこともなく、首を項垂れたままの姿勢を崩すこともなく、鉄扉に背をもたせてうづくまっていた。宇宙服をおもわせる合羽装束のまるまった恰好は、なぜか母親の胎内にもどった胎児に似ていた。
 ところが突然、老人は息を吹きかえしたように上半身を立てた。四肢がけものの触覚で危険を察知したらしい。ぎょろ目を開けて四囲を睨(ね)めまわす。下瞼に垂れ下がった脂肪の袋をピクピクとふるわせ、炯炯たる眼光には束の間の正気が蘇ったようだ。
 老人は敵に立ち向かう気合で渾身の力を込めて立ち上がろうとしたが、もはや力も尽きているのか、無謀と覚ったのか、それを諦めた。いずれにしても時はすでに遅く老人は、どこからか現われた五つの黒い影に取り囲まれていた。
「不審物はこいつだ」
「酔っ払いじゃないのか」
「否、老人だ」
「年寄りがなんだってどしゃ降りの真夜中にこんなところで寝てるんだ」
「十日前だったか、議事堂に入れろってごねてたという三人組の一人じゃないのか」
「さぁ、どうだか」
「小泉、きみが処置したんだろ?」
「似てますが、よく分かりません」
「警報表示は人体ではなくⅡ種物体だった」
「いずれにしても監置しましょう、警備長」
 老人はふたたび遠のいていく意識のあわいで、男たちの会話を夢の一齣のように聞いていた。「監置」という言葉を耳にしたとたん、そいつに襲いかからんばかりの憤怒にかられたが、それが叶わないことを夢うつつのなかで感じていた。
「待て。異常音だ」
 警備長と呼ばれた男が、秒を刻む三個の時計の音に気づいたらしい。
「不審者の体から聞こえます」
「火器班を呼べ」
 重い靴音が四つ、入り乱れて遠ざかった。人声が消えて、息をのむような静寂のなか、針を刻む時計の音と雨音だけが残った。
 その時だった。老人の耳に遠く何かが爆発する音が聞こえ、視覚を閃光の走るのが見えた。爆発音と閃光は立てつづけに三度つづいた。老人は、それが自分の体に括りつけられた時計とは関係のない、どこか別の場所で起こった出来事であるとは気づかなかった。
 爆発は、老人がいまなかば気を失って蹲っている大門から、壁塀を東へ一キロほど巡った場所で起きた。炎が巨怪な甲殻類の一部をあかあかと照らしだしたが、間もなくふたたび暗黒に包まれた。

 イエロー国首都議事堂から二キロほど離れたMサカ駅の時計は、午前八時五十分あたりを指している。昨夜、激しく降りつづいた雨は、陽が昇るころには上がって、どこか芝居の書割か映画のロケーションセットのように作りものめいた街の風景を初秋の光が包んでいた。オフィスビルも道路も脱色したように白っぽいが、雨上がりの空気を吸って幾分かは生気を放っている。そんな舞台の情景にふさわしく、人びとの表情は平安だ。要するに、街には何の変化もみられないのだった。
「あの音が夢だとしたら、奇妙な話じゃないかね。ここにいる五人が五人、夢のなかで同じ音を聞くなんてことがあるもんかね」
「一種の超常現象かもしれません。意識下のテレパシー伝達。おれたちが目に見えない絆で結ばれたことを証明する、何かの精神感応が夢のなかで起こったのかもしれない」
「ジョルジュ、おまえは時時、難解なセリフ言うんだ。舞台の上じゃないんだからな、もっと現実的な意見、言ってくれよ」
「カウンターパンチを取ったときの実感がほしいよ」
「わたしの頭からはどうしても阿九光(あくみつ)さんの顔が離れない。爆発音みたいなあの音は、忽然といなくなった阿九光さんと関係があるように思えて仕方ない」
 駅前のロータリー公園で、自然石を模したモルタル造りの円卓を囲み椅子に掛けて、二人の老人と三人の若者がそんな会話を交していた。ちょっと奇異な取り合わせであるが、九月のやわらかい陽光を浴びて心地よい風に身をまかせている光景は、傍目にのどかに写る。会話は五人が異口同音に夢のなかで何かが爆発する音を聞いたと言い出して、そのつづきだった。
 老人二人の小柄なほうは、背筋が歪つに曲がり、目つきの切れ長につりあがった鷲のような風貌が禿げた前頭部まで鉄錆色に焼けている。薄地のアノラックとGパンを着用し、頭と足もとはいずれも登山用の帽子と靴だ。
 もう一人の老人は一メートル八〇センチをこえる碧眼の大男で、七分がたの白髪を短かく刈り込み、巨大な鼻梁は元ボクサーのように二段構えをしている。鼻の下にごま塩まじりの髭をたくわえている。聖職者ふうの黒い詰襟シャツの上に同系色のブレザーを着け、これも黒っぽいズボンと革靴、つまり黒ずくめの服装なのだ。コルシカ島生まれの彫り深く大造りな面相にサングラスをはめているので、マフィアにでも仮装しているふうだ。
 二人の老人は、ソットン氏こと馬碩東(マソクトン)とステファン・レナト神父である。自然石を模造した円卓の上には、二人のリュックサックが乗っている。
 若者三人は揃って濃紺の三ツ揃いスーツを着ている。もっとも、十日まえMサカ駅に颯爽と降り立ったとき輝くばかりだったそれは、「原野」を歩きまわり、炎天の下に座り込み、雨に濡れ、野宿をするうち、あざやかな濃紺は霜降り生地のように埃にまみれ、何年も着古したみたいにくたびれていた。友情の証ででもあるかのように、その風態は三人、寸分違わない。
 しかし、風貌は三者三様、それぞれが自己主張をゆずらない。南の島の祖先の血をひく土着的な風貌のジョルジュことジョージ宮里、イエロー国の風土にさらされて曖昧模糊な風貌のふらわー・さんこと花咲一陽、ウサギ半島からイエロー国へ流れついた流民祖々父母の血をうけて野生の名残りをとどめるCゴールドこと金海聖日――。彼らがいまや徒手空拳、つまり仕掛けつき時計のはいった三個のアタッシュケースが紛失し、それがやがて阿九(あく)む光(ひかる)の体に括られるにいたった理由は、この物語の進展につれていずれ明らかになるだろう。
「レナト神父、夢のなかの爆発音と阿九光さんと、一体どんな関係があると言うのかね」
 ソットン氏が鷲を仮装した顔をゆっくりと擡(もた)げて訊ねた。
「さぁ、そう問われると困る。只、無性に不吉な予感がする」
「それでは雲を掴むような話じゃないかね」
 レナト神父は巨大な二段鼻をうなだれて黙った。しかし自分の考えをひっこめるつもりはないらしく、頑固に思いめぐらすふうだ。
「やっぱり精神感応が五人いっしょに起こったんだ」
「まだあんなこと言っとる。どこかで爆発事件が起きたんだ」
「どこかって?」
 ジョルジュとふらわー・さんとCゴールドが、老人二人を無視するふうに言葉を投げあう。
「たとえば」ふらわー・さんは四、五秒ためらって、つづける、「議事堂とか・・・・・・」
 若者三人はいっせいに同じ方向を眺めた。駅前ロータリーの一角につつましく建っているポリス・ボックスでは、若い警官が一人、立哨しているが、いつもと変わった様子はない。
「たしかに爆発音は西の方向に聞こえた。ここからドームの化物まで約二キロ。深夜にあの程度の音は充分にとどく距離だ。ひょっとすると」Cゴールドは老人二人の反応を警戒するふうにうかがった、「おれたちのアタッシュケース盗んだやつが、中身をぶちこんだかもしれないぜ」
 二人の老人は注意深くCゴールドを眺めたが、驚いたふうではなかった。
「時計盗んだやつって誰だよ」
 超常現象などと言いだしたジョルジュも気持がゆらぎはじめているようだ。
「それが判らんから、知恵出しあっとるんじゃないか」
 Cゴールドが苛立つのをふらわー・さんがひきとる。
「もしそんな大事件が起こったとしたら、街がこんなに能天気でいいんだろうか」
 駅前ロータリーの人の行き交いも、その前をV字型に分かれて西と南へ向かう大通りの車も、何の変哲もない光景だ。十階建てデパートに垂れ下がった「祝 徴兵制 挙国一致 世界の平和に貢献しよう」の長ったらしい垂れ幕は、秋のバーゲンセールのそれと見まがうばかりだ。書割かロケーションセットのような街全体が、早くも午睡にまどろんでいる。
「きみたちの仕掛けつき時計のはいったケースを失敬したのは、阿九光さんかもしれない」
 ええ? レナト神父の言葉に、声こそ挙げなかったが、ほかの四人はいっせいにそちらへ視線をやった。四人は一様に、まさかといった表情を浮かべるが、なぜか否定できないでいる。
「爆破事件が起こったのなら、新聞に載ってるはず」
 ソットン氏が半信半疑の口吻で呟くや、Cゴールドが間髪を入れず、豹の敏捷さでキオスクへ走った。
 すっかり雲が晴れて真新しい陽射しの下で、五人は円卓にひろげた新聞をめくった。額を寄せあって隅から隅まで目を通したが、それらしき記事はなかった。
「深夜の事件だから朝刊には間に合わなかったのでしょう。テレビなら報道してるかもしれない」
 レナト神父が二段鼻をかしげるのに、Cゴールドが応じる。
「駅のテレビジョンは芸能ネタのワイドショーやってた。構内の様子も全然、いつもと一緒」
「やっぱり、ジョルジュの言う超常現象か」
 と、ふらわー・さん。
「議事堂に爆弾が仕掛けられたとしたら、緘口令が敷かれるだろ? 簡単に報道をゆるすとはおもえん」
 ジョルジュがこれまでの発言から寝返るようなことを言ったので、ふらわー・さんはムッとした表情で彼を睨んだ。
 雨が上がって風が吹きはじめたので、自然石を模した円卓の上で新聞が舞いあがりそうにめくれた。
「何はともあれ」レナト神父が新聞を畳みながら、重い口をひらく、「阿九光さんの消息を捜すのが先決でしょう」
「阿九むさんが失踪したと決まったわけではないですよ」
 ジョルジュが言い、Cゴールドとふらわー・さんがひきとる。
「ふらりと戻ってきますよ。そういう感じだぜ、あの人」
「そう、そう。下手に動かんほうがいいですよ。ここで一日張り込んで、夜は駅で青カンして、それで帰って来なかったら、次の手、考える」
「否、二手に分かれよう」ソットン氏が提案する、「二人がここで待機班、三人が議事堂へ行く捜索班。阿九光さんが行くとしたら、昨日まで座り込んでいた〈境界〉の確率が一番高い。ついでに議事堂の様子を偵察してくれば、一石二鳥」
「私が行きましょう」
 即座にレナト神父が名乗りを上げ、ふらわー・さんとジョルジュがそれに従うことに決まった。期せずして在イエローの二世と三世の同胞二人が待機組になった。

 ソットン氏とCゴールドは、一時間ごとにロータリーの公園と、昨夜、六人(阿九む光は深夜ひそかに「原野」のむこうの巨怪なドーム状建造物へ向かった)が野宿したMサカ駅の軒下とで交互に見張ることにした。
 そのあいだにCゴールドは、阿九む光の現われるのを待つばかりなのが焦れったくて、何度も街のなかを見廻った。特にMサカ駅東側区域(エリア)を念入りに歩き回った。そこは映画館、ビジネスホテル、遊戯場、居酒屋、スナックバー、大人の玩具の店、ファッションマッサージなどが狭い路地にひしめきあっていて、首都議事堂へむかう街の塵芥がすべて掃き寄せられたような疎隔区域であった。駅を一つ隔てただけで、まるで西側とは別世界のように猥雑な活気に溢れている。数日まえの夜、阿九む光が一計を案じて若者たちのアタッシュケースを失敬したラブホテルも、その一角にある。
 Cゴールドは探索から帰るたび精悍な豹の面貌に汗をにじませている。フェザー級六回戦ボクサーの体が鈍(にぶ)るのを警戒して、ロードワークを兼ねているつもりらしい。待機場所にもどって一〇分と休まず飛び出したりする。それでも彼とソットン氏は、キオスクで買った握り飯を頬ばりながら、こんな会話も交わした。
 アボヂ(父)オモニ(母)は健在かね。
 ええ、Hロシマに住んでます。
 何歳になる?
 五十二歳・・・・・・。いや、たぶん四十九歳かな。
 アボジの歳もあやふやなのか。トンポリ(金稼ぎ)は、何やってるのかね。
 県庁に勤めてます。
 ほー、公務員か。在イエローの同胞も公務員になってあたりまえの時代がきたか。
 ええ、まぁ。仕事が現業部門だから。それにイエロー籍、取ってるから。
 なるほど。わしの身内もあらかたイエロー国に帰化してしまった。どうかね、淋しいことと思わんかね。
 残念ながら解りません。おれ、生まれた時からイエローやってきたから。
 虚しい話だ。
 けど、DNAの記憶っていうの、あれ感じることはある。中学二年のとき担任、刺したのも、やつが民族差別ってのやったからなんだ。
 それで少年院にはいって、いまは二十歳(はたち)にもなるのにふらふらして、誰にそそのかされたのか物騒なこと仕出かそうとしている。
 ふらふらなんかしてないスよ。ちゃんと寄せ場で汗水たらして堅気に食ってるし、ランキングボクサーの夢、真面(まじ)に追ってる。それにイエロー国の本尊と一戦交える計画も、肝心なブツ盗られたんじゃ、お手上げ。
 どちらにしても、ちゃんとした公務員の息子がめざす人生じゃないな。アボジが泣いとるぞ。
 こういう親子のケースって、バーゲンで売るほどありますよ。
 聖日(ソンイル)、わしはおまえのハラボヂ(祖父)みたいなもんだ。どうかね、同胞の誼で、おまえたちに爆弾時計を渡した人物を教えてくれんかね。誰にも絶対、話さん。
 ハルベ(おじいさん)、デカみたいなこと言わないでください。死刑になっても話せません。
 あれは十四、五年前だったか・・・・・・。アラブの正義を標榜するテロリストが、ホワイト合州国の中枢を破壊したことがあった。ホワイトが世界制覇に浮かれて支度い放題の一極支配を謳歌してたからな。面子を潰されたホワイト帝国は、なりふりかまわず世界じゅうを手下に引き入れて報復攻撃を仕掛けた。それでアラブの正義対ホワイト・世界連合軍の全面戦争になった。アラブの正義はよく戦ったが・・・・・・。
 おれ五歳くらいで何も憶えていないけど、聞いたことありますよ。
 アラブの正義はまだ殲滅されてはいないらしい。聖日、おまえたちの組織はアラブの正義と関係あるのか。
 まさか。
 あのときイエローの軍隊は、ホワイト従属軍として第二次世界大戦後はじめて海外で鉄砲を撃った。自衛隊とかいう仮面を剥ぎ棄てたのだ。挙句が今回の徴兵制。おまえたちの組織には、イエロー軍隊との聖戦が宿題のまま残っとるはずだ。
 そんな大層な。ハルベ、買いかぶらないでください。
 どうせやるんなら、アラブの正義と肩を並べるくらいのことはしなきゃいかん。

 一方、レナト神父、ふらわー・さん、ジョルジュの三人は、歩きなれた街を西へ向かい、イエロー国首都議会をめざした。
 舞台の書割または映画のロケーションセットをおもわせる街は、建設中と撤去中をごちゃまぜにしたような取留めのなさで白っぽくつづいていた。高層の公共機関やオフィスのビルディングが立ち並ぶのさえ、どこか模造品(イミテーション)めいて、片側四車線の広い道路を往き来する数少ない車輛も、見事に整然と走行してリモコン操作めく。きょうも街に人の姿は少ない。擦れ違う人びと一人一人の顔つきや服装を憶えられるほどだ。どこからか強力な監視と指示と威嚇をあたえられているように、人びとは無駄なく行儀よく往き交っている。表情には喜怒哀楽の付け入る隙もなく、孤独の影さえ消されている。
 三人はそんな見慣れた情景に関心をよせることもなく寡黙に歩きつづけて、二十分後には「境界」に立っていた。
 何の前触れもなく街は途切れて、流刑地のような「原野」が広がっている。火山灰土を敷きつめた即製の荒蕪地をおもわせるが、それでも「原野」には九月の陽光が降り注ぎ、街のなかとは違った爽やかな風が吹いている。
「境界」から「原野」を突っ切って、幅三十メートル、距離三百メートルほどの、戦車でも往来しそうに堅牢な道路が、首都議事堂を包囲する壁塀へとつづいている。半球形ドームを三層に積み重ねた巨怪な建造物は、濃緑の山稜を背景にして偉容を誇示するかのようだ。陽射しにかすむ大門のあたりに人の姿はない。しかし、人がそこへ近づけば、たちまち警備官が現われるだろう。ドーム状建造物の二層目あたりから突出して鉄砲のように「原野」を監視する目玉のお化けは、「境界」からも見ることができた。
「まるきりいつもの風景ですね」
 ふらわー・さんが、広広とした「原野」と、議事堂を延延めぐる壁塀とを眺望するふうにして口をひらいた。
 三人は、一週間ほど座り込みをつづけた場所――大門へ通じる堅牢な道路の入口に立ったのだが、そこに阿九む光の姿は影も形もないばかりか、見渡すかぎり視界のどこにも人間の姿を認めることはできない。つい十時間ほど前の深夜、阿九む光が三個の時計を体に括りつけえ、土砂降りの雨のなか大門にむかって目の前の道路を歩いたなどとは、三人は勿論、想像だにしなかった。
「阿九むさんがここにいたらしい形跡は、何も残っていない」
 阿九む光の持ち物が何か残っていないか、あたりを探ってきたらしいジョルジュが報告した。
「阿九光さんがここに来なかったという証明にはならない」
 レナト神父が慎重に応えるのに、
「大門まで行ってみよう」
 と、ふらわー・さんが口を挟んだ。
 三百メートルほど先の大門では、ちょうど黒塗りの外国車が構内からあらわれたところだった。大きな図体のそれはゆっくりと荘重に進んできて、三人の見つめる前を左折し、街の方角ではなく南へ走り去った。それは官邸や議会関係者の公舎、そして賓客用のホテルがある海辺へ向かう道だった。
「どういう人物が乗ってたんですかね。遮光窓(クロッシング)で見えなかった」
「大門へ行くなら、いまですよ」
 ジョルジュの言葉には取り合わず、ふらわー・さんが走り出さんばかりの様子を見せる。
「待ちなさい。いくら平穏だからといって、何事も起こらなかったという保証はない。高度なカモフラージュとも考えられなくはない。飛んで火に入る夏の虫、そういう俗諺がイエロー国にはあるでしょ」
 レナト神父にそう問われて、ふらわー・さんとジョルジュは首をかしげた。
「とにかく様子を見ることにしましょう」
 レナト神父の言葉に若者たちも素直に従った。
 街と「原野」とのあいだに軍事境界線みたいに敷かれた路肩に腰を下ろして、しばらく埒もない会話を交わしていたとき、レナト神父が不意に話題を変えた。
「ところで、私はきみたちの告白を得たいのだが・・・・・・」
 レナト神父のごま塩まじりの口髭がぴくりと動き、巨大な二段鼻がわずかに上向くのを、若者二人は目敏くとらえた。
「例の仕掛け時計入りのケースをきみたちに託したというのは、どのような組織でしょうか」
 レナト神父の言葉遣いは礼儀正しいものだが、それがいっそう際立つのに若者二人は警戒した。彫り深い容貌をマフィアふうに仮装したサングラスのせいで、目の表情を知ることはできない。
「さぁ、それがよく解らないのです」
「おれたち軽薄だったから」
 ジョルジュとふらわー・さんの脳裡に梅ちゃんとオードリーの顔が浮かんだが、ことの経緯を説明するのはためらわれた。
「人間にとって、告白はとても大切な良心の表現です」
 レナト神父は物思わしげにつづける、「神の前では、偽りと隠し事はすでにして罪です」
 若者ふたりが、やばい風向きになってきたぞ、という表情を露骨にあらわす。
「神はけっしてテロルをゆるさないでしょう。『旧約聖書』は言います〈汝は異邦人の心を知っている。なぜなら汝はエジプトの地では異邦人であったから〉。異邦人とは誰でしょう。それは他者であり、同時に自己です。なぜなら、自己とは別の者にとっては所詮、他者なのですから。互いが掛け替えのない他者です。神がテロルをゆるさないのは、他者も自己も殺してはならないからです」
 レナト神父は話すうちに幾分、恍惚の表情を浮かべはじめる。若者二人はレナト神父の言葉以上に、なぜかその表情に圧迫されて、コンクリート造りの路肩から腰を浮かしそうにしている。
「『新約聖書』では他者への愛をさらにすすめて、汝の敵を愛せよ、と言います。汝の敵とは誰でしょう」
 それは汝自身です・・・・・・。レナト神父が言いつぐのを合図のように、ふらわー・さんとジョルジュは同時に立ち上がった。
「おれたち、あのドームの化物をひとめぐり探索してきます」
 若者たちは言うより早く歩き出し、「原野」を南にめぐる道をみるみる遠去かった。レナト神父は、胸の奥にかすかな悲哀を感じて、元ボクサーのような鼻梁を俯向けた。
 二人の若者が、周辺四キロ余の「原野」をめぐって戻るまでのあいだ、レナト神父はそこに座りつづけて時にうつらうつらした。偶には高級乗用車とか特異な車種の貨物車とかが、大門に通じる堅牢な道路を行き、警備官の検問を受けて構内へ消えたが、レナト神父はそれに格別の関心をよせるふうでもなかった。
 一時間ほどしてジョルジュとふらわー・さんがもどったとき、レナト神父は寸分違わない姿勢でそこに座っていた。うららかな陽射しの下で眠っているふうに見えたが、そうではなかった。若者二人は早速、報告した。
「猫の子一匹、見つかりませんでした」
「静穏そのもの。どこかで爆発事件があったなんて、まるで痕跡もありません」
 やっぱり、夢。老若五人の精神の絆を証明する感応現象・・・・・・。ジョルジュはそうつづけたい誘惑にかられたが、抑えた。
 三人は、陽が巨怪なドーム状建造物のむこう、動物の背に似た山稜の涯に沈みかけた頃、諦めて街へもどった。
 一方、ソットン氏とCゴールドが待機していたMサカ駅にも、阿九む光は現われなかった。


 だから、本名を言いなさいと言っているじゃないか。戸籍上のちゃんとした氏名。
 あくむひかる・・・・・・。
 今時、そういう名前はイエロー国にはないの。われわれは国民登録をすべて調べつくしたんだから。あくむなんて、当節、漫画にだって登場せんよ。何、考えてんだか。
 わしはイエロー国などとっくに去った。幽冥の境をふらふらとさまよっているんだから。半分死んで、半分しか生きとらんのだ。だから国民登録に名も無いのはあたりまえ。あくむひかるとは、半死人にふさわしい名前とはおもわんかね。
 あんたね、半死人でもなんでもないの。われわれが発見したとき、たしかに失神状態だったけど、擦り傷ひとつ負ってはいなかった。休養を充分に取って、ほら、そのとおり口だって聞けるじゃないか。
 わしが語っているのではない。何者かがわしの口を使って喋ってる。それはたぶん、霊魂のようなものだ。わしの肉体はあの瞬間、爆破されたのだ。この耳でたしかに恐ろしい音を聞いた。音とともに肉体は吹っ飛んだ。その証拠にあとのことは何も覚えていない。
 体が吹っ飛んだのに音が聞こえるものかね。
 きみにはわからんだろう。体験した者のみが知ることだ。
 あーぁ、また振り出しにもどってしまった。
 芝居か冗談のつもりですかね。
 仮病を使ってるのはたしかだ。
 あとはわたしが代わりましょう。
 頼む。
 ねぇ、あくむひかるさん、あんたが体に括りつけてた時計は、爆発なんかしなかったんですよ。
 念のために三個も括ってた。一つも爆発しなかったなんてはずはない。
 三個でも十個でもおなじこと。只の時計だったんだから。十年たっても爆発なんかしませんよ。あんたは五体満足。
 なら、いまわしの口を借りて喋ってるのは誰かね。
 惚(とぼ)けるのは、いい加減にしましょう。われわれはあんたが議事堂爆破を企てたなんて思ってやしない。誰かに利用されたのにちがいない。
 何! わしを侮辱するのか。わしは七十七年の人生で一度だってひとに欺かれたことはない。失礼な言辞はゆるさん。
 まあ、興奮しないで。誰から依頼されてあんな芝居を打ったのか、正直に言ってくれなくては、われわれはあんたを処罰しなくてはならない。もし何者かに使嗾されたのなら、あんたは何の被害も及ぼしていないのだから罪を問われない。
 害を及ぼさなかったとは何事か。わしは間違いなく議事堂の爆破される音を聞いた。あのとき、わしの体は八つに裂かれたのだ。それでいま、わしの魂はあちらとこちらの境をさまよっている。
 まだそんなことを・・・・・・。仕方ない、ほんとうのことを言いましょう。たしかに爆弾は仕掛けられました。ただし、それは別の場所で。あんたを囮にして、何者かがわれわれの注意を大門のほうに集中させ、その隙をねらったのです。しかし、爆弾事件なんてものではない。イエロー国議事堂は、テロを仕掛けさせることによってテロから守る、そういう仕組みになってる。
 ううむ・・・・・・。大義はわしにある。わしの意思で、わしの体を張って、徴兵制を糾弾した。良心に恥じるところは、全然、ない。
 わかりました。ならば、あくむさん、本名をきちんと名乗って、爆破計画から順をおって正確に話してください。
 わしはイエロー国の中枢権力を憎んでいる。だから、拷問にかけるがいい。肉体を失ったものに、いかなる拷問も意味をなさない。死こそ、不死。わしは滅びながら生きておる。
 拷問だなんて。馬鹿な。
 ううむ・・・・・・。
 爺さん、拷問とはまたよく言ってくれるよ。初心者コースにも耐えられない、老いぼれのくせに。わしが代わろう。
 お願いします。
 あくむだか、あくまだか知らねえが、爺さんよ、惚けるのも大抵のところにしとくんだな。議事堂公安室を舐めたらあかん。変な年寄りと若造の存在はとっくに知れてんだから。どうせ雑魚の遊びだろうが、抗議運動だかなんだかの真似事しやがって、笑わせるよ。六人組のしっぽ掴むのは時間の問題。大方、爺さん三人が三匹の若造に誑(たぶら)かされたんだろう。ところが、三匹の若造も只の鼠。はした金か口車に踊らされた、というのが筋書きだろう。問題はやつらを操った組織だが、ちゃちなテロの手口からして、そいつもいずれ子供だましの手合にちがいない。およそ、そんなところだろう。
 ・・・・・・・・・・・・。
 われわれにはすべてがお見通し。ただ、あんたの口から言わせたいだけ。そうすりゃ、あんたを救ってやれるってもんだよ。
 ・・・・・・・・・・・・。
 どうなんだ、爺さん。図星をつかれて今度は口が聞けなくなったってわけか。
 ・・・・・・・・・・・・。
 小泉さん、こりゃ駄目です。爺さん、眠ってるみたい。
 狸寝入りかどうか、ちょっと体に聞いてやれ。


「正義と夢の探検隊」五人は、Mサカ駅玄関脇の軒下で一夜を明かすと、きょうも一日、阿九む光の行方を探すことにした。そうと決めるのには昨日、ちょっとした意見の対立があった。
 夕食をとるには少し早い時刻、駅前の公園には暮れなずむ夕陽にきらめいて茜色の風がそよいでいた。そこでは老若五人の人物が、自然石を模した円卓を囲んで密議でもこらすふうだったが、彼らもまた風と同じ色に染まっていた。街と「原野」の境界を訪ねて議事堂ドームの周辺を探索してきたレナト神父、ふらわー・さん、ジョルジュの三人と、Mサカ駅で阿九む光の出現にそなえて待機していたソットン氏、Cゴールドの二人とが、交交(こもごも)に不首尾を報告しあったあと、さてこれからどうしたものか相談する段になって意見が分かれた。
 爆破事件らしきものを伝える記事は、Cゴールドがキオスクから買い込んできた新聞夕刊のどれにも載っていない。街には駅の階段で誰かが躓いたほどの変化も見られない。仕掛け時計入りのアタッシュケースが行方不明になっている以上、若者たちの目的は八方塞がりの状態で宙に浮いている。これまで通り「徴兵制復活に抗議する 戦争は命の冒涜なり」(「冒涜」の文字は当初「浪費」であったものが書き換えられた)と記した横断幕を掲げて、堅牢無比の巨怪ドーム状建造物に対峙するとしても、そのことの無力さはしたたかに思い知らされている。残る選択肢は唯一つ。一歩の後退を甘受して次の行動に備えるしかない。ならば、阿九む光の行方を探しあてて「正義と夢の探検隊」の陣容をふたたび整えるのが緊急だろう――紆余曲折はありながら、そこまでは意見の一致をみた。問題は、どういう方法で阿九む光の行方を追うか、である。
「阿九光さんは五条の里へ帰ったんではないだろうか。そんな気がしてならない」
 物思わしげにそう言ったのは、ソットン氏だった。
「それ、どういうことですか」
 ふらわー・さんが訊ねる。
「どういうことって、そういうことだ。わしの直感」
「変じゃないですか。それならそうとおれたちに断って行くはずですよ。夜中にこっそり姿を消すなんて考えられません。なにか後ろめたくて黙って消えたということですか」
「否、阿九光さんにはそこまで配慮する正気は残っていないかもしれん。Mサカに来てからの行状をきみも見ただろ。老人性痴呆とまでは言わんが、精神の深層に異変が起こりはじめている。たぶん、軽症のものとはいえ精神の虚妄を来たして、狂気と正気のあいだの振幅が急がしくなっている」
「それで徘徊症状が出てしまったということですか」
 ジョルジュが口を挟んだ。
「否、単なる徘徊症状ではない。まっとうな帰巣本能だな」
「それなら家族のもとに帰るのが筋じゃないですか」
「それも考えられる。しかし、まずは終(つい)の棲みかと心さだめたホームへ行くだろう」
「阿九むさんを探すなら、まずホーム五条の里へ行くべきだ、ソットンさんはそういうんですね」
「まぁ、それがわしの直感的判断だ」
 ソットン氏はそう応えたが、鷲を仮装した鉄錆色の顔は冴えない。
「とりあえず阿九むさんが五条の里にもどってるかどうか、電話でさぐりを入れてみたらどうかな」ふらわー・さんがとっておきの提案でも思いついたふうに言う、「おれたちの声なら怪しまれませんよ」
「そりゃ駄目だ。薮蛇になるのが落ち」ソットン氏は目のまえの蝿を叩き落すように、即座に否定した、「ホームに帰ったとしたら、阿九光さんは懲罰室に入れられてるにちがいない。救出するには、意表を衝くか、陽動作戦を使うか、余程の戦術を練らなくてはならない」
 そこで会話は暗礁にぶつかってしばらく途切れたのだが、レナト神父がポツリと口を開いた。
「わたしの胸の奥に大きな痼(しこり)が一つできて、不吉な予感のように去らない。阿九光さんは何かの事件に巻き込まれたのではないだろうか」
「何かの事件? それは何のことかね。レナト神父の話はいつも具体性に欠ける。胸の奥の痼とか不吉な予感とか言われても、さっぱり理解できん」
 ソットン氏は細く切れ上がった目をいっそう吊り上げて眉をしかめた。
「何の事件かは、わたしにもわからない。とにかく無事であってくれればよいのだが」
 レナト神父はなかば独白みたいに言いながら、あらぬ方向に視線をやっていた。視線のさきがたまたま公園と大通りを結ぶ角っこのポリスボックスに向いていて、それに気づいたのはCゴールドだった。ポリスボックスの前にはいつものように警察官が一人、立哨している。
「老人がらみの事件起きてないか、あいつに聞いてこようか」
 Cゴールドが言って、いまにも豹の体を躍らせて駆け出しそうにするのを、ソットン氏が叱責した。それを受けて、ふらわー・さんがあきれたふうに言う。
「おまえ、何を考えてんの。レナト神父に教えてもらったばかりだろ、飛んで火に入る夏の虫って」
「おまえに言われたくないよ。五条の里に電話入れようなんて、軽薄なこと言ったくせに」
 Cゴールドがやり返した。
 若者たちのやりとりを無視してソットン氏がレナト神父に訊ねた。
「あんたの不吉な予感ってのを認めるとして、打つ手はあるのかね」
「短兵急な行動はつつしんで、あす、もう一度、阿九光さんの行方を探してみましょう」
 そうは言ったもののレナト神父の表情は頼りなげだった。
 若者三人がレナト神父に同情を覚えたのか、おれたちが走りまわって阿九むさんの行方、虱つぶしに探しますよ、とジョルジュが言い、ふらわー・さんとCゴールドもそれに同調したので、Mサカにとどまって阿九む光の行方を探すことになったのだった。
 事のついでに「正義と夢の探検隊」という命名について説明しておこう。
 五人がMサカ駅玄関の軒下で魚市場の鮪みたいに横たわって眠るまえ、夜空に頼りなく輝いている星を眺めるうち若者たちの誰からともなく、五人の絆を固めるため名前を付けよう、と言い出した。なかば冗談みたいに話し合ううち、レナト神父が「正義」に固執し、若者三人はそれぞれが抱く「夢」に執着した。ジョルジュにはテント劇団やんばる小僧をひっさげて祖々父母の島でウチナー語(ぐち)の芝居を打つ夢が、ふらわー・さんには大学受験資格検定にパスする夢が、Cゴールドにはランキングボクサーとしてメインイベントのリングにのぼる夢が、それぞれにあるのだ。
 そんなわけで、双方の想いを容れて「正義と夢の探検隊」に落ち着いたのだが、すんなりと決まったわけではない。ソットン氏が二つの点で難色を示したからだ。「正義」という言葉を耳にするなり、ソットン氏は十五年も前の記憶を呼びさまされてしまった。
 二〇〇一年の九月、モスリムのテロルがホワイト合衆国の軍事と経済の中枢部を襲ったとき、世界制覇を果たして一極支配を謳歌していた大統領ブッは、「新しい戦争」を掲げて、砂漠とコーランの国に報復した。第三次世界戦争まがいの殲滅戦を仕掛けた、その際の作戦名が「無限の正義」だった。ソットン氏はデモクラシーを標榜するホワイト合衆国の「正義」という名の侵略と暴力を苦苦しく思い出したのだ。
 いまひとつソットン氏が難色を示したのは、「探検隊」という命名だった。それはあまりに稚拙で子供っぽい名称だから「旅団」にすべきである、と彼は主張した。しかし、残念ながら若者たちは「旅団」の何であるかを知らなかった。レナト神父は、たった六人(彼の脳裏には阿九む光がきちんと存在していた)の仲間なのに「旅団」とは虚勢が過ぎる、と反論した。レナト神父は聖書と良心に誓って「正義」を主張した。
 そのように若干の論議を経て「正義と夢の探検隊」は生まれたのだったが、実を言えば、ソットン氏はもともと命名そのものに関心があったわけではないらしい。とりあえずは異を唱えてみる、それがソットン氏の性癖なのだ。

 ジョルジュ、ふらわー・さん、Cゴールドの若者三人は、キオスクでたっぷりと仕入れた弁当類と飲料水で朝食をすますと、残りの食糧と近郊地図などをソットン氏から借りたリュックサックに入れ、出発した。老人二人は街に残った。
 ジョルジュが阿九む光の行方を虱つぶしに探すと言ったものの、とらえどころもなく広大な未知の土地を闇雲に歩き廻るわけにもいかない。とりあえず、街を碁盤目状に行き交っている道筋を辿りながら「境界」まで出ることにした。大きな通りを外れて幾つもの小路を迂回するたび、街は舞台の書割をいきなり取っ払ったみたいに楽屋裏をみせる。予測のとおり、阿九む光の姿はそこになかった。
「阿九むの爺さんの故郷はどこだっけ?」
 境界に出て、「原野」の向こうに巨怪なドーム状建造物を望んだとき、ふらわー・さんが唐突に言った。
「たしかC半島の漁港のある町だって言ってたな。十八歳くらいまでそこで育ったって」
「うん、おれもそう聞いたことがある」
 ジョルジュとCゴールドが口を揃える。
「ソットンさんが帰巣本能とか言ってたろ? 失踪するときって、生まれた土地かそれに似た場所を訪ねるんじゃないの?」
「失踪と決まったわけじゃないだろ」
 Cゴールドがふらわー・さんに食いついた。
「何、とんがっとる? おまえには言葉のアヤってものがわからんのか」
 ふらわー・さんが切り返す。
 収拾がつかなくなるかと思えた二人の応酬は、それきりピタリと止んだ。若者たちの脳裡それぞれに、同じ方向の↑印がひらめいたのだ。
 海のほうへ行ってみよう。
 荒寥とした「原野」と堅牢な壁塀を目の前にして、途方に暮れていた三人には、それが目下のところ唯一の開かれた出口のようにおもえた。
 若者たちは、南北に分かれて「原野」をめぐる境界の道を、南の方向へ向かった。
 道路は対向二車線だけだったが、一車線の道幅が三十メートル超ほどあり、軍用車輛でも行き交いそうな路面は、重厚な光沢を放って分厚い鉄板でも嵌めこまれていそうだ。平時に軍用車輛が行き来している形跡はないが、何かの専用道路であることには間違いなさそうである。「境界」での徴兵制抗議の座り込みの際に、若者たちがしばしば目撃したように、外国からのVIPや来客のほかに議員、議事堂関係者などを海辺の施設へ運ぶ専用自動車道路らしい。
 専用道路に沿って東側には緩衝区域のような疎林がつづいており、そのなかを狭い道が通っていたが、三人は専用自動車道路の端を一列になって歩いていった。
 道路はゆるやかな曲線を描いて南南西にのびているが、一キロほども行くと巨怪な議事堂ドームとそれを防備する褐色の壁塀は若者たちの背後に遠去かり、「原野」の様相も一変した。火山灰土を敷きつめたような荒蕪地は突然、正確な定規で測って鋭利に切断されたように消え、濃緑の小高い里山に変わっている。それで「原野」がもともと広大な里山がつらなる自然の地形であったと知れる。濃緑の里山の背後には、動物の寝姿に似た山稜が前景より幾分、褪せた緑に紅葉をまじえて、午前の陽光に輝いている。反対側の疎林はときどき途切れて畑地や沼や用水路や懸崖の風景をあらわし、つづく。若者たちは山並みと疎林のあいだに拓かれた道路を、寡黙に無駄のない速度で歩きつづけた。
 ばかでかい道路に車の通らないのが不思議だ。濃緑の山稜から渡ってくる青っぽい風にはガソリン臭など塵ほどにも混ざっていなくて、あの人工の「原野」が幻だったようにおもえる。若者たちは出口の見えない行く手に苛立ったが、当てのなさを楽しむふうでもあった。
 十キロほども歩いただろうか、彼らの進む正面から陽がまぶしく降り注ぐ頃になって、青っぽい風のにおいに幽かな潮の香りが混ざりはじめた。
「海が近いぞー」
 リュックサックを背負って先頭を歩いていたCゴールドが、振り向いて叫んだ。後につづくジョルジュとふらわー・さんはさすがに疲れをみせはじめて歩調が落ち、それぞれの間隔が四、五十メートル空いていたので、Cゴールドは繰り返し叫んだ。その声で二人も生き返って歩調を早めた。
 数分、行ったときだった。突然、切通しを抜けたように海辺の光景が目のまえにひらけた。馬蹄型の周縁が四キロはあろうかとおもわれる広大な入江が望まれて、凪いだ海面が海底の色をそのまま浮かべて碧碧(あおあお)と浮遊している。入江の内がわには小さな湾が幾つもある。高速艇やヨットが玩具のそれのように浮かんでいる。空を舞う海鳥が、降りそそぐ光のなかで斑点のように停止してみえる。漁船の甲板や埠頭にちらほら見える人影も縮尺レンズにかけたようだ。
 目路の限り大洋が広がって、入江とは截然と色彩を変えている。陽光を浴びた波濤は背を大きな魚鱗のようにきらめかせ、魚鱗は沖合へ遠去かるにつれて銀白の光の粒子に変質する。やがてそれは燦めきそのものとなって水平線にぶつかり、破砕される。
「凄(すげ)え海だぜ」
 瀬戸内海しか知らないCゴールドが驚いた。他の二人もCゴールドの言葉に異論はなかった。
 専用自動車道路は二つに断ち割られて、変哲もない二本の舗装道に変った。東に向かう道路はつづら折れに下って、瀟洒なホテルやマンション、官舎らしき白、青、ベージュの建物が密集する高級リゾート地に似た海辺へ通じている。西に向かう道路は海辺へは下らず丘陵伝いに抜けて、森林を切り拓いたらしい山腹の台地に通じている。遠く濃緑の山並みに囲まれて地肌をさらしているそこには、発電施設とも弾薬庫ともつかない、堅固そうな壁だけの灰黒色の建物が暗暗と蹲っている。
 若者三人は迷うことなく、東へ下るつづら折れの道路を選んだ。
 キラキラと輝く陽光のせいで浮揚しているように見える入江の全景に気をとられながら、二百メートルほど行ったときだった。不意にあらわれた一台の黒い乗用車が非常にゆっくりと彼らのあとに従いてきた。数分、尾行みたいな走り方をつづけたあと、車は急にスピードを上げて若者たちの脇を走り抜けた。踵を接して一列に歩いていた三人は、車が通り過ぎてはじめてそれに気づいた。車には運転手のほかに助手席と後部座席に一人ずつ男が乗っていたが、若者たちはそれを目にすることはできなかった。二時間以上、歩きつづけて初めて車に行き合ったように思い、驚いただけだった。乗用車は若者たちを追いこすと、ふたたびスピードを落として居眠り運転でもしているようにゆっくり下っていったが、まもなく曲りくねった道を樹陰に消えた。
「腹、減った」
「昼めしにしようぜ」
 Cゴールドとふらわー・さんが示し合せたように声を挙げ、三人は道路を左にそれて野道のついた雑木林の斜面を駆けのぼった。
 低い崖の上から海辺の光景はいっそうよく望めた。専用自動車道路が尽きて突然、風景がひらけたとき光のなかの斑点のように見えていた海鳥が、鳥の姿になって飛んでいる。飛び交いながら鳴く声までが耳にとどいてきそうだ。それを眺める三人の表情がうっすらと汗をうかべて妙に安らいでいる。
 三人の若者はそれぞれ中学二年生のとき、ふらわー・さんが父親を刺し、Cゴールドが担任教師を刺し、ジョルジュさんがポリスボックスに短銃の弾をぶちこんで、中等少年院で出会った。少年院での誓いどおりに、出院すると一年遅れで中学校を卒業し、二十歳の現在までHロシマの寄せ場で一応のところは堅気に生きてきた。それでも彼らの面貌には三者三様に、精悍と殺気が鎬(しのぎ)を削り合っているような危うさが、ありありと残っている。それは世間というものが組み立てる健全な秩序とか安全な制度といった物語に根っから屈服できないものの宿命的な証(あかし)のようでさえあった。だから、そんな面貌にふと無警戒な安らぎの表情があらわれるなんて、異変に近かった。
「Cゴールド、おまえピクニックって言葉、知ってるか」
 ツナマヨの握りめしを頬ばりながら、ふらわー・さんが訊く。
「あほか、おまえ。幼稚園の餓鬼だってそんなの知ってる。もっとも、おれ一度もそれを食べたことないけどよ」
 Cゴールドが二個目の激辛たらこ入りを頬ばりながら、真面目な顔でやりかえした。
「そうだろうと思った。おれは小学校五年生まで毎年春と秋、ピクニックやったぜ。一度なんか三時間もバスに乗ってイズモタイシャまで行ったことある。日本海、眺めて、サンドイッチとゆで卵とバナナ食って、結構なピクニックやったぜ」
「そういうのピクニックって言うか。餓鬼の遠足だろ。それも滅茶滅茶、古典的な」
「そういうおまえはどうなんだ。遠足もない小学校に通ったんと違うのか」
「ばか言え。おれらのピクニックはほんものだぜ。もっとも、ハルベ(爺さん)やハンメ(婆さん)はそれをヤユフェ(野遊会)と言ってたけどな。春、桜が満開になると、親類じゅうが集まって伽羅山へ行くんだ。そこで何枚も茣蓙敷いて、食いきれんくらい料理ひろげるんだ。おれが知ってるのはウサギ国のとイエロー国のと料理は半半くらいだったけど、アボヂ(おやじ)やオモニ(おふくろ)が餓鬼のころはウサギ国のウリナラ料理一本槍だったらしい。とにかく滅茶、陽気に飲めや歌えやのお祭りがつづくんだ。そのうち芸達者がプク(鼓)やチャンゴ(杖鼓)打ちだして歌が出る。親戚のなかには必ず歌手みたいなアヂュマ(おばさん)が一人はいた。歌が始まったら、それに合わせて踊りさ。オッケチュムと言ってな、ウサギの国の肩踊り。総出でそいつを踊るんだ。爺さんたちなんか人さし指の先のちょっとした仕種で全部、表現しちゃう。おまえらに一度、見せたかったぜ」
「おまえら餓鬼も踊ったのか」
「そんな暇、どこにある? このときとばかり食ってばかり。三日分は食い溜めたな」
「おまえは餓鬼のころから意地汚ねえんだ」
「おまえにそれを言われたくねえよ」
 二人は掛け合いをつづけるあいだも、腹拵えに熱中した。頬を虫歯の酷いときみたいにふくらませてモグモグやりながら海辺のほうに視線を投げて一拍置いたところで、ふらわー・さんが語調をあらためる。
「世間には修学旅行ってのがあるだろ?」
「そうみたいだな」
「そうみたい? Cゴールドは修学旅行に行ったことないのか」
「小学校五、六年といえば、しっかり暴れまくってたからな。カッツン(恐喝)だろ、バイクだろ、別の番長グループとの喧嘩だろ、授業サボってゲームと映画だろ、仲間のなかには女子高の先公からカッツンしてたやつもいたな。そういうグループは学年の十分の一くらいだったけど、学校が完全にビビッちゃって、修学旅行、中止になったんだ」
「全校かよ」
「そう、まるごと」
「そいつあ、すごいな。おれの場合は、最初におやじ刺したのが修学旅行の直前だろ。家族じゅうで内緒にして家裁送りにならなかったけど、ダチの誰かが担任にチンコロして学校にばれちゃった。それで校長から、そんなことするやつは佐渡島へ流しちゃうとかなんとか訳のわからんこと言われて、態よく修学旅行から外されちゃった」
「一人だけかよ」
「もう一人、中学生といっしょに小六を集団レイプしてばれた奴が外された」
「中学校の修学旅行はどうなんだ」
「少年院で一年余分に中学生やったから同級生はみんな一年下だろ? そんな餓鬼といっしょに制服着て行けるかよ。こちらから遠慮申し上げた」
「そこんところはおれと同じだな」
「学校はホイホイ喜んでたよ」
「それも完璧に同じ」
 ふらわー・さんとCゴールドは、腹拵えと会話を器用に両立させて埒もないやりとりをつづけていたが、ようやくジョルジュの沈黙に気づいた。ジョルジュはとっくに食べ終えていたが、海辺の情景を眺めながら意地でも張るように黙っていたのだ。
「ジョルジュはどうなんだよ。ピクニックとか遠足とか修学旅行とか、楽しい思い出ってのはないのかよ」
「そう、そう、クソ面白くもねえピクニックとかの思い出ってのはないのかよ」
 ふらわー・さんとCゴールドが間の悪さをまぎらすふうに声を揃える。
「そんなのない。あったとしても忘れてしまった。過去のことに興味はない」
 ジョルジュはぶっきらぼうに言った。ふらわー・さんとCゴールドはたけだけしい目つきでジョルジュを睨んだが、つぎの言葉で幾分、気持ちをほどいた。
「おれは明日に向かって夢を実現させることしか考えてないんだ」
 ジョルジュは芝居者(もん)だけあって時時、くさいセリフを吐く、ふらわー・さんとCゴールドはそう思って腹のなかで苦虫を噛みつぶしたが、嘲笑(わら)わなかった。ジョルジュにかかると舞台っぽいセリフが不思議と様になった。二人のほうも彼ら自身の夢を思い起こして、殊勝な気持になった。
 おれたち、こんなところで何してんだろう?
 若者三人は、空腹を満たすと雑木林の斜面を下り、曲がりくねった道路を海辺へ向かった。
 一見リゾートふうに造成された議事堂関連施設の一帯は、かなり広大な土地を占めてれっきとしたニュータウンの趣だった。海辺まで伸びたタウンは、灌木の密生した丘陵を抉り取って造成したらしく、背景には黄土色の地肌を露わにした懸崖が延延とつづいている。
 タウンにはたっぷりと道幅をとった道路が縦横に走り、広い駐車場が何個所かあり、青青とした人工の芝生を張ったフィールドを四百メートル走路のトラックがめぐる競技場があり、その隣にはナイター設備を備えた野球場とテニスコートもある。公園には小さいながら森や池や散歩道があった。つまり町全体がたっぷりした空間を随所に備えているのだった。
 もしかしたら外部との交渉が一切、遮断され孤立したとしても、生活空間として支障なく成り立つものすべてが整っている。高層の建物は、外国のVIPから地方自治体の陳情団にいたるまで十以上にランク付けされた室を備える二十二階建てのホテルと、議事堂関係者の居住する三十三階建てのマンションが聳えるきりだったが、首相官邸や閣僚の公舎が別にある。ほかに警察署、消防署、軍連絡センター、変電所、各種行政支所、郵便局、幼稚園から高校までの教育施設、デパート方式のマーケット、電気・水道・ガス・電話などライフライン関係施設、劇場、コミュニティセンター、プールその他もろもろが、広大な区域を形成している。そこは一種の租界とも聖域(サンクチュアリ)ともおもえた。
 若者三人はMサカ駅を出発してほぼ三時間後にそこに辿り着いたのだが、一人の老人を探し出すという目的が、どこか行方知れずになりそうに感じた。とにかく闇雲に歩いてみることにした。
 聖域を歩くうち、三人はそこに人間の姿が少ないのに気づく。ジョルジュがケータイを見て、きょうが日曜日と知った。それにしても、なんと閑散としていることだろう。海辺の午後のやわらかな陽射しを浴びて、町全体がのどかな午睡のなかにあるようだ。あの巨怪なドーム状建造物を延延とめぐる「原野」の光景とは、まるで別天地だ。あそこはやっぱり幻の流刑地なのかもしれない、若者たちはそう思うのだった。
 ふとい鉄条の柵で囲われた六階建て警察署の駐車場に数台のパトカーと装甲車が止まっている。玄関の階段に制服が立哨している。その姿に懐かしさを覚え、若者たちは老人のことを訊ねたい誘惑にさえかられた。
 警察署の前の大きな通りを過ぎて銀杏並木の道をしばらく行くと、左手の森陰の向こうから歓声らしきざわめきが聞こえた。スタンドを備えた野球場があって、ユニホーム姿も凛凛しい選手たちが試合をしている。歓声は家族たちの声援だった。プロチーム並みのユニホーム姿とは対照的にプレーのほうは惨憺たる様子だった。投手はストライクがはいらず、打者は空振りをくりかえし、たまにボールのほうからバットに当れば、野手が打球を逸らす。いっこうにスリーアウトになる気配はない。
「あんな野球、はじめてお目にかかったぜ。いくら草野球だからって、今時、あんなのありかよ」
「大丈夫、チェンジにはなるさ、三振だけは売るほどあるからな。草臥れたらゲームセットじゃないの」
 野球場を離れると、三人はそんな会話を交しながら、ふたたび並木の舗装路を東へ歩いた。
 明るいブルー系統の二十二階ホテルの玄関は、生垣に囲まれた前庭のむこうにあった。三人の足は自然にそちらへ向かったが、途中で引き返した。玄関の左右の脇にカラフルな制服の警備員が立っていたからだ。
「あんなところにばかでかい日の丸、立てやがって」
 Cゴールドがホテルの屋上を見上げて、忌忌しげに吐きすてる。
「おまえ、いままで気がつかなかったのか。この町はやたら日の丸だらけじゃないの。学校だろ、警察だろ、消防だろ、郵便局だろ、野球場や競技場、テニスコートにまで立ってた」
 ふらわー・さんが言い、ジョルジュが頷く。
 ホテルのまわりをひとめぐりしたあと、三人は海岸沿いに西の方向へ歩いた。議事堂関係者の居住マンションはその方向にあった。マンションの屋上にも日の丸の旗は掲げられているが、三人が驚いたのはマーケットにはいろうとしたときだった。デパート規模のマーケットは広い駐車場を持つ居住区域の一画にあったが、そこには運動会の万国旗みたいに日の丸の旗が翻っていたのだ。
 三人は地上三階、地下一階のマーケットにはいっていくと、店内をめぐりながら、レジ係や店員に何度も訊ねた。リュックサックを背負い淡黄色のジャンパーに白い綿パンとスニーカー、そんな身形の七十代なかばの老人を見かけませんでしたか? 返ってくる答えは判で押したように寸分違わなかった。ホームレスの方方はこの町にはいることはできません・・・・・・。
 若者三人はタウンのなかを往きつ戻りつ二時間近くも歩きまわった。公園のトイレにいたるまで隈なく探したが、阿九む光の影さえ見つけることはできなかった。
 太陽は南から西へうつりはじめて幾分、疲労の色に変っているが、まだ強い陽射しで海辺の情景を輝かせている。最初、目にしたとき凪いでいた入江が、風が出てきたのか、海面を波立たせはじめた。遠く大洋の波濤もうねりを大きくして、魚鱗のきらめきに似た光の粒子を粗くし、沖合へ遠去かるにつれて銀白色をくすませている。
 若者三人は防潮堤を一列に並んで西に向かう。入江を馬蹄型にめぐる防潮堤は南西に迂回しながら三キロほどもつづき、岬へ通じている。防潮堤に沿って車の走る気配もない舗装路が通っている。三人が防潮堤を行くことにしたのは、すこし鳥瞰的に老人の姿を求めてみようとおもったからだが、彼らはもはや、ここで阿九む光を探し出せるとは考えていなかった。
 タウンから遠去かるにつれて、急に鳥の啼声がかまびすしくなったのに、若者たちは気づく。そういえば、タウンのあたりの海辺には海鳥の姿が見られなかったのに、そこから離れるにつれて湾の上空にも入江のさきにも、鴎だけではなくさまざまな海鳥が群れ飛んでいる。猫か赤児のそれを真似るような甲高い啼声が、かまびすしく若者たちの頭上に降りそそぐ。湾のあちらこちらに漁舟が舫ってあるが、なかば廃船のようだ。
 海がわとは反対の右手、防潮堤とは目と鼻の距離に、砂浜の名残りの草地をへだてて疎林が伸びている。草地のなかに漁具でも納める小屋がちらほら見えるが、それも廃屋のようだ。若者たちは代わる代わる走って小屋の一つ一つを覗いてきたが、人の姿はおろか野良猫一匹いなかった。
 そんなふうにして若者たちが一・五キロも歩いたときだった。数時間まえにタウンに通じる道路で突然あらわれて尾行でもするふうに徐行運転したあとスピードを上げて彼らを追い越していった、例の黒い乗用車が、またも不意に防潮堤沿いの道路にあらわれた。それは、若者たちの背後を三百メートルほど付けたあと一気に追い抜いて、左に迂回する防潮堤に視界を遮られて消えた。
 おれたちを尾(つ)けてきたのかな。
 まさか。おれたち、どこから見ても善良な市民だぜ。
 それはどうかな。それにしても変な走り方しやがって、気にはなるな。
 三人は目顔でそんな会話を交わしたが、岬につくまでには黒い乗用車のことなど忘れてしまった。道路は海岸沿いに弧を描いて、岬の反対側へ消えている。防潮堤から岬へは鬱蒼とした灌木の斜面に野道がついていた。
 岬の鼻に立つと、大洋が見はるかす眺められ、一望の海原が淡い茜色に染まりはじめていた。水平線はすでに夕陽に濃く映えて赤く焼けている。沖合遠く船舶が何艘か東から西へ向かっているが、まるで静止しているようだ。そんな壮大な海をはじめて眺めて、ふらわー・さんとCゴールドはうっとりとし、ジョルジュは祖々父母が生まれた南の島の海でも想像しているのか、瞑想的になった。大洋の壮大さとは対照的につつましく見える入江の風景が、夕焼けのなかで昏れかかっている。
 岬から西の方向に遠く山稜の連なりが見えた。濃緑の山稜に架かる高圧電線の黒い線条が、夕焼けの朱色を透かしてくっきりと視界にはいる。
 若者たちはそんな風景に時を忘れたが、空腹だけは確実にやってきて、きょう四度目の腹拵えをした。
 やがて陽が落ちて風が冷たくなった。三人は朽ち落ちそうに立っている、あずまやふうの展望台で一夜を過ごすことにした。
 六角形の屋根にあわせて六本の柱を設えたあずまやの木椅子にそれぞれ横になったが、しのびよってくる夜気のために巧く寝つかれない。夜空の星は、都会の空では想像もつかないほどのあざやかな光芒を放って輝いている。満天の星を仰ぎながら、三人は交交、夢を語り合った。
 ジョルジュはHロシマへ帰れば、テント劇団やんばる小僧の稽古が待っている。日本列島を縦断しながら北をめざす冬公演のためだ。にぶーだにでアイヌの劇団と共同公演すると、ながい旅の打ち上げ。夏になれば、いよいよウチナー口(ぐち)の芝居をひっさげて奄美から与那国まで船で旅する、琉球弧の公演だ。
 ふらわー・さんがHロシマへ帰れば、夜間の予備校へ通うつもりだ。寄せ場の仕事から上がってもこれまでみたいに能天気に遊び呆けてはいられない。何が何でも大学受験資格を取って、四流でも五流でもいい、とにかく大学にはいる。それで会社に勤めるつもりはないが、先のことはそのとき考えればいい。ふつーの人をやってみたいのだ。
 Cゴールドはすでに六回戦のリングで二試合連続KO勝ちしている。次の六回戦で勝てば八回戦に進める。八回戦で無敗を守ればセミファイナルで日本ランカーと当たるだろう。何が何でもそいつを倒す。そうすればランキングボクサーの仲間入りをして、いよいよメインイベントのリングだ。そして二年後、いや早ければ一年六か月後には、炎のフェザー級ハードパンチャーとして日本タイトルに挑む。夢はそこで終らない。東洋太平洋のタイトルへ、世界のタイトルへ。
 若者たちは、夜空の星が放つ強い光芒に浮かれるように夢をふくらませた。それはいつ果てるとも知れない夢だったが、一日歩きつづけてさすがに若い肉体も疲れきっていたのかそのうち三者三様に鼾をかきはじめた。
 深夜だった。三人が突然、いっせいに目を覚ました。何者かが誰何(すいか)する声を聞いたのだ。示し合せたように跳ね起きると、三人はあたりを眺めまわした。漆黒の闇に閉ざされているが、夜目に馴れた彼らの視覚は物の形をとらえることができる。しばらく目をこらして眺めまわすが、人の姿らしきものは痕跡もない。誰かが慌てて走り去ったあとの空気のそよぎもない。
「誰か大声で呼ばなかったか」
 三人が同じことを訊ね合う。
「変だな。たしかに男の声を聞いたはずなのに」
「うん、たしかに聞いた。こいつらとか、連行しようとか、話してた」
「誰もいないぞ」
 三人は狐にでもつままれたふうに、醒めきらない気分で顔を眺め合った。そして二日前、老人たちをふくめた五人が同時に夢のなかで爆発音を聞いたことを思い出した。しかし、超常現象などという言葉は誰も言いださず、横になるとふたたび寝息を立てはじめた。

 翌日、正午頃になって、若者三人は疲れきった足取りでMサカ駅に戻ってきた。
 三人はその朝、東の空が白みかける頃になって岬のあずまやで目を覚ました。眠気はまだたっぷりと溜っていたが、空腹に耐えられなかったのだ。残りの食べものを平らげると、腹五分目も満たないうちにリュックサックは底をついてしまった。老人を探して野宿になるとは思いもしなかったのが誤算だった。タウンのマーケットは九時にならなくては開かない。
 ままよ、なんとかなるだろう、と若者たちは帰途についたのだった。
 タウンを北へ迂回して岬の道を歩き、専用自動車道路に出て間もなく、ふらわー・さんが東の方向から電車の走行音が聞こえたと言い、ほかの二人もなんとなくそんな気がした。それで三人は疎林のなかに分け入ったが、そこは野道らしきものもなく迷路に迷い込んだも同然だった。三十分ほどもほっつき歩いた挙句、ふたたび専用自動車道路に舞いもどるしかなかった。
 そうして昨日来た道程を逆に辿って帰ったのだが、八時を過ぎると専用道路には昨日と打ってかわってめまぐるしく車が走った。黒塗りの乗用車にまじって、背広の男やスーツの女、制服の男女などを満載したバス車輛が何台も連なって、巨怪なドーム状建造物の方向へむかう。それは三十分ほどでぴたりと止んだが、若者たちは路肩に掃き寄せられた恰好でしばしば立ち往生しながら、黙黙と歩いた。リュックサックの底に一本だけ残っていた飲料水も飲んでしまい、口をきけば喉の渇きを刺激するようにおもえるのだった。
 あれはたしかに人の声だった。
 うん、不審者を誰何するってやつだった。
 なぜ連行せずに消えたのかな。
 三人は声にならない会話を交わすのがやっとだった。ともかく四時間ほど歩きつづけて、ようやくMサカ駅に辿りついたときは疲労と空腹の極に達していたのだ。Cゴールドとジョルジュはボクシングとテント芝居のトレーニングで鍛えられていたからまだしも、ふらわー・さんはすっかり顎を出していた。
 若者三人が戻ったとき、ソットン氏とレナト神父は例の公園の自然石を模したモルタル製円卓の前で、爽やかな陽射しを浴びてのんびりと朝昼兼用の食事を摂っていた。二人は若者たちが一晩、戻らなかったことを全然、心配しなかった。三人の野放図ぶりは先刻承知なので、たとえ一週間、消息を絶っても驚かなかっただろう。
 老人二人のもとに辿りつくなり、若者たちが二人の食事を五秒で平らげてしまったので、レナト神父が駅のキオスクへ一歩きしなくてはならなかった。レナト神父がもどると、若者たちは食事と取っ組み合いをはじめた。
「阿九光さんは、やっぱり五条の里へ帰ったのかもしれん」
 ソットン氏が、阿九む光探索の首尾は訊ねるまでもないというふうに三人を無視して、一人言ちた。
「それとは別に、わたしには気になることがある」
 レナト神父が憂い顔の騎士の表情を浮かべる。
 きのう一日、時を測ってソットン氏と交替で街のあちらこちら探してみたのだが、その折に幾度か何者かに尾行されている気がした、と言うのだ。それを受けてソットン氏も、駅東側の路地を探し歩いているとき私服らしいのが後ろから窺っている気がした、と口裏を合わせた。
「おれたちも変な車に付けられました」
 ジョルジュが言ったので、空腹を満たして元気をとりもどしたふらわー・さんとCゴールドが交交、防潮堤を歩いているとき目撃した黒い乗用車のことを説明する。
「一連の動きは阿九光さんの消息と関係しているのではないか」
 レナト神父は言って、二段構えの鼻梁を物思わしげにぴくつかせた。しかし、どのように関係するのか具体的なことは説明できない。
 どうやら、この土地に長居は無用のようだ。口にはしなかったが、ソットン氏の顔にその気持がありありと表れていたので、若者三人にも、やばい! という気持が伝わった。それでMサカを去ることに異存はなかった。昨夜、満天の星を仰ぎながら夢を語り合った余韻が残っていて、気持はHロシマへ向いてさえいた。
 しかし、それからしばらく議論がつづいた。レナト神父一人、三日前の爆発音や尾行の気配と阿九む光の関りにこだわって、Mサカにとどまることを主張したからだ。レナト神父を翻意させるために、若者たちは昨夜の誰何の一件を告げようか迷ったが、思いとどまった。三人が揃って経験したとはいえ、夢か錯覚だったのではないかという疑問を完全には拭いきれなかったからだ。
 老若五人は結局、ホーム五条の里を訪ねることに決着した。レナト神父がしぶしぶ多数決の原理に折れたのだ。そうと決まると五人は、逃走の模擬訓練でもするようにそそくさと駅に向かった。


 闇は深く、さらに深い。闇は果てしなく、さらに果てしない。まるで記憶の深淵のような深さ、記憶の涯のような果てしなさ。
 四分の三世紀、わしはそんな闇のなかを歩いてきた。否、回想ではない。いま、闇のなかを歩いている。闇を見つめている。悪夢でも見ているように、か。それで阿九む光と名乗るのか。いや、それも違う。そんな芝居がかりではない。悪夢など見てはいない。この息苦しさは、そんなせいではない。ただひたすら、闇を凝視(みつ)める。闇のまなざしにとらえられて呼吸が凍りついているのだ。闇の蠱惑(こわく)のせいだ。
 それにしても、わしはいまどこにいるのか。此岸(こちら)なのか、彼岸(あちら)なのか。誰もいない隔離室なのか、どこかの路上なのか、住み慣れた家なのか、他人の家にまぎれこんだのか、海の見える廃屋なのか、まだ行ったこともない洞窟なのか、これから行く意識の部屋か、魂だけにゆるされた白い家か、棺(ひつぎ)に納められて土の下か・・・・・・。どうやら、それらのどこにも阿九む光はいないようだ。だから、阿九む光はすべての場所、どこにでもいるらしい。ふわふわとして堅固な、この奇妙な融通無碍は、わしがどこにいなくてどこにもいる証明におもえてならぬ。
 この闇は、あちらでもこちらでもない、あちらでもこちらでもある、どこかにちがいない。魂がさまよう場所であり、肉体が住まう場所であるどこか、同時にどちらでもないどこか。ならば、わしは眠りの中にいるのかもしれない。ふん、そうにちがいない。地中と地上をむすぶ土竜(もぐら)道のような、胎の内と外界をむすぶ沼底のような、死でもない生でもない中有のような、この不思議な闇は、あちらとこちらをむすぶ、生死の通い路にちがいない。眠りのなかにいる? ならば、わしは生きていて死んでおり、死んでいて生きているのだろう。わしは仮の生と仮の死を、いま両方ながらに所有しているのだろう。道理で途方もなく心地よいはずだ。もはや、わしを束縛するものは、何もない。自由だ。自由は世界にあるのではない。わし自身が、まったき自由だ。すべてが善でもなく悪でもない、すべてが罪と罰から解き放たれたのだ。わしの成す行為のすべてが罪と罰を超える。うーむ、こんなすばらしいことがあるだろうか。わしにはすべてがゆるされた!
 おや? 何が起こったのか。あんなにも深く果てしなかった闇の向こうに一点、白い何かがあらわれた。光ではない。斑点のようなものは、時間をかけて近づいてくる。まるで記憶の闇をくぐりぬけて近づいてくるようだ。が、途方もなく永い時を経ているのか、束の間の夢のひとときであるのか。斑点はたしかにふくらんでいるはずなのに、その変化を肉眼でとらえることはできない。それなのに、白い斑点は形状を確かにして来る。意識だけがどこか無窮の空間をただよっているのに、時ならぬ時の運行のなかでそれがわかる。わしはもっとよくそれを見ようとする。あれは・・・・・・。ただようままの意識で一心に凝視する。たしかにあれは、遠い日にどこかで見たことのある巨大な建物だ。そうおもったとたん――
 そうだ、そうおもったとたんだった。二棟の超高層ビル(ツインタワー)は闇の中枢に屹立して、銀白色に浮き出た。化けものじみたそいつはおどろおどろしく輝いて、わしを威嚇する。小癪な妖怪め! 無二の帝国を気取って世界を睥睨するつもりだろうが、どっこい、そうは行くまい。わしの憤怒と勇気を駆り立てるばかりだ。見よ、闇の涯から飛び来たる、鋼鉄の燐光がある。二本の線条をひいてそれは闇のなかを突き走り、断ち裂いて飛翔する。巨怪なツインビルの向こうへ擦過し去るとおもえた刹那だった。線条は分裂し、旋回する。激突したともみえず、なのに凄絶な閃光が闇のなかに弾(はじ)けた。わしの目はいま、あかあかと見る。巨大な妖怪が真っ二つに折れ、噴煙のなかを一層また一層と崩落する。世界が崩壊するように。
 遠い、あの日、二条の燐光はわしだった。闇を断ち裂いて飛翔したのはわしだった。わしが閃光だった。妖怪を真っ二つに折り、噴煙とともに崩壊させたのは、わしだった。
 妖怪が真っ二つに折れ、宙空に飛び散り、噴煙とともに崩落する。あの遠い日の光景はまぎれもなくホワイト帝国の崩壊をおもわせた。否、世界の崩壊、のはずだった。そのはずだった。しかし、世界は崩壊しなかった。妖怪は凶暴な力で立ち上がった。わしは妖怪の底知れぬ力によって、復讐されたのだ。
 遠い、あの日? いや、待てよ。わしは混乱しているようだ。わしが閃光となって弾けたのは、遠い日などではない。昨日、いや、もしかすると今日ではなかったか。いや、それも違う。わしの体は、そうだ、いまのいま爆発している。わしの体で、カチカチカチカチ、時計が鳴っていたのは、いまさっきのことだ。カチカチカチカチ・・・・・・。たしかに音を聞いていた。そして、わしの体は閃光を放って炸裂した。誰にも否定させはしない。炸裂の音を聞いたのだ。あの瞬間、わしの肉体は粉粉に砕け散った。いま闇のなかを魂だけがさまよっている。それがすべての証拠。魂のさまよう闇はいつだってあまりに深く涯もない。だから、崩壊するあいつ――巨怪なドーム状建造物を偽装した妖怪の姿を誰も見ることはできない。だが、いまこのとき、あの妖怪が粉粉に砕け散り、噴煙のなかを一層また一層と崩落しているはずだ。わしに、それが見える。あちらでもない、こちらでもない、不可視の闇にいるわしに、それは見える。あちらでもあり、こちらでもある、無碍の閾(いき)に立つわしに、それは見える。
 妖怪は際限なく崩壊をつづけるだろう。ふーむ、わしはまったき自由なのだ。罪とも、罰とも、縁のないものだ。すべての束縛から解き放たれて、存在して存在しないもの、存在しないが存在するもの。存在と非在はわしのなかで融通無碍! わしはすべてをゆるされている。だからわしは永久の閃光でありうるのだ。わしがくりかえし閃光であるかぎり、妖怪は崩壊しつづける。


