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2007-09

10月例会(第347回)のご案内

10月(第347回)例会は下記の通りです。すこし早い連絡
ですが、メモなどしていただければありがたいです。

と き 10月28日(日)午後1時30分~5時

ところ 名古屋YWCA(電話053-961-7707  
           地下鉄「栄」5番出口より錦通り  
          を東へ約100んメートル)

テーマ「尹東柱とマルク・シャガール」

報告者 姜信和(会員)

テーマは報告者が博士論文で取り組んだものであり、会として
も新鮮な試み。きっと興味深い発見が待っているとおもいます
。ぜひ、ご参加を。

磯貝治良

9月例会(第346回)のご案内

 9月(第346回)例会は下記の通りです。

と き 9月16日(第3日曜日)午後1時30分~5時
     ★第4日曜日は会場が休館日ですので、第3日曜 
     日です。間違いなきように。

ところ 名古屋YWCA(電話052-961-7707  
     地下鉄「栄」駅下車、5番出口より錦通りを東へ約百m)

テキスト 黄英治『記憶の火葬』(影書房 電話03-5907-6755)

報告者 浮葉正親

 著者の黄英治氏は会の何人かも顔見知りです。小説、評論、エッセイ、書評が収められて、在日第2世代の思想がシャープに語られて、とてもいい内容です。
 本はアマゾンで注文すれば3日ほどで届くそうです。
 ぜひご参加を。 
                          磯貝治良

「架橋」 6号

架 橋 6
                 1985 夏



目   次

○ 6-1(小  説) イルボネ チャンビョク ……… 磯貝治良
○ 6-2 「読む会の愉しみ」 
○ 6-3(小  説) 葉かげ …………………………… 劉 竜子 
○ 6-4(エッセイ) キャノンボールに酔いながら … 鼓けいこ
○ 6-5(エッセイ) 思い出の朝鮮人たち(1) ………… 渡部一男
○ 6-6  会録
○ 6-7(小  説) 野辺戯の日 ……………………… 松本昭子
○ 6-8(評  論) 『見果てぬ夢』雑感ノート(3) …  鐘真
○ 6-9 あとがき






イルボネ チャンビョク 日本の壁

磯(いそ) 貝(がい) 治(じ) 良(ろう)

一九八×年六月二十五日。崔(チオエ) 星子(ソンジャ)、三十×歳、現在の居住所は長崎県大村市古賀島町五九五-二、法務省入国管理局大村入国者収容所内。北山森雄、安江弁護士らによる崔星子の釈放運動は現在もつづけられている。

     1
 動物の背中に似た波頭は、陸地へ近づくほど、分厚いうねりを荒げる。波間に弾(はず)む明るさは、陽射しとも波の発光現象ともつかず、沖合いへ遠のくほど光の粒子を粗(あら)くし、水平線に散った。海の底からせりあがる暗色が光の跳梁に溶けこんで、海は異質な風景だった。 
あのときと同じ海・・・・・・崔(チオエ) 星子(ソンジャ)は呟いた。明るさと暗色のあわい目を海鳥が羽搏(ばた)きを止めたままの恰好で飛び交う。猫の声に似た海鳥の啼き声も、あのときと同じだと、星子は思う。海鳴りの音は、村の道を抜けるまえから聞こえていたが、断崖のうえに立ったとき、それは彼女の耳のなかで激しく砕けた。ウリナラ(わたしの国)から渡ってくる海鳴り。あのとき闇のなかに響いていたのも、この音だった・・・・・・
これが日本海の特徴だな。秋なのに、風景の色が冬のようにくすんでる。これではとても見えないな。
断崖のうえに出たとき、北山森雄は当たりさわりのない言葉を選んだ。水平線に注がれたかれの視線は、星子のくにの島影を求めてさまよっている。彼女が日本海に面したこの漁村へ誘った理由を北山は勘違いしている、と星子は思った。彼女は、ウリナラの影を慕ってここへ来たのではなかった。
彼女は、北山の思い違いを訂正せず、沖を眺めた。実物の大きさがどれくらいなのか測りようもなく小さく見える漁船が幾艘か荒波に翻弄されている。宙へ投げだされそうに揺れながら、けなげな平衡力で横転をまぬがれている漁船の姿が、彼女を安心させた。あのとき兄を乗せて闇のなかへ消えていった漁船は、もっと大きな船体をもっていた。羽を休めたままの恰好で飛び交う黒い海鳥が、餌に魅せられて漁船の上空に群れている。闇のなかで猫に似た啼き声をあげていた、あのときの海鳥も、兄を乗せた漁船のうえに群れていたのだろうか。
岩場へ降りてみない?
星子は先に立ち、断崖から波打ちぎわへ下りる岩道を歩きはじめた。岩場に打ちつける波しぶきが、思いもよらない飛翔力で宙に舞い、崖を水びたしにしている。彼女がズック靴を滑らせて体を傾(かし)がせたとき、北山が背後から彼女の上半身をささえた。北山の両腕の感情が、毛糸のセーターをとおして彼女の体のなかに伝わった。
断崖のうえから眺め下ろすと不規則な岩塊の積層と見えた岩場は、二人の歩行を拒むほどではなかった。二人は扁平な岩を選んで辿りながら、海面へ突出した懸崖のほうへすすんでいった。懸崖は切り通しになっていて、別の世界からのような光が射しこんでいる。波打ちぎわの岩場を伝っていくと、トンネルを抜けるように懸崖の向こう側へ抜けられる。波しぶきからの避難場所にもなっている。星子は、あらかじめその場所を知りつくしていたふうにためらいもせず、切り通しの方向へむかった。
北山が先になって最後の岩を飛びこえたとき、背中のリュック・サックで缶ビールの缶が音を立てた。星子は岩のうえに立って飛びかねていた。北山が手を貸そうとしたとき、星子は飛んだ。北山が差し伸べようとする手を拒んだ瞬間、彼女は、二十年まえ兄と二人で漁船の到着を待って息をひそめていたのはこの切り通しのなかだった、と思った。昏れなずむ海の色がなんども色合いを変えて闇のなかに閉ざされるまでの長い間、兄と彼女は息をつめた状態のまま、櫂の音が夜蔭にまぎれて聞こえてくるのを待っていた。あのとき二十歳(はたち)であった兄は、十歳の妹の両手を痛いほど握りしめて、置き去りにされた妹が三キロ離れた村の家まで無事に帰りつけるかどうかばかりを心配していた。兄は、これから漁船を乗りついで玄界灘を無事渡れたとして、祖国でどんな運命が待っているものか、そんな不安は米粒ほども口にしなかった。妹も、兄との別れに涙を見せなかった。
消えていない。まだ残っている。
突然、星子が声をあげ、切り通しのなかの岩壁(いわかべ)を鋭い姿勢で見つめた。北山は声の激しさに打たれて、彼女の背後から覗いた。
ハングル文字じゃないか。
北山も声をあげた。岩壁に刻まれた二綴りの言葉は、かれの目の高さと同じ位置にあった。四・一九만세 조국통일。みずからの力で発光現象を起しているように感じられる文字が、四・一九万歳(マンセー) 祖国(チョグク)統一(トンイル)であることを、かれは読みとった。
こんな場所にいつ誰が刻んだものだろう。四・一九といえば一九六〇年。二十年まえだ。
北山は、何かを予感するふうに呟いた。
星子は、即座にはかれの疑問に答えられなかった。兄と別れるときにさえ覚えなかった感情が彼女を襲った。それは体の奥のほうの見知らぬ深淵から生まれ、はっきりと聞きとれるほどの鳴動をともなって込みあげてきた。感情の鳴動とおもえたものは、ある言葉の響きであった。二十年間、彼女の肉体のなかで胎動しつづけていたもののように鮮明な響きでよみがえった。いや、彼女はその声をいま肉声として聞いたのだと錯覚した。
オッパー、オッパー・・・・・・
一九六〇年の秋、断崖に響き、日本海の波頭にのまれて消えた声。兄を乗せた漁船が闇のなかに去るとき、妹がはじめて叫んだ言葉だった。

    2
池の端に植えられた桜の木が異様な音を立てていっせいにゆらめき、咲き乱れた花を凄惨に散らす。星子(ソンジャ)はそんな錯覚に目暗んだ。
兄の言葉は抵抗力をもたぬ少女の体を打ちのめして、錯覚を現実の出来事のように感じさせた。
ソンジャ、悲しまずに聞くんだよ。兄さんは韓国へ行こうとおもうんだ。
春休みにも帰家しなかった兄が、突然、家にあらわれたかとおもうと、養父や養母とは言葉も交さないあわただしさで妹を戸外に誘いだした。村の軒並みを抜け、海岸へ通じる道を迂回して農道を大きな池へむかうあいだ、すでに星子は不安を感じていた。先を行く兄は、怒ったように口もきかず、いつも妹と接するときにみせるやさしさからは想像できない乱暴な足の運びかたをした。兄の後姿は、彼女の薄い胸に暗い影をはりつけた。
韓国では今年の三月に大統領の選挙が行なわれて、イ・スンマンという大統領がたくさんよくないことをして当選した。イ・スンマンは兄さんやおまえと同じ血の流れている人びとを十四年間もいじめぬいてきた。それでソウルや釜山(プサン)の学生たちが獅子のように立ち上がった。大学生だけではないよ、高校生や小学生、それにアボジやオモニも家から出てきて、ソウルの街は犬一匹通れないほどの群衆で埋った。何十万人という人たちが民族を救えと叫んでデモをしたんだ。多勢の若者が血を流し、たたかいぬいて、とうとうイ・スンマンを追放してしまったんだ。三日前のことだよ。これから韓国では新しい歴史がはじまろうとしている。くにが一つになろうとして、兄さんと同じ世代の同胞たちが、南と北で呼び合っている。彼らといっしょに民族のために働きたい、だから兄さんはくにへ帰るんだからね。
兄の哲(チョル)浩(ホ)は土手に尻を下ろして、池の水面を見つめたまま、星子に話した。哲浩が帰郷すると決まって妹をともない、鮒を釣りにくる池だ。
星子は、兄の心のなかで大風か稲妻が暴れていると思った。彼女は、これまで育つ日々のなかで得た一番大きな宝ものは兄を信頼することだったのを知っている。それでも、韓国へ行くという兄の言葉が、彼女にあたえた驚愕は小さな体がつつみこむには大きすぎて、溢れ出た。
兄さんは一人で韓国へ行くの? 私は置いていくの・・・・・・星子は、その言葉を口に出すことができなかった。彼女が尋ねれば、兄は言うにちがいない。ソンジャ、おまえはまだ十歳だよ。兄さんの年齢(とし)までにはあと十年生きなくてはならない。二十歳になったとき、ソンジャは兄さんのいるおまえのくにに来るんだよ。そのとき、ぼくたちのくには、世界で一番よいくにになっているさ――兄が答える言葉はきっとそうにちがいないと信じて、彼女は体にはいりきらない恐怖に堪えた。
哲浩は、池の水面を見つめ、ときには、海岸の風景をさえぎって潮騒の音だけを伝えてくる丘陵地の木立を望み、いろいろなことを語った。日本で生まれてもぼくらは朝鮮人なのだから、そのことを忘れないで生きるのだ。祖国は統一されなくてはならないし、それをするのは兄さんやソンジャなのだ。そんなふうに語る兄が自分を幼い妹ではなく同等な立場の親友として遇してくれているように思え、彼女の胸は躍(おど)った。兄の手を握りしめるようにその喜びを握りしめて、星子は、日本に置き去りにされる恐怖に堪えた。
兄さんが韓国へ行くことは、おじさんにもおばさんにも絶対言ってはいけないよ。
哲浩は、土手に転っている石ころを拾い、立ち上がって、野球のピッチャーがするように池の水面へ投げてみせたあと、星子に念を押した。彼女は大きな仕種で頷いた。彼女は思った、兄との約束を守るために、これからおじさんやおばさんのまえでは口に石を詰めて生きよう。
哲浩はその日、日本人の養父母とはほとんど話を交さないまま、ひと晩だけ泊って名古屋へもどった。
五年ほどまえにオモニ(母)は病死し、去年、アボジ(父)が祖国帰還船の第一便で朝鮮民主主義人民共和国へ帰ってから、兄妹は山陰の村の日本人夫婦のもとで養育されていた。養父の花村利勝は、朝鮮の解放まえ、日本の植民地時代に釜山で下級官吏をしていた。その頃、まだ釜山にとどまり青年だった星子たちの父・崔(チォエ)吉(ギル)道(ド)と知り合い、植民者と被植民者の関係ではあったが、かなりの程度の交際をもっていた。敗戦後、朝鮮から引き揚げて、出身地である山陰の農村に住むようになったとき、二人は七年ぶりでふたたび相まみえることになった。
崔吉道のほうは釜山で結婚し、息子の哲浩が生まれた二年後に、妻子をともない、第二次世界大戦に突入したばかりの日本へ渡ってきていた。日本敗戦の年の春、大阪で戦災に遭った吉道は、飯場労働に従いながら中国地方から山陰地方へたどる土地を転々とし、敗戦後三年目に山陰の農村に住みついた。花村利勝と崔吉道の七年ぶりの再会は、それぞれの住居が奇しくも目と鼻のさきにあったことによる。再会後の花村は、罪障を贖うかのように物心両面の好意を吉道一家に差しのべつづけ、吉道は距離をとりつつも、それを拒まなかった。
崔吉道が息子と娘を日本に残してひと足さきに帰国すると決めたとき、花村は強引ともとれる善意をあらわにして、兄妹を養育することを申し出た。吉道は最初、花村の申し出を断った。前年に名古屋の大学に入ったばかりの哲浩が三年後には卒業する。そのとき兄は妹の星子をともなって父の待つ共和国へ帰る。三年間の兄妹の暮しが成り立つだけの手立ては整えていく。それが吉道の腹づもりだった。しかし花村は異常な執拗さで兄妹の養育にこだわった。花村夫婦に子どもがいないといった単純な動機では割り切れない、執着だった。吉道は結局、兄妹の帰国の日が来るまでという約束で折れた。
父が日本海を渡ったあと、哲浩は星子と顔を合わせるたび、父の待つ共和国へ帰る日のことを話した。兄さんはくにへ帰ったら祖国建設のために技術者になる。三十六年間、ぼくたち朝鮮人は言葉や名前だけでなく、命と民族までも日本に奪われてきた。こんどは兄さんが日本の大学から学問と技術を掠めとって、祖国の建設にすぐ役に立つようにするんだ。工学部を志望したのもそのためなのだ。もしそのことがなかったら、アボジといっしょにくにへ帰っていただろう。
星子には、彼女の国が日本ではなく海の向こう側にあるという事実さえおぼろげにしか理解できなかったのに、その国が北と南に分かれているのがもっと不可解であった。それでも、兄がくりかえし彼女に諭す北の祖国へ帰るという言葉を、小さな手に握りしめてきた。ところが突然、兄は南の祖国へ行くと言いだした。星子は彼女のなかに起きた混乱に負けまいとして拳を固め、兄を見送る日を待った。
それから韓国へ出発する日までの五ヵ月のあいだ、哲浩は日本人夫婦の家に姿をあらわさなかった。星子がのちに知ったことではあるが、兄は密航のための出発地を下調べするため二度にわたって山陰の海岸をたずね、妹とは顔を合わせないまま、名古屋へもどっていた。
九月下旬のその日、夜の前触れが村をかげらせ、海鳴りがひときわ騒々しく響く頃になって、哲浩は突然、家に姿をあらわした。星子は、不意打ちにあらわれた兄の様子に不安を覚えた。ふだんの兄からは予想もつかない険(けわ)しい空気がかれの体をつつんでいる。憔悴した相貌とは不釣合いに鋭い光を放つ眼が、険しい雰囲気をいっそう際立たせている。
義父は勤務先の役所からまだもどらず、義母も野良に出ていて留守だった。
ソンジャ、兄さんはこれから出発する。
哲浩の唐突な言葉は、星子の胸を引っ掻いた。哲浩は季節には早いアノラックを着込んでいて、荷物らしきものは携えていなかった。
おじさんたちとは顔を合せないで行く。ここから三キロほど離れた海岸から舟に乗る。船は八時に到着するから、まだ二時間ほどあるが、海岸の隠れ場所で待つことにする。さあ、ソンジャ、兄さんを見送りにいっしょに来てくれるね。
兄に抗議をしたかった。そうすれば、泣きだしたりはせずに強い自分を保てると思った。兄のまえではそうすることが一番ふさわしい。兄もそれを望んでいる。しかし彼女は、ただ頷づく仕種によって兄の言葉を受けいれることしかできなかった。有無を言わせぬ兄の力に攫(さら)われていくのを感じた。
兄妹は、家を出た。丘陵地の灌木林をのぼる道が農道と交差する四つ辻で、二人は野良帰りの養母と出会った。ソンジャは口をきくんじゃないぞ - 兄が耳打ちした。前ぶれもなくもどってきた哲浩を見て、養母は驚いたふうに、声をあげた。海を見に行ってきます。食事の前までにはもどります。兄は自然な口吻で言った。養母はいぶかるふうに表情をかげらせたが、そんな自分をいさめるように笑顔を浮かべた。星子は養母と目を合せたが、沈黙を守った。
海辺へつづく灌木林のなかを歩きながら、星子は、わたしの口には石が詰っている、と思った。五か月まえに兄から韓国へ行くという言葉を聞いて以来、そのことを養父母に小指のさきほども口外しなかった自分を、誇らしく感じた。
哲浩と星子は、自然の岩石でできた防潮堤を海岸に沿って西へ歩いていった。星子は、足早やに行く兄のあとに小走りに従いながら、心のうちで無性に兄の手を求めていた。しかし哲浩は、妹の存在さえ忘れているような態度を崩さなかった。
切り通しの懸崖がある岩場に着いたとき、哲浩ははじめて星子の手をとり、崖道を下りた。切り通しの内側は恰好の隠れ場所になっていて、哲浩はそこに入ったときはじめて、腕時計を見ながら言った。
あと一時間あまりで来るな。
時計の針が見づらくなるほどの薄闇があたりを領しはじめていた。薄闇は、海のうえより陸地のほうに早く下りてきた。それでも、沖合いには漁火がまばたきはじめ、さきほどまで舟影も見えなかったのに降ってわいたようにあらわれたそれを、星子は不思議な思いで眺めた。
哲浩が切り通しの入口に行き、迂回する壁面にさえぎられていっそう暗くなった崖の窪みからリュック・サックを取ってきた。日本人夫婦の家へあらわれるまえに立ち寄って隠しておいたものらしい。
いまくにでは、ふたつに裂かれた民族が一日も早く一つに結ばれるように、たくさんの学生が集まって声明を出したり、デモを行なっている。近い将来には、南北の学生が休戦ラインの三十八度線で相まみえるだろう。手を握りあうだろう。ソンジャ、兄さんはその輪のなかへはいっていく。そのために海を渡るのだよ。
哲浩は星子にも坐るよう促して尻を下ろしながら、リュック・サックの口を開けた。かれがそこから取りだしたのは、一個のリンゴと折り畳み式のナイフだった。赤いリンゴは、星子が目を見張るほど大きく、甘い香りを放った。哲浩はアノラックの胸の部分でリンゴを二、三度こすり、ナイフで真っ二つに割った。星子は、兄が差し出したリンゴの半割れを両手で抱いた。リンゴを掌に包みこんでいると、兄の心から伝わってくるぬくもりを握りしめているような気持になった。
哲浩は、リンゴの半割れをたちまち食べてしまった。それから立ち上がって切り通しの入口近くに行き、崖の壁面にナイフの尖端を突き立てた。哲浩はナイフを摑む手に荒々しい力をこめて文字を刻みつづけた。
四・一九만세 조국통일
四・一九万歳、祖国統一 ―― 哲浩は、暗い壁面にむかって呟くと、星子の傍にもどって言った。
ソンジャはこの言葉をよく覚えておくんだよ。十年経って、いまの兄さんと同じ年になれば、言葉の意味をよく知ることになる。そのとき、海を渡ってくにへ来るんだ。
ソンジャも、兄さんになにか贈り物をしたい。
哲浩は、声を立てて笑った。
ソンジャはまだ子どもだ。大人みたいな心配をするものじゃない。ソンジャが日本にいてくにのことをよく勉強し、自分を誇れる人間になってくれることを、兄さんは一番望んでいる。民族のために何かをできる強い意志をもった人間に成長してほしい。それが兄さんには何よりの贈り物なのだから。
哲浩は、語るあいだも切り通しの入口から望める海に視線を投げた。闇が黒々と海を彩って、海の向こう側のくにから駆けてくる海鳴りの響きが、にわかに音高くなったように、星子には思えた。数を増した漁火が、沖合いで激しく揺れる。星子は、兄の気持に自分の気持を重ね合せて、海を望んだ。
哲浩が、やにわに星子の両肩を抱きすくめた。一齣一齣を刻むような時間が、星子の体をふるわせた。その時間をぷつりと断ち切ってしまうために自分は泣きだしたがっている、そう彼女は感じた。星子は想像のなかでできるかぎりの憎悪に満ちた表情をつくってみせ、時間とたたかった。兄の抱擁を激しい甘美さで全身に感じていながら、時間とのたたかいは、兄とのたたかいでもあった。
哲浩が星子の両肩を離し、リュック・サックを背負って立ち上がった。
これをおじさんたちに渡してくれ。
哲浩はアノラックのポケットから一通の封筒を取り出して渡した。
舟の機関音が闇の向こうから聞こえてきた。それにおくれて、舟影は星子の眼にとらえられた。舟は機関音を止めて近づき、息をひそめる気配で岩場に接岸した。舟のうえに二つの人影が動いた。
ソンジャはチョソンミンジョ(朝鮮民族)だ。どんな運命(パルチャ)にも負けない子だよ。
哲浩は言い残すと、歩きだした。かれは懐中電灯で足もとを照らしながら岩を渡り、舟に乗った。かれが上舟するのと、舟が離岸するのと、同時だった。
闇が舟上の兄の影を星子の目から奪おうとしていた。
オッパー、オッパー!
星子は暗い海にむかって叫んだ。

哲浩が韓国へ密航した年の翌年(一九六一年)の春、来たれ南へ、行こう北へ、板門店で会おうという学生たちの声が、韓国全土に溢れた。朝鮮民主主義人民共和国からも、学生たちがその呼びかけに呼応した。その年の五月二十日を期して、南の学生十万人と北の学生十万人がそれぞれ大行進をおこなって、休戦ラインで手を握りあうことになっていた。朴正熙軍部による武力クーデターが起きたのはその直前、五月十六日であった。
星子はくにで起こっている事態をなにひとつ知らずにいた。彼女は小学校の五年生であった。日本人夫婦の家庭にあって在日同胞からも孤立した生活を過ごしていた。兄の哲浩がそのとき祖国の命運のなかでどのように身を挺しているのか、知る由もなかった。
それでも、兄と別れてからの彼女はただならぬ衝迫に誘なわれて、しばしば兄を見送った場所を尋ね、海を眺めた。崖の壁面に兄が刻み残した文字と対面し、その形を兄の存在そのものであるかのように脳裡に焼きつけた。兄の密航については、日本人養父母のまえで口に石を詰めとおした。
日本人養父母が哲浩の異変に気づくのに時間はかからなかった。花村利勝は数回にわたって名古屋へ行き、哲浩の消息を調べた。哲浩の通っていた大学にはすでに籍もなく、下宿も引き払って久しいことを駄目押しのように何度も確かめたあとで、哲浩の失踪を知った。
星子が兄から別れぎわに托された封書を日本人養父母に渡したのは、そんな頃だった。手紙の内容は簡単なもので、一年余のあいだひとかたならぬ世話を受けたことにたいする感謝の念が丁重に記され、妹がくにへ帰るまでの養育を依頼する言葉が書き添えてあった。哲浩自身が韓国へ渡ることは半句も書かれていなかった。
星子は日本人夫婦のもとで小学校を卒業し、中学校へ通った。日本に在住する朝鮮人は、外国人登録法にもとづいて登録をさせられることになっていたが、当時の星子はそのことを知らずにいた。役所から通知が来なかったからである。中学を卒業した年、日本と韓国のあいだに条約と協定が結ばれていたが、それは彼女にとって身近な事柄とはならなかった。協定にもとづく在住権の問題が持ち上がらなかったからである。
高校へ進学するとき、彼女は民族学校の存在をおぼろに知ってはいたが、養父母の反対を押しのけてまで民族学校への進学を強く主張するだけの意志を持っていなかった。養父母との関係にかげりがもたらされるのを意識したにすぎなかった。結局、日本の公立高校に進学した彼女は、朝鮮語のテキストをひそかに買い、養父母の目を盗むようにして独学をはじめた。五年後に父と母のへくに帰る。それまでにウリ・マル(母語)を身につけなければ――彼女はそう思った。兄が望んだ、ほんとうの生きかたに応えたい、と思いつめてのことだった。
星子が朝鮮語を勉強していることに気づいたとき、養父母は彼女を責めることはしなかったが、当惑は異常なほどだった。兄の渡韓以来、微妙によじれてきた養父母との間が、いっそう屈折したものになるのを彼女は感じた。亀裂が裂けたのは、彼女が日本の高校を卒業する前年の秋のことだった。
星子は、明かりのとどかない土間に入るなり、蹴立てるようにズック靴を脱ぎ、居間の障子戸を開いた。養父の花村利勝が、座卓のうえに開いた冊子本から視線を離し、星子を見た。彼女は通学鞄を座卓のうえに荒々しく置いた。花村の読んでいた囲碁の冊子本が二、三頁めくれた。日本人夫婦のもとで過ごしてきた九年間に、彼女がそのような態度をとったことは一度もなかった。
おじさんとおばさんに話さなくてはならないことがあります。
花村が、台所で夕食の準備をしている養母の時枝に声を掛けた。時枝は居間での異様な雰囲気を敏感に感じとっていたらしく、夫の声に促されるより早く顔を見せた。
星子は通学鞄から一通の書類を取り出すと、挑むように二人のまえに置いた。
星子(ほしこ)は小さい頃、父と兄に去られました――彼女は胸のうちに渦巻いている感情に身をゆだねた。頼るものもない日本できょうまで生きてこられたのは、おじさんとおばさんのお蔭です。恩を忘れるなんてこと、舌を裂かれてもできません。だからといって、なぜ国籍まで奪われなくてはならないのですか。
星子は日本人の養父母をまえにして、自分が告発する立場にいるとは感じなかった。彼女のなかに疼いていたのは鋭い痛みだった。そうとは気づかずに兄を裏切っていたことに自責を覚えた。
彼女は、日本人の家庭で育てられて花村星子(ほしこ)という名前で学校へ通う生活を、くにへ変えるまでの仮の姿にすぎないと思いつづけてきた。兄が望んだように、日本にいても民族を誇れる人間になって父と兄のくにへ帰るのだ――くにや民族と切り離された境遇に暮しながら、彼女が胸のうちにしまいつづけてきたのはその思いだった。だから、きょう放課後にもたれた高校卒業後の進路をめぐる個人面談の席で、自分の身に思いもかけぬ異変が起こっていたことを知り、全身の血が凍る思いにおそわれたのである。担任の教師から一通の書類を示され、彼女の戸籍がすでに養父母のそれに入籍されて国籍も日本籍に帰化しており、名前も正式に花村星子(ほしこ)と改名されている事実を告げられたとき、彼女は、兄にたいしてもっとも恥ずべき罪を犯した、と思った。
星子は、兄への贖罪を迫られる気持で、養父母のまえに坐っていた。
彼女が突きだした書類を見て、花村の表情からたじろぎが消えた。
入籍と帰化のことを黙っていたのは、けっして悪意があってのことではない――花村は平静な口調で語りだした。星子(ほしこ)をわたしたちの養女にし、帰化の手続きをしたのは、中学へ入るときだった。星子(ほしこ)をほんとうの娘として育てたい、そう思いさだめてしたことだよ。
ソンジャの意思も確かめないでそんなことが許されるのですか。
花村の平静な態度が星子を苛立たせた。彼女はこれまで、心のなかで自分をソンジャと呼びながら、養父母から星子(ほしこ)と呼ばれることを拒否できずに暮してきた。そんな自身を否定するために、いまソンジャという名前を二人のまえに投げた。
こんな重大なことを黙っていたのは、たしかにわたしが悪い。だが、星子(ほしこ)はまだ子どもだ。おとなになってわたしたちの真意を汲みとってくれるときになったら打ち明けようと考えていた。
花村の弁明を聞き終わらぬうちに、星子は自分の怒りが何から発しているか覚った。この人はわたしから朝鮮を奪おうとしているのに、それに気づいていない。六年間、帰化のことを隠しつづけてきたことが問題なのではない。
彼女がそれを言おうとしたとき、時枝が口を挟んだ。
これはわたしたち日本人の責任なのだけど、星子(ほしこ)さんがこの国で生きていこうとしたら嫌なことにいっぱいぶつかると思うの。あなたが生きづらい思いをせずに幸せに生きていってほしいと願って、それで日本人になってもらったの。
違います。どんな生きづらいことがあっても、ソンジャの朝鮮を奪われたくありません。日本人になるくらいなら、わたしは死にます。
彼女は自分の言葉に驚いた。日本人になるくらいなら、死ぬ? こんな言葉を口走るほどのっぴきならない気持が、ほんとうに体の内側にあるのだろうか。兄に聞いてほしくて、わたしは口走ったのだろうか。
日本人になるくらいなら、ソンジャは死んでもいい。
彼女は自分の言葉を信じたくて、繰り返した。
花村と時枝は沈黙した。彼女は、養父母のまえで最後の言葉を言った、と感じた。座卓のうえの書類を鞄にしまい、立ち上がろうとしたとき、花村が口を開いた。
崔(さい)吉(よし)道(みち)氏とわたしは戦争中に釜山で知り合った。当時、日本人と朝鮮人は対等な関係ではなかった。日本が朝鮮を植民地にして国まで奪おうとしていたからね。恥ずかしいことだが、わたしも朝鮮総督府の下っ端役人として、創氏改名や神社の参拝を朝鮮の人びとに奨励する仕事をしていた。戦争が激しくなると、徴用や徴兵に関係する仕事にも手を染めた。総督府では道庁や末端の役所を指図して、皇民化に手を貸すよう、朝鮮人自身の団体を作らせていた。吉道氏はその団体の仕事に熱心だった。わたしはかれの力を借り、かれも協力を惜しまなかった。当時のわたしは、朝鮮人が日本人と同化することを悪いことだとは思っていなかった。むしろ朝鮮人が幸せになる道は、ほかにはないと信じていたほどだ。だから、吉道氏との関係も、それが侵略する者と侵略される者の歪つな関係とは思い及ばなかった。吉道氏が、星子(ほしこ)の死んだお母さんと結婚するときも祝いに駆けつけた。哲(てつ)浩(こう)君が生まれて一家三人で日本へ渡っていくときも、親しい友人と別れるような思いで、釜山の港から見送ったものだ。一家の渡航証明を取るために手続きをしたのも、わたしだった。
花村は自身の能弁にさえ気づかないふうに喋りつづけた。
日本は戦争に敗けた。新しい時代が始まってみると、それまで朝鮮民族にたいして行なってきたことは、その大半が過ちだったことに気づいた。いまだにそうとは思わない日本人も多いが、わたしは自分の過ちに気づいた。当時わたしたちに手を貸してくれた人たちでさえ、朝鮮人のほとんどが腹の底で日本人を憎んで、面従腹背で生きていたことを知った。日本に帰ってからのわたしは、朝鮮の人たちのまえで自分の過ちを洗いざらい示したい、罪の贖いの千分の一でも果たしたいと念じつづけていた。そんなわたしにとって、吉道氏との再会は驚きだった。釜山で別れて七年ぶりに、思いがけなくこの村で顔を合せたときは、奇跡ではないかと思えたものだ。
花村は右手の甲を目頭に触れた。
吉道氏がくにへ帰ると言ったとき、わたしはあとに残る哲浩君と星子の世話をみようと心に決めた。日本人のわたしにたいして、吉道氏が首をたてに振れるわけのないことは理解しているつもりだ。それでも、かれの怒りを全身に浴びてでも兄妹のためになりたいと腹を決めた。そうしなければ、わたしは救われないのだ。星子を入籍したこと、日本国籍に帰化させたこと、それを吉道氏に許してほしいとわたしは願っている。
花村は話をつづけようとしていたが、星子は体の芯まで凍りつくような悪寒を感じた。ここに日本人がいる。わたしのまえにいるのは、まぎれもない日本人。花村と時枝のまえに坐っている現実が耐えられないことに思えたとき、自身でも驚くほど冷静な声が彼女の喉をのぼってきた。
あなたは罪を贖い、救われたいのですね。それでソンジャの名前を奪い、国籍まで奪ったのですか。四十年まえにわたしの父たちに行なったことを、こんどはソンジャにしたんですね。

二か月ほどのちの師走の日、星子は日本人養父母の家を出た。くにへ帰る日まで自活して生きようと心に決めたのである。花村と時枝に自活の決心を打ち明けたとき、彼女はそれが二人への訣別宣言だと思った。養父母の狼狽は皮相なものではなかった。二人との訣別が、自分を生かしていくうえで避けられない、さらに大きな枷との訣別を意味するのだと信じることで、彼女は冷酷になれた。彼女は高校の退学届を自分で提出した。
星子は、身体と心にまつわりついたもの一切を脱ぐことが生きることなのだと、強く意識した。日本人の庇護のもとで生きてきた朝鮮人のそれが必然に思えた。訣別することが生きること・・・・・・孤独な歳月が彼女にそれを教えた。
彼女が日本人養父母の家を出てから韓国へ渡るまでの二年間を過ごした土地は、名古屋であった。兄の哲浩がくにへ帰るまえに暮した街で自活するのがもっとも自然な選択に思えた。兄の通った大学に近い家に下宿した。生活の方途を一刻も早く得たいと逸(はや)る気持のままにウェイトレスの求人広告を見つけて喫茶店に勤めた。韓国へ渡るための金を短期間に蓄えなくてはならないので、半年ほどのちには、喫茶店の勤めを夕方からのアルバイトに切り換え、昼間は自動車部品を扱う小さな町工場でパート・タイマーとして働き、半田付けの仕事をした。
名古屋で自活して暮らすあいだ星子は、喫茶店の経営者や町工場で働く同僚との私的な人間関係を拒みつづけた。日本人のかれらと親密になれば、養父母と訣別することによって得ようとしたものが崩れていくような予感に怯えた。
しかし彼女は、周囲の人間にとっては「同じ日本人」であった。下宿でも、職場でも、崔(チォェ)星子(ソンジャ)ではなく花村星子(ほしこ)だった。欺瞞の意識は、かえって鋭く彼女に朝鮮人である自分を自覚させた。その転倒は彼女自身にさえ不思議におもえたが、彼女が韓国へ渡る日まで握りしめていたのは、その転倒した感覚の確かさであった。朝鮮語の独習と渡韓費用を蓄えるためだけに費された二年間を経て、彼女は二十歳(はたち)の初夏に羽田空港を単身で発(た)った。
急かすように日本から離れさせた動機は何だったのか、彼女自身、確信をいだいていたわけではない。十年も昔に別れて音信もない兄の哲浩と果たして再会できるのか。再会するためにどんな方法があるのか。兄が無事に生きているかどうかさえ確証はない。兄と再会できない場合、韓国にとどまって暮していくことができるのか。持参した金が絶えるとき、ふたたび日本へ舞いもどるのか。どの一つをとっても目算はなかった。ただ、兄の哲浩が十歳の彼女のために遺していった声に攫(さら)われるようにして、闇雲に海を飛んだのだ、と彼女は思う。
ソンジャ、あと十年経っていまの兄さんと同じ年齢(とし)になったとき、おまえのくにへ渡ってくるんだよ・・・・・・
一九七〇年五月の金浦空港は、陽光に溢れていた。地上に降り立ったとき、大地から伝わってくる響きを胸奥に感じ、一瞬、閃めくような匂いを星子は嗅いだ。彼女はその匂いと響きを母のくにのものだと思い込もうとした。しかし、祖国の土を踏んだのだという感情には、どこか虚構の臭いがまつわりついていて、日本で生まれて育った歳月の過酷を彼女は怨んだ。
空港ターミナルを出発したバスが水田地帯を走り、やがてソウル駅を過ぎて市の中心部へはいると、くぐもった騒めきと活気の予兆が窓外から伝わってきた。星子の気持がめざめた。街路を往き交うチマ・チョゴリを着た女たちの姿が、彼女の体を熱くした。
星子が、太平路に面したソウル市庁の前でバスを降りたとき、腕時計は五時十五分前だった。彼女は街の東も西も分からないまま、地図を頼りに歩いた。太平路を北へ行き、鏡路街を右に折れてパゴダ公園の入口まで行った。パゴダ公園は、想像していたのとは違って意外に小さく質素な公園だったが、その入口に立ったとき、星子の脳裏に五十年まえに彼女のくにの祖父や祖母がたたかった三・一五独立運動のことが浮かんだ。瞬間、鐘路通りの方向から人びとの叫び声が聞こえるように感じたが、その錯覚はすぐ消えてしまった。
彼女は大きな通りをひき返した。街路を往き交う男や若者たちのほとんどが背広を着、ジャンパーを着、セーターを着て、白衣の民族の国にいることが嘘のような感覚を起こさせたが、群集をぬって行くチマ・チョゴリ姿のオモニたちは、彼女にくにをまぎれもなく意識させた。鐘路と太平路が交差する広い十字路まで戻ると、彼女は道路標識をたよりに光化門の方向へ歩いた。秀吉の朝鮮侵略のとき亀甲船を駆って民族を救った海将・李舜臣の銅像があった。彼女はしばらく銅像を眺めてから、小路に折れ、食堂を探した。一軒の韓国料理店にはいって食事を注文するとき、彼女は血の騒ぐのを覚えながら日本で五年間かけて独習したくにの言葉を口にした。
食事を終えて街路へ出たとき、彼女は衝撃をうけた。さきほどまで呼吸をくぐもらせていた街が、いっきょに爆発したような活気で彼女の体をつつんだのだ。昏れなずむ街路はまるで休日の都市のようにはなやぎ、人びとで溢れていた。星子は酔いにまぎれるのに似た興奮を覚え、人群れに押し流されるように鐘路を東大門の方向へ歩いた。パゴダ公園の入口で、白いチマ・チョゴリを着た婦(おんな)が、衣服の生地をひろげていた。婦は、一枚の鮮やかな色彩の生地を手に中年の男性客と激しくやりあっていた。客がピッサダ、ピッサダ(高い、高い)と大声でくりかえしながら立ち去ったのを見計らって、星子は婦に声を掛けた。
値段の安い旅館を知りませんか。
ソウルはなんでも安いよ。この生地だって、朴(パク)大統領閣下のお妾さんの手当てほど高くはないよ。
婦は中年の男性とやりあっていた口調をそのまま星子に向けた。婦の口調は星子の胸に心地よく響いた。幼稚なウリ・マル(母国語)なのにくにのオモニに通じた嬉しさもあったが、もっと別な感動であるような気もした。
星子がもう一度、旅館の所在を訊ねたとき、婦はそれには答えず、無造作に訊ねた。
アガッシ(娘さん)はイルボン(日本)から来たね。イルボンサラム(日本人)かね、それともウリ僑胞(キョッポ)かね。
僑胞です。
星子が答えると、婦は大仰に両腕を広げ、わたしとしたことがなんてことだろう、てっきり、イルボンの娘さんかと思ったよ。
婦は言いながら声を立てて笑い、旅館の場所を教えてくれた。
ソウルで一番値段が少なくて、親切の多い旅館だよ。パゴダ公園のヨンスオモニから聞いたといって訪ねていくといい。
星子は感謝の言葉を伝えて、東大門の方向へ歩いた。十数分も行き、大きな市場(シジャン)を曲って南へ行くと、ヨンスオモニの教えてくれたとおり芳山洞の一角にその旅館はあった。日本でいう木賃宿ふうの構えではあったが、小奇麗なたたずまいの宿だった。
翌日から、兄の哲浩を探すため星子の行動がはじまった。何ひとつ手がかりもなく沙漠でかすかに輝く一粒の石を発見するのに似た、絶望と背中合わせの出発だった。
考えあぐねたすえ彼女が最初に訪ねたのは、ソウル市庁である。ソウル市庁は乙支路を北へ折れた通りに、銀行や大きなホテルと並んで建っていた。彼女は住民係の窓口で若い風貌の担当者に来意を告げた。十年まえに日本で別れたまま音信不通になっている実兄を探している旨、彼女は率直に話した。彼女と担当者が窓口のカウンターを挟んでやりとりしているあいだに、事務所の奥から一人の男があらわれ、担当者の斜め背後に立ったのを彼女は気づかなかった。
担当者はしばらく待つように言い、書類棚の並んでいる奥の部屋へ去った。担当者の去った場所近くに黒っぽい背広を着て縞模様のワイシャツにネクタイを締めた男が立っているのに、彼女ははじめて気づいた。兄さんはくにへ密航して入ったのだ、住民として登録されてはいないかもしれない、彼女の脳裏にそんな思いが掠めたのは、市庁の職員には不釣合いな様子をしたその男に気づいた直後だった。星子は、男が薄い茶色がかった色付きの眼鏡の奥からときどき視線を彼女のほうへ投げるのを感じた。
二十分近くも経って窓口へもどってきた担当者は、一枚のメモ用紙を星子に示しながら言った。ソウルには崔哲浩という氏名の市民が二十数名いる。しかし、あなたの訊ねる人に年齢が該当するのは、この崔哲浩氏だけです――彼女が受け取った用紙片には、氏名と住所のほか生年月日が記されていた。生年は兄と一致したが、月日は三か月ほど違っていた。
星子がバスを乗りつぎ、かなり長い距離を歩いて崔哲浩氏の家を訪ねる気になったのは、その人物が兄であるかもしれないという望みがあってのことではなかった。他に尽すべき方法を見出せないままに訪ねたのである。崔哲浩氏の家は孔徳洞の静かな住宅街にあった。本人は新門路にある食品会社に出勤しているとのことで留守だった。星子が兄の哲浩について説明したとき、応接に出た初老の婦人は明からさまに眉をしかめた。家(うち)のチョルホが在日僑胞(チェイルキョッポ)だって? 抗議の言葉が星子に浴びせられた。
星子は暗澹とした気持をだいて都心へもどり、在日僑胞の動向に詳しい団体があるのではないかと、ふたたび市庁を訪ね、旅行会社にも当たってみたが、期待に応えてくれるほどの反応はなかった。南山の方角から下りてくる夜の気配につつまれて、彼女は鐘路の雑踏を宿へ向かった。パゴダ公園の入り口を通りかかったとき、ヨンスオモニがまだ店をひらいているのに気づき、夜の街に一筋差す光を求めるように近づいていった。
ヨンスオモニ、きのうはいろいろとありがとうございました。
彼女が声を掛けると、ヨンスオモニはタバコに火をつけるため俯けていた顔を上げた。ヨンスオモニの顔に、分厚い皮膚が柔らかくふくらむような表情が浮かんだ。
おや、日本から来たウリ・アガシ(わたしたちの娘さん)。浮かない顔をしてどうしたというの。
星子は、一面識しかないくにのひとなのにヨンスオモニには甘えることも許されるような気がして、十年まえに日本で別れた兄を探していることを話した。兄が韓国へ渡ってきた目的や密航については打ち明けなかった。
ところがヨンスオモニは、彼女が胸に秘めた事実を見通すようなことを無造作に言った。
ふふーん、あんたが物見遊山でおくに見物に来た娘さんでないことくらい、最初から見通してはいたがね、やっぱりそうだった。兄さんがくにへ来たのが十年まえというと、なるほど、四・一九の年だね。その年のいつ頃? ああ、秋ね。じゃあ、たぶん、背中のほうからこのくにへ入ってきたわけだね。ウリ・アガッシ、市庁へ行っても駄目だよ。行くんなら、明洞の教会へ行きなさい。あそこで事情をよく話してみるといい、でも、あれから十年は倭(ウェ)帝(ジェ)時代(シデ)ほど永いよ、あのときの若者たちは辛い運命(パルチャ)を漢(ハン)江(ガン)の水ほど飲まされて暮してきたからね。あんたの兄さんも無事でいるかどうか・・・・・・
星子には、ヨンスオモニが最後に独(ひと)り言(ご)ちるように呟いた言葉が気にかかったが、少し元気を得ることができた。彼女が感謝の言葉を残して行こうとすると、ヨンスオモニが呼びとめた。
ウリ・アガッシ、あんたが兄さんを探していることは、絶対に他の誰にも話さないほうがいいよ。
ヨンスオモニは磊落な様子を一変させて周囲を窺い、忠告した。
星子は宿に帰る予定を変更して、心の急かれるまま明洞の教会を訪ねた。道に迷い迷いしながら訊ねあてた明洞の教会は、南大門の広い通りから東へ入って間もなくの一角にあった。
礼拝堂に沿う廊下を通り抜けて突き当たりにある、書棚に宗教書が並ぶ小部屋で応接にあらわれた牧師は、現在の兄の年齢くらいだろう、と星子は思った。彼女は率直に来意を語り、兄の所在を探してほしいと頼んだ。若い牧師は終始、柔和で温厚な表情を浮かべながらも、彼女の依頼を実現するために必要な質問を単刀直入に発した。三十分ほど話し合ったあと、牧師は言った。あさって、今頃の時刻に訊ねてきなさい。そのとき、あなたにとって幸運な返事ができるかもしれません。でも、それと同じほどの確率であなたは落胆することになるかもしれません。心の準備だけはしておいてください。
星子が教会を辞そうとするとき、温厚な牧師はいくらか表情を変えて、ヨンスオモニと同じような忠告をした。
いまあなたが話したことは、絶対に口外してはいけませんよ。
星子は、牧師に深く頭を下げ、感謝の言葉を述べて教会を辞した。
市街は夜と睦まじくふざけあい、猥雑なほどの陽気さに溢れていた。星子は、南大門路から乗ったバスを、パゴダ公園のまえで降りた。ヨンスオモニがまだ店を開いていたら、明洞の教会を紹介してくれたことの礼を言ってから、宿へ帰りたいと思った。ヨンスオモニは店をたたんで、帰宅の仕度をしていた。星子は、教会で牧師と会えたことを報告した。
ウリ・アガッシ、それはよかった。あんたの兄さんはきっと見つかるよ。ソウルとピョンヤンで離ればなれに暮らす犬の兄妹だって、いつかはおたがいを見つけだして会える日が来るものだよ。ましてや人間じゃないかね。不幸に生きるより幸福に生きるのがふさわしいに決まってるさ。
ヨンスオモニは星子の顔を眺めて細い目をさらに細めた。星子は、日本から体にまつわりつけてきた粘膜が下着をとるように拭い取られていくのを感じた。
星子は鐘路を東へ行き、東大門の手前を南に曲った。人びとが惜しげもなく喧騒をふるまって群がり、ふんだんに臭いを溢れさせる大きな市場を通り抜けた。そして彼女が芳山洞へ通じる暗い小路へ入ったときである。背後から男の声が呼んだ。
日本から来た僑胞の娘さん。
振り向いた星子の胸に驚きが掠めた。彼女が市庁を訪ねたとき窓口の向こうで職員とは異質の雰囲気を漂わせて立っていた眼鏡の男だった。
お兄さんの居所が判りそうです。ほら、あなたが訊ねている崔哲浩氏の。
男は薄い色付き眼鏡の奥で眼に柔らかい笑いを浮かべ、丁寧な韓国語で語った。
ほんとうですか? 兄の居所が判ったのですか。
星子は無防備に答えた。いかにもそこにいることがあたりまえといった様子で男が市庁の窓口に立っていた事実と、かれの口から発せられた「崔哲浩氏」という名前が、男が不意に現われたことの不自然さから彼女の眼を遮ってしまった。兄との邂逅を求める激しい欲求が、彼女を無防備にした。
いや、崔哲浩氏の居所が判明したというのではありません。しかし有力な手掛かりがあります。まず間違いないでしょう。とにかく一緒に参りましょう。
男は言い終えると星子の背に軽く手を添えて、人通りの疎らな小路を東大門市場の方向へ抜け、タクシーを拾った。二人を乗せたタクシーはサッカー場と野球場が並ぶ広い一帯を左に見て、乙支路の交差点を横切った。さらに市外を出外れた遠く低い山陵の見える風景のなかを南へ走り、トンネルを抜けると広い道路を西へ西へと走った。星子にはもちろん見知らぬ地形であり、途中からはソウル郊外のどの方角に向っているのかさえも定かでなくなった。タクシーが走行するあいだ、男はしきりに日本語を交えて日本での生活を彼女に訊ねた。男の口吻には、幾年ぶりかに故郷を訪れた従妹か縁戚の娘に接する中年男の優しさがあった。
東大門市場の近くで乗ってから二十分ほど経って、タクシーは目的地に着いた。道路に沿って民家や小さな工場の建物が建っていたが、どことなく閑散とした情景がひろがっていた。星子は黄ばんだ風のなかに鼻孔をつく臭いを嗅ぎ、それが養鶏場の臭いであることに気づいた。タクシーが停まったのは、民家や工場から百メートルほど離れて孤立した感じで建っている木造二階建ての事務所ふうの建物のまえだった。
男は急かすように彼女の背を押して入口の木扉を入った。その直前、彼女は背後の山陵にイリュミネーションに彩られたケーブル・カーとタワーを見た。
入口を入ると左手に階段があり、それをのぼると薄暗い電灯の点った廊下がつづき、廊下の両側には扉を閉ざした部屋が向かい合わせに並んでいて、建物の内部が外から眺めた時想像したよりもはるかに広いことがわかった。星子が男の態度に変化を感じたのは、廊下の突き当たりにある部屋へ入るまで男の右手が彼女の左腕を異常な力で摑んでいたのに気づいたときである。圧迫された左腕の痛みが、彼女に恐怖を予感させた。
男は、彼女を先に立てて押し込むように部屋に入ると、日本から来た可愛いお客さまをお連れした、と皮肉っぽい口調で言った。
部屋は事務机とソファと椅子に書棚を設えた事務室で、四人の男たちが乱れた姿勢で待っていた。
取調べは礼を尽してするように。乱暴な真似は慎んでほしい。
星子を連れてきた男は言い残して、部屋を出た。星子が後を追おうとしたとき、事務机の縁に腰のあたりを持たせ掛けてタバコの煙をくゆらせていた男がいような敏捷さで彼女のほうへ飛んできた。彼女の体は軽々とソファに運ばれた。横臥するような恰好でソファの端に掛けていた長身痩躯の男が、彼女と入れ替わるようにそこを離れ、ドアーの前に立った。派手な色柄のジャンパーを着た男が、三つ揃いを端正に着こなして事務机の前に掛けた男の横に、護衛官みたいな恰好で立っていた。星子を軽々とソファへ運んだ男は、折畳み椅子を書棚のまえに運び、それに掛けた。
きみがチォエ・ソンジャだね。
事務机のまえに掛けた男が、ソウル方言にふさわしい滑らかな声で言った。
十年まえに日本から来たお兄さんを探しているそうだね。
星子は、取り巻く男たちに抗がう気持を示そうとして、胸を張り膝を揃えてソファに腰掛け、三つ揃いを着た男を見つめた。部屋のなかを見廻す余裕はなかったが、部屋のどの方向にも窓がないのに気づいていた。蛍光灯の明かりが目眩いほどに感じられるのはそのせいか。
わたしは誰を探しているのでもありません。祖国に会いに来ただけです。
祖国に会いに? なるほど、美しい言葉だ。わたしは喜んでその言葉に感激する。でも可怪(おか)しいですね。兄さんを探していないとすると、市庁や明洞の教会を訪ねた事実と辻褄が合わなくなる。
・・・・・・
 星子は、口を噤んだ。ヨンスオモニと明洞の教会で会った牧師の忠告が、彼女の脳裏を閃光を曳いて掠めた。
 兄さんは十年まえに何の目的で韓国へ渡ってきたのですか・・・・・・答えられませんか。なるほど、きみは兄さんを探しているのではないのだから、兄さんが韓国へ渡ってきた事実も否定しなくてはならないわけですね。では、わたしのほうから説明して上げましょう。きみの兄さんは、十年まえではなく二年まえの一九六八年に入国した。目的は、北韓パルグェンイの指令を受けてわが国の政府転覆を画策するためである。そして今度きみが祖国に会うために来たのは、きみの兄さん、崔哲浩の指令を受けてソウル市内の学園でスパイ工作をするためである。図星ではないかね。
 星子の胸を金属の激しく軋むのに似た音がつらぬいた。不意の驚愕が全身を疾(はし)った。ソファに掛けた四肢が硬直するのを彼女は感じた。沈黙はもはや彼女の意志で選んだものではなくなった。
 ところで、ウリ僑胞のチォエ・ソンジャ、きみはソ・スンを知っているね。
 星子は、男の声を意識の涯(はて)で聞いた。ソ・スン、その初めて耳にする言葉が人の名前であることを覚るのに時間を必要とした。
 彼女が途中でそれと気づいた「訊問」は、まるで想像もしなかった出来事を彼女に浴びせかけて、一時間ほどもつづいた。
 部屋の明かりが突然、消されたのは、ソウル言葉にふさわしい響きの声が聞こえなくなり、三つ揃いのスーツを端正に着こなした男の姿が事務机のまえから消えてしばらくのちだった。彼女が抵抗の姿勢をつくりだす隙もなく、部屋を閉ざす闇のなかで、さらに黒い三つの闇の塊りが、彼女に襲いかかった。六つの手が身にまとうものを抗いがたい兇暴さで剥いでいくとき、彼女は憎悪の淵に沈められた。激痛が股間を痺れさせてくる瞬間、彼女は自分を凌辱している者たちが、祖国の男たちであってほしくないと、必死で願った。男たちが血でつながる者たちであるなら、わたしは祖国を憎む日と出合わなければならない。星子は肉体の屈辱にもましてそのことを恐怖した。
 彼女は、色柄のジャンパーを着た男と長身痩躯の男が監視する部屋で、ソファに横たわったまま眠りを拒否しつづけて夜を明かした。昨夜の男たちが顔を揃えたのは午前十時頃であった。それから正午まで、三つ揃いスーツを着た男の「訊問」がつづいた。それは時間を取り繕うためだけに行なわれるような間伸びした「訊問」だった。星子は完璧な沈黙によってその時間に応えた。「訊問」の内容は、彼女にとって未知の事柄に属していた。しかし彼女が口に石を詰めて男の「訊問」を拒否したのは、内容が未知の事柄に属していたからではない。沈黙を守りきれなければ、凌辱された彼女自身の心と肉体をふたたび裏切ることになると思ったからである。
 昼過ぎ、星子をこの建物へ連行した眼鏡の男が部屋に現われた。男は宿に預けてあったはずの旅行鞄を携えていた。星子が男にうながされて建物を出ると、乗用車が待っていて、彼女は金浦空港へ運ばれた。車中で、隣り合わせに乗った男がくり返し言った。あなたがくにで経験したことは、日本へ帰ってからも絶対に口外しないように。われわれの同僚や協力者は日本にもたくさんいて、あなたの生活を監視する。わかりましたね。
 乗用車が空港に着いてから飛行機が発つまで、男は彼女の傍を離れなかった。改札ゲートのまえで別れるとき、眼鏡の男が言った。あなたのくにの情勢は、あなた一人の人権にかかずらうほど生(なま)やさしくはない。理解してほしい・・・・・・あなたが祖国を憎んだりしないことを祈っています。
 星子は男の言葉を無視して、その場を離れた。
 つい十数時間まえに経験した一昼夜にも満たない出来事は、日本で生まれ育って二十年間、くにのことを何も知らずにすごした歳月の罰なのか・・・・・・星子は、胸を二つに裂かれる思いで、機内のシートに身をちぢませた。祖国(くに)に拒まれ、いまふたたび、日本へ舞い戻る。
 星子は不意に、彼女自身にも思いがけない言葉を、裂けた胸のうちで吐いた。落とし前は、必ずつけなくては・・・・・・

 追い返されるようにして日本へ戻った崔星子は、名古屋ではなく、そこから六十キロほど離れたT市に住んだ。洗面所と便所が共同の木造アパート六畳一間を借り、渡韓まえに町工場で働いた経験を活かして、自動車部品を製造する小さな町工場のパート・タイマーに就いた。花村(はなむら)星子(ほしこ)として、周囲の人間とは没交渉の生活を送る彼女に、くにでの経験をはさんでもたらされた変化は表面上、見えなかった。
 しかし何の変化も見えない表層の内側で、彼女自身は見知らぬ土地の風景と出会うように変っていく激しい渦動を感じとっていた。彼女はひたすらに兄の去った海を望もうとした。海潮の行き着く港と山河と都市、そこに生きる人びとを見ようとした。しかし彼女の視線が追いもとめるさきに、兄への思慕も、くにへの憧憬も、失われつつあった。言葉にならない何か冷やかなもの、それでいて熱の波状に似た太い血の縄のようなものが、彼女を海の向こうのくにへ結びつけ、抗いがたくひきこんでいくように思えた。くにの出来事から目をそむけたら恐ろしい禍いが降りかかる、そんな不安が彼女の手足を縛りつけた。
 獄中のソ・スン、ジュンシク兄弟を支持し、救おう――星子が工場への出勤途中、バス停へ向かう街路の電柱に貼られたそのポスターと出会ったのは、渡韓した年の翌年、一九七一年の十一月だった。ポスターには、左胸に四桁の囚人番号を付された白い囚衣の青年のモノクロ写真が印刷されていて、青年の口から頬、首筋にかけてケロイド状の火傷の痕跡が生(なま)なましかった。青年の眼鏡は、かれの耳が火傷で爛れ落ちているために後頭部をめぐる恰好に紐で結び合わせて掛けられていた。
 ソ・スン、ソ・スン、――星子は電柱に貼られたポスターに語りかけるふうに呟いた。星子が記憶の闇を開くまえに、その名前はかれのほうから闇を切り裂いて彼女の胸に躍り入ってきた。彼女は鋭く声を上げて、胸に両手をあてた。きみはソ・スンを知っているね 
――ソウル言葉の滑らかな男の声。彼女の脳裏に記憶が鮮明に甦った。
 一枚のポスターが彼女に示した求引力は強烈だった。彼女がT市市民文化会館で開かれた集会に参加したのは、二日後、土曜日の夕べだった。百名ほどの収容力を持つ海上には若い世代が集まっていたが、正面に向って並べられた折畳み式簡易椅子には空席も目立った。会場の左側後部坐席に腰を下ろした星子は、正面の壁に貼り出された横断幕の文字が脅迫的に迫ってくるのを感じた。徐勝・俊植兄弟の獄中闘争を支持し、二人の生命を救おう・・・・・・
 集会の主催者らしき男が、挨拶とも決意表明ともつかぬ口調でマイクに向かったあと、部屋の明かりが消された。正面の横断幕を遮蔽するように天井から映写幕が下りてきて、スクリーンに映像が写し出された。学生たちの表情とソウル市街のデモの光景が画面をよぎり、映画の終幕近く、数枚のモノクロ絵がカット・ショットふうに写し出された。素朴な筆致の絵は、黒い炎に包まれた青年の絶叫する表情をクローズ・アップにした。男性朗読者のナレーションの声が、昨年(一九七〇年)十一月十三日、ソウルの平和市場で労働者の権利回復を要求して焼身自殺した青年縫製工の極限の行動について解説し、モノクロ絵のなかの青年の絶叫を不釣合いに慇懃な口調の日本語で伝えた。
 会場が明るくなり、ふたたび正面の横断幕を背に数人がマイクのまえに立って語った。在日韓国青年の徐勝・俊植兄弟は、学園内で「北のスパイ」工作を行なった嫌疑により、母国留学先のソウルで陸軍保安司令部に逮捕された。ことし七月十九日、ソウル地方法院の公判廷に立った徐勝氏の、火傷を受けて凄惨に変容した容貌は、言語に絶する衝撃を与えた。さきの十月二十二日にソウル地方法院が下した徐勝氏死刑、俊植氏懲役十五年の宣告は、われわれに恐怖と怒りを呼び覚ました。兄弟の訴えに応えるために、わたしたちは何を為(な)し得るか――ある者は感情的に、ある者は沈着に語った。
 正面横断幕に向いて椅子に掛けた参加者からも、実直な発言がつづいた。星子は、四肢を締めつけられる思いで時間と向い合っていた。四肢を締めつけてくるものが彼女を金縛りの状態に追いこもうとするころ、集会の参加者が日本人ばかりであるらしいことに気づいた。あのソウル郊外の建物の一室で三つ揃いを端正に着こなした男の放った声がふたたび甦った。
 星子の胸を屈辱とも羞恥ともつかぬ感情が掠めた。掠め過ぎようとした感情が増殖し、胸の内側に渦巻いた。彼女は、一点だけ妙に沈着にくぐもった意識の片隅で渦巻く感情を自覚した。わたしはソウル訛りの男がソ・スンという言葉を吐いたとき、それが人の名前であることを即座に理解できなかった。わたしの無知は呪われるに値する。わたしが朝鮮人として生きるなら、この無知を呪って消滅させなくては・・・・・・
 星子は前後の判断を失ったまま立ち上がった。声は喉をせり上がり、明確な言葉になった。彼女は一年半まえにソウルで経験した出来事を語った。それは母国の政情を弾劾するためではなかった。日本人のまえで彼女自身の屈辱をさらけ出すことによって、呪われるに値する過去を消し去りたいという衝迫に迫られてのことだった。彼女の言葉を聞くものたちが、同胞ではなく日本人であっても構わない。わたしのオッパ、ソ・スンのために、無知ゆえにかれを足蹴にした自分自身を償うために、わたしは話すのだ、と彼女は思った。
 わたしはあのときソ・スンさんのことを知りませんでした。恥ずかしく思います。恥を償うためにこれからどんなふうに生きたらいいか、わたしはそれを発見したいと思います。
 星子は、そんな言葉で発言を結ぶと、参加者に背を向け、折畳み式の簡易椅子が倒れたのにもかまわず、激しい動作で坐席を離れた。人びとの視線を振り返りもしないで、会場の外へ走り出た。

 二人の男性が星子の住むアパートへ訪ねてきたのは、彼女が集会に参加した日から一週間ほどのちの夜だった。二人は部屋のドアーに背をくっつけるようにして狭い靴脱ぎ場に立ったまま、それぞれの姓を北山、水原と名乗った。北山と名乗った男が、集会参加者の名簿から朝鮮人の通名(日本名)とおぼしきものを探して星子という日本人のとそれとはいくらかニュアンスの異なる名前を頼りに訪ねてきたのだ、と言った。
 不意の訪問者の用件は、彼女が集会で語った経験を日本人に訴えて廻ってほしい、というものだった。星子は、許諾の返事には時間がほしい旨を告げ、連絡は彼女のほうからすると答えた。男たちは、連絡先の電話番号を記したメモ用紙と、徐勝、俊植兄弟の事件に関わる資料を彼女に渡して帰った。星子が北山森雄と最初に出会ったのが、そのときである。
 ソウルでの体験を日本人にむかって語って廻る――彼女は困惑を覚えた。わたしは同じ民族の血がながれるくにの男たちによって凌辱された。辱められたのはわたしのなかの祖国なのだ。祖国の恥を日本人にむかって語って廻ることなどゆるされるだろうか。集会の席で発言したのも、日本人にむかって訴えるためではなかった。無知の罪を贖罪するために自分をさらしたのだ。訪ねてきた男は、韓国の軍事政権が在日僑胞にたいしていかに理不尽な仕打ちをしたか、体験を通して日本人に伝えてほしいとも言った。伝えるべき相手がなぜ日本人でなければならないの。彼女は反撥したかった。
 星子は数日、迷いあぐねたすえ、男たちに連絡をとった。彼女は明瞭な結論を得たわけではなかった。たとえ徐兄弟の支援活動に誠実にかかわろうとしている人びとであろうと、日本人にむかってあの体験を語って廻ることはできない。彼女はそう思ったが、だからといって沈黙しつづけることを自分にゆるしたくなかった。
 公衆電話の受話器を通して応待したのは、北山であった。彼女は、徐兄弟の問題にとりくんでいる同胞を紹介してほしい、と北山に頼んだ。その同胞と行動を共にするというかたちでなら北山たちの依頼に応じてもよい、と話した。最後に、これからの彼女の行動は、依頼に応じるというものではなく、自信の意思によって選択したものであると理解してほしい、と告げた。
 チォエさんの言葉はぼくらにとっても最善のものです。
 北山が心を動かされた気配は受話器を伝わって星子に感じられた。
 北山が長身の女性をともなって星子のアパートを訪ねてきたのは、翌日の夜だった。男性的な印象さえあたえる骨格ゆたかな容貌のその女性は、李(イ)明(ミョン)姫(ヒ)と名乗り、韓国籍であることを付け加えた。星子と李明姫は二時間ほど語り合った。くにの政治情勢、在日僑胞の民主化運動、たがいの生い立ちなど話し合ううち、同じ民族の血を分つ同世代の女性との初めての出会いが星子の凍結した感情を急激に溶かした。李明姫は星子より五歳くらい年長にしか見えないが、大柄な全身で星子の気持を襞の一枚一枚まで包みこむようにして語った。北山は二人の会話に加わらなかった。李明姫が去ったとき、彼女と星子のあいだに交された親密な空気が部屋に残った。
 クリスマス・イブの夕方、星子は李明姫にともなわれて、地下鉄の駅から遠くない集会の会場へむかった。講堂ふうの会場は百名はこえる若い人びとによって椅子席が埋まっていた。
 北山が参加者に星子を紹介し、彼女はソウルでの忌わしい体験を一時間ほどかけて語った。話が凌辱の場面に及んだときも、彼女は自分を励ましながら語った。恥かしめた男たちから目をそらすまいとする意思が、最後まで彼女を絶句させなかった。
 星子が李明姫とともに会場を出たのは、集会が終わるまえだった。階段を一階のほうへ下りようとしているときだった。女の声が背後から彼女を呼んだ。振りむくと、この日の集会参加者の年代とは異質な感じをあたえる四十歳くらいの女性が、顔に険しい表情を浮かべて追いかけてきた。
 チォエさん、なぜあのような経験を多勢のまえで喋ったのですか。あなたはさらし者にされているんですよ。
 女は強い口調で詰(なじ)った。星子には思いがけない抗議だった。
 それは違います。あなたがた日本人のまえに自分をさらしたのではありません。わたし自身のために喋ったのです。
 星子はとっさに抗弁した。女が表情を歪めた。
 わたしは日本人じゃありません。チョソンサラムですよ。
 女はそれだけ言うと、星子と明姫を拒絶するように追いこして、階段の下へ立ち去った。
 建物を出るとき、李明姫が口を開いた。
 あの方(かた)の言ったことは、同胞として当然の忠告ね。でもソンジャさんは、それをもう一歩踏みこえなければならないのよ。さらすとかさらされるとかじゃなくて、生きる姿勢に変えてしまうのよ。
 明姫の言葉を終わりまで聞かずに、星子は女性のあとを追いかけようとした。しかし街路に立ったとき、身を躍らすようにして地下鉄の入口へ消える女の姿が見えた。
 同胞女性が残して行った抗議を胸の内から消すことができないまま、星子はそれからも集会に出かけ、彼女の体験を訴えた。翌年(一九七二年)の春さきのことであった。北山から大阪で開かれる集会に参加してほしいという連絡があった。その日は日曜日ではなかった。大阪まで行くとすれば工場の仕事を休まなければならない。しかも李明姫は彼女が属する同胞青年の組織の用事で東京へ行かなければならず、同行できないという。星子は大阪行きをためらったが、北山は、その集会には東京や広島など各地から参加者が来ると言って、あとにひかなかった。結局、彼女は北山とともに集会へ出ることになった。
 名古屋駅で落ち合った二人は、新幹線で大阪へむかった。車内での二時間ほどが、彼女が北山と向かい合って過ごす最初の経験になった。
 列車が名古屋駅を発車してしばらく経ったとき、北山が唐突に質問した。
 ソンジャさんが韓国へ渡った理由は何だったのですか。
 とぎれがちな会話の空白を埋めるような訊ねかただったが、その疑問は北山の胸を塞ぎつづけてきたものにちがいない。彼女は集会でソウルの体験を訴えるとき、何のために渡韓したのかを一度も語らなかった。
 彼女が口を開こうとしたとき、北山が、組んだ脚の膝に置いていた右手を小さく上げた。待ってという仕種だった。
 後(うしろ)を振り向かないで聞いてください。あなたから五つほど向こうの通路反対側の席に、週刊誌を読むふりをしている男がいます。名古屋駅でぼくたちが落ち合ったとき、待ち合せ場所にソンジャさんと同時に現われた男です。これまでにもあなたが参加した集会の会場付近で見かけた記憶があります。できるだけ低い声で話してください。
 北山の口調は落ち着いていた。六か月まえに金浦空港へ運ばれる途中の車のなかで薄い色付き眼鏡をかけた男の吐いた言葉が、粘ついた鱗をくねらせて星子の記憶に這いのぼってきた。日本にいるわれわれの同僚や協力者があなたの生活を監視する――しかし不思議なことに男の言葉は変色した古写真のようにどこか実在感を失なって記憶の残骸のようにも彼女には感じられた。
 星子は、十二年まえ、四・一九革命の起きた数か月後にくにへ帰った兄のこと、その兄と再会する目的でソウルへ渡ったことを、いずれ心に渦巻く想いもふくめて詳しく話す機会が来るにちがいないと予感しつつ、簡略に話した。
 沈黙がしばらくつづいた。星子は車窓に見える低い山並みを眺め、思い出のなかの兄ではなく別れて十二年を経ている現在の兄の姿を想像しようとしていた。沈黙したまま視線を落としている北山の様子が、彼女の想像になんとか手を貸そうとしてそれができない無力感にうなだれているように、彼女には思えた。
 列車の走行が大阪に着くまでの時間を着実に食いつぶしていくことに気づいて、二人はふたたび語りはじめ、星子は日本人夫婦のもとで育てられたことを話した。北山にはかつて同棲していた女性がいた事実を彼女は知った。北山はその女性と別れた理由を、所属していた政治党派の分裂がもたらしたものだと、抽象的な言葉で説明した。
 列車が京都駅を過ぎて間もないころ、二人の座席脇の通路を男が通りすぎた。北山は話を中断し、星子に目くばせした。彼女の位置から男の容貌を確かめることはできなかったが、小柄な体に紺色のスーツを着こなした後姿は平凡な商社マンといった印象だった。男は列車が大阪に着くまで星子たちの車輛には戻ってこなかった。二人が地下鉄に乗り換えて集会の会場へ着くまでのあいだ、男の姿は周囲になかった。
 その日の集会は、星子がそれまでに参加したどれよりも熱気に溢れていた。星子は、昂揚した気持で彼女の体験を語り、四・一九革命をたたかった学生たちと合流するために韓国へ渡った兄への想いを語った。
 わたしが口を噤んでいるなら、もっと大きな禍いが祖国を傷つけるにちがいない。彼女は自然にその言葉を口にすることができた。
 集会を終えて、彼女一人が泊ることにした旅館へ向かう途中、送ってきた北山が言った。
 ソンジャさんの話は参加者に感銘をあたえたと思います。
 以前に同胞女性から抗議を受けたことがあるんです。あなたはさらし者にされてるんだって。
 星子は、北山が言った感銘という言葉を返上するつもりで言った。
 北山は気持を取り替えるように口調を変えた。
 ソンジャさんは自分をさらす以上のことを日本人に示しているんじゃありませんか。あなたに何を返すかは、ぼくら日本人の課題です。
 彼女は北山の口吻を了解しなかった。朝鮮人の胸の奥に疼くものを理解できない日本人の決まり文句。
 二人が旅館に着くまで、その会話はとぎれたままになった。とぎれたものが繋ぎ合わされるには、さらに時間が要るだろう、と星子は思った。今夜、知人の家で泊って明朝迎えにくることを約束した北山は、旅館の玄関で別れるとき彼女に念を押した。
 だれか旅館を訪ねてくる者があっても、絶対に取り次がせないようにしてください。

     3
 四月の日本海は、動物の背に似た分厚い波頭をくねらせている。海鳥の群れがいつのまにか数を増していた。海の底の暗色に陽射しを溶けこませてきらめく波の粒子が、海鳥たちを誘う餌(え)のようだ、と星子は思った。
 オッパー、オッパー・・・・・・二十年まえの叫び声は、歳月の風化に抗がうように波頭を渡って、兄のいるくにへ辿り着こうと焦る。
 星子は、羽搏(ばた)きを止めたままの恰好で飛び交う海鳥の群れを眺めながら、握り飯を頬張った。北山はリュック・サックから二個目の缶ビールを取り出して飲んでいる。
 切り通しの壁面に残されたハングル文字は密航直前の兄の手によって刻まれたものであることを星子が告げたときから、北山はいっそう寡黙になった。数十分まえに彼女が語って聞かせたようにして彼女の兄が祖国へ渡った事実を、北山は知らなかった。八年間、彼女との時間を共有してきながら知らされずに来た。そのことの衝撃を姑息な手段でやわらげるように、かれはなまぬるくなった缶ビールを飲んでいる。
 あの漁船でもウリ・ナラへは行けるのよ。
 星子が、心のうちに反芻しつづけてきた独語の続きみたいな口吻で呟いた。彼女の視線のさき遥かな沖合いに、二艘の船影が波涛にもまれている。陸地から眺めると波間にのまれて姿を消したり、海の底から押し上げられるように現われたりを繰り返している。
 ソンジャはいまもくにへかえる夢を棄ててはいないのだな。
 北山が、飲みさしのビール缶を握ったまま言った。星子は、沖合いに浮かぶ船影に望むような視線を向けたまま黙っている。北山の口調に詰問するような響きがあったが、彼女はそのことに不快感をもたなかった。他人の事で切実な思いにとらわれたとき反動みたいに苛立った態度を示す北山を、彼女は知っていたから。
 彼女は、沖合いの船影に注いでいた視線をさらに遠く水平線の彼方へ移して言う。
 オッパと会いたいのは、肉親が懐かしいからじゃない。二十年まえに残していったかれの言葉を実行しなかったら、わたしはくにと切れてしまう気がするの。かれの生き方がわたしをくにに結びつけているのよ。それに北山さんには、夢なんて言いかたをしてほしくない。くにへ帰ってオッパと会うのは、夢なんかじゃない。たしかにいまの状態で韓国へ渡ることが現実的じゃないのはその通りよ。十年まえの屈辱も忘れていないわ。それでも、オッパのいるくにへかえることは、日本で暮らしているわたしの、生きる根拠なの。それが失われたら、わたしのすべてが虚構になってしまう。北山さんは、わたしの言うくにが、観念にすぎないと思う?
 水平線を望んでいた星子の視線が旋回した。彼女の眼が北山の眼を射(い)った。北山は眩しげに二、三度瞼を瞬いた。星子にとってのくにが、肌で触れることも許されないまま理念だけを増殖させているとしても、それが日本で生きていくうえで掛け替えのない支えになっているとしたら、思い入れとか観念とかをこえているにちがいない。北山はそう思った。しかし、その考えはひとたび言葉にすればたちまち薄っぺらな解説に色褪せてしまうだろう。彼女の「くに」を汚してはならないと思ったとき、北山は問いに答えることができなかった。
 海上では海鳥の群れが陸地のほうへ移行してきていた。潮騒の音を裂くような鳥たちの啼き声が、二人の耳にもとどいた。
 ソンジャがくにへかえるとき、おれに何ができるだろうか。ひと足先に韓国へ渡ってソンジャの兄さんを探し出すことか。それとも別れる間ぎわになって、ただ慟哭することか。
 北山は照れたふうに笑ったが、それは、星子の眼に吸いこまれてたちまち消えた。かれの表情に悲哀に似た影が掠めたように、星子は思った。そのとき彼女は、唐突な錯覚を覚えた。北山の両手が彼女のほうへ伸びてきて両肩を抱こうとする。彼女は全身の感情が肩のさきで息づくのを感じた。
 北山の手はかれ自身の感情を握りしめるように閉じられたまま、動かなかった。

 その日の夕方、星子は兄が船に乗った場所から海岸に沿って三キロほど北上した小さな駅で、北山といったん別れた。そこは十数年まえ、彼女が日本人養父母の家から高校へ通うのに利用した駅であった。彼女が山陰の南のはずれにある海岸を訪れたのには、兄にまつわる場所へ北山を案内するのとは別の理由もあった。かつて養父・花村利勝に会い、彼女が家を出てから放置したままになっている件に決着をつける目的があった。それを済ませてから彼女は広島駅で北山と落ち合う約束をした。
 北山と別れて徒歩で花村の家に向かうあいだ、彼女が胸のうちで反芻していたのは、数時間まえに北山がもらした言葉だった。ソンジャがくにへ帰るとき、おれに何ができるだろうか・・・・・・北山の言葉は、彼女の気持を揺さぶった。北山さんは韓国へ行き、兄を探すつもりだろうか。わたしがくにへ帰る日が訪れたなら、そのとき慟哭するかもしれないといった言葉は、かれの胸の内の何をあらわしたものなのか――星子は、北山の存在を彼女の手が触れる位置までたぐりよせようとした。
 彼女が少女時代の十年間を暮らした家は、そのたたずまいに老いを感じさせた。かつての養父母も、老夫妻と呼ぶのにふさわしい変化を容貌に刻んでいるにちがいない。彼女がかれらと訣別してから十数年間、思いがけない体験を経てきたように、日本人夫妻も老いに向かう歳月を数えているのだ。養父は役所を停年退職して相当の時間を経た年齢に達しているはずだった。
 星子が、薄明かりの三和土に立って呼んだとき、姿を現わしたのは時枝だった。星子は深く体を折って挨拶した。時枝の顔に怪訝な表情が掠め、次の瞬間、彼女の口から小さな驚きの声がもれた。星子(ほしこ)さん? 星子さんですね。時枝は歯並びの歪つになった口腔をむきだしにして叫んだ。花村利勝が居間の障子を開いてあらわれたのは、その直後だった。
 日本人夫妻をまえにして、星子は過去への感謝の気持を素直に抱(いだ)くことができ、意外にほぐれていた。しかし、懐かしさの感情は湧いてこなかった。そんな自分が、冷淡な人間なのか、日本を拒否して朝鮮人になりえたことの証(あか)しなのか、彼女自身にもよく解らなかった。
 花村利勝は、星子がかれの家を出てからの暮しむきをしきりに訊ね、父・吉道や兄・哲浩の消息についてもくりかえし訊ねた。かたわらに坐った時枝が、座卓のうえの茶菓子を何度も奨めたが、星子は手を出さなかった。
 星子は挙措を正して夫妻に向かい合い、切り出した。
 花村さん、わたしはこの家を出て、身寄りのない朝鮮人が日本で暮せば人並みに出会う経験を積んできました。孤独とひきかえに、花村星子ではなくチォエ・ソンジャになりました。それが十年間養っていただいたおじさんとおばさんに誇りをもって報告できることです。わたしは感謝しています。お二人に育てていただけなかったなら、いまのわたしがあるかどうか分かりませんから。
 彼女は、花村利勝と時枝の顔を交互に見つめ、くぐもってくる気持をひるがえすように言葉をつづけた。
 きょう、わたしはおふたりに最後のお別れに来ました。それで一つだけお願いがあります。わたしの籍は、まだ花村の養女に入ったままでしょうか。
 時枝が不安にかられたふうに夫を振り返った。花村は頷きもせず、険しい表情で黙っていた。
 籍を抜いてください。それだけがわたしの最後のわがままです。
 星子は、かつての養父母がいま胸のうちで耐えているだろう悲嘆に詫びるおもいで深く頭を垂れ、思った。わたしのなかの日本人を捨てるためなら、わたしは匕首(あいくち)のような心を持つことだってできる・・・・・・
 花村が口を開いた。
 わたしたちと会ってソンジャと名乗ることが星子(ほしこ)の誇りであるなら、もうわたしの出る幕はない。ソンジャさん、立派な朝鮮人になってください。お父さんとお兄さんに会える日が来るのを願っています。この家を去るまえにそれだけを言わせてほしい。
 星子は、歯をくいしばって養父の言葉を聞いた。もしいま花村夫妻の感情に寄り添うような姿勢をとったなら、日本人のかれらが善良さゆえに彼女のなかの朝鮮人を理解できずにきたのと同質の陥穽に自分も落ちこんでしまう、と星子は思った。そのとき唐突に、北山の視線を対象物から少しずらして額を上げた顔が脳裏に浮かんだ。
 十分ほどのち、星子は別れの挨拶をするために三和土に立った。この家を訪ねたとき薄明かりが射していたそこは薄闇に閉ざされていた。彼女は花村夫妻にむかって、もういちど深々と頭を垂れた。
 ソンジャさん、あなたの人生はこれから長い。元気で暮してください。
 花村が遠来の知己を見送る口調で挨拶した。ソンジャさん、元気でね。夫の蔭から囁くような声で時枝の言うのが、星子の耳に届いた。
 星子は、傍の木々を翳らせて昏れなずむ道へ出てからも、後を振り返らなかった。庭先に立ちつくして見送る二つの影が、彼女の背に迫ってくるのを感じた。日本で生まれて日本人の顔をして育った一人の女が朝鮮人として生きなおすということは、こういうことなのか――星子は苛酷な気持で思った。

 星子と北山のいる三階の室から、人影も疎らな広い通りを距てた駅の大時計が窓越しに見えた。駅舎の玄関正面に掲げられた時計の針は午後の十一時二十分頃を示している。
 二人は、洋室の窓際に置かれた小造りの円卓を挟んで向かい合せに椅子に掛けている。円卓のうえには、空(から)になったビール壜が一本と、飲みさしのビールの入ったコップが二つ置かれていた。星子は、闇に沈んでいく街路に視線を注いでいたが、北山の存在を強く意識しながら一時間ほどまえのやりとりを思った。
 広島駅の構内で落ち合って六時間ぶりに顔を合せたとき、離れていた時間を修復するかのような気持の昂ぶりが二人をおそった。兄が韓国へ渡るために発(た)った場所を二十年ぶりに訪ねた感動は、彼女の胸から消えていなかった。オッパー、オッパーと呼ぶ声は、鮮明に彼女のなかで甦りつづけた。また、彼女の心に秘められてきた兄への想いが何であるかを知ったときから、北山の体をほてりに似た熱っぽさが包んでいた。切り通しの壁面に刻みこまれた文字を読んだ瞬間かれの心を震わせた響きは、からだの奥底から湧いてくる余韻を曳(ひ)きつづけていた。
 待合室で列車を待っていたとき、星子は北山の態度に誘われて、日本人養父母の家を訪ねた目的を打ち明けた。
 花村の籍を抜く約束をとりつけてきました。
 星子の言葉を聞いて北山は困惑の表情を見せた。
 無籍者。法律上は朝鮮人でも、日本人でもない。蝙蝠のような存在――星子は、胸の内側に長くなじんできたはずの孤独が未知の暗い羽をひろげるのを感じた。
 名古屋へ帰るのはよそう。きょうは泊ることにしよう。
 彼女のなかに起こった気持の揺らぎを感じとったのか、北山が唐突に行った。かれのなかに激しい感情がひそんでいるのを彼女は感じとった。
 名古屋へ向かう列車の発車時刻まで充分の間があった。その深夜列車をやりすごしてホテルで一泊することに決めたのは、二人をとらえている気持のありようがたがいを牽(ひ)き合ったからだ。一つ部屋に泊ろうと行ったのは北山のほうだったが、それを受け容れたのは、星子だった。
 ホテルの窓越しに見える駅舎の大時計は零時に近づきつつあった。
 おれがソンジャと知り合ってから、もう十年になる。
 北山が長い髪を左手の指で梳く仕種をしながら視線を星子に向けた。円卓のうえの灰皿に、タバコの吸殻がたまっている。北山は、通り過ぎてきた時間をまさぐるような口吻でつづけた。
 十年のあいだにおれの目に見えてきたことがある。ソンジャにとっては生きていくことが朝鮮をとりもどすためのたたかいだってこと。民族的な主体の確立・・・・・・そんな観念だか理念だかは解かっていたことかもしれない。この頃になって、肌で触れられるようにそれが見えてきた。ソンジャの表情、所作の一つ一つにさえ、チョソンサラム(朝鮮人)の息づきを感じる。
 星子は、北山の言葉から擦りよってくるものの感触を味わったが、不快ではなかった。かれの頭のなかを彼女の還籍という困難な問題が占領しているのを彼女は感じとっていた。これから二人が過ごす時間がどのように開かれ、どのように閉じられるのか、彼女の脳裏を予感が掠めた。予感は彼女が解答を用意する間もなく、消えた。
 北山が言葉をつごうとしたとき、彼女は円卓のうえのビールを指(さ)して目配せした。北山は頷いた。名古屋へ帰るまでの費用にはまだ手持ちの余裕があるらしい。彼女が冷蔵庫からビールを取ってくると、椅子に掛けるのを待つのももどかしげに、北山は口を開いた。
 ソンジャの生きかたがおれには眩しい。正当で、強いものだと思う。日本人のおれと朝鮮人のソンジャが正確な付き合いをするためには、ソンジャがパンチョッパリ(半日本人)であってはならない。まぎれのない朝鮮人であることが前提だ。ソンジャの意思的な生きかたにひきかえ、おれの生きかたの背骨はいったい何んだって、自分で思う。過去の残骸を拾い集めて、それに現在の装飾をほどこしながら生きているのがおれだ。
 星子はかれのコップにビールを注ぎながら、北山の饒舌はアルコールのせいではないと思った。口吻が不器用になっているのも、切迫した感情のあらわれにちがいない。
 北山の口調が、時の歩みをさかのぼるようなそれに変った。
 おれは大学に入って間もなく、六〇年安保闘争と出会った。地方都市の大学にいたおれは、仲間の学生たちと上京して、国会を包囲したデモのなかで最初の逮捕を経験したのだが、あのときの闘争体験は、もう子供の頃の写真みたいに色褪せてしまっている。六〇年安保闘争のなかで色褪せずに残っているものがあるとしたら、洪元男のことだ。洪元男は同じ大学の学生だったが、年齢は三十歳に近かった。おれたちはかれを、研究室の助手を呼ぶときのように、洪さん、洪さんと呼んでいた。洪さんは温和な性格のひとだったが、学生集会では異様なほど激越に日本とアメリカの軍事結託を指弾していた。いまにして思えば、洪さんは引き裂かれた自民族の現実と三十八度線を見据えて、日米安保を糾弾していたのにちがいないと思う。けっして過激な行動派ではなかったが、街頭デモのときなど日本人学生の元気よさとは異質な、きびしい姿勢が全身から沁み出ていたのを覚えている。
 北山は手に取ったコップを口へ運びかけて、円卓のうえにもどした。
 安保闘争のあと、おれは虚脱状態のなかで洪さんと急激に親しくなって、かれの下宿をしばしば訪ねた。六(ユ)・二五(ギオ)(朝鮮戦争)のさなかに大阪にいる叔父を頼って日本へ密航してきた事実を打ち明けられたのも、かれの下宿だった。卒業の年の冬だったと憶えている。洪さんは、古火鉢を抱くようにして坐り、火箸のさきでしきりに灰を弄びながら話す癖があったが、あのときもそんな仕種をしながら密航のことを語った。ただ単に戦火を逃れてきたのか、六・二五当時すでに青年だった洪さんが人民軍か韓国軍かに加わっていて身の危険に迫られ逃れてきたのか、詳しいことは語らなかったが、おれはあのときの洪さんの姿と、自分が受けた衝撃を鮮明に思い出すことができる。それから三か月ほど経って、二人が別れる日のことだ。洪さんは就職先も見つからないまま東京へ行くことになり、おれはある政党新聞の口が半決まりの状態のまま、当座は何かのアルバイトで生活することになっていた。おれは、上京する洪さんを見送りに行った。列車が到着する数分まえのホームで、洪さんが話柄の腰を折って唐突に言った。北山君、ぼくの名前はキョウ・モトオではなく、ホン・ウォンナムだよ。洪さんは、長く堪えてきた思いを伝えるような表情を浮かべて言ったのだ。おれは顔じゅうが真赤に染まるのを感じた。血が頭にのぼった。列車がホームに入ってきて、洪さんが軽く右手を振る仕種をしたときも、ろくすっぽ別れの挨拶さえできなかった。おれたち日本人学生は、洪さんをキョウさん、キョウさんと呼んでいたんだ・・・・・・きょうまで朝鮮と日本のかかわりを考え、少しは体を動かしてきたのも、二十年まえの洪さんの姿がおれのなかに生きているからだろう、そんな気がする。
 北山は、星子が注ぎ足して溢れそうになっているコップのビールを、いっきに飲み干した。二本目のビール壜も空(から)になっている。そのほとんどを、星子が北山の話を聞くあいだに飲んでいた。彼女は椅子を離れ、冷蔵庫のビールを取りに行った。今度はさきほどのような合図を北山に送らなかった。
 洪さんとは、別れて数か月のちに、偶然、再会した。おれは政党新聞の仕事を半ば諦めた状態で、木材運搬の仕事をしていた。東南アジアから輸入されたラワン材を名古屋港で筏に組んで、運河上流の合板工場へ運ぶ仕事。筏は夜明け頃に工場の貯木池へ入れなくてはならないので、深夜労働だった。既成左翼と前衛の神話は崩れ、新しい党派が生まれようとしていた。おれはそんな労働をしながら混沌期の運動体の一つに加わって、日韓条約反対運動にかかわっていった。洪さんと再会したのは「日韓」の集会でだった。集会は共同で開かれていてもそこに参加する運動体はそれぞれ断絶した関係にあったから、別の組織にいる洪さんとは個人的な関係をとりもどすことができなかった。それでも、その年の秋から翌年の六月まで、洪さんとおれは共有の時間を持ったことになる。デモの隊列がたがいに遠く離れていて姿を確かめ合うことができなくても、ある意思と行動を分け合っていたのは確かだ。日韓条約が東京で調印された日、洪さんとおれを結ぶ糸はぷつりと消えた。年の暮れに国会で条約の批准が強行可決されるまで、おれたちは腰砕けの状態で運動をつづけたが、六月二十二日の条約調印をさかいに洪さんの姿は集会から消えていた。あのとき、東京に住んでいたはずの洪さんがなぜ名古屋にいたのかは、いまもわからない。
 北山は饒舌をためらう余裕さえ失っている。かれは何かをわたしに伝えたがっている、と星子は思う。
 おれが響子と知り合って同棲生活に入ったのは、日韓条約反対闘争のさなかだった。彼女も同じ運動体のメンバーだった。同じ日の同じデモで彼女とおれは逮捕された。彼女は不起訴処分になり、おれは起訴されて裁判に係(かか)った。二人が同棲生活に入ったのは、おれが保釈で出てきて間もなくだったが、二人の結びつきと逮捕事件とは関係なかったと思う。おれと響子が属していた運動体は、七〇年闘争の前夜頃から党派と呼ばれるようになった。メンバーの誰彼も、わが党は・・・・・・などと口にするようになった。そして六八年から七〇年にかけた闘争のなかで、しきりに武力闘争を唱えだした。中枢権力がそれなりにでき上がっていた。火炎瓶を投げろという指令が「中枢」から来た。その指令を拒否したおれたち一部の者は、党派を離れた。そのとき、響子は「中枢」の指令に従う道を選んだ。二人は別れた。おれと響子が同棲生活をしたのは五年足らずだったが、そのあいだに彼女は二度、中絶手術をしている。おれのエゴイズムと彼女の急進主義が歪(ゆが)み捩(よじ)れあって野合してしまった果ての、哀れな結果が中絶だった。彼女に母性が失われていたというのではない。おれのエゴイズムが醜悪な詭弁を弄して、母性を否定するような観念へ彼女を追いやってしまったのだ・・・・・・ソンジャと出会ったとき、響子と別れて二年ほどが経っていた。あの頃、徐兄弟の問題に遭遇し、党派と呼ばれることのない運動をつくりだしたいと考えていた。響子が帰属した党派は七〇年代の初めには消滅した。数年まえに、印刷会社の写植オペレーターをしている平凡な女性になった響子がおれを訪ねてきた。それから二人は、過去の互いを批判し合わないままに、四十歳を過ぎた独身の男と四十歳に近い独身の女が、十数年まえの残骸を重ね合わすような時を繰り返している。彼女についてどうのは言えない。おれは、いまもおれのエゴイズムが醜悪なにおいを立てていることを、自分自身に言ってやることができるだけだ。
 北山は、酔いのためにうるみを帯びている星子の目をしばらく見つめていたが、恥じるようにその視線をそらした。見知らぬ土地で独りぼっちにされた少年のような表情がかれの顔を掠めた。北山は数十秒間の沈黙のあと、口を開いた。
 おれはなぜ、洪さんや響子のことを喋ったのだろう。過ぎ去った時間の残骸を拾い集めて生きているおれが、それをソンジャに証明してみせようとでもしたのだろうか。恥の上塗りだ。
 星子は、かれの全身が滲ませている甘えのにおいを嗅いだ。駅舎の大時計は午前一時を廻っている。人影が絶えた街路で、深夜の闇がネオンの明かりを飲み込もうとしている。かれの全身から漂いだしてくる樹液に似たにおいを、星子は心のうちで顔を顰(しか)めて嗅いだ。
 彼女は組み合せていた両腕を突然、左右に開き、伸ばしたまま北山の眼のまえへ突き出した。奇態ともおもえる仕種だった。
 過ぎ去った日の残骸を拾い集めて・・・・・・おれは・・・・・・いまを生きていく・・・・・・歌謡曲の歌詞みたい。
 星子は、北山の発散するにおいを払いのけるために茶化し文句を吐いた。北山さん、わたしはあなたを嫌悪したくない、あなたの捩れた姿を見たくない。彼女は胸のうちで呼びかけた。
 北山が椅子を立った。酔いの気配は顔のどこにも現われていないのに、立ち上がる拍子にかれの上半身が傾(かし)いだ。北山は黙然とした表情でビールの壜を携えてきた。
 過去の残骸を拾い集めて生きているというのなら、現在(いま)を生きている自分はどうなるのですか。蔑んで、否定しきることなどできるのですか――星子の胃腑のあたりで苛立ちが蠢(うごめ)いた。北山の体から漂ってくる青い樹液のにおいがひときわ強く彼女の鼻を突いた。
 朝鮮人にとって、日本人であるおれはいったい何だろう。おれは避けようもなく、朝鮮人を鏡にして自分を見てしまう。すると浮かびあがってくるのは、おれのエゴイズム。差別者の、抑圧者の、排外者の日本人。そういう日本人がつくり、そういう日本人をつくりだしている日本社会と国家。そんな日本が見えてくると、おれは金縛りに会った感じになる。金縛りを解(ほど)くためには、おれのなかに塒(とぐろ)を巻いている差別者の顔、抑圧者の顔、排外者の顔、醜怪な顔の一つ一つを消滅させていかなくてはならない。顔の一つ一つがおれの存在を歪め、おれの自由を奪っている。ほんとうに不幸なのは、差別者の、抑圧者の、排外者の枷から自由になっていない日本人のほうではないか。ふとそんなふうに思う。だから、おれのなかの差別者の顔、抑圧者の顔、排外者の顔、加害者の顔を、そいつがどんなに善人面(づら)をしていようと見抜いて、消滅させなくてはならない。おれ自身を負荷の存在から解放するみちはそれ以外にない。ソンジャと出会い、ソンジャが朝鮮人として行きなおそうとしている姿に促されて、いまごろになってそれが解ってきた。敵は他者じゃない。
 星子は、数時間まえ駅の待合室で、花村の家から抜籍することを告げたとき、北山が彼女のうちにある孤独感を鋭敏に感じとったことを思いだした。駅舎の大時計は二時に近づいている。
 おれは混乱している。ソンジャに向かう気持が、割れている――北山の口調が、急に傾(かし)いだ。地面に頑丈に張られた木の根を引き抜こうとして込められていた力が弛んだときのような傾(かし)ぎ方だった。
 ソンジャは朝鮮を失うまいとして指の先から髪の一本一本まで緊張させて生きている。もし緊張の糸が一ミリでも弛んだら、ソンジャという人間は消滅してしまうだろうとさえ感じる。そういう生き方に、おれは強烈な刺激を受ける。ソンジャは絶対にパンチョッパリであってはいけない。だけど、ソンジャの生き方がおれを拒否しているように感じることがある。ソンジャが朝鮮を身に着けていけばいくほど、日本人のおれから去っていく。
 かれはさらに言葉を次ごうとして、星子の眼を凝視したまま、何かに怯えた牡牛がするように緩慢に頬を震わせた。
 北山の声がとぎれた瞬間、星子は無造作な動作で椅子を立った。彼女は上半身をしなわせる勢いでセーターを脱ぎ捨てると、Gパンを着けたまま隣室のベッドへ向かった。

 部屋を満たした薄暗色の空気が湿った感触で体をおおっている、と星子は思った。闇は目に見えないかたちをつくってベッドのまわりを音も立てず群がり巡(めぐ)っている。湿気をふくんだ闇たちの息づかいが、薄着の衣服を透して、火照った膚に沁みこんでくるのを、彼女は感じていた。
 北山さんがベッドへ来て傍に横たわってから、どれほどの時間が過ぎたろうか。星子は数分ののちに遭遇するかもしれない灼けつくような経験の予感をはぐらかそうとする。傍に横たわった北山は、衣類を着けたままなのか、一切を脱ぎ捨てて裸体をさらしているのか。星子は瞼を閉じたまま、彼女の体との間に不器用に隙間を保とうとしている北山を想像した。
 北山が身じろぎを繰り返すたびに、かれの体温が彼女の体に触れた。彼女はかれの体温が全身に沁み入ってくるのにまかせた。ベッドのまわりを群がって動いている闇たちは、北山が発散する欲望だ、星子がそう思った瞬間、北山の身じろぎが止まった。星子の頬に触れるものがあった。二つの掌が砂を刻むように湿っぽい熱を帯びながら、彼女の頬を包んでくる。星子は、忘れかけていたにおいを嗅いだ。北山の体から滲みだしてくる、あの青い樹液のにおい。樹液のにおいはむせるような荒々しさを溢れさせて、彼女が身にまとう一枚一枚の布を溶かそうとしている。
 彼女の耳に思いがけない声が聞えたのは、そのときだった。オッパー、オッパー・・・・・・空耳とも思えぬ透明な声は、彼女の外側から聞えた。

