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2006-12

「架橋」アーカイブ

架 橋 11                 1991 春



目   次

○ 11-1(小 説) 闇のゆくえ ……………………… 金 成根
○ 11-2(小 説) さまよえるオランダ人 ………… 津田悠司
○ 11-3( 詩 ) 詩5篇歌詞3篇 ………………… 文 重烈
○ 11-4( 詩 ) 本川橋の碑 ……………………… 加端忠和
○ 11-5(小 説) 羽山先生が怒る ………………… 磯貝治良
○ 11-6 会録
○ 11-7 あとがき


 闇のゆくえ

金(キム) 成(ソン) 根(グン)

「人間の過去ってものは、そう簡単に拭えるもんじゃない・・・・・・」
 その老人は、誰に言うでもなく、そう呟いて言葉を切った。コーヒーを一口飲み、煙草を深々と吸い、ゆっくりと吐き出した。
 それから、指に挟んだ煙草のくゆる紫煙の流れを、眼で追っている。


 環状線T駅の前にある喫茶店で僕は、コーヒーを飲んでいた。かなり興奮していた。
 知人の出版記念パーティからの帰りで、やけに喉が乾ききっていた。胸にわだかまるものが消えず、疑問が次から次へと湧いてくる。それを解きほぐそうと、僕はやっきになっていた。
 事のおこりは、そのパーティ会場で、或る老人の、奇妙な言動を目撃した為である。
 僕がコーヒーをすすりながら、その出来事を反芻しているとき、その老人が店内に入ってきたのである。喫茶店にはあいにく、空席がなかった。
 老人が、仕方なく踵を返そうとした時、奥の隅でポツネンと座っている僕と眼が合った。とっさに、僕は頭を下げ一礼した。老人は一瞬戸惑いの色を見せたが、おもむろに僕のテーブルに近づいてきた。
「相席してもいいですか?」
「はあ・・・・・・どうぞ・・・・・・」
 僕は、ばつの悪そうな声になっていた。
ウエィトレスがコーヒーを運び去ってからも、互いに話の糸口に窮しているのか、老人も僕も押し黙っている。ややあって、重苦しい空気を払いのけるように、老人は呟いたのだった。
(人間の過去ってものは、そう簡単に拭えるもんじゃない)
 僕は老人の、その言葉の意味を解しかねて、ええ・・・・・・それは・・・・・・と、低く口にするだけで笑いに濁してしまった。
 老人の、なおも執拗な食い下がりに、僕は興ざめな思いを隠せないでいた。そして適当な反論なり、自説を手探りしていた。老人の意味ありげな、その言葉の真意を探っていた。
 老人の手前、僕は煙草を控えているので、手持ち無沙汰と妙な威圧感とで、金縛りにあっているようだった。
 僕はコーヒーカップに手を延ばし、ゆっくりと口元に運んだ。そして、老人の仕草につられ、僕も一筋の紫煙の流れを、上眼遣いで追っていた。紫煙は換気孔の格子窓の方へ、薄くなりながら消えてゆく。その窓越しに、街灯に映えた銀杏の梢が、無数の黄金色の葉裏を見せながら揺れている。外は、かなり風が強いのかも知れない。風の音が店内にも聞こえてくる。
 外出する際、夕方頃から天候が荒れ模様になると記した朝刊を、ふと憶い出した。
 窓に玉のような光るものが見えたかと思うと、それは瞬時、斜に砕けて走った。そして間を置かず、幾筋もの雨滴の流れが窓一杯に拡った。雨脚は間断なく、窓ガラスを叩く。
「雨が強くなってきたようですね」
 僕は、窓のほうへ眼を移しながら言った。
「風雨来襲か・・・・・・今の私の心境そのものだなぁハッハハ・・・・・・」
 老人は、空笑いをして、細い眼を一層ほそめて言った。


 T駅から少し歩いた所に、朝鮮の歴史と文化、そして在日朝鮮人の諸問題に関する講演を、休日毎に主催している、青丘文化会館がある。
 在日朝鮮人二・三世が圧倒的多数になった現状は、価値観の多様性と相まって、「在日」の混迷は日増しに深まり、風化・同化の波は、堰を切ったような勢いで押し寄せてくる。そんな状況に対して少しでも歯止めをかけ、民族の誇りと回帰を奮いたたせる、大阪での一大拠点であった。
 僕も関心が深く、時折足を運ぶことがあった。今日も午後三時から、知人の『朝鮮人特別海軍志願兵』出版記念パーティが催されると知って、その会場に臨んだ。
 四十人近い参席者で埋まった会場は、和やかな雰囲気に包まれていた。
 友人の司会で始まったパーティは、祝辞・祝電披露・花束贈呈など、幾つかの式次第をこなし、滞りなく進んだ。別の友人の音頭で盃を乾した後、僕も眼前にある卓上の会席膳に箸を延ばした。と、その時、向かい側の席に座っていた、六十歳をゆうに越した、総白髪の痩身の老人が、すくっと立ち、著者に向って次のようなことを喋り出した。
「少し言わせて貰いたい。祝賀会でこんなことを言うのは、ためらいがないではないが、言わずにはおれないのだ。貴方は民族反逆者だ!何が特別海軍志願兵だ。恥を知れ!恥を。倭(ウェ)奴(ノム)のお先棒を担ぐなんて死んでもやれるもんじゃない。貴方の過去は禊(みそぎ)こそすれ、自慢できるもんじゃない。それを本にして美化しようとする。思い上がりもいいとこだ。私は絶対に許さない。貴方が民族反逆者でなければ、一体何者だと言うんだ!」
会場はどよめいた。呆気にとられた顔、憤然とした顔、興ざめた顔、参席者のそんな顔や視線が、一斉に老人の面長の顔に突き刺さった。そこここに批難の声が走った。今までの和やかな雰囲気は、一変した。
老人は、なおも澱みなく当時の朝鮮人の強制連行による苦難と、日帝の暴虐ぶりを、まくし立てている。喋るうちに顔が紅潮し、頬に慄えまで帯びていた。
“民族反逆者”と言う言葉が、話のはしばしに飛び出した。
 老人が話せば話す程、参席者の顔付が一様に、憤慨の色を濃くしていた。僕は、固唾を呑みながら、成り行きを見詰めていた。
『朝鮮人特別海軍志願兵』という本は、題名こそ奇異の感を受けるが、決して民族反逆的な内容ではない。
 結婚して間もない、十九歳の青年が徴用による生地獄の炭鉱夫よりも、一縷の生の望みもある海軍の朝鮮人特別志願兵を選ぶ。そこで体験するものは、朝鮮人蔑視の過酷な私刑と、凄惨の飢えだけだった。
 淡々と綴るノンフィクション小説だけに、当時の、特異な時代相が鮮明に浮き出され、少なからぬ感銘を与える。
 司会者は、老人の話の途切れたのを潮に、椅子を蹴らんばかりに起ち、
「貴方は、本を読んで言っているのですか」
と、憮然として咬みついた。
「読む必要などない。読むのもけがらわしい」
 会場は、再び騒然とした。
 横合いから、読んでないなら批判する権利などないぞ、と罵声が飛び交っている。そして、次々に挙手して反論する人が相次いだ。
 老人の発言は、確かに常軌を逸している。読めば、民族反逆者だという批判など、あたらないし、かつ、読まずに罵倒することは、著者に対して礼を失するものである。
 確かに、日本の帝国海軍に志願した動機は、そしりをまぬがれず、老人の激怒する心情は解らなくもない。だが若冠十九歳では仕方のない事ではなかろうか。それを民族反逆行為だと断定するのは、あまりにも酷である。
 僕も、はやる気を抑え難く、そんなことを老人に向かって話そうとした。だが発言者が続出し、挙手する間もなかった。
 老人は、一堂の冷たい視線や、論難に、少しもひるむことなく、返って身構え挑むような口調で反論している。そして自説をかたくなに押し通していた。
 僕は煙草に火をつけながら、著者の横顔を盗み見た。彼は眉根を曇らせ、困惑しきった面持で静かに眼を閉じている。
 不意に、この時、「民族反逆者」という、時代がかった言葉が、妙に生き生きと、僕の意識の底から這い上ってくるのを感じた。
「民族反逆者」・・・・・・二十年程前、僕も東京のT大学で、ある一時期そのレッテルを貼られたことがあったからだ。
 T大学は、東京郊外にある武蔵野の一角にあった。在日朝鮮人運動を指導し、民族幹部を養成する任務をも帯びていた。規律も厳しく全寮制であった。学問より思想事業が優先された。マルクス・レーニン主義を学び、米帝国の植民地である南朝鮮を解放し、祖国統一を成し遂げるという、崇高な革命事業に献身していた。だが、純粋培養による徹底的な排他主義と個人崇拝を押しつけようとする思考方法に、僕は疑問を抱いた。
 そしてその是正を試みたが、到底かなえられる筈もなかった。僕は嫌気がさし、大学の側壁を乗り越えて逃げ帰ったことがあった。その後、僕の背には、「民族反逆者」というレッテルが貼りつけられた。その記憶が今、苦々しくよみがえった。
 老人と参席者の議論の応酬は、一応、小休止の観があり、会場は淀んだ空気がただよい始めた。この時、著者はおもむろに起ち、
「批判は甘んじて受けるが、民族反逆者という言葉だけは、是非とも撤回して貰いたい。私にとって、これ以上の侮辱はない」
 悲痛な程、声が上ずっている。
「いや。撤回はしない。私は、私なりの信念がある」
 老人も悲壮の面持であった。それは、なんとも奇妙な光景だった。
 これ程、我執にとり憑かれた老人に、僕は返って、ある興味を抱いた。
 個人的な恨みでの、単なるいやがらせなのか? それとも題名だけで判断する、浅はかな人物か? だが、どちらとも言えないような気がする。では、一体、何だろう?・・・・・・
 孤軍奮闘のていで、自説を曲げず、批難に向かって敢然と立ち向かう老人を見ながら、僕はそんなことを自問していた。
 そして朧(おぼろ)気(げ)に、何か僕の脳裡を掠めるものがあった。妙に、老人に魅きつけられてゆく自分を全身に感じる。
 出版記念パーティは、参席者の胸に気まずさを残しながら、ひけた。