「正義と夢の探検隊」がNゴヤ駅に降り立ったとき、老若五人の風態は二週間ほどまえに同じ駅にあらわれたときとは見間違えるほどに変りはてていた。垢と埃にうすよごれて、面貌といい着衣といい、穴底から這い出してきたもののようで、異臭さえ放っている。短かい時間とはいえ野宿暮らしの甲斐あってそうなったもので、本格派路上生活者には幾分、及ばないもののあと一歩の風態だった。
 老人二人は、Mサカ駅ロータリー公園の水道で洗顔を欠かさなかったので、垢まみれの顔というのではなかったが、膚に染みこんだそれは隠すべくもない。ソットン氏の古鉄回収業で鉄錆色に焼けた面貌はいっそう色合いを濃くして、漆黒に近い鷲のそれをおもわせる。生来、髭の薄い人なのだが、斑らなごま塩まじりの無精ひげだ。レナト神父はといえば、白皙の人が黄塵の舞う砂漠を旅してきたように黄濁色の膚に変っている。その顔を髭・鬚・髯が濃く広くおおっている。そんな風態のせいで、老人二人は実際以上に憔悴してみえる。
 若者たちのほうは、さすがに憔悴の色はない。巨怪なドーム状建築物と対峙して座り込み、「原野」といわず海辺の租界タウンといわず陽光の下を歩きまわったので一様に赤銅色に日焼けし、垢の染みこんだ膚は異様な光沢を放っている。不思議なことに、それがむしろ若者たちの面貌に精悍と野性を添えている。彼らの身体からは、無謀な精気さえ発散している。ただ惜しむらくは、ジョルジュを除いて二人の無精ひげに迫力が欠けて、大人ぶった少年の滑稽を醸していることだ。
 身なりはどうか。これは老若五人揃って、薄霜か微細な砂を降りかけたように白っぽく汚れ、草臥れてしまっている。ソットン氏の登山帽、アノラック、Gパン、登山靴にいたる頭から足もとまで着衣が埃を帯びて草臥れているのは、険阻な山岳を踏破してきた人ともみえて未だしも相応の雰囲気がある。しかし、レナト神父はいささか異風だ。タートルネックのシャツにブレザーコート、スボン、革靴と全身黒ずくめの聖職者ふう身なりがうすよごれ草臥れはてているために、まるで町から町を放浪するユロージビィ(宗教的畸人)を連想させるのだ。サングラスをかけて巨体のマフィアの首領(ドン)を彷彿させた押し出しが、まるで台無しになっている。
 一方、若者たちはどうか。これもまた二週間前にニューモードの三つ揃いスーツにネクタイを極め、真新しいアタッシュケースを片手に颯爽と登場した、あの雄姿は見る影もない。彼らの軒昂たる肉体をつつむ濃紺のスーツは霜降り状に埃をかぶり、砂浜で格闘を終えたあとのようによれよれになっている。せっかくの黒革の靴も、白黴でも生えたように変色している。チェック柄のワイシャツは垢じみて、もとの柄がどんなものであったのか判じがたい。ネクタイはとっくにどこかへ捨てるか紛失したのだろう。老人二人のリュックサックをいまはジョルジュとふらわー・さんが背にしているが、それも埃にまみれ、空気を抜かれた気球みたいにちじみ、二人の背で不恰好に垂れ下がっている。
 それやこれや変わりはてた風態のおかげなのか、老若五人はNゴヤ駅のコンコースを西へ抜けて芸術的なたたずまいのロータリー広場に降り立ったとき、一様にあることに気づいた。広場のあちらこちらで孤独なオブジェみたいに座り込んでいる路上生活者たちの五人を眺める眼差しが、妙に親和的だった。
 阿九む光が一緒だったなら、どんなにすばらしいことだろう。彼は、究極のシンプルライフこそわしがめざす人生の手法だ、と口癖にしていた。無所有の人となって滅びていくことこそ夢だ、と。
 ソットン氏とレナト神父は交交、阿九む光の行方を案じてそう思うのだった。
「正義と夢の探検隊」五人は、街の情景を一望するなり驚いた。二週間前とは一変しているのだ。
 ビルのいたるところに、歯の浮くような修飾語でかざられた大小さまざまな懸垂幕が下がっている。文字と生地の彩りも赤、青、黄、緑、紫などさまざま派手やかに、祝・徴兵制施行! それは二週間まえ、若者たちがMサカへ向かう鉄道に乗り継ぐため降り立ったときには影さえなかった。
 派手な修飾語と色彩に彩られた「祝・徴兵制施行」の垂れ幕は、ゲームセンター、酒房、ファションマッサージ、スナックバーなどが階をかさねる雑居ビルにまで垂れ下がり、ステーションビルやホテル、百貨店など高層ビルの屋上にはアドバルーンが揚げられ「祝・徴兵制実施」が風にただよっている。地上では、日の丸が数え切れないほど小旗の行列をつくっている。駅前を南北に走る大通りの沿道は言うに及ばず、二〇世紀中葉から唯一、生き残っている古典的な商店通りの店店にも、日の丸の小旗が万遍なく立ち並んでいるのだ。
「まるでお祭り騒ぎだぜ」
「パレードでも始まるんじゃないの」
「軍楽隊なんて野暮はやめてほしいぜ。チアガールだけの飛んだり跳ねたりがいいよ」
 若者三人がわざとらしく無邪気に口をそろえて、驚きを紛らせた。
「気違い沙汰だ」
 若者たちの軽薄なやりとりを鉈で断ち裂くように、ソットン氏が吐き捨てた。
「イエロー国はどこへ行くつもりですかねぇ」
 レナト神父が心底、心配そうに応じる。
 老人二人は、憤怒もあらわな鷲の顔と心なしか二段鼻をうなだれた顔とを、しばし見合わせた。
 そして、Mサカで過ごした二週間のあいだに時代がめまぐるしく動いていたことに、あらためて気づいたのだった。巨怪なドーム状建造物にむかって抗議の真似事をしたり、阿九む光の行方を探したりしていたあいだに、「兵役と国土防衛に関わる国民および住民の義務に関する法」は実施に移されていたのだ。あの「原野」と堅固な壁塀に防禦された甲殻類の化けものの中でそれが採択されたのは、一か月ほど以前の臨時国会においてであった。それが実施されるまでの期間、テレビなどのメディアが喧しく宣伝して世論誘導につとめてはいたが、街に目に見える変化はなかった。あれは民衆の抵抗と違和を刺激しないために用意周到に図られた、巧みな手口だったにちがいない。羊たちはうまうまと陥穽に嵌まった。与野党全会一致で採択された法は、通常はそうであるように六か月後ではなく、わずか一か月後に実施に移された。羊たちは今日もこの街で仕事に励み、街路を往き交い、幸福とはいえないまでも不幸そうには見えない。それぞれの仕方で満ち足りる方法を知っているのだ。
 それにしては・・・・・・と、老人二人は(いや、若者たちも同様だった)思う。あれは何だったのだろう。このお祭り騒ぎの本家本元であるドームの化けものが見せていた、堅牢な無表情は? あの悠悠たる安逸と静謐は? そればかりではない。映画のオープンセットを装う街のたたずまいにも、日常の書割にかすかな歪(ひず)みを入れたほどの変化もなかった。われわれは、幻の世界をさまよってきたのだろうか。それとも、いまが幻の世界に迷い込んだのだろうか。
 老若五人がそんな埒もない思考の迷路にはいろうとしたときだった。何者かのスーッと近づく気配があって、その気配とはうらはらにめりはりのよく効いた声がした。
「あんたたち旅のアンコかね。たいそう驚いているようだが、もう少し辛抱したらいい。結構な見物(みもの)があらわれて、もっと驚かせてくれる」
 五人が振り向くと、立派なひげをたくわえたイエス・キリストのような男が立っている。ロータリー広場のあちらこちらに座っているオブジェの一人だろう。本格的な路上生活者の風態で、生活必需の七つ道具を納めたバッグと紙袋を携えている。体じゅうから濃密な臭いを発散させているが、五人には気にならない。いま一歩及ばないとはいえ、彼らの体からも同種のそれが漂っていて、たがいに中和しあっているからだ。
 男の容貌、体恰好、年齢、狡猾と善良が頃合よく混ざり合っている頬笑み方――若者たちにはそれがどことなくHロシマの寄せ場の福ちゃんに似ているようにおもえる。オカマのオードリーを介して仕掛け時計入りのアタッシュケースを三人に託した、あの福ちゃんだ。
「結構な見物って、どんなの?」
 ふらわー・さんがほんものの福ちゃんに訊ねるふうに気さくに言葉を返す。
「まぁ、見てのお楽しみだな。三日前から始まってる。もうすぐ来るよ」
 男がそう言って無防備に表情をくずすと、いっそう福ちゃんに似た。
 しばらくすると、西の方向のビルに遮られた街路から行進の靴音が聞こえてきた。楽隊の音も号令の声もなく靴音ばかりだ。それはまぎれもなく軍靴の響きではあるが、入り乱れるというのではないまでも整然というには程遠く、ちぐはぐにひびく。履きなれない軍靴を無様に運んでいるのか、音だけは高い。その音に促されるように、福ちゃんに似た男が誰彼の衣服を引っ張り、ここで見物しろ、と注意する。若者三人が靴音にひかれて街路のほうへ走り出そうとしたからだ。
「きのう、若いのが二人、行進に近づきすぎて警護の兵隊に張り倒された」
 福ちゃんに似た男が笑いもせずに言う。
「野次でも飛ばしてからかったんだろ」
「いや、それはなかった。へらへら緩んだ顔で見物してただけだ」
 Cゴールドが少し茶化したのに、福ちゃんに似た男は相変わらずイエス・キリストまがいのひげ面を真面目なままに応えた。
 大通りに沿う舗道に行進が姿を現わした。「正義と夢の探検隊」の若者三人と同じ年格好の若者が百人ほどもいようか、二列縦隊の隊列が四、五十メートルつづく。揃いの軍服は着けているが徒手空拳、銃も携帯物も持っていない。軍帽の下でどの顔も緊張し、教えられたとおりの歩調で両脚を上下させ、膝を屈伸させ、舗道を踏みしめてくるが、どこかが狂っていて整然たる軍靴の響きにならない。隊列の先導と脇に、護衛というより引率者といった感じで上官が数人、付き添っている。にわか仕立ての兵士たちの緊張の表情には、照れくささを一所懸命、押し殺しているふうがなくはない。
 隊列は大通りに沿う街路を来るとロータリー広場の真ん中を抜ける舗道に曲がり、そのままささやかな観衆に見送られてNゴヤ駅の玄関をはいり、構内へ消えた。終始、黙黙と行進するそれは、姿をあらわしてから消えるのに三分とかからなかった。
「どうかね、結構な見物(みもの)だったろ」
 福ちゃんに似た男は、皮肉なのか正真正銘、満足しているのか、よくわからない表情で立派なひげを撫でた。
「あれがイエロー国の兵隊かよ」
「おれとリングで互角に戦えそうなのは一人もいなかったな」
「互角どころか、おまえのパンチ喰らったら一分と持たないような顔ばかりだった」
 ふらわー・さんとCゴールドとジョルジュが交交、不満を口にした。
「小馬鹿にしてはいかん。あの若者たちはN半島まで運ばれて入隊する。そこで猛烈な訓練を受ける。一年もすれば人を殺す方法くらいは体得する。怖いもんだ」
 福ちゃんに似た男がしたり顔で三人を諫める。
 若者たちと路上生活者のやりとりを黙って聞いていたソットン氏が、不意に鷲の顔を立てた。
「あれはデモンストレーションのつもりかね。イエロー軍隊も舐めた真似をするもんだ」
「そうですね。おおかたバスかなにかで集合場所から近くまで連れてきて、駅で降ろさずにわざわざ行進させるんですよ。稚拙な手口ではあるが、とても不愉快です」
 レナト神父が几帳面にソットン氏に応じた。
 老若五人は、まっさらな兵士たちの行進について感想を述べ合ったが、ロータリー広場の周辺にいる人びとのあいだには、葦の叢がそよ風になびくほどの反応も起こらなかった。福ちゃんに似た男の言うとおりとすれば、この見物(みもの)は三日前から始まっている。だとすれば、早くも人びとの興味と好奇心が去ってしまったのだろうか、あるいは、もともと何の関心も呼びさまさなかったのだろうか。
 そのいずれであれ、「正義と夢の探検隊」の若者三人は俄然、臍を曲げた。
「キリストに化けた福ちゃんみたいなおっさん、言ってたろ、あいつらN半島の軍隊に運ばれてそこで入隊するって。N半島といえば、イエロー海に面したあそこだよな」
 ふらわー・さんが、彼らから二十メートルほど離れて円筒形の低いコンクリート椅子に掛けている男のほうを顎でしゃくった。福ちゃんに似た男は兵士の行進が駅の構内に姿を消すなり、わしの役目は済んだとでもいうように立ち去り、そこで日向ぼっこをしている。
「N半島といえばイエロー海のN半島しかないさ。おっさんの口ぶりは、あそこに中部圏を管轄するイエロー国の軍基地があるらしいな」
 ジョルジュも言いながら福ちゃんに似た男を眺める。
「わかった!」
 Cゴールドが頓狂な声を挙げて、つづけた。
「ふらわー・さんが言いたいのは、探検隊の行く先が決まったということだろ。これからN半島のイエロー軍の基地をめざそうぜ、ということだろ」
 Cゴールドは興奮の面持ちで言い、すでに豹の体を撓わせている。
「N半島をめざそうって?」ジョルジュが眉をひそめた、「行って何するんだよ。イエロー軍の基地でも見学しようってわけか。それとも、志願して入隊しようってのか」
 Cゴールドが業を煮やした。
「おい、おい、そこまで冗談言うのかよ。決まってるじゃないか、イエロー国の軍隊と一戦、交えるんだよ」
 ジョルジュはその言葉を聞くと、呆れたふうに、ぷいっと横を向いてしまった。
 火を付けた肝腎のふらわー・さんは口を挟まず、所在なげな様子だ。その態度がCゴールドを刺激した。
「そうだろ、ふらわー・さん? N半島をめざすってことは、イエロー軍と一戦、交えようってことだろ」
 ふらわー・さんはそこまで考えていたわけではなく、行き当たりばったりに言っただけなので言葉に詰まった。老人二人は若者たちから離れて、噴水に近く一個一個がサークル状に設えられたコンクリートの円椅子に腰掛けていた。若者三人はそちらへ歩いていった。途中、二メートルほどのボディビルみたいなポーズをした青年像が立っていて、Cゴールドがそれを拳で打った。
 老若五人が円いコンクリート椅子に掛けて円陣を組む恰好になると、そこでちょっとした議論が交された。Cゴールドが最前交されたN半島行きの話題を持ち出したからだ。九月の終わりの午後の陽差しを浴びて、議論は白熱することもなく、一見ゆったりしたものだった。
「N半島へ行くとして、目的は何かね」
 ソットン氏が興味を覚えて訊ねるのに、Cゴールドが意気込んで応える。
「イエロー国の軍隊と一戦、交えるんです」
「ほー、一戦、交える? 相手はなかなか強大な好戦国の軍隊だ。それで、どんな具合に一戦、交えるのかね」
 Cゴールドは言葉に詰まった。
「それはまだ考えていません」
 ふらわー・さんが助け舟を出して、素直に答えた。
「イエロー軍の基地をめざす? なるほど、それも一考の価値はあるな。首都議事堂への抗議が不発に終った以上、たしかに次なる標的を定める必要がある。作戦計画を練ってみるだけでも面白そうだ」
 しばらく思案のすえソットン氏が意外なことを言ったので、レナト神父が目を剥いた。
「ソットン氏、何を軽率なことを。青年の無謀を諫めなくてはならない立場のあなたが、煽るような言辞を吐いて、なんとするのですか。まず阿九光さんの消息を確かめるのが先決でしょう。あなたは阿九光さんとの友情を亡失したのですか」
 レナト神父としては険しい語調だったので、ソットン氏は瞬時、間が悪そうに鷲の目を伏せた。それでも「それとこれとは別だ」とでも言いたげに、弁明とも反論ともつかぬ言葉をいくつか並べた。レナト神父はめずらしく執拗に反対して阿九む光との友情を強調し、非暴力の抵抗を説いた。老人二人のやりとりのあいだに若者たちも意見を挟んだが、それは舞台にちょっと色を添えるほどの脇役のセリフにすぎなかった。それでも老人二人の議論が剣呑な泥仕合になるのを防ぐ役には立った。
 とどのつまり、決着は採決に委ねよう、ということになった。結果は、当初の計画通りホーム五条の里を訪ね、N半島行きには反対とする意見がレナト神父、ホーム五条の里行きを優先させ、N半島行きは保留とする意見がソットン氏とジョルジュ、N半島へ行って断乎、イエロー国軍と一戦交えるべきだとする意見がCゴールドとふらわー・さん――とても微妙な票差によって「正義と夢の探検隊」の行動計画は決まったのだった。
 ところが、せっかくの決着をみた直後、レナト神父が若者たちに意外なことを言った。
「きみたちには未来がある。あすにもHロシマへ帰りなさい。そして夢を叶えなさい。阿九光さんのことはわたしたち二人に任せればよい」
 若者三人は虚を衝かれたふうにレナト神父の言葉を聞いた。彼らの顔には一様に困惑の表情がかくせない。精悍ではあるがどこか幼さを拭いきれない容貌に神妙な影が掠める。影がなにであるか、老人二人には痛いほど解る。若者たちの胸にそれぞれの夢が蘇っているのだ。いますぐにもHロシマに帰って、抱きつづけてきた夢に挑みたい――若者三人はその衝迫といまたたかっているのだ。老人たちにはそれが手に取るように解った。
 ロータリー広場に柔らかい風が渡った。
「レナト神父、冗談はよしてください」
 Cゴールドが夢から覚めたように言った。声がいくらかひきつれている。
「冗談なんかであるものかね。きみたちはいま、こんなところで人生の道草を食っている場合ではない。若者には若者の役割がある、老人には老人の役割がある。阿九光さんのことはわたしとソットン氏に任せればよい」
 レナト神父はいつになく頑固だった。
「おれたち、探検隊の仲間ですからね、どこまでも一緒です。N半島行きの話が気に障ったのなら、撤回してもいいですよ」
 ふらわー・さんが言った。
「神父さんはさっき、友情について説いたばかりじゃないですか。そのあなたがおれたちの友情を拒否するのですか」
 ジョルジュが言った。
 レナト神父が黙った。
 老若五人の傍らをまた九月の終わりの柔らかい風が通り過ぎた。
「レナト神父」ソットン氏が呼びかけた、「三人の友情をありがたく頂戴しよう」
 レナト神父はそれに応えなかったが、ごま塩まじりのひげ面をかすかに紅潮させ、ギョロリとした碧眼が心なしか潤んでいた。
 それから老若五人は妙に寡黙になったが、間もなく昼飯を食べていないことに気づいた。二〇世紀の半ばから唯一、生き残っている寂れた商店通りへ行き、五人は大衆食堂で腹拵えを済ませた。食事のあいだ、店員は、異臭を放つ五人をまるで気にするふうでなかった。
 ロータリー広場に戻ると、老若五人は満ちたりて、あちらこちらに散在する路上生活者に引けを取らず同類になった気分を味わえた。

 十月にはいった翌日の朝、「正義と夢の探検隊」がNゴヤを発つまえに、ちょっとした出来事があった。というより探検隊員が一人増えてしまったのだ。
 老若五人が、いざ出発しようとNゴヤ駅の玄関に向かおうとしたときだった。例のイエス・キリストに変装した梅ちゃんまがいの男が近づいてきた。
「もう、お発ちかね」梅ちゃんまがいは脂(やに)のたまった目を瞬かせて、言った、「行き先の当てはあるのかね? せこい仕事でよかったら、おれと一緒にどうだい」
 梅ちゃんまがいは値踏みでもするように若者三人の体を上から下まで眺める。あるいは肉体を行使するためだけに造られたような若者たちの風姿に見惚れたのかもしれない。
「いや、好意はありがたいが、先を急ぐんでね」
 ソットン氏が応えると、福ちゃんまがいは鉾先を変えた。
「若い衆だけでも、残らんかね。せこくない仕事がある」
 若者たちは一様にそれを無視した。Cゴールドなどはわざとらしく眼を尖らせて相手を睨んだ。
 福ちゃんまがいは、あっさりと話の向きを変えた。
「ところで一つ頼みがあるんだが」言いながら福ちゃんまがいはゆっくりと振り向く、「あいつを一緒に連れてってくれんかね」
 見ると、イエス・キリストに変装したひげ面のうしろ三メートルほどのところに立って、年齢不詳の少女がニヤニヤ笑っている。老人二人は、何のことかと合点がいかぬふうに、少女を眺めた。若者たちの表情には老人二人とは別の気配――驚きが浮かんでいる。オカマのオードリーと瓜二つだ。
「女の子じゃないのかね」
 ソットン氏が眉をしかめた。
 にわとりの卵に似た形の頬と目鼻立ちのよく整った造りは、なかなか端正な容貌とはいえ、それはうっすらと垢じみて、身に着けた赤いセーターと青いGパンも垢にまみれ、ちょっと見には路上生活者見習いの少年といった風情だが、まぎれもなく少女だ。
「家出をしたとか言って、一か月ほどまえにここへ来てね。家出をしたのはもっと前のことでお定まりのコースを転転としたんだろうと睨んでるんだが,まあ、そんなことはどうでもいい。とにかく一か月ほどおれが面倒見てるんだが、数日まえから、どこか別のところへ行きたいってきかないのだ。できれば都会じゃなく田舎かどこかの島がいいなんて訳のわからんことを言って。田舎や島におれたちの仕事があるかよ。山にでも行けば、きつい土木工事とかあるだろうが、そういう仕事は体が持たん。おれの性にも合わん」
 冗談とも思いつきともみえず、福ちゃんまがいは熱心に説明した。厄介な荷物を五人に押しつけようというのでもないらしい。
「わしらと一緒に行っても働くところなどない。そもそも仕事を見つけるのが目的じゃないのだから」
 ソットン氏が難色を示すのに、福ちゃんまがいはけれん味なく切り返す。
「目的なんか、あいつには薬にしたくてもない。一つところにいたくないだけなんだから。根っからの放浪好きの性分らしい。目的といえば、放浪することが目的。あんたたちに従いていっても、また、ふらっとどこかへ去ってしまうだろう」
「それにしても、男五人のなかに女一人とは、穏やかでない」
「そこがあいつの気に入ったらしい。頼んでくれと言ったのは、あいつなんだからな。同年代の男が三人もいるってことが嬉しいんだよ。若いのは若いの同士ってこと」
 梅ちゃんまがいとソットン氏のやりとりがつづくうち、若者三人は釘づけにされたように少女のほうに視線をやっている。オードリーとは親子ほどに年齢が違うとはいえ、見れば見るほどよく似ている。しかし、そればかりが彼らを少女に魅きつけたのではなかった。
 垢を落とせばなかなかの見映えにちがいない少女の容貌と無駄のない体の姿かたちに魅せられたうえ、若者たちの四肢をながれる、まっさらな野生じみた異性への情感が滾りはじめているのだった。
 若者たちのうちに滾る情感は、二人のやりとりがつづくにつれて、苛立ちに変った。ソットンさんは何をむきになってんだよ、道徳の先公でもあるまいし。しばいたろか。
「ソットン氏、構わんじゃないですか。あの娘(こ)を仲間にしましょう。女性の隊員がいるのも、なかなかの華やぎですよ」
 意外にもそう言ったのは、謹厳実直がジャケットを着たようなレナト神父だった。若者たちはレナト神父の言葉を聞くなり、顔じゅうを輝かせた。実際にCゴールドが、おーっと歓びの声をもらした。ソットン氏が苦虫を噛みつぶすふうに黙りこくっているのには委細かまわず、レナト神父は少女を手招きした。少女は終始、ニヤニヤととらえどころのない笑みを浮かべて男たちの様子を眺めていたのだが、いっそう顔をほころばせて近づいてきた。
 そのようにして、ホーム五条の里へ向かう「正義と夢の探検隊」は老若男女六人になったのである。
 老若男女六人は、私鉄M電鉄のNゴヤ駅から犬川行きに乗った。老人三人が二週間前、ホーム五条の里を脱出して乗ってきた鉄道を逆に北へ遡るのである。
 電車に乗るなり、若者三人は窓ぎわの席の少女をL形に囲んで四つの座席を占領する。老人二人は排除される恰好で通路をへだてた席に向かい合って掛けた。電車が発車すると、若者たちは少女にむかって旧知の間柄のように話しはじめる。少女の笑いを取るだけが目的の、埒もない話題だ。少女はといえば、それが常らしいニヤニヤ笑いを浮かべて、ただ聞いている。
 電車が駅を三つほど過ぎたときだ。若者たちがいっせいに老人を振り向いた。ソットン氏が小柄な体を通路に乗り出すようにして、少女に声を掛けたからだ。ソットン氏の声はずいぶん離れた人に話しかけるように大きい。
「あんたの家はどこかね」
「家は、ない」
 少女が笑みをそのままに答える。舌足らずともぶっきらぼうとも取れるが、そのどちらでもない。
「施設から来たのか」
「違う」
「歳はいくつかね」
「この人たちといっしょ」
 少女はいっそうニヤニヤしながら若者三人の顔を眺める。
「おれたちの歳、知ってるのかよ」
 Cゴールドが真面目な顔で訊く。
「知らん」
 少女の舌足らずともぶっきらぼうともおもえてそうではない、不思議な音調の返事がつづく。
「こう見えても、おれたち、はたちだぜ。おまえがそんな歳であるはずないだろ」
 ふらわー・さんが笑いながら口を挟んだ。
「あんたが二十歳なら、あたしもはたち」
 よく言うよ、こいつ。そんな表情で若者三人が顔を見合わせる。
「名前は、なんと言いますか」
 レナト神父が丁寧な口調で訊ねた。皆の話を聞くうち気持がよくなって仲間入りしたくなったらしい。
 少女は返事に詰まった。「正義と夢の探検隊」にはいることを許してくれたレナト神父に恩義を感じているらしく、ちょっと困った表情をした。それでも結局、返事は変えなかった。
「名前は、ない」
 少女の言葉を聞くなり、ジョルジュがほとんど叫ばんばかりに声を挙げた。
「オードリー!」
 ふらわー・さんもCゴールドも「オードリー」「オードリー」と、声を合わせた。それから一拍置いて、若者三人は、ドッと笑った。何のことかわからないはずの少女がはじめて声を上げて笑い、レナト神父までが相好を崩している。ソットン氏一人が鷲を偽装した鉄錆色の顔を憮然とさせた。
 犬川行きの電車は、大きな三つの川が流れる山間部まではまだ間があるとはいえ、次第に町町のたたずまいが閑かになる風景のなかを走って、ホーム五条の里に近いK駅を過ぎ、一級河川・日和川の鉄橋を渡った。そして、Nゴヤを発って約四十分後、江北駅に着いた。そこはホーム五条の里から二十キロほど離れているが、M電鉄犬川線ではもっとも大きい駅だった。
 江北市は、周辺に住宅と農地や緑が広がる典型的な非都市型の街だが、駅前には南北にはしる大きな道路をへだてて高いビルが立ち並んでいる。かなり長いアーケードの商店通りもあって月並みな店が並んでいる。この町にも、きのう途中下車したNゴヤ駅に比べれば慎ましやかなものだが、「祝・徴兵制実施」の垂れ幕と看板があふれている。駅の玄関に吊された懸垂幕はひときわ大きい。それらのどれにも市のマークがはいっている。
 老若男女六人がアーケード通りの茶房にはいっていったとき、四、五人の客と店員が無遠慮に嫌な顔をした。この街ではまだ路上生活者に接する作法(マナー)が進歩していないのだろう。六人は委細かまわず腹拵えになるものを注文し、五条の里偵察の作戦を練ることにした。
 食事を摂りながらの論議のすえ、ふらわー・さんとオードリーの二人が五条の里へ偵察に行くことに決まった。偵察の目的はあくまでも阿九む光の在・不在を確かめること。若者三人が押しかければ不審を買う。老人たちが行けば薮蛇というものだ。そこで、ふらわー・さんとオードリーが阿九む光の甥と姪の息子・娘に化け、大叔父をホームに訪ねてきた――という筋書きである。ふらわー・さんとオードリーの斥候役は、窮余の一策なのだ。
「芝居を打つなら劇団やんばる小僧のジョルジュが適役じゃないか」とCゴールドが難癖をつけたが、阿九む光の血縁として、ふらわー・さんの容貌が三人のうちでもっとも相応しかった。新入りのオードリーに白羽の矢が立ったのは、少女の存在がホーム側の警戒心を解くのに役立つだろうからであった。
 ふらわー・さんとオードリーはレナト神父から金を渡されると、茶房を飛び出していった。十五分もしないで戻ってくると、大きな紙袋をいくつも携えていた。そして、席にもつかず、男女それぞれの化粧室へ飛んでいった。
 ふたたび登場した二人を見て、他の四人は目を瞠った。ふらわー・さんはジャケット、タートルネックのセーター、パンツとどれもニューモードで極め、茶革の靴がしゃれている。オードリーはさらに鮮やかな変身ぶりで、あたりの空気を吹き払った。淡いピンクのスリーピースと肌の透けてみえるストッキングがスリムな体に似合い、見事なおんなの雰囲気だ。ヒールの低い靴が落ち着いている。
 目を瞠ったのは連れの四人だけではない。最前、六人を見て露骨に顔を顰めた店員と少し数の増えた客たちも驚いて、まるでオードリーの復讐に遭った態だ。オードリーはちょっとポーズを取る仕種をしてから、埃まみれのセーターとGパンをレナト神父のリュックサックに入れ、ふらわー・さんのほうはソットン氏のリュックに放り込んだ。あーぁ、顔がヒリヒリする。二人が異口同音に言って、笑った。化粧室の石鹸がぺしゃんこになるほど洗顔してきたにちがいない。ふらわー・さんは髪まで洗ったのだろう、濡れている。
 老若男女六人は茶房を出ると駅へ向かい、K駅まで電車で行く二人を四人が見送った。K駅からホーム五条の里への地図はソットン氏が記して二人に渡した。

 江北駅をたって二時間ほどのち、ふらわー・さんとオードリーが帰ってきた。阿九む光の姿はなかったが、二人は女性を一人、伴っていた。待機の四人は駅の玄関脇に座り込み、往き交う人びとの好奇の視線を浴びながら時間つぶしの話題に耽っていたのだが、女性の顔を見るなり、老人二人が驚いて立ち上がった。
「お懐かしゅうございます」
 円っぽい品のある顔に満面の笑みを浮かべて、先に声を掛けたのは女性のほうだった。
「久しぶりですなー」
「なんという奇遇でしょう」
 相手の言葉につられてソットン氏とレナト神父が挨拶を返したが、女性とは二週間まえホーム五条の里を脱出する前日に、そこで会っていた。しかし二人には、この二週間の時間の経過が心底、そう思えた。
 女性はホームを訪ねてくるたび、阿九む光とは隣室のソットン氏とレナト神父にも決まって手土産を持参してきた。阿九む光より六か月早く生まれたというが、程よい化粧が老人性の染みや皺を隠し、垢抜けたファッションにつつまれた中肉中背の身のこなしにも老いがなく、十歳ほども若く見える。見事な銀髪さえもおしゃれの一種みたいにあだめいている。「若い頃はさぞ太陽のような女性だったでしょう」いつだったか、そう評したのはレナト神父だが、いま目のまえで微笑んでいる女性は、まさにそのままである。
 一体全体、どういうわけで阿九む光の妻君ねんこさんがここに現われたのか? 事の経緯(いきさつ)はこうである。
 ふらわー・さんとオードリーはM鉄道K駅で電車を降りると、ソットン氏が描いてくれた地図を頼りに迷うこともなく、十五分ほど歩いてホーム五条の里に着いた。公園のように広くモダーンな前庭を抜けると、入所者たちが「黄泉の国の殿堂」と呼ぶ美しい建物はあった。二人は「黄泉の国の入口」である玄関をはいり、ロビーにぐるり視線をめぐらしたあと、右手にある事務室の受付へ向かった。
 阿九む光に会いたいのですが。
 どなたですか?
 阿九むの親戚の者です。
 阿九むさんの親戚?
 そうです。ぼくらの祖父が阿九む光の兄弟です。子供の頃、随分、世話になりました。
 面会は初めてですね。
 はい。Hロシマに住んでいてなかなか会えませんでしたが、今度、Nゴヤへ来る機会があって、懐かしくて寄りました。
 ここに入所していることがよくわかりましたね。
 家族の方に教えてもらいましたから。
 ふらわー・さんと職員(それは老人三人が脱出するときN駅まで追っかけてきた楡さんだった)とのやりとりのあいだ、オードリーは横にいてもっぱら笑顔でアピールしていた。
 ふらわー・さんの演技はシナリオ通りとはいえ、なかなかの好演だった。問答がすすむにつれて楡さんの表情は固くなり、困惑の様子がありありと窺えた。無類に人のいい楡さんには隠し事などできそうにない。そろそろ本当のところを吐くな、ふらわー・さんはそう睨む。
 そのとき困惑した楡さんの顔がすーっと消え、代わって四十歳代なかばとおぼしき気丈な容貌の女性が顔を出した。施設長も一目置く古参職員の新宮さんだった。
 阿九むさんはいまね、面会できないの。
 どこか病気ですか。
 そうね、面会禁止みたいなものね。
 ちょっと顔を見るだけでいいですよ。遠いところから来たんだから。
 ちょっとでも無理ね。
 外出してるわけじゃないでしょ。
 まぁ、それと似たようなものね。
 似たようなものって?
 うるさいわね! 駄目なものは駄目。ここの規則なんだから。それにあんたたち、うさんくさいわよ。
 新宮さんが突然、怒り声を挙げたときだった。彼女の視線がふらわーさんからスーッと外れた。それと同時に顔から怒りの表情が消えて、心なし俯くふうだった。
 まだ帰ってないのね。
 ふらわー・さんとオードリーが声のほうを振り向くと、銀髪の女性が温和な表情を浮かべて立っている。
 そうなんです。いまも親戚の方に話してたのですが。
 新宮さんがとりつくろった。女性はあらためて二人を眺めた。やばい! せっかく順調に行ってた芝居が台無しになる。ふらわー・さんとオードリーが女性から顔をそむける。
 しようがないわね。入所者が姿を消すなんて、施設に責任があるのよ。
 女性はふらわー・さんとオードリーを疑うふうもなく、きつい言葉を残して、二人の袖をひっぱった。
 三人連れ立って「黄泉の国の殿堂」を出、前庭のベンチに掛けると、今度はふらわー・さんが追及を受ける番だった。女性が阿九む光の妻と名乗ったので、ふらわー・さんはホーム五条の里へ来るまでの経緯をかなり詳しく説明した。Mサカでの老人たちと若者たちの出会い、阿九む光が姿を消した時の状況、二日間にわたる探索、老人二人が江北駅で待っていることなどを、まるで大学受験資格の試験にでも臨むように、彼としては精一杯、順序立てて語った。勿論、仕掛け時計入りアタッシュケースや巨怪なドーム状建造物と一戦、交えようとしたことなどは省略した。初めて聞く話に、オードリーは興味津津、例の笑みを消すほどだった。
 そうだったの? あの人らしい物語ね。とにかくソットンさんとレナト神父に会ってみることにするわ。
 阿九む光の妻ねんこさんは事もなげにそう言って、前庭のベンチから立ち上がったのだった。
 そういうわけで阿九む光の妻ねんこさんと老人二人は、二週間ぶりに相まみえたのである。
 老若男女六人とねんこさんは、昼前に軽食を摂った茶房にふたたびはいった。
「随分、世話を焼かせますね」
 ねんこさんは誰にともなく言う。
「いや、それは全然、構いません。わたしたちは神に導かれて一つになった友人ですから。それよりも心配なのは、阿九光さんの消息です」
 レナト神父が言った。
「おれたちも同じですよ。阿九むさんは祖父の世代の人ですけど、精神感応の不思議によって一つになった友達ですから」
 ジョルジュが言った。
 精神感応という一言が気に障ったのか、ふらわー・さんが口を挟もうとしたが、一様に頷いている一同にあわてて合わせた。オードリーまでがうれしそうに頷いている。
「ただ、五条の里に帰ってないとすると」ソットン氏が鷲に仮装した顔を浮かぬげに言う、「どうしたものか、わしらにも八方塞がりでしてね」
「いいえ、深刻に考えることもないでしょう。あの人と連れ合って五十年余り、心配しては馬鹿を見る、そんなのの繰り返しでしたから」
 それから会話は難局と憂慮の色彩をおびてつづいたが、テーブルを囲む七人が醸し出す雰囲気に沈鬱なものはなかった。ねんこさんの言葉は歯に衣着せず率直だったが、冷淡ともみえるその裏には情の深さが感じとれたし、「太陽のような人」の明るい外見を絶やさなかったからだ。オードリーの笑顔も役に立った。
 話がちょっと途切れたあとで、ねんこさんが不意に言った。
「あの人はたぶん、帰らないでしょう。家族とか世間とかのしがらみを去って、放浪のすえにすべてを失い、身ひとつになって、死んでいく。そういうのがながいあいだの夢でしたから。ここ十五年ほどは、なんだか滅び方ばかり気にしていました」
 老若五人が息を詰めて(オードリーだけが常の表情だった)、ねんこさんの顔を見つめた。しかし、呆気にとられていたのはごく短い間で、詰めた息はすぐ吐かれた。ねんこさんのけれんのない風情が、それを促したからだ。殊に老人二人は阿九む光との濃密な交友があって、ねんこさんの言葉が納得できた。
 老若男女七人は遅い昼食を摂ると、茶房を出た。食事代を支払うとき、老人二人が拒むのを撥ねのけるようにしてねんこさんが皆の分を払った。
 駅へ向かう途中、「私も皆さんと一緒しようかしら」ねんこさんはそう言って笑った。老若男女六人は虚を衝かれたが、ねんこさんは「でも、いまは無理ね」と、あっさり撤回した。
 それから、これを何かの足しに、と一万円札数枚を無理矢理、レナト神父の手に握らせて、ねんこさんは駅へ去った。


 さて、きのうのつづきと行こうか。
 わしは、いかなる拷問にも屈しない。
 拷問だって? 爺さん、よく言うよ。取調べの途中で眠ってしまったから、狸寝入りかどうか確かめてみようと、ちょっと小突いてみただけじゃないか。そうしたら、あっさり椅子から転げ落ちた。
 そうではない。おまえらはわしが不屈の抵抗をするので首を締めた。拳で二発、殴った、足払いも掛けた。そのうえ電気道具まで準備した。
 何を寝惚けたことを。爺さんよ、おおかた英雄気取りで夢でも見たんだろう。
 言い逃れはゆるさん。おまえらはわしを恐れている。拷問は恐怖心を隠すためにちがいない。臆病者め。
 じゃあ、爺さん、拷問の跡があったら見せてもらいたいもんだな。われわれの指紋さえどこにも付いてないじゃないか。
 指紋? そんなものが体に付くはずがない。刃物の跡だって付くものか。わしの体は鋼鉄みたいに鍛え抜かれている。そのうえ、いまは魂だけの存在となって、あちらとこちらの閾を往ったり来たりしておる。拷問の跡など付くものか。
 よーし、わかった。爺さんの言う通りにしておこう。
 逃げるつもりか。
 爺さんよ、大抵にしてくれんかね。われわれは敬老の精神で任務を遂行してるんだ。図に乗ってはいかんよ。こちらの親切につけいってわがまま放題するんなら、われわれは本物をお見せしなくてはいかん。拷問ってもののな。そうだろ、爺さん。
 わしは「爺さん」ではない、れっきとした名前がある。正しく名前を呼びなさい。イエロー国の権力機関は、下っ端どもに礼儀も教えていないのか。
 だったら、そのれっきとした氏名を言うんだな。イエロー国の戸籍に記されているものを。
 わしの名はあくむひかる。
 わかった。あくむさんよ、ついでに他の二人のご老体の名前も教えてくれんかね。あッ、ちょっと待って。
――――
 あんた、「五条の里」知ってるね。
 どこかの酒房か。
 A県の北部にある老人健康施設だよ。その施設から老人三人の失踪届が出てるそうだ。施設では社会問題になるのを惧れてずっと隠していたらしいが、家族に責任を追及されて警察に捜索願いが出された。
 それとわしと何の関係がある。
 どん、ぴしゃり。失踪した三人というのが、あんたたち。いずれ警察の照会があれば明白になること、言い逃れはできんよ。
 わしは酒を一生の友として生きてきたが、「五条の里」などという名の酒房は知らん。
 議事堂公安室には温情ってものがある。あんたを警察の手に委ねたくはない。ここで処理してあげたいんだよ。あんたの仕出かしたことは、まぁ、ちょっとしたいたずらみたいなものだから、せいぜい監置処分で済ませてあげられる。何もかも正直に話してくれれば、施設へ帰ることもできる。え、そうだろ、爺さん、いや、あくむさん。あんただって警察に廻されて、いまさらその歳で縄付きになるなんて恥じゃないのかね。
 正正堂堂、ふーむ、わしの人生はその一点によって貫かれた、恥じるところは何もない。いまもわしの魂は正正堂堂と此岸と彼岸のあいだをさまよっている。遠慮は無用、警察でも軍隊でも、どこへなりと引き渡すがいい。対決あるのみだ。
 参ったな。よぼよぼ野郎のくせに、口だけはえらく達者なんだから。中谷君、あとは頼む。
 はい、代わります。あくむさん、その威勢のいいところで洗いざらい話してくださいよ。まず、二人のお仲間の名前から。
 ふーむ、わしに仲間などはいない。一人であの化けものの爆破を決行した。わしは孤独を恐れてはいない。
 わかりました。では、こちらから言いましょう。一人の名はマ・ソットン、在イエロー人ですね。もう一人はステファン・レナト、これは碧い目のイタリー人神父、それにあなたの三人でホーム「五条の里」から失踪した。そうですね。
 若い人よ、あんたの父母は何(なに)人かね?
 ええ? 決まってるじゃないですか、イエロー人ですよ。
 ほー、イエロー人? それは誰が決めたものかね?
 国家です。国家が定めた国籍です。あなただってイエロー国が定めたイエロー国人でしょ。
 なるほど、なかなか賢明かつ愚劣な解答だ。ところで若い人よ、魂に国籍はあると思うかね。
 自分にはよくわかりません、上司に聞いてみなくては。たぶん魂にも国籍はあるでしょう。
 おい! 中谷君。
 はい。
 何を遊んでるのか。下手な掛け合いはやめとけよ。
 済みません。では、あくむさん、三人の若者について話していただきましょう。何時(いつ)、どこで会ったの? 何と言って、時計を渡されたの?
 わしは天涯孤独。孫などはいない。ほれ、この通り、時計も持たない主義だ。
 孫の話なんかじゃない。あなたがMサカで一緒に行動してた若者たちのこと。それと体に括りつけてた三個の時計のこと。
 ふーむ・・・・・・。
 では、こちらから言いましょう。あの三人はNゴヤの周辺で違法なキャッチセールスをしてるグループ。しかし、それは表向きの顔。実はあんたたちみたいな年寄りを巧く騙して所持金を巻き上げるのが本業。あんたたち三人を鴨と狙ってMサカまでつけてきた。年寄り三人が議事堂にむかって学芸会みたいな抗議の真似事をするので、取り入るために仲間にはいる。あなたが何かの拍子に若い連中のアタッシュケースを開けてみると、時計がはいっている。それが時限爆弾と思い込んだあなたは、すっかり同志と勘違いした。それで一昨日(おととい)の深夜、抜け駆けの功名をねらって、議事堂の大門へやってきた。と、まあそんな筋書きじゃないですか。
 ・・・・・・。
 謎が一つある。あの三個の時計を若い三人が誰から入手して、何のために持っていたのか。何の囮なのか。
 ・・・・・・。
 あくむさん、正直に言いなさい。気持が楽になりますよ。
 ・・・・・・。
 まあ、いいでしょう。いずれ連中の正体が明らかになれば、すべてが解明されること。
 おいおい、中谷君。何を馬鹿な台本、作って、探偵ごっこしてんだよ。若い連中がいつから革命ごっこからキャッチセールスの詐欺師に変ったんだよ。取調べは遊びじゃないぞ。ほら、爺さん、また眠ってるじゃないか。
 そうじゃないですよ、小泉さん。わたしは誘導尋問のマニュアル通りにやってるんですから。
 糞、爺さんの目、醒まさせてやれ。お望み通り痛めつけてやっても構わんぞ。
 おい、爺い、くたばっても知らんぞ。
 ふーむ、やや遠きものに思ひし テロリストの悲しき心も―― 近づく日のあり。
 爺さんいま、何、言ったんですか。
 知るもんか。おおかた寝言だろ。
 やっぱり眠ってるんですかね。
 それを体に聞いてやるんだよ。


 老若男女六人を乗せた電車は、信州の奥深くに源流をもつ三つの大きな河を渡ると、ひときわ集落の疎らになった山間部をさらに北上した。右手に遠く連なる山山はまだ低く、緑の木木におおわれた山肌がところどころ染みのように黄葉している。左手には平野がひろがって、間遠とはいえ小さな町があらわれ、五層建てほどの団地とか白壁の工場とかガソリンスタンドとかが立っている。それら風景の全体が十月の陽を浴びて浮いたり沈んだりしているように見える。
 地図の上では、このままどこまでも北上すれば峨峨たる山岳地帯に分け入り、イエロー列島の中央部を横断して突き抜ける。そしてN半島に至る。その向こうに広広とイエロー海がひろがっている。しかし、老若男女六人を乗せた鉄道は、いったん西に迂回してG駅に達し、そこからさらに鉄道を三つほど乗り継いでN半島へ辿りつく。
 六人は車中でいつになく言葉少なだった。都会の煩雑な雰囲気を離れて、移り変わる山あいと平野の風景に快く見とれていたせいばかりではない。N半島のイエロー軍基地へ向かうことに不安があったわけでもない。そのことはむしろ、ある種の好奇心と昂揚をもたらしていた。若者たちがそれをあからさまに発散させてはしゃいだりしない訳は、N半島行きについて六人の心が一様になれないからだった。阿九む光を見捨てて行く、という後ろめたさが誰の胸にもあった。
 昨日、阿九む光の妻ねんこさんが去ったあと、六人は駅の待合室で今後の行動について相談した。阿九む光がホーム五条の里に帰っていない以上、探索は手詰まりなのだからN半島行きを実行するしかない。しかし、それはすんなりとはいかなかった。レナト神父がねんこさんの言葉を皆に思い出させたからだ。
「阿九光さんの夢が、すべてを失って身ひとつで死んでいくことだっていうのは、わしにも納得できる。彼はしきりに言ってたからな。無所有の人となってこの世に何の痕跡も残さずに滅びたいって」
 ソットン氏が、レナト神父にそう応じた。
「いや、わたしの言いたいのは別のこと。阿九む夫人はわたしたちと行動を共にしたいと言ったでしょ。あの言葉の真意は何だったのでしょう」
 レナト神父は自問するふうだった。
「あの人は天真爛漫な人だから、われわれを明るい気分にさせようとしたんだろう。そういう人だよ、阿九む夫人は」
 ソットン氏はあっさりと言ってのけた。
「わたしにはそうとも思えない。ああいう言い方でご自分の真の気持をわたしたちに伝えたかったのでしょう」
「真の気持とは?」
「阿九む夫人は、わたしたちが阿九光さんを探し出してくれることを願ったのにちがいない。あの人の様子には痛切な何かが感じられた」
「レナト神父、それは深読みというもの。あんたの善意にはいつも敬服しているが、よくない癖でもある」
 レナト神父がむっとして二段構えの鼻梁をひくつかせた。
 二人のやりとりに若者たちは出番を失っていたのだが、ジョルジュが口を挟んだ。
「神父さんの言うこと当たってるかもしれん。あの奥さん帰っていくとき、心残りの様子だった」
「たしかに後姿が淋しそうだったな」
 ふらわー・さんがひきとった。
「だけどさ」ジョルジュが老人二人を取りなすふうにつづける、「おれたち、阿九むさんのこと忘れるわけじゃないでしょ。N半島へ行ってもまた帰るんだから。阿九むさんのこと探しつづけるんだから」
 レナト神父は依然、気持が晴れないようだったが、その話題はそれきりになった。
「正義と夢の探検隊」はそれから午後のゆったりとした時間、若者たちは町をうろついたり、老人二人は待合室のベンチでうたた寝しながら遠い記憶に思いを馳せたりして、過ごした。
 陽が沈んで、老若男女六人は駅前の大衆食堂で夕食を済ますと駅にもどった。玄関脇の軒下で一夜を明かすことにしたのだ。昼間のほてりはしだいに夜の冷気に移りつつあったが、六人は四方山の話を交すうち眠ってしまった。
 最終電車が発車し、駅舎の明かりが落ちた頃だった。六人は人のよぶ声で目を覚ます。
「当駅では午後十二時からの横たわりや寝食は禁止されております」
 駅の人が二人、立っていた。
「ここは駅の構内ではないでしょう」
 意外にも最初の声はレナト神父だった。阿九む光の探索を差し置いてN半島行きが決まったので胸を痛めて、熟睡できずにいたのかもしれない。
「駅の敷地内はすべて禁止されています」
 嗄がれ声が言った。
「それはおかしい。わしらはMサカ駅の軒下で何日も野宿をしたが、首都議事堂のあるあそこでさえ追い出されはしなかった」
 レナト神父と並んで横たわっていたソットン氏が声をあらげた。
「当駅の規則では禁じられています」
 嗄がれ声とは別の、駅内アナウンスを聞くようによく透る声が言った。
「わたしたちには気づかなかった、ということにしてはどうでしょう」
 レナト神父の声だ。
「そんなわけにはいきません、六人も転がってるんですから。とにかく敷地の外へ出てください」
 よく透る声が言った。
「立ち退かなければどういうことになるのかね」
 と、ソットン氏の声。
「しかるべき処置を取るしかありません」
 と、嗄がれ声。
 暗がりのなかでそんなやりとりがつづくうち突然、空気の膜を吹き破って人の跳ね起きる気配がした。ふらわー・さんとジョルジュだった。いまにも駅員たちに飛びかかりそうなCゴールドの両腕を二人が抑えた。Cゴールドの豹の四肢が放つ体臭が夜気のなかに臭った。
 老人二人もあわてて体を起こした。駅員二人はいちはやく駅舎に去った。老若五人はふたたび横になって眠りについた。オードリーはそんな悶着のあいだ終始、かすかな寝息を立てつづけていた。
 二人の警官を乗せたパトロールカーがやってきたのは、十分ほどのちだった。
「あんたたち、ここは寝泊り禁止の場所だから立ち退きなさい」
「警察の介入する問題ではない」
「われわれは江北駅からの通報を受けてきている」
「わたしたちは怪しい者ではない。れっきとしたイエロー国民と永住権を持つものだよ」
「さぁ、どうだか。それは調べてみなければわからない。とにかく警察へ行くまえに、われわれの指示に従ったほうが賢明だ」
「生存権を侵害するつもりかよ」
「その辺の公園で寝たからって死ぬわけじゃないだろ」
「あほか、おまえ。生存権ってのはなー・・・・・・」
「若いの、口の聞き方に気をつけなさい。じゃ、そちらのお年寄り二人に警察へ来てもらいましょう。代表して事情を聴取するということです」
 二人の警官がレナト神父とソットン氏の腕をそれぞれ取ろうとしたとき、老若男女六人は早早とその場を離れた。ジョルジュが寝ぼけ顔のオードリーの手を引っ張った。警官たちは六人が公園にはいっていくのを見とどけてから、パトカーを発進させた。
 町はネオンを落として寝静まっていた。
「糞ったれ」
 ふらわー・さんの吐き捨てる声が、公園の暗がりに虚しく響いた。
「あいつら、パトのなかで笑ってるにちがいないぜ。世話を焼かせやがって、あの程度の脅しで退散するくらいなら最初から恰好つけるんじゃないよ、そんなこと話して笑ってるぜ」
 ジョルジュが、それが癖のセリフまわしを使って忌忌しがった。
 老人二人は押し黙っていた。Mサカから逃れ、ホーム五条の里も避け、これからN半島へ行こうとしている「正義と夢の探検隊」としては、少しばかり軽率な振舞いだった――と反省していたからである。
「畜生、テロッたろか。警察でもイエロー軍基地でもかまうものか、テロッたる」
 Cゴールドが破れかぶれで格上のボクサーに向かっていくように叫んだ。ほかの五人は聞き流した。そしてCゴールドの言葉をお寝みの挨拶のように、それぞれ公園のベンチに場所を占めて眠りについた。

 電車がG駅に着くと、老若男女六人はそこからイエロー国最大の湖があるMハラへ向かう鉄道に乗り換えた。Mハラ駅に着いたのは、江北駅を発ってから二時間近くのち。六人はそこで降りると、いったん駅から離れて一キロほど歩き、湖畔へ行った。
 湖は水平線を南北に延延と伸ばして広がり、浦に面した町のたたずまいと湖上の島島を靄に霞ませていた。六人は埠頭に腰を下ろして、江北駅前のコンビニエンスストアーでたっぷり仕込んできた食料をひろげた。
 午前の陽光が降りそそいで湖面が微細な光の粒子に燦めいている。沖合を貨客船ほどもある大きな遊覧船がゆっくりと水平線に沿ってすすんでいく。乾いた風が湖上を渡ってきて埠頭の舫い船を揺すっている。鴫(しぎ)などの鳥が、たゆたう影のように空を舞って、啼き声が幻聴のように聞こえる。すべての音が光と風に吸い込まれていくのだ。そういう情景は、豹の肉体につつまれた感情をも心地よく溶かしてしまうらしい。
「あーあ、ここで一日遊んで、一晩ホテルに泊まってみたいもんだぜ」
 Cゴールドがパックの弁当とサンドイッチを一緒くたに頬ばりながら言い、湖畔の風景に見惚れていたふらわー・さんがそれに和す。
「賛成。急ぐ旅でもないんだからな」
 ソットン氏は何も言わなかったが、レナト神父が珍しく険しい口吻で二人を叱った。
「急ぐ旅ではないって? 何を軽率なことを言うんです。わたしたちは一刻も早くN半島からもどって阿九光さんの消息を探さなくてはならない」
 オードリーがふだんの笑みを浮かべたまま、興味深げにレナト神父のひげ面を眺めた。若者たちは気まずそうに黙った。
「正義と夢の探検隊」六人は、「祝・徴兵制実施」の光景に彩られたMハラ駅にもどると、N半島の根っこにある地方都市Kサワに向けて特急座席指定列車に乗った。イエロー海本線は百七十キロをひたすら北上する。特急列車に乗ることを主張したのは、言うまでもなくレナト神父だ。一刻も早くN半島からもどって阿九む光を探したい想いが、レナト神父の脳裡から離れないのだ。
 ここで一言、六人の懐具合について触れておく。ソットン氏とレナト神父はホーム五条の里から外出するときの慣習にならって、現金のみでなく貯金通帳などの全財産を身につけている。若者三人はオカマのオードリーから渡された三十万円がまだ潤沢に残っている。それに阿九む光の妻ねんこさんから渡された数万円がある。少女オードリーは言うまでもなく素寒貧。いずれにしても老若五人は二週間、ほとんどの夜を野宿で過ごして質素な食事と交通の費用意外、例のニューモード男女一対の衣服を買ったくらいなものなので、金銭に事欠いてはいない。特別座席指定列車に乗るのに誰も異存はなかった。
 ところが、六人は乗車してから判断の甘さに気づいた。垢と埃にまみれたむさくるしい風態と異臭が(ふらわー・さんとオードリーもニューモードを脱いでもとの身なりに返っていた)、特別休講座席指定車の客から芳しくない注目を浴びたのだ。
 老人二人は早早と仮の眠りにはいってしまったが、若者たちは占拠した向かい合わせ四つの座席でオードリーを囲むようにして、乗客への腹いせみたいに声高に喋った。それぞれの夢を是が非でもオードリーに伝えようと、張り切った。ふらわー・さんは参考書で読み齧った大学受験合格必勝法について薀蓄を傾け、Cゴールドはデビュー戦のリングですでに何戦かのキャリアをもつ相手を一ラウンド一分五十秒でKOした場面をファイティングポーズをまじえて解説し、ジョルジュは公園や河原でテント芝居を打ちながら見知らぬ土地を旅する高揚感を語る。それは野生の動物か鳥がするような、雌の気をひく雄の求愛行為みたいなものだったが、オードリーの反応ははかばかしいものではなかった。彼女は誰の話にもひとしなみニヤニヤと笑みを浮かべるばかり。
 通路をへだてた座席の老人二人は、うたた寝のなかで若者たちの話をけなげなものに聞いていた。
 ともあれ、特別急行列車は広広とした平野を快適に走りつづけた。右手に遠く濃緑のなかに黄葉をまじえて連なる山脈(やまなみ)を眺め、左手にうずくまるふうに点在する集落を眺める。時に、土肌ばかりの田園に立つ杭の上で孤独に毅然と首を立てて彫像のように動かない、灰白まだらの鷲が見られた。そうしてイエロー海本線は列島を横断し、まっしぐらに北上してKサワに着いた。
「正義と夢の探検隊」六人は列車を降りると、いったん街へ出た。Mハラの湖畔で食べた食料はまだかなり残っていたが、これからの路程を考えるとさらに買い足してリュックの中を満たしておく必要があったからだ。ちなみにソットン氏とレナト神父所有の大きなリュックサックは、若者三人が交替で背にしていたけれど、中身は飲食の物のほか防水合羽とニューモードの衣服がはいっているきりである。
 ステーションビルを出るなり六人は意外な印象を受けた。Kサワは北陸部の主要な機構が集まる県庁所在地であり、相応の貌をもつ街だ。それなのに、ちょっと様子が違う。例の「祝・徴兵制実施」の情景が、払ったように見られない。六人は最初、奇異な感じを覚えたが、それこそが街というものの本来のたたずまいであることを思い出した。
 いくぶん気持のほぐれるのを覚えて、一時間近く街のなかをうろついたあと、駅前の小さな公園で休んだ。レナト神父が、ブックショップで買ったばかりのN半島の地図をひろげる。北上するイエロー海本線のどのあたりからだったろうか、薄い灰色の雲が空を彩りはじめていた。それが時時、明かるんで、地図の上に陽が注いだ。
 KサワからN半島へ向かう鉄道は、西海岸に沿って走り、馬の頭(かしら)の形をした半島の喉首あたりで二本に分かれる。分岐点の羽造(はねづくり)から海岸線を北上するX支線はイエロー海を望みながら行くが、馬の貌の後頭部あたりまでしか通じておらず、その先は自動車道路しかない。つまり馬の鼻づらにあたる半島の尖端部(イエロー軍基地はそこにある)までは十数キロをバス路線で行くことになる。一方、半島の低い山系にかこまれた盆地を東北へ横断するY支線は、大小の島を浮かべる七竜湾をめぐったあと、さらに内海を望みながら東海岸を北上し、馬の顎にあたる数珠(じゅず)に達する。そして鼻の形をした数珠岬がイエロー海に突き出している。イエロー軍基地は、その数珠岬の面積ほとんどを占めるが、地図の上のそこは黒黒と塗り込められている。
「地図で見るかぎり、基地は終点の数珠とは顎と鼻の先です。Y支線で行くのが効率的でしょう」
 レナト神父が地図の鉄道路線を目で辿りながら言う。
「効率でいえば確かにそう。しかしX支線で行くと、ほれ、ここにU灘がある」
 ソットン氏がイエロー海に面した西海岸の一点を指さしたとき、ちょうど陽が雲に隠れて地図が陰った。
「U灘? それは何ですか」
「神父はまだイエロー国に来ていなかったから知らんだろう。遠い日、イエロー軍が射撃場を造ろうとしたところだ」
「遠い日とはいつのことでしょう? ホワイト合衆国の中枢部がコーラン人民のテロルによって破壊されたことがあったでしょ。それでホワイト軍が報復を叫び、砂漠とモスクの国を侵略した。あの時、この国の軍隊がイエロー帝国の崩壊後、初めて戦場へ行ったことがあったでしょ。あの頃の話ですか」
「否、もっと昔のことだ」
「あなたの国のウサギ半島でN事態が起こったでしょ。たしか、二〇〇X年。やはりホワイト帝国が、ならず者国家を征伐するとか叫んでノース・ウサギ国へミサイルを撃ち込んだ、あの時の話ですか」
「いやいや、逆だ。もっともっとイェンナレ(昔)、わしが高校へ通う美少年の頃の話だ」
 ソットン氏とレナト神父が地図を覗きながら話しているところへ、ジョルジュが問いかけた。
「それでイエロー軍の射撃場はいまもそのU灘にあるんですか」
「否、射撃場の計画は人民の闘いによって潰された。当時、左翼と呼ばれていた政党や労働組合が土地の漁民を支援してよく戦ったためだが、わが同胞たちも果敢に戦った。なにしろ大砲の砲口はわが祖国のウサギ半島に向けられていたのだからな」
 ソットン氏の昔話を聞いて、ふらわー・さんとCゴールドが口を挟む。
「ということは、いまはそこには大砲の残骸さえないということですか」
「一戦、交える敵もいないんだったら、行っても詰まらん」
 ソットン氏は鷲に仮装した顔を擡げて二人を睨んだきり黙っていたが、レナト神父が若者たちを諫めた。
「きみたちは二言目には一戦、交えるなどというが、軽率なことを口にしてはいけない。わたしたちは正義と夢の探検隊なのだから。正義は戦争と暴力を否定する。正義とは、非暴力と愛によって語られ、行動され、実現されるものなのです。そして夢のかたちもまた、平和と寛容の姿をしているものなのです」
 レナト神父はさらに語りつごうとしたが、若者二人がそれを避けて数歩離れたので、無念そうに口を噤んだ。
 オードリーが笑みを浮かべながら神父の顔を見つめていて、言葉のつづきを待つふうだったが、ソットン氏とジョルジュが立ち上がったので、六人は駅に向かった。

 Kサワを発った電車は、海岸線に沿って左手にひろがるイエロー海を眺めながら北上した。
 海は大群をなして駆けつづける動物たちの背のように波濤をくねらせて、どんよりとした斑らな暗さに染まっている。灰色の雲間に弱弱しく陽光をにじませた空をそのまま映して、波頭の背が斑らな暗色にうねっているのだ。波間に見え隠れする漁船の上空を、海鳥の群れが陰画のように旋回している。そんな海の風景がつづくうち、電車は羽造につく。
 老若男女六人は、そこから東海岸へ向かうY支線に乗り換えた。時刻は午後二時四十五分。六人は車中で早早と腹拵えをした。四輌連結の電車は、土地の人ばかりの乗客が一輌分にも充たず、がらんとしている。その土地の人びとの目に「正義と夢の探検隊」はちょっと風変わりな取り合わせの、どこかの飯場へでも向かう出稼ぎ者の一行と見えただろう。リーダー格ともみえる、鷲に仮装した容貌の老人が地図を片手にしている。きっとどこかの遠い見知らぬ土地からやってきたのだろう。
 各駅に止まる電車は、落ち着いた暗緑の山系が連なる盆地の真ん中を抜けて四十分ほど走り、七竜に着いた。そこからは右手に七竜湾を眺めて北上する。入り組んだ湾に沿って、電車はゆるやかな曲線を繰り返して進む。N半島で二番目に大きい市である七竜を過ぎると、乗客はさらに疎らになった。
 羽造でY支線に乗り換えてから、老人二人とオードリーはもとより、若者たちまでが妙に寡黙になった。さすがの彼らも乗り物疲れが重なっているのだろうか。座して待つより果敢な行動に適しているのが、押し並べて若者の身体の属性であり、この三人には殊にそうであった。それとも、鄙びた漁港と円やかな里山に似た地形の岬、光をうしなった風のなかで謙虚に黙黙と浮かんでいる暗緑の島――それら七竜湾の情景が、若者たちのうちから殺伐とした精気を消していくのだろうか。彼らの表情には一様に精神の眠気がさしているようにみえる。
 あるいは、若者たちも何かの異常に気づいたのだろうか。「祝・徴兵制実施」の光景が、すっかり消えている!
 Kサワの街ですでに変化に気づいていたのだったが、N半島にはいってその光景は影も形も消えた。れっきとした市である羽造でも七竜でも垂れ幕の一本も見られなかった。イエロー軍基地へ着着と近づいているというのに、それは奇異なことだ。あるいはイエロー軍基地へ近づいているからこそ、何かの奸計でもあるのだろうか。
 七竜湾を過ぎ、東海岸の内海に沿って鉄道がさらに北へのぼるあいだも、若者たちは寡黙だった。それは老人二人とて同様であった。二人の肉体は直截に疲れていて、ほとんど言葉を交すこともなく、うたた寝を繰り返していたのだったが、「祝・徴兵制実施」の光景がピタリと消えていることに気づき、奇異の感じを胸のうちで反芻している点では、若者たちと変わりなかった。オードリー一人、卵形の顔に浮かべた笑みが饒舌だった。
 一度だけ若者たちの寡黙が解かれたことがあった。ソットン氏とレナト神父に似た年恰好の女性が乗ってきて、六人の脇を通りぎわに「軍の基地へ行きなさるか」と声をかけたときだった。若者三人はさすがに即答を避けたが、老女性が「あそこで働くのは止したほうがいい」と言葉を次いだので、ふらわー・さんとCゴールドが図に乗った。
「あそこの給金は高いと聞いていますよ」
「金は稼げるかしらんが、仕事はきつくて危ない」
「どんな仕事があるんですか」
「演習場の薬莢拾いとか、施設内の土木作業、そんなのの下請け。どっちみち、土方人夫の仕事っちゃ」
「そんな仕事なら危なくないでしょう」
「そう考えるのがシロウト考え。弾に当たったのと、壕掘りで生き埋めになったのと、不発弾にやられたのと、三人が死んだのを知っとるっちゃ。現にわしの甥が大怪我をした。土地の者(もん)らはあそこでは働かん」
「死んだら凄げえ金が貰えるのとちがいますか」
「あんたら、どんな教育受けてきたね。人間、命が宝。死んだら元も子もなくなるっちゃ」
 レナト神父が、老女性の親切な忠告に礼を述べた。老女性は、振り掛けにした行李の荷物を巧みに運んで別の車輌に移っていった。
 老若男女六人を乗せたY支線は、羽造を発って二時間ほどのちに終点の数珠に着いた。
 数珠の駅舎は小さな木造平屋建てで、駅前のバス乗り場をへだてて東西に伸びる町通りは百メートルほどで尽きる。湿っぽくよどんだ空気のなかで白く埃にまみれている町には、コンビニまがいの小さな店や民宿、海産物加工場といった看板が見られるが、やがてゴーストタウンにでもなりそうな風情だ。民家は町の周辺に散在しているらしい。イエロー軍基地のいわば玄関口ともいえる地勢なのに、町はまるで閑散としている。「祝・徴兵制実施」の光景は、影もない。
「正義と夢の探検隊」六人は、駅舎を出ると一様に首をめぐらせて、そんな町の様子を窺った。武器を携えた兵士の行進が、Nゴヤで目撃したあんなちゃちなものでなく、颯爽と軍靴の音も高く現われるのではないか。そうではなくても、休暇中の兵士が徘徊しているのではないか。しかし、それらしき姿はどこにもなかった。
 バス乗り場に地元の人らしき四、五人の男女が立って、四十がらみのゴム長靴を履いた男が誰彼にとなく喋っている。
「数珠岬までは遠いかね」
 ソットン氏が近づいて長靴に訊ねた。
「数珠岬といっても広いがな」
 男は六人をひとわたり眺めて、その風態を疑うふうもなく言う。斑に白いものの吹いた革ジャンパーから饐(す)えた魚の臭いがした。
「軍基地のあるところまで」
「軍基地も広いがな。見えるところまでなら二キロもないっちゃ」
「歩いても二、三十分の距離だな」
「岬へ出るには山道をちーと登らにゃいかんが、まぁ訳ないっちゃ。あんたら基地の仕事に行くのかね。それなら専用のバスがあるっちゃ」
 ソットン氏は返事に困った。男は意に介せずつづける。
「あんたら遠くから来たようだが、基地の仕事はやめたほうがいいっちゃ。土地の者(もん)は誰もあそこへは行かん」
 男は最前、電車のなかで振り掛け荷物の老女性が言ったのと同じことを言い、まわりの者たちが目顔で頷いた。
「あんた外国の人だろね。あそこでは外国人は使ってくれないっちゃ」
 男が長身のレナト神父を見上げるようにして言ったとき、車のクラクションが三度、高く鳴った。いつ来たのか、十数メートル離れてタクシーが停まっている。この車に乗れ、という合図のクラクションだろう。ソットン氏はそれに取り合わず、長靴の男から岬への道順を聞く。男の説明は微に入り細を穿つものだったが、町を抜けて北東に向かえば否応なく辿りつけそうだった。
 乗合バスが着いて、数人の乗客が降り、長靴の男たちを乗せて出発した。
「少し休憩してから行きませんか」
 ジョルジュがバスを見送りながら老人二人に言う。二人は憮然と首を横にする。老人たちは、江北を経て数珠に着くまでの六時間余、車中ではほとんどうたた寝の時を過ごし、たしかにそれほどの疲労を感じてはいなかった。しかし二人が憮然と首を横にした理由には若干の違いがあった。ソットン氏は老人だからと気配りをされたことに機嫌を損ね、レナト神父はNゴヤへの帰心矢の如しで先を急ぐ気持を抑えがたかったからである。
 数珠の町は、北の方向に低く連なる丘陵の麓に民家や畑地や海産物加工場の倉庫やを点在させて、こじんまりとひろがっていた。「正義と夢の探検隊」は、ソットン氏を先頭にレナト神父を最後尾に慎ましやかな一列の隊列を組んで町を抜け、北東へ向かった。数百メートル行くと道は疎林のなかへはいった。
 数珠岬の丘は牛の寝姿のかたちをしてイエロー海へ突き出しているらしく、道はゆるやかな傾斜を迂回しながら登っていく。野道は険阻というのではないが、次第に濃い灌木の叢に分け入り、数珠の町は見え隠れになる。それにつれて樹液の匂いは湿気をおびて濃密になり、鳥たちの啼き声が喧しくなった。鋭い羽搏きが不意に頭上を掠めたりして、一行を驚かせた。
「岬は近いな」
 疎林にはいって二十分ほど経ったとき、先頭のソットン氏が独り言ちた。ソットン氏が嗅いだ潮の香りは順順に後続の者にも伝わった。「岬が近いぜ」若者たちは手柄でも競うように声を掛け合った。それから間もなくして潮騒の音が聞こえ、それは徐徐に響きとなって近づいた。 
 灌木の林を登りつめて老若男女六人が立ったところ、そこは数珠岬のほぼ先端の場所だった。東北に向くと、視界いっぱいに暗色の海がひらけた。大群をなして駆けつづける牛の群れに似た波濤は、Kサワから羽造に向かう車中で眺めたイエロー海のそれよりは幾分なめらかな感じだが、岬の頂きへ迫り上がってくる海鳴りは高い。遠く扁平な水平線から沖合を抜けて近づいてくる波は、徐徐に色合いを濃くしてうねりを高め、岬の岩にぶつかって白いしぶきを上げ、狂おしく砕けている。砕け散る波音は、海の底から響き昇ってくる地鳴りのよう。
「おーい、石のあーたーまー」
「おーい、牛のちーんぽーこー」
「おーい、海のへーひーりー」
 若者たちが突然、海に向かって叫んだ。声は目と鼻のさきで波の音に吸い込まれた。
「三人はいま、何を言ったのかね」
「さて、わかりませんな」
 老若男女六人は、右手に海を見ながらさらに北の方向へ歩いた。地図によれば、半島の尖端にあたる数珠岬の北に金剛崎があり、そこからイエロー海に面して西に宏大な軍基地が広がっているはずである。
 十分と歩かないうちに一行は、おーっ、と声を挙げた。灌木に覆われた野道を抜けると、金剛崎の西に基地らしき風景が現われたのだ。「らしき」と表現するのは、それがあまりに宏大で幻の風景のようであるからだ。
 北のイエロー海に向いて西へ西へと伸びている一帯は、どこが限りかも定かでなく霞がかった大気のなかに消えて、無辺におもえた。金剛崎を頂きとする丘陵はゆるやかに下る傾斜をなして広がっており、まず基地の外縁をめぐって起伏の多い草原が帯状に伸びている。民間地域と基地の境界を示すものなのか、点点と形ばかりの杭が立っていて、草原は放牧場を思わせる。事実、草を食んだり寝そべったりしている牛の姿が十四、五頭、見えた。
「軍基地に牛の放牧場とは、また奇妙な取り合わせだ」
 ソットン氏が思わず呟いたのは、無理もない。
「軍の食用に飼育しているのでしょう」
 レナト神父が応える。
「一頭、攫(さら)ったろか」
 ふらわー・さんが茶茶を入れた。
 放牧場の向こうには低い木木の疎林が、基地との境界を念押しするように四、五十メートルの幅で延延と西へつづき、霞のなかに消えている。疎林の向こうがイエロー軍基地だった。そこはほとんど平坦な地形になって目路の限り演習場とコンクリート地の空間であり、大小さまざまな施設が散在しており、監視塔と砲台も見える。建物の屋根と壁はどれも灰色なので、どんよりと沈んだ景色に溶けて影絵のようにぼやけている。兵士たちの行進する姿や車輛の往き来は遠く玩具か黒蟻の動きだ。それらのすべてが幻の情景をおもわせるのだ。
 宏大なイエロー軍基地の向こうに、イエロー海がさらに果てしなく波濤を連ねているが、それはうねりも定かでなく霞んでいて、いっそう幻の海をおもわせる。
 時刻は午後五時を少し廻って時時、薄く差す陽の光は衰えている。潮の香りを吸い込んだ風が厳しくなって六人の膚を撫ではじめた。
 放牧場の杭をめぐって歩くうち、「ここより先、接近禁止」の立て札が目に付きはじめる。
 さらにしばらく行ったとき、「正義と夢の探検隊」は突然、懸崖の上に出た。懸崖は岩に砕けて立ちのぼる波しぶきを辛うじて防ぐほどの高さ。道はそこで尽きている。イエロー軍基地に近づくには杭と杭の切れ間から放牧場にはいり、草原を抜け、灌木林の河を渡らなくてはならない。
 老若男女六人はしばらく口惜しげに遠く基地の方向を眺めていたが、数珠の町へ引き返すことにした。あと小一時間もすれば夕闇が降りてくるだろう。空腹と疲労が踵を接して六人の胃袋と四肢をおそいはじめている。若者たちさえ、無駄口をたたく元気をなくしている。十月初旬とはいえ、北の半島の厳しい風が吹きつける岬で野宿するには、スリーピングマット(寝袋)さえ携帯していない。
 老若男女六人が数珠の町に帰りついたとき、後を追うようにしてあたりは夕暮れた。一行の慣わしからすれば駅舎かその周辺で一夜を明かすところだが、ソットン氏の「宿に泊ろう」という提案に誰も異議を唱えなかった。
 駅前に民宿は四、五軒あった。モルタル造りの三階建てが一軒あったが、あとはいずれも木造二階建て。かつてはN半島を巡る観光客や釣り人で賑わったのだろうが、どの建物も廃業したのに「民宿」の古びた看板を取り外すのを忘れている、そんな寂れた風情である。イエロー海に面した最も風光明媚な土地と海を軍機地に占領されて以来、そうなったのだろう。
 老若男女六人は、駅舎を南西に眺める、ひときわ廃れたたたずまいの木造家の玄関に立った。「民宿 若草物語」という、看板の文字も消えかかった屋号が、レナト神父の気に入ったのだ。もっとも他の五人に、その名が四人姉妹を主人公にした小説の題名であると知れたかどうかは怪しい。
「民宿 若草物語」は廃業してはいなかった。五十がらみの夫婦に出迎えられた六人は、両側に暗い部屋の並ぶ廊下を抜け、洗面所に隣り合わせた便所の臭いを嗅ぎ、軋む階段を上がって、二階の部屋を二つ取った。それぞれ六畳の間に、若者三人と老人二人+オードリーが泊ることにしたのだ。一行は二週間余ぶりに(オードリーもそうなのかは不明)風呂にはいって、レナト神父を除く四人はひげを剃り、久しぶりに暖かい食事と幾許(いくばく)かの酒とビールを愉しんだ。そして、これも久しぶりの暖かい蒲団にくるまった。宿に他の客はいないらしい。
 寝むまえ、老人二人は蒲団を伸べにきた宿の夫婦と四方山の話を交した。「若草物語」の命名はやはり夫婦に娘四人がいることに由来した。上の三人はいずれもNゴヤに出ていて、長女と次女は働いており、三女は大学に通っているという。老人二人がNゴヤから来たと言い、話がはずんだ。とはいっても、夫のほうは頷いたり笑ったりするばかりでほとんど口を聞かず、喋るのはもっぱら妻君だった。夫はもともと漁師だったが、民宿が繁盛したころ陸に上がって開業し、釣り人のためにだけ舟を出したり案内したりしてきた。民宿が駄目になってからは海産物加工場のパート・タイマーで働いているという。妻君のほうは夫同様、気の置けない人柄ながら、海の人というより山間の村で生まれ育った人の感じだ。
「ところで、イエロー軍基地にはいるにはどう行けばよいですか」
 四方山の話がちょっと途絶えたところで、レナト神父が話柄を転じた。
 宿の夫婦はとたんに表情を翳らせて、顔を見合わせた。それでも、詮索を好まない性格らしく、基地で働くのですか、などと問い返すこともなく、基地へ行く方法を説明した。
 数珠の駅前から北西に迂回して海岸線を走るバスが出ている(それは今日、六人が訪ねた数珠岬とは逆の方向だった)。二十分ほど行った途中の停留所で降りて、あとは軍基地のゲートまで三キロほど歩かなくてはならないという。
 レナト神父は、夫婦の説明にしきりに頷いた。おや? レナト神父は明日、イエロー軍基地へ行くつもりだ・・・・・・。ソットン氏が意外な感に打たれてひげ面を眺めた。あの禍禍しく宏大にひろがる暗鬱な情景を目にして、神父のうちに何かが起こっているらしい。


 ふーむ、またしても闇だ。限りなく深く、果てしなく遠く、闇だ。だが、記憶の闇なんかではないぞ、現在(いま)が闇だ。わしは闇のなかにいるんじゃない、わし自身が闇だ。
 静かだ。たしかさっきまで邪魔な声が聞こえていたはずなのに、この静寂は何んだ。わしはそいつと丁丁発止、やりあっていたはずだ。わしはそいつに怒鳴っていた、こいつらに負けてたまるかと自分を励まし、怒鳴っていたはずだ。否、さっきではない、昨日、否、昨日ではない、何日か前、否否、遠い日だったかもしれない。時間が失われてしまっている。闇には時間なぞないのだ。時を刻む音などないのだ。そうにちがいない、この静けさは、闇の無音なのだ。
 ふーむ、それにしても、この心地よさはどうだ。ふわふわ、するする、ほかほか。まるで快適の極地ではないか。闇の快さがこれほどのものと、四分の三世紀も生きて知らずにきたとは・・・・・・。わしはこの闇をおおきに誤解していたようだ。いまがいままで、わしが闇を凝視していると思っていた。闇とは見つめるものだと思っていた。だが、そうではない。生きていて死んでいた、死んでいて生きていた、彼岸(あちら)でもなくて此岸(こちら)でもない、彼岸でもあって此岸でもある、そんな眠りのなかで夢の通い路(じ)を往ったり来たりしている、そう思っていたのが誤解のもとだった。わしは全然、眠ってなどいない。わし自身が闇に変身していたのだ。闇とはまったき無境なのだ。
 ふーむ、闇に変身して、この快さ。抵抗感などまるでない。まったき自由だ。永く夢見てきた無所有とは、こういうことだったのか。いまさらに気づくとは、不覚!
 否、待て、そうではないぞ。この快さは、自由でさえない、無所有でさえない、虚でさえない。どこまで行っても「ない」「ない」「ない」の無限なのだ。思うにそれは、どこにも世界がないからにちがいない。世界がない? 否、それも違う。何がどう狂ったのか、世界がわしになり、わしが世界になったらしい。世界がわし、わしが世界・・・・・・。こんな変てこりんの摩訶不思議があるだろうか。どうやら、どれもこれも、すべてが闇のせいにちがいない。
 だが、待てよ。あれは何だ? 果てのないはずの闇のなかに一筋、白く輝くものが走っている。たしかに燦めいている。閃光だ。閃光に違いないが、闇のなかに輝いているのではない。闇のなかを走っているのでもない。もっと向こう、闇の果てに燦めき走っているのだ。闇は闇だ。閃光は閃光だ。否、それも違う。あー、困ったことになったぞ。あの閃光は、まぎれもなく、わしだ。わしが閃光となって白く輝き、疾走している。あー、これは困ったことになったぞ。闇と光が一つになってしまった。わしのなかで闇と光が一つに、否、わしが一つなり闇と光になってしまった。この無重力、限りのない力の漲り、それが何よりの証拠。あー、これは困ったことになったぞ。わしが闇と光なら、あの化物に、そう、あのホワイト帝国の化物に、復讐せずばなるまい。このように力が漲っている以上は。
 ふーむ、それにしても、この力の漲りは一体、どうしたというのだ。まるで金剛か、仁王か。向かうところ敵なしの充溢ではないか。否否、もはや敵などどこにもいない。世界がわしで、わしが世界なのだ。自在、そうだ、わし自身が自在になってしまった。これは、とてつもないことに、なってしまったぞ。まさか、わしは呆けてしまったのでは? 呆けるとはこういうことか・・・・・・。
 ばかな、そんなはずがあるもんか。この自在の力にはれっきとした訳がある。わしが一つなりに闇と光になってしまったからにちがいない。現に、あれを見よ。あれこそ、わしの漲る力の源泉というものだ。あれがあらわれるなり、そーら、わしのものはもりもりと力をたくわえてきたではないか。あれはどこか湿っぽい、ぬるぬるつやつやしている、そして淡く赤い。だから、湿地か沼に咲く、赤い花のようにも見えるが、あれは花ではない。二枚の唇に挟まれて淡くピンクに盛り上がっている可憐な肉茎は花軸のようにも見えるが、あれは花ではない。さらに花芯の奥処には、命をもたらし育む快い生殖の泉が湧き出しているのだが、あれは花ではない。蠱惑(こわく)の花弁がわしを惑わし無我の境地に誘うが、あれは花ではない。
 見ろ、わしのものはみるみる怒張し、もりもり膂力をたくわえて、生命を蘇らせるではないか。あれの力がわしのものを励まし、歓喜の極地へと導いてくれるのだ。わしは到底その力に抗うことなどできはしない。ふーむ、わしはわしのものとともに、花であって花ではないあれの中にはいっていく、そうするほかにはないではないか。あー、そうして二層三層とさらに漲ってくる力。わしのものとあれは、からみ合い溶けあい、ふーむ、もはや一つになって分かちがたい。摩訶不思議なことだ。あれがわしであって、わしがあれになってしまった。わしが一つなりに闇と光になったとき約束されていたのにちがいない。わしのものとあれが合体して、いまやあれがわしなのだ。わしの漲る力の淵源こそ、そこにあると、いまこそ知ったぞ。いざ、行こう。復讐の旅へ。
 さあ、わしの旅に発とう。いまこそ骰(さい)の時だ。
 めざすはあの空を貫く巨怪な塔。無辺の闇にまぎれて誰の目にも見えぬが、わしを誑かすことはできない。闇と光の両性具有となったわしの、この眼を欺くことなどできるものではない。わしの自在の眼にかかったら、あの妖怪といえども一たまりもあるまい。そーら、姿を現わしおったぞ。まぎれもなくホワイト帝国の巨怪な二基の塔だ。
 臆面もなく世界を睥睨していやがる。まるごと六十億の民を、否、世にある生きとし生きるもののすべてを、支配しきったつもりでいやがる。大地を、空を、海を、秩序を、権力を、自由を、民の声を、その他ありとある諸諸を制覇しきったつもりでいやがる。世界帝国などとうそぶきおって。だが、いまわしが睨みすえている妖怪めは、かつてわしが胴体を真っ二つに断ち割って崩壊させてやった妖怪とは違う。ふーむ、たしかに十五年前、そうだ、あれは新しい世紀の始まった年の九月のことだった。わしはホワイト帝国の妖怪めを真っ二つに断ち割ってやった。ところが何と無念にも、ホワイト帝国の報復は惨(むご)く、何百発のミサイルをぶち込まれ、何千発の爆弾を投げ落とされ、追いつめられて、わしは底深い地中で捕えられてしまった。捕えられたわしは、酷い訊問に責められ、拷問の刃に苛まれたのだった。わしは手もなく報復されたのだ。いまわしが睨みすえている妖怪は、あのとき死んだ妖怪の子だ。だが、あいつは、親の妖怪をはるかにしのぐ巨大な糞力で復活しやがった。
 ふーむ、今度はわしが復讐する時だ。いまいちどホワイト帝国の妖怪を胴体まるごと真っ二つに断ち割る時だ。ふたたびあいつを幻の塔のように崩落させる時だ。闇と光の双生児となったわしは、あのときのわしとは違うのだ。自在となったわしに、敗北はない。漲る力となったわしは、けっして妖怪めのさらなる報復をゆるしはしない。
 さあ、阿九む光よ、復讐の旅へ発つのだ。