     4
 わたしの体は呪われているのだろうか。十年まえ、生まれて初めて踏みしめた母の地で、黒い手に鷲摑みされた。男たちは父や兄と同じ民族の血が流れるくにの者だったとはいえ、凌辱であった。追い立てられるようにして舞いもどり暮してきた日本で、異民族の血が流れる男の体を受け容れた。今、私の体はかれを求めている。
 山陰の漁村から広島の夜を経て帰ってから数日、星子は染みついて消えない青い樹液のにおいを体の内に嗅ぎつづけた。北山の体が発散した湿ったにおいに性欲の臭気を感じたが、かれの四肢を震わせていたのは欲望だけではなかった、と彼女は思う。北山が響子という女性との関係を語ったとき、自分をさらけだして何かを精算したい衝動がかれのなかに起こっていたのかもしれない。わたしへの激しい感情によって点火された衝動。かれの体が発散するにおいのなかに、わたしに伝えようとして打ちふるえる情感の鼓動が息づいていた、と星子は思う。わたしの胸に重ね合わされた肌からじかに伝わってきたかれの内にあるものは、樹液のにおいを融和させるほど透明な脈動を感じさせた――星子は数日、あのときの脈動を彼女の胸に甦らせて時を過ごした。
 北山があのとき伝えてきた脈動を甦らせるたびに、星子は彼女自身の発散するにおいに気づいた。北山が発散させた青い樹液のにおいと変らぬ、彼女自身の内側から滲みだしてくる欲望の臭気だった。それを嗅いだとき、オッパー、オッパー・・・・・・と呼ぶ声を聞いたのだ。呼ぶ声は、彼女の内からではなく、北山を受け容れたときとおなじように外から聞えた。そのことに気づいた瞬間、彼女は怯えを覚えた。
 オッパを呼ぶ声が、わたしの体から抜け出していく。海を渡ってくにとつながるわたしの声が逃げていく・・・・・・
 彼女は、逃げていく声を捕(つか)まえなくては、と思った。
 星子が国籍の問題を調べるために法務局を訪ねてみようと決心した日の夜、北山が訪ねてきた。
 旅から帰った日、名古屋駅で別れて以来はじめて顔を合わせる北山に、星子は変化を読み取ろうとした。かれの体を柔かな影のふくらみに似た親和な空気が包んでいたが、かれの態度から粘(ねば)つく素振りは感じられなかった。
 安江弁護士と会って、ソンジャのことを相談した。
 北山が口にしたのは、星子の国籍変更の問題だった。安江弁護士は在日朝鮮人の法的地位や処遇にかかわる事件をいくつか手掛けていて、北山たちの運動とも密接な関係を持っている。
 率直に言って、ソンジャが朝鮮籍に復帰するのは絶望的に困難らしい。
 北山は固い口調で言った。
 花村の戸籍を抜けるのは簡単だ。星子の場合、花村夫妻の幼女として入籍するとき、国籍も帰化手続きをして日本国籍になっている。問題は、この日本国籍を抜くことができるかどうか、である。星子の場合、日本国籍を離脱すると、いったん無国籍者の状態になる。無国籍状態を前提とした日本国籍の喪失を、法務省はまず認めない。万が一、認めたとしても、無国籍状態のままで日本に在留すれば、退去強制の対象とされる危険が少なくない。大村強制収容所の、あの頑丈に張りめぐらされた暗鬱なコンクリート壁が星子を待ち受けているのだ。壁は、日本国籍を棄てようとする段階で、すでに彼女のまえに立ちはだかっている。
 仮りに日本政府が日本国籍の喪失を認可したとして、朝鮮民主主義人民共和国が朝鮮籍を付与してくれるかどうか。朝鮮籍の場合、本国の国籍法にもとづいて最高人民会議の許可決定を経なければならず、相当の困難を覚悟しなければならない。一方、大韓民国の場合、韓国籍の男性と結婚すれば本国の民法によってその国籍を得られる。
 いずれにしても、日本政府は、転籍先の国家がその国の国籍を付与しないかぎり、日本国籍の放棄を認めないだろう。
 北山は、安江弁護士から聞いた話を星子に語った。しばらく沈黙していた北山は、暗い声で呟いた、
 父のいるくに、兄のいるくに、そして日本にいるソンジャ・・・・・・ソンジャの民族がいかに鋭く断ち裂かれているか、おれは安江さんの話を聞きながらあらためて感じた。
 北山の言葉は星子を驚かせた。彼女のほうも、かれの説明に耳を傾けているあいだ同じ思いに駆られていた。アボジのいるくに、オッパのいるくに、そしてわたしのいる日本。頭と、胴体と、下半身と、どの部分がどこのくにに属するのか分からないままに断ち裂かれたわたしのからだ・・・・・・
 オッパのいるくにの男と結婚するのが、一番の近道というわけか。星子の脳裏を十年まえのソウルでの記憶が掠めた。男たちの荒々しく蠢く呼吸が、耳もとを掠めて消えた。
 星子はかれの言葉を払いのけるふうに言った、
 日本の国籍に手足を縛られて暮すくらいなら、無国籍者のチゲ(背負い具)をしょって生きたほうがいい。
 無茶を言っては駄目だよ――北山は、眼に険しい光をためて詰った。それがどんなに危険なことか、知り尽しているはずじゃないか。日本という国がどういうところか百も承知のはずだ。
 北山さんは、日本人のまま生きる屈辱をわたしに飲めというの?
 そうは言ってないさ。国籍の問題と民族の問題は違うはずだ。たとえ国籍は日本に属していても、そんなものは生きるための方便にすぎないってこともある。日本国籍のままであっても、ソンジャが朝鮮民族として生きることはできると思う。オモニの言葉を母語として、アボジのくにへの想いを心として生きることはできるはずだ。それがソンジャの強さだよ。
 あぁ、北山さんまでがそれを言うのか――皮肉とも絶望ともつかぬざらついた感情が、彼女の胸を撫でた。日本国籍であろうとも、朝鮮人として胸を張って生きればいい、民族の心さえ失わなければ同化の波を撥ね返せる、要は、国家じゃない、人間だ。なんと口当たりのいい言葉だろう。
 彼女は北山の言葉を両手で制した。
 北山さんは、やっぱり日本人なんだ。いいえ、わたしたち同胞のなかにさえ、北山さんが言ったのと同じ考えを持つ人間は多い。でも、わたしはそんな考えを拒否したい。日本国籍の枷をはめられていることが、すでに民族的敗北なのよ。
 民族的敗北? どこか違う。心のなかで入り乱れ、複雑に襞をからませている思いと、その切り口上はずれている。彼女は言葉そのものを断ってしまいたい思いで、口を噤んだ。
 北山は、彼女の考えを受け容れたのかどうなのか、はっきりした意志を示さなかった。彼女自身が安江弁護士と会い、彼女の希望をつたえることに二人の話し合いは落ち着いた。帰りぎわに北山が星子を求める表情を浮かべたように思えたが、彼女はそれが錯覚だったと思いこもうとした。北山の去ったあと部屋に残された白々しさは未知のセールスマンが立ち寄って去ったあとの感じに似ていた。彼女はその空虚感を拭うために、花村利勝に宛て、抜籍の手続きを催促する手紙を書いた。
 二日後の夕方、彼女はパートタイムの勤務時間を定時より二時間繰り上げて工場を出、名古屋へ向かった。安江弁護士の事務所を訪ねるためだった。この日、北山は臨時雇いの身分で働いている零細警備会社の勤務が夜間に当たっていた。一日予定をずらして一緒に弁護士事務所を訪ねようというかれの意向を断って、彼女は一人で安江弁護士に会うことにした。
 彼女が法律事務所ばかりが集まっているビルの一室を訪れたとき、約束の時間を十五分ほど過ぎていたが、事務員は帰ったあとらしく安江が一人で待っていた。まだ三十代の後半の年齢のはずなのに安江の頭髪は白く、黒目がちの大きな眼が生き生きと光っているほかは容貌全体に疲労の色を浮かべている。
 安江は、北山から事情のおよそは聞いている旨を告げたあと、三十分ほどしか時間を取れません、と申し訳なさげに断った。かれは、対面する星子とのあいだに置かれたガラス製の広いテーブルのうえに数冊の冊子を開き、一秒を惜しむように説明をはじめた。
 チォエさんの場合、日本国籍を離脱するためには、名古屋法務局を経て法務大臣に届け出ることになっています。法務大臣が届け出を受理して始めて国籍を離脱できます。ただし、法務大臣が受理するかどうかは、あなたが日本国籍以外の国籍をすでに取得していることが前提条件です。したがって、あなたはまず日本国籍以外の国籍を取得しなければなりません。チォエさんの場合、朝鮮籍と韓国籍、そのどちらを取得したいと希望されているのか、まだ聞いておりませんが、いずれにしても非常に難しい状態にあります。
 安江弁護士はテーブルのうえの冊子の一冊を手にした。
 まず韓国の国籍法を見てみましょう。第三条に国籍の取得要件が記されています。一つは韓国国民の妻となったもの、二つめが大韓民国の国民である父または母が認知した者、三つめが大韓民国に帰化した者。ただし、この三つの要件のどれかを満たしていても、韓国籍を取得してから六か月以内に日本国籍を喪失できなければ駄目なのです。あなたの場合、三つの要件のうち該当するのは一か三ですね。お父さんは朝鮮民主主義人民共和国にいますし、お母さんは亡くなっていますから、二には該当できません。一の韓国国民の妻になるか、韓国に帰化するかですが、一はひとまず置いて、帰化するための要件を見てみましょう。一つは五年以上継続して大韓民国に住所を有すること、二つめは二十歳以上であって、その本国法により能力を有すること、三つめは品行が方正であること、四つめは独立の生計を維持することのできる資産または技能があること、五つめが国籍がないこと――などです。もし、あなたが一の要件を満たすために韓国へ渡り、五年以上住んだと仮定しても、二から五の条件を備えうるかどうかは非常に微妙です。もともと、帰化の可否は韓国政府の法務部長官、つまり法務大臣の許可を得ることになっていますから、二から五の要件に該当するかどうかは法務部長官の裁量次第ということになりかねません。チォエさんの場合、お父さんが「北」におりますから、むしろ危険のほうが大きいと思います。ほかに帰化の条件として、大韓民国に特別の功労がある者、という一項もあります。しかし、チォエさんには十年まえの苦(にが)い経験があります。韓国政府は、功労とはまったく反対の取り扱いをするでしょう。
 安江は、俯向きかげんに表情を曇らせてしばらく説明を中断させたのち、テーブルのうえから別の冊子を取り上げた。
 朝鮮民主主義人民共和国の国籍法を見てみましょう。チォエさんの場合に当てはまる部分だけについていいますと、第六条に、「民族別、人種別に関係なく、その請願によって国籍を取得しうる」とされています。また第十条で、「朝鮮民主主義人民共和国の国籍への入籍、またはそれからの除籍は、本人の請願によって本国最高人民会議常任委員会が決定する」と規定しています。あなたの場合、お父さんが共和国にお見えになることですから、朝鮮籍を選ばれるのが希望なのでしょうね。しかし、最高人民会議常任委員会の決定を待つためには、長い長い道のりを必要とするでしょうね。
 安江弁護士は冊子を閉じてテーブルのうえに置くと、問いかけるふうに星子の顔を見つめた。かれがひととおり説明を終えたとき、約束の三十分という時間はすでに過ぎていた。
 アボジのいるくに、オッパのいるくに、そしてわたしのいる日本・・・・・・安江弁護士の話を聞くあいだ、その思いがふたたび星子の脳裏を掠めた。彼女は、なにかの意志表示だけはしておかなくては、という衝迫に急(せ)かされて言った。
 北も南も、わたしのくにです。
 安江は彼女の言葉には反応を示さず、腕時計に視線を走らせてから言った。
 チォエさんのケースは初めての経験なので、結果を予測することは大変困難です。しかし、手続き上のことでなすべきことは協力します。ともかく、どの方法で、どのくにの国籍を取得するかをあなたの意志で選択してください。そのうえで、わたしのほうは仕事に取りかかります。
 安江の態度は主観的になることを極力避けて、職業的に対処しようとしているように思えた。それが与えられた立場を踏み外すまいと自分を律している厳格さのあらわれだろうという印象を、彼女は受けた。
 星子は、彼女が選ぶべき道を決めてからふたたび訪ねる約束をして、安江弁護士の事務所を辞した。
 わたしの前に三本の道がある。その道のどれかを選ぶしかない――彼女は孤独な部屋でそのことを考えつづけた。日本で暮しながら韓国籍の同胞と結婚するか。アボジのいるくに朝鮮民主主義人民共和国の国籍を得るために最高人民会議の許可を求めるか。オッパのいる韓国に渡り、その地に定住して帰化するか。朝鮮人に還るためにはその三つの方法しか残されていない。どの道も、気の遠くなるほど涯(はて)まで歩まなければ目的地へ辿り着けないように思える。
 数日、思い迷い、三本の道を堂々めぐりしていた彼女の胸に幾度も甦ってきたのは、二十年まえの悲哀につつまれた記憶であり、十年まえの屈辱にまみれた記憶であった。わたしの体から逃れていく声をとりもどさなければ。オッパー、オッパー・・・・・・と呼んだ、あのときの声は他人の声じゃない、わたしのものだ。たとえ二十年経(た)とうと、三十年経とうと、死ぬ日までわたしのなかから聞こえなくてはならない声。あの声をとりもどすためにもう一度、韓国へ渡り、チョソンサラムになるため、オッパのいるくにに帰化しなければ。帰化? わたしのくにの人間になるのに帰化だって!
 星子は屈辱感に襲われながらも韓国に渡る道を選んだ。そのとき彼女の体をつつんでいたのは、波涛のうねりに挑みかかる孤独な女の感情だった。そして、挑みかかる荒々しい感情は十年まえの屈辱の体験にも向けられているのを、彼女は自覚していた。
 彼女が選ぶべき道を心に決めて北山と安江弁護士に会うことにした日の昼まえ、花村利勝からの封書が届いた。彼女が帰った日から辛い気持に堪えてきた心情を記す手紙に、戸籍謄本二通が同封されていた。彼女は早早に市役所を訪ね、分籍届の手続きを済ませた。その手続きは自動的に花村の戸籍から抜籍することを意味し、彼女は新たに戸籍筆頭者ということになったが、同時に法的境遇のうえでも天涯孤独の立場に立たされた。分籍届の手続きを取るとき、彼女と窓口の係員とのあいだにトラブルがあった。彼女が、花村(はなむら)星子(ほしこ)から崔(チォエ)星子(ソンジャ)への氏名変更を希望したからである。係員は露骨に難色を示したが、彼女の決意も堅固だった。一時間近くのやりとりのすえ、戸籍課長の決断によって氏名変更は認められた。ところが、再度トラブルが持ち上がった。改名の手続きを済ませたとき、崔星子を朝鮮語読みにすることを要求する彼女にたいし、戸籍課長が日本語読みによる記名を求めたからである。彼女は、サイ・ホシコではなくチォエ・ソンジャによる登録を主張し、意志を通した。戸籍課長は異常なほどの困惑を表情に浮かべていたが、かれの心に棲みついている不可解な虫を靴の先で踏み潰すように、星子は窓口を去った。
 市役所の玄関を出たとき、彼女の脳裏を掠めるものがあった。工場の人たちに宣言しなければ。わたしの名前は、戸籍上も花村星子ではなく崔星子なのだ。
 それから約二時間後、彼女は安江弁護士の事務所で北山と安江の二人と対面していた。ガラス・テーブルを囲むようにして質素なソファに腰を下ろした三人は、沈黙の淵に引きずり込まれて言葉を呑んでいた。彼女が選んだ道を二人に告げたときから、沈黙はつづいている。三人から発散するそれぞれに異質な重苦しさが、出口を失って事務所のなかに籠りはじめたとき、北山が口を開いた。
 ソンジャの選択は、このうえなく危険だ。きみは十年まえソウルで出遭った忌わしい体験を忘れてしまったわけじゃないだろう。韓国へ渡ったとして、日本で生まれ育って頼るさきもないきみが、どうやって暮してゆけるのか。田舎からソウルへ出た本国の女性たちでさえ、暮しを立てるのに並大抵ではないというじゃないか。たとえ五年間、生活をしのいだとして帰化できるかどうか、なんの保証もない。むしろ、ソンジャの場合、暗黒の陥穽(おとしあな)が待ち受けていると予測するのが自然だ。お父さんは「北」にいる、お兄さんは四・一九のあと密入国したまま消息が絶えている、それだけではない、日本へ帰ってからの行動・・・・・・どれひとつをとっても韓国政府に受容されるものはない。それに、全斗煥氏の登場以来、韓国の政情はソンジャ一人を飲み込むには恰好の禍禍(まがまが)しさを見せはじめている。じつは・・・・・・北山は言いさして、しばらく言葉を呑んだ。
 じつは、きょう、恐るべき情報が入った。全羅道の光州市で市民が蜂起した。その市民蜂起に対して国軍が出動し、街頭で虐殺を繰り返しているという情報だよ。
 北山の話は、星子の体を身震いさせた。不意に横合いから現われた何者かが、いま直面している問題など粉々に打ち砕こうとしているのを彼女は感じた。あぁ、わたしのくにでまたしても・・・・・・星子は縋りつくような視線を北山に向けた。北山は彼女の視線に堪えられないふうに弱々しく顔をそらし、左隣りの安江弁護士の顔をうかがった。
 この事件はいずれ日本のマスコミでも報道されると思う。ぼくの得たかぎりでの情報は、あとで話すよ。
 北山は視線を星子にもどしながら言った。かれが安江弁護士のまえでは政治的な話題を避けようと気を配っている様子が、彼女には読み取れた。彼女の体を襲った小刻みな震えは、しばらく消えなかった。
 ともかく――北山は断を下すふうに語調を強めた。ソンジャが韓国へ渡って帰化をするという方法には賛成できない。「北」へ国籍取得の申請を出すほうがいいと思う。時間はかかるとしても、なんとか朝鮮籍を得て、チョソンサラムとして日本で生きる道を探ってほしい。
 北山が話し終えると、安江弁護士が意見を述べた。かれは、星子の意志と北山の意見を注意深く秤にかけて、いずれにも与しない態度を取った。かれ自身の立場を事務的な領域にとどめておこうという慎重な姿勢を崩さなかった。ともかく、日本政府(法務大臣)に日本国籍からの離脱を認めさせる必要があるので、そのための届け出手続きを取ったらどうかというのが、安江弁護士の意見だった。韓国籍、朝鮮籍、いずれの国籍を得るにしても、日本国籍を喪失できるという保証を日本政府に取り付けておかなくてはならない。その保証の確認を得るだけでも相当の時間がかかるので、届け出手続きは早いほうがいい――安江弁護士は、星子と北山のいずれの選択にも必要な手順を提案した。
 三人の話し合いは以上の程度の確認に終わり、星子と北山は安江弁護士の事務所を辞した。
 星子は、渡韓の意志はどんなことがあっても揺るがないと思った。北山の言う危険は百も承知のうえで選んだ道だった。たとえわたしの身に死を予告するような危険が降りかかったとしても、祖国と呼べるくにで生きたい、祖国と共に在り、祖国の運命と結ばれて生きたい、その気持に観念の驕(おご)りはない、と彼女は自分に言い聞かせた。わたしは祖国に賭ける・・・・・・不意にそんな言葉が浮かんできて、彼女自身を驚かせた。この言葉をそのまま口に出して言えば、北山は理解しないだろう。たしかに、祖国は日本で生きてきたわたしのお題目、幻影かもしれない。実体のない憧憬かもしれない。それでもわたしはそれに賭ける。賭けて生きるわたしは、血のかよう五体を持った一人の女だ。呼吸する心を持った生身のわたしが賭けて生きる祖国が幻影で無くなる日が必ず来る。わたしが祖国を現実のものにする日、そのとき、祖国とわたしが一つになれる。たとえオッパと再会する日が訪れなくても、わたしはそのときオッパと出会う。
 安江弁護士の事務所を出て、名古屋駅へ向かうためバスの停留所へ歩いていくあいだ、彼女の胸に去来したのは、そんな想いだった。星子の物思いを察するかのように黙りこくっていた北山が、バスが名古屋駅に着いたとき、言った。
 ソンジャ、送るよ。
 名古屋からT市までは私鉄電車に乗って一時間はかかる。T駅から彼女のアパートまで歩けば二十分ほどかかる。北山は最終電車で名古屋へ帰ることはできなくなるだろう。星子はそう思ったが、光州の事態についても、ぜひ北山に聞きたかった。
 深い海底に沈みこんでいくのに似た静けさのなかで、本棚のうえの置時計だけが乾いた音を立てて秒を刻んでいる。安江弁護士の事務所で襲われた小刻みな震えが、星子の指先にぶりかえしてくる。悪寒は指先から二の腕へ、そして全身へひろがろうとする。その予感に耐えている彼女を、別の恐怖が襲った。六畳一間の住みなじんだ部屋が、四方に檻を張りめぐらせてわたしの体を閉じ込めようとしている、と彼女は思った。海の向こうのくにで何百人、何千人の兄弟たち、姉妹たちが殺されているのに手足を捥(も)ぎ取られたように沈黙を余儀なくされている彼女を、嘲笑うように檻の錯覚は襲う。
 悪寒が星子を襲ったのは、北山が光州の虐殺について語りはじめたときからだった。
 ここ数か月、韓国では粛軍クーデターによって登場した全斗煥氏の退陣と民主化を求める学生たちの動きが活発になっていた。今月に入って四日まえの五月十五日にはソウルで五万人、韓国全土で十万人におよぶ学生、労働者、一般の市民が集会やデモを繰り広げて、随所で警察隊との抗争が起こっていた。全羅道の光州市でも全斗煥退陣、民主統一を叫ぶ学生がデモを行なった。最初は二、三百名の小さな動きだったらしい。ところが、この無防備なデモに対して軍隊が出動した。これに怒った光州市民が老人や主婦、子供たちまで加わって学生の行動に合流したという。戒厳司令部はさらに空挺部隊ブラック・ベレーを派遣して弾圧を露わにした。ブラック・ベレーというのは、ベトナム戦争のとき国連軍の名目で派兵された特別戦闘団。虐殺は、この特戦空挺部隊の光州進攻によって始まった。負傷している学生のこめかみに銃弾をぶちこむ。まだ生きている重傷者をビルの屋上から蹴落とす。駅前の噴水台に裸体にして立たせた少女の乳房を銃剣で抉り取る。息子の死に抗議するハルモニ(老婆)を刺殺する。若い妊婦の腹に銃剣を突き刺して胎児もろとも惨殺する。そんな兇行が光州の市街を血に染めているという。
 北山は情報を極力客観的に伝えようと努めているらしかったが、かれの口をついて出る言葉の一語一語が星子を震撼させた。彼女の部屋にはテレビはなかったが、今夜のニュース番組で事件はすでに報道されているだろう。日本の放送局が殺戮の現場写真を流すとは思えなかったが、テレビの画面に映し出される、ガス弾によって脱色した光州市街の風景が、彼女の脳裡をおおう。街路もビルも人びとの影も存在感を失うほどに晒されてしまった情景。その白い風景から血腥い臭気が漂ってくるのを、彼女は嗅いだ。時計が深夜の静寂を冷笑するように正確な乾いた音を立てている。秒を刻む音の一刻一刻が、遠く銃孔の発射音に聞こえる。
 星子が沈黙から覚めたように奇態な呻き声をもらした。髪を振り払う勢いで顔を立てた彼女の眼に狂気と見まがう光が閃めくのを、北山は見た。
 くにの人たちが血を流している。わたしのアボジたちが、オモニたちが、オッパたちが、オンニ(姉)たちが・・・・・・血にまみれて地面に蹲(うずく)まっている。天を仰いで叫んでいる。海に向かって呼んでいる。ソンジャよぉ、ソンジャよぉ。わたしを呼んでいる。わたしは行かなくては、いますぐ行かなくては!
 胸に溢れてくる言葉にいつかどこかで耳にした記憶があった。それが二十年まえに兄が日本を去るとき残していった言葉であることに気づかないまま、彼女は憑かれたふうに立ち上がった。畳を踏みしめて右足を一歩運ぼうとしたとき、彼女の全身は木が傾(かし)ぐようによろめいた。
 北山が躍り上がって彼女の体を抱きとめた。星子は凄まじい力で、抱きしめた北山の体ごと引き擦って、ゆっくりと体を回転させはじめた。北山は戦慄を覚えて、足払いの恰好で彼女の体を畳のうえに横たえると、抱擁したまま彼女の全身から震えが消えるのを待った。
 星子は、かすかな薄明が射し込む意識の闇へ急激に沈んでいく。不思議な落下感だった。彼女を閉じこめていた檻の鉄格子がガラスの砕けるように飛び散って、全身が解き放されていくのを、彼女ははっきりと感じた。この軽さは何だろう? 足枷をはずされたように、ひとりでに体が回転する。彼女がそう思ったとき、意識の淵を閉ざしていた暗闇が溶けはじめて、一筋射し込んでいた薄明かりが帯状に何本にも裂けてひろがってきた。帯状の無数の光明は柔かな物体の変化のように、みるみるふくらみ、眩ゆい光の粒子を散りばめて、闇の領域を押しのけた。光の跳梁を頑迷に拒む灰色の一点を視界の片隅に残して、銀白色の世界が一面に開けたとき、彼女は叫んだ。海だ! わたしの体は海に向かって舞っている。眩ゆい光の粒子は、真昼の陽射しを浴びる海だった。海は、彼女の体を招きよせ、抱きよせる意志を隠しもせず、無辺な広がりで輝いている。抗(あらが)いがたい力に誘(いざな)われて何者かの意志に操られる旋回。それに全身をあずけたまま、彼女は不思議な感覚に把えられた。舞っている彼女自身を、彼女の眼が此岸から見つめている感覚。光の跳梁を拒んで灰色に翳(かげ)っていた片隅の残影が物の形をあらわしたのは、光の粒子を眩ゆく燦めかせる海を渡って、風がひと吹き視界を払ったときだった。残影は、寝そべっていた巨怪な動物が肢体を蠢かせるふうに変容して、海に向かって切り立つ懸崖の風景を現わした。懸崖の頂きに白くなびくものがある。目を欺くほどの純質な白さを翻えして旋回しながらなびくもの。哀号(アイゴー)! 星子は叫んだ。彼女の眼が意識の此岸から見ていたのは、懸崖の頂きで舞う純白のチマ・チョゴリを着た彼女自身の姿だった。眺める彼女の意識が舞い、懸崖の頂きで女の体が風を払って舞っている。舞いの姿態が狂おしさを増してきたとき、彼女の意識は杖(チャン)鼓(ゴ)と歌(ノレ)の荘重な響きを聞いた。チャンゴとノレの響きは海を渡って聞え、見えない村の広場(マダン)から聞こえ、懸崖の頂きで舞う女を煽(あお)り立てる。彼女が降りしきる花びらを感じたのは、そのときだった。色鮮やかな花びらは、懸崖の頂きで舞いつづける。女の純白のチマ・チョゴリのうえにも降りしきっている。哀号! 彼女はふたたび叫んだ。花びらではない、わたしの体が浴びているのは、花びらではない。無数の色鮮やかな切片がハングル文字であることに、彼女は気づいた。ハングル文字は鮮烈な色彩に染まって風に舞い、踊りくるうチマ・チョゴリの女の全身に降りかかった・・・・・・
 舞いくるい、踊り疲れ、ハングル文字の花びらに埋もれて倒れたとき、彼女は意識の向こう側の淵から帰った。
 彼女は現実の声を聞いた。
 ソンジャ、大丈夫か。
 星子が畳のうえに横たわっているあいだ彼女の体を温めるために自分の体を重ねて抱擁しつづけていた北山が、見開いた彼女の眼を覗き込むようにして訊ねた。
 なんでもないの、心配しないで。
 星子は平静な声で答え、眼に微笑を浮かべた。不意に襲った白昼夢のなかを駆け抜けてきたように、彼女の意識は擦過傷ひとつ残さず覚めていた。

 星子が工場で働く同僚たちに本名を名乗ったのは、韓国へ渡るため旅券申請などの手続きを済ませた日の翌日だった。
 従業員のほとんどが顔を揃える昼食時間に本名宣言をしようということは、昨夜から決心していたことである。煠(いた)められた油と焦げつくような調味料のにおいが入り混って、濃密な臭気が食堂に立ちこめている。作業服姿の従業員の数はそれほど多くもないのに、数卓の粗雑な木製テーブルに群れて食事をとっている情景は、犇(ひし)めき合っているような印象をあたえる。いっせいに口を動かし、飯や菜を噛みくだす音が、得体の知れない擦過音をつくって部屋に充満する。擦過音は濃密な臭気と奇妙な野合の仕方をして、目に見えない皮膜で食堂の空気を曇らせている。これから彼女が行おうとしている行為に対比して、それはあまりに辻褄の合わない異質な情景に思えた。
 私語を交す声が起こりはじめた。窓際の星子のいるテーブルでも、女たちの食事をとる擦過音が私語に変わり、私語はぶつかったり融合したりしながら騒めきに変わろうとしている。炊事場に近いテーブルに群がった男たちのあいだで奇矯な声がはじけた。囁き、嬌声、笑い声、呼ぶ声。あと三分ほども経てば、それら乱雑な声の断片が、餌にたかる魚の群れのようにひとかたまりの喧騒となり、生簀の網を破るみたいに食堂を出ていくはずだ。
 星子は食器に盛られたものを食べ終えると、椅子を引いて立ち上がった。彼女は声を張って、呼んだ。
 わたしのほんとうの名前を言います。わたしは花村星子じゃありません。これからはチォエ・ソンジャと呼んでください。わたしは、朝鮮人です。
 食堂に犇めき合っていた喧騒が急に低くなり、騒めきの尻尾だけを震わせて出口を探している。数秒と間を置かず、食堂に充満するにおいまで閉じ込めてくぐもっていくような沈黙が訪れた。沈黙はあっけなく破られた。死んでいたはずの喧騒は、それが擬態であったかのように甦り、いっそう乱雑な響きを発散させて食堂の出口へなだれはじめた。囁き、嬌声、笑い声、呼ぶ声・・・・・・ひとかたまりに群がったそれらの音は、彼女の言葉をいとも易易と飲みこんで、去っていった。
 その日、就業時間を終えると、星子は工場の門を出た。工場の塀沿いに行く道路の反対側は一メートルほどの側溝が流れていて、廃油の染(しみ)や木切れや鼠の死骸が浮かんでいる。汚れた側溝から立ちのぼる臭気を嗅いだとき、彼女は耳もとに囁く声を聞いた。彼女が更衣室で作業着を脱いでいたとき、隣のロッカーのまえで小勝負みつ子がストッキングを履いていた。みつ子はストッキングを伸ばす動作を中断して背を伸ばすと、星子の耳もとに息を吹きかけるように囁いた、
 なぜわざわざあんなことを言ったの? 花村さんが朝鮮人だってこと知らないひとなんて、この工場には一人もいないのに。
 小勝負みつ子の声は、そのときの彼女の表情をも星子の脳裡に思い出させた。ふたつの眼に険を走らせた真剣な表情に蔑みの翳りはなかった。星子がそこに読みとったのは、彼女たちの信じている調和された世界へ異質なものを持ち込もうとする者にたいするけなげな非難であった。
 翌日、出勤した星子が事務所の入口でタイム・カードを押していると、背後から男の声が呼んだ。人事を担当している事務員の坂上だった。坂上は眼鏡をはずしながらなれなれしげな笑いを浮かべて彼女に挨拶する。目もとには笑いを浮かべたままなのに唇のあたりが皺をよせて歪むのを、彼女は見た。
 花村さん、きのうのこと聞いたよ。会社はあんたが朝鮮のひとだってことを問題にしてはいないのだから、あれはまずかったね。工場の連中だってそれなりに気を使ってるんだから、わざわざ波風を立てることはない。それにあんたは日本に帰化した朝鮮のひとだからね、みんなも同じ日本人だと思って付き合っているんだよ。
 坂上が一語一語言葉を吐きだすたびに彼の口もとは歪んだ。口が歪むたびに目もとに浮かぶ笑いは消えていった。星子は、坂上の唇が唾液を垂らしながら奇態な恰好でめくれてくる錯覚を覚え、両肩をぶるッと身震いさせた。坂上が示している態度を彼女は予測しないではなかった。彼女の行為が招くだろう周囲の波紋はきっぱりと無視してかかるつもりでいた。それでも、坂上の歪む唇から吐かれた言葉は、彼女の感情を軋ませた。
 星子は両肩の震えを堪えて言った、
 わたしは同じ日本人ではありません。朝鮮人です。
 坂上のめくれた唇が垂れ下がったまま痙攣するのを彼女は見た。
 とにかく、会社にいるあいだは朝鮮の名前を使ってもらうわけにはいかない。会社の方針だからね。そのチォ、チォ・・・・・・なんとかという名前をどうしても使いたいというのなら、会社を辞めるほかないね。
 彼女自身にも思いがけぬほど険しい声がせり上がってきて、星子は坂上の言葉を払いのけた。
 わたしの名前はチォエ・ソンジャです。あなたたちがなんと呼ぶかは、日本人の問題ですから、勝手にしてください。でも、わたしはチォエ・ソンジャという名前の朝鮮人です。それだけは譲るわけにはいきません。・・・・・・会社を辞めるつもりもありません。
 彼女は言い終えると、事務所の奥から注がれている幾つもの目に背を向けた。事務所を出ると、足早に工場の建物へ向かった。そこには、呼ぶべき名前を見失って噤みつづける口たちが自分を待っているだろう。きょうからその無言の口にかこまれて働くことに耐えなくては・・・・・・彼女は心のうちで顎をしゃくり上げる仕種をした。
 その日から二週間ほどのあいだ、彼女は周囲の閉じつづける口たちに耐えて、工場での時間を過ごした。日本を離れる日も遠くはない――そんな思いが、星子の心から憂鬱な気分を払いのけた。
 彼女がパスポート(旅券)を入手したのは、手続きをしてから二週間後だった。旅券センターに寄ったあと、韓国領事館を訪ねた。ビザ(入国査証)を取るためである。十日後にもう一度来館しなさいというのが、領事館の指示だった。その日が来るのを待ちかねて、彼女は郵便貯金を下ろした。初めての渡韓以来十年の歳月が経っている。そのあいだ彼女は、質素なアパートに住み、テレビ、洗濯機だけでなく家具らしきものも一切買わず、衣服や食生活も禁欲して暮してきた。彼女は、父母が生まれ兄のいるくにに渡り、犬の子一匹頼るものもいない天涯孤独のその地で生きしのぐことになる日が必ず訪れると確信していた。金を蓄えておくことが、その日のために必要だった。
 彼女が入国査証を得るために韓国領事館を訪ねる日、梅雨の盛りの霖雨が降りしきっていた。地下鉄を降り、官庁街の大通りを外れると、ポプラ並木のつづく坂道があって、左手に灰白色の領事館の建物が見える。彼女は落葉が拾い忘れたように路面を汚している坂道を下りながら、思った。わたしはなぜ、北山さんに隠して渡韓の準備をすすめてきたのだろう。もし知ったなら、かれは異常な態度で引き止めようとするだろう。それを怖れて北山さんに隠してきたのだろうか――星子は心のなかで強く頭(かぶり)を振った。日本で生きたわたしは仮(かり)の存在だった。そのことを証明しなければならない。北山さんと共にした時間も、仮の時間だった。わたしは日本を発つとき、かれに置き手紙一本残すことはできない、別れの言葉のひとかけらも残してはだめだ。すべてが架空であったことを証明するために――そんな思いをめぐらしているとき、不意に内心の言葉が裂けて、彼女の感情は傾(かし)いだ。感情の裂け目から滲んでくるにおいがあった。青い樹液のにおいであることに気づいたとき、彼女はそれを払いのけようとして胸のうちで叫んだ。オッパー、約束を十年も違えてしまったけど、こんどこそくにで生きるの。あと何日も待たないでソンジャはオッパのいるくにの土を踏んでいるわ。
 星子が領事館の職員から思いもかけない言葉を伝えられたのは、それから三十分ほどのちだった。彼女を玄関脇の応接室に呼んだ職員は、彼女と同じくらいの年齢だった。かれの風貌には韓国人なのか日本人なのかを見分ける特徴がどこにもなかった。日本語の発音も母国の言葉をまるで知らない在日僑胞のそれのような印象を与えた。
 残念ですね、あなたにはビザを発行することができません。したがってわが国へ入国することもできません。
 領事館職員の規格通りに伝えようとする口調が、腥い感触で星子の胸を撫でた。十年まえのソウルでの体験と、それからのちの日本での行動の記憶が脳裏を掠めた。
 ビザの発行されない理由を教えてください。わたしのくになのに、なぜ入国できないのですか。
 彼女は、脳裏を掠めた記憶の欠片を吹き払うふうに訊ねた。
 理由を言う必要はないでしょう。あなたを入れるかどうかはわが国の裁量ですから。
 若い職員は冷静な態度を崩そうとしなかったが、かれの頬が血の気で染まっていくのを星子は見た。その変化はかれが恥らっている印象さえ与えたのに、灼けつくような感情が星子の胸に湧いた。彼女はその感情に打ちのめされた。憎悪? わたしの体を灼いているのは憎悪なのだろうか。なぜ・・・・・・同じ血を分け持つ人間なのに憎しみを覚えるの? 怯えが彼女を鷲摑みにしてくる。彼女の体が激しく震え、憎悪が涙に変わろうとしたときだった。不意打ちに背後から男の声が襲った。
 理由はおまえが一番よく知ってるだろう。
 いつのまに部屋に入ってきたのか、頑丈な体躯の長身の男が星子を見下ろしていた。男は口調をあらためて、さらに言った。
 きみを日本へ置いておくのは、われわれの温情だよ。くにへ行ったとして、きみを待っている運命はけっして朝日が昇るように美しいものではない。反国家的行動は・・・・・・
 星子は、男の言葉を聞き終えるまえに、身を翻して部屋を飛びだした。身悶えるような鼓動が彼女の胸を責めた。領事館を出てひと息ついたとき、男の言葉を最後まで聞かなかったことでどこかに残されている救いを求めるように、彼女は呟いた。
 わたしは憎みたくない。わたしの祖国を、くにの人間を、自分に憎ませてはいけない。

 四日後の夕方、星子が工場から帰ってアパートの部屋に入ると、それを待っていたように電話のベルが鳴った。彼女は受話器を取らなかった。工場の人事担当、坂上からの電話にちがいないと思ったからだ。つい三十分ほどまえ、彼女が終業時のタイム・カードを押していると、坂上が突然、茶色の給料袋を差し出しながら声をひそめて言った。花村さん、明日から工場へ出てこなくていいからね。会社の方針が、日本人以外のひとは雇わないことになったから。これ、今日までの給料。それに退職金も入ってる。賃金規則ではパートタイマーには退職金を払えないことになってるけど、あんたの場合は特別に支給されたの。
 星子は坂上の言葉を無視し、工場を辞めるつもりのないことを告げて帰ってきた。そのことでダメを押すために電話をかけてきたのだろう、と彼女は思った。
 鳴り止んだ電話が、五分と間を置かずにふたたび鳴った。執拗な響き方を繰り返している。電話の相手が工場の坂上だったら返事もせずに切ろうと思い、彼女は受話器を取った。受話器の向こうから聞える切迫した声は、北山のものだった。かれは、これから安江弁護士といっしょに部屋へ行く――それだけ言うと電話を切った。十分ほどで二人がアパートに現われたとき、北山の声がT駅の公衆電話からのものであったことを彼女は知った。
 北山と安江弁護士は、示し合せたように暗鬱な表情で彼女と向かい合った。
 法務大臣名で国籍喪失の通知が来たよ。
 北山の声はかすれた。
 日本国籍を離脱できる許可が下りたんですね。
 星子は声を弾ませた。事の進展のあまりの順調さが、彼女から懐疑心を奪った。北山が困惑した表情で安江弁護士の顔を見た。安江は一通の紙片を示しながら言った。
 日本国籍の喪失を許可するという通知ではありません――安江は北山の高ぶった様子とは対照的に沈着な口調でつづけた。日本国籍を喪失したという通告です。チォエさんは六月二十日以降、日本国籍を喪失しました。
 北山が悲痛な表情を浮かべて、安江弁護士の言葉を引きとった、
 いま現在ここにいるソンジャは、どこの国にも属さない無国籍者だということだよ。
 無国籍者? それがなんだろう――星子は心のうちで反撥した。反撥はこれまで彼女を捕えていた日本国籍に向けられるはずのものなのに、いま目のまえにいる北山に向いていくのを不思議に感じた。わたしはどこの国家に属さなくても、朝鮮民族なのよ――北山に向かってそれを言おうとしたとき、彼女の言葉は声になるまえに砕けた。無国籍者という言葉が不意に不吉な形相に変わって気持のなかに割り込んできて、彼女の確信を裂いた。
 ともかく早急に韓国籍の取得申請を出しましょう。朝鮮籍でもよいのですが、取得できる確率は韓国籍のほうが高いですからね。申請さえしておけば、無国籍ということで招く最悪の事態は避けられるかもしれません。時間を稼ぐこともできます。
 安江は独断的ともとれる言い方をした。かれがこちらの意向を確かめずに判断を下したのはめずらしいことだと思ったが、彼女は異を唱えなかった。
 安江弁護士には、担当している刑事事件の公判のため上京する予定があった。その日は明後日なのだが、これからT駅から新幹線に乗って上京し、明日、法務省を訪ねましょう――かれはそう約束して、一刻を惜しむように星子のアパートを去った。
 弁護士さんもたいへんね。
 星子は、安江弁護士が提げていた、はちきれそうにふくらむ大きな革鞄を思い浮かべて、言った。部屋にこもって増殖しかけている重苦しい空気を払うつもりもあった。
 法務省のねらいは何んだろう?
 北山は彼女の言葉を無視して呟いた。星子はかれの不安げな視線を避けて、窓を開くために立った。
 安江さんにも訊ねてみたが、解らないと言う。どう考えても不自然だよ。日本国籍喪失の許可を申請してまだ一か月しか経っていない。それなのに、すんなりと許可通知が来た。いや、あなたは日本国籍を喪失しましたという決定通知だ。ソンジャは変だと思わないのか? 
 北山は難詰する口調になった。かれの言葉は、星子の胸の柔かい部分を撃(う)った。北山さんは屈託なく装うわたしの外見に瞞されて苛立っている、と彼女は思う。北山の苛立ちが、彼女に寄せる情感の強さを響かせてくる。北山さんにはほんとうのことを伝えなくては・・・・・・彼女は北山のほうへ誘われるように溢れていく感情を自分のなかに感じた。
 わたし、韓国へ渡る準備をしているの。早くすれば六月ちゅうにも日本を離れるつもりだった。ところが、韓国領事館はビザを出さないと言うの。北山さん、わかる? わたしのくになのに、そこへ行くことを拒まれたの。でも、挫けない自信があった。百万回足を運んでも、入国許可を下ろさせるつもりでいた。
 彼女は打ち明けながら、攀(よ)じ登ることのできない嶮岨な崖に四囲を取り囲まれている実感に襲われた。くにから拒絶され、日本の国籍を失い、工場からも追放されようとしている。
 彼女は北山に救いを求めようとしている自分に気づいて、愕然とした。
 北山は言葉を失ったふうに彼女の顔を凝視していた。その視線がぶれて、かれの眼に赤い血の色が滲んでくるのを彼女は見た。突然、北山の上半身ががくッと前方に崩れた。かれは両手を畳について、体を支えた。目のまえの彼女に詫びているようなその姿勢のまま、北山は身動きしなかった。かれのほうへ誘われるように溢れていた感情が堰を切るのを、星子は覚えた。溢れ出た彼女のものが分厚い皮膜になる。皮膜はさらに波(なみ)状にうねってふくらみ、北山の体をつつむ。
 星子は北山と出会って初めて、彼女のほうからかれを求めた。悲しみの翳(かげ)をとどめたまま焔をたぎらせてくる激情を、彼女は体ごと北山に投げ入れた。北山の体がうねった。星子は彼女の四肢のうねりをそれに重ねた。海にむかった懸崖の頂きで踊りくるう女。真っ白いチマ・チョゴリが、燦めく風に翻って舞う。彼女は降りそそぐ黄や朱や紫の花びらを全身に浴びながら、北山のなかへ溶け込んでいく。ゆっくりと落下していく意識の淵で、彼女はそれを感じた。

 翌日、星子は工場へは行かず、北山も彼女の部屋にとどまって、安江弁護士の連絡が入るのを待った。北山が夜間警備の仕事に行くためアパートを出なければならない午後三時頃になっても、安江弁護士からの電話は鳴らなかった。北山が去った部屋で星子は安江弁護士からの報告を待ちつづけたが、深夜までそれは来なかった。熟睡できず不透明に過ぎていく時間と向かいあったまま、彼女は朝を迎えた。朝食もとらずに部屋を出た。
 星子が工場に着いたとき、坂上と数人の男の従業員が彼女を待ちかまえるように門の外に立っていた。出勤してくる従業員が肩をすぼめて通りすぎなければならないほどの並び方で、坂上たちは門のまえを塞いでいる。星子の姿を見ると、かれらは動き出し、路上で彼女を取り囲んだ。
 きのう、花村さんが出勤してくれるのを首を長くして待っていたんですよ。
 坂上は、それが癖の眼鏡を外しかける仕種をしながら行った。工場へは来るなという二日まえの言葉とは辻褄の合わない坂上の態度に、星子は不吉なものを予感した。朝の日射しに反射して眼鏡の奥で奇妙な光りかたをする坂上の眼に、皮肉な笑いが掠めるのを彼女は見た。
 じつは更衣室のロッカーで盗難事件がありまして――坂上は言いながら、彼女から視線を逸した。おとといの就業時間のあと、花村さんと隣り合せのロッカーで。ほら、小勝負君のロッカーね。その日、彼女は家へ帰ってからロッカーに財布を忘れてきたことに気づいた。財布に入っていたのはたいした金ではなかったので、わざわざ工場へは戻らなかった。翌朝、つまり昨日の朝ね、出勤してみると、財布はあるのに金は消えていたというわけ。おととい彼女が更衣室を出るとき、花村さんはまだロッカーのまえで着替えていたそうですね。いや、小勝負君があんたを疑っているというんじゃないよ。まさか花村さんみたいに真面目一筋のひとが他人のものを盗(と)るなんて。彼女はそう言って弁護しているんですよ。
 星子は険しい光を眼にためて、坂上の顔を見つめた。かれは彼女の顔から視線を逸しつづけている。星子の眼はゆっくりと旋回して、取り囲んだ従業員を一人一人眺めた。望みもしない役割に狩り出されているのだろう、かれらの表情には困惑の影がへばりついている。
 坂上が話をつづけようとしたとき、聡子の脳裡を疑念が切っ先をきらめかせて走った。罠・・・・・・脈絡もなく、実証もなかったが、彼女は確信めいた気持でそう思った。小勝負さんの財布から金を抜き取ったのは坂上にちがいない。ロッカーのマスター・キイを管理しているのは、人事担当の坂上だ。あぁ、会社はこんなふうにしてわたしを追いつめるつもりなのか。
 きのう早速、警察に来てもらいましてね――坂上が準備していたセリフを話すふうにつづけた。一応、従業員全員の指紋を採ってもらいました。小勝負さんのロッカーや財布についている指紋とみんなの指紋を照合するためです。花村さんの指紋も、これから警察へ行って採ってもらいますからね。あッ、誤解しないで、あんたを犯人と疑ってそうするのじゃないから。ロッカーや財布についている指紋はあんたの指紋とは違う、そう、花村さんが犯人ではないってことを証明するために指紋を採らせてもらうんだから。
 わたしの指紋は採らせません。警察へも行きません。
 星子は風を巻き起こすような語調で、坂上の言葉を払い落とした。このまま工場を辞めることになってもいい。坂上の意のままに動けば、そんな敗北よりももっと大きな罠に屈服してしまうことになる。彼女は咄嗟にそう思った。
 指紋を採らせなきゃ、あんたが犯人だってこと証明するようなもんだ――坂上が声を荒げた。
 星子は激しい動作で坂上の言葉に背を向けた。その瞬間、叫びに似た声が彼女の口をついて出た。
 坂上さんの指紋は採ったの?
 もっとも手袋もはめずにそれをするようなへまはしないでしょうけどね、星子はそう付け加えようとしてやめた。
 彼女が坂上の返事も聞かずに去ろうとしたとき、取り囲んだ男たちがあとを追おうとして、萎れるような動作でそれを止めた。
 星子は、背後から視線だけで追ってくる気配を感じ、芥(あくた)の浮かぶ側溝沿いの道を小走りに歩いた。かれらから逃げて行くという感覚はなかった。
 わたしはチョソンサラムの婦(おんな)、イルボネ チャンビョク(日本の障壁)に負けたりはしない。
 彼女は心のなかで唇を結び、顔を立てた。
 三人の見知らぬ男が彼女の部屋を訪ねてきたのは、その日の午後四時すこしまえだった。ノックの音に彼女が扉を半開きにして外を窺うと、扉はそのまま凄まじい力で外側に開け放され、男たちは土足で踏み込む勢いで部屋へ入ってきた。
 崔(サイ)星子(ホシコ)さんですね。入管局の者です。あなたに収容令書が出ました。
 三人のうち年輩の地味な紺色の背広を着た男が、出口を塞ぐふうに扉の内側に立って、一枚の書状を示した。他の二人の男、警務官ふうの制服を着た青年が、そのあいだに靴を脱いで部屋に上がり、彼女の背後を警戒する位置に立った。
 なぜですか? わたしをどこへ退去させようというのですか?
 星子の唇が震えた。彼女は口調がもつれないように、自分を励まして訊ねた。
 たぶん、大韓民国ということになるでしょう。
 紺色の背広を着た男はあいまいに答えたが、なぜですかという彼女の質問は無視した。男のそんな対応が、事前の出頭命令も事情説明もなく退去強制の収容令書を突きつけてきた法務省の手のうちを示していると、彼女は思った。
 韓国・・・・・・
 日本政府は韓国領事館さえ入国を拒んでいるわたしをくにへ帰してくれるというの。彼女は皮肉な気持で思った。
 急なことで恐縮ですが、必要なものをまとめて一緒に来てください。あとのことは弁護士に依頼すればいいでしょう。
 紺色の背広を着た男は、慇懃な態度を崩さなかった。
 四十分後、星子は三人の男に伴われ、旅行鞄とショルダー・バッグを持って部屋を出た。男たちが部屋へ踏み込んできてからそのときまで、彼女は平静な気持を失わなかった。わたしがアパートを去ったあとのことは、北山さんに連絡して、部屋に残ったものを処理してもらい、工場から今月分の給料を受けとって家賃も払ってもらい、・・・・・・努めて事務的にそんなことを思いめぐらしながら、荷物をまとめた。
 彼女の脳裡に白日夢みたいな海の光景が湧きだしてきたのは、部屋を出て、道路に通じる軽鉄骨の階段を下りようとしたときだった。海の光景が肉眼でそれを眺めているような確かさで視界をおおってきたとき、彼女は一瞬、目眩を覚えて立ち止った。
 夜なのか真昼なのかはっきりしない海は、水平線を消して彼女の行く手をおおってくる。動物の背中に似た波のうねりだけが激しく押し寄せてき、海の向こうにある世界を暗示している。波は闇を飲んでうねるのに、異様な明るさが海底から湧き出して波面に光の粒子を散らしている。暗黒と光明が抗争を繰り返しているような海。そこが夜なのか真昼なのか見分けられないままに、彼女は口を開いた。そして叫んだ。オッパー、オッパー・・・・・・海の涯てに向かって呼ぶ女の声を彼女は確かに聞いた。闇と光をからませてうねる海を、女の呼び声は鋭角な響きを尖らせて渡っていく。波間を真っ二つに裂いて渡っていくその響きに誘われて、彼女は思った。わたしの体が入っていく。闇と光の海へ、わたしの体が入っていく。わたしの体よ、向こう側の世界へ渡るまで溶けないでいてほしい。
 さぁ、行きましょう。
 紺色の背広を着た男が、星子の肩に手を添えていった。








   「読む会」の愉しみ

 在日朝鮮人作家を読む会は月一回、日曜日の午後に名古屋YWCAで例会を開いています。
 テキストを決めてレポーターが報告し、あとはみんなで討論をします。なんとなく固苦しげですが、朝鮮人と日本人がざっくばらんに付き合い、ときにはテキストの内容をはなれて話題がひろがったり、脱線したりもして、おたがいを深めあうふだん着の会です。自分が変わっていくことの発見もあり、愉しい場です。ときには外へも出ます。去年は大阪の青丘文化ホールと猪飼野を訪ね、生野民族文化祭も観に行きました。
 二次会も捨てがたい愉しみです。会のあと欠かさず焼肉の店へ行きます。真露、日本の焼酎、ビールを好きずきに飲み、テッチャンを頬ばり、キムチを噛み、クッパプやビビンパプで腹ごしらえしながら、カンカンガクガクと言葉が飛び交い、笑いがはじけ、まじめな人にはハングルの勉強にもなります。
 名古屋周辺の在住者だけでなく、奈良、京都、石川県から参加する人もいます。あなたも一度、気軽に顔を出してみませんか。




     葉 か げ

          劉(ユ) 竜(ヨン) 子(ヂャ)


 夕暮れの街にあふれる車の喧騒と人波を押し分け、淑子は、都心の目抜き通りにあるMデパートに急いだ。
 閉店間際の買物客で、玄関広場は混み合っている。通りを隔てた交差点の、青信号に変った横断歩道を、淑子は白のブラウスの肩先に切り揃えた髪をなびかせ、ジーンズの歩幅もまどろこしく、足速に渡った。
 人待ち顔のOLや、流行のファッションを競う若者たちにまぎれ、所在なげに佇む母を淑子は目ざとく探し当てた。遠くを見つめる心もとない視線をとらえるように、軽く手を振った。
 ひっつめの襟足に小さく髷を結う髪形が、下脹れの頬の輪郭に似合い、ベージュのスーツに身を包む母は、実際の年齢よりも若やいでいる。
 思いなしか翳りをおびた母の表情に、微笑がひろがり、走り寄る淑子にゆっくりと頷づき返した。
「待たせた?」
「大丈夫よ。ほんの少し前に来たところなの」
 買物客でごった返す慌しい往来を避け、市民広場につづく散歩道に、母を促した。
「どの位い、居られるの?」
「明日、どうでも帰らないといけないの。あなたに話しておきたいことがあるものだから、呼びつけたりして悪かったわね」
「そんなこと・・・・・・」
 淑子は水臭いと言わんばかりに、母を睨みつけるようにした。
「家の方は大丈夫なの?」
 ためらいがちに、母は訊いた。
「大丈夫。遅くなるって電話したから」
「知らないんでしょう? わたしと会ってることは」
 母のいらぬ心配を、淑子はもどかしく思った。
「当然でしょう? アボジには口が裂けても言えないもの」
 淑子の語気に、母は困惑の表情を浮べた。一瞬の気詰りに、淑子は五月の宵風に頬をさらし、風にそよぐ柳の葉先を指でなぞった。
 市民広場につづく散歩道の植込みに、紅白とり乱れて、つつじが咲きこぼれている。今しがた灯の入ったライトの照明をうけて、木々の新緑が一際鮮やかに萌えている。そぞろ歩きの若い男女の肩に、木洩れ灯がはじらうように揺れていた。
「ふたりで歩くのはじめてね。母娘と知れるかしら?」
「どうかしらね」
 満更でもないと、ゆったりとした物腰で母は微笑った。母の息づかいが身近に伝わる。淑子は、叔母の取り成しがなかったらと、チクチク刺してくる胸の疼きを押えかねた。
 照明を求め群れをなす錦鯉が、勢いあまって水面に撥ねた。立てた水音に驚き、一斉に姿をかくした。とり残された波紋が、池面を渡る風に、さざ波を立てて消えた。
「あんなところに泳いでる」
「どこ?」
「ほらっ」
 暗がりに悠々と群れ泳ぐ錦鯉に、指差す淑子の声が、幼児のように弾んだ。見合せた母のやわらかな目差しに、淑子は気負されたように身を翻した。
 池の築山からつづく緩やかな勾配を駆け降り、散歩道の石畳をひとつ置きに踏みしめ、後を追う母の歩調にゆっくりと合せた。
「話があるって・・・・・・。籍のこと?」
 淑子はくるりと踵を返した。後手に下げたショルダーバックが、ジーンズの膝裏辺りで左右に揺れた。
「そう・・・・・・。知ってたの?」
 意表を突かれた母は、石畳の上に立ちつくした。
「あの人、弁護士なの?」
「あの人?」
「いつだったか、アボジの所に来てたわ」
「・・・・・・」
「その時、はじめて籍のこと知ったの。そんなのもういらないから、印鑑でも何んでも押してやれって、アボジに言ってやったわ」
 母は唇を噛むと、深い嘆息を洩らした。
「とことん私を苦しめるつもりなのよ」
 母はひとりごちるように呟いた。淑子は靴の爪先に、言葉もなく視線を落した。

 煩雑な事務に取りまぎれ、遅い昼食を済ませて席に戻ると、同時に電話のベルが鳴った。
 聞き慣れぬ若い女性の声にいぶかると、電話の向こうで母が替った。折り入って話があると、ためらいがちに受話器を伝う声には、どこか有無を言わせぬ切実さがあった。会社の引ける五時にMデパートの玄関前で待ち合すことにして、電話は手短かに切れた。
 話の内容には触れなかったが、離婚後そのままにしてある籍のことだと淑子は直感した。
 いつだったか、使い古した鞄を大切に小脇にかかえた初老の男が、父を訪ねてきたことがある。居合せた淑子は怪訝に思い、そっと様子を窺った。
 居丈高に構える父を前に、一枚の書類がひろげられた。抑揚を抑えた静かな口調で事務的に読みあげる声が、突然父の一喝にさえぎられた。取りつく島もなく初老の男は、激昂する父の罵声を浴びて、追い返されていった。母からの依頼人と知り、淑子ははじめて事情を呑みこんだ。
「知らなかった。今だにアボジの奥さんってわけ」
 淑子の言葉をうさん臭く聞き流す父は、椅子にふんぞり、あらぬ彼方を見据えていた。
「もう私たちとは関係のない人なんでしょう? 籍を抜いてくれと言ってるんだから、印鑑でも何んでも押してやればいいのよ!」
 もどかしく言い立てる言葉尻が、父の怒声にかき消された。淑子はその場に釘づけに射すくめられた。
「お前たちの知らんことだ」
「だけど、おかしいじゃない。何年も前に出てった人の籍があるなんて」
「二度と、あの女のことは口にするな」
 納得のいかぬ父の怒りに反撥して、淑子は言葉を返した。父は、淑子の口を封じるように言った。
「あの女が何を言って来てるのか、知っとるのか。籍を抜かずにおったのは、お前たちが可哀想だとぬかしておるんだ」
 椅子を蹴り、仁王立ちに立ちはだかる父は、握りしめた拳を怒りに震わせ、誰に言うともなく吐き捨てるように言った。
「勝手に出ていったものが! 勝手に籍でも何んでも持って失せればいいんだ」
 一度も見せたことのない、父の激しさに、淑子は息を呑んだ。
 両親の離婚後の処理が十数年を経た今になっても、複雑な感情のもつれに頑固なしこりを残していた。父は子供との生活の中に、そのことを噯にも洩らさなかった。突然の霹靂のように事情を知った淑子は、父との生活の中の面倒で憂鬱な波紋が投げ込まれたことに、虚しさと憤りを覚えた。
 今更、両親のどちら側にも加担する気はないが、父の真意を計りかね、一枚の紙切れに縛りつけている母への仕打ちに、淑子は背筋の凍る思いをどうしようもなく、その場に立ちすくんだ。
 淑子の胸に蟠りを残した母の籍のことは、頑な父の胸に鎖され、協議されぬままに、日々の生活に追われていった。
 そんなある日、淑子は妹の景子と連れ立って、母方の叔母を訪ねた。両親の離婚後も叔母は、父に知れぬよう、淑子たち姉妹に何かと気を掛けてくれた。叔母の口からそれとなく聞き知る母の消息に、淑子は淋しさをまぎらせ、どんなにか慰めていた。
 その日、いつもと変らずふたりを迎えた叔母は、夕方には母がやって来ると、唐突に告げた。淑子は叔母の言葉に耳を疑い、妹の景子と顔を見合せていた。
 思いもよらず、待ち望んだ母との再会の日を迎え、突きあげてくる胸の昂りに、淑子は何度も深呼吸を繰り返した。喉の渇きに、出涸しのお茶を注ぎたした。胸の息苦しさと渇きは、増すばかりだった。妹の景子はと見ると、神妙な面持ちで、いつもの軽口がすっかり影をひそめている。
 叔母はふたりの様子に何かと気使うが、叔母とても平心を装えず、ガスコンロに掛けた薬鑵の湯を滾らせたまま、流しの棚や茶箪笥をひっくり返して、到来物の蒸し羊羹を探し廻った。
 叔母の平静を保てぬ慌て様に、尻切れとんぼに弾ぜた、妙に落ち着かぬ笑いは、夕間暮れの電燈の灯るアパートの一室に、緊張の度合いを一層濃くしていった。
 ドアが、小さくノックされた。
 見合わせた顔が、それぞれの思いに強張る。ノックの音に憑かれたように、叔母は座を蹴って立っていった。淑子は逃げ出したい衝動に駆られ、どうしようもなく腰を浮かせた。卓袱台に並び座る景子も同じ思いでいるのを確かめ、観念するように、膝を正し、叱られた子供のように項垂れ、身を固くした。
 母は叔母に促され、待ちうける淑子たちの前に現われた。道々を泣き腫らしてきた母は、卓袱台の向こうに泣き崩れ、両掌で顔を被い、うち伏し詫びを乞うている。堪らずに景子の嗚咽が洩れ聞こえ、連られて目頭を押える叔母が、そっと台所に立っていった。
 現実とは思えぬ目前の光景に、淑子は狼狽にも似た衝動にとらわれ、泣き伏す母を放心したように凝視する。
 ある日突然、幼い子供たちの前から消えるように去っていった母が、いま自責の念に身悶え、とり乱して泣き崩れている。
 思い描いた母の姿は、一瞬の間にかき消えていった。
 泣き腫らす切れ長の目、嗚咽を洩らす唇、泣き崩れた頬、項に張りつくほつれ髪、わななきに震える握りしめた手指、爪の形までも、かき消された母の姿を取り戻すように、淑子の目が執拗に追う。
 過ぎた歳月が、コマ送りの映像を見るように淑子の脳裡をかすめていった。思いの丈を声にできぬもどかしさに、胸を焦がす熱い疼きが喉を締めあげ、鼻から眉間へツーンと突き抜けていった。

 市民広場の人影はまばらに絶え、片隅のベンチに寄り添う恋人たちの尽きない語らいに、いつの間にか宵闇が押し寄せていた。
「夕食、まだなんでしょう?」
覗き込む母の目に、淑子は頷づいた。
「立ち話もなんだから、どこか静かな処で食事でも」
 母に促されて、新緑の木立ちにおおわれた庭園を抜けると、街の活気と騒めきに包まれた。ヘッド・ライトとテールランプの赤と黄色に、対向車線を分ける車の洪水がビルの谷間を流れていく。イルミネーションの点滅と街の喧騒が、夜の闇に吸い込まれていった。ほろ酔い加減の数人の男連れが、梯子酒の算段に奇声をあげ、母と淑子の間を分け入るように行き過ぎていった。舗道の片端に身を寄せて遣り過し、淑子は数歩先に待ちうける母の側に歩み寄った。肩をすぼめて顔を見合わせた母と、盛り場の往来を抜け、閑静な裏路地に足を向けた。季節料理の看板を掲げる瀟洒な店構えの食事処を見つけ、のれんをくぐった。
 揃いの絣の着物に朱帯を胸高に結ぶ仲居が、小座敷へ案内してくれた。四畳ほどの広さに形ばかりの板床が敷かれ、季節の切り花が素焼きの壺に活けてあった。
 和風造りの小座敷に淑子はどこかそぐわず、ジーンズの膝を窮屈に折って母と向き合った。スーツの上衣を脱ぎ寛ぐ母は、天井や壁に目を這わす淑子に、品書を手に取りひろげて見せた。注文を取りにきた仲居に、母は慣れた様子で料理を告げ、ビールも一本追加した。
 母とふたりきりで向き合うのは、はじめてのことだった。緊張とある種の照れ臭さに、淑子は腰が落ち着かなかった。ショルダーバックから煙草ケースを取り出し、母に断わるふうにかざして見せ、火を点けた。
「まあっ、いつから喫ってるの?」
 母は目を丸くした。淑子は時々喫いつけていると、上目使いに母を見て言った。
「あなたの・・・・・・アボジは知ってるの?」
 母は、アボジと言い難そうに言葉尻を濁して言った。淑子はとんでもないと、頭を振り否定した。父に知れようものなら足の一本も折られかねないと、慌てて首をすくめ、苦笑にまぎらせた。
 母は、とがめるように淑子を睨みつけ、所望した煙草に馴れぬ仕草で火を点けた。立てつづけに吹かした煙草の烟にむせて、咳き込んだ拍子に、ツーと目尻を指でなぞった。淑子は母を泣かせたと思った。
 仲居が配膳を整え、下がっていった。母が注ぐビールのコップを目の位置にかざし、淑子は照れかくしに「乾杯」と声にして言った。
「話しておきたいことって、何だったの」
 言いだしかね躊躇する母に、淑子は促し言った。母は深く息をととのえ、改まった口調で言った。
「あなたに確かめておきたいのよ。用件はもう察してると思うけど、籍のことでね、今度は正式に調停にかけるつもりなの」
 心もち眉をしかめ、言葉を選ぶ母の、しきりと目ばたく切れ長の目と、ふくよかな頬の辺りが、妹の景子に似てると淑子は思った。泡の消えたビールのコップを手に、母の言葉に耳を傾けた。
「調停にかけるとなると、あなたたちにも迷惑をかけると思うのよ。そんなことになっても、勝手なお願いのようだけど、今までのように時々会って欲しいのよ」
 母は追い込まれていた。籍を抜くことで、子供たちとの関係がこじれることを懸念していた。淑子はなぜかもどかしく苛立った。
「迷惑?」
 母は言葉不足にためらい、補うように言った。
「裁判所に呼び出しとか、それにお金も使うことになるだろうし・・・・・・」
 調停に持ち込む段になって、気を病み逡巡する母に、淑子はもどかしく焦れた。
「迷惑とかお金だとか、そんなこと関係のないことだわ」
 苛立つ語気に、母は困惑の表情を浮べた。
「わたしなら、とっくに籍を抜いてる!」
 淑子は苛立ちを持てあまし、煙草に火を点けた。母は戸惑いに目を伏せて、顔をそむけた。照明に翳る睫毛が小刻みに震えた。
「無理よ・・・・・・。何度も掛けあったわ。そのうちに、どうでも良くなっていったのよ」
 母の目に涙がにじんだ。淑子はそ知らぬ振りで、灰皿に煙草を揉み消した。母は苦笑にまぎらせハンカチで目頭を拭い、手付かずの料理を勧めた。淑子は料理に箸をつけた。やけに山葵が鼻を抜けた。
「愚問かも知れないけど、別れた理由は何んだったの?」
 淑子は、離婚の原因を一度は訊いてみようと思っていた。母は喉につかえた料理をビールで流し、探るように淑子に目を向けて言った。
「あなたの・・・・・・アボジは何んて言ってるの?」
「アボジは何も言わない人なの。ただ・・・・・・」
「ただ?」
 母は不安顔に、先を促した。
「廻りから色んなこと聞かされたわ」
「色んなこと? どうせひどい中傷なんでしょうけど」
「でも、そうじゃないって言い聞かせてきたわ」
 母は眉をしかめ、顔を歪めた。淑子は母への誹謗の言葉を呑み込んでいた。
 父の身内の大人たちは、残された子供たちへの不憫を、母を誹謗することで慰めた。淑子は否定した。卑屈に歪む目で大人たちを睨み返した昔を、暗い気持で思い浮べていた。押し黙る淑子に、母は堪らず言った。
「あなたたちを捨てたのじゃないのよ。そうするしかなかったのよ」
 切ない叫びが、淑子の耳に谺のように鳴った。
「どんなにしても、あなたたちを連れて行けなかったのよ。女ひとり生きてゆけない時代だったもの・・・・・・」
 今更何を言ったとしても、弁解にしかならないと、母は苦しげに自嘲を洩らして言った。
 淑子は、母に捨てられたと思いたくなかった。心ない大人たちの誹謗の言葉に耳をふさぎ、違うと言い聞かせてきた。酬われた思いが、熱く胸を締めあげてきた。
 母は言葉を継いだ。額に当てた白い指が震えている。
「あなたを産んだのは、十九歳よ」
 淑子は身を乗り出し、耳を澄ませた。
「終戦の混乱の中で、生活は貧しく悲惨だった。国が独立したといって、父が・・・・・・」
 淑子は頷づいた。記憶に残る祖父は、白髪にサングラスをかけ、肘掛け椅子に威厳を保っていた。跳びはねる孫たちに、サングラスの奥の目はいつも優しかった。
 母は遠い記憶を辿り、言葉をつづけた。
「父は家財道具を売り払い、混乱の中を家族を引き連れ、国へ帰ろうとしたの。どういう訳か、途中までしか行けなくて、駅の闇市にその日暮しを重ねた。国へ帰るということが、日本で生まれたわたしには、想像もつかないほど怖かったの。このまま日本に留まることを望んだ。そのために父を説きふせ、女学校に行かせてもらった。女学校から戻ると父に呼ばれて、顔も知らない人と無理矢理に結婚させられたの。父の言葉は絶対だった」
 淑子は胸が詰された。どこか救いを求めて言った。
「でも当時は、皆そんな風にして結婚してるのでしょう」
「そうね。わたしだけが特別なこととは思わない。でも耐えていけなかった。」
 母は新参の嫁として、苦渋をなめた当時を振り返り言った。
 部落のほとんどが父の姻戚でかためる中に、母は嫁していった。貧しい暮しにも厳然とある家父長制の中で、一段低く押えられた女たちの中に、女学校出の新参の嫁と、好奇の目で迎えられた。が、女たちの実権を握る祖母の目に気に入らず、鼻持ちならぬ嫁と、事あるごとに満座の車座の中に引き出され、聞くに耐えぬ誹謗の声に詰じられたと、母は当時の思いに身を震わせ眉をひそめた。
 幼い頃の両親の生活ぶりに、淑子は子供心にも異質なものを嗅ぎとっていた。
 九歳の少年だった父は、故郷をあとに家族と日本へ渡ってきた。父は未だに朝鮮語訛の日本語を話し、所かまわず手鼻をかみ、経済的と笑い飛ばしていた。朝鮮人の体臭を存分に撒き散らす父の、どこか粗野で疏忽な振舞いを、淑子はなぜか疎ましく思った。父のそうした振舞いに眉をしかめる母は、朝鮮的な匂いを取り去り、日本風の生活を日常に取り入れていった。時折り和服に装う母の、若く美しい姿に、廻りのオモニたちと比べ、淑子は得意で自慢でもあった。
 ある日のこと、父の同郷の崔本のアジェが訪ねてきた。半町も離れた表通りの向こうから、父の名を大声に呼ばわり、久方振りの来訪だった。親友の呼ばわりに呼応して、相好を崩す父は、ありったけの罵りと悪態をつき、それが朝鮮式の親友への挨拶と、家内を飛び出さんばかりに歓迎した。故郷での思い出話に打ち興じる崔本のアジェの、陽気な高笑いに、子供たちは父の背中に取り縋り、小躍りしてはしゃぎ廻った。
 親友を迎えた父の、愉し気な様子にも、母はどこかよそよそしかった。振舞い酒の仕草にも、なぜか億劫気で、はしゃぎ廻る子供たちをいつになく叱りつけた。普段の母に似つかぬ棘のある叱責に、すごすご後退る淑子の目に、突っけんどんな母の姿が奇異に映った。
 それから暫く過ぎた、ある日のこと、小学校の授業を終え家に戻ると、めずらしく昼間から酒を浴びた父の姿があった。酒に酔いしれる父を遠巻きに、幼い弟妹が怯え肩を寄せ合っていた。母の姿はどこにもなかった。
 正体もなく酒に溺れた父は、子供たちを無理矢理タクシーに乗せた。只ならぬ父の様相に、淑子は幼い弟妹と声もなく押し黙り、疾走するタクシーの後部席で不安におののいた。
 子供たちを玄関先に迎えた、母の実家の祖母は、Uターンするタクシーを呼び止め、父の元へ送り返した。無言の祖母の一べつに、母の実家は寄方でないことを肌に知った。
 淑子の空のコップに、母は残り少ないビールの中味を確認しながら注いだ。もう一本? と、空の瓶を手に小首を傾げて母は訊いた。淑子は首を横に振り、母が飲むのであればと頷づいた。母もあまり進まない様子で、空の瓶を卓の隅に置いた。
「うまくいってる? 今の人と・・・・・・」
 母が再婚していることは、叔母から聞き知っていた。母は少し驚いた様子で、言い訳するつもりはないと前置して、生きていくには仕方がなかったと、深い吐息まじりに言った。
「仕方がなくて、一緒に生活しているの?」
 母は苦笑にまぎらせ、自嘲を込めて言った。
「どんなに頑張ってみたところで、ろくな仕事に有りつけないのよ。日本人に成り済ますしかなかったのよ」
 朝鮮人である身をひた隠しに、頼る人とてない日本の社会を身を削る思いで生きてきた母の再婚を、こだわり責めるつもりはなかった。
「今だに同棲なわけね?」
 同棲という言葉の響きに戸惑う母は、ままならぬ父との離婚の問題をかかえて、そういうことになると、どこか投げやりに顔を曇らせた。
「籍が抜けたら、日本人になるの?」
「・・・・・・」
 帰化する予感に、淑子は一沫の淋しさを覚えた。涙にうるむ目を天井に這わせ、母は絞り出す嘆息とともに、呟いた。
「疲れたのよ・・・・・・日本人の振りをして生きてゆくのに」
 眉間に刻む深い皺が、苦悩と諦らめにひきつるように歪んだ。
 天井から下がる鈍い照明に、項垂れる母の下脹れの頬の辺りが、やせたように翳った。ひっつめに結う髪の生え際辺りに、白い筋が照明の加減で浮き立つように光った。
「わたし、日本人を好きになったことがあるの」
 板金塗装の下請け工場で油にまみれる一郎の、節くれたがっしりと大きな掌を、淑子は思い浮べていた。
「そのうちに、一郎の子供ができたわ」
 つづける淑子の言葉に、母は驚きの目差しで淑子を見つめた。
「わたし・・・・・・一郎の子供を生めなかった」
「反対されたのね」
 母は、激昂する父の反対を押し計るように言った。
「そうじゃないわ! アボジは何も知らないのよ」
 一郎の電話に呼び出され、夜遅く帰る淑子に、父はそれとなく一郎の存在を察していたのかも知れなかった。
「はじめから結婚なんて、考えもしなかったわ」
 一郎との出会いは、午後から降り出した雨の夕方だった。乗り遅れたバスを見送り、傘もなく雨に濡れる淑子の前に、一台の乗用車が停車した。助手席のドアを開けた一郎の、白い歯を見せる笑顔に、淑子は吸い込まれるように助手席に座っていた。名前を訊ねる一郎に、木村淑子と告げた。その日から淑子は、待ち焦がれた。
 躯の変調に妊娠を知った淑子は、一郎に妊娠を告げ、大きな掌に「李淑姫」と指でなぞり、朝鮮人だと言った。一郎は、お姫さまと、覗き込むようにして淑子の目に笑った。
 油の匂いが染みつく一郎の腕に、淑子は頭を持たせ、映し出されるテレビのボクシング中継に夢中になっていった。日本と韓国の対戦だった。どっちを応援すると一郎が訊いた。もちろん韓国と淑子は言った。一郎は怪訝に、韓国と朝鮮とどう違う? と淑子に訊いた。韓国も朝鮮も同じと、淑子は笑って言った。対戦は日本側の判定勝ちに終った。リングを去る韓国選手のフットワークを誉め、足を使うジャブはきっと物になると一郎が言った。覗き込む一郎の澄んだ目の色に、淑子は一郎のはだけた胸に顔を埋めた。
 淑子は一郎と重ねた短かった日々を、遠い昔のことのように思い返していた。
「わたしね、お腹の中に子供ができたとわかったとき、アボジの顔を思い浮べたの。哀しむだろうなって」
 母はじっと、淑子の言葉に聞き入っていた。怒り哀しむ父の横顔が、淑子の脳裡をかすめた。
「子供は生めないっていったら、一郎は淋しそうな顔をしたわ。日本人だったらいいのにって、一郎が言ったの。わたしもそのとき、一郎が朝鮮人だったら、どんなにいいかと思ったわ」
「・・・・・・」
「ずうっとこのまま一郎との仲がつづけばいいと思ったわ。でもこのまま子供を生んだら私生児になるのよ。片親にはしたくないのよ」
「わたしの精なのね」
 母は呻くように言った。
「違う・・・・・・そうじゃないのよ」
 淑子はもどかしかった。母を責めるつもりはなかった。それなのに、何を言っても母を責める言葉になるのが、淑子は辛かった。
「違うの。でも片親で育つことがどんなに淋しいことか、それだけはしたくなかったの」
 母は卓に寄りかかるように、掌で額をおおった。淑子は昂ぶりにまかせ、言葉を継いだ。
「一郎を好きになって、知らされたの・・・・・・アボジや家族を大切に思ってること」
「・・・・・・」
「誰かが言ってたわ。家族を愛することは、国を愛することだって・・・・・・。わたし国だとか民族だとかよく分らない。でも家族を愛してることだけは、誰にも負けないわ」
 淑子は、自分の言葉を噛みしめ、自身に言い聞かせていた。
「それでよかったのよ。あなたとわたしは、別な道を歩くことになったのよ」
 母は額をあげ、淋し気に言った。母のうるむ目の中に、深い安堵の色が仄見えた。淑子は一瞬の戸惑いに震えた。偽り生きてゆくことの惨めさを、母は試している。淑子の前に体現することで無言のうちに投げかけた、母の思いに淑子は触れた気がした。

 卓に並ぶ料理は、ほとんど手付かずに残っていた。母は時間をとらせたと気使った。会計を済ます母を残し、淑子は店の外に出て待った。なま暖かい湿った夜風が、頬にまといつく。朧に脹らむ月が、闇に聳えるビルの谷間に浮かんでいた。ネオンに浮かぶ舗道に、まばらな人影が家路を急ぐでもなく歩いている。
「この次、いつ会えるの」
「そうね、いつとは言えないけど・・・・・・」
「オモニ・・・・・・会いにいってもいい?」
 母は眩し気に淑子に頷づき返した。
 大通りを走る車の緩慢な流れに、夜更けた街の活気が萎んだようにひっそりとしていた。乗車を見込んだ流しのタクシーが、舗道寄りに横づけた。背中を押して促す母は、見送らせてくれと小さく言った。淑子はタクシーに乗り込んだ。忙し気に行先を訊く運転手は、自動ドアを閉めて車を走らせた。母はドア越しに何か言いかけて、後退った。淑子は座席に身をよじり、母を振り返った。夜目に浮き立つ新緑の葉隠に、見送る母の姿は小さくなり、後続の車にはばまれて、見えなくなった。
 アボジは、淑姫のオモニを自慢にしていたんだぞ・・・・・・
 崔本のアジェの言葉が、淑子の耳をかすめた。








キャノンボールに酔いながら

鼓(つつみ) けいこ

深夜一人で、ワークソングを聞くともなく聞いていた。アルトサックスの響きに包まれて・・・・・・。

  1. 梁のゆくえ
 霧雨の続くある日、わたしの前にあらわれた梁は、何者だろう。日本人のわたしとわたしの小さな家族。道路工事の仕事とコップ三杯の濁り酒の晩酌。四十代の年齢をもつわたしの、非の打ちどころない日常の間隙を少し不器用にくぐり抜けて、梁はやってきた。丈高い木がぐらりと傾くようにして、男は玄関の明かりのなかに浮かび出た。梁(ヤン)星(ソン)求(グ)、と前口上もなしに、やや執拗さをのぞかせて二度名乗る。
 男は、わたしの少年時代をある部分で密接につきあった、朝鮮人のヨシダカツトシにちがいない。ヨシダカツトシは屈託なく暴れ回る少年だった。わたしと中学校の番長の座を争ってたたかうが、以来、親しく行動するようになる。少年時代のヨシダは“日本に住む朝鮮人”たる、確かで否応のない条件を身の回りに一杯まといながら、朝鮮人ヤン・ソングと示す強い印象はない。そして、少年のわたしにも朝鮮人ヤン・ソングへの姿勢はうかがわれない。正の方向においてばかりでなく、負の性質においてさえも、殆ど。ただ、時折鮮明に映し出される風景の中で、たゆたいながら生きている。二人の少年は、ゆるぎなく有るしくみのようなものからそれぞれの意味で弾き出されようとする、そのように自分に向かっているものへ本能的に反撥する、無自覚で、陽気で、単純な、若い生命の持ち主たちのように見える。
 申(シン)聖(ソン)吉(ギル)という少年がいる。忙しく回転しつづける二人の傍に、しっかり者の影法師のようにいつもいる優秀な成績の下級生。品行実直だが機知に富んだ少年で、シニカルな思いやりを示す意識的な行為で二人をフォローする。ある時、水平線を望むようにして言う。ヨシダとわたしが少年院から戻ってきた日のこと――おれは国へ帰る。日本の暮しなんか嘘の暮しだよ。日本語を喋ること、日本の学校へ通うこと、みんな嘘っぱちだ。おれは自分の国を見たことはないさ、だけど、そこへ帰ったらほんものの暮しがあると信じとるんだ。絶対に、おれは帰るよ――わたしはその時、申の言葉を黙って聞いているヨシダの眼の表情に、歪んだ影がとまっているのを見る。申聖吉が大学へ合格した年、ヨシダカツトシは七歳年上の日本の女と結婚する。翌年、申は一家とともに祖国帰還船で朝鮮民主主義人民共和国へ帰る。
 梁星求はなぜわたしの前に現われたのか? なぜわたしは不用意にも、わずかな日常の裂け目の中へ梁をすべり込ませたのか? 霧雨の続いたある日、梁はわたしとわたしの家族の前へ、わたしの家へやってきて――まるで郷愁のように。
――どこから来たの? 国から来たのさ。きまってるじゃないか。(中略)おれが国へ帰ったのは、二十二歳のときだったかな。日本の女と結婚して、三年ほどあとに離婚した年の冬だったから。わたしは混乱した。梁が朝鮮へ帰った時というのが、人伝てに聞いた、ヨシダカツトシが死んだ時とピッタリ符節が合っている。
――ご家族は? 妻がまた、身上調査みたいに口をはさんだ。結婚がおそかったものでね、子どもは三人いるが、一番上の息子がまだ十歳。四年制人民学校に通っていますよ。でも、国立図書館ではそれ相当の地位を与えられているし、国家は発展していますから、しあわせな毎日です。わたしはもちろん労働党員ですが、妻も結婚するまえからの党員でしてね。やっぱり国へ帰ってよかった。こんど二〇年ぶりに日本へ来て、まだ七〇万人もの同胞が異邦の地で屈辱をうけているのを知るにつけ、感慨は無量ですよ。
 わたしは不安にみまわれながら、これは申聖吉の「栄光」の引写しだ! と考える。三人がいた漁港のある町の風景。埠頭で、沖を望むようにして言う申の言葉を、黙って聞いていたヨシダカツトシ。そして沈黙を破ったヨシダの言葉を、わたしはこの時ありありと思い起こす――ソンギルの家族はいいさ。ヒョンニム(兄さん)が日本で英雄的な死にかたをしたからな、国へ帰れば、きっと歓迎されるさ。だけど、おれの家族はそうじゃないぞ。国へ帰っても、生活できるかどうかさえわからん。
 梁星求の出現のし方、その辻褄のあわなさは、わたしを混乱と困惑の中に陥らせるのに、一面では優しげでさえある。「国」について語る時の明快な教条主義はどこか思わせぶりな程だし、「きょうは何の日か知ってるかね」に始まる、正面切っての抗日感情も、日常の様々な思惑の中に暮している日本人にとって、むしろいたれりつくせりといってもよい程、懇切なものに思えるのだ。
 日本人め、チョッパリめと、大鍋に入りきらない程の恨みを並べたてた、ヨシダカツトシなんかじゃない、おまえはれっきとしたチョソンサラムだと、ことあるごとに言った、そのくせ息子の人相まで日本人に同化させようとした“割れている”父親――アボジ。かつて、「おれのおやじのことが、ミッちゃん、あんたにわかるか。日本というのは、おれたちにはそういうところだ」と言ったヨシダ。今、かつての面影を色濃く残して現われた梁星求と名乗る男は、再び、ミッちゃん、あんたにわかるか、と言う為に来たのだろうか。泥酔していて、深夜、埠頭から転落し、コンクリート壁に頭蓋骨を打ちすえ溺死したという噂の主、いつか申の言葉に対して悔しそうに語ったことのあるヨシダカツトシは、もう一度悔しさを紛らす為に、申聖吉の身勢をそっくり身につけてやって来たのだろうか。生への未練と郷愁にさそわれて? そうではないらしい。
――二人はコップのビールを立てつづけに空(あ)けた。うおッほッほッほッ・・・・・・これが日本の蟹か。梁が突然、けたたましいほどの声をあげた。その直後に見せたかれの挙動は、わたしに異様な感じを与えた。梁は、蟹の足を殻ごと噛み砕いた。かれの強靭な歯は、朝鮮の伝説にあらわれて鉄をも飲み砕くという不思議な動物ブルガサリのそれを想像させた。わたしは梁に、かれの死の噂をつきつけるのを、観念した。
 少年時代を過した町へ行き、一日わたしとつき合った梁は、磊落な肩おどりのしぐさと、笑い声と一緒に、鋭い衝迫をわたしのなかへ残して消えてゆく。おれは梁のゆくえを追う、とわたしは言う。
 二人の朝鮮人、ヨシダと申の少年期からの出発には、どのような方向へむかうものであれ、客観的な評価が入り込めない程くっきりとしたそれぞれの色彩が残っているのに、日本人わたしのそれについては何も書かれていない。どこか取り残されたような感じがあって、わたしは今、ふるさとの町からそれ程遠くない場所で、生きている。霧雨の中、裂け目を覗いたのはわたしの方だったのだろうか。梁は、苦笑し、少しとまどいながらもやってきた。幾らかの郷愁と、それよりもずっと重たい友情を手土産に持って。

  2.私の読後感
 架橋5号が発行されてすぐ、会あてに「梁のゆくえ」の感想が寄せられたのをおぼえている。確か在日朝鮮人の男の人からで、文体について、女性作家によるベタついた文体の作品がもてはやされることの多い昨今、久しぶりでこの作品を気持ちよく読んだ、という意味のことが書かれていたと思う。女性による作品の多くとの雰囲気のちがい、という感じを、私も割合強くもちながら読んだ。寄せられた感想にあった文体のことも含まれると思うけれど、私の感じたのは、主として登場人物の描き方についてだった。ヨシダとおれの関係の進み方、具体的な行動の描写と会話――こんな風にはとても書けないナ、女には(?) イヤ少なくとも私には。悔しいような気持がしたのは、即物的な描写や、ベタつかない言葉づかいに素直に感心したことと同時に、そのような表現を通して、作者が、自分が男性であることをも作品の中で言っている、というように私が受けとってしまったことの二つの理由によるのだ。
 女性の登場人物について考えてみると、ほんのわずかしか出てこないけれど、それでもやっぱり押しやられているナ、典型の中へ、と思う。梁の言葉に疑念を先立たせ、「くにって・・・・・・」と言いよどむわたしの横あいから、「朝鮮ですよね」と驚くほど透明にひびく声をあげる妻。「働きに出たら買ってやるがん」と諫めながら、息子から包丁をちらつかされて金を出す若い日の母親。「さぁ、腹一杯食べりやなん」と曲がった腰に活を入れるような声で梁とわたしに蟹を奨める、後年の母親。
 ところで、今、私が願っていることは、私自身を自分の手で摑まえるということなのだ。在日朝鮮人作家を読む会へ参加している私。その他の事柄に対している私。例えば、日本人としての私、女性である私、という風に考えてゆくことが自分を摑まえることなのかと、あらためて自分に訊いてみると、自信がない。他人が提出した問題に便乗してその気になっているのじゃ、結局ダメなんだな。近視眼の私の鼻先まできてしまった壁を見上げて、今そう考えている。





思い出の朝鮮人たち(一)

渡(わた) 部(なべ) 一(かず) 男(お)

  ムン・サガンのこと
 幼い頃(数え年七、八歳)の思い出に、遊び仲間で朝鮮人の一人に「ムン・サガン」と云う竹馬の友が居た。時代背景は、大韓帝国(光武皇帝)を謀略を以って強引に併合(韓国を朝鮮と改む)した、いわゆる日韓併合から十数年後、世相は不景気のどん底時代であった。日本は天皇制国家として大正から昭和へと改元し、大陸進出の足場を朝鮮に求め、国策の名のもとに住民の土地等を収奪したのであった。住居を奪われた大量の朝鮮人は、止むを得ず故里を追われ日本へ移住せざるをえなかった。
 その子供が彼である。それは確か一九二六、七年(大正~昭和)の頃、処は岐阜県大垣市の或る街である。私の家の筋向いに銭湯があった。その風呂屋の罐焚夫(方言で三助と云う)が朝鮮人で、ムンサガンはその息子だった。何んだか良く気が合い、毎日彼の家へ遊びに行ったものだ。しかし彼はなぜ私の家へ来なかったのだろう。当時は思いもしなかったが今から思えば、朝鮮人と日本人と云う事なのではなかったかと考えられる。ムン君の両親から行くなと云われていたのだろうと思う。
 彼の両親は最も古い在日一世の方である。前述の如く不況の時代であり、従って一般の朝鮮人の職種は、肉体労働者と云う底辺の職業しか無いようであった。現在なれば「ボイラーマン」と云う立派な技術者である。
 或る日のことである。彼の家で仲良く楽しく遊んでいた時であった。私の姉が突然私を呼びに来て、今すぐ家に帰るように、と云うのである。なぜだ、と訊けば姉は母親の云い付けだと云う。ムン君も呆気にとられてポカンとしている。理由がわからないのである。それは朝鮮人と遊んではいけないということだった。私はなぜいけないのか、さっぱり判らない。姉に引っ張られてゆく後から彼は追いかけてくる。我が家へ連れ込まれる寸前に、彼は堪りかねたであろう、無意識に小石を拾い、姉に向かって投げたのである。蔑視されている、と云う意識は無かったであろう。ただ童心を無視されプライドを踏みにじられたと感じたようだった。運悪く、投げた小石が我が家の入口のガラス戸に当り、ガチャンと割れたのである。彼は吃驚して自家へ駆け戻り、母親にその事を云ったようだ。父親に云えば叱られる事が恐かったのであろう。暫くして母親の陰に寄り添うようにして出て来た。私の母も奥の方から恐い顔をして出て来た。母親達の視線が合った瞬間、彼の母親はおどおどとして物恐しい表情で小首を傾げ「すみません」と詫びているようである。日本語も充分に話せず、精一杯の誠意を表現した態度であろう。その原因は私の方にあり、なんとも云えない複雑な感情であった。
 それから暫くして、急にムン君が居なくなったのである。彼の一家は引越したのであった。理由は、あの一件のようだ。何処へ行ったのか、二度と彼の姿を見る事は無かった。子供心にも一抹の淋しさを感じ、可哀想な事をして済まなかったなァ、との思いであった。不景気時代に、ムン君一家の生活は貧しいながらようやく安定していただろうに、些細なことで職場を追われるように去らなければならないと云う運命。時代は朝鮮人を蔑視、差別していたのである。卑屈なまでに忍従、耐え忍ぶ、その気風も参考になる点はある。幼いムン君までも、その犠牲となったと云うことだ。
 私と朝鮮人との最初の出会いがムン君であった。彼の御両親は、おそらく現存されていないと思う。ムン君も私と同じく六十歳半の筈である。生あらば幸多かれと祈るものである。
 思い出の一つに凧揚をして一緒に遊んだことがある。アクセントのある云い方である「あの凧、見てやれ」とよく燥いでいた。「アリランの唄」も彼から初めて聞いた記憶もある。あれから五十数年の歳月が流れ過ぎた。ムン君は何処にいる。
 最後に母が私に云った言葉、朝鮮人と遊ぶな、これは私が死ぬまで引っ掛かる言葉である。母は亡くなって十数年になるが、明治二十二(一八八九)年生れで、仮名文字しか書けない“文盲”に近い女で、没落商家の娘であった。その裏返しの蔑視であっただろうと思う。(続く)






会    録

第71回(1984・2・26)金時鐘「光州詩片」
                報告者・鐘真       参加者 8名
第72回( 3・20)金鶴泳「郷愁は終り、そしてわれらは-」
                 報告者・中山峯夫      参加者 13名
第73回( 4・22)高史明「青春無明」
                報告者・西尾 斉      参加者 11名
第74回( 5・13)金賛汀「抵抗詩人・尹東柱の死」
報告者・伊藤啓子      参加者 16名
第75回( 6・17)「架橋」5号批評会PART1
                報告者・金 蓬洙      参加者 17名
第76回( 7・15)「架橋」5号批評会PART2
                報告者・大野祐二      参加者 18名
第77回( 8・19)「架橋」5号批評会PART3
                報告者・西尾 斉      参加者 12名
第78回( 9・16)飯尾憲士「隻眼の人」
      報告者・松本昭子      参加者 11名
第79回(10・21)青丘文化ホール・猪飼野訪問
                話・辛 基秀        参加者 15名
第80回(11・18)李正子歌集「鳳仙花のうた」
           話・李正子 報告者・権 星子     参加者 19名
第81回(12・23)一年をふりかえり85年を望む
                報告者・劉 竜子      参加者 12名
第82回(1985・1・20)尹東柱全詩集「空と風と星と詩」
                報告者・磯貝治良      参加者 12名
第83回( 2・24)宗秋月詩集「猪飼野・女・愛・うた」
                報告者・山中将幹      参加者13名
第84回( 3・21)鄭清正「怨と恨と故国と」Ⅰ
                報告者・磯貝治良      参加者 10名
第85回( 4・28)李良枝「刻」
                報告者・伊藤啓子      参加者 11名
第86回( 5・19)金泰生「私の人間地図」
                報告者・渡野玖美      参加者 14名












     野辺戯の日よ

          松(まつ) 本(もと) 昭(あき) 子(こ)


 サイレンが鳴ると駅の構内に昼休みがきた。呻くような余韻がとだえるころ仲仕たちはいっせいに肩当てをはずす。
 荷降しのすんだ無蓋貨車は空っぽの底を陽に晒し、粗鉄の棒が地面に小山を築いている。抛り投げられ重く沈みきる瞬間に鉄塊から跳ねる金属音が朝のあいだずっと、正確な間をおいて響いていた。
 クレンの唸りが止んだ。ブロックを中空にあづけたままクレンの操縦室からひとり梯子を伝い降りてきた作業服の男は、小屋の日陰に蛇口の水を鳴らしている仲仕たちの方へ近づいていった。
 さきほどまでクレンは垂直に張り切ったワイヤの先で、材木に懸けたロップの弛みを引き絞り、巨大な虫の羽音をたてつつ荷を巻き揚げてはゆっくりと桿を旋回させていた。そのつど丸太はロップの環のなかでごろごろぶつかりたがいの樹皮を擦りあわせ束ねられ攫われて、降りてきた。方々からのびる手鉤が引きつけ押しもどしながら位置を定め、段をなす三角山ができあがるとロップが外された。まあるい木口から湿っぽい下生えの匂いがただよった。
 焼杭の柵をすりぬけあるいは飛びこえて、こどもらが構内に這入ってきた。ズズは蝶の羽をつけて現われた。たちまちなかまに追われ追いつかれそうになる。
「さわらんといて――」といいながらまた逃げた。両手を上げ下げするズズの背で白い絹布が風を孕んだ。 アメリカさんの中古衣料の市で買いこんでおいた布が孫の学芸会で役立つとあって、ズズの祖母はもとはパラシュートであったらしいその布の縫い目を根気よくほどき、六人分の蝶の羽を切り分けておいたのだったが、ズズはそれを祖母の裁ち台の上からくすねてきていた。
 夢中で走るズズの背後にまさるが干乾びた馬糞をつかんで迫っていた。
 馬は飼い葉桶に顔をつっこんでいる。轡を外され荷台を解かれ馬は今、顎を引臼のように廻しながら食んでいる。長い歯がのぞくとほくそ笑むような表情ができた。とつぜんほかほか饅頭さながらのものが口を動かしている馬の尻尾の下からどどっと迸り落ちてくることがあった。日をおいて饅頭はじょじょに乾燥してゆくのだが、さいごに風に吹かれて散ってゆく寸前、ちょうどぺしゃんこのわら草履にさま変りするころこどもたちのふざけあいの足しに活かされた。
 まさるがズズのすきをついた。もろに頭からひっかぶり純白の羽にも降りかかった。
 もうあかんもう終りや、とズズはしょげかえった。あれをかぶると一生ばかになると聞かされていたので人生の夢がそこで終いえたかのようにズズは前途を悲観した。
 ズズが馬糞を思う存分ひっかけてやれる相手はぐずの富江ときまっていた。富江の爺ちゃんは大八車を曳いている。骨と皮ばかりで、アザかと見える斑を体中に散らした犬に短く荒い叱咤を鞭のようにくれてやりながら。もうトラックが運搬仕事の大半をやる時代になっているというのに。富江はズズにやられてもやられても「あそぼっ」といってきた。
「泣くなら遊んでやらんけどええか」とズズは念を押す。富江はうわ目使いにかすかに頷ずくが、しまいにはきまってくしゃくしゃの顔でしゃくりあげながら帰っていった。入れ替りにおばさんがうわ目使いのひきつった顔――四六時ちゅうミシンを踏んでいるおばさんの顔ときたらいつも黄色くむくんでいる――でやってきてズズの祖母にあらいざらいぶちまけてゆく。ズズは裏の納屋に放り込まれた。
 小さい体は捕まえられ納屋の戸口まで抱きかかえられてゆく。ズズは抗った。どこかにとっかかりはないかと手足をばたつかせた。しかしむだだった。
 引戸が締まるとまっ暗になった。大人たちがぬしと呼んでいる野太い白へびがいつかの春先きのようにとぐろを巻いているかもしれない。足もとにのたくっているかもしれない。ズズは林檎箱をさぐりあて中の蜜柑をひっつかんだ。力いっぱい握りしめやみくもに身構えた。
――白っぽく光るものがあったら・・・・・・ぶつけてやる。
 目が慣れてきた。どんつきの板囲いの隙間からうっすらと光が射していた。
 そのとき同時に、鋭い哭き声を聴いた。それは光と同じ隙間をくぐってくるもののようにズズにはおもわれた。ウラからだった。
 ズズの家は駅前の商店街の一軒で、その並びと背中あわせの長屋を大人たちはウラと呼んでいた。
 この界隈を扇町と名付けたのはズズの祖父である。表通りの商家が繁盛するようにと末広がりの扇にあやかったわけだ。将棋や囲碁を得意とし、全国どこの屋根瓦でもたちどころに産地を言いあて、石庭づくりに凝り、床の間に枯れ山水の掛軸と松竹梅を絶やさず、器用に木の根っこで花台をこしらえる風流人であった。その祖父が隠居のつもりで建て増した東二階の手摺りをこえてズズはこれまでもたびたび納屋の屋根に降り立った。
「おもしろいもん見せたろか」と富江をけしかけて、いまにもずり落ちそうな赤茶けた瓦を踏んで屋根の天辺に跨がる。ウラを見下した。
 白い服がふわふわ舞うように歩いている。裾から見え隠れするいっぷう変った先のとがった白い沓。ふいに佇ちどまり肚の底からとめどない異物を吐き出すかのように滔々とわめき散らす。けれども老女の小さな頭、うなじの小さな白い髷、皺のうねる土色の顔はズズの祖母のそれとも、忘れたころに奇怪な祀り事をしに来る年老いた巫女の貌とも似たり寄ったりだった。
「この罰当りめっ」見物のとちゅう祖父のしわがれた声が飛んできた。富江はもう泣き出している。ズズはすかさず立ちあがり、あっと叫んで両脚を開いた。祖父はいちどはっとし、それから目をぎょろつかせて「このわらべらしいくそあまっ」とののしった。
 どんつきの板囲いのむこうから浸み渡ってくるこの異様な哭き声は、とズズは考えた。
――あの白いふわふわの服を着た老女のものにちがいない。
 納屋に放りこまれる直前の昂った気持と、暗がりのなかで襲ってくる暗闇そのもののような怖れと、そして内側から突きあげてくるまるで自分のものではないかのような狂暴な力と、それらのものが入り組んだ迷路のなかでのように体じゅうにもやもやと渦巻いていたあいだ、号泣は長くかかって尾を曳く啜り泣きに変わっていった。それからますます間遠くか細くなってきた。やがてほとんど聴きとれなくなったひめやかな声とともにズズの胸の暗い塊りがしぜんに溶け消えていったころ、外から閂のはずされる音がした。ズズは外へ飛び出した。
 店には菓子やあられや色とりどりの飴がガラス・ケースにびっしり詰っていた。果実も小さな田舎町には不似合いなくらい高級なものを置いていた。そのことを祖父は派手好きのズズの祖母がやることだと決めつけ、秋の仕入れの時期になると、夏場に氷で儲けた分を喰いつぶしてしまう気かと文句を言うわりには、暑い盛りをのぞけばラジオの落語に耳を傾けクックッと忍び笑いしていられる一年の大半のくらしが満更でもなさそうだった。
 祖父は年じゅう店の奥の三畳間に陣取っている。牢屋の格子扉をおもわせるごつい造りの押入れの引戸を背にして大きな火鉢の前に胡坐をかき、一服しにくる客たちをもてなすために鉄瓶に湯を欠かさなかった。
 荷担ぎ罐焚き切符切り旗振りやら夜勤明けの作業員が仕事がえりに寄ってきた。
――何ぞになろう何ぞになろうとおもおてくらしとるうちとうとう年寄(とっしよ)りになってしもうたがやぁ
 と祖父は昔噺のひとくさりにお定まりの結びをつっけてクックッと笑いながら茶を容れた。ズズが手をのばすと、ああンと払いのけ、玉露のわかる竹田さんには、どや、とすすめた。竹田さんが湯呑みを口元に引寄せるが早いか、うまいやろと返事を促す。
 竹田さんは貨物の入れ替え作業中に片足をちょんぎられてしもたというのに「あれはシュウシンコヨオになっとるで安気なもんや」とはたからけなりがられていた。ひとさし指の欠けた大人もいた。「兄ちゃん、どおしたん?」川北さんは照れていた。ズズがなんどたずねても「波にさらわれてしもた」としか教えてくれなかった。
 ズズは瞼に海を描いた。川北さんの指を攫っていった波、氷屋(うち)の手鉤か蟹かそれとも鋸のような――ありったけ貪欲なうねりを描こうと努めた。けれどもズズは浜辺に寄せてはかえす波の引き際に足裏をくすぐってゆくこそばゆい波しか知らなかった。
「山へ行くぞ」と祖父が言う。
 ズズは大急ぎで駈け出した。「行くでぇ行くでぇ」
 蜜柑狩りの手伝い人夫を募り集まってきたなかまといっしょに祖父の曳くリヤカーの回りを小走りに従いてゆく。踏み切りにさしかかるときまって番小屋のおじさんが出てくる。通せんぼの遮断機が降りてきた。
 電車は忽然と現われる。濃緑の影の突撃。等身大の姿がわあっと迫った瞬間、ズズにのしかかると見せながらかすり傷ひとつ負わせることなく動輪の回転さえ気づかせないうちに目前を掠めて、すべるように遠去かって行く。躊躇するということを電車はしなかった。
 電車が通りすぎたすぐあとでレールに磁石をあてると「磁石が強うなるんやで」とひろしが物知り顔に言った。磁石を持ち合わせている者はひとりもいなかったけれど。
――そういえばあれは夏の夕暮れやった。
 ローカル線の発着する西駅のむこうにおい茂る露草が焼杭を半分かくしている場所がある。そのあたりの柵のむこうを小柄なあづき色の電車が傾ぎながら勤め人をのせて帰ってゆくのを見送ってから、ズズはふと道の反対の空地へと目をやった。と、あの子がいた。
――少女はどこを見ているわけでもなかった。南京袋のようなものの端をつかんで片方の手で土をかき回している。少女の手にずんぐりと大きいU字形の〈そうやあれが磁石や〉。わたしはわざと少女の目前に歩み寄った。「何しとんのや?」少女はわたしに虚ろな視線ひとつ向けはしなかった。少女は機械的に手を動かしつづけ、ときおり左手で埃にすぎない土をもとに戻したりしている。わたしを無視している。わたしはじきに飽きてきた。いい加減にその無意味な動作をやめてもらいたかった。土埃を吸うのが苦しいのか小首をもたげぱくっと口をあける。また俯いた。全く無意識な所作なのにわたしには少女がわたしを拒否しているようにおもわれた。するとわたしは少女の動きひとつひとつに意味を読みとろうと焦った。しかし何も伝わってこなかった。〈あんただれ?〉これほど近い距離に、ほとんど同じ場所に居合わせながら少女が誰なのかわからなかった。少女とわたしはへび苺がとり囲む原っぱのまん中にいた。少女は茫漠とした土の中に磁石をさ迷わせていた。強力な磁石に抗いきれず、何かしら、無気味な生物のように、ブラブラと揺れながら、連らなり出てくる、黒くうす汚れた鉄屑、まるでわたしの胸底にそれまで隠れていた問が土中から連らなり出てきたかのように、少女が土中にまさぐっていたそれが出てきた。それなのに少女には立ちあがる気配はまったく見えなかった。わたしは佇んでいた。〈あんた帰らへんの?〉そういいたい衝動にわたしはかられていた。いつまでも語ろうとせず何も告げようとしない頑な口。あたりは仄暗くなってきた。少女の煤をはたいたようなうす汚れた顔の上にも時がすぎていった・・・・・・
 遮断機があがった。幾組ものレールが整然と南北に走っている軌道敷を渡り終えてからズズはリヤカーの前に出た。逸る気分にせかされて、ぞろぞろ歩くなかまに道を急がせた。
 蜜柑畑は小高い山の中腹にある。羊歯を足ではらい除け落葉を踏んづけ、あるかなしかの小道を山裾からどんぐりに心奪われながら登ってゆく。つきあたりに二本の松――クレンの作業をながめているときも夕空を見あげるときもいつも西山の低い稜線を制してつきんでているやつ――が聳えている。そこがいわば正門だった。葦簾をたてかけたていどの垣根には立派すぎるくらい頑丈な錠前を祖父がはずすのを待ってズズたちはわれさきにと飛びこんだ。
 甘ずっぱい香りの下をくぐりぬけた。深々と濃い緑の葉と祭堤燈さながらに色づいた果実とが枝先でたわわにせめぎあっている。
 祖父は腰から大ぶりの鋏を抜いて蜜柑をひとつひとつ落としはじめた。豊と明美はいっぱいになった籠を運んで林檎箱へ移しに行った。富江は頑張っている。二、三回先に手伝いの順がまわってくるのを待つあいだ、ズズはその場を離れ、人目を避けて敷地のはずれにしゃがみこんだ。その最中、垣根の外に薮笹をかきわける人の気配が立った。
「あっ、きょうはあかん」甲高いわりに威厳のある男子の声が手に取るように聞こえた。
 山側にあるお寺の境内からこちらに降りてくるかれらの方が見通しがよく効く。一行はすみやかに踵を返していった。
「見られてしもた」とズズは心の中で呟いた。
「このまえは〈煙が立っとる〉といいおいて帰っていきさがったにほんに焚火もできん」と祖父がぼやいているのを思い出した。祖父は畑の見張りに来るたびに見つける朽ちかけた垣根の壊されている部分をせっせと針金で繕ったが、なんのことはない、そこはかえって侵入口の結構な目印になるだけだった。収穫の季節に祖父は手を焼いた。
 ズズは中腰でそばの草花を束ねて引っこ抜いた。それで拭った部分からひんやりと柔かな感触が伝わってきた。ビロードの爪を三葉ずつつけたか細い茎と薄紅いろの小花とをもういちど引っこ抜き、ぱらぱらと散らしておいてからズズは急いで蜜柑運びの手伝いに戻った。
 鋏の音は澄みきった空の下によどみなく続いている。鳥のさえずりがひときわ鋭く空気を突いた。
 こどもの背丈ではまだ垣根の向こうを望むことはできなかったがもしズズがそこからはるかな景色を眺めやったならば、河口をいっぱいにひろげたゆたうように海に注いでゆく川流れをそのいちばん遠い所に見つけて、歓声をあげたことだろう。