 喫茶店の中は暖房が効き過ぎて、やけに喉の乾きを覚える。僕は、テーブルの冷水を一気に飲み干した。
 風雨来襲のような心境だ、と先程呟いた老人に、僕は心なしか、惻隠(そくいん)の情に打たれている。
「君も、みんなと同じ意見だろうねえ・・・・・・」
 と、老人は静かに言った。寂しい翳(かげ)が、老人の眉間によぎった。ふかした煙草の煙が、天井に舞い上っていく。老人は、たて続けに煙草を吸った。
「はあ・・・・・・まあ、それ程、違わないんですけど・・・・・・」
 僕は、そう言って、言い澱んだ。ひどく狼狽している。
「・・・・・・でも、或る人にとっては・・・・・・」と、僕は少し間を置いて、言い足した。老人のうちにある、何かを感じとった呟きだった。
 だが、それ以上話す言葉が見つからなかった。ただ会場での、たたみかけるような参席者の発言は、ごく良識的なものであり、人には到底、窺(うかが)い知れぬ何かがあるものだと、今はハッキリと思い至った。
 だいたい、人それぞれ、その人が持っている許容範囲はまちまちである。それは各自の利害得失によって、大きく左右されがちである。老人の一徹さ、頑迷固牢なども、一笑に付すことができるだろうか。
 僕は、胸が徐々に騒ぐのを覚える。
 老人は煙草の吸殻を、灰皿にもみ潰して、宙を見すえながら、こう言った。
「まあ、みんなの意見は、私とて解らんじゃない。本も読まずに批難したのも非礼だと思う。だが、・・・・・・これは私の友人から聞いた話だが・・・・・・」


 朝鮮が解放される一年前、すなわち一九四四年の事だがねえ・・・・・・崔(さい)と言う、私の友人が強制連行によって、九州の唐津炭鉱の三年程前からこき使われていたんだ。知っての通り、当時炭鉱(ヤマ)で酷使される朝鮮人炭鉱夫は、この世の生地獄にいるようなもので、誰もが死ぬような目に遭っていた。ふんどし一丁で、夜遅くまで暗い坑道の中で黙々と、それも鞭打たれながら、牛馬同然だった。それもひどい飢えに苦しみながらなあ・・・・・・
 崔には、またとない親友が、同じ地に居た。鄭(てい)と言って、歳は同じ二十五歳だった。生まれつき体が弱かった。鄭は、三年間の酷使と飢えで、体がボロボロになり、或る日、坑内で血を吐きやがった。夥しい血だった。結核だったらしい。すでに手遅れに近い状態だった。鉱山会社の奴らは、そんなことなど、少しも斟酌しないやな。奴らにとっちゃ、「朝鮮」炭鉱夫など、炭鉱掘の道具であり、虫ケラ同然だった。鄭は、そんな病にもかかわらずかり出されていた。だが、そんな病状では、自分に課せられたノルマなど果せるわけないやな。折にふれ、監視係に鞭打たれていた。
 そんな或る日、崔が見るに見かねて、鄭を樫の棒で殴りつけている監視係を、叩きのめし、その足で管理事務所へ怒鳴り込んだ。
 みんなで行けばいいのによ。その崔は、人一倍、侠気のある奴で、見境もなく突走りやがった。そんな所へ行ったらどんな目に遭うか分りきってるがな。案の定、彼が戻ってきた時は満身(まんしん)創痍(そうい)だった。左目にあてがっている手の間から、血が噴き出ていた。
 みんなで崔をタコ部屋の隅に寝かせた。そして顔を見ると、左眼は潰れていたんだ。彼は帰ってきてから、管理事務所で何があったか一言も、口に出さなかった。性分なのか、崔は寡黙(かもく)で、言葉よりも行動が速かったんだな。多分、みんなは樫の棒で眼を突き刺されたんだと思った。誰かが執拗に訊いても、ベットリと血のりの付いた左手を、左右に振るだけだった。右眼が、微かに笑っているようでもあり、泣いているようでもあった。
 みんなが怒り狂い、抗議しに押しかけようと起ち上ったときも、崔はそれを止めたんだな。
「やられるのは、俺だけで充分だよ」
 呻き声とも、笑い声ともつかない言葉で、そう呟いた。崔は、みんなの中心で、面倒見がよく慕われてもいたから、みんなは思いとどまった。
 血が止まらない。潰れた左眼にドブロクの上澄みを、消毒薬の代りにたらし、眼を手拭で覆うだけの処置だった。
 崔はその夜、高熱を出した。三日程、熱でうなされていたが、介抱する者とて居ないやな。奴らにとっちゃ、一人分の労務時間も惜しいのだからな。
 それでもみんなは、崔の眠っている間に、管理事務所へ殺到した。だが、そこには事前に察知したらしく、憲兵の指揮で銃を構えている多数の警官が居並んでいた。みんなは怒りにふるえながらも、何も出来やしないわな。
 崔は、四日目にはヨロヨロと起き上がってきた。それは奇跡と言ってよかった。
 恐らく崔の持ち前の気丈さと、強靭な精神力だったろうよ。もう一つは、みんなの肩に自分のノルマを、負わしているのが辛かったらしい。
 崔が坑内に入ってから、少しばかり待遇が良くなった。奴らは崔に、一目置くようになったようだ。それと言うのも実は、崔の左眼と関係あるらしい。管理事務所で起こった出来事を、目撃したらしい人がおってな。
 あの時、崔は管理事務所に行き、労務責任者に鄭の療養のことや、待遇改善を要求したんだが、奴らはそれを聞き入れるどころか、逆に今以上にノルマを課すと言いやがった。崔は怒り心頭に達し、労務責任者の胸ぐらを摑んで締めあげた。その時、奥座敷で酒を喰っていた肥えた憲兵が、やにわに軍刀を持ちだし、その抜身を崔の左眼に突き刺したらしい。崔は突き刺されても、身じろぎ一つせずじっと、その憲兵を睨み通し続けた。その形相が奴らには気持悪かったらしい。
 左眼はその時、適切に処置してれば少しはましだったろうが、そんなこと望むべくもないやな。失明は覚悟しなけりゃならなかった。
 崔は自分の左眼よりも、結核で苦しんでいる鄭の方が心配だったらしく、自分の食まで分け与えていた。
 結核は何よりも栄養を摂らなくちゃな。みんなも僅かばかりの飯の中から、思い思い鄭に飯を分け与えた。
 それから数日後、会社は崔を疎(うと)んじ、北海道の炭鉱へ追い払った。入れ替りに新しい同胞が入ってきた。崔がいたんでは、奴らは思うようにこき使うことが出来ないってもんだ。
 崔は、みんなと別れの握手を交わした後、「ウェノムは、遠からず戦争に負ける。解放も近いから、それまで頑張って生きるんだ。必ず生きてろよ」と、鄭の耳元に呟いて去ったらしい。
 鄭は、それからも躯の許す限り、黙々と働いたが、或る日、次のような事件が起こった。
 その日も鄭は、喘ぎ喘ぎツルハシで鉱脈を掘っていたが、急にバッタリ倒れて、苦しそうにまた血を吐いた。それでも必死に立とうとしたが駄目だった。
「また怠けているな!」傍らの監視係はそう言いながら樫の棒で、その日に限ってメッタ打ちにしたらしい。
 鄭は、最初は少し呻いていたが、間もなく呻き声も途絶え、グッタリとなってしまった。だがその時、俄かにありったけの力をふり絞って、ヨロヨロと起ち上った。そしてツルハシを手にして、その監視係の顔めがけて降り下ろした。が、その寸前、横にいた別の監視係によって後頭部を、したたかに樫の棒で殴られたんだ。彼はつんのめるようにして、ぶっ倒れた。息がこと切れても、奴らはなおも打っていた、それも頭と言わず、腰と言わず全身くまなくな。まるで獣を撲殺するみたいに。あまりの仕打ちに、傍らにいた初老の朝鮮人坑夫が「このウェノム野郎!」と叫び、横っとびに飛んで摑みかかろうとしたが、彼も半死の目に遭ったらしい。
 崔が、そのことを人伝に聞いたのが、解放後、幾日か過ぎた頃だった。
 崔は血相を変え、狂ったように地団太を踏んだ。彼はその時、遙か遠い北海道の炭鉱にいたもんな。もし風聞でも耳にしていたら、すぐさまそこを抜け出していたろうよ。そして鄭を殺した監視係や、自分の左眼を刺した憲兵に復讐していた筈だ。
 それでもまだ奴らを探せるやもと思って、すぐ九州に飛んだ。が、居るわけないやな。もぬけのからだった。
 崔は初めてその時、男泣きをした。やり場のない怒りにうちふるえながら・・・・・・。それはそうだろうよ。無二の親友を惨殺されたんだからな。その夜はまんじりともせず夜を明かした。それから三日間、魂の抜殻みたいに呆然となっていたらしい。
 その後、崔の消息は全く、途絶えた。
 或る人が見かけたところによると、崔は日本全国の炭鉱場で死んだ、無縁仏になっている同胞の亡骸を、丹念に調べ歩いているらしい。崔にとっては、せめてものそれが鄭に対する供養でもあったんだろうよ。
 またそうすることによって、「ウェノム」に対する怨念を忘れることなく、生きようと思っていたんだと思う。怨念をだいて生きるってことは、悲しい人間の業でもあるんだが・・・・・・。