 灌木の丘陵を抜けたバスは、笈摺(おいずり)という停留所で「正義と夢の探検隊」六人を降ろすと、海辺の道路を西へ去った。
 六人はバスが消えるのを確かめると、ソットン氏を先頭にレナト神父を最後尾にして若者三人と少女オードリーを挟む一列縦隊をなして、海岸に沿う広い道路を東に向かった。
 空はきのうに増してどんよりと雲におおわれ、左手に眺めるイエロー海の波濤は、大群をなす灰色の動物の背をくねらせて駆けっている。波しぶきを浴びていくつもの岩が暗暗と突き立っている。右手には灌木の林のあいだにところどころ地肌を剥き出す丘陵が、暗緑に陰ってつづいている。空も、海も、丘も、風景のすべてが朝の陽差しをうばわれて陰鬱に沈んでいるのだ。それでも雨は降りそうにない。この地方に特有の天候であるらしい。
 広い道路は波打ち際に並ぶテトラポッドと二重構造になっている防潮堤に沿って、緩い曲線でつづいている。民宿「若草物語」の夫妻の話では、笈摺でバスを降りて東へ二、三十分行けばイエロー軍基地のゲートに達するということだったが、道路はすでに軍用道路にはいっているらしい。笈摺からこちら民家はなく、バスや普通乗用車も通らない。ときどき軍のトラックやジープ、マイクロバス、特別乗用車が走り去るばかりである。探検隊の六人は道路のサイドゾーンを一列縦隊に歩いて行く。
 老若男女の出で立ちは揃って埃と垢にまみれ相変わらずの風態だが、顔はさっぱりと垢を落としてなかなかに生気を放っている。きのう長時間に及ぶ電車の旅と数珠岬への探訪をこなした疲れの影はほとんどない。久方ぶりに風呂を使い、宿の結構な料理にもありついて、生き返った心地なのだ。老人二人も若者たちに引けを取らず矍鑠たる足取りだ。もっとも老人二人の元気には、若者たちのそれとはまた別の理由があった。昨夜、少女オードリーの若若しい精気が老人二人に注ぎ込まれたからである。
 昨晩、老人二人は宿の夫妻と四方山の話を交したあと、まもなく床にはいった。川の字に三つ敷かれた蒲団の両脇に老人たちが横になり、少女オードリーを真ん中に寝ませた。数分と経たず、彼女が邪気ない寝息を立てはじめ、まもなく暗がりのなかでレナト神父の声がした。
「ソットン氏、イエロー軍基地ができたのは、いつのことだったかね」
 なぜか気持が昂ぶって、ソットン氏も寝つかれずにいた。
「さて、いつの頃だったか。十年ほどにはなるはずだが」
「いずれにしても、わたしは昨日はじめて、あの禍禍しい基地の情景を見ましたよ。まことに迂闊だった」
「わしも同じことを思っていたところだ。N半島にイエロー軍最大の基地ができたのは、コーランの革命組織によってホワイト合衆国の軍事と経済の中枢、そう、ペンタゴンとWTCツインビルが破壊されてから五年ほど後だった。当時、同時多発テロルと呼ばれたあの事件は、たしか二十一世紀最初の年だった」
「そうです。わたしもはっきりと憶えています。イエロー国政府はあの事件を奇貨として、まるで仕組まれたシナリオのようにテロル対策特別措置法というものを成立させた。そして、あれよあれよという間にホワイト合衆国の尻馬に乗って、報復戦争に参戦したのです。ホワイト合衆国の同盟国を標榜し、後方支援の名において。だが、あれは同盟関係というものではない。まるで従属国、家来の振舞いでした。第二次世界戦争のあと五十六年経って、イエロー国の軍隊はついに武器を携え、戦地へ赴き、戦争に参加したのでした。そして、人殺しの手伝いをしたのでした。あの時です、イエロー国憲法が完全に死んだのは」
 老人二人は寝物語のように声をひそめて話したのだが、言葉にはつい力がはいってオードリーの体の上を行き交った。それでもオードリーの無邪気な寝息は途切れずにつづいている。
「レナト神父、わしはそこでもう一つの重要なことを思い出すんだ」
「わかりますとも、ソットン氏。あなたが何を言おうとしているか、わたしにはよーくわかりますとも」
「そうなのだ。イエロー国軍隊が親分のホワイト帝国軍に隷従してコーラン国を侵略したあと相次いで起こったのが、あの不審船事件と拉致騒動だった。東シナ海にあらわれた一隻の小さな船を、倍ほどもある三艘の船で挟み撃ちに銃撃し、あッという間に沈めてしまった」
「あれは戦艦が撃ったのではなかったですね。たしか、海上保安庁の巡視艇だったですよ」
「それは同じこと。武器を装備したイエロー国の船艇が他国の舟を撃沈したことには変わりない」
「おっしゃるとおりです。イエロー国の武装船が他国の船を撃沈して十五人もの人間を殺したのですから。あれもイエロー海軍がコーランの国を侵略するのに片棒担いで、それに勢いを得てやったこと。まさにイエロー国家が第二次世界戦争後にはじめて直接、手を下した武器による殺人でした」
「そう。イエロー国はテロル報復戦争に加担し、不審船事件を奇貨として、有事法制なるもの、否、戦争法制なるものを敷き、完全に戦争のできる国になってしまった。十五年前の二十一世紀初頭の数年は、最悪の時だった」
「あの時こそ、今日の徴兵制復活の始まり、元凶でした。わたしはその間、手を拱いているばかりでした。まことに迂闊だった」
「否、わしが無念でならないのは、ホワイト合衆国へのテロルに次ぐ不審船事件、そして拉致騒動を物怪の幸いと、ホワイトとイエローの二つの帝国がウサギ半島の北を標的にしたこと。わしの祖国の体半分をならず者呼ばわりして餌食にしようとしたことだ。せっかく一年前には北と南のトップが握手をして、二つに裂かれた胴体が一つにつながるかもしれない、そんな光が差しはじめたときだったのに」
「ソットン氏の心痛はよくわかります」
「レナト神父、あんたは徴兵制復活の前兆を見逃したのは迂闊だったと悔やんでいるが、思い返せば前兆は幾つもあった。あれもたしか二十一世紀初頭のK政権のときだった。教育改革国民会議とかいう怪しげな御用組織があったのを憶えているだろ? そいつが教育の改革などとうそぶいて、十八歳になった国民に奉仕活動を義務付け、愛国心を注入すると言いだした。あれも前兆の一つ。徴兵制を復活させるための布石、予行演習のようなものだった。さらに、十一桁国民背番号制、うーむ・・・・・・」
「数えあげればキリがありませんよ、ソットン氏。それなのにわたしたちは唯、手を拱いてやりすごしてきた」
「レナト神父、悔やんでばかりいて、埒が明くものかね」
「そこです、ソットン氏。わたしは満七十七歳になる」
「何をいまさら。わしも同い歳だ」
「だから言うのですが、われわれにはまだ最後のリベンジの時が残されていると思いませんか。最後の、骰を投げる時が」
「リベンジ? 骰を投げる時?」
「そうです。骰の時です」
「ふーむ、一体全体、これはどういうことになったのかね。レナト神父、あんたはまさかイエロー軍基地へテロルでも仕掛けようってのじゃないだろうね」
「・・・・・・・・・・・・」
「非暴力抵抗主義を説くあんたが、よもやそう考えてるはずはあるまい。別の手があるのなら、聞きたいもんだ」
「・・・・・・・・・・・・」
「テロルとはまた、正義にも反する。正義の使者である神父が、突然、手のひらを返すとも思えん」
「正義とは、しばしば勝手なものです」
 老人二人の寝物語のように交された会話は、二人のあいだで眠る少女オードリーの体の上を行ったり来たりしてつづけられたのだが、彼女は終始、目覚めることもなく幼い者のように寝息を立てつづけていた。老人二人もやがて話に倦み、一日強行軍の疲れも出たのか、鼾を立てはじめた。それはしだいに音高くなり、ソットン氏のそれは歯車の狂った機械の音のように、レナト神父のそれは彼が生まれたコルシカ島に打ち寄せる潮騒の音のように、激しくなって、最前の会話のつづきみたいに鼾の交換をはじめた。時時、自分の鼾に驚き呼吸を詰まらせ奇妙な音を発するのは、鼾の対話に挟まれる感嘆符あるいは否定詞だったろうか。
 そして深夜。少女オードリーが起き出した。彼女はまずレナト神父の蒲団に潜入して彼の下半身に彼女のそれを密着させ、約三十分後、今度はソットン氏の蒲団に潜入して同じ行為を繰り返したのだった。そうして彼女の精気を二人の老人に注ぎ込むと、オードリーは自分の蒲団に戻り、とても素晴らしい善行を施したあとのように快い気分になって、ふたたび寝息を立てはじめたのだった。思うに、老人たちが会話を交すあいだ眠っていたはずの少女オードリーは、どこか遠いくにの夢のなかでそれを聞いていたのではないだろうか。そして老人二人の骰の時のために、健気にもひとはたらきして、彼女の精気を提供したのではないだろうか。
 今朝、老若男女六人が目覚めたとき、老人二人は十歳ほども若返ったふうに膚を輝かせ、全身にそこはかとない覇気を漲らせていた。昨夜、老人二人のあいだで交された寝物語だけでなく、少女オードリーの密やかな行為を若者たちは知る由もない。老人二人は勿論、オードリーから受けた恩恵を口にはしない。後ろめたさの故ではない。互いにオードリーの恩恵に浴したのが自分一人と信じて、自らのものが何年ぶりかで凛凛しく屹立したことを半ば誇りに思い、半ば羞恥していたのである。そんな老人二人を、少女オードリーは例のニヤニヤと邪気のない笑みを浮かべて、いっそう幸せそうに眺めるばかりだった。
 さぁ、イエロー軍基地へ行くとして、基地ゲートから中へはどのようにして踏み込むか。民宿「若草物語」を発つ間際まで、六人にとってそれが難問だった。ようやく一つの着想を提案したのは、レナト神父だった。
「出稼ぎ労働者の振りをして、職を求めて来たということにしたら、どうでしょう。イエロー国には、瓢箪から駒、という俗諺がありますね。それはそれで、いっそう幸い。敵の懐に飛び込めるのですから」

「正義と夢の探検隊」の一列縦隊六人は、広い軍用道路のセフティゾーンを黙黙と歩きつづける。イエロー国軍の牙城に近づいているのだ。さすがの若者たちも緊張の色を濃くしている。老人二人も例外ではない。しかし、その表情には覇気が漲り、足取りは矍鑠としている。Cゴールド、ふらわー・さん、ジョルジュとつづく若者三人のうしろ、レナト神父の前を行くオードリーだけが、これから愉しいゲームに向かうように時時、スキップを踏む。
 三キロほど歩いた頃だろうか(宿の夫妻は笈摺のバス停から二、三十分も歩けば基地ゲートに達するといったが、ゲートはまだ見えない)、左手の海上高く、ねずみ色の機体に赤赤と日の丸を染めぬいたヘリコプターが飛び交いはじめる。機体はイエロー海の風にあらがって蝶の舞いのように旋回し、エンジン音は潮騒に消されて地上にとどかない。
 右手の灌木林におおわれた暗緑の丘陵はしだいに遠のき、赤土の地肌と疎林が斑ら模様になった裾野を広げつつある。疎林の向こうに崖を穿った壕が黒い眼球のように見え隠れする。さらに行くと、丘陵の麓は広広とひらけて、丘の高みに暗緑の森を背景にした、別の眼球があらわれた。台地に五十メートルほどの間隔を置いてだろうか、イエロー海の沖を睨みすえて並ぶ砲台の列だった。
「玩具(おもちゃ)の大砲じゃないぜ」
「さすがイエロー軍基地」
「まさに要塞だ」
 若者たちは口口に沈黙を破った。老人二人は声こそ挙げなかったが、嫌悪の表情をあらわにした。険しい視線が遠く砲台を睨みすえている。オードリーは珍奇なものを見る表情で興味深げに砲台を眺めた。砲台が見えはじめたあたりから軍用道路に沿って張られた鉄条網が高くなり、処処、分厚いコンクリート塀がそそり立って老若男女六人の視線を塞いだ。
 一方、左手に眺められたイエロー海の波濤は彼らの視界から消えた。防潮堤が高くなって彼らの頭の位置を越えたからだ。潮騒の音が防潮堤に塞がれたからか、旋回する機体に近づいたからか、ヘリコプターのエンジン音が喧しくなる。
 そうしてさらに一キロほど進んだとき、基地ゲートがあらわれた。それは幅三十メートルとはない入口で、両側に石造りの門柱が変哲もなく立っていた。軍用道路はそのなかに消え、探検隊が歩いてきたセフティゾーンは行き止まりになっている。近づくにつれ門柱の「イエロー軍基地中部管区指令本部」の文字が読めた。基地はN半島の先端を延延とめぐって昨日、六人が訪れた数珠岬までつづいているのだろう。ゲートのはるか先に軍用車輛の並んでいるのが見え、その向こうに灰色の建物が霞んでいるが、どれが指令本部なのか武器庫なのか兵員の住宅なのか見分けがつかない。
 ゲートをはいってすぐの右手に哨所があって、門柱の前にはそれぞれ銃を立てた兵士が微動もせず立哨している。いずれも高校を出たばかりの年齢にみえる。探検隊六人はソットン氏を先頭にして、左手の門柱に立つ兵士に近づいていった。
「わしら、基地で働きたいのだが、どこへ行けばいいかね」
ソットン氏が、兵帽の下の若若しい顔に問いかけた。
哨兵は軍靴の足を肩幅に揃えて開き、背筋を鋼鉄の棒のように伸ばし、顔は正面に向けたまま、老若六人の男女が目の前に存在してなどいないかのように、視線さえ動かさない。まるで兵士の塑像だ。
「どうかね、ここを通してくれれば、わしらで探して行くんだが」
 ソットン氏が、遠くに霞む灰色の建物を雲でも掴むような視線で追いながら言う。兵士の塑像は呼吸さえ止めたように身じろぎしない。
 レナト神父が数歩、Cゴールドを追いかけて、引き戻した。突然、Cゴールドが、こいつに話しても埒が明かん、とばかりに歩き出したからだ。なんて無茶なことを。ここはイエロー軍の牙城、勝手な行動をして拉致でもされたら、いかに豹のCゴールドといえども八つ裂きにされてしまう・・・・・・。長い両腕でCゴールドの上半身を抱えて離そうとしないレナト神父の顔は幾分、怒りをまじえて、そう語っている。
 案の定、哨所から人がばらばらと飛び出してきた。四人の男たちは哨兵の兵帽、軍服とは違う制帽と制服を着け、銃は携帯していない。兵役の者とは別の警備部門の者らしく、いずれも若くはないが屈強な体躯をしている。
 四人の警備官はよく訓練されたラグビー選手の敏捷さでゲートの一歩外に並び、通せんぼの陣形を取った。探検隊六人も自然、対峙する恰好になる。
「どちらを訪ねますか」
 屈強な男たちのなかで幾分、並みの体格の男が訊ねた。
「わしら基地で働きたい者でね。求人係を訪ねたい」
 ソットン氏が応える。
 八本の視線が老若男女六人に注がれている。なるほど風態は人夫仕事を求める出稼ぎ労働者ふうだが、どこか辻褄があっていない。若者三人は、よれよれに草臥れて垢にまみれているとはいえ、もとはれっきとした三ツ揃いスーツを着ている。なにより老人二人に若者三人、そこへ少女が混じるという取り合わせが胡散臭い。
 制服たちに汚れ物でも見るようにジロジロと眺められて、六人はわざとらしく相手の鼻先まで距離を縮めた。Cゴールドがまたも端に立つ制服に拳を繰り出す真似をして徴発したので、レナト神父があわてて諫めた。
「許可証を見せてください」
 並みの体格がCゴールドを睨みすえておいて、ソットン氏に求める。
「許可証?」
「そう、求人許可カードです」
「あー、あれは旅のあいだに紛失してしまった」
「全員のカードをかね」
「そう。電車のなかで盗られたのかもしれん」
「じゃあ、ここで働くことはできない。役所で再発行してもらって来るしかない」
「役所で?」
「そうです。あんたたちが住民登録している市町村に行けば、軍の労務に関する窓口がある。そこで求人許可カードが交付されれば、基地の労務で審査を受けられる。しかし、あんたともう一人、そちらの外国人にはカードは交付されない。年齢制限と国籍条項がある。あー、その子も駄目だ。未成人の子女は基地で働くことができない」
 並みの体格は説明を楽しんでいるふうだ。
「あんた、年寄りと女を差別するのか」
 横合いからふらわー・さんが口を挟んだ。それを聞くなり、並みの体格はみるみる表情を怒張させた。
「小賢しい口を聞くな! 惚けて相手をしてれば図に乗りやがって。カードを紛失しただって? 盗られましただって? 端(はな)からそんなもの持ってないくせに。軍業務侮辱罪および詐欺行為未遂で拘束することだってできるんだ。それともコーボーで検挙してもいい」
 並みの体格はなおも言い募ろうとして、不意に飛んできた何かのかたまりに驚いて顔をそむけた。しかしそれは見事、眉間に命中した。並みの体格は顔を顰めながら、右手の甲で拭った。少女オードリーが突然、唾を吐きかけたのだ。少女に唾のかたまりを吐きかけられて、制服の男たちは我を忘れたようだ。四人がかりでオードリーに掴みかかろうとした。若者三人が間にはいってオードリーの体を抱え上げ、救い出すのが一瞬、早かった。次の瞬間、探検隊六人は脱兎のごとく駆け出して基地ゲートから五十メートルほど逃れていた。
 そんないざこざの間、門柱の前に立つ兵士二人は終始、塑像の姿勢を崩さなかった。が、どこから現われたのか、ゲートの向こうに十数名の兵士が登場し、こちらへトロットで行進してくる。
 老若男女六人は最前、来たばかりの道路を懸命に走り出した。
 それから四時間近くも経って、「正義と夢の探検隊」はようやく数珠の町へ帰ってきた。
 陽は西の山系に沈みかけている。六人が六人とも襤褸布のように疲れはてていた。若者たちはまだしも、老人二人は息も絶え絶えといった風情で、汚れ切った顔は血の気を失い、辛うじて立っているというふうだ。少女オードリーに注ぎ込まれた精気は雲散霧消してしまったらしい。そのオードリーはといえば、六人のなかで最も気丈にみえるのが不思議だ。
 老若男女六人は基地ゲートを去ると、海岸沿いの軍用道路を駆けるようにして笈摺のバス停まで戻った。数珠行きのバスの時刻を確かめることもなく、道路を避けて丘陵地帯へ向かった。イエロー軍兵士に追跡されていると錯覚したのだ。
 疎林におおわれた丘陵沿いの野道を行くうち、六人はようやく悪い夢から醒めるように錯覚から解かれた。同時に軽い自己嫌悪を覚えたのだった。
 わしらはなんだってこうも思慮浅く、軽薄なんだろう。Mサカの首都議事堂を攻めたときもそうだった。不用意な行動に終始して結局、逃亡する破目に陥った。今日のこともそうだ、勇気凛凛とイエロー軍基地へ攻め入ったはよいが、まことに詰まらぬ行為によって逃走する破目になった。そもそもの計画からして軽率このうえなかったのだ。出稼ぎ労働者を装って軍の牙城へ踏み込もうなんて、まるで猿芝居ではないか。猿に申し訳が立たない。わが探検隊はなんだってこのように軽薄なんだろう・・・・・・。
 そのように述懐しながら歩いていたのは、先頭を行くソットン氏だったが、同様の気持は若者三人とオードリーの頭の上を飛び越えて、最後尾のレナト神父にも伝わった。レナト神父は、探検隊の思考方式を改め、行動様式を吟味し、戦略戦術・戦法・作風など探検隊の存在仕方すべてを根底から立て直さなくてはならない、と痛切に思うのだった。
 しかし、老人二人は間もなくしてふたたび彼らの行動の不用意さに気づかされた。丘陵に沿う野道は麓の疎林をしだいに離れ、傾斜を登りながら鬱蒼とした灌木の森へはいっていく。追っ手の幻想から醒めたときバス道路に戻るのを怠ったのが、迂闊だった。歩きつづけるほどに灌木の森は濃く深まり、道は処処、けもの道の険しさ。イエロー軍基地が造られる前まではN半島の猟師が熊や鹿、野兎、雉、狐狸を追って分け入ったのではないか、そんな森の深みへ迷い込んでしまったのだ。
 一時間ほども迷いに迷い、けもの道を抜けて、ようやく平坦な野道に出、木木の疎らな丘の台地に辿りついた。そこで休息を取ったとき、Cゴールドが「森んなかに迷い込んでよかったぜ。おかげで探検隊の基地を発見できた。イエロー軍基地をテロるとき、あの森はベースキャンプを張るのにもってこいの場所だぜ」などと負け惜しみを言った。皆は取り合わなかったが、意外にも唯一人、レナト神父が二、三度それに頷いてみせた。ごく遠慮深い所作だったのでそれに気づく者はいなかったが。否、少女オードリーだけが気づいていた。
 道は丘の中腹を緩やかな蛇行を描いて、なおも先につづいていた。探検隊がいっこうに腰を上げようとしないのは、その距離と疲労にうんざりとしたせいばかりではなかった。激しい空腹が六人をおそい、体力をうばっていた。そして、食糧も携帯せずにイエロー軍基地に向かった迂闊さを再度、自己嫌悪とともに悔いたのだった。
 それでも老若男女六人は空腹を耐え、襤褸布のように疲れきった肉体を鼓舞し、気力を励まして、なおも五キロほどの道のりを歩いたのだった。丘の高みから数珠の町が見えたとき、彼らは喜びの声を上げる元気さえなかった。
 探検隊六人はようやくの思いで数珠の町に辿り着くと、遭難者の一行が救いを求める態で、民宿「若草物語」になだれこんだ。
「おーや、どうしたっちゃ」
「大変な有様だがね」
 宿の夫妻が顔色を変えて驚いた。イエロー軍基地で何かとんでもない災難に遭ったと勘違いしたのに違いない。妻のほうが裸足のまま三和土に降りて、外の様子を左見右見(とみこうみ)してから玄関のドアーを閉めた。
 六人は階段を這いのぼり、二階の部屋に倒れこんだ。それでも畳の上で二時間ほど休み、宿の夫妻が急ぎ用意してくれた食事を摂り、風呂も使うと、六人の肉体には少し精気が蘇ってきた。食事の際にかなり飲んだ酒の力もあずかった。
「あれ思い出したら、笑っちゃうぜ。銅像みたいに動かねえんだもんな」
「あの門番、おれたちと同じくらいの歳だった。よくやるよ」
「ありゃ最高の芸だな。劇団やんばる小僧にスカウトしたいくらいだ」
 ふらわー・さんとCゴールドが笑い転げる。オードリーに水を向けたのはジョルジュだった。
「おまえの唾(つばき)の鉄砲、あれも絶妙だった。あんなでっかい唾をどうして作れるもんか、しかも見事、命中」
「ただ惜しむらくは相手を間違えた」ふらわー・さんが引き取った、「あの銅像に吐きかけてやったらよかった、さぞ見物(みもの)だったろうさ」
「まず無駄だろうな、目瞬き一つするはずないさ」
 Cゴールドをオードリーが睨んだ。あたしが撃ち込む唾の威力を舐めるんじゃない、とでも言いたげに。
 ひとしきり笑い転げたあとで、ふらわー・さんが表情を変えた。
「あれがもう一度見られないとは残念だな」
「それ、どういうことだよ」
「だって、おれたち明日は帰るんだろ」
「あほか、おまえ。おれたちN半島まで遠足に来たのかよ。このまま退散するって法はないだろが。イエロー軍と一戦、交えるんだろ」
 老人二人は若者たちの話しを黙って聞いていた。アルコールの酔いに染まった顔を柔和に綻ばせて、何か愉快なことでも思いめぐらしているふうだ。ひょっとしたら昨日の深夜、オードリーが与えてくれた秘め事の再来を想像しているのかもしれない。否、老人二人はそれを確信しているにちがいない。
「オードリーの唾の弾丸は、非暴力の抵抗ですな」
 レナト神父が唐突に言って、ソットン氏がなぜか神父を睨みすえた。


 さすがの爺さんもだいぶ弱ってきたようだ。まだ三日目というのに口ほどでもない。それとも昨日のお灸がちょっと効きすぎたかな。
 何を小癪な。わしは不死身だ。
 それにしては監置室からここまで来る廊下で何度もよろめいてた。われわれの助けを借りてようやく辿りついたくせに。ほら、いまも爺さんの目には雲がかかってるじゃないか。
 わしはちょっと瞑想に耽っていたところだ。
 ほー? 何の瞑想かね。
 ばかな。重大な秘密を誰が明かすものか。何度でも拷問にかけるがよい。
 意地を張るのも結構だが、爺さんに倒れられて困るのはわれわれのほうだからな。きょうの取調べは休んでもいい。
 何を無礼な! わしは無辺の闇にいて、光と一つになった。自在の力を与えられて無限なるものに変身した。死もなく生もなく、有もなく無もなく、実もなく虚もなく、在って無いものに変身したわしに、同情など無用にするがいい。
 おやおや、また悪い夢でも見たらしい。人間、歳を取ると幼児にもどるというが、どうやら知恵熱でも出てるらしい。
 ふーむ。
 だけどね、爺さん。あんたは大層、高尚な御託を並べるが、われわれの目には変身も何も見えんよ。よぼよぼの老人が一人、そこに座ってる。
 俗にいる者に、わしのほんとうの姿は見えん。
 なるほど、分かった。じゃあ、遠慮なく取り調べさせてもらうことにする。爺さんよ、あんたはどうやら仲間から見棄てられたらしい。
 ・・・・・・・・・・・・。
 ほー、黙ってるところをみると、どうやらこの一言は胸にぐさりと刺さったらしいな。
 何をたわけたことを。わしが応えないのは、おまえが不埒にも爺い呼ばわりするからだ。
 なるほどそうだった、あんたは爺さんではなく阿九む光だった。そこで阿九むさん、あんたに知らせときたいことがあるんだが、例の五人組はもうMサカにはおらんよ。もっとも、どういうわけか小娘が一人、加わって、また六人組に戻っているらしい。あんたの抜けた穴を小娘が埋めたらしい。つまり、あんたはお払い箱になったわけだ。
 ふーむ。
 ところが、六人組はたちまち姿を消してしまった。Mサカには戻っていない。北へ向かった形跡がある。どこへ向かったかは定かではないが、ここからどんどん離れているのは確か。すなわち、六人組にあんたを救い出そうとする意思はない。
 わしに仲間などいない。無所有と孤独こそ、わしの友だ。ふーむ。
 阿九むさんよ、もしかするとあんたの妻君が六人組の行方を知ってるかもしれん。六人組と会ったらしい形跡があるからな。
 ・・・・・・・・・・・・。
 六人組の二人が下手な偵察に行ったとき、ホーム「五条の里」で妻君と鉢合わせしとる。いずれ妻君がここを訪ねて来ることになってるから、そうすればすべて明らかになるはず。
 何をくだくだと枝葉末節を。彼らの行き先など、わしにはとっくに知れておる。
 ほー、それはそれは。まさか秘密のレポがここに届いたというわけでもあるまい。夢の中ででも会ったのかね。で、一体、六人組はどこへ消えたのかね。行方をぜひ教えてほしいものだ。
 おまえたちには見えるはずもないが、わしはいま旅の途上だ。
 いやいや、阿九むさん、あんたがいま六人組のあとを追って旅をしている姿が、われわれにもよーく見えますとも。それで、あんたの旅が向かう先、それはどこかね。
 言うに及ばず、大統領ブッのもとへ。
 大統領ブッ?
 ふーむ。
 中谷君、ブッといえば随分の昔、ホワイト合衆国にそんな名の親子大統領がいなかったかね? そうだろ、たしかにいた。それにしても爺さんまた、とんでもないことを言い出したぞ。
 わしは先を急いでおる。おまえたち雑魚には用がない。めざすはホワイト帝国。一刻を争う旅だ。大統領ブッの目の黒いうちに行き着かねばならない。
 大統領ブッとかに何の用事かね? 爺さん。
 ・・・・・・・・・・・・。
 いや、阿九むさん。ホワイト帝国へなんだってそんなに急ぐのかね。
 言わずと知れたこと。復讐の旅だ。
 ほー、復讐の旅? 何の復讐かね。
 それを聞くな、大統領ブッ。いまこそ十五年前の借りを、おまえに返す時だ。見よ、わしのうちにもりもりと湧き上がる力を。自在の力を。すべてがわしのなかで闇と光の一つに合体したおかげだ。大統領ブッよ、そこで待つのだ。必ずやおまえを倒してみせる。十五年前は不覚を取ったが、いまこそおまえを倒す時だ。
 おい、中谷。爺さん、可怪しいぞ。目が狂っとる。体が震えだした。
 見よ、わしのうちに漲る力を。行くぞ、ホワイト帝国、大統領ブッよ。われは知る、テロリストのかなしき心を――おこなひをもて語らんとする心を、奪はれたる言葉のかはりに、われとわがからだを敵に擲(な)げつくる心を――しかして、そは真面目にして熱心なる人の常に有(も)つかなしみなり。
 おいおい、爺さん立ち上がったぞ。あー、いかん。ひっくりかえった。中谷、起こしてやれ。否、医療班を呼ぶか。
 ふーむ。妖怪め・・・・・・逃がすものか・・・・・・。
 待て、何か言っとる。否、そうじゃない。やっぱり狂っとる。芝居ではなさそうだ。正真正銘、呆けたのかもしれん。これは厄介なことになったぞ。
 ううう、うーむ・・・・・・。
 こりゃ、ホームに送還してしまうのが賢明かもしれんな。
 ううう、うーむ・・・・・・。
 見ろよ、口から泡を吹いとる。
 とにかく、医療班を呼びましょう。
 否、われわれで搬ぼう。


 民宿「若草物語」で二晩目の夜を明かした翌日の午後、若者たちの部屋では少女オードリーをふくむ四人が、とりとめのない話を旺盛に喋り合っていた。老人二人は壁一枚へだてた隣室で静かに物思いに耽っていた。
 昨日、イエロー軍基地への探検から疲労困憊して帰った老若男女六人は、泥のように深い眠りを貪って朝、十時すぎにようやく目を醒ました。もっとも老人二人はそれより早く目覚めていたが、深夜、夢うつつのなかで少女オードリーが精気を注ぎ入れてくれた快い記憶の余韻にひたりつつ、その一滴をも逃がすまいとして床を離れなかったのである。
 そうして朝昼兼用の食事を済ましたあとの満ち足りた時を、老若それぞれの仕方で愉しんでいるのだった。
「うちの祖父(じい)さんが鉄骨の五階から落ちて死んだときよ、親父が言ってたもんだぜ。世の中ってのは一寸先が闇だって。ほんと、人間の人生なんてわからねえもんだよな」
 ふらわー・さんが話している。その声は老人たちの部屋にもよく聞こえた。
「ふらわー・さんがまた訳のわからんこと言いだしたぜ」
 半分茶化しているのはCゴールドだ。ちょっと真面目に問う声がつづいて、それはジョルジュ。
「へーえ、ふらわー・さんの祖父さんは鉄骨の五階から落ちて死んだのか。なんだってまたそういうことに」
「話は至極、簡単さ。祖父さんは五十年も年季のはいった鳶の職人だった。もっとも、おれが物心ついた頃は若い衆を十人ほどかかえる組の親方で、現場の仕事にはほとんどついてなかったけどもよ。死んだ日、たまたま組み立て中の鉄骨に登ったらしい。だけど祖父さんは足を踏み外すなんてへまはやってねえ。たしか六十七だったけど、プロのとび職がそんなドジ踏むはずがない。脳卒中とかで倒れて、落ちたらしい。その日、祖父さんがなぜ鉄骨に登ったのかが、謎だ。そんな必要はなかった、出来心みたいなものかもしれん。もし鉄骨の五階に登ってなかったら、脳卒中とかも起こさなかったかもしれん。だとしたら、出来心で死んだんだから、笑っちゃうぜ。それを、一寸先は闇、と言うらしい。だけど、おれ思うんだ、祖父さん、死期を予知して、プロの鳶の、最後の仕事やるつもりだったんじゃないか、と」
 誰も茶茶を入れるどころか、妙に静まり返っている。ふらわー・さんがつづける。
「棺桶の中で祖父さん、帽子みたいに白い布を被せられてた。頭、割れたの隠してたんだ。あんとき、親父を最初に刺す少し前だったから、おれ六年生になってたけど、親戚なんかもいっぱいおるまえで滅茶滅茶、泣いたぜ。泣きじゃくってたときの気分、いまもまるごと憶えとる。おれ、祖父さんのこと無茶苦茶、好きだったんだ。中学卒業したら鳶の弟子入りして、祖父さんの跡目継ぐのが夢だった」
「だけど、親父はネクタイ締めて会社員やってたんだろ」
「そこが親父のアホなとこ。職人嫌って高校出て、二十年も勤め人やっとるのに毎朝、鏡の前でネクタイ締めながら辛そうにてめえの顔、見てたんだ」
「孝行者のおまえは、辛そうな親父、助けてやろうとおもって、中二のとき二度目に刺して少年院にはいったんだ」
「そうさ。死んだら人間、楽になるだろ」
「そのおまえが、いまになって大検受けて学生やろうってのは、ちょっと話が矛盾してんじゃないのか」
「そこがおまえらの浅薄なところ。大学行ったからってネクタイ締めるとは限らんだろ。最初に言っただろ、世の中、一寸先は闇だって。人の心は変わるんだよ。人生ってのはわからんものなんだ」
「ふらわー・さんはそれを言いたかったわけ? 弁解っぽいな」
「だからCゴールドは軽いって言うの。おれが言いたいのは、人生の深遠な問題。いま現在のおれたちのことさ」
「おれたちのどこが深遠なんだよ」
「Hロシマを発つとき、こういうことになるなんて想像したか? イエロー軍と一戦、交えようってN半島まで来るとは想像も出来なかっただろ。たった二十日の間にウルトラEの回転技してんだぜ。それが人生の深遠でなくてなんだよ」
「深遠かどうかしらねえけど、たしかに不思議だよな。たったの二十日足らずのあいだに全然、見知らない人生に迷い込んじゃったみたいだもん。だけど、おれはリターンマッチ諦めてないからな」
「リターンマッチって?」
 聞き返したのはジョルジュの声だ。
「チャンピオンの夢に決まっとるだろ。おれは身体の極限をめざす」
「そうだ。Cゴールドの夢が一番でっかいし、実現の可能性も大きい。おまえの体はボクシングするために生まれてきたようなもんだ。絶対、諦めたらあかん」
「ウェノムのやつら連続KOで薙ぎ倒して、おれの構想では二年以内に全イエローのチャンピオンになる。もちろんその上、東洋太平洋を乗り越えて、世界をめざす。なんてったって、イエローのボクシング界なんて、おれたちウサギ半島の子孫とウチナーの出身者で持ってるようなものだからな」
「期待してるよ」
「そういうジョルジュはどうなんだ。劇団やんばる小僧でリターンマッチするのとちがうのか」
 ジョルジュに水を向けたのは、ふらわー・さんだ。
「もちろん! ふらわー・さんみたいに机に向かって書物をひもときたがってる人種にはわからんだろうが、芝居に嵌まったら誰だって抜けられん。とくにテント芝居ときたら、物の怪に取り憑かれたようなもんだ。都会の公演は、あかん。やっぱり冬、北をめざす旅が最高。山間の村や漁港のある海辺の小さな町でテント張って公演するだろ、すると村の爺っちゃん婆っちゃんや、漁師の若者(もん)や主婦(かみ)さん、それに餓鬼までが見物に来て滅茶、盛り上がるんだ。やんばる小僧の芝居はテレビのせこいドラマとは違うからな。ボディアクション、そう、目一杯の身体表現。小むずかしいセリフ言ったり歌ったりするけど、そんなの客にわからなくてもいい。客席、駆け廻ったり、鉄骨組みの天井に登ったり、時にはテントの外へ飛び出したり、蝋燭の火、銜えたり、松明かかげて闇のなか駆けったり。ほんとうの闇は、劇場にはないんだ、消防がうるせえから。とにかく身体表現で役者も燃焼するし、客も昂揚して、拍手喝采よ。役者のなかには三時間の芝居のあいだ、ぶっ通しで天井の梁に仰向けにしがみついてるだけのやつもいる、守宮(やもり)みてえに身じろぎひとつしないで。観客は最後まで全然、気づかないんだ。あれって、凄い芸とおもわないか」
「クロッチ(そうだ)! 言葉なんて屁みたいなもの。やっぱり体がものを言うんだ」
「芝居が引けて、打ち上げがまた最高。土地の人たちが土地の旨いものや地酒を山ほど差し入れてくれてよ、一緒に飲めや歌えや夜を明かすんだ。土地の人たちの法螺ばなしがまた滅法、面白い。おれたちの公演はノーギャラみたいなもんだけど、食いっぱぐれはない」
「羨ましいみたいなもんだな」
 ふらわー・さんが合いの手を入れる。
「そんなふうにして北へ、北へ、のぼって行く。すると段段、雪が深くなる。イエロー列島は長い。おまえらが地図で想像してるより、ずっと遠い。飛行機とか新幹線とか、ばかなもんで行くのじゃない、トラックを走らせるんだからな。海峡、渡るとアイヌモシリ。そこがまた途轍もなく広い。あちらこちらテント芝居打ちながら行く。ずっと離れたところしか鉄道の走っていない、むかし開拓部落だったみたいな小さな部落を選んで興行、打つ。そうしていよいよ最後の目的地が、にーぶー谷だ。アイヌの人たちも共演してくれる。雪と炎と大地の祭りだ。森、河、動物、魚、鳥、すべてのカムイと生命への感謝と祈りだ。アイヌの言葉で鮭のこと何んていうか、おまえら知らんだろ。カムイチェップ、神の魚って言うんだ。テントのまわりには篝火がいくつも燃えて、雪明りを赤赤と染める。闇は闇のままさ。闇が赤く燃えるんだ。降りつもる雪も赤い、暗黒の空も太陽が砕け散ったように赤い、世界が燃えてるんだ。舞台の主役も勿論、炎。その炎のなかで、半裸のおれたちが山猫みたいに演じるんだ」
「なんだか作り話みたいだな」
「まるで幻みたいな話だ」
「そうさ。やんばる小僧は、想像の森を飛び跳ねて、現実を越えるんだ」
 若者三人はまるで肢体を弾ませるように話に興じていて、老人二人の部屋にそれは手に取るように聞こえていて、ソットン氏とレナト神父は複雑な思いで耳を傾けていた。わが身の老いをふりかえって、夢を追う若者たちの生気が眩しく感じられる。その一方で、自分たちはその夢を妨げているのではないかと思うのだった。
 隣室の声がいったん途切れてすぐ、老人たちはいっそう耳をそば立てた。ふらわー・さんが少女オードリーにむかって、おまえもニヤニヤしてばかりいないで夢を話してみろよ、と促すのが聞こえたからだ。
「あたしに夢なんかない」
 オードリーは突慳貪に応えるが、顔にはニヤニヤと笑みを浮かべているのにちがいない。
「そういうものじゃねえよ。おまえの歳で夢も希望もなくてどうすんだよ」
 兄貴気取りで言ってるのは、ふらわー・さん。
 しばらく沈黙のあと、ジョルジュとCゴールドにもせつかれて、オードリーが応えた。
「あたしの夢は、世界じゅうの好きな男を幸せにしてあげて、世界じゅうの嫌な男のあれをへし折ってやること。もちろん身体表現でするんだから、Cゴールドやジョルジュさんといっしょ」
「凄えこと言うぜ。一体、何のためにそんなことするんだよ」
 ふらわー・さんが突っかかる。
「世界平和のために決まってる」
 オードリーがちょっと気取ってるふうにも、恥かしげにもとれる口ぶりで応じると、めずらしく喋りだした。それは意外にも彼女の身世ばなしだった。支(つか)えたり道草を食ったり黙りこくったり、時間をかけて語る話を要約すると、およそ次のようなものだった。
 オードリーがHロシマの瀬戸内の島にある養護施設に入れられたのは、五歳の時だった。入所するとき彼女を連れていったのは、老夫婦だったみたいな気もするし、学校の先生みたいな女の人だったような気もするが、はっきりとは憶えていない。その日、陽射しが明るいのに雪がちらついて、それが海の沖で綿毛みたいに散っているのを眺めながら、きれいな船室で震えていたような気もする。すべてが現実の経験なのか、幼い日に見た夢の記憶なのか、よくわからない。
 十年近くを施設で過ごしたのだが、その間にはいろんなことがあった。いろんなことが起こるたび、小さな心と体を励まして、出来事がいっぱいに溜まるまえにせっせと忘れてしまうことに努めてきた(「幸せなことに、あたし頭、悪いから巧く忘れられた」とオードリーは言った)。それでも、どうしても忘れられないことが幾つかある。
 島の小学校に通うようになって三、四年生の頃だったか、一人のとても派手な服装をした美しい女の人が彼女を訪ねてきた。幾つもの派手な紙袋を提げていて、あまりに沢山の土産物なので、施設の仲間に手当たり次第、配ってあげたほどだ。それは数えきれないほどだったので何と何だったか憶えていないけれど、学用品とか本とかはなかった。なぜか化粧道具とバタフライナイフが土産に混じっていたのを憶えている。
 美しい人は一時間ほど施設にいたきりで、次の船便に乗って早早と帰ってしまった。どういう人がこんなに沢山の土産物を携えて会いに来たのか。あの人は誰なの? オードリーが訊ねると、施設の先生が、あの人はあんたの父さんよ、と答えた。オードリーは少し混乱したが、驚きもしなかった。女の人なのに父さんというのは変な話、と思ったが、それきり訊ねかえすのはやめた。不審な思いといっしょにあの人のことは忘れてしまおう、と思ったからだ。「父さん」はその後、施設に現われることはなかった。あんときどんな言葉を交したかも全然、思い出せない。
 「父さん」から送られた化粧道具は、すぐ学校の先生に取り上げられてしまった。「父さん」みたいに美しい人になろうと顔を塗りたくって、そのまま学校へ行ったからだ。だけど、バタフライナイフは無事だった。これは身を守るために「父さん」が呉れたものだと思い、肌身離さず隠し持っていたからだ。施設の仲間や小学校で一緒になる島の子どもを相手にそれを使う機会はなかったが、中学二年生の時、施設の若い先生をそれで刺した。運動具などを入れる倉庫に引き擦り込まれて下着を脱がされそうになったとき、馬乗りされた下から相手の右腕を刺した。かなりの出血があって、若い先生は医務室へ走った。若い先生は事のいきさつを白状しなかったが、施設長は感づいたらしく、オードリーに事実を語らせようとした。しかし彼女は若い先生を庇う証言しかしなかった。
 中学校を卒業すると、オードリーはHロシマにある美容室に就職した。見習いの住み込みで下働きをしながら美容専門学校に通える約束だった。約束は守られたが、半年もせずに彼女は美容室を辞めてしまった。下働きが面白くないとかの特別の理由があったわけではない。オーナーや先輩が施設出身の彼女をとても温かく扱うのが気に入らなかった。
 美容室を辞めてからはお定まりのコースでパチンコ店、喫茶店、ファッションマッサージなどを転転とし、一年ほど過ごした。その間、何人もの男と付き合うことができた。なぜか彼女は親しく生活を共にする男に恵まれていたらしい。そんななかでオードリーは好きな男を幸せにし、嫌な男を傷つける技を覚えていった。事実、嫌悪のあまり男を一人、刺したこともある。
 Hロシマの寄せ場にオードリーというオカマがいるという噂を聞いて、二か月ほど前、少女オードリーは訪ねた。三日ほど寄せ場でブラブラしていたが、なぜかオカマのオードリーには出会わなかった。それで少女オードリーが落胆するということもなかった。オカマのオードリーを「父さん」と信じていたわけではない。例えそうだったとしても再会したらどうするという気持はなかった。そもそも「父さん」に会いたいと思ったのかどうか、彼女自身にも怪しかった。
 ただ少女オードリーは寄せ場を気に入った(「あたしは、一つところに住み着かないで流れているような人になりたいの。だから、そういう人たちの暮らしている場所がとても気持いい」と、オードリーは言った)。それで、東のほうへ行けばもっと大きくて活気のある寄せ場があると教えられ、まずNゴヤの寄せ場に流れ着いたのだという。一か月ほど前にそこで出会ったのが、あの年齢不詳のマルクスひげの男だった。そして、マルクスひげに従って路上生活の見習いをしているうちに「正義と夢の探検隊」に出会ったというわけである。

 少女オードリーは、若者三人が時時、挟む質問に応じ、感嘆の声を無視し、茶茶をかわし、一時間近くをかけて以上のような話をしたのだった。話は勿論、行きつ戻りつしたのだが、順序よく並べるとそんな物語になる。
 オードリーが話し終えると、若者三人はしばらく押し黙っていた。そこそこきつい身世ばなしをニヤニヤ笑みを絶やさず語り通した彼女に感心した。十四歳のとき人を刺したという自分たちとの共通点に驚いた。しかし、何よりも若者たちの度肝を抜いたのは、彼らに仕掛け時計入りのアタッシュケースを託したオカマのオードリーが、少女オードリーの父親らしいという事実だった。若者たちは目顔で驚きを交し合った。
「ところで、オードリーはいまも護身用のバタナイフとかいうのを持っとるのかね」
 唐突にソットン氏の声がした。若者たちとオードリーはびっくりして声のほうを見た。
 オードリーの話が始まると間もなく、ソットン氏とレナト神父は隣室から移ってきて耳を傾けていたのである。老人二人が部屋の隅であまりにも遠慮深くしていたので誰も気づかなかったのである。
 オードリーは笑みを浮かべたまま黙っている。代わって口を開いたのはCゴールドだった。
「オードリーの話を聞いて、おれは確信したぜ」
「そう、こいつは正真正銘、おれたちの仲間だ」
「間違いなし、探検隊の一員だぜ」
 ジョルジュとふらわー・さんが口口に引き取る。それで若者三人は檻から放された豹のように、笑顔のオードリーを囲んで奔放に言葉を投げつけあう。
 老人二人は若者たちがはしゃぐ様子をしばらく眺めていたが、レナト神父が声をかけた。
「きみたちはやはり、Hロシマへ帰るのがよいでしょう」
 若者たちにはレナト神父の言葉の意味がうまく飲み込めない。怪訝そうにしている。ソットン氏があらためて言う。
「隣の部屋にいるときから話を一部始終、聞かせてもらった。三人の夢がそれぞれガセネタでないことが、よーく解った。Hロシマへ帰って昔の夢を実現させるのが、まっとうな道だ」
 ソットン氏の言葉を聞くなり、ふらわー・さんが食ってかかった。
「また、四日前の蒸し返しかよ。探検隊はどこまでも一心同体。友情を確かめ合ったばかりじゃないすか」
「そうですよ、アヂョッシ(おじさん)。水臭いこと言わんでください」
「オードリーはどうなるんです?」
 Cゴールドとジョルジュがふらわー・さんに加勢し、ぎらついた視線を老人二人に向けた。
「きみたちの友情には感謝する」レナト神父が言う、「けれど、ここは、先も短かい年寄り二人の、最後の戦いに任せなさい。オードリーは大丈夫、私たちがしっかりとガードする。もしかすると、この子は天使かもしれない。否、不死鳥の化身かもしれない」
 若者たちがいっせいに胡散臭そうな視線を老人二人に向けた。ええ? オードリーだけは引き止めるというの? 変だぜ。ここ二日、爺さんたち変だぜ。くたくたに疲れてたのに、一夜明けるたび生気溌剌、脂ぎってるよ。夜中に何かあんじゃないの・・・・・・。
 若者三人の目が疑惑にぎらつく。それでも、ジョルジュが辛うじて言葉を外らせる。
「最後の戦い、ですか?」
「そうだ。長い歳月を隔てて、わしらが心に誓いつづけてきた、最後の一戦だ」
 そう応えるソットン氏の目は、どこか遠い世界を眺めるふうだった。
「きみたちは知らんだろうが、そう、まだ五、六歳の子どもだっただろう。世界で最も貧しいモスクと山岳と砂漠の国のモスリム軍団が、ホワイト帝国に反旗を翻したことがある。ホワイト国内線の民間機を乗っ取って、世界の経済と軍事を支配する巨大ビルとペンタゴンに突っ込んだ、そう、自爆テロルだ。正義は勿論、コーランの国にあった。ムスリム軍団がホワイト帝国を罰したのだ。いまもそうだが、当時からホワイト帝国は我がもの顔に世界を制覇していた。コーランの民衆を貧困に陥れる元凶はまさにホワイト帝国だった。コーランの歴史や文化までも抹殺しようとしていた。核とミサイルと大量破壊兵器を一人占めして、弱小の国がそれを持つことを禁じた。そんな持てる帝国の理不尽な支配に持たざる国が抵抗しようとすれば、テロルのほかに方法はないではないかね」
 ソットン氏が言うと、レナト神父が二度、強く頷いた。
「あの時、イエロー国政府は真っ先にホワイト帝国の尻馬に乗って、インダス海へ戦艦を派遣した。ホワイト帝国とともにコーランの大地を砕き、町を破壊し、流浪の民を作り、そして無辜の人びとの命を奪った。そうして持たざる国とその民衆の敵となった。つまりイエロー国とその軍隊は、わしら持たざる者すべての敵となったのだ」
 ソットン氏が鷲に仮装した面貌を鋭くするのに、レナト神父が和した。
「ソットン氏の説には、わたしも全面的に賛成です。だからして、わたしの考えを縷縷、述べることはしないが、最後の一戦とは、正義の戦いです。正義は貧しき者、持たざる者にこそ在る、と知るべきです。たとえテロルであれ、暗殺であれ、非暴力のレジスタンスであれ、敵が持てる者、抑圧する者、支配する者である限りにおいては、等しく正邪の別なく正当なのです。貧しき者、持たざる者には決して攻撃を行なわないという約束が果たされる限りにおいて、すべてが許されています。否、そればかりか、あらゆる手段を講じて持てる者からの解放を求めないことこそ、持たざる者の罪悪なのです」
 レナト神父の巨大な二段構えの鼻梁が徐徐に立ち上がってくる。しかし、話を聞くうち、若者たちは苛立ちはじめた。レナト神父の勿体ぶった説教調が、どうにも肌に合わないのだ。
 堪りかねたふらわー・さんが神父の話を遮った。
「ホワイト帝国がコーラン国を滅茶滅茶、侵略したなんて、始めて知ったぜ」
「おれはこの前、ハルベから聞いてた」
 Cゴールドが少し鼻を高くした。
「どっちにしても、おれたちはソットンさんや神父の話を聞いてしまった以上、探検隊から離脱するわけにはいかねえよ。そんなことしたら、おれたち持たざる者の罪悪だよ」
 ジョルジュの言葉にふらわー・さんとCゴールドが声を挙げて同意した。それにつられてオードリーが拍手をしようとして、すぐ華奢な手を引っ込めた。
 それから若者三人は、コーラン民衆の復讐をイエロー軍に仕掛けるとして、どんな方法があるかを興奮して喋り合った。
「おれはやっぱり爆弾しかないと思うぜ」
「そうだよ、せめて基地ゲートと警備室くらいは破壊できるんじゃないの? 基地内に潜入できれば、ターゲットは勿論、指令本部。まずイエロー軍基地の見取り図、作らなきゃなんねえな」
「爆弾って、どうやって造るの?」
 若者たちのやりとりを、老人二人は仏頂面をして聞いていた。若いものの軽薄がまた始まった・・・・・・。内心、苦苦しくそんなふうに呟いているかに見えた。ところが、そうではなかった。
「爆弾の造り方なら、わしがよく知っている」
 ソットン氏が事もなげに言ったのだ。
 若者三人は名状しがたい表情を浮かべて、ソットン氏の鷲の顔を眺めた。
「阿九光さんが一緒なら大層、力強いのだが」レナト神父が物思わしげに言葉を挟んだ、「今頃、どこでどうしているものやら、残念でなりません」
 若者三人とソットン氏は、虚を衝かれたように項垂れた。吹き抜ける風がピタリと止んだような沈黙が部屋をつつんだ。
 沈黙を破ったのは、意外にも少女オードリーだった。
「あたし、夢を見たの」
 老若五人の顔が怪訝そうにオードリーに向けられ、次の瞬間、十個の目が、何の夢か、と問いかけていた。
「リュックを背負ったお爺さんが一人、岩の上に腰を下ろして海を見てたの。お爺さん、何してるの? そう訊くと、やっぱり海を見てるんだと言うの。旅をしながら海を見てるんだって。どうして旅なんかしてるのって訊くと、仲間を探してるんだって。もうすぐ会える、お前も連れてってやろうかと誘うの。それが変な夢なの、現われたのはおじいさんだけで、あたしは登場しないの。あたしはどこで何をしてるのか、声だけがはっきりとお爺さんに訊ねてたの」
 オードリーは話しながら、自分の見た夢が愉しくて仕方ないという様子だ。老若五人が、それから先は? と、目顔で促す。
「夢はそれきり」
 オードリーがそう応えたとき、老若五人は何かを感じ、それ以上、聞く必要はないと思った。
「阿九むさんとかいうお爺さんが、こちらに向かって旅してるのかもしれないね」
 オードリーが可笑しそうにクックッと笑う。
 午後のかかりから始まった「正義と夢の探検隊」の語り合いは、随分と時間を費やした。六人が逗留する民宿「若草物語」の階下から、夕餉の匂いが昇ってきた。


 阿九む光は、深夜の首都議事堂大門前で拘束されてから十日ぶりに、妻ねんこさんに伴われてホーム五条の里に帰ってきた。ホームを失踪した日から数えると、二十一日ぶりだった。
 阿九む光がイエロー国議事堂の拘置室に監置されていたのは九日間、その間に四日ほど取調べを受けたのだが、監置最後の三日間は取調室に呼び出されることもなかった。取調べがまったく不可能な状態だったからである。取調べがつづいたあいだは、自分の脚で歩けないほどに疲れきって拘置室にもどっても、一夜空けると体調は回復した。しかし、精神の朦朧は日に日に酷くなるふうに見えた。議事堂公安室ではやむなく医師の鑑定を仰ぎ、「強度の譫妄症状による不問責」との判断を決めた。
 時を同じくして、妻ねんこさんがようやく議事堂公安室を訪ねた。ねんこさんが身柄引受人として強く阿九む光の釈放を求めたのは言うまでもないが、議事堂側としても渡りに舟だった。そうして阿九む光は処分保留のまま監置を解かれ、特別誂えの乗用車でホーム五条の里へ送還されたのである。
 その日の夕方、阿九む光と妻ねんこさんを乗せた黒塗りの大きな乗用車が五条の里に着いたとき、玄関には施設長はじめ職員数名が出迎えていた。到着予定時刻が同行の警務担当者の携帯電話から数回にわたって連絡されていたので、今か今かと待ちかまえていたのである。勿論、阿九む光に敬意や歓迎の意を表するためではない。老人三人の失踪という不祥事を惹き起こしたうえ、事後の処理にも随分と不手際が重なったので、そのように取り繕わなくてはならなかった。取り繕う相手は議事堂警務官であり、それ以上に阿九む光の妻ねんこさんだった。老人が行方知れずの間、ねんこさんは時にホームの施設長を告発しかねない剣幕で抗議をした。それは日頃、夫にたいして冷酷なほど淡白な態度を持する彼女としては意外なことであった。それにしては、彼女が監置中の夫を訪ねたのが所在を知らされてから三日後だったというのも、辻褄の合わない話である。ねんこさんらしいとも言えるのだが。
 黒く大きな乗用車が、ホーム五条の里の公園のような前庭をはいってくると、玄関前に待機していた職員たちは階段をバタバタと駆け降りた。楡さんなどはスロープのほうを滑るように走り降りた。まず助手席から私服姿の警務官が降りて、施設長が上半身を九十度に折りながらそれを迎え、次いで後部座席から妻のねんこさんに手を引かれた阿九む老が現われると、職員たちが二人を囲むようにした。
 阿九む老の足どりは意外としっかりしていた。右手は心地よさそうにねんこさんのそれに委ねたままだが、反対側から支えようとする新宮さんの手を二度までも邪険に払いのけたほどだ。
 あれは誰だろう? ひげ面の面相はずいぶん変わっているが阿九むさんじゃないのかね。そういえばお仲間の二人といなくなって、退所したと聞いていたが、また舞い戻ってきたのかね。それにしても大層な出迎えぶりだ、まるでVIPみたいじゃないかね・・・・・・。そんな面差しで入所者たちが眺めるなかを一行はロビーを通り抜けて、事務室に隣接する応接室にはいった。そのときになって初めて職員皆は、阿九む光の変貌ぶりと着衣が放つ異臭に気づいたのだった。
 議事堂警務官は、事の経緯を不得要領なほど簡単に説明し、身柄引渡しを証明する書面に施設長の署名捺印をさせ、ホーム側にはあらためて警察機関から事情聴取があるだろうと告げて、早早に帰っていった。警務官が去ると、施設長(及び職員新宮さん)の態度は一変した。早速、阿九む光の今後の処遇について苦苦しい様子で相談を始めた。妻ねんこさんが同席しているので露骨に憤怒を表わすこともならず、施設長らをいっそう苛立たせたふうだ。
 阿九む光はとりあえず失踪前の彼の部屋に戻ることに決まった。勿論、すんなりと決まったわけではない。施設長はじめホーム側は、三階の隔離室へ移すことを強硬に主張した。理由は言うまでもなく、阿九む光の精神虚妄状態にある。「強度の譫妄症状による不問責」という議事堂公安室の決定が、何よりそれを証拠立てている。もし一般室に入れて再度、不祥事が起きたなら、今度こそ管理責任は免れず、ホーム五条の里の命運にもかかわりかねない。ホーム側の言い分は筋が通り、尤もなものだった。
 しかし、妻ねんこさんには筋など通ろうと通るまいと、どうでもよいことであった。ホーム側は狭い、狡い、ひたすら保身しか考えていない、そう思うのである。それ以上に彼女は、夫が虚妄状態とか譫妄症状とか呆け老人扱いされることが納得できなかった。彼女が見るところ、そのような兆候はどこにもないと思えた。事実、議事堂の監置所で顔を合わせたとき阿九む光は直ちに彼女を認めて「ご苦労さん」と声を掛け、とてもしっかりとした言葉で感謝の意を表わした。そしてMサカを出発してホーム五条の里に到着するまでの二時間余の車中でも終始、寡黙であったとはいえ、たまに口をひらけばねんこさんの暮らしの安否や息子の消息を訊ね、むしろ失踪前より健全な人になったようである。そもそも夫は若い頃より言行において異形の似合う人であった。ある意味では虚妄と奇行が夫には通常の人生だったのよ。だから凡庸とか世間並みとかのほうが、夫にはむしろ異常なのよ、というのが彼女の認識だった。
 というわけで、ねんこさんの強硬な主張がホーム側を押し切り、阿九む光は古巣の一般室へ戻ったのである。
 懐かしい部屋に落ち着くと、阿九む光は入浴をして老いた身体を頭髪から足の先まで浄め(たまたまホームでは休浴日だったが、ねんこさんの一歩も引かない要望で特別に沸かしたので、他の入所者も入浴できて思わぬ拾い物をした)、髭を剃り、夕食もペロリと平らげて眠った。ねんこさんは大いに満足して、悪臭を放つ夫の衣服一式を洗濯したあとで家へ帰った。
 翌朝、阿九む光は爽快な気分で目を醒ました。用便以外には部屋から出ることを禁じられている時間をきちんと守ってから、一階のレストルームに現われた。もはや入所者の誰も彼を見間違えたり、風態を怪しんだりはしない。三週間前に失踪した頃と変わらない、否、あの頃より数歳、若返ったような「阿九むさん」がそこにいたからだ。まさか弟さんが身代わりに入所してきたんではあるまいな、そんな冗談口をささやく老人もいた。
 阿九む光はといえば、とても寛容な表情で仲間たちの注目に応えているので、入所者たちは三週間の外出の謎を解くため声を掛けたくてうずうずしていた。ホーム側では阿九む光の動向を監視するために職員を起用したのだが、その任にあたる楡さんも胸を撫でおろした。
 ところが朝食も恙なく終えて間もなく、事態は怪しくなった。楡さんが右往左往させられるのに時間はかからなかったのである。
 十時のティタイムの時だった。
 レストルームは入所者たちが放つ、年季のはいった老人特有の体臭に満ちていた。阿九む光は、ルーム南側の陽射しのよく当たるガラス障子の際のテーブルに掛けている(そこはかつてソットン氏とレナト神父をふくむ「オールド・ホモトリオ」が指定席にして語り合った場所)。コーヒーやお茶を啜る音、カップや湯呑み茶碗をテーブルに置く音、嚏(くさめ)や咳払いなどの声が盛んになった頃合、阿九む光が突然、大きな椅子の音を立てて立ち上がった。彼はよろめいたわけではなかったが、音はルームじゅうに響いたので、入所者がいっせいに窓際の席を眺めた(耳の遠い人もそれに倣った)。
 立ち上がった阿九む光は、顔を怒らせたまま十秒ほど脳裏に言葉を探ねるふうにしていたが、やがて声を挙げた。
「皆さん、今こそ立ち上がりましょう(何人かの老人が意味を取り違えて椅子から立とうとしたが、隣の人に袖をひっぱられてすぐ腰を下ろした)。われわれは五条の里旅団を結成するのです。そして旅に発つのだ。何の旅か? ふーむ、詰まらぬ質問を返すものだ。復讐の旅に決まってるではないか。誰への、何の、復讐? それもまた愚劣な質問。ホワイト帝国大統領ブッを倒すために決まってるではないか。われわれは十五年ものあいだ屈辱を舐めさせられてきた。木偶のように手を拱いてきた。だが、今こそ好機は到来した。五条の里旅団は旗を揚げ、出発しよう。復讐の旅に旅立とう。すでに先発隊の仲間が、われわれを待っている」
 入口の脇で監視していた楡さんが、顔面を蒼白にして飛んできた。楡さんは右手で阿九む光の口をふさぎ、左手で首根っこを押さえて椅子に座らせようとする。楡さんは三十歳台後半ながら、一日じゅうパソコンの前に座ってるのが似合う優形の青年なので、七十七歳の阿九む光を捻じ伏せることさえできない。
 二人はしばらく子供の戯れ事みたいに揉み合っていたが、不意に阿九む光の顔から怒張の表情が消えた。小康状態のような何かの変化が、彼のうちに起こったようだ。かれは楡さんに手をひかれて席を離れ、レストルームを出て行った。そしてエレベーターに乗り、「阿九む光」と標札のある部屋にはいるまで、余所目には楡さんが阿九む光の腕を掴んで誘導しているふうに見えた。しかし、実際には、阿九む光は彼の部屋に戻ろうとしていたのであり、楡さんはそれに従っていたのにすぎない。
 阿九む光が部屋にはいると、楡さんはドアの外でしばらく見張っていた。両隣はソットン氏とレナト神父の部屋で、主がいないので当然、森閑としていたが、ティタイムを終えた入所者が廊下に立つ楡さんを怪訝そうに見やりながら通りすぎた。阿九む光の部屋からはコトリとも物音は聞こえない。たぶん眠ってしまったのだろう。監視に倦いた楡さんは、そうと決めて、事務室でパソコンに向かったり所内の見廻りをしたりして、四十分ほどのちに阿九む光の部屋に戻った。部屋のなかは元通り静かだった。
 楡さんがすっかり青褪めたのは、それから小一時間もしないうちだった。昼食タイムになっても阿九む光は食堂に現われない。嫌な予感に急かれて楡さんが二階の部屋に駆け込むと、そこは蛻の殻だった。
 楡さんの孤軍奮闘が始まった。監視役としての責を詰られるのを懼れて、施設長に知らせることも叶わず、入所者の誰彼に訊ねまわるのはさらに憚られ、一人で探しまわったのである。ソットン氏とレナト神父の空室や心当たりの入所者の部屋を覗いて廻り、トイレから浴場、用具庫、屋上まで所内を虱潰しに調べ、どこにも見当らないと知れると、外に飛び出した。
 木木に囲まれた前庭の散歩路を抜け、三階建て施設の裏手に回って死者を安置する窓のない建物の重たい扉を開き、そこから北へつづいている疎林のなかへ踏み入って、小鳥の囀りを聞きながら探しまわった。老人が消えたのに気づいてから、二時間近くは探しつづけたろうか。しかし、阿九む光を見つけることはできなかった。
 楡さんが施設にもどって事務室で途方に暮れているとき、新宮さんから声を掛けられて彼は飛び上らんばかりに驚いた。
「楡さん、阿九むさんを呼んできて」
 駆けずりまわって白皙の顔を少年みたいに紅潮させていた楡さんの全身から汗が干き、ふたたび蒼白となった。
 何の手立てもなく、ひたすら絶望するほかない楡さんは、とりあえず阿九む光の部屋へ走った。ドアを開くなり楡さんはまたも驚き、そして安堵した。部屋の上がり端に、いま戻ったばかりといった様子で靴も脱がずに、阿九む光が腰を下ろしているではないか。老人の顔は長い徘徊の旅から帰ったように疲れきっているが、不思議とさっぱりとして浄化された人のようでもある(楡さんには測りがたいことであったが、彼が探し廻ったのとほぼ同じ場所を老人は徘徊してきたのである)。
 楡さんは可能なかぎりの優しさをふるまって阿九む光を促し、事務室へ連れて行った。
「阿九むのお爺ちゃん、わたしたちはあなたを責めるつもりではないの。他の二人、馬碩東さんとステファン・レナトさんがどこにいるかを知りたいだけ。あなた、それを知ってるでしょ」
 新宮さんがいつになく柔かい声で訊ねている。施設長席の脇に衝立で仕切られた応接セットがあり、小さなテーブルを挟んで二人掛けのソファが置かれている。片側のソファに施設長と新宮さんが掛け、向かい合わせに阿九む光が背筋を柱のように立てて掛けている。衝立に遮られて三人の姿は楡さんに見えないが、声は彼のデスクまでよく聞こえた。質問しているのは新宮さんで、施設長の声はほとんど聞かれない。
「馬さんとレナトさんの居所さえ明かしてくれれば、あなたの罪は問わないことにする。もちろん他の二人の罪もね」
 新宮さんは独断でそう言っている。施設長をしのぐ権威の持主にふさわしく(入所者は彼女を「女帝」と呼んでいる)。
 阿九む光は間合いを楽しむふうにゆっくりと応える。
「さて、ソットン氏とレナト神父はどこまで行ったやら。わしは二人を追って先を急いでいるのだが」
「それってどういうこと? あなた二人の行方を知ってるのね」
 応答拒否なのか間合いなのか、沈黙の時間がながれている。
「あなた、洗いざらい白状しなさいよ。施設長だって、三人皆、帰ってくれさえすれば寛大な処置をしたくて、うずうずしてるんだから」
 新宮さんは本来の彼女にもどりつつあるらしく、物言いが徐徐に棘立ってきている。
「まことに残念なことだ、わしはいまだにあの二人に追いつけないでいる。ふーむ、急がねば」
「何をそんなに急がなくてはならないのよ。下手な芝居して、私を煙(けむ)に巻こうたって、そうはいかないわよ」
「わしは旅の途上にある」
「また突拍子もないことを! あなたはホームに送り返されて、ほら、その通り、わたしたちの前に座ってるじゃないの」
「わしにここなどない。わしの魂はすでに復讐の旅に旅立っている」
 阿九む光の言葉を聞くなり、新宮さんは頓狂な声を挙げた。それでも引き下がってなるものかと、あれこれ追求しつづけた。しかし、返ってくるのはトンチンカンな答えと頑なな沈黙ばかりだった。
「きょうはこれくらいにしときましょう」
 痺れを切らした施設長がはじめて口を挟んだ。新宮さんの舌打ちする音が、楡さんのデスクにまでとどいた。

 翌日になると、ホーム側にとって事態は一層、混迷した。阿九む光における精神の虚妄状態は誰の目にも明らかとみえたのである。
 朝食時間が済む頃までは、阿九む光の様子にどこといって不自然なところはなく、至って穏和にみえた。健啖と箸を運びながら隣席の入所者とごく当たり前の会話を交わしたほどだ。だからといって昨日のことがあるので楡さんはおさおさ監視を怠らなかったけれど。
 食事が済むと、楡さんは阿九む光を事務室へ連れていった。新宮さんにそう命じられていたのだ。阿九む光は抵抗の素振りもなく従った。ところが、施設長席脇の応接ソファに掛けて、昨日につづく「事情聴取」が始まるなり、阿九む光の様子は一変、虚妄の状態に陥ったかにみえた。新宮さんの質問など馬の耳に念仏の態で、あらぬことを一人言ちはじめたのである。「イエロー軍基地が見える」だの「ホワイトとイエローの同士討ちは近い」だの「ふーむ、醜怪な化けものが崩壊する」だのと奇妙な言辞を吐き、新宮さんには妄想に取り憑かれている人としか思えない。
 阿九む光の面相はそれほど剣呑なものではなく、暴力を揮う気配こそなかったが、時に叫び声を上げ、ソファから立ち上がったりして、もはや訊問どころではない。さすがの新宮さんも匙を投げ、施設長はひたすら困惑するばかりだった。とにかくこの状態を妻ねんこさんに伝え、隔離室へ移すことを承諾してもらうほかにない。それで施設長が彼女のアパートに電話を入れたのだが、何度掛けても留守だった。
 さらに一層、ホーム側を当惑させたのは、阿九む光の症状がしばしば正常に戻ることだった。虚妄と尋常――その精神の振幅のあまりの激しさ。現に阿九む光は楡さんに伴われて部屋に帰ると、間もなくしてピタリと穏和な人に立ち返った。昨日の一件があるので、楡さんは注意深く阿九む光を監視したのだが、老人の様子はしばらく好ましいものだった。楡さんがドアの外で見張りつづけていると、老人は時時、姿を見せてトイレへ行き、一階に降りてあちらこちらぶらつき、行き交う入所者と機嫌よく挨拶を交わした。そのあいだ楡さんは怠りなく従いて歩くのだが、老人はそれを嫌悪するふうもなかった。ティタイムにはレストルームでお茶を飲んだのだが、昨日のように演説を始めることもなかった。昼食も恙なく済ませた。
 しかし、阿九む老の変幻自在ぶりは一種、神がかりというほかなかった。午後のかかり、食後のうたた寝でも愉しんでいるだろうと、楡さんが数分、ドアの前を離れたとき、そのまことにわずかな隙をついて、阿九む光は部屋から消えた。部屋には変わった様子はなく、身ひとつで徘徊に出たことは間違いなかった。が、楡さんは今度こそ震え上がって施設長に即刻、報告した。
 新宮さんの指示でホームの職員総出で探したけれど(なかには四キロほど離れた河原まで足を伸ばした者もいる)、二時間ほどしても阿九む光は発見されなかった。そして、刈り出された職員全員の八名が疲れはてて事務室に戻り、後日の難題を懼れて施設長が警察に一方入れようとした矢先、さして疲れた様子もみせず阿九む光が玄関に現われたのである。
 思うに阿九む老は、十数日まえMサカにおいて深夜、誰にも気づかれずに起き出して街を歩き廻り、ラブホテルの一室から若者たちのアタッシュケースを失敬したときのように、また議事堂の監視塔から浴びせられるサーチライトの射撃を見事に掻いくぐって大門に達したときのように、意識下の虚の世界にあって、ひたすら何者かに導かれて無欲に、矍鑠と歩き廻ってきたのだろう。意識の彼岸の無念無想の行動ゆえにホーム五条の里はじまって以来の捜索網にもかかることなく、彼は徘徊をつづけられたのだろう(作者はそのように判断するのだが、のちにそれは疑わしくなる)。
 施設長はふたたび阿九む光の妻ねんこさんのもとに電話を入れた。またも受話器から空しく聞こえるのは、コールの音ばかりだった。それから夜の消灯時刻までに何度も電話を入れたが、結果は同じだった。ホーム側では緊急の会議を開き、新宮さんの提案に異議を唱える職員は誰もなく、阿九む光を隔離室に移すことに衆議一決した。ねんこさんからの抗議という後難を危惧しない者はいなかったが、背に腹は替えられないのだった。
 三階隔離室への移動は消灯時刻まぎわに行なわれた。家具などの引っ越しは徐徐にすすめるとして、夜具と阿九む光の身柄を運ぶだけの慌しいものだった。
 隔離室とはいっても、警察の留置場や刑務所の監房とは違う。介護師が付き添っている時間帯は自由に出入りが出来、ベランダには細かい格子柵が設えられているとはいえ室の窓も開放される。消灯時刻以降はドアも窓も厳重にロックされてしまうが、部屋にトイレがあるので特に不自由はない。ただ深夜に徘徊したがる人が時時、ドアを叩いて騒ぎ立てることはある。
 阿九む老は初めて体験する隔離室の一夜を快く眠り、朝、迎えに来た介護師の若い女性に付き添われて洗顔をし、食事を摂り、前庭の散歩もこなし、ティタイムを隔離室で愉しみ、まずは難なく一日を過ごした。時時は奇矯なともとれる言葉を示すことが全然なかったわけではない。二日つづいた徘徊がこの日、防げたのは、阿九む光にたいする二重の監視体制が功を奏したのにちがいない。ホーム側は付き添いの介護師に職員楡さんをも配して、念には念を入れたのである。
 しかし、この日の阿九む光の従順な振舞いには、はなはだ胡散臭い疑念が生じた。その前、二日つづいた徘徊さえも意識下の虚妄かつ無心の行動であったかどうか疑わしく、決定的な行動のための下調べではなかったか――そう思わせる事態が勃発したのである。
 この日、消灯前のわずかな時の隙をついて、阿九む光が忽然と隔離室から消えた!
 楡さんはすでに退勤し、昼間勤務の女性介護師から夜間勤務の男性介護師に引継ぎが行なわれている無警戒な十分ほどのあいだに(それは隔離室のドアと窓が施錠される直前のことだった)、神がかりめいた妙技によって姿を消したのである。
 施設長と新宮さんが自宅から駆けつけた。二階の阿九む光の一般室からリュックサックと冬衣服など身の回りのあれこれが消えている。箪笥や机の抽斗など隈なく調べたが、現金と預金通帳の類はなくなっている。これは気ままな徘徊ではない、二度目の失踪――そうと気づいて、施設長はホーム全員に呼集を掛け、同時に警察へ通報した。
 阿九む光の妻ねんこさんへの連絡は依然、取れなかった。


 阿九む光がホーム五条の里から脱出を企てた頃、N半島にいる「正義と夢の探検隊」も様相を一変していた。イエロー軍基地への偽装求職に失敗してから一週間ほどのあいだに、老若男女六人をめぐって濃密な時間が流れていたのである。それは七十七歳になる老人二人でさえかつて経験したことのない時間だった。
「正義と夢の探検隊」はすでに二手に分かれて虎視眈眈、イエロー軍基地に向けた決定的行動の準備をすすめていた。
 レナト神父、ジョルジュ、少女オードリーの三人は民宿「若草物語」にとどまって、いわば後方任務についていたが、前線にはすでにベースキャンプが敷かれてソットン氏、ふらわー・さん、Cゴールドの三人が寝食していた。そこは一週間ほどまえ、六人が求職を装ってイエロー軍基地を偵察し、ゲート前から追われるようにして帰る途中、たまたま迷い込んで発見した場所――数珠の町と、イエロー海に面して漠漠と広がる基地とをへだてて横たわる山稜の中。ひときわ鬱蒼と灌木の繁るけもの道をわずかに外れて、腐葉土の匂いも濃い十坪ほどの空間だった。かつては狩猟小屋であったのだろう、壁板や内部の造作は跡形もないが、朽ちかけた柱だけは残っており、その上に傾いた茅葺き屋根が三分の二ほど乗っている。老若三人は、その小屋にテントの端を割り込ませるように接して、キャンプを張っている。
 五日前、このように探検隊の布陣を二手に分け、最後の行動目標を定め、準備のためのスケジュールを立てるのに、相談は一日がかりだった。
 山稜を五百メートルも越えて行けばイエロー軍基地が見渡せる恰好の場所にベースキャンプを張ることには、誰の反対もなかった。探検隊がもくろむ策戦は大変、危険なものであり、万一、官憲の察知するところとなれば後日、民宿「若草物語」の夫妻にとんでもない迷惑がかかる。善良が衣服をまとっているふうな夫妻は、探検隊の逗留が一日延ばしにつづくのに何の疑念も抱かず(六人が基地への就労の機会を待ちつづけているものと思いこんでいるのだろう)、とても丁寧に持てなしている。探検隊のほうでも宿泊代金は滞りなく納め、前払いすることもあって、夫妻は唯唯、感謝した。探検隊は、宿の夫妻が一切、関知しないことを裏付けるために、秘密の行動はベースキャンプですることにしたのである。
 しかし、秘密の行動に後方任務は欠かせない。メンバーを二分することに衆議一決したのだが、配置の人選が難渋した。六人の誰もが前線のベースキャンプ行きを希望したのである。随分すったもんだしたすえに決まったのが、老人二人はそれぞれに分かれ、若者二人がキャンプ行きの老人に従う。キャンプへ行く老人は、爆弾製造の知識を有するソットン氏を措いてはいない。意外にもソットン氏がそれを渋った。
 一方、レナト神父はとても上機嫌で民宿残留を承諾した。そしてソットン氏がキャンプへ移って以降、少女オードリーと共にとどまった神父が、いよいよ溌剌と生気に満ちたのは言うまでもない。
 宣戦にむけての体勢が決まると、探検隊は二日間をその準備に費やした。ソットン氏、ふらわー・さん、Cゴールドのベースキャンプ組三人を、馬頭の形をしたN半島の右目の位置にある七竜市に派遣して、必要な物資を調達させた。テント、スリーピングバッグ、防寒兼用合羽、若者たちとオードリーのためのリュックサック、登山靴、携帯用ボンベ付きガス焜炉、そのほか飯盒、カッターナイフ、懐中電灯など野営に必要な様様な小物――それらをギュウギュウ詰めに梱包した幾つもの荷物に作り、三人はまるで梱包荷物を前後左右に纏った、ダンボールとビニール袋のぬいぐるみの恰好で、数珠の町に帰ってきた。
 その日、数珠駅を発ったのは朝の九時少し過ぎだったが、三人が戻ったときは午後四時を過ぎていた。数珠から七竜までは電車で一時間半ほどなのに、土地勘のない町で訊ね訊ねしながら店を探し、必要な物資を揃えるのに思いのほか手間取ったのである。荷造り作業にもその種の仕事に手慣れたソットン氏がいるとはいえ、以外に時間を取られた。
 三人が戻ると、宿の夫妻に知られないよう駅から直接、六人がかりで荷物をベースキャンプ予定地まで運んだ。
 数珠の町から目的地までは約七キロ。平坦な道を足早で歩けば一時間余の距離だ。しかし、六人それぞれに厄介な荷物を携え、疎林の丘の曲がりくねった道を登り、さらに鬱蒼と灌木の繁るけもの道を抜けなくてはならない。物資調達に奮闘してきたソットン氏などは、かつて登山を趣味にしたことを鼻に掛け、荷物も軽いものを持たされていたのに、いかんせん老体、足どりが鈍い。結局、探検隊がベースキャンプ予定地に着いたときには、夕暮れに間がなかった。陽が沈むまでにテントの設営くらいはできるだろう。しかし、そうすれば民宿「若草物語」に帰るのに夜道となる。木木におおわれた、馴れない丘陵の暗がりを行くのは危険だ。キャンプの設営は翌日にまわして、六人がこぞって一旦、麓の民宿へ帰ることにした。
「若草物語」での入浴と食事と団欒と睡眠(老人二人には少女オードリーの恩恵が加えられる)によって英気を養った探検隊は、翌日も大いに奮闘した。
 キャンプ組にはジョルジュも応援して、設営に汗を流した。ベースキャンプといっても大がかりなものではない。それでも馴れないことなので結構、手間取った。骨組みと屋根の一部を残して傾きかかっている小屋を活用してテントを張る。テントのなかの枯葉と腐葉土を掻き出して倒木の何本かを桝目に置き、その上に板を乗せて睡眠や日常の挙措に都合よくする(恰好の倒木と板を探すのに若干、時間を食った)。土を掘りかえして飯盒炊さんのための穴釜を造る。大小用便のための穴も掘らなければならなかった。
 あらかたの設営を終えると、老若四人は麓に降りて、イエロー軍基地での就労経験者を探すことにした。基地の見取図を作成するためだ。就労経験者はさしたる苦労もなく見つかった。基地に仕事を求めるために予備知識を得たい、と宿の夫妻に相談し、恰好の人を紹介されたからだ。それは数軒隣りの「魚の宿」という民宿の主人だった。ご多分に漏れず、その人も本業が駄目になって基地に働きに出たのだという。一年ほどでその仕事をやめてしまった理由は「あそこはわしらの働く所ではないっちゃ」ということだった。
「若草物語」の夫妻とかわらぬ年恰好の「魚の宿」の主人は、ソットン氏らにたいしても諦めさせたい口ぶりで、しきりに基地労働を非難した。それでも話し好きの人らしく、あれこれ情報を伝えてくれた。ただし探検隊としては、見取り図を作るために基地の配置を教えてくださいなどと率直に訊くわけにもいかず、随分、迂遠な話になった。話の内容をたどって地図を描いたとしても、粗雑なものになりそうだった。
 老若四人は、民宿「若草物語」二階の部屋でひそかに基地見取図を描いた(そのあいだレナト神父と少女オードリーは、階下で宿の夫妻と四方山の話を愉しんでいた)。案の定、描き上がった地図は、どれほどの役に立つか疑わしいものだった。
 それでもふらわー・さんが声を低めて言う。
「こういうものって、無闇に持ってないのがいいんじゃないの? あとで証拠になるし」
 Cゴールドが和す。
「そうだ。こういうもんは頭の中に入れとくのが定石だろ?」
 ソットン氏がしばらく思案するふうだったが、若者二人の言葉を一蹴した。
「これは未完成品。いざというときには燃(も)してしまえばいい。大体、きみたちの頭の中にこれだけのものでも入れておけるのかね」
 探検隊のキャンプ組三人は、B紙一枚の基地見取図を携えてベースキャンプに戻った。
 二日前からいよいよ爆弾製造(これについては「正義と夢の探検隊」が針の穴ほどの漏洩も警戒して極秘裏に進めたことなので、作者はそれを尊重して以下、「●●製造」と記す)の準備が始まった。
 ●●製造のためキャンプ組三人は電車で三時間ほどのKサワまで行き、材料を調達した。七竜市でも充分に調達できたのだが、先日、キャンプ設営のための大量の物資をそこで買い廻ったので、慎重を期して避けたのである。K沢でもそれぞれの分担を決めて単独で行動した。探検隊という集団の存在を気取られないためだ。そうして調達したのが、プラスチックとアルミニウムのボール、塩素酸、カリウム・・・・・・(否、これも●●の製造にかかわることなので、作者としてはこれ以上、品名を挙げるわけにはいかない)。
 ともかく探検隊はその日のうちに●●の製造に着手する準備を整えた。
 一方、「若草物語」残留組の三人はといえば、決して手を拱いていたわけではない。鍋、バケツ、インスタント食品、缶詰類、保存食用乾パンからティッシュペーパーにいたる細細としたキャンプ生活の必需品を届けなければならない。難問は水だった。そろそろ冷たい風が吹く時期、身体の洗浄はさほど必要ないとしても、命の継続には水は欠かせない。残留組三人が、ペットボトルやビールボンベの空いたのに水を入れ、持てるかぎり携えて、麓から運び上げることにしたのだった。
 残留組で多くの任務を負ったのは当然、ジョルジュだ。水などの必需品を運ぶのに、レナト神父とオードリーの倍ほどを負担して先導するだけではない。民宿「若草物語」とベースキャンプを結ぶ伝令も任されたので、人目に付かないよう工作しながら、町と丘陵のあいだを往き来しなければならない。さらに基地の見取図を完成させるため、町での情報収集にも当たらなくてはならない。これは忍耐と細心の注意を要する任務だった。ジョルジュがそれらの役割を熱心に遂行したことは、言うまでもない。