 学校からの帰り道、ズズはその日欠席したサイさんの家へ寄った。
 サイさんは火の見櫓の横の消防車が一台きり収まっている車庫の裏手に住んでいた。ズズの家のウラほど長くはないがそこも同じ造りの長屋だった。ズズが這入ってゆくと窓辺にもたれたサイさんがぼんやり外を見ていた。サイさんはたいてい声をたてずにそっと笑う。きょうも障子戸のない窓枠にひじをついたままで、にそっと笑った。
 頬骨のあたりが緋色で瞳がうるんでいる。家の人はだれもいない。奥はまっ暗だった。先生から頼まれた集金袋を渡すとまたにそっと笑った。熱い手が触れた。けれども長屋を出てしまうとズズはそれきりサイさんのことは忘れてしまった。
「ただいまあ」というなりカバンをはずしてズズはまた学校へとってかえした。
 放課後やったらすべり台もブランコも空いとるでやりにこうか、といった園子の誘いどおりに来てみたが、園子は見あたらない。ひっそりした校庭の隅でブランコを軋ませているのはズズの知らない子だった。それがかえって豪快に漕ぎまくるアライさんのブランコを思い出させた。
 アライさんは両脇の鉄鎖を握りしめ膝を巧みに屈伸させつつ体を前に放り投げる。ぐわんと退ぞく。体ごと蹴あげる。退けぞる。宙に浮かせる。しだいについてくる惰力で舞いくだり舞いあがる。反りかえりぐいぐい角度を拡げてゆく振子になったアライさんのブランコが空に描く円弧の軌跡は凄かった。
 アライさんは教室でもひどく活発で、語調はきつく口から唾をとばしてしゃべった。入学したてのころは先生がまだ質問をしていないうちから手を挙げた。いつも黒っぽいワンピースを着ている年寄りの先生が根負けしてアライさんを名指すまでアライさんのすさまじい「はあいはあい」は止まなかった。それにアライさんは運動場も独占している。
 地面に大きく描いたS字の最深部に色ガラスや陶器のかけらを置き、いち早く相手の宝物を奪い取ってくるのを競った。勇ましく敵の陣地へ乗りこんでゆく者、なだれこんでくる敵の防禦に忙しく立ち働く者、外とうちとで入り乱れた。S字の入口を出てタイム用のちいさな縁からつぎの円までケンケンで跳んでゆく途中、アライさんの刈り上げの頭と細い目の奥でキッと光る視線に出くわすとズズの心臓はきゅっとちぢんだ。もう降参しているのに素早いひと突きであえなく倒される。これまでにいくどとなくそんな目に遭わされた。しかしいまだにズズにはアライさんと同じチームに入ろうと目論むだけの知恵が浮かばないでいる。
 園子をさがして中庭へ行ってみた。すべり台のすぐそばにあるブランコの斜めになった支柱にだれかが取り付いている。鉄の棒を昇ろうとするような格好で手足をからませ昇っては降り昇っては降りしている。
「園ちゃんあそぼっ」とズズは声をかけた。聞えないのか目をつむりいつまでも同じ動作に耽っている園子をおいてズズはひとりで校舎の裏手へ回ってみた。
 裏庭はぷつりと跡切れた処で池に面している。遊び場みたいや。水面は材木で蔽われていた。それから、池をはさんでま向いの堤防のような斜面をズズは見やった。
 引込み線をやってきた黒い図体の貨車の横腹からつぎつぎと乱雑に押し出された材木は、あのセメント張りの急な面をごろごろと転がり落ちてきたにちがいない。落とされてまだ日の浅い材木は陽光をつややかに弾きかえしている。
 ズズは運河の方へ足を向けた。運河とは大げさだったが、池の北端をまいてうんと遠くの貯木場へと通じている水路のこの貫禄のある呼び名はこどもたちを魅きつけた。
 運河で遊ぶと叱られる。けれども筏のように居並んだ目前の材木は水路にもうひとつの道をひらいて、来い、といわんばかりだった。ズズはためらわなかった。それに、
――あれっ森川さんとエイコにケイコやないの。
 ズズは手を振った。三人の先客はズズにおいでおいでをした。そしてさっと身を翻し、みるみる別の材木へと飛び移っていった。
 ズズは岸にいちばん近い丸太に足をかけた。沈むような気がした。それは錯覚ではなかった。細かい藻が水面を隙間なく埋めている。いつも駈け回る野道とどこ変わるところなく見えはしたが、踏み出してみるとそんなわけにいかなかった。しかし怖くはなかった。ちょっとこつがわからないだけなのだ。森川さんかあの双子のどっちにしようか、ともかく捕まえよう。
 ズズはサーカスの綱渡りのように慎重に足を運んだ。〈オニさんおいで〉三人は余裕しゃくしゃくで立ちどまりこちらを見ている。ズズがやっとのおもいで近づき同じ丸太に乗ったとたん、三人はてんでばらばらの方角へさっと飛び散った。森川さんのみつあみがぴょんと跳ねた。ズズの上体はぐらっと揺らいだ。
――あの子らはしょっちゅう運河(ここ)であそんどるんや。
キャハハハハ・・・・・・哄笑を残してまたしても三人は遠くの陽炎にいざなわれていった。ズズはあわてて後を追った。慣れてはきたがあいかわらずへっぴり腰で三人との距離を懸命に詰めていった。
 ふと気づくと前方に見えるはずの姿はどこにもない。
 キャハハハハ・・・・・・哄笑は運河を跨いでいる国道の橋の下から聞えてきた。
 ズズは微笑んだ。それから一歩一歩を踏みしめていった。トンネルの入口までたどり着いたときズズはもういちど微笑んだ。逆光を背にしている〈オニ〉の顔はだれにも見えはしなかったけれども。
 低いトンネルの下には影が溢れていた。ズズはそこにもっと濃い三つの黒い影を見つけた。気ままな姿勢で寝そべっている。下駄がぬいである。ズズは笑った。ほんのちいさな声をたてて笑った。けれどもそれは思いがけず大きい反響を引きおこし橋下のひやりと暗い陰影を震わせた。心臓がきゅうとちぢんだ。(三人は隠れ蓑を着てくつろいではいたがもう笑ってはいなかった)
 つと黒い影が揃って身を起こした。とたんにズズは引き倒され、やにわに靴を剥ぎとられた。
 またしてもキャハハハハ・・・・・・哄笑が轟いたとおもった瞬間、ズズはわれにかえった。運動靴が片方、水藻の下に音もなく消えてゆくところだった。下駄をつかんだ三人がむこう側の光のなかへ躍り出てゆくところだった。
 ズズの胸はドキを打った。頬が火照ってきた。ほんの昨日のことをきれいに忘れていたのだ。しかもこんな羽目に陥った今になって昨日を思い出しても遅いのだ。
――あの子らにクレパス盗られたんやった。それもきのうのことやのに。わたしのクレパス盗んだんはあの子らやのに。
 祖母にねだって買ってもらったばかりのクレパスをズズは昨日学校へ持っていった。ズズは水色と黄色と朱色とがとりわけ好きだった。給食のあとで机の蓋を開けクレパスの箱を取り出し箱の蓋を開けたら・・・・・・空っぽになっていた。
 隣の席のエイコはズズにくるりと背を向け、後の座席に坐っている姉のケイコと森川さんと三人で額を寄せ合っている。真ん中にクレパスが使い古しの箱に収まっていた。三人はぬり絵に没頭している。粗末な紙の上の輪郭だけの女の子にとびきりはでな服を着せようと原色をぬったくっている。輪の外からズズはおずおずと声をかけた。
「それどこにあったん?」三人とも黙々と手を動かしている。
「それわたしのとちがう?」やっとそれだけをいった。
「名前書いてないやろ」
 森川さんが低く応じた。双子は何も言わなかった。ふだんからおたがいの名を呼びつけで呼びあう以外はほとんど口をきかなかった。それに倣って級友も双子を呼びつけにしていたし、ズズはだから、給食のたびに苦手なおかずをエイコの前に置き、エイコが早々と平らげた皿を自分の前に引き寄せるときも口をきかなかった。そんなところを鳶色のひげを生やした先生に見つかりでもしたらすぐさまちびた白墨のつぶてが飛んできただろう。
 ズズは混乱した。
 ――もちろんわたしは告げ口などしない。ビンタしか知らない先生(アイツ)に告げ口をするくらいなら・・・・・・
 ズズは今、見えない絆で固く結ばれている三人の縄張りに押し入った侵入者であった。気まぐれな手招きに応じて運河での禁じられた遊びに加わった一回きりの共犯者であった。
「だれに奪られたかわかっとってよう取りかえさんのか。アホやなぁ、おまえは内弁慶や、中腐れの林檎や」祖母は昨日そういって笑った。
 ――わたしはもうだれにも言えない。言わない。もうだれにも・・・・・・
 失くしたクレパスのこと、投げこまれて藻の下に沈んでいった靴のこと、ほかにもまだ思い煩うことがうんと残っているような気がした。ズズは仰向けに横たわった。どこにいるのか忘れていた。体と十字に交叉する三本の丸太が揺るがず自身を支えているのを忘れてズズは目を閉じた。ズズには明日のことがわからなかった。
 重い振動を頭上に響かせてトラックが通りすぎた。黄色いトラックはまたきた。暫くするとまたきた。もしそうしなければ圧し潰されてしまいそうな気がしてズズはあわてて目を開けた。
 季節が巡るごとに新しい友だちと日に日に遠くへくり出した。赤茶けた土埃がつもる鋳物工場のわきをすりぬけ畦道を堤防へといち目散に駈けぬけた。花ふぶきの下で川岸の石をおこすと蟹が這い出した。木にのぼりグミを含んで舌も歯も紫に染めてしまった。
 白鳥は悲しからずや空の青海の青にも染まずただよう
 こんどの先生はひげを生やしていない。もぐらのような風体にふやけた赤ら顔をのせて歌う先生のあんな哀しい旋律よりも九九の合唱の方がよほど気が利いている。とりわけ理科が気に入った。
 塩は海水から精製するのだ。塩田の図柄。それに人体の解剖図で見るヒトの腹のなか。川上から川下へとくだってくるバイ菌が赤い斑点で示してある絵図にも見とれた。世界は理をもっている。人間が生を営むとバイ菌は川上から川下へと下ってくるのだ。汚ないことは悪であった・・・・・・とつぜん放送が入った。
「○年○組全員校庭に集合しなさい」黒板の上の小さなスピーカの箱が命じた。
 金属の缶の腹が押されるたびに小さな穴からシューと出てくるDDTの粉が整列しているこどもを二手に分けた。
 ――わたしはちょこっとやった。
 仕分けされる者の本能でズズは自己の所属を嗅ぎわけた。
 教室にもどったとたん一隅にわっと泣き声が立った。村田さんや佐藤さんや大橋さんがすぐさま、泣き伏したキンデンさんをとり囲んだ。
「だれが泣かしたん? そんなこというたんはだれ?」村田さんが犯人さがしの口火を切るとまわりは騒然となった。
「わたしとちがうやろ」
「わたしとちがうやろ」
「わたしとちがうやろ」
 顔を俯せにして泣きじゃくっているキンデンさんのくるくるに巻いた髪にはDDTの粉が万遍なくまぶされていた。誰も彼女をなぐったりいじめたりけなしたりしたわけではなかったからキンデンさんには答えようがなかった。キンデンさんは返事を迫まられてますます泣きじゃくった。言葉にはならない体の中の暗いもやもやを明るい昼の校庭で感じてしまったキンデンさんはいちどにいろんなことが悲しくなってきて、泣いているうちにますます悲しくなってきたのだろう。
 村田さんがキンデンさんを送ってあげるから、と慰めた。かばんを掛けたままズズもいっしょに従いていった。校区の東端で鋳物工場をやっているキンデンさんの家は大層羽振りがよかった。門を入ると、一面に赤茶けた埃をかむった広い敷地の奥まった建物からズズに聞き覚えのある金属音がきこえてきた。住居は左手のとっつきにあった。三和土の片側にしつらえられた白いタイル貼りの明るい台所に気どられながら上り框に腰かけておやつをもらった。
「ナカヨシヤッテネ」
 真白いかっぽう着をつけたおばさんが変な口調でいい、それから言い直した。
「ナカヨクシテヤッテヨネエー」
「おばさん、だれもいじめる人なんかおらへんよ、ねえみんなっ」
 村田さんは胸を張った。ズズは口の中がヒリヒリするお好み焼を手にしてとなりの大橋さんと目交ぜし肩で合図をしあった。急に工場のびっくりするようなサイレンが鳴り、ひとしきり唸って止んだ。ズズはおばさんの頭にもかかっているくるくる巻きのパーマに気をとられていた。あたりに静けさがもどってきたときズズは家に帰りたくなった。お釜の底にできたこげごはんで作ってもらうおむすびに早くありつきたくなった。きょうはちょっと遠出をしすぎたと思った。
 はじめのうちそれは狐につままれたような宵だった。
 人の出入りの滅法多い店だったがズズの家があれほど畏まった訪問者を迎えたことはない。ひょっこり姿を顕わしボソボソと何ごとかを呟き三枚の札を差し出して御辞儀をする。白い麻の背広を着こんだ件の男は、これも白い麻の一張羅を着こみ愛用のかんかん帽を角刈りの頭にのせる得意のいでたちで今しも媒酌を頼んできた親戚すじへ出かける矢先だったこの家の主に向って、拝むように頭を垂れた。
 ふだんならば、胡坐をかき煙管を喰え大らかに上を向いた鼻の穴から煙を吐いているか片膝立ててかがみこみ鋸の目立てに余念がないか、いずれにしろこの季節、褌ひとつですごす祖父を見慣れたズズの目に、この二人の姿は厳かな儀式めいたものに映った。
 しばらくするうち男のいう事情がのみこめた。つまり、あのときの侵入者だというのだ。
「あんな神さんのような家に這入るなんぞは罰があたるてか、そう諭されてきたんやなあ。そやな」祖母のだみ声が男にかわって要約した。
「そおかやそおかや」
 祖父は頷ずくばかりで、不意の訪問をなし遂げ威厳さえそなえて目前にいるGI刈りの男をどう扱ったものやら俄には測りかねる様子。クックッと笑う余裕がなかった。
 五、六年前のある朝、祖父が日中背にしている押入れのごつい引戸が一尺ほど開けっ放しになっていた。中から手提げ金庫が消えていた。油断もスキもならんと舌打ちしながら祖父はさっそく、鋳物で急に潤いはじめた親戚へ当座の金を借りに自転を漕いでいった。
 祖母は仏壇のすぐ横隣りに祀ってある不動明王の掛図の前にぺたんと坐り、ふり罹った災難の元をつきとめようと因果応報を心に巡らし、さいごには占女にお伺いを立てた。畳に額をすりつけてお告げを頂いた祖母だったが届け出ようとしなかった。それは、しばしば必死の形相で店に飛びこんでくるカツギ屋が背負った荷ともども裏のなやに隠れおおせたころ、
「きたやろ!」
「なんのこってっしゃろ」
 ひと足ちがいで後を追ってくる眼光鋭い制服に顔をそむけ売り物の「国光」をしゃにむに磨くことで手の震えを欺きとおし、絣のもんぺをぬいでズボンを履きはじめた足で懸命に踏んばることを潔しとしてきた祖母の精いっぱいの業腹だった。
 祖父はといえば月日の経つうち熱さを忘れ、
 ――昔のう何の何某夜の厠に起きし折雨戸の外から片手がのびてきたもんやがおっとその手をつかんでおうい家の者(もん)はおらんかあ鉈もってこういこいつの腕を切り落としてくれようあわてたのは件の男大事な片腕ふりほどこうともがこうともがきおるうちつっこんだ手にずしりと何ぞの手応え抜きとった掌に金子を見つけえぇめでたしめでたし
 喉元すぎたできごとを寿ぐかのような口振り、煙管で火鉢を打ちつけながら小咄に酔う祖父に祖母はここぞとばかり土瓶の口を出す。
「おじいさん道楽で商売はできんもんやが道楽はどっちじゃろね」ズズの見るところ、茶飲みの常連は祖母のだめ押しにどっと沸いたものだった。
「そおかやそおかや」
 祖父はいくども大きく頷ずいた。「あんな神さんのような家」との言回し、しかも祖母の代弁とあってはどこまで男の本心かはあやしげだったが、それがそそる感興からようやく覚めた面持ちで、
「よおきてくれた」
 祖父は“シャッポ”を脱いで畳の上に坐り直した。
「まぁあがれ」
 もう明らかに己れの仕業に一刻も早く終止符を打ちたがっている男にむかって祖父はまだ徳を施したがっていた。目前の男がいかなるおもいでもたらしたのかは端から斟酌せず、三枚の札のうちの一枚を男の手に押しかえすことで日頃の流儀を保とうとした。
 仕方なく奥へと誘なわれはしたが男はひたすら目線を下げている。かつて丑三つ時息を殺して押し入ったタタミ三畳のそこに己れの足跡を見まいとするかのごとく。開けたまま閉めなかった押入れのごつい引戸にいったんは捺してしまった己れの指紋に目をやるまいとするかのごとく。あのときの己れに再び見えてなるものかと心の錠まで閉ざしている。
 この二度目の訪問にあれ以来己れを繋いで離さなかったこの空間からのたった一度の脱獄の機会を賭けている男に、いかなる歓迎のあいさつも通じようがなかった。膝を畳んで坐ることはしてはならなかった。用件のすんだ今、どうか退ち去らせてほしいと言葉なく懇願する姿勢でその人は後ずさりに店を出ていった。
 日の沈んだあともほとぼりはなかなか冷めずようやく極楽の余風がひと吹きするころ、祖父は「シャッポ」を被り直し、悠々、秋の婚礼の日取りでも決めに行くのだろう、また小咄をひとくさりやるのだろう、急なときの用立てをしてくれたことのある親戚へ出かけていった。
 貨物専用の線路に発着する貨車が増えてきた。荷はどんどん運びこまれ運び出され、物資の増加につれてトラックの行き交いはしだいに目まぐるしくなってきた。ころがってきたドッヂボールを荷担ぎは邪慳に投げかえすようになった。駅長さんから構内の遊びを禁止スル旨町内会に特別の通達が来た。
 薪がセメントの袋がときには米俵が山と積まれている。かくれんぼで同じシートの下に偶然もぐりあわせた相手がまさるだったりするとズズはそこが急に秘密めいた場所に変るのを感じた。練炭で顔も手もまっ黒になって這い出してきたズズたちにむかって「あーあ 君たちやめたまえ」と遊びのなかまには入らないが気取った口調で割りこんでくるのは、最近、時計屋を半分仕切り取って開店したパーマ屋の子だった。丸く肥った体つきといい肉厚な白い頬といいめったにこの町では見かけない。この新参者をズズたちはぶうやんと呼んでからかいはしたものの、来た早々クラス委員のバッヂを胸に付けて彼が唱えるミンシュシュギテキニタスウケツヲモッテとか、もっともよく連発するゼンインイッチデの呪文にはいかれてしまった。
 月明りの夜、西駅の広場でチョーさんと影踏みをしていたのを通りがかりのぶうやんは目ざとく見つけたものらしい、彼は表とウラの住人とをしっかり見分けた。鬼の首でもとったように「最高学年ともなれば」とズズに言った。
「君んちもお父さまがおみえにならないんだからもっと自覚したまえ」
 ぶうやんは、母ひとり子ひとりの境遇を背負っている以上将来のために都会の私立中学へ進学するという目標をもって勉強に勤しまなければならないのであった。だからぶうやんは地元の中学へ行くにきまっているほかの者が気にするには及ばない「四つの島」の呼び名をせっせと暗記していた。
 ところである日先生は黒板を覆う大きな地図を指してこれが日本といい、戦争に負ける前はこんなもんじゃなかったといい、先生の手が西の方の大陸へと伸び、その辺の上空でぐるぐると円を描き、ほんとうはここも日本のものだったと地図を押さえ、それからこっちもだ日本はものすごく強かったんだぞといい、どんどん勝ったんぞといいながら先生の手はもう地図のない下の方まで南下しその辺を指すために先生は肩をおとし、
「この辺でやめておけばよかったんだ」
 と確信に満ち脅しつける声を発した。その一瞬膨らみきった風船がパチンと割れ教室じゅうがしーんとなり、ひと呼吸おいてから、「ふううー」といっせいに大きなため息をついた。それから「うふふふふ・・・・・・」という含み笑いがさざ波のように男子のあいだに拡がってゆくなかを先生は引揚げていった。
 そのあいだもそのあともエイコとケイコは顔をあげようとしなかった。双子はうりざね顔をこわばらせて机に額がくっつきそうなくらい頭を下げている。双子が隣近所に借金をしに歩いているといううわさを聞きつけた先生が地図の話の前に「いいかホトケの顔も三度までだぞ、みんな」と皆に向っていったせいだった。名前を挙げこそしなかったが先生がこの姉妹をあてつけにしていることは言うまでもなかった。その狡猾さを敏感に嗅ぎとってしまった仲良しの加津子ちゃんやそのまた仲良しのカナイさんが口をとがらせて先生を批難し、それだけではない先生の悪い評判についても大人びたうわさをしあうころ、クラスが半々に別れることになる卒業の日が近づいてきた。ズズは暗やみに悩まされるようになった。
 それまでもたしかに世界は昼と夜とで成り立っていたが、夜はズズの与り知らない世界だった。夜中になにが起ろうと眠ってしまえばそれまでだった。暖かい温もりのなかで目覚めるたびに暖かい温もりのなかで目覚めるために寝床にもぐりこむのだと信じて疑わなかった。
 やさしい夜が喰えこんでいた人間どもの悪業を今、暗やみに向ってドクドクと吐きはじめた。
 ――貨車は暗やみから暗やみへとズズの体を差し貫いて通りすぎた。数珠つなぎの罪状、連綿と繋がる黒い車体、動輪の狂奔の叫びを吠えたててゆく。疾駆する機関車は獰猛な警笛を吼えたててくる。地響きが眠りを脅かした。体ごと揺すられ揺すられる体は金縛りの目に遭ったままつかまえる支柱ひとつないところでズズは言葉にならない呻きをあげた。貪欲なうねりを感じて、ズズは目が覚めた。
 裸電球の副玉がまわりを鈍く照している。仏壇の抹香に息がつまりそうだ。裁縫箱の針山に突きささっている縫い針が信じられないくらい長い影を落としている。ただならぬ形相で御座する不動明王の背後に燃えさかる炎。
 体を固くしこれ以上はできないほど息をつめ長い長い列車の地鳴りが遠のくのを待った。一隻の小舟の無力のしるしを心に刻んだ。
「この罰当りっ」と目をむく祖父も「性悪や根性が腐っとる中腐れも林檎や」ときめつける祖母も一組のぶ厚く重い夜具の外に死んだような寝顔を晒してただ眠入っている。
 夜毎うなされる仕末におえない娘に「お祈りしたらええ」とズズの母はいう。「こわい夢見るんは悪いことするせいや。こわい夢見とうないなら悪いことせんことや」
「だれに?」
「だれにでもええ」
「どうやって?」
「おもたとおりにお願いするんや」
 試しに、まったくほんの小手試しにズズは布団のなかでちょっと目をつむり目に見えない不思議な存在からの応答を待ったことがある。数ある罪状のなかからそれほど重くなさそうなひとつを拾いあげて懺悔しようとしかけてやめた。だれにゆるしを乞えばいいのか? 応答はどこからくるのか? もうデキてしまった罪業はもうデキてしまったヒトの命と同じくとどのつまりむこうから死がやってくるまで持続させてゆくしかないのだ。祖父も祖母も好きなように振る舞ってきたではないか。生きたいように生きて生きのびているではないか。
 意識の暗やみから顔を出したがさいご、もう無意識の心地よい寝床にもどることはできなかった。ズズは裏の納屋の暗がりをなつかしく思い出した。今にして思えば怖れるに足りないやさしい暗がりだった。
 昼間の喧騒はとみに増してきた。氷の配達を求める顧客が増え、人手を増やし自転車を増やすだけでは追いつかず、一台のオート三輪を手に入れるために西山の蜜柑畑をそっくり人に渡した。夕焼け空につき出た二本の松の影絵を睨みつけながらオナゴみたいなもん糞の役にも立たんと祖父がいうとおり、拝みたおして来てもらう農家の若者はズズよりわずか二つ三つ年上なだけだった。町中の魚屋が早朝から氷を欲しがり、冷蔵庫を保つ家庭がふえ、電話がひっきりなしにかかってくる。病人と病院がふえ、水商売がふえた。ウラのじめじめした隘路の両側にも妖しげな色のネオンが灯るようになってきた。製氷会社が生産をふやせど夏場の需要は追いつかない。制限販売になると明け方から店の前に行列ができ、午前中で早々と売り切れてしまった。氷枕の氷を求めてきた客と酒場のグラスに入れる氷をもっとまわせとどなりこんできた街の若いもんとが空っぽの貯蔵庫の前で睨みあいのけんかをする。殺気だった病人の家族と若いもんのちらつかせる刃物とに困り果てた末、祖父は掌にのるひとかけらの氷をさらに小さく二つに分けた。
「これでも氷屋か」「キサマッヒトのカオ見て売る気か」祖父の眉間に手鉤が飛んだ。
 冬の街角にバクチが立つ日はぬめっとした目つきのサクラが屋台に使う林檎箱を借りにきた。「筋をたてるために」金を取って貸した祖母はすられた田舎者が帰りの電車賃を借りにくると「あんなもんに構もたらあかんで」と低声で諭しながら小銭を渡した。
 夜明けの鉄路に人が斃れていた。電柱の盛りあがる地表に廃物のようにどけられ――チョーセンやな、ツンボやで、とだれかれなく囁き交わす足もとで、見窄らしい菰の下によこたわる女の骸。またしても夢の中ズズは転轍器の重いレバーを倒そうと総身に力をこめた。めらめらと黒い陽炎がのぼる軌道敷、平行線はくずれ交錯し炎熱にぐにゃぐにゃと曲がりながら地を這う線路を身をよじらせて吼えたててくる機関車の不気味な警笛をワタシハキカナイワタシハツンボ。一隻の小舟は狂ったようにクレンの鉄梯子をかけて昇ってゆく。昇りつめる。地の邪気よここまで昇ってはこれまい。うなされる自分の声にズズは目が覚めた。
 聾者の轢死者が出たウラは夜も昼も張り裂けるほんものの魔物の叫びを叫ぶ人間どもの慟哭で――これでは死者も安らかに眠れまい――耳も聾するばかりだった。表通りでは久さぁが死なしたげな。扇町の名付け親が死なしたげな。好きな碁を打っとるうちに居眠りさしたかとおもおたらもう死んどったげな。地縁血縁がわれもと押しかけ食って飲んで宴のような念仏の音律、百万遍をくる合掌で賑やかなこと夥しい。
 世の中はふたたび動き出した。まるで何事もなかったかのように。指の欠けた川北さんが軽々とポイントの切り替えをしている。転轍器の何とちっぽけな事よ。今朝も満員電車が軽ろやかに都会へと出てゆく。終身雇用の決っている安気な竹さんが奇麗な赤と緑の手旗で合図を送るときのなんと真剣な顔よ。夕暮どき勤め人をくる日もくる日も吐き出す駅。夕空に自在の曲線を描きつつ隊列をくずさない鳥の群。

 小高い山の中腹にある高校へ通いはじめた年の暮、和子は一通の手紙を受け取った。
 李英順・李恵順。二つ並んだ差出人の名に憶えはない。「ズーちゃん」ではじまる数行きりの簡単な文面に「十二月十四日祖国に向けて・・・・・・」とあるのが、あのとき「帰らっせるんやな」とぽつりともらした母の言葉と重なりあうまでに和子はしばらく手間どった。
 師走に入ってまもなく店番の母に何気なくつきあっていた。いつもならその時刻人影のないプラットホームに降って湧いたような喧噪がおさまるまでひとしきりかかった宵があった。店番がてらにセーターを編んでいた母の手がふととまり、発車まぎわの列車に群がった人だかりがけたたましいベルに一層興奮をつのらせているさまを見やってたしかに母はそう呟いた。おきを引いたかまどの前にぽつねんとしゃがみこんでいるときの横顔をみせて「帰らっせるんやな」その呟きとプラットホームに沸いたどよめきとから時計では測れそうにない妙にまどろこしい時間を経て和子は手紙の見知らぬ差出人をさがし当てた。いったん繋がると記憶は繭を紡ぎ出すような具合につぎからつぎへと白い封筒から時空をかいくぐって出てきた。もしこの手紙がなければ野辺に戯れた日のことをすんでのところで葬り去ってしまうところだったと和子は思った。
「ズーはおらんのかぁ」祖母の地声が階下から呼んだ。「いつまで坐っとんのや。まめでたつくり日に日にめでたしどころか日に日に忙しや。れんこんたつくりしいたけ人参にこんにゃく買うてきてんか」
 和子は師走の町へ出た。
 ――あの人たちに帰るところがあっただなんて、あの人たちにちゃんとした名前があっただなんて、その名を名のることもできずにいただなんて。
 あの人たちの名が雑踏のそこにもここにも自分を見つめかえしているような気がしてきた。こんどこそいつかのあの少女と目が会いそうな気がした。








『見果てぬ夢』雑感ノート(三)
――采浩の人物像について 上――

 (ペエ) 鐘(チョン) 真(ジン)

 専門の徒でないひとりの読者大衆が李恢成の小説のからくりと思想を分析することは、はっきり言って手に余るし、それを試みる力もない。ただ、在日朝鮮人二世の意識に深く影響を与えたという事実を『見果てぬ夢』のどの箇所に、そしてその全体の思想をどう読み取っていったかを、それなりに指し示すことは、決して無駄でないと思われる。『見果てぬ夢』を読んで私の中に起ったある種の脱皮作用、そんなものをこの『見果てぬ夢』雑感ノートで、私は書こうとしてきた。だからアラ探し的な印象批評も本格的な文学論もこのノートでは縁がない。また雑感ノート2と内容的にもチグハグなのも気にしない。
『見果てぬ夢』は、一九七一年春、日本からもどったばかりの趙(チョ)南(ナム)植(シギ)が金浦飛行場でKCIAに拉致されるところから物語が始まる。一九七五年冬、囚われの朴(パク)采(チェ)浩(ホ)が最初の公判を控えて、妻の玲淑(ヨンスギ)と息子の燦(チャン)にはじめて獄中面会をするところで物語は閉じる。この長大な作品『見果てぬ夢』の主なテーマは、言うまでもなく土着の社会主義思想とそれを掲げる人物たちの生き方である。
 朝鮮の南の地において、反独裁、反軍政と民主化闘争が持続力をもった運動体として組織されなかったことは、体制の過酷な暴力の弾圧があったとはいえ、民衆の側に核となる力と論理がなかったからである。日帝支配のときもすべての朝鮮民族の胸深く怨嗟と抵抗の叫びがこだましていたにも拘らず、有効な抵抗戦争は金日成のパルチザンしかなかった。独立解放後の韓国において、李承晩、朴正熙、全斗煥の各時代の反体制の闘争が最後の勝利を得ずして、結果として部分的爆発に終った事情とよく似ている。四八年の四三済州島蜂起、六〇年の民族的偉業の四月革命、八〇年の光州蜂起と、人民の果烈で偉大な闘争のうねりは何度かあった。それは中央から隔絶した局地抵抗であったり、階級的結集のない衝動的抵抗であったりして全人民的な抵抗の連帯の強力な広がりに欠けていた。自然発生的な暴動がより尖鋭な矛盾の突出の時期に、しばしば起るのは歴史の示すところである。しかしそれが社会体制を変革する革命という大暴動にまで発展するためには、種々の条件があるだろうけど、なかでも重要なのは、その暴動を単なる暴動に終らせないで革命にまで導く組織の運動方針と、次に招来する世界を構築するための理論である。韓国にはその核になる組織と理論がなかった。この核は民主化と統一事業の利益のために、歴史の教訓と経験を正しく継承して総括しなければならない責務を背負わされている。朴采浩らの土着の社会主義者たちがめざすのは、この核である。この困難で重大な任務を引き受けたときから采浩には個人的な生き方は払拭されなければならない。個人に属する慰安、快楽、欲望と感情は捨てて、民族と民衆の幸福を築く仕事の中に、革命家としてのよろこびと慰めを得なければならない。采浩の生きざま自体がそのまま、革命に総動員される運動体の車輪でありエンジンでなければならない。土着の社会主義の指導者の朴采浩の生き方が、革命家の典型像としてどれほどの真実性を押さえこんでいるか、この作品のもうひとつの重要なテーマがそこにある。李恢成は言っている。
「抵抗民族だと自画自讃していてはだめなんです。自民族の歴史的欠陥をつねにこえていく批判精神と能力こそいま切実に問われています。」
 新らたな統一思想としての土着の社会主義理念がどれほど論理的に構築されていても、また時代変革の可能性を備えていても、この理念自体からは直接的な感動は生れにくいと思われる。ましてやこの思想は、南の人民の耳目にふれない地下思想としてある。それを主唱主張する者たちの峻烈な言動とたゆまぬ自己犠牲の精神が民衆にこの思想を訴え、同時にその生きざま自体が感動を呼び起こすものでなければならない。中心人物の采浩の人物像が問われるゆえんである。
 李恢成は采浩の人物像についてその形象動機を次のように語っている。
「だから逆に内部についてはきびしく人間的に見返さなくちゃならない。ほんとにもしファッシズムに対するアンチを唱えるならば、自らがほんとの民主主義の生き方を具現しなくちゃならない。そのために、まず自分の血を出さないとだめなんじゃないかと。人間的なそういう反省のなかから論理を組み立ててつくっていかなければ、どうして人の共感を呼び得るだろうか」
 作家中里喜昭の次のことばは、『見果てぬ夢』を作品意図にそって読みとろうとするものだろう。
「真のモチーフは今日ただいまの状況にかかわる個々の主体性の問題じゃないだろうか」
 それに応えて李恢成も言いそえる。
「そういう時代(七〇年代)に祖国の統一とか民族、国家ということを考えながら生きられるのかという問題を、主体的に自分の場所から発して模索していった青春群像をかきたかったですね。それは状況をどうすれば打破できるかという思いを込めたものなのです」
 この稿では采浩の人物形象について、先に李恢成の内的必然性の周辺をさぐりながら、そのあとで作中の采浩の具体的な言動について見ていきたいと考えている。途中でしばしば脱線するけれども「雑感ノート」だから大目に見てほしい。

〔一〕
 李恢成にとって表現世界は、自らの在日性を統一祖国のワンコリアの民族同一性に密着する営為と空間の中に、すべてが押し込められていると言ってよい。彼の文学はこの民族同一性をふたつの方向から存在確立しようとしている。ひとつは、在日の地域性と歴史性を建設的な与件としてとらえようとする視点である。もうひとつは、分断を止揚し民主回復に貢献する民族文学に参与しようとする立場である。しかも彼にあっては、傍観者或いは観察者としての姿勢はとれるはずもなく、政治的事件にも大胆にコミットしていく行動者としての文学者魂がある。
 かつてある日本人文学者が、知識人は知的士族でなければならないと言った。朝鮮にも武士道に匹敵する花郎道(ファランド)というものが新羅時代からある。文武両道に秀でるだけでなく民族の最高の知性と最強の砦たらんとする指導精神において、花郎道はより熱誠的で求道的である。李恢成は知性と論理、信念と態度、行動と実践において、現代の花郎たらんと自らを指名づけているようである。ちなみに朴采浩と趙南植らも、科学的思想と民主主義的生き方を体現しながら、この韓国的状況を切り拓いていこうとする命懸けの花郎といえる。ともあれ李恢成は在日の小世界を超えて本国の地脈に足を踏み込み、希望と自由のために苦難のそれでいて光輝ある戦列に勇気をもってすでに加わっている。いま南の地で闘われている激しく地道な民主化闘争と反体制運動にくらべ、在日朝鮮人社会ではかつてなかったほど、民族精神が風化し甚だしく地盤沈下している。それだけに李恢成的考え方と生き方、そしてこの『見果てぬ夢』は注目されなければならない。
 朝鮮と地続きであるという祖国意識が分断の固定化に伴い、どんどんと遠のいていく。民族的なものの風化の巨波が「在日」を大きくのみこみ、返す波で日本人化現象という同化と祖国喪失の疎外感でもって「在日」を根こそぎひっさらおうとしている。そのうえ在日同胞の世代交替の年齢的な構造変化が民族の基礎基盤を日ごとに薄弱化し空洞化していく。そんな中で、在日と祖国の関係を一体のものとする思想は、在日社会の変遷と交替の実態を見ないかびのはえた空論だという意見が最近になって矢次早やに出てきている。民族意識や思想よりも近代市民としての自覚と意識が、民族とか国籍の壁と差別を乗り越えて人間権利の地平をひらき、人間としての矜持がもてるのだという考えである。いままでくぐもっていた二世世代たちの実感的傾向のつぶやきを、金(キム)東明(ドンミョン)が『第三の道』として初めて思想的に提起した。竹田青嗣がその思想的背景を『在日という根拠』で論理的に掘り下げ、新世代にとっては民族的自由が人間的自由と必ずしも重ならないことを強調した。そして民族重視の里帰りの思想感情は時代おくれとばかり、梁泰昊(ヤンテホ)が『釜山港に帰れない』と声高く歌おうとしている。
 戦中世代の一世の呉林俊(オイムジュン)は自らの世界の半分を支配した「朝鮮の中の日本」にこだわり続け、その緊張の抗いを通して朝鮮人としての自身像の輪郭を定めていった。二世の李恢成は逆に「日本の中の朝鮮」を執拗に探索し、その形象と集積作業を精力的に重ねて、徹底的に自己存在の意味を問うてきた。民族としての出自の自覚が人間としての主体性の奪回になり、人間としての主体性の誕生は民族としての生き方の選択という民族同一性の思想がそれである。こうした民族回帰によって転回と脱皮をとげるという思想は、ことばを知らない、習慣をもたない、民族が自己の解放につながらないと考える若い世代の自覚的生き方を、もはや支えることができないというのが『第三の道』的考えである。果してそうだろうか。
「BLACK IS BEAUTY」は黒人解放の合言葉だった。私自身の場合、「KOREA IS BEAUTY」はいわば、宗教信仰のように全的に自己解放させてくれる霊験あらたかなお題目であった。私の中にある装置が唱和のたびに、まがりなりにも始動して幾ばくかの発見と創造のしごとをしてくれた。一滴の血はコップの中でこそ鮮紅をとどめる。大海に落とせば瞬時にこれ以上霧散させるよりも、少しでもかき寄せてひとすじの輪郭の線になるよう織っていく努力を積んでいきたい。「KOREA IS BEAUTY」はやがて消え去る空蝉の泣き声だろうか。民族思想の真実をもはや得られないのだろうか。暖房完備の近代建築の快適さよりも、汗と脂のしみついたオンドルパンのぬくもりに、私たちの解放の秘密があると考えるのは夢想だろうか。民族的なものが時代に合わないと見なし、さらにはポイッと振り捨てるのは、李恢成流に言えば「風呂の湯を流そうとして赤ちゃんまで流してしまう元も子も失う」ことになりはしないだろういか。在日二世としての文学者李恢成が、従来から追い求めていた朝鮮人になるためのアイディンティティーと祖国の統一事業を重ねる結合関係は、『見果てぬ夢』ではもうひとりの主人公の趙南植とこれまた在日の二世画家の孫敬南(ソンキョンナム)(もっとも作者李恢成の生の分身に近い)の思想と行動として熱を込めて紹介している。
 李恢成はことあるたびに言う。
「在日朝鮮人という存在は朝鮮民族と切り離すことのできない全体の環の一部だ」
 そう規定し「南北朝鮮の統一に能動的にかかわる生き方」を主張している。
『見果てぬ夢』の作品の中で「円の思想」について朴采浩と趙南植が語り合うくだりがある。采浩は在日と本国との関係を円にたとえて言う。
「大きな五千万の円。三千三百万を抱きかかえて一千五百万と合流し、六千万を引き寄せている全体の円」。大小ふたつの円がある。小さい円から大きい円に線太い矢印が向っている。
「これが祖国と在日僑胞との函数関係だ」と説く。
 そして統一のときには、生活上の理由や血縁の関係で日本に残る人々がいるだろうが「政治的には僑胞はやがて祖国へ帰っていく」と予測する。
「在日僑胞は、分断された祖国の質草じゃないんだね。まして日本の厄介者でもない。・・・・・・日本はかりに在日僑胞にとって精神の一地方であっても、けっしてその首都になることもできないものだ。こんにちの分断状況の中で、在日僑胞のもつ役割がいつになく重要になってきている」と判断を示す。
 さらに采浩は三一運動のときの在日留学生が果した先駆的役割にふれ、在日の存在の意味を六十万という数字的存在でなく、質的存在としてとらえる。そして南の革命が韓国民衆の主体的力量によって遂行されるものと確信しながらも、
「主人公はあくまで韓国の民衆だと思う。だが『どこで生れたか』は問題じゃない」と言い切る。
 革命する人間が南に流れている変革思想にどうつなげていくのか、それが問われている。趙南植も「在日僑胞としての存在に拘泥せずにもっと全体的な民族のるつぼで物を考えたい」と韓国留学して農民問題を研究しようとした。こうした在日も朝鮮という祖国に結びついた運命共同体的な在日観は『見果てぬ夢』の作者李恢成の根幹的思想でもある。在日者が祖国と向い合うときの基本姿勢、そして祖国の動きに生産的な衝迫力でぶっつけようとする逃げない実践態度として、それはある。
 もうひとりの誇りうる在日の民族作家の金石範(キムソクポン)は厳粛に言っている。
「在日朝鮮人の未来はつねに祖国のそれとともにある」「私はひたすら主体的な存在としての在日朝鮮人を主張する。それは統一朝鮮の総体を、現実的な政治理念にとどまることなく頑強に実現する過程で自らを変革してゆく朝鮮人像に吸収されるべきものとしての在日朝鮮人である」(傍点は)
 金石範は一九四八年の四三済州島蜂起事件を『火山島』に書いた。この作品は『見果てぬ夢』と同じように、本国文学の自由と題材の制約と禁忌(タブー)という空白を埋めるもので、これまた民族的大作といえるもので、金石範にとっても畢生の大事業である。在日の権利を生かした在日朝鮮人文学の一大収穫と言える。ほんとに文学のもつ醍醐味を存分に味わせてくれる力作である。ぜひ読んでほしい。八四年の大仏次郎賞もえている。
 北も南も等しく眺められ、思想や運動の面でも自由で多様な情報と立場が開放されている日本。そこで生活する在日朝鮮人の状況と経験が、朝鮮の統一と民主化と近代化と民族の平和と幸福のために役立つ良い仕事を可能にするだろう。李恢成には、在日のこの条件と権利を生かさねばウソだという思いがある。それに分断の南北のどちら側も、具体的な統一問題を民主化と体制批判にからませて描くことは金輪際無理という政治的制約がある。自主的統一のテーマは必然的に反権力に向う。それは時局に逆らうことになるから権力は露骨に封殺にかかってくる。その他にもさまざまな困難な問題が介在している。李恢成が本国の文学者たちが担おうとしてもできない仕事を、在日朝鮮人文学者だからこそできるのだと言って引き受けようとするのは、民族の質的存在としての強い自覚からきている。
 七二年の訪韓のとき、李恢成は韓国の文学者との対談でこういった。
「この地であらゆる現実に身をさらしながら、文学創作を行っている文学者たちに対しては、私自身もまさにそういう現実に身をさらさなければならないという連帯性を考えました」
 韓国的事情のためにひとかわかぶったような言い方だが、統一と民主化のためにより一層果敢に仕事をしたいという決意がのべられている。具体的には、ふたつの政治権力に対する批判、民衆の声が圧殺されている社会状況に対する洞察、在日と祖国の関係で自らを含めた民族人間に対する反省。こうした問題との対決こそが真摯な行動する民族文学者としての自分のとるべき道であり、同時に時代的良心において、最も鋭敏な触覚を張りめぐらし、それを文学的結実として表現することが、在日朝鮮人文学者としての自分に課せられた役割だと認めている。
 李恢成の『半(パン)チョッパリ』と『砧をうつ女』を韓国語訳した李浩哲(イホチョル)はこの李恢成の認識にふれてこう言う。
「作家の良心として祖国の現場にとびこんで・・・・・・祖国の問題としてしだいに切実にぶつかりはじめるし、国内で活動する作家ともより堅い連帯につながるし・・・・・・まさにわれわれの困難さをそのままわけもとうとする。困難さの面もまた李恢成の方から深く介入してきた。」
 韓国作家の李浩哲は李恢成をこちら側=《現実参与の民族文学》にきた作家だというまなざしで見た。李恢成は単に祖国の地に立ち寄っただけでなく、民族作家としてそこへはっきりと足を踏み入れたわけである。それは彼の民族思想と文学理念から必然の趨勢と帰結ではあるけれども、彼は自らの文学的存在証明のためでなく、より一歩突き進んで本国文学の一角を担う成分になろうとした。まさにそうした意味において『見果てぬ夢』は民族文学の称号を得るものであり、また本国文学に勇気を与える在日朝鮮人文学者李恢成の誇るべき所産ということができる。もっとも現下の韓国では、この『見果てぬ夢』は禁書のひとつであり広く読まれることを妨げられている。
 在日の特殊性を正当な権利だと敷衍しようとする思想の底にある民族同一性の認識は、獄中の在日二世趙南植においても希望と勇気の支えとなっている。彼はこう語る。
「僕がここでの生活でいちばん大切にしたいのは、自分の生き方がどれだけこの時代の最も未解決な苦悩を体現し得、この生活の場から何を発信できるかということだよ。そういう狂おしい願望は、革命への期待と民族への再興への念願と結びついている」
 今さら言うまでもないが、李恢成は在日に身を潜めるのではなく、在日だからこそ在日を武器にして、民族的土台と主体性を堅持しながら、統一と民主化のために貢献する文学を書いていかねばならないと考えている。それを自分の最もだいじな文学の条件のひとつとしている。
  〔二〕民族文学の立場
 李恢成は民族文学の立場をとっていると先に指摘した。李恢成は「在日文学は本国文学に吸収されるべきもの」と言う。文学における小さい円と大きい円の関係である。在日朝鮮人文学の特殊性と独立性を言うまえに、書き手が朝鮮民族のひとりであり、描く主題や対象が朝鮮民族である以上、それは本国文学の潮流の一部として位置づけられる内容を含み、またそれに耐えられるものでなければならない。文学が単なるなぐさみものであるはずがなく、在日朝鮮人文学も民族の命運つまり民主化と統一という民族的課題に立ち向うものでなければならない。最も中心的にこの課題を追求する南の民族文学、民衆文学の波動に呼応し、自らもそれをめざす文学行為を積みあげようとしている。
 李恢成の文学は初期の自伝的作品群から、この『見果てぬ夢』に見られるように本格的な民族歴史小説へと移っていった。それは自己のアイディンティティーの思想的成熟が民族の統一問題へと至上命令のように凝縮していったことと、民族文学への関心の深まりと参与への意識の高まりとぴったり軌を一にする。『見果てぬ夢』を書くまえに、彼は金芝河(キムジハ)の『不帰』ほか作品集を翻訳している。このとき李恢成の中にそれまでよりもまして、ねばっこくて水々しい何かが胎動し爆発したものと思われる。そしてこの『見果てぬ夢』作品化の一層の勇気と情熱を奮い立たせたにちがいない。彼は言っている。「『五賊』を読んだとき、ショックを受けました。その感動の性格は、とにかくあれだけの諷刺の力で真正面から権力の悪に立ち向っていったそのモラルにありますね。だからこの小説をかくときにも『五賊』が一つのスプリングボードになっている」
 采浩の人物像が、韓国の現実が要請する「統一と民主化」に寄与する民族文学の立場からも形象を試みようとしていることに特別の注意を払いたい。土着の社会主義その革命思想が苛酷な状況で展開されねばならないとき、主義者たちはありうべき人間像として、論理面でも倫理面でもきびしい生き方を体現していかねばならない存在としてある。采浩の人物像はまさにそうした意図と計算のもとに形象化が試みられている。このふたつの要点を見逃すと采浩の人物像を見誤ることになる。木を見て森を見ずのたぐいの批判になりかねない。私自身そう言い聞かせて、眼がそっぽを向くまちがいだけは避けたいと考えている。
 一六〇センチそこそこの短躯、鷹のような鋭い眼といかつい顔といった采浩の外貌。洗練された性格とはとても縁遠い野暮ったさ、それでいて容易にひとを寄せつけない隙のない態度。ひとたび議論すると、一目も二目も置かせる広い知識と明快な論理と妥協を拒否した攻撃的な語り口。何よりも梃子でも動かない正義心と革命への信仰。そして小市民的欲望をそぎ落した修道僧のような求道精神。女性に出会い、心動かされても決して男女の愛で愛さない抑制心。およそ人間が備えうる行動力も知識力も判断力も徳性力もみな抜群ときている。たとえ卑小な自身を革命精神の権化に磨きあげようと全生命を賭けて苦闘する生き方であっても、こうした完璧人間に出会えば誰だって生身の人間としての親近感を感じない。にも拘らず采浩は無視できない魅力的な人物として迫ってくる。なぜだろう。
 いわゆる近代文学の個と全体との相克、或いは個と外部世界との摩擦、そうした環境の中で苦悩する自我的人間の自己完成と人格の錬磨、そうしたものがこの『見果てぬ夢』では描こうとされているのではない。その図式で采浩の人物像を眺めるなら、ある種のズレが生じる。空気中を走る光が水面にぶちあたったあと、水中での屈折率が変っていくように、角度をかえてみる必要がある。つまり民族文学の次元というものを視野の端に入れ、作者とそして現代朝鮮の民族文学の動向とその文学姿勢に鋭く注目すべきなのである。この『見果てぬ夢』は、そうしたところに作品の特長と価値を見取らねばならない。
 李恢成自身は『見果てぬ夢』の作品動機について次のように書いている。
「現代朝鮮において、こういう精神運動がある。こういう革命の道を歩もうとしている人間群像があるのだということを知ってもらいたかった」
「私の心中にあったのは、歴史の激動期の中で生れるべくして生れてくる新しい人物像への期待であり、その思想のもつ価値の追求です」
 そして小説のもつ美学、たとえば感覚の問題、美意識の問題が偏重されて小説が論理の強さを失う傾向の日本文学の欠点をつきながら、論理の力は小説の力を破壊するものでないと言う。続けて、
「私はこの小説において固い議論を登場人物をつうじて展開させました。・・・・・・そのねらいは生き方の意味を問うところにあったのです。その生き方とは現実社会に邁進しながら、そこから逃避するのではなく、対決し何かを創っていく生き方・・・・・・苦闘の中から浮かび上ってくる人間の精神史のようなものです。誰であれ、いったん人が歩んだ跡をなぞっていくのはそれほど困難なことじゃない。けれども独創的思想を抱いているその糧を社会に生かそうとする人間の仕事は人間史にとって重要な試みであり注目されなければならない。・・・・・・私は向う見ずにもこの小説をかきながら、朴采浩や趙南植という人間像にそのような価値を持たせたいとねがいました。民衆の苦しみをおのれの苦しみとして感受できる精神の優しさ、民衆のために自己犠牲をいとわない人生の態度、歴史の『あと知恵』によって現代を追認するのではなく、歴史のかくれた真実まで自分を引き受けて全体を見渡そうとする人間――こういう人間をかきたいとねがったのです。ですからこの小説が変革の論理と倫理をかかげたのは当然の成行といえるでしょう」
 論理と倫理と言えば、小説的常識を破った議論小説と言われた高橋和巳の一群の作品を思い出す。戦後日本を変革する革命思想をもつ知識人たちの凄絶な挫折と散華が彼の作品の基調であった。そこで展開される変革の思想は、たとえば『憂鬱なる党派』とか『日本の悪霊』においては、社会科学としての高度な分析と総括が卓抜した作家的力量のもとに行われ、いまだ専門家さえ到達しきれなかった独創的な世界が披瀝される。論理の展開としては見事な切れ味と内容を含んでいる。しかし倫理としての人間の生き方というのは、権力の壁に玉砕して果てる滅亡の美学とも言うべき苦行者的な孤立無援の生きざまである。近代人の閉塞感というやつが意識的にも情感的にも同伴して独特のカタルシスを味わせてくれる。反面逆照的に矛盾の暗部を描き出そうとする彼の意図に背いて、読者は彼が描き出そうとする矛盾そのものの裂け目のひだの中に足をすくわれ身を沈めてしまいそうになる。高橋和巳の鋭敏な感性、該博な知識、端正な論理がその陶酔感を相剰させてくれる。権力機構や国家装置に討ち死にしていく知的戦士の破滅の深刻な物語に読者は内なる虚無と自虐の心をいたぶり慰められ、敗北主義と安逸主義を現代人のもつ中間者的位置から、自らの逃げ場として用意しようとさえする。これもまたもうひとつの現代人の抱える倫理的な弱点の、人間連帯を嫌うという個人的な情念の波長にどこかで野合する酷薄なものがある。それは後ろ向きのあふれるような充足感さえ与えてしまう。巨大な暗闇の壁に突っ込んでいく知的人間の思念と勇気の代償に、押しつぶされていく思想論理の呻吟と人間尊厳の破壊がある。それは限りなく悲しい。はっきり言って高橋和巳の文学にはどろどろした現代の矛盾の深淵を撃っても、未来志向の建設のロマンチシズムはない。怨念の正体の意味を真剣に問うても怨念を解放するための確固たる哲学はない。対照的に李恢成の『見果てぬ夢』には、未来構築と人間回復の壮大なめくるめく哲学がある。この差は大きい。高橋和巳の日本文学と李恢成の在日朝鮮人文学の差かも知れない。しかし好みで言うならば、私は高橋和巳の文学に捨て難い魅力を感じている。
 ここで韓国の民族文学の傾向を少し見てみたい。一九六〇年の四月革命のあと、新しい四・一九世代(ハングル世代とも言う)の詩人たちが中心になって、文学者においても革新的な民族秩序を確立すべきだと参与文学論が活発に火を噴いた。当時の韓国文壇は既存世代(皇国臣民の世代とも言う)が主流であり、指導していた。彼等たちの純粋芸術文学の傾向は植民地文学の残滓を引きずる敗北主義であり、権威主義であり、西欧志向のブルジョア文学であり、保守的な図式文学であり、それは清算されるべきである、と批判された。加えて七〇年代前後になると、第三世界的現実が浮上し跳躍してきて、世界史における韓国の先進的可能性の役割が注目されるようになった。分断と抑圧という第三世界的共通矛盾において、自由希求の韓国の先駆的経験が大いなる思想的収穫として認識されてきた。以降今日まで政治的社会的激変の中、民主主義回復と南北統一の民族悲願を文学領域でどう受け持っていくか、民衆の抵抗思想をどう表現するか、文学の社会的機能はどうあるべきかを論議し続けてきた。
「危機状況の中で、諸々の文学論は『民族文学』の新らたな概念の下に収斂され、いっそうリアルに民衆の生活を描く『民衆文学』として方向づけられていった」(金学鉉(キムハギョン)『韓国文学の思想』)
 闘う反体制文学者として金芝河と並んで勇気ある発言と行動をくりひろげる詩人の高銀(コウン)は、新しい民族文学の条件を次のように提起している。民族の文学の展開として民族統一の文学的基盤をなす言語と文学行為による行動化。一切の反歴史的な非民衆的反民族文化を止揚。同時にブルジョア趣味的な民俗性を排除した民衆的伝統の継承。産業主義的文学と審美主義或いは小市民的観念主義の廃棄。そして次のように言う。
「文学そのものでもって民族の存在を証明するのではなく、民衆が支配者の力に抵抗して起こす戦いによって、民族の存在を示さねばならないという帰結によって民族文学の普遍的職能を果し得る」
 そしてこうした文学運動を通じて「民族の統一と民衆の解放を実現する道徳的で革命的な生の文学がとりもなおさず民族文学である」という事実に覚醒せよと提言している。
 秀れた文学評論家の白楽晴(ペクナッチョン)も言っている。
「民族文学は民族の政治的運命を左右する民主回復運動を自らの当面の課題とし、この運動を成功へと導くのになくてはならない道標の役割を果す」
 もうひとり、李哲範(イチョルボン)のことばも紹介する。
「民族文学は分裂の中でくりひろげられた誕生と苦痛と死をまるごと抱えこんで、その分裂を拒否する実存の次元で表現しなければならない」
 中国の郭沫若は抗日時代に「問題になるのは昨日の文芸か、今日の文芸か、明日の文芸か」と言った。つまり現下では、民主主義回復と南北統一の悲願が民族文学の概念の中で最も核心的に論議され表現されるものであり、この民族テーマにすべての文学行為が結集し求心していかねばならないと言うのである。
 ただ、ことばの国籍で民族文学を言うならば、狭義の意味において李恢成文学は問題をはらんでいるかも知れない。イギリスにおけるアイルランド文学、アメリカにおける黒人文学、日本における在日朝鮮人文学はいずれも被抑圧者が抑圧者の言語で表現世界の自由を獲得し貫こうとしてきた。李恢成はこうした母国語と表現語の齟齬の言語感覚を「容疑者の言葉」と言った。文学言語は根源的に文学の独自性と先進性に深くかかわる問題であるが李恢成はこう決着をつけた。
「何語で書かれているかは問題ではなく、何が書かれ何を書こうとするのかが重要なのである」
『見果てぬ夢』は現代朝鮮の革命的知識人の物語である。もっとも多数であり、統治権力から犠牲と搾取を強要されている下層民衆を物語の中心に据え、彼等の生活と意識構造を的確かつ詳細にとらえ、それを形象化することはこの作品のねらいではない。作品動機は革命の前衛としての知識人をねばっこく書くことにある。知識人がこの苛酷な状況下で推進し体現していかねばならない歴史的役割と未来を担う民族的責任を、土着の社会主義思想という論理と民衆と民族に仕えるという革命家の倫理のふたつの側面から肉薄しようとしている。知識人の苦闘を通して民族の統一と民衆革命の壮大な夢を現実変革の確信のロマンチシズムとして謳いあげようとしている。
 もっとも『見果てぬ夢』をはじめから民族文学の範疇に入れようとして書きあげたのではなく、李恢成の思想と思索と時代精神を、在日性と民族同一性の問題、最大矛盾の分断止揚と民主回復の権利にぶっつけて作品化してみれば、結果として民族文学に属したというものであろう。民族文学のあとづけさきづけは重要ではない。民族文学の動きはあくまでも朝鮮民族をとりまく現在の森羅万象のひとつであって、それは政治経済社会文化構造の一部である。文学装置における世界把握の思想運動として民族文学の大部の輪郭が、いまこうして韓国では文学世界の真実を得ようとしてあることを認識しておきたいだけである。『見果てぬ夢』は李恢成が在日性をふまえて朝鮮民族の主要矛盾に対して、どう全体把握していかねばならないか、そのひとつの答案ではないだろうか。
  〔三〕歴史英雄の系譜
 在日朝鮮人社会は本国と切り離して存在し得ない。つまり政治的には本国に帰属しているのと同じように、在日朝鮮人文学も本国に吸収される性質のものであり、本国のすべてから隔離され孤立した独自の文学としては、存在し得ないという李恢成文学の根拠を見てきた。采浩の人物像についても、民族文学の立場から要請する新しい革命家像として肉付しようとする作品動機も見てきた。ここでは采浩が民族の伝統的英雄像のひとりとして形象されているということを見ていきたい。
 李恢成は図式にはまらない新しい人物像として采浩をつくり出そうとした、とはっきり言っている。が、朝鮮の歴史や伝統や説話の中に生きている理想像や英雄像と比較したとき、以外に決して離れていないどころかむしろその系譜の中で形象されていった人物ではないか、と深く感じるのである。李恢成の言う図式とは日本文学的な図式のことのようである。
 朝鮮には『フンブとノルブ』という民話がある。意地悪で欲張りな兄と正直者で気の優しい弟の物語で、過ぎた物欲と慈しみの心をもたないねたみや邪な生活態度は身を滅す、という人倫の教訓を説いたものである。日本のお伽話の『花咲かじいさん』や『こぶとりじいさん』の主題と同じである。この『フンブとノルブ』を伝統的な語り節のパンソリに潤色した李朝末期の申在孝(シンジェヒョ)の『朴打令』にこんな一節がある。
「父母に孝行怠らず、目上の人を敬いて、隣近所と仲睦まじく、友だちには信厚し。飢え死にせんとする人には、おのが膳の飯をわけ、凍えて病める人あらば、おのが纏いし着物を脱ぎて与うを厭わず。荷物かつぎし老人に出会わば、代わりに負うてやり、梅雨ともならば川越えの人を背負うて銭とらず。他人(ひと)の家に火事あらば、家財道具の番をしてやり、道に宝が落ちたらば、持ち主来るまで見張りする。山中に白骨あらば、穴深う掘って埋葬(とむらい)、操を守る寡婦(ごけ)どのが水争いに巻き込まれば、駆せ参じて手助けし、善人が悪だくみに陥らば、代わりに行って弁じ立て、か弱き者の難儀を見れば、駆けつけて助太刀す。酒幕に病みし旅人の消息(ようす)を家に知らせてやり、他人(ひと)のことのみ精出しては、銭一文も儲けざれば、ノルボの怒りはいかばかり」
 このパンソリは話のすじの面白さの中に、両班(ヤンバン)社会の長幼の序列や権力者の無能ぶりを痛烈に諷刺する内容も含まれているが、それは別にして、ここには民衆が重視する種々の徳目と生活の中にとけこんでいる人倫道が具体的に並べられている。わが身よりもひとの身という愛他精神、病人や老人や寡婦に優しい弱者救済の心、贅も求めない勤倹な生活態度、言うべきは言う勇気と行うべきは行う行動力、不正を許さない正義心。これは朝鮮民族が歴史と実生活の中で、愛し尊敬し支持してきた人間の理想像の原形ではないだろうか。新世界創造とそれにふさわしい生き方と考え方を打ち立てようとする采浩と、閉ざされた両班社会と儒教道徳の中で生きたフンブとの照応とは唐突かも知れないが、民衆に支持される生き方と倫理という点では、共通点がいっぱいあると思われる。
 同じように民衆の人気を得ている古典文学の『洪吉童(ホンキルドン)伝』の快男児ぶりもこれに通底するものがある。朝鮮王朝時代、両班の庶子として生れたために侮辱と冷遇を受けた洪吉童は、時代の叛逆者となり徒党の頭となって、不合理不自然な両班社会を破茶目茶に暴力でかきまわす。その神出鬼没の武勇と冒険は、『水滸伝』の豪傑のように民衆の喝采を拍し民衆の鬱憤を晴らすのである。洪吉童は庶民の中に生きている英雄像であり、しかも旧秩序否定、新世界創造の革命家と言えなくもない。当時の世相を考えれば、こんな破天荒な作品が出たことは驚きである。
『見果てぬ夢』の中では、ソウル市内の名所旧跡から貧民窟、五賊村の高級住宅地とめまぐるしく祖国の匂いをかぎまわっている南植を、采浩がひやかすところがある。「ここに現われるかと思えば、あすこに出没する。新版『洪吉童』じゃないかね」
 まだある。ソウルのパゴダ公園で大道講釈師が時局漫談よろしく、義賊洪吉童の話にことよせて独裁政府をちくりざっくり小気味よく批判するところがある。
 人間の徳目と生き方の廉潔さにおいてフンブを、権力機構と社会の腐敗に対する抵抗精神において洪吉童を、采浩の人物像に重ねて見ても決して的はずれではないと思う。朝鮮ではフンブも洪吉童も幼い少年から生活経験豊かな年寄りまで知らぬ者が居ない位人気者である。こうしたアイドルは民衆と権力の構図の中で、常に民衆優位の意識を満し支える役割を果してきたと思う。
 伝統物語の中だけの英雄ではなく、采浩のような革命的人物の存在は侵略と圧政に苦しんだ民族歴史の中に、たくさんちりばめられそして生きている。彼等は常に解放と自由を求めて民族と民衆のまえに歩哨のように立ってきた。数々の民族民衆闘争運動の中で鍛えられていった諸先達の精神の偉大さと、支払われた生命の重みは民族の記憶の奥深く鮮やかに刻み込まれている。圧政と暴力を憎む激しい抵抗姿勢、至誠至純の愛民愛国の精神、身命を投げうつ自己犠牲の生き方は、歴史が強制したとは言え、恨(ハン)の飛沫が抵抗の水がめにためられていったように、民族の栄光の伝統的資質として子々孫々に脈々と受け継がれてきた。そしていつも歴史の刻み目ごとに民族の英雄待望の祈りがあり、それに呼応して民族の側に立つ英雄が輩出してきた。采浩はそうした民族の伝統的な精神土壌の中で生れてきたものではないだろうか。
 ニム・ウエルズは『アリランの唄』で一九三〇年四〇年代の朝鮮独立解放運動を闘う典型的な革命知識人の金山(キムサン)を紹介した。彼女は金山の印象をこう書いた。
「彼は表面、挙動温和で礼儀正しく、世捨て人のようでもあったが、その底には威力がひそんでいた。・・・・・・自分が死ぬことも他人を殺すことも恐れないばかりでなく、道徳的にも知的にも堕落させられることもないし、逃避することもしない人物だ、と思われた。ここに居るのは、中国と朝鮮の現代史の型を打ち出したあの数多い悲劇の白熱の中で打ち鍛えられ形づくられてきた男だった。またやきが入っている意志と決意の鋼鉄の道具としてだけでなく、感覚と知覚をそなえた有情の存在でもあるものとして、きびしい試練の中から立ち現われた男でもあった」
 おどろくほど采浩のイメージと一致するではないか。それは何よりも采浩そのものが、彼の秀れた個別性の中に歴史の抵抗性と時代性と献身性を濃厚に受け継ぎ、正しい意味においてこの分断状況の中で具現化しようとする人間だからではないだろうか。
 論より証拠、この『見果てぬ夢』の中で場面説明に引っ張り出された民族英雄や革命家を思いつくままに拾い出してみよう。壬辰倭乱のとき、亀甲船で秀吉軍を壊滅させた水軍の将の救国英雄李舜臣(イスンシン)。秀吉軍の武将をわが身もろとも沈めて水中に果てた名妓論介(ノンゲ)。農民蜂起の東学党の乱を指導した緑豆(ノクト)将軍の全琫準(チョンポンジュン)。近代朝鮮の祖と言われる甲申事変の金(キム)玉均(オクキュン)。韓日併合の張本人伊藤博文を銃弾で斃した安重根(アンジュングン)。三一独立運動で日帝に殺された朝鮮のジャンヌ・ダルクの柳寛順(ユグアンスン)。日帝支配中、独立解放運動の先頭に立った志士たち、『朝鮮革命宣言』の申采浩(シンチェホ)、『朝鮮独立運動血史』の朴殷植(パクインシギ)、それに安昌浩(アンチャンホ)、白九(ペクク)、尹奉吉(ユンポンギル)。そして分断時代の今日に生きる反体制運動家の拉致事件の金大中(キムテジュン)、死刑に処せられた『民族日報』の趙錬鋳(チョヨンス)と統一革命党の李文奎(イムンギュ)。『五賊』『良心宣言』の金芝河、作中の趙南植のモデルになった在日二世政治犯の徐(ソ)兄弟。まだ居たかも知れない。
 民青学連事件のとき、金芝河とともに出廷したソウル大生の金秉坤(キムビョンコン)は死刑の求刑をきいて「光栄です」と言った。金芝河はそのときの感動をこう記している。
「あぁ一体何という言葉だろうか?・・・・・・ついにわれわれは死にうち勝ったのだ。あの地獄での日々、血まみれになって身もだえつつ、瞬時々々ひたすら死と格闘し、ついにその恐怖にうち勝ったのだ。・・・・・・われわれは集団的に勝ったのだ」
 釈放をえさに転向を迫られた徐俊植(ソジュンシク)は「私は転向しなかった。なぜならこれは全体の問題です」と言った。これは作品中でも、獄中で、より思想的に鍛えられる趙南植のことばとして出てくる。階級的にもイデオロギー的にも、民衆の信頼を裏切らないためにも、闘いの勝利のためにも、変革の論理を去勢されないためにも、そして何よりも在日二世であっても民主化と統一の民族的課題を引きつけていく生き方の正しさを守るためにも、人間の価値が試されていると考えたからである。それは時代の中に生き時代をこえて生き続けるであろう、革命への信仰の力強い決意のことばであった。
『見果てぬ夢』の作中だけでなく、人権抑圧と暴力支配の現実的状況で、節を曲げないで誇り高く闘っている自覚的な抵抗知識人たちは、高名な文学者、宗教者、言論人から無名の学生たちまで、良心の政治犯として獄中獄外で勇気と正義を示している。彼等こそ采浩や南植と同じく、民族と民衆の解放と自由のために、命を惜しまない歴史の系譜に連なる民族英雄ではないだろうか。
 韓国ではキリスト教が福音と信仰の教会共同体であるよりも、苦難と抑圧の民族共同体を優先し、民族の救済と民衆の抵抗の拠点として歴史的役割を果してきた。この韓国のキリスト教の宗教における民族解放の思想を、「解放の神学」「民衆の神学」と説く、指導的な反体制運動化のひとりの司教池学淳(チハクスン)は、七四年の民青学連事件のとき金芝河と共に連座して下獄した。国民全体の民主体制復帰の声が急激にふくれあがり、権力はそれを鎮静化させるために池学淳を病気保釈扱いにしようとした。そのとき彼は笑って言った。
「なんですか。われわれだけの病気保釈ですか。獄中にいる全員を出してくれても果して歩いて出るだろうかと思っています。牢屋がいやなら外で黙っていたでしょう。民主主義の勝利のために進んで牢に入ってきたようなものです」
 左右しないまっすぐでそれでいて悲壮感の伴わない抵抗心にはユーモアさえ感じる。それは国家権力の暴力と懐柔、恫喝と動揺を思想の深いところで見抜いている人間の勁さからきている。
 度重なる投獄や暴力を経験している、もうひとりのキリスト者の文益煥(ムンイクファン)教授も不屈の魂の持主である。彼は解放直前、日本の福岡で二十代半ばで獄死した、民族的良心と抵抗姿勢の象徴のことばとなった、あの有名な「一点の恥なきを」の詩人尹東柱(ユントンジュ)の友人でもある。作中で趙南植と同志的結合で結ばれた貧救教会の金致烈(キムジヨル)のモデル金鎮洪(キムチンホン)牧師も民衆の中で生きようとしている。論壇の指導誌『思想界』を創刊し、急進的な体制批判と歴史批評を企画展開し、秀れた民族頭脳を発掘した張俊河(チャンジュナ)が居る。彼は「愚かしい祖先には再びなるまい」と文字通り死力を尽してペンを武器に闘ったが、権力に謀殺された。彼は日帝時代、学徒志願兵を脱走して白九らの独立義勇軍に加わり、朴正熙の満州軍将校岡本中尉の前歴を知る生き証人でもあった。もうひとりの言論人『抗日民族論』の白(ペク)基(キ)ワン(王偏に完)も居る。彼もそのゆるぎない体制への弾劾精神と民衆への信仰心のために拷問で不具者にされた。思想的立場の微妙な相違はあっても、圧政を憎悪し暴力を拒絶し、民族悲願の民主化と統一の黎明を迎えるためには、死闘も辞さない抵抗精神がもえたぎっている。
 李恢成がこうした民族の抵抗英雄たちをたくさん紹介したのは、采浩や南植の人物像の実在性と歴史性を支えたかったからである。同時に、歴史の中で指摘されてきた知識人の欠陥、思想的には進歩的な過激派であっても、行動的には臆病な穏健派、そのイメージをも、采浩や南植は論理の上からも倫理の上からも拒否し克服していかねばならないと考えたからである。歴史の中に彼等の志向する生き方の見本があり、そこに重ねて描くのは自然の勢いである。
 現代の高度に発達した権力の国家装置は個人プレーでは倒せない。無計画無思想な反乱や反抗は単なるはねあがりで、物語中の痛快無比のこらしめ劇のようには終局しない。近代社会の変革は、思想において武装した先導的な革命隊列の存在がなければならない。革命思想と方法の検討は別にして、民衆の敵を倒し独裁強権を転覆し、新秩序を創造しようとする気概と精神においては、采浩や南植はフンブであり洪吉童であり、現代の花郎(ファラン)とは言えまいだろうか。彼等は民衆に支持され信頼される革命をめざし、民衆につながらない無政府主義的な暴力テロや破壊工作は決してやらない。洪吉童の理想郷はこの朝鮮を離れた南海の孤島であったが、采浩らのめざす新しい国づくりは架空の地ではなく、五千五百万の民族が五千年の歴史の中で生き続けてきたこの三千里錦繍江山しかない。歴史の抵抗者たちが命を賭けて守ろうとしたこの地を彼等もまた命を賭けて守ろうとした。
 李恢成は采浩の人物形象のために歴史英雄の系譜をなぞっていった。それは別の効果をも出している。私たち在日二世にとっては、フンブや洪吉童そして有名無名の歴史実在の抵抗者たちの物語を知ることは、いまだ曖昧模糊として結像しない民族的なものを、自分の中のキャムパスに描こうとするとき、鮮やかな点と線となり色と面になる輪郭であった。二世作家の李恢成が『見果てぬ夢』にこうした歴史の抵抗者たちを作品展開の中に撒いていく意図は、彼自身の精神史の形成過程と民族出自への発展の産物でもあったと思う。これはひとり李恢成だけでなく、在日二世三世が民族思想を獲得するときのひとしく通る道でもある。自民族の歴史を学ぶことの重要さは、民族としての誇りをもつ生き方を教えてくれるところにある。またこうした抵抗者たちの引用はこの作品が本国で読まれるとき大いなる共感と親近感を誘い出す因子にもなるだろう。もちろんテーマ自体の衝撃力はいうまでもないが、素材的にも歴史の課題を引き受け、采浩の人物形象のリアリティを添加しようとしている。








    あ と が き

 在日朝鮮人作家を読む会が発足したのは一九七七年の暮れだから、満七年と半年ほどになる。そのあいだ、『鴉の死』や『火山島』の作家・金石範さんを招いて講演集会を二度開き、テキストの著者である金蒼生さん、李正子さんを囲んだりしながら、例会だけでも八十数回重ねてきた。したがって、読んだ本も八十冊をこえることになる。参加者名簿をみると、“常連”の人、一回だけ顔を見せた人ひっくるめて、八十名をこえる。会発足から八年目ということもふくめ、なにやら八字(パルチャ=運命)めく。
 会誌の『架橋』を創刊したのは一九八〇年冬で、その年の夏に二号、八一年春に三号、八二年夏に四号、八四年夏に五号を出してきた。まことに牛歩よろしく来たわけだ。四号までは冊子の体裁で、作家論、作品論、短歌、掌編も載っているが、朝鮮とのかかわりを記した私エッセイふうの文章が主流で、小説はなかった。いわゆる文芸雑誌の形態をとったのは五号からで、したがって今号は装いを新たにしてからの二号目である。
 いま、積み重ねということを、考える。本との出会いの積み重ね、読書会の積み重ね、人と人――もっと具体的にいえば朝鮮人と日本人との出会いと交流の積み重ね、そのなかで遭遇した発見の積み重ね、自己開示の積み重ね、それを文章のかたちで表現したいという欲求の積み重ね。
 たかが雑誌一冊出すのに勿体をつけるわけではないが、この積み重ねによって、『架橋』という雑誌は生まれたと思っている。積み重ねという土台のあることが無性にたのしい。
「『見果てぬ夢』雑感ノート」は今回で百三十枚ほどになるが、まだまだ続く気配だ。李恢成『見果てぬ夢』はテキストとして七回にわたって読み合った長編小説である。「葉かげ」は五号の「夏」につづく作者二つ目の創作であり、「野辺戯の日」は作者が生まれて初めて書いた小説である。いずれにしても会の歳月のなかで醸成された作品表現である。もちろん「イルボネ チャンビョク」や二つのエッセイも例外ではない。
 会の積み重ねにくらべ、雑誌の内容が貧相なということはある。会が培ってきた質量のどれほどが反映されているかといえば、ほとんど自信がない。しかし、日暮れまでにはまだたっぷりと時間がある。
 この号を出すにあたって、星原幸次郎さんと桑原全進堂の福山さんはじめみなさんにたいへんお世話になった。                           (貝)




「架橋」 11号

架 橋 11
                 1991 春



目   次

○ 11-1(小 説) 闇のゆくえ ……………………… 金 成根
○ 11-2(小 説) さまよえるオランダ人 ………… 津田悠司
○ 11-3( 詩 ) 詩5篇歌詞3篇 ………………… 文 重烈
○ 11-4( 詩 ) 本川橋の碑 ……………………… 加端忠和
○ 11-5(小 説) 羽山先生が怒る ………………… 磯貝治良
○ 11-6 会録
○ 11-7 あとがき
















 闇のゆくえ

金(キム) 成(ソン) 根(グン)

「人間の過去ってものは、そう簡単に拭えるもんじゃない・・・・・・」
 その老人は、誰に言うでもなく、そう呟いて言葉を切った。コーヒーを一口飲み、煙草を深々と吸い、ゆっくりと吐き出した。
 それから、指に挟んだ煙草のくゆる紫煙の流れを、眼で追っている。


 環状線T駅の前にある喫茶店で僕は、コーヒーを飲んでいた。かなり興奮していた。
 知人の出版記念パーティからの帰りで、やけに喉が乾ききっていた。胸にわだかまるものが消えず、疑問が次から次へと湧いてくる。それを解きほぐそうと、僕はやっきになっていた。
 事のおこりは、そのパーティ会場で、或る老人の、奇妙な言動を目撃した為である。
 僕がコーヒーをすすりながら、その出来事を反芻しているとき、その老人が店内に入ってきたのである。喫茶店にはあいにく、空席がなかった。
 老人が、仕方なく踵を返そうとした時、奥の隅でポツネンと座っている僕と眼が合った。とっさに、僕は頭を下げ一礼した。老人は一瞬戸惑いの色を見せたが、おもむろに僕のテーブルに近づいてきた。
「相席してもいいですか?」
「はあ・・・・・・どうぞ・・・・・・」
 僕は、ばつの悪そうな声になっていた。
ウエィトレスがコーヒーを運び去ってからも、互いに話の糸口に窮しているのか、老人も僕も押し黙っている。ややあって、重苦しい空気を払いのけるように、老人は呟いたのだった。
(人間の過去ってものは、そう簡単に拭えるもんじゃない)
 僕は老人の、その言葉の意味を解しかねて、ええ・・・・・・それは・・・・・・と、低く口にするだけで笑いに濁してしまった。
 老人の、なおも執拗な食い下がりに、僕は興ざめな思いを隠せないでいた。そして適当な反論なり、自説を手探りしていた。老人の意味ありげな、その言葉の真意を探っていた。
 老人の手前、僕は煙草を控えているので、手持ち無沙汰と妙な威圧感とで、金縛りにあっているようだった。
 僕はコーヒーカップに手を延ばし、ゆっくりと口元に運んだ。そして、老人の仕草につられ、僕も一筋の紫煙の流れを、上眼遣いで追っていた。紫煙は換気孔の格子窓の方へ、薄くなりながら消えてゆく。その窓越しに、街灯に映えた銀杏の梢が、無数の黄金色の葉裏を見せながら揺れている。外は、かなり風が強いのかも知れない。風の音が店内にも聞こえてくる。
 外出する際、夕方頃から天候が荒れ模様になると記した朝刊を、ふと憶い出した。
 窓に玉のような光るものが見えたかと思うと、それは瞬時、斜に砕けて走った。そして間を置かず、幾筋もの雨滴の流れが窓一杯に拡った。雨脚は間断なく、窓ガラスを叩く。
「雨が強くなってきたようですね」
 僕は、窓のほうへ眼を移しながら言った。
「風雨来襲か・・・・・・今の私の心境そのものだなぁハッハハ・・・・・・」
 老人は、空笑いをして、細い眼を一層ほそめて言った。


 T駅から少し歩いた所に、朝鮮の歴史と文化、そして在日朝鮮人の諸問題に関する講演を、休日毎に主催している、青丘文化会館がある。
 在日朝鮮人二・三世が圧倒的多数になった現状は、価値観の多様性と相まって、「在日」の混迷は日増しに深まり、風化・同化の波は、堰を切ったような勢いで押し寄せてくる。そんな状況に対して少しでも歯止めをかけ、民族の誇りと回帰を奮いたたせる、大阪での一大拠点であった。
 僕も関心が深く、時折足を運ぶことがあった。今日も午後三時から、知人の『朝鮮人特別海軍志願兵』出版記念パーティが催されると知って、その会場に臨んだ。
 四十人近い参席者で埋まった会場は、和やかな雰囲気に包まれていた。
 友人の司会で始まったパーティは、祝辞・祝電披露・花束贈呈など、幾つかの式次第をこなし、滞りなく進んだ。別の友人の音頭で盃を乾した後、僕も眼前にある卓上の会席膳に箸を延ばした。と、その時、向かい側の席に座っていた、六十歳をゆうに越した、総白髪の痩身の老人が、すくっと立ち、著者に向って次のようなことを喋り出した。
「少し言わせて貰いたい。祝賀会でこんなことを言うのは、ためらいがないではないが、言わずにはおれないのだ。貴方は民族反逆者だ!何が特別海軍志願兵だ。恥を知れ!恥を。倭(ウェ)奴(ノム)のお先棒を担ぐなんて死んでもやれるもんじゃない。貴方の過去は禊(みそぎ)こそすれ、自慢できるもんじゃない。それを本にして美化しようとする。思い上がりもいいとこだ。私は絶対に許さない。貴方が民族反逆者でなければ、一体何者だと言うんだ!」
会場はどよめいた。呆気にとられた顔、憤然とした顔、興ざめた顔、参席者のそんな顔や視線が、一斉に老人の面長の顔に突き刺さった。そこここに批難の声が走った。今までの和やかな雰囲気は、一変した。
老人は、なおも澱みなく当時の朝鮮人の強制連行による苦難と、日帝の暴虐ぶりを、まくし立てている。喋るうちに顔が紅潮し、頬に慄えまで帯びていた。
“民族反逆者”と言う言葉が、話のはしばしに飛び出した。
 老人が話せば話す程、参席者の顔付が一様に、憤慨の色を濃くしていた。僕は、固唾を呑みながら、成り行きを見詰めていた。
『朝鮮人特別海軍志願兵』という本は、題名こそ奇異の感を受けるが、決して民族反逆的な内容ではない。
 結婚して間もない、十九歳の青年が徴用による生地獄の炭鉱夫よりも、一縷の生の望みもある海軍の朝鮮人特別志願兵を選ぶ。そこで体験するものは、朝鮮人蔑視の過酷な私刑と、凄惨の飢えだけだった。
 淡々と綴るノンフィクション小説だけに、当時の、特異な時代相が鮮明に浮き出され、少なからぬ感銘を与える。
 司会者は、老人の話の途切れたのを潮に、椅子を蹴らんばかりに起ち、
「貴方は、本を読んで言っているのですか」
と、憮然として咬みついた。
「読む必要などない。読むのもけがらわしい」
 会場は、再び騒然とした。
 横合いから、読んでないなら批判する権利などないぞ、と罵声が飛び交っている。そして、次々に挙手して反論する人が相次いだ。
 老人の発言は、確かに常軌を逸している。読めば、民族反逆者だという批判など、あたらないし、かつ、読まずに罵倒することは、著者に対して礼を失するものである。
 確かに、日本の帝国海軍に志願した動機は、そしりをまぬがれず、老人の激怒する心情は解らなくもない。だが若冠十九歳では仕方のない事ではなかろうか。それを民族反逆行為だと断定するのは、あまりにも酷である。
 僕も、はやる気を抑え難く、そんなことを老人に向かって話そうとした。だが発言者が続出し、挙手する間もなかった。
 老人は、一堂の冷たい視線や、論難に、少しもひるむことなく、返って身構え挑むような口調で反論している。そして自説をかたくなに押し通していた。
 僕は煙草に火をつけながら、著者の横顔を盗み見た。彼は眉根を曇らせ、困惑しきった面持で静かに眼を閉じている。
 不意に、この時、「民族反逆者」という、時代がかった言葉が、妙に生き生きと、僕の意識の底から這い上ってくるのを感じた。
「民族反逆者」・・・・・・二十年程前、僕も東京のT大学で、ある一時期そのレッテルを貼られたことがあったからだ。
 T大学は、東京郊外にある武蔵野の一角にあった。在日朝鮮人運動を指導し、民族幹部を養成する任務をも帯びていた。規律も厳しく全寮制であった。学問より思想事業が優先された。マルクス・レーニン主義を学び、米帝国の植民地である南朝鮮を解放し、祖国統一を成し遂げるという、崇高な革命事業に献身していた。だが、純粋培養による徹底的な排他主義と個人崇拝を押しつけようとする思考方法に、僕は疑問を抱いた。
 そしてその是正を試みたが、到底かなえられる筈もなかった。僕は嫌気がさし、大学の側壁を乗り越えて逃げ帰ったことがあった。その後、僕の背には、「民族反逆者」というレッテルが貼りつけられた。その記憶が今、苦々しくよみがえった。
 老人と参席者の議論の応酬は、一応、小休止の観があり、会場は淀んだ空気がただよい始めた。この時、著者はおもむろに起ち、
「批判は甘んじて受けるが、民族反逆者という言葉だけは、是非とも撤回して貰いたい。私にとって、これ以上の侮辱はない」
 悲痛な程、声が上ずっている。
「いや。撤回はしない。私は、私なりの信念がある」
 老人も悲壮の面持であった。それは、なんとも奇妙な光景だった。
 これ程、我執にとり憑かれた老人に、僕は返って、ある興味を抱いた。
 個人的な恨みでの、単なるいやがらせなのか? それとも題名だけで判断する、浅はかな人物か? だが、どちらとも言えないような気がする。では、一体、何だろう?・・・・・・
 孤軍奮闘のていで、自説を曲げず、批難に向かって敢然と立ち向かう老人を見ながら、僕はそんなことを自問していた。
 そして朧(おぼろ)気(げ)に、何か僕の脳裡を掠めるものがあった。妙に、老人に魅きつけられてゆく自分を全身に感じる。
 出版記念パーティは、参席者の胸に気まずさを残しながら、ひけた。


 喫茶店の中は暖房が効き過ぎて、やけに喉の乾きを覚える。僕は、テーブルの冷水を一気に飲み干した。
 風雨来襲のような心境だ、と先程呟いた老人に、僕は心なしか、惻隠(そくいん)の情に打たれている。
「君も、みんなと同じ意見だろうねえ・・・・・・」
 と、老人は静かに言った。寂しい翳(かげ)が、老人の眉間によぎった。ふかした煙草の煙が、天井に舞い上っていく。老人は、たて続けに煙草を吸った。
「はあ・・・・・・まあ、それ程、違わないんですけど・・・・・・」
 僕は、そう言って、言い澱んだ。ひどく狼狽している。
「・・・・・・でも、或る人にとっては・・・・・・」と、僕は少し間を置いて、言い足した。老人のうちにある、何かを感じとった呟きだった。
 だが、それ以上話す言葉が見つからなかった。ただ会場での、たたみかけるような参席者の発言は、ごく良識的なものであり、人には到底、窺(うかが)い知れぬ何かがあるものだと、今はハッキリと思い至った。
 だいたい、人それぞれ、その人が持っている許容範囲はまちまちである。それは各自の利害得失によって、大きく左右されがちである。老人の一徹さ、頑迷固牢なども、一笑に付すことができるだろうか。
 僕は、胸が徐々に騒ぐのを覚える。
 老人は煙草の吸殻を、灰皿にもみ潰して、宙を見すえながら、こう言った。
「まあ、みんなの意見は、私とて解らんじゃない。本も読まずに批難したのも非礼だと思う。だが、・・・・・・これは私の友人から聞いた話だが・・・・・・」


 朝鮮が解放される一年前、すなわち一九四四年の事だがねえ・・・・・・崔(さい)と言う、私の友人が強制連行によって、九州の唐津炭鉱の三年程前からこき使われていたんだ。知っての通り、当時炭鉱(ヤマ)で酷使される朝鮮人炭鉱夫は、この世の生地獄にいるようなもので、誰もが死ぬような目に遭っていた。ふんどし一丁で、夜遅くまで暗い坑道の中で黙々と、それも鞭打たれながら、牛馬同然だった。それもひどい飢えに苦しみながらなあ・・・・・・
 崔には、またとない親友が、同じ地に居た。鄭(てい)と言って、歳は同じ二十五歳だった。生まれつき体が弱かった。鄭は、三年間の酷使と飢えで、体がボロボロになり、或る日、坑内で血を吐きやがった。夥しい血だった。結核だったらしい。すでに手遅れに近い状態だった。鉱山会社の奴らは、そんなことなど、少しも斟酌しないやな。奴らにとっちゃ、「朝鮮」炭鉱夫など、炭鉱掘の道具であり、虫ケラ同然だった。鄭は、そんな病にもかかわらずかり出されていた。だが、そんな病状では、自分に課せられたノルマなど果せるわけないやな。折にふれ、監視係に鞭打たれていた。
 そんな或る日、崔が見るに見かねて、鄭を樫の棒で殴りつけている監視係を、叩きのめし、その足で管理事務所へ怒鳴り込んだ。
 みんなで行けばいいのによ。その崔は、人一倍、侠気のある奴で、見境もなく突走りやがった。そんな所へ行ったらどんな目に遭うか分りきってるがな。案の定、彼が戻ってきた時は満身(まんしん)創痍(そうい)だった。左目にあてがっている手の間から、血が噴き出ていた。
 みんなで崔をタコ部屋の隅に寝かせた。そして顔を見ると、左眼は潰れていたんだ。彼は帰ってきてから、管理事務所で何があったか一言も、口に出さなかった。性分なのか、崔は寡黙(かもく)で、言葉よりも行動が速かったんだな。多分、みんなは樫の棒で眼を突き刺されたんだと思った。誰かが執拗に訊いても、ベットリと血のりの付いた左手を、左右に振るだけだった。右眼が、微かに笑っているようでもあり、泣いているようでもあった。
 みんなが怒り狂い、抗議しに押しかけようと起ち上ったときも、崔はそれを止めたんだな。
「やられるのは、俺だけで充分だよ」
 呻き声とも、笑い声ともつかない言葉で、そう呟いた。崔は、みんなの中心で、面倒見がよく慕われてもいたから、みんなは思いとどまった。
 血が止まらない。潰れた左眼にドブロクの上澄みを、消毒薬の代りにたらし、眼を手拭で覆うだけの処置だった。
 崔はその夜、高熱を出した。三日程、熱でうなされていたが、介抱する者とて居ないやな。奴らにとっちゃ、一人分の労務時間も惜しいのだからな。
 それでもみんなは、崔の眠っている間に、管理事務所へ殺到した。だが、そこには事前に察知したらしく、憲兵の指揮で銃を構えている多数の警官が居並んでいた。みんなは怒りにふるえながらも、何も出来やしないわな。
 崔は、四日目にはヨロヨロと起き上がってきた。それは奇跡と言ってよかった。
 恐らく崔の持ち前の気丈さと、強靭な精神力だったろうよ。もう一つは、みんなの肩に自分のノルマを、負わしているのが辛かったらしい。
 崔が坑内に入ってから、少しばかり待遇が良くなった。奴らは崔に、一目置くようになったようだ。それと言うのも実は、崔の左眼と関係あるらしい。管理事務所で起こった出来事を、目撃したらしい人がおってな。
 あの時、崔は管理事務所に行き、労務責任者に鄭の療養のことや、待遇改善を要求したんだが、奴らはそれを聞き入れるどころか、逆に今以上にノルマを課すと言いやがった。崔は怒り心頭に達し、労務責任者の胸ぐらを摑んで締めあげた。その時、奥座敷で酒を喰っていた肥えた憲兵が、やにわに軍刀を持ちだし、その抜身を崔の左眼に突き刺したらしい。崔は突き刺されても、身じろぎ一つせずじっと、その憲兵を睨み通し続けた。その形相が奴らには気持悪かったらしい。
 左眼はその時、適切に処置してれば少しはましだったろうが、そんなこと望むべくもないやな。失明は覚悟しなけりゃならなかった。
 崔は自分の左眼よりも、結核で苦しんでいる鄭の方が心配だったらしく、自分の食まで分け与えていた。
 結核は何よりも栄養を摂らなくちゃな。みんなも僅かばかりの飯の中から、思い思い鄭に飯を分け与えた。
 それから数日後、会社は崔を疎(うと)んじ、北海道の炭鉱へ追い払った。入れ替りに新しい同胞が入ってきた。崔がいたんでは、奴らは思うようにこき使うことが出来ないってもんだ。
 崔は、みんなと別れの握手を交わした後、「ウェノムは、遠からず戦争に負ける。解放も近いから、それまで頑張って生きるんだ。必ず生きてろよ」と、鄭の耳元に呟いて去ったらしい。
 鄭は、それからも躯の許す限り、黙々と働いたが、或る日、次のような事件が起こった。
 その日も鄭は、喘ぎ喘ぎツルハシで鉱脈を掘っていたが、急にバッタリ倒れて、苦しそうにまた血を吐いた。それでも必死に立とうとしたが駄目だった。
「また怠けているな!」傍らの監視係はそう言いながら樫の棒で、その日に限ってメッタ打ちにしたらしい。
 鄭は、最初は少し呻いていたが、間もなく呻き声も途絶え、グッタリとなってしまった。だがその時、俄かにありったけの力をふり絞って、ヨロヨロと起ち上った。そしてツルハシを手にして、その監視係の顔めがけて降り下ろした。が、その寸前、横にいた別の監視係によって後頭部を、したたかに樫の棒で殴られたんだ。彼はつんのめるようにして、ぶっ倒れた。息がこと切れても、奴らはなおも打っていた、それも頭と言わず、腰と言わず全身くまなくな。まるで獣を撲殺するみたいに。あまりの仕打ちに、傍らにいた初老の朝鮮人坑夫が「このウェノム野郎!」と叫び、横っとびに飛んで摑みかかろうとしたが、彼も半死の目に遭ったらしい。
 崔が、そのことを人伝に聞いたのが、解放後、幾日か過ぎた頃だった。
 崔は血相を変え、狂ったように地団太を踏んだ。彼はその時、遙か遠い北海道の炭鉱にいたもんな。もし風聞でも耳にしていたら、すぐさまそこを抜け出していたろうよ。そして鄭を殺した監視係や、自分の左眼を刺した憲兵に復讐していた筈だ。
 それでもまだ奴らを探せるやもと思って、すぐ九州に飛んだ。が、居るわけないやな。もぬけのからだった。
 崔は初めてその時、男泣きをした。やり場のない怒りにうちふるえながら・・・・・・。それはそうだろうよ。無二の親友を惨殺されたんだからな。その夜はまんじりともせず夜を明かした。それから三日間、魂の抜殻みたいに呆然となっていたらしい。
 その後、崔の消息は全く、途絶えた。
 或る人が見かけたところによると、崔は日本全国の炭鉱場で死んだ、無縁仏になっている同胞の亡骸を、丹念に調べ歩いているらしい。崔にとっては、せめてものそれが鄭に対する供養でもあったんだろうよ。
 またそうすることによって、「ウェノム」に対する怨念を忘れることなく、生きようと思っていたんだと思う。怨念をだいて生きるってことは、悲しい人間の業でもあるんだが・・・・・・。


「その崔と言う左眼を刺された人は、もしや貴方では・・・・・・」
 老人の重い話に、息を詰めながら聞いている途中から、僕は、「崔」と言う人物は目前にいる、老人自身であると確信していた。と言うのも、老人の左眼は義眼であった。会場で老人を初めて見た時、寄目かなと思った。が、間近かに見た今は、ハッキリと義眼であることを知った。こめかみには古い傷跡らしく、縦五センチ程、肉が盛り上がっている。それは近くで見ないと分らない程、白髪に覆われていた。
「いや・・・・・・私ではないよ。ハッハハ・・・・・・私の左眼は小さい頃、木登りしている時、足を踏み外して、まん悪く小枝が眼に刺さったもんじゃ・・・・・・」
 老人は首を振りながら、手をコーヒーカップに延ばした。冷たくなったコーヒーを啜りながら、右眼は優しく笑い返している。
 そして煙草に火をつけ、深々と吸い、ふーっと吐き出した。たて続けに二回程、吸っては吐いた。吐き出された煙は、老人の頭上に濛々と舞い上がった。
 僕ははぐらかされたようで釈然としなかった。
 老人は、僕の腹の中が解っているらしく、話を巧みにそらそうとする。
「まあ、今言った話は九州の炭鉱だけじゃなく、どこの炭鉱だって似たような話があったんだ。ただ言えるのは、それを忘れないで欲しいってことだ。今日の、同化されつつある朝鮮の若者たちが、日増しに増え続けている実状からしてね・・・・・・」
 老人は寂しそうに言って、卓上の冷水をのみほした。
 僕も残りの水をのみ、窓に眼を遣った。小止みなく降りしきる雨に叩かれた銀杏の葉が、窓にこびりついている。風も気ぜわしげに音をたてている。
 街灯が一際明るく光を放ち、闇をさいている。すでに閉店時間を過ぎたらしく、店内は客一人いなかった。
 老人と僕は、表に出て、互いに別れを告げた。別れ際に、僕は老人の名を訊いた。
「いや、名のる程のもんじゃない。また機会があれば逢えるじゃろう・・・・・・」
 と、老人は言った。
 老人は遠出だったらしく、駅の方へ歩いていった。帽子をま深にかぶり、コートの襟を立てて、トボトボと小刻みに歩を運んでいる。雨は容赦なく老人の背中を叩きつけていた。今まで気がつかなかったが、右肩が上下に揺れているのが夜目にもハッキリと見てとれた。
 僕は、老人の後姿を凝然と見つめていた。
「間違いない・・・・・・そうに違いない・・・・・・」
 何かに衝き上げられるような、胸の圧迫感を感じ、ひとりでにそんな呟きが洩れた。
 老人の後姿は、僕の視野から消え去った。一層激しくなった雨脚は、舗道脇の街灯に照らし出され、強風に煽られ横殴りになっていた。










 さまよえるオランダ人

津(つ) 田(だ) 悠(ゆう) 司(じ)

            1

 僕は歴史の上に存在している。あるいは、ところてんのように歴史という板に強引に押し出されて存在している。ところてん、なかなかと旨い表現だと思う。凝固した寒天は麺状に変形され、その麺の成分は99パーセントまでが栄養のない水分だ。
 変形され、そして何の栄養もないところてん、それが僕だ。

            ↓

 些細な事だけど僕は1986年12月に妻と結婚式を挙げた。その日の天気の具合がどうであったか、どんな料理を食べたか、スピーチで誰が何を喋ったのか全然覚えていない。
 多くの人が集まっていた為に多少は緊張していたと思うけど、それで覚えていないというわけではなく、僕の頭のなかで、ある曲が式の間ずっと鳴り響き続けていたのだ。それはワーグナーの『さまよえるオランダ人』だった。
 式が始まる前に我々は会場の外にいて、僕は入口のうえに掛かっていた時計を眺めていたが、時間が流れているのかどうかすら僕には解らないでいた。時計の細い秒針は何回も同じ所をゆっくりと回り、それは僕に丸い箱に閉じこめられた虫が行き場を探してグルグルと這っているかのように見えた。「3時だ」、と友人が肩をポンと叩き、その合図で我々は入場し天井に取り付けられたスピーカーから音楽が流れだした。席について長い間拍手を浴びたあとにスピーカーからの音楽は止まったが、不思議な事に僕の頭の中でその曲は余響ではなくはっきりと、しかもスピーカーから聞こえてきたときよりも重く、膨らんだ調子で響き始めたのだ。
 それは曲自体に奥行きがあり、ずっと昔から僕のために時間という道程を経てきたかのような、とても厚みのある曲に聞こえた。
『さまよえるオランダ人』はそれから僕の頭の中で鳴り響き、僕は知らず知らずのうちにその曲と共に何処か遠い世界へと押し出されて行く思いを感じた。
 そして、「結婚オメデトウ! カンパァァァイ!」と多くの人は口を揃えて祝杯を挙げていた。多分その日が、僕が妻と結婚式を挙げた日なのだろう。

            ↓

 妻は「朝鮮人」というレッテルを貼られた在日朝鮮人だった。朝鮮人と在日朝鮮人、この二つの間には大きな違いがある。海の中で遊泳する魚と食卓の上に置かれた魚が全然違っているように。
 どちらが海の魚でどちらが皿に置かれた魚なのかそんな事はどうでもよい。ただ在日朝鮮人と朝鮮人には大きな相違が存在するのだ。この相違はある歴史的事実によって出来上がった。
 じわじわと流動する氷河によってできた巨大なクレバスの様に、そこには深い溝があり暗い闇があり、どんな学者や冒険家が中を覗いたところで何一つとして解らない空間がある。それでも僕は懐中電灯を持って、光を当ててみた。しかし僕の見える部分は光があたった小さな丸い部分だけだった。ある部分が浮かび上がっても、別の部分に照射を移すと前の部分があっさりと消えて、新たに全然違ったものが浮かび上がってくる。それはバラバラになったジグソーパズルの入った箱に手を入れて一枚取り出しては考え、再び箱の中にしまうようなものだ。
 僕は懐中電灯で何十回も同じところを行ったり来たり動かし、見えない部分と見える部分を頭の中で繋げていき、少しずつ照射範囲を拡大していく。大変な作業だ。複雑に縺れた糸を解く様な根気もいるし、体力もいる。そうした作業を妻と知り合ってから三年間も続けた。
――三年間、僕には気が遠くなるような年月だった。
 いくらそんな作業をしてみたところで結局僕が見ることの出来るのは光の当たっている小さな丸い一部分にすぎない。だから僕の頭の中で考察して繋げた事と現実には大きなズレが生じるかもしれない。弁解はよそう。兎に角、僕が繋げて認識した事は、妻の朝鮮人と在日朝鮮人の間にある溝を塞ぐのが出来ないという事実だ。
 その事が解ると僕は光を消して溝から離れ、自分の中に後悔をともなっただるい欠落感を感じた。あるいはそうした感じは、妻に対して何か秩序めいた僕の公式を当てようとした事から生じただけのものかもしれない。

   秩序めいた僕の公式?