「その崔と言う左眼を刺された人は、もしや貴方では・・・・・・」
 老人の重い話に、息を詰めながら聞いている途中から、僕は、「崔」と言う人物は目前にいる、老人自身であると確信していた。と言うのも、老人の左眼は義眼であった。会場で老人を初めて見た時、寄目かなと思った。が、間近かに見た今は、ハッキリと義眼であることを知った。こめかみには古い傷跡らしく、縦五センチ程、肉が盛り上がっている。それは近くで見ないと分らない程、白髪に覆われていた。
「いや・・・・・・私ではないよ。ハッハハ・・・・・・私の左眼は小さい頃、木登りしている時、足を踏み外して、まん悪く小枝が眼に刺さったもんじゃ・・・・・・」
 老人は首を振りながら、手をコーヒーカップに延ばした。冷たくなったコーヒーを啜りながら、右眼は優しく笑い返している。
 そして煙草に火をつけ、深々と吸い、ふーっと吐き出した。たて続けに二回程、吸っては吐いた。吐き出された煙は、老人の頭上に濛々と舞い上がった。
 僕ははぐらかされたようで釈然としなかった。
 老人は、僕の腹の中が解っているらしく、話を巧みにそらそうとする。
「まあ、今言った話は九州の炭鉱だけじゃなく、どこの炭鉱だって似たような話があったんだ。ただ言えるのは、それを忘れないで欲しいってことだ。今日の、同化されつつある朝鮮の若者たちが、日増しに増え続けている実状からしてね・・・・・・」
 老人は寂しそうに言って、卓上の冷水をのみほした。
 僕も残りの水をのみ、窓に眼を遣った。小止みなく降りしきる雨に叩かれた銀杏の葉が、窓にこびりついている。風も気ぜわしげに音をたてている。
 街灯が一際明るく光を放ち、闇をさいている。すでに閉店時間を過ぎたらしく、店内は客一人いなかった。
 老人と僕は、表に出て、互いに別れを告げた。別れ際に、僕は老人の名を訊いた。
「いや、名のる程のもんじゃない。また機会があれば逢えるじゃろう・・・・・・」
 と、老人は言った。
 老人は遠出だったらしく、駅の方へ歩いていった。帽子をま深にかぶり、コートの襟を立てて、トボトボと小刻みに歩を運んでいる。雨は容赦なく老人の背中を叩きつけていた。今まで気がつかなかったが、右肩が上下に揺れているのが夜目にもハッキリと見てとれた。
 僕は、老人の後姿を凝然と見つめていた。
「間違いない・・・・・・そうに違いない・・・・・・」
 何かに衝き上げられるような、胸の圧迫感を感じ、ひとりでにそんな呟きが洩れた。
 老人の後姿は、僕の視野から消え去った。一層激しくなった雨脚は、舗道脇の街灯に照らし出され、強風に煽られ横殴りになっていた。





 さまよえるオランダ人
津(つ) 田(だ) 悠(ゆう) 司(じ)

            1

 僕は歴史の上に存在している。あるいは、ところてんのように歴史という板に強引に押し出されて存在している。ところてん、なかなかと旨い表現だと思う。凝固した寒天は麺状に変形され、その麺の成分は99パーセントまでが栄養のない水分だ。
 変形され、そして何の栄養もないところてん、それが僕だ。

            ↓

 些細な事だけど僕は1986年12月に妻と結婚式を挙げた。その日の天気の具合がどうであったか、どんな料理を食べたか、スピーチで誰が何を喋ったのか全然覚えていない。
 多くの人が集まっていた為に多少は緊張していたと思うけど、それで覚えていないというわけではなく、僕の頭のなかで、ある曲が式の間ずっと鳴り響き続けていたのだ。それはワーグナーの『さまよえるオランダ人』だった。
 式が始まる前に我々は会場の外にいて、僕は入口のうえに掛かっていた時計を眺めていたが、時間が流れているのかどうかすら僕には解らないでいた。時計の細い秒針は何回も同じ所をゆっくりと回り、それは僕に丸い箱に閉じこめられた虫が行き場を探してグルグルと這っているかのように見えた。「3時だ」、と友人が肩をポンと叩き、その合図で我々は入場し天井に取り付けられたスピーカーから音楽が流れだした。席について長い間拍手を浴びたあとにスピーカーからの音楽は止まったが、不思議な事に僕の頭の中でその曲は余響ではなくはっきりと、しかもスピーカーから聞こえてきたときよりも重く、膨らんだ調子で響き始めたのだ。
 それは曲自体に奥行きがあり、ずっと昔から僕のために時間という道程を経てきたかのような、とても厚みのある曲に聞こえた。
『さまよえるオランダ人』はそれから僕の頭の中で鳴り響き、僕は知らず知らずのうちにその曲と共に何処か遠い世界へと押し出されて行く思いを感じた。
 そして、「結婚オメデトウ! カンパァァァイ!」と多くの人は口を揃えて祝杯を挙げていた。多分その日が、僕が妻と結婚式を挙げた日なのだろう。

            ↓

 妻は「朝鮮人」というレッテルを貼られた在日朝鮮人だった。朝鮮人と在日朝鮮人、この二つの間には大きな違いがある。海の中で遊泳する魚と食卓の上に置かれた魚が全然違っているように。
 どちらが海の魚でどちらが皿に置かれた魚なのかそんな事はどうでもよい。ただ在日朝鮮人と朝鮮人には大きな相違が存在するのだ。この相違はある歴史的事実によって出来上がった。
 じわじわと流動する氷河によってできた巨大なクレバスの様に、そこには深い溝があり暗い闇があり、どんな学者や冒険家が中を覗いたところで何一つとして解らない空間がある。それでも僕は懐中電灯を持って、光を当ててみた。しかし僕の見える部分は光があたった小さな丸い部分だけだった。ある部分が浮かび上がっても、別の部分に照射を移すと前の部分があっさりと消えて、新たに全然違ったものが浮かび上がってくる。それはバラバラになったジグソーパズルの入った箱に手を入れて一枚取り出しては考え、再び箱の中にしまうようなものだ。
 僕は懐中電灯で何十回も同じところを行ったり来たり動かし、見えない部分と見える部分を頭の中で繋げていき、少しずつ照射範囲を拡大していく。大変な作業だ。複雑に縺れた糸を解く様な根気もいるし、体力もいる。そうした作業を妻と知り合ってから三年間も続けた。
――三年間、僕には気が遠くなるような年月だった。
 いくらそんな作業をしてみたところで結局僕が見ることの出来るのは光の当たっている小さな丸い一部分にすぎない。だから僕の頭の中で考察して繋げた事と現実には大きなズレが生じるかもしれない。弁解はよそう。兎に角、僕が繋げて認識した事は、妻の朝鮮人と在日朝鮮人の間にある溝を塞ぐのが出来ないという事実だ。
 その事が解ると僕は光を消して溝から離れ、自分の中に後悔をともなっただるい欠落感を感じた。あるいはそうした感じは、妻に対して何か秩序めいた僕の公式を当てようとした事から生じただけのものかもしれない。

   秩序めいた僕の公式?

 僕は「在日朝鮮人」をいつも「在日」と「朝鮮人」に細分化していた。つまり妻を「在日の朝鮮人」と考えていたのだ。しかしそれは僕の公式でしかない。妻はもはや「在日の朝鮮人」ではなく「在日朝鮮人」なのだ。
 歴史を語ろうとすれば僕の公式などほとんど、いや、まったく当てはめて考えることなど出来ない。一度クチャクチャにしたアルミハクをいくら僕の公式を当てはめてみても元どおりに出来ないように。ただ、それを元どおりに修正しようという努力は出来る。しかしそれはただの試みでしかない。
 妻は謎の溝を持っている。朝鮮人と在日朝鮮人。僕はその溝を塞ごうと努力するどころか更に複雑にしてしまった。

   「結婚オメデトウ! カンパァァァイ!」と。

 僕はこうした事実になる事に悩んでいた。プロポーズした夏の季節にうんざりさせる蝉の鳴き声が耳に入らないくらいに悩んでいた。(勿論、妻と一緒にいて楽しくなかったわけではない。)悩みはそれから僕の心の中でどんどん膨張し、固くなり、消化不良を引き起こし下痢にいたってしまった。
 デートの最中に便意を感じると、僕は腹と尻を手で押さえ、近くの公衆便所へ手当たり次第に用を足しに走った。
 実にその回数は53回もあった。53回、それは僕が妻との関係において何かを示す正確な事実だ。

            ↓

 本来歴史とは我々の足下に土台としてあるはずが、僕には歴史の事を考えると漬物石に押し潰される思いだった。もし歴史に潰されたのなら(もしもだ)、きっとその後には何の栄養もないところてんが椀に盛られているのだろう。