「正義と夢の探検隊」がN半島に滞在して十一日間、曇天の日が連日つづいている。それでも雨は二、三度パラパラと降ったきりだ。日中は時に灰色の雲に陽の光が滲んで、空が黄色っぽい斑模様に染まることもある。しかし、夜になっても星を眺めることはできない。
 そんな空を梢のあいだにのぞかせて、丘陵の森に鬱蒼と繁る木木は、樹液の匂いをもろに放っている。湿ったそれは、テントのなかにいても体のなかに染みこんでくるみたいだ。昼間、喧しく啼き交わす野鳥の声は日が暮れるとともに静かになるが、それでも深夜、闇を切り裂く鋭い声が不意に走って、眠りを妨げることがある。十月中旬ともなると、北のイエロー海に突き出した半島の夜気は、すでに冷たい。
 飯盒炊さんの夕食を済ませ、陽がすっかり落ちてあたりが闇につつまれると、老若三人にはすることがなくなる。それでも二時間ほどは蝋燭の灯を点して、あれこれの話を楽しんだりする。時には三人が代わる代わる懐中電灯を手にしてあたりを散策してくることがある。闇に閉ざされた森のなかの行動に馴れるための訓練だ。いずれ夜陰にまぎれてイエロー軍基地をおそうために、鬱蒼とした灌木林や険阻な道を歩き廻らなければならない時が来る。
 それぞれが三十分くらいずつ闇のトレーニングを済ませて、テントのなかで顔を揃えているときだった。三人を照らす蝋燭の灯が、老若の面をまばらな明かりで浮き上がらせ、背を屈めた上半身の影をテントの布に揺らめかせている。
 三人が闇のなかの散策で得た情報を報告しあって間もなくしたとき、ソットン氏が遠い日を思い出すふうに語りだした。
「もう半世紀以上も昔のことになるだろうか、このイエロー国でも若者たちが山岳地帯に立て籠もって、革命を企てたことがある。いまにして思えば夢のような企てだったが、革命連合軍を組織してこんなふうに、否、もっと山深い土地にキャンプを張り、銃を構えて、イエロー帝国と一戦、交えようとしたのだ。たしか三十名ほどの軍団にすぎなかったが、厳格な規律を敷き、理論武装をし、戦略戦術を構築し、相当に高度な銃撃戦の訓練も積んだ。われわれ正義と夢の探検隊など足もとにも及ばない、ほんもののゲリラ闘争のはずだった」
 蝋燭の火が揺れて、鷲を仮装したソットン氏の鉄錆色の面がいっそう陰り、老人は一拍置いてつづけた。
「だが、革命闘争は挫折した。挫折したばかりではない。そういうときには往往にして起こることだが、総括という名のもとに仲間の多くを殺害してしまった。些細な規律の乱れが糾弾されたのだ。あるいは、規律のきびしさに耐えられなくなった仲間が、革命の困難に絶望して、みずから死を望んだ」
「おれたち不粋だから(Cゴールドはそういう表現をした)、そんな話、初めて聞いた。でも、正義と夢の探検隊は仲間を殺したりしないぜ」
「あたりまえだろ」ふらわー・さんが応じる、「どんな事態になったって、そんなことするはずがない。おれたち探検隊の絆は、規律じゃなくて、友情なんだから」
「ともかく、手づまり状態に追い込まれた革命連合軍は、ふもとの村に下りて山荘の奥さんを人質に籠城した。そして圧倒的な武力のイエロー国警察を相手に数日間、銃で抵抗し、よく戦った。銃撃戦によって機動警察隊員二名を死なせたが、あの最後の戦いは人質戦術もふくめて、革命運動としては余計な蛇足だったかもしれない。イエロー国における二十世紀最後の革命闘争は結局、一敗地に塗(まみ)れた。凄絶な敗北だった」
「これからおれたちが一戦、交えようとしてる戦いに比べたら、目の眩みそうな闘争だったんだ」
「それほどの闘いが、なでまた敗北したんだろう?」
「理由は、いろいろある。イエロー国の警察権力は圧倒的な力を持っていた、背後には軍が控えている。それに比べたら、革命連合軍は赤児のようなものだ。そうにはちがいないが、そんなのは先刻、分かりきったことだった。何よりも決定的な理由は、インテリにはそこそこ受け入れられたとしても、人民の支持を得られなかったことだ」
「じゃー、正義と夢の探検隊と一緒じゃないすか」
「Cゴールドの言うとおりだ。おれたち、人民大衆が眠っとるのに業を煮やして、蜂起するんだもんな。端から支持なんて得られるわけない」
「てーことは、われら探検隊も挫折するに決まってるってことか」
「それでも●●造って一戦、交えなきゃならないところが辛いよな、革命家としては」
 若者二人が調子に乗って話しているのに、ソットン氏が幾分、苛立たしげに口を挟む。
「おまえたちは少少、誤解しているようだ。わしらは革命のために立ち上がったのじゃない。敗北を覚悟のうえで復讐のために戦う、つまり、テロルだ。テロルに勝利も敗北もない」
 ソットン氏はそう言ったきり、不機嫌に口を噤んだ。それにはいまの言葉とは別にもう一つの理由があった。話が●●製造に及びそうになったのが不愉快なのである。自分自身に腹を立てているのだ。
 ●●の製造に着手して三日が経っている。しかし、それは捗捗(はかばか)しく進んでいない。材料は十全に整っているはずなのに、製造の手順が再三、頓挫して前に進まないのだ(極秘裏に進められるその一一を作者が記すことは無論、できない)。進捗しない理由は、ソットン氏の記憶のなかで知識が怪しくなっている故だった。
 ソットン氏が●●製造法について胸を叩いてみせたのは、すでに六十余年以前の経験に基いている(ホーム五条の里に入所する数年前まで、彼は古鉄の売買業をしていて、セラミックス製品の原料になる粉鉄なども商っており、化学の方面には人一倍、興味を持ってもいた)。
 半世紀以上まえ、彼の祖国であるウサギ半島では同一民族が二つの国家に分断され、南北で血肉の戦争を行なっていた。それには東アジアの覇権をねらうホワイト帝国が南のS国家に肩入れしていた。在イエローの七十万同胞の大半がこの戦争に反対を叫び、ホワイト帝国の介入を糾弾した。そこでソットン氏の住む同胞集落では、密かに●●の製造が行われることになった。イエロー国のホワイト軍基地からウサギ半島にむけて兵器や軍需物資が搬ばれるので、祖国の同胞の命を救おうと、輸送貨車を爆破するためだった。当時、工業高校一年生だったソットン氏は、彼の家の古鉄倉庫で深夜、●●が造られる様子を祖父や父や隣家の大人たちに混じって見ていた。戦争は三年つづいて、停戦となった。輸送車爆破策戦は結局、中絶したが、●●は完成し、ソットン少年はその準備段階から製造の一部始終を目撃したのである。
 しかし残念ながら、みずからの手で造ろうとすると、記憶はしばしば断絶し、あいまいもことするのだった。ソットン氏は切歯扼腕したが、けっして諦めているわけではない。記憶は必ず正確に蘇る、彼はそう信じている。
 ソットン氏が黙りこくってしまったので、陽が落ちるまえに夕食を食べたきりで空腹を覚えている若者三人は、二日前にレナト神父とオードリーが届けてくれたカップヌードルを食べ、眠ることにした。ソットン氏はそれより先にスリーピングバッグにはいっていた。若者たちもバッグにはいり、首だけ出した。十月中旬のN半島の夜気は冷たいといっても、スリーピングバッグの中は充分に暖かい。
 すぐにも聞こえるかとおもえた鼾がいっこうにその気配なく、蝋燭の灯を落としたテントのなかは漆黒の闇につつまれて、森(しん)と静まりかえっている。そんななか、ふらわー・さんの独り言みたいなくぐもった声がした。
「オードリーが見たという夢の話、あれ何だろう」
「うん、おれもそのこと考えてたところだ」
「ほんとかよ?」
 Cゴールドが反撥するが、声は闇の底に沈めている。
「あれって、阿九むの爺さんとかかわりがある気がするんだ」
「ふらわー・さんもそう思うか? おれもそんな気がする」
 少女オードリーが夢のなかに現われた老人の話をしたのは、もう六日ほどまえ民宿「若草物語」でのことになるが、三日まえキャンプに水を運んできたときも、彼女は皆の前で同じ夢の話をした。ただし二度目の夢に現われた老人は、岩の上に腰を下ろして海を眺めているのではなく、乗客のいない電車の座席に、リュックサックを背負ったままポツンと掛けていたという。オードリーが、お爺さん、こんな誰もいない電車に乗って何してるの? と訊ねると、やっぱり旅の途中と答えたという。お爺さん夢のなかであたしのほうへ近づいてきてる、少女オードリーは唐突にそう言った。
「ジョルジュの言ったとおりかもしれん」
「精神の感応現象ってやつか」
「オードリーの見てるのは、夢のお告げとか、夢占いとか、そういうのじゃないのか」
「たしかにあいつ、人間ばなれした変なところあるからな。超常現象ってのも起こって不思議はない」
「オードリーは巫女だぜ」
 若者二人が声をひそめてそんな話をしているあいだに、ソットン氏が鼾をかきはじめた。
 遠い潮騒とも、木木を渡る風の息づかいともつかない、得体の知れない闇の音が、テントの外を掠めていく。梟だろうか、どこかの高みで人を呼ぶような声が聞こえる。
 若者二人はそれらすべてを気のせいにして、眠り入った。

 麓の民宿「若草物語」では、少女オードリーに奇妙な変化があらわれていた。
 のべつ顔に浮かべていた笑みがスーッと消えて、いっこうにもとに戻らないことが多くなった。時時、吐き気のようなしゃっくりを繰り返す。食欲が衰えているらしく、箸を手にするのも億劫がる。そのせいか顔色が透けて眼の表情が尖っている。それはどこか憑かれた人のものだ。いまでは一つの部屋にジョルジュも一緒に寝るので、深夜、レナト神父の蒲団にはいって精気を施す習慣は中断しているが、そうでなくても彼女はその習慣をつづけることができなかっただろう。眠りのなかでしばしば魘(うな)されて、彼女自身の精気が失われていくふうだったから。
 それら表面にあらわれた変化のすべては、彼女の精神の深部に起こった出来事に由来しているにちがいなかった。
 オードリーの心身は疲れきっているふうにみえたが、意外にも活発な行動を繰り返しはじめた。宿に姿が見えないとき、彼女は町のなかを歩き廻っていた。それはしばしば真夜中であったりした(同室の二人がそれに気づかずにいることが多い)。それは一種のユロージビィ(宗教的畸人)か狂気の人の彷徨のようであった。町のあちらこちらをうろつくのだが、目当ては数珠の駅にあるらしく、彼女は彷徨のあいだに何度もそこに舞い戻って、誰かを待つふうに佇み、改札口を眺めていた。
 オードリーの行動には勿論、充分な理由があった。徘徊がはじまった日の朝、彼女はレナト神父とジョルジュに向かって話した。前夜、三度目に見た夢の話だった。
「お爺さん、今度はどこかの小さな駅に現われたの。駅の脇で地べたに腰を下ろして、疲れきった様子で町のほうを眺めているの。お爺さん、どうしたの? 旅をつづけないの? そう訊ねると、旅は終わった、と応えるの。それで、あたしは直感した。じゃー、仲間の人を待ってるんだ、よかったね。夢のなかでも、あたしの声は弾んじゃった。そう、変なのよ、夢に現われるのはお爺さんだけで、あたしのほうはいつも声だけなのに、その声が弾んじゃった」
 そう言って、オードリーはすぐに表情を陰らせた。
「でも、お爺さんは何度も首を横に振るの。どうしたのよ、お爺さん。もうすぐ仲間の人と会えるんでしょ、迎えに来るの待ってるんでしょ、嬉しくないの? するとお爺さんは、彼らはわしがここまで辿り着いたことを知らんだろう、と言うの。じゃー、こちらから会いに行けばいいじゃないの、あたしがそう言っても、お爺さんは哀しそうに首を振るばかり。ながい旅が終わったのに、おじいさんには仲間のいる場所がわからないのよ」
 だから、あたしが迎えに行ってあげなくっちゃ、とオードリーは付け加えた。
 そうしてオードリーの彷徨は始まったのだが、彼女の行動に気づくとレナト神父とジョルジュは最初、それを止めさせようと説得した。
 ベースキャンプではすでに極秘裏の策戦が進行しつつある。そんな折、見知らぬ土地から来た六人組の一人と知られている彼女が町をうろつくのは、あまりに不用意だった。しかし、オードリーは二人の説得には頑なに応じない。その頑強さに折れて、レナト神父とジョルジュは彼女の行動を認めることにした。彼女の行動にユロージビィの雰囲気がともなうのは、この場合、むしろ幸いだった。実は二人にはオードリーの夢に賭けようとする気持もめばえていた。阿九む光との再会を望む心が、二人に夢ばなしを信じさせた。二人はオードリーと行動を共にしたい衝動さえ覚えたが、それはいっそう不用意なことだった。
 オードリーが深夜にまで彷徨をはじめたのは、憑かれた者に特有の行動であった。闇のなかを彷徨するとき、彼女の姿はどこか物の怪にも見えて、路地のあちらこちらを時に疾走するかのようだった。駅舎の影に身を潜め、じっと佇む影からは牝のけものの臭いがにおった。

 灌木におおわれた丘陵のベースキャンプでは、老若三人が●●製造のために苦闘をつづけていた。それは遅遅として進まず、若者には歯痒いばかりだった。木木を渡る風の音や野鳥のかまびすしい啼き声さえ嘲笑っているように聞こえ、苛立ちは募るばかりだ。口にこそ出さないが、ソットン氏への信頼を失いかけている。
 ソットン氏はといえば、意外にも悠長に構えている。初めのうちこそ六十余年前の記憶があやふやになっている事実に直面して自己嫌悪に陥ったが、記憶の底に深く埋もれていた知識が一つ一つ蘇ってきたからである。それで遅遅たる進み具合とはいえ、●●は形を整えつつある。一個が完成に漕ぎつければ、あとは脱兎の如し。ソットン氏はそう確信している。
 その日も、ふらわー・さんを助手に従えて、鷲を仮装した顔を気むつかしげに傾げたり、頷いたりしながら仕事に熱中していた。Cゴールドはテントの外で腹筋を鍛える運動をしたり、シャドーボクシングに集中したり、けもの道に通じる険阻な藪の傾斜を上り下りして、トレーニングの余念がなかった。彼が日課にしているそれらの鍛錬に加え、ベースキャンプでの飲食は簡素なものだったので、ウェイト調整の効果を上げ、Cゴールドの豹の体は引き締まって、いますぐにもリングに上がれるほどだった。●●の製造に悪戦苦闘しているソットン氏とふらわー・さんも、そんな彼に不平を言うこともない。むしろ頼もしそうだった。
 Cゴールドが三時間ほどのトレーニングに汗を流して戻ると、間もなくしてジョルジュがキャンプにやってきた。ジョルジュは軍基地の見取図にあらたな情報を携えていた。
 ●●の仕事を中断したソットン氏が、ジョルジュのもたらした情報を例のB紙大の地図に書き込むと、言った。「よし、これで七割がたのものができた。まぁ、役に立つだろう」
 たしかに紙面には指令本部、兵営、隊員住宅、武器弾薬庫などの建物のほか、監視塔、砲台、車輛駐車場、訓練区域などの位置がさまざまな記号で書き込まれて、一枚の地図の形をなしている。ジョルジュが町でせっせと集めた情報がその都度、丹念に記入されて、数日のあいだにそこまで出来あがった。
 勿論、ジョルジュが「若草物語」の主人や他の基地就労経験者から聞き取った情報が、正確なものだという確証はない。見取り図はそれら聞き取りに、入手したパンフレット類の漠然とした記述を付き合わせて制作したが、いわば半ばは想像上の地図にすぎない。なにしろイエロー軍N半島基地は、実に空漠として広大なのである。
 仮に地図が実際どおりとして、難題はその先にある。地図をたよりに基地の内部に潜入できるのか、目標の施設に辿りつくことができるのか。もちろん正面ゲートを狙うなどは論外だ。考えてみれば、気の遠くなるような計画なのだ。老若四人はテントのなかで地図を真ん中に車座になり、小さな相談の時を持ったのだが、どの顔もしだいに陰っていった。
 いすれにしても、決行の日は●●が完成してからのことだ。
 伝令のジョルジュはもうひとつ情報をもたらした。言うまでもなく、オードリーが見た三度目の夢についてである。夢のなかの老人がどこかの小さな駅に現われ、旅は終わった、と告げたこと、そこで仲間を待っているのだが老人の到着を知らない仲間たちは迎えに来ないだろうと心配していること――ジョルジュは民宿「若草物語」でオードリーが語った夢の内容を、ほとんど省略せずに報告した。
「わしはオードリーの夢を信じることにしよう」
 ソットン氏がそう言うと、ふらわー・さんとCゴールドは深く頷いた。
 ジョルジュはさらにオードリーの行状についても報告した。このほうはかなり省略して。彼女が、老人は数珠の駅に現われるものと固く信じ、その人を待って駅に佇みつづけることを強調し、深夜に繰り返される憑かれた人のような奇行については、うんと簡略にふれた。三人に心配させたくなかったからだ。
「オードリーは巫女だぜ」
「人間ばなれの感応力を持ってるんだ」
 Cゴールドとふらわー・さんが、事もなげに言ってのけた。二日ほど前の夜、蝋燭の火を落とした闇のなかで寝物語のように交わした言葉を思い出したらしい。
「あれはたしかに不思議な子だ。レナト神父が言うように、天使か妖精の化身かもしれん」
 ソットン氏が若者二人に和した。オードリーの奇行が町の噂になって怪しまれるのではないか? ソットン氏はそんな危惧をおくびにも見せなかった。
「ジョルジュ君、オードリーをよく見守ってやってくれ。あの子は、われわれに未知の世界を知らせてくれる、道しるべかもしれない」
 ジョルジュが麓の町へもどる別れ際に、ソットン氏がそう言った。若者たちは、「正義と夢の探検隊」の同志が現れたら、直ちにキャンプに知らせてくれるよう、口口に頼んだ。彼らは、少女オードリーの夢に現われる老人が阿九む光である、と信じた。

 麓の町では、オードリーの様子がふたたび一変した。憑かれた人となって食欲を失い、これまで蒼面の顔を干涸びさせ、眼の光を牝狐のように尖らせていたのが、ふたたびふっくらと卵形の容貌をとりもどし、眼にはみずみずしい輝きが差し、いつも絶やさなかった無垢の笑みが蘇ってきた。体つきはもともと鹿の四肢をおもわせる撓やかさであったが、どこか円やかな感じをあたえた。挙措の一つ一つ、表情の一つ一つに、ゆったりと落ち着いた力が立ちもどってきている。何か異常なものに衝き動かされて闇のなかを駆けめぐり、悪夢から醒めて回復してくる力のようだ。
 それらすべてが、まるで妊婦一人の十か月の道程であるかのようだった。三百日という人生の凝縮された時間を、オードリーはこの数日のあいだに経験した。まるで、新しい生命の宿りのあと、過酷な衰弱と喪失の危機を乗り越えて月が満ちてくるように、オードリーの体にはふくよかな力が生まれはじめているのだ。
 その日も彼女は、あたらしい力に促されて、町へ出て行った。
 オードリーの姿が見えなくなったあと、民宿「若草物語」ではレナト神父と夫妻が、昼下がりののどかな微睡(まどろ)みのように言葉を交わしていた。
「オードリーさんもすっかり元の鞘にもどったみたい。まずはよかったですちゃ。いっときはとても心配したものですが」
「そうですちゃ。なんしろ夜中にも抜け出して、町の中うろついてたようですから」
「おやまぁ、それはそれは! お二人はそこまで知っておりましたか。さぞ驚いたことでしょう」
「なんの。この町にもあんな具合になる娘さんが時時おりますから、驚きはせらんけど、心配はさせてもらいました」
「この町にも、じゃないでしょう。実は家(うち)の三番目の子も中学を卒業するちょっと前に、あんな具合になったですちゃ。もっとも、オードリーさんほどきつい憑きようではなかったですが」
「家の子のことはよかろう。それより神父さん、一つ聞いてよいですか」
「ええ、どうぞ、どうぞ」
「オードリーさんはもしかして、誰かを待っているのではないですか」
「わかりますか。そのとおり、老人を一人、待ってるのです」
「いつ、お出でになります?」
「たぶん近いうちに」
「じゃー、お客さんが一人、増えるわけですちゃ」
「そういうことになります」
「ところで、他の三人の皆さんは、いつ戻っておいでなです」
「さて、どうでしょうか。基地の仕事を見つけたようですから」
「ほー、それは、それは。幸運とも不運とも言えんことですちゃ」
「基地には休日があるものかどうか、外出も侭ならないようですな。首尾よく仕事が完了すれば、ここに帰るでしょう」
「いつ雇われたなです」
「ジョルジュ君の話では、三日前です」
「そりゃまた、随分かかりましたね。家の宿を発ってから、もう七日も過ぎてるがやに」
「そうですなー。軍の基地で雇ってもらうためには特別な求人許可証が要るでしょう? それに戸籍謄本とかあれやこれやの書類。Nゴヤへ行ってそれらを整えるのに三日がかりでしたから(若者三人はHロシマの住民であることを夫妻は知らない)」
「それは難儀なことです。わたしら町の者の場合、そんな厄介なことはないですちゃ。それで、神父さんたちは雇われんですな?」
「はい、三人までということで。それ以上は必要ないらしい」
「空きがないということですな」
「それにオードリー一人、ここに残しておくわけにんもいかんでしょう」
「それはそうですちゃ。未成年者では雇われんでしょ。ご老人のソットンさんがよく雇われたものだ」
「えー、まぁ、軍も高齢者の雇用促進には気を使っているのでしょう、いずれ雑役の類でしょうけれど」
「神父さんの言われるとおりです。軍隊とはいえ国の機関ですちゃ、それくらいの施策をして罰(ばち)は当たらんです。ところで、ジョルジュさんは毎日、出掛けているようですが、あれも職探しに奔走しとるなですか。難儀なことです」
「否、ジョルジュ君は演劇青年でしてね。俳優は体が元手ですから毎日、身体の鍛錬を欠かせないのです。彼は日日、トレーニングに余念がないというわけです。まー、時には基地を訪ねて求人の空きを調べているようではありますが」
「なるほど、それは感心なことですちゃ」
 レナト神父と「若草物語」の夫妻がさらに午後の会話を楽しむうち、ジョルジュがバースキャンプから帰り、オードリーが町の探索からもどった。夢のなかの老人は今日も現われなかったようだ。それでもオードリーの顔に浮かぶ笑みは希望に満ちていた。
 そして深夜、オードリーはいつものとおり宿を抜け出して、数珠の駅へ行った。そして駅の脇の軒下に、こんもりとした黒い襤褸のかたまりがあるのを、彼女は発見した。
 それは闇のなかに置き忘れられた影のかたまりのようでもあったが、オードリーが声を掛けて軽くつつくと、むくむくと動いて、擡げた首が現われた。暗がりのなかで彼女は、老人のひげにおおわれた顔をはっきりと見た。
 夢のお爺さん!
 オードリーは胸を躍らせた。老人は厚手のアノラックで着ぶくれて雪の国から来たような身なりをしているが、リュックサックを背負う姿には見覚えがある。
「お爺さん、迎えに来たよ。いっぱい待たされたけど、ようやく仲間のみんなに会えるね」
 少女オードリーは声を弾ませて言うと、夢の老人を立たせ、壊れものでも運ぶように、でっかいぬいぐるみみたいに着ぶくれた体に腕を添えた。しかし、そんなふうにする必要はなかった。老人は少し尊大に頷き、思いのほか確かな足どりで、先に立った。
 レナト神父とジョルジュはすっかり眠りこんでいたので、朝、目を醒まして驚いた。二人は部屋に座っている老人を見て最初、きょとんとした。Mサカで別れ別れになって二十日近くが経ち、そのあいだ精神の虚妄を往きつ戻りつして、阿九む光の風姿は変わり果てていたからだ。
 沈黙は十秒と経たなかった。レナト神父とジョルジュは、感嘆の声を挙げた。レナト神父がまるで恋人との再会を果たしたように抱擁すると、阿九む光の来たアノラックの肩に数滴の雫が落ち、それは染みになった。神父の頬をつたう涙だ。その傍で阿九む光の枯れた樹皮のような手を握りしめるジョルジュの目も、濡れている。
 少女オードリーが笑みを溢れさせてその様子を眺めていた。

 麓の町で阿九む光が発見されたその日の昼前、丘陵のベースキャンプでは若者二人が快哉の声を挙げていた。ソットン氏がついに●●の完成を宣言したのだ。そのときソットン氏はといえば、まるで激しい陣痛のすえに産まれた嬰児を慈しむように、直径十五センチほどの球形の●●を抱き上げんばかりの様子だった。
 ただし難問が一つあった。出来上がった●●がはたして首尾よく爆発してくれるものかどうか、確かめるわけにいかないことだった。鬱蒼と灌木林におおわれた丘陵とはいえ、そこで実験すれば、爆発音は地を揺るがし、空を裂いて、麓の町にとどかぬとも限らないだろう。否、それどころか、イエロー軍基地の万全な異常探知網にあっさりと捉えられてしまうだろう。物が実験の必要などない自信作であればよいのだが、肝腎のソットン氏も太鼓判を押すには躊躇するらしく、話がその難題に及ぶと表情を陰らせた。
 歓声を挙げたのも束の間、老若三人は膝を交えて一様に頭をかかえた。しかし、憂鬱な時間が一転するのにそれほどの時間は要しなかった。一か八かの勝負に賭けよう、きょうの夜十時を期して決行しよう――そう決まったのだ。●●の製造に手間取って、三人には焦りがあった。
 伝令のジョルジュがやってきて、阿九む光が現われて無事「若草物語」に保護したことを告げたのは、決行を決めた直後だった。ふらわー・さんとCゴールドが感嘆の声を挙げ、ソットン老までがそれに和した。
 ジョルジュは、キャンプの三人が一旦、町へ降りて阿九む光と再会すべきであると主張した。三人は心ひかれながらも、それを受け入れなかった。作戦決行までにはさらに綿密な打ち合わせが必要であり、決めたばかりの計画を変更するわけにはいかない。●●が完成した以上、徒に時を過ごすのは得策ではなく、迅速な行動が求められた。
 キャンプ組は決定どおり今夜十時、作戦を決行する。その後、直ちに町へ降りる。町へ降りる前に、ベースキャンプに●●製造の痕跡をとどめないよう万端の処理を済ませるのは、言うまでもない。
 そして阿九む光をまじえた「正義と夢の探検隊」七人は、早早に民宿「若草物語」を引払って、数珠の町を去る。そのように決めたのだった。
 キャンプ組は早速、飯盒炊さんの支度に取りかかって必要な握りめしを作った。そのあとで穴竈をさらに深く掘って、折り畳んだテント、●●製造の残滓、塵埃のあれこれ、そのほかキャンプ生活の痕跡を残すもろもろを穴に埋めた。寝食に都合よく設えられた造作の廃材は、燃すことも埋めることもかなわず、適当に積み上げてそこに放置されているもののように装った。
 キャンプ組はジョルジュの手も借り、三時間ほどをかけて証拠隠滅の作業を済ませた。勿論、それでも、秘密の時間の痕跡を跡形なく消し去ることはできなかった。
 ジョルジュが麓の町へ戻っていくと、老若三人はイエロー軍基地の自家製地図を前に、あらためて鳩首凝議にはいった。

 漆黒の闇につつまれた灌木の森は、まるで無音の異域だった。木木は梢までも黒黒と夜の衣裳に身をつつみ、あたりの空気をいっそう濃く閉ざしている。鳥たちの啼き声は止み、枝葉を渡る風さえ沈黙を装っている。音といえば、あたりに深く沈みきった静寂のせいで、底深く得体の知れない不在のものの声を耳朶に錯覚させるばかりだ。闇のなかに息づいているのは、土と樹液と夜気の濃密な匂い。
 そんな森の道を大きな荷物を背負った傴僂の影が三つ、踵(きびす)を接して歩いている。それぞれ手にした懐中電灯の明かりが三つ、闇のなかに光っている。
 先頭を行くのはCゴールドだ。リュックサックの中にはぼろ布で二重三重につつまれた●●がはいっている。赤児を背負っているほどの大きさだ。Cゴールドが先導役なのには、理由がある。ベースキャンプでの生活のあいだ彼が最も旺盛に丘陵を探査して、地形に明るい。
 二番目はソットン氏。彼のリュックサックにはスリーピングバッグが詰め込まれていて、幼児を負うほどの大きさだ(ここで一言付け加えておくと、いよいよの決行にあたって若者二人が老体を慮り、「若草物語」に戻るよう説得したのだが、老人は頑として肯じなかった)。
 ふらわー・さんが後尾についている。彼のリュックには、スリーピングバッグと防寒兼用合羽のほか廃棄するわけにはいかない細細の品物が詰められていて、まるで仔牛でも背負っているような恰好だった。
 三つの影は、けもの道を抜け、懸崖の裾の曲がりくねった急斜面を登った。闇を手探るようなその道程は、かなりの難行だったので随分、時間がかかった。
 灌木林の道がしだいに緩やかな傾斜に変わると、視覚も闇の深さに馴れてきた。尾根づたいに進むうちにあたりは疎林になり、ところどころ視界にひらける場所がある。牧草の青くさい匂いが夜気に染みて漂ってきた。道をさらに北北西に行くと、丘陵の高みに出た。
 放牧場の暗暗とした起伏が遮るものもなく眼前に広がっている。黒い牧草地は牛の背みたいにゆったりとした傾斜で降りていき、その向こうに広大なイエロー軍基地が無辺の暗黒のように広がる。遥か遠く闇のなかに小さな光が点在している。流れ星みたいに淡い線条を引いて宙を往き来している光がある。監視塔から投射される探照灯(サーチライト)の明かりだ。さらにその向こう北の涯には、イエロー海の大きな波が獣の大群のように背をくねらせてうねっているはずだ。
 三つの影は、牧草地の柵に沿って一キロほど進んだ。まず先頭の影が黒猫のように身を躍らせて柵を越え、ついで二つの影がそれに倣った。牧草地には風が吹いている。濃い草いきれにまじって牛馬のそれらしき体臭と糞尿の臭いが漂っているが、動物の影は闇に閉ざされて見えない。
 三つの影は牧草地を突っ切った。遠くにちらついていた光が徐徐にはっきりして、それが幾つもの施設の明かりと知れた。東西二塔の監視塔から放射される探照灯の光もしだいにふとく帯状に変わり、宙に光の塵を散りばめて旋回し、交錯している。めまぐるしく交錯する光は、貪欲に地上の獲物を舐めて、広い基地をあかあかと射撃する。
 光の射撃が三つの影を捉えるにはまだかなりの距離がある。影たちは夜陰にまぎれてさらに進む。牧草地を抜けて湿った土を踏んで行く。雑木の叢にぶつかると迂回し、草むらの陥没に足を取られそうになっては進む。見取図で確かめた地形を脳裡に描ける位置まで進んだとき、わずかな曲線を描いて闇のなかに伸びる壕に辿りついた。乾上がった用水路跡か演習用の塹壕のようなそれは、幅が一メートル余あり、壁面は土のまま強固に固められている。
 まずCゴールドが壕の底に降り、つづいてふらわー・さんが仔牛ほどにふくらんだリュックを背から外して降りた。最後にソットン氏が若者二人に体をささえられて降りた。壕はさぼど深くはなく、若者たちの鳩尾あたりだった。小柄なソットン氏も首ひとつ地上に出すことができた。
 三人は顔を並べて、探照灯の光が三百メートルほど先までとどいているのを見た。イエロー海に向かって広い間隔で並んでいる三基の砲台まで二百メートルほどか。三人はそちらに視線を注いだまま誤算に気づいた。見取図に従って標的を決めるとき、東西二塔の監視塔から放射される光の帯がこれほど広い範囲を舐めつくしているとは、想像できなかったのだ。
 十分ほど探照灯の動きを観察しているうちに、三人はあることに気づいた。東西から放射される明かりが近づき交差し、いったん離れてふたたび近づき交差する、その間隔に約三分の闇の時間がある。三基並ぶ砲台の中央のそれは三分以上、闇のなかに沈む。その死角の時間に活路があった。
 ソットン氏とふらわー・さんが阿吽の呼吸で問うのに、Cゴールドは頷いた。光と闇の閾のぎりぎりまで近づき、死角の時がおとづれるのと同時に砲台までの二百メートルを駆ける。●●の発火装置を五分後にセットして、駆けもどる。一切の無駄は許されない。極限に近い行動だ。ソットン氏が断を下し、Cゴールドが壕を飛び出した。
 赤児を背負うかたちの黒い影が、闇のなかを遠去かり、見えなくなった。壕に残った二人の視線は、探照灯の光に釘付けになった。三基の砲台があかあかと照らしだされ、闇に閉ざされ、それが二度、繰り返された。そのあいだ、疾走する黒豹の姿が光の射撃に捕えられることはなかった。そしてCゴールドは、出産を終えた人のようにリュックのふくらみをすっかり失くして、壕に戻って来た。不思議なことに、Cゴールドの息はほとんど上がっていなかった。
 老若三人は壕から首を出し、息をひそめて待った。爆発音とともに炎の上がるのを待った。三分経ち、五分が過ぎた。彼らは待った。さらに五分が過ぎた。爆発音と炎は上がらなかった。闇のなかで、幻想の音を刻むように時が過ぎていく。それでも三人は待ちつづけた。永遠の時のうえにいるように、待ちつづけた。




 ウ ト ロ

劉(ユ) 竜(ヨン) 子(チャ)

 〈生野民族文化祭、今年が最後なんですってね。とっても残念です。どうしてでしょうか〉
 大阪在住の橋本君からの電子メールだった。
 〈いつもはあんまりきちんと見てなくて、今年が最後ともなれば、こんどこそ出し物をちゃんと見ておきたいと思います〉
 猪飼野の秋の風物詩「生野民族文化祭」が二十年の歴史に幕を下ろす。民族の文化を育み誇りを持てるイベントをとの呼びかけに、国籍を越えた在日コリアンが集まって始まった。
 〈できれば前日の土曜日から大阪へ出てきませんか〉
 家業を継ぐために大阪の実家へ戻った橋本君からのたってのお誘いだった。この何年か「生野民族文化祭」にかこつけて、お互いの友人知人を誘いあい鶴橋の駅で合流し一緒に酒盛りをして旧交をあたためていた。いつもしこたまお酒を飲んで別れを惜しみあいながら最終電車へ飛び乗っていた。
 土曜日は週休二日の影響で客足が遠のく。年に一度の絶好の機会だと諸手をあげて呼んでいる橋本君の顔が目に浮かぶ。常連客には申し訳ないが一日臨時休業をして大阪へ出かけてみようか。そう思い決めるとなぜか〈ウ・ト・ロ〉の三文字が胸をかすめた。わたしの生まれた土地。もう何年も忘れていたのにウトロがわたしを呼んでいる。新幹線で先に京都へ行けばウトロを半日散策できる。思い立つが吉日と、気持ちの変わらないうちにパソコンのキーボードを打って早速メールを送った。
 〈バンザイ! 土曜日は昼から空けて待っています〉
 折り返し橋本君からメールが届いた。ウトロへ同道するとの返事だった。京都駅の新幹線八条出口で待っている。念のため携帯電話の番号を控えておくようにとあった。
 当日、パートで手伝ってくれている秋ちゃんを誘って新幹線に乗った。どこへ行くのもマイカーのわたしは公共機関の乗り物が大の苦手ときてる。乗車券一枚買うのもどうしてよいのか迷ってしまう。世間ではおばさんて呼ぶんだ。
「秋ちゃんよろしくね」
 おっとりした秋ちゃんが頼りなげに頷いた。それなのに案の定、新幹線を降りて方向音痴のふたりして京都駅の八条口を探しまわった。改札を出て案内板の矢印にそってちゃんと歩いて来たのにどうしてデパートの中へ入ってしまうの。もう一度改札口へ戻り、矢印を確かめてやっとの思いで八条口へたどり着いた。手短かに挨拶を交わして早速二人を紹介した。
「秋子です」
「橋本です。まえに一度、優子さんのお店でお会いしてますよね」
「なんだ初対面じゃなかったんだ」
 橋本君が照れたように髪を掻きあげ、秋ちゃんが小さく微笑った。
「ウトロまでは、二十分くらいで行けますよ。大学が伊勢田を過ぎてもうしばらく行ったところにありましたから」
 橋本君が大阪の自宅からの通学圏だったとしきりに懐かしんでいた。近鉄の窓口で伊勢田までの乗車券を買い、始発駅のホームで待っている電車に乗った。
「優子さん。ウトロへは何年ぶりの再訪ですか」
「うーん。何年になるんだろう」
 こころの中で指折り数えてみた。半世紀とまではいわないけれど時の流れの速さにポンと置き去りにされたような不思議な気分だ。
「名古屋のお店で出会った優子さんがウトロ出身だと聞いてびっくりしました」
 転勤で名古屋へ赴任してきた橋本君が、お酒を飲みにふらりとお店へ入ってきた。何が気に入ったのか居心地が良かったのか、いつの間にか常連になっていた。通信社の記者で学生気質がいまだに抜けず、職業柄なのかめっぽう正義感が強く何かにつけて熱くなる。おまけに恋多き情熱家だ。いまも身を乗り出すように語りはじめた。
「ウトロの立ち退き問題を知ったのは、ぼくが大学にいたころでした。在日の学生たちがビラを配って熱心に訴えていました。当時のぼくは韓国、朝鮮、在日のことにまったく無知で、〈ウトロ〉と聞いても北海道の地名のことかと思ったくらいでした。知床半島の原生林伐採問題で有名になった地名がおなじウトロです。原生林も大事ですが、こちらは人間の問題であり、より深刻であるはずなのにまったくうかつでした」
 秋ちゃんが真顔で聞き入っている。
 無知だといえばウトロにゆかりがあるはずのわたしでさえ、深刻な立ち退き問題が起きていることすら知らずにいた。
「ウトロって聞くと飛行場を思いだすの」
「飛行場というのがいまの大久保にある陸上自衛隊駐屯地ですね」
 橋本君が頷きながら言った。
「詳しいことはよく分からないけれど、朝鮮人部落があってそこでわたしが生まれた」
「戦時中、飛行場整地のための労力として、当時の日産車体工場跡地に朝鮮人がバラックを建てて住みついた」
「そう。わたしのアボジやハラボジたちがモッコを担いで土を運んだそうよ」
「戦後、西日本殖産へ土地が転売され、ウトロ住民への強制立ち退き裁判がはじまり、十年以上にわたる裁判で立ち退き判決が言い渡されたそうです」
 ウトロにいまも住んでいるわたしの親戚も深刻な立ち退き問題を抱えて頭を痛めているのだろうか。
「優子さん着きました」
 橋本君の声に急かされて慌ててホームへ降りた。鄙びた伊勢田の駅を思い浮かべていた。すっかり変わってしまった駅の建物にほんの少し失望した。昔は確かホームから線路を渡って改札へ出たけれど、今は駅の地下道の改札を通って外へ出る。昔ながらの遮断機は残っているものの駅前の佇まいはずいぶんと様変わりしていた。広びろとした田畑や空き地には住宅が密集し、地道はきれいに舗装されていた。懐かしく思い描いていた風景は跡形もなく失せていた。変わらないほうが不思議なんだ。それでもこころのどこかで昔の名残りを探していた。
 橋本君の長い手がオーケストラの指揮者のようにタクトを振る。リズムをきざみながら身体を揺らして前を歩いて行く。小さく鼻唄を口づさみ、気分が乗ったときのいつもの彼の癖だった。
「どうですか。思い出しますか」
 大きくタクトを振る仕草で橋本君がふり返った。ウトロの町へつづく道路は意外と狭く車が行き交うたびに道端へ身体を避けてやり過ごした。
「駅から坂を下りて高台に木造校舎が見えていたんだけど」
「あれが学校じゃないですか」
 宅地造成の区画整理で高台の丘も削られてしまったのか、指差す辺りに学校のようなビルの屋上が見えた。
「たしか橋を渡ったような気がする」
「優子さん。これが橋じゃないですか」
 見ると幅一メートルほどの側溝をアスファルトの道路がまたぎ、雨あがりの嵩を増した水が勢いよく流れていた。
「もぅ。こんなのまちがっても橋とはいわないでしょ」
 二人のとりとめのないやり取りに秋ちゃんが笑いながら従いてくる。まるで浮き足だった小学生の遠足気分だ。橋本君を先頭にしばらく歩いて行くと立て看板が目に入ってきた。
 〈強制立ち退きは国際人権規約に反する〉
 〈ウトロはふるさと ここで生きたい〉
 〈ウトロの子どもに明日をください〉
 ウトロの立て看板が最初にわたしを迎えてくれた。ここがウトロの町の入口なんだ。思い描いていた風景とのあまりの違和感になんの感慨もわかなかった。
「へえ、こんなふうにウトロの立ち退き問題を訴えているんだ」
 囲い塀一面に書かれた集会宣言の〈オモニのうた〉が目に止まった。
   オモニのうた(集会宣言)
  いやや!
  どんなことがあっても 私はよそへは行かん
  あの世からお迎えが来るまでは
  なんでか わかるかね?
  それはね
  ここは私の生きてきた「ふるさと」なんだ
  みんな 私のこと知っている
  私はひとりぐらし・・・・・・
  この年まで学校には縁がない
  具合が悪いときは
  近所の人が本当によくしてくれる
  食べものを作ってきてくれたり
  薬も 手にとって
  こうして飲むんよと飲ませてくれる
  みんなが気づかってくれる
  だから ひとりぼっちじゃない 淋しくない
  なんでって?
  私はウトロのオモニだから
  みんな私だと知っているから
  どこかよそでは こうはいかないよ
  このまちを離れたら
  私は私でなくなる
 橋本君が立て看板を何枚かカメラに収めた。秋ちゃんと並んで写真を撮ってもらいウトロの町並みへ移動した。
 記憶にのこるバラックの集落は跡形もなかった。簡素な町並みの道筋は掃き清められゴミひとつ落ちていない。プランターに植えた季節の花が、家々ごとに整然と並べて置いてある。住民の清潔で質素な暮らしぶりが見てとれた。それにしても静かだ。どの家も玄関は閉ざされていて人影がない。路地で遊んでいてもおかしくないはずの子どもたちの歓声も聞こえてこない。みんなどうしたんだろう。
「親戚の家は見つかりましたか」
 表札を確かめながら歩いて行くと、秋ちゃんと肩をならべる橋本君の声が追いかけてくる。事前に連絡もとらずに来てしまったことを後悔していた。いつだって思いつきで飛び出してきて行き当たりばったりなんだから。ウトロに住んでいるはずの親戚はほとんど顔も知らない。生前のアボジの顔が胸をかすめた。アボジが生きてて元気なうちに一緒に会いにくればよかった。
「渡辺」「中村」「田中」「金本」「安田」「玉山」わたしと同じ通名だ。アボジの従兄弟かも知れない。
「見て。ここ親戚かも知れない」
 二人が側に寄ってきてわたしの顔と表札を見くらべた。
「優子さん。声をかけてみますか」
 橋本君の声が弾んでいる。
「待って。なんだかドキドキしてきた」
 連絡も取らずにいきなり訪ねてゆくのが礼を失しているようで躊躇われた。
「ぼくが声をかけてみましょうか」
「いいの。もう少し廻りを歩いてみる」
 訪ねる勇気がなかった。知らない人だと追い返されたりしたらどうしようかと迷っていた。首をすくめて顔を見合わせている二人をその場に残して歩きはじめた。
 白い建物が目に止まった。ウトロの町の集会場のようだ。入り口の看板に〔한겨레 방〕とハングルで書いてある。横に小さくハンギョレバン憩いの場と但し書きしてあった。さすがウトロの町は在日の町だと感心する。ハングルを堂々と掲げている。
 ハンギョレバンの建物の前で女性が立ち話をしていた。一人は一見して在日のハルモニだとわかった。ウトロの町で最初に出会った住人だ。若い女性がハルモニに手をあげて立ち去った。
「アンニョンハシムニカ。昔ここに住んでいた玉山ってご存知ないでしょうか」
「あぁ。玉山さんならあそこに住んでいるよ」
「いいえ。昔ここに住んでいた玉山です」
「それは、知らんな」
 にわか仕込みのウリマルでは言葉が通じない。それでも精一杯、昔ここで生まれたこと。生まれてすぐ名古屋へ引っ越したこと。アボジの韓国名。アボジの従兄弟がウトロに住んでいるはずと問いかけたけれど、ハルモニは首をかしげるだけだった。秋ちゃんと橋本君が少しはなれて二人の会話を見守っている。ハルモニに丁重に礼を言った。
「何かわかりましたか」
「うぅん。わからなかった」
 なんだか急に肩の力がぬけた。
「さぁ。行こうか」
 きびすを返して道を戻って行った。遅すぎたのだろうか。ウトロにはわたしの知る人はもう誰もいないのかも知れない。ずいぶんと埒もない時間が流れている。二人に無駄な時間を取らせてしまった。ウトロをあきらめてさっさと大阪へ行ったほうが賢明なのかも知れない。
「戻ろうか」
 うしろから従いてくる二人へ声をかけた。何気なく目を遣ると玄関先でアジュモニが座っていた。摘んだばかりの葱と青菜の土をきれいに選り分けていた。横顔に見覚えがあった。そうだ従兄弟の正男のオンマだ。子どものころ誰々のオンマと呼んでいたのを思い出す。
「アジメ。名古屋の優子」
 思わず駆けより声をかけた。いきなり声をかけられてアジュモニは訝しそうにわたしの顔を見上げた。
「名古屋へ引っ越した玉山の娘の優子」
 もう一度大きな声で話しかけてみた。きょとんとしてわたしを見上げ、しばらくして驚いたように立ち上がった。
「アイゴ。優子か」
「わかりますか。やっとウトロへ来たの」
 アジュモニの手を握りしめて、
「ご家族はみなお元気ですか。お体に変わりはないですか」
 アジュモニはうんうんと何度も頷きながら手を握り返してくれた。遠まきに見守る秋ちゃんと橋本君がほっと安堵した表情でわたしを見ている。二人を呼びよせアジュモニへ紹介した。
「橋本君と秋ちゃん。一人だけじゃこころぼそくて一緒に来てもらったの」
「橋本ラゴハムニダ。チョウンペッケスムニダ。マンナソパンガップスムニダ」
「アンニョンハシムニカ。秋子です」
 アジュモニは二人の手を交互に握りしめて旧知のように暖かく迎えてくれた。
「うちの姉さんがいてるさかい、いまから行ってみよな」
 アジュモニは野菜の束を玄関に投げ入れ、うしろを振り向きながら手まねきをして歩いて行った。前屈みに先を行くアジュモニの背中がなんだかとても小さく見えた。路地を廻り裏道へ出ると、手押し車を押すハルモニが、人がやって来るのを見て背筋を伸ばして佇んでいた。
「姉さん。お客さんやで」
 アジュモニが焦れたように手招きして呼んでいる。澄ちゃんのオンマだ。思わず子どものように駆けていた。
「アジメ。優子です」
「アイゴ。なんでや」
 澄ちゃんのアジュモニは、わたしの手を取り背中を抱いて懐かしんでくれた。
「毎日こうしてな、町内を歩いとるんよ。動けんようになったらかなわんしな」
 このごろめっきり足腰が弱くなったと、手押し車を押しながら大きな溜息をついた。
「ここがうちの家や。早よう中へ入って」
 一戸建てのこじんまりとした二階家だ。勝手口から居間へ通された。贅沢ではないけれど部屋ごとに掃除がゆきとどいている。澄ちゃんのオンマが座蒲団をすすめ、難儀そうに専用の椅子へ腰掛けた。
「姉さん。足が悪いし、かんにんな」
 正男のオンマが横へ並んで膝を立てて座蒲団に座った。
「いいえ。どうぞわたしたちに気を使わないでください」
 秋ちゃんがすっとキッチンへ立ってお茶を煎れて盆に持って来た。
「今日はゆっくりしていきや。晩御飯たべて泊まっていったらええ」
「ありがとう。今日は急だったからこのまま帰ります」
「そんなん言わんと。二階に部屋もあるし、みんな寝ていったらええ」
「そうや。冷蔵庫に食べもんいっぱいあるし、なんでも好きなん食べたらええ」
 アジュモニがふるさと訛りのウリマルで二人して同時に話しかけてくる。遠来の客を精一杯もてなそうとしているのが嬉しいくらいに伝わるのに、ふるさと訛りのウリマルが半分も理解できなくて返す言葉がみつからない。
 子どもの背丈ほどに小さくなったアジュモニが、わたしの目の前に並んで座っている。深く刻まれた額の皺。何人もの子どもを産み育て働きづめだったアジュモニの皺ぶいた手。老いたアジュモニたちの歳月を思うとわけもなく目頭が熱くなった。聞きたいことが山ほどあったはずなのに、何を聞けばよいのかすっかり忘れてしまった。それでも飛行場があったこと。井戸があったこと。豚や鶏を飼っていたこと。記憶を探って聞いてみた。
 幼い頃、盆、正月の祭祀のたびごとに、両親に連れられてウトロへ行くのが楽しみだった。名古屋の玉山の兄さんとこの優子が来たと、どこの家へ行っても大歓迎だった。正男のオンマの家で鉄釜の風呂をはじめて見た。従兄弟の正男と一緒に湯に浸かり、何かのはずみで喧嘩して水をかけあって裸で走り廻ったこと。澄ちゃんのオンマの家で、大きい姉さんの口紅を内緒で借りて、澄ちゃんと一緒に真っ赤に口紅を塗りたくって叱られたこと。正男の家のポータブル電蓄で、大きい兄さんの居ない間に大切なレコードをこっそり掛けて、流行りのロックンロールを真似て腰をくねらせて踊ったこと。数えあげれば際限がないほど悪戯遊びにこと欠くことはなかった。
 老いたアジュモニを前にして、昔のウトロの風景の中へタイムスリップしたような思いだった。
「アジメ。そろそろ帰ります」
 大阪で友人を待たせていると言い訳けをしてアジュモニの家を出た。二人のアジュモニが名残惜しそうに、泊まってゆくよう何度も引き止めた。
「アンニョンヒケセヨ。また来るから」
 澄ちゃんのアジュモニがそこまで見送ると手押し車を押して一緒に歩いた。立て看板のところまで来て、
「元気でな。またウトロへ来たらええ」
「ええ。またかならず来ます」
 アジュモニの手を取って別れを告げ、伊勢田の駅へ向かって歩きはじめた。ふり帰ると遠く小さくなったアジュモニがいつまでも佇んで見送っていた。
「どうでしたか。ウトロは」
 伊勢田から乗った電車の中で橋本君が訊ねた。
「井戸も飛行場も何もなかった」
「次の駅の大久保に自衛隊の駐屯地があります。それが優子さんの言う飛行場だと思います。たしか電車から沿線沿いに見えますよ」
 電車の吊り革に手を掛けて橋本君が駐屯地の方向へ指を差した。車窓を流れてゆく街並みに目を凝らしたが建物に遮られて駐屯地は見えなかった。
「残念でしたね。ぼくが学生のころはよく見えてました」
「いいえ。今日はわたしのために時間を割いてくれて、橋本君、秋ちゃん、お疲れさまでした」
「いえ。ぼくはウトロへ同道させてもらい、とても良かったです」
 秋ちゃんは少し疲れた様子でこっくり頷いた。
「ぼくがウトロをあらためて認識したのは、中国留学から帰って、韓国、朝鮮や在日のことに興味を持ちだしてからでした」
 橋本君が熱く語りだした。
「ぼくはもともと、日本という国を考えたくて、その手掛かりのひとつとしての〈戦争〉〈侵略〉というものを知るために、中国長春へ留学しました。かつて日本が侵略した〈満州〉に住み、過去の歴史をまなび、中国人たちの話を聞きたい。そんな動機をいだいて中国へ渡った。おなじ侵略の犠牲者である韓国人と親しくすることも、ぼくの留学の目的にかなっていました。初めて韓国人と出会ったのは中国へ留学していた時でした。外国人宿舎のルームメイトで韓国人の彼と無二の親友となりました。ぼくは日本を理解するために中国へ渡った。それは中国が日本をうつす鏡だと思ったからです。ところが、もう一枚、それ以上に鮮明な鏡があった。それが朝鮮半島と、その人びとだったのです。ぼくに朝鮮、韓国への目を開かせてくれた友人に感謝しています」
「わたしもウリマルを含めて、在日のことをもっと勉強しなくちゃいけないな」
 わたしが言うと、橋本君が電車の振動に身体を揺らせて恐縮したように笑った。吊り革に身を凭せて車窓を流れてゆく沿線の佇まいに目を遣った。暮れなずむ空に夕日が浮かんでいた。こころに思い描いていたウトロの風景がそこだけ変わらずに残っていた。子どものころに見た朱い夕日がいまも同じように沈みかけていた。
 もう一度ウトロへ行かなければ。年老いたアジュモニたちが元気なうちに。聞き漏らしたことが山ほど残っている。
「大阪へ着いたら乾杯しようね」
「いいですね。今夜は泊まりですから酔い潰れるまで飲みましょう」
 橋本君がジョッキを傾ける仕草で笑った。




 私の一九七二年

      朴(パク) 燦(チャン) 鎬(ホ)

   (一)
 一九七二年は、私の半生でも悲喜こもごも、とりわけ思い出深い年でした。
 まず二月二十日から三日間、第八回韓青冬期講習会が長野県の白樺湖で行われました。
 当初、百人そこそこで始まった冬期講習会ですが、参加者は年々増えつづけ、一九七〇年前後には六、七百人を数えるまでになっていました。スケジュールは、スキー講習とコース別の講習を軸にして、コース別(または班別)の懇談と討論で意見の交換をしました。
 コース別講習会は、たとえば一九七一年度には、〈近代史通史、現代史通史、在日同胞形成史、在日民族運動史、韓青史、東学農民戦争、三・一独立運動、解放と建国、四・一九革命〉などの歴史講習と、〈在日韓国人の法的地位、入管法、民族教育論、日本政府の対在日韓国人政策〉などの権益問題、〈韓日条約体制と経済問題、本国情勢〉など韓国情勢の解説、それに〈歴代偉人伝、韓国風物詩〉など肩の凝らないものと多彩でした。これらを三講習ずつ組み合わせて十三のコースに分け、受講生が選択するというシステムです。
 初期は講習の数もそれほど多くなく、外部から講師を招いたこともありましたが、この頃には中央・地方の幹部が講師を受け持つようになっていました。
 コース別懇談では、北海道から九州まで全国区から集まった青年たちが、自己紹介に始まって互いの経験談を話し合いました。ハイライトは二日目夜のフェスティバルで、班別に日常活動や家庭問題をテーマにした寸劇を披露し、迷演技、珍演技の連続に笑い転げたりしました。ある時など、最優秀演技賞を受けた盟員が感想を求められて、思わず「大勢のお客様の・・・・・・」と口をすべらし、爆笑とともに辛辣な野次を受ける羽目になりました。
   (二)
 この年の冬期講習会の開会式には、二人の方が来賓として招かれました。その一人は昨秋九十歳で亡くなられた孫基禎(ソンギジョン)氏で、今一人は金大中(キムデジュン)氏でした。
 この時の司会は私が担当し、まず先に到着していた孫基禎氏を紹介しました。孫氏は多くの在日青年を前に感慨深い面持で挨拶をし、激励してくれました。
 孫氏については、日本の新聞でも追悼記事が大きく掲載されてご存知でしょうが、一九三六年、ベルリンオリンピックのマラソン競技で金メダルに輝いた方です。その偉業は朝鮮でも号外で報じられ、全民族に勇気を与えました。また当時、孫氏自身の吹き込みによる『優勝の感激』と、蔡奎(チェギュヨプ)唄の『マラソン制覇歌』がSPレコードAB面で発売されました。『マラソン制覇歌』を紹介します。

  半島が生みし
  マラソンの二勇士 優勝輝く
  うれしやこの日よ
  喜び迎えん その功、大なり
  孫基禎と南昇龍(ナムスンリョン)
  讃嘆の高き声 世界に轟く

 南氏もマラソンの銅メダルに輝いた方で、一昨年亡くなりました。この歌は残念にも創作曲でなく、古関祐而作曲の日本歌謡の翻案歌でした。そして孫氏が獲得した金メダルの栄光は、日本陸上界に与えられたままです。
 孫氏に続いて、遅れて到着した金大中氏が講演をしました。金氏は前年の大統領選挙で、三選を禁止した憲法を改憲して立候補した朴正熙(パクチョンヒ)氏の牙城を脅かしており、自信がみなぎっていました。印象的だったのは孫氏の表情で、司会者として金氏を紹介したところ、一瞬、戸惑いが走ったように感じられました。
 金氏の講演は迫力がありました。その口調は韓国民主化に対する確信に満ちていて、青年たちの心をぐいぐい引き込んでいきました。講演が終わると割れんばかりの大拍手が送られ、会場は興奮状態でした。
 帰りは愛知本部のバスに乗せてもらったのですが、金氏の講演に感動したある盟員がマイクをとって、「韓国語だったので十分理解できなかった。講演の内容をかいつまんで教えてほしい」と幹部に要請したのには驚きました。また一九八〇年初頭、光州(クァンジュ)民主抗争に先立つ民主化運動の高まりの中で、金氏の影響力を恐れた軍事政権が、金氏を“危険な煽動者(アジテーター)”だと目の敵にしているとの報道を読み、八年前のこの講演を思い返しました。
   (三)
 この年の後半は、「七・四南北共同宣言」のショックに始まりました。朴政権は四・一九後の統一運動を否定して登場し、反共国家の構築を第一の目的として「勝共統一」を掲げていました。一方、共産統一を目指す金日成(キムイルソン)政権は、朴政権を口を極めて非難していました。この両政権が水面下で接触し、平和統一に関する四大原則に合意したというのですから、画期的な出来事ではありましたが、狐につままれたような感じでした。
 共同宣言が発表されたその日の午後、韓青中央から電話が入り、「喜びで興奮している。全面支持だ」との意向が伝えられました。
 韓青はすぐさま朝青と連絡をとり、共同宣言支持のための共同集会開催の準備を進めていきました。録音問題をめぐって民団中央と対峙していた民団自主守護委員会、民団東京本部も、総聯東京本部との共同集会を模索し、管内の大田支部が先陣を切って支持集会を開催しました。韓青と朝青は、東京で中央大会を開いたあと、大阪などいくつかの地方本部で支持集会を開催していきました。
 一方、民団中央も共同声明を支持歓迎しましたが、朴政権は民間での統一論議を一切禁じていたので、一連の共同集会を激しく非難しました。
 当時、朝青との共同集会準備の過程での二つの出来事を耳にしました。一つは地方幹部に聞いた話で、朝青側は重要な決定事項になると、その度に上部の判断を仰ぐため席を離れるので、会議が長引いて仕方なかったとのことです。今一つは、韓青側の우리말(みんぞくご)の実力不足が露呈され、우리말学習を軽視していた幹部が赤っ恥をかいて反省したことです。
   (四)
 民族教育において民団系は、民族学校を次々と設立し整備していった総聯系に比べ、著しく立ちおくれました。現在に至るも韓国系の全日制民族学校は、東京、京都、大阪などに数校しかありません。団員の子弟の大半は日本の学校に通い、우리말や祖国の歴史を知らぬままに成長していきます。
 一九七〇年代に入ると、韓青では一世がほぼ姿を消し、二・三世が主体になります。ですから、우리말しか話せない祖父母のいる家庭で育った一部の青年を除いては、満足に話せる盟員はほとんどいません。
 かくいう私も、二十一歳の時、故国訪問を前に独学を始めましたが、カナや発音記号だけでは正確な発音が解らず、すぐに投げ出してしまいました。半年後(東京オリンピックの直後)、韓学同から国語講習会の案内を受け取り、思い切って参加しました。それを契機に在日同胞を取り巻く様々な問題を知り、法的地位要求貫徹運動にも積極的に参加して、大学卒業後は韓青中央の常勤になりました。
 一九七〇年、家の事情で名古屋に戻った私は、韓青の우리말教科書作成をライフワークと決め、シコシコと作業を始めました。とはいえ、우리말講習では基礎的なことしか学んでいなかったので、その実力は知れたものでした。そんな私が、大胆にも教科書を作ろうと決意するような状況にあったのです。
 また初の全国文教部長会議を開いて、우리말学習強化の重要さを訴えましたが、出席者の反応は、今一つ消極的に感じられました。
 教科書の試案は、一九七二年に出来上がりました。これを地方出張の折に立ち寄った中央幹部に見せたところ、大変喜んでくれました。彼はその試案を全国の地方幹部に見せてまわり、「自前の教科書ができる」と宣伝しました。
 ある有力本部の幹部は、試案を手にしてショックを受けたそうです。そして彼は「国語教科書作成委員会」の設置を中央に提案し、組織決定されました。このことを電話で知らされた私は、試案が葬り去られたと直感し、虚しさを覚えました。その胸中を知ってか知らずしてか、しばらくして中央幹部が縁談を持ちかけてきました。勿論、お断りしました。
 その後、蚊帳の外にあっても協力だけは惜しむまいと、地方での共同宣言支持集会の折に開かれた会議には出ました。そしてその年の十一月、「作成委員会の最終点検会議が開かれるから、必ず出席するように」との連絡がありました。
 これまでの経緯から訝しさを感じ、見合いを予感した私は、防禦策として、破れズボンに素足のサンダル姿で東京に出かけました。「何だ、その恰好は」と叱る二人の最高幹部に対し、「会議のために来たのだから関係ないでしょう」と答えました。すると、「会議はあとで出ればいい。今から見合いをしなさい」と、盟員数人から上着、ワイシャツ、ネクタイ、靴などを調達して、新宿の高層ホテルに連れて行かれました。見合い相手には、大変失礼なことをしてしまいました。
 さて、ホテルから戻り、急いで会議に出ようとしたら、事務所には数人しかいません。「もう終わった」とのことです。呆然としましたが、気を取り直して会議の結果を訊ねたところ、他の組織の教材を、韓青の状況に置き換えて作成するとのことでした。
 「それは絶対に駄目だ」と強硬に抗議しましたが、「会議で決定した」の一点張りです。さらに、作成委のキャップとなっていた件の地方幹部が食事から帰ってきて、「見合いはどうだった」と、冷やかし半分の追い打ちをかけたので、怒りは心頭に発しました。
 屈辱感でまんじりともせず一夜を明かし、始発の新幹線に乗って名古屋に向かう車中、「組織を離れよう」と決意しました。
 こうして韓青と訣別した私でしたが、その決意を翻さざるを得ない重大事件が、翌年八月八日に発生しました。金大中氏拉致事件です。大事の前には、個人的な感情は押し殺さねば・・・・・・と、屈折した思いを胸にたたんで、再び民族運動の第一線に復帰しました。

 〈附記〉韓青運動の流れについては『架橋』十九号、二十一号所載の拙稿『すべての河は海に流れる』と『わが若き日の“武勇伝”』を参照してください。
 最後は身世打令(シンセタリョン)になってしまいました。あれから三十年の歳月が流れ、今はもう昔の出来事となったので、当時、一切明かさなかった胸の内も綴ってみました。なお、この時の方針をもとに作成された教科書は、しばらくして私が指摘した点が問題となったらしく、まもなく廃止され、改めて私に作成の要請がきました。
 この年十月四日、少年期に大きな影響を受けた東海林太郎氏が亡くなりました。後年、韓国歌謡史の資料蒐集の過程で、テノール・金永吉(キムヨンギル)(永田絃次郎)氏が『国境の町』の朝鮮語盤『國境の夜(クッキョンエバム)』を吹き込んでいたと知りました。存命中に知っていたならと、地団駄を踏みましたが、どうしようもありません。
 最後に、一つお願いがあります。戦時中に名古屋で生まれ、解放直後に帰国した従兄が、在日中に次のような尻取歌を覚えてうたい、母親に叱られたそうです。幼少時の記憶のため意味不明な言葉もありますが、どういう歌なのか知りたいとのことです。ご存知の方がおいででしたら、ご教示願います。(中沢啓治氏のマンガ『はだしのゲン』に、同じ内容の歌が一部出てきます。)

   三角四角 四角は豆腐 豆腐は白い 白いは兎
  兎は跳ねる 跳ねるはラッパ(?) ラッパはあつい
  あついはきょじゃ(?) きょじゃはむける むけるは
  チンポ チンポは長い 長いは煙突 煙突は黒い 黒いは
  インド人 インド人はいけい(力が強い?) いけいは
  金太郎 金太郎は赤い 赤いはさくら さくらはおまんぐ(?)
  おまんぐはくさい くさいは便所 便所はせまい せまいは
  日本 天皇陛下バンザイ!




 あ ら れ

ビョン ウォンス

 わたくしが三度(みたび)教会へ通いはじめたのは五十を過ぎた頃だった。二十(はたち)になってから行かなくなっていたから、三十余年ぶりだった。
 父(アボジ)が韓国(ふるさと)へ旅に出て、行ったきり長男であるわたくしのところへ二度と姿をあらわさなくなったからである。心臓を病み病院から脱出して韓国(コヒャン)へ行くんだと言いだして、止めようもない父の性分であったから仕方なく、中学校を卒業するなり家出した、日本ではたった一人の弟を探し出して、いやがる(これもまた並みの頑固ではない)のを無理やりに同行させたのだが、弟はひとりでのこのこと帰ってきた。どうしたのだときいたら一枚の紙きれを黙って差し出した。ほっとした様子である。死亡診断書だった。
 アボジは故郷(コヒャン)の地錦谷洞(クムゴトン)の教会(キョフェ)の墓地で永眠したのである。故郷の叔父のサラン房(居間)の隅の畳みおかれた布団にもたれ、憩うように眼をとじていた。写真があった。死んだと気がついたのはそのすぐ後だったそうだ。これですべての肩の荷を下ろしたと安らぐような平和な表情だった。弟は韓国で「強制的」に「見合い」をさせられたようで、間もなく再度訪韓した帰りに南島から可愛らしい嫁を連れてきた。はじめて父の「遺言(やくそく)」を果たして親孝行をした気分だったかも知れない。
 生前に父はわたくしの敵(かたき)であった。幼い頃日曜日にはかならず堅くわたくしの手を握って(以前は抱いて)教会に行った。疎開で田舎に引っ越した時、近くに教会がなかったのでほっとしたのだが、その当ては外れた。どんなに生活が苦しくても日曜日は安息日だと言って父は座前にわたくしを引き据え畏(かしこ)まらせ、教会の礼拝の順序で讃頌歌(チャンソンガ)をうたい祈り、聖経(ソンギョン)を読むのだった。チャンソンガの方はアボジが家にいるときによくうたっていて耳に馴染んでいたので真似したが、聖経は父が読むのを一節ごと復唱しなければならなかった。父は日本語は読めなかったが諺文(オンムン)はなんとか読めた。父の脇には常に三叉(みつまた)の鞭が用意されていて、膝をくずしたり気にいらない態度(そぶり)だと後で遂には脛(ふくらはぎ)にみみず腫(ば)れができるほど打たれた。いつも一時間半から二時間くらい儀式は続いた。苔罰は習慣だった。「가만있거라(そこになおれ)」というと何のためだか考える間があればこそ「잘못했습니다(赦して下さい)」と平伏するよう母(オモニ)から教わった。酷いときには母が躰を張って止めたが父は打つほどに狂暴になるようだった。子供の頃わたくしは父のまえではいつも泣き声になっていた。長じてからも「이 놈아(このがき) 빨갱이새끼(アカの野郎) 뒤지라(くたばれ)!」と薪木(まきぎ)などをかざして追いかけていたが、父も子供の頃からこのように躾られていたのかも知れないと思った。父が異国の神を信じるようになった頃は大変だったと思う。祖父(ハラボジ)もまた陋固で知られた人らしかったから。父は信心してから人が変わったように真面目になり、その変化が祖父の黙認するところとなったのであろうか。
わたくしは戦後一年ちかくのち村に出来た朝鮮学校へ米軍令によって閉鎖される迄の間、通った。朝鮮戦争の起きた頃は中学校で民主主義を習った。町の日本の教会ではバルトによる聖書解釈を学びはじめボンヘッファーの抵抗の神学に興味を持った。そしてことごとく父と父の神と教会に対決する若者になっていった。
わたくしが二十(はたち)になった年に母を喪くした。母はちょうど四十歳だった。十五で嫁にきて生活に追われ、日本へ来てからも苦労の絶える間がなく末期には喘息を患い精神に異常をきたし、その躰で働いていた。ある朝、米を研ぎ부억(かまど)に火を入れ、そしてネコイラズをのんでしまったのだ。
オモニの死は、アボジにとって予期できなかったことではないにしても実に大きな衝撃だった。苦労を共にしてきたつれあいを喪くしたという事実よりも、自死はアボジ自身や子供たちを裏切ったばかりか、神に対する裏切りとしていたのだった。それは大きな誤解であった。オモニが信じていたのは「부억귀신(かまどの神)」だけであり、その朝も井戸から水を汲んでアルミの食器に移して釜戸に捧げた形跡があった。それに裏切ったのではなくこの世に居場所がなかっただけかも知れない。アボジはオモニが遺骨となって戻るまでオロオロしているだけだった。わたくしがアボジの教会へ電話を入れ、葬儀の依頼をしたが断られた。ならばどなたか父の友人としてでも来てもらえないだろうか、と頼んだ。わたくしが病院から遺体を引きとり火葬した。葬儀というものではなかった。残された家族六人だけで骨を拾い松ヤニが白く渇いた箱に収め、父にお祈りを促した。いくら待っても父は無口だった。お祈りもわたくしがした。
――主よ、ただいまオモニがおみもとにむかいました。この世ではなにひとつよい目にあうこともなく苦労ばかりさせたわたくしどもの罪をお赦しになり、あなたの大きな慈愛のみむねにいだかれ、安らぎと永遠のよろこびを与えて下さい。この世では引き裂かれ、とことん傷ついたかわいそうなオモニ、あなたのむすめです・・・・・・。
はじめてわたくしは泣き、弟たちや妹も泣き、向こうの山の方へ首をねじまげて父も泣いていた。
家へ戻ると「電話ですよ」と炭坑主の家の女中が言った。町の日本の教会の牧師からだった。「よく考えてみましたが、どうしても葬儀には行けません」

オモニの死の数日後、わたくしは麦畑のなかを歩いていた。スッカラカンに開けた空も一筋の雲がちぎれて光ながら飛んでいた。突然頭になにか閃いたものがあった。――宗教も国家も、富や権力、正義でさえもが、みんななにもかも生きている人間のためにあるのだ。はじめから差別化され、他者化されたものは死者とおなじで、けっして顧みられることはない。人はみな差別者で傲慢で必要なものは神でさえ独占したがる。貧しくされ弱い立場の者は、死者同様排除され無き者とされる。世の中がいっぺんに見えた気がした。

 わたくしはアボジが死地を故郷(コヒャン)に選んだことにやはり拘った。なにか罪責のような悔恨のようなものが胸に昂じた。ある日曜日、釈然としない気持ちのまま教会(キョフェ)に向かった。老(とし)よりたちが二代目が来たと大変に喜んで迎えてくれ、アボジの追悼礼拝も盛大に催してくれた。父はこの教会では大切な人だったらしい。
 ちょうどその頃アメリカから新しい牧師(モクサ)が赴任してきた。夫牧師(プモクサ)で少年の頃済州島(チェジュド)で一瞬にして両親を喪(な)くし、兄弟がパンツ一枚で石ころだらけの畑にすがり海にもぐって、太陽の子のように成長したが、貧を逃れソウルへ、ソウルから「潜水艦」で日本へ、日本で苦学して牧師になりアメリカに渡り、家族をおいて単身日本のこの鮎ヶ瀬教会にやってきた、アメリカと韓国の二重国籍者だ。底なしに明るく楽しい人だが彼の宣教は難解だった。島訛りの韓国語と日本語に発音のはっきりしない部分があり、英語のイントネーションがついて判然としないことが多いのが難点だったが、主旨はきわめて明瞭で確として雄弁でさえあった。
 彼を迎えた教会は雰囲気が変わった。若い教会員が元気を出し次々と若い信徒が増えた。そのうちの一人が高(コ)であるが、彼ははじめ敗戦の将軍のように現れた。というのは、四十三歳のこの青年は間もなく神学校へ行き後に牧師になるのであるが、顔や躰の造作が大きく押し出しがよろしく、かの義兵軍の将をおもわせたが、町の繁華街の飲み屋のママさんと大恋愛の末破れたという噂の証拠のような身窄らしい格好で現れたからである。わたくしたちは教会の活動の一つとして〈指紋押捺反対〉など日本の地域の各教会に呼びかけをして連帯して市民運動もはじめていた。そうした活動のなかで知りあった一人が河西である。河西は小さい頃熱病を患い歩行に障害のある躰で軽四に乗り、よく鮎ヶ瀬の教会の礼拝にも顔を出したS教会の役員だった。
 わたくしたちは運動の過程で教団や本国の支配を受けない、貧しい弱い立場の人たちの友となる新しい教会を目指していた。教会にはどの教会でもあるように夫牧師やわたくしたちの活動をこころよく思わない、旧くから教会の柱だと自負する長老たちがいて、極楽トンボのような牧師に何かと言い掛かりをつけ、追い出そうとしていた。わたくしたちの新しい教会への希みは切実なものになっていた。ある年の三月、教会がおくり出した神学校の卒業生を祝いに、教会でしっかり者の尹(ユン)と高、わたくし、そして河西が貧民伝道神学校(都所在地)に馳せ参じた。河西は以前からこの学校の賛助界の会員だった。わたくしたちは学長にも会って挨拶を交わした。黙って高をみていた尹がわたくしになにか目配せをした。高を牧師にしよう! その場で高に一言相談することなく交渉にはいり、結果として高を新規入学させることができた。

 数年後の三月、ある晴れた日曜日の早朝、わたくしと河西は高の卒業式を迎えるため河西の軽四で出掛けた。高速道に乗るまえ、バイパスは渋滞した。河西は走行車線と追越・追抜き車線を絶え間なく移動してわたくしの肝を冷やした。午後三時が開会で長距離を走るのには問題があったので黙って耐えたが、高速にのると今度は逆にゆっくりとクルマを走らせ、「総連とか民団とかあるようだけど、どう違うのかね」などと話しかけてきた。この話はもう何度かした筈で、その都度、話下手なわたくしは戦前にかえったり戦後に戻ったりで8・15の前後から在日の歴史をくり返さなくてはならなかったので、心臓を患うわたくしは大変に苦労した。ニヤリと笑って促す彼が小憎らしかった。どうせ長い道中だからと思い直して、話しはじめたが気がのらないこと甚だしい。幾度も溜め息をつきながら話したが、このまえとおなじ質問が何度もくり返されるので途中で言葉を失った。
 窓の外をみると白く光った氷海が両脇の黒ぐろとした山裾のあいだを沖に向かって広がっている。とても静かだ。その静けさのなかをいま巨大船がゆっくりと大きな山蔭から姿を現し出航している。まっ白な建物のような船体は病院船か囚人船のように不気味だ。猿のような姿をした黒い影が白い手袋をした手をちょっと上げて振っているのは中折れ帽ではないか。ア、ソウ ア、ソウー、と言っている。あれは半世紀もまえから秘密に繋留されていた船ではないか。わたくしたちの同胞のなかで行方不明になった者、行き場のない魂があのなかにびっしりと閉じ込められているのではないか、今行けばみんなに逢えるのではないか、密かに離れて何処へ行くのだろう。
 河西はハンドルの上の道路地図をのぞきこんでいた。またビッと鳴ってハンドルがぶれている。わたくしが呆(ぼう)としている間中、そうしていたらしい。今さらながら彼のクルマに同乗したことを後悔した。よさないか、地図を見るのは。なんでこんなところで。脇へ寄せてくれ、運転替わろう・・・・・・ドドドッドッドッドドドッ、膨張しきったわたくしの心臓が悲鳴をあげていた。痛いのだ。河西はやっとハンドルから膝へ地図をすべらせておとした。それを引ったくったわたくしは急いでキャビネットをあけ、投げこんでカシャッと閉じ、手をそのまま押さえて離せなかった。深い山中をクルマははしっているのだろう。急に寒くなり辺りは見るみる暗くなっていく。追い越して行くクルマはライトを点けている。河西はヒーターを引きライトを点けた。闇の暗さのなか、《足柄》と標識が浮かんで消えた。“ドン”、と今度は何かにぶつかってクルマが少し持ち上がったようだ。突風だ。突風は間断なく吹きつけ、しかも勢いは増すようだ。《海老名サービスエリア》の表示が現れて消えた。
 なあ、少し憩んでいこうよ。薬を飲まなくちゃオレ身体の具合変だよ、声が思わず哀願調になっていた。いつか、酒に酔って彼に、駆けっこしよう、ともちかけたことがあるのを思い出して後悔した。気のせいか河西の横顔がニンマリしたと思った。前方を速度をおとして並んでいたクルマが吸い込まれるように左折してサービスエリアに向かった。河西も左にハンドルを切った。エリアの広い駐車場は満パイのようだった。念のため障害者用コーナーに廻したが案の定アキがなかった。多分健常者のクルマだろう。駐車間隔が甘い一ヶ所を見つけて強引に入れる。風は弱まる様子はない。河西が先に降りてドアをドンと閉めた。風が当たったのかもしれない。わたくしは、しばらく動けなかった。疲れたと思った。急にタバコが喫いたくなって膝関節のところで動脈が途切れた脚を一本ずつドアの外に出し立ったとき突風に身を持って行かれそうになった。
 河西の姿は見当らない。暗い駐車場から人影が寒いさむいと声をあげながら建物の方へ走っていく。転ばないようにゆっくりとわたくしも建物の入口から中に入った。食堂の入口に人だかりができていて河西を探したが、ビッコを引きステッキに縋(すが)る彼が見つからないのはなぜか奇妙である。自販機コーナーも土産物の売場の前も建物のなかは人であふれている。トイレに行き食堂を覗(のぞ)こうと行きかけたが、温かいウドンを前に満足そうに椅子に掛けている河西の顔を想いうかべてその気を失くした。建物の出口でタバコに火をつけ、外に出たところで、近くからバシャンバシャンと大きな音がしたと思うと、ウウォオウォー、ウウォーと獣の吠えるような声とともに、風に飛ばされてアルミ缶のようなものが飛んできて足もとを転げていった。駐車場の方にも飛んでいる。一人の作業服をつけた男が大きなポリ袋のようなものをもった両手をふるわせて立っていた。男は両眼をカッと暗闇のなかに見開いて雄叫びとも哭ともつかない声をあげては躰を震わすのだった。男の近くには選別ゴミのボックスが並んでいたがゴミはそこからあふれて彼の前に山を成していた。ピューピュルルル、ピウピュウーと風が寒天の冬の無窮花(むくげ)の枝を撓(しな)わせるかのように、激しく鞭打つかのように、なにか小粒のものを地面に叩きつけた。跳ね上がるそれは小さな霙(みぞれ)か大粒の霰(あられ)のようであった。あられであった。あられは男の前でびっくりして見上げていた女の子の巻き毛の頭にも乗っかっていた。「早くおいで何をしているの!」建物の方から女の声がして女の子はクルマから持ってきたゴミの入ったポリ袋をその場に置いたまま声の方へかけて行った。そうしている間にもクルマから降りた人たちは次々とゴミを捨てていった。なに事もなかったようである。
 「何してるの」河西のステッキが立っている。「あれを見ろ」わたくしは、男の方を指差した。河西は黙って男をみていた。男は先の姿のまま、また吠えた。キラと光った目は、悲しみのように怒りのように濡れていた。河西の顔がゆがんだ。何か言ったようだ。わたくしには「바보(バボ)(馬鹿)」ときこえた。
 教会(キョフェ)の牧師はバボでなかったから鮎ヶ瀬教会から追い出される前に都会に出て、港町に新しい大きな教会をつくった。新しい教会は週に二度集会を開き、日曜日の礼拝は昼二回行われた。赤く陽焼けした丈夫そうな男女は、中国の延辺(ヨンビョン)から来た労働者たちで世の中の不景気も知らぬ気に和気あいあいとしていた。
 牧師・高は細(ささ)やかな伝道所を開いた。彼は日本のこの地を“ふるさと”として新しい在日主体の教会をつくるんだと高邁な理想を掲げたが、わたくしはその高邁なものに不遜をみて近寄り難くなった。