 僕は「在日朝鮮人」をいつも「在日」と「朝鮮人」に細分化していた。つまり妻を「在日の朝鮮人」と考えていたのだ。しかしそれは僕の公式でしかない。妻はもはや「在日の朝鮮人」ではなく「在日朝鮮人」なのだ。
 歴史を語ろうとすれば僕の公式などほとんど、いや、まったく当てはめて考えることなど出来ない。一度クチャクチャにしたアルミハクをいくら僕の公式を当てはめてみても元どおりに出来ないように。ただ、それを元どおりに修正しようという努力は出来る。しかしそれはただの試みでしかない。
 妻は謎の溝を持っている。朝鮮人と在日朝鮮人。僕はその溝を塞ごうと努力するどころか更に複雑にしてしまった。

   「結婚オメデトウ! カンパァァァイ!」と。

 僕はこうした事実になる事に悩んでいた。プロポーズした夏の季節にうんざりさせる蝉の鳴き声が耳に入らないくらいに悩んでいた。(勿論、妻と一緒にいて楽しくなかったわけではない。)悩みはそれから僕の心の中でどんどん膨張し、固くなり、消化不良を引き起こし下痢にいたってしまった。
 デートの最中に便意を感じると、僕は腹と尻を手で押さえ、近くの公衆便所へ手当たり次第に用を足しに走った。
 実にその回数は53回もあった。53回、それは僕が妻との関係において何かを示す正確な事実だ。

            ↓

 本来歴史とは我々の足下に土台としてあるはずが、僕には歴史の事を考えると漬物石に押し潰される思いだった。もし歴史に潰されたのなら(もしもだ)、きっとその後には何の栄養もないところてんが椀に盛られているのだろう。

            ↓

 妻との生活はもう4年も経っている。僕の年齢が26歳だから、今までの人生の約7分の1は妻と毎日顔を会わせているわけだ。18年後には人生の半分を妻と生活した事になり、その日を境にして明くる日からは妻と顔を会わせる日の方が、比率が大きくなる。こんな事を考えているのは別に妻との生活が嫌になって一刻も早く終らせたいからではない。僕には日数でしか生活の内的事実が摑めないでいるからだ。

   歴史的事実の虚無化。

 一度妻にそんな事を話したことがある。
「お互いの生活を日数で考えるなんて・・・・・・、あなた変よ」
 妻はそう言って軽く僕をあしらった。確かに妻の言うとおりだった。「そうね、わたし達の生活はカレンダーを塗り潰していくことよね」と、答える筈がない。最初からそんな事は解っていたが、ただ僕の思っている事を言ってみただけだ。それから妻は暫くしてから、出来の悪い学生に優しく数学の問題の解き方を教える新米の先生がよく作る優しい笑顔でこう言った。
「現に子供がいるでしょ。わたしとあなたの間に生まれた子が」
 子供? まったく僕の気持ちなんて解ってくれやしない。我々の生活は歪んだ歴史の非現実性の上に成り立っているのに、子供の存在が僕に何を示すというのだろう。もし子供の存在まで考えたのなら僕には増々妻との生活を確かめる内的事実が遠のいていく。
 毎日妻と生活し、その度に妻は遠のいていく。やはり僕と妻の生活を確かめる手立ては日数を数える事しか考えられない。
 ところで、非現実性の上に成り立つ歴史って何だ? 僕は本来あるべきところの非現実でない歴史を考えてみたが、何一つとしてそれを念頭に浮かべられなかった。可能性は無限に存在している、それでも浮かべられなかった。

            2

 その日の朝はいつもと違っていた。妻との生活が1594日を迎えた朝だ。
 僕は昔から朝は決まってジョギングをする為に6時10分に目を覚ます。宮沢賢治ではないが、雨の日だって、風の強い日だって一日も欠かさずに走る。風を引いている時もちゃんと走る。嘘じゃぁない。どうしてかと訊かれても困るのだけれど、ちょっとした理由から(興味をそそるような理由ではない。尤も誰も僕になんて興味を抱いてはいないけど)ジョギングを始め、そのうちに止められなくなり習慣になったまでだ。
 止めたときの自分を想像すると身体の一部がもぎ取られた自分になってしまい、止めるわけにはいかない。別にジョギングすること自体に窮屈さを感じないし、かえって気持ちのいいものだ。
 その時刻はたまに新聞配達人や早起きの老人の散歩に出会うくらいで、それを除けば街には誰もいない。音もなく雲が空を流れ、音もなく朝の光が漂う。僕の走っている小気味よい荒い息遣いだけが聞こえてくるだけだ。

   ハァハァハァハァハァハァハァハァハァ

 僕の息は街の中に揺れ、街は僕の息のリズムから透き通る程美しく新しく見えてくる。それは僕だけが確かめる事の出来る世界であり、僕のなかに確かな生命の息吹を感じる世界でもあった。
 今日、僕が目を覚ましたのは8時少し前だった。自動車が家の前を何台か通りすぎ、そのうちの廃品回収車が、僕の寝ていた部屋の窓ガラスをカタカタと震わせる程、執拗に巨大マイクで廃品を求めていて、その喧騒に目を覚ました。横のベッドを見るとモデルルームで見るような感じで枕は丁寧に膨らまされ、シーツはきちんと皺が伸ばされてかけられており、妻と子供はいなかった。ジョギングが出来なかったんだな、と解った。
 それから廃品回収車が通り過ぎると辺りは嵐が過ぎ去った後のような沈黙が拡がった。部屋は何かの力で引き伸ばされたようにガラーンとしており、カーテンが閉じたままなので薄暗く空気が不思議と異常なほど乾いているように感じられた。
 僕は起き上がり上体を煙草の置いてある机まで伸ばして一本抜き出し煙草を咥(くわ)え薄暗い部屋の中で火を点けた。煙を吐き出すと、カーテンの隙間から洩れる細い光がそれを反射させえ、その為煙は僕以上の存在感があるように思われた。
 何かが僕の頭の中で引っ掛かるものを感じた。それは忘れてしまった記憶がぼんやりと蘇っているときに感じる類のものではなくて、虫歯の治療後に歯に被せられたクラウンを舌で触れてみた時に感じるような嫌な違和感だ。
「違和感」と僕は右手に持った煙草を見つめながら小さな声でそう言ってみた。確かにあらゆる意識は拡大され、同時にあらゆる意識が縮小されていくような感じがした。
 僕は朝起きて煙草をすぐに吸ったりはしない。妻がそれを嫌っているからだ。しかし僕は何のためらいもなく今こうして煙草を吸っている。おかしい。以前にためらいもなく煙草を吸っていた頃の意識が拡大されたのかもしれない。
 煙草を一本吸い終えると頭痛を感じたので何回か頭を振ってみたけど、少しも治らなかった。煙草のせいだと思った。
 僕は違和感を感じながら部屋にあるものを一つ一つ点検するかのように見ていった。
 妻とここで生活を始めた日にその足で家具屋へ行って買ったベッド、引き出しにいつ付けたのか忘れてしまった目立つキズのある机、友人の引越しの時に要らなくなったと言って貰ったレトロ調の電気スタンド、天井にぶら下がった平凡な電灯、少し大きめのスタンドミラー、まだ読んでない本も何冊かある本棚、白い壁に掛かっている黒いファッション時計、中学の時に新聞配達のアルバイトで貯めて買ったもうタイプの古いオーディオ、ラックに入った60枚程のレコード、それにクズ箱。それらは昨日と同じようにそこにあって、一つ一つ見ると何も変化していないが、部屋全体が何となくいつもと違っている。うまく説明できないが何と言うか、まとまりが欠けているのだ。部屋にまとまりがないというのもおかしいが兎に角バラバラに分解された自動車の部品のように意味だけが宙に浮いているのだ。
 暫く僕はベッドに腰掛けたまま両手で頭を抱えてじっとした。頭痛が前にも増してひどくなっていたからだ。
 どれくらいの時間が経ったのだろうか、頭の中で「違和感」と再び言葉が通り、顔をゆっくりと上げてみた。煙はまだ重い霧のようにカーテンの隙間から漏れている光で白く輝きながら部屋の中を漂っている。部屋は虚無的なまでに部屋そのものの昨日を失い、もはや僕の前に拡がる世界を「部屋」と呼んで良いものかどうか解らない程朦朧としていた。
 僕は空中を彷徨う煙をぼんやり眺めながらジョギングが出来なかった事をとても悔やんだ。
 頭痛がひどいので左手でこめかみをトントン叩いてみた。不思議な事にその度に僕は僕の前に拡がる世界に引きずり込まれていく奇妙な感覚にとらわれた。それは僕の意識の奥深いところに横たわる自分でも解らない何かに細い糸で結ばれて引っ張られているような感じだ。

   誰かが僕を呼んでいるのか?

 突然辺りに乾いた音が響き始めた。はじめは何処からその音が聞こえて来るのか判らなかったが、やがて音は地面に落ちた飴玉に蟻がたかっていくかのように一点に集まりドアから聞こえた。それと同時に僕の頭の中に引っ掛かっていた嫌な違和感も糸が切れたかのようにパッタリと感じなくなった。しかし頭痛はまだする。僕は立ち上がってドアを開けると、妻が子供を抱えて当然のように立っていた。
「どうしたの、少し顔色が悪いわよ」
 妻はそう言うと子供をベッドに座らせカーテンを開け次いで窓も開けた。外から五月の心地よい涼しい風が僕の前を通りすぎドアの向こうへ抜けていった。
「少し頭痛がするんだ」と僕は少し間をおいてから言った。「でも大したことじゃぁない」
「それならいいけど」
「ジョギング出来なかった」
「そう」と妻は何でもないような返事をして、子供を抱えると僕の前を通りすぎ、出際に振り返った。「だったら今から走ってくればいいじゃぁない」
 僕の中で一瞬腹だたしいものを感じ、そしてそれはすぐに消えた。
「今からではあまり意味がないんだ。外はもう人通りが多いし」
「人がいたって何処へでもいけるじゃぁない。別に通勤時の交差点を走るわけではないのだから。そうでしょ?」
 妻の言う通りだった。人がいたって何処へでも行ける。でも何処へ行けば良いのだろうか? 僕には僕なりのコースがあるし走りたい時間だってある。もしそんな事を抜きにして全てのことを運んでいたとするなら石になってじっとしていた方が良い。

            ↓

 僕は何処へも行かなかったし、また何処へも行けなかった。それでもジョギングをしている時だけは別の世界を走っているような気がする。それが何処なのか具体的な場所は解らないがとても美しく心の安らぐ場所だ。
 少し前にTVで出産シーンを放映した番組があって、それを視たとき僕の走っている時の呼吸のリズムは女性が出産する時の呼吸に似ているな、と思った。TVのアナウンスは子宮は宇宙だ、と言っていた。もちろんそれは観念的な比喩にすぎないが、もし僕と妊婦の呼吸が同一ならば、僕はジョギングをしている時、宇宙の中で呼吸のリズムを聴いていることになる。

            ↓

 結局、その日の朝は頭痛であまりパッとしない気分を抱えていることもあって走るのをやめた。一階に降りると子供は庭に面した窓際で、新聞に折り込まれていた広告をクシャクシャと音をたててまるめて遊んでおり、妻はガスレンジの上にのせたフライパンに卵を割って入れていた。閑かな土曜日の朝だと思った。僕は洗面所に行っていつもより丁寧に歯を磨き顔を洗い髭を剃った。いくぶん気分が晴れたような感じだったのでトレーナーとジーンズに着替えて庭で簡単なストレッチをやった。子供が僕の体操をみてウマウマと言いながら喜んだ。
「ねぇ、子供がしゃべっているよ」と僕は少し驚いて妻に言った。
「あら、知らなかったの? 一週間も前から時々言っているのに、ほかにもマンマもダァダァも言うのよ」
「本当?」
 妻はコーヒーを入れながら嬉しそうな顔をして頷いた。
 僕は子供を抱いて空に向けて高く持ち上げてみた。子供は本当に「ダァダァ」と満面喜びに満ちて声を上げた。
「本当だ」と僕は子供をおろして言った。
「いつまでも同じではないものよ、時がたてば子供だって成長して変わっていくものよ」
 僕は、まだ抱っこがやり足りなくてせがむような眼差しで僕に訴えている子供を見ながら、時の速い流れを思った。そして少し悲しい気分がふっと心の中を通りすぎていったのを感じた。
「食事の用意が出来たからこちらにいらっしゃい」
 少しだけ出た汗を拭き取ってから、子供を子供用の椅子に座らせて僕も腰掛けた。テーブルの上にはパンがゆとヨーグルトと細かく刻まれたトマトの盛られた子供の皿とコーヒーとたっぷりバターを塗りこんだトーストが2枚、白い皿に乗せられ、その横にスクランブルエッグとツナと新鮮な野菜が木のボールに盛られて並べられていた。
「もう頭痛の方は大丈夫なの?」
 スプーンを子供の口に運びながら妻はパンをかじる僕に訊いてきた。
「まだ少し痛むけど大丈夫さ」
「だったら薬でも呑んだ方がいいんじゃぁないかしら」
「薬は嫌いなんだ」と言って僕は張りのあるレタスにフォークを刺した。「頭痛の事を考えなければ頭痛である事すら解らないくらいさ」
「変わった言い方ね」
「変わった頭痛なんだ」
「どういうことかしら?」
「自分でもどんな頭痛なのか解らないよ。解っていたらそれなりの対処もするよ。頭の中に小さな虫の幼虫がいてそれがゆっくりとよじっているような感じかな。あまりにも小さな虫だから神経を集中させないと気が付かないんだ。解るかい?」
 妻は解らないっといった感じで首を振った。「気持ち悪いわね」と言ってから妻は手に持っていたコーヒーカップを受皿にカチャッと気持ちの良い音をたてて置いた。
「ごめんよ、変な風に表現しちゃって、うまく話せないだけなんだ」と僕は少しガッカリして言った。
「いいわよ」と言って妻は再び子供の口に食事を運んだ。
「今までにそんな風に感じた事ってあったのかしら?」
「あったような気もするし、なかったような気もする、解らないよ」
 それから会話は途切れ、子供がうまく食事が食べれなくて泣いたりする時以外、黙って朝食を済ませた。
「やっぱり薬を持ってくる」と食器を重ねながら妻が言った。
「気持ちは嬉しいけど、さっきも言ったように薬は嫌いなんだ」と言ってから言わなければ良かったと後悔した。妻は少しの間困った顔をしてから黙って二階に上がっていった。僕はテーブルの上に置いてある食器を流しに運びそれらを洗った。途中で子供が泣きだしたのでオシッコだろうかと思っておしめを見てみたけど濡れてなく、泣き止まぬ子供を抱えてテーブルの周りをグルグルと走り回った。そしてやっと泣き止んだ。僕は子供を居間の床に座らせて再び食器を洗った。なかなかと妻は戻って来ない。考えてみれば家に薬などあるのだろうか? あるとしたら最後に呑んだのはいつだっただろう? 不思議な事に何一つ解らなかった。そんな事を考えているうちに食器は全て僕の手によってきちんと棚の中に片付けられた。ガラス戸をしめてから何もする事がなくて、二階に行って妻の様子を見てくることにした。階段に足を掛けると子供が泣きだしたので居間に戻って子供をあやさなければならなかった。ソファーに座って遊んでいるとやっと妻が戻ってきた。
「随分と捜したわ」
「家に薬なんてあったのかい」
 妻はなくしてしまった宝物を見つけて喜ぶ子供のような顔で大事そうに手の平に小さな箱を乗せて僕に差し出した。薬の箱を眺めながら僕はいつこんな薬を買っておいたのだろうかと、もう一度考えてみたけど、やはり思い出せなかった。使用期限が印字してある部分を見ると、とっくに切れていた。それから察して使用可能期間を三年と見ると友人と共同生活を送っていたときのものに違いなかった。
「ありがとう」と妻に礼を言った。「何故あると知っていたの?」
「呆れたわ」と言って妻はアメリカ人がよくやるような仕草で顔を左右に振った。「ナンバさんがくれたんじゃぁない。わたしと結婚してあなたが前のアパートを出るときに貰ったんでしょ」
「そうだったかな?」と僕が言うと妻はもう何も喋らなかった。僕は再びそんな事言うべきではなかったと後悔し、使用期限が切れている事については言うのを止めることにした。
 妻は台所にいって僕が片付けを済ましているのに気が付くと気を取り直したのか鼻歌で唄いながら子供を抱き上げて庭で子供とスコップで穴を掘って遊び始めた。僕は手に持っていた薬の箱をからくり箱の仕掛けを捜すかのようにクルクルと回しながらぼんやりと眺め、暇つぶしに箱に印刷された説明を5回読んだ。何回も読んだところでカタカナで書いてある成分名は一体どんなものなのか薬の素人には知るべくもなかった。それに文章だって不親切だった。何とかが配合されているから何々に効くといった感じで納得がいかない。何も薬について解らない人が読めば『アコニチンが配合されているから風邪に効きます』と書いてあっても、きっと買ってしまうだろう。しかしそんな事を考えているのはこうして今、暇な僕くらいなのかもしれない。世の中は忙しいのだ。だれも薬の箱の文章になんて普段は目がいく筈がない。「せっかく持って来たんだからちゃんと飲んでよ」と妻が僕に促した。
 僕は箱に印字された使用期限の数字を見てナンバと共同生活を営んでいた年数を心の中で呟いてみた。しかし本当にそんな月日があったのか、透き通ってしまいそうな記憶をたぐり寄せてもうまく思い出せなくなっていた。月日は僕を超えてあまりにも速く流れすぎる。
 僕はペンキで塗ったような空へ顔を上げて期限切れの薬を2錠呑み込んだ。

            ↓

 高校を卒業すると僕は5月のはじめに家を出て、ナンバと共同生活を始めた。それから後に我々は或る政治グループの同志になり、おかげで公安からひどく嫌な事をされたが、それでもナンバとの共同生活は楽しい毎日だった。
 我々は元々、特に「気の合う仲間」でもなければ「同じ志を抱いている仲間」でもなかった。そんな二人が政治グループの同志になったのはちょっとしたきっかけがあった。
 まだお互いのおならも一度も耳にしたことがない頃で、天気のとても良いある退屈な日の事だ。
 真上を見なくとも空の様子が映しだされているビルディングの建ち並ぶ街を我々がブラブラ歩いていると、ジーンズとウィンドブレーカーを着てアポロキャップをかぶり、一見してすぐにサイズが合わないとわかる大きな黒いサングラスをした女性が前に立ち止まった。その女性の顔は僕に夏の海辺を想起させた。(たぶん大きな黒いサングラスのせいだろう)女性はとても早口に「我々は三里塚二期工事を阻止する為に闘っている者だが是非あなた方と話がしたい」と言った。我々はどうするといった感じで二人顔を見合わせたが、その女性は我々の動作にはかまわず話し始めた。今度はとてもゆっくりとした話し方だった。その女性によれば国家権力は農民の土地を不当に奪い、2500メートル滑走路の二期工事を強行しようとしているらしい。空港は軍事利用も可能かつ日米安保を強化するものだから、したがって三里塚の農民と共に同志になって我々にも闘ってほしいといったものだった。
 そして突然の話にうまく断る理由がみつからなく我々は頷かざるをえなかった。女性は辺りを見回してから彼女の指定した喫茶店へ30分後に自分も行く、と言ってしまうと違う歩行者の方へ歩み寄り我々にした時と同じように声を掛けた。
 女性は時間どうりにやってきた。しかし我々のテーブルに腰を降ろす迄まったく気付かなかった。女性はサングラスを外していたしウィンドブレーカーも脱いでいたからだ。青いジーンズにキリンのプリントの入ったベージュのシャツといった格好だった。
「やぁ、お待たせ」と席に着くなりラジオ番組のD・Jの挨拶みたいに言った。
 サングラスと帽子をとった彼女の顔は意外なことに老けており、目尻によった深い皺は僕に浦島太郎の昔話を思い出させた。彼女は二期決戦の話をし、僕は浦島太郎の話をずっと心の中で話した。
 そんなわけで我々は熱烈なオルグによってマルクス主義の洗礼を受け革命的な同志になり、共通な課題も出来て気心が知れた親友ともなった。
「俺達はもう親友だ」とナンバはアパートに帰ると興奮して僕に言った。「革命こそが全てを団結させる」
「団結してまず何をしようか?」と僕はよく冷えたビールを冷蔵庫から2本取り出して訊いてみた。
 まず始めに我々がした事は玄関を入った正面にチェ・ゲバラの写真を張り、部屋には粗末な紙に革命的なスローガンを書いて何枚も貼った事だった。暫くそれらをビールを飲みながら満足気に眺め、ナンバは「まだ足りない!」と言ってセックスピストルズのレコードをBGMにかけた。そうして我々の楽しい生活が始まった。
 我々は大抵の日は『ドイツイデオロギー』、『なにをなすべきか』、『資本論』を論じあい、夜が明けた時には24時間営業の牛丼屋へ行って大盛り2杯を食べてから眠った。
 僕もナンバも19歳の時だ。パワフルでタイトでハードな19歳だ。見方によれば19歳に相応しい生活だったと思う。少なくとも中古のマークⅡに乗って、女の子と喫茶店に入って明石家さんまのネタの真似をして笑わす日常よりはずっとまともな生活だった。
 でも僕が21歳になった翌月のある蒸し暑い夜にベランダの縁台に腰掛けていると、ナンバも隣に座り「我々の生活に区切りを付けよう」と言い出した。少し考えてから僕はナンバの意見に頷いた。頷けない理由もみつからなかったからだ。
「それで一体これからどうする?」
「・・・・・・、大学に行くよ」ナンバは遠くの家の灯りを見つめながら言った。
 僕はそれについて何も言わなかった。
「来年俺は一人で生活するけどお前はどうする?」
「さぁわからないな」僕は指を一本一本眺めながら言った。本当にわからないのだ。
「彼女(今の妻)とはどうするんだ?」
「まだ決めてない、色々と悩みがある」
「そうか」ナンバは大きく溜息をついて言った。
「何故、大学になんか行く?」僕はナンバの顔を見ながら言った。ナンバはポケットから煙草を取り出して火を点けた。僕はそう言ってからこんな事は言うべきでなかったと思った。
「寂しく思うのか?」
「正直言って少しね」と僕は言った。
 二人は黙り込んだ。辺りのエアコンのモータの唸る音がいくつも重なり合い、まるで何万もの虫が鳴いているように重く響き続けた。アパートの前の道路を2台の車が氷の上を滑べるように音もなく通り、そして闇の中に消えていった。こんな時間に(午前2時だった)何故車が走っているのか考えてみたがそんなこと僕が思ってみたところでどうしようもないので考えるのを止めた。時折何処からか遠くで犬の啼き声が聞こえたりした。ナンバは言葉につまったのか、3分の1程まだ残っていた煙草を足で揉み消し、立て続けに2本目の煙草に火を点けた。言葉がうまく出てこない時にいつもそうするのだ。僕はナンバが何か言うまで待った。そして喉がとても渇いている事に気付きビールが飲みたくなった。
「ビールを飲まないか?」と偶然かナンバが言った。僕は頷いた。
 ナンバは煙草を咥(くわ)えたまま台所に行って栓を抜きグラスと一緒に持ってきた。
「1本しかなかった。お前にやるよ」
「いいさ、二人で頒けて飲めば。いつだってそうしてきたじゃぁないか」
 ナンバは頷き自分のグラスにも注いでしまうと、かつて僕が聞いた事のない類の小さな溜息をつき、一気に飲み干した。
「俺たちの生活は不毛だと思わないか?」とナンバが言った。
「ふもう?」
「そう、不毛だ。だって俺達二人揃って何が出来たというんだ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「集会に行って、デモをして、機動隊を殴ったりまた俺達が殴られたり、古本屋に持って行っても絶対に買い取ってもらえない本を読みあさったり、アジトでビラの整理をしたり、公安にひどい事されるし、それから・・・・・・」
 ナンバは荒くなっていた呼吸を抑えるかのように下唇を噛んだ。
「それから・・・・・・、すまん、言い過ぎたよ。気を悪くしたか?」
 僕はグラスの底に少しばかり残っていたビールを胃に流し込んだ。
「いいよ、言いたい事を腹にしまい込むのはあまり良くない」
「そうだな。要するに、はっきり言ってしまえば俺達ただ息をしていただけでこれからもたぶん・・・・・・」
「たぶんなんだよ?」
 ナンバはそれから一言も口を開く事無くずっと遠くの闇を眺め続けた。僕は瓶に残っていたビールをナンバのグラスに注ぎ少し迷ってから肩を軽くたたいた。
「大学に行って色々学んでくれ」


 時計は3時をいつの間にか音もなく指し、僕は蒲団を敷いて横になり、いつまでもまわり続ける針をぼんやり眺めた。
(VOL12に続く)







   詩五篇 歌詞三篇

          文(ムン) 重(ヂュン) 烈(ニョル)

 마산의 처녀들

시골에서는 할일이 없어
농사를 지어도 먹고 살 수가 없어
식구들 먹여 살리자고
동생들 학교라도 보내자고
메마른 먼지길에 눈물 훔치며
보따리 하나 들고 떠나온 처녀들

나라의 보살피미 없는 애들이라
人間市場에 뿔뿔이 흩어져
몇 푼 돈에 모든걸 팔아야 했다
잠잘 시간을 빼앗겼고
일요일의 休息도 잃어버렸고
변소에 갈 時間도 걱정해야 했다

自由都市・馬山에서는
病들면 일자리를 쫓겨나야 했고
不満을 품은 사람 그만두라 했고
労働組合 꾸미려다 監獄에 끌리었고
목숨마저 빼앗긴 아씨들도 있었다
馬山은 倭人들의 地上楽園이였다

金銭万能의 倭人들에 묻노라
부려먹을 대로 부려먹고 나서
한 신짝 버리듯 던져 버리고
새로 宝物섬 착아 가려는가
당신들 정말로 너무 합니다







馬山の乙女たち

田舎では仕事もなく
農作業しても 暮らしはたたず
家族たち 食べさせてやろうと
弟たち 学校に入れてやろうと
ひからびた埃の道に 涙ぬぐい
風呂敷包みひとつ持って 発(た)ってきた乙女たち

くにの守護もない子どもたちだから
人間市場に ばらばら 散って
はした金(がね)で すべてのもの売らなければならなかった
眠る時間 うばわれて
日曜日の休息も失ってしまい
便所へ行く時間さえ 気にしなくてはならなかった

自由都市・馬山では
病気になれば 仕事場を追われなくてはならなかった
不満をいだく者 辞めろと言われ
労働組合つくろうとして 監獄にひっぱられた
いのちさえ奪われた 娘もいた
馬山は 日本野郎どもの地上楽園だった

金がすべての日本野郎どもに 訊ねようではないか
こき使うだけ こき使って
古い履き物 捨てるように 投げ捨て
あらためて 宝島さがしに行くのか
あんたたち ほんとうに あんまりですよ

옛날의 日本軍隊 땅을 넓히려
총칼로 우리 겨레 짓누르더니
오늘의 商事軍団 会社 넓히려
돈으로 우리 겨레 농락하는가
당신들과 우리는 무슨 연고로
代를 이어 원수지고 살아야 하는가


  遺 伝(1)
옛날도 머언 옛날
무서운 짐승들 뛰여다닐 때
우리 선조들 아직 미련해서
무서운 것들 쫓아내 줄
힘센 귀신 나타나기를 빌었다

先祖들 믿음직한 하나 골라
그가 바라는 건 다 해주고
예쁜 처녀들 데려다 바치고
金・銀보 화도 무기도 갖다주어
만능의 鬼神을 길러내였다

万能의 귀신 제 몸만 사랑하고
우리 先祖들은 버림을 받았다
先祖들 억울하여 귀신을 바꾸어도
몇 번이고 몇 번이고 속아 넘어갔다
조선의 귀신은 무섭기만 했다

先祖들 귀신 없이 살려고도 했지만
우리 겨레 너무나 성급해선가
무르익는 가을 기다리지 못해
여름의 풋것 따먹으려 다투다가
더 무서운 귀신한테 속아 넘어갔다

미련한 피 물러받은 우리 땅 한 편에는
옛날처럼 귀신을 모시고 산다
昔の日本軍隊 土地を広げようと
銃剣で わが民族 抑えつけたが
今の商事軍団 会社 広げようと
金で わが民族まるめこむのか
あなたがたとわたしたち なんの因果で
代をかさねて 仇になって生きねばならないのか
              (訳・磯貝治良)

  遺 伝(1)
昔も昔
おそろしいけものたちが 跳びはねていた頃
わたしたちの祖先は まだ愚かで
おそろしいもの 追い払ってくれる
力強い鬼神 現われるのを祈った

先祖たちは 信じられる人ひとり 選び
彼が願うことみな してやって
かわいい乙女たち 連れてきて捧げ
金銀財宝 武器も 取り揃えて与え
万能の鬼神を 育てあげた

万能の鬼神 わが身だけ 愛して
わたしたちの先祖たちは 見棄てられた
いまいましくて 先祖たちが鬼神 代えても
何度も 何度も だまされた
先祖の鬼神 おそろしいことばかりした

先祖たち 鬼神なしに生きようとしたけれど
わが民族 あまりに短気すぎるのか
実熟れる秋も待てず
夏の青い実 取って食べようと争い
もっと おそろしい鬼神に だまされた

愚かな血 受けついだ わが地の一方は
昔のように 鬼神に仕えて 暮らす
그의 비위에 거슬리지 않도록
조심조심 눈치보교 살아가고 있다
노예의 비굴이 아직도 남아 있다


  遺 伝(2)
우리 先祖들 하도 못 살아
귀신 앞에서 빌고 빌었다
바라는 것 제 때에 쏟아지는
요술망치 하나 갖다 달라고
날마다 빌면서 살아왔더라

세상에 새로 鬼神이 나타나
그것만 가지면 못할 일 없는
황금이란 만능의 귀신이 나타나
야심가들하고 손을 맞잡고
지난 날의 귀신들 몰아내더라

黄金神의 혜택을 받아보려고
손이발이되로록 빌고 빌다가
선조들 그것은 받지 못했고
황금신의 노예로 허덕이다가
恨많은 세상을 떠나셨더라

자손들 미련한 피 물러받아선가
조상들의 원풀이 하련 셈인가
황금신의 힘으로 王노릇 하려는가
도둑질도 크게하면 英雄이라고
욕망의 함장에서 몸부림친다

열매만을 탐내는 오늘날이라
먹지 못한 꽃은 짓밟고 간다
先祖들 귀신 앞에 빌다 죽었고
子孫들 황금신 믿다가 망하련가
미련한 遺伝子는 언제까지 이어지나
彼の気に入るように
顔色うかがって 用心しいしい 暮らしている
奴隷の卑屈さ いまも残っている
             (訳・磯貝治良)

  遺 伝(2)
わが先祖たち とても 暮しが立たず
鬼神の前で 祈りに祈った
願いごと いつでもかなうように
打出の小槌 ひとつ 持って来てくれと
日ごと 祈りながら 暮してきたんだよ

世の中に 鬼神 あらたに現われ出て
それさえ持てば 出来ぬことはない
黄金という万能の鬼神 現われ出て
野心家どもと 手を握り
過ぎし日の鬼神ども 追い出したんだよ

黄金のめぐみを受けてみようと
手を足のようにへっつくばって 祈っても
先祖たちは 黄金のめぐみ 受けられず
黄金神の奴隷となって あえいでも
恨(ハン) たくさん抱いたまま 死んでいったんだよ

子孫たち 愚かな血 受けついだからなのか
先祖たちの怨み 晴らそうとしたのか
黄金神の力で 王になろうとでもしたのか
泥棒も 大きいことすれば英雄だ と
欲の落し穴で 身もだえする

果実だけ欲しがる 今日この頃
食べられない花は 踏みにじって行く
先祖たち 鬼神の前で 祈って死に
子孫たち 黄金神を信じて 滅びようとするのか
愚かな遺伝子は いつまで継(つ)がれるのか


조선의 三月
시내물 졸졸졸 흐러내리고
새 싹들 옹곳쫑곳 솟아날 무렵
할머니는 해마다 눈물 머금었다오
삼월의 만세소리 따라갔다가
돌아오지 않았던 아들 생각에

행적없이 살아진 아들 생각에
할머니 주름살에 눈물 맺힐 때
옛날의 원한이 새로와지고
三月이 올 때마다 어린 손자들
원수를 갚으자고 맹세했다오

쓰라린 지난 날은 잊으려 해도
가해자가 잘못을 뉘우치지기는 커녕
허공에 우월탑을 높이 세울 때
가슴에 멍든 상처 다시 아파서
봄이 와도 마음속 풀리지 않았다오


 일꾼개미
쉴새 없이 일만 하는 일꾼개미는
왠 일인지 눈이 안보인데요
왕개미의 바늘에 찔려서인가
일꾼개미는 눈이 안보인데요

눈동자 잃어버린 奴隷개미는
왕개미 말씀대로 정성껏 살면
복이 찾아 온다고 믿고 있는지
밤낮을 가리잖고 일만 한데요

하나만을 믿고 산 나의 청춘은
(訳・磯貝治良)

 朝鮮の三月
小川のせせらぎサラサラ流れ落ち
新芽ニョキニョキ吹き出るころ
毎年ばあちゃん 涙浮かべてた
三月の万歳(マンセー)に誘われて行って
それっきり帰らぬ息子を思って

行方の知れぬ息子を思い
ばあちゃん涙でしわぬらす時
昔の恨みがよみがえり
三月になれば孫たちは
かたきを打とうと誓いました。

辛い想い出消そうとしても
加害者は過ちを省みることなく
虚ろな優越の塔積みあげる時
心の古傷またうずきます
春にも心は和みません。
           (訳・文 重烈)

 働きアリ
休むこと知らぬ 働きアリは
なぜかおめめが見えぬという
女王の針に刺されてか
働きアリは目が見えぬという

ひとみを失(な)くした奴隷アリは
女王のことばさえ聞いていれば
幸せ来ると信じてか
昼夜別なくただ働くという

一つだけを信じた我が青春は
세상을 보지못한 장님이였소
남의 듣지못한 귀머거리였소
눈동자 잃어버린 노예개미처럼


 첫사랑
(一)그대를 처음 만나 이 마음 설레였고
  그대를 볼 때마다 이 가슴 두근거려
  그대가 걷는 거리 숨가삐 달려가면
  그대는 낯을 붉혀 모른채 지나갔지
  그대의 뒷모습이 선녀처럼 아름다워
  그대가 사라진 뒤 허공만 처다봤지
  
(二)내 마음 전하려고 밤 새워 작은 글발
  찢었다 다시 쓰고 썼다가 다시 찢고
  편지를 보낸 뒤에 후회의 기나긴 밤
  괴로운 나날들이 지금은 그리워요
  하도나 보고파서 만나면 할말 없어
  어물어물 망서리다 안타까이 헤여졌지
    
(三)그대가 떠나간 뒤 원망도 했다라오
  오가는 바람결에 그대 소문 들려왔소
  만나고 싶은 마음 누를 길 없었건만
  내 어이 안갔는지 그대여 아시는가
  세파에 횝쓸리여 그 마음 변했을 때
  선녀의 아름다움 깨여질가 두려웠소
 

 기다려 사십년
(一)삼년이면 오겠다고 맹세한 그대여
  어이하여 못오시나 오지를 않아요
  그리워 이십년 원망해 이십년
  눈물에 씨겨선가 거믄 머리 희여졌소
  아・・・・・・
世間が見えぬ盲人でした
声を聞けぬ聾唖でした
ひとみを失くしたアリのように
         (訳・文 重烈)

 初 恋
(一)あなたに初めて会って この心どきどきし
  あなたを見るたび この胸どきどきし
  あなたが歩く街 息切らせて駆ければ
  あなたは顔あからめ 知らぬふりで通りすぎた
  そのうしろ姿が 天女のようにうるわしく
  あなたが去ったあと 虚空ばかり見上げた
  
(二)この心 伝えようと 夜(よ)を明かし書いた文(ふみ)
  裂いてはまた書き 書いてはまた破り
  手紙送ったあと 長い後悔の夜
  苦しかった過ぎし日々が いまはなつかしい
  とても会いたくて 会えば言う言葉もなく
  ぐずぐずためらっては やるせなく別れた

(三)あなたが立ち去ったあと 怨みもしたんです
  風の便りにも 噂きこえてきた
  会いたい心 抑えるすべもないのに
  なんで行かなかったか あなたご存じだろうか
  世間に流され 心変わりしたときに
  天女の美しさ こわれるの怖かった
              (訳・磯貝治良)

 待つこと四十年
(一)三年すれば来ると誓ったあなたよ
  どうしていらっしゃれないの 来ないのです
  恋い慕って二十年 怨んでまた二十年
  涙にあらわれ 黒い髪 白くなった
  あ・・・・・・
  그누가 우리를 갈라놓았습니까
  그 무엇이 우리 앞길 가로막았습니까
  
(二)뜨거운 입김으로 속삭이던 그대여
  그 말을 굳이 믿고 기다려 반평생
  희망의 이십년 속아서 이십년
  차라리 못온다면 죽기라도 했을것을
  아・・・・・・
  사랑은 믿은 것이 좌란 말입니까
  잊지 못한 한 마음을 꾸짖어야 합니까
  

 민들레
(一)바람에 흩날리여 고향땅 떠나
  산 넘어 바다 건너 낯선 땅에서
  끈끈히 살아가는 민들레꽃은
  내 가장 사랑하는 꽃이랍니다

(二)길가에 짓밟혀도 시들지 않고
  매마른 땅에서도 피는 민들레
  씩씩한 어머님의 마음 같아서
  내 가장 사랑하는 꽃이랍니다
  












  誰が わたしたちを引き離したのですか
  何が わたしたちの行く手に立ちふさがったのですか

(二)熱い息吹で 囁いていたあなたよ
  その言葉をかたく信じ 待って半生
  希望いだき二十年 だまされてまた二十年
  来られないなら いっそ死んでしまったものを
  あ・・・・・・
  愛を信じるのが 罪だと言うのですか
  忘れえぬ一つの心を 責めねばならないのですか
              (訳・磯貝治良)

たんぽぽ
(一)風に吹き散って 故郷を離れ
 山超え 海渡り 見知らぬ土地で
 ねばりづよく生きる たんぽぽは
 もっとも愛する花なのです
 
(二)道端で踏まれても 枯れないで
 痩せかわいた土地でも咲くたんぽぽ
 たくましいお母さんの心のようで
 もっとも愛する花なのです
             (訳・磯貝治良)
 






     本川橋の碑

          加(か) 端(ばた) 忠(ただ) 和(かず)

ヒロシマと同じ年の私
はじめての広島だった
何十年、草木も生えないと言われたこの街に
樹々(きぎ)が眩(まばゆ)く
あの日よりも多くの人々が住む広島
地獄絵の叫(さけ)びも原爆資料館の中からしか聞こえてこなかった
「ミズ、물(ムル)(水)を」
無数の人々が水を求めて逝(い)ったこの川を
四十五年の月日が風化させたのか
この人達の怒りやかなしみが聞こえぬのか
その名も「ルンルン号」の遊覧船が巡る
アジアの国々から非難されながらも「靖国神社公式参拝」を強行、「我国は単一民族国家」と公言した、改憲論者の元首相の句碑が建つ平和公園
翻(ひるが)える日の丸
向う岸の本川橋の袂(たもと)からこちらを見ている碑
前日、焼肉屋の아(ア)주(ジュ)머(モ)니(ニ)(おばさん)が「私達のとこにも行ってきてよ」と言った、彼女達の国の異国の焦土に帰した二万人もの「韓国人被爆犠牲者の碑」だ
これだけどうして、こんな所に在(あ)るの
その人達が「チョーセンジン」だったから
「ノーモア、ヒロシマ」と世界に叫(さけ)んだ、その広島の人達が「ヒ・ロ・シ・マ・市・民」でなかったから
いま、平和公園に移転を求める再三、再四の声
でも、ずっとここに在ってヒロシマとは 戦争とは
私達日本人とは何か問いつづけて!
ここに在(あ)ってこそ意義があるのだから
ずっとずっとここに
平和公園をじっと見ている







 羽山先生が怒(いか)る

磯(いそ) 貝(がい) 治(じ) 良(ろう)

 響きわたる怒声が、天井から私の頭めがけて降りかかってきた。それで目を覚ましたはずなのに、羽山事務所の静かさは、まどろむまえと変っていない。
 室内のゆったりとした空間をたのしむように、豪勢なソファにも、重厚なマホガニー卓子にも、椅子にも、書棚にも、寂とした気配が漂っている。
 正面の壁で破顔大笑する羽山英雄の写真さえ、邪気なく、殺気の影すら感じられない。私は一時間近くも待たされたすえに、その立派な額縁のなかの写真を眺めているうち、居眠りしてしまったのだ。
 男の怒声ときこえたのは、錯覚だったか。ふたたび睡魔の心地よい誘いがよみがえってきたとたん、怒声はさらに凄みをおびて、二階の羽山商会からきこえた。怒声にまじって、踏み鳴らす靴音が乱れ、黒革のジャンパーを着た長身の男が、階段に現われた。男は顔面を蒼白にし、階段を踏みはずしそうに、よろめく足取りで下りてくる。怒声の男に背を小突かれているからだ。小柄な怒声男の頭は、階段を一段上にいるのに、革ジャン男の頭とほぼ同じ位置にあった。
 安本支配人だ。支配人は、ほとんど蹴飛ばすいきおいで革ジャン男を外へ突き出した。その瞬間に男が落したサングラスを、安本支配人は靴底で踏み潰した。
「ラマーンの阿呆、なめた真似しやがって」
 安本支配人が吐きすてて二階へもどろうとするのに、私は声をかけた。
「安本さん、相変らず繁盛で」
「よォ、桐山先生。来とったのか」支配人は私を振り返るなり、まくしたてる、「奴(やつ)がラマーンの小森。フィリピン娘に客をとらせてあこぎに稼いどるくせに、返すものも返さん。あの殊勝な顔、見たかね。奴のてだ」
 金融関係のいざこざなどに、私は関心ない。
「羽山先生の時間音痴には参ったよ」
 私が愚痴のひとつも言おうとしたのに、安本支配人は素早い身のこなしで階段を駆け上がってしまった。
 相手が羽山先生では、じたばたしても始まらない。私はソファに深く体を沈めて気永に待つことにした。時間に急(せ)かされる身でもなし、これも羽山英雄から支給される過分な手当のうち。昨夜の酒疲れをいやすには、もってこいだ。それにしても、このソファ、眠り仕掛けでも設(しつら)えてあるのだろうか。
 あー、もしもし。
 桐山君か。もしもしじゃない。ワシだ。
 あー、鷲さん。うん、桐山です。
 ワシさんじゃない、羽山だ。
 はいッ、羽山先生。
 なにをぼけとるんだ。鎮魂碑建立の件はどうなっとる? 一か月も報告がないぞ。
 まずまず順調に。
 まずまず? ぼやぼやするな。満帆(まんぱん)順調、至極快調で進まんか。
 はい、早速、報告に。午後一時、事務所のほうへ・・・・・・
 夢とも現(うつつ)ともつかない意識の隙間から、羽山英雄の声が鳴り響く。受話器が置かれた瞬間の激しい音がよみがえる。けさ、眠りを破られたときの不快感が、後頭部のあたりにねばついている。
 羽山先生が業を煮やすのも無理はない。旧楢(なら)島(しま)航空機朝鮮人犠牲者鎮魂碑建立委員会の事務局長として、私は十全に役割をはたしていない。
 昨年の秋、朝鮮人半田空襲犠牲者鎮魂祭が催された折、私は、その実行委員会事務局長の役職を委員長・羽山英雄から命ぜられて、四苦八苦、難職を切り抜けた。その後、鎮魂祭実行委員会が鎮魂碑建立委員会に衣替えすると、その委員長である羽山英雄から、またしても事務局長の職務を命ぜられてしまった。
 賣れない小説書きの私にとって、羽山事務所から支給される生活費および活動資金は、涙がこぼれるほど嬉しい。日当一万円の日雇現場で働く必要もない。日当八千円で道路に立って、寒風の日も熱暑の日も雨の日も、交通誘導の旗を振る必要はない。ここ三か月ほどの暮らしは優雅だ。
 とはいえ、優雅と難行は紙一重。事務局長の職柄は、やっぱり性(しょう)に合わない。実行委員会を実質上、運営する市の職員との打ち合わせ、旧楢島航空機関係者との折衝、鎮魂碑を建てる土地の確保、有力者にたいする寄附の要請、市民への宣伝、それらのための文書作成、印刷物の発注、委員長・委員(助役、市会議長、学者、弁護士、商工会議所理事)への報告。どれもこれも、苦手でないものはない。そこで畢竟(ひっきょう)、事務局次長の市民課長と事務局担当の課員に、アナタまかせ。
 おれが、もっぱら、心うばわれていることといえば・・・・・・
 あんたが、気をうばわれていることといえば、つまらん詩まがいをつくることかね。
 夢とも現(うつつ)ともつかず、そんな声がきこえて、誰かがどこかで詩らしきものを読んでいる。

  知多半島ののどくび 楢島飛行場の建設現場
  一九四四年十一月、朝鮮半島の北辺の地 興(フン)南(ナム)や端(タン)川(チョン)から連行されてきた 若者たち
  日も昇らない 午前五時
 「起床」と起こされ、麦八分米二分のめし一杯だけ与えられ
  棒で追われ 罵られ
  日が沈むまで
  血を吐くまで 働かされた人びと
 「起床」と呼ばれても 棒でつつかれても
  起きてこないものは
  栄養失調で チブスで
  腹だけふくらんで 死んでいた
  一九四五年七月二十四日
  B29の空爆で 死んだ人びとは
  手と足 首と胴 バラバラになり
  死んでいった
  四十八名の爆死者たちは
  解放の日を目のまえにして 死んでいった

  幾世代 黙々と働き
  黙々と死んでいった人びと
  抗(あらが)い 叫んで 消された人びと
  血の重さ 波立つ 歴史の重さ

  来るときには
  目もくらむほど遠かった玄海灘
  また 帰るにも遠い玄海灘
  蝶さえ 渡る 海なのに

桐山さん、日本人のあんたが、いくら、そんな詩つくっても、わしら、心の底の恨(ハン)は解(と)けんよ。いくら、そんな詩うたってくれても、コヒャンへ帰れんよ。四十六年も消息きこえん故郷へ、帰れんよ。酒まで持参して、せっせとわしの話きいて、それで、どうなるもんか。見失った歳月が帰って来るかね。
 あれ? 朴さんが喋ってる。朴さんの声にちがいない。朴龍寿さん、六十八歳。十九歳のとき、咸鏡南道端川郡端川邑の田舎から、徴用工として連行され、旧楢島航空機地下工場の建設現場で働かされた生き証人。天涯孤独、体を痛めて日雇労働もできなくなり、生活保護で暮らしている朴龍寿さん。
 何度目だったか、一升瓶さげて訪ねていったとき、突然、私を見すえて迫った言葉そのままに、朴さんが喋っている。
 わしの目が黒いうちに、カネは出るのかね。賠償とか、謝罪とか、さわいどるが、わしらにカネを出すのかね、倭(ウェ)奴(ノム)の偉(えら)方は。コヒャン、失ない、歳月、ふみにじられ、仇の土に骨うずめる、わしらの値段を、いったい、どうソロバンはじくというのか。
 酒の酔いに乱れていく、あのときの喋り方のままに、朴さんの声がきこえる。
 馬鹿に、するな!
 不意に、怒声が私の脳天を打った。おや? 朴さんの声ではないぞ。
「馬鹿にするな。ラマーンの店をまるごといただくんだ」
 耳をつんざく生なましい声で、私は目を覚ました。
 マホガニー卓子のむこうに、羽山先生が巨躯を据えて、安本支配人を睨みすえている。その面貌は、壁の額縁で破顔一笑している人物とは似ても似つかない。
「ラマーンをひねりつぶすくらい、朝めしのまえです」安本支配人の物言いは鄭重だが、態度に悪びれた様子はない、「しかし先生、いま大切な時期です。波立てないほうがいいでしょう」
「大切な時期?」
「国会の解散は、おそくても秋に、というのが聞(ぶん)屋(や)筋の観測で」
「ラマーンの店をひねると、どんな波が立つのか」
「ラマーンの小森は花木の筋です。花木は近頃、黒野忠義の陣営に通じとるようで」
 羽山先生は野球のグラブのように大きな手を、面倒くさそうにひと振りして言った。
「安本支配人、まかせた」
 安本支配人は返事もせずに部屋を出ていった。否応なく、私の出番だ。重たく沈み込んだ気分を四肢ごとソファから引き剥がすと、私はそいつをマホガニー卓子のまえまで運んでいった。強烈な一喝は覚悟の上だ。
 羽山先生は、派手なチェック模様のネクタイをゆるめながら、怪訝そうな視線を私にむける。お前は、なぜ、おれのまえにおるのか? 羽山先生の鋭い目は、そんな一種、実存的な問いを突きつけているようでもある。
「時の歩みは、たしかに、人間の能力を超えているようで。報告、おくれてすみません」
「桐山さん、文学青年の真似はやめとけ。用件だけ言ってくれ」
 羽山先生はそう言いながら背広を脱ぐ。いつも三つ揃いのスーツをテレビドラマの二枚目刑事のように決めている羽山先生が、ネクタイをゆるめたり、上衣を脱いだりするのは、かんばしくない兆候だ。
「鎮魂碑建立の予定は光復節、八月十五日です」
 なんだ、そのことか、と言うふうに、羽山先生はそっぽを向いた。けさの電話は、夢だったのだろうか。
「いしぶみの揮(き)毫(ごう)は、ソウルの有名な先生に依頼済みで」
「市民課長が直接、ソウルへ行って承諾を得てきたそうだな。桐山さん、事務局長のあんたが同行しなかったのは、なぜか」
「韓国語ができませんので」
「市民課長は、朝鮮語、できるのか」
 羽山先生はそっぽを向いたまま言った。
 私が二の句をつげられずにいると、羽山先生は不意にこちらに顔をむけた。
「きょうから一か月、ラマーンを張ってくれ」警察とは犬猿の仲のはずの羽山先生は、なぜか、ときどきポリス語を話す、「夜八時から閉店まで。あくまでも客として店にいてくれ。軍資金ははずむ」
 事情をのみこめずにいる私の鈍感さに、羽山先生は苛立ってくる。
「安本支配人の目付け役だ。あれは、頭にくると見境もないことをする」
「安本さんは大丈夫でしょう。先生をたしなめていたくらいだから」
「だから、心配なんだ。あれの言うこと、することは、逆だとおもえば間違いない」
 私の返事も待たず、羽山先生は卓子のうえの受話器を取った。二階の安本支配人に、五十万円持ってくるよう、告げている。


 原色のレーザー光線が、広いフロアーを四方八方から乱射している。年代不詳の地獄絵図だ・・・・・・赤提灯派の私は、四日前、はじめてラマーンを訪れたとき、めくるめくイリュミネーション・ライトを浴びて乱舞する男たち女たちの情景を見て、思ったものだ。
 セピア色の驚きも、二日目にはたちまち消え失せた。ロックの凄まじい喧騒に半端な酩酊気分を引っ掻き廻されながら、私はいま、三人連れの客に気をとられている。私のボックスから左側斜(はす)向(む)かいの壁際。私が羽山先生の命令で張り込みをはじめた夜から、彼らは毎日、同じ席にいる。陣取っている、という感じはない。年代不詳の地獄絵図にも登場せず、ボトルの減り具合だけが気がかりといった風情で、ほとんど言葉も交さない。緊張さえしている感じ。さては無銭飲食か。最初の夜、私は疑ったくらいだ。
 ところが、この三人組、揃いも揃って風貌も体つきもなかなか屈強だ。水割りのグラスを握る手は、まぎれもなく労働者諸君のもの。ことに中心的存在と見える男の手は、思わず目をうばわれるほどの頑強さだ。泥土の臭いが鼻をついてきそうな身なりは、土木工事の現場から、忽然、絢爛の異界へまぎれこんだともみえる。
 張り込みの目当てである安本支配人の動きは、四日の間、微塵も感じられない。そのかわり、ラマーンというこの店、胡散臭いにおいがぷんぷんと臭う。探偵物とはまるで縁のない私でさえ、そのにおいには即座に気づいた。十四、五人はいるだろうか、東南アジアから来たにちがいない女たち。十五、六歳の少女の姿も目立つ。彼女たちがひっきりなしに客と連れ立って姿を消す。一時間ほどすると、娘は衣裳に疲憊の影をまつわらせて現われ、客は表情に淫猥の名残を漂わせてもどってくる。そういえば、ラマーン(当時は別の名前だったらしいが)を経営する小森ら一味が、賣春防止法と労働基準法違反で挙げられたのは一年ほど前。店の看板だけを取っ換えてラマーンをオープンしたのは、数か月前だ。
 とすると、あの三人組は変装した刑事か? それにしては、変装ぶりが周囲に違和感をあたえすぎる。それに、あの拳銃を握るには大きすぎる分厚い手。
 私は、意に反して探偵気分になっている自分に気づく。酔いのせいか。
 ロックの喧騒がひときわ爆発して、ピタリと止んだ。イリュミネーション・ライトだけが乱れ飛び、閉店を告げるアナウンス。私は立ち上がった。三人組の動作に合わせて。
 三人組を尾行するタイミングで、彼らのあとから会計をすます。一万圓札二枚を払い、四五〇円の釣銭を受け取るのに手間取ったが、店を出たとき、三人組は二〇メートルほど先にいた。ネオンの消えた裏通りで、一列横隊に肩を並べ、立ち小便をしている。距離を置いて、私も立ち小便をする。私のそれが済んでも、三人組のうち中心人物らしき男の放尿は続いている。手の大きさにふさわしく巨根の持ち主なのか。
 ながい放尿を終えて、男たちはジャンパ-やら作業服やらのポケットに両手をつっこみ、背をまるめて歩き出す。数十メートルと行かないうちに、三人組の姿が裏通りから消えた。闇のなかにぼんやり浮かんでいるおとなのおもちゃの店。その角から路地へ曲がった瞬間、ひとの体にぶつかり、左右から腕を摑まれた。
「ほぉ、あんた何者だ」
 と、正面に立ちはだかった中心人物。意外な待ち伏せに、私はうろたえる。
「曲者(くせもの)じゃないよ。ふつうの市民」
屈強な風貌なのに妙に間伸びして垂れさがった男の眉毛をみて、私は少し安心する。
「ふつうの市民が、なんでおれたちを尾行する」
「理由を聞かれても、困る。ただの出来心・・・・・・」
 私は心底、返答に窮している。
「おまえ、ラマーンでもおれたちの様子うかがっとったろ」
 私の右腕に激痛がはしった。腕を摑んでいる男が、言葉と同時に握力をつよめたのだ。顔の三分の二がマルクス鬚でおおわれたこの男、上背は私の鼻先ほどなのに、肩幅が異様に広い。
 出会いがしらに私の左腕をつかんだ野球帽の男は、路地の角からラマーンのほうを窺っている。
「私服か」と、垂れ眉毛の男。
「まさか。あんたたちこそ・・・・・・」
 垂れ眉毛とマルクス鬚は、顔を見合わせて笑う。意外と邪気のない笑い。
「ほぉ、ポリ公とは不倶戴天の敵」垂れ眉毛の男が笑いを噛み殺す風に言う、「れっきとした日雇労働者」
「なら、私と同志だ。じつは、ラマーンには警察が出入りしている。客を装って。ただし、内偵のためではない。支配人の小森は、連中にフィリピンの娘をあてがって、賣春の接待をしている。私の目的は、その真相をつかんで、週刊誌に書くこと」
 私は、安本支配人から聞きかじった情報を喋る。週刊誌云々は勿論、出鱈目だ。
「あんた、トップ屋か」と、垂れ眉毛男。
「本意ではない。賣れない小説書きの、哀しい業」
「ほぉ、おれたちは手を結べるかもしれん」
 垂れ眉毛男がそう言ったとたん、私の右腕に激痛がはしった。マルクス男が、委員長、油断は禁物、とたしなめると同時に握力をこめたのだ。
「出て来たぞ!」
 突然、裏通りを窺っていた野球帽の男が叫んだ。
 三人組は、路地を表通りのほうへと駆け出した。何か、始まるぞ。私は直感し、彼らのあとを追った。
 表通りに、街路灯に照らされてポンコツのワゴン車が止まっていた。三人組が乗り込んだとき、私の上半身も後部座席に滑り込んでいた。マルクス鬚が私の上半身を排除しようとする。私は渾身の力で抗う。抗いながら、ジャンパーの内ポケットから名刺を取り出し、右手で高々とかざす。左手はマルクス鬚の作業服の襟首にしがみついたまま。
 朝鮮人半田空襲犠牲者鎮魂碑建立実行委員会事務局長
 桐山二郎
 助手席の垂れ眉毛男が、名刺をライターの火で照らし、読み上げた。
 車は夜の市街を走り抜け、五分ほどで小さな公園の端に止まった。道路をへだてた反対側に、灯りを消した民家が並び、その一角にそこだけ部屋に明かりの点るアパートらしき建物がある。明かりは二階の部屋全部に点っている。三人組の目標は、その建物らしい。
 ワゴン車のなかで待つあいだ、三人の男たちを、どこか浮き立つような緊張が領した。緊張感は、私の四肢にも浸透してきた。
 一時間ほどすると、部屋の明かりが申し合わせたように消えた。間もなく、アパートの外郭にしつらえられた軽量鉄骨の階段を、男が二人、降りてきた。通りでタクシーを拾うと、二人の姿は消えた。
 運転席の野球帽と私を残して、垂れ眉毛男とマルクス鬚はワゴン車を出、脱兎のごとく通りを突っ切った。二人連れの男が降りてきた階段を、垂れ眉毛とマルクス鬚が背を屈め、這い上がる姿勢で昇って行く。思わず詰めた息が全部吐き出される暇もなく、影が三つ凄まじい勢いで階段を駆け降りてきた。三つの影を、別の影が追って、階段を駆け降りる。通りをこちら側へ駆け抜けるとき、三つの影は一つになり、垂れ眉毛とマルクス鬚に両側から手を引かれているのは、パジャマ姿の少女。三人は雪崩を打つように車内へ飛び込んで来た。間髪を入れず、ワゴン車は発車した。
「驚いたなぁ。まさか見張りが残っとるとは気がつかなかったもんなぁ」
 車が走りだしてしばらくすると、マルクス鬚が浮き浮きした声で言った。
「組合事務所へ行くのか」
 運転席の野球帽が訊ねた。
「駄目だ」垂れ眉毛が応じた、「見張りのやつ、おれたちのこと知っとるようだ」
「そう、そう、叫んだぞ」と、マルクス鬚、「ササニチローのオオニシだなー」
「ほぉ、どうしよう」
「困った」
「ほぉ、困った」
 おれの出番だ。何者かが私に啓示をあたえた。
「妙案がある。駅前銀座の方向へ行って・・・・・・」
 私は野球帽に指示した。
「マリア、コマッタ」
 マルクス鬚と私のあいだに小柄な身を沈めて男たちの会話を聞いていた少女が、怯えたふうに呟いた。
「大丈夫、マリア。心配イラナイヨ」
 垂れ眉毛男が、妙なアクセントで言った。


 マリア救出劇から五日たった。私は相変らずラマーンの張り込みをつづけている。目的はあくまで安本支配人の動向。例の三人組は、勿論、姿をあらわさなくなったが、私の面は、ラマーンの連中に割れていない。
 あの夜、ポンコツ式ワゴン車は、羽山事務所をめざした。とりあえず、事務所の三階にある羽山会の道場に落ち着き、安本支配人に相談した。安本支配人はラマーン一味に一泡吹かせたことをおおいに愉快がり、羽山先生に直談判してくれた。木下女史の店にあずけるがいい。羽山先生は、意外とあっさりと私の伝言を了解してくれたという。
 例の三人組はといえば、日雇労働者の組合員とかで、その組織はアジアから日本へ働きに来た娘や労働者たちの人権問題にとりくみ、情報をキャッチしては救援運動をしている。例の救出劇もその一環で、フィリピンから来た娘たちがラマーンで賣春を強要されたり店の男たちから暴行を受けているという、客からの通報があったのだという。計画では、見張りが引き上げた隙をねらって全員の救出をはかるつもりだったが、思わぬミスのために、マリア一人を救い出すのが精一杯だった。私が垂れ眉毛男から聞いた真相は、大体、そんなところだ。
 三人組は最近、マリアが働く木下栄子女史のクラブ・リムヂンへ日参の様子だ。
「桐山さん、ですね」
 喧騒のフロアー・タイムが終って、さて、腰を据えて飲むとするか。豪気にキープしたナポレオン・コニャックに手を伸ばしたとき、私の名前を呼ぶ声がした。振り向くと、黒い革ジャンパーを着たサングラスの男が長身を屈めるようにして立っている。
 革ジャン男は、私のボックスへ接客にきたフィリッピン女性を手仕種で払うと、口もとに薄い笑いを浮かべて言った。
「マリアは元気にしていますか」
 私は驚き、その拍子に思い出した。十日ほどまえ、羽山事務所で安本支配人からこっぴどく追い出された男、小森だ。あのときの情景を目に浮かべて、私は落ち着いた。
「マリア? 何のことか」
 私はナポレオン・コニャックを味わうように口にする。
「ま、いいでしょう」小森は私の斜向かいに腰掛けると、作り声になった、「そんなことより、桐山さんの顔を拝見するのは三十数年ぶり。桐山さんは私を知らないでしょうねぇ。私はよく覚えてますよ。羽山先生やソッテさん、カンスーさん、それにクラブ・リムヂンの木下さん、そう、あの当時のエイコさん。錚々(そうそう)たる顔ぶれと一緒に、肩で風切って街を行く桐山さんの姿は、憧れだったなぁ。おれたちもいつかはあんなふうになりたい。ま、いわばチンピラ二軍のおれたち仲間は、そう思って遠くから眺めていたもんですよ。おかげで何回も警察の厄介になりましたがね、こんな店の一軒も持てる身分になりました。なつかしいなぁ。この気持、わかりますか、ジロ吉さん」
 これは、まずいな。小森の猫撫で声を聞きながら、私は思う。三十数年まえの思い出をくすぐられて、その気になりはじめている自分に気づいたからだが、それだけではない。この男、おれを懐柔して、何かを聞き出そうとしている。マリア救出劇におれが一枚噛んでいることを知っている以上、すでに相当のネタを摑んでいるにちがいない。長居は無用。逆探知するほどの自信はおれにはない。
「なつかしい話を聞かせてくれて、感謝。その話は、またの機会に聞くよ。思い出ばなしには、往往、棘があるからな」
 私は悠然という言葉を頭のなかに書きながら、立ち上がる。
 意外なことに、小森は引き止めなかった。

 クラブ・リムヂンは、この小都市では唯一の歓楽街・とんぼ小路にあった。同じく木下栄子女史が経営するラブホテル・金剛山もとんぼ小路の一角にあって、夜目にも絢爛と装飾された五階建ての偉容を屹立させている。
 私は、クラブ・リムヂンの手前でタクシーを降りた。リムヂンの前に巨大な外車が止まっていたからだが、タクシーを降りると同時に発車した外車の後部座席に二人の後姿を見て、おやッと思った。座席をおおうような男の巨躯と、隣にちんまりと掛ける華奢(きゃしゃ)な少女。
 店内にはいると、奥まった広いボックス席はほぼ満タンなのにそこだけ閑散としたカウンターで、安本支配人が一人、手持ち無沙汰に掛けている。彼の眼のまえのウィスキー・グラスは水と氷の色をしている。百戦錬磨の安本支配人も、アルコール苦手症だけは相変らずだ。
 奥まったボックスのさらに壁際の席に、噂どうり、垂れ眉毛男ら三人組がいる。私たちは目顔で挨拶する。マリアの姿は見あたらない。
「桐山さん、どんな風の吹きまわしで。まだ、ラマーンの時間のはずだが」
 隣り合せに掛けた私に、安本支配人は薄色付き眼鏡のむこうから皮肉な視線を向ける。
「ラマーンの時間? なんのことか」
「とぼけなさんな、だれかの見張り番、羽山先生の特命」
 なんだ、先刻、承知だったのか。それはそうにちがいない。鼻効き、目効きの安本支配人のことだ。
「ところで、マリアのこと、ラマーンの小森は気づいてるんじゃないかな」
「それがどうした」言うなり、安本支配人はボックス席のほうを顎でしゃくった、「ラマーンの若い者(もん)が来とるよ。あちらさんから動き出したら、そのときは勿怪(もっけ)のさいわい」
 なるほど。私はウィスキーのロック割りをぐいッと飲み、感心する。
「マリアは?」
 窓際のボックス席でわびしげに身を寄せ合っている三人組を思い、訊ねる。
「羽山先生とお食事に」
 安本支配人は、あからさまに皮肉をこめる。
 外車の二人連れは、やっぱり羽山先生とマリアだった。それにしても、羽山先生がなぜマリアを連れて食事に?
 怪訝そうな私の顔を見て、侮(あなど)るように安本支配人は言う。
「なんも知らんのか、おまえ。鈍(どん)なやつ、昔とちっとも変っとらん。羽山先生はマリアにご執心」
 安本支配人の言葉使いが、がらりと変る。水と氷にウィスキーをたらしたような水割りにさえよってくると、安本支配人の意識のなかで、二人の関係は、三十数年まえのそれに変る。
 私は慎重に訊ねる。
「それ、どういうこと?」
「そのうち、わかるさ。鈍なやつ」
 安本支配人から二度までも駄目を押されて、私は気分を害した。その場を早々に退散し、マリア救出劇以来はじめて顔を合わす三人組の席へ移る。安本支配人の動向調査のために羽山先生から与えられた軍資金で、三人組にボトル一本ふるまう。三人組と陽気に乾杯する。そんな私たちの様子を、満席の客にまぎれて窺っているパンチパーマの男二人。
 ははん、あれがラマーンの若い者(もん)か・・・・・・そう思った瞬間、二人の男は黒っぽいスーツにつつまれた無駄のない体を敏捷にひるがえし、席を立った。私は身構える。だが、彼らが足早にむかったのは出口のほう。いつの間に現われたのか、あたりを睥睨して立っている羽山先生の傍を、二人は身を屈める姿勢で去っていった。
 急に、不協和な空気が店内をおおう。羽山先生がボックス席の一つにその巨躯をどっかと据えたときには、客たちは潮でも干くようにあらかた消えていた。
「桐山サン、羽山センセ呼ンデル」
 マリアが、木下女史からの借り物かとおもわれるだぶだぶの赤いドレスをたくしあげながらやって来て、言った。
「オーニシサンタチモ、ドーゾト言ッテル」
 背後で三人組に告げるマリアの声が明るい。
 グループ客用の広いソファ席の中央に、きょうも派手なチェック柄の三つ揃いスーツを見事に着こなす羽山先生。その隣りに、羽山先生のふところにはいってしまいそうな感じの、小柄で、あどけないマリア。向かい合わせて、赤地のポロシャツに粋なブレザー・コートの安本支配人と、着古しジャンパーの私。サイドの席に、土木作業現場から直行といった風態の、垂れ眉毛男、マルクス鬚、野球帽の三人組。卓子のうえにはボトルやらつまみ物やら賑やかに並んでいるが、なにやら、かしこまった雰囲気。これから羽山先生の講議でも始まりそうな気配だな。そうおもったわたしの予感は、見事、的中した。
「諸君、わしは最近、ある真実を発見した。どえらい発見、と言ってもいい。それが何か、わかるかね」
 開口一番、謎めいた言葉を吐くと、羽山先生は安本支配人、私、三人組の顔を順ぐりに平等な間合いを置いて眺め廻した。晴天の霹靂みたいな問いに答えられようはずもないが、それ以前に、諸君! の一声に度肝を抜かれた。
 私たちの沈黙に苛立つかと思いのほか、羽山先生は満足そうにほくそ笑みさえした。
「わしとマリアは、한(ハン) 팔(パル)자(チャ)、ひとつの運命だ。わしはそのことを発見した。この意味、わかるかね」
 羽山先生はふたたび一人ひとりの顔に問いかけ、私たちは依然、沈黙。マリアにも羽山先生の言葉が理解できるはずはなく、彼女は羽山先生の彫り深く頑強な顔を怪訝そうに見上げている。
 羽山先生は、みずから納得するふうに深く頷き、くりかえす。
「わしとマリアは同じ境遇。同胞と言い代えてもいい」
 口説き文句にしては手が込んでいるな。我田引水もはなはだしい。私は腹のそこで呟く。安本支配人も鼻白んでいるらしく、薄色眼鏡の奥で苦笑している。
 羽山先生は意に介せず、グラスのウィスキーをストレートで飲み干すと、手仕種で私たちにも促す。五本の手が、鎖を放たれたようにいっせいに卓子に伸びる。
「諸君、わしの話を聞いてくれ。マリアはなぜ日本へ働きに来たか。この娘(こ)の父親は、マニラから程遠くない島で漁師をしていた。海は美しく、魚介類の宝庫だ。島の漁師たちはなかなか民主的な漁業協同組合を運営していて、裕福とはいえないまでも日々の糧に事欠かない暮しをしていた。マリアも幼いときから母親を手伝い、弟や妹の世話をしながら幸せに暮していた」
 羽山先生の口吻は、昔ばなしでも読み聞かせる調子になっている。
「ところが、だ。ある日のこと、その島へ日本人がやってきた。諸君は、背広を着た皇軍兵士という言葉を知っとるかね。ふん、知らない? 商社マンだよ、イトチューとか、マルベニとか、ミツビシとか、の。やつらは漁民たちの横面を札束ではったおして、海の利権を巻き上げた。ブルドーザーで家ごとぶっ潰す地上げ屋の手口だ。トロール船で海の幸を根こそぎ乱獲して、たちまち海は死に絶えてしまった。そうして背広の皇軍兵士が略奪してきた缶詰を、諸君は毎日、食しておる」
 羽山先生は、一同をひとわたり睨(ね)め廻した。
「漁場を失ったマリアの父親は、どうしたか。職を求めてマニラへ出稼ぎに行くが、家族に仕送りをするほどの仕事はない。そのうち便りさえ届かなくなる。父親の消息がぷっつり途絶えて数か月、マリアはけなげにも、じゃぱゆきさんになる決心をした。フィリピンでは、家族の暮らしをささえるのは長女の役目だ」
 羽山先生は、そこでウィスキーをぐいッと飲む。マリアが差し出したボトルのほうへグラスをむけながら、鋭い視線を正面に注ぐ。
「安本支配人、そう、アン・ソクテ君、わしがマリアと한 팔자だと言った意味、わかってくれたかね」
 安本支配人は、なんのことか、と言いたげに、きょとんとしている。
「鈍(どん)なやつ。わしが한(ハン) 팔(パル)자(チャ)ということは、きみとマリアも한 팔자ということだ。きみのアボヂ、オモニのことを思え。わしら조(チョ)선(ソン)사(サ)람(ラム)は、なぜ異邦の地におるのか。倭(ウェ)奴(ノム)のやつらに土地をうばわれ、暮しをうばわれ、アボヂ、オモニがこの地へ流浪してきたからではないか」
 羽山先生の屈強な形相が、おどろしく怒張し、彼はウィスキーをぐいッと飲む。
「わしのアボヂは祖国の北辺の地から貨物列車で搬(はこ)ばれてきた。テンノウヘイカノタメ、内地イクという日本語だけ教えこまれてな。あっちこっちの鉱山(ヤマ)や鉄道工事でこき使われたすえに楢島航空機のトンネル工場へほうり込まれ、挙句のはて、アメリカ野郎の爆撃で犬死に、だ。ソクテ君、きみのアボヂは八十歳まで生きのびたが、コノ怨ミ、イツノ日、晴ラスカを口癖に泥酔した挙句、糞がめに落ちて死んだ。運命(パルチャ)は一つ。わしのアボヂ、きみのアボヂ、恨(ハン)の人生のどこに違いがあるか」
 羽山先生が天を仰いだときだった。
 突如、薄暗いリムヂンの店内を一陣の風が吹き抜けた。あふれんばかりの香水のかおりが、私たちを包む。一瞬、あたりに閃光がひらめいたかのようだ。
「そのとおりッ。恨(ハン)の人生のどこに違いがあるか」
 耳を裂く声に振り向くと、京劇のヒロインかと見まがう厚化粧に絢爛たるいでたちの木下女史が立っている。
「わたしのハルモニの팔(パル)자(チャ)もおなじ。恨(ハン)の人生のどこに違いがあるか」木下女史が、クツまですっぽり隠れてしまう深紅のドレスふうスカートをたくし上げて、羽山先生と斜並び(三人組と向い合せ)のソファにビヤー樽型の体躯を据えたとき、威風が私たちを払う、「ハルモニが日本へやってきたのは、우(ウ)리(リ) 나(ナ)라(ラ)がチョッパリどもに乗っ取られるより、もっと前。ハルモニは十歳ちょっとの頃から済(チェ)州(ヂュ)島(ド)の海に潜っていたの。チェヂュの海は、あわび、さざえ、たこ、魚がいっぱい、いっぱい。チェヂュの海女(あま)は世界に名だたる神わざ、名人芸の持ち主ばかり。チェヂュの海の岩盤みたいに一家をささえる大黒柱。ところが、だ・・・・・・」木下女史の口吻は、突然、男のそれに変わる、「ある日、チョッパリどもが、靴も脱がずに、ひとの海へどやどやとはいってきよった。機械船に潜水器具をいっぱい積んで。それからというもの、海のめぐみを一切合財、取れや、うばえや、あッという間に荒らしまくった。ハルモニたちチェヂュドの海女はどうなったか。おいッ、そこの三人組、わかるか」
 不意の一喝に、垂れ眉毛男、マルクス鬚、野球帽は、息をのむ。
「糞ッ、故(コ)郷(ヒャン)追われて、仇のくにへ流れて来たってわけだ」
 木下女史はデコレーション・ケーキみたいに飾った顔を怒張させ、マニキュアもあざやかな指をついと伸ばした。羽山先生のグラスを取ると、いっきに飲む。
 間髪を入れず、羽山先生が言う。
「한(ハン) 팔(パル)자(チャ)の意味、わかったか。マリアたちは、だ。木下社長のハルモニ、わしやソクテ君のアボヂが百年も五十年も前にそうだったと同じように、いまくにを追い出されて日本へ来とる。いつの日か、マリアの娘が、息子が、わしたちと同じ運命を生きないとは、誰が言いきれるか」
「誰が言いきれるか。한(ハン) 팔(パル)자(チャ)」
 羽山英雄と、その後援会副会長でもある木下栄子女史の呼吸は、誂えたように合った。
 二人は私たちを圧するふうに睨み廻す。これはいったい、なんとしたことか? 私の目に映る安本支配人も三人組も、子どもみたいに体を短縮させている。おれの体もじわりじわりと、そんな感じ。いや、これは違うぞ。羽山先生と木下女史の体のほうが、むくむくと膨張しているらしい。屈強な面貌と京劇女優の、あの巨大さを見よ。おれの目は尋常ではない。さきほどから羽山先生に合せてウィスキーの一気飲みをしてたのが、たたってきたか。
「桐山事務局長」羽山先生のむきだしの目玉が私に向けられて、ピタリと止まった、「わしは、八月十五日の鎮魂碑除幕式に、フィリピン、タイ、スリランカ、バングラデシュ、チャイナ、エトセトラのくにから来とる娘たちをいっぱい招待するぞ。うん、ウリナラから来とる娘たちは勿論だ」
 もうろうとしはじめた私の頭に、羽山先生の言葉ははいってきそうでいて、散ってしまう。
「わしは、秋の総選挙でなんとしても黒野忠義を倒したい。やつは、マリアたちをこのくにへ入れない、働かせない、住まわせない、三ない法律の元凶だそうではないか。マリアたちを追っ払う法律を先頭立って振り廻しているそうではないか。ゆるせん! マリアたちは奪われたものをうばい返しに来とるだけだというのに・・・・・・」
 痛ッ! おぼろな意識のままに羽山先生の声を聞いていた私は、突然、頬に一撃をくらって正気にもどった。横合いから飛んできた平手打ちは、木下女史のものだった。
「は、羽山先生、あ、あなた、ほんとに、帰化しとるんですか」
 正気にもどったはずなのに、私の口をついて出た言葉は、前後の脈絡もなかった。
「たわけッ。帰化? それがどうした。嘘も方便。정(チョン)신(シン) ふむ、精神の問題だわ」
 羽山先生の一喝と同時に、私はふたたび、横合いから強烈な平手打ちを喰らった。


 ながい梅雨が、明けた。延延とつづくかとおもわれた私の頭脳曖昧模糊症も、これで晴れるだろうか。
 クラブ・リムヂンでの夜、木下栄子女史から強烈な平手打ちを二発も喰らって、私の目は覚めたかにみえた。事実、あれから数日間は、朝鮮人半田空襲犠牲者鎮魂碑建立委員会事務局長の仕事にも、それなりに専念した。せっせと市役所に足をはこび、市民課長や担当職員と打ち合せをし、旧楢島航空機地下工場のあった飯盛山の山裾に鎮魂碑の建立地を確保し、整地作業の手続きも終えた。有力者からの寄附金集めにも歩いた。市民宣伝のためのパンフレットを作成するにあたって、市長や市会議長、南北双方の民族団体代表の挨拶文を集め、建立委員会委員長・羽山英雄先生の挨拶文を代筆した。建立委員会の堅物どもを説得して、除幕式のプログラムに、韓国、フィリピン、タイから働きに来ている男女を招き「アジア民族文化祭」をおこなう企画も了解させた。
 ところが、いよいよ快調にゴールをめざすかにみえた矢先の、梅雨入りだった。私の頭脳および四肢は、ふたたび曖昧模糊症に逆戻り。ながい梅雨のあいだ、アルコール性無能力症に陥りつづけた。
 だからいま、ソウルの国宝級書道家によって揮毫された碑文が、地元の彫石師の手で着々と製作され、すでに整地なった飯盛山裾に出現する日も間近な段階となったのも、結局は市役所の連中の働きに負うところ大である。碑には、旧楢島航空機朝鮮人強制連行犠牲者鎮魂碑と刻まれ、裏面には四十八名の犠牲者の氏名に一九九一年八月十五日建立、揮毫者の銘が付される。
 アルコール性無能力症の私が一か月余ものあいだ、羽山先生の一喝を喰らうこともなく無為をかこつことができたのは、ひとえに秋にひかえた総選挙のおかげである。羽山先生は票獲りのための工作に奔走している。
 羽山先生が、安本支配人を通じて、唯一きびしく私に指示したのは、ラマーン一味の動向を監視すること。つまり、安本支配人の動向監視から、小森――花木組――黒野忠義ラインの情報収集に役割が変更された。
 羽山先生がラマーン一味の動向に並並ならぬ関心をよせている理由は、痛いほどわかる。一か月余のあいだに、先生のマリアによせる古典的なプラトニック・ラブは、いよいよ病膏肓(こうこう)に入る、の観を呈していたからだ。総選挙前哨戦の超多忙を省(さ)いて、先生は日に一度は必ずリムヂンを訪れ、マリアをねぎらう。フィリピンの田舎にいる家族のために、先生が多額の生活費を仕送ってやった、という噂もある。
 羽山先生がそれほどまでマリアに心うばわれたのは、なぜか。あの屈強な面貌と巨躯から有無を言わせず放出されるマグマの情熱だ。情熱の噴流に圧倒されながらも、私にいかんともしがたいのは、隠密の情報収集という役柄への苦手意識。あわせて、重い症状の頭脳曖昧模糊症。窮余の一策、いつの間にか私は、その役割を例の三人組に任せてしまっている。
 長梅雨のあいだ、私が唯一、きちょうめんに続けたことといえば、一升瓶を右手にぶらさげ、左手には知り合いの焼肉店で融通してもらったキムチや豚足、烏賊フェ、ユッケなどの袋をぶらさげて、町外れの朴龍寿さんの家を訪ねることだった。朴さんを相手に酒を飲むだけが目的ではない。朴さんはしだいに、幼い頃の思い出や日本へ来てからの体験を、断片的にではあるが、口にするようになっている。さりとて、強制連行の生き証人である朴さんの話をダシに一篇の小説でも書いてやろうという下心は、いまのところ、ない。ともかく、朴さんが生きてるあいだに聞いておかなくては・・・・・・言葉の一つ一つを、おれのなかの記録ノートに記しておかなくては・・・・・・
 きょうも朴龍寿さんを訊ね、酒を汲み交し、記憶の断片を辿りたどり話す強制連行の様子を聞き、九時には寝む朴さんの家を辞して、アパートへ帰ったところだ。
 アボヂが日本へ働きに行ったのが、わしの八歳のときだった。わしはそれからずっと、オモニを助けて野良仕事に出とった。まだ幼い妹と弟の、父親がわりさ。端(タン)川(チョン)の田舎で、一家支えて、十九歳になったあの時には、いっぱしの百姓さ。あれは、秋のはじめ、稲の穫り入れ時期だった。いつものようにオモニと二人、野良に出とると、遠い道をオンボロのトラックがやってきた。荷台には、もう何人かの若者たちを載せて。トラックはあぜ道の間近にとまって、腰にサーベルをさげた駐在と面の書記らしき男が運転台から降りて来よった。リョンス、逃げなさい! オモニは、何か、直感したにちがいない。突然、叫んだ。ところが、わしときたら、なんのことかもわからず、立ちつくしたまま二人の男が近づいて来るのを見とった。アイグ、あのときのボンヤリめが、わしの人生、狂わせよった・・・・・・
 朴さんの話に向き合えば、おれの曖昧模糊症は梅雨空もろとも晴れるだろうか。そんなことを思っているとき、不意に電話が鳴った。
「ジロ吉」
 電話の声は、安本支配人だ。ふむ? きょうはいきなりジロ吉呼ばわりか。いささか機嫌をそこねながらも、ただならぬ気配を直感した私の脳天を、つぎの言葉が直撃した。
「三人組がらちされた。マリアもいっしょだ」
 らち? なんのことか。疑問は一瞬にすぎなかった。拉致!
「花木組のしわざ・・・・・・」
 安本支配人の言葉が切れるまえに、私は受話器を置くと、部屋を飛び出した。
 街路灯のない、川沿いの道を走り、橋を渡る。古い家並みを抜けて、ようやく広い通りへ出る。十分ほどもうろついて拾ったタクシーで駅前の羽山事務所へ。
 羽山事務所のビルは一階から三階までどの部屋も明かりを消している。ここが空(から)とすれば、リムヂンのほかに当てはない。
午後十時まえ、歓楽街とんぼ小路は取って付けたようにはなやいでいる。リムヂンへ駆け込むと、客の姿がなく、異様な雰囲気。奥まったボックス席のソファに、木下女史、安本支配人、それに吉本土建の吉本社長が、揆(はかりごと)をめぐらす態で掛けている。羽山先生の姿は見えない。
 吉本社長が分厚く四角張った顔を頷(うなず)かせ、木下女史が彼女の隣りへ手招きする。
「こうなった原因はおまえだ」私がソファに掛けるなり、安本支配人が人差し指を突きつけ、切口上に言う、
「なんで、あの三人組にラマーンの偵察をやらせたか。軽薄者(もん)め」
 非はこちらにある。しかしだ、顔を合せるなり、軽薄者め、とはなにごとか。
 朴さんと汲み交した酒が逆流してきたか、私もつい気色ばむ。
 苦笑しながら二人を制したのは、吉本社長だ。三十数年まえグループの知恵者で唯一人、悠容せまらざる風格の持ち主であったカンスーこと吉本光秀。
 吉本社長が両(ヤン)班(バン)ふうの所作で安本支配人と私を制したのをひきとって、木下女史がいきさつを説明する。
 例の垂れ眉毛男・マルクス鬚・野球帽の三人組は、ラマーン一派の動向を偵察するうち、そのバックである花木組の組織実態をつかむ。花木組はマニラの闇組織と提携して賣春目的で女性たちを日本へ送りこませ、人身賣買をおこなっている。パスポートの偽造工作にもからんでいるらしい。賣春のためとは知らずに働きに来た女性たちは、倉庫を改造したモンキー・ボックスまがいの室に二十四時間監視体制で寝食し、名古屋市内だけでなく岐阜、一宮、岡崎、豊橋方面の夜の街へ“派遣”される。彼女たちの数人から、三人組が所属する救援団体にSOSがはいった。三人組はそのことをマリアに話す。マリアは、自分も救出活動の手助けをしたい、と頼む。三人組は断るが、マリアは、わたしだけが幸わせを享受する事はゆるされない、姉妹たちのために尽すのが神の思し召し、と言って同行の意思を曲げない。三人組は英語もタガログ語も得手ではない。救出活動にマリアが貴重な役割をはたすだろうと判断して、彼女の主張をのむ。三人組とマリアは、きょうの早暁、二台のワゴン車を駆って、名古屋港の外れにある工場倉庫へと向った。
 三人組の計画は、ラマーン――花木組ラインに察知されていたらしい。闇の知多道を突っ走り、湾岸道路にはいって臨海工場地帯を抜けたところで、二台のワゴン車は数台の黒塗り33ナンバーに包囲された。三人組とマリアの姿が数台の外車とともに消えるのは、あッという間の出来事だった。二台のワゴン車は道路端に放置されていた。
「花木の野郎、なめた真似しよって。奴が尾羽打ち枯らしとった頃、弟分みたいに面倒見てやったのに、いまごろになって羽振りを笠に着よって」
 木下女史の話を苛苛しながら聞いていた安本支配人が、吐き捨てた。
「これも、なかなか、時代の流れというもんだ」
 吉本社長が他人事のように言う。
「なにが時代なもんか。とにかく、おれに任せてくれ。花木のやつに貫禄の違いちゅうもんを教えてやる」
 安本支配人の口吻は、いまにも匕首(あいくち)ふところに飲んで駆け出しそうな勢いだ。
「おれが、なんとかする」私の口から柄にもないセリフがついて出た、「ソッテの言う通りだ。原因はおれにある。花木とかいう奴、どこの馬の骨かは知らんが、落し前、きっちりつけたる」
「ジロ吉、あほ、か。おまえに何ができる。へたに出しゃばって、へまでもしてみろ、何もかもぶちこわしだ」
 私の言葉が終るか終らぬうちの、安本支配人の一撃だった。
「とにかく、問題は羽山先生よ。マリアがいなくなったと知ったら、何事が起こるか」
 私と安本支配人のやりとりを無視するふうに、木下女史が思案気に呟いた。
 木下女史のひとことで、さすがの安本支配人も押し黙った。総選挙はあと三か月後だ。鎮魂碑の除幕式も二週間ほどのちに迫っている。どんなにささやかな波風も立ててはならない時期だ。
 いよいよ収拾のつかなくなっている、羽山先生のマリアへの想い。いまここでマリアが花木組に拉致されたと知ったら、羽山先生は阿修羅王に変身するだろう。花木の首が血をふいて吹っ飛ぶことまちがいない。いや、花木の首だけでは納まらないかもしれぬ。ひょっとして、黒野忠義の・・・・・・
 四人は重苦しい沈黙に落ちた。
「そろそろ、羽山先生がお出ましの時間よ」
 沈黙をやぶったのは、木下女史。吉本社長、安本支配人が同時に腕時計を見る。時計を持たない私も、思わず視線を左手首にやる。
「ふーむ、羽山先生か・・・・・・、四、五日のことなら、わしがなんとかたぶらかしておこう。そのあいだに、マリアと三人組を連れもどすことだ」
 吉本社長が確信ありげに言ったときだった。リムヂンの室内になまあたたかい風が吹き込み、入口を巨大な影がおおって羽山先生が現われた。


 ふむ。ハムレットいずれを選ぶ道ふたつ
 市役所の玄関をはいるとき、二日酔いの酒で濁った頭に、くだらない一句が唐突に浮かんだ。
 昨夜の朴龍寿さんはいつになく能弁だった。飲むほどに、故郷で覚えたという朝鮮語の歌まで出て、私もすっかり乗せられた。ぶらさげていった一升瓶が底をついても歌はやまず、朴さん秘蔵の濁(タク)酒(ペギ)をたっぷり相伴にあずかった。アパートに帰って、ぶっ倒れるように万年床へもぐり込んだのは、十二時すこしまえだったか。前後不覚に寝入って、目を醒ましたのは、正午過ぎ。洗顔もそこそこに部屋を出た。
 指折り数えてみれば、マリアと三人組が拉致されて五日目。安本支配人から、おまえの出る幕ではない、指一本、動かすではない、と釘を刺されているとはいえ、無為の時間に甘んじている自分が、情ない。意識せざる胸の深層に澱(おり)となってたまった憂鬱が、つい深酒にはしらせる。四、五日のことなら、と吉本社長が請負った羽山先生たぶらかしの期限も切れる。
 なにかしなければ・・・・・・アリバイをもとめて市役所を訪ねた、というわけだ。
 市民課の職員たちは窓口で来訪者と応対したり、書類を繰ったり、忙しそうにしているが、課長と鎮魂碑建立委員会の実務を担当している課員の姿はみえない。
「除幕式の件で飛び廻ってますよ。鎮魂碑が完成したとかで、羽山先生が朝一番で見えられて、いっしょに出かけたまま鉄砲玉」
 市民課長の所在を訊ねた私に、管理係長は答えた。慇懃な物言いとはうらはらに、あからさまに顔をしかめて。無能な事務局長のおかげで仕事のしわよせがきてテンテコ舞い、えらい災難ですわ、ということか。それとも、私の体から発散されているアルコールの異臭に堪えられなくてか。たぶん、両方だろう。
 それにしても、羽山先生がいっしょとは・・・・・・事務局長・桐山二郎だけが蚊帳の外でウロウロしていたとなれば、花木や黒野の首どころか、おれのくびもあぶない。
「除幕式まであと一週間、事務局長さんも大変ですね」
 管理係長の皮肉を背に、私は市役所を出た。鎮魂碑が建立される飯盛山の方向へむかっていた気持が通りでタクシーを拾う段になって、変った。
 不意の啓示だった。桐山二郎よ、別の道を急げ! その命令が何者によって発せられたのか、皆目、解らなかった。ただ、宿酔によって弛緩した私の全身を、その声は電撃のようにつらぬいて、目覚めさせた。
 タクシーを拾うと、いったん、川べりのアパートへもどる。六畳間の隅に積んであるダンボール箱を開け、ぎっしり詰った雑誌のあいだから札を摑み出し、ズボンの尻ポケットにねじ込む。有り金の全部だ。
 待たせてあったタクシーに乗り、羽山事務所へむかう。安本支配人はいない。安本錫泰が支配人を兼任しているパチンコ富士へタクシーを走らせるが、そこにも彼の姿はない。
 とんぼ小路の入口でタクシーを乗り捨て、クラブ・リムヂンへいく。午後三時くらいか。この時間にリムヂンが開いているはずがない。未練たらしく何度もドアーを叩いたすえ、あきらめて立ち去る。
 薄色眼鏡の奥で皮肉に笑う安本支配人の顔が目に浮かびはじめたのは、とんぼ小路に立って、あてどを見失いかけたときだ。閑散とした真昼の歓楽街に一匹の黒い猫。そいつが横切ったと思ったのは錯覚だった。掠めたのは、私のなかの不吉な予感だった。
 あった。大海原のまんなかで、一本の藁。
 絢爛たるネオンは消えているとはいえ、五階建ての偉容を白昼堂々と屹立させるホテル金剛山が、間近にあった。
「木下社長は?」
 フロントの前に立つなり訊ねる私を、顔見知りのマネージャーは蒼白な顔で見た。
「安本さんは来てないか」
 たたみかける私の言葉に、マネージャーは驚きの表情をいっそうあらわにした。
「桐山さん、ご存知ないんで? 安本支配人が花木組にやられて、市民病院へ担ぎ込まれたんです。社長はそちらへ」
 愕然とする自分を叱咤して、私は、金剛山を飛び出した。タクシーを拾い、市民病院へ。
 病院の玄関をはいると、待合ロビーに殺気立つ雰囲気を醸して三人組の姿があった。どの顔も、青痣や擦り傷なまなましく尋常でない。私に気づくなり、三人組みは駆けよってきて、取り囲む。血とも垢ともつかぬ異臭がぷーんと鼻をつく。
「安本支配人は?」
 三人の衣服に付着した血痕を眺めながら、私が訊ねる。
「手術中」
 垂れ眉毛男が急(せ)きこんで答える。
「いのちには別状ないらしい」
 横合いから興奮気味のマルクス鬚。野球帽は、ボクサーのフットワークみたいな所作を繰返している。
 マリアはどうしたんだろ・・・・・・不審に思う私に、垂れ眉毛男が事情を語った。
 安本支配人が単身、徒手空拳で花木組の事務所に乗り込んだのは、きょうの正午前だった。階上の部屋に監禁されていた三人組にも、見張り番たちの緊張した様子から不穏な空気は伝わってきた。しばらくすると、突然、階下で凄まじい音が起こった。床を蹴る、机を放り投げる、体が入り混ってぶつかり合う、怒声が飛ぶ、あらゆる音が一つになったような大音響だ。見張りの若い衆たちが顔色を変えて、飛んでいく。その隙に、三人組も部屋を抜け出し、階下へ。
 三人組が事務所へ飛び込んだときには、すでに修羅場は峠をこそうとしていた。花木は見事に割られた額から血を吹き出し、壁に背をもたせ、両脚を長長と床に投げ出すといった恰好で伸びていたが、安本支配人も七、八人の男たちに木刀などで四方八方から攻められ、グロッキー状態。その安本支配人を、三人組は火事場の馬鹿力を揮(ふる)って救い出し、タクシーで市民病院へ担ぎ込んだ、というわけだ。
 安本支配人は、花木との話し合いで三人組とマリアを取り戻すつもりだったらしい。かつてはこちらが兄貴分として可愛がってやった花木のこと、安本支配人には成算があった。ところが、事務所に乗り込んだ安本支配人が話を切り出すなり、花木は、おまえ、どこの馬の骨か? この辺では見かけない三下だが、と言って、鼻先でせせら笑ったのだ。
 タクシーで病院へ運ばれるあいだ、安本支配人は意識朦朧のなかで譫言(うわごと)のように花木を毒づきつづけたという。
「ほぉ、マリアは助け出せなかった。花木の事務所じゃなくて、工場倉庫のモンキー・ボックスに閉じ込められているからな」
 垂れ眉毛男が、口癖の間投詞とともに、無念そうに言う。
「よし、これからモンキー・ボックスへ行こう」私は、とっさに決心した、「花木がやられたからには、マリアたちを救い出すのは容易なはずだ」
「マリアのほうは大丈夫、羽山先生が乗り出したから」
 横合いからマルクス鬚。
 なぬッ? 羽山先生が乗り出した? 尋常ならざる予感に、私は顔から血の気がひいていくのを感じる。
「安本さんがこうなった以上、ほぉ、羽山事務所へ連絡しないわけにはいかなかった」垂れ眉毛男が悩ましげに言う、「羽山先生が吉本社長や木下さんといっしょに病院へ来て、さっき出かけたところ」
 それを先に言わんかい! 私は病院を飛び出した。駐車場でお迎え待ちをしているタクシーを強引に説き伏せて、知多道路を北へ。
 予備知識をたよりに、名古屋港の南端にある工場倉庫を探すこと一時間。タクシーの運転手がそろそろ顎を出しかけた矢先に、モンキー・ボックスは見つかったが、女たちの暮しの残骸もなまなましいそこに人っこ一人いない。
 羽山先生たちが救い出したか、花木組の連中がいちはやく別の場所へ連れ去ったか。詮索する余裕もなく、ともかく羽山事務所へ向かう。
 羽山事務所の三階、根性一徹と墨書された額縁が掛かる道場に、マリアはいた。そして、彼女と同じ年恰好の、十数人の娘たち。
「桐山サン、大変デス。羽山センセガ、黒野サンヲ・・・・・・」
 私の顔を見るなり、マリアが怯えきった表情で訴えた。
 羽山先生が、黒野忠義を・・・・・・私のうちで何かが閃めき、次の瞬間、私は合点した。
 萎えていく脚で辛うじて階段をふみ、羽山事務所を出る。ふたたびタクシーをもとめて駅前広場へ。
 なぜだ。羽山先生は、なんだってまた、黒野忠義のもとへ向かったのか。鎮魂碑の除幕式を一週間後にひかえた、この時に。総選挙まで、あと二か月と迫った、この時に。黒野忠義がラマーン一派と花木組を操っていると早合点したか。マリアによせる想いが、それほどに深かったか。安本支配人の一件に血迷ったか。
 それとも、国会議員10期、保守党の大物、黒野忠義が、不倶戴天の政敵というわけか。いや、もっと別の、血と骨髄に滾(たぎ)る恨(ハン)が、爆発したか・・・・・・
 タクシーを走らせるあいだ、堂堂めぐりの自問に苛立ちつづけた私の目に、徒(ただ)事ならぬ状景が飛び込んできた。予感は的中したのだ。道路の前方には、タクシーのゆくてを拒んで何台ものパトカーが停まっている。そのはるか向こう、豪壮な屋敷を遠巻いてロープが張られ、警察官や報道陣の人だかりが見える。
 風のうめきに似た声が、唐突に私の耳もとをおそったのは、その光景を目にした瞬間だった。
 アイグー、痛いよー、オモニ、足が痛いよー、腕が痛いよー、オモニ、背中が痛いよー、머(モ)리(リ)가(ガ) 아(ア)파(パ) 頭が痛いよー
 アイグー、배(ペ)가(ガ) 고(コ)팠(パッ)어(ソ) お腹(なか)すいたよー、お腹すいて、死にそうだよー、オモニ、帰りたいよー、고(コ)향(ヒャン) 가(カ)고(ゴ) 싶(シ)어(ポ) くに帰りたいよー
 桐山さんよ、あれから四十六年というのに、子どもたちの声がわしの耳から消えん。わしは일(イル)본(ボン)(日本)へ連れられてきて四年、二十三歳になっていたが、あの子たちは数えでまだ十五歳だった。負け戦(いくさ)が目のまえにせまって、人手が底をついて、あんな幼い子たちまで連行してきた倭(ウェ)奴(ノム)野郎を誰がゆるせるか。桐山さん、誰がゆるせるか。
 わしは、あの子たちの名前も、よく憶えとる。なんで忘れることができよう。ソンシック、チョリ、ペードギ、あの三人の子はおとなにまじって、朝の七時から夜八時まで工場のトンネルを掘らされ、ときには鞭を見舞われ、土を運びつづけた。上半身は裸かで、足ははだしで。背中には汗、指の根っこには血、たっぷり滲(にじ)んどったわ。
 めしといえば、白飯二分に麦八分が、小さいドンブリに一杯ずつ。味噌汁に、臭(くさ)くて食えないたくあん二切れ、鰯の干物一本。
 それで、あの子たちが寝言に叫ぶのは、アイグー。腹へったよー、背中痛いよー、足痛いよー、頭痛いよー。
 アイグー、監督こわいよー、モッコ重いよー、鶴嘴もてないよー、暗いよー、ウェノム憎いよー、死にそうだよー、オモニ、鳥になりたいよー、蝶になりたいよー、故郷(くに)へ帰りたいよー。
 あー、ソンシガー、チョリヤー、ペードガー。幼な子のように寝言で泣いておった、あの三人が、日本、戦争に負けた日、우리나라(ウリナラ)解(ヘ)放(バン)の日、なんと叫んだか。あのわっぱどもが、おとなたちの先頭に立って踊りまくりながら、なんと叫んだか、桐山さん、知っとるかね。
 解(ヘ)放(バン)、万(マン)歳(セー) 独(トン)立(ニプ)、万(マン)歳(セー) 해방 만세 돈립 만세
 桐山さん、わっぱどもが最初に叫んだのは、腹いっぱい食べたいよー、でもなかった。日本人、殺せー、でもなかったよ。
 朴龍寿さんの声は、地底からか、濁酒の酔いの底からか、四十六年の時の涯(はて)からか、さらに続く。
 旧楢島航空機朝鮮人強制連行犠牲者鎮魂碑の除幕式には、羽山英雄の逮捕にかかわらず、勿論、実施されることになった。
 羽山先生が黒野邸に乗り込んだときの状況を粗述すると、ほぼ以下のようである。吉本社長と木下女史が、羽山先生に同行した。不測の事態を防ぐためにである。選挙の事前活動のため不在がちな黒野忠義氏は、折悪しく在宅していた。応接に出た黒野氏に対して、羽山先生は、ラマーン一味や花木組との繋がりを糾(ただ)した。黒野氏は、当然、否定する。しばらく腹の探り合いがつづくうち、突然、黒野氏の口から決定的な言葉がついて出た。
 羽山さん、あなたは帰化をして、光栄ある日本国民になることができた。そのうえ、国政選挙に打って出ようとしておられる。分を正しくわきまえるべきではありませんか。それなのに、わが国の法律を破って不法滞在している連中に肩入れをなさる。わたしに言わすれば、そもそも、あなたがたこそ、本来、日本に住めない方々なのですよ。
 黒野氏が言い終わらないうちだった。羽山先生の巨躯が応接間のソファから宙に踊り上がった。次の瞬間、ボクシングのグローブのような拳が飛んで、黒野氏の体はビア樽みたいに横倒しになった。吉本社長と木下女史が防ぎ止める余裕もなく、あッという間の出来事だった。堂堂たる肥満体、顔の色艶も脂ぎってあざやかな黒野氏とはいえ、いかんせん、七十八歳の老齢。奇しくも安本支配人と同じ市民病院に運ばれたが、意識不明のまま三日後、他界した。
 羽山先生が、みずから潔く警察へ出頭したのは(地元の警察署ではなく、県警本部へ)、言うまでもない。
 一方、花木組とラマーン一味はといえば、賣春防止法違反、労働基準法違反、出入国管理および難民認定法・外国人登録法違反教唆などの疑いで、入院中の花木組長はじめ小森ら主だった人物が検挙された。
 マリアたちの退去強制処分も、後日に延(の)ばされている。吉本社長、木下女史の奔走のおかげだが、事件の被害者として警察が彼女らに事情聴取を求めていること、名古屋地方入国管理局が折からラッシュ状態を呈しているオーバー・スティ外国人の対応に追われて天手古舞であること、などもその理由である。
 マリアたちは、それで今日の鎮魂碑除幕式に参加できる、というわけだ。
 羽山事務所は、フィリピン女性たちや三人組、木下女史、朴龍寿さんらの顔で賑わっている。
 さぁ、除幕式に出掛けよう、というとき、吉本社長こと姜(カン)光(グァン)秀(ス)が考え深げに、私に言った。「李(リー)の骰子(さいころ)も、振り出しに戻ったというわけだ。また、新しい目を追うだろうさ。日本人の顔をしようとした、そもそもの始まりが、ボタンの掛け違いだった。うむ、邪道だった」






会    録

第142回(1990・2・25)趙南斗「遠来の客」(『民濤』9号)
                報告者・磯貝治良      参加者 8 名
第143回( 3・18)『架橋』10号合評会 PART1
                 報告者・成眞澄       参加者10名
第144回( 4・22)『架橋』10号合評会 PART2
                報告者・劉竜子       参加者11名
第145回( 5・13)宗秋月「華火」 金蒼生「三姉妹」 
          イー・カンオン「夜の方舟」(『民濤』10号)
報告者・加藤建二      参加者 7名
第146回( 6・10)卞元守宅焼肉マダンに参加
                              参加者 5名
第147回( 7・29)梁石日『アジア的身体』
                報告者・加藤誠       参加者 8名
第148回( 8・19~20)長野県奈川村・歌と遊びのマダン
                              参加者 4名
第149回( 9・23)成美子『歌舞伎町ちんじゃら行進曲』
                報告者・卞元守       参加者 12名
第150回(10・14)金石範『故国行』
                報告者・聖哲       参加者 8名
第151回(11・25)趙南哲詩集『樹の部落』
                報告者・文重烈       参加者 10名
第152回(12・23)一年をふりかえり91年を望む集い
                              参加者 12名
第153回(1991・1・13)つかこうへい『娘に語る祖国』
                報告者・成眞澄       参加者 9名
第154回(2・17)尹健次『弧絶の歴史意識』
                報告者・磯貝治良      参加者 名






    あ と が き

▼在日朝鮮人作家を読む会の発足は1977年12月15日なので、まる13年が経った。ことし(1991年)2月の例会で154回を数える。読書会が中心なので、文学関係を中心に在日朝鮮人(韓国籍、朝鮮籍、日本籍の別なく民族全体の呼称)の手になる本を140冊ほど読んだことになる。ほかに講演会などの企画が十数回はさまっている。
▼ここ1年ほどの「読む会」周辺の動きを記す(例会については会録を参照してください)。
まっさきに記したいのが、마당 놀이패 녹두(マダン ノリペ ノクトゥ)の結成と活動。直訳すれば、広場遊び集団・緑豆となるが、アクチュアルな題材のオリジナル台本で演じるマダン劇に四(サ)物(ムル)ノリ(四種類の朝鮮の民族楽器による演奏)などをジョイントした表現のグループである。昨年6月30日、外国人登録法拒否90共同行動の集会で旗上げ公演したのを皮切りに、エコロフェスティヴァル(豊橋)、あるすの会(名古屋の外国人労働者救援組織)の結成三周年記念集会、日雇労働者の笹島夏まつり、子どもの権利条約と反外登法運動をドッキングした人間宣言集会などで上演してきた。
「緑豆」は風物(プンムル)。魂振(ホンヂン)、놀(ノ)이(リ)판(パン)などの民族文化活動グループと90共同行動、「読む会」の有志が共につくったもので、愛知における“民族文化祭”の実現が目標。
いま一つのトピックニュースは、石川県在住の会の仲間、渡野玖美さんが、小説集『五里峠』で第一回日本海文学大賞(中日新聞北陸本社主催)を受賞した事。ちなみに賞金は百万円。
▼『架橋』11にも嬉しい企画がある。文重烈さんのハングルによる詩・歌詞八編を発表し、日本語の対訳を掲載できたことだ。この形式は『季刊 三千里』『在日文芸 民濤』『季刊 青丘』などに先例はあるが、本誌としては初めて。しかも、原詩、訳ともに仲間のもので、これは編集人として念願だった。 
『闇のゆくえ』の金成根さんは大阪・生野在住で、『架橋』には初登場。詩一篇の加端忠和さんは石川県在住。
津田悠司さんの「さまよえるオランダ人」は、前号作「俺たちの旅」の連作で、次号に書きつがれる。磯貝の「羽山先生が怒る」は“羽山先生シリーズ”PART3。
▼恒例の望年会で選ばれた、1990年度テキスト人気投票のベスト6は得票の順に、金石範『故国行』渡野玖美『五里峠』趙南哲詩集『樹の部落』梁石日『アジア的身体』磯貝治良「羽山先生が哭く」津田悠司「俺たちの旅」
                       (貝)