            ↓

 妻との生活はもう4年も経っている。僕の年齢が26歳だから、今までの人生の約7分の1は妻と毎日顔を会わせているわけだ。18年後には人生の半分を妻と生活した事になり、その日を境にして明くる日からは妻と顔を会わせる日の方が、比率が大きくなる。こんな事を考えているのは別に妻との生活が嫌になって一刻も早く終らせたいからではない。僕には日数でしか生活の内的事実が摑めないでいるからだ。

   歴史的事実の虚無化。

 一度妻にそんな事を話したことがある。
「お互いの生活を日数で考えるなんて・・・・・・、あなた変よ」
 妻はそう言って軽く僕をあしらった。確かに妻の言うとおりだった。「そうね、わたし達の生活はカレンダーを塗り潰していくことよね」と、答える筈がない。最初からそんな事は解っていたが、ただ僕の思っている事を言ってみただけだ。それから妻は暫くしてから、出来の悪い学生に優しく数学の問題の解き方を教える新米の先生がよく作る優しい笑顔でこう言った。
「現に子供がいるでしょ。わたしとあなたの間に生まれた子が」
 子供? まったく僕の気持ちなんて解ってくれやしない。我々の生活は歪んだ歴史の非現実性の上に成り立っているのに、子供の存在が僕に何を示すというのだろう。もし子供の存在まで考えたのなら僕には増々妻との生活を確かめる内的事実が遠のいていく。
 毎日妻と生活し、その度に妻は遠のいていく。やはり僕と妻の生活を確かめる手立ては日数を数える事しか考えられない。
 ところで、非現実性の上に成り立つ歴史って何だ? 僕は本来あるべきところの非現実でない歴史を考えてみたが、何一つとしてそれを念頭に浮かべられなかった。可能性は無限に存在している、それでも浮かべられなかった。

            2

 その日の朝はいつもと違っていた。妻との生活が1594日を迎えた朝だ。
 僕は昔から朝は決まってジョギングをする為に6時10分に目を覚ます。宮沢賢治ではないが、雨の日だって、風の強い日だって一日も欠かさずに走る。風を引いている時もちゃんと走る。嘘じゃぁない。どうしてかと訊かれても困るのだけれど、ちょっとした理由から(興味をそそるような理由ではない。尤も誰も僕になんて興味を抱いてはいないけど)ジョギングを始め、そのうちに止められなくなり習慣になったまでだ。
 止めたときの自分を想像すると身体の一部がもぎ取られた自分になってしまい、止めるわけにはいかない。別にジョギングすること自体に窮屈さを感じないし、かえって気持ちのいいものだ。
 その時刻はたまに新聞配達人や早起きの老人の散歩に出会うくらいで、それを除けば街には誰もいない。音もなく雲が空を流れ、音もなく朝の光が漂う。僕の走っている小気味よい荒い息遣いだけが聞こえてくるだけだ。

   ハァハァハァハァハァハァハァハァハァ

 僕の息は街の中に揺れ、街は僕の息のリズムから透き通る程美しく新しく見えてくる。それは僕だけが確かめる事の出来る世界であり、僕のなかに確かな生命の息吹を感じる世界でもあった。
 今日、僕が目を覚ましたのは8時少し前だった。自動車が家の前を何台か通りすぎ、そのうちの廃品回収車が、僕の寝ていた部屋の窓ガラスをカタカタと震わせる程、執拗に巨大マイクで廃品を求めていて、その喧騒に目を覚ました。横のベッドを見るとモデルルームで見るような感じで枕は丁寧に膨らまされ、シーツはきちんと皺が伸ばされてかけられており、妻と子供はいなかった。ジョギングが出来なかったんだな、と解った。
 それから廃品回収車が通り過ぎると辺りは嵐が過ぎ去った後のような沈黙が拡がった。部屋は何かの力で引き伸ばされたようにガラーンとしており、カーテンが閉じたままなので薄暗く空気が不思議と異常なほど乾いているように感じられた。
 僕は起き上がり上体を煙草の置いてある机まで伸ばして一本抜き出し煙草を咥(くわ)え薄暗い部屋の中で火を点けた。煙を吐き出すと、カーテンの隙間から洩れる細い光がそれを反射させえ、その為煙は僕以上の存在感があるように思われた。
 何かが僕の頭の中で引っ掛かるものを感じた。それは忘れてしまった記憶がぼんやりと蘇っているときに感じる類のものではなくて、虫歯の治療後に歯に被せられたクラウンを舌で触れてみた時に感じるような嫌な違和感だ。
「違和感」と僕は右手に持った煙草を見つめながら小さな声でそう言ってみた。確かにあらゆる意識は拡大され、同時にあらゆる意識が縮小されていくような感じがした。
 僕は朝起きて煙草をすぐに吸ったりはしない。妻がそれを嫌っているからだ。しかし僕は何のためらいもなく今こうして煙草を吸っている。おかしい。以前にためらいもなく煙草を吸っていた頃の意識が拡大されたのかもしれない。
 煙草を一本吸い終えると頭痛を感じたので何回か頭を振ってみたけど、少しも治らなかった。煙草のせいだと思った。
 僕は違和感を感じながら部屋にあるものを一つ一つ点検するかのように見ていった。
 妻とここで生活を始めた日にその足で家具屋へ行って買ったベッド、引き出しにいつ付けたのか忘れてしまった目立つキズのある机、友人の引越しの時に要らなくなったと言って貰ったレトロ調の電気スタンド、天井にぶら下がった平凡な電灯、少し大きめのスタンドミラー、まだ読んでない本も何冊かある本棚、白い壁に掛かっている黒いファッション時計、中学の時に新聞配達のアルバイトで貯めて買ったもうタイプの古いオーディオ、ラックに入った60枚程のレコード、それにクズ箱。それらは昨日と同じようにそこにあって、一つ一つ見ると何も変化していないが、部屋全体が何となくいつもと違っている。うまく説明できないが何と言うか、まとまりが欠けているのだ。部屋にまとまりがないというのもおかしいが兎に角バラバラに分解された自動車の部品のように意味だけが宙に浮いているのだ。
 暫く僕はベッドに腰掛けたまま両手で頭を抱えてじっとした。頭痛が前にも増してひどくなっていたからだ。
 どれくらいの時間が経ったのだろうか、頭の中で「違和感」と再び言葉が通り、顔をゆっくりと上げてみた。煙はまだ重い霧のようにカーテンの隙間から漏れている光で白く輝きながら部屋の中を漂っている。部屋は虚無的なまでに部屋そのものの昨日を失い、もはや僕の前に拡がる世界を「部屋」と呼んで良いものかどうか解らない程朦朧としていた。
 僕は空中を彷徨う煙をぼんやり眺めながらジョギングが出来なかった事をとても悔やんだ。
 頭痛がひどいので左手でこめかみをトントン叩いてみた。不思議な事にその度に僕は僕の前に拡がる世界に引きずり込まれていく奇妙な感覚にとらわれた。それは僕の意識の奥深いところに横たわる自分でも解らない何かに細い糸で結ばれて引っ張られているような感じだ。

   誰かが僕を呼んでいるのか?

 突然辺りに乾いた音が響き始めた。はじめは何処からその音が聞こえて来るのか判らなかったが、やがて音は地面に落ちた飴玉に蟻がたかっていくかのように一点に集まりドアから聞こえた。それと同時に僕の頭の中に引っ掛かっていた嫌な違和感も糸が切れたかのようにパッタリと感じなくなった。しかし頭痛はまだする。僕は立ち上がってドアを開けると、妻が子供を抱えて当然のように立っていた。
「どうしたの、少し顔色が悪いわよ」
 妻はそう言うと子供をベッドに座らせカーテンを開け次いで窓も開けた。外から五月の心地よい涼しい風が僕の前を通りすぎドアの向こうへ抜けていった。
「少し頭痛がするんだ」と僕は少し間をおいてから言った。「でも大したことじゃぁない」
「それならいいけど」
「ジョギング出来なかった」
「そう」と妻は何でもないような返事をして、子供を抱えると僕の前を通りすぎ、出際に振り返った。「だったら今から走ってくればいいじゃぁない」
 僕の中で一瞬腹だたしいものを感じ、そしてそれはすぐに消えた。
「今からではあまり意味がないんだ。外はもう人通りが多いし」
「人がいたって何処へでもいけるじゃぁない。別に通勤時の交差点を走るわけではないのだから。そうでしょ?」
 妻の言う通りだった。人がいたって何処へでも行ける。でも何処へ行けば良いのだろうか? 僕には僕なりのコースがあるし走りたい時間だってある。もしそんな事を抜きにして全てのことを運んでいたとするなら石になってじっとしていた方が良い。

            ↓

 僕は何処へも行かなかったし、また何処へも行けなかった。それでもジョギングをしている時だけは別の世界を走っているような気がする。それが何処なのか具体的な場所は解らないがとても美しく心の安らぐ場所だ。
 少し前にTVで出産シーンを放映した番組があって、それを視たとき僕の走っている時の呼吸のリズムは女性が出産する時の呼吸に似ているな、と思った。TVのアナウンスは子宮は宇宙だ、と言っていた。もちろんそれは観念的な比喩にすぎないが、もし僕と妊婦の呼吸が同一ならば、僕はジョギングをしている時、宇宙の中で呼吸のリズムを聴いていることになる。