 鮎ヶ瀬教会に新任の牧師がきた。彼はこの教会の長老の息子であり、かつてのわたくしの友人だったが、講段(カンダン)からなめらな発声で文語の聖経(ソンギョン)を読み、権威的だった。わたくしは、そのことをうまく告げられなくて気がふさぐのだ。きのう復活祭(イースター)の案内がきたが、とうとうわたくしは行かなかった。




   愚かの理由(わけ)

 ミサイルをぶち込まれ、クラスター爆弾を落とされて、人間が死ぬ時、頭蓋骨が割れます。脳みそが飛び散ります。胸が割れて、肋骨がぐしゃぐしゃになり、はらわたが飛び出します。手足が吹っ飛びます。血があふれます。死にゆく人は顔を恐怖にゆがめます。
 人は遠く離れていても、それを見ることができます。人間だけが多分、かけがえのない想像力を持っています。想像力は、眼です。
 アメリカがアフガンを攻撃し、日本が宗主国の意を体して、インド洋に軍隊を派遣しました。宗主国がイラクを侵略し、日本はいちはやく片棒担ぎを宣言しました。そして頭蓋骨を割り、はらわたを引きづりだし、手足を捥ぎ取るのに賛成しました。
 ブッシュさんとその仲間たちも、コイズミさんとその仲間たちも、想像力をからきし持たないのでしょう。それが愚かなブッシュ、愚かなコイズミといわれる理由です。(イマジン)



会    録

第290回(2002・6・23)磯貝治良ほか『金達寿ルネッサンス 
文学・歴史・民族』
                報告者・磯貝治良      参加者 8名
第291回( 7・28)李恢成『可能性としての「在日」』
                 報告者・加藤建二      参加者 6名
第292回( 8・25)梁石日『魂の流れゆく果て』
                報告者・加藤 強      参加者 6名
第293回( 9・22)梁石日『終りなき始まり』
報告者・間瀬 昇      参加者 5名
第294回(10・20)『架橋』22号合評会 PART 1
                報告者・朴 燦鎬      参加者 9名
第295回(11・24)『架橋』22号合評会 PART 2
                報告者・張 洛書      参加者 9名
第296回(12・22)一年をふりかえり2003年を望む望年会
                              参加者 9名
第297回(2003・1・26)徐京植『半難民の位置から
             ――戦後責任論争と在日朝鮮人』
                報告者・磯貝治良      参加者 2名
第298回( 2・23)柳美里『石に泳ぐ魚』
                報告者・磯貝治良      参加者 8名
第299回( 3・23)金石範『虚日』
                報告者・加藤建二      参加者 8名
第300回( 4・27)梁石日『闇の子供たち』
                報告者・磯貝治良      参加者 7名




    あ と が き

▼文学は無力なのだろうか。世界の核と大量殺戮兵器の大半を所有する国の狂気に対して、まるで無力なのだろうか。ネオコン・ブッシュ集団の世界制覇の野望に対して、赤子のように無力なのだろうか? 私は反戦デモの渦のなかにあって、いつもそのことを思っていた。
在日韓国人の友人が、インターネット上で行われている興味深いアンケートを知らせてくれた。タイムヨーロッパというメディアが世界中に発信して集めているもので「いま世界で最も危険な国はどこか」。それによると、アメリカとイギリスがイラクへの武力侵略を虎視眈眈、狙っていた二月下旬の段階で、ノースコリアは五%台、イラクが六%台、ダントツの危険な国はUSA、八十八%。これは3択アンケートだから、フリーアンケートなら別の結果にちがいない。小泉政権がアメリカのイラク攻撃をいちはやく支持し、協力を表明した日本は、米英に次いで危険な国第三位と目されるだろう。
▼三月から四月にかけて毎週、世界で同時に行われたWORLD PEACE NOW。一日に世界で一千万人が反戦デモに参加したという。この地でもそれにあわせてIN AICHIが八回におよんだ。有事法制反対ピースアクションという小さな市民運動が二年近く前からコツコツと活動を積み重ねてきて、その核になった。名古屋中心地で持たれた集会とデモは、回を重ねるごとに参加者が増え、アメリカのイラク攻撃が始まったピーク時には千三百人にのぼった。しかも、ピースデモに入ると集会時の倍にふくれあがる。歩道の人々が次次にパレードに加わるからだ。勿論、七十%がイラク攻撃に反対という日本社会の世論からすれば、小さなうねりだが、それでもベトナム反戦いらいの渦が巻き起こった。
 しかし、ブッシュ政権は世界の声を無視した。そしていま、アラブへ向けたと同じ顔をアジアへ、朝鮮半島の北へ向けようとしている。「利権」などあってもなくても、目の上のたんこぶを叩き潰して、世界の覇権を完璧なものにしようというのが、ネオコン集団の野望だ。
▼そんな状況のなかで在日朝鮮人作家を読む会は、昨二〇〇二年十二月に会の発足から二十五周年を迎え、今年四月には例会三百回を迎えた。これまで十周年、十五周年、二十周年、例会二百回などの節目節目には、作家金石範さんを招いての講演と、在日コリアンと日本人が協働するプンムル(楽器と演戯)などの表現とをジョイントしたマダン(場)を開催して、小さな会の催しなのに百人をこえる参加者があった。今回それらしきことができなかったのは、率直に言って会のパワーが落ちてきたこともあるが、先に書いた状況のなかで私自身の意思と身体が街頭へ向かっていたからである。
 文学の想像力は、戦争という不条理を超えられるか? 
 絶対的な軍事力と政治と経済の力を独占する帝国の野望に、どこまで抵抗できるか? モノを書く行為が、アフガンやイラクや・・・・・・の人びとの奪われていく命の現場に達しうるか? 敗北しているのは命への想像力を欠いた帝国の覇権主義者であって、それにNOを言う民衆ではないことを、〈文学〉の想像力は証すことができるか? いまだにそんな青臭いことばかり考えている。
▼今号は記念の意味をふくめて、〈在日〉文学についての何らかの特集を組みたいと思ったが、それも叶わず。ただ運のいいことに『新日本文学』五・六月合併号が、「〈在日〉作家の全貌――94人の全紹介」という画期的な特集を組んだ。これには磯貝と蔡孝が執筆している。
今号は磯貝の三百二十枚ほどの長編が誌面の大半を占めてしまった。この作品は勿論、独立した一篇であるが、『新日本文学』二〇〇〇年一・二月合併号~九月号に連載した「骰(さい)の時」の連作と取ってもよい。「あられ」は詩を書いている作者の不思議な味わいで終わる短編。「ウトロ」の淡彩な筆致は作者の持ち味。朴燦鎬氏のエッセイは本誌の指定席。
▼昨年の望年会でおこなった「読む会」二〇〇二年テキスト人気投票の結果。①金石範『満月』(講談社)②磯貝治良「シジフォスの夢」劉竜子「白い花」(架橋22号)③金石範・金時鐘『なぜ書きつづけてきたか、なぜ沈黙してきたか』(平凡社)李恢成『可能性としての「在日」』(講談社)宋基淑「道の下で」磯貝治良「三千里鐡道の旅」(架橋22号)④梁石日『終りなき始まり』(朝日新聞社)同『魂の流れゆく果て』(光文社)共著『金達寿ルネッサンス』(解放出版社)
 二〇〇三年五月十日                      (磯貝)



「架橋」22号

架 橋 22
                 2002 夏



目   次

○ 小  説 
シジフォスの夢 …………………… 磯貝治良
白い花 ……………………………… 劉 竜子 
道の下で …………………………… 宋 基淑(加藤建二 訳)
○ エッセイ 
宋建鎬先生を悼む ………………… 朴 燦鎬
○ 紀行ルポ 
三千里鐵道の旅 …………………… 磯貝治良
○ コラム「戦争したい法制」三法案
○ 会 録
○ あとがき






 シジフォスの夢

磯(いそ) 貝(がい) 治(じ) 良(ろう)

     Ⅰ

大学のキャンパスというにはあまりに狭隘な土地に一本の櫟(いちい)の木が空を突き抜くように立っていて、異質な感じをあたえる。三方を二階建て校舎とプレハブ造りの部室(クラブハウス)に囲まれたそこは、広めの中庭というにも質素すぎて、芝地はなく赫土を剥き出した空間にすぎない。本校が東海道線の地方都市・豊橋にあって、旧陸軍の広大な連隊跡地を占めているのに比べ、名古屋とその周辺の学生たちが二年生までの一般教養課程を過ごすここは、都会の一隅にある“仮の宿”といった趣。全校学生の屋外集会でも開かれれば、キャンパスは立錐の余地なく埋まってしまう。
〈愛智大学名古屋校舎〉と粗末な門標のある校門をはいって右手すぐのところに、櫟の木は鋭い先端の葉を枝に張ってすっくと立っている。その木の下で、きょうもアコーデオンを鳴らす学生を囲んで男女数人が歌っている。コーラスの練習というのではなく政治サークルか何かの仲間が示威のつもりで、ロシア民謡とか、インターナショナルとか歌っているらしい。
 午後一時限目のフランス語授業を受けるため校舎へ向かって歩きながら、馬瀬(ませ)一郎は歌声に嫌悪感を覚えなくなっている自分に気づく。入学当初は、どうにも馴染めなくて反撥を覚えたものだ。厳密には、歌声にではなく、取り澄ました表情で口を揃えて歌っている学生たちの雰囲気が気に入らなかった。けものの学校で高校生活を送ってきた彼には、コーラス学生たちの気障っぽい雰囲気が唾でもひっかけてやりたいほどだった。一か月ほど経ったいま、その気持ちが消えているのは、彼が大学生らしい気分を味わいはじめているということか。
 櫟の木とは反対の西側に建つA校舎に沿ってキャンパスを抜けると、学生課などのある事務棟脇にB校舎があって、フランス語の教室はその一階にある。馬瀬一郎がバンカラ下駄の音を立てて、そこの廊下をはいったときだった。数人の学生が屯している教室を横目に行き過ぎようとすると、中の一人が目敏く飛び出してきて、彼を呼びとめた。
 不意のことで一郎が怪訝に思っているうちにも、教室の学生たちがぞろぞろと廊下へ出てきて、ちょっと顔を貸せという意味のことを言う。五、六人のどれも幾分、崩れた雰囲気を醸しだしていて、学生服の着こなしからして空手部か応援団員といった感じ。
 言われるままに大講義室のある二階へ通じる階段を従(つ)いていく。学生たちは踊り場で一郎を取り囲んだ。スポーツ刈りの短髪学生を代表格に、面面が口をとがらせる。上級生にたいする彼の態度が生意気だということらしい。一郎自身それと意識してはいなかったけれど、校内で擦れ違ったり、教室で屯している彼らを眺めるときの視線が、どこか眼(がん)を切るふうらしい。かつてけものをやっていたころの習性がいまだに残っているのだろう。
「あんたらの目の錯覚だろ」
 一郎がそう応えると、斜め右手から腕が伸び、彼の学生服の胸ぐらあたりを掴んだ。それを払おうとするより早く、伸びた腕は引っ込む。スポーツ刈りが諫(いさ)めたのだ。
 一郎はそれきり口をきかないことにした。チンピラ学生ふうの上級生に囲まれて、怯える気持ちはほとんどなかった。こんど手を出してきたら刃向かっていこう、と腹のうちで構えていた。口を閉ざしたのは、この場を早く切り上げたかったからだ。授業に遅刻したくない。諦めていた大学へせっかくはいったのだから、高校時代の延長みたいな間抜けはしたくない。
 さらにつづいた上級生たちの説教とも脅迫ともつかない攻勢は、五、六分で終止符を打った。一郎が俯向きかげんに黙りつづけているのを反省の態度と受けとって、満足したらしい。
「先輩は立てなくてはいかん」
 一郎はその言葉を背に階段を降りた。大学というところにも結構、幼稚な連中がいるもんだ、そう思うと苦笑が浮んだ。彼は廊下を急いだ。
 教室にはいって席をとると間を置かず、フランス語の教授があらわれた。
「馬瀬君、大丈夫だったかやー」
 席を隣り合せた芝山富吉が、一郎の耳もとに口をよせて囁く。愛知県と長野県との県境にある山間の高校を卒業して名古屋に出てきた芝山は、浅黒く朴訥な風貌に不安げな表情を浮べている。一郎が好ましからぬ風体の上級生たちに「連行」される場面を、通りがかりに廊下で目撃したらしい。
 一郎は、全然、大丈夫、といったふうに目顔で応えて、フランス語の教科書を開く。
 一郎が選択必修の第二外国語にフランス語を選んだのは、フランス現代文学(なかでもアルベール・カミュ、ジャン・ポール・サルトル、アンドレ・マルローといった実存主義のそれ)に魅かれはじめているからである。高校を卒業する頃、中学時代に国語を教えられた九米仙七と会って、大学に進んだら文学をしたいと言うと、フランス実存主義を勉強 するよう勧められたのがきっかけだった。高校時代に世話を受けた教師や父の方針と、文学部を希望する彼とのあいだにすったもんだがあって、結局、父たちの要望を受け入れ、法経学部経済学科に入学したのだったが、文学をしたい欲求はいよいよ募っている。いまは翻訳によってカミュの『シジフォスの神話』『異邦人』、サルトルの『実存主義とは何か』『水いらず』『嘔吐』、マルローの『王道』『侮蔑の時代』などを読みはじめた段階にすぎないけれど、いずれは原語に挑戦したい。おのれの才能もわきまえない、雲を掴むような夢であると自覚しながら、それでもフランス語を選択するのに躊躇はなかった。
 入学して一か月余を経て得た三人の友人が唯一、フランス語の教室の級友であるのも、一郎の意思を示している。芝山富吉のほかに岐阜の高校を卒業した大林美身と名古屋の「駅裏」生まれの喜多弘次。大林は小学校の頃から謡曲を習っているという、一郎からみれば「変なやつ」。喜多は中学を卒業すると郵便局に勤めて配達の仕事をしながら夜間高校に通い、大学も二部(夜間部)へ入学したのだが、二年目に一部へ編入してきた。したがって年齢は一郎より年上なうえ、労働体験の雰囲気を身につけていて、マルクス経済学の学習会である「経済学研究会(経研)」の教養部におけるキャップをしている。
 フランス語の授業が終って一郎が彼ら三人と教室を出たときだった。見憶えのある顔が待ち受けていたように廊下に立っていて、一郎に笑いかけた。高校時代一年先輩で、図体はやたらでかいのに兎のように小心な性格で「東方のイチロー」の尻にくっついて歩いていたこともある新川だ。彼が愛智大学へ進むと俄然、変貌して、空手部を創設して主将になり、応援団でも幅をきかせているという噂を、一郎は耳にしたことがある。
「イチローさん、さっきはうちの部員が失礼をしたそうで。あんたのこと、みんな知れせんもんで・・・・・・。堪えてやってください」
 新川は薄く笑いかけながらそう言うと、軽く頭を下げた。一郎は故意に視線を外して、取り合わない態度を示す。
 新川がさらに空手部だか応援団だかへ勧誘したい意味の言葉をついだとき、一郎は素っ気なく応じた。
「おれは、東方のイチローとは違う」
 そう言うなり一郎は踵(きびす)を返し、廊下の一隅で心配げにこちらを見ている友人三人の方へ早足に向かった。

「経研の件、決めてくれたかね」
 校門から電車通りへ向かう商店街で音楽喫茶エーデルワイスにはいって、しばらく雑談を交わすうち、喜多弘次が馬瀬一郎に声を掛けた。
 一郎は何のためらいもなくOKの返事をする。迷ったのは数日間だった。文学方面の本を集中的に読みたい、小説も書きたい、そう思うと経済学研究会にはいってマル経の学習についていけるか不安はある。それでも自分なりにめざしたい文学にとって、下部構造の勉強は無駄にはなるまい、重荷になったら辞めればいい、と腹を決めたのだ。一郎には行き当たりばったりに決断するところがある。
 喜多が一郎の返事に満足して、勢いよく空(から)のコーヒーカップを啜ると、彼と隣合せた大林美身が遅れをとるまいというふうに口を開く。
「ぼくのほうはどうなの?」
 大林からは謡曲クラブに誘われている。能狂言や謡(うたい)とマルクス経済学とではあまりにも径庭はなはだしい。それに能や謡曲を見聞したことはないけれど、想像しただけでも肌に合いそうにない。
「金がないよ」
 一郎がそれを口実に断ると、大林は即座に、
「月謝は要らない。クラブの先輩の大前田さんの父上が先生だから」
 と答える。小学校五年生相手に家庭教師のアルバイトが決まったばかりなのでそれも口実にするが、大林は稽古は週一回一時間ほどだから負担にはならない、と後にひかない。大林の粘着質で世俗に長(た)けた生活人の雰囲気が、一郎には苦手だ。
 結局、経済学研究会と謡曲クラブの両方に顔を出すことに決めた。せっかく大学にはいったのだから、未知の経験を積むのも悪くはない、そう考えることにする。
 一郎は大学の講義には欠かさず出席することに決めた。授業と、週一回の経研の学習と謡曲クラブの稽古、週二日夕方からの家庭教師のアルバイト、それ以外の時間を文学の勉強に当てるという、几帳面な日日が始まった。高校生の頃の彼には想像さえできなかったことだ。

 家庭教師の口を一郎に紹介したのは、高校時代の教師CC(チェーチェー)こと岩井厳雄で、私立小学校に通う五年生男子の生徒は彼の甥に当る。小学校五年生とはいえ、エリート養成まがいの教育をする私立校の授業レベルは高く、英語と数学などは中学一年生並みの内容。義務教育の時代をほとんど素通りしてきて基礎学力の覚束ない一郎には荷の重い役割だったけれど、家からは金銭一切を出させず奨学金とアルバイトの収入で四年間を凌ごうと決心した彼に、背に腹はかえられない。月三千円の月謝のために冷汗覚悟で引き受けたのだった。
 小学五年生あつし君は、CCの戦死した兄の息子で、未亡人である母親・絹よさんと共に暮らしている。大学から徒歩で十分ほどのその家は、大蔵省関係の宿泊施設であって、祖母、祖父のほか仲居さんがいる。CCの実家なのだ。「大和荘」と標札のある料亭ふうの家へ週二回、通いはじめて間もなく、一郎はあつし君の身の上を知った。
 あつし君の母親・絹よさんは、中学を卒業すると淡路島から名古屋へ出てカフェで働いていた。その折、彼女の美貌に魅せられた祖母(CCの母)が養女にした。そして長男(CCの兄)が出征するとき婚姻させた。長男は出征したまま帰らず、絹よさんは未亡人となった。戦後、彼女は上場企業O鉄工の後継者Kと恋愛し、Kには妻があるまま絹よさんはあつし君を生んだ。あつし君は非嫡出子ではあるが、戸籍上の長女である絹よさんの子として「大和荘」の跡目ということであるらしい。
 あつし君には利発で早熟なところがある。一郎の基礎学力が粗末なのをいちはやく見透かしたらしく、小学生とも思えぬ質問や話題を矢継ぎ早に繰り出す。案の定、一郎は、英語の基礎構文や一次方程式の説明さえあやふやで確信なく(英語など大学の授業でするクローニンのリーダーのほうが余程、組みしやすい)、冷汗をかかされる破目になったのだが、あつし君には大人相手にタジタジとさせることを皮肉っぽく楽しんでいる気配がある。それでもあつし君が教科書を使う勉強より世態の話題を好むらしいのをいいことに、一郎は太宰治の心中事件や「レ・ミゼラブル」のストーリィ、中日ドラゴンズ杉下投手の魔球フォークボールの投法解説などで煙に巻いて二時間のノルマを凌いだりする。
 週二回の正規の勉強のほか日曜日などにあつし君を連れて東山動物園とか植物園へスケッチに訪れることもある。息子の孤独を慰めてほしい、という母・絹よさんの依頼である。
 そんな日、一郎は友人の夫馬敬成を誘うことにしている。高校時代、文芸部で一緒だった夫馬は母と二人、親戚の二階一間に間借り暮しをしていて、交通局の食堂で賄い婦をしている母親の脛を齧りながら、中途半端な文学修業をしている。就職する気もなく、戦死した父親の遺族年金を食っているのだ。彼は一郎の誘いを断ることもなく、油絵の用具一式を携えてやってくる。
 一郎はあつし君のスケッチブックを適当に覗いて時間をつぶし、頃合いを見計らって動物園の近くにある食堂で食事をする。金は一郎が出す。とはいっても絹よさんから託された金だ。一郎は三人の食事をカレーライスかラーメンで済まそうとする。絹よさんから預かった金が幾らかは浮いて、二、三回分の彼の食事代に回せるからだ。しかし、あつし君は一郎の姑息な目論見を見透かすふうにカツ丼とか天麩羅丼を註文し、売店でキャンデーや菓子の類を買わせる。
 あつし君の母親・絹よさんは月謝のほかに折折、革靴やセーターをプレゼントしてくれて、一郎を喜ばせた。一郎には家庭教師のアルバイトよりも肉体労働のそれのほうが性に合っていたし、生い育った漁港の町の実家とは随分かけはなれた「大和荘」のプチ・ブルジョアふう家風にも窮屈を感じて、日ごとに馴染めない気分を覚えていたけれど、絹よさんの心使いにはひかれていた。
 夏休みにはいって「大和荘」の熱海への家族旅行があり、一郎をそれに誘ってくれたのも絹よさんである。一郎が、友人を誘いたい、と絹よさんに頼んだのは、家族旅行といった雰囲気に違和感を覚えて、夫馬敬成をひっぱりこめば孤立感をいくらか解消できるともくろんでのことだ。絹よさんは一郎の頼みを快く聞き入れた。
 名古屋から熱海までの車中、CCの甥にあたる博心さん、その妹の千代乃さん、一郎、夫馬の四人が四つの座席に同席したのだが、人生観まがいを語り合ううち博心さんと夫馬は議論を始めた。日本大学に在学中の博心さんは派手柄のアロハシャツを着て、挙措に洒落者の雰囲気がある。大学を中退して喫茶店だかを始めたい望みがあって両親と対立している。二人の議論が感情的な様相を呈したのは、たがいの自説を固守しようとしてよりも、夫馬が博心さんの気障っぽい人柄に厭悪を感じ、博心さんがいちはやくそれを察知したからにちがいない。
 一郎は時に言葉を挟む程度で、二人の議論を面白がったが、博心さんにたいする夫馬の違和感は、一郎の感情でもあった。千代乃さんは兄たちの議論を嫌い、気持ちをまぎらすため一郎に何かと話しかける。一郎は擽ったい気分で彼女との会話を愉しんだ。
 博心さんと夫馬の角逐は熱海の旅館(「大和荘」と同系列の官関係の宿泊施設)に着いてからも解けず、燠火が爆けるように数回、火花を散らしたすえ、二日目の朝からは互いに口さえきかなかった。
「馬瀬、あの家族はプチブルだぞ。博心とかいうあいつ、鼻持ちならん」
 熱海旅行から帰って数日後、顔を合わせるなり夫馬は一郎に吐き捨てた。
「それはその通りさ」一郎は素っ気なく返した、「だからどうだって言うんだ? 僻んだって仕方ない」
「あんな連中と付き合ってたら、堕落する」
 夫馬は嫌悪感をあらわに言った。
 それから三か月ほど経って、一郎はあつし君の家庭教師を辞めることにした。夫馬の言葉が身にこたえたのではない。たまたま家庭教師の話がもう一つ転がり込んで、掛け持ちは無理。どちらか選ぶなら、新しい口のほうが精神的負担が軽く、気にも入ったからにすぎない。
 新しい家庭教師の相手は、あつし君と同じ小学校五年生の参平君。風貌、体型ともに福福とした肥満児で、なにからなにまであつし君とは対照的に純朴な少年。大学から徒歩で十五分ほどの市電通りに面した酒店の息子だ。酒店の店さきでは客に立ち飲みもさせていて、参平君を拡大コピーしたような母親が店を切り盛りしている。母親も虚飾のない人だ。父親のほうは、町の発明家みたいな暮しをしてきたが、いまは絵馬師になりたくて修業のために神社の一室に寄宿していると聞く。
 一郎が家庭教師を辞する旨、告げたとき、絹よさんは強く引き止めた。友人の芝山富吉を後釜に紹介することで、絹よさんは納得した。
 最後の授業の日、勉強を終えて食事を済ませたとき、あつし君と一緒に泊まってほしいと一郎に頼んだのは、絹よさんだった。
 勉強部屋でトランプ・ゲームなど楽しんで十時頃、六畳の和室にはいると、あつし君を真ん中に川の字に蒲団が敷かれていた。あれこれ一郎に話しかけていたあつし君がいつの間にか寝息を立てはじめ、一郎もうとうとしはじめたとき、障子の開閉する幽かな音がして、あつし君のそれを隔てた蒲団にはいる絹よさんの気配があった。一郎の眠気は吹き飛び、目が冴えてしまった。
 絹よさんは眠っていないのか、寝息もきこえず時時、蒲団のなかで体を動かす気配だけがする。闇のなかで絹よさんの幽かな動きに気をとられているうち、一郎は気持ちが昂ぶって寝れない。絹よさんはおれを待っているのだろうか、と意識し、あわててその思いを掻き消す。意識しては掻き消す。それを繰り返すうち堪えきれなくなって、厠へ立つ。股間が勃起しすぎていて小便がうまく出ない。部屋の障子をそっと開け閉めして、蒲団にもどる。蒲団にもどるまえ、闇のなかに絹よさんの気配を探ったけれど、そちらへ忍びよる勇気はなかった。
 股間をまさぐる柔らかい手指の感触を夢の中でのように感じたのは、明け方に近かったろうか。とても寝られるとも思えなかったのに、いつか眠っていた。眠りのなかで唇に触れる濡れた膚の甘い匂いを嗅いだ。
 目を醒ましたとき、部屋のなかに薄明かりが差していて、絹よさんの蒲団に人のふくらみはなかった。

 謡曲クラブの稽古は週に一回、大学から程遠からぬ白山町の大前田さん宅へ通う。大前田征の父親が金春流の先生なのだ。鼓(つつみ)方はその夫人(大前田さんの母)が努める。メンバーは六人だが、四年生の大前田征以外は全員一年生。つまり大前田さんがオルグして出来立てのクラブである。それでも馬瀬一郎と芝山富吉を除けば、高校時代に謡(うたい)を齧っているらしい。一郎と芝山を誘い込んだ大林美身などは、なかなかの域のようだ。
 初心者の一郎と芝山は『羽衣』から稽古を始め、節回しの記号を大体マスターしたところで、世阿弥作の直面物(ひためんもの)『蘆刈』の「笠の段」を習いはじめる。経験者である大林、鶴田、浜中は『田村』の稽古に励んでいる。恒例の名古屋学生能は熱田神宮能楽殿で催される。来年の一月十五日の舞台では大前田征が坂上田村麻呂の縁起である修羅物の能を演じることになっているので、それの地(じ)謡(うたい)をつとめるためだ。
 一郎は、学生能の舞台では芝山と二人、「笠の段」を謡うよう、大前田先生から言い渡されている。それだけではない。「笠の段」の稽古をつづけるかたわら、間もなく『田村』の稽古にも合流して発表の日にはそちらの地謡にも芝山ともども加わるよう言われている。なんとも荷が重い。それでも辞退する気にならなかったのは、たかが学生の分際の発表会、大恥かいてもともと、あとは野となれ山となれ、と腹を括ったからである。さいわい酒店やすだ屋の息子・参平君の家庭教師は、「大和荘」のあつし君のそれに比して格段に気楽な雰囲気であり、さきの経験でこつを心得たこともあって神経を使うこともない。謡曲の稽古に打ち込む環境はあった。
「せっかく学生能に参加するのだから、謡曲クラブにも顧問が必要だなぁ」
 その顧問には誰を頼めばいいだろうかと大前田征が言い出した。一郎たち初心者の謡も少しは態をなしてきたころだ。
 愛智大学に能狂言に関心を持つ教員がいるだろうか。戦前、中国大陸に創建された東亜同文書院の系列を継いで、「自由と進取」の気性を学風とする大学なのだ。一郎が入学する数年前、情報収集のため学内に潜入していた警察官が学生たちによって監禁される事件が起ったり学生運動が活発であり、それにたいして寛大な、社会科学系の左翼的教員が主流。日本浪漫派の流れを汲んだり日本的伝統を重んじたりの教員はいそうにない。国文系の教員のなかに謡曲クラブの顧問を引き受けてくれそうな人がいるかもしれないが、メンバー六人のなかに文学部の者はいない。
「馬瀬君、ベルモントさんに頼んだらどうだろう」
 話柄が手づまりの状態になったとき、不意に大林が言った。打診というより催促する口調。
「そうだー、ベルモントさんなら馬瀬君の頼みをきいてくれるよ」
 芝山が大林の提案に応じる。
 一郎は虚を衝かれた。そして内心、はじらいを覚えた。
「ベルモントさん」とは、一郎たちが第二外国語として授業を受けているフランス語の助教授で美波志ベルモントのことである。三十歳代後半、やけに野太い声が特徴の「ベルモントさん」は、概して学生たちと息の通い合う型(タイプ)の教員だが、自分への態度に特別なものがある、と一郎は感じている。それは授業中の挙措に感じられたが、フランス語の前期末テストの際に決定的になった。監督の「ベルモントさん」が、答案用紙と首っぴきの学生たちの間を二度、三度と往き来するのに不思議はない。ただ、その都度、「ベルモントさん」は、一郎の机にひろげられた答案用紙の誤りの部分を万年筆のキャップでコツコツと打ち、訂正するよう合図をして通り過ぎたのだ。大林たちがその一齣を知っているとは思えないが、一郎は妙に羞恥を覚えた。
「ベルモントさん」が一郎に目をかけてくれるのには理由がある。「ベルモントさん」には、異端の泥棒詩人ジャン・ジュネを論じた『アクロバットの支点』と題する著書がある。それを読んだ一郎が長文の感想文を「ベルモントさん」に書いたのがきっかけだ。そのとき「ベルモントさん」は「きみの批評はよろしくない」と一言のもとに切り捨てたけれど、その後、研究室を訪ねてはサルトルやカミュ、フランツ・カフカなどについて半可通の文学論を語る一郎にたいして「ベルモントさん」は寛容だ。
 結局、一郎は「ベルモント」さんに顧問を頼む件を断りきれなかった。「ベルモントさん」は謡曲クラブ顧問の依頼に何と応えるだろうか。辛らつな批判が返ってくるのではないだろうか。そう考えると一郎の気分は重い。
 翌日、「ベルモントさん」の研究室へは一郎のほか大前田さんと大林が同行した。
 案の定だった。
「馬瀬君はなぜ能に興味をもつのかね。きみの文学がめざしている現代の問題と、それはどのように関係するのかね」
「ベルモントさん」は、野太い声で訊ね返した。色艶のよい楕円の顔に笑いが浮んでいる。一郎はそこに皮肉を読みとった。
 一郎は言葉に詰まった。返す言葉が見つからなかったからなのだが、予測が見事に的中して驚いてもいた。
「現代をとらえるためには伝統を否定的媒介にしなければなりません」
 一郎は苦しまぎれに、棒読みの口調で言った。
「きみたちの発表会を楽しみにしているよ」
 そう言って、「ベルモント」さんは謡曲クラブの顧問を承諾した。
 三人が鄭重に礼をして研究室を辞したあと、一郎の気持ちは釈然としなかった。学生能発表会の日まで謡曲クラブをつづけられるだろうか。最近、謡曲(その稽古)と経済学研究会(その学習)とのあいだの異質感をはっきりと感じはじめている。

「それは馬瀬君、絶対的窮乏論によって理論的に解決する問題ですよ」
 水口健二が、一郎の発言に応えて即座に言った。
 テキストの読解が済んでいつもどうり討論にうつり、終りぎわに一郎が発言したときだ。資本主義から社会主義への移行を歴史の「法則」とか「必然」によって説明する意見には、いつも胸につかえるものがあって、ようやくきょう、それを口にした。「下部構造」と呼ばれる経済のしくみの変革は、プロレタリアートの主体的力量によって左右されるのではないか、人間の主体こそが社会主義革命を方向づけるのではないか・・・・・・。一郎は自分の発言が文学的にとられるのでは、と惧れながら思いきって言ったのだ。
 経済学研究会が使っている教室には、どこか隔離された雰囲気がある。部室を持たないので、昼間の授業が終了したあとB校舎の一室を使っている。二部の授業は行われているのだが、それはA校舎に集中していて、B校舎に学生の人影はなく閑散として廊下の明かりもほとんど消されている。
 その教室で一郎が経研の仲間とともに最初に読んだのが、レオンチェフ「資本主義とは何か」。いわば経研の入門書だった。そのあとマルクスの「賃金・価格・利潤」「賃労働と資本」を読み、いまはエンゲルスの「資本主義綱要」がテキストだ。
 初めの頃はテキストに登場する言葉の概念一つ一つが未知のもので、読んでも読んでも内容はチンプンカンプンでしかなかった。テキストの文脈を「働かざるもの食うべからず」「能力に応じて働き、必要に応じて得る」といった俗語に変換して理解したつもりになろうとしたほどだ。その“社会主義的俗語”でさえ、彼が中学生の頃、当時、仕事もせずヒロポン中毒に罹っていた長兄が自己韜晦じみて部屋の壁に貼紙していたなかの言葉にすぎない。
 それでも漁港の町で八人きょうだいの一人として貧しく育った生い立ちが幸いして、資本主義の現実にたいする未分明なりの違和感はあり、社会主義への憧憬はあった。そんな程度の関心だったから、文学の領域でも社会主義リアリズムとかマルクス主義芸術論とかには馴染めず、カミュ・サルトル論争では、カミュの立場に親和を覚えている。
 一郎は経済学研究会の学習に参加してほぼ八か月、ようやく資本主義とは何か、その輪郭をつかめるようになり、資本主義へのアンチテーゼとして社会主義理論の概要を漠然とながら理解しようとしている。それで学習会でテキストとして読むのとは別に、自発的にマルクス『共産党宣言』、レーニン『何をなすべきか』をほとんど理解できないままに読んだりしている。理解できてもできなくても、いずれ『経哲手稿』や『資本論』『反デューリング論』なども読まなくてはと思い、古本屋でそれらを購(もと)めるために金をためているのだ。
 そんな一郎に何かと教唆してくれるのが、キャップの水口健二。水口は三年生だから、教養課程の名古屋校舎ではなく専門課程の豊橋本校に通っているのだが、学習会のたび名古屋校舎の経研に顔を出す。四年前、メーデー事件、吹田事件などの「騒擾事件」と踵を接して名古屋で大須事件が起ったとき、彼は高校三年生で高校生Sと呼ばれる細胞に属していた。そして大須球場で開かれた集会に参加し、デモ行進にうつった直後、ポリス・ボックスへ火炎壜を投げ、検挙された。未成年者ということで起訴猶予になったが退学処分となり、大検に合格して一年遅れで愛智大学に入学した。
 水口健二の経歴を知ったとき、一郎はある種の感銘を受けた。大須事件にはささやかな因縁があったからだ。それの起ったとき一郎は中学三年生の一学期だったのだが、授業の時間を潰して事件のことを熱っぽく話したのは国語教師の九米仙七だった。「九米はん」は、事件の際、集会に参加していた朝鮮人高校生が警官隊の発砲によって殺害されたことを教室の皆に伝えた。殺害された高校生は一郎たちの中学校の卒業生であり、一郎の小学校時代の友だち申萬浩の兄だった。
 一郎が水口に一種畏敬の気持ちをいだいたのはそんないきさつがあってのことだが、それだけではない。水口はすでにマルクス主義関係の文献を豊富に読み込んでいるらしい。『資本論』全巻を読了しているばかりか、第何章の何節にはこれこれの文言があると暗唱(そらん)じたりする。誰それの発言や疑問には即座に、それについてはどこそこでレーニンがこう書いていると引用する。
 一年生メンバーまでが水口の影響を受けて、やたら「レーニンは、・・・・・・と言っている」とやったりする。何かといえば一知半解のまま、「絶対的窮乏論」とか「アジア的生産様式」とか「物神崇拝」とかの言葉を口にする。それは経研のなかでは一種の流行(はやり)言葉の様相を呈している。学習会が始められた当初、「マルクス・レーニン主義」のマルクス・レーニンを同一人物のフルネームと勘違いして、仲間の失笑を買った芝山富吉でさえ、近頃ではそれらの言葉を合言葉みたいに流暢に口にする。
 馬瀬君、きみの考え方は唯物弁証法を否定するものだよ。プチブル観念主義であって科学的ではない・・・・・・。誰かがそんな批判を口にするのでは、と一郎は予想したのだが、皆、黙っていて、喜多弘次の言葉が意表を衝いた。
「馬瀬君の考えは、ヘーゲル的だな」
 一郎は高校三年生のとき岩波文庫の『哲学入門』を呼んでいたが、友人の夫馬敬成に「ヘーゲルを読んだ」とひけらかすために読んだにすぎず、まるで記憶に残っていない(理解できなかった)ので、喜多にそう言われても馬の耳に念仏、反論ができなかった。
「次回には絶対的窮乏論についてもう一度学習しましょう」
 口を噤んだままの一郎に助け舟を出したのは、水口だった。
 時刻はすでに九時に近い。学習会は三時間を十分にこえている。A校舎では二部の授業が終わる頃だ。
 経済学研究会のそんな雰囲気と大前田宅で行われる謡曲の稽古風景とはあまりにかけはなれている。稽古のあいだ鼓方をつとめる大前田夫人は五人の学生をまえに妙にはなやいで和服姿もなまめかしい。声を作り科(しな)を装って、練習生に触れる所作が必要以上に過剰ともおもえる。「大前田夫人は若い男性に目がない」というのが、大林美身の評だ。大林はさらにつづけて、「馬瀬君、気をつけたほうがいいよ。夫人はきみを狙っとるらしい」と忠告する。もっとも彼は、一郎だけにではなく鶴田と中浜にも同じことを言ったとのこと。同級生ながら法学科の二人とは稽古で顔を合わせる以外、交渉はほとんどなかったけれど、彼らが憤慨して大林の言葉を伝えるのを聞いて、大林自身が大前田夫人から狙われたがっているらしい、と一郎は勘繰る。
 夫人とは対照的に、夫の大前田先生は終始、仏頂面をしている。稽古の途中、何度も駄目を出すのだが、それは練習生の未熟さのせいばかりともおもえない。時にヒステリックな様相さえ呈することがあるからだ。大前田先生の不機嫌は、夫人の態度と何か関わるのでは、と一郎が勘繰るほどだ。大前田先生の生業が何なのか、一郎にはよくわからない。建設ブローカーだ、と大林は言う。そういえば大前田先生はニッカボッカーがよく似合いそうな、いかつい体格をしており、浅黒く日焼けした容貌もその体型に適合している。
 経済学研究会の学習と謡曲クラブの稽古との関係を「理論的に解明」することは、一郎に出来ない。前日、三時間以上も学習してまだ『資本論綱要』のなかの一節が頭のなかに残っている状態のまま、翌日の謡(うたい)の稽古では、坂上田村麻呂が観音の助けを借りて「東夷」を平定したという故事に清水寺の縁起をかさねて脚色した能の物語を謡っている。その落差は滑稽。一郎に生理的違和感を覚えさえ、思考の分裂を招きかねなかった。
 一郎は心理的危機感を解消するため、残余の時間はひたすら小説や文学書を読むことに没頭する。家ではフランス語の復習以外はそれに費やしたし、授業と授業(たとえば一限と三限)のあいだに講義の間があけば、空(あ)いている教室を探しては、そこでカミュの『異邦人』サルトルの『嘔吐』カフカの『審判』ドストエフスキーの『悪霊』などに読み耽る。広い階段教室の最後列隅っこの席に掛けて一人、本を読んでいる彼の姿は、木木の枯れ枝に一羽だけ止った鳥のように孤独だ。そんな姿が学友の目にとまることを一郎は恥じた。
 一郎は高校生の頃から孤独な読書の折折、感想を書いていて、そのノートは五冊目になっている。その行為もまた孤独の影をまとっていて、彼には他人の目を憚ることのように思えた。

(ノート「檻と草原」より)
『転落』は、『異邦人』『ペスト』をついでカミュの不条理文学を小説化したものであるが、驚いたことに『シジフォスの神話』以来、長い歳月にわたる人間的・社会的変遷が作家の上に襲いかかったにも拘わらず、カミュの思想の根源は逸脱していない。このことは一貫性として賞讃すべきことなのか、停滞として非難されるものなのか。
 ともかく、カミュが思想の枠組みを変形させることなく不条理論を発展させつつそのイデーを、独得の南国的詩情にデコレートさせながら文学作品としたのは素晴らしいことだ。
 『転落』のモティーフは不条理を意識する瞬間であり、それ以前と以後である。
 ジャン=バティスト・クラマンスにとって不条理の感情は突発的にやってきた。しかも彼の心的状態が甚だ芳しい時に起ったのである。その瞬間から、クラマンスは「不条理の人」としての自己を自覚する。そしてその瞬間からクラマンスの(自己の)行為についての解釈は逆転される。その瞬間以前にはヒューマニズムとして映った行為と情景が、エゴイズムとして自覚されるようになる。
 即ち、用心深く、偽善という装飾によって隠匿されていた人間性が、「不条理の人」として自覚された瞬間、無慙にも裸にされ、以後、彼をおそうのは自己の「内部」と「外部」に対する「罪の意識」である。但し、不条理の感情の発生、「不条理の人」としての自覚、「罪の意識」の、心理的順序を完全に規定することは不可能だろう。
 いずれにしても、その瞬間以後、クラマンスには烈しい虚無の日々が訪れ、無意味という言葉が必要となる。「無意味」は際限なく無を分泌し、彼の存在を無に近づける。
「不条理の人」は「罪の意識」によって責められ、あるいは鍛錬され、「不条理の人」として完璧な存在となり、同時に無へと近づく。『転落』における絶望的な暗さは、そのパラドクスに因るのであって、人生の否定ではない。むしろ反抗でさえある。
 自殺の拒否! 自殺は自他を、救わない、懲らしめない、是正しない。せいぜい他人の退屈を楽しみに換え、世間話に花を添えるのみだ。
 それにしても、カミュは相変わらず肉欲と愛の戯れがお好きだ。性愛は行きずりの遊戯であって、人生にとって絶対的なものではない。尤もカミュにとって絶対的なものなどない。唯すべてが無=意味の生を生きるために必要とされるにすぎない。
 生きる、という事実のみが光り輝いている。
 カミュにおける神の観念――ドストエフスキーは、人間は裁かれる立場にあるものだ、と言ったけれど、カミュは、人間は常に裁かれる立場を回避しなければいけない、と言う。カミュはもう一言付け加えるべきだ、人間は自らをのみ裁く立場にあるべきだ、と。勿論、そう付け加えたからといって、彼が「神」の観念を否定するのではない。
 カミュはドストエフスキーが『悪霊』でたたかったように『ペスト』のなかでたたかうが、彼の「神」は肉体のなかにあって、ロゴスによっては是認されることのない罪――性欲、暴力、殺人を是認する。
 カミュの場合、罪の意識が己を救うというパラドックスが成立する。
 カミュが私に悟らせるのは、死=無に限りなく近づく生=存在という、生きることだ。
一九五六年九月二十八日

『嘔吐』を、今日、ようやく読み了えた。サルトルは何時も難解だ。
〈私は存在したくないと考えるから、私は存在する〉
〈私の裡にあって、依然、現実感を持っているもの、それは、存在することを意識する存在である〉
〈意識は、絶対に自己を見失うことがない。それは自己を見失う意識であろうとする意識であるから。・・・・・・意識の意識がある〉
 以上のような、アントワンヌ・ロカンタンの内白は、私には詭弁じみて聞える。私がまだ『存在と無』を充分に読んでいないせいかもしれない。しかし、サルトルの小説の強烈な個性と独特の肉体的な粘っこさは魅力的であり、私の索めるものだ。サルトルの哲学と身体性がこの日記風の物語手法を創造的にしている。
 梶井基次郎の『檸檬』を読んだときと極似の衝撃を『嘔吐』から受けたのは、不思議だ。
 主人公アントワンヌ・ロカンタンには壊れ物に触れるような脆さを覚える。不条理の意識の、自己存在に対する不安と畏怖が、私を緊張させるからだ。ロカンタンにおいては、一塊の石ころが人間の意識に亀裂を走らせるような感受性を日常的現実にする。不条理の開示が日常化するのだ。人生には意味はない、自分に存在する理由はない、自己存在そのものが余計である――そうした不条理の意識が、石ころを拾い上げた瞬間、嘔気となってロカンタンを襲う。悲劇が始まるのは、その瞬間だ。
 意味のない人生のなかで生きている、余計の自己存在を存在している、そうした自己を発見しながら、しかし現存在は否定できない。此の驚くべき不条理が、人間を日常的に極限状態に追い詰め、実存の根源的な問いを迫る。
 サルトルはそのような嘔吐の意味を文学作品によって提出したのに違いない。不条理としての存在の苦悩! 凄烈な文学的テーマだ。
『嘔吐』の結論はこういうことになるだろう――ロカンタンの索めた、偉大な苦悩は、存在が苦しみは在るということを知らせるだけであって、その苦しみは存在の中にはなく、人間の背後にあって永遠に姿を現わさない、という点にある。
 意味があるのは、その苦しみであって、存在そのものには何の意味もなく、苦しみとの相対関係にあって余計なものである。此処に於いて、人間存在に対するサルトルの不条理の意識は恒久のものとなる。カミュの『異邦人』に於けるムルソーの思想と、『嘔吐』に於けるロカンタンの思想とは、類似の相に於いて出発する。それは『ペスト』によって、或いは『自由への道』によって、それぞれに如何に発展させられるか。その二大作を読むのが当面の楽しみだ。
 私は、私が在ることを意識する。
 実存とは、そうした素朴なものかもしれない。
一九五六年十月十五日

 『審判』のヨーゼフ・Kに降りかかった無実の訴訟も、『変身』のザムザを襲った冷酷な変容も、共にメカニックな不条理への不安の意識だ。カミュの反抗が人間そのものを主体とする不条理性へのそれとするなら、カフカの抵抗は不条理のメカニズムに対するそれと言える。しかし、ヨーゼフ・Kの抵抗はあまりに絶望的であり、精神的自殺の相を呈する。
「まるで犬だ」この最後の叫びによってさえ救われることがない。その時、石切台の上のヨーゼフ・Kは既に死を受け容れていた。カミュに於いては『ペスト』の医師であれ『異邦人』のムルソーであれ『神話』のシジフォスであれ、不条理への反抗に生きた。反抗の文学に執って死の容認(精神的自殺)は、嫌わしい結末であるかも知れない。
『審判』によって、人間存在の極限状況は提供された。其処には既に不条理な世界への告発があり、反抗がある。ヨーゼフ・Kは弁護士を斥け、神に反逆する。それは彼が自己自身であろうとする偉大な努力である。しかし、彼が貧乏画家の弁舌に乗り、女の救いを求めるとき、ヨーゼフ・Kの不安も存在も明確さを失う。カフカが文学のアンガージュマンを放棄するのと同義である。
 アルベール・カミュが次の如く指摘するのは、将にそのことではないか。
〈『審判』一切を提供しながら、何ものをも確立しないのが、この作品の運命であり、そしておそらくは偉大さである〉
〈創造が成すべきことは、遁辞を拒むことだ。
 処が、カフカが全宇宙に対して提供する烈しい訴訟の果てに、わたしは、この遁辞を見出すのである〉
 カフカは『変身』に於いて人間を喪失する。『審判』に於いて起訴され、裁かれる。『城』に於いて「測量師は必要でなかった」とき拒絶され、疎外され、罰せられる。
 それらは不条理に於いて既に与えられたメカニズムであり、先天的、宿命的でさえあって、帰結は常に敗北なのだ。敗北だけがパラドクシカルに救いなのであって、問題なのは敗北のために如何に闘うかである。カフカも亦、「シジフォスの神話」であり、神話=物語が既に外部の不条理を告発している、主人公の敗北と引換に。
 カフカにとって「自由」は一個の「絶望」であった。カミュとサルトルに於いてそれが「選択」の苦悩であるのに似ている。
一九五六年十一月十四日

『カラマーゾフの兄弟』を十三日間で読み終えた。恐るべき小説だ。『悪霊』も凄かったが、その比ではない。さすが疲れた。
〈私は、偉大なる人間の苦悩と悲惨の前に跪く〉
 ドストエフスキーのその言葉は私の胸に響く。ヒューマニズムではない、感傷やモラリズムではない。人間の愛苦に直面した魂の声が深く胸奥に響いてくる。
〈聖性とは、苦痛を役立たせることである。
 それは、悪魔に神であることを強制することだ。
 それは、悪の感謝を獲ち得ることだ〉(ジャン・ジュネ『泥棒日記』)
〈異教徒の徳は輝かしい罪悪である〉(キェルケゴ-ル『死に至る病』)
〈自由とは、苦痛である〉(アルベール・カミュ『シジフォスの神話』)
 それらの言葉をドストエフスキーの告白は想い起こさせる。人間の深淵に直面したものが負う、悲哀とも憤怒ともつかぬ魂の声において、それらは類似である。
 ドストエフスキーは次のようにも言う、〈彼らは、自分の本質を充分に究めようとして、かえって極度な孤独に陥っている〉
 苦悩、罪悪、孤独、自由という苦痛。それらは将に文学のテーマー、人生の主題に他ならない。
 それなのに私にいま在るのは、仮構された苦悩と自由の苦悩、虚構の孤独と罪の観念。此の虚構の一切が真理に変わるのは、それら苦悩、自由の苦痛、孤独、罪の観念とシジフォス的に闘う時であり、その闘いこそが唯一の救いと知る時であろう。
一九五六年十二月十六日

 馬瀬一郎が一時、教会へ通ったのは、高校三年生の今頃の時季であった。深い動機があってのことではない。けもの集団を率いて暴力三昧に明け暮れていた過去と完全に訣別すること、そして欧米文学を読み始めていて「神」の問題を理解しなくてはと思っていたこと――そんなとき友人の夫馬敬成に勧められたのだった。
 プロテスタント教会の気風には馴染めず、礼拝には数回行ったきり頓挫したのだったが、最近、彼がそのことを思い出すのは、ドストエフスキーやカミュを耽読しているからに違いない。しかし、それだけではないことに彼は気づいている。
 教会へ行くのは最後にしようと決心して礼拝に臨んだ日、彼は牧師の説教がつづいている途中、突然、挙手をして質問した。教会で経験した違和感について述べ、日曜日も働かなくてはならないため礼拝に来られない友人のことを訴え、現実社会の変革にキリスト教が寄与しうるかを質したのだ。性急な発言に四囲から冷たい視線が突き刺さってくるのを、一郎は感じた。
 礼拝が終わっての帰り、バス停にむかう彼の背に声をかける人がいた。磨かれた石像のように額が美しく、容貌全体が透き通るような印象を与える女性だった。彼女はそのことだけを言うために後を追いかけてきたというふうに、「私も、あなたの発言に同感だわ」と告げた。そのあと短い言葉を交わし合ったきり、バス停で二人は別れた。名前を先に名乗ったのは彼女のほうだ。
 あのとき一度、会ったきりの神坂ねんこのことを一郎は高校を卒業するまで忘れられずにいた。彼女の像が彼のなかで薄らぎはじめたのは、大学にはいって未知の日日に気をうばわれるようになってからだ。ところが、明日がクリスマスイブという日、一郎は思いがけず彼女と再会したのだった。
 謡曲クラブのキャップの大前田が稽古のあとで皆の前に学生能発表会のチケットの束を示したのは、四日前のこと。チケットがなかなか捌けないので各大学の部員が分担して売ることになったと言う。どんな方法で売り捌くか相談するうち、二人一組のコンビを組んでキャッチ商法の要領で学内で売ろうと決まり、学生だけではほとんど売れないだろうから百貨店なども訊ね、店員をターゲットにしようということになった。学生主催のダンスパーティを開くときパーティ券を捌く、あの手法の模倣である。それで一郎は芝山富吉と組み、M百貨店を訊ねたのだった。
 神坂ねんこが洋傘ケースのむこう側で驚きの表情をみせたのと、一郎が彼女に気づいて、あッと声を上げたのとは同時だった。それでも神坂ねんこは瞬時に、透明な印象の容貌から色彩がひくように驚きの表情を納め、懐かしげな笑みを浮かべた。
 一郎は挨拶の言葉が見つからず、いきなり学生能のことを説明し、チケットを示した。
「そうなの、大学へ進んだの?」
 神坂ねんこは一郎をまっすぐ見ながら、なぜか視線を曇らせて言い、チケットには碌すっぽ目もやらず付け加えた、
「いいわ。友だちを誘うから二枚下さい」
 チケットを渡すと会話の接ぎ穂を失って、一郎は、ありがとう、と言ったきり踵を返してしまった。去りぎわに神坂ねんこが、クスッと笑ったのが何の意味か、彼には判断できなかった。一郎の不器用な態度を笑ったのか、それとも一年前に教会で牧師に噛みついた高校生がいま謡曲などしているのが可笑しかったのか。
 そんなことよりも一郎には、彼女と別れて何か忘れ物でもしてきた気持ちが切実だった。次の布石を打っておくべきだった、と思う。いや、これでいいんだ、彼女が発表会に来たときに会える・・・・・・。そう自分に言い聞かせる端から、神坂ねんこの言った友だちが恋人だったらどうしよう、などと一人相撲の憶測をして、そんな自分を内心軽蔑した。

 学生能の発表会は終った。芝山富吉と連吟で謡った、十分ほどの『蘆刈』「笠の段」は無難に済んだが、大前田征が舞った『田村』の地謡では、謡っている一時間ほどは足の痺れを意識しなかったのに、謡い終えて立ち上がろうとした瞬間、一郎は見事にひっくりかえった。一郎だけではなかった。六人のうち四人までが退場するとき転んで、客席にどッと笑い声が上がった。
 神坂ねんこは発表の日、姿を見せなかった。ところが、偶然はふたたび必然のように訪れた。
 学生能発表会のあと、一郎は謡曲クラブをきっぱりと退(ひ)いた。経済学研究会の学習には参加しており、家庭教師のアルバイトもつづけているが、時間的余裕ができた。大学へはいって以来、疎遠になっていた高校時代の友人・夫馬敬成との交友が復活した。一郎は文学の友人に飢(かつ)えていた。いつか同人雑誌を発行したいと思っている彼にとって、夫馬は得がたい存在である。
 一郎は夫馬と二人、栄の丸善で本を覗いたあと、夕暮れの通りに屋台の提灯が並ぶ広小路を名古屋駅前まで歩き、大手新聞社の中部本社があるビルの一階で画具の店にはいった。明日、島崎藤村の記念館がある馬篭へ行くことになっていて、スケッチの道具を買うためだ。「不条理の文学」に熱中している一郎に藤村への関心はないが(夫馬は相変わらず自然主義文学を愛好している)、馬篭行きは初めてなので付き合うことにした。
 画具店を出てビルの玄関へ向かおうとしたとき、何か視覚の端に閃くものがあって一郎は振り返った。ネッカチーフなどを売るショーウィンドの傍に二人連れの女性がいて、立ち止まった一郎に気づいたのは神坂ねんこ。
 一郎が彼女のほうへ歩くのと、神坂ねんこが彼のほうへ近づいてきたのと、ほぼ同時だった。
「この前はごめんなさい。祝日の休暇はどうしても取れなくて」
 神坂ねんこが、詫びる機会を待っていたふうに言う。
「チケット返品してくれてもいいよ」
 一郎は言って、すぐ後悔した。神坂ねんこは可笑しそうに小さな笑みを浮かべた。その顔に化粧気のないのが、彼女の職場柄、意外だった。
「琥珀でお茶でも飲まない?」
 コーヒーを飲みながら、学生能の発表会のとき謡い終って退場しようと立ち上がった瞬間、足がしびれてひっくりかえった話をして、彼女が笑うのを見たい、そう思う。
 神坂ねんこは連れの女性を振り返り、今度の機会に、と断った。彼女は踵を返して去ったが、今度の機会に、という一言は一郎の耳に新鮮だった。
 翌日、日帰りの馬篭行きを「信州の旅」に変更しようと言いだしたのは、一郎だった。去年の三月、いまと同じ季節、高校卒業の記念に淡路島と京都を巡る一人旅をして以来、旅の気分を味わっていない。こんども一人旅をしたいのだが、いきなりそれを切り出すわけにいかず、夫馬が難色を示せば物怪(もっけ)の幸い。ところが夫馬はあっさりと同意した。信州の旅なら島崎藤村ゆかりの小諸や千曲川を訪ねられるからにちがいない。
 二人は深夜の名古屋駅から中央線鈍行列車に乗った。
 一郎は旅のあいだ車中や宿で折折の感想をノートに綴った。

夜行列車にて
 疲労と不眠のなかで始まった旅でさえも、いつの日にかそれが蘇る思い出になることを思えば、不快を覚えない。喧騒と間抜けと不作法に充たされた夜行列車の一夜さえ、思い出の種子であることを知っている。

                               夜明けのイメージ
夜の明け染める頃、白っぽい翳らいのなか列車は走る。
 山陵と山陵の狭間(はざあい)、谷間の底に、文明から見棄てられ、あるいはそれを拒絶して息づいている村々。点在する家々の明かり、静まり帰るたたずまい、その風景が醸し出す無関心。
 夜明けの村が醸し出す美しさは、論理ではなく情緒だった。それで二人は「朝とその美」について語り合った。「朝には邂逅があり、夕には別離がある」などとぼくが言う。その陳腐なアフォリズムさえ滑稽ではなかった。

                                  老尼と従者
 善光寺で奇妙な儀式を目撃した。
 二人の尼僧を従えた老尼が、朝の参道を勤行のために本山へ登って行く。従者の一人が赤い傘を老尼の頭上に差しかけ、いと厳かに静々と。
 参道の両側には多くの善男善女が跪き、瞑目する。男たち数人が参道の者に跪拝するよう促す。従者の尼僧二人はあたりをキョロキョロ眺め、きらびやかな僧衣の老尼は、拝跪する信徒たちの頭に手を触れては通り過ぎる。このうえなく事務的な仕種で。
 お道化た若者たちがその奇妙な儀式を笑いながら老尼の前に跪く。老尼は変わりない所作で若者たちの頭上に手を添える、このうえなく厳かに、事務的に。
 この儀式の性格の途轍もないアナクロニズムに、ぼくと友人は当惑する。なぜか滑稽と裏切りをぼくは感じる。

                                 ぼくも藤村的?
 ぼくの嫌いな藤村の、看板絵もどき一色に塗りつぶされた悲劇的な城下町。
 なのにぼくも友人同様、小諸城址の落ち着きと、小雨の煙る千曲の谿流に心魅かれるのを、如何ともできない。
 所詮、ぼくも藤村的なのか?

                                ドイツ人の別荘
 すっかり落葉した木々の間を真っ直ぐ続いていく赫土道。
 軽井沢で前時代的な電車を降りたぼくらは、題名のない歌をハミングしながら、時に口笛を吹き、ほかに人影のない竝木道を歩く。外人別荘地帯を通り過ぎる時、ぼくらはその殆どがドイツ人の標札であることを知る。門扉に掲げられた番号もドイツ語。
「シュバイツアー」
「否、シュバイツェル」
 友の発音をぼくが正す。

                                  旅について
 人と喧騒の諏訪湖畔。縄文の神々が渡った湖面に神秘なく、凡庸。昨夜の宿で飲み過ごした宿酔が、まだ尾を引いている。
 八ケ岳、アルプス、富士を霧ヶ峰高原から望んで、気持かなり慰められる。
 旅――それは人生への、怠惰な、変哲のない、しかし決定的な意志であり、刻印である。

 信州の旅からもどって日を経ずに一郎がM百貨店を訪ねたのは、一週間まえの夕方、偶然に出会った神坂ねんこがもらした言葉を彼のほうから実現しようと思い立ったからだ。今度の機会に・・・・・・。彼はあのとき彼女の言葉に新鮮な感情を覚えたけれど、態のいい逃げ口上かもしれないと疑っていた。それならそれで構わないと自分に言い聞かせ、三度目の偶然に賭けるつもりでいた。ところが旅から帰って、こちらから神坂ねんこに会いに行こうと思い立ったとき、それが不意の衝動ではないことに彼は気づいた。小諸の町で木(こ)芥(け)子(し)を買ったときすでに彼女への土産にする心づもりだったのだから。
「ふーん、島崎藤村、好きなの」
 一郎が信州を旅したことを言って木芥子のはいった木箱を渡すと、神坂ねんこはちょっとためらったけれど、ありがとうと言って受け取り、そう言った。彼女の口吻が一郎には微妙な侮辱をふくんでいるふうに聞えた。
 いや、違うよ。旅のあいだ、おれはマルローの『人間の条件』を読んでいたんだ・・・・・・。
「藤村なら、『破戒』を読んだことがある」
 神坂ねんこはちょっと無機質な口調で言いつぐ。
『破戒』ならおれも読んだ、と言おうとして、一郎はやはり『人間の条件』にこだわる。それなのにうまく言葉にならないのは、神坂ねんこがアンドレ・マルローを知ってるだろうか、いや知っているとして、気障にとられないだろうか、そんなためらいがあったからだ。
「ごめんなさい。客でもない人と立ち話してると、同僚がうるさいのよ」
 不意打ちみたいに神坂ねんこが、一郎の胸を一突きした。
 一郎はまたも、彼女が厄介払いしたがっていると勘繰って腹を立て、背を向けて商品ケースの傍を離れた。二、三歩来たところで不意に踵を返し、ふたたび神坂ねんこのほうへもどると、一郎は彼女を誘った。退社時に合わせて時間を決め、M百貨店と道路を隔てて隣り合う丸善の二階書籍売場で待っている、と告げた。神坂ねんこの返事は曖昧だったが、断ったとも受け取れなかった。ただ、これまで会うたび彼女の透明な印象の顔を輝かせた笑みが、きょう一度もみられなかったのが一郎の気にかかった。
 一郎が強引に告げた場所に時刻を違わず神坂ねんこが現れたのは、彼になかば意外だった。それでも彼はそのことを確信していたように考えることにした。
 夕暮れどきの風が少し冷たい街路を、二人は広小路通りから名古屋駅前まで歩き、喫茶店にはいることにした。途中、神坂ねんこは口数少なく、小柄というのではないが華奢な体付きに似合わず足早に歩いた。一郎は、彼女が異性と散歩することに慣れていないせいにちがいないと思うことにした。
 喫茶「琥珀」で一郎はコーヒーを、神坂ねんこはレモンティを飲み、会話も途切れがちに十五分ほど過ぎたとき、彼女は彼のコーヒーカップが空(あ)くのを待っていたかのように帰ると言い、琥珀ビルの前で別れた。
 翌日の金曜日を間に置いて、一郎がたてつづけに三日間、神坂ねんこの職場を訪ねたのは、彼自身にも馴染まないほどの情感に衝き動かされてのことだった。訪ねるたび一郎は彼女を誘い、最初のときと同じ場所で約束の時刻に待ち、昏れなずむ街路を二十分ほど歩いて、駅前の琥珀でお茶を喫む。二人の会っている時間が徐徐に長くなったのは、散歩の道道、交わす言葉が次第に増え、歩調がゆったりとし、コーヒーとレモンティを飲みながらの会話にも気持ちが通いはじめたからだった。
 そうして一郎は、彼女について少しずつ知るようになった。神坂ねんこの家は、名古屋から西北へ私鉄電車で十分ほどの町(そこはすでに市内ではなく郡部なのだが)にあって、高校は名古屋の西部にあるそれへ、一級河川庄内川に架かる橋を渡って自転車で通ったという。彼女の通った高校が一郎の卒業したけものの学校とは対極の名古屋でも有数な進学校であることを知って、彼が驚いたふりをすると、
「馬瀬さん、東方高校なの。あの学校の生徒には近づくな、というのが、わたしの学校の校是だったわ」
 神坂ねんこはそう言って、「校是」という言葉におどけて笑った。
 一郎も図に乗って、漁港の町の彼の家のこと、高校時代は「トーホーのイチロー」などと呼ばれ、傷害事件で家庭裁判所送りになったことなど、話したりした。
 それなのに肝腎な大学の話はしなかった。彼女が時に口にする言葉の端端から、神坂ねんこがその話題を好まないと気づいたからだ。三か月ほどまえ学生能発表会のチケットを売り捌いていて偶然、M百貨店で一年振りの再会をしたとき、彼女は「そう、大学に進んだの」と呟いて表情を曇らせたのだったが、それ以来、一郎の頭の片隅にその表情が謎のようにひっかかっていた。謎が解けたのは、彼女が大学進学を断念したときの口惜しさを語ったからだ。
 二人が出会うきっかけとなった教会へ彼女が通ったのも、進学を断念せざるを得なかった(その理由について神坂ねんこは語らず、一郎も問い質さないことにした)心の動揺を慰めるためだったという。当時、動揺のまっただなかだったということらしいが、あれは一郎が高校三年生の三学期なのだから、神坂ねんこは同学年ということになる。
「最初に会ったとき、確かおれより年上のように言ったはずだよ」
 一郎が真面目な口調で言うのに、
「そんなこと言った? もし言ったのならわたしの天邪鬼が騙したんだ」
 神坂ねんこは事もなげに返し、表情を淡い色彩で染めた。
 一郎が神坂ねんこを馬篭行きに誘ったのは一種、自然のなりゆきだった。四月にはいって二年生前期の授業が始まる直前の金曜日、二人は朝早くの名古屋発中央線の列車に乗って中津川まで行き、そこから緩い傾斜の山道を休み休み歩いて二時間ほどをかけ馬篭へ行った。夢が実現して、一郎は得意の絶頂だった。
 神坂ねんこと初めての接吻を交わしたのは、馬篭の宿(しゅく)を散策したあとさらに傾斜の道を登り、妻篭の宿の入口あたり、人けの途絶えた山涯の際でだった。四囲に展けた山嶺を眺めるうち、一郎が感情に促されるまま誘い、二人は唇を合わせた。何かの果物に似た彼女の口臭が生(なま)めいて一郎の欲情を刺激した。彼は舌さきで彼女の唇をひらこうとする。神坂ねんこは少し息を弾ませたが、最後まで歯を噛み合わせたままだった。

     Ⅱ

「愛智大学名古屋校舎」の標板がある校門をはいって、右手に櫟の木が一本、先端の鋭い葉を繁らせて毅然と孤独に立っているのを眺め、狭いキャンパスを抜けると、事務棟の玄関はある。
 あれ、何かあったのか・・・・・・。
 掲示板の前に学生たちの集(たか)っているのが馬瀬一郎の目にはいった。休講とか教務連絡といったなじみの場面にしては人集りが普通ではない。合格発表の掲示を見るのにも似て、学生たちの様子がどこか昂(たかぶ)っている。
 掲示板にはB紙をつなぎ合わせた貼紙に三十名ほどの姓名が墨書されており、その頭書きによって新学年特待生の発表であることが知れた。
「馬瀬君、凄いんやね。特待に選ばれとる」
 横合いから声が飛ぶ。フランス語の授業と経済学研究会でいっしょの芝山富吉が浅黒い童顔に笑いを浮かべている。芝山が声をかけなければ、一郎は貼紙の名前も確かめずに掲示板の前を離れるところだった。
 経済学科二年生の欄に馬瀬一郎の名前が確かにあった。瞬間、頭の中が少しぼーッとした。錯覚ではない。
 入学試験では特待生枠を受けて不合格だった。以来、一郎は特待生へのこだわりを捨てていた。確かに一年生前後期の成績簿はほとんどの科目が「優」ではあった。だからといって特待生をめざして勉強したつもりなどなく、大学のレベルがよほど低いのだろう、と思っていた。
 もしかするとベルモントさんのお陰かもしれない・・・・・・。ふとそんな疑いが一郎に起った。フランス語の美波志ベルモントが一郎に示す好意からして、彼が教授会(特待生選考委員会)で強力に推したということは、充分に考えられる。
 一郎は名古屋駅に近い家で母子二人の間借り暮しをしている夫馬敬成の部屋に泊まることが多くなっていたが、四日ぶりに漁港の町へ帰った。家へ着くなり、特待生に選ばれたことを報告すると、父は喜んだ。父の半端ではない喜びぶりをみて、特待生選抜のいきさつへの疑いは吹き飛んだ。
 大学入学以来、一郎は奨学金とアルバイトの収入で学費などを賄い、家からの経済的援助は一切、受けていない。だから、父の喜びが金銭的理由でないことは確か。高等小学校を卒業後、家業の職人仕事を継いだ父は、五十二歳になる今日まで間に外国航路の貨物船乗組員、山林伐採人夫、繊維ブローカーなどの職も転転としながら八人の子どもを育てた。小学校の頃、「勉強の出来る子」として町の語り草になるほどだった父には、「上の学校」へ行けなかったことが余程、口惜しかったらしく、子どもには教育を受けさせたいと口癖にしてきた。長女は高等女学校を出たけれど、長男、次男はいずれもぐれて高校途中で退学した。三男・一郎の大学進学によってようやく希望は叶ったのだった。そこへ飛び込んだ、特待生選抜の報だった。
 一郎はといえば、経済的理由によって率直に喜んだ。授業料免除は、奨学金の月額二千円がまるまる浮くことを意味する。これまで散発的に手に入れていた「世界文学全集」(河出書房刊)の購入にはずみがついて、全巻揃える目途がついた。窮屈にしていた小使いにもいくらか余裕がうまれた。
 一郎が夫馬敬成と連れ立ってストリップ劇場をしばしば訪ねることになったのも、いわば特待生の余禄ということになる。
 開慶座は名古屋駅前のビル街を少しはずれた商店通りにある。もともとは芝居小屋だったので、舞台、花道、二階桟敷が残っていて、せり上がりもある。フィナーレにはそこからトリをつとめるダンサーが登場する。
 一郎と夫馬は、時間を持て余す日など朝十時の開演から二階桟敷に入りびたる。時時はダンサーの拙い踊りを眺め、素人っぽい芸人の幕間ショーを見るが、畳に寝そべってうたた寝をしながら夕方を待つ。腹拵えは出入りの都度、下足番のおにいさんに挨拶して、商店通りの駄菓子屋でパンと牛乳を買ってくる。
 夕刻、客席と舞台の様相は一変する。一階座席ばかりでなく二階桟敷までが客で一杯になり、一郎たちはたたみに寝そべるどころか、男たちが発散する熱気の渦にのみこまれる。登場する踊り子の肉体も芸も輝き、ミュージックボックスの演奏者たちが華やぎと哀愁を醸し出す。幕間のコミックショーや紙切りの演技では、年季のはいった芸人たちが客席を堪能させる。
 クライマックスは、トリの踊り子がせり上がりから登場し、舞台でひとしきり演じながら身に着けたものを一枚一枚脱いでからだ。舞台の端で、花道の所所で、彼女が膝を開いて股間のものを誇示するたび、客席はその一点をめざして見事に統制された人の波をつくる。彼女の一挙手一投足が波のうねりを招き、干かせる。その情景は二階桟敷から眺める一郎に、異様とも感動ともつかぬ情感をもたらした。
 ショーが干けると一郎は、踊り子の肉体と芸にか、あるいは観客の興奮にか、いや、そのいずれにも昂揚して体じゅうの血を火照らせて、劇場を出るのだった。
 開慶座では夫馬敬成が一緒ということもあって、一郎の欲情は中途半端にしか解放されなかったけれど、中央劇場では奔出した。広小路通りの途中、堀川運河に架かる納屋橋の袂にあるそこへは、一郎は一人で行くことにしていた。もとは映画館である中央劇場は、開慶座とは対照的に場内は健康的なつくりで人の波も起らず、上品なストリップ劇場だ。それでも一郎は見知らぬ男たちのなかで一人、舞台のダンサーの裸身に見入っているうち、抑えがたい欲情を覚えて席を立ち、便所へはいった。ズボンのファスナーを外すなり、彼の意思とかかわりなく精液は奔出した。欲情は外部の何かによって抑制されない場合、さらのままに醸成されるのだろうか。孤独と性欲のあいだには、何か暗暗とした生理のかかわりがあるのかもしれない。
 一郎が未世出のストリッパーと言われるジプシー・ローズの舞台を観たのも、中央劇場だった。彼女の引退興行と銘うたれたその日、ジプシー・ローズの肉体にはすでに脂肪がつき、踊りにも生彩が失われていた。一郎はその舞台を見るうち、自身の孤独と彼女のそれとを奇妙に混淆した。
 踊り子たちの裸身に孤独な欲情を奔出させるのは、神坂ねんこへの情欲の代替行為なのかもしれない・・・・・・。時に一郎はそんな想念にとらえられて陰気な気分になった。
 神坂ねんことは、一週間と間隔を置かず頻繁に会っている。平素は彼女の退勤時間に合わせてM百貨店に隣合わせた丸善で待ち合わせ、名古屋駅前まで広小路通りを歩いて喫茶・琥珀でお茶を飲むか、時には毎日ビルの地下にある大衆バー・オリオンでビールを飲んでダべるのだが、彼女の職場が定休日には日帰りの遠出を愉しんだりもする。知多半島を海岸沿いにバスで巡ったり、渥美半島の尖端・伊良湖畔を訪ねた。一郎は海を好んだが、神坂ねんこは緑を好んだ。それで木曽川畔に遊んだり、瀬戸の緑地公園や海上(かいしょ)の森を散策した。恵那へ行ったときは山麓を巡るうち方向を見失い、トンネル工事の作業員に叱られた。二人は発破作業の現場にまぎれこんでいたのだ。
 いまでは会うたび二人は、接吻を交わすのが習いになっている。神坂ねんこが舌をからますことを覚えたのはいつ頃からだろうか。いまでは熱っぽい所作さえ示すようになっている。
 ところが、一郎に体を任すことを彼女は拒んだ。知多半島の尖端・師崎の人気(ひとけ)ない海辺の岩陰で抱擁し合ったときも、伊良湖の恋路ケ浜で肩を寄せ合って沖合にひろがる紺青の水平線を眺めていたときも、一郎は激情に駆られて彼女の下衣に手を忍ばせたのだったが、神坂ねんこは彼の侵入を撥ね返した。木曽川畔の繁茂する雑木林や海上(かいしょ)の森で二人きりになって、鳥たちの囀りを聞くうち一郎が欲情を抑えがたくなったときも、神坂ねんこは毅然とさえおもえる邪険さで彼を拒絶した。
 デイトのたび使う金は神坂ねんこがいさぎよく払って、一郎に「貢ぐ」という言葉を想い起こさせるほどだったのだから、彼女が彼に献身しているのは確信できた。それだけにいっそう、彼女の拒絶は一郎に不可解だった。
 神坂ねんこの拒絶に遭うたび、一郎は鬱積する気持ちをノートに記した。「檻と草原」につぐ六冊目のノートは、現在の彼の文学的関心を反映して、「不条理と実存」と名づけられている。

 Nよ、君は余りに強すぎる女(ひと)だ。
 逢うたび、君はその事実をぼくに再認識させる。その認識はぼくにとって苦痛だ。
 君の華奢な肉体の何処に、あの烈しい焔は隠されているのか。ぼくは気力なく、虚弱な、空虚(うつろ)すぎる人間だから、君の強さに従いて行けない。だから、君の肉体を求める時に遭遇する、あの拒絶は、何か非人間的な酷薄をぼくに感じさせるのだ。

 いま、ぼくの、愛に関する感情は、実に複雑だ。繊細なほどだ。否、虚弱と言うべきかも知れない。
 注意深く、慎重に、常に神経を研ぎすましていないと、ぼくの愛は忽ち、他の忌むべき感情に変ってしまう。愛は虚となって、欲望だけがぼくの感情の底に残るのだ。
 ぼくの愛の対象が、いま肉の存在のみであるなら、ぼくは、欲情より以外のもの、即ちより高貴なもの、より優雅なもの、より知的なものを、愛に感じることは出来ない。或る女(ひと)を愛するとしたら、そこには精神的なもの、無垢なものが(必ずしも美的である必要はない)、発見されなくてはならないのに。
 しかし多くの場合、ぼくは愛の感情に精神の純粋を見出すことが出来ない。或る女をこよなく愛したいと思うのに、彼女の内面を侮り、愛の欲求は枯渇を潤す精液の甘美のみを味わおうとする。
 それでもぼくは、愛したい。欲情によって変型された愛ではなく、認識によってさえ充たされる真実の愛によって。
 其処でぼくは、或る造作を自分及び相手に施す。
 即ち、恋愛という営みからはそもそも永久に見出されないであろう無垢と崇高の像を、自己の空想世界で形成するのだ。即ち、男と女の関係に架空の純粋と優美を創造するのだ。存在しもしない純粋と優美を虚構的に想像することによって、恋愛という像を飾ってやるのだ。
 そのような、虚構的に創造された愛による他に、ぼくは愛する術を失っている。残されたカードは他にはない。だから、このような奇妙な仕方の愛であっても、ぼくは充分に満足なのだ。方法はどのようであれ、愛という感情を持ち得る能力が付与されていると信じられることは、ぼくにとって至上の歓びなのだ。ぼくは、手放しで喜悦に入る。
 しかし、このような愛の、なんと脆弱なことか。虚構の愛の仕種など、現実の仕種――たとえば彼女の何気ない言葉、表情、身振り、媚態、性の仕種によって、雑作なく破砕されてしまう。嘔吐のように消え失せてしまう。
 後に残るのは欲望の残骸。
 ただただ虚構な、虚無のそのまた虚無が、呪われた屍(しかばね)のように残るだけだ。
 そう、それは実にロマンティックな愛の骸(むくろ)だ。

 ぼくらのものである日日。ぼくはNのために何かをしたいと言い、最後に忘れず、Nを好きだと付け加える。Nは、あなたはわたしのことを好きと言いすぎると抗議し、最後に必ず、息がつまる、と言う。それでも、夜と語らいと微笑と善意とは、二人のものだ。
 ぼくはNを愛したのか? ぼくらにはそれはどうでもいいことのようにおもえる。巨大な無関心という他人の渦のなかで、ぼくらは出会い、触れ合い、犠牲を交し、たがいを愛したと信じる。ぼくらにはそれだけで充分なはずだ。    (ノート「不条理と実存」)

 一郎は神坂ねんこへの情念を宙づりにされたまま、抗しがたい誘惑に溺れる気分のなかにあった。
 経済学研究会の学習のため読まなくてはならないテキストも通り一遍に目を通してやりすごすので、他のメンバーとの知識の遅れはますます水をあけられる。大学の授業には、神坂ねんこの職場が定休日に日帰りの遠出をする以外は、欠かさず出席してはいる。一般教養過程の必要単位は一年生で三分の二ほど取得して進級に心配はない。だが、せっかく選抜された特待生を次年度も維持できるか不安があった。
 一郎が以前から念願していた同人雑誌の発行をいよいよ決心したのは、そんな宙吊り状態から出口を見出したいという衝迫があってのことかもしれない。
 大衆バー・オリオンのカウンターで二人が肩を並べた日、一郎が構想中の雑誌について語っていたときだった。
「一泊旅行しない?」
 神坂ねんこが唐突に言った。バイオレット・フィーズのグラスを弄りながら呟いたのだが、一郎には激しい言葉に聞えた。
 神坂ねんこと一郎が諏訪湖を訪ねたのは、四日後の金曜日。午後三時頃、そこに着いて、縄文の神々が渡ったという広い湖面を望み、湖畔を歩いた。一時間ほどして冷雨が降り出したので、旅館へ急いだ。
 質素な中庭の見える和室で座卓を挟んで語り合ううち、冷雨はいつの間にか霙まじりになっている。
「雪の季節にはまだ遠いのにね」
 窓の外の風景を眺めながら、神坂ねんこが言って、一郎を真似てタバコを吸う。それはあとにも先にも初めてのことであり、咳きこんで顔を顰めたりしたけれど、一郎には彼女の仕種がくずれた女を演技しているようで好もしかった。
 入浴と食事をすませて、一郎が逸る感情を抑えぐずぐずしているうち、さきに寝衣に着替えたのは彼女だった。蒲団にはいるなり、一郎は彼女の体を抱いた。口づけを何度も交わすあいだ、神坂ねんこは一郎の体を抱きしめ、身を捩らせた。
 一郎の下衣を彼女が脱がせた。一郎が彼女の下腹部へ手を伸ばすよりさき、彼女は自分の下衣を取った。一郎が彼女のなかにはいって射精するのに三分とかからず、そのあいだ神坂ねんこは眼と唇をきつく閉じたまま下腹部を動かすことも知らなかった。抱擁しあって何度も唇を交わしたときの激情が嘘のように。
 曖昧な眠りから醒めたとき、まだ深夜だった。神坂ねんこは彼の腕に身をあずけて、小さい寝息をたてている。一郎はそっと彼女の体から腕を外し、寝具から出て素裸かのまま座卓の前に座った。そこに開いたノートにペンをはしらせた。
 
 諏訪。忘れることのできない至福の土地だ。ねんこはいま少女のような寝顔でスヤスヤ眠っている。
 幸福とは、こういうことか。人間は結ばれて、幸わせなんだ。幸福などというニヤけた言葉、俺は好かないけれど、今は別だ。
 空は輝くために。星は光るために。風は歌うために。雪は白さのために。そして君はぼくと結び合うために。似合いなんて、もともとはない。愛し合って、似合いなんだ。それは見事な創造行為。三十年、五十年それは朽ちることがなく、ぼくらは皺だらけの似合いを続けるだろう。
 ねんこ、愛とはそういう単調なものに違いない。だけど、何んという鮮烈な単純だろう!