「架橋」 10号

架 橋 10
                 1990 春



目   次

○ 10-1(小  説) 羽山先生が哭く ………………… 磯貝治良
○ 10-2(小  説) 俺たちの旅 ……………………… 津田悠司
○ 10-3(エッセイ) レクイエム 美空ひばり ……… 朴燦鎬
○ 10-4(エッセイ) 金徳寿君との再会 ……………… 加端忠和
○ 10-5(エッセイ) 韓国の愛人 ……………………… 渡野玖美
○ 10-6(小  説) 雨森芳洲の孤独 ………………… 賈島憲治
○ 10-7 会録
○ 10-8 あとがき








 羽(は)山(やま)先生が哭(な)く

磯(いそ) 貝(がい) 治(じ) 良(ろう)

 平坦な灌木林を抜けると、道は急に勾配をつよめた。あたりがいっそう薄暗くなったのは、山崖の斜面が屹立してきたためだけではなかった。灌木がさらに鬱蒼として、道の痕跡さえ消えかかっている。灌木の茎を払う音が、ひときわ小気味よく響いて、そのたびに樹液の匂いが鼻をついてくる。
「あった! あれですよ」
 韓(ハン)成徳(ソンドク)が、鎌を振りかぶったままの姿勢でふりむいた。
 右手前方に、木洩れ陽が射して淡く黄色い暈(かさ)のような光の空間が見えた。その数メートル先に、山崖をうがった半円形の穴が黒い口を開いている。
 韓成徳が鎌を縦横にふるって躰を踊らせるのにつられて、私も急勾配の道を駆け昇った。
 壕の入口は幅三メートルくらいか、周縁が粗雑なコンクリートで固められていた。放置された四十数年のあいだに、山陵の重圧で崩落したものか、あるいは土砂が流れ込んだものか、ひとの丈に満たないほどの高さに埋まっている。
「とても信じられないなぁ、これが地下工場の入口だなんて」
 韓成徳は呆れたふうな口調で言い、カメラのシャッターを何度も押した。
「敗色濃厚の時期に掘ったんだから、破れかぶれだったんじゃないの。当事者たちだって、これで軍需工場の機能を果たすとは信じていなかったと思うよ」
 私は、戦争という得体の知れないメカニズムがしゃにむに行きついた滑稽な光景を思い浮かべた。
 韓成徳が大柄な体を屈めて壕の中へはいるのに、私も従った。数メートルとすすまないうちに、外から差し込む光はすっかり途切れて、壕の中は闇だった。背中の汗がひいていくほどの冷気。韓成徳がかざす懐中電灯の明かりは、弱々しく前方を照らした。
 私たちは窮屈な姿勢でゆっくりとすすんでいった。韓成徳が電灯の明かりをしきりにコンクリートの壁や天井に這わせる。そこに何かの痕跡、ハングル文字のひとつも刻まれていないか探っているのにちがいない。三十メートルほど進んだところでコンクリートの舗装が途切れ、不意に背丈が立つほどの窪みに出た。
 何かをさぐるように電灯の明かりを前方へ注いでいた韓成徳が、頓狂な声を上げた。
「埋まっている」
 崩壊した土塊がわずかな隙間をのぞかせて行く手をふさいでいる。あっけない結果に、二人はしばらく言葉が出なかった。
「こんな工事のために、わが同胞が千人も朝鮮から連れられてきて働いていたんだ」
 韓成徳が憮然と言った。四囲をかこまれた壕の中で、その声は響きを失っていた。

 楢島航空機地下軍需工場ハ半田市乙川大字七本木池字上池ノ飯盛山ニ位置シ、昭和十九年十一月中旬頃ヨリ建設工事ガ始メラレタ。翌昭和二十年七月二十四日、米軍艦載機ニヨル大空襲ニヨリ工事ガ中断サレルマデノ八カ月間地下壕ノ延長一〇〇〇米ニ至ルモ、ツイニ操業ニハイタラナカッタ。同工場ノ建設ニハ北朝鮮ノ最北端・羅津、沿海州ニ近イ端川、興南ナドカラ徴用サレテキタ朝鮮人約一二〇〇名ガ従事シタ。コレラ朝鮮人徴用工ノウチ四十八名ガ七月二十四日ノ大空襲ニヨリ死亡シ、多数ガ負傷シタ。

 半田市史編纂室発行のパンフレットには、敗戦後まもなく楢島航空機の関係者が記した資料の文章が引用されていた。パンフレットには地下軍需工場一帯の略図も載っており、数か所の壕入口に●印が付されていた。
 韓成徳と私は、壕を出たあと、●印をたよりになおも一時間ほど山林の道を歩き回ったが、他には一か所も発見できなかった。歳月の経過によって崩落してしまったか、地形が変化したか、あるいは私たちに探査の能力が欠けているのか。
 アパートの隣室に住む韓成徳が、パンフレットを片手に、身重の新妻を伴って私の部屋を訪ねてきたのは、昨夜十時過ぎだった。
 彼は諮問押捺を拒否して外国人登録法違反の廉で起訴され、名古屋地方裁判所から最高裁判所まで六年間にわたって裁判をつづけていた。ところが今年、昭和天皇が死んで大赦令が発せられ、最高裁で免訴の判決が言い渡された。一本気な彼は、免訴を不服として、今度は彼が原告となり、日本国を相手どって国家賠償を請求する訴訟を起した。私がこの隣人と急激に親しくなったのは、そのことがテレビや新聞で報じられてからのことである。それまでは、敬して遠ざかる、の関係を保ってきたのが、彼の並々ならぬ気骨に度肝を抜かれ、断然、魅せられてしまったのである。以来、何かを思いつくと直情的に行動にうつす彼に付き合わされることが多い。今回の地下工場探査も有無を言わせぬ気迫であった。
 韓成徳と私が山を下りて、道端に駐車した車に戻ると、後部座席では、彼の新妻・朴(パン)明(ミョン)姫(ヒ)が妊婦服の中に抱えた西瓜にでも手を添える姿勢で心地よさそうに眠っていた。
 道路をへだてたグラウンドでは、主婦らしきチームのソフトボール大会が開かれている。真新しい揃いのユニホームが、初秋の陽差しを浴びて、まぶしいほどだ。審判員も本職並みの服装をととのえている。応援席から、陽気すぎるほどの歓声が上がる。地下壕の探査中、山林のしじまをぬってしきりに聞こえていたのは、この歓声らしい。朴明姫は、夢の中で歓声でも聞いているのか、眼尻のあたりにあどけない微笑を浮かべている。
「きょうのところは、帰りますか」
 韓成徳は、心残りな様子で、灌木におおわれた飯盛山の方向を振り返った。南側の山裾一帯が開けて住宅地になっているのを、私はあらためて眺めた。 
 韓成徳が車を発進させると、私は言った。
「途中で降ろしてくれる?」
「ここは桐山さんの故郷でしたね。どこか、寄るんですか」
 韓成徳の言葉に、私は返事をためらった。
 しばらくして、彼は突然、声を上げた。
「判った。羽(は)山(やま)先生に会うんでしょ」
 私は仰天した。一年ほどまえ、羽山英雄を主人公にした小説を雑誌に発表して、それを韓成徳は読んでいる。そんな予備知識があったとしても、あまりにも見事に的中したからだ。
 正直なところ、韓成徳といっしょに羽山英雄と会うのは気がすすまない。羽山英雄から彼の立志伝を書くことを強制的に約束させられてから、一年以上が経っているのに、まだ一行も手つかずのままになっている。羽山英雄に会うのは、その弁解が目的で、どんな強烈な大目玉をくらうか、まったく気が重い。
 それは私が醜態をさらせばすむことで、まぁ、よしとしよう。しかし、羽山英雄と韓成徳が対面するとなると、これは大いなる不安だ。まるで水と油の二人が出会えば、何事が起こるか・・・・・・
「桐山さん、ぼくを一度、羽山先生に会わせてください」
 韓成徳は私の心配など意に介せず、あっさりと言ってのけた。
 若いのに似合わず、「わが同胞は・・・・・・」という言葉が口癖の彼は、すでに「わが同胞」との新たな出会いに興味津々であるらしい。
「面白いわねぇ、わたしも会いたいわ」
 私は驚いて後部座席を振り返った。いつのまに目を醒ましたのか、朴明姫が身を乗り出している。
 私は、腹をくくって、車の方向を指示した。

 羽山英雄事務所のビルは、市の中心街、私鉄駅の目の前にあった。三階建てのそのビルは、駅前からT字型にひろがる繁華な通りの枝分かれの角にあって、一階から順に「羽山英雄事務所」「羽山商事」「羽山会」と巨大な電光飾の看板が出ていた。
 車を降りた私たち三人は、派手に彩色されたビルの壁を見上げ、意味もなく顔を見合わせた。羽山英雄に会うのは一年余まえの「羽山先生を励ます集い」の奇妙な邂逅以来であり、事務所を訪ねたのは初めてである。立志伝執筆の件もある。私は否応なく緊張を覚えた。
 事務所はソファーが幾つか三十人くらいは十分に掛けられそうに整然と並べられ、壁際の法律書が並ぶ書棚と正面の豪華なテーブル・椅子があるくらいで、広々としていた。私の目を惹いたのは、そのテーブルの背後、正面の壁面に掛けられた額縁入りの写真だった。口髭をたくわえた羽山英雄が破顔一笑している。
「金融のことなら二階」
 テーブルの前で週刊誌を眺めていた初老の男が、顔も上げずに言った。
 私たちが、何のことか、と顔を見合わせていると、男は椅子から立ってきた。
 定年退職をして数年を経た元地方公務員といった印象の男は、意外と鋭い視線で三人を眺め回す。韓成徳と私はGパンをはき、彼は黄色いセーター、私はよれよれのジャンパーを着ている。そして、妊婦服にドッジボールほどのお腹(なか)をかかえた、少女の雰囲気がぬけきらない朴明姫。男の視線が三人の足もとへとどく。私と韓成徳は、山歩きで泥土にまみれたスニーカーをはき、朴明姫は真っ白いバレーシューズ。
「羽山、先生に、お会い、したい、のですが」
 私の口吻はポンコツ車のエンジンみたいにノッキングした。男の目つきはいよいよ険をおびる。
「どなたで?」
「桐山です。羽山先生とは旧知の・・・・・・」
「あぁ、桐山さん。先生から聞いています。高名な、作家の、あぁ、桐山先生」
 男の表情はたちまち和んだ。それにひきかえ、私の胸はたちまち逆立った。秘書か、貸元代理か知らないが、この男までが私の名前を知っており、そのうえ高名な作家などと誤解しているとしたら、羽山英雄が立志伝執筆の件を誰彼なく吹聴している公算が大である。
「さぁ、どうぞ、どうぞ。先生は間もなく帰ります。商工会議所のほうから、十分ほど前に電話がありましたから」
 三人は、できるだけ隅のほうのソファーに腰を下ろした。羽山は十五分ほどして現れたが、そのあいだに階上からは、角刈りの中年男、サングラスをはめて三つ揃いのスーツを着た男、髪を黄色に染めた若者、事務服の娘と、多士済々な風体の人間が降りてきて、初老の男から耳打ちの指示を仰いでは戻っていった。
「よぉ、桐山君」
 羽山英雄は磊落に声を掛け、いっせいに腰を浮かせた三人を制すると、正面の椅子に巨軀を下ろした。相変わらず濃紺のスーツをあざやかに着こなしている。
 手招きされるままに彼のテーブル脇にあるソファーへ移って、私は韓成徳と朴明姫を紹介した。韓成徳が握手を求めようとして差し出しかけた手をすぐ引っ込めた。私が、韓成徳は指紋押捺を拒否して六年間も裁判をつづけてきたこと、こんどは大赦を不服として日本国を訴えていることなど説明したとき、羽山英雄は韓成徳をジロリと眺めたきり、何も言わなかった。日本籍に帰化している羽山英雄には指紋押捺は義務づけられていない事実を、私は思い出した。
「一席もうけるとしよう」
 羽山英雄は、しばらく待つよう、三人に言い、初老の男にあれこれ命じた。
「先生、きょうは社員ミーティングの日ですが・・・・・・」
 初老の男が怯ず怯ずと口を挟んだ。
「おまえ、やっとけ」
 羽山英雄が一喝した。

 黒塗りの高級外国車が海辺の町に着いたのは、夕陽が水平線に没しようとする頃。沖合い一面、真っ赤に染まって波面をきらめかせ、島影さえが淡く紅がかかって見えた。潮の香りまでが燃え立っている。
 車が、洒落た料理旅館の前に止まったとき、後部座席にいた私は何気なくドアーの把手に手を掛けた。間髪をいれず、運転手が飛んできて外から開いた。そのとき、四〇歳がらみの運転手の左頬に鋭利な傷跡があるのに、はじめて気づいた。
「羽山先生、お待ちしておりました」
 出迎えた女将に案内された二階の部屋は、窓を開けると潮騒の音が聞こえた。
「そうか、地下工場の跡がまだ残っておるか」
 羽山英雄が茶をすすりながら独言ちるふうにうなった。途中、車の中で楢島航空機地下工場探査のことを話したときも、何度も繰り返した言葉だ。
「で、その、フールト・・・・・・」
「フィールドワークです」
 韓成徳が言った。
「うん。その、フールトワークの目的は何なのかね」
「地下工場の建設現場にはわが同胞が千二百人も働いていました。そのうちの半分近くが強制連行されてきた若者たちです。強制労働の実態、証言、これを資料にまとめて発表したいと思っています」
 羽山先生の表情は、韓成徳の堅い話を聞くうち、不機嫌そうだ。
 韓成徳の目はいよいよ輝いてくる。さらに話をつづけるまえに、すでに目の輝きがうるみはじめ、口もとが皺々になりはじめている。無類に涙腺が弱いのだ。彼のオモニいわく「ソンドギは涙の川を渡って生まれてきた」
 私は、彼と隣り合わせて下座に座っている朴明姫と顔を見合わせた。他の場合なら、二人で、ソンドギが泣く、泣く、とか言ってすますところだが、ここはそうはいかない。
「強制労働させられていたわが同胞が、四十八名、殺されました。半田大空襲の日に・・・・・・」
 韓成徳の目から涙が一筋、こぼれた。
 私は、三人を左右に従えるように上座に座っている羽山英雄の顔を窺った。不機嫌な表情に変化は読みとれない。
「それで」韓成徳は、鼻から伝わる口の中の塩辛いものに喉を詰まらせたのか、一拍置いて言った、「わが同胞の鎮魂蔡を催したいのです。四十五年ぶりに、アボヂ、ハラボヂたちの恨(ハン)を解いて差し上げたいのです」
 私は羽山英雄の表情を注視しているうち、心が落ち着かなくなってきた。ここは一番、よし、分かった、羽山英雄がひと肌ぬごう、と豪快に胸を叩くか、露骨に不愉快な表情を浮かべて韓成徳を睨みつけるか、予測されるのは二つに一つである。なのに、羽山英雄は憮然と腕組みしたままだ。
 料理と銚子、ビールが揃った。仲居を先導してきた番頭らしき法被の男が、羽山英雄に丁重な挨拶をしたが、普段の羽山先生とちがうぞ、といった怯えた表情を見せて早々に退(さが)った。
「さぁ、話はそれくらいにして、飲(や)ってくれ」
 羽山英雄が促し、まず韓成徳にビール壜のあたまを向けた。韓成徳は畏って左手指をコップの底に添え、受けた。
 私は焦った。卓のまんなかに厳かに置かれた鯛の活作り。この世に生をうけて五十二年、初めて目にするほど立派な姿であるのに、涎よりさきに油汗が出そうな気分。結構な歓待の揺り戻しが怖い。酒がはいってからでは、揺り返しはマグネチュードどれほどになるか。
「羽山先生・・・・・・」思い切って口を開いた、「実は、イの一番にお断りしなければならないのですが、例の件、羽山英雄伝の件・・・・・・」
 酌を受けながら言いよどむ私に、羽山英雄は怪訝な表情を向けた。
「約束して一年以上経つのに、全然、書けないのです」
「あぁ、あのこと。申し訳ないが、あの約束はなかったことにしてくれ。おれは過去を振り返らないことにした。前を向いて生きる、それこそ、羽山英雄にふさわしい。自伝など、めめしい奴の出すものだ」
 羽山英雄は事もなげに言うと、ビールを飲み干した。
 喉にささっていた魚の骨がどこかへ吹っ飛んでしまった。猛然と食欲がよみがえり、私はビールはそこそこにコップ酒に切りかえた。料理が減り、酒がすすむうち、座の雰囲気は急激に変容した。
「ソンドギ君、きみは気骨のある若者だ。日本国家に楯つくところが、なんとも言えん。権力と果敢にたたかう、これが本物の根性だ。タイシャキョヒ、大赦拒否、これが、いい。最高だ。きみは、わが民族のチャンピオンだよ。おれの若い頃、そっくりだ。愉快、愉快」
 羽山英雄が軽口をたたきはじめたので、私は驚いた。韓成徳の「わが民族」までが彼にうつったらしい。
 羽山先生、おれの若い頃とそっくりはないでしょ。あんたは土地の親分を日本刀で切り殺して刑務所へはいり、やがて暴力団組長、実業家もどき、国会議員候補者、落選、となった。韓成徳君は指紋押捺拒否、大赦拒否。それとこれと味噌糞にするとは何事か。
 喉もとまで出かかったが、もちろん私は言わなかった。その言葉が口をついて出るには、私の頭脳はまだ明晰すぎた。私は、コップに三分の二ほどの酒を弾(はず)みをつけて飲み干した。
「ぼくらは在日を生きなくてはなりません。在日を生きるとは、たたかうことです。そして、まっとうに朝鮮を生きるのです。ところが・・・・・・」
 韓成徳は、酒を飲んでも、堅(かた)い。彼の目にふたたび涙が浮かび、口もとが皺々になっている。
「ところが、わが在日は、帰化の波に負けそうです」
 まずい! 羽山英雄の前で帰化の話はまずい。
 私の心配ははずれた。
「ソンドキ君、羽山事務所へ来てくれんか。きみのような若い右腕が、おれには必要だ」
 羽山英雄の言葉に、私は度肝を抜かれた。韓成徳も当惑したらしい。何か弁明しようとしたが、不意に遮られてしまった。
「面白い、賛成」
 鈴を振るような朴明姫の声が響き渡った。
「よし、決まった」
 羽山英雄が大きな手を拍った。
 韓成徳も私も、コップを運ぶ気力を失い、箸を持つ力も萎えてしまったのに、あたらしい料理と酒が運ばれてきた。
 舞台の場が転換したように座が沈んでいき、潮騒の音が急に耳を打ちはじめた。
 瞬間の静けさを確かめるように、羽山英雄は私たち三人の顔を眺め、ゆっくりと口を開いた。
「桐山君、ソンドギ君、それから・・・・・・」
「ミョンヒさんです」
 私が言った。
「うん、そうだ。おれの親爺はだな、あの楢島航空機で働いていたのだ。強制連行ではなかったが、飯場の親方に連れられて信州の松本から徴用されてきていた。そして、B29の爆撃にあって、死んだ。四十八人の一人だ。おれは十歳だった」
 私たち三人は息を呑んで羽山英雄を見つめた。彼は瞑目していた。
 韓成徳が思いつめた声で言った。
「羽山先生、力を貸してください。ぼくたちといっしょにアボンニムの鎮魂祭をやりましょう」
 羽山英雄はしばらく応えなかった。突然、両眼を見開くと、意外に静かな口調で言った。
「過去にこだわって、何が生まれるというのか。おれの前には未来だけがある・・・・・・」


 翌日の正午前、韓成徳、朴明姫、私の三人は、半田市役所のロビーにいた。
 昨夜は結局、羽山英雄だけが高級外国車で帰り、私たち三人は彼の計らいで海辺の料理旅館に泊まることになった。韓成徳はかなり酩酊しており、羽山英雄事務所へ戻ったとしても、そこから名古屋まで車を運転していくのは無理だった。
 ――羽山先生、鎮魂祭には行政と旧楢島航空機の関係者にも参加させ、協力させなくてはなりません。戦後責任をきっちりとらせるためです。資金も必要です。鎮魂祭は毎年おこないたい、いずれは慰霊碑も建てたい。羽山先生の助けが要るのです。
 羽山英雄が帰るまぎわまで、韓成徳はよく粘った。
 羽山英雄はといえば、おれは過去を振り返るようなめめしい男ではない、すべてを明日(あす)に賭ける――の一点張り。屈する気配はなかった。
 彼が、めめしいという言葉を繰り返したとき、朴明姫が、「女性差別!」と抗議したが、羽山英雄は、なんのことか、というふうにキョトンとしていた。
 ――アボジの霊を鎮めることが、なぜ過去を振り返ることですか。行政や侵略者どもに謝罪させるのは、今日のため、将来のためではないですか。
 韓成徳が追い打ちをかける。
 私はといえば、羽山英雄の頭の中が、明日のこと、そう、国会議員への出馬の件で一杯なのを知っていたので、へたに嘴を入れることができなかったのだが、別れぎわになって、突然、閃いた。
 ――羽山先生、選挙は半年後に迫っています。鎮魂祭の実行委員長をお願いしますよ。
 私はそれ以上言わなかったが、彼は敏感に察したらしい。表情がはっきりと動いた。しかし、返答はなかった。実行委員長として一大イベントを打つことの宣伝効果と、もしかして朝鮮人リ・スウンを世間に宣伝しかねない逆効果とを、秤にかけていたのか。
 私たち三人は、今朝、出迎えに来た外国車で羽山英雄事務所へ戻り、羽山英雄に昨夜の礼を言い、名古屋へ帰るつもりだった。突然、韓成徳が、市役所へ寄ろうと言ったのは、彼の車に乗り込んでエンジンをかけた時。彼は、あまりうまが合わないらしい長兄の経営するスクラップ工場で働いているのだが、そこを二日間も休むことになる。私はひそかに心配したのだが、「賛成!」という朴明姫の一声ですべてが決まった。
 三人が市民相談室といった趣の小部屋に通されたのは、窓口で用件を告げてから二十分近くも経ってからだった。
 応対にあたったのは市民課の管理係長と窓口で用件を伝えたときの課員だった。差し出された名刺を見ると、韓成徳がいきなり注文を出した。
「事はたいへん重要です。市長に会えませんか」
 係長と課員は驚いたふうに顔を見合わせ、一拍置いて係長が応えた。
「市長との面会には事前の了解が必要でして」
「事前に了解をとらなくては会えないのですか。地方自治法の何条?」
 韓成徳はGパンの尻ポケットから手帳を取り出して、メモの構えをとる。
「どなたか議員の先生の紹介でもあれば、助かるのですが」
「それは、地方自治法何条?」
 指紋押捺を拒否して役所との交渉には手馴れているらしく、韓成徳の切っ先は鋭い。初体験の私は、幕開けからして波瀾ぶくみの雰囲気に、わくわくする。立場も忘れて、野次馬気分がうごめきはじめたらしい。
「生憎、市長は所用で出掛けていまして」
 係長は方向転換した。
「嘘ばっかり。それがほんとうなら、最初からそう言えばいいのに」
 朴明姫が口を挟んだ。彼女にそんなつもりはないはずだが、大きなお腹のせいで踏ん反り返った姿勢になっている。係長は困惑の表情を浮かべ、彼女の鈴を鳴らすような声がいったいどこから出てくるのかというふうに妊婦服をしげしげと見た。一瞬の沈黙をとらえて、彼は気を取りなおしたらしい。
「課長を呼びます」
 それで手を打ちましょう、とは言わなかったが、係長は若い課員に耳打ちした。課員は、韓成徳らの反撃の機会を封じ込める素早さで、室を出ていった。韓成徳は憮然と腕組みしたまま待った。ここは深追いしない戦術らしい。
 市民課長は、数分と待たずに来た。いくらか人生に疲れた雰囲気の係長とは対照的に、こちらは勢力旺盛、柔道選手みたいに胸が分厚く、肩幅も広い。短髪の生え際と眉毛のあいだが特徴的に狭く、すでに半禿げ症状を示している係長より若く見える。
「用件は伺いました」課長はのっけから高飛車な口吻で私たち三人を大胆に眺めまわした、「地下工場の件は楢島航空機と韓国の方々との雇用関係の問題です。空襲で亡くなった方々の問題はアメリカさんの問題で、いずれも戦争中の事故であって、われわれが爆弾を落としたわけではありません。したがって、行政が関与できる問題ではない、というのが私の見解です。国策の結果だったという観点から、強いて言えば、国へ持ち込む問題でしょう」
 韓成徳は呆気にとられたふうでもあったが、ただちに切り返した。
「戦争中? 国策? 冗談じゃない。これは半田市で起こったことですよ。その証拠に、あんたたち、半田空襲の犠牲者のために毎年、慰霊祭を開いているでしょう。日本人の死者は慰霊しても、朝鮮人はほっとけと言うのか」
 韓成徳の顔に悔しさの表情がありありと浮かび、目が赤くにじみはじめた。
「あれは半田市民の慰霊祭です」
 課長は平然と言う。
「半田市に住む朝鮮人は、住民じゃないのか。税金だって払っているじゃないか」韓成徳は拳で目の前のテーブルを打った、「ぼくたちのアボジやオモニは、日帝時代に、無理矢理、日本国民にさせられていたんだ」
 課長は、仏頂面をして口を噤んだが、かすかに皮肉な笑みを浮かべると、意想外なことを口にした。
「カン・セイトクさん、あなたは指紋押捺を拒否して裁判に掛けられていましたね。いまは名古屋のほうの区役所で外国人登録の切替そのものを拒否しておられますね。さらに、昭和天皇のご崩御にともなう大赦にも異議を唱えて、国を訴えておられますね」
「それが何なんだ。不逞鮮人とでも言うつもりか」
 韓成徳が裂帛(れっぱく)の気迫で課長を睨みすえた。
「カン・セイトクって誰のことですか。そういう名前のひと知りませんよ」
 朴明姫が皮肉った。
「課長、何が言いたいんだ」私も、もはや野次馬気分を楽しんでいる場合ではなくなった。三十年まえ、羽山英雄らのあとにくっついて半田の町を肩で風切っていた頃の血が騒ぎはじめたらしい、「脅かしのつもりなら、ただじゃ済まん」
 課長は口を噤んでしまった。韓成徳の気迫に気押されたようだが、木偶の棒みたいに黙りこくっていた私の、意外な態度も多少の効果は発揮したらしい。
 韓成徳が執拗に弁明を迫ったが、課長はこれまでの饒舌を豹変させて押し黙ったままだ。膠着状態がつづくのは、目に見えていた。
 私は室を出た。事態の打開には、羽山英雄の助けを借りるほかない。多少の荒療治は避けられないかも知れないが、国政選挙への出馬をまえにまさか暴力沙汰にも及ぶまい。私は市役所の玄関の公衆電話から、ままよ、と羽山英雄事務所へ電話を入れた。彼は運良く事務所にいた。
 一部始終を説明すると、羽山英雄はぶっきらぼうに応えた。
「羽山英雄の人生訓は、きのう、何度も話したとうりだ。おれの出る幕でもあるまい」
「そこをなんとか」私は懇願した、「ソンドギはなかなかのインテリだから、腕力をふるうような男じゃない。しかしおれは、ひょっとしたら、あの課長の野郎を・・・・・・」
 私の言葉が終らないうちに、受話器は激しい勢いで音を立てて置かれた。意識はしなかったが、私は羽山英雄の俠気をくすぐろうとしたようだ。姑息な腹のうちを見透かして、彼は激怒したのだろうか。
 室にもどると、膠着状態はいっこうに変転していなかった。沈黙の睨み合いが数分つづくと、韓成徳は険しい口調で弁明を求める。課長は、私は、事実をお伝えしたまでで、他意はありません、ましてや差別する気など・・・・・・聞き取りにくい言葉を口の中で呟いて押し黙ってしまう。彼の顔は堪え性もなく蒼褪め、係長と課員のそれはすっかり引きつれている。
 午後の業務の始まりを告げるチャイムが鳴った。私は意を決して言った。
「ソンドギ君、出直すことにしよう」
 韓成徳と朴明姫が、示し合わせたように、軽蔑をあらわにした目つきで私を見た。
 その直後である。室の外で何かを哀願する人の声が聞こえ、それを吹き払うように一陣の風が巻き起こって、羽山英雄の巨軀が現れた。
「市長はおるか」
 羽山英雄はいきなり、まさに割れ鐘のような声を上げた。課長と係長と係員が機械仕掛よろしく棒立ちになった。
 羽山英雄は返事も聞かず、私たち三人を促して室を出た。羽山英雄を先頭に私たちが庁舎内を抜けるとき、机に向って業務に励んだり三々五々私語を交わしている職員のあいだに、異様な緊張感が走った。それは羽山英雄の登場が彼らにもたらす、習性化された恐怖かともおもえた。
 羽山英雄は、変容した庁舎内の雰囲気を無視して、靴音はげしく階段を上がり、二階の廊下を突き当たった室のドアーを開いた。市長室のその椅子に小柄な初老の男がいた。


 羽山英雄の登場によって、事態は呆気ないほどに打開された。市長は、鎮魂祭の後援を簡単に約束したのだ。というよりも、羽山英雄の有無を言わせぬ迫力に了解させられた、というのが私の印象だった。市長は、羽山英雄の不倶戴天の敵である国会議員・黒野忠義の一派であるらしく、羽山英雄の申し入れを跳ねつけることで逆に巻き起こるであろう波風を避けた。それが市長の計算であるらしい。
 市長のお墨付きによって、事はトントン拍子に進展した。鎮魂祭の時期は二か月ほどのちの十一月中旬。場所は、楢島航空機地下工場のあった飯盛山に近い、私立雁宿公園を市が提供する。雁宿公園には七本木池があり、朝鮮の風習にのっとった鎮魂の儀式を執り行うには好適である。
 朝鮮人半田空襲犠牲者鎮魂祭実行委員会の市側責任者は市民課長。実務担当者として課員二名が当たる。資料作製、市民への広報、鎮魂祭の運営などは市が責任をもって行い、当日は市長、市会議長はじめ市当局者を大挙、出席させる。旧楢島航空機関係者に協力させるための折衝は、市民課長自身が当たる。鎮魂祭実施と準備にかかる費用は、一切、市が負担する。
 私は、心の中で快哉を叫んだ。手をこまねいていても、鎮魂祭は実現したも同然ではないか。
 ところが、肝心の韓成徳がいまひとつ憂愁の表情を浮かべている。原因は、事がトントン拍子に運んだ理由自体にあった。われわれ三人の力及ばず、彼にとっては世辞にも尊敬すべき人物とは言いがたい羽山英雄の、不純な(と彼は思っているらしい)圧力によって、市当局にうわべだけ屈服させた。当局ははたして「わが同胞」への責任を心底、認識しているのか、鎮魂祭の意義を理解しているのか。彼の憂鬱の原因はそこにあった。
 しかしそのことは、市が実行によって誠意を示すことで、ひとまずはよしとしよう。問題はわが方にある。鎮魂の儀式は「わが民族」の伝統にのっとったものでなくてはならない。
 死者の霊魂を呼びもどし、祭壇まで誘う、降神クッ
 神に祈願を捧げる歌ピナリ
 死者の恨(ハン)を解き、霊魂を慰める舞いサルプリ
 死者の霊たちが恨を解き、遊び楽しんでいけるようにと演奏する農楽四(サ)物(ムル)ノリ
 最後に、霊たちが黄泉(よみ)の国へ旅立っていくための黄泉送クッ
 熾烈な習練を必要とする鎮魂クッの儀式を、誰に頼めばよいのか。ことに至難の芸、難問はサルプリの舞い、サムルノリの演奏だ。
 韓成徳の表情がいよいよ深く憂愁に沈んでいったとき、羽山英雄が膝を打った。
「ソンドギ君、心配無用、われわれが演(や)ればよろしい」
 韓成徳、朴明姫、私は、指揮棒に促されたわけでもないのに、一斉に彼を見た。
「ぴったりな奴(の)がおる。木下栄子(えいこ)女史! あれは初級から民族学校へ通っていた。チョッパリの高校生野郎を刺して少年院へはいるまでは・・・・・・ウリハクキョでは勉強のほうはからきしだったが、歌と踊りは抜群だったらしい。同級生の吉本社長が語り草にしとったわ。間違いない。ピナリとサルプリは木下栄子にやらせよう」
 三十年まえ飛び蹴りの名手だったリ・ヨンヂャ、いまはホテル金剛山と会員制クラブ・リムジンのオーナーで羽山英雄講演会の副会長でもある。
 狐につままれた気分で聞いている私たち三人に、羽山英雄は事もなげに続けた。
「厄介なのはサムルノリの奏者だが、これも大丈夫。チャンゴはソンドギ君、きみ。プクは安本支配人にやらせよう。ケンガリは言うまでもなく吉本社長。さて、残るは、チンだが、これは不肖、羽山英雄がつとめよう。よしっ、オールスターキャストは決まった」
 私は思わず唸った。
 杖鼓は韓成徳。鼓は三十年まえ無類の喧嘩っぱやさで鳴らしたソッテこと、パチンコ富士の支配人・安本錫泰。小鉦が、三十年まえグループの知恵袋だったカンスーこと、吉本土建の社長・吉本光秀。そして大鉦が、その総帥であったリーこと、羽山英雄先生。まるでだるま一家ファームチームの再現ではないか。
 ふーッ・・・・・・唸り声は溜息に変わった。しかし、異議を挟む余地はなかった。鎮魂祭実行委員長・羽山英雄先生みずから四(サ)物(ムル)ノリの一翼を担うというのだ。差し出口を挟む勇気など、私にあろうはずはない。
 私は、恐る恐る韓成徳の顔色を窺った。彼自身、チャンゴの腕はまずまずであるとはいえ、あとの四人に至芸を伝授するほどの域ではない。四人は、彼にとって海のものとも山のものとも知れない存在なのだ。
 韓成徳の意外な反応が私を驚かせた。
「その線で行きましょう。われわれの力でやり遂げることに意義があります。指導してくれる先生を、ぼく、知ってますから、頼んでみます」
 何事も自力更生を旨とする彼の意にかなったらしい。
「やったー」
 歓声を上げたのは、朴明姫である。こちらに回ってくるのではと、ビクビクしていたおはちが、あちらへいったので喜びの声を上げたのか、いや、そうではあるまい。彼女は慾張りにも、歌と踊り、伽耶琴まで習っており、身重でなければ、みずから名乗り出たところだろう。順調にいけば、鎮魂祭の日あたりに生まれる。
 早くも感涙を目頭ににじませている韓成徳を横目に見て、私はひとまず安心した。
 ところが次の瞬間、私は驚愕した。
「桐山君、事務局長はきみ」
 間髪を入れず起こった拍手の音に、異議を唱えようとする意欲は気押されてしまった。私は、韓成徳と朴明姫の顔を恨めしく眺めやるしか術がなかった。


 鎮魂祭の稽古は、羽山英雄事務所のビル三階、「根性一徹」と墨書された額のある、広々とした和室で始まった。四物ノリの練習が始まると、韓成徳は、長兄が経営するスクラップ工場を潔く辞めてしまった。直情型性格の彼は、あとさきのことは視界にないらしい。とりあえず鎮魂祭までのあいだ、羽山事務所に勤めて四物ノリの稽古に励むというのだ。
 先生は、李(リ)銀(ウ)任(ニム)という、その道では名の知れた女性。韓成徳からの依頼に、初めは二の足を踏んでいたが、彼の熱意にほだされて引き受けてくれた。
 私はといえば、李銀任先生の激烈な指導のもとに悪戦苦闘する五人を脇目に、事務局長の仕事に専念、と言いたいところだが、すっかり勝手が替わってしまった。三十年まえのジロ吉こと、売れない小説書きの桐山二郎は、羽山先生から分に過ぎる手当てと活動資金をはずんでもらい、普段の○貧ぐらしが嘘のよう。
 そのうえ、厄介な仕事は全部、市の担当者がこなしてくれるので、暇を持て余して夜は赤提灯に足をむける機会がめっきり増えた。唯一、それらしい仕事は犠牲者の名簿作製くらいだが、これも原資料が楢島航空機関係者の手もとにあったので、それに「旧楢島航空機朝鮮人徴用工空襲犠牲者名簿」という長たらしい表題を付して印刷屋へ出せば済んだ。一九四五年八月十五日、日本の敗戦と同時に工場長の命令一下、朝鮮人労働者に関する資料一切が焼却されたという話だったので、作業は難航するかと予想したのだが、運よく名簿の写しを当時の労務担当員が保存していた。
 名簿には「殉職者氏名」と出身地、遺族氏名と本人の続柄が記されていた。
 羽山順日、咸鏡南道三水郡館楽面寺泉寺一二
 遺族・羽山錦玉(妻)
 羽山英雄の父上の項である。四十八名全員が創氏改名になっている。それを本名に復元して犠牲者名簿を作ろう、と強硬に主張したのは、言うまでもなく韓成徳である。創氏のほうは本名を判断できるものが多かったが、改名のほうはほとんど復元不可能であり、調査の時間もない。創氏改名をそのまま載せることで、日帝の植民地政策のなまなましい実態を伝えよう。涙を飲んで、創氏改名のままの名簿を作成することにした。
 ほかに私が有り余る時間を利用して行なったことといえば、当時の強制連行、強制労働の体験者を探し出し、生き証人から歴史の証言を聞き取ることだった。これは本業の取材と一石二鳥。いまはすでに七〇歳をこえる老人が、時に怒りに咽(むせ)び、時に過酷な境遇を揶揄し、語りつづける言葉は、私の胸に沸々と記録への意思をたぎり立たせた。
 意外であったのは、網走刑務所の囚人の話だった。楢島航空機地下工場の建設には網走から連れられてきた受刑者たちが働かされていたという。私はその話を羽山英雄には伝えなかった。彼は、三十三年まえ、二十二歳の時、地場やくざの親分を日本刀で危(あや)め、送られたさきの網走で厳寒の冬を幾度も過ごした。
 ともかく、事務と名のつく仕事はからきし苦手な私だが、準備段階に限っていえば、事務局長の職をどうやら無難に切り抜けた。というよりも、実行委員会の役職を名目だけでもわが方で握ろうという羽山英雄や韓成徳の思惑には沿うことができた、と言うべきか。
 一方、鎮魂祭儀式の稽古は何度も危機に見舞われたらしい。なにしろ、韓成徳は別として、四人が四人揃いも揃ってズブの素人であることは仕方ないとして、有名(なうて)の個性派,能書き屋、唯我独尊、一国一城の主(あるじ)、偏屈、自己主張の権化なのだ。さしもの李銀任先生も手こずったらしい。
 難問の最右翼は木下栄子女史。筋のよさには李銀任先生も舌を巻くものがあるが、先生の指導に何かにつけ楯突く。ウリハクキョで覚えたノレ(歌)はそんなお経みたいなもんじゃない。金日成(キミルソン)将(チャン)軍歌(グンガ)が目にはいらぬか。わたしの得意なチュム(踊り)はそんな巫女踊りじゃない。もっと優雅な芸術舞踊だ。
 ところが、日を経るにつれて、そんな木下女史がみるみる変容していった。ビナリの韻律、サルプリの静と動、神秘と幻想、恨(ハン)と解放感。すっかり、その世界に囚われ、化身していった。李銀任先生は、彼女の素質に目を瞠った。
 木下栄子の変容に厄払いされたふうに、安本支配人のプク、吉本社長のケンガリ、羽山先生のチンも、めきめき上達し、韓成徳をふくむ四物ノリは見事に調和していった。
 李銀任先生は、鎮魂祭の日をまえに、太鼓判を押した。そして誰言うともなく、当日の演者はすべて本名で出演することになった。羽山先生は李英雄=リ・スウン、吉本社長は姜光秀=カン・グァンス、安本支配人は安錫泰=アン・ソクテ、そして木下栄子女史は李栄子=リ・ヨンヂャ。
 いよいよ本番という数日まえ、稽古場に顔を出した私は、ある発見をした。羽山会の道場であったその部屋から「根性一徹」と墨書された陳腐な額が消えていたのである。


 晩秋の陽差しは、めくるめくほど透明に輝いて、鎮魂祭のマダン(広場)に降り注いでいる。七本木池を渡って吹き抜けていく風が、陽光を燦(きら)めかせた。
 マダンに設えられた祭壇には供物がにぎやかに飾られ、拝礼用の茣蓙が敷かれている。日本人参列者のためには香が用意されている。供物の果物がひときわ色鮮やかに映えた。
 祭壇から少し離れて左右には、市章の印刷された大きなテントが二張ずつ張られ、すでに参列者が詰めている。左側のテントには、市長、市議会議長、助役はじめ、市の関係者が揃っている。韓成徳、朴明姫、私の三人が要請に言ったとき大いにやりあった、角刈り頭の市民課長の顔も見える。
 右側のテントには、民族組織の役員が打ち並んでいる。羽山英雄と市民課長の奔走が功を奏して、北の総連系、南の民団系、双方が列席した。組織とは関係のない地元の朝鮮人、日本人も、予想をこえて参加しており、テントの中の椅子に座りきれない人びとが、あちらこちらに立っていた。民族衣装のアジュモニ(婦人)の姿も、ちらほら混じっている。
 飯盛山から吹く風が、楽器の音を運んできた。ゆったりとした、荘重な響きだ。
 七本木池で行われていた降神クッが終わったらしい。幟をかかげた司祭役の老人に従って、白いパヂ・チョゴリを着けた四人の奏者たちはチン(大鉦)を先頭に一列に並び、灌木も疎らな丘陵の道を下ってきた。彼らが、それぞれの楽器を奏しながらマダンへはいってきたとき、私は目を瞠(みは)った。その表情に浮かぶ厳粛さは、生まれ変わりとしか思えなかった。
 七本木池に降神した四十八人の霊魂は、無事、祭壇に誘(いざな)われた。
 事務局長・桐山二郎は、式次第のメモを片手に、マイクの前に立った。鎮魂式の開会を宣言したまではよかったが、あとが出てこない。なまじっか余裕を示そうとして、張りつめた雰囲気の参列者を眺めまわしたのがいけなかった。用意していた挨拶の言葉が影も形もなく雲散霧消してしまった。この場の緊張に加え、昨夜、寝つかれないままに寝酒のアンコールを繰り返したのが、追い打ちをかけたのだ。窮余の一策、私は咄嗟に、実行委員長・羽山英雄先生の名前を呼んだ。
 一メートル九〇センチ、九〇キロ、堂々たる体軀をパヂ・チョゴリに包んだままの姿で、羽山先生は、四十五年振りにアボヂや他の同胞の鎮魂祭が実現したことに、感謝の意を述べた。終始、謙虚であった。私は胸を撫でおろした。白状すると、国会議員選挙への立候補の弁を滔々とぶち上げるのではないかと、気が気ではなかったのだ。そのことには一言半句も触れることなく、犠牲者への鎮魂の言葉で挨拶はむすばれた。
 来賓挨拶にたった市長と市会議長の言葉は、見事なほどに内容空疎なものだった。「朝鮮・韓国の方々」という冠頭句をやたらに使い、馬鹿丁寧な口吻ばかりで、焦点ボケ。私は、開会あいさつもろくすっぽできなかったわが身は棚に置いて、眉をひそめた。
 二つの民族組織の役員が挨拶を終えると、突然、マダンに一陣の風が巻き起こった。白衣を陽光に燦めかせ、風を裂いて、一人の巫女が祭壇の前に粛然と立った。

  住みなれた故郷を離れ 玄海灘を渡り
  水陸万里ひっぱられ 過酷な労働 過酷な暮らし
  山や川は同じだというのに 故郷のそれとは違って見える
  ひもじく疲れはてた我が身 思うのは故郷のゆりかご
  錦(クム)繍(ス)江(カン)山(サン)三(サム)千(チョル)里(リ) 無(ム)窮(グン)花(ファ)は満開だろうか 恋しい 恋しい
  異国で死にゆく我が運命痛恨 我が胸中 心残り
  陽が落ち 夜は更け 夢枕には父母兄弟の面影
  わらべのころ遊んだ野山は 変わらぬか
  私の青春消え失せ 前途は途絶えたが
  祖国に再び帰れぬ我が運命 なぜだ 教えてほしい
  涙も血も汗も出るだけ出たよ 
  空腹の身はすりきれ あぁ父母兄弟逢いたい

 巫女は哀切に詠(うた)い、時に激越に、時に静止の美しさを保ち、マダンを旋回する。長くひろがったチマの裾が風を孕んで豊かにふくらみ、地を払う。指先の所作、顔の表情ひとつひとつが、死者と交歓する。リ・ヨンジャ女史の舞いは、妖艶でさえあった。
 突然、歌調は、死者の胸中をつづる悲惨なものから一転し、兄弟の訪問を歓喜する躍動に変わった。

  来たよ来たよ ようやく来たよ ようやく来たよ
  私を探しに ようやく来たよ 我が身は散り散りに飛び
  我が魂は有るとも無いとも
  四十余星霜 過ぎし日に やっと私をたずねて来たよ
  無情な歳月は 流水の如く流れ流れて
  生きている時に 逢えていたなら よかったが
  来たよ来たよ ようやく来たよ 兄弟に相逢したから
  つかえたハン(恨)を解けよ チュム(踊り)を踊ってみよう
  オホートゥンドゥン楽しいな オホートゥンドゥン楽しいな

 巫女の舞いは雀躍し、マダン狭しと激しく、大きく旋回する。手にした長い白布がナビ(蝶)のように飛び舞い、純白のチマの裾、チョゴリの袖が、風を呼び、光を弾(はじ)く。
  オホートゥンドゥン楽しいな 
オホートゥンドゥン楽しいな
 死者の恨(ハン)は解かれた! リ・ヨンヂャ女史の体は地を抱き、ピタリと静止して、サルプリは終わった。リ・ヨンヂャ女史のピナリはすべて朝鮮語であった。
 マダンは寂然として、咳(しわぶき)ひとつなかった。私の背をコツコツ小突いて促す者がいる。私は夢から醒めた心地で、事務局長・桐山二郎に戻った。
 焚香の時間である。私は慌てて、マイクにむかった。
 参会者の列は二列に延々と続き、朝鮮人参会者は茣蓙に立ち、両手両腕の所作とともに跪(ひざまず)き、朝鮮式の礼拝をした。日本人参会者は焼香した。
焚香が終わると、間も置かず、四物(サムル)ノリの奏者がマダン中央に登場した。白衣に身を包んで地に座した四人は、祭壇にむかって右からチン(大鉦)の李英雄先生、チャンゴ(杖鼓)の韓成徳青年、ケンガリ(小鉦)の姜光秀社長、プク(鼓)の安錫泰支配人。
 四物ノリの演奏は、チンの先導によって、ゆったりと荘重に始まった。ケンガリが冴えた音を光の中に放ち、チャンゴが澄んだ響きを空にひびかせる。プクは無垢な響きを地に這わせ、チンが野趣な合(あい)の手をのんびりと入れる。飯盛山の樹々の間に間にも、七本木池の水面にも、悠久の時間がたゆたっているようだ。
 悠々とした江(かわ)の流れが延々と続くかと思った刹那、楽調は徐々に速まり、一転した。ケンガリの冴えた音は、間断することなく、光を裂き、チャンゴの響きは風を巻く。プクが地塵を払い、チンは荘重に空をつらぬく。音と、風と、光の中で、四物(サムル)は一体となった。
 私は、身も心も解かれる心地で、白昼夢の中に遊んだ。不思議な世界であった。音と風と光の中で、死者の霊たちはひとの姿をして、酒を酌み交わし、農(ノン)夫(プ)歌(ガ)を歌い、肩踊りに興じていた。そこは村のマダンか。
 どれほどの時が経ったろうか。眼をひらくと、四人の奏者たちの、汗に光り、紅潮した顔が迫ってきた。安支配人と姜社長は恍惚の境だ。韓成徳の顔は、すでに汗と涙でバケツの水をかぶったよう。そして、李先生は・・・・・・
 私は、羽山英雄の顔を見た瞬間、息をのんだ。韓成徳の涙は予想通りとしよう。ところが、어(オッ)떻(トッ)게(ケ) 했(ヘッ)다(タ)고(グ)? どうしたというのだろう。羽山先生の頬を大粒の涙がとめどもなく伝っているではないか。


 鎮魂祭は終わった。
 雁宿公園のマダンから七本木池へ通じる丘の道を、怨念を解き放たれた霊たちが、
 今日はここで一日休み
 明日はあそこで一日休み
 オルサー チョルサー 帰って行こう
 ウリコヒャン(わが故郷)へ帰って行こう
 と、農楽隊の월(ウォル)산(サン)가(ガ)の歌に送られて、参会者の列に送られて、黄泉(よみ)の国へ旅立って行く。
 ちょうどその時刻、新しい生命が誕生していた。朴明姫が病院の産室で男の子を産んでいたのだ。

   付記 作中に引用した歌ピナリは、在日韓国朝鮮民族文化研究会「風物魂振(プンムルホンヂン)」の崔徳任さんが作詞作曲したものの日本語訳です。










 俺たちの旅

津(つ) 田(だ) 悠(ゆう) 司(じ)

 隣の部屋でナンバが、ウォークマン貸してくれ、と大声で言った。
待てよなぁ、これボクのだぞ、と返事をして、テープが再び戻ると尾崎豊の「シェリー」を聴いた。
 ナンバは襖を開けて横たえていた大きな体を捻らせて、ボクに手を伸ばした。チラッと横目でそれを見てボクは眼を閉じた。尾崎の曲はいいなぁ、感動するよ。シェリーやさしく俺を叱ってくれ、そして強く抱き締めておくれ、お前の愛が全てを包むから――。
「音楽なんて、いつでも聴けるだろう、頼むから貸してくれよ。俺は一生の問題を今、抱えているんだぞ。早く貸せ」
 ナンバの催促で仕方なしに、電話台の下に置いてあったプレイボーイを手に取って、ウォークマンを渡した。
 ボクとナンバは二年半前から同居している。会社の寮ではない。民間アパートでだ。ホモではないか、と或る友人から真面目に四十五分間も問い詰められた事もあるが、ホモではなかった。
 昔、テレビドラマで「俺たちの旅」を視て、影響され、いつかは友達と一緒に暮らそうと決心していたのだ。
「ススム、うまく録音できとるよ。バッチリだ。ウフフフフフフフ」
  プレイボーイのグラビア写真の、ピンクと白のストライプでフリルのついたパンティーをはいた女の子に、ナンバの不気味に笑う声が蛇の様に絡み付いて、不快になった。
「ヨッシ、できた。おいススム、テープの内容、ノートに写したから、ウォークマン返したる。その前にこのテープ聴かせてやるよ」
 ナンバは嬉しそうに耳からヘッドホンを外すと、ボクに渡した。グラビア写真の女の子に、ナンバの蛇の様な笑い声が絡み付いているのが、まだ頭の内側にシールみたいに貼付いていたが、ナンバの嬉しそうな顔を見ていると、お湯を掛けたシールの様に不快なものが徐々に剥がされていく感じがした。

――ここだけの話だよ。
――なんです?
――君、集会に度々行っているんだろう。
――どうして?
――いや、ちょっとそんな噂を耳にしてね。
――誰がそんな事を?
――噂だよ、ウ・ワ・サ。
――ボクが採用試験に落ちたのは、そういう事なんですか。
――ここだけの話だよ。ところで君、どこのセクトなの。実は僕なんかも昔はね、学生運動なんてやっててね、『マル経』出身なんだけどね、いやいや、つい昔を思い出しちゃったね。若かったんだよね、でも楽しかったねぇ。君はどこのセクトなの。
――集会なんて行ってないですよ。クビなんですか。
――集会行ってるんだろう。集会なんて行く性格の持ち主をうちの会社にはおけないんだねぇ。
――レッドパージですか。
――採用試験に性格テストもあったでしょう。君、それ不合格なんだよねぇ。コンピュータがちゃんとはじいているんだよね。君がいると会社潰れちゃうのよ。潰れちゃったら六百人の従業員はどうなるの。大変だなぁ。私には、六百人の従業員を守る義務があるんだよね。一人より六百人なんだな。正社員になれなくて残念だったね。でも試用期間は本当に助かったよ。ご苦労だったね。
――本当に採用してもらえないんですか。
――ダメだねぇ。

 どうして最初に試用期間中にテストがあると言わなかったですか、それに・・・・・・ナンバが喋っている途中で、ボクはレコダーのストップボタンを押した。なかなかうまく録音できてる、上出来、上出来。

 ナンバが会社から試験をやらされてクビだと言われたのは二週間程前だった。その当日は、半分涙顔で、政治活動も辞めて、今度こそ真面目に会社勤めをやろうと一生懸命に頑張ってたのによぉ、クビだって、ああ畜生、と帰宅早々、ボクに言った。ボクは前日の試験で悪い予感がしたが、それが見事に的中した。ナンバは、絶対に撤回させてやる、と言ってその方法を思案した。兎に角、試験やるって四カ月前の面接で言ってないんだから不当だよ、とボクが意見すると、ナンバは証拠だよ、そうだ、人事と面談して盗聴してやる、ああ、でも駄目だ、金が・・・・・・。
 ナンバは貧乏だった。盗聴を思い付いた後、ボクを不気味な顔で見て、ウォークマンを買ってくれ、とせがんだ。それを拒否すると、「俺が貧乏なのは俺の所為じゃぁない。確かに職を転々としたけど、それは世の中が悪人ばかりで俺に会社を変えさせようとする意志を持たせるからだ。俺の所為じゃぁないんだよ。だからウォークマン買ってくれ」
 結局、ナンバのへんな理屈で、ボクは買わされてしまった。
 再びボクは「シェリー」を聴く為にウォークマンの開閉部を開けると、ガラスの部分が、窓から入ってくる光でキラキラと輝いた。まるで盗聴が成功した今のナンバのようだ。



 駅の改札口を出て階段を降り雑踏の中に入っていくと、何処からかボクの名前を呼ぶ声がして振り向いた。
 ススム君だろ、と二メートル程離れた所から、再び名前を呼びながら人の間を縫うようにして、ボクの前に立ち止まった。何処かで見たような顔だが、思い出せない。男はニキビの多い油顔で、夏だというのに長袖を着てネクタイまでしている。何処かのセールスマンだろう。
「いやぁ、浅野だよ。ほら高校時代野球部だった浅野だよ。覚えてるだろ。君は体操部のススム君だろ」
 ボクは高校時代、体操部で有名だった。帰宅部同然のクラブを県大会出場まで盛り上げたホープだったからだ。練習も毎日、血の出る様な日が続き、級友の小野田という左翼まがいな奴から、お前は右翼だ、部活に励む奴など学校の手先、文部省の手先、国家の手先だ、と言われた事もある。
「思い出した。すまん、すまん。こんなところで何しとるの、確か家は瀬戸だろう」
「ケ・イ・サ・ツ。車上荒らしを張ってる」
 浅野は、バス停に立つ四十歳ぐらいの男を一度見ると、ゆっくり、しかもはっきりとそう言った。
 ボクは警察が大嫌いだ。三年前に深夜パトロール中の警察官が、バイクでツーリング途中、すかいらぁく駐車場で仮眠していたボクを懐中電灯で照らして起こし、職務質問した。疲れて寝ていたのにだ。
 ムッとしたボクはそれに応じなかった為、口論に成ってヤクザみたいなデブの警官の方を蹴とばした。ヤクザみたいなデブは、パトカーに乗り込み、もの凄い勢いでボクの方に走り出し、ボクの前で急ブレーキを掛けて、まるで暴走族のいやがらせみたいな事を何度も繰り返した。ついにボクは憤慨して、パトカーのボディーを蹴ってやった。ヤクザみたいなデブは、キングコングみたいに怒り狂って手錠をボクに掛けようとした。
 ツーリングで一緒だった、九州出身の鉄の様な筋肉を持った友人のトクヤンが、デブの腕を掴んで低い調子で強く、
「何ですか、これは」
 と言って、デブは正気にもどり助かった。その時からお巡りさんは、ボクに嫌われたのだ。
 浅野は友人だった。部は違うが、練習熱心な点では同じで、学校の廊下で会った時や、便所で小便の最中に横に立った時などは、クラブの話をよくした。その友人がクズの警察官に成ってしまっていたのだ。バッカ野郎と言いたかった。
 浅野はボクの顔を見てニコニコしている。
「警察かぁ、そりゃぁ立派に成ったもんだ」
 浅野は再びバス停に立っていた男を見た。
 仲間だろうか。
 男はボクに軽く頭を下げると浅野の横まで歩いて来た。
「高校時代の友人かね。もう七時だから張り込みも終わるか。いいよ、そこの居酒屋で酒でも飲んでこいや。私も少ししたらそっちに行くよ。今日は私がおごるよ」
 ボクと浅野は居酒屋にはいるとカウンターの角の席に座った。
 一年半前にボクは政治活動を辞めていたが、少し警戒はしていた。ナンバも、四カ月前に辞めたばかりだったからだ。黙秘、黙秘と十回心の中で呟いた。
 浅野は色々注文した。さっきの四十ぐらいの男が十分後に店に入ってきた。
 ボクは無口にただ酒を飲んだ。しかしただの酒はうまかった。四十男は、山本と名乗った。ボクと同じ出身校だと言い、青山先生はまだいるかねとも言った。ボクは酒だけを飲んだ。
 浅野と山本はテレビに目をやると、画面に映っている歌手をみながら、あの子は昔不良だったとか、お尻に犬にかまれた跡があるとか、自動車運転試験所で筆記試験を三回も落ちたバカだとか、つまらない事ばかり言った。一時間半程、二人の話は続き、ネタがつきると浅野が、プロ野球のチケットがあるから送ってあげるよ、だから住所教えてよ、と言って、酒に酔っていたボクは無言のまま、住所だけを書いた。
 アパートに帰るとナンバに山本と浅野の事を喋った。するとナンバはこう言った。
「公安だよ。そりゃぁ公安だぜ。そういえば会社の人事も言ってたよ。俺が集会行ってるって噂を聴いたってさぁ。山本がたれ込んだんじゃぁねぇのか。よくあるんだよこういう事ってさぁ。極左潰しだよ。経済的な土壌をなくしてく事がね。権力の常套手段だ。山本って奴、俺がセクトから脱けたの知らないんじゃないか」
 山本はその日を境に週に二回以上やって来た。ボクと会う事によってナンバを間接的に刺激しているのだろう。なんて陰険な奴だろ。ヨーロッパの拷問器具のような奴だ。
 ナンバは、セクトから脱けたんだから好きなようにさせとけよ、と言って楽観的だ。会社の件は試験の不当性をみとめさせる事に焦点をあてているからいいのだそうだ。
 山本は、週二回ではなく毎日やってきた。暑いとボクが言えば扇風機を持って、映画が見たいと言えば、チケットを持って、ビデオテープと言えば、なぜかトルストイ原作、オードリ・ヘップバーン主演の「戦争と平和」を持って、女の話をすれば、「セーラ服に注射器」というナマのノーカットエロビデオまで持ってきた。喉から手が出る程欲しかったが、差し詰めそれだけは断った。
 ナンバはボクに、俺の所にもこないかなぁ、と言った。
 山本はボクにとって楽しい訪問者だったのだ。
 しかし三週間も過ぎると、元々警察嫌いも手伝って、山本と会うのがイヤになった。それでも山本は来たから、公安だろう、と見切りを付ける為に言ってやった。山本は少し驚いたが、すぐに真面目になってこう言った。
「君達は若い。若いから正義心が強いのはよく解る。だが、世の中にはルールがある。ルールの中で生きるのが正しい人間なのだ。過激派はルールを守らん。君達は人間のクズだ。ルールを守らぬ人間は、不良品なのだ」
 ボクはうんざりして、次の日から電車通勤から車通勤に変えて山本がボクに会えないようにした。



 熱い土曜日の朝は、ボクの身体をねっとりとした汗で包んだ。目を開けて天井をしばらく見た。外から蝉の鳴く声と小学生の声が聞こえてくる。ミーンミンミンミー。
「歩道から出るなよ。おいお前、出るなって言ってるだろう」
 六年生のガキだろう、偉そうに。ボクの前でもう一度、そう言ったら殴ってやるぞ、と心の中で呟くと昨夜の電話の事を急に思い出した。浅野からの電話だ。山本と最近ボクが会っていないから、高校時代の友人の浅野をパイプ役で使ったのだろう。誰が山本となんか会うものか。山本は公安とボクにバレでもまだボクを騙そうとしている。本名が伊藤稔だって事も、電話番号だって調べたんだ。それを知らずにまだ山本で通そうとしている。
 小学生の声がいつの間にか聞こえなくなった。部屋の中は、ナンバの寝息と扇風機のモーターの音が、外の蝉の声でグルグルと回り出した。まるで洗濯機の中にいるようだ。
 目覚まし時計が、突如鳴る。セットした時刻か。隣の部屋からナンバの大きな欠伸をする声がした。
 起き上がって、ボクは洗面所の鏡を見た。ボクの顔ではないような気がする。顔全体が2㎝程浮腫んでいるのだ。ブサイクになった自分の顔を見ていると、昨夜の電話の事をまた思い出した。
 ススム君?
「どなたですか?」
 浅野だよ。野球部の浅野。
「ああ、警察の浅野か。なんだよ」
 こないだの酒はおいしかったよ。どう、また飲まない。
「ボクは忙しいんだよ。悪いけど・・・・・・」
 いいじゃないか。そうそう山本さんがさぁ、一緒にプロレスを観に行こうって言ってた。
「ボクは今、忙しいんだよ、本当に」
 そう、じゃぁまた電話するよ。
 ボクはその後に山本は伊藤稔って名前だろう、と言おうとしたが言えなかった。
 なぜか解らぬが言えず、電話を切ると急に胸がムカムカし、電話機の中に浅野がいる様な気がして、床に叩き付けた。電話機はにぶい音をたてて罅がはいった。
 鏡の中にいる自分は、昨夜壊した電話機のような顔をしている。
 なぜ、「伊藤稔」と調べてあるって言ってやらなかったんだろ。山本はボクたちの事を平凡社百科事典ぐらいに調べ上げているのに。 
 顔に泡をたてて、髭ソリでシェービングしてスッキリさせると、なぜ言わなかったのか解った。
 浅野は友達だったからだ。「伊藤稔」と言えば、たちどころに浅野は自分の嘘がバレて、良心の呵責を感じるだろう。己を嘖む姿を想像しただけでも、ボクまで気分が悪くなる。人が苦しんでいるのを見て楽しがるのは、西洋の拷問器具の様な山本ぐらいだろう。
 ナンバが起きて来た。ナンバは起きると、まず便所に入る。鏡に映ったナンバをみているとおかしくて、口から笑いが洩れた。あいつと二年半も暮らしているが、いつも一日の始まりは便所だ。ずっと変わらない。三分二十秒から四十秒の間に用を足すのだ。
 ボクはハミガキを口に入れて、浅野の事をまた考えた。友達なのになぜ浅野の事なんかで胸をムカムカさせなくてはならないんだろう。友達は普通、ボクを笑わせたり元気づけたりするはずだ。口の中のねっとりとしたものをハミガキがとってくれる様に。
 ナンバは便所にはいってボクを笑わせてくれる。いつもと同じナンバがそこにいるからだ。笑わせてくれるというより安心感をボクに与えてくれるのかもしれない。
 浅野は――。そうだ浅野は、もう昔と違う。野球部の浅野じゃないんだ。夜の七時半まで一人で残って練習を続けてた浅野じゃない。あいつは三年前にボクが大嫌いになった、ヤクザみたいなデブの警察と同じだ。ボクを騙し続けようとする不倶戴天の畜生だ。
 口の中にたまったハミガキ粉を洗面器に吐き出すと、鏡にナンバがにっこりと微笑みかけてくるのが映った。
「おはよう。うかない顔しているね」
「浅野の事、思い出しちゃって」
「あんな奴、気にするなよ。俺はあいつの事、空気みたいだと思ってる」
「空気?」
「普段気にも止めない、関係ない奴って事」
 ナンバは冷蔵庫を開けると玉子を二個取り出して、朝飯作ってやるよ、と言った。たまには喫茶店でモーニングにしようよ、ボクがおごるからさぁ、と言うとサンキューと言って頷いた。
 喫茶店に入ると口唇のむくれたウェイトレスが不機嫌な顔で、何になさいますか、と訊く。
 モーニングね、と顔を合わさないようにナンバが雑誌に目をやりながら注文すると、ウェイトレスはさっと後に振り返ってカウンターの方へ歩いて行った。ナンバは、腰の線がクッキリと浮き出たライトブルーのスカートに目をやりながら、
「後ろから見れば美人なんだがなぁ」
 と言った。ウェイトレスはナンバの声が届いたのか、一瞬こちらを見て何か呟いてさっさと歩いて行った。ボクもあの不機嫌な顔を見て深くナンバに頷いて首を下げた。
 世の中には、真正面にいきていくと不幸な人が大勢でる。真実は必ずしも美しいとは限らないのだ。チャールズ・ダーウィンがビーグル号でアフリカの南端へ行き、真裸のフエゴ人に赤い布を渡したら、フエゴ人は首にまきつけて装飾したそうだ。装飾は自分を美しくし、他人も楽しくさせる。
 ダーウィンは赤い布を渡すのに何日もかかった。それは真裸のフエゴ人が怖かったからだ。フエゴ人は赤い布を渡されるまでダーウィンに恐れられていた不幸な人間だったのだ。
 幸福な人間とは、相手が自分を見て笑ってくれる事だ。つまり自分がキラキラと輝いていなければならない。
 ウェイトレスは、むくれた口唇を歪ませて、カウンターの傍からこちらを睨んだ。
 ボクは、そんな不愉快な顔ばかりしていると一生お前は不幸だぞ、とコーヒーを啜りながら心の中で呟いた。

 窓ガラスに赤い回転灯が反射したのに気づくと大きなサイレンを唸らせた。 
 喫茶店は交差点の一角に立っていたから、ボクは多分、信号無視かなんかでパトカーに追跡されたのだろう、と考えた。
「俺、会社辞めようと思うんだ」
 辞めるって、じゃ今やってる解雇撤回の件どうするんだ。
「それがね、弁護士の方に相談すると、撤回は中々と難しいらしいよ。法廷の方に突入しちゃう恐れがあるんだって。十年単位らしいよ。仮に勝っても、気狂いになってしまう例が多いんだよ。並みの精神消耗じゃぁないもんね。抗議文は何回か会社に出したり、ビラを労働者にバラまいてやるって、圧力かけてんだけどね。弁護士が言うには、勧奨退職の方がね、手っ取り早く決まっていいんじゃないかなって言うんだよ」
 じゃぁ、退職金っていうか、そんなもの貰えるの。
「一応、要求額は言ってあるんだけど、会社側は中々とそれに応じないんだ。あともう一押しなんだけどなぁ」
 いくら要求したの?
「退職金合わせて三・百・万」
三百万! ボクは思わず大きな声が出てしまった。辺りの客がこちらを一斉に向く。カウンターの不愉快な顔のウェイトレスも皿を片付けながらボクを見た。
三百万って言ったって会社は何て言ってんの。
「四十万円だって。だって俺四カ月しか働いてないもんな」
 でも四十万貰ったってお前の人生メチャメチャだよ。自立して商売も出来ないよ。
「そうだよなぁ。あぁどうしよう、解らないよ、いっそのこと旅に出ようかなぁ」
 旅かぁ、ボクは溜め息をついて煙草に火をつけた。天井に煙りはゆっくり昇って、店内のわずかな気流で右へ左へと揺れ動いている。ナンバの今の心境のようだ。



「何言ってんのよぉ」
 窓の向こうから若い女の声が響いた。ボクはガラス窓ごしに頬をあてて声のした方を見ようとした。どうしたんだろうね。
 ナンバは椅子を後に引いて外のよく見える入口の方に顔を向け、さっきのパトカーがバイクを止めて何かやってるぞ、と言った。
 姉ちゃん免許証見せなよ、可愛い顔した姉ちゃん、そんなに暴れると逮捕するぞ。
 男は太い大きな声で、しかも半分酔った様な口調で怒鳴っている。
 おい、ちょっと見てくるわ。ボクは席を立ち入口の方へ走って店を出ようとした。
「お客さん、料金の方がまだです」
 口のむくれたウェイトレスがボクを呼び止め、踵を返して慌てて五百八十円をレジの横に置いて店を出た。
 警察の一方のハゲ頭が若い女の腕をグッと掴んで、姉ちゃんのお尻可愛いぜぇ、お尻を触らせてくれたら許してやるからさぁ、とニヤニヤ笑いながら言う。 
 パトカーの中に黒いサングラスをかけたマッカーサーの様な顔した中年男がいるが、若い女とハゲ頭の様子を無視して道路の傍にある、水着をつけた女がコカコーラを片手に持って笑っている大きな看板ポスターの方に視線をやっている様だ。
「やめてよぉ、私、信号無視なんてしてないわ。ちゃんと青だったじゃない。何するのよ、この変態」
 姉ちゃんそんなに怒るなよ、いいから触らせろ。ハゲ頭は若い女の尻に手を伸ばして指を立てて掴んだ。
 ボクが警察の前に着くとハゲ頭は、何だお前は、と声を張り上げた。ボクがハゲ頭から若い女を引き離すと、マッカーサーの様な男がパトカーの中から飛び出してきてこん棒をボクに振り上げた。こん棒は空中で一瞬静止すると、ちょうどジェットコースターがコースの最上点から加速度的に落ちる様に、もの凄い勢いでボクの頭上目掛けて落ちて来た。
 こん棒は黒い大きな壁となって、ボクの前でどんどん拡がり始めた。このまま黒い大きな壁がすっかりボクを包むと、何も抵抗出来なくなって、やがて生暖かい世界がボクの前に現れるだろう。そこは、狂気と猜疑と平和の入り混じった、権力が支配した彼らのユートピアだ。
 大きな壁の隙間から若い女の声が叫ぶ。
「やめてぇぇぇぇ」
 ボクは一瞬、以心伝心なる大きなきらめきが、全身の中を走るのを感じて心の中で叫んだ。(ナンバはボクの親友だ。そしてこの女もボクの親友だ!)
 驚くほどの素早さで壁から身をかわすと、空振りしたマッカーサーの様な男は、地面にこん棒を叩きつけた。
 こん棒は地面にあたると木琴の様な軽やかな音をたてて、男の手から離れて転がった。
 ボクは前のめりになったマッカーサーの様な男の肩を蹴り上げて、もう一人のハゲ頭に飛び蹴りをくらわした。
 ハゲ頭は背中をのけ反らせて、腰を押さえて地面を転げ回る。
 ボクはバイクのハンドルを握ってまたがった。
「君も早く乗って」
 若い女は頷くと後に素早くまたがりエンジンを唸らせた。クラッチレバーを握り、アクセルをひねってエンジンを七千回転し、しっかり捕まってろよ、とボクは若い女に言って、バイクを走らせた。
「こら!! 貴様ら何処へ行く」
 サングラスを掛けたマッカーサーの様な男が、こん棒を拾って追い掛けてくるのがバックミラーに映っている。
「こら待て、何処に行くんだ」
 ボクは後を振り向き、大きな看板ポスターに目をやった。水着の女は、まるでボク達に笑い掛けているようだ。
 小学校の運動会の時の事を急に思い出した。クラス対抗リレーの事だ。ボクは走る事が嫌いだった。それは苦手であったという事もあるが、なによりも競争というものをいつも強いられていたからだ。ボール投げや高跳び競技は、他人と同時に行う事はない。いつも一人で行う競技だ。走る競技は、例えばクラス対抗リレーとか、スポーツテストですら一人ずつ走らずに、二人ないし三人ぐらいで走る。他人はいつもボクに一つの命令を投げ掛けてくる。
 お前は俺より速く走るな、という具合にだ。
 走る競技を嫌っていたボクは、不幸にもリレーの選手に選ばれたのだ。それも一番走者だ。スタートラインに立つと、心臓が破裂しそうなくらいに鼓動が鳴り響き、あまりの緊張に小便を洩らしそうだった。競争者は無言の声をボクに投げつける。お前は俺より速く走るな。ボクはその無言の声に一つの恐怖を覚える。そしてボクが見る全ての有形物は、角張った世界となり、木すらも針の様な鋭い殺意を持ったものに見えてくる。お前は俺より速く走るな、でなければお前を殺す。ボクは逃げたかった。何処にだろう。辺りをキョロキョロ見回した。応援席で、ブルマー姿の似合う女の子はボクに笑って手を振った。ボクも無理に笑顔をつくって手を振った。
 彼女だけは丸い優しい存在だ。その時、ボクはある事に気が付いた。人間が走るのは、競争する為ではない。自分が行くべき道に向う為だ。ボクが行くべき道は、あのブルマー姿の似合う彼女の笑顔だ。

 コカコーラの水着の女は、あの時の彼女の顔にそっくりだ。
 こら待て、バックミラーの中で小さな点になってみえる警察は、声だけをボクに伝えてくる。バイクは一直線に何処かに向かった。固い空気の壁を引き裂き何処かに向かっていく。
 こら待て、何処に行く。コカコーラの水着の女はもう見えない。
 後に乗っている若い女がバックミラーに大きく映った。ボクは彼女に笑ってみた。即座に彼女は笑う。警察の声がまだ余韻となって聞こえる。こら待て何処に行く、ボクは彼女の映ったバックミラーを見ながら、余韻の声に答えた。
「旅だ。俺たちの旅だ」



 これから何処まで行くの? 若い女はボクの腰をしっかり抱きしめながらそう言った。ボクはとても愉快な気持ちでボードレールの詩の一節を詩った。
 恋人よ、並んで泳ぎ、ひたすらに、ただまっしぐらに、僕の夢想の天国へ、逃げて行こうよ!
 若い女はよりいっそう強く抱きしめ、ボクの体の細胞の一つ一つが女の力を全身に伝えていく。女はもうボクの体の一部の様な気がした。


「おい、ススム何処行ってたんだ。お前が全然戻って来ないからさぁ、俺お前の残してったコーヒー飲んじゃったぜ」
 アパートに戻るとナンバは、心配そうにボクの顔を伺った。
「海まで行って来た。あの若い女とね」
 女の名前はイー・ソンミといった。ソンミの体温がまだボクの体の中で動いているのが解る。
 電話が鳴り響いた。受話器を取ろうと手を掛けると、電話機のヒビに気が付き浅野の事を思い出して手を離した。お前出ろよ、ボクはナンバにそう言って、テレビをつけた。
 ナンバは、テレビは消せよ、と言いながら受話器を取った。
 ブラウン管に黒人のヘビー級チャンピオンが映った。アサヒ、ス-パードライ、と黒人のヘビー級チャンピオンが言って、次のコマーシャルに変わる。
「オヤジさんからだよ」
 ナンバは受話器をボクに差し出しながら、体を捻らせてテレビを消した。
 オヤジから電話はよくかかってくる方だが、いつも同じ事ばかり言ってくる。親というものは、そういうものかもしれない。
「もしもし」
 ススムか、元気でやっているか。
「元気でやってるよ」
 会社は真面目に行ってるか。
「行ってるよ」
 政治活動は行ってへんやろうな。
「行ってないよ」
 彼女はできたんか。
「できたよ」
 オヤジは一度咳払いをしてから再び同じ事を訊ねた。
「できた。イー・ソンミって言う名前だよ」
 イー・ソンミ、そりゃあ朝鮮人やないか。政治活動辞めたと思うたら今度は朝鮮人かいな。お前は本当にまともやないなあ。
 電話の向こうのオヤジの顔を想像すると、腹がたってきて、コマーシャルの黒人ヘビー級チャンピオンに殴られればいいと思った。
「そんな話だったら電話もう切るよ」
 ちょっと待たんかい。パパの話をよう聴け。いいか、パパはどんな気持ちでお前をここまで大きくしてきたんか解るか・・・・・・。
 オヤジは大阪で生まれ二十三歳に名古屋に来た。したがって当然関西訛だ。オヤジが関西弁で説得したって漫才にしか聞こえない。ボクはオヤジの怒った事をあまり覚えていない。
 関西弁だから、仮に怒ったとしても冗談にしか聞こえず覚えていないのだろう。今のオヤジは怒っているのだろうか。よく解らない。ただ、アカン、とか、えらい事してくれた、とか、ダメや、を話の語尾に入れてボクをとがめているのだけが解る。
 オヤジのつまらない説教を聞いているうちにソンミの事を思い出そうとした。白糸の滝の様な涼しい長い髪、切れ長でいつも水平線を見ている様な詩的な目、ほんのり赤く、水彩絵の具で描いた様な口唇、複雑な稜線をもつ柔らかい不思議な肌、丸い小さなお尻、体温――。体温はどんな感じだっただろうか。ヒンヤリ冷たかったのか、全身を毛布で包むように暖かかったのか、いったいどんな感じだったのかが急に思い出せなくなって、さっきまで体中をグルグル動き回っていた、あの感覚がなくなってイライラした。一生懸命思い出そうとしたが、やはり思い出せなくて、もしかしたらソンミなんて本当は何処にも居ない様な気がしてきて、悲しくなってきた。オヤジの声まで遠くから聞こえてくる様で寂寞とした原っぱに一人で立っているかの様だ。
 ボクは、寂寥の思いから抜けたくて早く電話を切りたくなり、その口実を考えた。
「もう小便がしたいから悪いけど切るよ」
 話の最中になんや、ススムは。
「さっきから我慢してたんだ。それじゃぁね」
 電話を切ってから、今日ソンミから教えてもらった電話番号を思い出して、プッシュボタンを続けざまに押した。
 最後が6だったのか4だったのかを忘れてしまって、いったん受話器を置いた。
 何を焦っているのだろうボクは。
 ひと呼吸おいて再び最後が6の方を押した。発信音が二回鳴るとソンミが出てホッとした。番号が合っていたからではない。ボクのうちに失いかけていたソンミがちゃんと居たからだ。声を聞くと急に体の中にソンミの体温が甦った様な感じがした。ボクは一人ぼっちじゃないんだな。
 ナンバは会社への新たな抗議文を隣の部屋で、団扇を扇ぎながら額を汗で濡らして書いている。時折、ペンを置いて溜め息を洩らして、しばらくしてからまた書く。
「今日は本当に大変だったねえ」
「ううん、楽しかったわよ。私、外人登録証持ってなかったから、免許証見せれなかったし――。それに私、信号無視なんてしてないのよ。でも楽しかったわ。また会いたいな」
 ソンミは助かったとは言わずに楽しかったと言った。そうだ、小学校の運動会の時もそうだった。手を振ってくれた女の子も運動会が終わった後片付けの時にボクの所に来て、楽しかったわ、と照れて言った。どうして、と訊くと、ボクが手を振り返してくれたから応援に夢中になれた、と言った。彼女が後で言っていた事だが、彼女の母親は恐ろしいくらい教育熱心で、行きたくもない塾やピアノ教室や水泳教室に通わせているのだそうだ。その為に学校に友達の居ないかわいそうな女の子なのだ。彼女にとってボクは笑顔を返してくれた唯一の存在だったらしい。そういう存在が、一生懸命に走る姿はキラキラと輝いていたに違いない。ボクに出来る事は彼女の前で夢中に走る事なのだ。
「ボクも会いたいな」
 ボクはそれから十五分程、色々な冗談をとばして彼女を笑わした。彼女が即座にボクに反応する。電話機は、彼女の声でいっぱいに詰まっていて小刻みに震えているかの様に感じられた。
 受話器を置いて隣の部屋のナンバを見た。ナンバは苦しんでいる。自分の道を探す為に。


 三週間後、会社から帰宅したボクはビックリした。毎日食卓の上に載っている惨めなラーメンのドンブリの代わりに、ケーキやビールやケンタッキーフライドチキンが並べてある。
「おいおい、今日はなんだよ。お前の誕生日だったんか」
「会社に勝った」
「え?」
「会社に勝ったんだ。会社が不当解雇を認めたんだ。弁護士がさぁ、俺の事ほめてくれた。抗議文がかなり効いたんだって。会社の人事さぁ、俺の前で顔色一つ変えなかったクセに、本当は凄くビビっていたんだって。極左やっててよかったなぁ。俺なんて高校の時、赤点ばっかり採っていた出来損ないなのにな。極左に、ビラに、抗議文こんだけ揃ってたら、そりゃ会社もビビるよなぁ。バカだねぇ。要求額そのまんまくれたもんね。今日はお前に言いたくって。わかるだろう。喜びは皆のものだもんね」
「でも、昨日までのお前半分死人だったよ。いっつも溜め息ばっかしついてさぁ」
「山あり谷ありっていうだろう」
「ケーキうまそうだなぁ。ボクもこんなの食べるの久々だよ」
 ボクは一度でいいから、ケーキを手で掴んで食べたかった。食べるというより、むさぼるという方がいいかもしれない。
 ナンバもボクも大食家だ。大食家が二人揃ってそこに大きなケーキがあれば、後は欲求に任せろだ。ボク達は、食べた食べた。全部食べた。
 ステレオかけた。大音量で、ブルーハーツのトレイントレインを、昔流行ったビューティフルサンデーを、すべてがボク達の為の曲の様にアパート全体を震わせる。近所の赤ん坊が泣く。もっと泣け、もっと泣け。元気に泣いてみろ。
 ステレオから夜の十二時を知らせる時報が鳴って、ようやくボクらは我に返った。
 ベランダに腰掛けて、遠くの家の灯りを見つめた。道路を滑って行く様に車が走っている。
「公安の山本や浅野は今頃何してんだろうなぁ」
 ナンバは煙草を吸いながら、エロ本でもみてセンズリ込いているんだろう、と言った。ボクもそんな気がした。
 ボク達のアパートは高台に建っていたから、街の家々が見渡せる。点々と光る家の灯りや車のヘッドライトは、まるで電子回路のプリント盤の上を電気が走っているかの様だ。人間はこうしたプリント盤の上で生きている。夫婦ゲンカや車の事故や酔っぱらいや色々な事や、ものがそれぞれにあるのだろうが、この整理されたプリント盤の上ではビクともしない。電子回路はいつも規則正しく作動している無機質な生暖かい世界だ。
 山本も浅野もその中で倖せそうにセンズリを込いているのだ。
「俺、大学行くよ。労働者なんてもうイヤだ」
 ナンバは遠くを眺めながら独り言の様に呟いた。
「大学?」
「勉強してさぁ、自分に力をつけるんだ。一人でも生きて行ける様にな」
 何か一人で、ある事を決心しているかの様にジッと体を固くして動かない。ナンバの道はきっと開けたのだろう。
 なぁ、お前この間、旅にでも行きたいって言ってたよなぁ、大学行くって試験いつなんだ? 十一月なんだよ。じゃぁ試験終わったら、ボク、会社三週間ほど休むから旅行に行こうよ。
 何処にだよ?
 飛行機が黒い夜空を音だけ響かせ飛んでいる。R・シュトラウスの『ツァラトゥストラかく語りき』の冒頭の様に。

 ソンミとキスをしたのは、九月の土曜の夜だった。その日、ボクはソンミに、旅行に行こう、と言った。彼女はネパールに行きたいと言った。ポカラという日本の軽井沢の様な所があって、そこからトレッキングでダンプスという低い山に登ってアンナプルナを見たいと言った。昔、北海道のニセコ・アンヌプリにある山小屋で働いていて、よく似た名前の山がネパールにあるというのを山小屋の労働者仲間から聞いたのだそうだ。

 今ボク達は東名高速道路を成田に向かって走っている。ナンバは、成田から行くのは気が引ける、と言ったが、ボクは三里塚闘争より意味があるのだ、と強く言って、勝手に自分達を正当化した。本当はソンミと一緒に行ける事に、一番意味があったのだ。
 ソンミは昨日まで会社で残業を晩くまでやった。ネパールへ行く為だ。その為に微熱を出して毛布にくるまって後の座席で寝ている。
 日の出間際の薄暗い東名高速を、ソンミのかすかな寝息の音を吸い込んでいく様に車は走る。
 東京に着いて首都高速にはいるとソンミが起きた。
「あら、ここは? ごめんね、私、眠っちゃった」
「もうちょっとだよ」
 ナンバは後ろを振り向いて、ソンミにお茶のはいったコップを渡した。車の中にお茶の香りが漂ってくる。
 ボクは父親や、公安の山本や、浅野や、ナンバが働いていた会社の人事の事を彷彿と思い出していた。アイツらは、このお茶の香りの優しさをきっと知らないだろう。金属の様な人間には一生、このお茶の香りを楽しむ事は出来ない。
「ああ、おいしいお茶。ナンバさん有り難う。もうじきネパールに行けるわね」
 成田に着くと機動隊がデパートのマネキンの様にいっぱい立っていた。ソンミは、何よこれ、と少々驚き、車窓に顔を近づけて言った。お茶の香りを知らない奴らさ、とボクは答えた。
 ナンバが外を指さして、あそこに車を止めよう、と言うとボクはそれに従った。車を降りると冷たい風が頬を刺す。
 ソンミは空き地に立つ砦を指さして、何あれ、と言う。ナンバが、第四インターの砦だ、と言う。ボクは近くにあった自動販売機からアイスクリームを三つ買って来た。
 空港に大きな飛行機がいくつか並んでいる。まるで海に居るイルカの様だ。白くピカピカと輝いたイルカ。
「ねぇソンミ、きっとあれだよ、ボク達を乗せる飛行機」
「まぁ、本当だわ。ねぇ大きいわねぇ」
 ボク達三人はイルカの様な飛行機を眺めながらアイスクリームを舐めた。











     レクイエム 美空ひばり

          朴(パク) 燦(チャ) 鎬(ノ)

     1
 一九八九年六月二十四日は、朝から雨でした。時期的にちょうど梅雨の盛りなので、雨が降っても不思議ではないのですが、四、五月に「はしり梅雨」が降り続いたせいでしょうか、今年は梅雨入りが遅れていたようです。
 この日は土曜日。思わず〈あの時も、雨の土曜日だったんだなあ〉と、おかしな感慨にとらわれました。あの時とは、三十九年前のこの日のことで、祖国の中部では雨が降りしきり、翌朝未明に六・二五朝鮮動乱が勃発したのでした。
 眠い目をこすりながら『朝日新聞』にざっと目を通し、次に『毎日新聞』を手に取ってびっくりしました。一面トップに、美空ひばりの死が報じられているではないか。その数カ月前に見た新聞写真で、そんなに長くはないだろうと感じていましたが・・・・・・。
 それからしばらくの間はロクなニュースがなかったらしく、マスコミは、まさに「ひばり狂想曲」という言葉がぴったりとする程、ひばり一色でした。
 ひばりの死から三週間後、妻の実家で『中日新聞』の「指紋押なつで傷ついた心」と題する社説を読み、思わず絶句してしまいました。同紙の社説はリードがあることで異色なのですが、このひばりの本文は、次のような奇抜な出だしで始まっていたのです。

 都はるみさんの血を吐くような告白をテレビで聞いた。美空ひばりさんが亡くなった日の追悼番組の中でだ。
「私は父が韓国人です」と語り出し、ヒット曲「北の宿から」が日本レコード大賞に輝いた時「韓国人の血をひく者に日本と名のつく賞をやるべきではない」と言った人がいた。傷ついた心を慰めてくれたのがひばりさんだった、という思い出話だった。悔し涙をぬぐおうともせず、一語一語をかみしめるように語る迫力に、司会者も周りも言葉のない数分間だった。

 この社説は、このあと「立場は少し違うが、指紋押なつ拒否事件が問うているものは、この悔し涙が裁判官の心にどう映るかだった」と続くのですが、その当否はともあれ、意表を衝く出だしではありました。
 ある女性週刊誌の広告に、はるみがひばりを「人生の師」と慕っていたという見出しがありましたが、恐らくこのことでしょう。このエピソードは、私にとっていささか意外なことでした。何年前のことだったでしょうか、ひばりがNHK紅白歌合戦の司会を担当した折、はるみの出番にだけ「次はこの方です」と、名前も曲名も紹介しなかったので、はるみが大変傷ついたという記事を読んだことがあるからです。
 残念ながら私は、ここ三十年近く、紅白をまともに見たことがないので、問題の場面は目撃していませんが、当時、スポーツ紙などがはるみの無念を書き立てました。その記事を目にした時、反射的に私は、はるみが朝鮮人であるが故のイジメだと勘ぐったものでした。韓国人であることを明らかにした日の出の勢いの後輩歌手に対し、出自を明らかに出来ない先輩歌手が、故意にイヤガラセをしたのではないかと。はるみの「涙の告白」を知った今、その私見は訂正しなければならないでしょう。
 ただ、ひばりの四十九日が過ぎてはるみにインタビューしたという、『サンデー毎日』(89年8月20日号)の「ひばりさんだけが歌手じゃあない」という記事で、はるみがひばりの「慰め」について次のように語っているのが印象的でした。

  私と同じ問題を抱えていたのかどうかわからなかったけど、ひばりさんも人間関係や家族のことで悩んでいるんだなあと。だから、ほかの誰から励まされるより、ひばりさんに言われたことで勇気がわいてきた。・・・・・・(傍点は筆者)

     2
  丘のホテルの赤い灯も・・・・・・

 ひどい反りのため、大きく波打って回転するSPレコードから、こましゃくれた少女の歌声が聞こえてくる。七月半ば過ぎ、大須観音の境内で開かれた蚤の市で手に入れた、ひばりの初ヒット曲『悲しき口笛』です。二葉あき子の『恋のアマリリス』、照菊の『五木の子守唄』と、三枚合わせて二千円で買いました。ひばりのレコードを買ったのはこれが初めてですが、これも供養のつもりだと言えば、ファンは怒るでしょうか。
『恋のアマリリス』は『青い山脈』のB面。映画『青い山脈』(初版)の背景に繰り返し流れていたテーマソングで、感情を抑えた唱法が快い。『五木の子守唄』は一九五〇年代半ば頃から全国に普及した民謡です。その隠れた功労者はキングの照菊だと思っていましたが、編曲が余りに流行歌的で、むしろB面の『稗搗節』の方に好感が持てました。
 さて、ひばりの『悲しき口笛』ですが、なんとも形容のし難い唱法です。確かにうまいとは言えるのですが、大人ぶろうと背伸びしているような気がしてなりません。一家(母親?)の期待を一身に背負ったような健気さとでもいうのでしょうか、年齢に似合わない不気味さを感じるのも、やはり先入観のせいか・・・・・・。リバイバルソング『恋の曼珠沙華』の〈しゃあげー〉の部分で見せた、あの種のイヤラシイうたいまわしがないのが救いです。
 蚤の市に出掛けた日、その前にMデパートで開かれていた中古レコード市で、鄭京和のLP数枚と、マリア・カラスのオペラとアリア集、マリオ・デル・モナコのイタリア民謡集、マリアン・アンダーソンの黒人霊歌集を買い求めました。アンダーソンについては、三十年程前に来日した折の新聞記事を読んだだけの知識しかありませんでしたが、その数日前に無性にレコードが欲しくなり、夢にまで見た矢先のことでした。
 こうした世界でも超一流の演奏者のレコードに耳を傾けると、何かしら心が洗われるように感じます。クラシック音楽には全く疎いのですが、鄭京和のバイオリン演奏には、文字通り鬼気迫るものを感じてゾクゾクしましたし、「黄金のトランペット」といわれたモナコのテノールからは、輝く太陽と青く澄みきったイタリアの海と空を想像し、アンダーソンの深みのある唱法には人間愛を感じました。そしてカラスのアルバムにある「カラス語録」を読んで、彼女が如何に細部に亙るまで研究を深めていたかを知らされ、世紀のプリマ・ドンナも、天才によってのみ生み出されたのではないことを認識させられました。
 勿論、彼ら世界的アーチストとひばりを比較しようというのではありません。ひばり死後のマスコミの、異常とも言える「ひばり讃歌」にいささかヘキエキしていた身には、それこそ一服の清涼剤と感じられたわけです。
 ひばりが、焼跡世代の記憶に強く残るヒット曲を多く出し、高度成長時代に至る節目節目に数々のヒット曲を残したということは事実です。そして晩年、長い闘病の後に「不死鳥」のようにカムバックしたことは、特記すべきことでしょう。彼女の功績は、そういったことだけでも十分に評価できると思います。
 死者に鞭打つことはないでしょうが、神格化するのも、逆にひいきの引き倒しです。彼女の人格を讃える記事を読んでも、それは人間として普通のことをしているものばかりです。むしろ、それらをオーバーに記述することにより、女王然として傲岸に振舞った所作などに寛容になってしまうのは、いささかどんなものだろうかと考えてしまいます。
 歌唱にしても然りです。彼女の優れた才能として挙げられている、楽譜は読めなくても天才的音感でたちどころにマスターし、作者の意図した以上の表現をするという点など、まさに驚異です。でも、二オクターブ以上出るという音域など、一流プロ歌手としては当然の資質であって、それを大袈裟に讃えること自体が情けないことです。提灯持ちで有名な司会者の「(昔と)同じキーでうたってますよ」という発言に至っては、如何に病み上がりとはいえ、五十二歳という若さで世を去った歌手に対して、却って失礼というものです。今では七十代、八十代の歌手も結構いますし、東海林太郎は何度もガン手術で死線を超えながら、七十代になってもキーは下げませんでした。
 音楽評論家の中村とうようは、ひばりについて「この人の持って生まれた天性は、稀有のものだ。外国の大歌手たちの少女時代の録音もずいぶん聴いたが、レコードになっている限りでは、十代でひばりさんをしのぐ歌唱力を示した人は皆無だと思う」と手放しで評価しつつ、物質的な豊かさを達成するなかで規格からはみ出した生き方を白眼視する風潮が強まり、歌謡の歩みもそれと軌を一にして、特にひばりにその風圧が大きく作用した結果、家族の結束による自己防衛の姿勢を固めさせることになり、十代の頃の柔軟で多様で開放的だった彼女が演歌調の様式に閉じこもり、日本的な狭い幅の中で表現力を追い求めるほかなくなって、言葉の壁を超えて世界に聴衆をもつ真の大歌手になるはずの人だったと信じていたが、そうならなかった、としています。(89年6月24日付『朝日』夕刊)
 非常に学問的な分析ですが、地下のひばり母娘は、苦笑いしながら、さぞ満足していることでしょう。しかし実際は、芸能界、興業会に君臨するのを無上の喜びとしていたようですし、その気になれば世界への雄飛も、自らの意志で挑戦し得た筈です。ひばりを高く評価し、その素質を惜しむあまりの発言なのでしょうが、現実はもっとシビアだったと思います。病に倒れたり時流に容れられず埋もれた才能は、枚挙にいとまがありません。チャンスを呼び込み、モノにするのも実力のうちとするならば、それも彼女の限界だったのではないでしょうか。片想いの相手に、ないものねだりをしているような印象を受けます。

     3
 こういうようなことを考えていた折、知人からいただいた韓国日報社が発行する『週間女性』(89年7月9日号)の表紙に、「韓国系、日歌謡女王・みそら、五十二歳の一生」という見出しがありました。本文は見開き二頁の記事で、彼女は一九三七年に韓国人の父と日本人の母との間に生まれた、というのです。そして、このことは韓国では三十年前から知られていて、彼女は一九八六年一月十二日、「父の国」韓国のロッテホテルで、趙容弼らトップ歌手との共同リサイタル形式の初公演を持ち、喝采を浴びた、とあります。
 韓国公演の件は知りませんでしたが、「三十年前から知られている」という点については、恐らく韓国紙の特派員が日本で聞いて仕入れていったのでしょう。

 私は美空ひばりの名を最初に聞いたのは、一九五一年春のことでした。小学二年生への進級を機に転校した先の教室で、級友が得意気にうたっていたのです。曲名は覚えていませんが、親しみやすいメロディーだと思いました。彼女が朝鮮人だと親から聞いたのは、それからしばらく後のこと。父親がそうだとのことでした。三十七、八年前のことですから、件の韓国の『週間女性』の記事より、十年近く早くから言い伝えられていたことになります。
 いずれにせよ、彼女の出現以後、芸能人、スポーツマンで父親が余りに疎外されていたり、「戦死」などで死なされていたりするのを見ると、反射的に「朝鮮人なのでは?」と疑ってみる習性がついてしまいました。デビュー直後の都はるみ然りですし、五木ひろしや横綱の玉の海、三重の海などは、地元の同胞が自慢気に語っていたものです。
 韓国の『週間女性』の記事が出てしばらく後、それを見て驚いたという人から問い合わせがあったとして、『週間文春』(89年8月10日号)が「『美空ひばりの父は韓国人』はどこまで本当か」という記事を掲載しました。内容は『週間女性』を引用しながら韓日の歌謡関係者や特派員、商社マンなどを取材し、コメントを求めたものですが、全体的に「韓国人説」が不利な内容となっています。「あんなに歌がうまい歌手が日本人であるわけがない」というのが主たる根拠だというのでは、無理もないでしょう。そんな次元では、ひばりの父親・韓国人説を耳にして、出身地だという栃木県まで出掛けて調査し、農家の四男だとつきとめたという竹中労の証言に、太刀打ち出来る道理がありません。
 ともあれ、父親の本名や(韓国内の)出身地が明示されない限り、「ひばり韓国人説」は説得力を欠くでしょう。
 ただ、『週間文春』で気になることが一つあります。金田正一とおぼしき日本に帰化したある著名な野球評論家が、ひばりとの付き合いについて「ひばりはオレのことを、オッパと呼んでくれるんや」と語ったといわれるという部分です。オッパとは妹から見て兄さんという意味で、これは初耳でした。
 金田については、こんな思い出があります。小学校四年生の頃だったでしょうか、当時のスポーツの花形は野球と大相撲で、それぞれひいきの選手や力士がいたものでした。ある日、金田のファンの歯科医の息子が級友から「金田は朝鮮人だぞ」とからかわれ、「ウソだ、ウソだ」とベソをかいていたのです。私も彼が同胞だとは聞いていましたが、側で黙って見ていました(今思うと、からかった本人も朝鮮人なのでは、という気もします)。
 当時人気絶頂のひばりは、斯界トップの力道山、金田と雑誌などで一緒に取材されることも多く、公私にわたって親しかったようです。奇しくも三人とも、在日同胞の間ではみな朝鮮人といわれていましたし、事実、力道山、金田はともに本名が金氏でした。
 その頃活躍していた同胞歌手に小畑実がありました。一九五〇年代初め、彼は三年連続して人気投票第一位を占めており、ひばりとともに、男女とも朝鮮人歌手が人気トップに立ったと、一世たちは大喜びしていたものでした。
 一九五七年に歌謡界を引退した小畑は、ラスベガスでホテルを営んでいると伝えられました。その彼が何年かぶりで日本に戻ってきた時の発言だったと記憶しています。『毎日新聞』か『中日新聞』かのインタビューを受けて「ひばりちゃんが大歌手になったのが、何よりも嬉しい」といった意味のことを言っていました。小畑とひばりは専属レコード会社を異にしており、小畑がとりたてて彼女の成長を喜ぶ理由はなかったので、よけい印象に残っているのです。かつてテノールの永田絃次郎が、「小畑実君も朝鮮人だよ」と言ったのを聞いた人がいるそうですが、そこにはやはり、同族意識があったのではないかと思っています。
 現在も、芸能界やスポーツ界では多くの在日同胞が活躍していますが、「朝鮮人、韓国人でも、実力さえあれば、ひばりや金田、張本みたいに成功できるんだ」と、彼らを目標にし、励みにして頑張ってきた人も多いし、そう聞かされてきた人も多い筈です。前出の『サンデー毎日』での都はるみの含みのある発言にしても、どこかでそれを耳にしていたことを匂わせているような気がします。

     4
 89年9月19日号『女性自身』は、「生前発掘スクープ・美空ひばりさんに果せぬ夢が」とのサブタイトルで、「ああ、父の故郷、韓国で歌いたかった!」という記事を載せています。ひばり母娘と二十五年の交際があった鈴木正文という人が、ひばりの父が韓国人であることを、生前のひばり自身も認めていたと証言しているというものです。そして「それだけに、ひばりさんはお父さんの故郷・韓国で歌いたいという夢を、ずっと持ちつづけていたんです、それが果せず亡くなった。本当に残念なことでした」と語り、一九八七年八月にソウルの世宗文化会館でコンサートが行われる予定になっていたとしています。これは実現しなかったが、その後ソウル五輪を機に、その前夜祭ともいうべき「第一回国際アジア歌謡祭典」が企画され、ひばりは日本代表としてうたうことになっていたところ、「ひばりさん自身が下見のために、韓国に渡ることが決まった矢先の4月。福岡で緊急入院するという思わぬ事態になって・・・・・・」と、その人は絶句したとのことです。
 この記事が「ひばり韓国人説論争」に終止符を打つ決定打になるかどうかは判りませんが、これに反論する記事は(私の知る限り)まだ目にしていません。それにしても、これが事実だとすると、韓国の『週間女性』が報じた、一九八六年一月十二日の「ロッテホテルでの初公演」とは、一体何だったのでしょう。

 私は別にひばりファンでもないし、歌手としては、むしろキライだったのですが、昔から「ひばりは朝鮮人だ」と聞かされていたので、一種の親近感がありました。
 彼女の生涯に思いをめぐらせる時、歌手として「女王」と呼ばれていたとはいえ、そこにも典型的な在日同胞家庭の歴史を見る思いがします。同時に、これまで多くの在日同胞青少年たちに、日本人の青少年が彼女に懐いたそれより、遙かに大きな夢と希望を与え続けたことについて、言い知れない感慨を禁じ得ません。

 虫の声がもの悲しく聞こえる秋の夜長。グラス片手に『悲しき口笛』をハミングしながら、彼女の冥福を心から祈ってこの原稿を終えます。
〈一九八九年十月二十五日〉

〈追記〉十一月六日、個性派といわれる異色の同胞俳優が世を去った。今は下関に帰り、家業を継いでいる東学舎の仲間の鄭君が、「オモニが彼のオムツを取り替えたんだってさ」と言っていた、その彼・松田優作、三十九歳。惜しんでも余りある才能だった。合掌。









     金徳寿君との再会

          加(か) 端(ばた) 忠(ただ) 和(かず)