            ↓

 結局、その日の朝は頭痛であまりパッとしない気分を抱えていることもあって走るのをやめた。一階に降りると子供は庭に面した窓際で、新聞に折り込まれていた広告をクシャクシャと音をたててまるめて遊んでおり、妻はガスレンジの上にのせたフライパンに卵を割って入れていた。閑かな土曜日の朝だと思った。僕は洗面所に行っていつもより丁寧に歯を磨き顔を洗い髭を剃った。いくぶん気分が晴れたような感じだったのでトレーナーとジーンズに着替えて庭で簡単なストレッチをやった。子供が僕の体操をみてウマウマと言いながら喜んだ。
「ねぇ、子供がしゃべっているよ」と僕は少し驚いて妻に言った。
「あら、知らなかったの? 一週間も前から時々言っているのに、ほかにもマンマもダァダァも言うのよ」
「本当?」
 妻はコーヒーを入れながら嬉しそうな顔をして頷いた。
 僕は子供を抱いて空に向けて高く持ち上げてみた。子供は本当に「ダァダァ」と満面喜びに満ちて声を上げた。
「本当だ」と僕は子供をおろして言った。
「いつまでも同じではないものよ、時がたてば子供だって成長して変わっていくものよ」
 僕は、まだ抱っこがやり足りなくてせがむような眼差しで僕に訴えている子供を見ながら、時の速い流れを思った。そして少し悲しい気分がふっと心の中を通りすぎていったのを感じた。
「食事の用意が出来たからこちらにいらっしゃい」
 少しだけ出た汗を拭き取ってから、子供を子供用の椅子に座らせて僕も腰掛けた。テーブルの上にはパンがゆとヨーグルトと細かく刻まれたトマトの盛られた子供の皿とコーヒーとたっぷりバターを塗りこんだトーストが2枚、白い皿に乗せられ、その横にスクランブルエッグとツナと新鮮な野菜が木のボールに盛られて並べられていた。
「もう頭痛の方は大丈夫なの?」
 スプーンを子供の口に運びながら妻はパンをかじる僕に訊いてきた。
「まだ少し痛むけど大丈夫さ」
「だったら薬でも呑んだ方がいいんじゃぁないかしら」
「薬は嫌いなんだ」と言って僕は張りのあるレタスにフォークを刺した。「頭痛の事を考えなければ頭痛である事すら解らないくらいさ」
「変わった言い方ね」
「変わった頭痛なんだ」
「どういうことかしら?」
「自分でもどんな頭痛なのか解らないよ。解っていたらそれなりの対処もするよ。頭の中に小さな虫の幼虫がいてそれがゆっくりとよじっているような感じかな。あまりにも小さな虫だから神経を集中させないと気が付かないんだ。解るかい?」
 妻は解らないっといった感じで首を振った。「気持ち悪いわね」と言ってから妻は手に持っていたコーヒーカップを受皿にカチャッと気持ちの良い音をたてて置いた。
「ごめんよ、変な風に表現しちゃって、うまく話せないだけなんだ」と僕は少しガッカリして言った。
「いいわよ」と言って妻は再び子供の口に食事を運んだ。
「今までにそんな風に感じた事ってあったのかしら?」
「あったような気もするし、なかったような気もする、解らないよ」
 それから会話は途切れ、子供がうまく食事が食べれなくて泣いたりする時以外、黙って朝食を済ませた。
「やっぱり薬を持ってくる」と食器を重ねながら妻が言った。
「気持ちは嬉しいけど、さっきも言ったように薬は嫌いなんだ」と言ってから言わなければ良かったと後悔した。妻は少しの間困った顔をしてから黙って二階に上がっていった。僕はテーブルの上に置いてある食器を流しに運びそれらを洗った。途中で子供が泣きだしたのでオシッコだろうかと思っておしめを見てみたけど濡れてなく、泣き止まぬ子供を抱えてテーブルの周りをグルグルと走り回った。そしてやっと泣き止んだ。僕は子供を居間の床に座らせて再び食器を洗った。なかなかと妻は戻って来ない。考えてみれば家に薬などあるのだろうか? あるとしたら最後に呑んだのはいつだっただろう? 不思議な事に何一つ解らなかった。そんな事を考えているうちに食器は全て僕の手によってきちんと棚の中に片付けられた。ガラス戸をしめてから何もする事がなくて、二階に行って妻の様子を見てくることにした。階段に足を掛けると子供が泣きだしたので居間に戻って子供をあやさなければならなかった。ソファーに座って遊んでいるとやっと妻が戻ってきた。
「随分と捜したわ」
「家に薬なんてあったのかい」
 妻はなくしてしまった宝物を見つけて喜ぶ子供のような顔で大事そうに手の平に小さな箱を乗せて僕に差し出した。薬の箱を眺めながら僕はいつこんな薬を買っておいたのだろうかと、もう一度考えてみたけど、やはり思い出せなかった。使用期限が印字してある部分を見ると、とっくに切れていた。それから察して使用可能期間を三年と見ると友人と共同生活を送っていたときのものに違いなかった。
「ありがとう」と妻に礼を言った。「何故あると知っていたの?」
「呆れたわ」と言って妻はアメリカ人がよくやるような仕草で顔を左右に振った。「ナンバさんがくれたんじゃぁない。わたしと結婚してあなたが前のアパートを出るときに貰ったんでしょ」
「そうだったかな?」と僕が言うと妻はもう何も喋らなかった。僕は再びそんな事言うべきではなかったと後悔し、使用期限が切れている事については言うのを止めることにした。
 妻は台所にいって僕が片付けを済ましているのに気が付くと気を取り直したのか鼻歌で唄いながら子供を抱き上げて庭で子供とスコップで穴を掘って遊び始めた。僕は手に持っていた薬の箱をからくり箱の仕掛けを捜すかのようにクルクルと回しながらぼんやりと眺め、暇つぶしに箱に印刷された説明を5回読んだ。何回も読んだところでカタカナで書いてある成分名は一体どんなものなのか薬の素人には知るべくもなかった。それに文章だって不親切だった。何とかが配合されているから何々に効くといった感じで納得がいかない。何も薬について解らない人が読めば『アコニチンが配合されているから風邪に効きます』と書いてあっても、きっと買ってしまうだろう。しかしそんな事を考えているのはこうして今、暇な僕くらいなのかもしれない。世の中は忙しいのだ。だれも薬の箱の文章になんて普段は目がいく筈がない。「せっかく持って来たんだからちゃんと飲んでよ」と妻が僕に促した。
 僕は箱に印字された使用期限の数字を見てナンバと共同生活を営んでいた年数を心の中で呟いてみた。しかし本当にそんな月日があったのか、透き通ってしまいそうな記憶をたぐり寄せてもうまく思い出せなくなっていた。月日は僕を超えてあまりにも速く流れすぎる。
 僕はペンキで塗ったような空へ顔を上げて期限切れの薬を2錠呑み込んだ。