 そこまで書いたとき、一郎は突然、ペンをノートの上に投げ出した。背後にねんこの眼醒めた気配を感じたからだ。
 ねんこは蒲団の上に上半身を起こしている。少し寝惚け顔のまま微笑んだ。その表情に誘惑されるように、一郎は彼女の体に彼の身を投げた。唇を交わすのももどかしく一郎は彼女のなかにはいった。ねんこは驚いたふうに彼を見つめたが、最初の行為のときとはちがって、眼を見開いたまま一郎の動作に合わせ、ぎこちなく下半身を動かした。溜息に似た幽かな声が唇から洩れる。彼女のものが彼のものを包むように濡らすのを感じたとき、一郎は胯間に鮮やかな解放感を覚え、まるでノートに文章の続きを記すように、愛よ、永遠よ、と心のうちに呟いて彼女のなかに精液を放った。

 一郎に、ある「事件」が起きたのは、神坂ねんこと初めて体を交わして十日と経たずだった。他人には「事件」と呼ぶには当たらないことであったとしても、彼には切実な事件と感じられた。
「事件」は、ヴィクトル・E・フランクルの『夜と霧』を読んだことに因(よ)る。みずからも悲惨を体験したユダヤ人心理哲学者が、ナチス・ヒトラーのアウシュビッツ強制収容所におけるユダヤ人ホロコースト(大量虐殺)を記録した、その一冊が、一郎を衝撃した。ガス室への通路いがいの明日(あす)を奪われた人びとの極限の生と死――その生生しい物語の証言と、著者による鋭利な人間観察、そして巻末に載せられた数数の写真が一郎に呼び覚ましたものは、人間という存在についての深甚な畏敬と恐怖という驚くべきアンビバレンツだった。彼はドストエフスキーの『死の家の記録』とはまた別の感動に心を戦かせて、その一冊を読んだ。書物によって初めて与えられた、魂を揺すられるのに似た経験かもしれない。
『夜と霧』を読んだあと、一郎のうちに何かが崩れていく感覚をもたらした。経済学研究会で仲間たちと交わす議論など、ひどく教条的で、人間という存在からは遊離した、空疎な概念の遊戯にすぎない、と思えた。いや、経済学の論議だけではない。彼がこれまで文学作品によって理解しえたと信じていた、不条理とか実存とか、孤独、反抗といった人間存在をめぐる認識が、まるで観念的虚妄ではないか、と疑われたのだった。カフカなどを引き合いにして友人・不馬敬成の浪漫的教養主義を批判してきたのが、子どもじみた衒学趣味とさえ思える。カフカを読みはじめた頃、一郎がその名前を口にすると、夫馬は「カステラみたいな名だ」と茶化したのだったが、あのときの彼の口吻が妙に気にかかる。
 一郎は衝撃をうまく整理できないまま、『夜と霧』のなかのフランクルの思索の断片をノートに書き散らした。

〈異常な状況に於いては、異常な反応が、将に、正常な行動であるのだ〉
〈苦悩する者、病む者、死につつある者、死者――これら総ては、数週の収容所生活の後には、当り前の眺めになってしまって、もはや人の心を動かすことは不可能になる〉
〈此の無感動こそ、当時、囚人の心を包む最も必要な装甲であった〉
〈一体、此の身体は、私の身体だろうか、もう既に、屍体ではなかろうか。
一体、自分は何なのか? 人間の肉でしかない群衆、掘立小屋に押し込まれた群衆、毎日、その一定のパーセントが死んで腐って行く群衆、その一小部分なのだ〉
〈自分の生命を維持する為の、排他的な関心に役立たないものを徹底的に無価値なものとした〉
〈恐ろしい周囲の世界から、精神の自由と、内的な豊かさへ逃れることに於いてのみ、繊細な性質の人間が、しばしば頑丈な身体の人よりも、収容所生活をよりよく耐え得たというパラドックスが理解され得るのである〉
〈愛は、結局、人間の実存が高く翔り得る最後のものであり、最高のものである〉
〈愛は、一人の人間の身体的存在とはどんなに関係薄く、愛する人間の精神的存在とどんなに深く関係していることであろうか〉
〈強制収容所に於ける人間が、群衆の中に消えようとすることは、自分を救おうとする試みでもある〉
〈苦難と死は、人間の実存を始めて一つの全体にするのである〉
〈自然主義的な人生観や世界観が、種々の多様な規定性や条件の産物に他ならないと、我々に信じさせようとすることは、果たして真実なのだろうか〉
〈人間は身体的性質、性格学的素質及びその社会的状況の偶然な結果に他ならないのだろうか〉
〈人が、感情の鈍磨を克服し、刺激性を抑圧し得ること、また精神的自由、即ち環境への自我の自由な態度は、この一見、絶対的な強制状態の下に於いても、外的にも、内的にも、存し続けたのである〉
〈まず最初に、精神的人間的に崩壊して行った人間のみが、収容所の世界の影響に陥ってしまう。また、内面的な拠り所を持たなくなった人間のみが、崩壊してしまう(此処に言う、内面的な拠り所とは、心に未来の何か、目的を持つということである)〉
〈強制収容所に於ける囚人の存在は、期限なき仮の状態である〉
〈強制収容所に於ける、内的な生活理想は、人間的に崩壊してしまった人間にとっては、過去への回顧的な存在様式になるのである〉         (ノート「不条理と実存」)

 一郎はフランクルの言葉の処処に、以前に読んだドストエフスキー『死の家の記録』から記憶にとどめている言葉の断片――「人間は、総てに慣れ得るものだ」「私は、私の苦悩にふさわしくなるということだけを恐れた」といったフレーズを挿入して書き写したのだったが、書きすすめるうち衝撃の核心がもっと別のところにあると気づいた。
 衝撃の核心は、人間の身体にたいする畏怖だった。強制収容所で亡びゆく肉体に対する内的、精神的な自由の優位を説くフランクルの体験的思考に魅かれたのは確かだったが、その内的、精神的自由への意思が一郎に呼び覚ましたのは、より直截に、身体への畏怖であった。
 ガス室で焼き殺される人間の肉の臭い、その肉体の脂肪を材料に製造する石鹸、人間の皮膚を剥がして作製された電気スタンドの笠、毛髪で編んだ壁飾り――それら人間の「残虐な叡智」がもたらす、肉体への恐怖。その恐怖が一郎のなかで女性への怖れを目醒めさせたのだった。侵されてはならない聖なるものであるはずの肉体。その肉体に触れることへの禁忌の感覚は、生ぬるい血のはいった壺に素手を突っ込むような、手ざわりと臭いの感触として、一郎をおそった。
 生生しい感触が神坂ねんこという一人の女性の肉体にむすびついて、確固とした畏れの感情に変わるのに、彼の内面で何の媒介物も必要としなかった。全裸のまま死の部屋へと追い立てられる女たちの肉体に、神坂ねんこの白い裸身を想像するのに、心理的な操作の余地さえなかった。
 聖なる身体への生生しいほどの畏怖――自分のなかに呼び覚まされた、その感情が癒される時まで、ねんこは抱けない・・・・・・。哀しいような、憤りにも似た気持ちで一郎はそう思った。

     Ⅲ

「小説界」
 軍艦が言う。
「寓話」
 三郎さが言う。
「浪漫」
 夫馬敬成が言う。
「海」
 氷やのKちゃんが言う。
「実存文学」
 馬瀬一郎が言う。
「棄権」
 最期に任天堂が言う。
 その瞬間、一郎の家の二階に集まった六人の若者は、いっせいに嘆息をもらした。
 同人雑誌を発行するために数回、会合をかさねて、同人の顔触れが固まり、発行所を一郎の家に置いて編集も彼が担当することになった。結社としての旗幟はとりたてて鮮明にせず、各人がそれぞれの個性を発揮して精一杯の作品を載せようと意思一致した。いくらか議論はあったけれど、そこまではトントン拍子に話がまとまった。ところが、肝心の誌名を決める段になって脱線した。前回の話し合いでまとまらず、きょうまた各自の推奨する誌名を挙げることにしたのに、これが前回、各自が提案したものの鸚鵡返しで各人各様になってしまった。
「これじゃ、埒が明かんなぁ」
 しばしの沈黙のあとで、三郎さこと伊東三郎(一郎の次兄の同級生で名古屋大学教育学部四年生)が、得意の臭いのないおならを音高くひりながら言った。
「ご破算にして、あたらしい誌名を考えよう」
 そう言ったのは、綽名が頭の格好に由来する軍艦こと馬瀬広之助だ。軍艦は広島の大学を卒業して漁港の町へ帰ったばかりの、同人のなかでは最年長。
 軍艦の意見に誰も賛否を表明しないまま、
「追(つい)舟(しゅう)」
 と、氷やのKちゃんこと馬瀬圭吾が言って、即座に、薬局の息子である任天堂こと古見皓也と夫馬敬成(いずれも一郎の高校同級生)が、それに賛同した。この場の雰囲気にうんざりして、早く決着をつけたいのらしい。
「上品なエロティシズムがあって、いいじゃないの」
「うん、平凡なようでいて含蓄がある。誌名として他にはなさそうなのがいい」
 三郎さと軍艦が口を揃えて賛成する。
「夜の太鼓」
 一郎は咄嗟に口にした。「実存文学」に固執していて他の誌名など考えていなかったのだが、「追舟」に対抗上、急きょ思いついたのだ。
 馬瀬のやつ、また我(が)を出して・・・・・・。夫馬敬成と古見が顔を顰める。年長の三人は格別、意に介してないふう。場所の雰囲気は圧倒的に「追舟」優勢だが、一応裁決しようということになる。
 案の定、一対五で「夜の太鼓」の惨敗だった。
 一郎は主宰者の立場を自負していたので、自分の提案が孤立させられたことに面白くなかった。借りは作品で返そう・・・・・・。彼はそう腹に決めた。
 同人雑誌創刊の計画が具体化すると、一郎は早速、創作にとりかかっていた。ここ二年ほどのあいだ、「瓢箪」「如来菩薩」「芥川治」「星男」「破綻」「怯懦者」「壁の中」「殺人」などと題して中短編の習作を試みていた。いつか雑誌を出す日のためにと書いていたのだが、それらはすべて没にすることにした。芥川龍之介や太宰治のはしかから癒えない模倣が目に余って、現在の文学的関心とはかけはなれすぎているからだ。「壁の中」や「殺人」といった習作は、サルトルの「壁」、カミュの「異邦人」に影響されて書いたものだが、これも模倣の域を出ない。
 そうしてあらたに書きはじめた小説「甲蟲と奇妙な女」の構想について、一郎はノートに次のように記している。

 主人公の“奇妙な女”は四十四歳、独身の中学教師。彼女は女学生の頃、一度だけ男の肉体を知っている。その時の体験が今、彼女の肉体に激しく蘇る。
 或る憂鬱な雨の日、彼女は庭さきに面した縁の下の踏み石に牛乳壜を見付ける。壜の中には誰が入れたのか雌雄二匹の甲蟲が入っている。二匹の昆虫が交わす性戯が、彼女を激しく嫉妬させる。
 主人公は冷酷な悪戯を思い付く。雌の甲蟲を別の牛乳壜に移し、雌雄を引き離して二匹が互いを求めて身悶える姿を楽しもうと企てる。 
 彼女は毎日、壜から逃れようとしてシジフォスの徒労を繰り返す雌の苦闘を眺めては冷酷なサディズムにひたる。
 遠い昔に男から捨てられ、教師生活に倦んで教え子に愛着を抱けず、生のすべてに何の意味も感じられず、依怙地に虚無の日々を送っている彼女。甲蟲への卑しい戯れが一時、彼女に生の感情を幻想させる。
 軈て、二匹の甲蟲は死ぬ。不条理の意識は甲蟲の死後にやって来る。彼女は甲蟲への悪戯のなかで時に自分の醜さに苦しむが、甲蟲が死んで以前の退屈な日々にもどった時、彼女は苦悩から解放されたことに虚しさを覚える。
 不条理の意識と性的感情――それは主人公の難問であり、現代の難問である。
(ノート「不条理と実存」)

 一郎は、「甲蟲と奇妙な女」を書きすすめながら、この小説にオリジナリティがあるか、とそれだけを自問していた。そして作品の最後に、主人公が教え子の少年を誘惑する場面を据えた。庭さきの縁の下に甲蟲の入った牛乳壜を置いたのがその少年にちがいないと妄想して、彼を犯そうとするのだ。

〈作品の最後の場面〉
 わたしは狂おしく彼の童貞に自分の肉体を挑ませた。彼の虚弱な肉体はわたしの狂気じみた欲情に抱かれて健気に耐えていた。
「頑張って、もっと頑張って」
 わたしの声に、彼は忍び泣きを押し殺しながら身を揺すった。
 冷酷な不条理の中で、わたしは、これでいいのだ、と思った。
 私たちの畸形のいとなみは成就されなかった。彼はまだ男性の肉体を整えていなかった。二個の肉体は狂おしい徒労の末、空しく離れた。
 わたしは歪んだ気持を微笑にし、彼は泣きじゃくった。
 雨の降らぬ間に、彼は帰って行った。
 明日、どうするかは考えていない。

『追舟』創刊号の原稿が揃ったのは、十一月にはいってからだった。ただし、軍艦だけは小説が書けず、急きょ評論に変更したらしいが、それも間に合わなくて創刊号をリタイアーした。代りに、原稿集めの段階で同人になった国本尺六が短編を寄せた。国本は漁港の町の青年でもなく、誰かの知人というのでもない。『追舟』創刊の噂を風の便りに知って舞い込んできた。工業高校定時制に通う三年生。容貌も体型も達磨大師のミニチュアといったふうだが、現在働いている鋳物工場を辞めて東京へ行き、演劇の道(役者か台本作家)へすすむ日を夢見ている。
 創刊号に集まった小説五篇、シナリオ一篇――
 三郎さは伊東三郎の本名で、時代もの仕立てに人間の自己同一性の不安を描いた「新三と喜之助」。三郎さは石川淳に傾倒していて、戯作調を擬ったつもりらしい。国本尺六は秋村進のペンネームで、天上を舞台のディスカッション小説「人の作者」。夫馬敬成は猪部淳二のペンネームで、吉行淳之介の「娼婦の部屋」ばりに青春のメランコリーを描いた掌編「瑞夢」。“水無月来りなば日もすがら/我は愛する者と共に、芳しき乾草に坐らばや”(ロバート・ブリッヂェス、佐藤春夫訳詩)といった詩片を作中に引用している。氷やのKちゃんは火野葦平に擬したペンネーム・火野公平で、漁港の町を舞台に少年たちの幼い性と悪意を描いた「小さな加害者」。シナリオ一篇は任天堂の「縮図」。中小都市を舞台に、自衛隊基地にからむ町の人びとの悲喜劇を書いている。任天堂は無口な偏屈者で、高校時代は国木田独歩とか田山花袋とかを読み漁っていた。それが最近、シナリオ作家になろうと野望を抱いているようだ。三年前、警察予備隊から生まれ変ったばかりの自衛隊を題材に取り上げたのも、時宜性(タイムリー)をねらってのことかもしれない。任天堂の日頃の言動から推して、一九五七年現在の日本の政治状況について深い関心があるともおもえない。
 一郎自身の作品「甲蟲と奇妙な女」は四百字詰原稿用紙九十二枚に達した。創刊号では最長の作物であり、出来栄えも一等のものと自負して、あられもなく自己陶酔に耽った。
 作品が揃うと、一郎は早早と割付をして(三郎さの「新三と喜之助」を巻頭に、「甲蟲と奇妙な女」を掉尾に置いた)、風呂敷包みにした原稿を抱え、自宅から歩いて五分ほどの犬塚謄写堂へ急いだ。

 ぼくたちは巧妙な作品を選ぼうとはせず、誠実な苦心作を選びます。ぼくたちは完成作を選ぶよりも、粗々しくともエネルギッシュな失敗作を選びます。尊いのは作品の生命力であって容貌ではなく、新しい時代の同人誌は、技巧ではなく主題を要求しています。
 ぼくら現代文学の主題とは何か? それは時代の不条理と対決して、文学という寓意と仮構をもって現実の中から「人間の回復」を創造することである。
 二〇歳を出たか出ないかの若僧があばら屋に集まって、そんな大それた夢を見ながら、稚拙ながら現代文学のマンネリズムを打破したいと鼻息を荒くしているのです。そうです、見果てぬ夢を追いもとめて。
(『追舟』創刊号編集後記)

 タイプ謄写版B5判八十六頁の『追舟』創刊号百冊が、藍色の題字とモノクロ男女裸身像を装幀に配してインクの匂いも鮮やかに届いたのは、年の暮れも迫った十二月二十八日の夕方だった。
 犬塚謄写堂は、一郎の家から坂道を漁港のほうへくだって途中にあった。平屋建て住居の一角に機械を置いて、夫婦二人の印刷屋。印刷職人から独立して間もなく、文芸雑誌の注文をこなしたのは初めてとあってか、犬塚謄写堂主人はインクの匂いがする雑誌を自転車の荷台に積んで届けたとき、満面に笑いを浮かべていた。
 一郎はその夜、雑誌の山を枕もとに積んで眠った。二十歳(はたち)の記念に・・・・・・。そう心に呟いて。
 年があらたまって開かれた同人合評会。「甲蟲と奇妙な女」は作者が才気にばかり走っている、と散散の酷評だった。生煮えの実存主義観念も痛烈に批判された。この連中には現代文学の課題が理解されていない・・・・・・。一郎はそう思うことにして、散散の酷評を無視した。
 彼は早早に二号に載せるための小説に取りかかった。それは創刊号合評会で批判の標的になった観念の遊戯への傾斜をいっそう強くするもので、文体も装飾的だった。「繋がれた足」と題されたその作品の創作メモは、次のように記されている。

 若いヒロポン中毒の主人公は、群衆の無関心の中で、その無視という蔑視に耐えられない。他人を傷つけることによって彼は群衆の関心を自分にひきつけようとする。彼と群衆とは無関心の壁に隔てられながらも、目に見えない鎖によって互いに足首を繋がれていると男は妄想する。彼は、群衆の誰かを殺さねばならない、そうして無視という侮蔑に復讐しなければ、孤独を逃れ、抽象された「ヒトのムレ」に入ることができない、と信じ込む。
 ヒロポン患者は、赤い屋根の精神病院へ送られる。
 其処では、患者たちは人間的な絆を奪われている。欠片となった存在の孤独があるのみだ。
 主人公は、次第に人間ではあり得なくなる自分を見出していく。彼が、赤い屋根の病院の白い壁の室で見る夢は、石塊(くれ)に変容した自分の姿なのだ。彼は夢という思索のなかで、人間が人間以外の物体(もの)になり得ることを発見する。その時、彼の中で何かが啓示され、群衆への殺意は消える。孤独の恐怖さえ癒される。
 退院の日、彼を載せた赤い車は、白い街へ、群衆の中へ入って行く。無関心の視線、黄色っぽい群衆の波、埃を巻き上げる町の空洞。
 突然、主人公の内に蘇る殺意。目に見えない鎖の妄想が甦る。
 虚妄か、さもなくば消滅! 
 男が叫んで、救いを求めたとき、彼を乗せた赤い車は方向転換してふたたび赤い屋根の病院へ向かう。                     (ノート「不条理と実存」)

「繋がれた足」を書きすすめながら、創作はしばしば中断した。気負い立ってはいても、つきまとう不安を拭いきれない。同人たちの批判を無視して突き進むには彼自身の小説観を明確にしておく必要があったのだ。なにより自分自身を納得させるために。
 一郎が小説を書きすすめる作業を中断するたび、貪るようにドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』サルトル『自由への道』カミュ『ペスト』アンドレ・マルロー『侮蔑の時代』と読破したのは、そうした彼なりに切羽詰まった必要に迫られてのことだった。そして思いつくのにまかせて、小説論まがいの断片をノートに記した。
「不条理と実存」と題したノートはまだ数頁を残していたが、それを空白にしたまま彼は新しいノートを下ろした。気分をあらためるためだ。高校二年の終り頃に書き始めて七冊目にあたるそのノートには、「現実と虚構」と標題を付した。

 ぼくはつくりごとしか書かない。現実をどんなに精巧に生き写したとして、それが小説である限り、現実そのものではない。精密さに於いて現実そのものを超えることは出来ない。小説にはフィクションというもう一つの現実があって、時にフィクションは現実そのものより遥かに衝撃的である筈だ。

 小説は仮構であって何ら差し支えない。
 事実に忠実であろうとすれば、小説は扁平な、表層のものになってしまう。ぼくらの周囲は余りに真実が掩い隠され矮小化されている。ぼくらの体験も、知性も、殆ど、新しいものを生み出さない。昨日の出来事、今日の思考の繰り返しだ。『ペスト』のなかでタルーが言うように、「そうです。・・・・・・ペストの正体はしょっちゅう繰り返すということなんです」。
 ぼくらは仮構から出発して、軈ては、かつて一度も発見されなかったような、人間の奥部の尤も致命的なものに達しなればならない。日本の私小説がそれを成し得ていないのは、実生活をその型に似せてしか小説の世界に写し出していないからだ(私小説作家の中には、実生活の場で文学を模倣しようとする、滑稽な人さえいる)。私小説作家の実生活は、社会的なものから隔離された古臭い思考と行動によってまかなわれているので、畢竟、その小説は、私生活観想的な、創造性に欠けたものになってしまう。
 太宰治の才能が、文学と実生活の世界を模倣し合おうなどという滑稽な劇を演じなかったなら、人間を極限の状況に於いて設定し得ただろう。
 最近読んだ島木健作の『癩』についても、仮構が人間の深部に至る力を信じていたなら、感傷や希望などによって救われることなく、怖るべき文学に達しただろう。
 極端に言えば、ぼくらはもっと嘘を吐(つ)いて、体験を超越しなければならない。それが人間の致命的な深所へ至る方途なのだから。

 シジフォスはすべてを理解していた。
 両肩に喰い込む石の重みが、決して解放されない苦痛であることを。そして、それにも拘わらず、その重みを愛していることを。果敢に耐えつづけることを。
 医師リューはすべてを理解している。人間はペストから決して救われないだろうということを。そして、それにも拘わらず、救いのないことがペストと闘う理由に他ならないということを。

 このように提出された状況(シチュアシオン)をぼくらは生きている。既に骰(さい)は投げられている。
 提出された状況から、ぼくらは鵜の目、鷹の目で、可能性を見出さなければならない。状況との容赦ない対決に於いて、ぼくらの新しい条件を見出さなくてはならない。そうした困難な発見は、文学の想像力と創造力の問題だ。
 そのためにぼくらに与えられた悪徳の手段は、嘘である。嘘の代償として真実が得られるだろう。

 小説家は先ず、言葉を愛する。彼が言葉を信じるからだ。
 しかし次の段階で、小説家はimage(イマージュ)を愛する。それは彼がimageを信じるようになると、最早、言葉を殺したいと感じるからだ。小説家のimagination(イマジナシオン)の内部に、或る像が宿ると、彼が持ち合わせる種々の現実の言葉は失速しはじめ、imaginationの外部で像が小説化される時、個々の言葉は死ぬ。
 その時、言葉は、imageの胎に包まれて唯の姓名の形骸にすぎなくなる。現実が虚構というもう一つの現実に変容する瞬間だ。

 小説という現実コミットメントの形式(スタイル)について考えているのに、何故、一見それとは関係なさそうな、人間に関する思惟の断片が思い浮かぶのだろう?
〈人間は観念ですよ。しかも全(まる)でちっぽけな観念です。人間が愛というものに背を向けた瞬間からは〉(アルベール・カミュ『ペスト』)
 ぼくはその言葉を強引に読み変えている。
「小説は虚構ですよ。しかも不思議な力を備えた虚構です。小説が現実に立ち向かおうと決心した瞬間からは」
〈虚無は、絶対よりも更に達し難い〉(同『結婚』)
 ぼくはその言葉さえ更に次のように読み変えるだろう。
「虚構は現実よりも更に達し難い」
〈不条理な経験のなかにあって、私に与えられた最初の唯一の明証は、反抗である〉(同『反抗的人間』)
 そうなのだ。不条理という現実の経験のなかにあって、私たちに与えられた最初の唯一の明証が反抗であるなら、その反抗は何によって成されるべきか。たぶん、現実の不条理を超える、小説という虚構の真実によっての筈だ。現実と対峙し得れば、小説はすでに反抗であるに違いない。
〈人間は、現状を拒否しうる唯一の被造物である〉(同前)
 人間に紛れない事実は、唯一、想像力を所有するという事実であり、それによって、直面した危機から何かを回復しうるという事実なのだ。

 作家は、衝動(モチーフ)によって書くか、観念(イデー)によって書くか。
 衝動によって書かれた時、作家はそれについて評論を書く必要を感じる。たぶん、文学的感動を外的imageとして描いたにすぎないから。
 他方、観念によって書かれた時、作家はそれについて論じる必要を感じない。既に内面に於いて文学的感動のimageをideaに昇華させて描いているか、或いはその逆の過程(プロセス)が経られているのだから。
 アルベール・カミュの場合、〈生への絶望なしに、生への愛はない〉(『裏と表』)の像的観想は、〈希望がないということは、絶望ということではない。それは、より多く意識的に人生を見つめるということだ〉(『シジフォスの神話』)の行為的観念へと発展する。また別の流れについて言えば、『異邦人』に於ける死刑囚のimageが『ペスト』や『反抗的人間』に於ける反抗のideaへと発展するのも、同類のプロセスである。
 このように一人の作家に於いても、像(イメージ)から思想(イデー)への深化は証明される。
 ジャン・ポール・サルトルに於いて同様のことは言える。『嘔吐』(『想像力の問題』)から『自由への道』(『存在と無』)への展開(プロセス)は、像的観念(イマジネーション)から行為的思惟(アンガージュマン)への前進を証明する。
 フョードル・ミハイロヴィッチ・ドストエフスキーに於いて、その過程は思想世界と物語世界のいっそう顕著な発展関係として証明される。ペトラシェフスキー事件に遭遇して、『死の家の記録』を人間観察として体験録風に書いたドストエフスキーは、『虐げられた人びと』の人道主義的メロドラマから出発しながらも、『地下生活者の手記』を転機に『罪と罰』『白痴』『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』へと、その思想世界と物語世界を一作ごとに深め、広げる。
 ドストエフスキーに於いて、思想世界の深まりと広がりが、物語=小説世界の深まりと広がりに緊密な関係を有している事実は、ぼくらに絶対的な確信を与える。つまり、思想世界の文学的表現は虚構的営為によって可能なのだという仮説さえ示しているのだ。否、思想とは、文学に於いては、フィクショナルなものに他ならない、という予感さえぼくらに与える。

 ぼくが小説を書くのは、文学に憑かれたからでも、或る種の覚悟によってでもない。ぼくに小説を書かせる重荷に似たもの――ぼくはそれを逆説的に、強制された権利と呼ぼう。権利がぼくを蝕む。
 実存の問いを、ぼくは実感moodとして描くのではなく、ideaの相に於いて形象しなくてはならない。サルトルをさえ批難するとしたら、それは次のような事情に因(よ)ってだ。
〈俺は、ここで何をしているのだろう〉(「分別ざかり」上)
 このサルトルの問いはmoodである。それは「俺は何者だろう」と問うのと同断である。
 実存的問いは次のように問われなくてはならない。
 俺は一体、何で在り得るのだろう?
 その問いを解き明かすには、俺は一体、何を成すべきだろう?

 文学の中の思想だって?
 思想のために文学を犠牲(いけにえ)にすべきではない――それが仮に定説であったとしても、ぼくは敢えて、思想のために文学を奉仕させよう。
 小説を読む時、ぼくはその中の思想を読み解こうとしている。読む時と同じように、ぼくは思想を索めて小説を書こうと決めている。そのために文学的効果が損なわれたとの批判を浴びようと、敢えて文学的未完を選ぼう。思想の名に値するものを持てないなら、小説など書かないがマシなのだ。花田精輝を真似て言おう、文学だって? そんなものは弟子たちに任せておこう、さもなくば犬に呉れてやるがいい、と。
 ぼくはまるで楽天的にそう言うことが出来る。何故なら、思想は既に虚構である、という仮説を確信しはじめているからだ。
 思想は現実の生き写しではなく、或る仮構の手続きによって、まったく新たに形づくられたものなのだ。出来上がった思想は、既にフィクションである。
 現実に対峙してそれに打ち勝つために営まれる思想の営為は、既に虚構であり、虚構そのものの闘いのなかで生き延びる他なく、そればかりか、虚構そのものとして深化し、達成される。
 ぼくが楽天的なのは、そのような文学=虚構と思想=虚構との蜜月関係を信じ始めているからである。

 fictionの世界をぼくは愛している。
 俺はフィクションだ!
 ぼくがそう叫ぶ時、同人たちは一様に眉を顰めるだろう。ぼくは一人芝居を演じなくてはならないだろう。
 確かに、フィクションのためのフィクションは無意味(ナンセンス)に違いない。フィクションは必然に因って要請されてこそ用いられる方法(メソッド)だ。自然主義リアリズムによっては追究し得ない、人間状況の難問に立ち向かってこそ、フィクションは、日常より更に真なりと言い得る。

 文学は決してモラルという定型を要請しない。その逆にまた、モラルは文学を生まない。
 文学が要請し、またそれが生まれるのは、不定型の探検である。その探検の最たるものが、多かれ少なかれ無秩序を運命づけられた〈虚構〉という人間の営為なのだ。

 虚無への世代的な郷愁のなかにあって、現代文学の前提である不条理からの「人間の回復」を試みるのは、易しいことではない。
 そういう困難に直面して、取り得る文学的方法の最善のものが、思想=虚構という行為(プロセス)を経て試みられる、創造的方法に違いない。          (ノート「現実と虚構」)

 文学とは一体何だろう・・・・・・?
 一郎は、大学の授業も神坂ねんこへの想いも捩じ伏せて、そのことばかりを考えつづけ、ノートを埋めた。憑かれたようにそんな作業をつづけるうち、掌のなかに確かな感触に似たものが訪れた。現実とみえて現実ではないもの――小説が孕む〈虚構〉という、得(え)も言えないものの不思議に魅入られていくにつれ、一郎は体の内側から何かが解(ほど)けてくるのを感じる。
 この感じは何だろう・・・・・・。
 数か月前、フランクルの『夜と霧』に遭遇して、そこに記録されたナチス強制収容所の現実から受けた、圧倒的な衝撃。動物のように屠(ほふ)られる人間の死がもたらした、肉体への畏怖。その衝撃と畏怖が一郎を呪縛していたのだったが、小説と現実とは異質のものと気づきはじめたときから、そして虚構の真実が現実ごとを超えるかもしれないと予感しはじめたときから、彼は呪縛から解かれるのを感じはじめた。
 いや、そうではないのかもしれない。生生しい現実と肉体への、あの怖れから逃れるために、彼は作為的に〈虚構〉へのめりこんだのかもしれない。ノートに書きつけられた、強引な虚構論は、彼なりの焦りの発現にすぎなかったのかもしれない。
 一郎にとっていま、その因果の関係は問題ではない。神坂ねんこの肉体にまでおよんでいた、女性の身体への禁忌の感情が、幽かな気配ながら氷解しているらしい事実だけで、彼には充分だった。
 そんな彼を、ある肉体の蘇生にかかわる言葉が励ましたのは、一見脈絡を欠くようにみえても、肉体への怖れから癒される前兆があったからなのかもしれない。
〈拷問にかけられた肉体は要素となって自然に還り、其処から生命が甦るだろう。殺人自体も完成しない〉(アルベール・カミュ『反抗的人間』)
 ナチスの強制収容所で全裸のままガス室へ追い立てられる白い裸身――あの女たちへの慰藉と再生の物語が、その言葉によって語られ始めるように、一郎には思えたのだ。啓示にも似たその直感は、神坂ねんこの肉体にたいする禁忌の感情をも、彼のうちから解いていくようにみえた。彼女の肉体への禁忌の感情が、ガス室へ送られる女たちの白い裸身への怖れによってもたらされたように、その逆の巡りを辿って。
 一郎にはいま、女たちへの蘇生の祈りが、神坂ねんこの肉体への怖れを癒してくれる、と感じられるのだ。
 神坂ねんことの逢引は、「夜と霧事件」(一郎は内部に起った経験をそう呼ぶ)に遭遇して以来、間遠になっている。あれからの数か月、抱擁も交わしていない。不自然な時間が経過しているのは否めない。
「繋がれた足」は四百字詰原稿用紙八十六枚になって、締切りぎりぎりに書き上がった。
『追舟』二号が刊行されたのは一九五八年四月四日。「繋がれた足」のほかには伊東三郎の小説「二人三脚」、秋村進の詩「幸福な子供」、古見皓也の戯曲「蝿の群」の三篇が掲載されたのみで、七十八頁の誌面となった。
 一郎は編集後記に次のように付記した。

 創刊号に「端夢」を発表した夫馬敬成君が退会した。「書けなくなったから・・・・・・」という彼の後姿を惜しむと共に、ぼくは言い知れぬ憎悪を感じる。彼は少なくとも彼自身の使命を回避した。悲しいことだが、君の健康を祈る。      (『追舟』二号編集後記)

 夫馬敬成が『追舟』同人を辞したのは、「書けなくなったから・・・・・・」との理由もさることながら、一郎への不信も影を落していた。一郎が創刊号に乗せた小説の、雌雄の甲蟲の設定は、いつか夫馬が語った油虫のエピソードにヒントを得ていた。一郎は夫馬の不快感に気づいていない。

 一郎が神坂ねんこと体を交わしたのは、インクの匂いが鼻を衝く『追舟』二号を手にして、何か月ぶりかに会った日だった。
 金曜日の午後、二人は市電に乗って築港まで行き、名古屋港を望みながら埠頭を歩いた。埠頭を過ぎてさらに防潮堤を南へ向かい、時時、波止めに腰を下ろして、港に出入りする貨物船を眺める。呼び交わす警笛の音が、人の呼び合う挨拶のようにも聞える。埠頭に碇泊する船の姿が、四月の陽光に映えて輪郭をぼかしている。それだけのことが一郎の気分を、世俗から少し外れたような、特異な心境にさせる。
 二人が防潮堤をさらに行くと、遠く対岸のコンビナート群を霞ませて伊勢湾の全貌がひらける。急に風でも出てきたふうに沖合の海面が銀白の粒子を燦めかせ波立つのを眺めたとき、一郎はあたりに魚を釣る人の姿さえないことに気づく。
 防潮堤に腰を下ろして肩を並べた、その同じ姿勢のまま、一郎が「繋がれた足」八十六枚を読み終えたとき、沖合の波涛は茜(あかね)色に染まっていた。対岸の風景は、逆光のなかで夕暮れの気配に沈んでいる。
 一郎が感想を訊ねると、神坂ねんこは戸惑いもみせず、
「難解ね」
 と応えた。
「そうなんだ。おれの小説は仲間から南海ホークスと呼ばれるんだ」
 一郎がそう言って笑うと、プロ野球には関心のない彼女は一瞬、怪訝な表情を浮べ、それでも彼に合わせて笑った。
 神坂ねんこが、唐突に着ているものを脱ぎ、一郎の前に白い裸身をさらしたのは、夕闇がまだ昏れなずんで幽かな薄白色をとどめているときだった。思いがけなく大胆な彼女の振る舞いに、一郎はたじろいだ。まるで一郎のなかで起った出来事をすべて知っていて、肉体への怖れの残り火を吹き消そうとするかのような行為――彼には神坂ねんこの振る舞いがそのように思えた。
 一郎はセーターとズボンを脱ぐと、それを防潮堤の上に敷き、横たわるよう彼女を促した。
 薄闇に横たわる彼女の白い裸身は、一瞬、一郎の意思を竦ませた。それでも彼は、白い裸身に自分の体を重ねることができた。
 おれはこうして、ねんこの力で癒される・・・・・・。

     Ⅳ

 草原を風が渡って行く――
 広いキャンパスのあちらこちらに草むらが叢生していて、四月の風がゆるやかに吹きぬける。その風景は、たしかに風の渡る草原の印象をあたえる。中央のグラウンドを抜けて遠く東の外れ、厩舎に近い草叢で馬術部の馬が二頭、のんびりと草を食(は)んでいる姿が、いっそうその印象を補強する。
 ゆったりとした風は、事務棟に近い「自由の鐘」のほうから、雑草まじりの広いグラウンドをわたって、教室が並ぶカマボコ型建物の方向へ、つまり南西から北東へと吹いて、もとは兵営であった教室棟の二階屋根を越え、行方知れずになる。キャンパス全体にたゆたっている、微細な花粉に似た銀いろは、風の色のようでもあり、陽(ひ)の燦めきのようでもあり、混然としてよくわからない。
 たしかなのは、風と光に混じって幽かに漂っている微妙な匂い。懐かしさの匂いだ。遠い海辺から運ばれてくる潮の香りとは、どこか違う。キャンパスの南側には田畑がひろがっていて、そこから流れてくるうち微妙に変質した下肥(しもごえ)の匂いだ。風が時に駆けるように吹く日もあって、そんなときは充分になまの匂いを運んでくる。
 そんな風と陽光と匂いのなかキャンパスを突っ切るようにして、馬瀬一郎は学生集会の開かれる大教室へ向かう。大教室は西側の正門をはいって、カマボコ型建物とは反対の方向、キャンパス南寄りの事務棟に接してある。昼休みのこの時間、いつもなら草むらに座り込んでダベリあったり、キャッチボールを愉しんだり、所在なげにブラブラしている学生の姿が目につくのに、妙に閑散としているのは集会に参加する学生が結構いるからなのだろう。
 愛智大学豊橋本校――教養課程を終えてここに通うことになった最初の日、一郎は一種、牧歌的な開放感を覚えた。眩しく朴直な感銘にさえ似ていた。
 キャンパスに降りそそぐ陽差しのせいばかりではなかった。二年生まで通った分校は名古屋市の中心からそれほど外れていない住宅地の一角に四囲を木の塀に囲まれて狭い空間を閉ざされ、学生たちの様子もどこか息が詰ったふうにみえた。
 豊橋本校は、十数年まえまでは帝国陸軍の地方連隊のあった跡地で、いまもその残影が端端に残っている。兵営をそのまま利用した木造校舎は陰気なたたずまいであるが、それさえも広広として粗野なキャンパス全体と奇妙に調和して、一郎の気分を眩しく解き放ったのだった。風の渡る草っ原などという叙景的形容は、彼の心境を反映した稚気にすぎないとしても、偽りのない印象でもあった。
 大学の正門すぐ目の前には、駅舎も改札口もなく廃れかかったホームだけがあって、一時間に一本ほど一両車輛の古風な電車が止る。豊橋駅を始発にして渥美半島を斜に横断している、単線のA電鉄だ。交通費を節約してスクールバスを利用する一郎は、まだ数回それに乗ったきりだけど、地方都市郊外に広がる田舎っぽい風景のなかを時速三十キロほどで走る単線一両電車の存在もまた、一郎の牧歌的な解放感を擽った。
 そんな新天地めく豊橋本校へ移って、もうひとつ一郎に眩しく感じられたのが、学生自治会が呼びかける政治集会だった。キャンパスに立看板の類などなく自治会室の窓にやたら檄文が貼られているにすぎないけれど、名古屋校舎ではそれさえも目にとまらなかった。
 大教室は学生たちで溢れていた。二百名ほどの椅子はすっかり埋まって、ドアをはいった後方や窓際、壁際にも多くの学生が立っている。一郎は学生たちのあいだを横ざまに抜けて、窓際近くに場所を占めた。
 集会は始まったばかりのようだ。警職法粉砕 全学集会――そう横書きに墨書されたB紙が黒板に貼られて、講壇に立った自治会役員が集会の意義を演説している。教室に熱気が溢れているというのではないのに、一見、陸上部員みたいに短髪、骨太、浅黒い風貌の学生は、ポロシャツのなかの分厚そうな胸を張り、日焼けした腕をしきりに突き上げては語調を高ぶらせる。学生運動のリーダーにはちょっと適わしくない外貌の男だな・・・・・・。一郎は勝手な感想を抱き、下手に演技っぽい所作にも馴染めないものを感じるが、その場の雰囲気に新鮮な気分を覚えた。こうして学生集会が開かれ、学生たちが大教室を埋めるというのは、さすが・・・・・・なのだ。
 愛智大学豊橋本校で「警察官スパイ事件」が起きてから、まだ六年と経っていないはずだ。一人の警察官が学内の政治動向を情報蒐集するために学生に化けて潜入していたのが、発覚した。学生たちはその警察官を自治会室に軟禁し、追及した――という事件だ。学生たちの追及を受けて警察官は、学内潜入の目的が在籍する朝鮮人学生の動きを探るためだったと告白したらしい。
 事件の際、大学教員たちは全面的に学生の側に組して支持したという。戦前、中国大陸にあった東亜同文書院の教員たちが多く勤めるこの大学には、進取の気風が漂っていて、マルキスト、リベラリストと呼ばれる教授たちが少なくない。帝国陸軍の跡地に創建されたキャンパスの一角にいちはやく「自由の鐘」(それは広い敷地の片隅にあって、目立たない質素な代物ではあったが)が設置された事実も、大学の性格を物語っている。
「警職法」に反対する声が他校に先駆けて挙がったのも「警察官スパイ事件」の記憶が生生しいのと併せて、そんな大学の気風に因(よ)るところが大きいのだろう。一郎は幾分、心地よさをともなってそんなふうに思う。
 講壇に立つ学生が代っている。最前の演説型とは対照的だ。痩せてもいなくて大柄ではあるが、妙に生っ白い顔にそれ自体が内気そうな型の眼鏡を掛けて、「警職法」について解説している。ときどきレジメらしき便箋に視線を落とし、講義か学習会でレポートでもする調子だ。「警職法」の危険性を声高に糾弾するふうではなく、法案の中身を逐一、分析して参加者たちを納得させようとする手法だ。二十分ほどで話を終えるまで、訥訥としたその調子は変らなかった。一郎にはそれが半ば物足りなく、半ば安心でもあった。
 三人目の学生が講壇に立ったとき、シュプレヒコールでも叫んで気勢を上げるのかと思ったが予想はあっさりと外れて、司会は次回の全学集会の日程を伝え、閉会を告げた。それで一郎が別段、落胆することはなかった。初めて参加した学生集会を彼は彼なりに新鮮な気持で味わったのだ。
 誰かが背後から一郎の肩を叩いた。集会の余韻にひたるでもなくゾロゾロと二階の大教室から階段を下りる学生たちに混じって、カマボコ型建物へ向かおうとしたときだった。これから担当教授のゼミナールがある。
「馬瀬君、来てたのか」
 肩を叩かれて振り向いた一郎に、喜多弘次が眼鏡の奥の眼で笑って言う。
 二人は肩を並べ、急ぐでもなくグラウンドの真ん中を抜けてゼミの教室へ向かう。
「全学集会の感想は、どう?」
 喜多が訊ねる。中学を卒業して夜間高校に通いながら郵便局に勤め、郵便配達をしながら労働組合運動だけでなく日本共産党の周辺で政治活動にも接触してきたらしい喜多の口吻には、その方面ではまっさらの一郎をためす気配がある。
「学生の関心があれほど高いのが、意外だった。一種、新鮮でもあったよ。名古屋校舎の頃は、学内の政治集会なんて、想像してなかったから」
 幾分は喜多の思惑に応えるふうに、一郎は言う。
「それにしても、白柳(しろやぎ)君の報告は迫力なかった。もう少しアジプロ入れなきゃ学生たちは燃えないよ」
 喜多は不満を表して、「警職法」法案の内容を講義ふうに解説していた学生が、民青同盟員で自治会委員の白柳であると教えてくれる。最初に盛んにアジっていた体育会系タイプは? と一郎が訊ねると、あれが自治会委員長の志賀だと教えて、あの男は自己顕示欲のかたまりで政治的には何の理論武装もしていない人物だ、と補足説明までした。民青同盟員の白柳の訥訥とした外貌と、政治的には無理論の志賀の派手っぽさ。一郎は理由も無く、二人の対象がミスマッチな関係に思えたが、案外そういうものかもしれないと思いなおす。
「学生のなかには名古屋校舎から来た新三年生が多いから、まず警職法の中身を理解させるために、あんなふうに解説したんじゃないの? 政治闘争の始めはまず課題の認識が基本かもしれないな」
 一郎が白柳の無骨さに感じた安心をそんなふうに表現すると、喜多は言下に言い放った。
「いや、あれは白柳の性格でね、ねちっこいんだよ。それに彼は学者志望でね」
 一郎は虚を衝かれて喜多の横顔を窺う。喜多の風貌もなかなか学者タイプではないか・・・・・・。一郎は内心、そう皮肉ってみる。
 喜多の横顔を眺めたその視線をずっと先のほうへやると、馬術部の馬が草叢で、体にまといつく虫でも払っているのか尾を振り立てながら草を食(は)んでいる。一頭だ。もう一頭は厩舎にいるのか、部員が遠乗りに行っているのか。
 埒もなくそんなことに気が逸(そ)れかかって、一郎は不意に奇異なことに気づいた。学生集会には日頃『資本論』第何章何節によればとか、レーニンの『何をなすべきか』によればといった冠頭句を口癖にしている『資本論』ゼミの仲間が、喜多弘次のほかには誰も参加していなかったようなのだ。

馬瀬一郎が本山二三麿教授の『資本論』ゼミナールを選んだのは、さほど積極的な理由はなかった。どちらかといえば消去法に因(よ)る。数学がからきし駄目な彼には近経(近代経済学。ゼミ仲間はそれをブル経と呼ぶ)を専攻する意思など、端(はな)からなかった。事実、やたら数式を応用してケインズ理論を説明する「経済原論」Ⅰなど、学会でも評価が高いと噂される気鋭の教授の講義なのにさっぱりついていけず唯一、赤座蒲団を貰ってしまったほどだ。それで、名古屋校舎時代に顔を出していた経研(経済学研究会)のメンバーに誘われるまま『資本論』ゼミにはいった。
「理論経済」Ⅰの最初の授業の日――本山二三麿教授を初めて見て、一郎は意外な感じを受けた。名前に「麿」などとあるので公卿ふうな人品だろう、と勝手に想像していたのだ。唐草模様の色褪せた風呂敷包みを小腋にして大教室に現われた本山教授は、四十歳代の半ばのはずなのに、うんと老(ふ)けて見えた。色浅黒く土の匂いのする風貌といい、小柄ながら厳(いか)つい体格といい、講壇に立つより野良で働いているのが適しい印象だ。実際、一郎は漁港の町でよく見かけるおじさんの誰彼を彷彿したのだ。ある日、街角で出会ったとして、マルクス経済学の気鋭の学者をそこに見出すのは、至難だろう。
 本山教授は講義を始めるなり武骨な印象を一変させ、その毒舌の奔放さによって一郎の度肝を抜いた。マルクス理論によって資本主義経済を縦横無尽に分析する弁舌の折折に、彼は天皇その人を「天ちゃん」と呼んで天皇制を諷刺し、同僚のブルジョア経済学者の誰それを名指しで揶揄し、返す舌鋒をもってマル経の権威(たとえば宇野弘蔵など)をも批判する。毒舌の間間に囃子詞めいて、これは「ぺけッ」あれも「ぺけッ」と悪態を頻発するのだ。そんな講義に教室を埋めた学生たちは、どッと沸くのだ。「理論経済」Ⅰの履修生が多いのは、本山教授が試験では失格点を付けない、つまり「ぺけッ」にしないという評判にも起因する。
「それは、きみィ、○○と××との弁証法によってアウフヘーベンされるんだ」
『資本論』のゼミ学生のあいだでは、そんな口吻が流行になっている。本山教授の口真似をして、仲間同士でやり合うのだ。名古屋校舎での経研の学習会にチューター役を買っていた上級生・水口健二の口癖が、それに由来したものと一郎が気づいたのだったが、いまやその口吻は下級生をも侵蝕している。もっとも名古屋校舎経研の出身者で堂堂とそれが出来るのは喜多弘次であって、山波雄太郎と一郎の場合、まだぎこちなく様(さま)になっていない。いちはやく「天ちゃん」とか「ぺけッ」とかの本山教授口真似をマスターしている喜多を、一郎と山波は半ば羨望の、半ば軽蔑の、複雑な心境で見ている。
 名古屋校舎経済学研究会のメンバー七人のうち、専門課程にすすんで『資本論』ゼミにはいったのは喜多、山波、一郎の三名。他の四名は就職時の利と不利を計ってのことだろう、銀行論とか経営学とかのゼミナールを選んだ。山波雄太郎が『資本論』ゼミを選んだのは、一郎には意外だった。
 山波は、中学生のころ肺結核を患って胸郭手術を受け、休学したため一郎より二歳年長の同級生。色白の長身痩躯が幾分、右肩下がりなのは、肋骨を何本か切除したせいだ。彼が職人である父親の職業を口にしたがらないほどに気位が高いのは、性格に因るものなのか、同級生のなかで二歳年長なのを過剰に意識してのことか、一郎は計りかねる。ともかく上昇志向型(タイプ)の山波は、一郎が失敗した特待生入学の試験に合格して教養課程においても抜群の成績を維持したことに自負心を抱いており、クラシック音楽や西洋名画の鑑賞を趣味にしている。『資本論』ゼミでは異質の存在なのだ。別の意味で異質な一郎にたいして安心感を抱いているらしく、彼がいつか不用意に口にしたことがある。
「四年生になったら、ゼミを替わろうと思っている。ぼくは社会主義を信奉しているわけではないから。それに、本山ゼミでは優秀賞を狙えないし・・・・・・」
 山波の言葉を聞いて、一郎は特に驚きはしなかった。正直な男だな、と思ったにすぎない。優秀賞というのは、卒業のとき各ゼミナールから指導教授によって一名ずつ選ばれて表彰される制度だ。本山ゼミではそれを狙えないというのは、丹波作治の存在を意識しての言(げん)だろう、と一郎は即座に納得した。
 本山教授の指導によって『資本論』を逐一、解読していくゼミの授業は、一郎にとって難解このうえない。大学にはいって、デカルト『方法序説』、キエルケゴール『不安の概念』、シェストフ『悲劇の哲学』、ヤスパース『現代の精神的状況』といった書物を文庫本で闇雲に読んできて、自己流の生半可な理解で一人、納得したつもりになっているのと訳が違う。本山教授は「経済理論」Ⅰの授業の時とは打って変わって、ゼミでは温和な態度で指導するのだが、その解読は事前に読んで大体の見当をつけていた一郎の解釈を、ことごとくひっくりかえす。ありていにいって、一郎が興味をそそられたのは、『資本論』のなかでマルクスが付す感情的でさえある長大な「註」の文章のほうだった。したがって彼が提出するレポートなどピント外れの論述だったにちがいないが、本山教授は落第点をつけることがなかった。
 そんな一郎に、同じ三年生でも一年生から豊橋本校に通ったゼミ生の存在は眩しい。教養課程の頃から『資本論』を聴講している彼らは、本山教授の口吻を自家薬籠中のものにしているばかりでなく、解読のツボを心得ているのだ。沖縄出身の具志堅政信など、地域の政治活動に没頭していてゼミへ顔をみせるのは稀なのに、出席の都度、活発に発言する。一郎には驚異なのだ。
 そんな本校入学者のなかでも特に筋金のはいっているのが丹波作治である。丹波も山波雄太郎と同様、特待生入学試験をパスした学生で、喜多弘次とは格別ウマが合うようだ。喜多と丹波は共にマルキスト志望なのだ。
 丹波作治がマルクス経済学者をめざしていて、本山教授がすでにその将来の軌道を約束している、と一郎に教えてくれたのは喜多弘次。同様のことは山波雄太郎にも伝わっているにちがいない。
『資本論』のみでなくマルクスやエンゲルスの著書を読み込み、一郎には眩しくさえある革命理論を口にするゼミ生たちが、喜多を除いて誰一人、学生集会に参加していなかったことは、やはり奇異というほかなかった。
 口舌の徒――そんな言葉を一郎は呟く。ゼミ生たちの理論偏重=実践軽視の性向は、本山教授のあまりにストイックなアカデミズムに影響されているのかもしれない、と彼は思う。
 ある日の授業中、ゼミの雰囲気に反乱を試みたのは、花咲幸男だった。花咲は自他ともに認める熱心な共産党Sの活動家。その彼が突如、ゼミ生たちに食いついたのは、講義が少し脱線して、本山教授が「警職法」に反対する自治会(民主青年同盟が執行部を牛耳っている)の闘争方針を揶揄して、「左翼小児病」と呼んだときだ。ゼミ生たちは教授の言葉に同調して、笑った。
 その直後、花咲は立ち上がるなり顔を真っ赤にして叫んだ、「きみたちは卑怯だ。口先ばかりで反動勢力とたたかえるのか。観客席に座って批判ばかりするのは卑怯だ」。彼は感情の蝶番(ちょうつがい)でも外れかかったふうに肩をふるわせた。
 花咲は、本山教授の言葉とゼミ生たちの笑いが共産党Sの活動家である自分を揶揄した、と受け取ったのかもしれない。戦後間もない一時期、徳田球一の秘書をしていたという本山教授が日本共産党と袂を分かってから熱烈な対立者に廻っていることをも根に持っているのかもしれない。たとえ動機は個人的なものであったとして、花咲の批判は的を外れていない、と一郎は思う。それでもこの場で発言して彼を擁護する勇気は、一郎になかった。鼻先に向けられるゼミ生たちの蔑むような視線に圧迫されたからだったが、それ以上に一郎には用語の弁をふるう自信がなかった。彼自身、何ほどの実践もしていない、傍観者にすぎない。
 花咲は、俯き加減に沈黙している本山教授を睨みすえるようにして、教室を出ていった。一郎は、おれもゼミ生の皆と同じ結託者なのだ、と自嘲的に思い、花咲の後姿を見送るしかなかった。
 一郎に不思議だったのは、彼が「口舌の徒」と密かにレッテルを貼っているゼミの仲間たちが、経営学ゼミや近経ゼミの学生たちに対すると俄かに猛烈な敵愾心を燃やすことだった。前期の試験が終って夏休暇にはいるまえ、ゼミ対抗のソフトボール大会が開かれて、一郎はそのことを痛感した。
『資本論』ゼミが初戦で対戦したのが、最近、学生たちに持てはやされて花形の経営学ゼミ。指導教授の大岩が経済界に顔効きなので、就職には最も有利と評判のゼミだ。「物神崇拝主義者どもには敗けるな」というのが、試合前に『資本論』ゼミ・チームのメンバーが互いに飛ばし合った檄。
 両チームともに中学、高校時代に野球部の経験者はいない。攻撃も守備も皆、へっぴり腰で様(さま)になっていないこと甚だしい。一人、一郎は軟式野球部とはいえ野球で名高い東方高校で一年半、エースピッチャーを勤めクリーンアップを打った。彼にはゼミ仲間たちが露わにする相手チームへの対抗心に同調するつもりはなかったけれど、それでも力を抜いたりはせず、格段の活躍をみせて、『資本論』ゼミ・チームが乱戦を制して経済学ゼミ・チームを破った。
 一郎は株を上げ、仲間たちの握手攻めにあったりしたが、『資本論』の勉強では落ちこぼれの彼として、なんとも面映いかぎりだった。
 具志堅政信の「パスポート拒否事件」が起きたのは、ソフトボール大会の一か月ほどのちだった。
 夏の休暇を利用して沖縄へ帰省していた具志堅政信は、本土へ戻る飛行機の機中でパスポートを破り棄てたのだ。パスポート不所持の廉によって、羽田空港の税関で足止めを食った彼は、われわれウチナンチューに、なぜ本土往来のためパスポートが必要なのか、と日本政府に抗議した。「入国」を拒まれた三日間、彼は米軍による沖縄占領がいかに理不尽な政策であるかを質(ただ)し、アメリカ占領軍と日本政府を糾弾した。一郎が初めて「琉球処分」という言葉を知ったのは、具志堅政信の抗議を報じる新聞記事によってであった。
 具志堅政信が羽田空港の税関を出たのは、水口と喜多が現地へ到着した日。具志堅は警察へ移送され、取調べを受けていた。

 具志堅政信は結局、処分保留のまま仲間たちのもとに帰ってきた。九月にはいってすぐのことだった。
 一郎は、後期にはいっても「警職法」の学生集会には必ず参加することに決めている。具志堅政信の羽田空港での果敢な行動が、一郎に心情的な影響をあたえ、一種の共感をもたらしたのは確かだ。具志堅の行動は直接「警職法」にかかわるというよりも、二年後に改訂が迫っている日米安全保障条約に深く結びつくと思えたけれど、いずれにしても問題は三竦(すくみ)に絡んでいるのだという程度の認識は一郎にもあった。
 豊橋本校での新年度が始まって十日目頃、新規特待生の発表があって、一郎は選抜から外れた。一年限りの儚い夢だった。新規特待生の成績対象となる二年生の一年間、一郎は神坂ねんことの濃厚な交際に明け暮れて、授業に打ち込むどころではなかったのだ。同人誌『追舟』の発行に現(うつつ)を抜かしてもいた。経済的打撃は否めないけれど、奨学金で凌げなくはない。

『追舟』三号は、七月中旬に出ていた。季刊の計画はなんとかクリアしたものの、頁数は創刊号より半減して四十六頁の薄いものになった。
 誌面には新登場、日比裕の小説「三人卍」、軍艦こと馬瀬広之助の評論「空白の子」、秋村進(本名・国本尺六)の戯曲「スフィンクス」が載って、一郎はアルベール・カミュの『結婚』の文体と、最近登場した大江健三郎の『死者の奢り』の状況設定(シチュエーション)を模したような短編小説「埋没」を発表した。
 そして編集後記を次のように記した。

「新しい文学の可能性」という課題が提起されて以来、既に数ケ月、ぼくらも微力ながらそのことを追求してきました。
 且つて近代日本文学の正統であった自然主義リアリズム――私小説の潮流を、ムナクソワルイ亡霊として駆逐し、思想と構造を文学の正統とすべく「観念的な、余りに観念的な」文学の創造を、敢えて決行することをぼくら心に決めたのです。
 寓意(アレゴリー)と仮構(フィクション)によってぼくらのイデーを表現するために、ぼくらは近代日本文学の手法を否定するという暴挙を、選んだのです。ぼくらの選択が正しいか否か、それは当面、ぼくらの関心ではない。ようするに、試みが問題なのだ。
 ぼくらは、試みに賭ける。                (『追舟』三号編集後記)

 一郎が主張する文学観は必ずしも同人たちの共通認識とはなっていない。一郎の一人よがりの感を否めない。それは同人雑誌を発行しようと集まった計画の段階ですでに露呈していた。誌名を決める際の亀裂が、雑誌の発行をかさねるにつれて深くなった。創刊に加わった同人のほとんどが三号に作品を掲載しなかったのは、その結果なのだ。
 仲間のあいだに漂う停滞感には感情的なそれも忍び込んでいる。退会者は夫馬敬成ひとりだが、一郎が二号の編集後記に書いた文章は、同人みなに例外なく不快感をもたらした。氷やのKちゃん、三郎さ、軍艦といった年長の同人も面と向かって口にすることはなかったけれど、一郎の雑誌運営には専横を嗅ぎとって、眉を顰(ひそ)めている。同人の離散はそれほど遠くない・・・・・・。一郎は『追舟』四号の準備にとりかかった。

 友二君じゃないか・・・・・・。
 読み耽っていたエルミーロフの『ドストエフスキー論』から目を上げて、何げなく通路の前方、彼の位置とは反対側の座席に視線をやったとき、一郎はそう思った。斜交いに後姿しか見えないけれど、異常に白い項あたりに窺える容貌の感じといい、歪つに傾いだ右半身の特徴といい、不自由な右手でしきりに何かをメモしている後姿といい、中学の頃、一年間だけクラスが同じになった友二君に違いない。それにしても、友二君がなぜ、この列車に乗っているのだろう・・・・・・。
 後期の授業が始まって一か月ほど経った大学からの帰途、豊橋から名古屋方面へ向かう東海道線の車中のことだ。
 石山友二は一郎より何歳か上のはず。両親が開拓民として旧満州(中国東北地方)へ渡っていたのでそこで生まれ、戦後、日本へ引き揚げてきた。中学時代の石山は長期欠席することが多く、一郎と同じクラスになった二年生の時も学校を休むことが多く、たしか四年間通って中学を卒業したはずだ。その以前、小学校編入時も同年齢の者より遅れ、それで一郎より何歳か年上になる。
 一郎は石山友二とは特に親しかったというのではないが、彼が体に障害を負ったのは引き揚げの途中、失踪する日本軍の自動車に轢かれたからだ、と石山自身の口から聞いたことがある。
 中学を卒業して数年後、石山友二が自宅で採れた野菜を乳母車に積んで漁港の町を売って歩いているという話を、一郎は母から聞いた。母は、「家(うち)に寄ってくれるときは、きっと買うようにしとる」と付け加えた。
「友二君じゃないか」
 石山友二に間違いなかった。何か印刷物の裏に短歌らしきものをメモしていた石山友二はゆっくりとした動作で顔を上げ、怪訝な表情をみせた。
「中学で一緒だった一郎、馬瀬だよ」
 一郎がそういうのとほとんど同時に、
「あー、いーくん」
 友二君は言うなり表情を緩めた。
 友二君と向かい合わせに掛けていた主婦らしき人が、どうぞ、と目顔で言って席を替ってくれたので、一郎は礼を言って旧友の前に掛けた。
「短歌を作るのに凝(こ)っていて」
 一郎がメモ用紙に視線をやったのに気づいて、友二君は悪びれるふうもなく言い、下敷き代りにしていた大学ノートにメモの紙を挟んだ。
 友二君がなぜこの列車に乗っているのだろうという一郎の疑問はすぐに解けた。一年ほど前から障害者専門の職業訓練所に通っているという。その施設は豊橋から飯田線に乗り換えて三十分ほどの町にある。
「いーくんは」
 友二君が訊ね返す。一郎は数秒、躊躇し、
「豊橋の大学へ通っている」
 と答える。友二君の顔が影の掠めるように曇った。
 友二君は自分をさらすふうに、久しぶりに会った一郎に語った。
 中学を卒業して、乳母車に積んだ野菜を行商みたいに売り歩いていたときは、自分が惨めで辛かった。町では野菜など自宅で栽培している家が多い。漁師の家でさえ貰い物で済ませている。売れるはずもないのだ。ただ、家人から余計者と思われたくないばかりにそれをしているだけ。そう思うと、自己嫌悪がつのり、不自由な恰好で乳母車を押している姿を他人が笑っているように妄想してしまう。半日ほど町を廻れば、体も疲れ切る。
 夕暮れどきなど、家の向かいにある寺の木木が暗く影におおわれて風に鳴るのを眺めて、あぁ、死にたい、と無性に思うことがあった。事実、衝動的にカミソリで手首を切って死のうとし、果たせなかったこともある。短歌を詠みはじめたのは、そんな時。日日をやりすごすつなぎの慰めにはなった。二時間近くもかけて職業訓練施設に通う気になったのも、短歌のお陰で少しは生きようという気持ちが沸いてきたからかもしれない――
 友二君はときどき笑いに紛らせながら淡淡と語るのだが、一郎はなぜか感謝したい気持ちを覚えた。自分を忌憚なく語る――そういうことは(あるいはそういう人生を持っているということは)、自分には一度もない経験なのだ。
 家(うち)の畑でも家族で食べきれないほどの野菜を作っているのに、友二君が乳母車を押して廻って来れば、母は几帳面に買うことにしていた、そんな事情もあって友二君は仕舞っておきたい胸の内まで語ってくれたのかもしれない。一郎はそう思う。
 大府駅で武豊線のディーゼル車に乗り換えてから、一郎は同人雑誌『追舟』のことを話した。
「すでに三号まで発行していて、十一月には四号を出すことになっている。友二君、ぜひ短歌を寄せてくれよ」
 一郎の誘いに、友二君は幾分はにかむふうだったが、目を輝かせた。
 夕陽の燦めきがホームを染めるなか、友二君は短歌を『追舟』に寄せることを約して、漁港の町とは一つ手前の東浦駅で降りた。駅舎から消えるとき、右肩がひどく下がって左右に揺れる友二君の後姿が、心躍らせているように一郎に感じられた。
 三日後、石山友二から郵便が届いた。封筒を開けると、四首の短歌と詩篇一篇がはいっている。約束の物、早速送ります――と一行だけの手紙が添えられている。
 短歌は、無為の日日、ノイローゼに怯えながら父親や兄との不和を詠んだ歌が二首。月二千円の給料で病院の受付係をする不具の身を嘆いた歌壱首(三日前の車中では病院に勤めた話は出なかったけど、野菜の行商をする前か後かにそんなこともあったんだ、と一郎は知る)。あと一首は自殺未遂の歌だった。友二君の話では手首を切ったということだったが、短歌では農薬を服んで――となっている。そうか・・・・・・。友二君は少なくとも二度、自死を企てたんだ、と一郎は推察する。
 四首の短歌はいずれも暗い色調に彩られ、総じて詠嘆にながれる傾向のものだった。短歌の技法について疎(うと)い一郎だが、そういう傾向には違和感があった。しかし、同封されていた詩篇に彼は魅かれた。詩に題は付されていない。

 月をみなさい。
 月には顔がない。
 だから 月は笑っています。
 人をみなさい。
 人間には顔がある。
 だから 人は笑えません。
 人間に顔がある限り 人間は笑えません。
 月に顔がない限り 月は笑っています。

 空がとても青くて 家々の屋根がまぶしそうです。
「可哀想だな」そう思いながら見ている男。
 どうしてあなたは そんなふうに自分を眺めるのですか。
 空を眺めるのがまぶしい男。
「可哀想だな」そう思いながら 男が考える死。
 どうしてあなたは そんなふうに自分を眺めるのですか。
 あなたがそんなふうに自分を眺めるので あなたは死です。

「人とは何ですか」
「それは、おかしい、です」
「おかしいって、何ですか」
「無意味です」
「無意味って、何ですか」
「それは、人間です」
 空があまりに青いので、
 家々の屋根はまぶしそうです。
「可哀想に・・・・・・」と男は思います。

 一郎はその詩を『追舟』四号に載せたいと思う。短歌四首のほうには躊躇(ためら)いがある。
 ともかく一郎は、『追舟』バックナンバー三冊を石山友二に送った。
 四号の締め切りが迫っているのに、掲載する作品を同人たちが準備している様子はみられない。顔を合わせるたび催促するのだが、反応は一郎の意気込みを削ぐものだった。一郎の文学論あるいは雑誌運営にはっきりと異を唱える者さえいて、同人たちの離散は避けられない段階に来ているようだ。原稿が集まらなければ、友二君の短歌を載せるのもやむをえないだろう・・・・・・。一郎は手前勝手にそんなふうに思う。
 一郎自身は、他に作品が集まらない場合をすでに想定して、これまでになく長い小説を書きすすめていた。「いたずら」と題されたそれの創作メモは、次のように簡単で漠然としたものだ。

 主人公「ぼく」は山陰地方の砂丘(作中では勿論、そこは地名もなく抽象化された場所でなくてはならない)を旅したとき、少年たちのいたずらを見る。
 十数人の少年たちが、一人の気弱そうな、貧相な少年を罵りながら、砂丘の頂きへ引きずり上げて行く。捕虜の少年の体は縄で縛られ、何人かの少年がそれを引く。頂きに仁王立ちした体格のよい少年が、繋がれた少年を足蹴にし、足蹴にされた少年の体はまっさかさまに砂丘を転げ落ちる。砂にまみれて転落する少年の悲鳴は聞えない。そのいたずら(懲罰)は何度も繰り返される。繰り返されるうち、捕虜の少年は自分から求めて砂丘を登って行くようになる。
 主人公「ぼく」は数日後、砂丘で三人の少年が自殺したという新聞記事に接する。三人のうち一人はいたずらの被害者である捕虜の少年、あとの二人は彼に同情した少年――そう「ぼく」は想像する。
 主人公「ぼく」は旅の途中、砂丘の町へ舞い戻る。そこで意外な事実を知る。捕虜の少年は生きていた。
「ぼく」は生き残った少年に接近する。少年が自殺を考えていることを知る。二人は砂丘で対決し、一緒に死ぬことを暗黙のうちに決意するのだったが・・・・・・ 
(ノート「現実と虚構」)

 一郎が「いたずら」を書いているさなかに、石山友二からハガキが届いて、一郎を驚かせた。『追舟』一号から三号までの馬瀬君の小説を全部読んだ。そのうえで考えたことだけれど、ぼくの原稿を掲載しないでほしい――という文面だった。理由が具体的に書かれていない。
 一郎は詩だけでも載せさせてほしいと返事を書こうか迷ううち、石山友二が断りの手紙を寄越した理由を考えた。そして不意打ちでも食らうようにその理由に思い当たった。一郎の小説を読み、そこに書かれた世界が自分の直面している現実や人生の悩みとはあまりに懸け離れているのを知って、石山友二は絶望したのに違いない。一郎が一人よがりに書いている「観念的な、あまりに観念的な」文学が、石山友二によって告発されたのに等しい。
 一郎は石山友二に返事を書くことができなかった。
『追舟』四号は結局、一郎の小説「いたずら」一二〇枚一篇のみの掲載で発行された。
 彼は負け惜しみに次のような編集後記を書いた。
 
 今やぼくらは状況と自己主体という且つて両立し得なかった対立命題を、実存への危機的な問いとして止揚しなくてはならない。ぼくらの状況は既に与えられた。現代文学の課題は、現状分析とか、人生の反映とかにあるのではなく、与えられた状況への主体による語りかけ=対決にあらねばならない。現代文学の冒険は、虚無と不条理に充ちた状況の内部にあっての「人間の回復」でなくてはならない。虚無とか不条理とか言う時代の風土病への世代的な郷愁にも拘らず、その彼方へ向けて根源的に人間を回復する、その最善の方法として、喩(メタファー)と虚構(フィクション)という、もう一つの現実=文学という真実を、ぼくらは選んだのだ。                           (『追舟』四号編集後記)

 『追舟』四号の発行が合図であったかのように、同人たちは離散し、会は崩壊した。

     Ⅴ

 一郎が小豆島から四国を巡る旅に発ったのは、『追舟』四号が出たその月の下旬だった。同人会は解体し、合評会を開くことも叶わず、無性に虚しさを覚えたのが、彼を旅に急き立てた直接の動機だったが、昨年の三月に夫馬敬成と信州を巡ったきり旅らしい旅から遠ざかっていることが彼を促した。神坂ねんこを誘おうか、一郎はずいぶん迷った。
 神坂ねんことの関係は、三年生になってから落ち着いたものになっている。たがいを理解し合っている確信が、二人のあいだに絆らしきものをつくり、一郎はしばしば悩まされた嫉妬を覚えることも少なくなっている。むしろ、映画「わらの男」を観て、ヒロインが浮気するのに本気で腹を立て不機嫌になったりするねんこを、一郎は可笑しく眺めたりする。体を交わす二人の身振りには、どこか擬似夫婦の趣さえ感じられる。
 迷ったすえ、一郎は一人で旅することにした。
 一郎はこれまでの旅でそうしたように、ノートを丹念に取った。

一九五八年十一月二十三日
 夜の明けきらぬ名古屋駅は、いくらか瞑想的だ。あるいはちょっと間抜けな表情。
 うろこ雲のあいだに橙色の朝焼けが差しはじめたのは、どの辺りだったろうか。たぶん米原の少し手前。 
 列車が高槻を通過する時、浦本君の顔を懐かしく想い出す。どこか明治書生気質を感じさせる、実直そうな顔。
 高校を卒業した年の三月、山陰の旅で知り合った浦本君は、ぼくより二歳年上の金沢大生だった。専攻は工学部なのに文学好きらしく、『追舟』を送るたび丁寧な感想を寄せてくる。サルトルやサン・テグジュペリも読んでいるようだ。高槻市の電機メーカーに就職した、と便りが届いたのは今年の春。
 山陰の旅では城の崎を訪ねて、志賀直哉の『城の崎にて』を思い浮かべ、なぜか梶井基次郎の『檸檬』との類似に思いを馳せたのが、ふと想い出される。
 神戸の港は、すっかり朝。港通りのレストランで働く高知の娘が印象的だった。
 雨の中の小豆島航路。海上の汽船というものは、どこか動物的だ。
 小豆島よ、君は哀れか。近代化の犠牲羊か。
 T荘のHちゃん、君は善い人だ。いつもどこでも幸せでいてほしい。信頼を裏切ったぼくを憎むのは構わない。この男、消えるべし。              小豆島にて

十一月二十四日
 土庄の港までHちゃんが送ってくれた。汽船の発つまで黙っていた。「さよなら」の声は汽笛の響きに消されてしまった。
 汽船は島を大きく迂回しながら離れた。もう一度、ぼくは小豆島を訪ねたい。
 朝、瀬戸内海は静かだ。霧雨を浴みて息を詰めているのだ。海面は動かない。
 濃い雨雲の狭間、空が橙色に明るんでいる辺りで、小豆島は終っている。そこから数学的な水平線。
 暫くすると、四国の島影が姿を現わす。人口五万八千の島はすっかり姿を消し、高松港が微かに視界に映る。それは徐々に明確な容姿を象どる。工業港らしく、裸の鉄塔と巨大な貨物船。高松港に入る少し手前で、海面の色がくっきりと境界を彩って、濃碧から赤錆色に変わる。「この波は徐々に広がっていくんですよ」と乗組員が教えてくれる。
 上陸した頃、雨は上がる。窪川行の列車で赤いコートの女性と向かい合わせる。
 多度津の海が美しい。讃岐財田から後免までの風景が実にいい。あるときは灌木林、あるときは鬱蒼とした緑樹のあいだを、列車は愉快なほどゆっくりと走る。谷底の川がどこまでも従いてくる。ときどき遠く谷間(あい)にみえる百戸足らずの村のたたずまいが、人びとの営みへの懐かしさを誘う。
 天気のいい日には、川底の岩影がくっきりと目に映る、と赤いコートの女性が言う。ぼくが、信州の小淵沢線に似てる、と言うと、彼女は千曲川に憧れていて、ぜひ信州を旅したい、と微笑む。
 彼女(名はKちゃんと知る)は高知で下りた。大学の寮に帰ると言う彼女の写真を、駅前のタクシー寄せで撮り、ぼくは再び乗車。別れが惜しい。
 窪川に着いたのは夕暮れどき。実にゆったりとした汽車の旅だった。
 そこからはバスで二時間の行程。夜が小説の中の「時」のように急速に下りてくる。夜の土佐佐賀の海が美しい。星々が眼下の波面を控え目に輝かせている。
 途中の停留場で、二人の教員が窓外の人々の日教組の歌に送られて乗ってくる。勤評闘争を深刻に語り合う二人にアルコールが入っているのが、ちょっと可笑しい。
 バスは終着の辺鄙な町に着いた。
土佐中村にて

十一月二十五日
 土佐中村から下の加江へ下るバスの行程は、どこか雲仙のそれに似ている。伊豆田峠から見下ろす下田の海、蟻崎の海、家々もまばらな谷間の部落。急角度に曲がりくねる断崖上の道を息もつかせず走行する運転手の集中力と熟練に感嘆する。
 土佐清水で交通公社の係員と小さなトラブルがあったが、清水から足摺までの路程で若い車掌が示してくれた親切のお陰で不快な気分はすっかり晴れた。土佐清水は、入江を望む水の綺麗な港町だった。
 いよいよ南の果てへやって来た。窪川からバスで七時間に近い行程のすえ、足摺岬だ!
 天気は晴朗。足摺の海は意外に穏やか。しかし、波涛はどこか闘う者の激しさを秘めている。いまは牛乳のような海面は、いつか炎と燃えて岩を襲い、抉り抜くだろう。太平洋の水平線は幾何学的な正確さ。
 沖合の燦めきを眺めていると、くらくらと眼が眩んで太陽に吸い込まれそう。眼下の波と岩々は死への誘ないにちがいないが、ぼくにとっては有難度い生への誘惑だ。銀白に燦めく光の粒子を見よ。あれこそ、ぼくの生だ。生の輝き。
 灯台下の展望台で、高知から来たという夫人と写真を撮る。足摺岬を独り歩くとは、このおばさん、なかなかの人だ。
 足摺岬に着くと早々に、ぼくは展望台の岩の上に寝転がり、中村の宿で作って貰ったおにぎりを頬ばる。海鳴りが快い。大きなのを二個食う。正午だ。
 展望台から天狗の鼻、ビロー園と巡る。ビロー園では禁門を犯して園内に入り、ビロー樹の立札に(相合傘マーク/ねんこ・一郎 1958 11・25)と落書きする。
 ビロー樹林への紅土道の途中に清水が流れており、四つん這いになって口をつけ、冷たい水を飲む。
ビロー園の出入口でバスを待っていると、布カバンを袈裟懸けにした小学生が、木々のあいだをサッサッサッサッ・・・・・・と歩いて来る。彼は見事に胸を張ってぼくを見もせず通り過ぎる。ぼくがそっと彼の後姿をねらうと、彼は後頭部にでも目があるように振り向き、カメラを構えたぼくのほうへ四、五歩戻って、いっそう見事に胸を張り、ニコリともせず帽子を被り直す。パチリ。人影のない一本道、最前と同じ歩調で遠ざかった。
ぼくの乗ったバスが途中、彼を追い越すとき、少年は破顔一笑、手を振りながらバスのあとを駆けてきた。砂けむりが彼の姿を消すまで、ぼくは窓から顔を覗け、手を振る。胸の名札に「川島英正」とあった少年は、足摺岬での二時間ほどの愉しみをいっそう際立たせてくれた。
足摺岬から土佐清水を経て、竜串でバスを降りた。海岸で団栗を拾う、紺のセーターの娘に会う。ぼくより二、三歳年下か。瞳のちょっと激しい娘(こ)だ。
ぼくと彼女は、「見残しの岩」への遊覧船を待ったが、日が暮れはじめたので明朝行くことにする。その代り、ぼくらは竜串の岩場を巡る。夕陽が海を染めて岬の向こうへ沈むのを、二人は岩にもたれて見送った。
ぼくらは、ごく自然のことのように手を取り合って険しい岩々を巡り、そのあとも夕闇につつまれた海辺でしばらく語り合った。中学を卒業したあと、二年ほど富士山の見えるところで過ごしたと言う。そこで何をしていたのか、彼女は語らなかった。肩を並べて話すうち、ぼくが夕闇に誘惑されでもするように唇を求めると、彼女はきっぱりとそれを拒んだ。
ぼくが竜串からバスで十数分の三崎の遍路宿をとったのは、彼女の勧めによる。明治の頃からの実に古びた宿だ。彼女は三崎の人なのだ。
バスを降りて別れるとき、ぼくは明日の「見残しの岩」行きに誘ったが、彼女は返事をせずに去った。海辺でのぼくの不躾な行為を怒っているにちがいない。
 三崎の遍路宿にて