金徳寿(仮名)君との再会が意外にも早くやって来た。それは彼のおじいさんの思いもよらぬ急な死であった。
 彼とは是非とも会って見たかった。
 彼と私は錦城中学校の同級生である。おじいさんの死、この事がなければおそらく彼と会う機会はなかったのではなかろうか。彼のおじいさんとは最晩年の五年間という短い付き合いであった。
 知り合った時は三年前におばあさんに先立たれて一人暮らしであったが、高齢にもかかわらず元気そのもので、とても九十歳の老人には見えなかった。とにかく九十五歳の今日まで長生きして下さったからである。
 今までの私では彼と会って話をするということは考えられない事であった。それが彼のおじいさんと知り合う事によって忘れかけていた少年の頃の彼とのかかわりが呼び起こされ、私の心の中にある彼との大きな隔たりが縮まって来たのであった。
 彼は在日韓国人である。机を並べた同級生であるが一緒に遊んだ事もなく、友達という意識もなかった。ただ一年間同じクラスであっただけで、そればかりか、私の中学校生活の一番いやな思い出を作ったのが彼であった。
 だから彼のことを思い出したくもなかった。それに私の朝鮮人ぎらいを決定的にしたのも彼であった。
 私は一九四五年敗戦の年に生まれた戦後育ちであるが、朝鮮人に対する嫌な見方が家庭や周囲の影響から小さいこの私にも先入観としてしみついていた。
 私の通っていた南郷中学校は小規模校で二年生の時、隣の錦城中学校に合併された。一学年二十人余りの学校から何百人というマンモス校にとまどいを感じ、性格的にも溶け込むのに大変だった。どのクラスにも一人や二人の朝鮮人の子がいた。
 私のクラスに金徳寿君がいた。学校生活に慣れない内に私や女子を含めた何人かが金君のいじめに会った。
 この町自体、北陸石川県の人口一万人余りの周囲を農村に囲まれた小さな田舎町であるが、それでも旧十万石の大聖寺藩の城下町の為か、隣の村から来た私は田舎もの扱いされ、ザイゴー(在郷)のもんがザイゴーのもんがと呼ばれ、いろいろな形でいじめられた。
 彼は私を憎んでいるとしか思えなかった。どうしていじめるんだろうと、ともかく近よらないように目を合わさないようにしていた。学校へ行くのがいやで仕方なかった。親にも先生にも話す勇気がなくだまっていた。
 そんな時に錦城中の生徒の中で数人の人が朝鮮へ帰るというニュースが入って来た。新潟から朝鮮への何年か続いた本国帰還が始まったのであった。いま思えば彼は帰らなかったが、カバンの中に朝鮮語のテキストが入っているのを見た事があった。
 朝鮮語って変な字やなあ、○や□の、と文字までを軽蔑の目で見た。初めて見たハングル文字であった。
 いつ帰ってもよい準備なのか、民族を取り戻す為なのか、識学学級に通っていたのだと思う。体育館でお別れ会があり、何人かの人が帰っていった。
 彼は帰らなかった。
 金君はなぜ帰らんのか、朝鮮人はひとの国におらんとなぜ早く帰らんのかと、彼さえおらなければどんなによいかと、ひとり腹の中でつぶやいていた。
 一年間が終わり三年生になり、クラス替えがあった。クラス発表の時、自分のクラスの中に彼の名前がなく安心した。三年生も一緒だったらどうしよう、一年間そればかりが気になっていただけに本当にうれしかった。あの時の気持ちは今も忘れない。彼との一年間の同席で私の朝鮮ぎらいが決定的になってしまった。
 それから何年たっただろうか。私も結婚し自分の子供が学校へ通うようになり、そのような事も昔の事になってしまっていた頃、今から七、八年前、お寺の聞法会で人権・差別の問題に触れ、そこで全然知らなかった戦前の日本とアジアの国との関係を知り、金君はじめ私たちの村や町、日本の国に韓国、朝鮮人がどうして多く住んでいるのかを知って、大変なショックを受けた。
 私は金君が川口という日本名を使っているのは差別からのがれる為、朝鮮人という事をかくす為、朝鮮人自ら日本名を名乗っていたと思っていたし(創氏改名)、朝鮮人がどうして日本に住むようになったのかはこの年になるまで全く知らなかった。また、知ろうともしなかった(強制連行など)だから彼等は勝手に日本に渡って来たものとばかり思っていた。
 そこで私は身近に住んでいるこの人達も本当にそうなんだろうか、どうして日本に渡って来たか、どうしてここに住むようになったのか、この目で確かめたかった。そうしてたずねたのが金君のおじいさんであった。
 彼は中学校を出てから大阪に住んでおるとの事であった。
 おじいさんの家へ何度も遊びに行き、おじいさんに触れているうちに、彼の少年時代を取りまく日本の社会や家庭生活の環境によって起きる彼の行為が分かるような気がして来た。彼に是非会いたくなった。とにかく会って、今も心の隅に残っているわだかまりを解きほぐせるのではないかと思った。一方的に彼の方に責任が、非があると思い込んでいた私だっただけに。
 その思いが彼のおじいさんの死によって実現したのである。
 葬式にお参りさせていただいた時、彼の顔はすぐにわかった。
「金君、私は中学校の時の同級生の加端というんですが覚えておりますか」
 彼は首をかしげた。
「あなたと同じ川上先生(仮名)のクラスの」と言うと、「そう言えば」と金君はいった。
 昔の面影は全くなかった。まるで人が変わったように温和でもの静かな人になっていた。今の彼からはあの頃の彼を見出す事はできなかった。
 彼は全然覚えてもいない同級生がどうしてここに来ているのか、どうしておじいさんと付き合いがあったのかと不思議そうな様子であった。
 とにかく、じっくり話し合いたかった。忙しい中であるが私の家へ来てほしいとお願いをした。
 翌日、私の家へ快く来てくれた。もしかしたら来てくれないのではと思っていただけに本当にうれしかった。初めて彼と話す事が出来たのである。
 思い出したくもなく顔を見るのもいやだった金君が今、私の前にいるのである。おじいさんとの付き合いのいきさつや昔の事を話し合った。
 彼は私の妻のいる前でポツリ、ポツリと語ってくれた。
「俺はな、あんた達をいじめたけどな、それ以上に上級生達にいじめられてな、チョーセン、チョーセンと言われてな」
「家は貧しくて沢山の兄弟でな、毎月の学校の集金も持って行けなかった。それだからな、小遣いもほしいので金持ちの家の子に無心もしたのや」
「家へ帰るとな、ボロを積んだリヤカーの後押しをさせられてな、それが一番苦痛で友達に顔を見られんように下を向いて押したんや。くやしいやら、はじらいや何んやかんやら・・・・・・」
 彼の話を聞いていて小学校の頃を思い出した。
 リヤカーを引いてボロ買いに村に入って来たおばさん。今にして思えば三十代から四十代の若い母親だったのだ。私ら村の子供はリヤカーの後からチョーセン、チョーセンとチョーセン呼ばわりして石を投げるなど、からかっておばさん達を怒らせた。彼は自分の母親もこんな目にあっているのを目にした事と思う。
 私の家は農家で乳牛を飼っていたので、学校から帰ると毎日のように草刈りや、春や秋には田んぼの手伝いが当たり前だった。同じように手伝いをさせられたが家の為になっているという、うれしさもあった。友達と遊べないという辛さもあったが、彼みたいに手伝いをして恥ずかしいという辛さを経験した事がなかった。
 当時彼がいじめられていたという事は知らなかったし、彼の生活環境なども全く知らなかった。まして、そんな悩みを持って苦しんでいたとは全く知らなかった。
 彼は自分の苦しみのはけ口を私達をいじめるという形で処理していたのでは。
 私は自分の悩みを訴える事もなく、ただ腹の中で辛さを押さえていたが、私なりにはけ口があった。自分よりもひどくいじめられている子や自分より成績の悪い子を見て、あの子よりはまだましだと他人を踏み台にして変な所で安心していた。
 また彼を、何といっても所詮、朝鮮人やないかという捨てぜりふで見ていた。そうでもしなかったら学校へ行けなかった。彼は決して強い人間ではなかったのである。
 また私は他人からみればおとなしい、まじめな人間に見えたかもしれないが、決してそんな人間でなく彼以上にみにくい、汚い心を持った人間だった。
 当時彼は先生から注意を受けていたようだが、クラス全体の問題にもならなく、まして学校の中の問題として取り上げられなかった。いじめるにしてもいじめられるにしても民族差別から来ていたのだと思う。
 私の中には朝鮮人に対する言ってはならないタブー感があった。学校教育の中でもそうであったのではないかと思う。実際、授業の中で日朝関係の歴史や民族差別などについて教わらなかった。だから、この年になるまで朝鮮人の側に問題があるものと思って来た。
 ところが私達日本人、私の方に問題があるという事を遅まきながら知ったのである。その頃はまだそんな時期になっていなかったのかも知れないが、戦前の過ちをきちっと教えていたならば私の朝鮮人に対する見方は少しは違っていたと思う。
 金君のおじいさんの死が縁で、やはり同級生の李清子(仮名)さんに最近三十年ぶりに会った。
 彼女が朝鮮人だという事はそれまで知らなかった。おとなしいが明るい気さくな子であった。
「加端君、私は今も会いたくも見たくもない男の子がおるんよ。小学校の時、皆んなの前ではずかしめを受けた屈辱感は今も忘れられないのよ。それ以来、ただ朝鮮人であることがはずかしくてね、そのまま大人になったの。私も朝鮮人がなぜいじめられたり差別を受けるのか、学校はもちろん両親も教養がなかったから無知だったのか教えてくれなかったので最近まで知らなかったの」との彼女の言葉に驚いた。
 彼女の、朝鮮人である事がはずかしい事と思っていたと言った言葉が、私の胸を刺した。本当に日本の戦後の欠落した教育が悔やまれる。
 私は金君に会って、四十数年の心の中にあった重みが少し軽くなったような気がした。早く忘れたい気もするが、私は金君との少年時代のかかわりを一生忘れる事は出来ないだろうし、金君も李さんもまた朝鮮人として受けた痛みを決して忘れないと思う。
 踏まれたものはもちろん、また踏んだものも決して忘れてはならない。
 三十年ぶりの再会になったが、はじめて彼に逢ったのだと思う。
 金君との長い時間を経た再会であった。


 次の詩は、今年の夏に感じた事と娘の韓国への修学旅行から帰った時に感じた事を書いたものです。

無 窮 花
背戸の片隅に今年も咲いた白い花 
   真夏に咲き始めるこの白い花
   身体の不自由であった妻の父がくれたこの白い花
   昔も今も白、ピンク、紫色と村のあちこちに咲いている 
   屋根雪に折れても折れても咲き続けてきた根強い花
   毎日次から次へと咲き続ける
   焼肉屋のカウンターの上にもこの白い花
   ママさんこの花、何んていうの
   私の国の国花、ムクゲよ
   えっ これがムグンファ?
   今日まで名も知らなかった
   隣国のこの白い花、ムクゲ
   私達の国の支配になってから自由に咲けなくなった無窮花
   それでも人々の胸の中に咲き続けた
   伐られても折られても咲き続ける
   私の心の中にも咲かせたいムクゲ、無窮花、ムグンファ、白い色

     遠い日のクツ
   ただいまっ の声
   高校生の娘が修学旅行から帰ったのだ
   妹と弟が玄関へとび出して行った
   おかえり、ねえちゃんおみやげは
   茶の間に入るやさっそく店開き
   はい、これ
   わあ、かわいい
   うれしそうな妹の顔
   それはブランコに遊ぶ民族衣裳のお人形
   お父さんにも見せてっ
   手にして、あっと心の中で叫んだ私
   チマ・チョゴリの裾からかわいいクツがのぞいている
   新雪を蹴っての学校からの帰り道
   誰から言い出したんだろうか
   おまえのクツ チョウセングツやチョウセングツや
   違うわい、おまえの方こそ
   長ぐつの先に蹴った雪が小牛の角のようにとんがってついている
   つま先のこの雪を比べては、からかい興じた遠い日

   このくつだったのか
   一度も見た事のない朝鮮グツなのに
   チョウセングツと言われるのが嫌だった
   チョウセンと名の付くすべてのものを蔑み嫌っていた私
   こんな心を持ったまま大人になった私
   子供たちには見せられない私の心
   私の心の中では
   まだまだ近くて遠い隣国
   韓国、朝鮮
   私の顔をじっと見ている机の上の韓国人形
   私の心の中をのぞいている











     韓国の愛人

          渡(わたり) 野(の) 玖(く) 美(み)

一九八八年第五十二回国際ペン・ソウル大会に参加のためのツアーの誘いがあったのは、六月であった。韓国へはいずれ行かなくてはならないと思っていたのだが、その機会が思いもかけないところから舞い込んだのである。六泊七日の旅、だが実は飛行機の出発時間の関係で、前後二日間は大阪泊まりで八泊九日の長旅となっている。家のことも仕事もすべて放り投げて出かけて行くことには、かなりの決断が要った。
 大阪空港で大韓航空機に乗り込むと、スチュワーデスが口々に、アンニョンハシムニカ、と声をかけた。私も小声ながら、アンニョンハセヨ、と答えることができ、そこから韓国への第一歩が始まった。
 オリンピックを数日後に控えた(八月二十八日)その日の、金浦空港での入国チェックは厳しく、M氏はボディチェックにかかり、S氏は職業でひっかかった。旅行業者がパスポートに会社員と書いてあり、会社名はどこかと尋問され、新聞社名を言うと、ジャーナリストは会社員ではないのに何故だと、拗こく言われて閉口したという。私の職業欄は何故か詩人となっていた。
 金浦空港からホテルのバスで約四十分、オリンピック競技場の説明や、ソウル市内を流れる韓江、六三ビルなどの説明を聞きながらペン大海の会場でもあるシェラトン・ウォーカヒルホテルへと向かう。沿道には真っ赤なカンナが咲き誇っていた。カンナと無窮花が、そしてまだ咲いてはいないがコスモスが市内中にあふれている。韓江には、三十か四十か五十か、赤、青、黄など色とりどりのウィンドサーフィンが帆をあげて、川というよりも湖のようにゆったりと水をたたえた風景は大陸だなあ、と思わせてくれる。ビルが立ち並び、民家らしき建物は一軒も目に入ってこない。ビルはほとんど高層アパートであるとのことだ。高いビルほど高級なのだそうだ。
 第一日目は歓迎パーティ。その会場での出会いが私の翌日からの韓国旅行を方向づけてしまったのである。詩人、児童文学研究者、大学教授という肩書きの李在徹氏と偶然に話をし、すっかり親しくなってしまった。
 李在徹先生は、二日目のパーティの後、私に「渡野さんが好きだから」と耳もとでささやき、市内観光案内をしてあげると約束した。S氏と大阪から来ているK氏も誘ったのだが、K氏は他のメンバーと市内観光に行く約束があり、結果的には私とS氏のふたりだけになった。当日は李在徹先生は大学の講義はないのだと言った。
 彼が運転するのだとばかり思っていた私たちは、運転手付きの国産車でホテルへ迎えに来たので驚いた。六年前に胃ガンで胃を切除してからは、運転手を雇っているのだ。運転手の給料は三十万ウォンくらいだと言う。日本円にすると六万円くらいだろうか。ハンドルは左側にあり、李在徹先生が助手席に乗り、彼の後ろに私、運転手の後ろにS氏が乗った。市内観光ガイドをひととおり読んでいたので、何処へ行くのかと興味津々でいると、車は静かな丘へ登っていった。
 そこは墓地であった。
 私は墓場が好きだ。処女喪失も墓場だった。だが、選りに選ってソウルまで来て、案内を請うたわけでもないのに墓地へ連れてこられるとは、と私は不思議な気持ちで雑草の中にぽこりぽこりとある土饅頭とぽつんぽつんと建っている墓石を眺めた。私の生まれは能登半島で、朝鮮半島に近い。私は日本人だがきっと前世は朝鮮民族だったろうと信じている。目に見えない糸にたぐり寄せられて、私は今ここに立っているのだ、と思った。涙が胸の底からせぐりあがってきた。
 両班(貴族階級)は独自の墓地を持っているが、常民(平民)は共同墓地で、そこは後者なのだと李在徹先生は四十年ぶりで話すのだという日本語で説明してくれた。
 年配の韓国人は日本語を流暢に話す。日本の植民地時代の産物で、名前も言語も奪い取ってしまった過去の歴史に胸が痛んだ。日本語が上手ですね、と言うと、六十歳だから、と笑って答えた韓国人がいた。
 私の顔は韓国人好みというのか、たくさんの韓国人に親しげに話しかけられた。韓国人だと思い込みべらべらと話しかけ、私がきょとんとしていると、胸の名札を見て、「イルボンサラン」と納得するのだ。わたしと李在徹先生が話していると、隣席の日本人夫婦(有名な作家)が、「日本語で話していますね」と不思議そうに私たちを見て、名刺を差し出した。私は日本人です、と言って自分の名刺を渡しても、その夫婦は納得のいかない顔をして私たちを見比べた。
 韓国人に間違えられる事はいたる所で起こった。水(ス)原(ウォン)の民族村観光の時だった。蝉がおかしな声で鳴いていた。かすれた途切れ途切れの泣き方で、観光客にサービスしすぎたのだろうと私たち一行は笑いあっていた。何組かの一行が入り混じって歩いているなかに、韓国のおばあさん一行があった。そのひとりのおばあさんが、私の横へ来て並んで歩きながら、しきりに話しかけ、そのうち、メーミ、メーミと言い、変な蝉の鳴き声の真似をした。蝉のことはメーミというのだな、と私は納得し、おばあさんと私は同時に笑いあった。あとの言葉は全く理解できてないのだとは、そのおばあさんは思ってもみなかっただろう。わたしの韓国語の理解度は挨拶程度だ。
 車から降りて、案内された墓がふたつあった。ひとつは、反戦詩を書き続け投獄され、そして死後評価されたという詩人のもので、萬(マ)海(ネ)韓(ハン)龍(ヨン)雲(ウン)先生の墓碑名が刻まれていた。李在徹先生が私費で建立したのだそうだ。真新しい立派な墓だ。墓石の後ろに功績が漢字まじりのハングル文字で刻んである。
 もうひとつは、韓国の児童文学の先駆者方(バン)定(ジョン)煥(ファン)のものだ。日本の児童文学者巌(いわ)谷(や)小(さざ)波(なみ)を尊敬していたので、筆名は小(ソ)波(バ)といった方定煥の墓は、背の低い落ち着きのある白い石でできていた。三十三歳の若さで病死したらしい。あたりに野菊が可憐に咲いていた。韓国は土地がやせているので太い木などはなく、墓地といえども、うっそうとしておらず、丘のようでソウル市街が一望できる。最近はデートコースにもなっているとか。
 李在徹先生との交流を月間韓国文化に知らせたことが契機になって、日本の児童文学者・田坂常和氏が、李在徹先生の著書「児童文学概論」、「世界児童文学事典」の別冊「韓国現代児童文学略史」を翻訳し、それを骨子として「韓国児童文学の系譜」を連載するようになった。月刊韓国文化の中に、毎月、李在徹先生の名前を見、たまに写真などが載っていると、あのソウルでの日々がつい昨日のことのように思われる。
 墓地を後にすると、李在徹先生は、自宅に食事の用意をしてあるからと、運転手に命じ私たちを自宅まで案内してくれた。ソウル市内ではアパート住まいが普通で一軒家は珍しいのだと説明を受けた。高い塀と鉄の門がまず目についた。割と小さな玄関のすぐに、小さなテーブルと椅子がある。李在徹先生が奥に向かって大声で呼ぶと、小柄な飾り気のない楚々とした夫人が現れて、にこにこと笑った。S氏は大きな声で、「こんにちは。お邪魔します」と言った。私は、「アンニョンハシムニカ。チョウム ペッケスムニダ」と挨拶した。ソウル三日間で、私もいくらか韓国語が口から出るようになってきたのだ。
 一九三一年生まれの李在徹先生は満五十六歳だ。二人の息子と二人の娘がいて、娘はすでに嫁ぎ、息子のひとりは文学者でもうひとりは大学生だという。大学生の息子さんがいて挨拶した。李在徹先生はすべての部屋を案内してくれた。二階がふたりの息子の部屋だった。日本の家屋と著しく違うところはひとつひとつの部屋が狭いことだ。四畳半か六畳くらいの部屋がいくつもあり、狭苦しい。李在徹先生の部屋は二間をひと続きにして一間としてあり、客が多いのでこうなったのだと説明された。書庫のような部屋があり、そのなかには古い日本の本も混ざっていて、文学は日本の本で学んだと言うのがうなずけた。日本の文学者では石川啄木が好きだと言い、
  東海の小島の磯の白砂に
  われ泣きぬれて
  かにとたわむる

  大といふ字を百あまり砂に書き
  死ぬことをやめて
  帰り来れり

 と「一握の砂」にある詩を暗誦した李在徹先生は少年のようにはにかんだ。
 次の日、水原の民族村を訪ね、昔の韓国の家屋を見たが一室一室は両班の家でも狭く、それはどうやらオンドルを使うためのように推察された。
 食卓を囲んで私たちは座った。六畳ほどの部屋で、奥さんの嫁入りのときの調度品だという螺鈿のたんすが二方に並んでいた。種々の韓国の家庭料理が食卓いっぱいにあふれていた。私とS氏の前には銀製の箸が置いてあった。銀は毒に触れると変色するので、来客用として最大の歓待を意味するのだ。つまり毒物は盛ってありません、敵意はありませんということなのだろう。李朝時代の王室では、すべて銀製の器を使用していたらしい。日本の将軍がお毒見役を置いていたのと同じ理屈なのだ。
「ヨボ、ヨボ! マジュアン」
 李在徹先生が台所へ向かって叫んだ。叫んだという表現は大袈裟ではなく、実に大きな声だった。何度も同じ言葉を繰り返していたが、台所では忙しいのか何の応答もない。いらいらしたらしい李在徹先生は、立って行った。立って歩きながら、再び、ヨボ! と言った。
「韓国でも“女房”と呼ぶのかい? 渡野君」
 S氏が楽しそうに、目を大きく見開いて言った。好奇心にあふれているときの彼の表情である。唇を少しとがらせている。
「いいえ。おい、ぐらいの意味でしょう。S氏も家では奥さんを、おういと呼ぶでしょう。あとの、マジュアンというのは何でしょうね、ちょっとわからない」
 そんな会話を交わしていると、李在徹先生が戻ってきた。そして再び、
「ヨボ、ヨボ! マジュアン」
 と叫んだ。台所へ行ったのではないらしい。小用だったのだろうか。
 奥さんが味噌汁を運んできた。日本の味噌汁とはちょっと趣を異にしている。具汁だが、玉ネギが入ってごってりした感じだ。
「マジュアン!」
 李在徹先生が言うと、奥さんは笑いながら台所へ去り、一本の果実酒を持ってきた。その果実酒の名前が「マジュアン」だった。韓国産の白ワインである。適当な渋味があり、甘味をおさえた口あたりの良いワインだ。李在徹先生は胃癌で胃を手術して以来、禁酒しているとのことであったが、グラスにいっぱいのマジュアンを口にして私たちを歓待してくれた。
 かつて、李家の客人は彼の好物であるマジュアンをおみやげに持参した。客人の買物のために李家の近所の食料品店にマジュアンが置いてあった。だが次第に禁酒を知った人たちは酒を持参しなくなり、その店にも今ではマジュアンを置いていないのだと奥さんが笑いながら話してくれた。韓国感覚では高級酒なので、どこにでも売っていなく、酒場でもあまり置いていない。三、四千ウォンだがナイトクラブでは一万六千ウォン以上もする、と李在徹先生は面白そうに笑った。日本円の五分の一とすると、一万六千ウォンは三千二百円だからそんなに高いとも思えないが、おかかえ運転手の給料が三十万ウォン、約六万円というから、それだけ全体的物価が安いのだ。
 食卓の上には、すきやき風の鍋もの、キムチ、豆御飯、薬(ヤッ)飯(パン)、ナムル、果物、草もちなどがあふれんばかりに並べられた。私たちは談笑しながら、それらのご馳走を食べ、マジュアンを飲んだ。
「渡野先生は、確か始めのパーティのときに夫は韓国人でしたと私に言いましたが、本当ですか」
 李在徹先生が私の顔をくい入るように見つめて言った。S氏はびっくりした顔をして私を見た。いつの間にそんなことを話し合ったのだ、と言いたげだった。
 貴女は韓国を好きですか、と言う李在徹先生の問いに対して、興味があると答えたところ、何故かと言われて、言わずもがなのことを口走ってしまったのだった。
「私はそのことを聞いて心が痛みました。同国人が貴女を不幸にしているのは恥ずかしい。私が代わりに謝ります。だからその意味で今日は自分の家へ招待したのです。その男は悪い奴だ」
 李在徹先生は、とつとつとした日本語でそんなふうに言ったので、私はびっくりしてしまった。涙がこぼれそうになった。在日韓国人の女性に、朝鮮の子を育ててくれてありがとうと言われたことがあったが、李在徹先生も同じ意味のことを言った。私こそ前夫(在日韓国人)を不幸にしているのにと、李在徹先生の怒りがおもはゆかった。
 外で大きな声がする。同じ言葉を連呼しているようだ。
「あれは何ですか」
 私が質問した。
「ははん? ヨボ、ヨボ!」
 台所へ立った奥さんを、李在徹先生はまたもや呼んだ。奥さんの説明によると調理済み食品、つまりそうざいのようなものを売り歩く声だそうだ。
 帰りの車の中で、助手席に座った李在徹先生は後ろを向きっぱなしの状態で、能弁だった。文学をはじめ韓国の現状など多岐にわたって情熱的に語った。
「今こうして私たちがいることが本当の友好なのですよ。あんなに大騒ぎしてパーティを繰り返していても仕方がないのです。ところで、渡野さんはどんなことで生計をたてているのですか」
 原稿料で生活していないことを見抜いている李在徹先生の質問だった。
「四千ウォンの酒を一万六千ウォンで売る仕事です」
 私は笑って答えた。
 韓国最後の日、さよならパーティの後、私と李在徹先生はふたりだけでホテル内のディスコクラブで過ごした。韓国ではディスコが盛んで、老いも若きも体をゆすって踊り狂う。五十六歳の彼と私も激しいリズムにのって、汗だくになるほど踊り、マジュアンを飲んだ。私が彼のグラスに酒を注ぐと、言った。
「韓国では妻かほんとうに愛しあっているひとしか酒を注がないのです。店のボーイが注いでくれるのを待っているのが普通です。日本では今貴女がしたようにするのが普通なのだと思いますが、私はとても嬉しい。初めのパーティのとき、夫が韓国人だったと言ったことにも興味を覚えましたが、ほんとうは違うのです。S氏の分の料理を運んできた貴女が私の分の料理と酒も持ってきてくれましたね。初めてです。韓国の女性はそんなことはしないのです。それで好感を持ったのです」
「はあ、そうですか」
 私はどぎまぎしてしまった。私の行為は、彼にとって妻か恋人のすることだったのだ。
「韓国の愛人、日本の愛人になりましょう」
 愛人という言葉にどれほどの意味が含まれているのかわからない。日本語の愛人とは意味が多少違うらしい。だがドキッとする言葉だった。私は曖昧に笑うしかなかった。
「渡野さんはいつも笑ってごまかしている。面白くない。そういうのを韓国では笑いを売ると言います。私は本気で言っているのです。私は五十六歳、胃を手術して、あと何年の生命なのか。お互いに若い間にもう一度逢いましょう。きっとですよ。文学する人は恋をなくしては駄目です」
 韓国の愛人は私の手を強く握った。
 翌朝、お土産にと愛用のタバコ「バラ」と「マジュアン」をホテルに届けてくれた。
 この文章を書きながら、むしょうに韓国の愛人に会いたくなった。








     雨森芳洲の孤独

           賈(か) 島(とう) 憲(けん) 治(じ)

       1
 元禄一一年(一六九八)七月一九日、対馬藩士雨森芳洲は藩主宗義真から朝鮮佐役を命ぜられた。義真は元禄五年に隠居し、その子義倫が跡を嗣いだが、元禄七年に義倫が江戸で死亡したため、義真の四男義方が跡を嗣いだ。しかし、義方が一三歳の幼少のため義真が再び国政を見ていた。
 当時、対馬藩は朝鮮貿易において公貿易では対馬藩から朝鮮に産しない銅・鑞・丹木を輸出するかわりに、朝鮮政府から木綿を輸入していた。私貿易では朝鮮商人の商う生糸・人参を輸入するかわりに、日本の貨幣である慶長銀を輸出していた。元禄八年、江戸幕府は金銀の極印の古くなったこと、近年諸国の金銀の産出が少なくなり、世間通用の金銀も次第に減少してきたことを理由に品位八割であった慶長銀から品位六割四分の元禄銀に改鋳を断行した。このため、対馬藩は最初のうちは貿易の悪化を恐れて慶長銀を調達して朝鮮へ輸出していた。しかし、慶長銀が不足する事態となり、元禄十年三月、対馬藩は元禄銀の慶長銀に対する品位の不足分を取り決め、その分を加給するから元禄銀をもって交易したい旨を朝鮮側に通告した。
 そこで、朝鮮側は漢城(ソウル)で元禄銀の銀・銅の吹き分けをしたところ、元禄銀の品位は六割二分であったとして、慶長銀に対して二割九分の歩増しをすれば了承すると答えてきた。これに対して、対馬藩では府中(厳原)でも吹き分けてみたところ、元禄銀の品位はやはり六割四分であるから、慶長銀に比べて加給するにしても二割五分が妥当であるので、朝鮮側の言うように四分も余計に加給することが出来ないと反論した。
 元禄一一年三月、朝鮮側は東萊府で吹き分けたところ、品位六割三分であったので、二割七分の加給ならば、元禄銀でもよいと言って来た。対馬藩は不満ではあったが、やむなくこの結果で決着を図ることになった。しかし、突然に朝鮮側は今度は対馬藩主宗義真の書契(文書)を渡さねば元禄銀による取り引きは出来ないと言ってきたのである。対馬藩と朝鮮商人との間の私貿易においてこれまで対馬藩主の書契というような外交書簡を出すのは前代未聞であったが、対馬藩にとって私貿易の収益をこれ以上下げては大きな損失であったので、義真の書契を出すことになった。
 朝鮮佐役となったその日、登城していた芳洲は早速、藩家老樋口孫左衛門に呼ばれた。樋口は芳洲に元禄銀は日本で広く使用されているので、貴国朝鮮でも使用されねば他に使用する銀貨はないから関係諸官を通じて貴国の商人に使用するように告げてもらいたいという内容の書契の下書きを作成するように命じた。芳洲の作った書契の案文は幕府の命により京都五山から派遣されている以酊庵の輪番僧に見られてから、朝鮮方の清書役によって清書された後、東萊・釜山両令へ提出されることになっていた。
 樋口は苦々しい顔つきになり、こう付け加えた。
「朝鮮の施設が昨日府中に参った。明日、代表の訳官二名が訳官及び商人等の書いた約定書を勘定所へ持って参るによって、そなたはこれに立ち合い外交事務に支障なき様に取り計らえ。朝鮮人は元禄銀の吹き分けの技術が下手なのを認めず、わが藩はこれで一〇〇両につき二両ずつ損をすることになった。朝鮮人はどんなことでもすぐに文句をつける。こちらに些細な過失でもあればしめたとばかりに執拗に突け込んでくるところがあるから、朝鮮人にくれぐれも侮られぬように心せよ」
 訳官及び商人等の約定書というのは、朝鮮と日本との商品売買において、今後は元禄銀一〇〇両ごとに二七両を加給するとの旨を記した文面に同意した訳官や商人たちの代表が連名捺印した証文のことである。この約定書を朝鮮側の代表である二人の訳官と勘定所との間で取り交わそうというのである。
 対馬では金勘定がすべてだなと芳洲はふいに思った。芳洲が対馬に赴任したのは26歳の時であったから、すでに五年が経っていた。そのうち一年間は長崎の唐人屋敷で中国人に中国語を学ぶために出向し、帰ってきて小川加賀右衛門の娘しのと結婚し、最近長男の顕之充が誕生したばかりであった。
 芳洲は次第に対馬藩の実状が分かってくるにつれて、実際の対馬藩と江戸表で使い捨てる銀は年三千貫と言われ、西国一の長者と評判であった対馬藩とはあまりの相違にいつも驚かされた。対馬藩の分限は一〇万石と言っている。しかし、以前は一万一八三七石と武鑑に載せられていたのを、寛文一一年(一六七一)に江戸勤めの大浦忠左衛門が高木彌次右衛門をつかって武鑑の版元に交渉し、金で板木を彫り替えさせ一〇万以上の家格に釣り上げたのが真相であった。西国一の長者と言うのはまったくの見掛け倒しであった。確かに馬廻(上士)は豊かではあるが、大小姓(中士)、さらに御徒士(下士)の生活ときたら、あまりの困窮ぶりに唖然とするばかりであった。家老樋口孫左衛門が「藩の御納戸には銀1万貫あるから対馬は安泰じゃ」といつも豪語している一方で、侍たちは奉公の隙には山へ薪を切りに行ったり、海へ魚釣りに出かけたりして少しでも家計の足しにしていた。城の不寝番を仰せつけられるのを望む者が多くいるのも、実は不寝番には衣食が支給されるため夕飯は妻子に食べさせることが出来るからであった。
 ここでは仁・義・礼・智の儒教の徳目よりも金、金、金で、すべて利が何よりも先行していた。まず藩主義真公が利を好む心が深く、勘定所の役人たちも金が搾り取れるところは民百姓どころかたとえ乞食からも搾るというような過酷さで、貪欲な商人も顔負けであった。対馬藩では学問は無用だとまで芳洲は思った。藩校である小学校は芳洲が対馬に赴任した7年前に創立されていたが、小学校は一日おきに開かれているだけであった。指南役は一人で学生は四〇人もいなかった。彼らの中に漢文を解する者はほとんどいなかった。藩全体に学問に身を入れようという雰囲気がまるでなかった。金儲けのすべさえ知っておればいいので、文字はいらなかった。実際に侍であっても文字を読めなくてもさして恥じる気配もなかった。
 芳洲は対馬が江戸から遠く離れた絶海の孤島であることは承知していたが、これほどひどい所とは思いもしなかった。なんという所へ自分は仕官してしまったのか、芳洲はおのれが学んできた朱子学が対馬では役に立たないだろうという暗い予感に襲われて空恐ろしくて身が震えた。利に目が眩み、仁・義・礼・智を知ろうとしなければ、侍は勿論のこと、百姓、職人、商人まで徳義を重んじないのは当然のように思われた。御法度は守られなくても少しもかまわず、上に立つ者が御法度を守らないから下の者も御法度を守らないという有り様であった。悪い御法度ならそれは速やかに改められるべきなのに改められもせず、次から次へと新しい御法度が出るばかりで、人々はその御法度も今に廃れるだろうと高をくくり、これを対馬法度と呼んで嘲笑っていた。芳洲の眼には対馬藩はそれこそ無秩序と混乱そのものとしか見えなかった。
 翌日、芳洲は義真公の書契の下書きを作成し以酊庵へ持って行った。その後、衣冠を整えるため家へ帰ってから、勘定所へ向かった。勘定所は藩の出納を取り仕切り、貿易、用度営繕、米蔵を管理していた。分掌として作事方、銀方、賄方、送使方、米蔵、道川方の六課があった。送使方が特に朝鮮貿易品の販売送付について権限をもっていた。勘定所にはすでに裁判高勢八右衛門とともに訓導朴僉知、別差鄭判事の訳官及び朝鮮商人の三十名が到着していた。
 約定書の受領の儀式には対馬藩側は阿比留右衛門を筆頭に添勘定、調役、手代の役職にある者と、通詞二名、そして朝鮮佐役の芳洲が立ち合いの下に行われた。まず勘定役阿比留と朴、鄭の訳官が二度揖をして座った後、鄭判事から芳洲が約定の証文を受け取り、ひととおり目を通してから、その場で漢文で書かれていた文面を日本文に訓読して読み上げた。芳洲が読み終わると、「間違いはござりませぬか」と訳官二人の方を顧みて確認すると、朴僉知が「相違ない」とはっきり言ったので、芳洲はほっと安堵の息をついた。二人の訳官に訓読のしかたが正しくないと指摘されるのではないかと一瞬懸念したからだ。そこで、芳洲は添勘定に約定書を渡し、それを阿比留に手渡した。阿比留はもう一度約定書の文面にある「毎壱伯両、増価弐拾柒両式」という箇所をちらりと見て、「約定書はただ今確かにお受け取り申した。これで二か年にわたって貴国と対馬藩との間に懸案であった元禄銀による交易問題は円満に解決した。これもすべて訓導朴僉知、別差鄭判事、並びに金内禁氏をはじめとする朝鮮商人の方々のわが藩に対する変わらぬご厚誼と御隣好の賜物と存ずる。恐れながら主君宗義真さまにおかわりして厚く感謝の意を申し上げる。お役目まことに大儀でござった」と労をねぎらった。そうして、「殿さまからの書契も近日中に出来上がるであろう。しばらく府中を見物なさってゆっくりしていってくだされ」と言って、やっとにっこりと笑った。
 その晩、府中にある料亭望月楼で朝鮮の使節一行を歓迎する宴が芸者を多数呼んで盛大に開かれた。全員に杯が三巡杯してから勘定役阿比留と芳洲が二人で交互に朴僉知、鄭判事、金内禁に酒を注いだ。添勘定、調役、手代たちは一行を面白がらせようと芸者の真似をしたり、上半身着物を脱いで裸になり猿のごとく飛びはねたり転がったりして、色々の姿態を呈して見せた。これに応えて朴と鄭が対馬の民謡を対馬弁で上手に歌ってみせたので、対馬人々はみなすこぶる喜んで拍手喝采した。この後、一行の側に侍り酒を注いでいた艶やかな着物姿の芸者が次々と美しい舞踊を披露した。今度は朝鮮の一行が感激していっせいに歓声をあげた。朴が「踊りはよいから一緒に食べましょう」と勘定所の役人に言ったので、勘定所の者たちは今まで手もつけずにいた目の前のたくさんの料理と酒をめいめい食べたり飲んだりした。
 勘定役阿比留が客を最上に接待するしきたりとして一番早く席を外した。その後、朝鮮人と芸者が宴席から立ち去った。芳洲が気が付いた時にはいつの間にか宴席には芳洲と朴僉知の二人のみになっていた。芳洲は珍しく酒ですっかりいい気分になり、このまま朝まで飲み続けるのだと思っていると、朴僉知はきょろきょろあたりを見回し、急に真顔になって詰め寄った。芳洲は朴の髪に白い毛が何本か混じっているのを見て、朴が少なくとも自分より十歳は年上のはずだと感じた。
「雨森さん、われわれ朝鮮人にとってある日、突然に慶長銀がなくなるってことはどうしても信じられないのです。なぜなら、慶長銀は慶長六年(一六〇一)に豊臣秀吉によって造られてからずっとそれこそもう一〇〇年近くも流通してきた貨幣でしょ。それが急に消えてしまうというのは、正直言って対馬藩がわれわれを欺して慶長銀を隠匿しているのではないか。純度の高い慶長銀を隠し、純度の悪い元禄銀をわれわれに摑ませその差益を稼ごうという奸計ではないかと心底疑いましたよ」
 芳洲はかぶりを振り、断固とした表情で言った。
「いや、いや、これまでわが藩としては出来るかぎり慶長銀を日本の各地にある対馬屋敷で調達して貴国へ輸出してきたのですが、ついにどうしても集まらなくて、こうした事態に陥ってしまったのです。藩が元禄銀を千載一遇の好機と考えてこれによって大儲けを企むなんてことは毛頭考えてはいません。むしろ元禄銀は藩にとり迷惑も迷惑、大迷惑なのですから」
「そうですか。われわれが憂えるのは幕府がやがて一〇年もしないうちに、さらにもっと純度の悪い銀貨を造るのではないかということです。それでなくとも、元禄銀では清国側は生糸を売ることは出来ぬと拒絶しているのですから、これ以上朝鮮商人を泣かせないでほしいものです」
「万一そうなればわが藩と貴国の交易にとりまた新たな紛争の種となりましょう。いったい質の悪い貨幣ばかり増発してどうしようというのでしょうか。これでは物価が高騰するばかりです」
夜も更け、さっきまで嬌声や三味線の音で喧しかった別棟の宴席も静かになった。部屋は開け放っているのに、芳洲はなぜか汗が出てくるようなむし暑さを感じた。
「いずれにせよ、日本は恐ろしい国ですね。日本では昨日まで使っていた貨幣と異なり、一夜明ければ今日は三割近くも価値が下落した一両でもやはり同じ一両として支障なく通用するのですからね。自分たちがみすみす損をしていると分かっているのに、お上に不平不満も言わず唯唯諾諾と元禄銀を使用しているのは、われわれ朝鮮人にはまったく不可解でなりません。日本国内では以前のまま混乱もなく整然と秩序を保っているのでしょ。本当に大君の命令ひとつで日本人全部が素直に服従するところが恐ろしい気がします」
「いいえ、決してそうではありません。毎年幕府が古今銀の回収を出しても応じないばかりか、贋金が出回り贋金造りの犯罪者が何百人と出ている有り様です。町人たちは元禄銀のために怨嗟の声をあげています。わが藩として迂闊なことは元禄銀が貴国と清国の交易に悪影響を及ぼすなどとは思いもよらなかったことです。ただ貴国との関係悪化のみを恐れて、慶長銀を調達してその場凌ぎをしてきたのがそもそもの間違いなのです。もっと迅速に対処すべきでした。ちょっと失礼」
 芳洲はそう言うや、静かにすっくと立ち上がった。さっきから一匹の大きな緑色に光る黄金虫が外からやって来て部屋の中をうるさい羽音を立てながら忙しく輪を描いて飛び回り、障子や屏風にこつんこつんとぶつかったりしていた。芳洲は今し方行燈にぶつかり畳の上に落ちてもそもそ這っている黄金虫をすばやくつかむと、窓まで言って外へ思い切り投げつけた。朴は芳洲を見やりながら言った。
「雨森さん、今回の貨幣改鋳の一件で日本人の本性がはっきりと知らされたように思われます。この様子では徳川綱吉公の御命令があれば、壬辰・丁酉倭乱の時と同様、わが国に日本人が一丸となって侵略してくるのではありませんか。倭乱を起こした豊臣秀吉ひとりがはたして極悪人と言えるのか、もしかしたら日本ではいつでも豊臣秀吉が再度出現するのではありませんか」
 芳洲は畳の上に放り出されていた団扇を二本持って来て、朴に一本手渡した。そうして、また胡座をかいて座ると自分の顔に向けてぱたぱたと扇いだ。
「いいや、豊臣秀吉は二度と現れてたまるものですか。わが雨森一族の祖先は豊臣秀吉によって皆殺しに合いました。拙者はかろうじて生き残った子孫の一人ですが、こうして日本の最果ての対馬島まで流れてくる巡り合わせになったのも、元はと言えば豊臣秀吉によってわが先祖が近江国雨森の里を追い払われたからです。豊臣秀吉が天下を取っていた間、雨森という名を知られまいとして世間に背を向けて生きねばならなかった一族が、徳川の時代になったからといって急に日が当たる筈もなく、雨森家を再興することもかなわず、どんなに惨めな思いで暮らしてきたか、わが父親であった人が繰り返し拙者に語ったものでした。豊臣秀吉と聞くだけで歯ぎしりしたくなります。秀吉に対する怨みは百年経っても、決して忘れることは出来ません。豊臣秀吉の亡霊が再び現れたなら、ずたずたに切り刻んでやりたいほどです」
「そうですか。あなたの一族も豊臣秀吉によって過酷な被害を受けた犠牲者でしたか。豊臣秀吉は両国にとって悲惨な戦禍をもたらした不倶戴天の敵でした。なんとしても二度と豊臣秀吉を出現させてはなりません」
「徳川幕府が一貫して貴国を敵視する政策をとってこなかったことは、秀吉なき後、今日までの両国の友好関係をみればお分かりになるでしょう。元禄銀は貴国を苦しめるためにとった経済政策ではなかったことはどうか分かって下さい」
「われわれは今回の交渉の妥結で安心する訳にはいきません。幕府が元禄銀の使用をやめ一国も早く元の慶長銀のごとき良質の銀貨に戻されるようにお願いしたいのです。逆にもっと悪質の銀貨に改鋳しようと画策される場合には貴藩からも強く反対していただきたいのです」
「分かりました。元禄銀よりも品位の劣る銀貨を政府が再び造らないように、藩を通じて幕府に必ず申し伝えます。それでなくとも、元禄銀の使用のため、現に良質の人参が貴国より対馬藩に入荷せず尾人参ばかりでは病気の治療もかないません。憂うべきことは仕込み人参が多くなっていることです。わたしたちが銀に鉛銅を大分混ぜて銀だと言って渡してもあなたたちは受け取らないのと同様、人参の中に鉛鉄を混ぜた人参は人参ではなく偽薬ですので、何の役にも立たぬ人参をわたしたちは受け取れません。悪人参については厳しく罰していただきたい」
「朝鮮人参の名を汚すような人参を日本に輸出しては朝鮮の恥となります。東萊府にその点についてよく話しておきます」
 芳洲は眼が細く釣り上がり浅黒い顔をした朴と話をしてみて、朴が日本人を信じるどころか深く猜疑していることをしみじみ知らされた。そうして、日本人と朝鮮人との付き合いが交易の上の損得勘定としての付き合いであるかぎりは、両者の信頼関係はいつまでも回復せず、「誠心の交わり」は出来ないだろうという危惧の念がおこるのを感じた。

       2
 芳洲が朴僉知と夜を徹して酒を飲み交わした日から四日が経った。ぎらぎらと光る真夏の太陽は夕方になっても勢いを衰えず、府中の城下町は海が近いのに海が凪いでいるため、まるで蒸し風呂に入っているような蒸し暑さであった。芳洲は歩いているだけで背中と額に汗が気持ち悪いほど噴き出た。
 芳洲は宗氏の居城である棧原屋形を出て馬場筋通りに並んだ立派な庭園を構えた武家屋敷の前まで来ると、半分白髪の痩せた長身の男がよろよろとした足取りで物陰から近寄って来た。夏の羽織袴を着け刀を二本挿しているが身形は薄汚くて、年は五十半ばは過ぎている感じである。男はすでに大分酒を飲んでいるらしく、時々しゃくりをする。
「雨森さんでしょう。わしは栗木文之進と申します。わたしはあなたをよく知っていますよ。へっへへへ」
 芳洲は血色の悪い青ずんだ相手の顔を訝しげに見た。男は悪びれている様子もない。
「怪しい者じゃありません。これでもわしは藩から通詞を仰せつかっています。実はあなたの朝鮮佐役のご就任をお祝いさせていただきたくてね。いかがです。ちょっと一杯やりませんか。お若いのに朝鮮佐役に抜擢されるなんて実に羨ましい。なんでもちょっと前には長崎まで勉強に行っておられたとか、やはり江戸から見えたお方は違いますね。出世が早い。やがては朝鮮頭役は間違いないでしょう。めでたいですね。大いに祝わなくては。なに、わしのなじみの居酒屋がすぐ近くにありますから、そこで今日は祝宴と参りましょう。さあ行きましょう」
 男は芳洲の返事も聞かずに芳洲の腕をつかんだままどんどん歩き出した。
 芳洲が朝鮮佐役に任命されてから、急に何かと接近して来る者が多くなった。昨晩も芳洲の家へ梅野屋と有田屋が来て金子を包んだ紫色の布をさし出した。
「今度雨森さまが朝鮮佐役の御役に就任なさったお祝いとして三百両をさし上げたいのでお受け取り下さい」
 芳洲は驚いて「そのようなお金は受け取れぬから、即刻持って帰るように」と言うと、二人はまったく意外だというように顔を見合わせた。
「わたしどもはこれから雨森さまに色々とお世話にならねばなりませぬから、この金をお持ちしたのでございます。今後はあなたさまの御恩に報いるために毎年わずかですが、百両をさし上げたいと存じます。あなたの前任者にもこのようにさせていただきましたから、何も遠慮なさる必要はありません」
 芳洲はこの言葉に思わずかっと目をむき顔を真っ赤にした。
「前任者の場合は知らぬが、この金は受け取れぬ。この金を受け取れば賄賂を受け取ったことになるし、あなたたちも拙者に賄賂を送ったとして厳しい処罰を受けねばならぬがそれでも構いませぬか」
 梅野屋と有田屋はとんと合点がいかないといった顔つきで帰って行った。彼らは三百両の金が賄賂だという意識もなかったし、前任者も賄賂とも考えずに平気で受け取っていたのである。芳洲はこうした賄賂が公然と行われている事実に呆れ返った。
 芳洲は栗木文之進に引っ張られるようにして居酒屋『春駒』へ入った。中には町人たちががやがや騒いで酒を飲んだり飯を食べたりしている。
「あなたのような馬廻の方には不似合いな場所ですが、わしら御徒士の者にはここは桃源郷みたいなものです。さあ、周りを気にせずどんどん飲みましょう。この世の憂さを晴らすのは酒が何よりです。おおい、酒だ。酒を持って来い」
 栗木は大きな声で右手を振り上げて奥の調理場へ向かって叫んだ。『春駒』の亭主がお盆に徳利を二本載せて現れ、「栗木さん、酒代は随分溜まっているのにいつになったら支払ってくれるのですか。それにもう出来上がっている様子なのに、まだ飲み足らないのですか」
と困惑したように問い詰めた。栗木は急にむっと不機嫌な面持ちになり「今晩は借金の話はよせ。こちらは雨森東五郎とおっしゃる二百石取りのお侍。本当ならこんな汚い居酒屋にはお入りにならないのだが、わしが無理やりお連れしたのだ。ただ立っていないでひとつ御挨拶でもしたらどうだい」
「へえへえ、雨森さま、今後ともよろしく御贔屓の程をお願いします」
 亭主はあわてて愛想笑いをし、ぺこぺこお辞儀すると調理場の内へ入ってしまった。
 芳洲は徳利を取り栗木の持つ杯に酒を注いだ。
「栗木殿、あなたは通詞とおっしゃったが、それでは朝鮮語が堪能であられる訳ですね。拙者は朝鮮佐役を拝命したのを切っ掛けに朝鮮語を学びたいと存じています」
「親爺が通詞であったから、通詞となったにすぎません。堪能という訳じゃありません。雨森さん、わしが通詞となった若い頃ですが、あの頃はいい世の中でしたよ。今の草梁の倭館じゃなくて釜山浦豆毛浦に倭館があった頃ですがね。わしら通詞だけじゃありません。町代官などは一人で五〇貫目ほども儲けていたし、町代官の手代の者にしてもそれぞれに金儲けが出来たのです。まして商売も請負礼をもらえば気楽に出来ました。朝鮮の商売人もどんどん増えてね。朝鮮へ渡らない者にしても、対馬でそれぞれ似合いの商売がちゃんと成り立ったんですよ。ところがお上が交易の利益をすべて藩の方で吸い上げようとなされてからはまるっきり干上がっちまったんですよ。昔は朝鮮とお国の者同士が自由気ままに往来していたのですが、今は商人の数も厳しく制限されてすっかりやりにくくなってしまいました。当時、通詞はみないい身形をしていましたよ。こんな着た切り雀の惨めな恰好じゃなかったです。だから、誰もが通詞になりたがりましてね。大勢の通詞がいたものです。今ではめったに通詞になろうなんて者はいませんよ。二人扶持の俸禄で妻子を合わせて五人家族がどうして食べていけるのですか。子供たちはどんどん成長していくのに、いつまで経っても二人扶持のまま。これまでついぞたった一合の米の御加扶持もないのですからね。今は夏ですから裸同然の恰好でもいいが、一体冬になったらどうしたらいいのですか。あなたなどはわしの十倍もの俸禄をもらっていなさるから、わしの悩みはお分かりにならんでしょう」
 栗木はそう言いながら、芳洲に酌をした。
「腹を空かして泣き喚く子供たちの顔、髪を振り乱し子供に喧しく叱りつける女房の顔を酒を飲んですっかり忘れ去りたいのです。女房は胸を患っていて、たえずごほんごほんとおかしな咳ばかりしています。可哀想ですが、ある様子では長くはもたんでしょう。ああ、もう何もかも、家族のことも自分のことさえも煩わしくてたまらんのですよ。あれらのことを考えるだけで家へ帰りたくないのです。ね、雨森さん、頼みますから、このわしと一緒にわが家へ帰ってくれませんか」
 栗木は白菜の漬物に箸をつけていたのを急にやめ、芳洲の顔を懇願するように見つめた。
「いいですよ。拙者でよければ喜んでお供しましょう。これから朝鮮方ではあなたにもお世話にならねばなりません」
「ほう、さようですか。わしでもあなたのお役に立てますか。よろしい。わしでよければ大いにお使い下さい。でもね、その際には酒を、酒をたっぷり飲ましてくださらないとね。わしは米の飯よりもこの酒の方がいいのです」
 栗木は徳利をつかむと、手酌で盃に酒を注ぐや、酒をぐいと飲み干した。
「ついでと言っちゃ何ですが、あなたの朝鮮佐役就任を祝ってわしに金を貸してくれませんか。いや、恵んでくれなんてことを言ってるんじゃありません。栗木文之進は乞食じゃない。これでもちゃんとした侍ですからね。今お持ちの分だけで結構です。ちゃんといつか必ずお返ししますからね。これでも金儲けをする気なら、すぐにも手に入れることは出来るのです。今もいい金蔓があるとさる高貴なお方からお誘いも受けているのですがね。あまり気が進まないものですからね。お上はわしら二人扶持、三人扶持の暮らし向きについてまるで無頓着でいらっしゃるが、雨森さん、あなたならわしらを可哀想だと哀れんでくださるでしょう」
 栗木は痩せて尖った喉仏をごくりと鳴らし、今にも泣き出しそうに目をしょぼしょぼさせた。
 栗木はまだ飲み足らない様子であったが、芳洲は頃合と見て、亭主を呼んで酒代を払った。『春駒』の外へ出ると、栗木はさすがに酔いが足に来てよろよろともたつくので、芳洲は栗木の右肩を後ろから抱え込むようにしてゆっくりと町の通りを歩いた。夜になっても蒸し暑くて、これでは今晩もよく眠れぬだろうと芳洲は思った。栗木は俯いてぶつぶつ独り言をつぶやいて歩いていたが、ふと立ち止まり芳洲に向かって深々とお辞儀をした。
「いやあ、今晩はすっかり御馳走になりました。雨森さん、あなたっていい人ですね。江戸からいらっしゃった人はわしらみたいな御徒士に言葉もかけてくださらないのに、あなたは違いますね。わしとお酒も付き合ってくださるし、お金まで貸してくださる。飲んだくれのわしを突き飛ばしたりなさらずにですよ。わしは子供たちに溝の中に四、五回後ろから突き飛ばされたこともあります。先日も道端に酔い潰れて寝込んでしまったところ、棒切れで背中を無茶苦茶叩かれました。背骨にひびが入ったのかまだ背中が時々痛みます。馬廻の侍の子供の仕業ですよ。御徒士や町人の子供はそんなひどいことはしませんがね。子供たちから馬鹿にされているわしを雨森さんは嫌がりもなさらず家まで付いて来てくださる。あなたのようないい人はめったにいませんよ。いいですか。是非とも家の者に会ってやって下さい。二十人扶持の馬廻のあなたをお連れしたら、家の者はみんなびっくりしますよ。へっへへへ。まず第一に女房のまつが驚くでしょうて。それとも、やはり子供たちの方が大騒ぎするかな。なんといっても朝鮮佐役のお偉方がわしらの住まいにいらっしゃるなんてことはめったにあるものじゃありませんからね」
 芳洲は栗木の嬉しそうな笑いに対馬藩が侍であっても身分の差別が厳しいため、家中の者が互いに反目しあい一つにまとまっていないのを感じた。
 月明かりの中に、狭い路地にある二人扶持の御徒士の住む古びた家並みが見えて来た。馬場筋通りの南から北へ並んでいる歴代の藩の重臣の屋敷は枯山水の趣向を凝らした石庭や一匹何両もする鯉が泳ぐ池を構えていたが、裏通りにある御徒士の家は石垣に囲まれた家で、軒先に小さな畑が作られ野菜が植えられていた。その内の一軒の屋敷の前で栗木は立ち止まり、身だしなみを正し家の中へ入った。
 芳洲は今の前に立っていると、
「お米はどうなされたのですか」
 と言う女の声がし、後は急に咳こむ音でよく聞こえなかった。「父ちゃん、お米は」と言う男の子の声が続いておこった。
「藩の米蔵へ行って、切米の前借を頼んだが断られたのだ。毎度のことで何度も認める訳にはいかんと言われてな」
「今まで子供たちはあなたのお帰りを楽しみに待っていたのに、今晩も米の御飯を食べられないって訳ですの。あなたは何時だって自分ひとりお酒を召し上がっていい気分でしょうが、この子たちのことをもっと考えてくれてもいいじゃありませんか」
 女はとうとう啜り泣きはじめた。すると、「父ちゃん、お米が食べたいよ」と拗ねたような子供の声がまたした。「竹二郎、うるさい」と今度はもう一人の男の声がして、竹二郎と呼ばれた子が叩かれたのか、たちまち「うわっ」と火が点いたような泣き声がおこった。
「梅太郎も竹二郎も静かにしなさい。米の御飯はちゃんと食べさせてやるから落ち着くのだ。金はここにあるから、ゆき、この金を持って米屋まで行って米を一升買って来い。ついでに塩味噌もな」
 栗木の子供たちを諭す声がすると、子供の泣き声はすぐにおさまった。
「父上、今晩は米の御飯が食べられるのですか」
「そうだ」
「うあい、白御飯だ。兄ちゃん、白御飯だって」
 家の中で二人の男の子が大喜びをしてはしゃぎ回って騒いでいる。子供たちはよほど米の御飯を食べたかったと見える。
「ゆき、何をしている。急いで一走り行って買ってきておくれ」
「はい」
 はっきりと元気な声がしたかと思うと、がらっと裏口の障子戸が開き、家の中から若い女が飛び出してきた。あまりの突然に軒先の暗がりに立っていた芳洲にあやうくぶつかりそうになり、「あっ」と叫んで地面に転がった。芳洲は「うっ」と言って腹を押さえて痛がっている娘の手を取り、立ち上がらせた。娘は自分で着物に付いた汚れを手ではたきながら言った。
「すいません」
「いや、こちらの方こそ申し訳ないことをした。お怪我はなかったですか」
 娘はちょっと笑って頷いた。薄明かりの中でよく分からないが、一七、八才ぐらいの丸顔の瞳の大きく光る娘であった。栗木が家の中から現れた。
「雨森さん、娘のゆきです。朝鮮佐役の雨森様だ。ご挨拶をせい」
 娘はあわててぴょこんと頭を下げてお辞儀をすると、そのまま夜の道を駈け出していった。娘の後姿がたちまち暗闇に消えて見えなくなると、栗木は嘆息をついた。
「恥ずかしい話ですが、あの子も近く身売りしなければなりません。口入れ屋が来てね、器量がよいから京や大坂へ行けばいい稼ぎになると女房に言い聞かせているありさまで。わしらが食べていくには止むを得ません。むさくるしい所ですが、まあ中へお入り下さい」
 栗木は玄関口に立ったまま家の奥へ呼びかけた。
「まつ、お客さまをお連れした」
 破れた唐紙障子がすっと開き、栗木の妻のまつがぼうぼうに乱れている髪の毛を両手で撫で付けながら現れた。一目芳洲の風体を見るとどぎまぎして玄関口に跪き、「ようこそいらっしゃいました」と言ってお辞儀をした。女は目鼻筋が通った美しい顔をしていた。芳洲はまつが肺病でかなり悪い状態であることを以前自分が医者の卵であった経験からすぐに見抜いた。
「まつ、安心しろ。この方は雨森さまと言って朝鮮佐役になられたお方だ。ゆきの旦那として連れて来た訳じゃない」
 その言葉を聞き、まつはほっと安堵したのか急ににこやかに笑おうとしたが、どうしたことかごほんごほんと咳こんだので慌てて口を手で押さえてお辞儀をして中へ引き籠もってしまった。
 栗木は玄関の右側にある小さな座敷へ招じ入れた。行燈の灯をともすと部屋があかるくなり、使い古びて黒ずんだ畳が目についた。芳洲の耳の辺りを足の長い蚊が何匹もぶんと飛び回る音がした。対馬の蚊は江戸の蚊に比べて、体も大きくて挿されるといつまでも痛かった。「失礼なことを申しました。お許し下さい。まつはあなたがゆきをめかけにしたいために参られたと勘違いしたのです。どうか気を悪くなさらないで下さい。御覧のように床の間の掛け軸も文机も質へ入れてしまってありませんが、実はあなたにお見せしたい物があるのです」
 栗木はそう言って部屋の脇床の地袋を開けて中から大きな木箱を取り出して来た。木箱の蓋を開けると、中に紙を束ねて白糸で綴じた分厚い帳面のような冊子が四十部ほどしまいこんである。栗木は満面に笑みを浮かべ、一番上の一冊を取り上げ、横を向いて冊子の上の埃を口でぷうと吹き飛ばした。そうしてまた冊子をぱたぱたはたいてから芳洲に渡した。表紙には「隣語須知」と太字であり、その横に「天文」と細字で書いてあった。中を覗くと、「바람 パラム 風」「하늘 ハヌル 空」「구름 クルム 雲」「빗 ピッ 光」と朝鮮語が初めに書かれ、その次に片仮名で発音を示し、その下に漢字で意味が記してある。一見して、朝鮮語と日本語で書かれた単語集であることはすぐに理解した。栗木はまた別の「商売」と細字で書かれた一冊を芳洲に渡した。
「값은 얼맙니까? カプスンオルマムニカ 値段はいくらですか」「더 싸게 해 주세요 トサゲヘジュセヨ 値引きをしてくれませぬか」
 こちらは朝鮮語の文例が挙げてあり、その下に発音と訳が日本語で書かれている。
「これはあなたが作られた朝鮮語の文例集ですね」
 芳洲は思わず唸った。
「これらは亡くなった父が書き残した物と、それからこのわたしが若い時から少しずつ書き溜めた物です。もし、あなたが朝鮮語を勉強なさりたいのなら、どうかお使い下さい。あなたに使っていただければわしも嬉しいのです」
「それは有り難い。こんな立派なお仕事をあなたがこつこつなさっていたことは藩の者は知らないのですか」
「いや、こんな仕事をしたって何の得がありますか。わしら通詞はただ朝鮮との外交や交易が円滑に運ぶように相手の言い分をお国に伝え、お国の言い分を相手側に伝えればそれで十分。それ以外は余計なことを言わないように朝鮮方からきつく仰せつかっています」
「拙者は中国語はなんとか話せるようになりましたが、朝鮮語は残念ながらまだ全然と言っていいほど分かりません。栗木殿、拙者の朝鮮語の師匠になってくださらぬか。勿論、指南していただいた御礼はお支払いいたします」
「わしをあなたの師匠にですって。御冗談でしょう。こんな飲助を師匠にしてはあなたが恥をかきますよ。大通詞の青山甚四郎さまにでもお頼みなさった方があなたの御身分にふさわしいですがね」
「いいえ、あなたに頼みたいのです。是非ともあなたに朝鮮語の手解きをしていただきたいのです」
 芳洲は居ずまいを正し、栗木の前に頭を下げた。栗木はこれを見てうろたえて言った。
「何をなさるのですか。馬廻の方がわしら御徒士に頭を下げなさってはいけません。それにあなたはわしの上役なのですからね。いえね、わしみたいなただの通詞に雨森さまがそこまでしなさるのが嬉しくてね。辱ないことです。わしがあなたに朝鮮語をお教え申し上げても本当にご迷惑にならないのですか」
「栗木殿、あなたに教えていただければまことに有り難い。通詞たちは拙者が上役に当たるためか、拙者に朝鮮語を教えるのを敬遠しているようなのです。どうかあなたも拙者を上役だと思わないで、ただの韓学徒として教えてほしいのです」
「分かりました。そこまで雨森さまがおっしゃるのなら、喜んでやらせていただきましょう。そうと決まれば、まずあなたにわしの弟子たちを引き合わせましょう。わしの息子たちですよ。梅太郎、竹二郎、こちらへ入って来なさい」
 さき程から唐紙の隙間からこちらを覗いていたらしく、栗木の声で男の子が二人唐紙をすぐに開けて入って来た。二人は芳洲に向かって正座してから礼をした。
 栗木が息子たちを紹介した。
「長男の梅太郎十二才、二男の竹二郎八才です。この二人にも朝鮮語の初歩を教えているところです。中国語でも同じでしょうが、言語は小さいうちから教えた方が上達が著しいのです。今では朝鮮語は面白いからもっと教えてくれろとせがむほどですが、肝腎のわしの方がいつも酒に酔い潰れてしまって、この子たちに叱られているありさまですわ。雨森さまもおまえたちと一緒に朝鮮語を学びたいとおっしゃるのだ」
「うわあっ、あなたも朝鮮語を勉強なさるの。兄ちゃん、ヒョンジェ(兄弟)がもう一人出来たね。兄ちゃんが一番弟子、竹二郎が二番弟子だから、雨森さんは父ちゃんの三番弟子だね」
「竹二郎、言葉を慎まぬか」
 梅太郎ははしゃいでしゃべる竹二郎を叱りつけた。竹二郎には兄に叱られて急にしょんぼりしてしまった。
「梅太郎殿、まあよいではないか。竹二郎殿がおっしゃるとおり拙者が今日から父上の三番弟子になった雨森東五郎でござる。よろしく頼みますぞ。あなたたちのような可愛い兄弟子が出来てこんなに楽しいことはありません。はっははは」
「雨森さん、本当はね、あなたは四番弟子ですよ」
 竹二郎はおかしくてたまらぬといった顔でくすくす笑いながら言った。
「えっ、まだ他に兄弟子がいるのですか」
「うん、そうだね、兄ちゃん」
 竹二郎は大きな目を輝かせて兄を見た。
「竹二郎、またおまえは余計なことを言う」
「だって、兄ちゃんは一番弟子じゃなくて、二番弟子じゃないか」
 小さな体の竹二郎が大きな図体の梅太郎にまけまいと精いっぱい言い張った。芳洲は兄弟の言葉のやりとりを見ていて、吹き出しそうになった。
「雨森さん、実はね、姉のゆきが朝鮮語をかなりしゃべれるのです。あの子は小さい時から物覚えが早くてね。以前はよくわしが朝鮮の訳官を家へ連れて来ることがありましたから、その影響を受けたのでしょうか、朝鮮語に興味をもちはじめ、訳官から教えを受けたりしていたのです。あの子が男子であれば通詞になれたのに、女子であるばかりにそれも出来ないのが恨めしく思います」
「そうですか、ゆき殿が朝鮮語を話せるということなら、ゆき殿も拙者の兄弟子ということになりますな。はっははは」
「雨森さん、この子たちが望むなら将来は通詞になってくれてもいいと考えています。通詞になるには、言葉好き、稽古好き、生まれつきの三つが必要です。誰でも向くものではありません。わしなどは小さい頃、朝鮮語を覚えるのが嫌でたまらず、通詞であった親爺に逆らってばかりいて、よく殴られました。親爺は酒も煙草もやらないそれこそ堅い一方の人でしたが、体が弱くてね。女房のまつと同じく胸が悪かったのです。いつも体に熱があると言っていましたが、勤めはめったに休みませんでした。真面目だけが取り柄で、梲が上がらない、最後まで二石二人扶持のままでした。わしは一人息子でしたのでわがままに育てられ、親爺のそうした生き方によく反発したものです。それで親爺と喧嘩をしてはその憂さばらしに酒や博打を覚えたという訳です。親爺の形見を整理していると、親爺の書き物が何冊も出てきて、親爺が朝鮮語の単語を書き集めていたことを初めて知りました。一言も口に出して言いませんでしたが、親爺は通詞であることに誇りをもっていたのだとわしはその時知りました。それ以来、わしも朝鮮語の単語や文例を書き集めるようになったのです」
「そうですか。実は拙者の父は医者でしたので、拙者を医者にしたかったのですが、医者になるのがどうしても嫌で修行中の一二才の時に父の反対を押し切り医家を飛び出してしまいました。こうして儒者になってみると、自分の跡継ぎをなくした父はどんなに無念に思っていただろうと今にして分かるようになりました。その時はどんなに両親に説得されても人間の生死に携わるのが嫌で嫌でたまらず一日も我慢できなかったのです。人の病気を治す医者よりも天下国家の病患を治すために儒者になる方が男子一生の仕事としてやり甲斐のあることだと不遜にも考え儒者になったのですが、今思えばまことに幼稚な料簡でありました。あのまま医者になって多くの病人を救う仕事をしていた方がどんなに世の中の役に立った生き方であったかと思われます。今では子供には出来たら医者になってほしいと考えているのですから、本当に皮肉なものです」
「わしはこの子たちが通詞に向くなら通詞になればいいと思っているのです。通詞では貧乏な暮らししか出来ませんから、無理強いはせぬつもりです。むしろこの子たちには府中にいるよりも他国へ出てよい仕事先を求めた方がよいように思うのです」
 芳洲は御徒士の身分の者であればあるほど栗木のように自分の子供の将来への不安と失望を根深くもっているのだろうと容易に想像できた。そうして子供が一人前に成長すれば対馬で生活できないため仕方なく諸国に流浪していかねばならない現実に藩がどんな対策も取っていないことに歯ぎしりするほど苛立つのだった。
 勝手口で米と味噌塩を買って戻ったらしいゆきの声が聞こえた。竹二郎がそれを聞きつけ、すばやく立ち上がり唐紙を開け放しにして出て行った。
「うわあっ、本当に米の御飯だ。よし腹いっぱい食べるぞ。嬉しいなあ。友達の家に触れ回ってくるよ」
 竹二郎が大はしゃぎする声がして、たちまち戸外へ飛び出していったようだ。家の前の通りで「白御飯だ、白御飯だ」という大きな声がする。
「これ、竹二郎、そんなこと触れ回らなくても」
 母親のまつが竹二郎の後を追い駆けて行く声が「ごほん、ごほん」という咳とともに家の前でする。
「父上、お盆と正月が一度に来たような騒々しさですね」
 梅太郎は嬉しそうに笑った。栗木は寂しそうに梅太郎をちょっと顧みてから、芳洲に言った。
「折角ですから、わしらと一緒に晩御飯を食べていってくださらぬか。ゆきが急いで御飯の用意をしますから遠慮なさらずにどうぞ」
「いや、家の者があまり遅くなると心配するから今晩はこれでお暇しよう」
 芳洲は立ち上がり、そのまま玄関へ出た。玄関先の暗い野菜畑で鳴いていた蟋蟀の鳴き声が急にぴたりと止まった。ゆきも玄関へ出てきて「さぞお腹もすかれたでしょう。御飯を召し上がっていって下さい。味噌汁もすぐに出来ますから」と食事を勧めた。
「今度参った時に是非御馳走になりましょう。その日まで楽しみにしておきますよ」
 芳洲はゆきに丁重に断った。そうして、栗木に向かって言った。
「拙者も朝鮮語の勉強を少しずつ始めたいと存じますので、あの単語集をいつか拝見させてください。ではさらば」
 芳洲は三人と別れて通りへ出ると、竹二郎が母親のまつと一緒に帰ってくるのに出会った。まつは芳洲に会釈し、竹二郎は「雨森のおじさん、さようなら」と手を上げて言った。芳洲も手を上げて、「竹二郎殿、さらば」と言った。
 芳洲はわずかなお金を栗木に貸しただけなのに、栗木の家族の者があんなに喜んでくれるのが不思議でならなかった。娘のゆきが近く身売りせねばならぬと栗木は言っていたが、そこまで困窮している藩士が身近にいるのにどうして藩が家臣のために救済措置をとらないのか、それは明らかに家老たち取り巻き連中に耳に快いお世辞ばかり聞かされているため、藩士がどんなに苦しんでいるのかさっぱり分かっておられないのではないかと思えてならなかった。

       3
 芳洲は栗木文之進の家を訪れる暇もなく日が経った。朝鮮方の役所でも彼に会わなかった。芳洲は自分の起草した書契が出来上がり、近く朝鮮へ使節を派遣する準備を整えねばならなかった。その上、町奉行所より大掛かりな朝鮮人参の密貿易があったという知らせがあったのでよけいに多忙となった。
 奉行所の調べによれば、朝鮮人参を売ったのは現在府中の使者屋に宿泊している朴僉知たち使節の中の朝鮮商人であり、朝鮮人参を買ったのは藩の幹部であり、梅野屋と有田屋の商人もこれに加わっているという。この両者の仲介者として藩の通詞二名が関わっているから、朝鮮方の捜査協力を求めたいとのことであった。容疑者の通詞の一人は瀬尾徳兵衛であった。彼はすでに罪の発覚を恐れ、昨日自宅の物置小屋で首を吊って死んでいた。もう一人の通詞はあろうことか、栗木文之進の名が挙がっていた。芳洲は思わず全身の血が逆流するような戦慄を覚えた。これから朝鮮語の勉強を教えてもらうことになっていた栗木がなんということだろう。栗木はどんなに貧乏をしても悪事が出来るような男ではない。これは何かの間違いではないか。芳洲は栗木が密貿易の一味に加わるとはどうしても信じられなかった。しかし、栗木はこの数日中に奉行所から告発を受けることになっていた。栗木が罪状を認めれば梅野屋と有田屋だけでなく藩の幹部の名前まで明らかになるから極めて慎重に取り調べよとの朝鮮頭役からの指示であった。芳洲は明日、栗木の出頭を求めて直接事の真相を聞き質さねばならぬことになった。いざとなれば朴僉知と鄭判事に朝鮮商人全員に銀貨を隠し持っていないか持ち物の検査を要請しなければならなかった。
 夕方に激しい雷雨が襲来した。土砂降りに降りつづける府中の至る所に凄まじいほど青い閃光を放つ稲妻が盲滅法走り回り、耳の鼓膜を突き破るほどけたたましい破裂音を立て雷が落下した。
 ようやく夕立の雨が止み涼しくなった夜更けに、一人の女が芳洲の屋敷に尋ねて来た。女は栗木の娘のゆきであった。芳洲はゆきを奥座敷へ通し対座した。ゆきは深く礼をして夜中に突然訪問した失礼をまず詫びた。ゆきの顔は緊張して青ざめていたが、ほんのりと薄化粧をしており唇には紅もさしていた。目は異様に妖しく光り輝いている。
 芳洲は不審気に尋ねた。
「あなたをここへ寄こしたのはもしかしてお父上の言い付けですか」
「いいえ、私一人の考えで参りました」
 ゆきはかぶりを横に振り平然と言った。
「さようですか。しかし、お父上が関わられた事件のことで参られたのなら、このままお帰りになられた方がよろしいでしょう」
「是非ともあなた様に私の話を聞いていただくまで帰れません。父は潜商に関わった疑いがかけられています。どうか父を助けてほしいのです」
 ゆきの顔にはすべて話を聞いてもらうまで梃でも動かぬという悲壮な決意がにじみ出ていた。
「お父上の命請いに見えたのですか」
「はい。父の命が助かるのなら、私の命がなくなろうとも覚悟は出来ています。ですからあなたさまのお力を貸してほしいのです。父が潜商の手引きをしたとの疑いですが、これは御家老樋口孫左衛門さまの御命令でやむなく行ったことでございます」
「なんだって、栗木殿が御家老樋口様の命令により潜商を働いたと言われるのですか。そんな馬鹿か」
 芳洲は容疑者として挙がっている藩の幹部とは実は家老樋口孫左衛門だとゆきからたった今知らされ、呆然としてしばらく二の句がつげなかった。こんなことがあってよいのか。いや絶対にあってはならぬことだと芳洲は憤怒のあまり膝の上に握りしめていた二つの拳をぶるぶる震わせた。芳洲が激しく動揺したのに反し、ゆきはあくまでも冷静であった。
「まことでございます。父は御家老のおっしゃることに逆らうことが出来なかったのです。なぜなら、同じ通詞の瀬尾様と父とが断れば通詞をやめさせると脅かされたからです。そうして、通詞なら誰でもやっていることだから心配せずともよい。たとえ罪が露顕しても決して悪いようにはせぬと約束なさったのです。このことは、わが家にお見えになった瀬尾様と父が互いに朝鮮語で話しているのをたまたま耳にして知りました。それにいつでしたか、弟の竹二郎が病気になった時、朝鮮人参を御家老からいただいた御恩があったので、どうしても断れなかったのです」
 ゆきはここまで言うと苦しげに顔を歪めた。
「それが真実とすれば家老こそ栗木殿を悪事に誘い込んだ張本人ではないですか」
 ゆきは事件の概要を知ったうえで、ここへ来たのは明白であった。芳洲に洗い浚い話してなんとしても自分の父親を救わねばならないという思い詰めた表情であった。
「どうか父の命をあなたさまのお力で助けて下さい。父はあたしが身売りをすることに耐えられなくて前金として五両を受け取ってしまったのです。借金の返済のためすでに二両はありませんが、これが残りの三両です。父の手文庫から持って参りました」
 ゆきは膝の上にしっかりと摑んでいた赤色の布の包みから三両の小判を取り出した。芳洲は困惑したように金貨を見た。
「お父上を救いたいというお気持ちはよく分かります。しかし、その三両を拙者の所へ持参なさってどうしようというのですか。まさかその汚れたお金を握らせて拙者に潜商の一件に目を瞑れとおっしゃるのですか」
「いえ、滅相な。私どもはあなたさましか頼れるお方がいないのです。もし元通り五両あれば罪が許されるのなら、なんとしてでも、この身を売ってでも用立てて参ったでしょうが、今はお金はまるでないのです。どうか後生です。あたしはどうなっても構いませぬから、父の命を助けていただきたいのです」
 ゆきはそう言うと、何を思ったのか、芳洲に擦り寄り目の前の芳洲の手を摑み自分の胸にぐいと引き寄せた。
「雨森さま、あなたさまに差し上げるのはこの身しかありませぬ。どうか、ゆきを哀れとおぼしめして御慈悲を賜りとうございます」
 芳洲は一瞬、ゆきの哀願する顔をあまりに目近に見たので、ひどく狼狽してゆきを思わず知らず激しい勢いで前へ突き飛ばした。
「やめなさい。そんなことをしてお父上は喜ばれるとお思いか」
 ゆきは「あっ」とつぶやいて畳の上に伏した。そうして、おのれの突飛なふるまいが今になってにわかに恥ずかしくてたまらぬというように白い顔を急に耳元まで真っ赤にし「わあっ」と声を揚げた。
「父が生きてくれさえしたらあたしはどうなってもいいのです」
 と泣き喚きながら、悔しくてたまらぬと言わんばかりに畳をどんどん右手の拳で叩きつづけた。
「潜商は死罪と決まっています。ああ、こうなる前に何とかならなかったのですか。拙者がもっと金子をあなた方に用立てていればこんなことにならずに済んだのですか」
「父は五両あれば借金は少しは返せるし、当分の間は家族を飢えさせることもなく過ごせるとそれだけしか頭になかったのですわ。通詞の中には潜商の仲間となっている者もいるが、安心しろ、わしは何があっても潜商には手を貸さぬ。わしが罪を犯せばわしは処刑されるばかりかおまえたちまで卑しい拝領奴となり対馬で惨めな生涯を過ごさねばならぬ。そんな目におまえたちを合わせるものかと口癖のように言っていた父が、とうとうこんなことをしてしまうなんて。本当に貧乏な暮らしに精も魂も使い果たしてしまったせいですわ。貧乏が、貧乏が恨めしい」
 ゆきは自分の顔を何度も畳に擦り付けながら嗚咽した。
「なんにしても一番悪いのは人の弱みに付け込んだ家老樋口孫左衛門である。ゆき殿、どうぞお父上に家老が潜商の張本人であることを証言してもらえませぬか。そうすれば潜商の一味を一網打尽に捕らえることが出来るのです」
 芳洲のこの言葉にゆきはしゃくりあげていた顔をきっと上げて芳洲を睨み付けた。
「雨森さま、どうあっても父を死なせようというお考えなのですね。先刻、父の所へ家老の使いの者が見えて、あなたさまが父の罪を不問に付せば潜商の一件はなかったことになるだろうとおっしゃっていましたのに」
 芳洲は苛立ったように叫んだ。
「いや、潜商の事件をうやむやにすることは断じて出来ませぬ。潜商をなくさねば藩に人参がますます入りませぬ。実際、藩の貿易より密貿易の方に上人参が流れていることは明らかなのです。のみならす、その人参の代金である銀は日本にとって限りのある資源なのです。その銀が潜商により際限もなく大量に流れ込んでいるのを見捨てておくことは出来ぬのです。潜商の禍根を断ち切らねば藩の経済は成り立たぬのです。まして藩の執政たる樋口が潜商を犯し腐敗していては藩がいつまでも改革されぬのは当然です。なんとしても樋口たちの罪を告発しなければなりません」
「雨森さま、あなたにとって人の生命よりも御法度がそんなにも大切なのですか。あなたの学問には御慈悲というものがこれっぽっちもないのですか。朝鮮商人のために潜商の取り引きの通詞をしただけで死刑になるのはあまりに過酷な御法度とはどうしてお思いになりませぬか。父が人を殺害したならば死刑というなら止むを得ませぬが、潜商で死刑になるというのは間違った御法度ではありませぬか」
 芳洲は執拗に言い迫るゆきを見て、ゆきがもはや一七、八の小娘とはどうしても思えなかった。自分を守るために、ゆきは芳洲に対し、いや自分の父を殺そうとする者すべてに対してたとえわが身一人でも頑強に戦うことをやめない堅固な意志をもっていた。芳洲はゆきのそうした一歩も退かぬ態度になぜか心が大きく動かされるのを感じた。
「ゆき殿、あなたの言い分はよく分かりました。こんな夜更けまで若い娘が他人の家にいてはつまらぬ誤解を招く元です。あなたの願いについては今晩じっくりとよく考えてみますから、今日のところはもうお引き取り下さい」
 芳洲はうめくような声を出して立ち上がった。ゆきはそれでも立ち退くわけにはいかぬというように芳洲を見上げ、何か言おうとして口をぴくぴく震わせた。しかし、何も言わなかった。やがて諦めたのか、ゆきは帰って行った。

       4
 翌朝、庭先に餌を求めてやって来た雀たちのうるさい囀りの声で芳洲は目を覚ました。目を開けると、夏の朝の日差しで真っ白な障子紙がまぶしく光り輝いて目が痛かった。一晩あれこれ考えてよく眠れなかった芳洲は、栗木文之進の潜商の一件はなかったことにしようと今は心に決めていた。ゆきの父を必死に守ろうとする一途な美しさに打たれたからである。と同時に御法度に従い栗木を罪人にすれば栗木は処刑されるばかりかゆきたち遺族の者は拝領下女、拝領下男として辱められる運命となることがあまりに哀れに思えたからである。貧しい御徒士の家族をさらに痛めつけることにどんな意味があるのだろう。無意味なことは明らかであった。むしろ栗木をして潜商にまで追いやらしめたものこそが厳しく断罪されねばならなかった。責任の大部分は家老樋口孫左衛門にあり、彼に教唆され潜商の罪をやむなく犯した栗木は被害者であると芳洲には思えたのである。
 芳洲は遅い朝飯をとり朝鮮方へ向かう途中に、町衆や女子供が何かがやがや騒ぎながら府中の港の方へ駆け出してゆくのを見た。何事かと通りがかりの男を止めて聞くと、「港に男の死体が上がった」と言った。商売がうまくゆかなかった老夫婦が身をはかなんで海へ飛び込んで心中したのはまだ五日ほど前のことであった。また身投げかと芳洲は暗い心持ちになった。芳洲は役所へ着いて、この溺死体が実は栗木文之進の死骸であることを知らされた時には、愕然として暫時は言葉も出なかった。奉行所の調べでは死体には外傷もなく酒好きの栗木のことだから、酔っぱらって港の埠頭から足を滑らして海へ落ち溺死したものと断定していた。しかし、芳洲は栗木がどうして港へ行かねばならなかったのか、たとえ酔っていたにしても栗木が海へ落ちて死ぬなどというのはどう考えても釈然としなかった。もしかしたら、栗木は自分に司直の手が及ぶのを恐れて自殺したのかも知れないと思った。いや、本当は家老樋口孫左衛門の手の者に口封じのために真っ暗な海へ突き落とされたのかも知れないという疑念がおこった一瞬、芳洲はああ、とりかえしがつかぬ失策を犯したと感じた。栗木の身を保護すべきであったのにそれをしなかったのは大きな手抜かりであったと悔やまれてならなかった。栗木が死んで家老樋口孫左衛門は大喜びしているに違いなかった。家老樋口孫左衛門の顔がふいに目の前に浮かんだ。いつであったか、ある時、芳洲の所へ樋口が近付いてきてこう言った。
「雨森殿、貴殿も楊弓をやりませぬか。大殿も殊の外楊弓が好きでいらっしゃってね。それで楊弓の会を作っているのじゃが、明日その会があるから、貴殿もよければ楊弓をして遊びませぬか。楊弓は子供の遊びとお考えかもしれぬが、結構やってみると面白いもの。勿論、大殿もお見えですから、こうした会に出て大殿の覚えをよくしておかれた方が貴殿の出世も早いというものじゃ。楊弓の会の後は、わたしの屋敷で振る舞いがあります。明日は有田屋が料理、酒、菓子などご馳走をいっぱい屋敷へ持ち込んでくれるとのことじゃ。それに有田屋が大坂から来た座頭や浄瑠璃語りも呼んでくれますから、さぞかし楽しい宴会になりますよ。是非とも雨森さん、貴殿のお越しを待っていますからな」
 翌日、芳洲は風を引いたため急に頭痛がするので楊弓の会も振る舞いも遠慮する旨の手紙を下男に家老の屋敷へ持たせて行かなかった。家老の誘いを拒絶した者はめったにいなかったにちがいない。それ以来、家老樋口孫左衛門は仕事以外は芳洲にいっさい話しかけてくることはなくなった。芳洲にとってそれが一番よかったのである。
 芳洲はゆきの嘆き悲しむ顔をちらと思い浮かべ胸が鋭く痛んだ。そうして、昼になるのを待ち切れず、栗木文之進の家へ向かった。家の前まで来ると、御徒士の女房や子供たちが大勢集まって野次馬のごとく栗木の家の内部を覗いている。突然、「きゃあ」と叫んで家の前から一目散に道端へみな逃げ出した。茶碗が、三つ四つ外に向かって投げられたのだ。それでもすぐにまた人の群は出来て、また家の中で面白いことが始まらぬかとお互いにがやがやしゃべり合いながら見つめている。
 芳洲は人混みを分けて、栗木の家の玄関に入った。見ると、開け放たれた座敷で栗木の妻まつが柩の中に入った栗木の亡骸を引きずり出すのをゆきが必死にやめさせようとしている。梅太郎と竹二郎も死体の両腕を摑んでいるまつの手を引き離そうと後ろから武者振りついている。ゆきが芳洲に気がつき「母が父を離そうとしないのです」とたまらなくなって叫んだ。梅太郎と竹二郎はいい時に芳洲が来てくれたとばかりに「母上を、母上を助けてくだされ」と今にも泣き出しそうな顔つきで芳洲にすがりついた。ゆきが母親の手を死体から引き離そうとすると、まつは急にゆきの手をつかみ大きな口をあけてがぶりと噛みついた。ゆきは「ああ」と叫んで転がった。芳洲は半狂乱になっているまつを見て、「ゆき殿、母上のしたいようにさせてあげなさい」と言った。まつにどうしてそんな力があったかと思われるほど恐ろしい力で柩を畳の上に横倒しにすると、ごほん、ごほんと咳き込みながら柩の中から遺体をずるずると抱くようにして引きずり出した。溺死して体全体がぶくぶくむくんだように膨張した栗木よりもむしろまつの方が青ざめて痩せているために哀れを催した。まつは夫の頬を撫で、頭を撫で、髪を撫でながら「あなたが密貿易をしたなんて言うのは嘘でしょ。嘘だとちゃんと言って」と栗木の耳元に口をつけ囁いた。まつは自分の耳を栗木の唇にぴったり押し当てて声を聞きつけようとしたが、栗木が何も答えないためについに腹を立て、黙ったまま横たわっている栗木の方を両手で揺さぶりはじめた。それでも何も言わないので栗木の白い経帷子を着た胸をこぶしでぱんぱん叩いた。しかし、栗木は仰向けのまま動きもしなかった。まつは頭をかしげ少しの間栗木の顔をじっと見つめた。やがて、今度は栗木のつむった目蓋を自分の両手の指先で開けて目の玉を覗こうとした。芳洲はついに側に近づきまつの手を後ろから摑んだ。まつは芳洲を顧みて、「何をする。邪魔をするな」とぎらぎらした目でにらみつけて叫んだ。
「お内儀、しっかりなされ。栗木殿は亡くなられたのだ」と優しく言うと、まつはぽかんとした顔つきで芳洲をながめた。
「うちの人が亡くなったって。あたしを置いて死んだのかい。あたしを置いて死んだなら、ああ、なんてこった。これからどうして食っていくのさ。うちの人がいなくなったら食べていくことも出来やしないそうだ。ねえ、あんた、あんたならあたしを食べさせておくれだね。ね、食べさせてくれるね」
 まつは芳洲の胸蔵を摑み激しい勢いでしがみついた。ゆきがまつにとりすがって言った。
「母上、しっかりしてください。この方は朝鮮佐役の雨森さまですよ。先日、家に参られたあの雨森さまですよ」
 まつは芳洲の顔を穴のあくほど見つめた。
「雨森だと。おまえはゆきに気があるのやろ。一度見ただけでおまえの魂胆は分かっているわ。ゆきにすでに手を出したのやろ。あたしはよく知っているぞ。昨晩も夜遅くかえってきたからきつい折檻をしてやったわ」
 まつはからからとおかしそうに笑った。芳洲はその言葉に驚き、ゆきの顔を見ると左目の下に殴られたような青い痣があった。
「それなのに、ちょっと目を離すとすぐに家に男を入れやがって。この色気違いめ。まだ懲りぬか。今度こそ思い知らせてやるわ」
 まつは突然、ゆきの長い黒髪を両手で鷲づかみすると、ずるずると引きずり回し畳の上へ叩きつけた。そうして、倒れ込んだゆきの背中に馬乗りになると、ゆきの頭をこぶしで目茶苦茶に殴りつけた。ゆきは一言も呻き声をあげずに耐えていた。あっけにとられていた梅太郎と竹二郎はあわててゆきの上に股がっている母親を引きずり下ろした。まつは押し倒されて後ろへひっくり返った。しかし、すぐに起き上がってきて芳洲にひしと抱きついた。「いっひひひ、ゆきよりもこのあたしはどうだい。あたしの方がずっと美しいからね。試してみてもいいのだよ。本当はあんたがあたしのことがはなから好きだってことはとっくに知っていたのさ」
 ゆきはにたにた笑いながら、髪にさしていた櫛を次々に抜き髪を振り解きはじめた。そうして今にも着物を脱ごうとして帯に手をやった。
「母上、やめて下さい」
 跪いて俯いていたゆきは急に躍り上がり、母の首っ玉にかじりついて両手でかたく抱き締めた。まつは思わず後ろへよろけて、ゆきの顔を驚いたように見やり、「ああ」と恐ろしい悲鳴を出してぱたんと気を失って倒れた。梅太郎と竹二郎はびっくりして母にすがりつき、急いで夜具を引いてまつを寝かせた。
 芳洲は栗木の死骸を両腕で抱きかかえ柩の中に丁寧に入れた。思わず涙の玉が二つ両眼からこぼれそうになった。
「母上は栗木殿の突然の死に気が動転なさったのですから、きっとすぐによくなられますよ」
 芳洲がそう言ったのをまるで聞いていたかのように、まつは夜具からがばとはね起きて虚ろな目つきでつぶやいた。
「明日からあたしたちは往来へ物請いに出かけねばならないわね。あたしはごほんごほんと咳をして、袖請いをし、ゆきは町に立って体を売らねばならぬ。そうして、梅太郎も竹二郎もよそさまの店からかっぱらいをして来なくてはならないのだわね。ああ、たまらない。そんなことをするくらいなら、死んだ方がまし」
 まつは最後まで言い終わらないうちに口からごぼごぼと鮮血を噴き出した。血が喉につかえるのか、まつは顔を苦しそうにしかめ喉を両手で激しくかきむしり、そのまま仰むけにひっくり返った。口から血がどくどくと溢れ出て夜具は一面真っ赤になった。そうして、まつは突然に事切れた。あまりにあっけない死に方であった。「母上」「母上」と梅太郎と竹二郎は血だらけになったまつに取り縋り泣き叫んだ。ゆきは事のあまりの急変ぶりにまるで雷に打たれたように呆然として声も出なかった。芳洲にしても死んだ栗木の跡を追うように妻のまつが今また亡くなるとはまったく合点がゆかなかった。棺を二つも出さねばならぬという思いが脅迫観念となり芳洲に目眩を覚えさせた。
 芳洲は家の前まで出ていって、御徒士の妻たちに栗木の妻が今亡くなったことを伝えると、女たちはうあっと泣き叫び、まつの亡骸のところへ駆け込んだ。女たちはまずまつの血で汚れた体を清め、新しい着物を着せかえねばならないと言うので、芳洲は梅太郎や竹二郎とともに家の外へ追い出された。そうこうしていると、町奉行所の大柄の体つきの役人が四人やって来た。梅太郎も竹二郎も彼らの顔を見ると怯えて芳洲の背後に隠れた。
「栗木文之進は潜商の嫌疑があった者である。死骸を奉行所で引き取る。また残された家族のものは奴とならねばならぬから今から引き立てる」
「拙者は朝鮮佐役の雨森東五郎と申す者だ。亡き栗木殿は潜商の嫌疑があったとのことだが、いまだ真相は明らかではない。まして、今また母者が亡くなったところだ。不幸がたび重なっている最中に、残された三人の姉弟を奴にするため連行することはいかなる料簡か。三人は拙者が預かっているから、奉行所に立ち戻りかように報告されよ」
 芳洲は顔を真っ赤にして激怒したので四人の役人はほうほうの体で退散して行った。
 翌日、栗木文之進夫妻の葬式は生前付き合いのあったわずかな御徒士たちとその妻子らの参加のもとに栗木の家で寂しく行われた。親類縁者は死んだ栗木が潜商の罪に問われたことで自分たちが係わり合いになるのを恐れ葬式にも出席しなかった。芳洲はゆきや梅太郎や竹二郎はこれから奴にならねばならないのかと思うと自然と暗い顔つきにならざるを得なかった。
 葬式があった翌日の朝であった。芳洲の屋敷の門前に紙で包まれた荷物が置いてあるのを妻のしのが見つけた。しのは気味悪がったが、芳洲は「心配はない」と言って包みの中を開けた。見ると、亡くなった栗木がこつこつ書き集めていた朝鮮語の単語の綴りであった。全部で一二冊あった。綴りの一冊にゆきの書簡が挟んであった。初めに両親の葬式の世話になった御礼が述べられ、父は誤って海に落ちて死んだのではなく家老の配下に港まで呼び出され殺害されたのだと書いてあった。父の仇を討ちたいがそれもかなわぬ。ただ自分たち三人の姉弟は拝領奴となって対馬で生きていくことだけはなんとしてでも出来ぬからあなたさまのご迷惑になるとは存じていますが、逃亡するのでどうかお許し下さいと最後に記していた。芳洲は念のため栗木の屋敷へでかけてみたが、やはりゆきたち三人の姿は消えていた。隣の家の者に尋ねると、朝気付いたときにはすでに三人はいなかったので、きっと夜中に家を出たのであろうと答えた。芳洲は栗木の知り合いに姉弟の立ち回りそうな所を尋ねたが、杳として行方は分からなかった。奉行所は大勢の役人を繰り出しあちこち探索したが、やはり発見できなかった。ついには奉行所は芳洲が三人を逃がして匿っているのではないかと疑い芳洲の屋敷まで二度も捜査に来た。
 町奉行所田崎権左衛門は初めゆきたち三人の逃亡を幇助したとして芳洲の責任を追及する構えであったが潜商の嫌疑のあった家老樋口孫左衛門、梅野屋、有田屋の摘発はどうなったのかと芳洲が詰問すると、田崎は毛虫のような太い眉をぴくぴくしかめて突然声高に「潜商のあの一件はなかったことになったのだ。通詞の栗木が死んだため朝鮮商人の逮捕が出来なかったからだ」と吐き捨てるように言った。芳洲は少しも納得がいかなかったので、田崎に食い下がった。
「潜商は死んだ栗木一人の罪にして、家老たちの罪を問わないのは一体どういう料簡ですか。奉行所は金と権力に弱いから、いつだって小さい雑魚ばかりつかまえて大魚を逃がしていると城下の者たちが噂しているのを御存知ないのか。これでは上から下まで御法度を守らないのは当然ではないですか」
 田崎はいかにも不愉快だというように額に青筋を三本立ててむっとした顔つきになった。
「ええっ、馬鹿馬鹿しい。一体あなたは何者ですか。江戸から見えてまだ朝鮮佐役になられて日も浅いから老婆心ながらお教えしましょうか。対馬で生きていくには対馬の仕来りを踏まえてもらわねば一日としてやっていけませんよ。おのれ一人だけ偉そうにさも高みから見下すように利口ぶったことをおっしゃっても誰ひとりとしてあなたに同意する者はいませんからね」
「拙者は御主君に今度の件について上申書を提出するつもりです。家老樋口孫左衛門の弾劾は勿論、貴殿の奉行としての職務怠慢もしっかり書く覚悟ですから、あとから自己弁護につとめても間に合いませんよ」
 田崎権左衛門は青二才にまけてたまるかというような侮蔑の色を露骨に顔に見せた。
「はっははは。いいですよ。大いにやりなさい。江戸好きな大殿にあなたが気に入られているなんていい気になっているととんでもない目に合いますよ。かえって泣きを見るのはそっちの方ですよ。対馬は江戸からやって来た者によって思いどおりになるなんてことは全くありませんからね。雨森さん、あなたはね朝鮮佐役として朝鮮往来の文書を掌っていればいいのです。余計な事に首を突っ込まぬ方が身のためですよ」
 田崎は憎々しげに芳洲を睨みつけると、「あなたとはもう話すことはありませぬからさっさとお引きとり下さい」と言い放った。結局、芳洲のゆきたち三人の逃亡幇助の罪は不問に付された。

       5
 芳洲は家老樋口孫左衛門たちの潜商の一件を事細かに記した上申書を一晩で書き上げた。翌日、芳洲は親友の陶山庄右衛門の意見を求めるために彼の家を訪れた。
 一匹の油蝉が陶山の庭のひょろ長い松の木にとまりけたたましく鳴いていたが、急にじじっと言うや飛び去ってまた今は静かになった。夕暮れが迫り涼しくなって来た。奥座敷に招じられて芳洲は陶山の妻から出された冷えた麦茶も飲まずに陶山の顔を見守った。家老樋口孫左衛門罷免の上申書を一心に読んでいる陶山の額に深い皺が刻まれ、そこにじっとりと汗がにじんでいた。陶山はやっと上申書を読み終わり、ふうっと深い嘆息をついた。「雨森君、きみが今血気にはやって御主君義真公にこの上申書を提出したところで、どうなるというのか。かえって御勘気を蒙り加島兵助氏と同じ目に合うだけだ。それでもこれを出して加島兵助氏の無念をもう一度君が演じようというのか」
 芳洲は陶山の口から意外にも加島兵助の名前を出されて、刹那ぎょっとたじろいだ。加島兵助は名を成白、如軒と号した対馬府中の人であった。彼は対馬藩の領地である肥前田氏の郡奉行となり、さらに藩の大目付役となるのを辞退したけれどもかなえられないので、藩政改革のため言上書を藩主義真公に提出した。
 ところが、これが義真公の怒りにふれたため、加島氏は伊奈村に十一年間謫居し、昨年元禄十年五月に五十二才で病死した。彼の屋敷は欠所となり、加島の子孫は諸国へ流浪していた。
 芳洲はこの言上書の写しを陶山からひそかに借り受けて読んだ。言上書には、藩が海水に濡れた朝鮮米を「濡れ米」というと、下値になるので「ほてじめり」と虚名を付けて商人に押し売りしたこと。漂着した唐船が対馬で物品を取りそろえた時に普段よりも高値で売り、唐船の貨物の白糸を代金にして無理やり売らせたので、江戸ばかりか清の国まで対馬藩の恥をさらけ出したこと。義真公が城内に野菜を作らせて地銭を取ったばかりか、自ら海へ出て魚を取り、それを魚の商人に売り払うので彼らが藩の御台所に出入りするなど、百石取りの小身侍でもしないことをしたこと。米蔵役が家中の扶持切米の出目を多くするため、忠功だとして一斗につき一升ずつ米の支給を減らし家中の者を困らせていること。義真公は朝鮮国に倭館の移転を求めたが、新館はかえって不便となっただけで朝鮮人数十万人を労役に駆り出し、普請夫数百人が死んだことについて、朝鮮人は甚だしく恨んでいること。家老樋口孫左衛門の知行三分の二をもらったならば、今よりも善政ができると下々の者が悪口を言っていることなど幾多の事実を列挙し、現在の藩政を厳しく批判していた。
 芳洲は加島兵助を知り、対馬藩にこれほど立派な忠義の人がいたのかと感涙にむせた。芳洲は加島兵助に一目会って話をしたいと思い伊奈村まで出かけて行ったが、加島兵助は流刑囚であるがゆえに会うことは許されなかった。
 芳洲は食い下がるように言った。
「いや、ここで引き下がっては拙者が日頃書物を読んできたことが嘘になります。御家老樋口を罷免しなければ藩政は改革できぬばかりか、このままでは対馬藩はこの先、栄螺の殻と同じで尻すぼみになることは日を見るより明らかではありませんか」
「加島氏が流謫にあったために、藩にとっていかに大きな損失となったか君は御存知ないのですか。私自身、加島氏が大目付役に就任なさった直後にああした上申書を出されようとは夢にも思わなかった。後日、伊奈村で蟄居していた彼の元へ手紙でどうしてあそこまで行く前にこの私に一言相談してくれなかったのかと加島氏を激しく詰ったこともある。なるほど、彼の言上書の時弊三十四ケ条はすべて嘘偽りはなかった。けれども、御主君義真公に賢能を見分ける力がないと言い切り、藩の御家老樋口孫左衛門殿を無能呼ばわりすれば、そのままではすまないのは分かり切ったことではないか。『人の悪は殿様、次に御年寄ども諸役人の悪より申し上げ、少なくとも御政事のためにまかりなることを申し上げます』と加島氏は断じて言う。だが、その結果はどうか。結局は加島氏は正気を無くしたと処断されてしまった。藩政は改まったかといえば、少しも改まらなかった。君が指摘するように対馬藩は旧態依然のままだ。加島氏の言上書はまったく顧みられなかったのだ。それだけに、もしあの場にこの私がいれば彼の言上書をなんとしてでも提出させはしなかったものをと今でも悔やまれてならぬ。
 雨森君、対馬藩は改革を進めていかねば生き残れぬ。田畑も少なく山ばかりの島をどうしたら豊かにできるのか。朝鮮貿易に頼っていれば安泰という御時世ではもはやない。天和二年(一六八二)にやって来た通信使の訳官の中には、自分たちが朝鮮からやって来るお陰で対馬藩は江戸までの往復の道中に諸大名から差し入れが沢山あるから、それで暮らしを立てているなどとまったくいい加減なことを言う者もいた。通信使が来るたびに幕府に頭を下げて膨大な借金をし通信使の接待をせねばならぬ対馬藩の苦労が分かっていないのだ。藩の幹部連中にしてもそうだ。派手な通信使の行列に浮かれはしゃぎ、その陰で対馬の民百姓がいかに重税に呻吟し、貧しい生活に追いやられているかを知ろうともしない」
「陶山さん、あなたもそのようにお考えならば拙者が上申書を出すことにどうして賛成してくださらぬのか。あなたも私と一緒になってなぜ藩政を改革しようとなさらぬのか」
「君は言うべき時に言わないのは卑怯だとおっしゃるのだろう。しかし『論語』にもあるではありませぬか。『子游曰く、君に事えてしばしばすればすなわち辱めらる。朋友にしばしばすればすなわち疎んぜらる』と。時節の到来を待つのです。幸いなことに、君は儒者として義真公の若君、義方さま、方誠さまの教育係を仰せつかっておられる。藩主となる若君を君の教育によって立派に育て上げることが肝要ではありませぬか。若君が名君となられれば藩の繁栄につながるし、ひいては民百姓の幸福をもたらすのですから、今は若君の教育に力を傾けられるべきです。君が江戸から参られた儒者としての任務はそこにこそあると信じます」
 芳洲は「江戸から参られた儒者」という陶山の言葉に一瞬鞭でぴしっと身が弾かれたような痛みを覚えた。
 元禄二年(一六八九)、芳洲が師の木下順庵の推挙により対馬藩に禄二百石で士官することになり、四月に江戸の藩邸で義真公に初めて対面した時に、義真公はこう言った。
「そちが雨森東五郎か。大名である楽しみは何か分かるか。大名である楽しみは贅沢三昧ができることよ。そちを江戸からの儒者として採用するのもわしの贅沢の一つでな。はっははは」
 芳洲は義真公にただそれだけしか言われなかったが、自分を雇うことが大名の贅沢の一つという言葉の意味がその時はよく分からなかった。真文役はどの藩でも普通二百石で召し抱えられている。まして西国一の金持ちという評判の対馬藩にとって二百石はそれほどの大金には思えなかった。しかし、やがて次第に分かってきた。このことは加島兵助が上申書の中でいみじくも書いていた。「対馬藩の侍で嫡子の外は召し抱えられないため庶子や末子などは流浪せざるを得ず、継ぎたくない家を継ぎ、なりたくない養子になって奉公しています。それでも召し抱えられていない者がたくさんいて流浪していますので、他国の侍を召し抱えられないで、庶子や末子を召し抱えられたならば、その者は勿論、その父兄親類まで辱なく存じ、忠勤を尽くすことは間違いございません。儒者・軍者・槍使い・能・拍子などの御用にも対馬藩の侍を採用なさったならば、よろしいかと存じます。お国の生まれの者すべて他国の者に劣り申すはずはございませんから、いかような仕事にも採用なさいますようにお願い申し上げます」
 加島兵助が衷心より述べたとおり、藩主が遠い江戸から儒者・軍者・槍使い・能・拍子などを連れて来なくても、対馬藩の庶子や末子の中から教育によってどんな仕事にも養成できるはずであった。それなのに、義真公は加島兵助の忠言をうるさいものと激怒し、高いお金を使って江戸から儒者である自分を呼び寄せたのである。だから、芳洲が初めて棧原屋形へ登城した時に、侍たちが自分をなぜあれほど冷やかな白い眼で見たのか今でははっきりと知ることができた。江戸から来たというだけで自分たちの及びもしない高額の俸禄を得ている儒者・軍者・槍使い・能・拍子などを対馬藩の家中の者は怨み憎んでいたのだ。江戸から来た者が対馬に居つかないで、ただちょっと面白半分にやってきて、他国にもっと稼ぎのいい口があればたちまち対馬を見捨てて去って行くことに憤慨していたのだ。
 芳洲はこうした事情が分かってくると、自分が禄二百石であるに対し、一一才も年長の陶山庄右衛門が禄百六十石であることに胸が痛んだ。陶山はこのことに気にしていないようであったが、陶山の働きぶりは芳洲より俸禄が多くても決して不思議ではなかっただけに切ない思いがした。
「陶山さん、拙者が儒者であるからこそ義真公の怒りを恐れて言うべきことを言わなくては義にもとり、勇気がないことになります。たとえ罰せられても加島兵助氏の後につづいてはじめて儒者たる使命を果たすことになるのです」
 陶山は芳洲の手をむんずとつかみ、思い詰めた顔つきになった。
「君を私の親友であった加島兵助の二の舞にしたら、私は一体どうしたらよいのか。君をわが藩に推挙していただいた木下順庵先生に会わせる顔もない。それこそ切腹せねばならない。いいですか。加島氏が藩の財政経済がこのままでは立ち行かぬと憂え、藩の執政が悪性をしていると身を賭して批判しても御家老たちは自分たちが間違いを犯していることに少しも思い当たらなかった。むしろ、加島氏がどうして利を求めることがよくないと言うのかよく分からなかった。加島氏が御家老自らが率先して万人の憂いに先立って憂い、万人の楽しみに遅れて楽しめというのは、御家老にとってまったく気違いの戯言としか思えなかったのです。それは恐れ多くも義真公にしても同様なのでしょう。義真公は幼年時代から殿の御守役の御家老たちにそう教えられ育てられてまいられたから、殿様である御自分が民百姓の気持ちを知るなどとはまったく夢みたいな話なのです。不幸なことは御家老たちしか義真公にとってお話相手がいらっしゃらなかったことです。なるほど、加島氏が言ったごとく『依怙贔屓はやめよ』『贅沢はやめよ』というのはまことに正論だが、義真公にとってそれをやめたらもはや殿様ではなくなってしまうとお考えなのです」
「対馬では国を思い、君を思う人物は結局は排斥される運命なのでしょうか。加島氏が忠義者でなければ伊奈村に幽閉されずにすんだのです。誰もが口では国のため君のためとおためごかしに言うけれども、実際は自分が可愛いばかりで、この先国がどうなろうが君がどうなろうがお構いなしなのでしょう。加島氏が真実国のため君のためを思って言上書を提出して罰せられても、彼のために彼を庇い弁護する者は一人もいなかったのですからね」
「恥ずかしい限りですが、私も加島氏を救うことが出来なかった一人です。その点、侍と違って民百姓は偉いものですね。加島氏が郡奉行をしていた肥前田代の民百姓たちは彼の仁政を慕い、正祖の他に毎年百五十石の御礼米をお上に届けてくるのですからね。昨年、加島氏が亡くなった際の葬式にも祭祀料をわざわざ届けてきました。民百姓は仁政をとった加島氏の恩はいつまでも忘れません。私は彼ら民百姓のために、そして対馬のために作物を食い荒らす猪や鹿を対馬から退治しなければならないと思っています」
 芳洲は陶山の言うことに素直に納得できなかった。義真公の怒りを恐れ、この上申書を出さないのはどうしても保身のために言を憚ったことになると思わないわけにいかなかった。しかし、一方では陶山の言うように上申書を提出してもただ破棄されるだけで、わが身が流謫となりどこか片田舎に幽閉されてむなしく朽ち果てるのも甲斐がないようにも思えた。これまで自分が学んできた朱子学は対馬ではまったく有用の学ではないように思われて深い絶望を感じた。
 芳洲はなぜかふと陶山と同じ年齢の同門の新井白石のことが思い浮かんだ。そうして、新井白石が甲斐藩主の徳川綱重公に仕えているのがたまらなく羨ましい気がした。なぜなら、徳川綱重公は優れた藩主として対馬まで鳴り響いていたからである。将軍綱吉公には後継の男子がいないため、もしかしたら綱重公が次の将軍になられるかもしれないという噂まで伝わっていた。新井白石は今は御書物吟味を務めていたが、彼の帝王学は着々と実を結んでいるに違いなかった。彼に比べて自分が対馬藩のような小藩に仕えたのは大きな誤謬であったと慨嘆にたえなかった。