            ↓

 高校を卒業すると僕は5月のはじめに家を出て、ナンバと共同生活を始めた。それから後に我々は或る政治グループの同志になり、おかげで公安からひどく嫌な事をされたが、それでもナンバとの共同生活は楽しい毎日だった。
 我々は元々、特に「気の合う仲間」でもなければ「同じ志を抱いている仲間」でもなかった。そんな二人が政治グループの同志になったのはちょっとしたきっかけがあった。
 まだお互いのおならも一度も耳にしたことがない頃で、天気のとても良いある退屈な日の事だ。
 真上を見なくとも空の様子が映しだされているビルディングの建ち並ぶ街を我々がブラブラ歩いていると、ジーンズとウィンドブレーカーを着てアポロキャップをかぶり、一見してすぐにサイズが合わないとわかる大きな黒いサングラスをした女性が前に立ち止まった。その女性の顔は僕に夏の海辺を想起させた。(たぶん大きな黒いサングラスのせいだろう)女性はとても早口に「我々は三里塚二期工事を阻止する為に闘っている者だが是非あなた方と話がしたい」と言った。我々はどうするといった感じで二人顔を見合わせたが、その女性は我々の動作にはかまわず話し始めた。今度はとてもゆっくりとした話し方だった。その女性によれば国家権力は農民の土地を不当に奪い、2500メートル滑走路の二期工事を強行しようとしているらしい。空港は軍事利用も可能かつ日米安保を強化するものだから、したがって三里塚の農民と共に同志になって我々にも闘ってほしいといったものだった。
 そして突然の話にうまく断る理由がみつからなく我々は頷かざるをえなかった。女性は辺りを見回してから彼女の指定した喫茶店へ30分後に自分も行く、と言ってしまうと違う歩行者の方へ歩み寄り我々にした時と同じように声を掛けた。
 女性は時間どうりにやってきた。しかし我々のテーブルに腰を降ろす迄まったく気付かなかった。女性はサングラスを外していたしウィンドブレーカーも脱いでいたからだ。青いジーンズにキリンのプリントの入ったベージュのシャツといった格好だった。
「やぁ、お待たせ」と席に着くなりラジオ番組のD・Jの挨拶みたいに言った。
 サングラスと帽子をとった彼女の顔は意外なことに老けており、目尻によった深い皺は僕に浦島太郎の昔話を思い出させた。彼女は二期決戦の話をし、僕は浦島太郎の話をずっと心の中で話した。
 そんなわけで我々は熱烈なオルグによってマルクス主義の洗礼を受け革命的な同志になり、共通な課題も出来て気心が知れた親友ともなった。
「俺達はもう親友だ」とナンバはアパートに帰ると興奮して僕に言った。「革命こそが全てを団結させる」
「団結してまず何をしようか?」と僕はよく冷えたビールを冷蔵庫から2本取り出して訊いてみた。
 まず始めに我々がした事は玄関を入った正面にチェ・ゲバラの写真を張り、部屋には粗末な紙に革命的なスローガンを書いて何枚も貼った事だった。暫くそれらをビールを飲みながら満足気に眺め、ナンバは「まだ足りない!」と言ってセックスピストルズのレコードをBGMにかけた。そうして我々の楽しい生活が始まった。
 我々は大抵の日は『ドイツイデオロギー』、『なにをなすべきか』、『資本論』を論じあい、夜が明けた時には24時間営業の牛丼屋へ行って大盛り2杯を食べてから眠った。
 僕もナンバも19歳の時だ。パワフルでタイトでハードな19歳だ。見方によれば19歳に相応しい生活だったと思う。少なくとも中古のマークⅡに乗って、女の子と喫茶店に入って明石家さんまのネタの真似をして笑わす日常よりはずっとまともな生活だった。
 でも僕が21歳になった翌月のある蒸し暑い夜にベランダの縁台に腰掛けていると、ナンバも隣に座り「我々の生活に区切りを付けよう」と言い出した。少し考えてから僕はナンバの意見に頷いた。頷けない理由もみつからなかったからだ。
「それで一体これからどうする?」
「・・・・・・、大学に行くよ」ナンバは遠くの家の灯りを見つめながら言った。
 僕はそれについて何も言わなかった。
「来年俺は一人で生活するけどお前はどうする?」
「さぁわからないな」僕は指を一本一本眺めながら言った。本当にわからないのだ。
「彼女(今の妻)とはどうするんだ?」
「まだ決めてない、色々と悩みがある」
「そうか」ナンバは大きく溜息をついて言った。
「何故、大学になんか行く?」僕はナンバの顔を見ながら言った。ナンバはポケットから煙草を取り出して火を点けた。僕はそう言ってからこんな事は言うべきでなかったと思った。
「寂しく思うのか?」
「正直言って少しね」と僕は言った。
 二人は黙り込んだ。辺りのエアコンのモータの唸る音がいくつも重なり合い、まるで何万もの虫が鳴いているように重く響き続けた。アパートの前の道路を2台の車が氷の上を滑べるように音もなく通り、そして闇の中に消えていった。こんな時間に(午前2時だった)何故車が走っているのか考えてみたがそんなこと僕が思ってみたところでどうしようもないので考えるのを止めた。時折何処からか遠くで犬の啼き声が聞こえたりした。ナンバは言葉につまったのか、3分の1程まだ残っていた煙草を足で揉み消し、立て続けに2本目の煙草に火を点けた。言葉がうまく出てこない時にいつもそうするのだ。僕はナンバが何か言うまで待った。そして喉がとても渇いている事に気付きビールが飲みたくなった。
「ビールを飲まないか?」と偶然かナンバが言った。僕は頷いた。
 ナンバは煙草を咥(くわ)えたまま台所に行って栓を抜きグラスと一緒に持ってきた。
「1本しかなかった。お前にやるよ」
「いいさ、二人で頒けて飲めば。いつだってそうしてきたじゃぁないか」
 ナンバは頷き自分のグラスにも注いでしまうと、かつて僕が聞いた事のない類の小さな溜息をつき、一気に飲み干した。
「俺たちの生活は不毛だと思わないか?」とナンバが言った。
「ふもう?」
「そう、不毛だ。だって俺達二人揃って何が出来たというんだ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「集会に行って、デモをして、機動隊を殴ったりまた俺達が殴られたり、古本屋に持って行っても絶対に買い取ってもらえない本を読みあさったり、アジトでビラの整理をしたり、公安にひどい事されるし、それから・・・・・・」
 ナンバは荒くなっていた呼吸を抑えるかのように下唇を噛んだ。
「それから・・・・・・、すまん、言い過ぎたよ。気を悪くしたか?」
 僕はグラスの底に少しばかり残っていたビールを胃に流し込んだ。
「いいよ、言いたい事を腹にしまい込むのはあまり良くない」
「そうだな。要するに、はっきり言ってしまえば俺達ただ息をしていただけでこれからもたぶん・・・・・・」
「たぶんなんだよ?」
 ナンバはそれから一言も口を開く事無くずっと遠くの闇を眺め続けた。僕は瓶に残っていたビールをナンバのグラスに注ぎ少し迷ってから肩を軽くたたいた。
「大学に行って色々学んでくれ」


 時計は3時をいつの間にか音もなく指し、僕は蒲団を敷いて横になり、いつまでもまわり続ける針をぼんやり眺めた。
(VOL12に続く)




   詩五篇 歌詞三篇

          文(ムン) 重(ヂュン) 烈(ニョル)

 마산의 처녀들

시골에서는 할일이 없어
농사를 지어도 먹고 살 수가 없어
식구들 먹여 살리자고
동생들 학교라도 보내자고
메마른 먼지길에 눈물 훔치며
보따리 하나 들고 떠나온 처녀들

나라의 보살피미 없는 애들이라
人間市場에 뿔뿔이 흩어져
몇 푼 돈에 모든걸 팔아야 했다
잠잘 시간을 빼앗겼고
일요일의 休息도 잃어버렸고
변소에 갈 時間도 걱정해야 했다

自由都市・馬山에서는
病들면 일자리를 쫓겨나야 했고
不満을 품은 사람 그만두라 했고
労働組合 꾸미려다 監獄에 끌리었고
목숨마저 빼앗긴 아씨들도 있었다
馬山은 倭人들의 地上楽園이였다

金銭万能의 倭人들에 묻노라
부려먹을 대로 부려먹고 나서
한 신짝 버리듯 던져 버리고
새로 宝物섬 착아 가려는가
당신들 정말로 너무 합니다







馬山の乙女たち

田舎では仕事もなく
農作業しても 暮らしはたたず
家族たち 食べさせてやろうと
弟たち 学校に入れてやろうと
ひからびた埃の道に 涙ぬぐい
風呂敷包みひとつ持って 発(た)ってきた乙女たち

くにの守護もない子どもたちだから
人間市場に ばらばら 散って
はした金(がね)で すべてのもの売らなければならなかった
眠る時間 うばわれて
日曜日の休息も失ってしまい
便所へ行く時間さえ 気にしなくてはならなかった

自由都市・馬山では
病気になれば 仕事場を追われなくてはならなかった
不満をいだく者 辞めろと言われ
労働組合つくろうとして 監獄にひっぱられた
いのちさえ奪われた 娘もいた
馬山は 日本野郎どもの地上楽園だった

金がすべての日本野郎どもに 訊ねようではないか
こき使うだけ こき使って
古い履き物 捨てるように 投げ捨て
あらためて 宝島さがしに行くのか
あんたたち ほんとうに あんまりですよ

옛날의 日本軍隊 땅을 넓히려
총칼로 우리 겨레 짓누르더니
오늘의 商事軍団 会社 넓히려
돈으로 우리 겨레 농락하는가
당신들과 우리는 무슨 연고로
代를 이어 원수지고 살아야 하는가


  遺 伝(1)
옛날도 머언 옛날
무서운 짐승들 뛰여다닐 때
우리 선조들 아직 미련해서
무서운 것들 쫓아내 줄
힘센 귀신 나타나기를 빌었다

先祖들 믿음직한 하나 골라
그가 바라는 건 다 해주고
예쁜 처녀들 데려다 바치고
金・銀보 화도 무기도 갖다주어
만능의 鬼神을 길러내였다

万能의 귀신 제 몸만 사랑하고
우리 先祖들은 버림을 받았다
先祖들 억울하여 귀신을 바꾸어도
몇 번이고 몇 번이고 속아 넘어갔다
조선의 귀신은 무섭기만 했다

先祖들 귀신 없이 살려고도 했지만
우리 겨레 너무나 성급해선가
무르익는 가을 기다리지 못해
여름의 풋것 따먹으려 다투다가
더 무서운 귀신한테 속아 넘어갔다

미련한 피 물러받은 우리 땅 한 편에는
옛날처럼 귀신을 모시고 산다
昔の日本軍隊 土地を広げようと
銃剣で わが民族 抑えつけたが
今の商事軍団 会社 広げようと
金で わが民族まるめこむのか
あなたがたとわたしたち なんの因果で
代をかさねて 仇になって生きねばならないのか
              (訳・磯貝治良)

  遺 伝(1)
昔も昔
おそろしいけものたちが 跳びはねていた頃
わたしたちの祖先は まだ愚かで
おそろしいもの 追い払ってくれる
力強い鬼神 現われるのを祈った

先祖たちは 信じられる人ひとり 選び
彼が願うことみな してやって
かわいい乙女たち 連れてきて捧げ
金銀財宝 武器も 取り揃えて与え
万能の鬼神を 育てあげた

万能の鬼神 わが身だけ 愛して
わたしたちの先祖たちは 見棄てられた
いまいましくて 先祖たちが鬼神 代えても
何度も 何度も だまされた
先祖の鬼神 おそろしいことばかりした

先祖たち 鬼神なしに生きようとしたけれど
わが民族 あまりに短気すぎるのか
実熟れる秋も待てず
夏の青い実 取って食べようと争い
もっと おそろしい鬼神に だまされた

愚かな血 受けついだ わが地の一方は
昔のように 鬼神に仕えて 暮らす
그의 비위에 거슬리지 않도록
조심조심 눈치보교 살아가고 있다
노예의 비굴이 아직도 남아 있다