十一月二十六日
 バス停に彼女は来ていた! 今朝は紺のセーターではなく、大人っぽいワンピースを着ている。「おはよう」と声を掛けると、彼女ははにかむふうに笑った。
「見残しの岩」への遊覧船では“町の有力者”たちと同乗する。ぼくと彼女意外に一般客はいない。“町の有力者”連は「見残しの岩」を観光商品にするつもりらしい。岩々の一つ一つに名前をつけに来たのだ。岩の容姿に合わせて「鷹の嘴」とか「獅子の鬣(たてがみ)」とか「犬の鼻」とか、通俗的に小田原評定している。野性のままが一番いいのに・・・・・・。
「見残しの岩」の素晴らしさは、峨峨とした連なり。そして海底の珊瑚と熱帯を想わせる魚々の、幻想的な美しさ。「見残し」とは、弘法大師がこの地を訪ねたとき、その険しさに足を伸ばすこともならず見残した、との故事に由来する。
 ぼくと彼女はその岩々を見上げる海辺の岩場を巡る。手を取り合って。彼女が霧雨の降りしきる岩場を仔猫のように駆ける、裸足になって。実に野性的だ。
 遊覧船の二人の船頭さん、老人と若者が、ぼくらに飾らない親切をかけてくれる。
「見残しの岩」での二時間余。“町の有力者”連を案内したガイド嬢は、彼女の友だちだという。二人を写真に撮る。
 帰りの遊覧船から眺める「見残しの岩」は、来るときに増して精悍な風貌だ。船上で、霧雨に頭髪をすっかり濡らしながら寄り添っている二人は、恋人同士に見えただろう。
 竜串の海岸へ戻ると、即席の恋人同士は砂浜で夕暮れまで貝殻を拾ったりした。別れるまえ、口づけを求めたのは彼女だった。彼女の所作はひどくぎこちなかった。
 彼女はいまさっきバスで三崎へ帰った。あのどことなく激しい瞳が一瞬、冷たく光ったのが忘れられない。「来年の三月、もう一度来る」そう言うぼくに、彼女は頷いた。瞳がうるむように輝いた。あの瞬間を想い出す。
 ぼくはいま、茶店で宿毛へのバスを待っている。          竜串の茶店にて

 宿毛へ向かうバスの中、窓外の闇に移る少女の顔が三崎の彼女の顔に重なった。竜串の茶店で可愛い少女が三味線の稽古をしていた。映画の場面に似た情景だった。
 潮風と霧雨にあたり、岩々を巡って疲れた体に、想い出が何んとも快よい。ねんこのために海浜で拾った貝殻の色いろを、欲張りな気分で眺めている。
 それにしてもこの宿の女中さんは妙な女(ひと)だ。感情を失ったような、紙人形に似た雰囲気の女だ。赤木圭一郎のファンだと言う。
 宿の山芋が美味い。                      宿毛の昭和館にて

十一月二十七日
 宿毛から宇和島までのバスの路程は長い。途中、城辺という町を通る。こんな僻地にこんな新しい町が、と驚くほど垢抜けたたたずまいだ。
 沈降海岸を走るバスは次々と名も知らない岬や岩々を望ませる。港では真珠の養殖が行われている。海辺の砂地に乾された小魚が、キラキラと銀いろ。潮の香りを放って陽光が踊る。
 親切な車掌さんがぼくのためにこの地方の地図を呉れる。バスの車中は、大阪へ行く、里帰りしていた土地の娘さんたちで賑やかだ。彼女たちが歌に疲れ、コックリコックリ始めた頃、バスは宇和島に着いた。
 宇和島桟橋で遊ぶ。宿毛の宿で作ってもらったおにぎり弁当を片づけ、防波堤の上にひっくり返って寝る。晩秋ともおもえぬ陽射しが、顔の皮膚を刺す。眼を閉じていると、蒸気船の軽やかな響き。若い漁師の何ごとか呼び交わす声。波の音。ときどき鳴る銅鑼。それらは孤独のなかの慰藉。
 宇和島駅から予讃線で松山へ向かう。車中は混んでいて、ぼくは誰彼となく話す。通過したばかりのトンネルの名を訊ねたとき、あれは夜昼トンネル、と答えたのは向かい合わせの女性。そのひとは網袋に入ったボールを大事そうに膝に乗せている。時々、胸のあたりに抱きかかえたりして。バレーボールの選手で、松山市で開催される競技会に参加するのだという。化粧気のない質素な感じのひとだ。大原美術館を訪ねたことがあると言う。竜串の浜辺で拾った貝殻を見せると、その変哲もない貝殻を彼女は一つ一つ丁寧に眺めた。
 松山に着くと、ぼくは道後温泉へ、女子バレー選手は明日の試合のため宿舎へ。「時間があったら見に来てください」別れぎわに彼女はそう言って、試合の始まる時刻を告げる。
 宿のビールがほろ苦く、それがいい。                道後の宿にて

十一月二十八日
 朝、徒歩で松山城に登る。盆地のなかの町の朝は、陽が昇ると靄の中から現われる。港の工業地帯は既に活動を始め、山間(あい)の道後は黙々と湯けむりを奏でている。
 城壁を登る。快い疲労。城下町特有の、朝明けの神秘。松山での印象はあの感じに尽きる。
 松山から高松へ。
 出船の銅鑼と「蛍の光」がもの悲しい。高松港を発った連絡船は、瀬戸内の島々を望みながら静かに海上を滑る。
 あの銅鑼の響きと「蛍の光」の旋律が、四国の旅の終りをぼくに告げた。一つの作品を書き上げたのに似る充実が、いまぼくの内にある。しかし、それは不朽の名作か、それとも唾棄すべき・・・・・・。
 列車での帰路は、大阪で小休止を挟んだ意外は長く続き、名古屋駅に着いたのは二十二時三十一分。
 ホームにねんこが迎えている。                  ねんこの家にて

 見知らぬ土地を訪ね、見知らぬ人びとと出会い、異質の言葉を交わす、それは途轍もなくいい。互いにまっさらで不器用な会話は、ちゃちな策略を不可能にし、人間の控え目な善意を際立たせる。思いがけず遭遇した、小さな冒険にも似ている。
 自然の情景が美しいからといって、ぼくらが救われるとは思えない。抒情が人を救うなどと考えるのも馬鹿げている。人を救うのは、正確な生の思想をおいて他にはない。
 にもかかわらず、ぼくは旅の都度、抒情を愉しむ。旅が通りすがりの土地、一期一会の出会いである以上、それらへの感動もやはり一過性の抒情にすぎない。そして、その種の抒情が、生死の問題に直面したときぼくを救うとは思わないが、人間の凡庸な生をいくらか彩るのは確かだ。人が求め、必要としているのは、案外、こういうものかもしれない。
 それでもぼくは、臍を曲げてみる。抒情とは決して妥協しない、と。
 ぼくの内部にあって巨大な支配力を持つのは、思想の意思なのだ。
(ノート「現実と虚構」)


 一郎が小豆島から四国を巡る旅から帰って、数か月が経っていた。一九五九年の二月初旬。
「わたしはどちらでもいいの。あなたが決めて」
 神坂ねんこはそれほど深刻な表情をみせず、語調だけは一郎の退路を絶つふうに言った。一郎はそれにも即答することができない。
 喫茶「琥珀」にはいってテーブルに着く間もなく、ねんこは妊娠したと告げたのだが、そのときから一郎は碌すっぽ言葉を返せないでいる。時間稼ぎしている自分を意識して苛立っているのに。
 子どもを産むか、堕胎手術をするか。ねんこの体を思いやれば優柔不断は赦されない。手術をするなら一日も早くなければならない。
「ねんこは生みたいのだろう?」
 一郎の言葉は曖昧だった。
 彼女は一郎のそんな態度を予想していたように眉を曇らせ、視線を険しくした。
「今度の定休日、堕(おろ)してくる」
 彼女が一郎をキッと見据えて言うのに、一郎は視線をそらさず堪えた。
 ねんこはおれの心のうちをすっかり読んでいる。おれが堕胎に反対できないのを先刻承知なのだ。おれはといえば、こちらが大学を卒業するまでねんこは生みたいと言わないだろう、と高を括っている。それで、彼女が堕胎手術を決心するのに期待して、故意に優柔不断な態度を演技している・・・・・・。
 一郎の体のどこからともなく漂い出た腐臭が、彼の鼻を衝いた。
「病院へは従(つ)いて行くよ」
 そんな一言で醜悪なエゴが軟らげられるとは思わなかった。彼女はその言葉を払いのけた。
「恥ずかしいから、いい」
 彼女の様子が口調ほどに険しくないのが、一郎には救いだった。いや、彼が一人勝手にそう思いなして救いを求めているにすぎないのかもしれない。
 彼女が手術をした日の夕方、二人は産婦人科医院に近い喫茶店で待ち合わせた。
 ねんこは体力を使い果たしたあとのように蒼白な顔をし、華奢な体をいっそう細くして、一郎を待っていた。彼女の容貌を際立たせるはずの透き通るような額の感じが、どこかくすんでいる。
 それなのに一郎は、それまで会っていたゼミ仲間の山波雄太郎を伴って待ち合わせの店に現われたのだった。手術あととも知らない山波があれこれ話しかけるのに、ねんこは辛そうにしていた。さすがに一郎も気苦しくなって山波と別れ、彼女を家まで送った。
 一郎が言い出して、二人の婚姻届を彼女の住む町の役場に出したのは、それから一週間ほどのちだった。ねんこがまだ同棲するわけにはいかないと渋るのを、一緒に暮らすのは別の問題として、まず形の上だけでも結婚しよう、と説得したのだった。
「形の上」などという行為を一郎は嫌悪したけれど、せめてもの気持ちをぬぐえなかった。婚姻届という姑息な方法が罪滅ぼしになるとは思えないけれど、贖罪の意思と、ねんことの絆を確かにしておきたいという我執とが、相半ばして、彼は一枚の紙片に託した。
 ねんこの両親が婚姻届に異を唱えなかったのは、いずれ二人が家に同居することを望んだからだろう。ねんこは三人きょうだいの末っ子だが、兄は物心ともに家から離れており、姉は大阪に嫁いでいる。一郎の父母には婚姻届を出したことを(いずれねんこの両親と同居のことも)まだ話していないが、反対はしないと分かっている。彼が八人きょうだいの四番目(三男)という条件以上に、父母は息子の選択を拘束しない型(タイプ)の親だから。
 そんな事情があって、一郎は何の躊躇もなくねんこの住む町の役場に婚姻届を出したのだった。
 四年生になったら、擬似夫婦がうんとほんものらしくなるだろうな・・・・・・。一郎にはそんなふうに思う余裕がうまれた。

     Ⅵ

 神坂ねんこの家は、名古屋駅から私鉄電車に乗って三駅目。鉄橋を渡るとすぐの町にある。
 その家は敗戦の年、アメリカ軍機の名古屋空襲によって家を焼かれた人びとのために急遽、建てられた簡易住宅。整地工事も粗雑なまま埋め立てた田んぼ跡地に同型の家が碁盤目状に棟を連ねている。原型のままの家屋のあちこちに改装、増築した家家もあって、同じ戦災者のなかにも貧富の差があらわれているのが窺われる。
 一九〇〇(明治三十三)年に生まれた神坂ねんこの父は小学校を卒業すると、兵庫県養父郡の山間(あい)の部落を出て名古屋の製菓会社に丁稚奉公した。ずっと菓子職人をつづけて、第二次大戦中は従業員数名を雇って、名古屋西部の同業者が軒を並べる地区で製菓業を営んでいた。そしてB29の焼夷弾爆撃に見舞われたのだった。
 いま父親は、長屋ふうに住宅二戸分の一戸を改造して機械を置き、一人で駄菓子のあられ(おかき)を作っている。もう一戸分の住宅には、建て増しされて間もない六畳一間の二階がある。一郎が四年生になって早早、神坂ねんこの家に同居すると、その二階が彼の部屋になった。
 同居人の彼が二階の部屋に運び入れたのは、漁港の町の家にあった本と本棚、洋服箪笥の小ぶりなのが一個(それは一応、父が買ってくれた新調のものではあったが)、それきりだった。
 ねんこの父親は小柄な体を朝から夕まで動かして黙黙と働くばかりの、楽しみといえば近隣の祭りなどに催される演芸会で浪曲(十八番は天中軒雲右衛門の「壺坂霊験記」らしい)を披露するくらい、という人。険阻な表情など見せたことはなく、一郎に対してさえ腰を低くして笑顔を絶やさない。家のオルガナイザーは彼女の母親のほうであるが、一郎を末娘の“入婿”と見做して神坂の家を託すつもりなのか、何かと気を使っている。
 玄関に「馬瀬一郎」の標札を掛けたい――神坂ねんこがそう言ったのは、同居して間もない日だった。一郎がこの家の住人であることを明確にしたい、併せて彼が「神坂」の婿養子というのではなく「馬瀬」の人間であることを宣明する。彼女なりの気遣いがあったのだろう。一郎は彼女の提言を断った。確固とした理由があってのことではなく、漠然と自分の立場を猶予の状態におきたかったからだ。
 神坂ねんこの家に同居したとはいえ、そこで過ごす時間は少なく、最近では外で泊まることが多くなっている。大体は大学に近い山波雄太郎の下宿が宿になる。来年に改訂をひかえた日米安全保障条約に対する学生の動きが俄かに活発化してきたことが外泊の理由だった。
 山波雄太郎は四年生になると『資本論』ゼミナールから社会経済学のゼミナールに移っている。そこで奥三河・鳳来町や紀州の山間部落における歴史や習俗と経済の関係を調査している。もともとマルクス経済学には馴染めない型(タイプ)の人間であったのだが、いつだったか一郎に打ち明けたように、『資本論』ゼミでは望み薄な優秀賞を狙って他のゼミへ転じるという目論見を実行したのだ。
 山波が親近感を示してくるのは、彼なりの罪障意識によるのだろう、と一郎は気づいている。一種の打算から転身した負い目を、もとのゼミ仲間とつながっていることで解消しようというのだろう。そのために教条的で辛辣な仲間のなかにあって異質な型(タイプ)の一郎が選ばれたということに違いない。
 一郎が山波の行為を容赦しているというのではない。内心、軽蔑さえしている。ただ『資本論』ゼミに固執する理由を彼自身、持っていないだけのことである。やがて就職問題が目前にあらわれたとき、『資本論』ゼミを離脱しないまでも、履歴書に記しやすいゼミナールも便宜的に履修して二股をかけるということだってありうる。そんな誘惑を断乎、断ちきるほど、おれは潔癖ではない・・・・・・。一郎はそう思っている。
「馬瀬君、優秀賞はぼくの夢だよ。本山ゼミの仲間は転向者呼ばわりしてぼくを蔑むだろうけど、人それぞれの生き方があると思わないか。ぼくはイデオロギーで人生を縛られたくない。馬瀬君なら解ってくれると思うんだ」
 二人がときどき行く駅前のやきとり屋台で飲んでいるときだった。コップの酒を二杯ほど空けるうち、山波はゼミナールを替わったことを弁解しはじめ、さも一郎が彼の気持ちを理解するはずだというふうな口吻になっていた。山波の粘っこく擦り寄る心の動きに、一郎は苛立った。
「優秀賞が夢なのは君の勝手だが、ぼくには全然、解らん。ぼくは思想と人生は同伴者だと思っている。思想によって生きるのが、ぼくの夢だ。人それぞれの生き方というのなら、君と一緒にしてほしくない」
 幾分かは酔いの勢いもあってのことだろう、一郎は意地悪く言葉を返した。
 それでも二人は不穏な口論にはならず、山波の下宿へ帰った。彼の下宿が気侭な宿であることは、一郎にとって重宝だった。

 二階大教室で開かれた全学集会は、席につけない者もいて学生たちで溢れている。正面講壇の背景には、横書きに墨書された白布が掲げられて、「日米安保 改訂阻止 全面廃棄へ」
「警職法」は国会で審議打ち切り、実質上の廃案となった。それからの延長という形をとって、日米安全保障条約の改訂問題が学生たちのあいだに関心を高めている。「警職法」廃案の当初、安堵感もあってか、引き継がれた安保問題への関心は鈍く、学生集会は低調だった。危機感をつのらせた自治会執行部が情宣活動にやっきになったこともあって、ようやく大教室を学生たちで埋めるまでになった。
 愛智大学内ではまだストライキにはいるか否かの論議には至っていないが、東京の大学では一部の学生がピケを張ったという情報も伝わっている。「警職法」闘争の街頭デモで逮捕された都島直二が、きょうの集会に釈放後はじめて顔をみせたのは、一挙にストライキの提起まで持っていこうとする執行部の演出があるのかもしれない・・・・・・。一郎はそんな予測をしながら、汗っぽい空気のなか前列に近い席に掛けていた。
 きょうも本山ゼミのメンバーは誰も参加していないようだ・・・・・・。一郎は、大教室のなかをひとめぐり眺めたのだが、一人だけいるのに気づいた。彼の位置から斜め左の前方、最前列端っこの席に掛けて顔の側面をみせているのは、康(カン)元(ウォン)南(ナム)にちがいない。
 都島直二を起用しての演出――その予測は的中した。
 自治会書記長の白柳が手短かに基調報告を終えると、司会者が都島直二の名前を呼んだ。参加学生のなかに紛れて後方の席にいた都島が窓際の通路に姿をみせると、パラパラという感じで拍手が起こる。白いワイシャツに黒っぽいズボンの小柄な都島は足早に通路を抜け、敏捷な動作で講壇に登った。ふたたび起こった拍手はやはり疎らなものなのに、都島は壇上に立つなり大歓声に迎えられでもしたふうに両腕を高高とかざし、満面の笑みをつくって手を振る。司会者が拍手を要請し、半分ほどの学生がそれに応えたが、一郎は拍手を送らなかった。
 ヒロイックなのは苦手だな・・・・・・。一郎は内心、呟く。
 都島は、逮捕から拘留にいたる状況を報告し、官憲の不当を激しい語調で弾劾した。安保改訂時に予想される人民の反対闘争を予防的に弾圧するのが、「警職法」の狙いだった。われわれは国家権力の策謀を見事に粉砕した――都島はそのように結論づけた。
 語りつぐうちみずから煽られて興奮の度を増すらしく、都島はアジテーションの身振りをいよいよ激しくして、「全学ストップをもって、東アジアの平和を脅かす日米国家権力策謀を打ち砕こう」と唐突に檄を飛ばし、壇上から下りた。
 思いのほか多くの拍手が起こった。
「学生が、授業をボイコットするというのは、どういうことですか」
 一郎の真うしろあたりで声が挙がった。司会者が議事を進行しようとする矢先だった。
 一郎は振り向かなかったけれど、その声が文学部の女子学生であることはわかった。女子は数十名しかいない大学で、学生集会に参加するのは彼女一人だった。色黒の容貌がどこか男性っぽいばかりでなく、いつも白い開襟シャツと茶色っぽいズボンを着けている。一郎が知るかぎり彼女は学生集会に欠かさず姿をみせている。
「平和を守るのは、学生の任務じゃないですか」
 司会者は一瞬たじろぐふうだったが、平静な口調で応えた。
「問題を擦り替えないでください。誰だって平和を望んでいるでしょ。でも、民主的な論議も経ないで、いきなり全学ストを提起するなんてフェアーじゃない。ルールを守るよう要求します」
 女子学生の語調には上(うわ)ずる気持ちを不器用に抑制している息づかいが感じられたが、ヒステリックな印象はなく、どこか凛と響いた。
 集会は小波(さざなみ)程度の紛糾で納まった。自治会執行部が、都島直二の発言は闘争方針の公式的な提案ではない、と答えたからだ。これから全学ストの問題は避けられないだろう。あの女子学生の発言に親近感を覚えたとしても、スト自体、否定はできない。その日のためにおれ自身、立場を明確にしておかなくては・・・・・・。
 一郎は大教室をあとにしながらそう思い、学生たちの群れのなかに康元南の姿を探したが、見つからなかった。
 二日後の『資本論』ゼミナールの時間、花咲幸男が教室の椅子を投げ、机をひっくり返して暴れた。
 講義の始まる前、集会での都島直二のアジテーションと女子学生の抗議がゼミ生のあいだで話題になった。彼らの耳に情報がいちはやく伝わっているのだ。
「都島君は冒険主義者にすぎんよ。そう、極左冒険主義の弊害」
 そう言ったのは丹波作治だった。
 そのとき、花咲幸男がいきなり立ち上がり、何か叫んで自分の掛けていた椅子を丹波に投げつけた。椅子は離れた席の丹波には届かず、音を立てて机の上に落ちた。花咲はさらに蒼白な顔の皮膚をピクピク震わせて叫びつづけ、目のまえの机をひっくり返した。「警職法」のとき、すでに布石が敷かれていた。しかし、あのとき彼が示した態度とは明らかに違って、花咲の眼に狂気の影が走っているのに一郎は気づいた。ひっくり返した机を飛びこえ丹波のほうへ襲いかかろうとして、花咲は足をとられて転倒した。
 激しい興奮と憤怒に駆られて一過性の狂いだったのだろうか、花咲は泣きながら教室を飛び出した。
 康元南と一郎が、花咲のあとを追ったのは同時だった。花咲は廊下を駆け、あッという間にキャンパスへ走り出て行った。花咲の姿が廊下から消えると、康と一郎は諦めて教室へ戻った。教室の雰囲気はぎこちなく沈み、ゼミ生たちが気持ちを俯かせるようにして黙りこくっていた。

 全学ストライキの闘争方針は鳴りをひそめたまま、自治会の呼びかけによる始めての街頭デモが行われたのは、梅雨空の下だった。
 松葉公園に集まった学生は二百人そこそこ。労働組合の赤い鉢巻や腕章を着けた者も、ちらほら学生たちに混じっている。鉢巻姿の学生は自治会執行部の数名だけ。主催者が用意したプラカードやゼッケンを一部の学生が手にしたり胸に着けているほかは、大半の学生が徒手空拳、手持ち無沙汰な風情ではある。傘を差している者はいない。
 自治会の志賀が初めての街頭行動の意義を訴え、デモ行進の注意など説明しているあいだ、一郎は参加者に視線をめぐらした。先日の学生集会で執行部に詰めよった女子学生の姿があった。彼女とそれほど離れていない位置に、康(カン)元(ウォン)南(ナム)がいる。一郎は、学生のあいだをぬって康のほうへ近づいた。
「康(こう)さん」
 一郎が声を掛けるのに、康(カン)は「あぁ、馬瀬君」と微妙に訛りの混じる言葉で応え、小さく笑った。同級生だが五、六歳年上の康を一郎たちは「康さん」と呼ぶ。
 背後から肩を叩く者があって振り向くと、『資本論』ゼミの喜多弘次だった。ゼミ仲間はほかに参加していないようだ。
 霧のような細かい雨が降っている。デモ行進は松葉公園を出発し、大通りを豊橋駅へ向かう。駅前ロータリーを巡ってふたたび公園に戻るのだ。世辞にも果敢なとはいえない、ゆったりとした行進、それでも参加者たちは執行部が先導するシュプレヒコールに合わせ、調和のとれた声で叫んだ。叫び声は、夕闇にはまだ間があるのに暗い、雨雲の空に消えた。
「安保改訂を阻止しよう」
「日本を米帝の植民地にするな」
「日本の自主独立を守ろう」
「ふたたび戦争への策謀を許すな」
「日米安保を断乎、粉砕しよう」
 一時間ほどの行進のあいだ、自治会執行部のアピールとシュプレヒコールは、同じパターンで繰り返された。隣でやけに威勢よく声を張り上げる喜多に煽られて、一郎の声も次第に高くなった。
 途中、一郎が怪訝な感じにとらわれたのは、行進が駅前ロータリーを折り返して大通りをすすんでいる時だった。喜多の向こう隣を歩いている康元南が、ずっと黙っていてシュプレヒコールには唱和しない。馬のそれを連想させる温和な康の眼が、どこか不機嫌に曇り、雨に濡れた横顔に険(けん)が掠めている。康のはにかむ癖を見慣れている一郎には、意外だった。
 デモ行進のあいだに雨は少しずつ強くなって、松葉公園で解散するや学生たちの一部は喫茶「田園」に走り込んだ。
「わたしの国の問題は、一度も出なかったね。日米安保条約と朝鮮半島は密接な関係なのに」
 一郎たち三人も「田園」へ駆け込み、一息ついたとき康が言った。咄嗟には意味を解しかねて喜多と顔を見合わせた直後、それが集会のアピールやシュプレヒコールについて言っているのだと気づき、一郎は虚を衝かれた。康の表情はデモ行進の時とはよほど軟らいでいたけれど、内心、一郎と喜多に抗議しているのが解った。
 一郎がしばしば下宿を訪ねるほど康元南と親しくなったのは、デモで一緒になったその日からだ。下宿は大学から歩いて十分ほどの周囲が田園地帯の一角、竹林の近くにあった。「新井さん」というその家の四畳半一間が彼の間借り部屋だった。
 一郎が初めて下宿を訪ねたとき、桜の季節も過ぎてかなり経つというのに、康の部屋には大きな火鉢があって、真昼のその時間、炭火こそ熾(おこ)されていなかったが、夜には炭を入れて熾すのだ、と彼は言った。
「日本へ来て、すぐ結核に罹ってね。それ以来、冷え性の体になったです」
 康は火鉢の上縁に肘をつき、火箸で灰の表面をならすように掻きながら言った。
 青森の山間にあるサナトリウムで二年間、療養し、「すごく気立てのいい看護婦さん」と恋愛した。二十歳(はたち)の初恋だった。接吻もしたことのないプラトニックなラブだった。体がよくなって、東北のほうの飯場などで働いていたが、病気の再発を心配した母方の叔父さんに呼ばれて豊橋へ来た。その叔父さんが下宿の家主「新井さん」だ。こちらへ来てからも看護婦さんとの間に文通はつづいたけれど、一年と経たずに彼女からの便りは途絶えた。それでも四、五回手紙を送りつづけ、返事がないまま消息は絶えた。
 二十三歳で大学へ入ったのは、叔父「新井さん」の勧めと援助があってのこと。「新井さん」は日帝時代に十歳代で日本へ渡ってきて、ダムやトンネルの工事現場で働き、日本が戦争に敗けた時、つまり朝鮮が解放された時には、飯場の班長みたいなことをしていた。その経験を活かして戦後、土方の組を興し、それ相当の苦労と手腕があってのことだろう、いまは従業員十数名を雇う土建会社「新井組」の経営者。康の言葉を借りれば、日本にいる同胞のうちでは「稀な成功者」ということだ――
 康元南は一郎が下宿を訪ねるたび、火鉢の灰を火箸の先で丁寧に掻きならしながら、そんな話をした。火鉢の灰を掻きならす所作は、康の癖なのだ。
「これが犬の鑑札です」
 ある日、康がそう言って、机の抽出しから取り出したのは、一冊の薄い手帳だった。学生手帳とは違って仰仰しい感じのそれを手渡されて、何のことか、と一郎は思った。茶色っぽい表紙を戸惑いながら眺める一郎に、康は頁を繰ってみろ、と目顔で促す。横書きに本籍、現住所、氏名などが記された欄があり、康の顔写真が貼られている。さらに頁をめくると押捺された指紋が並んでいる。一郎は訳もなく慌てて手帳を閉じた。手帳の意味が充分に理解できないまま、一郎は胸騒ぎを覚えたのだ。
 康は一郎の手から手帳をひったくるようにすると、何も説明せず、脈絡を無視するふうに言った。
「わたしは大学終えたら院のほうへ進み、学者になるのが夢です」
 それはその都度、言い回しに違いはあっても、一郎の前で康が決まり文句のように言う言葉だった。『資本論』ゼミの本山教授が兼任で勤めている、東京のR大学の大学院へ進む準備を彼はしている。
 一郎と康元南が、一か月間アルバイトをするため、長野県と新潟県の県境に近い十日町へ行ったのは、夏休みにはいって早早だった。
 名古屋から長野まで国鉄中央線で行き、そこから飯山線に乗り換えて十日町へ。十日町から山合いの道をバスで四十分ほど登ったところに八箇孕石という、美しい川が流れているきりで民家の見あたらない土地がある。一郎と康はそれぞれボストンバッグ一個を提げて、そこの飯場にはいった。かなり大がかりな隧道工事が行われているのだ。
 二人が八箇孕石の隧道工事の現場に来たのは、一郎の次兄サーやんに誘われてのことだ。サーやんは高校を中退して職に就くこともなく二年ほどぶらぶらしていたのだが、突然、漁港の町を出て東京へ行き、さらに北海道へ渡り、ふたたび西下して、新潟県の直江津、長野県の松本などを転転とした。東京と札幌で一時、「国際画報」というグラビア雑誌のセールスをしていたほかは、ずっと土木現場の飯場暮らし。忘れた頃に家に届く一枚のハガキによって、一郎は次兄の六年間の軌跡を知っていた。東京の浅草に近い地下鉄工事現場で働いていたときのハガキには、無縁仏になった遊女の白骨が地底からゴロゴロと出てくる、と書かれていた。
「只今、十日町と小千谷のあいだの八箇孕石(はっかはらみいし)という所のトンネル工事で発破係をしている。すごくいい所だから、夏休みに一度遊びに来るといい」
 一郎の名前を宛名にしたハガキが漁港の町の家に届いたのは、七月の初め。半年振りの便りだった。一郎は最初、一週間ほど訪ねてみようと考えていたのだが、その話を康元南にすると、彼も同行したいと言う。話し合ううち、そこでアルバイトをすれば一挙両得、ということになった。一郎がその旨、手紙を出すと、サーやんからすぐに承諾の返事が来て、ハガキには、「学問の徒である学生諸君が飯場の労働を経験するのは、日本の将来にとって誠に望ましい」と書き添えられていた。
 飯場で働いているのは秋田、山形、福島などから出稼ぎに来ている人が大半で、一郎にはよく聞きとれない、くにの言葉で話し合っている。家族からの便りを懐かしそうに見せてくれる人もいるが、方言そのままを仮名書きしたものなので、一郎にはほとんど読み取れない。発破係りのサーやんは、その人たちをたばねるボーシン(班長)でもある。
 サーやんの口利きが効いてのことだろう。一郎と康の仕事は予想していたのと違って楽なものだった。道具を運んだり、掘削した土砂を運ぶトロッコ押しの助手をしたり、仕事を終えたあと、泥にまみれた道具や長靴、合羽などを飯場と道路を隔てた目と鼻のさきの川の水で洗ったり、というのが主な仕事だった。それで隧道工事のアルバイトをしようと決めるとき一郎が抱いた危惧は、消えた。一郎は康元南の健康を心配したのだった。いまは治癒しているとはいえ、結核の前歴があるのだから。「馬瀬君、大丈夫だよ。わたしは土方の経験者だからね、腕に自信がある。馬瀬君のほうこそ悲鳴を上げないかと、心配だね」
 そのとき康はそう言って笑った。
 康が言ったとうり、彼は音(ね)を上げるどころか大学で顔を合わせるときより明るく、顔色も冴えている。馬のそれに似た温和そうな眼が、いっそう柔和になっている。
 仕事は朝早く飯場から百メートルほど離れた現場にはいって、八時頃には始まるのだが、終えるのも早く三時には飯場に戻る。昼食は飯場で摂って、時には二時間近くも休憩することがあるので、午後の仕事は三時間にもならない。
 賄いと人夫たちの作業着など衣類の洗濯は、安田組という飯場の社長の母親がしている。七十歳はこえているこの人は、じつに溌剌と体を動かして人夫たちの世話を焼く。一郎はひそかに「肝っ玉ばあさん」と呼んでいるが、康は違う呼び方をした。
「オモニ、オモニ」
 康は「肝っ玉ばあさん」をそう呼んで、何かと相談し、楽しげに話を交わしている。会話の半分以上が二人のくにの言葉だ。
 ここへ来て康さんの様子が明るくなったのは、同胞の「オモニ」のせいにちがいない・・・・・・。一郎がそのことに気づいたのは、働きはじめて一週間と経たない頃だった。
 飯場では餌付けをして数羽の鴉を飼っている。サーやんが前の現場の神奈川県相模原の山中で迷子になっている一羽の鴉を拾って育てながら、すっかり懐(なつ)いたそれを肩に乗せて八箇孕石まで連れてきた。そのうち、どこからともなく一羽、二羽と鴉が集まってきて、いまでは七羽の鴉が人夫たちと一緒に暮らしている。仕事を終えてその鴉と遊んだり、「オモニ」の洗濯を手伝うのが、一郎と康の愉しみになった。
 サーやんが迷子になった子鴉を育て八箇孕石の飯場まで連れてあるいてきたという話を聞いて、一郎は少年の頃、彼に従いて爆弾穴に生息する牛蛙を獲ったことを憶い出した。牛蛙の腹に縦一文字に包丁を入れ、外套を脱がすみたいに上手に料るのは、サーやんの得意業(わざ)だった。サーやんには優しいところと残酷なところが妙に調和していた。
「オモニ」の洗濯を手伝うのは最初、康だけだったが、一郎もそれに倣うようになった。水を張った大きなドラム罐に衣類を漬けて一枚一枚、洗濯板で洗う作業は楽しいとはいえなかったけれど、それを川べりに張りめぐらせた紐に干すのが楽しかった。康と冗談話を交わしながら、衣類の一枚一枚を三十メートルほどの紐に掛けていくのだ。すっかり掛け終ると、見事に並んだ白や色物の衣類が、陽差しを浴びて運動会の万国旗みたいに川風にはためき、気分を愉しくする。
 飯場でのアルバイトもあと一週間ほどで終るという日、そんな洗濯物の旗を背景に一郎と康は川べりの堤に尻を下ろして語り合っていた。
 話題が一段落して、二人は、碧青に澄む川面で光の粒子が黄色い微細な花弁のように燦めくのをぼんやりと眺めていた。そうして川面に視線をやっていると、頭のなかが虚ろになって夢の中へ体が漂っていくような気分になる。
「馬瀬君――」
 不意に康が呼びかけた。
「君には、わたしのことを康(こう)ではなく、康(カン)と呼んでほしい。そう、元南(げんなん)ではなく元南(ウォンナム)と」
 康はそう言って、一郎のほうへ注いだ視線をすぐに川面に戻した。
 康の言葉は唐突だったが、一郎はそれほど驚かなかった。一郎がこれまで「康(こう)さん」と呼ぶたび、数瞬とはいえ硬い表情が康の顔を掠めた。一郎がそのことに気づいてからしばらくになる。それがずっと心にかかっていて、八箇孕石の飯場に来て「オモニ」が康を呼ぶのに康(こう)とか元南(げんなん)とは違うのを知った。それで一度、彼のほうから康元南の朝鮮語の読み方を訊ねようと思っていたのだ。
 しかし、そのあとに康がつづけた話は、一郎を動揺させた。
「馬瀬君は、九年前にわたしの国で戦争があったこと、知ってますね。朝鮮戦争、そう、六(ユ)・二五(ギオ)と言います」
「知っています。中学一年の時、ラジオで大学野球の放送を聞いていて、臨時ニュースで聞きました。朝鮮半島で戦争が勃発したと告げるアナウンサーの声が少し興奮していたのを、はっきりと覚えています」
 康は一郎の言葉に頷いて、語調をととのえるふうにゆっくりとつづけた。
「あの戦争が始まった日、わたしは高等学校の二年生でした。最初、北の人民軍が釜山近くまで南下してきて、わたしの父はその人民軍に志願しました。しかし、アメリカ軍がわたしの国へ上陸してきたのは早かったですよ。日本の本土や沖縄の基地から戦艦や爆撃機がどんどんやってきたのです。アボヂ、そう、お父さんが戦死したのは、戦争が始まって一年と経たない間でした。わたしが潜水艦でドンブリコして、そうです、密航して、玄界灘を渡ったのは、アボヂが亡くなってすぐあとです。日本にいる叔父さんのところへ逃げなさい、オモニがそう言ったのです。オモニは運よく戦争を生き残りました。故郷の大邱(テグ)というところで、いまも小さな雑貨屋さんを開いて細細、暮らしています」
 康はそこまで言うと、一つ溜息をついて、
「こんな話は不愉快ですか。でも、馬瀬君にぜひ伝えたかったのです」
 と、微かにはにかんだ。
「とんでもないです。康(カン)さんがそういう話、ぼくなんかにしてくれて嬉しいです。ぼくは幸運な日本人かもしれません」
 一郎はそう康に応えた。感情の底のほうから伝わってくる動悸を抑えているせいか、ぎこちない言い方になった。
 康元南は二度三度と頷いて、それきり話題を変えた。何度見ても馬のそれを連想させる両の眼が、柔和な光を取りもどして一郎に注がれた。
 一郎は、申(シン)聖(ソン)浩(ホ)さんの死について話そうかどうか迷った。中学三年生の時、国語の時間に久米仙七が大須事件の話をしたのを思い出していたからだ。
 七年前の七月七日、中国訪問の報告と朝鮮戦争反対を目的とする政治集会が、名古屋の大須球場で開かれた。その集会とデモには五千人をこえる人びとが集まり、数千人の朝鮮人も参加していた。その時、警官隊の発砲によって参加者の一人が殺された。その犠牲者が漁港の町に住む高校生で、申聖浩さんだった。
 そんないきさつがあって、一郎は朝鮮戦争にまつわる大須事件と申聖浩さんの死を康に話そうかと迷ったのだが、結局、切り出せないでしまった。
 一週間のち、一郎と康は一か月分一万八千円の賃金を安田組から受け取って、八箇孕石の飯場をあとにした。賄い付きで一万八千円の賃金は、一郎がこれまでのアルバイトでは手にしたこともないほどの額だった。
「康君、しっかりと学問をおさめて、ウリ同胞(トンボ)の役に立つ人間になりなさい。馬瀬君は、康君とよく友情をしてやりなさい」
 賃金のはいった封筒を渡すとき、安田社長が二人に言い、隣で次兄のサーやんが笑みを浮かべていた。
 帰路、一郎と康元南は松本で途中下車して、駅に近い路地裏にある「馬のさしみの店」で酒を飲み、その店と隣り合わせの木賃宿に泊まった。

     Ⅶ

 一郎は『追舟』が休刊して四か月ほどのちに、名古屋で発行されている同人雑誌『七星』の同人に加わっていた。
「骨は、ぼくが拾いましょう」
 初めて訪ねて行った日、『七星』を主宰する沐前円洙(もくぜんえんしゅ)はそう言った。
 沐前円洙の家には鍼灸院の看板が掛かっていて、玄関をはいってすぐの狭い待合室で一郎は沐前と対面した。座卓を挟んで二人掛けソファが二脚あるきりの待合室は、来客のための応接間も兼ねているらしい。ガラス扉一つ隔てた奥が鍼灸の施療室になっているが、沐前は訪問治療に出ることのほうが多いようだ。一郎が訪ねた日も、彼が外出から帰るのを二、三十分待った。一郎が待合室にいた二時間ほどのあいだ外来の患者は一人もなかった。そのかわり白杖を手にした盲目の人が時時、玄関を出入りして、待合室脇の階段を昇り降りした。二階にマッサージ師の何人かが住み込んでいるようだ。
 玄関をはいって待合室と板壁のあいだに、人が体を斜めにして擦れ違えるほどの通路が土間なりに奥へ通っていて、そこに自家製の印刷所がある。印刷機と植字盤の棚がかすかな電球の明かりに照らされていた。「七星工房」と名付けられたそこで、沐前自身と、印刷工の経験のある同人が、活字を拾い、輪転機を回し、『七星』は作られているのだ。
『七星』が創刊されたのは、日本が戦争に敗れて四年後、一九四九年九月だった。以来、五、六十頁の薄手なものながら同人雑誌としては珍しい活版で印刷され、月刊で発行されている。
「馬瀬君、文学は泥水を啜ってするものですよ」
 沐前円洙は、『七星』の由来や性格について語りながら、その言葉を何度も挿んだ。頭髪を坊主頭に刈り込んで頭蓋が大きく、顔貌もどこか入道の趣がある。四十歳そこそこなのに、名前があたえる印象もあってか、老成の風情だ。左眼をあらぬ方向に漂わせ、ちょっと斜視にして、右目で相手を見据えるのが癖らしく、沐前がそんな視線をこちらに注ぎつつ「文学は泥水・・・・・・」云云と言ったとき、古くさい型(タイプ)の人だな、と一郎は思った。「骨は、ぼくが拾いましょう」と言ったときも同じ感想を持った。だからといって、一郎が不快感を抱くということはなかった。
 同人に加わると早早、一郎は『七星』一九五九年五月号に短編を寄せた。「奇妙な男」と題されたそれは、衒いばかりが目立つ作品で、主宰の沐前円洙は雑誌の冒頭に載せてくれたが、同人たちの評判は散散なものだった。
 次作は題材も文体も極力、作意を抑えて、素直な作品を書くことにしよう―― 一郎がそう決めたのは、彼なりに前作の不評を反省してのことだった。それで少年時代の一時期、漁港の町で彼の家近くに住んでいて強く記憶に残っている、知恵遅れの少年をモチーフに書くことにした。フィクションを混えて書くのにはちがいないけれど、できるだけ事実を作品に反映させたいと考えた。
「あんちゃんぽっぽ」と題された作品のメモを、一郎はノートに記した。ノートは四年生になって八冊目にはいり、「極限と参加」と題されている。

「あんちゃんぽっぽ」メモ
 知能に障害を持つ少年たけると、虚無感(ニヒリズム)にとらわれた青年Sの、奇妙だが、稀有の友情。
 ぼくが小学生の頃、家の近くに「お釈迦さんの家」があった。毎年、お釈迦さんの日には甘茶をふるまう祭祀があって、ぼくら近所の子供はそれを楽しみにしたものだ。その家には父親のいない家族が住んでいて、たけるは縁戚の者なのか、何時の頃からか「お釈迦さんの家」に預けられていた。
 漁港の町の西、田圃の向こうを鉄道が走っていて、一時間置きくらいに列車が通った。その時刻が来ると、たけるは決まって家を飛び出し、地蔵堂の角を曲がって、白い坂道を駆けた。そして通り過ぎる列車に向かって、腕と脚をぎくしゃくに躍らせ、叫ぶのだった。
「あんちゃん ぽっぽ」「あんちゃん ぽっぽ」
 お兄ちゃん、汽車が行くよ、と彼は告げるのだ。それでぼくらは彼を「あんちゃんぽっぽ」と呼んだのだが、そのとき、お兄ちゃんとは、彼の兄を指すのではなく、付近で遊んでいる子供たちの誰彼のことだった。時には彼より年少の者が「あんちゃん」となることもあった。その彼を真似て、ぼくらは体を滑稽に躍らせ、「あんちゃん ぽっぽ」と叫んだものだ。ぼくら子供は、彼の行為が喜びの表現であることも知らず、揶揄ったのだった。
 のちにぼくは夫馬敬成と友人になり、夫馬の借り部屋を訪ねるようになって、隣に住む女の子を知り、たけるを思い起こしたものだ。学齢でいえば中学生くらいのその女の子は、夫馬やぼくの顔を見ると、「だんだぶう」「だんだぶう」と言って風呂にはいることをせがんだ。「だんだぶう」は入浴が好きだったのにちがいない。「あんちゃんぽっぽ」のたけるが汽車を好きだったように。
 最近、ぼくは「あんちゃんぽっぽ」や「だんだぶう」が知能障害の子なのかどうか、疑わしくなっている。そんな疑問が、たける少年を書きたいと思ったモチーフ(創作的動機)だ。
 青年Sは孤独である。その孤独感には、作為的な自嘲と虚無がまつわりついていて不純なのを、彼自身、知っている。人物設定はこれまでに書いた「まっくろけ まっしろけ」の「ぼく」、「奇妙な男」の名前のない男、「埋没」の征さん、「いたずら」の「ぼく」などと同系だが、S自身のそのような自覚において、前記人物らとは異なる。Sの人物的性格を人生に敗残した青年として限定するか、虚無と孤独に閉ざされた現代人の直面する難問として設定するか、その選択はここでは大した問題ではない。
 人間的な感動を失った青年がいて、ある町で蔑ろにされている少年と出会い、少年に注ぐ「愛」や「善意」がいかに試されるかが問題だ。その「愛」とか「善意」が、同情的なものではなく、少年との関係性においていかに「友情」へと浄化されるか、少年との関係においてS自身がいかに慰藉されるか、そのプロセス自体が小説の主題にならなくてはならない。
 青年Sが情熱のすべてから見放されたのは、ある日、彼が抗い難い「不条理の眼」に見つめられてしまったからであるが、その彼がたける少年との「友情」によって、「不条理の眼」の呪縛から解かれることができるのか、その可能性を試すのが、この小説の眼目でなくてはならない。
 そして終章――たけるは、事故とも自殺ともつかない仕方で、列車に轢かれて死ぬ。青年Sが彼の内部に、ある恢復を予感した直後だった。たける少年の死のあと、Sは「あんちゃん ぽっぽ」と叫ぶ人になる。             (ノート「極限と参加」)

「あんちゃんぽっぽ」は『七星』一九五九年九月号に掲載された。同人のあいだでおおむね好評を博した。
 ところが、突然の嵐が一郎の満悦を吹き飛ばした。


 二階の部屋でサン・テグジュペリの『人間の土地』を読みながら、一郎は雨戸を打つ風の音に苛立ちはじめていた。
 最近、サン・テグジュペリに傾倒していて、二日まえ漁港の町の実家に戻ったのを機に、一週間ばかりここにとどまって読み込もうと思っている。いや、サン・テグジュペリに集中するために実家に帰ったのだった。『人生に意味を』『手帖』『ある人質への手紙』『城砦』など数冊を携えてきていた。以前、よくそうしたように、海辺へ行って防潮堤に寝転がり、燦めく陽差しの下で潮風に吹かれながら、サン・テグジュペリを読むのを愉しみに来たのだ。
 昼間の予報では、大型で強い台風が紀伊水道を抜けて潮岬あたりに上陸するコースをとっている、と伝えていた。進路次第では伊勢湾への接近も懸念されると報じていた。
 漁港の町で風が強くなりはじめたのは、夕暮れ前だった。雨はさほど激しくなかったが、道端の木木を風が音を立てて揺するのを窓から眺めるうち、一郎は訳もなく粗暴な気分になった。読書を邪魔された腹癒せに、彼はノートに書きなぐった。

 戸外(そと)は嵐だ。
 おれは今、戸外へ飛び出して行って、ずぶ濡れになり、嵐の中をさ迷い歩いてみたい気持ちだ。まだ日暮れ前というのに、まるで暗夜じゃないか。
 野良犬みたいに濡れしょぼれたおれは嵐を呪うだろう。人は惨めな姿でいるときが一番善良そうに見えるのだ。おれは思い切り惨めな気持ち、卑屈な人間になってみたいと思うことがある。まったく奇妙な願望だ。
 嵐よ、まだまだ足りない、もっと手荒く吹いて呉れ。この男の人生までも吹き飛ばしてしまうほどに。
 この男、「苦難」をこよなく求めているらしい。       (ノート「極限と参加」)

 それだけノートに書きなぐると、一郎の苛立ちは幾分、治まり、ふたたび彼はサン・テックスを読みはじめた。
 宵の口をすぎたあたり、戸外で電線を伝う風の音がしだいに悲鳴に似たそれに変り、雨戸を叩く雨音も喧しくなる。闇の中を風雨が叫び声を上げて走っている。
 一郎は読書を中断してふたたびノートに向かい、サン・テグジュペリに関するメモを取っておくことにした。サン・テグジュペリに関するメモは、すでにノートの頁を埋めている。たとえば――

 サン・テックスがめざめたとき、彼の眼前には「敗北」がある。差し伸べもしないのに彼の手に「奇妙な腫物」が落ちる。そこでかれはこう言わざるをえない、「こんなのってないよ」。
 だが、サン・テックスは報酬を受け取ることを忘れやしない。そう、彼は言う、「ぼくにはパラドックスをゆっくり味わい楽しむ権利がある」と。
 「敗北」「無気力」この奇妙な腫物、ぼくらは一度だって手を差し伸べていないのに、それはぼくらの掌にぬくぬくと落ち込んでくるのだ。だからといって、ぼくらに愚痴る権利があるなどと思わないで呉れ。ぼくらは、ふわふわとした、手応えのない、奇妙な腫物を握りしめて闘うのだ。闘いには死んで行く兵士も必要なのだ。罪のない敗北の犠牲者はぼくらだ。観客たちよ、審判者どもよ、口出しはしないで呉れ。敗北を裁くのは、敗北者たるぼくら自身だ。奇妙な腫物など、ぼくらには寝耳に水だ。だが、いただいた贈物はぼくらの手で処分しようじゃないか。

 サン・テックスは瞑想家にちがいない。人生の「延長」を唱え、「絆」に賭ける彼の詩的エスプリは、瞑想のうちに眩く燦めく。しかし、フランス人としての、飛行士としての彼は、充分に行動的である。
 サン・テックスは矛盾する「二人の自分」を背負って、空を飛ぶ。
 彼の願いが何であるか、ぼくは理解する。「絆の温み」「それぞれの一人が万人のすべての罪を負う」「人間の共同体」「真実の人間の復興(ルネッサンス)」「真実の人間の救出」「真実の人間の本然への施与」――彼がその願いをどのように表現しようと、それはぼくらの願望でもあるのだから。
 そうだ、土中に埋まった一人の坑夫を救い出すために百人の生命(いのち)を動員しよう。一人の犠牲者を救うために十人の生命を必要とするなら、ぼくは喜んで十人目の男になろう。
(『戦う操縦士』について)

 サン・テックスの門は、すでに閉ざされていた。何年振りかでそこに帰ったベルニスにとって、パリは単純で職業化された社会にすぎず、虚偽の生を愉しむ者にとって卑属化されたその社会は好都合なものにちがいないが、真の人生を生きようと願う者には唾棄すべき社会だった。ベルニスは自からそのような社会を拒否する。
 ベルニスが年上の女と恋したとき、彼はそれを愛と呼び、女も彼に愛を見出す。だが結局、それだけのことだ。彼は自分が女にとっての救いとならないことを発見し、女とのあいだの埋め難い断絶に絶望する。そのとき彼は女のもとから出発する。ベルニスは愛を拒否する。
 サン・テックスにとって、社会への、愛への門は閉ざされている。しかし、サン・テックスは自からそれらを拒むのだ。その拒否を彼は「脱出」と呼ぶ。不条理な彼らの世代からの「脱出」なのだ。
 結局、サン・テックスにおいて生が意味を持ちうるのは、地上にあってではなく空(そら)の上にあってなのだ。地上的世界を語るとき彼は瞑想的であり、空の世界を飛ぶとき戦士となるのだ。
 ところが『南方郵便機』にあって、主人公ベルニスの空の生は地上からの「脱出」の結果なのだ。そこには『戦う操縦士』にみられる積極的な生の闘いはない。『戦う操縦士』では、サン・テックスは友愛と戦闘(たたかい)の論理(ドラマ)を展開した。ちょうどカミュが『ペスト』において連帯と戦闘(たたかい)の物語(ロマン)を展開したように。
 終末においてベルニスの機は盗賊に襲撃され、彼の死体は砂丘の上に両腕を十字架の形にひろげた恰好で発見される。ベルニスの行動の意味を暗示するように。
 ベルニスの死は、サン・テックスの思想の何を表わしているのか? 単純に同僚である飛行士の死に関する実話から着想されたものなのか? あるいはぼくらの時代の状況を表徴する何かなのか?                   (『南方郵便機』について)

 サン・テックスは、人間の内奥の相反する二つの真実のあいだの闘争について語った。『夜間飛行』における航空会社の支配人リヴィエールは、航空便の夜間飛行という危険を冒すことによってスピードに賭ける。夜と空に闘いを挑み、人間の能力(ちから)がどんなに崇高であるかを証そうとするのだ。そのために彼は規律に厳格であり、部下にたいする愛情さえ現わしてはならないのだ。過失にしろ成功にしろ、出来事というものは人間が命令し、作り出すものなのだから、過失を犯した部下を彼は非情に罰さなくてはならない。懲罰は悪意のためではなく二度と過ちを犯さないためのものである。偉大な事業を成し遂げるためには、ヒューマニズムを抹殺せねばならないのだ。
『夜間飛行』におけるサン・テックスの主題は、人間における二種の命題――個人のために人類の標(しるし)を滅ぼすべきか、人類の標を証し立てるために個人の生命を犠牲にする事がゆるされるか、この二つの命題のあいだの闘争にある。それは人間の二つの側面――人類的事業=革命か、個人の尊厳=ヒューマニティかの対決でもある。
 支配人リヴィエールはあ、矛盾する命題に苦悩する。たった一度の過失のせいで二十年にわたる航空界への献身にもかかわらず除名されようとする老人に対し、リヴィエールは皺のためにひび割れた相手の手を眺めながら、ヒューマニティへの郷愁を覚える。しかし彼は、人類の標を立てるためにそのような郷愁を自分の内部から追放しなければならない。老人を馘首するより他ないのだ。それでもリヴィエールは、自分が戦っているのは彼ら部下ではなく部下たちの過ちに対してであることを知っており、悔いることはない。
 だが或る夜、アンデスの彼方で夜間便が嵐に遭遇し、乗員二人の生存が絶望的になったとき、打ちひしがれた乗員の妻を前に、リヴィエールはいよいよ事業か個人かの矛盾に悩む。「人間の生命には価値はないかも知れない。僕等はつねに、何か人間の生命に立ちまさる価値のあるものが存在するかのように行為しているのだが、さてそれは何であろうか? 何の名において、僕は行動しているのだろうか?」リヴィエールのうちにそんな疑問が浮かぶのだ。
 サン・テックスは人間の生命以上の価値のために戦っているのだ。が、実際に乗員二人の生命が絶たれていくのを感じるとき、前記のような問いを避けることはできず、苦悩の末、次のように記す、「生命がこの事業を動かすとき、はじめて彼は人間の死滅に対して闘っていることになるのだ」
 サン・テックスは、個人の生命を礎に人類の標を選んだ、と言えようか。
「人間という奴には矛盾が多いので、やれるようにしてやっていくより仕方がない」のだ。サン・テックスにとって、動いている力だけが人生を解決する、ということか。
 二人の乗員は死に、新しい操縦士が、誇りと微笑に充ちて、夜の空へ飛び立っていった。リヴィエールは重たい勝利を背に負って、それを見送る。
「彼がもし、たった一度でも出発をよしたら、夜間飛行の存在理由は失われてしまうはずだ。・・・・・・勝利だの、敗北だのと、これらの言葉には意味がない。・・・・・・大切なのはただ一つ、進展しつつある事態のみだ。・・・・・・生命の躍動が行きわたり、あらゆる問題を解決していく筈だ」
 サン・テックスは、人間をではなく、その能力(ちから)と標(しるし)を選んだのだ。
「彼にとっては人間というものは、捏(こね)固めなければならない生のままの蠟であった。この物質に魂を吹き込み意志を創ってやらなければならない」。   (『夜間飛行』について)

 数週間前から、一冊読了するたびに読書覚書の形式で書きつがれてきた、それらの文章につづけて、一郎は『人間の土地』についてノート「極限と参加」に記しはじめた。戸外を走り抜ける風雨の唸りを聞きながら。

〈僕ら人間について、大地が、萬巻の書より多くを教える。
 理由は、大地が人間に抵抗するがためだ〉
 サン・テックスは、彼の焚火で、人間を呼ぶ。
「別の火よ、夜の中に點り出でよ。人間だけが火を持っているのだ。人間よ、我らに答えよ」
 だが、広漠たる地の涯、その火は消え去るべき祈りでしかなかった。彼は祈りにも絶望しなければならなかった。答えはなかった。それでも彼は、絶望と仮死のなかでさえ、人間の尊厳を守りつづけることを知っていた。
 絶望と死の恐怖のなかで、ぼくが泣いているのは、自分のことなんかではない。絶え難いのは、ぼくを待っていてくれる、あの数々の眼だ。彼らが発するであろう、叫び声、あの絶望の大きな炎だ。ぼくの沈黙の一秒一秒が、ぼくの愛する人々を少しずつ虐殺していく。なんだって、沈みかけている人びとを助けるのを、こんなに多くのものが邪魔するのだ。我慢しろ、ぼくらが駆けつけてやる。ぼくらこそ救援隊だ。
 砂漠の真ん中で、サン・テックスは叫びつづける。
「おおい! 人間ども・・・・・・」
 この地球には本来、人間が住んでいる筈ではないか・・・・・・彼はもう一度叫ぶ。
「人間ども!」
 砂漠での永い彷徨のすえ彼の祈りに答えたのは、遊牧のアラビア人だった。そのときもう、彼らのあいだには人種も言語もなければ、国境もない、あるのはただ、彼の肩に天使の手を置いたアラビア人との、人間の絆・・・・・・人間の友誼だった。
 だから、リビアの牧民よ、君の顔をサン・テックスはどうしても想い出せなくなる。君は人間だ。だから君は同時にあらゆる人間の顔をして、僕らの前に現われる・・・・・・

 一郎がそこまで書いたときだった。突風がドンと家にぶつかる音がして、二階の部屋がグラリと揺らいだ。一度揺れたきり、雨戸を軋ませる風の音だけに戻った。
 一郎はふたたびペンを取った。

『人間の土地』におけるサン・テックスの主題(テーマ)、その一つは、危機に身を曝したとき人が発見する、人間の絆だ。それを彼は「人間の本然」と呼ぶ。人間の本然とは、人間を単純化することだ。
 重要なのは、イデオロギーによってでもなく、制服によってでもなく、人間そのものにおいて、人が人を愛することだ。この単純化され、抽象化されたきずなを、サン・テックスは「人間の本然」と呼ぶ。
 サン・テックスの思想的巡礼は『夜間飛行』における脱個人的人類主義のモラルから『人間の土地』におけるヒューマニティと絆のモラルの展開によって説明することができる。
「一旦危急に直面すると、人はお互いにしっかりと肩を組み合う。人は発見する。お互いに或る一つの共同体の一員だと。他人の心を発見することによって、人は自からを豊富にする。人は和やかに笑いながら、顔を見合う。そのとき、人は似ている、海の広大なのに驚く解放された囚人に」
「人間であるということは、とりもなおさず責任を持つことだ。人間であるということは、自分に関係がないと思われる不幸な出来事に対して忸怩(じくじ)たることだ」
「僕は、人が人間を堕落させるのに忍び得ない」
 サン・テックスは、『戦う操縦士』において思想をさらに明瞭にする。
「人間は絆の塊りだ。人間には絆ばかりが重要なのだ」
「ぼくらは自分たちの絆の温かみを感じている。だから僕等はすでに勝利者である」
「各人が、万人のすべての罰を負うのである」
「罪なくして獄に投げられた、たった一人を解放するために、千人が死ぬのが何故に正当であるかは、われわれは問わないのだ」
『夜間飛行』から『人間の土地』『闘う操縦士』におけるこのような変遷は、革命から反抗へのカミュ的変遷と似ている。カミュとサン・テックスにおける最も人間的な側面、それは人間の正義を守り抜こうとする魂に輝いていたことである。
『夜間飛行』において人類の標を立てるための「事業」を人の生命に優先させる思想は、「革命」に奉仕するモラルである。しかし『人間の土地』以後、サン・テックスは「全体」への奉仕を絶対化するよりも人と人の「絆」にいっそう重きを据えるようになる。革命のモラルからヒューマニティのそれは回帰するのだ。コミュニストたちは、カミュに対してそうしたように、こう言うだろう。
 サン・テグジュペリよ、きみは、右翼だ。
 カミュにおいてもサン・テックスにおいても、彼らが悲劇的なのは、人間的(ヒューマニティ)の魂を守り抜こうとしたことだ。
 ぼくはいま、解答不可能な難問にぶつかる。カミュとサン・テックスのヒューマニティは彼らの意志の如何にかかわらず、革命とコミュニズムに背反する。革命とコミュニズムはその意志の如何にかかわらず、ヒューマニティの反抗と正義を成さぬ仲として拒絶する。革命か、正義か・・・・・・。この余りに単純な壁に出口があるとしたら、それは二つに一つの選択だけだ。
 だが、この選択は、父と母のいずれを選ぶかという問いと同じほどに、解答不可能なのだ。
「なぜ、人は、美しい魂を守りつづけるゆえに、反動的とならねばならぬ宿命にあるのか?」
 ぼくはただ、カミュのこの言葉に向き合うのみである。    (ノート『極限と参加』)

 一郎は、書き終えるとノートを閉じて寝ることにした。疲労感が体をつつむ。ノートを取ることよりも戸外に吹き荒れる風雨への緊張が彼を疲れさせているようだ。
 深夜。雨音はひっきりなしに激しくなり、闇の空間を失踪する風の音は、獣のそれに似た黒い咆哮に変わった。そいつは闇を裂き、木木を薙ぎ倒し、漁港の町を巻き上げんばかりに怒り狂っている。
 一郎が眠られぬまま蒲団のなかで身を竦めているときだった。二階の部屋がグラリと揺れた。二時間ほど前、一度、部屋を揺すったきり姿を消したはずのあいつは、機を窺っていたのだ。一郎がそう思ったのが合図のように、家じゅうが激しい軋み音を立てて、グラグラと揺れつづけた。一分、二分・・・・・・それは振幅を増して間断なくつづく。電気が消えた。
 危ない!
 一郎が心のうちに叫んで跳ね起きたとき、二階の南向きの雨戸が飛んだ。窓ガラスが割れて散った。
 天井が舞い上げられる!
 一郎は、二つの部屋を仕切る障子を開け放ち、北側の雨戸とガラス窓も開け放った。荒れくるう風を、二階の部屋の南から北へ筒抜けに吹き抜けさせよう。咄嗟の判断が、彼をその行動にはしらせた。雨水が部屋を襲うことなど意に介する暇はなかった。
 一郎はノート「極限と参加」だけを手にすると、急ぎ階下へ降りた。
 仏壇のある奥の間に父、母、妹三人、弟がいる。父を除いては皆、青褪めた顔をして身を寄せ合うように怯えきっている。階下の部屋も、風が吠えるたびグラグラと揺れ、壁にはすでに亀裂がはいっているのだ。その亀裂がしだいに裂け目をひろげるのが分かった。
 家が揺れている・・・・・・。
「菰(こも)部屋が安全かなん」
 父がそう言って、皆が仕事部屋へ避難するとき、一郎は二階をそうしたように、南側の雨戸と窓を開け放ち、納戸の部屋の障子を取り外し、北側の雨戸も開け放った。その瞬間、風は檻から解き放されたように家の中を南から北へ吹き抜けた。
 一郎が「菰部屋」へ行くと、そこはピタリと揺れが止っている。
 父が“こもかぶり”のしるしかきに使う菰が壁に高く積まれていて家族が「菰部屋」と呼ぶ仕事部屋は、南側に面してガラス障子が嵌まっているきりで雨戸もない。住居のほうとは比較にならない、やぐい造りの平屋だ。ただ、ガラスの障子戸がある南面には、戸外に隣接して便所と野良具などを納める物置とを兼ねた小屋が立っている。その小屋が、風が仕事部屋を直撃するのを防ぎ、風封じの役割をつとめるのだ。そんな小さく粗末な存在さえもが、位置しだいでは猛威を振るう風に対し恰好の遮蔽物になる、一郎はそのことを知って小さな感動を覚えた。父は小屋の役割にいちはやく着目したのだ。
「菰部屋」に避難して少し落ち着いたとき、一郎は母や妹、弟たちの怯えた表情を眺め、俄かに衝き上げてくる感情にうろたえた。
 いま、おれはこの家の長兄なのだ・・・・・・。
 長兄が道楽暮らしのすえ五年前、勘当同然に家を出た。現在は名古屋の鋳物工場で堅気に働いているが、家には顔を出せずにいる。次兄のサーやんは放浪暮らしをかさねて、いま十日町の隧道工事の飯場にいる。長姉は、弟妹たちの世話をよくみて家を切り盛りしていたのに、三十歳に近くなって親の勧める結婚ばなしを虚仮にし、年下のバーテンダーと駆け落ちみたいに家を出た。
「ここなら大丈夫。もう心配はいらん」
「菰部屋」で身を寄せ合っている妹弟たちに一郎は兄らしく言う。
 こんな嵐の日にかぎって実家へ帰っていたことを、一郎は幸運(ラッキー)だと思う。この家でいま、おれは長兄の役割をはたさなくてはならない・・・・・・。そう思った瞬間、彼は家を出て神坂ねんこと同居したことに、罪障感を覚えた。彼はその感傷を心のうちで打ち払った。
「あッ、血が」
 高校に通うすぐ下の妹が声を上げた。見ると、一郎の右手拇指から血が流れて掌が赤く染まっている。そういえば、最後に納戸の部屋の雨戸を開け放すとき、激しい風に揺れるガラス障子が容易に開かないのに慌て、ガラスを割ってしまったのを覚えている。あのとき傷つけたのにちがいない。妹が声を上げるまで、一郎はそれに気づかなかった。痛みさえ感じなかったのだ。
 母がもんぺズボンの腰に挟んでいた日本手拭いを歯で裂き、一郎の右手に巻きつけた。包帯代りの手拭いに血が、あッというまに滲んだが、まもなく止まった。
「舟に乗ってた頃、凄(すげ)え時化に遭ったことを想い出すなん。家も船も、滅多なことで壊れるもんじゃない」
 父が三十数年前の記憶を蘇らせたのか、言った。父は高等小学校を卒業すると、家業の「しるし書き」を手伝うことになったが、二十歳(はたち)前に父親(一郎の祖父)が死んで、母親(一郎の祖母)と折り合いが悪くなった。それで二年間ほど甲板夫見習いとして中国航路の貨物船に乗っていた。
 敗戦の年の七月、隣町の中島飛行機が米軍の空爆を受けた時、庭さきの防空壕で身を寄せ合って艦載機の音を聞いていたのを、一郎は想い出した。
 家族七人、息を詰めて嵐の去るのを待つうち、強い吹き返しがあって風は西風に変った。やがて風は空(から)っ風になり、その変化が刻刻、体で感じられるほどに衰えはじめた。
 一郎が中の間にノート「極限と参加」を忘れたのに気づいたのは、家の揺れがすっかり納まってからだった。二階から持って降りたノートは、階下で悪戦苦闘のあいだも彼の手にあったはずなのに、知らぬ間に手離したらしい。
 ノートの表紙には血が染みついていたが、なぜかほとんど濡れていなかった。
 夜が明けきらないうち、風は止み、一郎は戸外へ出た。家の前の道で人の話し声がしたからだ。家を出ると途端、弱弱しい風に混じる異臭が鼻を衝いた。
 懐中電灯を持った近所の人が二人、道路にいて、
「何か、燃える臭いだなん」
 と一郎に声を掛ける。異臭を怪しんで原因を調べているのだ。坂道を駅舎へのぼる方向を望むが、火の気配はない。
「海のほうへ行ってみるかなん」
 一郎もいっしょに坂道を漁港のほうへ歩く。異臭は西の方向、鉄道線路のむこうから風に運ばれて漂ってくる。鉄路の向こうには、旧中島飛行機の社宅が並んでいるが、その一帯にも火は上がっていない。
 三人は、造り酒屋の森のように大きな屋敷と酒倉の土塀に沿って坂道を下る。夜明け前の空に取り残された星が輝き、疾走する雲間に細く弓なりの月が見え隠れする。
 異臭の正体は結局、見つからなかったが、海辺へ降りて一郎は驚いた。漁港と波止めで隔てられた神社がすっかり消えており、境内と道を隔てた民家が倒壊していた。

 陽が昇った。あれほどの風雨が数時間にわたって吹き抜けたのに、家の中は思いのほか痛手を受けていない。壁や畳が雨にうたれて変色しているが、家具など壊れているものはない。二階の机に積まれたサン・テクジュペリも、表紙が水を吸ってふにゃふにゃになっているわりに頁はそれほどやられていなかった。
 雨戸が吹き飛ばされた直後、おれが咄嗟に判断して敢行した行動は、じつに適切だった・・・・・・。
 一郎はちょっと鼻を高くしたい気分だった。
 そんな気分が吹き飛んでしまったのは、ノート「極限と参加」を開いたときだった。嵐の一夜を記録しておこうと頁を繰っていて、五日前に記した文章が目にはいり、彼は愕然とした。九月二十一日のそこには、「パンドーラの凾」と題を付されて、次のような文章が書かれている。

 パンドーラの凾をぼくらの手に・・・・・・
 そして大いなる災いをぼくらの手に・・・・・・
 ぼくらの世代、それは不幸の時代!
 黄金の不幸を、燦めく受難を、ぼくらの手に・・・・・・
 死を呼ぶものなら、ぼくらは力いっぱいそれを握りしめよう。悪を呼ぶものなら、ぼくらはそれを恋人のように抱きしめよう。
 赤い花をぼくらの手に・・・・・・血の香りが僕らの頬を愛撫する。
 白い乳房をぼくらの手に・・・・・・死の香りがぼくらの欲望を擽る。
 パンドーラの凾をぼくらの手に・・・・・・
 ぼくらはいつだって、謀(たくら)む。               (ノート「極限と参加」)

 なぜこのような文章を書いたのだろう・・・・・・。一郎には想い出せない。たった五日前のことなのに、彼はそれを書いたことすら忘れている。
 昨夕、風が激しくなりはじめた頃、訳もなく衝迫にかられて、「嵐よ、もっと手荒く吹いて呉れ」などとノートに言葉をつらねた。五日前の文章と昨夕の文章、どこかで符合しているように思える。しかし、何の符号なのかが判らない。はっきりとしていることは、それらの文章が招いたように、凄まじい嵐が襲ったという事実だ。その想像が一郎を愕然とさせた。

 午後四時頃、夫馬敬成が名古屋から訪ねてきた。頭陀袋ににぎり飯や罐詰を携えてやって来た。東海道線で大府まで来て、大府から知多半島への鉄道は不通になっていたので、十キロほどの道のりを歩いて来た、と言う。
 同人雑誌『追舟』二号を発行したところで夫馬が「書けないから」と同人を去り、そのことを一郎が編集後記で面罵した。以来、二人の関係は疎遠になっていた。夫馬の陣中見舞いをことのほか喜んだのは、一郎の父と母だった。一郎は感動を素直に表現できずにいた。
「半田が火の海になったというニュースを聞いて、心配になって来ました。大府駅で人に訊ねると、台風のさなかに火事が出たのは事実だけど、それは半田の中心街のほうのことで大火にもならなかったと聞いて、安心したのですが」
 夫馬が父母にそう説明するのを聞いて一郎は、あぁ、明け方の異臭はそれが原因だったのか、と知った。
 一郎と夫馬は、漁港へ行った。舫ってあった漁舟が数隻、破壊されて、艫綱に繋がれたまま海中に船体を沈めている。
 湾を離れて遠く沖合へ去るにつれ、波は日頃より高くうねっている。その波涛を夕陽が淡く茜色に染め、大粒の魚鱗のように海を燦めかせている。
 二人は台風一過の海を眺めながら、にぎり飯を頬張った。
「『七星』の同人になったそうだな」
 夫馬が言った。
「うん、二篇ほど短いのを発表した」
「そうか、馬瀬は文学をつづけるんだな」
「『七星』の同人にはなったけど、『追舟』を復刊したいと思っている。やっぱり、自分の旗幟を鮮明にできる雑誌を出したいからな。自分の雑誌が欲しいよ」
 一郎はそう言って、ちょっと迷い、思いきって語をついだ。
「夫馬、もう一度、一緒に雑誌やらないか」
 夫馬は幾分、淋しそうに笑い、それでもきっぱりと断った。
「おれは文学を離れることにした。才能もない」
 一郎はそれ以上、勧めることをしなかった。夫馬は駄目を押すように、いま身体障害者の介護などをする奉仕グループに加わっている、と付け加えた。
 夫馬敬成は、雨漏りのする家で一晩泊まり、翌日早めに、列車が不通のままなので大府まで歩いて、名古屋へ帰って行った。
 夫馬が帰ると、一郎は棒のようになって四時間ほど眠り、目が覚めたときようやくノートに向かう気になった。

 非道い嵐だった。何より非道いのは、この嵐が人間の生命と共に尊厳をも奪ったということだ(きょうの新聞朝刊によれば、死者・行方不明者が数千名に達し、早くも被災地に泥棒行為が横行しはじめているという)。
 朝、廃墟の中、確かに太陽は昇った。
 あれは祝福の太陽ではなかった。死と崩壊を告げるしるしだった。そのことがはっきりしつつある今、ぼくはこの憤りをどのように表現したらよいのだろう。小説など無力にちがいない。形態(かたち)にこだわることなく、この憤りを表現しなくてはならない。それなのにぼくは、憤りの最上の表現が沈黙であることを知っている。    (ノート「極限と参加」)

     Ⅷ

 伊勢湾台風と名付けられたそれが去って数日後、一郎は神坂ねんこの家に戻った。一郎の実家はさほどの被害でないことを電話で知らせてあったので、彼女の家では安否を気使っていなかった。それでも一郎の顔を見るとねんこは涙を浮かべた。
 神坂ねんこの家へ戻ったのも束の間、一郎はふたたび漁港の町へ帰った。創作への衝動が沸いて、その小説は漁港の町で書きたいと思ったのだ。凄まじい風が咆哮を上げて体内を吹きすさぶのに似た激情だった。

 人間の生命を奪い、尊厳を嘲笑った魔物。あの魔物への報復はやはり小説を書くことでしか果たせないのだ。
 避難民の財産を狙う「海賊」の一団、私欲に狂う商人たち、視察のヘリコプターに乗りたがる官吏や政治屋たち、恩恵がましく被災地を訪れる天皇の息子。
 その一方で、暗澹たる状況の中にあって闘う人びと。住民救助隊、医師、水没地帯へ筏舟を駆って救援活動をする学生たち。
 死臭と重油の臭いが立ちこめる海抜0メートルの工場地帯で死体の回収をする人びと、八百人の死者を葬う小学校校庭で火を焚く人びと。
 魔物が吹き抜けた廃墟で、悪魔と天使が競い、不義と正義が闘いを繰りひろげる――そんな人間と状況の物語(ドラマ)を、ぼくは書きたい。あわよくば、人間の証(あかし)を立てたい。
十月三日
 題名(タイトル)は「象徴、地に堕ちて 驢馬ら天に昇る」としよう。
 主人公二人、救援活動班の学生MとAP原子力発電所職員のS.
 Theme.「象徴」の死と「驢馬ら」の蘇り、Mたちの明日への讃歌。
「象徴」は天皇制とそれをささえる諸々の人間=状況の喩=メタファー。「驢馬ら」はそれとたたかう人間=思想行為の喩=メタファー。二つの喩の闘争がThemeだ。  十月五日
(ノート「極限と参加」)

 創作メモはそれだけ取ったきりで、一郎は実家に帰ったその日から憑かれたように書きはじめた。
 主題(テーマ)とか構成(プロット)とかを練り上げる暇もなく、伊勢湾台風あとの廃墟に生きる人物たちの行動と、日米安保条約改訂前夜の政治状況――二つの筋立て(ストーリィ)が組み立てられていた。地の文体は散文詩的なそれになった。登場人物たちの思考と行動の対立(ダイアローグ)は、書きすすめるうち小説のほうからおそいかかってきた。ペンが鈍ることはなかった。
 おれの青春をこの小説にぶっつけなければ、前へは進めないのだ・・・・・・。
 闇雲な気持ちに煽られるまま、彼は原稿用紙に挑みつづけた。
「象徴、地に堕ちて 驢馬ら天に昇る」一七七枚は、一週間後に書き上がった。書き上げると、一郎は夢から醒めたように不思議な覚醒感を覚えた。一週間、異様な熱中のなかにあったのに疲労感がないのは、夢の中だったからなのだ・・・・・・。一郎はそう思った。
 数日後、一郎は作品を読み返して、題名を「かくて驢馬ら天に昇る」と改題した。そして、「この一編を資本論ゼミナールの本山二三麿先生と同志、喜多弘次、康元南、山波雄太郎に、終生変わらぬ友情の標として、贈る」という献辞を小説のエピグラフにした。

「かくて驢馬ら天に昇る」を『追舟』復刊号に発表したい――そんな欲求が一郎の内に湧いた。『七星』の同人にはどこか小じんまりとした手(て)遊(すさ)びめいたところがあり、社会的な題材を大きな仕掛けで書きたいという意欲に逸る一郎には、馴染めないものがある。『七星』が薄手の月刊誌なので長編の一挙掲載がむずかしいという難点もある。それ以上に自分の雑誌を持ちたいという欲求が彼には強くあった。
 日が経つにつれて一郎は居ても立ってもいられなくなり、申(シン)萬(マン)浩(ホ)を訪ねた。
 現在では漁港の町で唯一、文学について語り合える友人は申萬浩だ。申萬浩は大須事件のとき銃殺された申聖浩さんの弟で一郎とは一年遅れて愛智大学に通っている。野間宏の『眞空地帯』や『暗い繪』など読みあさっている仲だ。
 申の家は町の墓地の北側にあって、緩やかな傾斜をなす土手の斜面に立っている。その傾斜地が風を遮ったのだろう、家は無傷だった。
 一郎が入口で声を掛けると申自身が出てきて、ちょっと待つように言い、貸してあったサルトルの『自由への道』を携えて出てきた。
「全部、読み了った?」
 本を受け取りながら一郎が訊ねると、申は曖昧な表情を返した。貸した本を返すたび堰を切ったように読後の感想を語る申なのに、可笑しいな、と一郎は思う。
 雑草の生える斜面に人の足で踏みしだかれて出来ている野道を北浦湾のほうへ下(くだ)りながら、二人は台風の夜のことなど話すが、申の様子がいっそう寡黙に感じられる。
 北浦湾は薄く霞がかかって夕暮れの色に昏れなずみ、空を舞う海鳥の影とは対照的に海面に淡い光を散らしている。冷たい風が防波堤を吹き抜ける。
「もし、申君が加わってくれるなら」一郎は湾の上を舞う数羽の海鳥に視線をやりながら言った、「『追舟』を復刊したいと思うんだ。どうだろう、一緒に雑誌つくらない?」
 一郎が返事を促すふうに申の顔を見る。申のほうも、羽を止めた恰好で舞い降りたり忙(せわ)しなく羽搏いて舞い上がったりする鳥たちを眺めているが、視線を返さない。
「それは出来ないね。来月にはくにへ帰るから」
 申は飛翔する鳥たちに視線を向けたまま、少しくぐもった声で言った。
 一郎は、何のことかと一瞬、訝(いぶか)ったが、すぐ言葉の意味を飲み込んだ。
「何時(いつ)?」
 一郎は驚きを隠して訊ねる。
「十二月中頃。帰国船の第一便で」
 申は初めて一郎をまっすぐに見た。かすかに笑みを浮かべたが、それは忽ち浅黒く頑丈に頬骨の張った容貌の裏に消えた。
 申がそれきり言葉を継がないので、一郎のほうから質ねなければならなかった。
「名古屋を発つのは何時(いつ)?」
 十二月八日の朝、特別列車で名古屋駅を発ち、新潟へ向かう――それが申の返事だった。
「兄が日本で英雄的な死を遂げたから、家(うち)の家族は祖国で歓迎されるはずだ。ぼくもピョンヤンの図書館に勤められることになっている」
 申はそれを誇るというふうでもなく淡淡と言い、ひとこと付け加えた。
「馬瀬さん、元気で過ごしてください」
「別れの挨拶は、いまはしないよ。十二月八日、名古屋駅へ見送りに行くから」
 一郎は反撥するふうな言い方になっていた。息苦しさがそうさせた。
 約束の十二月八日、一郎は朝早く名古屋駅へ駆けつけたが、申萬浩と会うことができなかった。
 名古屋駅のホームには、民族服を着た人びとが混じって見送りの群衆で溢れていた。高校生たちが鳴らす民族楽器の音を掻き消さんばかりに、群衆のあちらこちらで「万歳(マンセー)、万歳(マンセー)」の叫びが上がった。列車の窓の内と外とで、手を握り合い、上半身を抱き合うようにして別れを惜しんでいる。頬を合わせて慟哭しているチマチョゴリの老婆の姿がある。
 歓喜と悲嘆が不思議に一つになった昂揚――そんな熱気のなかを、一郎は人びとの群れを掻き分け、ホームを吹きぬける寒風にさえ汗を浮かべて、列車の最前部から最後部まで窓窓を覗いて巡った。しかし申萬浩の姿を発見できないまま、列車は新潟へ向かって発った。

 申萬浩が祖国へ帰って十数日後、一九六〇年を迎えた。一郎が書きついできたノートは、新しい年とともにあらためられて「シジフォスの夢」と題された。その一月一日のノートに、一郎は「六〇年代宣言」を気取ってマニフェストまがいを記した。日米安全保障条約の改訂を前に、昂揚する運動への予想が彼を刺激した。

 さあ、六〇年代だ。人はぼくに告げる、「驢馬らよ、黄金の六〇年代を生きよ」と。
 昨日、何かが終った筈であり、今日、何かが始まる筈だ。
「崩壊」と「新生」がいま、世界を席巻している。「破壊」と「建設」が渾然として躍動している。だから、その混沌(カオス)が「創造」に他ならない、とぼくは信じる。「創造」は「混沌」を伴って到来する筈なのだ。「戦い」が「静謐」を伴って訪れるように、「反抗」が「正義」を伴って訪れるように、「混沌」が「創造」を約束する、とぼくは信じる。
「雪解けだ!」と、世界は叫ぶ。
 平和のために血が要求されると断言することはできないが、血のあとに平和が訪れる、と信じることはできる。
「平和共存だ!」と、世界は叫ぶ。
 東と西が歩みより接近するのが五〇年代末期における世界の必然だったとして、その故にぼくらは六〇年代に「革命」の根拠を失うのだろうか! 東西両陣営における経済的平和共存、軍事的並存によって、「社会主義」への夢は基盤を失うのだろうか?