       6
元禄一四年一二月、芳洲は宗義真の退休を告げる「退休参判使」に加わり、朝鮮へ初めて渡った。藩主義倫がやっと元服し一六才になったので、義真の隠居報告を朝鮮側に正式にするための使いであった。参判使の正官(正使)は樋口佐左衛門、都船主(使者方)は芳洲、封進押物(進上輸送係)は永野左五右衛門であった。その他に正官の付人一八名が従った。使節の船団は府中港に帰る時には必ず朝鮮米を積んで来るので「御米漕船」と呼ばれた千石級の船が四艘で、それぞれに乗組員七〇名が配置されていた。
 退級参判使はまず草梁の倭館の中にある西館に入った。そこから、正官樋口佐左衛門以下二一名は倭館の北側に接する宴大庁まで行列をして出向いた。途中、道路が凍っているためあちこちで日本人が滑って転倒し、その度に案内する朝鮮人がげらげら笑った。芳洲の駕篭を担いでいた従者も氷に足を取られて引っくり返ったので、芳洲は駕篭から下りて寒さに震えながら歩いた。指や耳がちぎれるような寒さであった。宴大庁の中は温突で部屋が暖房してあったのでとても温かく、日本人はみなやっと生き返った心地になった。式典は、都の漢城(ソウル)からわざわざやって来た接慰官、礼曹参判、礼曹参議、東萊府使、釜山僉使に対して、参判使が渡海の挨拶を行う「茶礼儀」から始まり、対馬島主義真が隠居を告げる書契(文書)が提出された。この時に義真から朝鮮国王粛宗に献上品とともにその目録が備えられ、進上された。彩画掛硯一備、大和真朱(朱紅)六個、金屏風一双、赤銅累三盥盤(手洗い)二部、水晶笠緒二緒、黒漆華箋厘(文箱)四箇、黄漆掛硯二箇、彩画掛硯一脚、彩画一尺、匳鏡(蒔絵入り鏡箱)一面、紋紙五〇〇斤が献上品であった。これらはすべて日本の工芸品であった。
 これに対して、接慰官李声発は義真公の御隠居に際し、還暦を過ぎてますます御壮健でなによりですとお祝いの言葉を述べた。朝鮮側は書契とともに接慰官、礼曹参判、礼曹参議、東萊府使、釜山僉使の名で回賜という返礼の品を義真に送った。芳洲はすべて朝鮮側の贈答品目と数量を一つ一つ丹念に記録した。人参二〇斤、虎皮八張、豹皮二張、白綿紬(つむぎ)一四〇疋、白苧布(日本の照布)一四〇疋、黒麻布(黄麻布)五〇疋、白木綿二五〇疋、黄毛筆二六〇本、新墨二六〇笏、花席五〇張、四張付油屯三五部、花硯五面、各種紙二二〇巻、大厚油紙五〇張、各種扇一一〇本、柄栢子七斗、胡桃一〇斗、房栢子二五〇顆、黄栗二石、各種魚九〇尾、清酒一〇瓶であった。これらはすべて朝鮮の国産品であり、対馬藩により貿易商品として日本各地で販売される物であった。
 芳洲は対馬島からの献上品があまりに貧弱であるに対し、朝鮮側からの回賜品の豊富さに驚いた。のみならず、朝鮮側が自分たち使節に対し熱烈に歓待してくれることにもびっくりした。そうして、対馬人が草梁倭館へ行くのをどうしてそれほど喜ぶのかよく分かった。なぜなら、倭館へ来れば、対馬人に対して食事は無論、米などの食糧、渡航手当て、船の修理資材まですべて支給されるからである。だから、朝鮮側から繰り返し度々苦情が出るほど、対馬人が飲食の接待を受けたいため倭館に用もなくいつまでも滞在しつづけたり、回賜品をもらいたいために理由もなくむやみに使船を対馬から出したりするのであった。
 芳洲は対馬へ朝鮮人が商売のため来ても糧米炭柴を与え馳走を与えることもないのに、朝鮮に渡った対馬の使いに対しては朝鮮側が御馳走をする理由は『宋史』に胡人が開市のため中国へ来た時には遠方から来た人を安んずるということで駅馬を与え、食糧を用意したと記されていたので、朝鮮もこの中国の例に準じて対馬人を優遇しているのだろうと思った。また『中庸』には「大国は小国を恤れむ」という言葉があるから、朝鮮側は自らを大国として位置づけ、小国の対馬島をあわれむ気持ちから対馬人を接待しているのだろうとも考えた。とすれば、朝鮮人が対馬人を厚遇するのは、実は客人としての敬意というよりも対馬人は朝鮮国を荒らした倭寇の子孫であると今もみなし、胡人のごとく乱暴なふるまいをさせないためであり、対馬島を小国として見下げている反映に他ならないと思った。そう思うと欣然として朝鮮側から出される御馳走に手をつけ飲み食いしている対馬藩士たちの無邪気さに急に腹が立ってきた。これでは乞食根性丸出しではないか。こうした優待を受けているから、訳官たちから「対馬島は朝鮮の慶尚道から米を送っているから生きていけるだけで、米を送らなければたちまち飢え死にしてしまう」とか「対馬島はもとは慶尚道の鶏林の内にあったものだ」と蔑まれるのだと思った。なるほど、歴史の上から見ても対馬島が朝鮮の属国であったことは一度もない。しかし、今の対馬のあり方を見ていれば、朝鮮国なしに自活できるだろうか。事実は対馬島は朝鮮の慈悲を受けて活きているのであり、朝鮮の厄介になっているのは明らかであった。これでは対馬島が日本と朝鮮との間の誠心の交わりを結ぶ仲介役を全うすることは容易ではないと芳洲はつくづく思い知った。
 「茶礼儀」が無事に終了した。芳洲が西館で館守や代官たちと茶礼儀が首尾よく終わった事を喜び祝杯を上げていると、訓導の朴僉知が訪ねて来た。朴は久闊を叙した後、「三年前の夏に府中でお世話になったお礼をしたいので、今晩は是非私の家で泊まって下さい」と言った。倭館の南側の坂の下にある自宅へ芳洲を誘いに来たのであった。芳洲は喜んで朴の招待を受け入れた。
 倭館の林の中に住みつく数知れない烏の群がぎゃあぎゃあ鳴きながら天高く舞い上がった。空に凍りついたようにちいさく縮んだ月が出ていた。朝鮮の月は対馬で見る月よりもなんだか冷え冷えと青白く光って見えた。芳洲はさっきまで朝鮮酒を飲んで体がぽかぽかしていたのに、今は冴えた冬の月を見ているだけで急に酔いもすっかり醒めて体が冷えてしまうのを感じた。眼下に黒ずんだ夜の海が見えて来た。遠く沖に漁火がいくつもかすかに瞬いている。
 芳洲は提灯を持つ手を寒さでぶるぶる震わせて朴に言った。
「対馬でもよく海を見るのですが、こうして冬の海を見ると、なんだかとても悲しくなるのですよ。子供みたいなことを言うとお笑いでしょう」
「いええ、そうでもありません。あなたはお寂しいのでしょう」
 朴僉知は真っ白い息を吐いた。
「ああ、寂しいですね。たった一人故郷を離れて遠く朝鮮の釜山まで今来ていると思うと、もう故郷に永久に帰れぬように思われ、たまらなく寂しいのです。父母の墓は京都の報恩寺にあるのですが、対馬にいては盆暮れに墓参りすることも出来ませぬ。そのため、墓の周りには芒や雑草がいっぱい枯れたまま残り、まるで無縁墓みたいになっているでしょう。生前父の言うことを聞かぬ親不孝者でしたが、死んだ後もせめて年に一回の墓参りさえもできぬ親不孝者だから、こんな寂しい思いがするのでしょうか。みんなから見捨てられ背を向けられているような孤独感にとらわれてね。自分を分かってくれる者がこの世の中に誰もいないような思いに襲われるのです。対馬では自分の周りがみんな敵ばかりに見え、おまえたちに負けてたまるもんかと一生懸命に強がっているのですよ。ちょっとでも弱みや隙を見せたらすぐにやっつけられるような気がしてね。あなたが聞かれたらおかしいでしょう。同じ日本人が日本人を敵だなんて思うのはよくお分かりにならんでしょう」
「分かります、朝鮮人だってやはり同じですよ。出身地によって互いに憎悪や反感を抱いたりするものがいますからね」
 うなずいた朴の声は穏やかな調子だった。
 二人は倭館の出入り口を通り、坂道をゆっくり下りはじめた。底冷えのする潮風が吹き上げてくるので、思わず芳洲は歯をがちがち鳴らした。
「拙者は対馬人ではないから何をするにしてもうさんくさく見られ、拙者のやることに一つとして同意してくれないのです。今の対馬は捩じ曲がっているように思えてなりません。だから、邪な状態を正さねばならないと考え、少しでもとどめようとしてあれこれ言ったりやったりしても誰も賛成してくれないのです」
「雨森さん、あなた一人で対馬をどうするなんてことは言うまでもなく出来ないことでしょう。まして両国の過去には不幸な歴史があっただけに両国の煩わしい関係はなくなるものではありません。けれども、あなたのような人がいてくだされば両国の間の友好は保つことは出来ます」
「こんな拙者に日本と朝鮮の間の誠心の交わりを結ぶ手助けが本当に出来るでしょうか。
対馬島に礎を築くことが出来ずに日本と朝鮮の掛け橋をかけることは出来ぬように存じます」
「あなたが対馬島にいるのがどうしても堪えられないとお思いなら、わが朝廷に仕えていただけませんか。喜んでお迎えしたいのです。わが国では実力のある者は科挙によって昇進してゆけます。あなたのような方が一小藩の記室のままではあまりに残念です。実を申しますと、わが朝廷に仕官している日本人は何人もいますから決して御心配はいりませんよ」
 朴は芳洲を励ますように微笑んで見せた。
「有り難いことをおっしゃる。しかし、あなたのお言葉に甘えてはなりません。今は朝鮮佐役として両国の善隣友好のために同士を増やしていかねばならないと存じます。また、貴国の言葉を一日も早く学んでもっと貴国の文化や歴史を知らねばなりません」
 芳洲は気力を奮い起こして言った。
「それはよいお考えですね。あなたは中国語をすでに修得しておられるのですから、朝鮮語を学ぶのは容易でしょう」
「よい師匠がいれば上達が早いのでしょうが、なかなかよい指南役がいないのが残念です」
「あなたによい指南役を紹介するためにあなたをここまでお連れしたのですよ。あなたもよく御存知の人です。私の家で相手はあなたのおいでを首を長くして待っています」
 朴はなんだか意味ありげに愉快そうに笑った。芳洲はこれまで対馬にやって来て会った訳官を何人か思い浮かべたが心当たりはなかった。
 芳洲は朴に伴われて朴の家の入口を通り、家の中に入った。家は凹の字形であり、真ん中は大きな瓶がいくつも並べられた庭となっていた。月明りに白色の美しい寒菊が何本か鉢植えにして置いてあるのがほのかに見えた。
「息子の嫁が台所にいますから、まず声をかけて下さい。私は酒を近くで買って来ますから」
 と朴は言うとそのまま家の外へ出て行った。芳洲はおかしなことだとふと思ったが、体の芯まですっかり冷え切っていたので、とにかく早く火に当たりたくて台所の戸を「御免」と言ってすばやく開けた。竈の上に煮えたぎる鍋から白い湯気がもうもうと立っている中に、大根を俎板の上で切っていた女がちらりとこちらを振り向いた。朝鮮女は包丁を置き、懐かしそうに「雨森さま」とつぶやき歩み寄った。芳洲はぎょっとして自分の耳を疑ったが、確かに女は自分の名前を呼んだように思えた。芳洲は凝然と立ちすくんだまま、女の顔をまじまじと見た。朝鮮服や髪形のために頭が混乱したが、以前どこかで見た覚えがあるような顔に見えた。たちまち芳洲の口から自分でも驚くような突拍子もない声が吐き出た。
「ゆき殿」
 この言葉が引き金となり、芳洲にすがりつき見上げた女の大きな眼から涙がぽろぽろと玉のようにこぼれた。芳洲はちょっと間、馬鹿みたいに言葉も忘れゆきの顔を見つめていたが、今はゆきをひしと抱き寄せた。突然、おのれの脳裡にゆきが二人の弟とともに父母の葬式の後、訳官朴僉知の船に助けを求めて乗り込み、ここまで逃げのびて来たのだという想念がおこり胸がかっと熱くなるのを感じた。










会    録

第129回(1989・1・29)『在日文芸 民濤』のつどい
                話・李恢成         参加者50名
第130回( 2・26)磯貝治良「在日朝鮮人文学のアイデンティティ」
         (『民濤』5号)報告者・蔡孝        参加者13名
第131回( 3・26)『架橋』9号合評会 PART1
                報告者・高見卓男      参加者12名
第132回( 4・23)『架橋』9号合評会 PART2
                報告者・磯貝治良      参加者10名
第133回( 5・28)『民濤』6号 小説特集
                報告者・卞元守       参加者 9名
第134回( 6・25)李良枝『由熙』
                報告者・成眞澄       参加者12名
第135回( 7・16)梁石日『族譜の果て』
                報告者・磯貝治良      参加者 9名
第136回( 8・20~21)長野県奈川村・歌と遊びのマダン
                              参加者 9名
第137回( 9・17)金学鉉『民族・生・文学』
                話・金学鉉         参加者16名
第138回(10・22)金靜美「東アジアにおける王政の廃絶について」
          磯貝治良「天皇制と文学」(『民濤』)7号
                報告者・磯貝治良      参加者 9名
第139回(11・26)「韓国では〈在日文学〉をどう読んでいるか」(『民濤』8号)
                報告者・文重烈       参加者 6名
第140回(12・17)一年をふりかえり90年を望む集い       
                報告者・全員        参加者13名
第141回(1990・1・21)渡野玖美『五里峠』
                報告者・磯貝治良      参加者15名







    あ と が き

▼昨年1月7日に裕仁天皇が死んで、元号のうえでは「昭和」は終った。昭和天皇と朝鮮との関係をさまざまに再考する一年だった。植民地侵略の責任にとどまらず、こんにちの天皇制を頂点とする単一民族幻想が、在日朝鮮人との、アジアの人びととの、世界の人びととの共生をいかに阻害しているか。そのあたりの事情を、「天皇制と文学――朝鮮をめぐって」(『在日文芸 民濤』7号)「なぜ“大赦”拒否訴訟か」(『新日本文学』’90新年号)などで書いた。このテーマはすぐれて文学のものではないだろうか。
▼最近、「読む会」の仲間にめでたい話題が多い。韓基徳・朴裕子さんに二世・萬海君誕生。「ニムの沈黙」で有名な民族詩人・宗教思想家である韓龍雲の号と同名である。誕生日は8月15日(朝鮮が日本の植民地支配から解放された日、光復節)、ちなみにアボジ基徳氏の誕生日は3月1日(あの独立宣言運動の日)。
「読む会」を出会いの場として結ばれた金成美・井上幸一君にも二世・もも(모모)ちゃん誕生。
劉竜子さんが念願の居酒屋「酒幕」を名古屋・大須にオープン。
遠路、石川県から参加する渡野玖美さんが、処女小説集『五里峠』(近代文藝社)を上梓。岐阜の卞元守さんの次女・朝華さんが結婚。
▼恒例の望年会で選ばれた、89年度テキスト人気投票のベスト4は、梁石日『族譜の果て』(立風書房)磯貝治良「羽山先生と仲間たち」(『架橋』9)賈島憲治「雨森芳洲の憂鬱」(同)金在南「暗渠の中から」(『民濤』6)でした。
▼10号は記念特集を、との思いがなくはなかったが、ささやかな形になりました。
                       (貝)

「架橋」8号

架 橋 8
           1987 冬



目   次

○小 説 
聖子の場合 ……………………… 磯貝治良
紅いチマチョゴリ ……………… 劉 竜子
南京虫のうた …………………… 渡野玖美
雨森芳州の涙 …………………… 賈島憲治
○ 架 橋 
  履歴書を書く …………………… 成 真澄
 「読む会」に参加して  ………… 咸 安姫
○あとがきに代えて
  「読む会」10年の覚書 ………… 磯貝治良
○会 録    交流誌紹介



 聖子の場合

磯(いそ) 貝(がい) 治(じ) 良(ろう)

 大人の背丈ほどもある葉蘭の植木は、二階から一階フロアに通じる階段を降りたところにあった。花村は最下段を降りる瞬間、足を踏みはずしそうになって身をのけぞらせた。楕円状の大きな葉蘭の蔭から、不意に女性があらわれたからだ。
「花村さんの話にあったひと、父のことではないかと思います」
 花村が姿勢を整えるのを待って、質素な白っぽい服装の女性は落ち着いた口調で言った。化粧気のない顔立ちには自然な清潔さが張りつめていて、二十代なかばの年齢にみえる。
「話のなかでは名前を言われなかったけれど、学生時代の友人の名はカン・スンウォンではないですか」
 女性はなめらかな発音で姜承元の名前を朝鮮語読みした。
「あちらで話しましょう」
 花村は胸に鼓動を覚え、とっさに言った。
 二十分ほどまえに終えたばかりの集会で花村はパネラーの一人として発言したのだった。集会は、日本に住む外国人の指紋採取制度に抗議する趣旨のもので、この半島のH市で指紋押捺を拒否している二人の韓国籍の青年と一人のイタリア人宣教師の訴えが中心だった。花村は、H市から電車で一時間ほどの名古屋でその問題にかかわっていることもあって、日本人の立場からのパネラーとして呼ばれたのである。
 発言のなかで花村は、一九五九年から六〇年にかけた青春のある時期、親密な時間を交らせた友人の話をした。外国人登録法と、登録証明書という手帳のことを知らされたのは、その友人からであり、彼は登録手帳のことをケーピョ(犬票)と呼んだ。犬の鑑札という意味である。外登法のなかに指紋採取制度があることも教えられた。当時、友人は政治活動と、日本人女性との恋愛に没頭していたが、大学を卒業した年、一九六〇年春に朝鮮民主主義共和国へ帰った。あれから二十数年も経っていまようやく彼が置いていった問題と向き合っている。花村はそのことを率直に語ろうとした。
 その友人の名前はまぎれもなく姜承元だった。
 花村は女生と向かい合ってロビーの椅子に掛けたとき、このひとはおれの短かい挿話から父を直感したのか、と改めて思った。それでおれが二階の会場から降りてくるのを待っていた。
「さきほどは話した友人は、たしかにカン・スンウォンと言いますが・・・・・・」花村はしばらく、口ごもってから、不自然に感じていることを率直に言葉にした、「彼は六〇年の五月にくにへ帰りました。安保闘争の昂揚しはじめた頃で、私は名古屋駅で見送りましたから間違いありません。そのとき彼は独身でしたし、子どもがいるという話は全然ありませんでした」
 女性は花村の眼を正面から見つめた。無駄のないつくりの、どこか男っぽい面立ちが、若い頃の姜承元に似ているようにも思えた。彼女はしばらくして口を開いた。
「父が行ったとき、私は母のお腹(なか)にいました。その年の十月に私は生まれたのです」
 お父さんはあなたのことを知っているのですか・・・・・・花村はそう訊ねようとして止(や)めた。初対面の相手に立ち入った質問ははばかられた。姜承元は帰国するまぎわまで、日本人の恋人と別れることに悩んでいた。しかし、その悩みのなかに恋人の妊娠問題があるふうには見えなかった。
 花村は気にかかっていることとは別のことを訊ねた。
「あなたのお母さんは結核療養所で看護婦をしていた方ですね」
「ええ、日本人です。私は父のない日本人として育ちました」
 女性の口吻に外連味はなかった。花村はいくらか緊張がほどけるのを覚えた。女性は彼の心理を察してかどうか、口調を変えずに言った。
「でも、私の血の半分は父のものです。ダブルなのよね」
「ダブル?」
「ええ、朝鮮人の血と日本人の血を両方持ってるから、ハーフじゃなくて、ダブルなのね。欲張りでしょ」
 女性はそう言うと、表情を崩した。自然な笑いだった。
「なるほど、ダブルですか」
 花村も吊られて微笑した。
「だから、私が母のものだけで生きるのは片手落ちなのです。父のものも大切にして生きなくては・・・・・・」女性は呼吸を整える間を置いて、言葉をついだ、「そのことに気づいたのはあるひとと出会ったのがきっかけで、つい数年まえのことなのです。でも、遅れて気づいたのはかえって幸いだったと思います。もっと早くに、たとえば中学とか高校生の頃に父の問題にぶつかっていたら、いまほど冷静に対処できなかった、混乱したと思います。おかげで、遅れをとりもどすためにいま一所懸命なのです」
 女性はまた間を置いて息をついた。素肌をかがやかせている容貌から、彼女が心臓に欠陥をもっているとは想像できない。平静を装いながら、やはり父親のかつての友人との邂逅に気持をたかぶらせているのだろう、と花村は思った。
「それで、私からお父さんのことを聞きたいのですね」
 花村はくだけた口調で言った。
「花村さんが知っていることを全部、聞きたいのです。母は、父のことを私に話したがらなくて、断片的に、しかも基本データしか伝えてくれないのです。だから、父の髭の濃さまで花村さんに教えてほしいの」
 女性は、「基本データ」と言うとき、切れ長の眼にいたずらっぽい笑いを浮かべた。花村は彼女の笑いに応えるふうに頷いた。
 そのとき階段を降りてくる靴音と人声が喧しく聞えて、振り向いた女性が少女っぽい声を上げた。
「来たわ」
 二階の会場に残っていた、数人の若い男女だった。ロビーに降りた若者たちのなかから一人の青年が、花村と向かい合った女性に声を掛けて近づいてきた。集会で指紋押捺拒否者としてひときわ熱っぽく発言した、李基哲(イギチョル)という韓国青年である。
 青年と女性が若い世代特有の開(あ)けっぴろげな言葉使いでやりとりするのを聞いて、花村は直感した。女性が父のものを大切にして生きなくてはと気づく、そのきっかけとなったあるひととはこの青年にちがいない。
 女性はあるひとたちのグループに合流して喫茶店だか居酒屋だかへ行くことになり、花村も誘われたが、彼は名古屋へ帰る電車の時間を気にしてそれを辞した。別かれぎわに女性は、彼女の名を神野聖子と告げ、来週の日曜日に二人は名古屋で会う約束をして場所と時刻を決めた。

 その日、花村が名古屋駅構内の約束の場所へ着くと、すでに神野聖子は来ていて、李基哲もいっしょだった。「付録です」と、基哲が言うと、「私の、年下の保護者です」と、聖子は応じて、二人はくすぐりあいっこをするような笑い方をした。
 李基哲は、聖子とは一つだけ年下の二十六歳、と言った。
 花村は二人の軽やかさをまぶしく感じながら、さっそく提案した。花村がかつて姜承元と過ごしたT市の大学や街へ聖子を連れて行こうと思いついたのは、数日まえのことだった。二人は花村の提案に喜こんだ。
 T市は名古屋駅から東へ六十キロほどの地方都市で、果物の栽培で知られる温暖な半島の付け根にある。その半島は聖子や基哲が住む半島とは、ちょうど開いた蟹のはさみのように広い湾をへだてて対面している。
 T市まで一時間ほどかかる電車のなかで、聖子と基哲が肩を並べ、花村は向い合せの座席に掛けた。聖子と基哲は交互によく喋り、花村は自然、聞き役に廻った。いずれ姜承元について話さなくてはならない本番まえの、沈黙の時間のように。二人が語る話題の中心は、数年まえの出会いにあった。
 聖子は高校を卒業すると、母と同じ職業を選ぶために看護婦養成の短期大学にはいり、資格を得て、H市の市立病院の外科に務めた。四年ほど経って看護婦としての才覚が身にそなわりはじめたころ、軽トラックを運転していて交通事故に遭った一人の青年が救急車で運ばれてきて、骨折した肋骨とむち打ち症の治療で入院した。その青年、李基哲の看護を聖子は担当した。李基哲は本名を名乗っていたので、彼が在日朝鮮人であることを聖子は容易に知ることができた。
 聖子は育つ過程で、断片的にであれ母の口から父について知らされてはいたが、自分には生まれたときから父はないものと心に決め、朝鮮は無縁のものとして拒絶してきた。彼女が李基哲と出会うまで身近かに朝鮮人の存在を知らずに過ごしてきた事実も、そんな彼女のきわどい決意を可能にしてきた。
「私にはそれほど無理をせずに意地を張れる性格が、幼い頃からあったみたい」と、聖子は言った。
 ところが、李基哲が入院していた一か月余のあいだ、同世代の彼と接するうちに彼女のなかで破れていくものがあった。それは、二十四年間、彼女のなかで頭を抬げようとしてしゃにむに抑えつけられていた激情が徐々に滲み出し、奔流してくるふうだった。
「すこし恐怖だったけど、不思議な解放感でした」と、聖子は言った。
「退院の日が近づいた、ある日、聖子がぼくを病院の屋上へ誘ったんです」基哲が彼女の言葉をひきとった。
 病院の早い夕食を終えたばかりの時だった。聖子は古参の看護婦みたいなきびしい口調で基哲を呼び、病室から連れ出した。四階建ての病院の屋上からは、ヨットばかりが眼につく港と、夕焼けに染まりはじめて淡紅色の粒子を波立たせる海が見えた。海面と同じ光の粒子が聖子の顔の右半分を輝やかせ、左半分を夕昏れに翳(かげ)らせていた。太陽が変な角度に昇っている・・・・・・基哲がそう思った瞬間、聖子が彼を振り向いて、彼女の顔全体がまばゆい光のなかにさらけだされた。
 私の父は朝鮮人なの。
 聖子がふいに言った。明澄な語調だった。基哲は驚いて、一瞬、返事に窮したが、彼女の言葉を予感していたような、妙に淡白な気分でもあった。
 聖子が彼女の出生や、父について知ったことを畳みかけるふうに喋っているとき、突然、基哲が、しなわせた竹ではたき落とすように言った。
 それで、あんたは、朝鮮人として生きる気か、それとも日本人で行くつもりか、どっちなんだ。
 基哲の詰問は聖子にとって思いもかけなかった。鋭い矢尻だった。反射的に、どっちもよ、と言い返そうとして、聖子は息を呑んだ。その言葉の嘘に打ちのめされたからだ。彼女は父のものを髪の毛一本ほども持っていなかった。
「あのときは」聖子は意外に真顔で言った、「決定的なショックでした」
 基哲は口を噤んで、心なしか俯向いていた。
 基哲が退院して間もなく、聖子は彼女のほうから決心して基哲たちが作っているグループに参加した。そのグループは、二、三世世代の朝鮮人ばかりが、朝鮮籍、韓国籍の国籍をとわず集まっている小さな会だったが、聖子はそこでハングルを習いはじめ、いまも続けている。一年ほどまえからは伽耶琴や民族舞踊も習いはじめた。
「ぼくたちの会は、日本国籍に帰化した同胞も、聖子のようなダブリストも、いっしょにやっていきたいと思っているんです」
 基哲は、ダブリストという言葉を冗談めかして言ったが、真剣な口吻を消さなかった。
 基哲が指紋押捺を拒否したのは、病院の屋上での出来事から一年ほどのちだった。

 三人が、花村と姜承元が通った大学へ着いたのは正午に近い頃だった。日曜日のキャンパスには学生の姿はほとんど見られず、閑散としたグラウンドの外れで馬術部の学生たちが馬を乗り廻していた。蹄の音だけが乾いた響きを立てている。初夏には間のある季節なのに、陽差しは汗ばむほど強く、風がきらめく光をはらんでキャンパスを吹きぬけている。
 風には潮の香りがまぎれこんでいるように思えたが、それは花村の錯覚だった。花村たちがT駅で幹線電車を降りて乗り換えたローカル鉄道は、半島のなかほどまで達していて、二十七年まえには半島の入口にある大学のあたりにまで強い風にのった潮の香りが運ばれてきた。しかし、いまは半島の付け根に近い湾は埋立てられ、臨海工業地帯に変容して、海は遠去かっている。
「ここがソンヂャのアボジが勉強した大学ですか」
 李基哲が、広いグラウンドと芝生をめぐって建っている校舎を望むようにして言った。ソンヂャという呼び方に、花村は胸をつかれたが、違和感はなかった。基哲たちの仲間内では聖子は朝鮮語で呼ばれているのだろう。いままで基哲が花村のまえでセイコと呼んでいたのは一種の他人行儀だったのかもしれない。基哲は不意にそれを破ったのだ。
 聖子の視線は基哲のそれを追いこして大学の全景を望んでいたが、沈黙したままだった。花村も二十七年ぶりの情景を眺めた。講堂や全体講義室のあった本館が五階建ての洋風建物に建て換えられているほかは、ほとんど歳月を感じさせないたたずまいだった。
「馬術部はまだ残っていたんだなぁ」
 花村は、馬術の練習風景を眺めているうち、ある情景を思い出して聖子と基哲に話した。
 六〇年安保反対闘争の前哨戦がはじまった、五九年の十二月のことだった。伊勢湾台風被災地での救援活動に参加していた学生たちがキャンパスへもどってきた頃で、救援活動の昂揚した気分をそのまま安保反対闘争の情勢づくりに持ち込んだという気運だった。学部ごと拠点的に打たれていたストライキが、十二月の初め、全学ストにはいった。キャンパスへの入口すべてに活動家学生がピケットを張った。
 花村と姜承元は、馬術部の厩舎や学生寮に近い北門のピケについていた。ストに抗議したり、それを破ろうとする学生はほとんどいなくて、ピケを張る学生たちは牧歌的な雰囲気を楽しんでいた。唯一、彼らののんびりとした気分を緊張させる瞬間があるとしたら、警察の動向だった。数年まえ、学生に化けた警察官が学内で諜報活動していた事件が発覚し、学生たちによって、ある教室に監禁された。伝統的に自由の気風を持つこの私立大学には、朝鮮人学生が多かった。学生たちの追及によって、警察官は朝鮮人学生たちの学内における民族運動を情報収集していた事実を白状した。そのとき、学生とともに教授会も警察機関に抗議した。安保反対のストライキにも、教授たちの多くが暗黙の支持をあたえていた。
 ピケが張られて十時間ほど経た頃、四、五名の学生が北門に現われた。あたりには夕闇が立ちこめ、吹きさらしの寒気をしのぐために、学生たちは焚火にあたっていた。訪ねてきた学生たちの一人が遠慮がちに申し出た。
 ぼくらは馬術部の者です。馬に飼葉を与えたいので入れてください。
 北門ピケ班の責任者をしている中国文学科の学生が訊ねた、
 警察のスパイじゃないだろうね。
 ちがうよ、馬術部のキャプテンをしている青山です。
 なにか証明するものがあるといいな。
 ピケ班の責任者が言うと、青山と名乗る学生はオーバーの内ポケットから学生証を示した。責任者が思案していると、焚火にあたっていた学生の一人が言った。
 おれたちは重大な闘争の最中なんだ。たかが馬のためにピケを解くなんてできないよ。
 その学生と青山とのあいだに議論がはじまった。とは言っても、ピケ学生のほうが一方的に日米安保条約の危険性を説得するという雰囲気だった。焚火の焰に照らし出された、馬術部の学生たちの表情には、一様に不安の影が浮かんでいた。
 そのとき、花村のとなりで双方のやりとりを聞いていた姜承元が、突然、沈黙を破った。
 アメリカと日本がどういう軍事結託をしようと、馬には責任ないよ。馬には馬の生存権がある。
 静まりかえった夜気のなかに、焚木のはじける音がひびいた。
 結局、ピケ学生数名が厩舎まで馬術部の学生に同行することになり、彼らは馬に飼葉を与えるため門を通された。姜承元のまえを通るとき、馬術部の学生たちが仕種を揃えて会釈していった様子が、花村の眼に妙にくっきりと焼きついている。
「あの一件からしばらくのあいだ、私たち学生活動家のあいだで、あるジョークが流行ったんです」と、花村は聖子と基哲に言った、「日米安保条約の本質論とか反対闘争の進め方をめぐって議論が紛糾すると、誰からともなく、馬には責任はない、と茶々がはいって、どッと笑いがはじけたものです。姜承元氏の名言はあッという間に広まりましたからね」
 花村の言葉に、聖子と基哲は屈託なく笑った。
 花村は二人を案内して学内をひと廻りするつもりで、陽に背をむけて歩いた。彼が学んだ頃、どういう事情があったのか、構内の一角に印刷工場があって、それは大学とは無関係な建物だった。昼休みには印刷工場の従業員がキャッチボールなどしていて、逸(そ)れたボールを芝生で円座をつくっていた学生が拾って投げ返したりしたが、学生と従業員たちとは親密な雰囲気ではなかった。その印刷工場は取り払われて、跡地にプレハブ造りの体育部や同好会のクラブ室が並んでいる。
 プレハブ建てが跡切れると、そこから直角に南向きに面して二階建ての暗鬱なコンクリートの建物が横たわっている。戦争中、陸軍砲兵工廠の建物であったそれは、教室としては使用されなかったが、学生自治会やサークル、研究会の部屋にあてられていた。花村は建物にはいって、眼を瞠った。弱い蛍光灯の明かりに照らされて薄暗い廊下を挟み、両側に古びた扉が並んでいる。扉には、部落解放研究会、日韓連帯自主研、アジア映画研究会、AALA民衆文化研究会といった、板切れに手書きの表札がかかっていて、壁といい、窓といい、ポスター、ビラ、檄文の類がべたべたと貼りめぐらされている。二十七年まえとほとんど変らない光景だった。
 ひび割れたコンクリートの階段を上がると、二階も同じような情景だった。扉を二つほど通りすぎたとき、花村が立ち止って言った。
「あぁ、ここです」
 経済学研究会の表札がかかっている。研究会の内容はともかく、名称も部屋の位置も同じだった。当時、マルクス経済学を専攻する学生でつくっていた「経研」は、『資本論』の読書会が主な活動だったが、警職法反対闘争から安保闘争にかけた時期には、経済学部における実践行動の拠点になり、研究活動は無視された。そのことでマル経学者の道へ進もうとしていた一部のメンバーが離脱する事件も起きたが、花村と姜承元が出会ったのは、この研究室だった。
 基哲が、ドアにかけられた錠を乱暴に揺さぶったが、施錠は解けなかった。
 聖子は、彼女が生まれるまえの遠い時の闇をうかがうような視線で、廊下を見まわしていた。
 三人は部屋へはいるのをあきらめて、暗鬱な建物から外へ出た。
「私が姜さんと初めて会ったのが、いまの部屋です」
 花村は、ふいに視覚を刺す陽光を眩しそうに避けながら言った。姜承元を無意識に姜さんと呼んだことで、気持が二十七年まえにさかのぼっているのに気づいた。
 花村が経済学研究会にはいったのは、教養部から学部へ進級した年の春で、姜承元はすでに研究会のメンバーだった。姜を初めて見たとき、花村はその風貌、落ち着いた物腰から、彼が大学院生か助手ではないかと思った。事実、姜承元は二十五歳だった。教養部の頃から研究会に加わっていて学年は花村と同じ三年生だったのだが、学生たちは年上の彼をキョーさん、と呼びならわしていた。姜承元の姓を日本読みにして・・・・・・。
「私が、名前のことで姜さんから指摘されて、二人の交友がいっきょに吹っ飛んでしまうほど恥かしい経験をするのは、ずっとのち、彼が帰国するため新潟へ向かうのを名古屋駅で見送ったときなのですが、それまで私たち日本人はまことにのんきに、キョーさん、キョーさんと親しげに呼んでいたのですよ。いま思い返してみると、そのたびに姜さんの表情に影がよぎったようにも思えるのですが。気のせいだろうか」
「聖子のアボジは、たぶん不愉快な気分を抑えていたと思います」基哲が断定的に言った、「でも、日本読みで呼ばれたら訂正して、ほんとうの呼び方を日本人に教えるべきだったのです」
 聖子は基哲の顔を見つめて、興味深げに耳を傾けている。基哲の態度は、あれから二十年余を経た今日の、若い世代の率直さなのか、と花村は思う。
「ここが姜さんの伝説的な言葉の生まれた場所です」
 北門のまえを通りかかったとき、花村は二人に目線で示した。焚火を囲む若い顔のいくつかが彼の脳裏に浮かんだが、名前も思い出せないままに消えた。姜承元の骨格のふとい面長な顔の残像だけが、残った。
 聖子と基哲は、何の変哲もない古びた門柱をとまどったふうに眺めていた。聖子が父親について性急な質問を浴びせてこないのが、花村の気持を軽くした。
 廃屋のような外観を示している旧学生寮を過ぎると、厩舎から特有の臭いが鼻をついてくる。山を下りて麓の村に着いたときなどに懐かしく漂ってくる、あのあったかい臭いだった。
 さきほどまで馬を乗り廻していた学生たちは、いつのまにか厩舎の脇のベンチに腰を下ろしてサンドイッチを食べている。厩舎では馬たちが首をうなだれる恰好で飼葉を食(は)んでいた。
「当時の校舎とはすっかり変っているけど、なかへはいってみますか」
 五階建ての本館のまえに来たとき、花村は二人に訊ねた。内部を案内しても意味はないだろうという気持を、暗に含めたつもりだった。
「父はどこに住んでいたのですか」
 聖子は少し苛立った表情で言った。唐突な言い方だったが、彼女は姜承元が残していった生活の臭いを求めているのだろう、と花村は思った。
「下宿していました。たしか、白井さんという農家でした。記憶があやしくなっていますが、大学から遠くはありませんから見つけられると思いますよ。行ってみましょう」
 花村がそう言ったときには、聖子と基哲は先に歩き出していた。三人は“自由の鐘”の脇を通って校門を出た。

 姜承元が下宿していた農家は、意外に苦労したすえに見つかった。花村が二人を案内して、線路伝いに行った道順に誤りはなかったが、目的の家の周辺は二十七年まえと様相を一変していたからだ。当時、半島を走る鉄道から西へ外れた一帯には農家の点在する畑地が広がっていた。姜承元はそのうちの一軒の離れに下宿していたのだが、いまは農家らしい家は見られず、住宅が立込んでいる。その住宅地を何度も堂々めぐりして「白井」の表札を見つけたのだが、その家もかつての面影はなく、母屋とアパートがコの字型に数珠つなぎになった、妙なたたずまいの建物になっていた。
「昭和三十三年頃、お宅にA大の学生が下宿していませんでしたか」
 花村は、何度も呼鈴を鳴らしてから出てきた家人に訊ねた。
 老婦人は遠い記憶をたぐりよせるふうにしばらく首を傾げていたが、パッと表情を輝かせて言った。
「それはキョーさんのことでしょうね」
 老婦人の表情に誘われるように、花村も、当時五十歳くらいだったおばさんの顔を思い出した。
 花村が初めて姜承元の下宿を訪ねた日、おばさんはお茶と茶菓子を離れまで運んで来て、農婦らしい、よく日焼けした手で彼のまえにそれを置いた。花村が部屋にいた四、五時間のあいだに、彼女は何度もお茶を取替えたり、ふかし芋を差し入れたりするためにやってきて、そのたびに朴訥な言葉使いで日和(ひより)の挨拶を残していった。
 農家の庭先には初夏の花が咲き乱れているというのに、姜承元の部屋には大きな陶土の火鉢があった。その火鉢を挟んで二人は話に夢中になったのだが、最初、火鉢の存在を怪訝に思った花村に、姜は苦笑しながら言った。
 結核の後遺症なのか、夏でもときどき火の欲しい日があるんだよ。それに、ひとと話すとき、こいつが前にあると、なんとなく安心できるんでね。
 二人が出会って間もない頃で、経済学研究会の活動以外に共通の話題はほとんど見出せない間柄だったが、姜承元は「経研」の活動には触れず、しきりに個人的な話をしようとした。彼が下宿に誘ったのは、それが目的だったことを、花村は容易に理解した。
 花村さんは、恋人、いますか。
 姜承元が、火のはいっていない火鉢の灰を火箸でなぞりながら訊ねた。下宿先の家族の話をしていたときなので、唐突な感じだった。花村が意表をつかれて言葉を濁していると、姜は心なしか声をひそめるふうに言った。
 ぼくはいま、日本の女性と恋愛をしているのですよ。
 姜がわざわざ「日本の女性」と断わった意味を、当時の花村は理解できなかった。
 その女性は、花村たちの大学が付け根に位置する半島とは広い湾をへだてて対面する半島のH市で、結核療養所の看護婦をしているという。六年ほどまえ、姜は肺結核の療養のため入院中に彼女と知り合った。病気は軽症なものだったので、二年に満たない入院生活で治癒し、退院後は月に一、二度、ふたつの半島を結ぶ連絡船を使って通院をかさねた。
 入院中、女性はときに患者と看護婦の関係をこえる親切な態度を示すことはあったが、それは姜が入院患者のなかでも若く、孤独な境遇にあったからだろう、と彼は思っていた。姜にとって、三歳年上の、やさしい看護婦のおねえさんだったのである。
 姜が彼女に女性を意識し、特別な感情をいだくようになったのは、彼が定期検診のため療養所を訪ねた、ある日、彼女と交した短かい会話によってであった。その日、検診を終えた姜を、患者たちの散歩道である療養所裏の池のほとりへ誘ったのは、彼女のほうだった。池の水面には、きちょうめんに泳ぐ水鳥たちが静かな小波を立てていた。
 福山さんの家族は日本にいらっしゃらないの。
 肩を並べて並木の小道を歩きながら、彼女が訊ねた。姜は驚いて彼女の顔を見返した。彼は療養所では、福山という日本式の姓を使っていたので、彼女が彼を朝鮮人と知っているとは想像もしていなかった。
 彼女は、姜の表情の変化に弁解するように、療養所の医師や看護婦だけでなく、患者のあいだにも噂がながれて、彼が朝鮮人であることは知られている、と言った。
 姜は気持の昂りを抑えて、彼女の問いに答えた。
 伯父が一人、います。戦前から日本に来ていて、土木工事の飯場で働いたりしてずいぶん苦労したそうですが、解放後は鉄屑の仕事を事業にして、自分の息子たちだけではなく、ぼくを学校に通わせるくらいの暮しはしています。
 福山さんはいつ日本に来たの?
 五年ほどまえ、十七歳のときです。
 それにしては日本語がすごく上手ね。
 ぼくたちが学校へはいったときから、朝鮮語はうばわれていて、日本語ばかり教え込まれましたから。ウリマルより日本語のほうがたくさん体のなかに詰まってしまってるんです。
 姜は、彼女の率直さに気押されるように答えた。彼がそれまでに出会った日本人で、彼の身の上についてそのように率直に訊ねてきた者はいなかった。
 お父さんとお母さんはいまどうしていらっしゃるの?
 母はくににいます。
 姜はそう答えて、自分の言葉に胸をつかれた。オモニはくににいる? たしかに彼女はくににいる! だけど、生きてくににいるのだろうか。
 姜の不安には気づかぬふうに、彼女は明るい声で言った。
 福山さんさえよければ、私がお母さんの代役になってあげてもいいわよ。お母さんでは年が吊り合わないから、お姉さんの代役でもいいわね。
 彼女の声は、高い並木の梢に響いて、木洩れ陽に溶け込んだ。姜はそう思った。
 姜は、三年まえのある日に交された、彼女との会話の様子を話し終えると、花村に言った。
 あのとき、ぼくはふいに彼女を女と感じたんですよ。彼女は年下のぼくを慰めるようにお姉さんの代役、と言ったのに、なぜか恋人にたいするような感情を覚えたんだ。でも、彼女と別かれたくないと感じた気持の奥には、朝鮮のことをもっと彼女に教えたい、朝鮮人のこころをもっと伝えたい、そんな切実な思いもあった。もしかしたら、ああいう素直な日本人の胸に、おれたちの怨念をぶちこんでやりたい、そんな目論見もはたらいていたかもしれない。
 姜の療養所通いは八か月ほどで終わった。彼のなかで彼女にたいする恋愛感情が抑えようもなく燃えあがったのは、定期的に彼女と会える機会をうばわれてからである。姜承元は三日とあけずに彼女に手紙を書き、それでも気持を抑えることができなくて、しばしばH市の療養所まで会いに行った。彼の激情にたいして、彼女のほうは距離を保つことに腐心していたようだったが、ある手紙をきっかけに急変した。姜は一年ほどまえの手紙に、あなたがぼくとのあいだで女性としての関係を結ぶことを恐れているのは、ぼくが朝鮮人だからではないか、と問いただしたのだ。その手紙によって彼女が彼との交際を絶縁してくるか、あるいは心を開いて挑戦してくるか、姜にとっては一つの賭けであった。
 手紙を受け取った彼女の回答は、姜の激情をまるごと受け容れるほどに激しい、女の表現であった。
 ぼくと彼女はいま、最高にうまく行っている。花村さん、幸福という陳腐な言葉にも、じつは中身があるんだってこと、感じたことがありますか。
 姜承元はそう言って、声を立てて笑った。

 姜承元が日本人看護婦との恋愛を悩みはじめたのは、朝鮮民主主義人民共和国と日本の赤十字社とのあいだで祖国帰還問題が煮詰ってきた頃からだった。二人の情熱に隙間風が吹きはじめたということではなく、いや、二人の関係はますます緊密で離れがたいものになっているように見えた。原因は、彼女の側にも、彼自身の心情にもなくて、在日朝鮮人と祖国をむすぶ、ふとい絆にあった。
 花村が姜の悩みをはっきりと知ったのは、祖国帰還船が新潟港から出港しはじめて間もない日だった。ピケ学生と馬術部の学生とのあいだで小さな悶着があったあと、冬休みにはいってストライキが解かれ、そのまま年が暮れて、明くる年の正月半ばの頃である。
 その日、花村は初めて酒を持参して姜の下宿を訪ねた。下宿のおばさんが差し入れてくれた正月料理を肴に一升瓶を傾け合ううちに、姜は昂揚した口吻で言った。
 彼女の正月休暇を利用して、二人で旅に行って来たよ。
 火鉢には火がはいっていた。姜はそれが癖で火箸のさきで灰をなぞった。彼の紅潮した顔は、よく興った炭火と、酒のせいだけではないらしかった。
 そこでキョーさんと彼女は完全な結合をはたした。いよいよゴールですね。
 花村は体内にまわりはじめた酒に刺激されて、遠慮のない口調になった。ところが、姜の視線が花村から逸れた。その瞬間の翳りの意味を、花村は理解できなかった。
 花村さん、ぼくがどうして日本へ来たか、わかりますか。
 姜は、花村が入れた茶々を無視して訊ねた。
 伯父さんをたよって来たんではなかったのですか。
 それは結果にすぎない――姜の落ち着いた口調に棘が感じられた。ぼくは密航してきたのですよ。
 花村は摑みかけていた湯呑み茶碗を離した。姜は、火鉢の灰を地図でも描くように火箸でなぞりながら話した。
 姜承元の家は、全羅南道の光州で小さな雑貨店を開いていた。六・二五(ユギオ)(朝鮮戦争)が勃発した年の冬、彼の父は突然、アメリカ軍政庁の将校と韓国軍の兵士に連行された。嫌疑は人民軍のスパイということだった。そのとき十七歳だった承元は、家業を母にまかせて外出することの多い父に不思議な印象をいだいていたが、人民軍のために諜報活動をしていたかどうかの確証はなく、いまも謎のままである。父が死体となって帰宅したのは、連行されてから一週間ほどのちの昼下がり、凍りつくような風が冬の陽光をはらんで町を吹き抜ける日だった。
 父の死後、母はともかく、すでに成人した息子である承元の身辺には、不穏な気配が迫っていた。「北」から追われて越南した極右青年たちの結社・西北青年会の襲撃が噂された頃、彼は母を残して光州の家を逃れ、忠武に近い海岸から密航船で脱出した。一九五一年をむかえて間もない日の深夜だった。
 あれからぼくのタヒャンサリ(他郷暮し)も十年になる。そのあいだ、ぼくの体はいつ日本の警察に捕えられても不思議ではない、不法滞在者ですよ。花村さん、ぼくを警察に売ってみませんか。
 姜は磊落に笑いながら言ったが、花村は彼の冗談に虚を突かれて言葉をのんだ。
 姜はゆっくりと笑い声を納めると、立ち上がって、壁際に置かれた本棚から薄手の手帳を取ってきて、花村に示した。
 ぼくが日本で暮すようになると、伯父がある同胞の外登証を工面してくれましてね。こんなもので身の証を立てているんですよ。犬の鑑札です。
 花村はそのとき初めて、外国人登録証明書と、そこに捺されている黒々とした指紋のことを知った。体の内側にひろがる陰湿な感覚を振り払うように、花村は話題を外した。
 キョーさんのお母さんは、いまもくにで雑貨店をつづけているんですか。
 店が残っているかどうか、それはわかりません。正直なところ、オモニが健在でいらっしゃるかどうかもはっきりしないのです。音信不通ですから。でも、亡くなられていれば、同胞の噂が海を渡って伝わりますから、無事を信じるしかありません。花村さん、ぼくはくにへ帰りたいですよ。北も南も、同じ祖国の地ですからね。オモニと会える日も、それだけ近くなるわけです。もちろん、そのためだけにくにへ帰りたいのではありませんよ。
 姜は次の言葉を飲み込むようにしばらく口を噤み、急に語調を暗くした。
 しかし、彼女のことが・・・・・・日本人の彼女を連れていくことは許されないでしょう。たとえ許されたとしても、彼女が日本を離れる決心をしてくれるかどうか・・・・・・
 血が引くように姜の表情をおおった影を、花村は正視できなかった。姜がふいに、暗い感情の底からしぼりだすような低い声で歌い出した。
  満州荒野の吹雪よ、語り給え
  密林の長き夜よ、語り給え
  万古のパルチザンが、誰であるかを

「それでは失礼します」
 花村は老婦人に丁重に頭を下げて、玄関を出た。老婦人は、姜承元の友人であった花村のことを思い出すと、その来訪がよほど嬉しかったのか、三人を玄関の中へ招じ入れて姜の思い出ばなしを語った。遠い昔を懐かしむふうに、彼女はよく喋ったが、時計を見ると二十分ほどしか経っていなかった。
 来るときはローカル鉄道に乗って来た幹線の駅まで今度はバスでもどることにして、大学前の停留所まで歩くあいだ、花村は、聖子が姜の娘であることを老婦人に打明けなかったのは、それはそれでよかったのだろう、と思った。
「すごくいいおばあさんね。父のことをずいぶん気に入っていたみたい」
 聖子は、降り注ぐ陽差しをはねかえすような明るい顔で言った。自分が姜の娘であることを名乗らなかったことを意にも介していない様子である。
 一九六〇年の正月、姜と日本人看護婦が短かい旅をしたとき、聖子を身ごもったのだろう。花村は聖子の笑顔を眩しい気分で眺めながら思った。姜は恋人のお腹(なか)に自分の子どもがいることを知らなかったのだろうか。彼女は、姜がくにへ帰るとき、そのことを伝えなかったのだろうか。
 幹線駅のロータリーでバスを降りたとき、聖子と李基哲が口を揃えて言った。
「お腹(なか)、ペコペコ」
「あー、腹へった。ペガコパー」
 駅舎の正面に掲げられた電光時計が二時十分まえを示している。三人はビルの三階にある大きな食堂にはいった。駅前の通りが広々と見渡せる窓際の席に着くと、基哲が「激辛の大盛りカレーライス」と叫んだ。聖子が「大盛りはパスして、同じく激辛カレーライス」と和した。花村はビール二本と焼肉ライスを注文した。
 花村は二人のコップにビールを注ぎながら言った。
「姜さんといっしょに参加した最後のデモが、この駅前の通りだった」
 聖子が窓から外を眺めた拍子にコップがずれて、花村の注ぐビールが少しこぼれた。
 姜承元が二か月後には帰国することになる六〇年の春、新学期が始まると同時に学生たちの行動も活発になり、連日のように学内集会が開かれ、街頭デモも繰り返された。東京の集会に参加する一部の学生が抜けても、デモの参加者は増えつづけた。
 姜承元はデモの隊列のなかで、つねに日本人学生以上に真剣だった。行進中にともすれば無駄話をしたり、だらけたりする学生たちを敵視するように、温健な性格の彼が豹変する。前方だけを見つめる彼の視線は、怖いほどに鋭利だった。
「姜さんがデモ行進まえの集会で初めて演説をしたのも、同じ日でした。食事がすんだら、その公園へ行ってみましょう」
 その日、公園を埋めた学生たちのまえに姜はみずから立ち、日米安保条約と朝鮮半島の危機、そして民族の分断について訴えた。いつも通りの沈着な語り口を崩さなかったが、表情はとどめようもなく激しく張り詰めていた。顔が輝いていたのではない。抑えようもなく湧き出てくる激情を、浅黒い皮膚の内側に奔流させている顔だった。あと一瞬で爆発しそうな緊張をためていた。その瞬間を避けるためのように、彼は言葉を閉じた。
 日本人のみなさんと共にたたかったこの日を、ぼくはけっして忘れませんよ。時には苦い思いを噛みしめて思い出すこともあるでしょう。絶望的な気分で思い出すこともあるでしょう。しかしみなさん、必ず晴れやかな気持で思い出す時は来るのです。わが民族の統一する日は必ず来るのです。ぼくのこの言葉を忘れないでいてください。
 それが姜承元の演説の最後の言葉だった。
「あのとき姜さんは、すでにくにへ帰る決心をしていたのだと思います。聖子さんのお母さんと別かれる気持を固めていたのでしょう」
 花村はそう言って、コップのビールをいっきに飲み干した。
「聖子のアボジは、ぼくたち在日二世にも宿題を置いて行ったのですね」
 基哲が俯向きかげんに、窓際とは反対側の顔半分を翳らせて言った。
 あれから二十七年、日本の社会は基哲たちにとって変ったのだろうか。花村は李基哲の言葉とは少しずれたところで、そう思った。

 三人が名古屋に帰ったとき、陽はまだ傾いていなかったが、聖子と李基哲は、グループの集まりがあるというので、あわただしくH市行きの電車に乗り換えた。
 別かれぎわに聖子が言った。
「きょう一日、なんだか時の流れを感じました。遠い歴史の一齣を経験したような。でも、父のものに近づくにはたいへん参考になりました」
 参考という言い方を場違いに感じたのか、基哲が聖子の顔を眺めて笑いを堪えた。花村もつい誘われて笑顔になった。
 名古屋駅のホームで一人になったとき、花村は大事な忘れ物を思い出した。姜承元が新潟へ向かうため名古屋駅で別かれたときのことを、聖子に話し忘れていた。機会はいつでもあるだろうと思い直した瞬間、花村の脳裏に二十七年まえの情景が甦ってきた。
 その日、朝の名古屋駅ホームは、帰国する同胞を見送る人びとでごった返していた。単身帰国する姜を見送りに来ていたのは、伯父の家族を除くと花村一人だった。
 花村がホームに駆けつけ、人混みのなかで苦労して姜の姿を探し当てたときには、列車の発車時刻が十分ほどのちに迫っていた。そのせいもあって、ホームで高校生たちが歌う歌声と長鼓の響きは耳を突ん裂くほどに高鳴っていた。
 姜は花村の顔を認めると、歌声と長鼓の響きをかいくぐるように大声で言った。
 花村さん、南の学生たちは凄いよ。
 姜の顔に、つい一か月ほどまえに起きた四・一九学生革命が輝いていた。
 いまくにでは、学生たちの呼びかわす声が鳴り響いてるんだよ。来たれ、南へ、行こう、北へ。板門店で会おう。
 姜は顔を紅潮させていた。
 発車を予告するベルが、歌声と人びとの呼びかわす声に掻き消されそうにホームに響いた。
 花村さん、ありがとう。ぼくは行くよ。
 姜はそう言って握った花村の手を離しざま言ったのだ。
 ぼくの名前はキョー・ショーゲンではない。カンだよ、カン・スンウォン。
 言い終えないうちに姜は乗車するために列車のタラップのほうを向いたので、花村は彼の顔を見ることができなかった。
 花村の全身を赤く逆流する羞恥が襲い、両足をすくませた。
 ようやくの思いで彼は人混みを掻き分けてホームの前方に廻り、窓から顔を出している姜のところへ辿り着いた。姜の表情は平静だった。
 列車が発車する直前、花村は恋人のことを訊ねようとして止(や)めた。訊ねようとしたとたん、姜の表情に苦渋の影が掠めたように感じたからだ。
 花村はいま、ホームから改札口へ向かう階段を降りながら、二十七年まえに彼の全身を捉えた恥の感覚をなまなましく思い出していた。

 数日を経て、神野聖子から花村のもとへ手紙が届いた。
 父が学んでいた大学を訪ねた翌日、聖子はそのことを母に話した。母は如実に不愉快そうな態度を示した。母にとって父との過去はすでに消滅した日々であり、いや、彼女は父との過去を消滅させようと努めて生きてきたのであり、聖子がどんな形であれ父と繋がろうとするのを嫌っている。そんな母を説得するのは容易ではなかったが、やっとの思いで花村と会うことに同意させたので、一度、母に会ってほしい。
 概略、そんな内容の文面だった。
 花村は早速、聖子の勤め先の市民病院へ電話を入れ、彼女と初めて出会った指紋問題の集まりの会場ロビーで落ち合う日時を決めた。そこから聖子の家へ行くことにしたのだ。
 H市を東へ外れて海辺に近い集落に、聖子の家はあった。広い自動車道路を挟んで湾岸寄りには、自動車部品や家具の工場が立ち並んでいるのに、集落の側にはまだ野良がかなり広がっていて、農家のたたずまいを残していた。植垣に囲まれた聖子の家には、遠くからでもよく目立つ一本の楡の木があった。
 海岸端をバスでその家まで来るあいだ、聖子は、母と二人暮しであること、いま住んでいる家は母の実家で、母は一人娘だったのでそこで聖子を育ててきたが、祖父母は数年まえに亡くなったことなどを話した。肝心の母を花村に会わせる目的については、なぜか黙っていた。父の友人に会わせることで母の心を開かせることができると考えているのか、二人を対面させることで父の闇の部分を明るみへひきずりだすことができると考えたのか。花村の推測は定まらなかった。
 聖子の母は身づくろいを整えて、花村を待っていた。風が爽やかな外気をふくんだまま通り抜けるような部屋で、五十歳も半ばを過ぎているはずの彼女は、意外に若やいだ雰囲気を漂わせている。
「あなたのことは、姜さんからよく聞きました」
 型通りの挨拶を交したあと、花村は気まずい雰囲気がまぎれこむのを遮ぎるふうに言った。「そうですか。福山さんはわたしには友達の話を全然しませんでした。だから、聖子からあなたのことを聞かされたとき、そんなに親しい友人がいたのかと、意外でした。福山さんは、くにのお父さんとお母さんのこと以外は話しませんでしたから」
「亡くなったお父さんのこと、あなたにも話しましたか」
 花村が訊き返すと、聖子の母は不審な表情を浮かべた。
「福山さんのお父さん、亡くなっていたんですか」
 聖子の母が姿勢を少しずらして両肘を座卓に置き、両手の指を組むのを見ながら、姜は父が殺された事件は話さなかったのだ、と花村は思った。
 聖子がビールと枝豆を乗せた盆を持って部屋にはいってきた。昼間からビールですか。花村が言うと、聖子は母親のほうを目配せして、母も飲むんです、と言い、コップを花村と母のまえに置いた。
 三人はビールを注ぎ合いながら、しばらく姜から逸れた話題を口にした。聖子の母は、姜がくにへ帰って数年後に結核療養所から市民病院に移り、三年まえに退職するまでそこの看護婦をしていた。ある時期、娘とは同僚だったことになる。退職のとき、婦人科の副婦長だったという。いまは年金と、パートタイマーの付き添い看護婦の収入で暮している。そんな話をしながら、彼女は唐突に、聖子はいつになったら結婚してくれるんでしょうね、と言った。充電中よ、と聖子は事もなげに応えた。
 聖子が台所に立って、ビールを運んできたときだった。聖子の母は娘からビール瓶をもぎとるようにして花村のコップに注ぎ、自分のコップにもなみなみ満たすと、いっきに飲みほして、言った。
「福山さんから、二度、手紙が来ました」
「お母さん・・・・・・」
 聖子が母の顔を振り返って、叫んだ。花村は咄嗟には事情が飲み込めずに、聖子と母を眺めた。聖子の表情には驚きと非難が交錯していたが、母は感情を静めた口吻で言った。
「最初の手紙は、この娘(こ)がまだ高校へ通っていた頃。差出人の名前は姜承元になっていましたが、私にはそれが誰なのか、すぐに解かりました。二度目は去年の今頃だったかしら」
 母を見る聖子の視線に怒りがこめられている。花村はそれに気づいた。
「この娘(こ)には、手紙のこと、知らせませんでした」
 聖子の母は改めて意味をこめるふうに念を押した。花村は、ある予感を覚えながら、手紙にはどんな内容のことが書いてありましたか、と訊ねた。
「いますぐ、手紙を見せてよ」
 母が答えるまえに、聖子が花村の言葉を横合いからはたき落とす口調で言った。
「燃してしまったわ」
 聖子の母は、娘と対峙するのを避けるふうに、花村にむかって言った。聖子は小さな声を上げたきり、言葉を失ってしまった。彼女の顔は少し蒼ざめている。
「なにが書いてあったのか、もう忘れてしまいました」聖子の母は、座卓についていた肘を離し、後(うしろ)にひいた姿勢に感情を閉じ込めるふうに両腕を交叉させて胸をだいた。「私は一人でこの娘(こ)を育ててきたのよ、誰の助けも借りずに・・・・・・福山さんとのことは二十七年まえの悪夢だった」
「でも、私のお父さんよ」
 聖子が抗(あらが)うように言ったが、意外に声は沈んでいた。
「母さんには、過ぎ去った悪夢に過ぎないわ。すっかり消えてしまった人よ」
 聖子の母の眼は花村のほうを向いていた。花村は彼女の視線を押しもどす語調で訊ねた。
「姜さんは、聖子さんのこと、知っているのですか」
「知りません。福山さんがくにへ帰るとき、お腹(なか)の聖子は五か月目にはいっていましたが、私は最後まで秘密にしましたから」
 聖子の母はふたたび両肘を座卓に付き、両手の掌を組み合せた。気持を沈めるふうに顔を俯向けたので、花村には彼女の仕種が何か祈っているように見えた。しばらくして振り仰いだ眼が赤く滲んでいる。
 聖子は母の横で寒気をこらえるように身を固くしている。聖子の母はコップに手を伸ばそうとして脅えたふうに引っ込めた。
「私が聖子を身籠ったとき、福山さんがくにへ帰る決心を固めていたことは知っていました。そのしばらくまえから彼はそのことを口にしていましたから。彼は私がいっしょに行くよう望んでいました。伯父さんに相談したり、赤十字社に問い合せたりしていたようです。赤十字社からは、私が日本人だからいっしょには行けないという返事が来たようですが、福山さんは私さえ同意すればなんとか説得すると言いました。でも、私は日本を離れることを恐れていました。いっしょに行くことを拒絶したのは、私のほうです!不思議なことに、聖子を身籠ったと知ったとき、その決心は固まりました。福山さんと別かれても、私は一人で聖子を育てる、と心に決めました。自分でも理由がわからなかったのですが、確信が生まれたのです。福山さんがしだいに焦燥に駆られていくのが、私には目に見えるようでした。片方の手を私の喉に掛け、片方の手で自分の喉を鷲摑みにして、いっしょに行こう、ぼくといっしょに朝鮮へ行こう、と迫ったこともありました。まさか福山さんが本気でそんなことをしているとは思えませんでしたが、私は死んでもいい、と思いました。日本で、私の子どもを育てるのが駄目なら、死んでもいい。そんな気持になっていました。あの年の春は、つらい、暗い春でした。・・・・・・福山さんと最後に会ったのは、彼が新潟へ発つ日の一週間ほど前でした。どういうわけだったのか、それまで随分しばらくのあいだ彼からなんの連絡もなかったのですが、突然、療養所へ訪ねてきました。福山さんの様子はほとんど変っていませんでしたが、別かれを告げに来たのだということはすぐに解かりました。彼は多くを語りませんでした。一週間後に新潟へ向かう、この国が梅雨の季節にはいる頃には、ぼくは祖国にいるだろう、と言いました。私とのこと、日本で過ごしたこと、未練がましいことはひとことも口にしませんでした。むしろ、すっきりとした印象さえ受けました。でも、別かれぎわに彼は言いました、ぼくには、くにへ帰る以外の道はない。そう言って、怖いほど強く私の眼を見つめたのです。そのとき私は、福山さんがどんなふうに苦しんだか、少しは解かる気になりました。でも、お元気で、という言葉しか言えませんでした。私は涙をこらえるために、懸命にお腹(なか)の子どもに話しかけていました」
 聖子の母はいくらか疲れた表情を浮かべて一息いれると、「あのとき話しかけていたお腹の子が、もう二十七歳になりました」と言った。
 彼女がふいに天井のほうを仰いだので、花村と聖子は示し合せたようにその視線を追った。鶫(つぐみ)に似た野鳥が、天井を伝って滑るような羽搏きで飛んでいる。静かな仕種はこの部屋に慣れ切った様子で、迷い込んだという感じはなかった。
「私は聖子を日本人として育てて来ました」聖子の母はなにごともなかったふうに視線をもどした、「この娘(こ)がいま韓国人の青年と付き合っていることは知っています。でも・・・・・・付き合ってほしくない。私は怖いのです」
 聖子の母は、端正な顔をかすかに歪めた。
「それ、どういうことですか」
 花村は険しい口調で訊ねた。気持のぶれが声にあらわれた。
「聖子が私の二の舞を踏むのを、恐れているというのではありません。時代が変ったのですから、あの青年がくにへ帰るということはないでしょう。二人はきっと結ばれると思います。私が怖いのは、聖子が父親のくにの人間になっていくことです。福山さんと私を引き裂いたものが、私から聖子を引き離していくように思えるのです。最近、この娘(こ)を見てると、そんな不安に襲われる。あれと同じものが、今度は母と娘のあいだに割ってはいろうとしている。花村さん、私の恐怖が解かりますか」
 聖子の母は、詰問する目付きで花村を見つめた。視線が放つ光は意外に弱々しく、さきほど彼女の顔を掠めた歪みが絶望の翳(かげ)りであったことに、花村は気づいた。
 ちがう、お母さん、それはちがう・・・・・・花村は絶望に翳った彼女の視線を押しもどす。
 聖子の母が、他者の存在を自然に見ることのできない利己心に捉えられていて、朝鮮人との関係を正確に測るのに無知な状態にあるとしても、単純に偏見とは言えないだろう。彼女の心を金縛りにしているのは、不遇の経験にちがいない。一人の女性がくにの違いによってなめさせられてきた不本意の境遇が、聖子の母をがんじがらめにしている。しかし、それはちがう。姜承元がくにへ帰ったこと、それと、これとはちがう。聖子が父のものを取りもどそうとすること、それと、これとはちがう。
 あなたが不遇の体験に固執して、姜承元の痕跡を消し去ろうとし、聖子さんの甦った人生を恐怖するとしたら、それは倒錯ですよ、お母さん、それは錯誤です。
 花村は胸のうちを言葉にしようと焦った。焦りながらも、聖子の母が経験した一九六〇年春の暗黒と不遇の歳月が目のまえに立ちはだかり、彼女のそれに対峙できる何が、おれのなかにあるのか、同じ日本人のおれのなかにいったい何があるのか、という内の声に遮られ、結びかけた言葉は何度も裂けた。
 花村にとっては足のうらを焼かれるような沈黙だった。部屋のなかを見廻したが、鳥の姿はなかった。
 沈黙を破ったのは、聖子だった。
「母は日本人なのよ。所詮、ニッポンジン。私は純粋日本人じゃないわ。そうなりたくもない」
 花村が振り向くと、聖子の顔は彼のほうを向いていた。私は、いつの日か、父(アボジ)のものを手に入れるわ・・・・・・聖子の眼がそう語っているように花村には思えた。

 神野聖子から手紙が届いたのは、彼女の家を訪ねて一週間ほどのちだった。手紙の内容はなんとなく花村をとまどわせるものだった。

 花村さま、先日は大変ありがとうございました。不愉快な思いをされたのではないかと、心配いたしております。正直言って、私も驚きました。二十七年間いっしょに暮してきて、母の涙を見たのは初めてでした。ましてや、あのような愁嘆場は思いもよらなかったことです。私のひとことが母をあのように取り乱させるとは・・・・・・結局、母があなたを追い払うかたちになってしまったこと、お詫びします。
 あのとき母は、私の言葉を撤回せよと迫りました。あなたは日本人なのよ、たとえ父親が朝鮮人であろうと、あなたは父の顔も知らないじゃないの、母さんのお腹(なか)にいるときから父親はなかったのよ、ずっと、あなたは日本人なのよ、いまさら、なぜ、なぜなの、なぜ朝鮮人なの! 母はそう言って私にむしゃぶりつきました。そして花村さんに、あなたみたいな変な日本人がいて、聖子を唆すからいけないのよ、と叫んだのでしたね。
 私は母にむしゃぶりつかれ、息も止まりそうな気持を耐えていました。針の莚に座らされるというのは、あんな気分を言うのでしょうか。母を悲しませるのは、とてもつらいことです。私にとって、かけがえのない母ですから。
 私があのとき最後まで母の言い分を拒み通したのは、何だったのか。私が強い人間だからなのか、そうではありません。弱いからです。私の自信のなさが、私を意固地にしたのです。母の言い分を受け入れてしまえば、私が心に決めていることは、あっという間に崩れ落ちてしまいます。砂上の楼閣のように、脆いものです。父のものといっても、正直なところ、私のなかには何もありません。まして、民族にいたっては、私の朝鮮は空(から)っぽなのです。李基哲君たちとハングルを勉強したり、朝鮮の歴史を学んだり、仲間内でカン・ソンヂャと名乗ったり、伽耶琴の稽古をしたり・・・・・・でも、そんな付け焼き刃がどれほどのことでしょうか。欺瞞です! 二十数年前、嫌というほど身にも心にも染み込んできたものをごまかすための欺瞞です。花村さん、私こそ、どうしようもなく日本人です。基哲君たちと付き合っていて、疎外されているような気分を味わうのが、なによりの証拠です。
 花村さん、私は、父のもの、父のものと言って突っ張っている分、母からのがれようとしているのです。私は結局、朝鮮人にも、日本人にも、コンプレックスをいだいているのかもしれません。
 あの日から、私と母は口もきかない日がつづいています。基哲君たちの会へも顔を出していません。きょう、彼が心配して病院のほうへ電話をくれました。なんだか、八方塞がりの状態です。でも、八方塞がったままでは生きていけませんので、なんとしても出口を見つけ出さなくては、と思っています。とりあえずコンプレックスの正体を見極めれば、出口が見えるのではないか、そんな予感がしております。
 なんだか聖子らしくもない手紙とお思いでしょうが、私のひとりごとを聞かされたつもりで読み捨てていただければ幸いです。
  花村卓男様                             聖子拝

 花村は手紙を読み終わると、しばらく落ち着かなかった。気をゆるすと虚脱感に襲われそうな、奇妙に混乱した気分だった。花村が二度会って聖子から受けた印象とは、手紙の内容はずれている。しかし、この文面から伝わってくるものが、彼女の本心かもしれない。聖子は、彼女らしい聡明さで悩みを対象化しているのだ。
 そんなことを思いながら、返事を書かなければ、と花村は思った。
 便箋にむかったが、ペンは思うように動いてくれない。何かを書き出せば、聖子の手紙にたいするコメントにすぎないか、ありきたりな訓話じみた意見になりそうな気がする。そういうことは書きたくなかった。自分自身のこと、自分自身が何をするのか、を書かなくては始まらない、と花村は思う。しかし、それを納得できる文章にできるか、不安だった。あの日、聖子の家を辞すまえに彼女の母が見せた、異様な姿が、花村を脅やかす。あの母の姿は、悲しみとも憤りとも説明のつかない、激情の身振りだった。
 花村は結局、手紙を書きすすめることができなかった。翌朝、彼が仕事に出掛けようとしているところへ聖子から電話が来た。緊急に相談したいことがあるので、きょうの夕方、会ってほしい。私のほうから名古屋へ出向く――聖子は手紙のことには触れず、用件だけを告げると、待ち合せの場所と時刻だけを決めて、電話を切った。
 花村は仕事を終え、三週間ほどまえT市へ行くために聖子、基哲の二人と会った場所へ駆けつけた。約束の時刻を三十分過ぎ、さらに三十分経っても、聖子は来なかった。花村は、朝の電話では切迫した様子だったのに可怪しいと思いながらも、連絡の方法もなく、諦らめて帰った。
 その夜、彼は意を決して聖子に手紙を書いた。

 きょう一時間待ちましたが、見えなかったので帰宅しました。電話の様子では随分と急な用事と思えたので心配しております。お宅へ電話をとも思いましたが、あなたのお母さんの私に対する気持を考えると、それも憚られます。
 先日の手紙拝見し、あなたが私などとは異なった条件のもとで生きていられるのだということ、あらためて教えられました。私は不覚にも、あなたがじつに率直にこれまでの二十数年の人生を飛び越えて、お父さんのくにへ接近しようと決心しているものとばかり思い込んでいました。姜承元氏の記憶を消し去ろうとするお母さんと、それを取りもどそうとするあなたとの違いに、ともに隔てられた時間を生きていながらまったく対照的な生き方を感じていたのですが、あなたもまた、時間の重荷を背負わされて悩んでおられるのですね。
 実のところ、私もまた、失われた時間を取りもどそうとしているのです。私の場合は、単に自分自身の怠慢、日本人としてのエゴのせいで、姜承元氏が去ってからきょうまでの歳月を無駄にしてきただけにすぎないわけで、あなたと比較するさえおこがましいのですが。
 いま、外国人登録法を改めさせたり、指紋採取をやめさせたり、民族差別に対して異を唱えたりする活動にささやかに関わっていて、それが何ほどのことかと問われれば、まったく返す言葉もありません。日本人がしなければならない、あたりまえなことを、しかも不充分にしているのにすぎないので。日本の社会が朝鮮人に対して課している制度上の差別をなくすことが無意味だと言うのではありません。でも、そういう活動には、一つ間違えると、自分を外に置いてしまう陥し穽があるように思えるのです。根本のところ、自分を変えられないのでは、という苛立ちがあります。
 やはり、日本人が日本から自由になりきることだと思います。おまえは、それが出来るか、と自分に問わざるをえません。それが出来なければ、私は二十数年の空白を埋めて、姜承元氏に近づくことは不可能と思います。口で言うほど容易なことではありませんし、単純に、日本人をやめた、と言って済ませられることでもありません。
 聖子さん、あなたは手紙のなかで、とりあえずコンプレックスの正体を見極めれば出口を見つけられるのではないか、と書いていました。私には凄く、よく響く言葉でした。姜承元氏や李基哲君と結び合える入口が見つかるのでは、と思うのです。私がどうしようもなくそうである、日本人とは何なのかを・・・・・・

 そこまで書いてきて、花村は投げ捨てるようにペンを置いた。灰皿にはタバコの吸殻が山になっている。彼は言葉の残骸を眺めるふうに吸殻を見た。
 おれの書いていることは何だ、神野聖子の手紙とまるで噛み合っていない、聖子の母の異様な姿と噛み合っていない、姜承元がおれに話したことすべてと噛み合っていない、李基哲の指紋押捺拒否と噛み合っていない、失われた時間と噛み合っていない・・・・・・いや、噛み合っていないだけではない。嘘だ、言葉だけの、嘘だ。
 花村は三枚の便箋を重ねて、破った。

 二日後、聖子から手紙が来た。前回の手紙からは想像もしなかった、事態の急変を告げるものだった。

 花村さま、昨日はたいへん失礼をしました。急遽、こういうことになりましたので、約束を破ってしまいましたこと、どうかお許しください。
 こういうことと言いますのは、私がきのう母の家を出たということです。そうです、私たち、基哲君と私は一緒に生活することにしました。この手紙は、借りたばかりのアパートの部屋で書いています。
 さきほど、こういうことになりました、と書きましたが、厳密には、こういうことにしましたと言うべきでしょうね。だって、不可抗力ではなく、まぎれもなく私が選択した道なのですから。
 この選択が正しいかどうか、本心のところ、自信はありません。もしかしたら、朝鮮人にもなりきれず、日本人の自分も失って、ボロボロになって放り出されるのが落ちかもしれません。でも、跳んでみなければ、始まらないのです。私が子どもの頃、母がよくケ・セラ・セラという歌をうたっていましたが、なるようになるさ、といった心境です。というのは、ちょっぴり謙遜。本当は凄く闘志を燃しているのです。私、それほど若くはありませんが、日暮れまでにはまだまだ時間がたっぷりあります。母が燃やしてしまった父の手紙を復元するのが、私の役目です。きっとアボジのくにの人間になってみせます。
 基哲君との共同生活は、その手はじめの手段です。あッ、基哲君からも花村さんにひとことメッセージを送りたいそうですので、代ります。
 花村さん、聖子(ソンヂャ)の表現を借りれば、ぼくたちはこういうことにしました。聖子は、手段などといっていますが、彼女がぼくを愛していることは明白な事実です。もちろん、ぼくも聖子に惚れています。民族に誓って、聖子を愛しています。
 聖子はきっと彼女の試みを成功させると思います。選んだ道を見事に駆け抜けるだろうと信じています。ぼくの力などに頼らずにやってのけるでしょう。だって、ぼく自身がまだまだ半人前で、民族のものを奪回するためにもがいている人間ですから。
 聖子とぼくはよきライバルとして競い合っていきます。当面、ぼくは指紋拒否を貫いていくつもりです。この行為は、ぼくにとっては、人間として、また朝鮮人として生きていくための、第一関門ですから。
 決意表明(?)になってしまったところで、もう一度、聖子にバトン・タッチします。
 花村さま、あなたがこの手紙を読みながら心配されている様子が目に浮かぶようですので、最後に一つだけお断りしておきます。
 じつは、私が家を出たこと、基哲君と共同生活すること、まだ母には伝えてありません。このことを知ったら、母はどんなに悲しみ、怒ることか、それは私にとって何よりもつらいことです。でも、母の悲しみが最少限で済む方法をいま二人で考えています。私は絶対に母を捨てません。私は正真正銘のダブリストなのです。母が理解してくれるよう、粘り強く話し合っていくつもりです。その日は必ず来ると信じています。その日にむけて、これから苦行がはじまるのです。
 わたしたちはきっと目的を達成します。どうか、見守りつづけてください。

 手紙を読み終えた花村は、便箋の一点に視線を釘付けされた。文章の終わり、そこには聖子と基哲の名前が、それぞれの字体で並んでいた。




   紅いチマチョゴリ

          劉(ユ) 竜(ヨン) 子(ヂャ)

 一枚ガラスのドアを背に、長身をこごめた梶山修が、人なつこい笑顔を向けて立っていた。
 カーキー色の菜葉服に、工事用の安全ヘルメットを小脇に抱え、がっしりとひとまわり大きく逞しくなった修の、めがねの奥の細い目が久しぶりだと笑っている。
 思いがけない修の姿にあっと道子は声を呑んだ。こみあげる懐かしさに何を言っていいのか、気の利いた挨拶の言葉が出てこない。それでもはじめて目にする修の菜葉服姿を、馬子にも衣装と大袈裟に感心してみせると、修は何を着ても様になるんだと、相変らずの減らず口を返してきた。
 学生だったあの頃。徹夜麻雀でいつも素寒貧の修は、腹を空かせて泣きついてきて、有るとき払いの催促なしと、すり切れたジーンズのポケットに両手を入れ、ちびた女もののヘップを引きずりながら、勝手知ったとばかりにカウンターの内へ。着古した格子柄のシャツの襟にもどかしくエプロンを吊り下げ、冷蔵庫の中をあさっていた。
 五人も座れば満席のカウンターと、壁に背を向けて置いたベンチの前にテーブルがふたつ。常連客を相手のたかが知れてる一日の売上げから、人件費などとても捻出できず、ふらりと顔を出してはバーテンを決めこんでいた修の、見かねた体のいい申し出だったのかと、道子はいまにして思う。
 吹きぬける木枯らしがドアを煽った。冷たいすきま風が吹きこんでくる。
 赤く燃えたストーブの前に屈みこみ、後手に掌をかざして修は、壁や天井へ懐かし気に目を這わせていた。ひょいとカウンターの椅子に跨ると、おしぼりを差し出す道子の鼻先へ、めがねの奥から上目遣いに覗きこんできた。
「ねえちゃんちっとも変らんな」
「お生憎さま。この頃しわが増えて困ってんの」
 修の遠慮のない言葉に遣りこめられぬ先にと、ぴしゃりと釘を刺しておき、すまし顔で見返すと、修は何やら言いた気に、道子の先制をにやりと苦笑で交した。
「ビール?」
 おしぼりを拡げて力まかせに、額や首筋をしごいていた修は、めがねをはずし焦点のぼやけた目を三角にすがめ、「おっ」と威勢よく頷づいてきた。
 さっぱりと拭きあげた顎のまわりに、無精ひげがまばらに伸びている。意外なひげの濃さに道子ははっとなった。さっきから妙に落ち着かないのは、無精ひげのせいなのか。それとも菜葉服の厚く張った肩のせいだろうか。カウンターに向き合う修を前にして、道子はなぜかぱっと耳朶を朱くした。
「ねえちゃん・・・・・・」
 内心慌てた道子だったが、カウンターを照らす照明の仄暗い明りをいいことに、それでも眩しく修へ目を向けた。
「みんなときどきは顔出してるのか」
 毎日のようにたむろして、修と一緒に飲んで騒いでいた連中も、就職が決るとほとんど顔を見せなくなった。
「いつまでも学生じゃあるまいし、仕事に忙がしくて来られなくて当然でしょ」
「水臭い奴らだな・・・・・・」
 修は眉をしかめ、
「そう言うおれだって半歳ぶりだもんな」
 ふんと鼻を鳴らして苦笑を洩らした。
「ひろみ結婚したんだってな」
 めがねのレンズへ息を吹きかけ、レンズの曇りをおしぼりで拭いながら、修は殊更に気のない素振りを装い言った。
「らしいわね・・・・・・」
 唐突な修の言葉に、道子は自分でも意外なほどの素っ気なさで答えた。
 修はめがねのレンズを明りにかざして、一瞬考えこむふうに、
「ねえちゃんの従姉妹なんだろう」
 怪訝な目を向けて、めがねを掛け直した。
 道子は黙ってかぶりを振り、ビールの栓を抜いた。
「ひろみのことには触れたくないの」
 修は空のコップを傾け、納得したのかそれ以上何も訊かず、注がれたビールをぐっと一息に飲み干した。
 道子は冷蔵庫から取り出したキムチを、小皿に盛りつけ修の前に置いた。修は黙って箸をつけた。
「ひろみをあんなふうに追い遣ってしまったのは、わたしのせいのような気がするの・・・・・・」
 結婚式の披露宴に呼ばれていながら、出席できないと、一方的に電話を切ってしまった。ひろみへの邪慳な仕打ちを、今さら悔んでみてもはじまらないが、突きあげてくるどうしようもない呵責の思いに、道子は胸が塞いだ。
 おかっぱに切り揃えた前髪の下から、ふっと怯えたような目をして、上目遣いに見つめ返していたひろみの、淋しそうな顔が脳裡をかすめた。
 はじめてひろみが訪ねて来た夜のことが、つい昨日のことのように胸に浮かぶ。あの晩も風が強かった。

 宵の口からしこたま飲んで、すっかり出来上がった酔客を送り出し、道子はカウンターに凭れてほっと一息入れた。客に勧められるままに飲んだ酒の酔いが、気怠くまわってきて、溜息まじりの酒臭い息が鼻を衝いてきた。ほてった頬にむせ返る、焚きこめた暖房の息苦しさと、有線から流れる演歌の哀切な節まわしが、うるさくまといついてくる。
 ドアの開く気配に振り向くと、見慣れぬ若い女が立っていた。冷たい風の中を駆けて来たのか頬を染め、ダウンジャケットの胸が息せき切って弾んでいる。馴染みのない店に迷いこみ、いまにも消え入りそうに戸惑っている。道子は訝りながらもカウンターの椅子を引いて推めた。ジーンズの膝を窮屈にそろえて腰を下ろし、おかっぱに切り揃えた前髪の下から、一重瞼の利発そうな目を一瞬怯えたようにしばたくと、小さくうわずった声で水割りと言った。
「いつもひとりで飲んでるの」
 初対面で向き合う気詰りに、道子は適当な言葉を探して声をかけた。女客はぽっと頬を上気させ慌ててかぶりを振った。
「あの・・・・・・」
 道子が覗きこむとためらいがちに、
「堀川沿いに住んでいた道子ねえさん」
「道子ですが・・・・・・」
 さっと喜色ばんだ目を向けて、
「ひろみです」
 いきなりひろみと言われても、道子は直には思い出せなかった。幼さの残る頬の脹らみや、きゅっとすぼめた形のいい口元に目を凝らす。うぶ毛が金色に光っている。
「あれっ。もしかして西山のハルモニのところの・・・・・・」
 大きく頷づき返すおかっぱ頭が、紅く上気した頬をつつみ、うなじで切り揃えた髪が前後に揺れた。
「おどろいた、ひろみだわ。その頬っぺた、ちっとも変ってないもの」
 いたずらを見咎められた子供のように、首をすくめ恥らう様子そのままが、幼い頃のおもかげに重なる。
「へぇ。幾つになったの」
「今年、二十歳に・・・・・・」
「そう。引っ越していったの小学校の頃かしら。いまどうしているの」
 矢継早やな道子の言葉に、いちいち頷づき返しながら、高校を卒業したあといったんは就職したが、大学を諦め切れず学資は自分で稼ぐと家族を説き伏せて、一年遅れで夜間の短期にもぐりこみ、それを機に家を出て下宿住いをしながら、昼間はアルバイトをしていると、とき折り屈託のない笑顔を向けながらも、それが癖のように小首を傾げ、言葉を選びながら吶吶と話してきかせた。
「そお。ハルモニは元気にしているの」
 懐かしさに思いつくまま、道子は脈絡のない言葉を浴びせ、家族の近況を訊ねた。ひろみは元気にしているとだけ言って、あとは口を濁し、家族のことへはあまり触れたがらない様子を見せた。複雑な家族の事情がうかがい知れた。
 西山のハルモニは近所でも評判の女丈夫で、堀川沿いの朝鮮横町と呼ばれた裏長屋で、粗末な卓と椅子を並べ、形ばかりのホルモン屋を構えていた。キムチと臓物の味付けを自慢に、酔ってくだを巻く酔客を持ち前の度量であしらい、男まさりな気風が受けてけっこう繁昌していた。
 口さがないアジュモニたちの噂によると、西山のハルモニは亭主運が悪く、育ちざかりの幼い姉妹を残して夫に先立たれ、荒くれ男たちにまじりニコヨンもし、リヤカーを引いてくず鉄拾いと、成り振りかまわず身を粉にして働いたが、育てた子供たちはハルモニの意に反して、息子は日本人の女と駈け落ちし、娘は朝鮮長屋の貧しい生活を嫌って、家を飛び出したまま行方知れずだと言う。
 そんなハルモニのところにいつからか、りんごのような紅い頬っぺをした、おかっぱ頭の女の子の姿を見かけるようになった。ニンニクと臓物を煮こむこってりとした臭気のただよう店先で、路地一面に落書きをしてひとり遊びに興じている姿や、買い出しの野菜を頭の上に乗せて、歩いて行くハルモニの後を追い、舌ったらずな童謡を口ずさみながら、片足跳びに撥ねていた姿を思い出す。
 いつだったかハルモニは、「チョッパリ」「あいの子」と、いじめっ子に囃されて泣いて帰った幼い孫の手を引いて、はやし立てたいじめっ子の家に怒鳴りこみ、母親を表に引きずり出して、つかみ合いの談判も辞さぬ気性の激しさを見せていた。
 小学校も高学年になっていた道子は、ハルモニと一緒に銭湯へ行ったことがあった。固くしぼった手拭いで、それこそ一皮むけるまでアカをこすられて、おまけに幼いひろみと一緒に、熱い湯にのぼせるまで漬けられて、銭湯の帰りには、ひろみを真ん中にハルモニも道子も、茹であがったタコのように頬っぺたを真っ紅に染めて、冷たい風の中を軀の芯から温くぬくと、煌めく冬の星座を並んで見上げた夜のことを思い出す。
「憶えてる? 銭湯へ行ったこと」
 ひろみは記憶にないらしく、困ったような表情を見せて小首を傾げた。
 その夜を境に、ひろみはときどき顔を見せるようになっていた。道子は妹がひとり増えた気になり、修や来合わせた常連客に、自分の従姉妹だと紹介していた。
「ねえちゃんの従姉妹?」
 肩で風を切るようにドアを押して入ってきた修は、カウンターの隅っこで小さくなって座っているひろみに、一瞥を投げ、大袈裟にずっこけて見せた。
「口も悪いし、風采もあがらないけどいい奴だから・・・・・・」
 からかい半分に道子が紹介すると、ひろみは軀を縮めるように恥らいを浮べて、おかっぱ頭をぴょこんと下げた。
「同じ年かしら」
 大学に入ってしまえばこっちのものと、無精をかこい徹夜麻雀に明け暮れ、暇をみつけてはパチンコに精を出している修と、アルバイトをしながら夜間の大学に通っているひろみとを見比べ、道子はえらく違うとあきれて見せた。
 ひろみの横へ、それでも遠慮して、椅子をひとつ明けて腰を下した修は、ずり落ちためがねを指で押しあげ、天才はガリ勉をしなくとも学業についてゆけるのだと、胸を張っていきんで見せた。
「ねえちゃん、おれ高校んときパンチパーマ掛けて家へ帰ったら、お袋に朝鮮人みたいな頭してみっともないと言われてよ。ほんと朝鮮人はみんなパンチパーマ掛けてるんかと思ったんだ。おれ何んにも知らんかったんだ」
 修は照れかくしもあってか、おどけた口調で言った。道子は思わず吹き出したが、いまの若者たちはそんなふうに、朝鮮人とか朝鮮というものに、関心すら持たないのかとふっと思ったりした。
「おれ、高校んとき、ほんとワルでよ。恐いもの知らずで、喧嘩売って歩いて退学寸前までいったんだ。そんでもおれよりワルがおって、そいつ朝鮮だったんだ。キョンチャルとか、タンベとか、チャドンチャとか教えてくれて、ほんとあいつすげえ度胸しとって、おれまじに朝鮮を恐いと思ったんだ」
 修はそっと神妙な面持で言った。
「ねえちゃんとこ来るようになって、おれ何んかよう分らんけど、少しずつおれん中の朝鮮が変ってきたような気がするんだ。おれ、ねえちゃんのこと、朝鮮とかそうゆうふうに思ったことないもんな・・・・・・」
 頭をかきながら修は言った。
 最初の頃、キムチなんかに目もくれなかった修が、いまではすっかりキムチ通になってしまったと、道子は親しみをこめてひろみへ言った。ひろみはじっと耳を傾け、眩しそうに修を見ていた。
 頻繁に来るようになったひろみは、店の雰囲気にも馴れたのか、修の友人たちがたむろして飲んで騒いでいる中へ、はじめは遠慮がちだったのが、すっかりうちとけて酒を飲み交すようになっていた。濁声を枯らして唄う応援歌に一緒になって手拍子を打ち、酔いにまかせて飛び出す卑猥な言葉に頬を真っ紅に染めていた。修の軽い冗談にも真剣な面持で地団駄踏んで悔しがり、両の拳を頭の上でにぎりしめ、いまにも殴りかからんばかりの仕草を見せ、どっと笑いが弾け、仲間うちからやんやと囃し立てられていた。
 客の立て混んできたときなど、自分からカウンターを買って出て、慣れない手付でコップを洗ったり、汚れた灰皿を取り替えたりと、それでも愉しそうに手伝ってくれていた。
 週明けの客足の絶えた店の中で、めずらしくひろみとふたりきり、カウンターに腰を並べて座っていた。とりとめのない話を交しながら、お酒でも飲もうかと、ひろみにグラスと氷を用意させ、とっておきのウィスキーボトルを持ち出して、ふたりで水割りを作って飲んでいた。
「わたしね、心から笑ったことがないの」
 頬杖をした両の掌におかっぱ頭の顎をうずめ、氷を浮べた水割りグラスを見つめながら、ひろみはふっと溜息を洩らして言った。
「笑ったことがないって、いつも明るくしているのに」
 言葉の意味を呑みこめなくて、道子は怪訝な顔して言った。
「あれは本当のわたしじゃないわ」
 ひろみはどこか投げ遣りな言いかたをした。
 心から笑ったことがないなんて、仮にそうだとしたらなんて淋しい人生なんだろう。道子は半信半疑なままひろみを見つめた。
「わたし家を出たのは、ひとりの生活に憧れていたせいもあるけれど、いままでの自分との訣別の意味もあったの」
 ひろみは裡に秘めた思いを、吶吶と語ってきかせた。
「家族の誰にも告げずに家を出て下宿を探したの。一週間もしないで母が探し当ててきたわ。蒲団を新しくこしらえて持ってきて、なんにも言わずに好きにしろって」
 水割りグラスを傾けながら、道子はひろみの話へ耳を傾けた。
「わたしの父は朝鮮人で母は日本人なの。弟と妹がいて、わたしだけ母の姓を名乗っているの。弟や妹がいつも羨ましそうに言ってるわ。お姉ちゃんは日本人だからいいって。指紋を押して登録手帳を持たなくていい。外国だって就職だってどこへだって好きなところへ行けるって」
 汗をかいた水割りグラスの雫のあとを、そっと指でなぞりながら、ひろみはつづけた。
「民族学校の幼稚園へ通ったこともあるの。いじめられた、チョッパリ、あいの子って。父が怒鳴り込んでね。どういうことだとすごい剣幕で、それっきり幼稚園へは行かなかった」
 いたいけな幼稚園児に、しかも民族教育の現場にいじめがあるなんて、道子は意外な気がした。
「父はわたしたち姉弟にはとても優しかった。でも母にはなにかと厳しく当り散らしたの。祭祀の仕度くをおこたったといっては怒鳴りつけ、ハルモニへの態度が悪いといっては殴りつけてね。それこそ夫婦喧嘩が絶えなかった。血まみれになっている母を見て、離婚でもなんでもすればいいのにと思った。父を憎みじっと耐えてるだけの母にさえも、やり切れない怒りを覚えたの。もうたくさんだって」
 深く肩で息をつぐと、額にたれた前髪をかきあげた。こぼれた広い額がいつものおかっぱ頭の童顔を、一瞬大人びた表情に変えた。
「物心ついて母に訊ねたことがあるの。どうしてわたしだけ日本人なのって。母はあなたを奪られたくなかったと言ったわ。わたしの生れた年に、帰国船に乗って朝鮮人はどんどん国へ帰って行ったらしいの。自分の夫も当然、国へ帰るものと思いこんだ母は、生れたばかりのわたしを、ひとりで育てていくつもりで、私生児として母の籍へ入れたらしいの」
 とぎれたひろみの言葉を縫い、低く流した有線からアイドル歌手の唄う軽快なメロディが流れてきた。場違いな曲の終るのを待って、ひろみは乱暴に水割りグラスをあけた。グラスの中で氷が小さく音を立てて鳴った。
「誰も分ってくれないんだわ。どうあがいてみてもわたしは日本人にも朝鮮人にもなれないのよ。家の中でも外でも・・・・・・」
 肩が小刻みに震えている。重苦しい沈黙が流れ、くくっと引きつる笑い声が洩れた。
「ごめんね。わたしどうかしてる。でももう大丈夫」
 心配そうな道子の目を気にしてか、ひろみは取り乱すまいと、懸命に平静を装い唇を噛んでいた。道子は慰めの言葉もなく、ただ黙って水割りグラスをあけた。
 一年が過ぎていた。
 ドアを押して入ってきたひろみは、めずらしく正体もなく酔い潰れていた。入ってくるなり乱暴に椅子を引き、カウンターに両手をつかえ崩折れるように突っ伏した。背中が大きく波打ち、苦しそうに喘いでいる。
 道子は店閉いとシャッターを半分下し、飲み散らしたコップやグラスを、蛇口をひねって洗い流していた。ほとばしる蛇口の水をコップに受け、突っ伏して喘いでいるひろみの肩を揺すった。ひろみは大儀そうに軀を起し、喉を鳴らしてコップの水を飲み干すと、濡れた唇を横殴りに手の甲で拭った。酒臭い息が鼻を衝いてくる。
 洗いものを済ませた道子はガスの元栓を確かめ、送って行くからとひろみを揺り起した。ひろみは邪険に道子の手を払いのけた。もう一度手を伸すと、酔いのせいかきっと道子を睨み据え、嘘つきと激しく罵しった。
 一瞬何んのことやら呑みこめず、道子は呆っ気にとられた。酒のむかつきをぐっと顎を引いてしゃくりあげ、もつれた舌で修がどうのと、いまいましそうに凄んで言い、子供のように両手で顔を被い、肩を震わせた。修と喧嘩でもしたのか。いつになく荒れてるひろみの様子を道子はそっと窺った。
 修に魅かれていくひろみの様子は、ずっと以前から手に取るように知れていた。頻繁に顔を出すようになったのも、ひろみ自身が気づいていないことも。修の居ない夜、ドアを気にして、つまらない顔をしてしょんぼりしていた。修がそこに居るだけで、浮きうきといつになくはしゃいでいた。頬を染めたひろみの、はちきれんばかりの若さは、道子の目にも眩しいほどだった。
 ひとしきり泣きじゃくったあとの、平静を保ってきた息づかいに、道子は声をかけた。
「どうする? 送ろうか」
「修を待ってるの」
「今夜はもう遅いし、来ないわよ」
 宥めるように道子は言った。ひろみは椅子の背凭れに、気怠く軀をあずけて起すと、
「修は道子姉さんのことが好きなんだって・・・・・・」
 操り人形のように、首をうな垂れて言った。
「馬鹿なことを言わないで、さあ帰ろうよ」
 ひろみの肩を抱きかかえた。
「分ったわ。道子姉さんいつもそうしてごまかすんだ」
 道子の手を振りのけて、身構えるように顎をしゃくった。
「ごまかすって、わたしにはひろみの言ってることが、さっぱり分らないわ」
「分っているくせに」
 酒に酔った勢いで、ひろみは侮るような目をして挑んでくる。
「いい加減にして」
 持てあましたように道子は言った。
「どうするの。帰るのか、帰らないのか」
「修を待ってる」
 ぷいと顔をそむけ、子供のようにすねてみせ、カウンターに折り重なった。息が苦しそうに乱れている。
「待ってても来ないわよ。こんな時間だもの、どこかで飲んでるか、アパートに帰って寝てるかだわ」
 時計の針は一時をまわっていた。
「さあ、帰ろうよ」
 ひろみの肩へ手を伸ばすと、いまいましそうに振りのけた。
 酔っているひろみを、表に引きずり出す訳にもゆかず、道子は仕方なしに、ひろみの横へ椅子を並べて腰かけた。
「ねぇ、お願い。修にわたしと付き合うように言って」
 酔眼をとろんとさせて、甘えた口調で媚を作って言う。
「そんなの自分の口で言えばいいのよ」
「あ、お姉さん。やっぱり修のこと好きなんだ」
 卑猥な目付をして言った。
「馬鹿らし。修といくつ離れていると思ってるの」
「そんなの関係ないわ。いくらでも年下の男と恋愛してる年上の女はいるもの」
 ひろみの剣幕に、道子は一瞬たじろいだ。
「わたしを抱いてって言ったら、修、何んて言ったと思う? ねえちゃんの従姉妹だろうって言ったわ」
 いきなり何を言い出すのかと、道子は内心驚いた。
「そうよ。ひろみに変なことしたら承知しないって、釘を刺してあるもの。当然よ」
「あ、お姉さん嫉いてるんだわ」
 ひろみは覗きこむようにして、酒臭い息を吹きかけた。
「止めて、そんな話。どうしてわたしが嫉かなけりゃならないの。恋愛は自由なんだから、どうぞ勝手にして頂だい。でも言っておくけど、わたしの前で変なことしないで頂だい」
 酔いにまかせて、ふてぶてしい態度を見せるひろみに、道子はきつく戒めるように言った。
「変なことって、わたしが修を好きになったらいけないことなの」
「そんなこと言わないでしょ。ただ真面目に付き合えってことなの」
 ひろみはこめかみを押え、酔いに揺れる上体を支えて、
「わたし本気よ。どこが不真面目だっていうの」
 えぐりあげてくる酒のむかつきに、ひろみは苦し気に眉をしかめた。
「本気ならなおのこと、きちんとして欲しいの。ふたりとも学生の身なんだから」
「学生は恋愛しちゃいけないの」
 ひろみはきっと道子を見据えた。
「そうじゃないのよ」
 酔っているひろみを、相手にしてもはじまらないと、道子はいい加減、匙を投げかけた。
「おかしい。お姉さん、やっぱり変だわ」
 ひろみは詰るように突っかかってくる。
「お姉さんは、わたしが修と付き合うのが面白くないんだわ」
 道子はどうにも情けなく、
「違うのよ。言いたくはないけど、この頃いやな噂を耳にしているの。みんなと飲み歩くのは構わないわ。それだけじゃないのよ。変なとこから出て来たのを見たって言う人もいるの。噂だけならいいけど。もっと自分を大切にして欲しいの」
 ふふんと、人を小馬鹿にするような、うすら笑いを浮べて、
「わたしが誰と何をしようと勝手だわ。お姉さんには関係ないことよ」
 ひろみは横柄な態度を見せて、ふんと顎をしゃくった。と同時に道子の掌が空を切って鳴った。ひろみは椅子からのけ反り、紅く染まってゆく頬を押えた。
「そうよ。関係ないことよ。だけど言っとくわ。わたしの耳にいやな噂を入れないで頂だい」
 身じろぎもせず頬を押えたまま、ひろみは肩を震わせた。
「謝るわ・・・・・・」
 思わず打ってしまった後悔と気まずさに、道子はしびれる掌をそっとにぎりしめた。
「遅くなったから、送って行く」
「いや! お姉さんにわたしの気持なんて分るもんか」
 言葉尻がかすれて、嗚咽が洩れた。
「分ってるわ。ひろみを打ったこと謝るから、お願い一緒に帰って」
「お姉さんは卑怯よ。いい子ぶって大人のふりしてるんだわ。修のこと好きならはっきりそう言えばいいのよ」
「好きよ・・・・・・。これでいい」
 ひろみは堰を切るようにしゃくりあげた。肩に手を置くと、激しく振りのけて、夜更けた街へ飛び出して行った。