  遺 伝(2)
우리 先祖들 하도 못 살아
귀신 앞에서 빌고 빌었다
바라는 것 제 때에 쏟아지는
요술망치 하나 갖다 달라고
날마다 빌면서 살아왔더라

세상에 새로 鬼神이 나타나
그것만 가지면 못할 일 없는
황금이란 만능의 귀신이 나타나
야심가들하고 손을 맞잡고
지난 날의 귀신들 몰아내더라

黄金神의 혜택을 받아보려고
손이발이되로록 빌고 빌다가
선조들 그것은 받지 못했고
황금신의 노예로 허덕이다가
恨많은 세상을 떠나셨더라

자손들 미련한 피 물러받아선가
조상들의 원풀이 하련 셈인가
황금신의 힘으로 王노릇 하려는가
도둑질도 크게하면 英雄이라고
욕망의 함장에서 몸부림친다

열매만을 탐내는 오늘날이라
먹지 못한 꽃은 짓밟고 간다
先祖들 귀신 앞에 빌다 죽었고
子孫들 황금신 믿다가 망하련가
미련한 遺伝子는 언제까지 이어지나
彼の気に入るように
顔色うかがって 用心しいしい 暮らしている
奴隷の卑屈さ いまも残っている
             (訳・磯貝治良)

  遺 伝(2)
わが先祖たち とても 暮しが立たず
鬼神の前で 祈りに祈った
願いごと いつでもかなうように
打出の小槌 ひとつ 持って来てくれと
日ごと 祈りながら 暮してきたんだよ

世の中に 鬼神 あらたに現われ出て
それさえ持てば 出来ぬことはない
黄金という万能の鬼神 現われ出て
野心家どもと 手を握り
過ぎし日の鬼神ども 追い出したんだよ

黄金のめぐみを受けてみようと
手を足のようにへっつくばって 祈っても
先祖たちは 黄金のめぐみ 受けられず
黄金神の奴隷となって あえいでも
恨(ハン) たくさん抱いたまま 死んでいったんだよ

子孫たち 愚かな血 受けついだからなのか
先祖たちの怨み 晴らそうとしたのか
黄金神の力で 王になろうとでもしたのか
泥棒も 大きいことすれば英雄だ と
欲の落し穴で 身もだえする

果実だけ欲しがる 今日この頃
食べられない花は 踏みにじって行く
先祖たち 鬼神の前で 祈って死に
子孫たち 黄金神を信じて 滅びようとするのか
愚かな遺伝子は いつまで継(つ)がれるのか


조선의 三月
시내물 졸졸졸 흐러내리고
새 싹들 옹곳쫑곳 솟아날 무렵
할머니는 해마다 눈물 머금었다오
삼월의 만세소리 따라갔다가
돌아오지 않았던 아들 생각에

행적없이 살아진 아들 생각에
할머니 주름살에 눈물 맺힐 때
옛날의 원한이 새로와지고
三月이 올 때마다 어린 손자들
원수를 갚으자고 맹세했다오

쓰라린 지난 날은 잊으려 해도
가해자가 잘못을 뉘우치지기는 커녕
허공에 우월탑을 높이 세울 때
가슴에 멍든 상처 다시 아파서
봄이 와도 마음속 풀리지 않았다오


 일꾼개미
쉴새 없이 일만 하는 일꾼개미는
왠 일인지 눈이 안보인데요
왕개미의 바늘에 찔려서인가
일꾼개미는 눈이 안보인데요

눈동자 잃어버린 奴隷개미는
왕개미 말씀대로 정성껏 살면
복이 찾아 온다고 믿고 있는지
밤낮을 가리잖고 일만 한데요

하나만을 믿고 산 나의 청춘은
(訳・磯貝治良)

 朝鮮の三月
小川のせせらぎサラサラ流れ落ち
新芽ニョキニョキ吹き出るころ
毎年ばあちゃん 涙浮かべてた
三月の万歳(マンセー)に誘われて行って
それっきり帰らぬ息子を思って

行方の知れぬ息子を思い
ばあちゃん涙でしわぬらす時
昔の恨みがよみがえり
三月になれば孫たちは
かたきを打とうと誓いました。

辛い想い出消そうとしても
加害者は過ちを省みることなく
虚ろな優越の塔積みあげる時
心の古傷またうずきます
春にも心は和みません。
           (訳・文 重烈)

 働きアリ
休むこと知らぬ 働きアリは
なぜかおめめが見えぬという
女王の針に刺されてか
働きアリは目が見えぬという

ひとみを失(な)くした奴隷アリは
女王のことばさえ聞いていれば
幸せ来ると信じてか
昼夜別なくただ働くという

一つだけを信じた我が青春は
세상을 보지못한 장님이였소
남의 듣지못한 귀머거리였소
눈동자 잃어버린 노예개미처럼


 첫사랑
(一)그대를 처음 만나 이 마음 설레였고
  그대를 볼 때마다 이 가슴 두근거려
  그대가 걷는 거리 숨가삐 달려가면
  그대는 낯을 붉혀 모른채 지나갔지
  그대의 뒷모습이 선녀처럼 아름다워
  그대가 사라진 뒤 허공만 처다봤지
  
(二)내 마음 전하려고 밤 새워 작은 글발
  찢었다 다시 쓰고 썼다가 다시 찢고
  편지를 보낸 뒤에 후회의 기나긴 밤
  괴로운 나날들이 지금은 그리워요
  하도나 보고파서 만나면 할말 없어
  어물어물 망서리다 안타까이 헤여졌지
    
(三)그대가 떠나간 뒤 원망도 했다라오
  오가는 바람결에 그대 소문 들려왔소
  만나고 싶은 마음 누를 길 없었건만
  내 어이 안갔는지 그대여 아시는가
  세파에 횝쓸리여 그 마음 변했을 때
  선녀의 아름다움 깨여질가 두려웠소
 

 기다려 사십년
(一)삼년이면 오겠다고 맹세한 그대여
  어이하여 못오시나 오지를 않아요
  그리워 이십년 원망해 이십년
  눈물에 씨겨선가 거믄 머리 희여졌소
  아・・・・・・
世間が見えぬ盲人でした
声を聞けぬ聾唖でした
ひとみを失くしたアリのように
         (訳・文 重烈)

 初 恋
(一)あなたに初めて会って この心どきどきし
  あなたを見るたび この胸どきどきし
  あなたが歩く街 息切らせて駆ければ
  あなたは顔あからめ 知らぬふりで通りすぎた
  そのうしろ姿が 天女のようにうるわしく
  あなたが去ったあと 虚空ばかり見上げた
  
(二)この心 伝えようと 夜(よ)を明かし書いた文(ふみ)
  裂いてはまた書き 書いてはまた破り
  手紙送ったあと 長い後悔の夜
  苦しかった過ぎし日々が いまはなつかしい
  とても会いたくて 会えば言う言葉もなく
  ぐずぐずためらっては やるせなく別れた

(三)あなたが立ち去ったあと 怨みもしたんです
  風の便りにも 噂きこえてきた
  会いたい心 抑えるすべもないのに
  なんで行かなかったか あなたご存じだろうか
  世間に流され 心変わりしたときに
  天女の美しさ こわれるの怖かった
              (訳・磯貝治良)

 待つこと四十年
(一)三年すれば来ると誓ったあなたよ
  どうしていらっしゃれないの 来ないのです
  恋い慕って二十年 怨んでまた二十年
  涙にあらわれ 黒い髪 白くなった
  あ・・・・・・
  그누가 우리를 갈라놓았습니까
  그 무엇이 우리 앞길 가로막았습니까
  
(二)뜨거운 입김으로 속삭이던 그대여
  그 말을 굳이 믿고 기다려 반평생
  희망의 이십년 속아서 이십년
  차라리 못온다면 죽기라도 했을것을
  아・・・・・・
  사랑은 믿은 것이 좌란 말입니까
  잊지 못한 한 마음을 꾸짖어야 합니까
  

 민들레
(一)바람에 흩날리여 고향땅 떠나
  산 넘어 바다 건너 낯선 땅에서
  끈끈히 살아가는 민들레꽃은
  내 가장 사랑하는 꽃이랍니다

(二)길가에 짓밟혀도 시들지 않고
  매마른 땅에서도 피는 민들레
  씩씩한 어머님의 마음 같아서
  내 가장 사랑하는 꽃이랍니다
  












  誰が わたしたちを引き離したのですか
  何が わたしたちの行く手に立ちふさがったのですか

(二)熱い息吹で 囁いていたあなたよ
  その言葉をかたく信じ 待って半生
  希望いだき二十年 だまされてまた二十年
  来られないなら いっそ死んでしまったものを
  あ・・・・・・
  愛を信じるのが 罪だと言うのですか
  忘れえぬ一つの心を 責めねばならないのですか
              (訳・磯貝治良)

たんぽぽ
(一)風に吹き散って 故郷を離れ
 山超え 海渡り 見知らぬ土地で
 ねばりづよく生きる たんぽぽは
 もっとも愛する花なのです
 
(二)道端で踏まれても 枯れないで
 痩せかわいた土地でも咲くたんぽぽ
 たくましいお母さんの心のようで
 もっとも愛する花なのです
             (訳・磯貝治良)
 




     本川橋の碑
          加(か) 端(ばた) 忠(ただ) 和(かず)