「混沌」が「創造」を約束するように、ぼくのうちで「怒り」が「変革」を約束する。「怒り」に発する文学が「変革」によって帰結するという考えは、血のあとに平和が訪れるというのに似て、たぶん正しい。
「怒り」は不規則(イレギュラー)な地点にその位置をとる。それは予測し難い方向に向かって乱れ飛ぶ。だが、無秩序な方向へ乱れ飛んだ「怒り」は、やがてある地点に集結する。そう、集結するその場所が、「変革」なのだ。
「怒り」が「変革」へと回帰する。この収集可能性が、六〇年代、ぼくの文学の起点だ。情念のエネルギーから思想としての「変革」の形成へ――この繰り返されるトートロギーこそ、ぼくの文学的Themeの中心となるだろう。
 さぁ、六〇年代。驢馬ら、生きよ。           (ノート「シジフォスの夢」)

 一郎は正月を漁港の町の実家で過ごそうと、神坂ねんこと一緒に帰っていたのだが、マニフェストまがいの気負いとは裏腹に得(え)も言われない空虚感に気づいた。それを紛らわそうと、一郎は二階の部屋でペンをはしらせた。「小説の方法」について書いて置こうと思ったのは、「自分のためのマニフェスト」を読みかえして、そこには主題に関する抽象観念ばかりが上滑りしていて、肝腎なMethodについて何も書かれていないと気づいたからだ。

〈或る種の監禁状態を他の或る種のそれによって表現することは、何であれ実際に存在する或るものを、存在しない或るものによって表現することと同じくらいに、理にかなったことである〉
 アルベール・カミュが『ペスト』のエピグラフに掲げた、ダニエル・デフォーの言葉である。これほど明快に、文学における仮構の意義を表現した言葉もあるまい。小説=言語による表現芸術において、「原理」があるとしたら、仮構性Fictionを措いて他にないのだから。
「つくりものFiction」――現実を超えたところで要求される「人間の問題」を提出し、展開し、解答するのが「小説の本質」であって、その本質をコトバによって具現するには「つくりもの」というMethodの原理に拠るしかない。
 たとえば、「死」について人が問題とし得るのは、それが現実を超えた形而上学の問題として認識される範囲内においてのことである。事実としての死などは、とても人智が扱い得る現象ではありえないのだから。だからこそ、ぼくは、カミュが対決した「死」が形而上学の課題だったとしても異存はない。
 いったい、誰が、棺桶の中の死を、問題にし得よう!
 われわれの手に負える「死」は、頭蓋骨の中の「死」をおいて他にありえないのだし、それで充分なのだ。
 文学の扱い得る「死」が頭脳の中の「死」でしかないのなら、文学が選び得る唯一の方法は、「つくりものFiction」だということになる。つまり、「死」を描くに際しても、「死」を仮構することによって初めて可能なのである。「死」を仮構するとは、「死」をめぐる様様な思想、思想としての「死」、それらを創造することである。
 ふたたび要約して、小説=文学の行為とは、言語という固有の表現媒体によって、現実が収集しきれない「人間の問題」を収集し、現実が把捉不可能な「人間の本質」を把握し、現実が解決を留保している「人間の課題」に仮設的にであれ応答することである。そして、そのような目的が果たされるのに唯一の方法Methodは、それが現実との勝負に勝つことを要求される故に、仮構性Fictionalityと想像力Imaginationなのである。
 このように文学と現実の関係が把握されて、前掲のデフォーの言葉が真実味をおびるのである。
 ぼくの言葉で言うなら――
 ある思想を別種のある物語によって表現することは、何であれ現実に存在するあるものを、つくりもののあるものによって表現するのと同じくらいに、理にかなったことである。
(ノート「シジフォスの夢」)

 一郎が、カミュの文学的思索における死の形而上学に触れて、そのような虚構論を記した三日後、彼を動顛させる出来事が起こった。一月五日の新聞夕刊でアルベール・カミュの突然の死が報じられたのだ。
〈〔サンス(中部フランス)四日発AFP〕フランスの実存主義作家でノーベル文学賞(五七年)受賞者のアルベール・カミュ氏(四六)は四日パリの南百㌔のシャペル・シャンピニで自動車事故のため死亡した。その自動車に同乗していたガリマール出版社経営者ガストン・ガリマール氏と同氏の夫人、令息の三人はいずれも重傷を負った。
車はスポーツカーでガリマール氏が運転しパリに向かい高速度で走って樹木に衝突した。警察の調べではタイヤがパンクしたためらしい。(UPI電では道路がぬれてスリップしたと伝えている)
カミュ氏は一九一三年十一月アルジェリア生まれ、アルジェー大学に学んだのち、アルジェー・レピュプリカン、パリ・ソワール紙などの新聞記者となったが、第二次大戦中、一時アルジェリアに戻り、オラン市の小学校教師をするかたわら、小説「異邦人」評論「シジフォスの神話」を書いた(一九四二年)のちパリに潜入して対独レジスタンス運動に加わった。ドイツ占領下のパリで前記二作品を発表、サルトル氏に認められ、またレジスタンス運動の有力紙「コンバ」の主筆となり、戦後一九四七年、小説「ペスト」を発表して現在フランスの代表的小説家となり五七年にはノーベル文学賞を受けた。
 劇作家、評論家として知られ、その他の代表作には戯曲「戒厳令」(四八年)「正義の人々」(五〇年)評論「ドイツ人への手紙」(四五年)などがある。〉(毎日新聞一九六〇年一月五日夕刊)

 漁港の町の実家で、配達された新聞に三段抜き見出し「カミュが自動車事故死」とあるのを目にした瞬間、一郎は軽い目眩さえ覚えた。どこか見知らぬ白い夢のなかのような場所をさ迷っている気分のまま、同じ記事を何回も読んだ。彷徨感はいっこうに薄れる様子もなかったが、繰り返し記事を読むうち幾分、落ち着いて、ノートを取る気になった。
 ノートは、五日間つづいた。

一九六〇年一月五日
 カミュが死んだ!
 一月四日、パリの南百キロのシャペル・シャンピニで、自動事故のため死亡したのだ。タイヤがパンク、高速道路の樹木に激突したらしい。
 ぼくは、カミュの死を過大には悲しまない。カミュの死後も彼の文学は生きつづけると確信しているからだ。
『シジフォスの神話』と『異邦人』によって、文学とかかわりつづける端緒を得たぼくにとって、カミュの「誕生」は祝福すべきものではあるけれど、あくまで文学において決定的に重要なのであるから、彼の「死」は致命的ではない。彼の死を惜しむことより、ぼくはぼくの城砦を固めていけばいいのだ。
 ぼくの「文学」を大きく培ってくれたカミュに報いる道があるとすれば、それはぼく自身の文学を鮮明にして、彼の文学から訣別していくことだろう。ぼくが手前味噌に誓ったカミュとの「姿のない友情」までもが死んだわけではない。ぼくはこれからも一人合点に彼との「友誼」を深めていけばいい。
 それにしても! 黄金の六〇年代は、想像のつかない時代になりそうだ。

一月六日
 カミュが死んだ!
 彼は実に不粋な仕方で死んだ。人々は詮索するだろう、ガリマール氏の泥酔運転ではないか、と。カミュもまた、死への抵抗力を失う程度に飲んでいたのではないか、と。つまり、アルベールは不名誉な犬死にをしたのかもしれないのだ。
 だが、ぼくは、誰人にというのではなく、自分に告げておきたい、カミュが残した文学的遺産は、彼の死のかたち如何にかかわらず、その死を名誉ある死と主張する権利を有するだろう、と。
 ぼくの知る限り、カミュは「死」について最も多く語り、もっとも誠実に抵抗した、二十世紀の作家だった。その彼が実につまらない事故死を遂げたとして、人は軽蔑する資格があるだろうか。深刻に慨嘆する権利さえあるだろうか。人間の死など多かれ少なかれ、不恰好なものだろう。
 あらためてぼくは自分に告げよう、カミュの死が凡俗の極みにおいて招来されたとしても、彼の文学が追求した「死への抵抗」という命題は、けっして反故(ほご)になることはない、と。
 カミュが戦いつづけた死は、街角の死であるよりも、「死」という観念そのものだった。ぼくらが戦い得るのは、「死」という観念の原型に対してなのだ。だからこそ、カミュの謂う「形而上的な死」を容認し、そのうえでぼくらは、人間に約束され、避けがたく宣告される「死」と戦うのだ。そうして戦いつづけたアルベールに、喝采を送ったのだった。
 われわれの前には死が在る。唯一の明証であるかのように、死が在る。だから人生は無意味だ、と宣言する権利なぞ、われわれにない。無意味のなかで生きることが、死とさえ戦う人生の光栄なのだ! カミュはそう叫ぶ。
 カミュは自動車事故で死んだ。だから、ぼくは敢えてこう告げる、亡骸(なきがら)のなかから、カミュの文学は甦るだろう、と。

一月七日
 カミュは死んだ!
 カミュの文学はもっとも二十世紀的に逆説Paradoxの文学だった。
 彼は『裏と表』によって宿命的な旅に発った。影と光、老人と若者、肉体と魂、カミュの旅はつづいた。太陽と理性、殺人と自殺、悪意と善意、孤独と連帯、旅はさらにつづいた。死刑囚と執行人、憎悪と愛、怒りと微笑、恐怖と矜持、牢獄と世界、欲望と反抗、歴史と正義、そして死と生。旅は果てしないParadoxのなかでつづけられた。
 Paradoxの最も基本的な形態は、不条理そのもののうちに胚胎されていた。
 生きるに値する人生はない。
 なぜ?
 約束の時は、死であるから。
 絶望するのか? それとも自殺?
 否、人生が生きるに値しないなら、人は生きるに値する
 カミュの文学(ダイアローグ)は、Paradoxの渦のなかで輝いた。
 そして、カミュにおける最大のParadoxが、彼の死にみられる、愚鈍と厳粛だった。

一月八日
 カミュは死んだ!
 彼が日本へ来ることはなくなった。戦中派は暗い混乱を生き抜き、ぼくら戦後派は廃墟を生き抜く、その贈物(プレゼント)として「不条理の文学」に感謝し、拍手と祝福を送ったのに。
 しかし、日本の若者たちは、彼の無礼にまさる代償を受け取っている。日本の若者たちは、カミュによって「生」の何であるかを知り、励まされている。少なくとも、怒れる若者(アングリーヤングメン)たちは。

一月九日
 カミュは死んだ!
 最近、ぼくの精神にとって「事件」と呼べるものなどなかったので、その「事件」がこうも突然やってくると、どぎまぎしてしまう。悲憤慷慨するよりさき、ぼんやりしてしまったのだ。
 昨日、『客』を読んだ。六〇年代、最初の読書だ。
 この作品を読んで、カミュは死ぬべきでなかった、と思う。広漠たる原野に唯一人たたずむ異邦人の明日が、SolitaireなのかSolidaireなのか、ぜひ彼に答えてもらいたかった。解答を保留のまま、カミュは死んだ。
 カミュは「最初の人」と題する長編の構想を練っていたという。未成の長編が、カミュの解答をぼくらに伝えるものだったのだろうか。
 とてつもなく巨大な義務と権利がぼくらに手渡されたということになる。保留中の難問を解かねばならないという、文学上の義務と権利!     (ノート「シジフォスの夢」)


 日米安全保障条約の改訂期限切れをめぐって、アメリカ連邦政府と日本政府のあいだに延長の調印式が迫り、世情は緊迫した。一郎が通う愛智大学でも、騒然とした雰囲気のなか学生たちは浮き足立っていた。全学連愛知の主要な戦線(フロント)を担っている学生自治会は、先鋭的な行動を次次と提起しはじめた。
 一郎は、過激な方針に特に積極的な分子というのではなかったが、学内での決起集会や街頭デモンストレーションには欠かさず参加して、昂揚した気分のなかにあった。日米安保条約への危機感は、それなりに彼のうちに醸成されていたのだ。
 後衛には後衛なりの、役割がある・・・・・・。
 そんな気負いがなくはないけれど、一郎を促したのは、「正義」とか「反抗」といった観念だった。もしかすると第二次大戦中、フランスの文学者たちが対ドイツ抵抗運動(レジスタンス)を戦ったのに、自分の行動を模しているのかもしれない。
 一郎が政治の季節のなかで身体的な時間を過ごしていたある日、カミュを追悼するサルトルの文章が雑誌に載った。
 サルトルとカミュのあいだに交わされた、マルキシズムかヒューマニズムか、革命か正義か、をめぐる論争以来、二人の間柄が不仲になったという報を、一郎は知っている。かつて共に対ドイツ・レジスタンスを戦い、同志的に実存主義思想を文学と哲学両面にわたって構築しながら、ついに訣別した二人。そのサルトルがカミュの死をどのように悼むか、一郎は強く興味を唆られた。
 雑誌二頁の短文ながら、サルトルの文章を読み終ったとき、一郎は感動を覚えた。そこには優れて稀有な、思想的同志ならではの情理が表出されていた。
 思想を容赦なく競いながらも、真の友情とはいかにあるべきか。この短文にはその規範(モデル)が示されている・・・・・・。一郎は感動を覚えるまま、ノートにペンを走らせた。

 亡きカミュに手向けたサルトルの文章を読んだ。(註『新潮』三月号「矛盾に悩み沈黙していたカミュの死に手向ける論敵サルトルの追悼全文」菅野昭正譯)
 僅か二頁の追悼文であるが、ぼくは感動した。
「カミュの死」以来、日本の文学者たちによって多くのことが語られてきた。だが、不幸にして、カミュの文学と業績に報いるに足る追悼文は、それらの中になかったように思う。
 サルトルは追悼文の中で、矛盾に悩み沈黙を強いられたカミュの内奥について、沈着な情熱と深い友情をこめて語った。晩年のカミュの沈黙について、サルトルは実に理解ある態度を示している。
 カミュがそのために苦悩せねばならなかった矛盾を、サルトルは「尊重すべき幾つかの矛盾」と言い、それらの矛盾は、カミュに一時的な沈黙を選ばせたのだ、と表現する。サルトルにとって、カミュは「待つにふさわしい数少ない人物に属していた」。なぜなら、カミュは「じっくりと選択し、その選択に誠実であるから」と。そういう慎重さこそが、カミュの「人間的な特性だった」のだ。
 サルトルは正確にも、カミュのユマニスムを「頑強で、偏狭で、純粋で、峻厳で、感覚的なる」それと称し、「彼のユマニスムは、現代の厖大な、醜悪な事件に対して、勝ちめの疑わしい戦いを挑んでいた」と断言する。これらの言葉に接すれば、サルトル・カミュ論争の際、おぉ、哀れなるシジフォスよ、と毒づいたサルトルの言葉とは思われないのだ。
 サルトル(たち)は、待っていた。「彼がその後どうしようと、どう決断しようと、依然としてわれわれの文化の領域の主要な力のひとつであり、彼なりの流儀でフランスの歴史、今世紀の歴史を代表しつづけただろう」
「彼はすべてをつくりあげてはいたが、しかもあらゆる場合と同じく、すべてが為すべきこととして残されていた」。カミュは、サルトルのその指摘に対して、こう語ったそうだ、「私の作品は、私の前にある」と。
 カミュがぼくらの目に不安定な位置に立っていると映った原因について、サルトルはこう解明している、「活動中のこの男は私たちに問題を投げかけ、彼自身も答えを探求する問題そのものとなった。彼は〈長い人生のなかば〉に生きていた」。
「カミュの死」によって、ある人々はその文学の真実性を否定し、「不条理なものとは、もはや誰も彼(カミュ)に提出せず、もはや彼が誰にも提出しないこの問題(死)のことであり、もはや沈黙ですらなく、絶対に価値のないこの沈黙のことなのだ」と論断する。それらに抗して、サルトルは次のようにカミュを弁護する、「彼を愛した総ての人にとって、この死には耐え難い不条理がある。けれども、この毀損された作品(人生そのものの意か?)を完全な作品と見なすことを学ばねばなるまい。カミュのユマニスムが彼を不意に襲うこととなった死に対する〈人間的な〉態度をもり込んでいる限り、自負にみち純粋な彼の幸福への追求が、死ぬという〈非人間的な〉必然性を含み、それを要求する限り、彼の作品およびそれと不可分な生涯の中に、私たちは、一人の人間の純粋で輝かしい試み、たえず実存を未来の死から奪い返そうとする試みを認めるべきであろう」。
 短いが善意に充ちたこの一文を読み終ったとき、ぼくはサルトルの次のような言葉を心底、信じた。
「彼と私は不和だった。が、不和など何んでもありはしない。それはまさしく――たとえ二度と会わなくても――私たちに与えられた小さな狭い世界で〈一緒に〉、互いに忘れることなく生きるという、別の生き方に他ならない」
 カミュは生前、サルトルのこの友情に充ちた言葉を、沈黙のなかですでに知っていただろうか?                        (ノート「シジフォスの夢」)

 日米安全保障条約の延長・改訂に関する調印が、二つの政府の間に交わされた。それに抗議して、愛智大学が全学ストライキにはいったのは、一郎がカミュにたいするサルトルの追悼文についてノートに記した、その日だった。

 膚を刺すような冷たい風が、冬の陽差しにきらめいてキャンパスを抜けていく。グランドのあちらこちらに枯れ残る草むらが、小さく風に戦(おのの)いている。渥美半島の根っこにあって温暖の地には珍しく、二日前に雪が降った。
 冷やかな空気に匂いが混じって、一郎の鼻孔を擽る。木木の燃えるちょっと香ばしい匂いは、彼が配置についている北門の傍で学生たちが焚火をしているのだ。焚火は、馬術部の厩舎の裏手にある農家の雑木林から、枝を払ったり倒れた枯れ木を見つけたりして掻き集めてきた。
 北門から西へ二百メートルほど離れた正門付近でも、学生たちが焚火を囲んでいる。正門のピケには北門の倍ほどの人数が配置されているから、四十人はいようか。門を固めるピケの隊列のほうはいつの間にか歯抜けになって、大半の学生が焚火のまわりにいる。一郎がいる北門のほうはさらに酷い状態だ。校門の前には見張り役が三人ほど交替で立つほかは、焚火の周囲に屯してダベリ合っている。時時、誰からともなく声が上がって、インターナショナルを合唱する。
 勿論、全学ストライキにはいったのっけからそのようにのんびりと弛緩した雰囲気が学生たちを領していたわけではない。ストに突入するや早早、柔道部の学生がピケ破りに来る! という情報が飛び込んで、緊張感が漲った。急遽、ピケ隊の規律まで決め、終日、組んだスクラムを解かなかったほどだ。しかし、ストにはいって三日目のきょうになっても柔道部にそれらしき気配はなく、学生たちは安堵し、同時に気抜けもした。自治会委員長の志賀が柔道部の主将とボス交渉を謀って相手を説き伏せた、という噂が耳にはいったが、一郎に真偽のほどはわからない。確かなのは、ピケ学生のあいだで急速に緊張感が消えはじめ、安保条約の調印に抗議する初期の意気込みにかげりが差しているということだ。
 午後二時頃だった。日頃から学生たちと懇ろな間柄で有名な哲学担当の助教授「中迫さん」が火の元の監視とも暇つぶしともつかずブラリと姿を見せた。彼が焚火を囲む学生たちと三十分ほども無駄話をして去ってから間もなくのこと。ちょうど一郎が『資本論』ゼミの喜多弘次、康元南と三人、北門のところで見張り役に立っているときだった(ゼミの仲間でピケ隊に参加しているのは、他に具志堅政信と花咲幸男がいるが、二人は正門のほうの配置についていた)。
 一郎たち三人の前に、寒そうにコートの襟を立てて四人の学生が現われた。
「馬たちに飼葉を与えたいので、校内(なか)へ入れてくれませんか」
 内の一人がこちら側三人の顔を順繰りに見つめ、落ち着いた口調で言った。どことなく几帳面な会社員といった型(タイプ)の学生が、青山という馬術部のキャプテンなのを、一郎も知っている。青山が、独語講師のドイツ人女性が乗る馬に付き添ってグランドをトロットで駆けている姿をよく見かける。その情景を目にするたび、一郎は小学校にはいったばかりの頃の記憶を蘇らせたものだ。その年の夏休み、どんないきさつでか軍隊が校舎に駐屯していて、あるとき散歩帰りの軍馬を引く兵士が一郎を馬の背に乗せてくれたことがあった。校門の近くまで来ると、優しい顔の兵士の表情が急に険しくなって、邪険な動作で馬の背から下ろされた場面を鮮明に憶えている。兵隊は上官の目を恐れたのだろう。
 青山以外は見たことのない顔だが、馬術部員だろう。
 一郎たちは顔を見合わせた。三人の表情に、あ・うんの呼吸でOKのサインが浮んだときだった。見事な素早さで、都島直二が焚火の傍から飛んで来た。都島は北門ピケ班のキャップだ。
「全学ストの期間は、学内にはいれないよ」
 都島は、青山が一郎たちに説明したのと同じ言葉を繰り返すのに応えた。
「わたしたちはストライキ破りをするつもりはない。馬に飼葉を与えれば、すぐ帰る」
「いや、学生が学内へはいること自体が、問題なんだ。特例を認めたら、全学ストの意味がなくなるんだ」
「じゃあ、わたしたちの行動にあなたが立ち合えばいい」
「それは同じこと・・・・・・。そんなに馬が心配なら、われわれが代って飼葉を与えてやるよ」
「無茶を言わないでください。馬に飼葉を与えるのは易しいことじゃない」
 都島との押し問答がつづくうち、銀縁眼鏡の奥で青山の眼に涙が滲んできた。他の馬術部員たちも、ピケ学生たちに取り囲まれて、顔を蒼白にしている。
 にやけた馬術部の連中は、おれの好みじゃないけれど、都島も頑迷だな・・・・・・。
 一郎が苛立ちはじめたときだった、康元南が唐突に口を開いた。
「安保条約は悪いけど、馬には罪はありません。都島君、この人たちを通しましょう」
 康の口調は生真面目そのものだったが、一郎はつい吹き出しそうになった。なんと抜群の言葉だろう。まさにその通り、馬に罪はない・・・・・・。
「都島君、おれも康さんの意見に賛成する」
 一郎が言うのに間髪入れず、
「賛成!」
 と喜多弘次が大きな声を上げた。喜多は右手を高く挙げさえした。
 都島は意外とあっさり折れて、馬術部の四人は厩舎へ向かった。ピケ学生の囲みが解かれて校門をはいるとき、青山が康元南に会釈した。
 康元南らの発言をきっかけに都島が意外とあっさり妥協したのは、一応は原則的な態度を表明することによってピケ隊としての立場は維持した、とみずからを納得させたからか。一郎はそう解釈したが、釈然としない場面であった。
 日米安全保障条約とのたたかいは結局、六月に予定されている国会での承認問題に照準が合わされ、学内での運動は新年度を待つことになった。国会へ向けた、四か月ほどの闘争は、熾烈を極めるだろう。一郎にもそれが予測できた。しかし、その時、おれはたたかいの隊列にいるだろうか。後衛とはいえ、戦線のどこかにいるだろうか・・・・・・。
 一郎がそう自問せざるをえなかったのは、四か月後、彼は未知の世界にいるからだ。
 就職先は一月に決まっていた。
 昨年秋、新聞社と放送局それぞれ一社の入社試験を受けて二つとも失敗した。マルクス経済学の専攻では一般企業への就職は難しいだろう。それならいっそ、神坂ねんこを説得して単身、東京へでも出ようかなどと考えていた矢先、高校時代の教師が、就職口を持ってきてくれた。家具や建材も製造する合板メーカーだ。
 とりあえずという気持ちで、一郎は従業員二千名ほどのその会社に入社を決めたのだった。履歴書の専攻欄には「銀行論」と虚偽の記載をした。選択必修科目の銀行論の講義は履修したけれど、専攻などではない。卒業論文も「貨幣理論の展開――貨幣の必然性と本質」と題して、『資本論』の使用価値・交換価値・価値論の章と商品の物神性の章とからやたら引用して書き上げ、本山二三麿教授に提出した。

 友人たちが集まって、馬瀬一郎と神坂ねんこの「門出を祝う会」が催されたのは、卒業式の二日後だった。今更、「門出」など面映く辞退するのを、ゼミ仲間の喜多弘次、山波雄太郎らが強引に準備をすすめた。名古屋・栄の喫茶ニューボンには、ゼミ仲間のほかに夫馬敬成ら高校時代の友人、神坂ねんこの職場と高校時代の友人、それに同人誌『七星』の主催者であるも沐前円洙ら二十名ほどが集まった。
 テーブルにはシャンペンとビール数本、簡単なオードブル、それにコーヒーとケーキが添えられただけの質素な集いではあったが、ささやかな友情が一郎を素直に感激させた。
 彼ら・彼女らの励ましとも毒舌ともつかない祝辞(スピーチ)に、神坂ねんこが涙をみせる場面もあった。一年余の変則的な結婚生活には不安を感じることもあったのだろう。「祝う会」を機に安定した生活が約束される、と彼女は安堵したようだ。
 友人たちが寄せ書きした色紙に、一郎は促されるまま「飛躍」と記した。
 三月中にねんこと二人、記念の旅をしておこう・・・・・・。一郎がそう決めたのは、神坂ねんこの涙に応えたいと思ったからだ。
 記念の旅は、三泊四日、房総の旅と決めた。

一九六〇年三月七日
 早暁の名古屋駅プラットホームで細川さん(ねんこの友人)から花束を、夫馬敬成からチョコレートを、贈られた。山波雄太郎が手渡してくれたのは、マルセル・パニョルの『笑いについて』だった。
 東京駅から房総線へ。乗り換えて間もなく、窓外の風景は早くものどかな田園のそれに変わる。房総半島の香りが感じられるようになったのは、千葉を発つ頃。名古屋を発つとき晴れ渡っていた空はどんよりと曇って、木更津から館山に至る海岸線は太平洋側なのに、どこか山陰のそれを思わせる。
 太平洋の波涛は、曇り空の下で幾分、陰鬱だが、やはり豪放だ。未知の空、未知の土地、未知の人々、それらの経験が、待ち受けている人生の何を暗喩しているのか、ぼくにわかるはずもない。ただ、旅が人生と類似(アナロジー)であることだけは、察せられる。
 安房鴨川に着いたのは、午後四時半。            安房鴨川・吉田屋にて

三月八日
 安房鴨川の夜は、神秘的とも言えた。雨に煙る闇の中に、波涛が暗白色の牙を剥いていた。荒々しい潮鳴りは夜じゅう吠えつづけ、ぼくとねんこは部屋の窓越しに黒い海を眺めながら語った。あてどもない愛や希望について、いまこの時だけはそれらがさも信じられることのように。ぼくは文学と「闇の中の光りの一雫」について語り、ねんこは命(いのち)と生まれてくるそれへの不思議について話した。床の中でねんこの性技はこれまでになく練熟していた。
 今日、ぼくらは銚子に向かった。途中、大網で乗り換え、もう一度、成東で乗り換え、その頃から霧雨になった。成東から銚子への列車が石炭車であるのに、ぼくらは驚き、手を拍った。列車のなかでぼくはジャン・バールの『実存主義的人間』を十数頁読み、ねんこと二人で『七星』に載って間もない小説「かくて驢馬ら天に昇る」を話題にした。
 列車は広々とした平野を望み、人里離れた松林を抜け、走りつづけた。房総半島の最端・銚子に午後四時に着く。犬吠岬へはバスで二十五分。
 犬吠岬の燈台に登るなり、ぼくらは感嘆の声を上げた。波のうねりは激しく牙を立てて異様に白く弾け、あちらこちら海面に突き出した岩が、波涛に耐える巨大な動物の背を彷彿させる。ぼくらは写真を撮るのも忘れてその光景を眺め、岬をあとにした。
 宿へ着いたのは、夕暮れ時。空と雲と海は、夕映えの終りを告げて暗紅色に染まっていた。闇の中の光の兆(きざし)のように、月が昇った。
 夕食をすませ、窓際の椅子に掛けたときだった。灰色の海はすっかり夜の海に変貌し、波涛が月影に映えて暗く幽かな銀白に燦めいたり、漆黒に塗りこめられたりする。雲間に月が入ったり出たりするたび、そんな明と暗を繰り返すのだ。夜の海を眺めるうち、不意にぼくの視覚に闇と光ふたすじの道が見えた。それは妙にくっきりと帯状をなして海上を沖合へ走った。月は雲間に隠れているのに、銀白の道が一本、それに伴走するように海面の暗色よりさらに濃く黒い道がもう一本、目にはっきりと見えた。
 二本の道は数十秒だったか、視界から消えて、二度と同じ現象は起こらなかった。
犬吠岬・磯屋にて

三月九日
 正午頃、犬吠岬を出発。銚子発十二時四十四分の千葉行きに乗る。松岸から佐原へ至る水郷地帯は、静謐と抒情を満喫させる。犬吠岬の動と水郷の静は、房総の旅の白眉になるだろう。残念なのは、水郷を夕映えの中で見なかったことだ。
 成田を経て千葉へ戻り、東京へ。今日の一拍地・湯河原へ向かうのに東海三号に乗ったのは、午後四時四十七分だった。                湯河原・伊豆屋にて

 一郎とねんこが帰途、湯河原で一泊して、房総の旅を終え、名古屋へ戻ると、吉報が待っていた。新聞紙上で「かくて驢馬ら天に昇る」が取り上げられ、高く評価されていたのだ。

〈それにしても、馬瀬一郎の「かくて驢馬ら天に昇る」(七星二月号)は、エネルギーにあふれた力作である。おそらくこの作品は、主題の追いつめ方にも、方法や文体にも、結晶への途上の発酵状態ともいうべき混迷を多分に残している。しかし、伊勢湾台風のときの学生医療班の救援活動を、現在の日本の学生運動全体の風潮とからみあわせて描きつつ、デラシネのかわきに悩む青年の生き方を根本的に追求しようとしている意欲のたくましさに、私は抜群のものを感じないわけにゆかなかった〉

 一郎は、『追舟』復刊の希望がかなわないまま、「かくて驢馬ら天に昇る」を『七星』に発表したのだった。主宰の沐前円洙は一七七枚にのぼる小説を雑誌の巻頭作品として一挙掲載した。それにもかかわらず、一郎は『七星』での発表に多少、忸怩たる気持ちをひきずっていた。
 C紙の文化欄に載った、文芸評論家Mの一文は、そんな一郎の鬱屈を吹き飛ばし、励ました。勿論、一文には作品の未熟を指摘する批判が含まれているのを読み取らないではなかったが、一郎の内にそこはかとない文学への意欲が湧いてきたのは確かだった。

 神坂ねんことの房総の旅から帰ると、三週間ほどでもう会社勤めに出る日が、一郎に迫った。その事実が、否応なく彼に、これから進むべき道の選択を問うた。
 待ち受ける世界の、未知の渦のなかで、取るべき道は何か? 政治へのコミットか、日常の平穏か。革命か、文学か――観念に還元されるなら、そのような問いだった。
 そうだったのか? あのとき突然、海上に現われた黒白(こくびゃく)二本の道は、この問いの前触れだったのか・・・・・・。
 房総の旅の折、犬吠岬の宿で幻覚のように見た、沖合へと夜の海に伸びていた不思議な二本の帯が何であったのか、その正体がわかったように一郎は思う。二本の道、二つの門・・・・・・。
 一郎は何かの予感に促されてノートに向かった。

 アルベール・カミュが、革命に代って正義を選択した時、人々は彼を「右翼!」と弾劾した。あるいは、「反革命!」と。
 カミュはやがて、彼を取り巻いて起こった政治的事件――たとえばアルジェリア問題などについて、頑強に沈黙した。沈黙には、苦悩と矜(ほこ)りが、奇妙に影を重ね合っていた。
 不条理とのながい戦いの期間、カミュを支えてきた「正義」の観念にとって、血は流されてはならないものだった。カミュがけっして革命を否定したわけではないとしても、革命が血を要求するとき、正義はそれを容認するわけにはいかなかった。
 革命か、正義か? カミュの苦悩はこの選択の出口のなさにあった。そして彼によって正義が選ばれ、『反抗的人間』は書かれた。
 人々が、カミュを「右翼」と呼んだのは、あの時だった。だが、その時、カミュのうちには或る種の矜りが在ったことを、人は忘れていた。正義の名において真正のユマニスムを守ろうとする矜持(きょうじ)が在ったことを。
 正義が反革命であるのなら、ユマニスムがブルジョア的であるのなら、血を拒否することが右翼的であるのなら、ぼくらは時に「反革命」さえも、「ブルジョア的」さえも、「右翼」さえも、弁護しなければならないのだろうか?     (ノート「シジフォスの夢」)

 一郎は、カミュの苦悩に擬して「二つの道」について書いたのだったが、それもまた、未知の世界に待ち受ける選択に比べれば、漠然とした問いのような気がした。
 問いは漠然としたものではあったが、一郎は何かの衝迫に衝き動かされるようにして、学生時代最後の小説を書いておこうと思い、想を練った。それは寓話ふうの短編になるはずだった。そして彼は創作メモをノートに取った。

 人は何処から来て、何のために歩き、何処へ行くのか?
 サムと萬次は、涯ないかとおもわれる道を何日も歩きつづける。道は灌木のなかを抜け、赫土の丘陵を折れ曲がり、河を渡り、そして不毛の大地へ、砂漠へとつづく。彼らを迎える町とてなく、風と光のなか飢えと渇きに耐えて歩きつづけながら、二人は絶望し、ふたたび信じる。やがて行く手には、二本の道標が現われるだろう。
 彼らが信じたとうり、道は二筋に分かれ、それぞれの入口にはそれぞれに道標が立っていた。一本の道標には「泉への道」と記され、もう一本の道標には「工場への道」と記されている。
 いずれの道を行くか、口論の末、友情は袂を別ち、萬次は「工場への道」を選び、サムは「泉への道」を選ぶ。そして、それぞれに「工場の門」と「泉の門」を潜(くぐ)る。
数日後、町の人々のあいだに奇妙な噂が流れた。「工場の門」からロボットの幽霊があらわれた、と。
 同じ頃、別の村では、オアシスから発する河の下流で狩人が若者の死体を発見した、という噂が流れた。                    (ノート「シジフォスの夢」)

「道」と題したその小説のエピグラフに、一郎はポール・ゴーガンの次のような言葉を付すことにした。
 われらどこからきたのか
  何者なのか
 どこへゆくのか?




 白い花

劉(ユ) 竜(ヨン) 子(ヂャ)


 表通りから裏路地へ抜けると新井のハルモニの家へと突きあたる。夕餉の献立の匂いがハルモニの家の玄関先にこもっていた。急に空腹を覚えた。昼食抜きの嗅覚がいわしのヂョリン(煮付け)だと嗅ぎわける。唐辛子とニンニク生姜をたっぷり効かせた韓国風家庭料理だ。木枯らしが吹き抜けるこの季節。唐辛子の効いたヂョリンは身体が温まる。食事の時間を避けてきたつもりでいたのにお腹がキュンと鳴った。夕暮れて夜の闇が押しよせていた。どうしようか。引き返そうか。また出なおしてくるのも億劫だった。玄関のドアの前でためらいながら声をかけた。
「ハルモニ、ケシムニカ」(おばあさん、いらっしゃいますか)
 なぜかこの頃、読書の秋でもないが、教育テレビのハングル講座で韓国語を学びはじめた。あれだけ嫌悪していた韓国語を勉強しようなんて自分でも心境の変化に驚いている。単語を並べただけの片言のウリマルだけど、ハルモニが下手な発音でも誉めてくれる。ハルモニの笑顔が嬉しくてウリマルを習いはじめたのかも知れなかった。まるで小学生の子供みたいだ。
 玄関を入っていくと、ひとり住まいのハルモニにはちょっと広すぎるキッチンと居間がつづいている。贅沢な調度品が並べられ、大きな食器棚とテーブルがでんと居間に座って居る。
「ねえちゃんな。ええとこ来たな。さあ上がって」
 ハルモニは大画面のテレビを見ながらいつも一人ぼっちの食事だ。箸を置きながらハルモニが手招きしてテーブルを指す。
「ハルモニ、シガニオップスニカ、カゲプスムニダ」(おばあさん、時間がないから行きます)
 玄関から身を乗り出して遠慮しながら告げると、
「そんな冷たいこと言わんと、ちょっとだけ上がって、いっしょにご飯食べていきや」
 格好の話し相手を逃がすまいとハルモニがしきりと誘う。また長居しそうな気配にどうしようか迷った。ハルモニの嬉しそうな顔を見てしまうとむげに断れもせず、誘われるまま居間へ上がってしまった。
 いわしのヂョリンが鍋ごとテーブルの上に載っている。付けあわせにナムルとキムチと大根葉の味噌汁。昔懐かしい在日の家庭料理だ。いまはほとんど食卓にのぼることもない。亡くなったウェハルモニ(母方のおばあさん)がこしらえてくれたキムチの味覚と匂いが懐かしく思いおこされる。
「なにもないけど、遠慮せんと沢山食べていきや」
 ハルモニが丼にご飯を盛り味噌汁をすすめながら言う。
 ハルモニの家へは月に一度、駐車場の賃貸料を支払いに通っていた。表通りの一角に土地を持ち駐車場として車の契約を結んでいた。
 三年まえ、父との親子喧嘩のはずみで家を出た。嫁ぎ遅れて職もなくブラブラしている娘の身を案じての父の苦言だった。顔を合わせれば世間体が悪い、見合いでもせよとうるさく言った。鬱陶しくて辟易していた。どこかで家を出る口実を探っていたのかも知れない。派手にやりあったすえ身のまわりの荷物を車に積み、とりあえずひとり暮らしの女友だちのマンションへ潜りこんだ。友人のマンション住まいは駐車場がなく違反と知りつつも路上駐車。何度もレッカーで持っていかれた。駐車違反の切符とレッカー移動代金は半端じゃなく痛い。そんな矢先だった。立ち話をしている新井のハルモニと偶然出会った。
「三浦さんところの、娘さんでしょ」
「どうもこんにちは。お久しぶりです」
 内心、苦手な人と出会ってしまったとうろたえた。
「三浦さん、あんたこんなところで何をしているの。あなたのお父さん心配してますよ」
 安田のおばさんがさも親切そうな顔をしてしたり顔で言う。派手なスーツに身をつつみ手には高価な指輪が輝っている。
「大丈夫です。子供じゃあるまいし。しばらくアボジとは別居です。ときどき家にも連絡していますから」
 在日韓国系の組織民団の婦人会の支部長でやたらと顔がひろい。一度だけ安田のおばさんの紹介でお見合いをしたことがあった。その縁で顔だけは知っていた。在日の家を戸別でまわり団費を集めながらうわさ話しに余念がない。どこの誰れが何をしているのか、他人には知られたくない家庭の事情までも心得ている情報通だ。早く退散するにこしたことはない。うわさ話しの矛先を取られまいとあたり障りのない世間話に耳を傾け、話しついでにどこかに駐車場が空いていないか訊いてみた。安田のおばさんがいきなりポンと肩を叩いた。
「ちょうど良かった。いま新井の姉さんと話してたところだったのよ」
 偶然にも一台分の駐車場の空きがあると言う。二人のおしゃべりに耳を傾けていたハルモニの腕をとり、
「姉さんこの娘、駐車場探してるんだって。ちょうど良かったじゃないの。貸してやりなさいよ」
 こざっぱりとした身なりのいま流行のうす紫色に髪を染めて、小柄なハルモニが笑顔で頷いていた。
「はじめまして。三浦です」
 安田のおばさんの紹介が功をなし駐車場契約は即決成立。いますぐ車を停めても良いことになった。ハルモニの生活費が目減りしていま嘆いていたところだと、安田のおばさんが大袈裟に誇張して言った。
 都心の街中で駐車場を探すのは至難の技。このときばかりはお節介やきな安田のおばさんに感謝した。
 その場の取り決めで口約束。書類上での賃貸契約は交わさず、毎月の賃貸料はハルモニの家へ持参することになった。最初の数ケ月は決められた金額を渡すだけで領収書もなかった。親しくなるにつれお互いが了解していても思い違いが有るかも知れない。些細なことでも金銭がからむことで気まづくなるのも億劫だった。簡単な領収書でもなんでもいいから欲しいと伝えた。ハルモニは黙って市販の家賃通帳を渡してくれた。翌月ハルモニの家へ行き通帳を渡した。ハルモニは食器棚の引き出しから印鑑を取りだし、三文判と通帳をそのまま返してよこした。今日の日付を自分で書き入れ判を押せと言う。言われるままに日付を書き判を押した。ハルモニは通帳を確かめもせずに頷づいていた。ずっとあとで理解ったことだがハルモニは読み書きができなかった。だから領収書が書けなかった。偉そうなことを言いながらそのことに思い至らなかった自分の未熟さを恥じた。
 あの日、ハルモニがいつになく険しい表情をして言った。
「ねえちゃんな。わしが今月分のお金もらってない言うたらねえちゃん、わしにもういっかいお金渡してくれるか。くれへんやろ。そやから領収書も判もなにもいらんのや」
 参った。ほんとうに参った。グゥの音もでなかった。ハルモニの言うとおりなのだ。返す言葉もなく立ちつくしていると、ええから、ええからと、子供を宥めるようにハルモニが家賃通帳を渡してくれた。そんなハルモニの人柄に親近感を覚え惹かれていった。
 不思議だった。ハルモニと出会うまえは、在日の同胞と会うのを避けていた。日常会話にウリマルが使われることもなかった。ハルモニと話していると知らない単語が混じってくる。一緒に食事をしながら「マラ」てなに、「チウラ」てなに、子供のように聞き返すと、そんなことも知らないのかと目を細めて教えてくれた。早速辞書を引いて調べてみるけれど該当する単語が見つからない。見つけられないはずだった。あとで方言だと知った。
 ハルモニと話していると亡くなったウェハルモニを思い出す。いつも白いチマチョゴリを着ていた。白いチマチョゴリには切ない思い出がある。場所がどこなのかも思い出せない。靴を脱いで人が大勢集まっているところ。白いチマチョゴリを着たウェハルモニが白いコムシンを脱いで上がってきた。子供の声だったろうか。誰かが変な靴と笑った。みんなの蔑む視線が一斉にハルモニに向けられた。哄笑と嘲笑が沸いた。幼かったわたしがハルモニのチマチョゴリに取り縋って大声で泣いた。こんな変な服着てくるからだ。泣き叫ぶわたしを宥めながら、為すすべもなくおろおろしていたハルモニの哀しそうな顔がいまも胸に浮かぶ。どうしてウェハルモニに取り縋って泣いたんだろう。きっと大好きだったハルモニがみんなに笑われていることが悲しかったんだ。遠い昔のこころの襞の切ない一齣がよみがえる。
「ハルモニひとつ聞いてもいい。ハルモニの家族はどうしているの」
 いわしのヂョリンに箸を運びながら、まえから気になっていた家族のことを訊ねてみた。ふっとハルモニの表情が翳った。あまり触れられたくない様子だった。ハルモニはキッチンの戸棚から焼酎の壜を取りだしてきた。コップをふたつテーブルへ置き、いっしょに飲むかと顔を向けた。少しだけならとコップを手にした。医者に止められていると笑いながらハルモニはコップに焼酎を注いだ。
「ハルモニ、だったら飲んじゃいけないんでしょ」
「ケンチャナ。ええから、ええから」
 ハルモニの口癖だ。心配する言葉を遮ってコップの焼酎を半分ほど飲みほした。久しぶりに口にする焼酎にむせて、うっと唇をゆがめた。
「息子がひとりいたよ」
「どうしてハルモニといっしょに暮らさないの」
「ヌメリ(息子のお嫁さん)が、わしといっしょに暮らすのが嫌やだって出ていった」
 嫁姑の確執だろうと予想はしていた。どこの家でもひとつやふたつ他人には話せない家族との軋轢をかかえている。
「孫がときどき、わしに会いに来てくれてる。いまアメリカの大学へ行って勉強してるから、ちょっと来られへんな」
 遠くを見るような目をして話題を孫の話しへそらせた。寂しそうだったハルモニの横顔が、焼酎のせいかほんのり紅く染まり頬がゆるんだ。
 いつだったか夏の盛りにハルモニの家を訪ねていった。めずらしく来客があった。居間のテーブルでハルモニ手作りの水キムチと大盛りの素麺を美味しそうに頬張っていた。
「お孫さん?」
 可愛くてしかたがないのだろう目を細めてハルモニが頷く。スポーツで鍛えているのか肩幅ががっしりと張っている。上半身裸の厚い胸に汗が光っていた。
「この子、父さんにそっくりだよ」
 ハルモニが自慢げに紹介すると、日焼けした顔をほころばせ、素麺を頬張りながら頭をぴょこんとさげた。精悍な顔つきに似ず、笑顔は少年ぽい幼さが残っていた。
「ハルモニ、お孫さん早く帰ってくるといいね」
 そろそろ退散しようと時計を見た。とっくに十時を廻っている。また長居をしてしまった。
「ハルモニ、もう遅いから行くね」
 食事の礼を言い、もう少しと寂しそうな顔をして引き止めるハルモニを残して家を出た。
 年が明けて二月の末にハルモニの家を訪ねた。玄関の灯りが消えている。留守にしているのかと思いながらドアに手をかけた。鍵がかかっていた。また出なおすしかなかった。あくる日も来てみた。留守だった。どうしたのだろう。誰かといっしょに温泉旅行にでも出かけているのだろうか。勝手に思いめぐらせながらマンションへ戻った。駐車場の賃貸料も貯まっている。一週間ほど日をあけて、今日こそはハルモニが在宅していると思い出かけて行った。玄関のドアが開いた。なんだか嬉しくなってきた。
「ハルモニ、ケシムニカ」
 返事がない。居間の奥へ向かってもう一度大きな声で呼んでみた。留守なのかな。ドアを開けたまま出かけるはずもないし。近くの自販機にたばこでも買いにいってるのだろうか。もう一度出直してこようと玄関を出かけたとき、ハルモニが廊下の奥のトイレから悲痛な叫びをあげて転がり出てきた。
「どうしたの、ハルモニ」
「あぁ、ねえちゃんな、よう来てくれた、早よう上がって」
 お腹の痛みをこらえて顔が歪んでいる。崩折れそうなハルモニの身体を慌てて支え居間のソファーへ横たえた。ハルモニが喘ぎながらテーブルの上のノートを指して電話を掛けてくれと言う。ノートの紙面に大きく書かれた数字が並んでいる。急いで電話機を取りあげ数字の番号を押した。呼び出し音のあとにナースセンターと告げる声がした。ハルモニが受話器をもぎ取るようにして訴えた。
「アイゴ、痛いだ。看護婦さん痛いよ。アイゴ、看護婦さんなんとかしてくれ」
 痛みを堪えてハルモニが必死に苦情を訴えているが話が通じない。たまりかねたハルモニがねえちゃん訊いてくれと受話器を渡された。かかりつけの病院らしかった。痛み止めの薬は渡してあります。それでも治まらなければ明日の朝、外来で病院へいらしてくださいと言う。事務的な素っ気ない対応だった。ハルモニへ電話の内容を伝えると、そうかと頷きながらいくらか落ち着きをとり戻してきた。
「ハルモニ、大丈夫ですか。誰か呼びますか」
「ケンチャナ、ええから。大丈夫や」
 痛み止めの薬を飲むと言うのでコップと水を用意した。ベッドで横になるようにすすめたが、ソファーで良いと横たわった。
 目を閉じて眉間に皺を寄せ痛みを堪えている。なにをどうすれば良いのか分からない。そっと腰をさすりながらしばらくハルモニの様子を見ていた。一時間ほども過ぎたろうか。薬が効いてきたのかハルモニの表情もやわらぎ薄く目をひらいた。心配顔で覗きこむと、
「ねえちゃんな、もうええから、ありがと」
 ソファーから身体を起こし迷惑をかけて済まなかったと礼を言う。ハルモニの様子が落ち着いてきた。安静にして休むようそっと寝かしつけてマンションへ戻った。
 六月の鬱陶しい梅雨が明けようとしていた。あれからハルモニのことが気がかりだった。何度か家を訪ねたがドアに鍵が掛かったまま留守だった。身体の具合が悪くなり入院をしているのかと心配しながら連絡のしようがなかった。電話番号もなにも知らされていない。きちんと確かめておけばよかった。たぶん元気でいるよ。そう自分にいいきかせてハルモニの家を訪ねていった。
 めずらしくドアが開いていた。
「ハルモニ、ケシムニカ」
 見知らぬ女性が怪訝な顔をして居間から出てきた。
「どんなご用件ですか?」
 保険の勧誘にでも来たセールスレディーだとでも思ったのだろうか、突っけんどんな応対だった。
「あの三浦と申しますが、駐車場のお金を持ってきたのですが」
「あぁ、あなたでしたの」
 どうぞ上がってくださいと、すっかり態度をかえて居間へ招き入れた。
「あの、ハルモニは?」
「ご存知なかったんですか。亡くなりました」
「いつですか?」
「先月です。子宮癌でした」
 あまりにも突然だった。入院しているものの心配するほどではないと思っていた。亡くなるなんて。重い子宮癌だとは想像もしなかった。慌てた。気が動転してなにを言えばいいのか言葉がでなかった。
 この半年、入退院を繰り返していたという。病院のベッドを嫌って医者が止めるのも訊かずに病院を抜け出していた。あのときもハルモニは病院を抜け出して家へ戻っていたのだ。
「そうでしたか。あなたでしたか。義母が駐車場を貸していたのは」
 駐車場の賃貸料は契約者からハルモニの口座へ振り込まれていたという。
「帳面を見ていたものですから、一台分空きが有るもので変だと思っていたのですよ」
 街中の駐車場は空きがあればすぐに埋まってしまう。契約をしたいと頻繁に問い合わせがあった。そのたびにハルモニが人に貸してあるとの一点張り。ええからええからと受け流していた。
「きちんと契約もしないで人に貸すなんて始めてのことでしたからね」
 ハルモニは一人ぼっちで寂しかったんだ。突然迷い込んできた同胞の娘を自分の娘みたいに可愛がってくれた。もっと時間をつくって会いにくればよかった。いまさらながら悔やまれてならない。
「あの、できればお線香をあげたいのですが」
 急ごしらえの小さな祭壇の位牌に向かって線香をあげ合掌した。焼香をおえると、どうぞお茶でもとすすめられテーブルに着いた。
「失礼ですが、ハルモニの息子さんの?」
「ええ、家内でした」
「すみません。なんてお呼びすればいいんでしょうか」
「いまは旧姓にもどって伊藤です。主人は交通事故で亡くなりました。義母からはなにも聞かれてないのですか」
「ええ、立ち入ったことはなにも」
 ハルモニは家族のことに触れると切なそうに顔をそむけていた。女手ひとつで育ててきたひとり息子に先立たれていたのだ。
 彼女が言った。主人は母親思いの気持ちの優しい人でした。いつも義母のことを聴かされていました。お袋は俺を育てるために苦労をしたんだ。物心がついたときから母ひとり子ひとりの生活だった。濁酒を売って流れ者の荒くれ男を相手に身を粉にして俺を育ててくれたんだ。
「義母は気丈な人でしたから、わたしとは合わなかった。初対面の人に内輪話しをするなんて変ですよね」
 彼女が言葉を濁した。
「よければ、話してください」
 人に話して聴かせるほどのことでもないけれど、これもなにかのご縁でしょうからと、彼女は訥々と話しはじめた。
 義母は、わたしとの結婚を猛反対したの。ひとつはわたしが日本人だったこと。それと水商売の年上の女だったてことなの。誰が聞いても反対するわよね。おまけのお腹の中には子供がいたの。
「ええ、一度お見かけしました。いまアメリカへ留学していらっしゃるとか」
 ハルモニを訪ねて来たときに偶然出会っていると話した。夏の日のぴょこんと頭をさげた笑顔が胸に浮かぶ。
 出会った頃、主人は学生だった。子供ができたことを知った義母は、わたしを無理やり家へ入れた。わたしは結婚を望んではいなかった。子供はひとりで産むつもりでいたの。
 結婚を望まなかった。国籍が違うということだろうか。
「ひとりで産むってどういうことですか」
 「主人の子供を産んでみたかった。ただそれだけだったと思うわ」
 義母との暮らしは嫌ではなかった。義母は身重な身体に良いというものはなんでも買ってきて食卓へ載せた。若布のスープや鶏のスープも食べきれないほどこしらえてくれた。重いものを持ったり洗い物をしたり、簡単な家事さえも身体に良くないと気をつかってくれた。そんな義母の優しさに応えようと、わたしも良い嫁になろうと務めたわ。でも気がついたの。義母はわたしの身体を心配していたのではないと。産まれてくるお腹の子供のためだったのよ。それから悪阻がひどくなってキムチの饐えた匂いがたまらなくなった。食べ物が生理的に合わなくなって食が喉を通らなかった。疲労と栄養失調で流産しかけて入院したわ。退院してから実家へ戻って子供を産んだ。父親にそっくりな元気な男の子だった。義母は手放しで喜んでくれた。でも義母とはもう暮らせなかった。
 彼女が二杯めのお茶を煎れてくれた。
「ごめんなさい。話したくなければいいんですけど。ハルモニの息子さんてどんなひとでした」
 主人は母親思いの気持ちの優しい人でした。大学を出ると先輩の経営する不動産会社に招かれて就職しました。バブル景気でおもしろいほど物件が売れて、マンションを購入し高級車を乗り廻して人が羨むほど羽振りがよかった。子供が生まれて、この子のためにも頑張るんだととても子煩悩な父親でした。良いことは長くつづかないもので、バブル景気に浮かれて掴んだ割引手形が裏金融の廻し手形だった。不動産会社は倒産し先輩の借金までかかえて、暴力団関係のやくざな取り立て屋に追われる身になった。マンションを売り高級車も売り払った。あんなに優しかった主人が別人のように人が変わった。暴力を振るい酒に溺れるようになった。離婚を言い出してきたのは主人の方でした。泥酔したあげくに飲酒運転の交通事故で、ほんとうにあっけなく死んでしまいました。
 息子を亡くした義母の嘆きはとても見ていられなかった。一度は義母といっしょに暮らそうとも思ったのですが、義母がそれを拒んだのです。それでも義母は私と息子の生活をずっと陰で支えてくれました。主人に死なれてやっと義母の思いが理解るような気がしています。ひとりで子供を育ててゆく大変さを知りました。息子が父親に似てとても素直な優しい子に育ってくれました。おばあちゃんを慕ってくれてます。
「ハルモニのことを、どう思っていますか、恨んでます?」
 いいえ。主人に死なれて母ひとり子ひとりの同じ境遇を生きています。義母を理解しようとは思いません。でも同じ女ですもの義母の生き方が理解るような気がします。
「ごめんなさい。ひとりで長いことおしゃべりしてしまって」
 お茶が冷めてしまった、煎れなおしますとキッチンへ立っていった。
「いえ結構です。そろそろ帰ります。それと駐車代金をお支払いします」
「そうでしたわね、申し訳けないのですが、来月からは口座振込みでお願いできますか」
「ええ、分かりました」
 ハルモニが残した土地と建物はアメリカへ留学しているお孫さんが相続することになった。とりあえず息子が日本へ戻ってくるまではわたしが管理しますと彼女が言った。駐車場の契約を改めてむすび、賃貸料は銀行口座へ振り込むことになった。
「何かあればいつでも連絡下さい」
「ええ、ありがとうございました」
 彼女へ礼を言いハルモニの家をあとにした。もうここへは訪ねてくることもないだろう。玄関のドアのまえでハルモニの家をもう一度眺めて見た。玄関脇の鉢植えに唐辛子の葉が青々と繁っていた。ハルモニが植えたのだろうか。目を凝らすと小さな白い花が可憐に咲いていた。




   「戦争したい法制」三法案

 敗戦から五十七年、この国は最大の危機です。「狼少年」の類ではありません。ほんとうに「狼」がそこまで来ています。それが「武力攻撃事態法」はじめ「有事法制」三法案です。聞くところによると、福田官房長官の官僚ブレーンと中谷防衛庁長官の同期防大卒エリートら「戦争を知らない世代」が一夜漬けで作ったようです。国会答弁でもまともに答えられないようなズサンなものです。たぶん、ミリタリー・ルックの似合う小泉政権のあいだに遮二無二、成立させてしまおうと、連中も焦っているのでしょう。
 武力攻撃の「おそれ」とか「予想される事態」とか、いかようにもデッチ上げ可能なアイマイモコを基本に据えているのだから、たまりません。戦後一貫して朝鮮半島の分断を助長する政策を取りつづけ、朝鮮民主主義人民共和国を公式に国民国家として認めず「仮想敵国」に擬して「戦争法制」を正当化しようというのだから、無茶苦茶です。もっとも「敵」がいなければ造れ、というのが、親分ブッシュにたいする忠実な模倣なのでしょうが。
 この欄で断言しておきましょう。中国と「北朝鮮」が軍事的、政治的、思惑的すべてにおいて、日本列島に「武力攻撃」をしかけるなんて、現実的にはありえません。妄想です。アメリカの東アジア軍事戦略にスッポリ嵌まりこんだ空想です。
 詩や小説でコトバの遊びや空想、虚構の力はなかなか楽しいものですが、「戦争したい法制」のそれは断乎、拒否します。
 二〇〇二年六月一日                     (「無事法制」支持者)




  宋建鎬(ソンゴンホ)先生を悼む

                         朴(パク) 燦(チャン) 鎬(ホ)

 元東亜日報編輯局長の宋建鎬先生が、昨年十二月二十一日、ソウルの自宅で亡くなられた。享年七十四歳。新聞記事を目にして暫し呆然とし、嘆息するばかりだった。
   感銘与えた白紙広告闘争
 一九七一年四月、金大中(キムデジュン)氏の挑戦を辛くも振り切って大統領三選を果たした朴正熙(パクチョンヒ)氏は、一九七二年、北朝鮮と秘密裏に接触して「七・四南北共同宣言」を発表し、同年十月には終身執権を狙って憲法を改訂、“十月維新”と称した。そして、民主化運動の高まりに手を焼いていた維新政権は、緊急措置を連発して弾圧を加えた。
 そういった状況下にあった一九七四年十月下旬、東亜日報の記者たちが「自由言論実践宣言」を発表し、維新政権の言論干渉に抗議した。この宣言はたちまち全国のマスコミに波及し、韓国社会には言論の自由を要求する声があふれた。しかし維新政権は、東亜日報に広告を出していた企業に圧力を加えて解約させ、同紙の広告欄は空欄状態になった。
 韓国を代表する新聞の白紙広告は、かえって、当局の言論弾圧を強く印象づける結果となった。各界から抗議の声があがり、東亜の購買運動や広告解約企業の製品不買運動がおこった。さらに、社会団体、宗教団体から一般読者にいたるまで広範な層が誠金を寄せ、広告欄を通して、記者たちの戦いを支持激励するメッセージを寄せた。
 東亜の白紙広告闘争は全世界から熱い反響を呼び、同紙の広告欄は連日、民主主義実現を望む内外の声で埋めつくされた。古今の言論史上類例のない、この感動的な闘いは翌春まで続き、結局は、会社側が百五十名余の記者を集団解雇することによって終熄した。
 当時、同紙の編輯局長にあった宋建鎬先生は、洪承勉(ホンスンミョン)論説委員とともに会社側の解雇措置に抗議し、同社を去った。以来、宋先生は『シアレ ソリ』編輯委員、韓国NCC人権委員として活動するなど、一貫して民主化運動の先頭に立って闘いぬかれた。
 一九八〇年五月、光州(クァンヂュ)民主抗争が展開され、軍事政権による血の弾圧が強行されるなかで、宗先生は背後操縦者の一人だとして逮捕された。そして同年十一月、金大中氏に死刑が宣告された陸軍戒厳高等軍法会議で、文益煥(ムンイクファン)氏らとともに懲役刑判決を受けた。
 一九八四年、宗先生は民主言論運動協議会の発足とともに議長に選ばれ、一九八九年には同志とともにハンギョレ新聞を創立して、代表理事・発行人兼印刷人となった。
   宋建鎬先生の『韓國現代史論』を翻訳
一九八一年春、筆者は韓青時代の仲間数人と、学習と親睦を目的とする「東學舎」という集まりを発足させた。
 東學舎では翌年三月、筆者が風濤社から自費出版した『新しき朝鮮』(朝鮮総督府情報課編纂。一九四四年刊)覆刻版のささやかな祝賀会をもち、解説をお願いした和田春樹先生と、民団東京本部事務局長だった韓昌奎(ハンチャンギュ)先輩をお招きした。
 この席で、宋建鎬先生の著書『韓國現代史論』の翻訳を提議し、決定した。この翻訳作業は、素人集団にとっては余りに無謀な企画だったが、何度も諦めかけては歯を食いしばり、なんとか仕上げて風濤社に手渡し、一九八四年六月に出版していただいた(日本語版の表題は『日帝支配下の韓国現代史論』)。
 宗先生はこの本で、朴慶植(パクキョンシク)、姜徳相(カンドクサン)両先生の著書から多く引用していたので、池袋での出版慰労会には、両先生を和田先生とともにお招きした。両先生は、われわれが韓青の出身だと聞いて戸惑っていたようだった。
 その昔、大韓青年団時代のイメージのせいらしかったが、韓青出身者がこの種の本を訳出したこと自体、意外そうだった。またその席で、姜先生から出典の一部についての疑義を指摘された。数日後に図書館で確かめたところ、宗先生が該当箇所を引用する際に、一行ずれて読んでいたことが判明した。
 しばらく後、札幌の林炳澤(イムビョンテク)氏とともに早稲田奉仕園を訪れ、徐(ソ)兄弟救援活動の世話人をなさっていた東海林勤牧師にお会いして、この本を教会関係を通じて宋先生に届けてくださるよう依頼した。そのころ、筆者は韓民統を辞して一年しかたっておらず、宗先生に直接渡すことは不可能だったからだ。
 数カ月後、本は米人宣教師の手により届けられたとの連絡があり、しばらくして、宋先生からの手紙が東海林牧師を通じて届いた。
 翻訳に対する謝辞があったことは勿論だが、「私たちは、仲間同士励ましあって楽しい日々を過ごしていますが、あなた方は異国で、どんなにか辛い思いをなさっていることでしょう」といった意味のことが書いてあって愕然とした。軍事政権に抗して命がけの闘いを続けている方から、このような言葉があるとは思いも寄らなかったからだ。
   九五年、宋建鎬先生のお宅を訪問
 拙著『韓国歌謡史 一八九五-一九四五』の韓国語版が一九九二年二月にソウルで刊行され、次いでSP盤の復刻CD全集が発売されて、筆者は同年十一月に訪韓した。一九六九年以来、二十三年ぶりの祖国であった。
 拙著を翻訳なさった安東林(アンドンリム)先生については、『架橋』十四号の拙稿「そして『西便制』――二十数年ぶりの韓国」に紹介した。安先生は文人やジャーナリストと親交が深く、文壇の裏面を知りぬいていて、日本でも知られる有名文人などを酷評するが、宋建鎬先生についてはこう評した。「とても穏健な性格で、気の小さい人だ。それでも不義不正を黙って見過ごすことができず、勇気をだして批判しては痛めつけられ、そのたびに後悔していた。ついには民主化運動の指導者になったが、彼を大物に育てたのは、独裁政権の弾圧だ」。
 一九九五年一月十一日、筆者はようやく宋先生のお宅をお訪ねした。遅きに失したかも知れないが、“文民政権”になって一年近くたったということと、先生からの手紙を受け取って十年になるので、そろそろ伺うべきだと思ったのである。
 ちょうど家人は外出中で、宋先生が直接玄関まで出迎えてくださった。初めてお目にかかる先生の面差しは、写真で見るよりもさらに温和で、気品さえ感じた。
 だが、そのお姿を目にして、思わず息をのんだ。身体の自由がきかず、ほんの数メートル歩くのにも四苦八苦なさっていたのである。軍事政権時代に受けた拷問の後遺症に加えて、パーキンソン病に冒され苦しんでいるとのことだった。また、金泳三(キムヨンサム)政権になってもなお、電話が盗聴されていると洩らされた。
 われわれの翻訳作業について思い出されるには、多少時間を要したが、先生は心から喜んでくださった。また先生は、他の著作で大衆歌謡についても論じておられるので、『消えよ三八線(カゴラサムパルソン)』の年代をお尋ねしたところ、一九四七年だとのお答えだった。この曲については新聞広告などの資料がなく、年代を確定するのは難しかったが、作曲者・朴是春(パクシチュン)氏の回顧録の内容から推測しても、宋先生のおっしゃった一九四七年が妥当だと思われる。
 はじめ、一時間ぐらいはお邪魔するつもりでいたのが、長居をすればお身体に障りはしないだろうかと勝手に判断し、三十分ほどでお暇した。先生は、拙著へのお返しに評論集『一つの国(ハンナラ)、一つの民族に向って(ハンギョレルルヒャンハヨ)』をくださり、玄関まで見送ってくださった。
 その後、何度かお邪魔したいと思ったことはあったが、そのたびにお身体のことを思っては、つい二の足を踏んでしまった。浅はかな判断だったと悔やまれる。
 今年二月十九日、ソウル訪問の折に霊前にご挨拶しようと連絡をしたところ、四十九日を過ぎて光州・望月洞(マンウォルトン)の民主墓地に埋葬したとのことだった。そして「二十二日に光州に行くから、いっしょに行きませんか」と、ありがたいお誘いがあったが、その日は名古屋に帰る予定日だったので、「마음(こころ)だけでもお伝えください」とお頼みして電話を切った。
 先生のご冥福を、心から祈ってやまない。


 〈訂正〉『架橋』十三号所載の拙稿『異境にしみた恨の歌声』の(一)のうち、『お座敷小唄』に関する部分を全部取り消します。昨年八月に刊行された奈賀悟さんの著書『日本と日本人に深い関係があるババ・ターニャの物語』(文藝春秋)から、拙稿に記した歌は『お座敷小唄』でなく、『まつのき小唄』だったと判明したからです。
 一九九三年早春だったか、朝日新聞津支局への転任を前にした奈賀さんと、名古屋・大須の劉竜子(ユヨンヂャ)さんの店「酒幕(じゅま)」で一杯やりました。話が弾み、奈賀さんが厚生省の旧日本兵遺骨収集団の同行取材のためサハリンに行った折、現地の朝鮮人二世女性(ババ・ターニャ)が『○○○○(なんとか)小唄』をうたうのを聞いて驚いたという話を聞きました。筆者は話の流れから『お座敷小唄』ではないかと推察し、この歌にまつわる思い出などを話しました。
 同年、その話を文章化して『架橋』に寄稿し、奈賀さんに送ったところ、「取材して記事を書く立場の新聞記者が、逆に取材されてしまった。コピーして知人に送りたい」という返事が届きました。ところが後年、奈賀さんが『ババ・ターニャの物語』を執筆するため当時の資料を整理したところ、取材メモに『まつのき小唄』とあったという次第です。




  三千里鐵道の旅

                         磯貝治良(いそがいじろう)

 朝鮮半島の形はよくうさぎの背に喩えられる。その背が真っ二つに断ち裂かれて、北に朝鮮民主主義人民共和国、南に大韓民国がある。一つの民族の体が一九四八年以来、「幻想のコミュニティ」である二つの国民国家に分断されているのである。
 その分断ラインが軍事分界線(一般に三八線(サムパルソン)と呼ばれているのとは少しずれる)であり、南北二キロずつ四キロの幅で非武装地帯(DMZ・Demilitarized Zone)が東西に伸びている。広く深く灌木の林と雑草地の延々とつづくそこは、世界でも有数の野鳥の棲息地であり、同時に地雷の埋没地でもある。DMZの中心が、六(ユ)・二五(ギオ)(朝鮮戦争)の折に停戦会談が開かれ休戦協定が結ばれた板門店(パンムンヂョム)であり、そこは南北の共同警備区域(JSA・Joint Security Area)となっている。
 JSAはまさに朝鮮半島の「片割れ同士の二つの国家」(金石範)が対峙する、軍事的緊張の時空間だった。ヨチヨチ歩きの幼児でさえ難なくまたげそうな人造の軍事分界線、それをはさんで向かい合う南北の兵士、質素なコンクリート造りの建物。五十年の歳月のなかで一見、惰性化した緊張の日常性と見まがうばかりのそれら風景には、しかし七千万民族が背負わされた底深い不条理が否応なく感じられる。あたりを吹きわたる風の音にさえ、なにかしら訴え、語る人の声が感じられた。
 六・二五は終っていない。朝鮮半島の分断とは、戦争がつづいていることだ。二つに断ち割られたうさぎの背が一つにならなくてはほんとうに戦争が終ったとは言えない。分断がつづいているかぎり、南北いずれの国家も正当な国民国家とは言えない。統一がなされてこそ、はじめて正当な国民国家が成立する。
 わたしは二〇〇二年三月二十一日、目と鼻のさきに軍事分界線を眺める場所に立って、そう感じた。そして、近現代史において朝鮮半島の分断に深くかかわりつづけている日本の位置について、ほとんど身体的な思考を迫られることになった。

   朝鮮籍6名も板門店へ
 今回の訪韓は、NPO法人三千里鐵道のJSAセミナーツアーによる。一九九四年の韓国文学学校、民族文学作家会議との交流、一九九六年、在日の友人の親戚訪問に同行するとともに文学者とも交流、一九九八年の東アジア平和と人権国際シンポジウム済州島大会――につづく四度目の訪韓である。一九九〇年代にようやく訪韓し、しかもたった四度というのは、奇妙な感じを人にあたえるらしいが、それには理由がある。韓国籍の友人のなかに七〇年代からの反体制運動が「反国家行為」とされて国へ行けない人がおり、その人たちを飛びこえて行くことに躊躇があったのであり、必要な機会に限って訪韓することにしているからである。今回の訪韓にあたっても、三千里鐵道の運動をもっともよく支えている一人(韓国籍)が参加できなかった。
 NPO法人三千里鐵道について簡単に記しておく。二〇〇〇年六月十三日に金大中大統領と金正日国防委員長がピョンヤン空港で抱擁し、解放後はじめての南北頂上会談が実現した。そして歴史的な6・15共同宣言が発表された。
 これをうけて愛知在住の在日二世都相太(トサンテ)さんがいちはやく運動を発意し、「三千里鐵道」と名づけられた。分断の象徴である非武装地帯を在日(海外)同胞の心のふるさとにしよう、民族の和解と統一にむけて、本国の「従属変数」ではない、〈在日〉の自立的、主体的な運動を展開しよう――そうして始められたのが、まずは朝鮮戦争によって切断されたままの京義(キョンウイ)線鉄道(ソウル~新義州)のうち非武装地帯の南北二キロずつの連結工事に必要な費用を募金し、南北それぞれ平等に送ろうという、運動である。募金活動は二〇〇一年三月一日から正式に始められ、6・15共同宣言一周年には「鐵馬は走りたい」と銘打ってイベントを行った。任意団体三千里鐵道はNPO(特定非営利活動)法人にもなった。三月六日現在、募金は延べ千二百名余から千五百三十万円が寄せられている。
 そうして集まった募金のうち鉄道連結一キロ分の費用をまず南へ伝達しようと組まれたのが、三月二十日から二十三日のJSAセミナーツアーである(費用伝達はまず北から始めようと模索されたが、それはうまくいかず後日を期している)。ツアーには愛知をはじめ大阪、京都、北九州、福島から、韓国籍九人、朝鮮籍六人、日本(籍)人十人の計二十五名が参加。
 特記すべきは朝鮮籍の〈在日〉六名が、一回限りの臨時パスポートながら参加できたことである。七歳で渡日して七十年ぶりの帰郷、三歳で渡日して六十九年ぶりの帰郷というお二人。その連れ合いさんも初めての祖国訪問であり、いま一人の女性は二十歳まで済州島で暮して「四・三事件」を体験し、渡日以来、五十年ぶりの帰国だった。朝鮮籍の組織経験者であっても入国可能なのは韓国の最近の情況だが、はたして南から共同警備区域の最先端・板門店まで訪ねることができるだろうか。それが心配だった。日本人はじめ外国人ツアー受け入れ団体「統一(トンイル)マヂ」の努力によるものだが、朝鮮籍の〈在日〉が揃って停戦会談の行われた部屋の中にまではいれたのは、稀有のことではないだろうか。

   統一相に寄金を渡す
 三月二十日(一日目)、午後一時まえにJSAツアーのメンバー二十五名は仁川(インチョン)国際空港に顔を揃えた。空港施設の広大さに驚くばかりである。入国手続きがすむと、統一マヂ(統一を迎え)のスタッフの出迎えを受けて、ソウルの中心地明洞(ミョンドン)にあるロイヤルホテルへ。
 旅装を解くと間もなく、韓国政府の施設があるビルへむかう。都相太理事長、副理事長の鄭戴宇(チョンヂェウ)さんと私、近藤昭一衆院議員、韓基徳(ハンキドク)事務局長の五人である。韓国籍、朝鮮籍、日本籍ということになる。通訳は姜恵禎(カンヘヂョン)さん(この女性は昨二〇〇一年六月十七日に名古屋市公会堂で開いた南北共同宣言一周年祝祭の折にも通訳を努め、その見事な日本語は日本人以上と折紙つきである。余談になるが、今年二月二十二日から四日間、京都で開かれた東アジア平和と人権国際シンポジウムの際にも会い、通訳スタッフとして活躍した)。
 何階だったか失念したが、統一部に着くと、サークル状に並べられたソファと観葉植物の置かれた、こじんまりとした室には予想以上の報道陣が待ちかまえている。カメラのフラッシュがたかれるなかで、丁世鉉(チョンセヒョン)統一部長官(統一相)に都相太氏から鉄道一キロ分の工事費六百八十万円が渡される。その場には社団法人・統一マヂの理事長で国会議員でもある李在貞(イヂェヂョン)氏と同じく国会議員の任鐘(イムチョンソク)も同席した。ちなみに長身で若々しくさわやかな風貌の任鐘氏は、かつて全大協の代表として学生の民主化運動を率いて、日本でもよく名を知られた人である。
 寄金の伝達式が終わると、全員がソファに掛け、丁世鉉統一相の感謝の言葉を受けて三千里鐵道の四人が一人一人、意見を交換した。この文章は個人的な訪韓報告なので、その全体を記す余裕はないが、わたしはおよそ次のような発言をした(都相太氏から最初にいきなり名指しされて、うろたえた)。
 「朝鮮半島の分断には日本の植民地支配が大きく原因しています。朝鮮戦争では韓半島のみなさんの悲劇によって日本は経済復興の緒に立ちました。そして解放後、一貫して分断を認める政策をとってきました。だから統一の問題はすぐれて日本の戦後責任の問題であると考えてきました。それで日本人として統一にかかわる道はないかと三千里鐵道の運動に参加し、今日こうして統一部を訪ねることができました」
 簡潔を期そうとして杓子定規な発言になったが、それに統一相は、「日本の知識人のなかには植民地支配を反省し、戦後責任の問題を良心的に考える人がいるとは知っていた。いまここではじめて会うことができてうれしい」と、見事なリップサービスで応えた。
 丁統一相はそのあと一人一人の挨拶にたいしてもソツなく応じていた。
 寄金の伝達式は三十分ほどで終った。
 夕べは統一マヂ主催の歓迎レセプション。統一マヂについて簡単にふれると、故文益煥(ムンイクファン)牧師の遺志をついで統一運動をすすめている民間団体である。文益煥牧師はみずからも北を訪問して政権の迫害をうけながら、民族統一の悲願のために尽くした人である。その夫人である朴容吉師母(サモ)ニムは現在、統一マヂのシンボル的存在であり、今回の訪韓中も老齢をおして二度も集いに出席していただいた。
   JSA分界線に立つ
 三月二十一日(二日目)、いよいよ非武装地帯DMZと板門店訪問である。朝九時、京義線新村(シンチョン)駅から統一号に乗る。乗客は少なく、じつにゆったりと走る列車の車窓から、カササギの巣をのせた灌木と山所の風景を眺める。途中、「新幹線」の建設基地を過ぎる。南北にまたがって流れ、分断と統一の象徴である臨津江(イムヂンガン)を望むうち臨津江駅に着く(さらにDMZ目前の都羅山(トラサン)駅まで鉄道は開通され、今年二月十二日の旧暦正月には一番列車が走ったというが、一般の運行はまだ。のちに四月十一日から営業運転が始まった)。
 バスで臨津閣へむかう。途中、花石亭(ファンソクチョン)に寄って曇天の下、靄にけぶるイムヂン江を望む。対岸の低い丘陵は米軍演習場になっていて地肌をさらしている。折から米韓合同演習イーグル(旧名称はチームスピリット)の訓練中だったが、それはシュミレーションによって行われているとのことで、遠く米軍兵士の影がかすんで見えるだけ。沖縄の基地から訓練に参加する米軍兵士たちは、ノービザで非