「あれからひろみも、いろいろなことがあったらしいの。子供が出来てね。慌てた両親がなんとか結婚まで漕ぎつけて、式の当日は七ヵ月の身重だったの。相手はもちろん日本人でね。花嫁衣裳もかつらを付けて純日本式だったって。式もとどこおりなく終えて、披露宴もたけなわ、和やかに酒盛りが始まると、お色直しの花嫁が姿を現わしたの。宴席が一瞬水を打ったように静まり返って、ひそひそ話がささやかれ、そのうちにひっくり返したように騒然となって、相手の列席者の半数が席を立ってしまったらしいの。花嫁は目も醒めるほど鮮やかな、真紅のチマチョゴリを着ていたんだって」
 人づてに耳に入れたひろみの結婚式の経緯を、修に話してきかせた。修は黙って耳を傾けていた。空のコップへ酌をすると、修はねえちゃんも一杯と、ビール壜を持ちあげ、道子のコップへ酌をした。
「本当はひろみに大人気もなく嫉妬していたのよ。ひろみの若さと純粋さに。あんなに悩んでいたひろみのことを、心のどこかで嘲笑っていたんだわ」
 喉へ流したコップのビールが、苦く胸につかえた。
「わたしはどこかで、朝鮮人だって開き直ることができるの。でもひろみにはそれができないのよ。朝鮮人と日本人の血がせめぎ合っていて、そんなひろみに何を言えて・・・・・・」
 遣り切れない思いにどうしようもなく、道子は自分を責めた。
「ねえちゃん・・・・・・。ひろみはあれで良かったんだ」




   交流誌紹介
 在日文芸 民涛  在日二・三世世代の文化的アイデンティティと、第三世界の民衆との絆を求めて、今年十一月に創刊されたばかりの季刊文芸総合誌。創刊号には『アリランの歌』で著名なニム・ウェルズ女史へのインタビュー、在日二世が語る座談会「在日文学はこれでいいのか」金時鐘、姜舜の詩、朴重鎬、宗秋月の小説、連載「朝鮮の近代文学」などがあり、A5判三三〇頁の大冊で九八〇円。「読む会」の仲間、鐘真氏が編集委員の一人。代表は李恢成氏。




     南京虫のうた

          渡(わたり) 野(の) 玖(く) 美(み)

 直径五十センチ高さ三十センチ程の杉の木塊の仕事台の前に胡座をかいて座った栄寿は、仕事に身が入らず、手を止めて視線はテレビの画面に魅せられていることが多かった。有紀は慣れない手付きで踵の釘を打つ。片方で六本の釘を打つのだが、有紀は必ず一本は曲げてしまうのだった。高級草履の加工を始めてまだ二ヵ月の栄寿と有紀の技術は未熟だった。結婚前には、栄寿は一人前の草履の職人だと知らされていたが、どうやら仲人口だったらしい。
 草履の原型である芯に、皮の裏を釘二本で打ち付け、周囲をタコ糸で縫い付ける作業は、右の掌に鉄製の指抜きを当て、太い針を掌の力で突きさしながら、ぶすぶすと一針一針縫い進むという根気のいる仕事だった。有紀もやってみたが一時間かかってもやっと一足しかできなかった。針がささらないのだ。無理に押すと針が折れ曲った。栄寿は五足ほどこなした。草履の厚みにもよるが、熟練者は八から十足ほどのスピードだという。
 縫い付けた皮を、草履の原型にそって包丁で切りおとすのを「裁ち」というが、栄寿はこの工程が全く駄目だった。切り口が不揃いで、誰が見ても商品価値のなくなるひどいものだった。この工程だけは、完成品を納める問屋には内緒で、近くに住む長兄に頼んでいた。
 足裏へのあたりが柔かいように、スポンジとボール芯を張り付ける作業と、踵に釘を打つ作業が有紀の役目だった。その他にもいろいろと細かい作業があり、一日五十足のノルマは、栄寿と有紀の腕では難しかった。部屋の中は、材料と道具が場所をとり、六畳と三畳の二間きりのアパートでは、仕事場で寝起きしているのも同然だった。
 結婚前の栄寿はブローカーだった。今、有紀と栄寿の新居になっているこのアパートを根城に、他の仲間三人と、一日に数時間仕事するだけで、毎日キャバレーで遊び、高級な腕時計やダイヤをはめこんだ金の指輪を身に着けることのできるブローカーとは何であるのか、有紀にはさっぱり見当もつかなかった。悪事であるらしく、栄寿は有紀のためにと草履加工の職人になって生計をたてようと努力しているのだ。
 妻子ある中年男性との情事に溺れ、生活のために、遂にキャバレーのホステスにまで身を落として、男との関係を続けようとしていた矢先に、有紀と栄寿はホステスと客という立場を越えて恋に陥ってしまったのだった。二年あまり続いてきた情事に疲れていた。初めには確かにあった輝かしい恋の季節は終わり、妻子ある男との出口のない膿み爛れた情事のみの関係は、健康な若い精神を持った二十歳の有紀には重荷になってきていたのだろう。情熱を込めて恋を語る栄寿に、有紀は何よりも健康的な若さを感じた。
 有紀をめぐって、男と栄寿の激しい争奪戦があった。三十分ずつ交替で、有紀と話し合い、有紀に選択をまかせようとなった。一流会社の係長である男は、目をぎらつかせ物凄い形相で、言った。
「家を捨てる決心をしたんだ。あれにもすっかり話した。会社も辞める。有紀を失いたくないんだ」
「もう遅いわ、もっと早い時期にその言葉が聞きたかった。私はあの人と結婚することに決めたの」
 有紀は涙を流れるにまかせて言った。
「有紀の家ではその結婚を許すと思っているのかい? あいつら何をやってるのか知ってるのか。決してまともじゃないぞ。有紀を罪人の情婦にしたくないんだ」
「そりゃ条件は悪いわ。日本人じゃないし。でも情婦なんかじゃないわ。妻になるのよ」
「何だって? 日本人じゃないって、それじゃ朝鮮か」
「そうよ。本人は朝鮮じゃなく韓国だって言ってる。私はどっちでもいいの国籍なんて。その人次第よ」
 有紀は敢然と栄寿を選んだのだった。
 正月に、新婚旅行と称して有紀の故郷へ行った。ふたりは新婚旅行のつもりであったが、真の目的は結婚を有紀の両親に認めてもらうことにあった。だが、韓国人との結婚を喜んでくれるはずもなく、有紀は勘当されたも同然に、栄寿に伴って雪の降りしきる故郷を後にしたのだった。
 外が妙に明るい。
 有紀はまさかと思った。三月に、しかも東京に雪など降ろうはずがない。ふわりふわりと花びらが舞うように降ることはあっても、一面真っ白に積もるなんて想像もできなかった。たとえ降ったとしても、純白の雪は、都会の極彩色に染まって、赤や青や黄や紫色に変色してしまうのではないかと思った。だが、窓の外の明るさは確かに雪の明るさなのだ。北陸で生まれ育った有紀には、懐かしい泣きたくなるような雪の明るさであった。
 カーテンを引くと、やはり雪だった。十五センチは積もっている。全体を白一色で塗りつぶす、とまではいかないが、充分な雪景色が目の前に広がっていた。
 日曜日だった。午前八時を過ぎたばかりなのに、荒川の土手で、思いがけない天からの贈りものに、子供たちが大はしゃぎしていた。ビニール袋をそりに見たてて滑っている子、本物のスキーを持ち出している子。雪だるまもこしらえてある。有紀と栄寿のアパートは荒川にかかる千住新橋の袂にあって、二階の窓からは荒川土手が一望できた。そこには、雪国の子供たちの遊びが、まるで遠眼鏡を覗くように繰り広げられていた。
「ねえ、栄寿。窓の下を見て!」
 雪だ雪だと騒ぐ有紀の声にしぶしぶ起きた栄寿は、
「おっ、これはいい」
 と叫んだ。
 五室あるアパートの階下は廃品の集積所になっていて、裏には古新聞、古雑誌、ダンボール箱、古衣などがトラックやリヤカーで運び込まれて、塵芥の山になっていた。その塵芥の山が雪に埋もれて、美しい雪景色になっていたのだ。いつもなら五、六人の従業員と大家の奥さんがそれらの仕分け作業を始める時間だが、日曜日のせいか雪のせいか、階下は森閑と静まりかえっていた。
 朝食の仕度をしている間に、栄寿は野球のボール大の雪の玉を作って来た。ほら、冷たいだろ、と有紀の首筋にあてた。有紀が嬌声をあげるのを見て喜んでいる。
 雪は断続的に降った。半日で溶けてしまうだろうと思われた雪は、道路こそ自動車の列に汚なく溶けてしまったが、屋根や川土手には白いままに残っていた。だが雪国の雪と違って、どことなく煤けた感じの雪だった。
 午後になって長兄が来た。
「凄い雪だな。有紀さんの田舎ではもっと降るんだろうね」
「ええ。こんなものじゃないのよ。ねえ栄寿さん」
 ふたりきりの時は呼び捨てにしても、長兄の前ではさん付けで栄寿を呼ぶ。
「そうだ、田舎から帰る日は吹雪だったな」
 吹雪の中を汽車は走った。栄寿と有紀は、終始無言のままで堅く手を握りあい、窓の外の後ろへ後ろへと飛んでゆく雪景色を眺めていた。雪の中に埋もれて三分の一ほどしか見えていない一軒家がぽつんぽつんとあり、ひっそりと頼りなげに浮かんでいるのを、切ない思いで見たことを思い出す。
「俺は早く雪の中から逃げだしたいとそればかり思っていた」
 栄寿が遠い所を見る目をして言った。
「米原を過ぎると空の色から違うものね」
「赤ん坊ができたこと田舎に知らせたのかい、有紀さん」
「ええ、手紙で。でも返事はないのよ」
「そうか。それにしても有紀さんの御両親ってずいぶん頑固で冷たい人たちなんだね」
「そうですね」
 有紀は寂しく笑った。
「ところで、儂は帰化しようと思うんだ。栄寿、賛成してくれるか? いや賛成しなくてもいい、邪魔しないでくれるか」
「兄貴、それはどういう意味だ」
「儂は韓国人だ。祖国を大事に思う気持ちも強い。けどな、儂らみたいな半日本人(パンチョッパリ)は、今後、本国へ渡って生活などしてゆけん。この日本に永住するしかないんだ。韓国語も話せないが儂ら二世はまだ良い、うちの子供らはどうだ、キムチさえよう食べん世代だ。韓国人だという自覚すらないだろう。儂は子供らのために決心したんや。誰に何と言われようと何年かかろうと、帰化しようとな。栄寿も有紀さんと生まれてくる子供のために帰化して日本人になれ! まず、儂がいろいろ調べて申請してみるから、栄寿も今から心しておけ。真面目に生活の基盤を作ることが、今一番大事なことだ。有紀さんが日本人だから栄寿の場合は、儂より有利になるだろう。儂の嫁はんは北だからちょっとややこしいけど、まあ何とかなるだろう。身内は全員、北へ帰ってしまったんだし、あれは儂しか頼りになるものがいない。考えてみりゃ、かわいそうな身の上だな。康寿の奴だよ、いつまであんな危ない仕事をしているんだろうな。前科のある奴は絶対に帰化できないぞ」
 長兄は、ブローカーをしている三男の康寿を非難した。栄寿もかつては仲間だった。
「俺は賛成するけど、おふくろが何て言うかな。韓国へ帰りたいのじゃないのか? 帰化となると民団もうるさいぞ」
「民団なんかどうでもなるさ。つきあいがなくなればそのほうが好都合さ。親父も死んでしまった現在、韓国へ行ったところで何もないし、親父の兄弟がいるらしいけど何の連絡もない状態だ。今更帰っても仕方がないだろう。おふくろには年に一度遊びに行かせてやることで我慢してもらおうや。子供らを儂らみたいな、どっちつかずのパンチョッパリにしたらあかん。韓国人に育てるのが理想だろうが儂らには無理だ。日本人になることのほうが易い」
 長兄と栄寿の話はいつまでも続いた。朝鮮人に嫁にやるために育てたのじゃないと泣いた故郷の母の姿が、有紀を哀しくさせた。
「わたし、買い物に行ってきます」
 有紀は、玄関で自分のブーツに片足を入れかけたが、すぐ横にあった栄寿の真新しい黒のゴム長に足を突っ込んだ。ゴム長は大きかった。有紀はゴム長をぶかぶかさせて、夕方の外へ出た。雪のせいでいつもより明るい。
 雪がちらちらと降ってはすぐ止んだ。
「上を見れば雪は黒い、下を見れば雪は白い」
 と有紀は声に出して言ってみた。小学校の国語の教科書に載っていた詩の一節なのだ。灰色の空から黒っぽい塵芥がどんどん落ちてきて、背景が地上のものになると、初めて雪は白く見える。子供心に、その表現がとても新鮮ですごい発見のように思え、その一節だけが有紀をとらえていた。
 荒川の土手道を、ぶかぶかのゴム長で雪の踏みしめられる音を聞きながら有紀は歩いた。財布も買いものかごも持たずに出てきた。別に買うものはなかった。立ち止って、アパートの自分の部屋の窓を他人の部屋の窓を見ているような気持ちで見ている自分に気付く。有紀は窓が見えなくなる位置まで急いで歩いた。雪を踏みしめながら、雪国で実直に生きてきた両親を思った。両親に祝福されずに外国人の子を宿し、あと八ヵ月で母になる不安と孤独が有紀を襲った。涙が噴き出してきた。
 子供たちに踏み荒らされずに、白い雪が一枚の布を敷いたように広がっている場所があった。街には燈がともった。有紀は涙に濡れた顔を雪に押しあてた。顔の型がついた。子供のころ、そうやって遊んだことを思いだす。靴の踵を軸にして花の形を作った。コスモスの花のようだ。間隔をあけずに小刻みに回転すると菊の花になった。
「ゆーきー。何してるんだー」
 栄寿が川土手を走ってきた。帰りが遅いので心配して迎えに来たらしい。財布も買いものかごも持たずに出たのに気付いたのだろう。
「お義兄さん帰ったの?」
「ああ、ちょっと前に」
「栄寿、雪の上に寝転んでみない?」
 栄寿は黙って有紀の顔をのぞきこんだ。有紀は照れて舌を出した。
「こいつ、心配かけやがって。ああ冷てえ。長靴がないからサンダル履きで来たんだぞ」
「ごめん。ねえねえ、これ私の顔型よ。栄寿も作ってみて」
「よし!」
 栄寿は有紀の顔型の横の雪の中へ顔を押しつけた。口の開いた不細工な顔になった。
「ねえ、あのきれいな雪の上でふたりの人型を作らない? ひとりじゃ誰かに見られると恥ずかしいけど栄寿と一緒なら平気よ」
「よし、やってみるか」
 雪の上にふたりは大の字に寝た。寝ると街の燈も家並みも見えなくなって、暮れなずむ春の空だけが視界を占領していた。
 帰化に有利だからという長兄のすすめで、純和装の貸衣装をつけた形だけの結婚写真を撮り、両親と親戚に送ると夏になっていた。
 夏の盛りに、妊娠によって起こる湿疹だと思われる赤い斑点が有紀の手足に二つずつ並んでできた。ひどいかゆみだ。
「蚊に刺されたんじゃないのか?」
「蚊じゃないみたいよ。栄寿には何もできてない。悪い病気にでもなったのじゃ・・・・・・」
 異常出血で流産しかかったこともあるので、栄寿と有紀は心配で仕方がない。そのうち栄寿の手足にも同じ斑点が付き、かゆさのあまり、眠れない夜が続いた。
 様子を見に立ち寄ったお姑さんから、南京虫の刺した跡だと知らされる。
「おかん知ってんのか、南京虫」
 大阪の生野区猪飼野で生まれ育った栄寿は、母親や兄たちと話すときは大阪弁になる。
「小豆粒ぐらいの黒い虫やでえ。血吸われたらかゆうてかゆうてたまらへん。二つ跡がつくのんは南京虫に間違いないでえ」
 お姑さんは呑気な口調で言った。ゴキブリも東京へ来て初めて見た有紀は、南京虫という名の虫の存在すら知らなかった。
「どこから来たのかしら」
「大家が階下で屑屋しとるからな。それに、もしかしたら草履の材料にくっ付いてきたんかもしらへんでえ」
 柱と敷居と畳みのへりに塗るだけで南京虫を寄せつけない劇薬があるから、今度来るとき持ってくるとお姑さんが約束した。
「有紀ちゃん、おなかのややこのために栄養つけなあかん思うて、牛のしっぽ買うてきたでスープ作ったるでなあ」
 お姑さんは台所に立って、野菜を刻みだした。近くの朝鮮市場へ行ってきたのだろう。
 部屋の隅に仕事台がふたつ、ひっそりとかたづけられていた。仕事の根気が続かない栄寿は、夏になってからというものは、ほとんど仕事をしていなかった。毎朝、食事の準備をして仕事場を整えて、祈る気持ちで栄寿を起こす。だが栄寿は、昼近くまで眠っていて、起きるとパチンコ屋へでかけて行くのだった。栄寿は、これで最後だと言いながら何度かお金を都合してきた。万単位の金額で、有紀が訝ると、へそくりだと答えた。やがて有紀も、ひとりでやきもきしているのに疲れ果て、栄寿がどこからか回してくる金で生活することに、抵抗しないで生きていこうと思うようになっていた。倦んだ生活が続いた。
 倦んだ生活の中へ湧きでてきた南京虫だった。夜中に起き、ぱっと電燈をつけ敷蒲団をまくると、南京虫が数匹逃げ惑っている。それを縫い針で突きさす。畳の間にも隠れているのを知った。体調五ミリほど円盤状の平べったい虫で、黒っぽい。この野郎、この野郎と言いながら栄寿は次々と南京虫を刺していった。
 そして夏も終り、お姑さんが敷居や柱や畳のへりに塗った薬が効いたのか、涼しくなったからなのか、南京虫もいつしか影をひそめた。有紀の郷里からは相変わらず何のたよりもなかった。有紀はひとりでお産の準備を進めた。赤ん坊が産まれれば何かが変わっていくと信じて、襁褓を一枚ずつ縫った。
 パチンコで遊び暮らす栄寿に、昔の仲間が近づいてきた。明らかに真っ当な仕事をしていない昔の仲間に、栄寿が引き戻されるのではないかと、有紀はいらいらした。栄寿とふたりで埃だらけになりながら、草履の踵に釘を打ちつける生活を取り戻そうとあせった。
「栄寿、元気かあ。嫁はんもらったんだってなあ。秋雄に聞いたで。豆腐くわしてんか」
 ある日、茂と名のる小柄な男が来た。
「茂じゃないか。お前、いつ」
「昨日。まだ豆腐くってないんや、頼むわ」
 有紀が豆腐を買ってくると、
「有紀、そのままでいいんや。箸と皿だけ持って来てくれ」
 と栄寿が言った。
 不思議なことにその男は、豆腐一丁まるごとしょうゆもつけずにぺろりと食べてしまったのだった。茂は栄寿の幼馴染みで、刑務所へ行っていたのだった。刑務所から出ると豆腐を味付けなしで食べるのが習慣なのだと栄寿が言った。
 その晩は茂が泊った。夜半になって、茂が帰ってきたと知った昔の仲間が、有紀たちのアパートへ集まってきた。狭いアパートが男たちでいっぱいになった。身重の有紀には苦痛だったが、アパートはもともと仲間たち共有で新居のない栄寿に譲った、といういきさつがある。男たちは明け方まで、花札に興じた。全員朝鮮人のその仲間たちは、いつでもさっそうとしていて、金まわりが良さそうだった。
「有紀、これ預りもんだから隠しておいてくれ」
 栄寿から渡されたのは、高価そうな外国製腕時計十個だった。何か犯罪の臭いがした。
 茂も草履職人で、近くにアパートを借り、仕事を始めることになった。長兄が問屋の紹介や道具を揃えるのに力を貸したのだった。茂が真面目に仕事を続けるのに、栄寿はのらりくらりと日を重ねていた。
 生活の変化が予期せぬことからやってきた。
 大阪に住んでいた次兄の尊寿が上京してきて、栄寿と有紀の新婚所帯に、一時同居することになったのだ。
 しばらく栄寿とともにパチンコ通いをしていたが、一緒に仕事をやる気になったふたりは意欲的だった。尊寿の職人としての腕は良く、一人前の仕事のできない栄寿にとっては好都合だったが、有紀の負担が重くなった。炊事洗濯などの家事もさることながら、草履の下仕事の量が多くなった。一日に百足ずつの製品ができていった。六畳間はふたりの部屋にし、三畳間は尊寿の部屋にあて、昼間は部屋全体が仕事場と化した。
 仕事仕事の明け暮れだったが、お腹の子は順調に育っていた。両親からは何のたよりもなかったが、有紀は毎月欠かさず手紙を書いた。苦しいことや栄寿と身内についての不満悪口は決して書かず、貧しいけれどとても幸福な日々を過ごしていると誇張して書いた。
 本当は、まわりがすべて夫の縁者で占められている息苦しさの中で窒息しそうになり、他人同士が夫婦となることの難しさに何度も現状から逃げだしたいと願った。夫婦喧嘩をしても、帰る実家も身を寄せる友人もない実際の生活の中で、戸惑いや怒りや哀しみや不信が渦となって襲いかかってきて、有紀の夢と期待を次々と破っていったのだった。
 同居した尊寿はひどい酒飲みだった。仕事はできたが、金のある間は飲み続け、なくなると仕事をした。問屋から支払われる工賃は十五日と三十日だったが、栄寿と有紀の知らない間に前借されていることもあった。三十歳の結婚適齢期で、お姑さんがお見合い話を次々と持ってきたが、どれもまとまらなかった。見合いの当日、栄寿の背広と時計を借りて行き、帰りは質に入れて飲み代に替え、ぐでんぐでんに酔って帰ってくる始末だった。だが兄弟仲は良く、たいした喧嘩にもならず、常日頃は平和に三人の共同生活が営まれていた。
 そんなある日、栄寿の三番目の兄が美しい女性を伴って現れた。ブローカーをしている康寿だ。
 有紀はひとりで、踵に釘を打っていた。
「有紀ちゃんひとりか? あいつらは?」
「競馬よ。菊花賞だって」
「ひとりでも仕事やってんのか、偉いな」
 康寿は同情したように言った。
「こんにちは、香織です」
 華やかな笑顔でその女性は挨拶した。
「うちの嫁はんや、よろしくな」
 康寿が結婚したとは聞いていない。有紀は驚いて香織を見直した。
「こちらこそよろしく」
 有紀は曖昧に笑った。
「康寿の弟さんのお嫁さんってかわいい人ねえ。私と同い年くらいかしら」
「有紀ちゃんは確か二十歳だったな」
 有紀は頷いた。
「良かった! 私のほうがひとつ上よ。妹ができて嬉しいわ」
 いきなり妹にされた有紀は戸惑った。香織は大柄で色白の華やかな印象の女性だ。化粧が上手だ。膝のとびでたフリーサイズのスラックスに妊婦用の上っぱりを着て肩までの長い髪を後ろでひとつに束ねて、化粧気もない顔の有紀は、香織の華麗さに圧倒された。
「大きなったな、まだ生まれへんのん?」
 康寿が有紀の腹を見て目を細め、優しげに言った。二十五歳だが、兄弟の中で一番背が低くて太っていて、三つ揃えの背広がしっくりと体に合い、三十歳には見える落ち着きがあった。
「予定日は十二月の末なの」
「そうか、体を大事にせなあかんよ。仕事なんかすることあらへん。あいつらにまかせとけばいいねん」
「ええ」
「香織なあ、有紀ちゃんと同じ日本人なんや。よろしく頼むわ」
 香織は一瞬きつい顔をしたが、よろしくねと華やかに笑った。小遣にしな、と康寿が有紀に一万円札を握らせた。
 ふたりが帰った後、有紀は鏡台の前に座った。目尻に涙が滲んだ。目の下に妊娠によるシミが浮いて所帯やつれが目立った。無我夢中で生きてきたこの一年間だったが、美しく装った同年代の香織に会って、有紀は、飛ぶことを忘れてしまった鶏のように狭いアパートでばたばた暮らしてきた自分を顧みた。栄寿との結婚を決意したときには、現在の生活は想像もできなかった。将来、小さな喫茶店でも持ちたいと語った栄寿の夢を、有紀も一緒に見ていたに過ぎなかったのだ。出口のない情事に溺れていた有紀を救出してくれたかにみえた栄寿は、もっと逃げ場のない家庭の妻と母にして有紀を縛ってしまっていたのだった。もがけばもがくほど沈み込んでゆく蟻地獄さながら、有紀を飲み込んでしまう結婚というものの正体は何なのか。有紀はただ変わり果てた自分の姿に涙を流すことしかできなかった。
 女は鏡の中で様々なことを考える。女はまた鏡の中で自分自身と対話する。そして違った自己を発見する。有紀は家を出ることを考えた。自分をこの狭い部屋に閉じこめているのは自分自身なのだ。私はどこへだって飛びたてる野鳥なのだ。決してカゴの鳥ではないはず、さあ大空へ飛び立とう。高いところからみれば幸福のありかもわかるかもしれない。心がはずんだ。
 有紀は念入りに化粧すると、栄寿と田舎へ行ったときに使った水色のスーツケースに着替えと化粧道具を詰め込んだ。へそくりの郵便貯金通帳と印鑑、母子手帳も持ち、鏡台の前に置き手紙することも忘れなかった。
 電車の中で有紀は、他人の視線が全部自分に注がれているようでぎごちなかった。昼の電車はすいていて、立っている者は誰もいない。皆退屈そうな顔をして、それでいて誰ともおしゃべりしないで、停車駅で人が乗り降りするのをちらっと見ている。大きなスーツケースを持った妊婦の有紀は確かに目立つ。
 どこへ行くとも決めていなかったが、足は自然に東京駅へ向いていた。駅は活気にあふれていた。切符売り場へ行ったが、行き先が定まらず切符を買えなかった有紀は、スーツケースをコインロッカーに預けて、地下街へ行ってみた。用事でもあるかのように、あっちこっちと歩き回った揚げ句、疲れて気分が悪くなってきた。
 トイレは混雑していた。吐き気がしていたが何もでてこない。朝から何も食べていなかった。使用して出ると、順番を待っていた少女が口から黄色い汚物をたらしていた。両手で必死に押さえているその指の隙間から流れ出て、今にも切れて落ちそうになっていた。まだ二十歳にもなっていない少女だった。その汚物がつわりのものであることは誰の目にも明らかだ。有紀は思わず腹をなでていた。
 友人と一緒のときは、たった一杯のコーヒーで二時間も話し込んでいられた喫茶店も、ひとりだと三十分いるだけで追加注文しなければまずいような気になった。待ち人もいないのに、しきりに腕時計を覗いたりドアを気にしたりして、ポーズを作る自分が寂しい。
 家を出てみたものの行く所がなかった。何とかして自分の心を奮い立たせて、田舎へ帰ってみようとしたが、どうしても東京駅から汽車に乗ることができなかった。二度と帰ってくるなと両親に言われて故郷を後にしたのだ。韓国人の子を宿して、今更帰れるはずがなかった。
 有紀はスーツケースをさげて、浅草の仲見世をぶらぶらと歩いていた。
 おもちゃ屋の店先は賑やかだ。ゼンマイじかけのサルがシャンシャンシャンと手を打つかと思えば、ロボットが歩いていたり、笑い袋がけたたましい下品な笑いを放っている。笑いたくもないのに無理に笑っているようないやに哀しい笑い声。有紀は立ち止まって、かわいいピンクのかごの中で首を振っている真っ白の子犬のおもちゃに見とれた。いつまで見ても飽きなかった。
「奥さん、おなかの赤ちゃんにどうですか。まだ早いかな」
 店の主人が声をかけた。
「えっ? ああそうね。いただこうかしら」
 千円だった。
 左手にスーツケース、右手におもちゃの箱をぶらさげて、有紀は家路についた。日も傾き夕方が近づいていた。
 アパートに帰り着くと、有紀の書いた手紙がそのままに空々しく、西日の射し込んだ部屋にあった。鏡台の前に疲れて座り込んだ有紀は、その手紙を見てふっと笑い、丸めて屑かごに捨てた。そのとき、おなかがぐにゅっと動いた。
「あっ、動いた・・・・・・私の赤ちゃん」
 有紀はおもちゃの箱を開けて、小犬のゼンマイをいっぱいに巻いた。ジィジィジィ・・・・・・犬は愉快そうに首を振る。
 何度も何度もゼンマイを巻き直しながら、有紀はもう一度おなかの子が動くのを待っていた。




   交流誌紹介
 青丘文化  「解放の日まで」などで知られる映像作家・辛基秀さんが主宰する青丘文化ホールの会報。同ホールは朝鮮関係の映画、ビデオ、図書を多く備え、講演会、韓国料理教室などを開き、朝鮮を知るための交流の場になっている。

 OJK通信  在日朝鮮人文学を中心に読書会を行なっている日本人グループの会報。小品、エッセイ、翻訳詩・短文、例会レポートなどが載っている。




   履歴書を書く

            成(ソン) 真(チン) 澄(ドゥン)

  いつだったろうか
  日本人ではないと知らされたのは。
  いつだったろうか
  白無垢が着れないと知らされたのは。
  いつだったろうか
  もう一つの国が祖国だと知ったのは。
  いつだったろうか
  差別ということを感じたのは。
  いつだったろうか
  日本にいる私が異邦人だと悟ったのは。
  いつだったろうか
  あれは・・・・・・・・・・・・

「コトリ」と小さな音をたてて私を呼ぶ物がいる。今日こそは、そういう淡い期待を寄せて扉を開ける。ペンキの剥げたポストをジッと見つめる。フタを開ける前に眼を閉じてわずかの間祈ってみる。けれど手にした封筒は、夏の陽差しの中に白々しいまでに白く輝き、まるで別の世界から迷い込んだ離縁状のようにとりすましている。もう封を切るまでもなく、中に入っている物を理解してしまう。それは、まぎれもなく離縁状。遠い世界から届けられる便りである。
 何十通と同じ文章を書いた一枚の紙切れと共に手元に戻ってくる履歴書。書いても書いても戻ってきてしまう。いつも同じ。白い封筒を手に、淡い期待と希望で開けた扉を、今度はあきらめと共に開け暗い部屋へ帰る。
「いつになったら、あんたはあきらめるの。いくら書いても無駄だよ。勤める気があるなら、本籍欄には『愛知県』と書くのさ。本当の事書いて、雇ってくれる会社なんてありゃしないよ」また同じ言葉で迎えられる。
 そうなのだ。たった二文字、朝鮮と書いた本籍の欄が気に入らなくて落ちてしまう。いつまでたっても仕事が決まらなかった。
 高校を卒業して、もうすでに五ヵ月が過ぎようとしている。就職の決らないまま卒業式を迎えた同級生もそれぞれに何らかの形で日々を有意義に過ごしている。それなのに、私は、毎日毎日同じ顔を見て同じ言葉を聞いて過ごしている。何処かにあるはずだ。何処かに私という人間を気に入って雇ってくれる会社があるはずだ。そう思って毎日履歴書を書く。本籍の欄にくると指が動かなくなる。どう書こうか、と一瞬戸惑う。けれど次の一瞬『朝鮮』と大きく力強く書いてしまう。

 シューッ シューッ・・・・・・遠くで音がする。鼻先までガスが来た。もうすぐだ。直にここから逃げられる。すぐにすんでしまうのだ。頭がボーとしてきた。次に目覚めたとき明るい世界で暮らすんだ。もうすぐだ。苦しくなんかない。ここから、今この時から逃げられるのだから。
 明るい世界で目覚めるはずだったのに、目に写ったのは、薄暗い天井と涙で濡れた顔の母だった。失敗したのだ。私は行き損なったのだ、別の世界へ。この二日間を私は消してしまいたかった。人間を信じたまま明るい所へ行きたかった。ただそれだけなのに、それさえ叶わないのだ。そんなささいな願いさえ受け入れられないのだ。
 君が落ちたのは、君の成績が足りないからではない。日本人でないという事で受け入れられない、という答だった。受験する前にわかっていれば、別の学校を受験するなり方法があったろう。それを・・・・・・。すまない。僕は教師として、君の担任として、否、一人の大人として恥かしい。君に言うべき言葉が見当たらない。けれど、ここで負けてはダメだ。君がしっかりとこれから先を生きて行く事が大事なんだ。長い人生の肥しにして生きて行ってくれ。
 初めて入った喫茶店。ガラス越しに中学生達が歩いて行く。皆一様にうれしそうだ。彼らは受かったのだ。希望通り志望校に入学できるのだ。私にも同じ喜びが来るはずだった。それは間違いなく訪れるべき喜びだったのだ、数時間前までは。「受験番号が見当らない。もう見に来なくていい。陽子、おまえは見なくていい」淋しげに電話を切った父は、戻って来なかった。かわりに担任から呼ばれ、朝鮮人は学校に来なくていい、という話を聞かされた。どれもが遠い所で、見知らぬ所で交される言葉だ。私は聞きたくない、そんな話も級友の笑い声も。それを、友が合格を知らせに来る学校の側のこんな所で母と二人肩を寄せ合い、身を縮込めて聞かされる私たち母子の事をこの人は考えたのだろうか。すまない、恥かしいと口にするけれど、そういうあなたが私にどれ程親身になったというのだろう。言葉が空を切る。無駄な時が過ぎる。日本人である事を当然の事として受け止めて三十数年生きてきたあなたに、たった二文字が違う国籍の、たったそれだけの為に級友と喜びを共にする事の出来ない十五の子供の心がわかるはずはないのだ。あなたは、受験の前におずおずと国籍を告げ、試験に支障はないのかと、しつこく尋ねる母を笑ったではないか。今の日本にそんな差別はありません。そう言い切ったではないか。その答えが今判明したのだ、明確に。
 自分の言うべき事は終わったというのか、時計を見てお尻を浮かしている。母も私も引き止めはしなかった。本当に申し訳ない、最後にもう一度頭を下げ、再び顔を上げた時には、もう私達母子の方を見ていなかった。そして、それが当然であるかの様に自然に、テーブルの伝票だけは母の方へ押しやって出て行ってしまった。
 母は黙っている。テーブルのコーヒーも冷めてしまっている。砂糖を入れる事さえ忘れている様だ。時折窓外を行く中学生をジッと見つめている。話し声がとぎれがちに聞こえる。二、三人ずつグループになって歩いて行く。腕を組み、ふざけ合い、駆けながら去って行く。明るくカン高い笑い声がそれを追って行く。
 どれ程たったろう。外に笑い声も中学生の姿も見えなかった。夕暮れの靄の中で「ごめんね、陽子」そういう母の声だけが耳に響いた。頬を涙で濡らしている。私の顔も見ず、学校の建物を睨むようにして見たまま、その眼からは涙があふれている。初めて見る母の涙だ。当の本人は、意識も心もここになく呆けた人の様にジッと動かなかった。目に写るのは、友と合格を喜び合い、弾むように門をくぐる自分の姿でしかなかった。今ここに坐っている人間が、自分であるとは信じられなかった。いや信じたくないのだ。
 夕暮れの通い慣れた道を、母と子は友人をさけ、近所のおばさん達をよけながら、人通りの少ない所を選んで帰った。みじめだった。情けなかった。逃亡者であり負け犬だった。合格祝いの赤飯も焼肉も今では無用であり、悪夢が現実である事を確定づけるだけの役割を果たした。
 十四歳になって外国人登録をするまで、自分が朝鮮人である、ということをはっきりと認識しなかった。両親があえてその事を話したがらなかったから。周りの人々と学友と同じであると信じて疑わなかった。否、同じだった。食べる物も着る物も話す言葉も。総て同じ。違う点など一つもなかった。だが違っていたのだ。こればかりは、どうあがいても、もがいても変える事の出来ない事実である。
 人は皆同じだ。差別してはいけない。そう話してくれた大人達のどこに本当があったのだろうか。日本人と変わらぬ生活をして、日本語しか意志を交す言語を持たない私のどこが日本人と違うというのだろうか。同じではないか。身体を流れる血は赤い。痛みも感じる。何処が違う? 何処が気に入らなくて私を避けるのか? 私は、受験校の校長に会った事すらない。会った事もましてや話した事もない私の何処が気に入らないというのか。信じられなかった。信じる術を見つけ出せなかった。いい点を取って真面目に学生生活を送って、級友達と同じ様に高校へ行くものと決めてかかっていた私に、進むべき道は見えない。何を頼ればいいのだ。私を受け入れない学校や社会で暮らして行けるのか。
 映画鑑賞会で見た「橋のない川」のあの場面が目に浮かぶ。あこがれの少女に手を握られた主人公が顔を赤くしてうつむいているその頬に「エタは身体が冷たい、と聞いたけどそれは嘘だね。あんたの手は温かいもの」
 あの映画にあった、人を人と思わないあの言葉は、自分にとって無縁のものであるはずだった。あの凍った言葉に涙はしても、聞く事のない言葉のはずであった。だが今は違う。
「民族学校もあることだし、そちらの方へ進学する事も考えてみては・・・・・・」そう言ったあの無責任な担任の顔は、能面よりも冷たく無関心であった。あんな顔、あの言葉を聞く為に十五年生きてきたのではなかった。
 陽子、あんたが死んでしまったら、母さんも生きてはいられない。十五年大事に大事に育てたあんたを死なせて生きていられる訳がない。大人は皆が、あの担任の様な人ばかりではないのだよ。いい人もいる。悪い人もいる。その両方の人がいて社会が成り立っているのだから、陽子、あんたはそのいい人になりなさい。負けて死んで行くのは、もっともっと生きてからにしなさい。母さんは、あんたの倍以上生きて来ました。おばあちゃんは、その倍も生きて来たのだから、あんたの苦しみや悲しみを生きて来た分だけ余分に知っているんだよ。生きていれば、悲しい事も辛い事も楽しい事もあるということを陽子にわかってもらいたい。生きてさえいれば、いつかきっといい日が来るからね。
 陽子という名は、太陽の様にいつも変わりなく誰にも分け隔てなく明るさを与える人であってほしい、そう思って付けた名前だから、陽子、頑張って母さんともう少し生きてみようよ。生きていれば、きっといい日が来るから。そう信じて生きてみようよ。
 母は強かった。ごめんね、と私に言ったあの言葉にどれほどの思いが隠されているのだろう。私は、母の言葉に従ってもう少し生きてみる事にした。両親の願いの込もった陽子になれる様に、もう少し生きてみる事にしたのだ。

 郵便屋さんが、今日もまた私に一通の封筒を届けてくれる。触れると冷たいお断り封筒。私を気に入ってくれる会社が見つかるまで履歴書を書き続ける。二文字の違いが問題なのではなく、人間性が問題にされるべき事柄なのだ、と信じている人が現われるまで、私はあきらめない。その人が現われるまで、陽子は書き続ける。本籍欄は筆太く一気に「朝鮮」と二文字を陽子は書き続ける。




   「読む会」に参加して

            咸(ハム) 安(ア) 姫(ニ)

 在日朝鮮人作家を読む会に、やっと参加できた。やっとというのは、八四年に会の存在を初めて知ってより、ほうぼうで、ほんとにあちこちで、会のことを聞いていたので、同胞の間では深く広く支持されてきたのでした。
 このたびの会のことは、現在日雇労働者の組合で行なわれている朝鮮語市民講座の友人である、O氏を通じてでありました。組合のメンバーは男性がほとんどで、その彼らは一人一人大変に心やさしく、フェミニストでユニークな人達ばかりで、文才が私にあれば、モデルに登場させたい人たちばかりです。そしてその男性を支える幾人かのこれまたユニークな配偶者と子ども達もいて楽しい人間集団をなしています。
 今度の例会は一一三回目とのことで、うかがえば七七年が始まりで今年の暮れには10周年を迎えるとか。主宰者の磯貝治良さんのことは、指紋押捺を廃止させる会、反外登法運動の推進者、指紋拒否者を力づよく支えて下さっている方として存じ上げていて、その御縁で私もお世話になっている方です。
 今回の元秀一作「猪飼野物語」は図書館の新刊書として書棚に並べてあった中から借出して読んでいたもので、おもしろいなぁと思って読んでいたものでした。
 作中の姐さん達の話す済州道なまりの日本語は、私の住む処の慶尚道なまりの日本語に似た感じで、なつかしいような、うれしいような会話群です。말이야 사상ということばがありまして、ことばは思想という意味ですが、済州人の思想を日本語で表現するときあの特徴あることばになるのでしょうか。私の処は함안 조시の村といわれています。慶尚南道咸安郡の趙さんの多い村という意味で、趙さんちの親類、縁者でその多くが占められていて、その他の苗家の家は比較的少ないということなのです。やはり、ここでも、경상 함안の思想を日本語で語るとき、私の囲りにあって、私も近所では同じことばで話しています。
 初めて参加出来たことがうれしく光栄で、私は、ただひたすら、ゆかいにのめりこんでしまったのでした。                   (一九八七年一〇月七日)







会    録

第101回(1986・9・21)金鶴泳「石の道」
                報告者・ 鐘真      参加者 12名
第102回(11・ 3)宗秋月「猪飼野タリョン」
                 報告者・磯貝治良      参加者 18名
                話と詩朗読・宗秋月
第103回(11・30)「架橋」7号合評会
                報告者・劉 竜子      参加者 10名
第104回(12・21)一年をふりかえり87年を望む会
報告者・全  員      参加者 10名
第105回(1987・1・25)金石範「金縛りの歳月」
                報告者・金 有子      参加者 11名
第106回( 2・22)つかこうへい「広島に原爆を落とす日」
                報告者・蔡  孝      参加者 5名
第107回( 3・29)つかこうへい「戦争で死ねなかったお父さんのために」
                報告者・磯貝治良      参加者 6名
第108回( 4・19)黄暎「客地」
      報告者・山田 實      参加者 10名
第109回( 5・24)黄暎「韓氏年代記」
                報告者・加藤建二      参加者 10名
第110回( 6・21)郭早苗「父・KOREA」
                報告者・成 真澄      参加者 13名
第111回( 7・26)尹健次「異質との共存」
                報告者・高見卓男      参加者 15名
第112回( 8・23)京都「パラムの会」と交流
                              参加者 18名
第113回( 9・23)元秀一「猪飼野物語」
                報告者・児玉信哉      参加者25名
                話・元秀一
第114回(10・25)李興燮「アボジが越えた海」Ⅰ
                報告者・朴 裕子      参加者 12名



     雨森芳洲の涙

           賈(か) 島(とう) 憲(けん) 治(じ)

 享保四年(一七一九)六月二十七日、朝鮮の李粛宗は徳川吉宗が将軍職に襲位したことを祝うため、洪致中を正使、黄璿を副使、李明彦を従事官とする通信使の一行四七五名を京城から対馬府中へ派遣して来た。今度の来日は、足利幕府から続いていた国交が豊臣秀吉による文禄・慶長の役のため一時中断していたのを慶長十二年(一六〇七)に回復して以来、九度目に当った。一行は、この後、幕府側の対朝鮮外交の事務を担当していた対馬藩主宗方誠を案内役にして、はるばる江戸まで上ることになっていた。
 若い藩主宗方誠にとって通信使の接待は初めての大役であったので、失敗しないかと不安でたまらなかった。この藩主の側に親のようにぴったりと付き添い、朝鮮の三使臣との間を日本語と巧みな朝鮮語を使って周旋する一人の男がいた。彼の姓は橘、氏は雨森、名は誠清、字は伯陽、号は芳州と呼んだ。年は五十二歳である。雨森芳州が通信使の随員として加わっていた製述官の申維翰に対面した時に、最初に尋ねられたことは、
「新井白石公はいかがしているか」
 ということであった。これまで朝鮮人の文人ならば雨森芳州が日本人と知ると、すぐに決まったように白石のことを話し出す。「自分は『白石詩草』を大切に持っている」と自慢し、「新井氏は今も詩を書いているか。最近ではどんな詩集を出版したか教えてほしい」と矢継ぎ早に問うてくる。もっとも、申維翰が聞いたのは理由があった。白石は通信使との関りが深く、天和二年(一六八二)に通信使が来日した際に、自分の詩集『陶情集』に製述官の成琬に序を書いてもらっていたし、彼自身が将軍家宣の政治顧問として正徳元年(一七一一)にやって来た通信使と接渉することになった時も、製述官李礥に『白石詩草』の序跋を書いてもらったほどであった。そのため、申維翰は師にあたる崔昌大から、
「あなたが日本へ行ったら、必ず新井白石公に会いなさい。おそらく今度も、白石公は新しく著作した詩集を用意して待っているに違いないから、あなたは彼の詩集の序文を書けるだけの心積もりをしておいたがよろしい」と、あらかじめ忠告を受けていたのである。
 申維翰はさらに少しはにかむような笑いを浮かべて言った。
「実を言えば、製述官を仰せ付かりました私は、高名な新井白石公にお会いできるのを何よりも大きな楽しみに日本へ参ったのです」
 芳州は肌の色が蒼白く、高い鼻の下の左右にぴんと黒い口髭を伸ばし、目は人懐っこくきらきらと光っている申維翰の顔を見つめた。そうして、芳州は自分の白い顎鬚を右手で軽く撫で付けながら大きな瞳を見開き、
「左様ですか。小生は新井殿とは眤魂の間柄であり、同門の者であります」と言った。

 雨森芳州と新井白石の師は、木下順庵という朱子学者であった。二人が江戸の木下順庵の塾で知り合ったのは、芳州が十九歳、白石が三十歳の時であった。芳州は木下順庵が幕府の儒者となった天和二年(一六七二)の翌年に江戸へ出て、順庵の塾に入門した。芳州は初め林鵞峯の引き率る林家で儒学を学ぼうとしたが、藩士でもない芳州は藩主からの推薦状がないため一も二もなく門前払いを食わされ、止むなく木門に入学したのである。それから、三年後に当時、堀田家の仕官をやめて浪人していた白石が順庵の門人になった。彼はすでに巷に有名な詩家であり儒家としてあまねく知れわたっていたので、言わば木門の特待生のごとき扱いで入塾が認められた。勿論、彼は最初から順庵の高弟として塾での着席の位置は、芳州よりもずっと前の方の、師順庵のすぐ隣であった。白石は木門に入って暫くすると、「林家から何度も繰返し入塾の勧誘があったが、死をもって仕えねばならぬ順庵先生の学恩を忘れることは出来ないときれいさっぱり断ったよ」と彼がさも得意気に話しているのを聞いて、芳州は不愉快でならなかった。けれども、ある日、芳州が白石に儒学者になろうとした訳を尋ねて、白石が意外にもおのれに近い人間であることを知った。
 白石は苦い青春時代を懐しむように言った。
「私にも以前に医者になったらどうかと勧めてくれる人もいた。医者は賤しい職業ではないし、医者になれば両親を養っていけるからと言ってね。私は医は仁術と言うから、悪くないと思ったが、私は生まれつき愚鈍なところがあるから医術も精進しないだろう。もし人の治療で間違いを犯せば医は仁術にならない。昔の聖人は一人といえども、罪のない人を殺しはしないということを聞いているから断ったのだ」
 この言葉を聞いて、芳州は、
「実は自分は十二歳の時に京で医者であった父の清納の跡を継ぐため、伊勢の名医という評判の高森氏の下で医術を学んでいたことがあった。ある時、高森氏が知人に向かって、宋の詩人蘇東坡が学問をしようと欲する者は紙を費やし、医を学ぼうと欲する者は人を費やすと言ったように、医者というものは薬を何十回となく誤まり、そのため人を死なせるような辛酸をなめて、はじめて一廉の医者になれるのだと語っているのをたまたま傍で聞いて、自分は医者にはなれないと悟り、医者となる志を捨て、たとえ貧乏暮しでもよいから儒学者になろうとしたのだ」と言った。
「なるほど、雨森君、あなたは目の前にいくら大金を積まれても罪のない人を殺せないような性分の人ですからね。私とあなたの二人がどうせ儒学者になろうとするなら、一生懸命励み、日本国のために役立つ立派な儒学者になろうじゃありませんか。人生きて万戸侯に封ぜられずんば死して閻羅王たるべしというくらいの気概をもってね」
 白石は大きな両手を差し出し、芳州の両手をしっかりと握り締めた。芳州が木門に入って五年目の元禄二年(一六八九)四月のことである。対馬藩主宗義真は木下順庵のところへよい儒学者をもらいたいと使者を出した。これは前の年に、対馬藩の儒者であり、木門に学んでいた阿比留が病気でなくなったからである。順庵は阿比留の後任として多くの門人のうち一体誰を推薦しようかと迷った。というのは、阿比留は対馬出身の儒者であったが、そうでない者にとって対馬藩は外様大名であるうえに、江戸から遠く離れた孤島の十万石の小藩であったから、江戸住まいに慣れた門人は江戸藩邸勤めなら喜んで仕官するが、対馬島へ赴任しなければならないとすれば仕官をためらうことをよく知っていたからである。藩主宗義真は、ただの儒者を求めていたのではなかった。対馬藩は海外貿易を基盤にして藩の財政を維持していかねばならないから、今度新しく採用する儒者には朝鮮語と中国語を是非学んでほしいと要請したのである。さらに、出来るならば木門の中で特に若い儒者を推挙してほしいと言ってきた。そこで、順庵は、木門に学ぶ者は誰もみな仕官の口を求めていたが、若いうえに江戸に身寄りもなく貧しい生活をしていた芳州を推薦することにした。芳州は大いに喜んでこれに応じた。
 芳州が白石に、
「対馬藩に今度仕官することになった」
 と嬉しそうに話すと、白石は、
「それはおめでたい。対馬藩の儒学者阿比留氏のおかげで朝鮮の使節に自分の詩集の序を作ってもらうことが出来た。そればかりか、それがきっかけで順庵先生にこうしてお目にかかることにもなった。彼は言わば、私にとって大恩人。その彼がまだ二十九歳の若さでなくなったのが本当に痛ましくてならぬ。死ぬ間際、病床に彼を見舞った時、彼は『対馬藩の最も大切な時に何も出来ぬのが無念だ』と人目をはばからず男泣きした。これからという矢先だったから、彼はそれこそ死んでも死にきれなかっただろう。そうした彼を見ているだけに、あなたが阿比留氏の後任になったのが、私には何よりも嬉しい。阿比留氏はいつも言っていた。『これからは島国の日本だけに目を向けていては駄目だ。積極的に世界に目を向けていかねばならぬ』と。対馬藩は昔から朝鮮や中国とも関係が深い藩だから、あなたはきっと思う存分に活躍できるだろう。それに、あなたの粘り強さと若さがあれば、朝鮮語や中国語を修得するのもさして難しくはあるまい。どうか読書人雨森芳州の名を海外にまで鳴り響かせてもらいたい。それにしても、貧乏暮しが長いのはもう慣れたが、私にもあなたのように、おのれの実力を発揮できるよい藩から仕官の口がないものかなあ」
 と慨嘆して笑った。
 芳州は三年間、江戸の対馬藩邸から木門に通ったが、二十五歳の時に中国語を学ぶため長崎の出島にある唐人屋敷へ出向することになった。彼はそこで毎日、朝から晩まで中国語を徹底的に教え込まれた。暇な時には、市場へ出かけ、そこで対馬の商人が島で取れた魚や塩を持って来て売り、その金でオランダ人や清国人が持って来た犀角、象牙、皮革、胡椒、砂糖などを盛んに買っているのを見た。これらの物は他国で売ればそれこそ何十倍も高く売れるとのことで、この仲買い貿易で成功して大金持ちになった商人が対馬で何人もいると聞いた。
 翌年、芳州は初めて領国対馬へ渡り、禄二百石を拝領した。対馬は彼が予想していた以上にちっぽけな島であった。島全体が山ばかりで、平地は少なく、土地は痩せて柑橘楮が取れるばかりであった。漁業をしている民は貧しく、道を行くと乞食たちが食い物を求めて芳州にまといついていつまでも離れなかった。芳州はこんな寂しい田舎に住むことは出来ないと思って、あやうく対馬藩の儒者を止めて江戸へ帰ってしまおうかと真剣に思った。彼は対馬の男たちが気が荒くて喧嘩早いのが気に入らなかったし、女も肌がかさかさに荒れていたので、江戸の美しい女たちのことが恋しくてたまらなかった。しかし、彼は死んだ門人の阿比留が、
「秀吉の出兵で、朝鮮との関係が途絶えたが、対馬藩の仲介で、国交が回復できたのです。対馬藩がなければ日本と朝鮮は仲良く付き合っていけません。私の故里の対馬は小さな島ですが、私は日本と朝鮮のかけがえのない掛け橋だという誇りをもっています」
 といつだったか自分に語った言葉を思い出して、かろうじて対馬に踏みとどまった。
 芳州はその後、再び長崎の唐人屋敷で中国語を三年間学んだ。そうして、三十六歳になって、朝鮮へ渡り釜山にある倭館で三年間朝鮮語の勉強をした。その間に、新井白石は順庵先生の推薦を受けて、将軍綱吉の近親である甲府の藩主徳川綱豊の儒者となった。やがて、徳川綱吉がなくなると、徳川綱豊は名を改めて将軍家宣となった。白石は引き続き将軍家宣の儒官となり、世に言う正徳の治を推し進めることになったのである。

「そうですか。あなたも木下順庵殿の門人でしたか。順庵殿も優れた文人だったと伺っております。そこで、白石公はどこにおられますか」
 と申維翰は重ねて尋ねた。芳州はちょっとの間、答えに窮した。なぜなら、急にいまいましい気持ちが胸の内に起こってきたので、これを無理に抑えねばならなかったからだ。
「白石公は江戸にいますが、今は病のため国事を辞して門を鎖しています。あなたが江戸へ行ってもおそらく会うことは出来ないでしょう」
 白石は徳川吉宗が将軍に襲職すると同時に遠ざけられ、一ツ橋外小川町の屋敷も召し上げられ、借屋に住んでいた所も火事に遭い、今は小石川柳町に住んでいるはずであった。白石は対外的には病気であることにしてあったが、多くの者はそうではないことをよく知っていた。
「白石公は病気ですか。それなら江戸へ着いたら早速お見舞に伺いたいものですが」
 芳州はあわてて右手を振って申維翰の言葉をさえぎった。
「いやいや、それはなりませぬ。製述官の地位にあるあなたが、今は何の公職にも就いていない者の所へ正式に尋ねていかれては必ず問題になります。私は江戸へ参った時に、彼の家へ立ち寄りますので、もし何か御用事がございましたら、喜んでお役に立ちましょう。どうか、お願いですからそうなさって下さい」
 申維翰はいかにも深刻そうに困惑した芳州の顔を見つめたまま、なんだか合点いかぬ様子でこう言った。
「そうですか。私が白石公の病気を見舞うことが問題になるのなら止めましょう。ところで、あなたにひとつお聞きしたいことがあります。今回の通信使の待遇及び相互の国書の署名の仕方を元に戻すということになりましたが、これはまさに朝令暮改ではありませぬか。先回の朝鮮通信使に対する白石公の強硬な主張は間違っていたと将軍吉宗公はお認めになったのですか」
 正徳元年(一七一一)に訪れた朝鮮通信使と新井白石との間に、大きな論争になったことは、これまで朝鮮から来る国書の宛名を将軍のことを「日本国大君」と記していたのを、「日本国王」と改めるように要求し、さらに幕府側の返書についても「日本国源某」という署名を「日本国王」としようとしたことであった。白石は「大君」という記し方は朝鮮では臣下にあたる職号であり、朝鮮が自ら「朝鮮国王李某」と名乗ると同様に、将軍は「日本国王」とすれば、対等になるからだと主張した。これまでの慣例を改変することに朝鮮側は大いに反対したが、最後にはこれを了承した。
 さらに、白石は半年に及ぶ日本滞在中の朝鮮通信使に対する百万両近い財政的な負担を節約するために、送迎や接待を質素にするように変更を求めた。朝鮮側は自分たちの待遇が悪くなることを恐れて強硬に反対したが、ついにはこれもしぶしぶ認めた。
 ところが、そうしたいきさつがあったにもかかわらず、今度の通信使に対し、幕府側は国書の署名も接待の方法も従来通りに戻すと対馬藩主宗方誠を通して通告したのである。さらに申維翰が驚いたことは、朝鮮側が幕府に変更の申し出をしたから、幕府側が仕方なく元の形式に戻すのだというように言い含めさせたことであった。
 芳州はこの事務に携わり事の経過をよく承知していたから、申維翰の言う通りだと心中思ったが、はっきり口に出して同意できなかった。芳州は、幕府が寛永期に「日本国王」と呼ぶことを止めた時、「大君」という称号を考えついて提案したのは今、大学頭である林信篤の祖父林羅山と聞いていた。また、彼は「大君」という称号が朝鮮の職号であることをよく知っていたけれども、白石の意見に賛成しないで、むしろ白石の宿敵とも言える林信篤の側に組みして反対した。それはなぜかと言えば、日本と朝鮮との旧例を下手に変更すれば、通信使が異議を申し立て、これまで築いて来た友好関係が一度に悪化するのではないかという深い危惧を抱いたからである。それほど芳州にとって次から次と通信使に改革を迫る白石のやり方は暴虎准河のふるまいに見えた。
 この時、白石が日本側の朝鮮への返書に朝鮮十一代中宗の諱の使用をしたことについて朝鮮側は訂正を要求した。しかし、白石は諱は対等たるべき隣国の君に要求すべきではないとこれを拒否した。そうして、
「たとえ両国の王が相手方の国諱を避けるとしても、古の礼に諱を五世以上に溯ることはないし、その国王の諱を求める朝鮮側の文書に、将軍家祖考の諱を犯しているのは納得できない」
 と反論した。このため、両国の関係は険悪となった。白石はあくまで、
「生命を賭しても返書は書き直せない」
 とつっぱねるし、正使趙泰徳は、
「どうしても訂正しなければ、ここで死ぬ覚悟だ」
 と叫ぶありさまで、交渉は少しも進展しなかった。芳州は白石と正使趙泰徳の両者の間に立って、通訳に奔走した。彼は心労のあまり夜もまったく眠ることができなかった。
 とどのつまり、白石が朝鮮側の文書に日本の国諱を避けるならば、日本の返書にも朝鮮の国諱を避けると提案し、これを正使趙泰徳も認め、祖諱の一件は落着した。
 申維翰は言った。
「なるほど、白石公は自分の才能を誇ったけれども、道理を尊重して言うべきことを率直に言った人物であると聞いている。白石公のような優れた人を浪人の身にしているのはお国にとってあまりに大きな損失ではないか。大学頭の林信篤殿は七十六歳と聞く。彼の詩文を読んだが、正直言って拙くて読むに堪えなかった。彼は実力なくしてその地位にある者ではないか」
「今思いますと、本当ならば、木門で共に机を並べた仲の白石公を応援してやるべきであったのに、白石公のやること成すこと一切にけちをつけて絶え間なく攻撃していた大学頭林信篤殿と一緒になって、彼を批判したのは慚愧にたえない。当時、白石公の改革はあれこれと批判が多かったけれども、今考えてみれば、大きな過失はそれほどなかったように存じます。どうして白石公の味方をしてやらなかったのでしょうか。もしかしたら、筑後守にまで出世した彼が羨ましかったのかもしれません。彼は改革を推し進めようとするたびに、味方もなく孤軍奮闘していたのです。本当に今は亡き将軍家宣さまお一人が彼の支持者でありました」
 芳州は将軍吉宗や大学頭林信篤に疎んぜられて隠居生活を送っている白石の姿を思い浮かべた時、ふと自分もまたやがて白石と同じ哀れな身の上になるのではないかという暗い不安に襲われた。五十二歳の今日まで、宗義真、義倫、義方、方誠公と四代の藩主に仕えてきたが、新しい主君の出現によって一朝にして、まるで掌を翻すように悲惨な境遇に落とされることがあるかもしれない。それが『すまじきものは宮仕え』という奉公人の宿命といえばそうかもしれない。けれども、白石の学問にも政治的手腕にも及びもしないのに、林家の統領の林信篤は四代の将軍に仕えて栄華を誇っているのに対して、白石はまだ充分に活躍できるのに空しく生き長らえねばならぬのである。おそらく将軍吉宗の目が光っているかぎり、将軍の元政治顧問の彼を採用しようという藩主は全国どこを探してもいるまい。彼はこの先、死ぬまで浪人として世を過さねばならないであろう。芳州は白石の老いた学者の宿命を見た目で、もう一度自分を顧みた。一体、おれは対馬藩の真文役として何をしてきたのか。これまで朝鮮と江戸幕府との関係の悪化だけを何よりも恐れ、小心翌々としてきた自分があまりに惨めに思われてきた。自分では常に心の中に読書人雨森芳州としての自負をもっていたが、わが身がまるで「二十日鼠」のごとく、しじゅうこせこせとあちこち動き回り、休む間もなくしゃべりまくっているのが時に深甚に哀れで滑稽でやり切れなくなることがあった。それに引き比べれば、白石はどうだろう。反対勢力から「鬼」と言われた彼は天下人の政治顧問となり、自分の主義主張を最後まで勇敢に貫き通すことが出来たのは、男子として本懐ではなかったか。成すべきことを成し遂げた白石は、現在の逆境を決して後悔していないのではないかとさえ思えてきた。

 九月二十七日、通信使の一行は来日以来、三月を経て江戸へ入城した。いよいよ朝鮮国王の国書を伝える式典を江戸城内で執り行なう時になって、式次第の細則を朝鮮側に対して漢文で翻訳できる真文役の芳州が、風邪を引いていたのをこじらせて、ついに高熱を出して寝込んでしまった。止むなく、申維翰と朝鮮の訳官の二人で文案を作らねばならなかった。十月一日、式典は白石の改革による正徳の通信使の例によらないで、林信篤による天和の通信使の時に則って挙行された。
 芳州が伝通院裏門前にある白石の住まいを夜更けに訪れたのは、通信使が明日江戸を出立するという十月十四日であった。白石は芳州の手を取り、今にも涙ぐまんばかりに大喜びで迎え入れた。
「ここへ移ってから、お上に睨まれているためにめったに人が訪ねて来ない。若い時からずっと毎年中秋の名月を共に見てきた親友さえ近頃ではさっぱり来なくなってしまった。人情というものがいかに移ろい易いものかをしみじみ知りました。朝鮮通信使が江戸へ参っていることはすでに聞き及んでいたので、これまでの自分なら今すぐにも彼らと唱和を求め筆談もしたいが、それがかなわぬ今のわが身が嘆かわしい。あなたの助力を得て、私の詩集『白石詩草』の序跋をお願いした製述官の李礥氏のお噂は御存知か」
「今回の製述官である申維翰氏に伺ったところ、彼は惜しくも昨年世を去ったとのことです。彼とは対馬から江戸へいたる往復を通じて、詩を唱酬したり、酒を飲み交したり、論争のあげくの果てには本気で喧嘩までする仲となりましたので、本当に残念でなりません」
「よい人は早く亡くなるというのは本当だね。御先代家宣様は五十歳でお亡くなりになったが、私などは家宣様より十三年もすでに長生きして生き恥をさらしている。実のところ一日も早くこの世を去りたいのだが、まだ十四歳の末娘べんを嫁にやるまでは死んでも死にきれぬのだ。昨年、長女のますをやっと二十五歳で嫁にやったけれども、結局、小普請役五百石の侍の後妻として嫁がせねばならなくなったのは、娘ますの父親である私の名前を新井君美と知ると、『鬼』の所には息子をやれぬと誰も彼もが断ってきて、いつまでも娘によい縁談がなかったからだ。私が御先代様に御奉公していた時には、まるで競うようにあっちからもこっちからも是非とも自分の息子の嫁にほしいと申し込んで来ていたのに、変われば変わるものだ。私がもう少し長くお役に就いていたら、長女ますもこんなに悔しい思いをしなくてもすんだのにと思うと、娘があまりに不憫でならぬ。芳州殿、末娘べんの婿として対馬藩士の中に適当な相手はおらぬか。五百石の身分の者でなくてもよいから、よい婿殿がいれば、今から許嫁にしておきたいのだが」
 芳州は白石の哀願するような真剣な顔つきを見て、思わず言った。
「五百石などと言われても、私なぞはこんな老いぼれになってもまだ二百石のまま。大所帯の幕吏と異なり、貧乏な対馬藩には御令嬢にふさわしい人物は残念なことに一人もおりません」
「ああ、いやいや、これは失礼千万なことを申した。深くお詫びする。私が御先代様の御恩で千石をいただいていたから、どうしてもそこから頭が離れなくて、それがためにかえって娘を縁遠くさせたのかもしれぬ。元はと言えば、私も浪人であった身の上、志さえしっかりした人物であればどなたでも結構なのだ。どうか、よい婿殿を探してくださらぬか。お上に嫌われている浪人の私の所には、よい縁談の話が来ないのだ」
 芳州は「鬼」と老中の人々から恐れられた白石がわが娘のためにこんなに思い悩んでいるのが甚だ不思議であり、それだけに現在の彼の境遇が気の毒に思えて来た。
 芳州は帰り際に、申維翰から預かって来た彼の文集『青泉集』を渡した。白石は大事そうにこれを受け取ると、奥の部屋から一冊の本を持ってきた。
「申維翰殿にお会いできぬのは残念ですが、彼の『青泉集』を受領した御礼として、今執筆し終った『東雅』というこの本を渡してもらいたい」
『東雅』は芳州から送られた朝鮮語と中国語の資料、さらに梵語、西洋の言葉を参考にして出来上がった日本語研究の書物であった。芳州は『東雅』を手に取り繰って見ながら言った。
「私は今、日本語を深く学ぶためには、もっと多くの人に朝鮮語を学んでほしいと痛感しています。ところが、朝鮮語を学ぶに適切な書物がないのです。そこで、私は四部の朝鮮語の学習書を書こうと決心しました。一部は字訓を知るための『韻略諺文』、二部は短語を知るための『酬酢雅言』、三部は基礎的な読本としての子供向きの話を集めた『全一道人』、最後に応用篇として大人向きの話を集めた『鞮履衣○(*「椀」の文字のウカンムリが無い漢字)』という書物です。いつになったら完成するか分りませぬが、これからは朝鮮語を学ぶ若い人たちのために少しずつ仕事をしておかねばならぬと思っているのです」
「それはよいことだ。私もこの後、『蝦夷志』を書く予定だ。不運な身の上を著作に紛らわせている昨今だが、もしよい物が書ければあなたにもお送りしよう」
 と言って、白石は寂しそうな笑いをした。芳州は必ず彼の『東雅』を申維翰に渡すことを約束した。白石は末娘のべんと共に暗い門の外までわざわざ出てきて、芳州を見送った。芳州がだいぶ道を行ってからふと思い出したように振り返ると、白石と娘べんはまだ家の前に立っていた。

 十月二十九日、明日は京都に到着する予定の通信使に、対馬藩主宗方誠が将軍吉宗公の御命令によって、前回の通信使が立ち寄ったように大仏寺において酒宴を開くので、是非とも御臨席を賜りたいと言ってきた。正使洪致中は、
「大仏寺はわが国にとって憎むべき極悪人の秀吉の願堂と聞いているから、仇の造った大仏寺での酒宴はきっぱりお断りする」と拒絶した。翌朝の十一月一日、芳州たちが駆けつけ、「寺は秀吉の願堂ではありません」と懸命に説明したが、洪致中はこれを頑として聞き入れなかった。
 宗方誠は肝をちぢめ、
「このようなことでは、私は吉宗公の命を果さなかったとして罰を受けねばならない。どうか寺門の外に別に帷幕を設けるから、そこへ従者を寄こして下さってはどうか」
 と執り成してきたので、洪致中は、
「お言葉のようであるなら、寺門から少し離れた田舎家で充分である。幕による宴席は無用だ」
 と別の提案をした。宗方誠は一旦はこれを認めようとした。ところが、すぐに彼はあわてふためいて、
「京都所司代が寺門の外で酒宴を開くと聞いて、それはよろしくないと言っている。どうしたらよいか。どうか思い直してもらえないか」
 と首訳をよこさねばならなかった。洪致中は首訳に憤然として言った。
「わたしたちが寺門に入らないのは、正義は仇を忘れないからである。将軍がこれを聞いても、必ずわれわれを非義に屈することはできまい。京都所司代のお言葉だからと言って、どうして改められようか。どうか江戸に申し上げて、善処してほしい。わたしたちははるばる万里の大海を越えてきた身であるから、何年でもここに留まる覚悟がある」
 宗方誠は進退きわまり、首訳に再び、
「大仏寺の設立が、もし豊臣家によってなされ、秀吉の願堂であると言われるならば、使臣が入らないのは正しい。まさにわれわれも閣下の忠義を称賛するに吝かではない。しかし、いま秀吉の願堂と言われたのは、根も葉もない言葉であり、閣下はこれを信じておられるが、われわれがそこに御食事の用意をし通信使一行の御苦労をねぎらうのは、前回からの通行の決まりであって、一朝にしてこれを変えれば、どうしたらよいか分らない」
 と言わせた。結局、一日中押問答を続けたが、洪致中は依然として譲歩しなかった。
 十一月二日、宗方誠はすっかり弱り切り、芳州を側に呼んで、
「夕べは眠れなかった。どうしたものか」
 と尋ねた。芳州は若い藩主に教え諭すように言った。
「彼らを無知で愚かだと侮ってはなりませぬ。それどころか、わが国の人よりも知恵は十倍も賢いと見た方がよろしいでしょう。彼らは古今の記録を多く覚えていて、物事を深く思慮する人たちですから、一度言葉に表わしたら死んでも後には一歩も引きません。あれほど強く抵抗するのは、秀吉が大仏寺を建立したことをすでに日本の記録を読んで充分に調査した結果に違いありません。彼らの先祖の耳が埋められている耳塚が大仏寺の門の前にあることも行きたくない理由でございましょう」
 宗方誠は芳州の言葉に焦立った。
「それでは、彼らを大仏寺へ招き入れる方法がないではないか。私が彼らをどうしても寺へ呼ぶことが出来なければ、幕府は私の責任を厳しく追及するだろう。対馬藩にとっては今は危急存亡の時だ。芳州、なにかよい知恵は出ぬか。頼むから教えてくれ」
「はい。ただ一つよい思案があります。彼らに大仏寺は豊臣秀吉の造った寺ではないという証拠となる文書を見せれば、多分考えを変えるでしょう。彼らはわれわれの言葉よりもむしろ古い記録の文字のほうを信用する性癖があります。以前、私が京都所司代の文庫で調べ物をした折、家蔵本の『日本年代記』という書物を読んだところ、大仏寺建立の縁起が記されてあり、それには家光公が大仏寺を建てたと書かれてありました」
 宗方誠は命拾いをしたようにほっと嘆息をついた。
「そうか。そんな史書が京都所司代の文庫にあるのか。それでは早速、所司代の松平伊賀守忠周さまの所に使いをさし出し、その『日本年代記』という本を拝借して、彼らの考えを改めさせねばならぬ」
 そこで、宗方誠は京都所司代から家蔵本『日本年代記』印本一冊を借り出し、芳州にその一巻本を洪致中の所に届けさせた。
 芳州は毅然とした声で言った。
「主君宗方誠さまのお言葉を謹んで申し上げます。これは日本国の秘密の史書です。この中に大仏を重建したのは、徳川家光公が将軍になった年と書かれてあります。この時には秀吉の子孫は一人もいないのですから、大仏寺を築くことは出来ません。この『日本年代記』の書物は、大仏寺が秀吉の願堂とする説が誤謬であることをはっきり証明しています。この秘史をわざわざお見せしたのは、閣下に大仏寺が秀吉の願堂でないことを知ってほしいからです。この史書によって疑いが晴れたのですから、どうぞ大仏寺へお来し下さるようにと重ねてお願いいたします」
 洪致中をはじめとする三使臣が『日本年代記』を手に取り考証を確かめてみると、なるほど大仏寺は家光が建てたと書かれてあった。洪致中は神妙な顔で芳州に言った。
「この件について合議するから、今しばらく別室で待たれよ」
 洪致中は『日本年代記』をもう一度手に取り読み返したが、やはり腑に落ちなかった。
「これは史実を正しく記述した書物であろうか」
 副使の黄璿はしさいらしく頭をふった。
「わたしたちが本国で読んだ書物は大仏寺が秀吉が建立した寺と書かれてあったが、あれは誤まって伝えられたものでしょう。京都所司代たるものがまさか偽物の史書を大切に保存してはいませんよ」
「いや、分りません。日本人は狡猾ですから、わたしたちを欺すためなら史書ぐらいは簡単に書き直すのは平気です。朝日間の国書の偽作や改竄を犯した柳川事件がよい例ではありませぬか。ゆめゆめ信じなさるな」
 と不機嫌そうに従事官の李明彦は答えた。
 洪致中は判断を決しかねて側に控えていた申維翰を顧みて言った。
「おまえの考えはどうか。申してみよ」
「恐れながら、私の考えるところでは、この『日本年代記』の史書はまやかしものの疑いが濃く思われます。大仏寺は秀吉の願堂であることに相違ありません。ただ幕府が大仏寺へ執拗に入らせようとするねらいを考えますに、金箔した木彫りの観音仏を見せることが目的ではなく、壬申、丁酉倭乱の時に秀吉の家来がわたしたちの忠臣の耳鼻を持ち帰り、埋めた耳塚を見せて、わたしたちを畏怖させようとの企みかと存じます。それならば、ここはわざと欺されたふりをして、耳塚を見せられても少しも泣いたりわめいたりせず、耳塚に対して懇に弔いをするがよろしいかと存じます。そうすれば、香を焼き祭文を読む人もいない寂しい異国の土に埋められた先祖の人々に対する供養になります」
「よし、分った。わたしたちは秀吉の造った寺には絶対に入らない。けれども、大仏寺の建立は徳川家光公であることを知ったから、わたしたちは行くのである。すなわち、わたしたちが仇を忘れないという決意を幕府に対して表明することは充分に出来た。まして今、日本の国史が出されても、わたしたちがあくまで信じないとすれば、外交上大きな過ちとなろう」
 副使の黄璿はすぐに正使洪致中の意見に賛成したが、従事公李明彦は執拗に、
「いや、私は断じて参ることは出来ない」
 と言い張った。正副使の両名は明日大仏寺に立ち寄ると芳州に伝言した。
 翌日、従事公李明彦は病気だと言って宴席に出ず、ただちに使館を出て大阪へ向かおうとすると、宗方誠はこれを聞きつけ、芳州と首訳を派遣して病を見舞わせ、三使臣がそろって大仏寺へ来られるようにと願わせた。
 洪致中は、
「病気であるのだから無理強いをするには及ばぬ」
 と雨森と首訳を激しく叱責した。
 芳州は洪致中の前から退出してくると、ついに堪忍袋の緒が切れたと言わんばかりに、傍の首訳に向かって朝鮮語と日本語とで怒鳴った。
「お前の通訳が悪いために、従事公の李明彦殿は大仏寺へ参られぬではないか。一体、御主君にどう申し開きをするつもりだ」
 首訳はたちまち真青になって平身低頭した。
「お前みたいな奴は、たった今この場で腹を切ってお詫びするがいい」
 芳州は這いつくばっている首訳の脇腹を足で無茶苦茶蹴りまくった。この様子を見た申維翰は芳州を呼んで言った。
「あなたは読書人ではないのか。どうして怒って理にもとるような乱暴な振舞いをするのか」
 こう言われて、雨森は『年代記』一冊を懐中から取り出し、猿のような真赤な顔つきで申維翰を睨みすえ、咆えるような声で叫んだ。
「はじめ、使臣が大仏寺は秀吉の願堂という誤まった説を聞かれて、義は仇の人の地に入らないとおっしゃったのには、われわれもどんなに感動したことか。だから、わが主君は友好を大切に思われ、お使いをもてなす儀式を行なうため、国史に証明して大仏寺が徳川の寺であることを明らかにされた。わが国が使臣のために奔走し努力したことは明らかである。それなのに、今まだ国史を信じず公礼を承けないのは、これ、われわれを卑しみ苦しめるものだ。これではわれわれは死なねばならぬ」
 申維翰は荒々しい形相の芳州に少しも臆する色もなく、はっきりと言った。
「両使臣はすでに立ち寄ると言っておられるではないか。従事公が病気であるゆえに同席を辞退されるのは、これを止めることは出来ない。たとえそのことがあなたの思うようにならないからと言って、これは首訳の身分の者があれこれ出来る事柄ではない。あなたはつまらぬ血気の憤りでもって首訳を叱り飛ばしているが、これは見当違いのとばっちりを与えているだけだ。言いたいことがあれば、この私にはっきり言ったらどうですか」
 芳州は自分の気違いじみた振舞いが申維翰の冷静な目によって実は演戯であると見抜かれて、たちまち顔面から血がさっと引いていくのを感じた。
「お騒がせして申訳なかった」
 芳州はあわてて一礼すると、首訳を連れて逃げるようにその場から立ち去った。

 朝鮮通信使の船が明日、対馬府中を出港して一路朝鮮へ向かうと決まった十二月二十八日の夕方、芳州は申維翰の乗っている船へ尋ねていった。これは申維翰と最後の別れの挨拶をするためだけではなかった。別に一つの気が重い任務があった。江戸への道中、芳州が何度も酒を酌み交わし歓談した朝鮮の訳官権興式の死を見届けるためであった。
 通信使が江戸へ入ってすぐに、朝鮮の訳官が本国からひそかに持ち運んだ人参を日本人に売っているとの幕吏の告発があったので、三使臣が訳官の荷物を調べると、果して権興式の持ち物の中に、人参十二斤、銀子千百五十両、黄金二十四両が発見された。さらに、もう一人の訳官の呉万昌も人参一斤を持っていた。幕府と朝鮮との取り決めによって、人参の不法な持ち込みは固く禁じられ、人参あるいは日本の貨幣十両以上を持っていた場合は斬処にすると決められていた。二人の訳官は法を犯す人参の密輸で利益を得ようとしたのである。彼らはただちに鎖枷をつけられ、使臣の議決によって対馬で処刑されることになっていた。
 思えば、申維翰も江戸へ上る途中の名古屋の宿でおかしなことがあった。日本の文人と詩を筆談したり、漢詩を贈答したりしていると、たまたま申維翰が一人になったほんのわずかの隙に、ある客が近寄って来て、
「あなたは人参を持っていないか。拙者の母上が重病のため人参がほしい。あなたが持っていれば高く買うから売ってくれ」
 と書き示した。
 申維翰は驚いて、はっと顔を上げて、相手の顔を見ると、男の顔はにやにや笑っていた。申維翰は、この者はきっと幕府の役人に違いないとすぐに察したので、
「胸中に詩書はあるが、人参はないから売れない」
 とたちまち書いてやると、男は、
「冗談を言ったのだ。気にするな」
 と紙に書いて示すや、それを破り捨てあわてて立ち去ってしまった。申維翰は訳官の二人が金に目がくらんだあまり、おそらくこうした幕府の役人の罠にはまったに違いないと思ったが、もはや彼らをどうしてやることも出来なかった。申維翰は二人の帰国をどんなにか待ちかねている彼らの妻子や父母のことを思うと胸が鋭く痛んだ。
 幕府は罪を犯した二人を使臣が厳重に罰するかどうかを見るために、芳州を言わば検死役として派遣したのであった。申維翰は芳州に甲板の上で一枚の蓆に包まれた物を黙って示した。芳州が見せられたのは、斬られる前に警護の者の隙に毒薬を仰いで口から血を出して死に果てた権興式の姿であった。すでにもう一人の呉万昌も前日にやはり毒薬で自殺していた。芳州は、正徳元年に来た通信使の随員にもやはり人参を持ち込んで商いをし、罪が発覚して、斬処された者がいたことを苦々しい思いで思い出した。
 芳州は申維翰の船室の中に招かれて入ると、やりきれなさそうに言った。
「朝鮮貿易は人参貿易とも言われるように、朝鮮人参があってこそ成り立っているもの。朝鮮人参を飲めば、治すことのできない大病も助かるといって、みな人参を喉から手が出るほど欲しがっています。親孝行な娘が親の病気を治すために、人参を買おうとして、吉原に身を売る話は珍しくはありません。今年などは輸入量が千七百四十斤と押さえられていて、人参の価格が高騰したままですから、こうした密輸事件がおこる訳です。対馬藩としてもなんとか幕府に人参の輸入枠をもっと増やすように要請しているのですが、幕府は人参の代金である銀貨が海外へ流出していくのをひどく恐れているのです」
「わたしたちはわずかな人参のために二人の訳官を死なせてしまいました。人の生命を救う人参が、それを日本に持ち込んだ人間を死なせるというのはなんと皮肉なことでしょう。本当は、日本人はわたしたちの詩や書物や絵画よりも何よりも、朝鮮人参の方を心から望んでいたのではないですか」
 申維翰は気落ちして嘆息をついた。
「いや、いや、そうではありませぬ。あなたたちの到着するのを待ち構え、競って面会を求め、詩の唱和や書画の揮毫を請い、筆談でお国の事情を知ろうとした人たちが数え切れないほどたくさんいたではありませんか」
「なるほど、日本人はわたしたちを宿でも眠らせてくれないほど熱烈に歓迎してくれました。やむなく道中、輿の上で眠ったことも何度もありました。しかし今、日本の旅を終えてみると、私の製述官の勤めは一体何だったのでしょうか。私の書いた詩の紙をまるで宝物のごとく大事そうに頭上に上げて感謝する人たちを見ていると、こんな折目正しい日本人がどうして百年前にわが国へ侵略してきたのか疑問をいだくのです。今はわたしたちに優しいこの人たちも一旦幕府が決定したとなると、戦争に死にもの狂いで懸命になるに違いないと思ってしまうのです。百年前の日本人と今の日本人は本当に全然別の人間なのでしょうか。朝鮮通信使などは朝鮮人参ほどにも役に立たないように思えます」
 芳州は急に白く太い両眉をぴくぴくさせてなんだか悲しげな顔つきになった。
「ああ、あなたは私のことを言っておられるのですね。私がいざ幕府や対馬藩のためとなると、まるで人が変わったような態度となったのに、呆れ果てられたのでしょう。それならば、私の無礼をお詫びしたい。京都の大仏寺での一件については、あれからずっと考えつづけてまいりました。いみじくも、あなたは『秀吉は朝鮮百年の仇である』と言われた。そこのところがわれわれ日本人には充分理解できていないからこそ、ああいう問題がおこったのです。前回の通信使の来日の時に、大仏寺に立ち寄ることになったのですが、あの時白石公は『接待の簡素化』を一方で打ち出しながら、わざわざ大仏寺での饗宴を追加したのはなぜでしょうか。彼は秀吉の作った大仏寺の門前に土盛りしてある耳塚を朝鮮通信使に見せることで、日本の武威を誇り朝鮮に侮られるまいと考えたのです。そのことを知りながら、私はあの時、白石公の提案に異議を申し立てなかったのです。なぜなら、あさはかにも、この私も耳塚が朝鮮に対して日本の武威を示すのに役立つと考えていたからです」
「耳塚は戦いに勝った証しとして朝鮮兵士の鼻をそぎ、これを塩漬けにして京へ届けられたものを埋めて築いたというが、それは日本人が朝鮮で数々の悪業を重ねた証拠ではないですか。実際は、鼻は兵士のものが手に入らぬため、罪もない老人や女子供をころしてそいできたものです。一体、耳塚のどこに日本の武威を誇れるものがあると言うのですか」
「申維翰殿、あなたのおっしゃるとおりだ」
 芳州は悔しそうに、年寄りにしては奇妙なほど赤い唇を強く噛んだ。
「朝鮮人はみな秀吉の築いたいまわしい耳塚の由来をよく知っています。だから、耳塚に近付くのを嫌がるのです。その耳塚を恐れ戦くわたしたちを見るのが、日本人にはそんなに愉快なことですか。そもそも、秀吉の造った耳塚を日本の武威として誇るというのは、秀吉のやった多くの悪業を本当は称賛しているからではないですか。あなたも秀吉の悪業を語るのを憚っているのですか」
「そうではない。秀吉は蝮の性を受けて間違って生まれて来た男です。だから、秀吉は人を殺すことをなんとも思わず、残虐のあまり朝鮮だけでなく、日本でも一族ことごとく皆殺しにあってその血筋を断たれた者は数え切れない。わが一族も自分から四代前までは近江国の浅井家の家臣で世に雨森守といって豪族であった。しかし、織田信長の家来であった秀吉に姉川の合戦で破れ、さらに小谷城の落城によって一族はほとんど滅ぼされ、かろうじて地方へ落ちのびていって生き長らえた子孫の一人がこの私なのです。わが一族を 誅殺した秀吉を思う度に、腸が煮えかえる思いがします」
 申維翰は芳州の言葉がどうしても納得できないという顔で食い下がった。
「けれども、秀吉も日本においてよいことをしたのではないですか」
「いや、少しもない。ただ天下を統一して倭寇を平定するために力を尽くしたのは功績と言えるが、これくらいのものです」
「それならば、極悪人の秀吉が築いた耳塚を日本の武威とするのはおかしいではないですか。わたしたちに耳塚を見せて、こんなにも日本人が朝鮮人よりも強かったと言いたいのですか。それでは徳川家も口では秀吉とは違うと言いながら、朝鮮を再び武力で屈服させようという魂胆と同じではないですか。白石公にしても言葉では朝鮮と日本とは対等平等と言いながら、真実は朝鮮を猜疑していたからこそ、侮り見下そうと通信使を大仏寺まで立ち寄らせようとしたのでしょう。わたしたちは秀吉の軍が朝鮮の至る所でどんなひどいことをしたか今も忘れてはいません」
「言う言葉もありません。あなたたちが大仏寺に立ち寄ることに激しく拒絶された態度を見て、私は深く考えさせられた。日本側には通信使を大仏寺に立ち寄らせて巨大な大仏の功徳を知らせよう、そして耳塚を見せることで日本の武威を示そうと画策しました。しかし、よく考えてみれば、仏の功徳は仏の大小によるはずもないし、耳塚は秀吉の軍が無数の朝鮮人民を殺害した戦争のいまわしい爪跡なのに、どうしてそれが分らなかったのであろうかと今になって恨めしくてならぬ。おそらく、それはわれわれが百年前の文禄・慶長の役をもう忘れてしまって、反省を怠っているからでしょう」
「日本人は壬辰・丁酉倭乱をもはや百年前の出来事にすぎないと言うかもしれない。しかし、わたしたちは朝鮮と日本の不幸な歴史をしっかり記憶しています。だからと言って、その怨みを日本に対して晴らそうというのではありません。わたしたちは日本が再び朝鮮を侵すことを望まないし、反対に朝鮮が日本を侵すことも望まない。わたしたち通信使は朝鮮と日本が隣人として仲良く付き合っていくために、朝鮮からはるばる日本へやって来たのです」
「ならば、以前あなたは加藤清正の子孫が官にせよ民にせよ、たとえ詩を唱酬したいとやって来ても絶対に対面できないと言われたが、それはなぜですか。確かに清正には罪はあるが、子孫には罪はないから許すべきではないですか」
「いや、そうではありません。加藤清正は朝鮮侵略の時、最も凶悪であり残虐でありました。清正の罪は子孫だから先祖のやったことと言って知らぬという訳にはいかぬのです。義は天を共にせざるものです。もし、清正が生きていれば、朝鮮人ならば誰でもみな清正の肉を切り刻んで食おうと思わぬ者はいません。それほどに彼を憎悪しています。だからと言って、彼の子孫までそうしようというのではありません。彼の子孫とは断じて一緒に同席できないと言うのです。日本では死んだ人の罪は不問に付すが、わたしたちは祖先の罪も自分たちが負うという考え方があるのです。」
 こう語る申維翰はいつもの冷静さがなくなり、鋭く細い目に激しく憤怒で光るものがあった。
「芳州殿、明日はあなたとお別れすることになりますから、今日ははっきり申し上げましょう。私の父は官人であり、母は妓生でありました。母の四代前の父親は官人でありましたが、加藤清正と戦って殺されました。そのために、その娘であった人がやむなく妓生に身を落としたのです。妓生の娘は妓生になるのが決まりでしたので、私の母は初めから妓生になる運命でした。母は両班であった父に愛されて妾となり、この私を生みました。母は『世が世なら、おまえは嫡男となるべきであったのに、加藤清正に先祖が殺されたばかりに、私は妓生にならねばならなかったし、おまえまでたとえ役人となっても出世できぬのが真底恨めしい』と、私の小さい頃からいつも口癖のように言って嘆いておりました。当時、妾子出身の者は両班の子弟でも科挙の試験を受けられなかったから、母はわが子の将来に希望をなくしていたのです。母はやがて阿片に救いを求めるようになりました。美しく真白な母の歯も阿片を喫うため、すっかり黒くなり、身体も見る間に痩せ細りました。私が阿片を隠そうとすると『阿片が喫えなくなったら、私は死んだ方がましだ』と泣き叫んで暴れ、どうしても阿片を手離しませんでした。しかし、ある年、妾子や妾子孫の者にも科挙の試験が受けられるようになり、それに私が見事及第してはじめて、母は阿片を喫うことをやめてくれました。本当にどんなに嬉しかったことか。母はすっかり老いましたが、今も元気です。今度、私が官命により、『母上のお世話もしないで、製述官として日本へ行かねばならなくなりました』と申しますと、母は『それはめでたいことじゃ。わしのことは心配せずに、存分にお国のために働いておくれ。それだけが母の願いじゃ』と涙を流して喜び、この私を日本へ送り出してくれたのです」
「申維翰殿、本当に母上はあなたのお帰りを一日千秋の思いで待ち望んでおられることでしょう。いずこの国でも子を思う母親の気持はかわりはありません。恥ずかしいことですが、私はあなたの国の言葉を話せても、清正によって不幸な目に会わねばならなかったあなたたちの心の奥深くまでは分らなかったのです。それは、私自身の中にも朝鮮人に馬鹿にされたくない、日本人は朝鮮人よりも強いのだという傲慢な心があったからでしょう。しかし、あなたが今はっきりと言ってくださったおかげで、そのことを知ることが出来ました。耳塚を日本の武威として誇るということは文禄・慶長の役をおこした秀吉を半分しか憎んでいないことと同じでした。こうした日本側の間違った姿勢が朝鮮に不信をいだかせたのですから、次回からは是非とも大仏寺での饗宴は廃止されるように幕府に要請してみます。どうか許して下さい」
 芳州はそう言って、頭を深々と下げた。ふり仰いだ彼の顔は全体にしわが深く刻み込まれ、なんだか急にめっきり老けたような醜い顔になった。
「そのようにお願いします。わたしたちも本国へ戻り次第、大仏寺での饗宴は廃止されるように幕府に働きかけるように努めます。対馬藩からも幕府へ申し立てていただければ辱ないことです」
 芳州は重苦しい顔にやっと微笑を浮かべて言った。
「喜んで承知いたしました。あなたが通信使の製述官として来日されたのは、ただ日本の文と詩を唱酬したりして交流することだけが目的ではないでしょう。もっと大切な使命は日本が再び朝鮮を侵す準備をしているかどうか敵情視察することでしょう。もし、日本が戦争をしかけてくるようなら、朝鮮がこれに対抗して兵力を持つことは無論、当然なことです。しかし、大仏寺での一件のみで日本を決して判断されることなく、どうかお国に伝えてほしいのです。なるほど、あなたたちに対して嫌悪の念をもつものは全然いないとは申せぬかもしれませんが、多くの日本人はあなたたちに親愛と尊敬の念をもっていることを」
「勿論です。わたしたちと接触した人たちはみな誠意をもって接してくれた。彼らが決して戦争を望まぬ人たちであることを堅く信じたい。これからは両国が隣人としてお互いに欺したり欺されたりという関係ではなく誠意と信頼をもった交際をしていかねばなりません。お互いに愛情をもってものを言えば必ず分り合えますが、相手を馬鹿にしたり、自分は偉いと傲慢になっていれば、相手を理解することは出来ません。お互いにもっと思いやりをもつべきでしょう」
「申維翰殿、私はあなたと今日まで六カ月の間、旧例や言葉の食い違いなどから激しく言い争ってきたことが何度もありましたが、その論争を通してかえって私は多く深く学ぶことができました。もし、もめごとを恐れて論争をしなかったら、いつまでもお互いによく知り合うことは出来なかったでしょう。あなたから日本と朝鮮の歴史について深く教えられたことを厚く感謝したい」
「いいえ、芳州殿、私の方こそお礼を申し上げます。あなたとの出会いは朝鮮と日本の現在と未来を考える上で、きっと大きな助けとなるでしょう。今後ともあなたが朝鮮にとって親しい友人であってほしい」
「いやいや、私などはこの対馬で真文役として一日一日馬齢を重ねていくばかりで何のお役にも立てません。これでも、もう少し若い頃には、同門の白石公のようにいつか江戸に出て日本の政治に参画したいという野心をもったことも正直ございました。いや、この前まで白石公が今もなお将軍の膝下に仕えていたならば、自分も彼の推薦によって将軍の政治顧問となり、白石公と一緒に大いに日本のために尽くしてみたいという気持ちがございました。けれども、白石公が将軍吉宗様に疎んぜられ孤独な佗び住まいをしているところを実際に見て、江戸へ出る夢は全く消え失せました。また故郷の近江国に帰ることも諦めました。なぜなら、私にとってこの対馬が私の故郷なのですから。私はここで死ぬ覚悟を決めました。私は息子の鵬海に私が死んだら遺骨はこの対馬の土の中に埋めてくれるようにと頼みました。おかしなことです。初めて対馬へやって来た時にはどんなに江戸へ舞い戻りたいと思ったことか。こんな孤島に長くいたらきっと自分は世間から忘れられてしまうだろう。ついには井の中の蛙のままで終らねばならないだろうと思うと居ても立ってもおられませんでした。白石公の活躍の噂を聞くたびにどんなに歯ぎしりしていたことか。夜更けに浜に打ち寄せる波音が耳について眠られず、輾転反側したことが何度あったことか数え切れません。私は対馬にいながら、目はいつも江戸に向いていたのです。いや、長崎の唐人屋敷や釜山の倭館にいた時でさえ、私の心は江戸のことばかり気にしていたのです。私は江戸のことを忘れるために、朝鮮語と中国語の勉強に没頭するように心掛けようとしましたが、それでもやはり忘れることができなかったのです」
 しかし、これからは対馬に生まれた者の中から優れた人材を教育していかねばなりません。江戸から遠く離れたこの孤島の貧乏藩へ来てくれる者はめったにいませんし、たとえやって来てもこの島の生活には耐えられずに数年もしないうちに逃げ出してしまうでしょう。日本と朝鮮の友好の掛け橋となる対馬藩に仕える真文役は、この対馬に生まれた人間であってこそ、立派にやり抜けると思うのです」
「幸運にもあなたには三人の立派な男子がおられる。あなたの跡をきっとよく継いでくれるでしょう。そうなれば、雨森家の繁栄となるだけでなく朝日両国の発展にも寄与することになるでしょう。是非そうあってほしい」
「有難いことをおっしゃる。私は小藩の真文役として終る身ですが、あなたが私の分まで本国において栄達されることを心より祈ります」
 こう言うと、雨森の目から急に熱い涙があふれ出た。申維翰は驚いて言った。
「芳州殿、どうしてそんなに子供みたいに泣きなさるのか。日頃の芳州殿らしくありませぬぞ」
 芳州は恥ずかしそうにうつむいて、目頭を濡らしながら言った。
「前回の製述官成琬氏との別れの時にも別れは耐えがたかったが、今日のように泣きはしなかった。あなたの目には嘘泣きか、それとも鬼の目に涙と見えるかもしれませんが、日本の茶道の言葉に『一期一会』という言葉があります。どの茶会でも一生にただ一度だと思って、常に誠を尽くすべきだという考えのことです。そのように、あなたとはもう二度と会うことはできぬと思うと別れが真実悲しくてたまらぬのです」
 申維翰は芳州をあやすように笑いながら言った。
「いいえ、あなたの涙を演戯だと思っているのではありませぬ。あなたの泣き顔を見ていると、私の方まで今にも涙があふれてきそうになって困るのです。あなたと明日お別れしても、あなたがまた釜山の倭館へ派遣されることもあるかもしれません。その時は必ず釜山まで出かけてまいります。いずれにせよ、朝鮮と対馬は海で隔たっていても晴れた日にはお互いが目で見えるほどの近い距離にありますから、どうして再び会えないことがありましょう。あなたとの惜別の意をこめて、拙い詩ではありますが、詩の一連を書きますので、どうかお受け取り下さい」
 申維翰は傍にあった紙と筆を取ってさらさらと書いた。
   今夕有情来送我
   此生無計更逢君
 芳州は頬の上に残っていた涙のしずくを拭った指先を黒色の袴に何度もこすりつけてから、にこにこと笑いながら紙を受け取った。
「ああ、これはよい贈り物を下された。折角の贈り物を涙で汚してはえらいことじゃ。謹んでわが雨森家の宝とし、また他日の懐かしい思い出として大切に保管いたします。ついては、このお礼と言う訳ではありませんが、屋敷の庭で取れました金橘の実と正月用の白餅を少しばかり持ってまいりましたので、どうか船の中で召し上って下さい。この金橘は、私の姓が橘でありますので、末長く覚えていただきたく、持参いたしました」
 申維翰は金橘の実を両手で撫でながら実に無邪気に笑った。
「はっははは。なるほど、そうですか。雨森氏の姓が橘であるから、わざわざこの金橘の実をね。有難う。喜んでいただきます。そう言えば、もう後二日もすれば正月ですか。いよいよ私も来年は不惑となります。お互いによい新年を迎えたいものですね」
 二人が船室から外へ出ると、先刻まで夕焼けで水平線の上の雲と海が薔薇色に燃えていたのに、今は日もすっかり暮れて海は黒々とし、白い波頭だけが寒々と光っていた。上空には星くずが一面にまき散らされている。船の甲板に立った二人の顔に西北の風が冷たく吹きつけた。二人は船から降りてきて、波の打ち寄せる浜辺に立つと、暗がりの中でお互い相手の顔をじっと見つめ合った。遠くでひっきりなしに海鳴りの音が聞こえた。
「アンニョンヒケシプショ」と芳州は言った。
「さよなら」申維翰は日本語で言った。
 申維翰は城下町へ向かう暗い一本道をとぼとぼと歩いていく芳州の後姿を見つめているうちに、突然さっきまでこらえていた涙があふれ出た。彼は涙がこぼれないように、夜空を見上げた。涙でにじんだ満天の星が揺れ動き美しかった。彼は暗がりの中でもおのれが孤独でないのを感じた。





   「読む会」10年の覚書
     ――あとがきに代えて

 在日朝鮮人作家を読む会が、発足からまる十年経った。このまる十年は、雑誌『架橋』の発行とはそのまま重ならないが、会は雑誌の母体であり、切っても切れない間柄なので、あとがきに代えてそのことを書きとめておきたい。
 会の十周年といっても、ひとの人生の十年に類するような波瀾や曲節があったわけではなく、まして数字に意味があるわけでもない。「持続も力」といった程度のこととして、さらにどこまで続くか知れない道程(みちのり)の中途の覚え書きである。

創生期のころ
「読む会」の発足は一九七七年の十二月十五日、名古屋市の社会文化会館で準備会を持ち、七名の日本人が集まった。当初は日本人ばかりで出発したわけである。そのときの顔触れをみると、現在、会に来ているひとは一人もいない。
 この発足準備会への呼びかけ文には「在日朝鮮人作家の作品を系統的に読もう――という仲間がいます。文学をとおして在日朝鮮韓国人の生活と思想にふれ、日本(人)と朝鮮韓国(人)の関係を考えるためです。もちろん、みずからの差別意識や制度としての差別を克服するという視点に立って、民衆連帯の基底をさぐっていきたいということもあります。(略)小説、詩、評論を息ながく読みこんでいきたいと考えています」とある。
 当時、文学を通して在日朝鮮人の問題を考える会が皆無にひとしかったこともあって、ずいぶん気張った言い廻しをしたもので、恥かしい限りだが、「息ながく読みこんでいきたい」という部分だけは、なんとか実行中である。
 会の名称も磯貝が勝手に付けたものだったが、なぜ在日朝鮮人文学を読む会ではなく、作家を読む会としたのか、いまは記憶があいまいである。どちらにするか迷った憶えはあるが、在日朝鮮