ヒロシマと同じ年の私
はじめての広島だった
何十年、草木も生えないと言われたこの街に
樹々(きぎ)が眩(まばゆ)く
あの日よりも多くの人々が住む広島
地獄絵の叫(さけ)びも原爆資料館の中からしか聞こえてこなかった
「ミズ、물(ムル)(水)を」
無数の人々が水を求めて逝(い)ったこの川を
四十五年の月日が風化させたのか
この人達の怒りやかなしみが聞こえぬのか
その名も「ルンルン号」の遊覧船が巡る
アジアの国々から非難されながらも「靖国神社公式参拝」を強行、「我国は単一民族国家」と公言した、改憲論者の元首相の句碑が建つ平和公園
翻(ひるが)える日の丸
向う岸の本川橋の袂(たもと)からこちらを見ている碑
前日、焼肉屋の아(ア)주(ジュ)머(モ)니(ニ)(おばさん)が「私達のとこにも行ってきてよ」と言った、彼女達の国の異国の焦土に帰した二万人もの「韓国人被爆犠牲者の碑」だ
これだけどうして、こんな所に在(あ)るの
その人達が「チョーセンジン」だったから
「ノーモア、ヒロシマ」と世界に叫(さけ)んだ、その広島の人達が「ヒ・ロ・シ・マ・市・民」でなかったから
いま、平和公園に移転を求める再三、再四の声
でも、ずっとここに在ってヒロシマとは 戦争とは
私達日本人とは何か問いつづけて!
ここに在(あ)ってこそ意義があるのだから
ずっとずっとここに
平和公園をじっと見ている






 羽山先生が怒(いか)る
磯(いそ) 貝(がい) 治(じ) 良(ろう)

 響きわたる怒声が、天井から私の頭めがけて降りかかってきた。それで目を覚ましたはずなのに、羽山事務所の静かさは、まどろむまえと変っていない。
 室内のゆったりとした空間をたのしむように、豪勢なソファにも、重厚なマホガニー卓子にも、椅子にも、書棚にも、寂とした気配が漂っている。
 正面の壁で破顔大笑する羽山英雄の写真さえ、邪気なく、殺気の影すら感じられない。私は一時間近くも待たされたすえに、その立派な額縁のなかの写真を眺めているうち、居眠りしてしまったのだ。
 男の怒声ときこえたのは、錯覚だったか。ふたたび睡魔の心地よい誘いがよみがえってきたとたん、怒声はさらに凄みをおびて、二階の羽山商会からきこえた。怒声にまじって、踏み鳴らす靴音が乱れ、黒革のジャンパーを着た長身の男が、階段に現われた。男は顔面を蒼白にし、階段を踏みはずしそうに、よろめく足取りで下りてくる。怒声の男に背を小突かれているからだ。小柄な怒声男の頭は、階段を一段上にいるのに、革ジャン男の頭とほぼ同じ位置にあった。
 安本支配人だ。支配人は、ほとんど蹴飛ばすいきおいで革ジャン男を外へ突き出した。その瞬間に男が落したサングラスを、安本支配人は靴底で踏み潰した。
「ラマーンの阿呆、なめた真似しやがって」
 安本支配人が吐きすてて二階へもどろうとするのに、私は声をかけた。
「安本さん、相変らず繁盛で」
「よォ、桐山先生。来とったのか」支配人は私を振り返るなり、まくしたてる、「奴(やつ)がラマーンの小森。フィリピン娘に客をとらせてあこぎに稼いどるくせに、返すものも返さん。あの殊勝な顔、見たかね。奴のてだ」
 金融関係のいざこざなどに、私は関心ない。
「羽山先生の時間音痴には参ったよ」
 私が愚痴のひとつも言おうとしたのに、安本支配人は素早い身のこなしで階段を駆け上がってしまった。
 相手が羽山先生では、じたばたしても始まらない。私はソファに深く体を沈めて気永に待つことにした。時間に急(せ)かされる身でもなし、これも羽山英雄から支給される過分な手当のうち。昨夜の酒疲れをいやすには、もってこいだ。それにしても、このソファ、眠り仕掛けでも設(しつら)えてあるのだろうか。
 あー、もしもし。
 桐山君か。もしもしじゃない。ワシだ。
 あー、鷲さん。うん、桐山です。
 ワシさんじゃない、羽山だ。
 はいッ、羽山先生。
 なにをぼけとるんだ。鎮魂碑建立の件はどうなっとる? 一か月も報告がないぞ。
 まずまず順調に。
 まずまず? ぼやぼやするな。満帆(まんぱん)順調、至極快調で進まんか。
 はい、早速、報告に。午後一時、事務所のほうへ・・・・・・
 夢とも現(うつつ)ともつかない意識の隙間から、羽山英雄の声が鳴り響く。受話器が置かれた瞬間の激しい音がよみがえる。けさ、眠りを破られたときの不快感が、後頭部のあたりにねばついている。
 羽山先生が業を煮やすのも無理はない。旧楢(なら)島(しま)航空機朝鮮人犠牲者鎮魂碑建立委員会の事務局長として、私は十全に役割をはたしていない。
 昨年の秋、朝鮮人半田空襲犠牲者鎮魂祭が催された折、私は、その実行委員会事務局長の役職を委員長・羽山英雄から命ぜられて、四苦八苦、難職を切り抜けた。その後、鎮魂祭実行委員会が鎮魂碑建立委員会に衣替えすると、その委員長である羽山英雄から、またしても事務局長の職務を命ぜられてしまった。
 賣れない小説書きの私にとって、羽山事務所から支給される生活費および活動資金は、涙がこぼれるほど嬉しい。日当一万円の日雇現場で働く必要もない。日当八千円で道路に立って、寒風の日も熱暑の日も雨の日も、交通誘導の旗を振る必要はない。ここ三か月ほどの暮らしは優雅だ。
 とはいえ、優雅と難行は紙一重。事務局長の職柄は、やっぱり性(しょう)に合わない。実行委員会を実質上、運営する市の職員との打ち合わせ、旧楢島航空機関係者との折衝、鎮魂碑を建てる土地の確保、有力者にたいする寄附の要請、市民への宣伝、それらのための文書作成、印刷物の発注、委員長・委員(助役、市会議長、学者、弁護士、商工会議所理事)への報告。どれもこれも、苦手でないものはない。そこで畢竟(ひっきょう)、事務局次長の市民課長と事務局担当の課員に、アナタまかせ。
 おれが、もっぱら、心うばわれていることといえば・・・・・・
 あんたが、気をうばわれていることといえば、つまらん詩まがいをつくることかね。
 夢とも現(うつつ)ともつかず、そんな声がきこえて、誰かがどこかで詩らしきものを読んでいる。

  知多半島ののどくび 楢島飛行場の建設現場
  一九四四年十一月、朝鮮半島の北辺の地 興(フン)南(ナム)や端(タン)川(チョン)から連行されてきた 若者たち
  日も昇らない 午前五時
 「起床」と起こされ、麦八分米二分のめし一杯だけ与えられ
  棒で追われ 罵られ
  日が沈むまで
  血を吐くまで 働かされた人びと
 「起床」と呼ばれても 棒でつつかれても
  起きてこないものは
  栄養失調で チブスで
  腹だけふくらんで 死んでいた
  一九四五年七月二十四日
  B29の空爆で 死んだ人びとは
  手と足 首と胴 バラバラになり
  死んでいった
  四十八名の爆死者たちは
  解放の日を目のまえにして 死んでいった

  幾世代 黙々と働き
  黙々と死んでいった人びと
  抗(あらが)い 叫んで 消された人びと
  血の重さ 波立つ 歴史の重さ

  来るときには
  目もくらむほど遠かった玄海灘
  また 帰るにも遠い玄海灘
  蝶さえ 渡る 海なのに

桐山さん、日本人のあんたが、いくら、そんな詩つくっても、わしら、心の底の恨(ハン)は解(と)けんよ。いくら、そんな詩うたってくれても、コヒャンへ帰れんよ。四十六年も消息きこえん故郷へ、帰れんよ。酒まで持参して、せっせとわしの話きいて、それで、どうなるもんか。見失った歳月が帰って来るかね。
 あれ? 朴さんが喋ってる。朴さんの声にちがいない。朴龍寿さん、六十八歳。十九歳のとき、咸鏡南道端川郡端川邑の田舎から、徴用工として連行され、旧楢島航空機地下工場の建設現場で働かされた生き証人。天涯孤独、体を痛めて日雇労働もできなくなり、生活保護で暮らしている朴龍寿さん。
 何度目だったか、一升瓶さげて訪ねていったとき、突然、私を見すえて迫った言葉そのままに、朴さんが喋っている。
 わしの目が黒いうちに、カネは出るのかね。賠償とか、謝罪とか、さわいどるが、わしらにカネを出すのかね、倭(ウェ)奴(ノム)の偉(えら)方は。コヒャン、失ない、歳月、ふみにじられ、仇の土に骨うずめる、わしらの値段を、いったい、どうソロバンはじくというのか。
 酒の酔いに乱れていく、あのときの喋り方のままに、朴さんの声がきこえる。
 馬鹿に、するな!
 不意に、怒声が私の脳天を打った。おや? 朴さんの声ではないぞ。
「馬鹿にするな。ラマーンの店をまるごといただくんだ」
 耳をつんざく生なましい声で、私は目を覚ました。
 マホガニー卓子のむこうに、羽山先生が巨躯を据えて、安本支配人を睨みすえている。その面貌は、壁の額縁で破顔一笑している人物とは似ても似つかない。
「ラマーンをひねりつぶすくらい、朝めしのまえです」安本支配人の物言いは鄭重だが、態度に悪びれた様子はない、「しかし先生、いま大切な時期です。波立てないほうがいいでしょう」
「大切な時期?」
「国会の解散は、おそくても秋に、というのが聞(ぶん)屋(や)筋の観測で」
「ラマーンの店をひねると、どんな波が立つのか」
「ラマーンの小森は花木の筋です。花木は近頃、黒野忠義の陣営に通じとるようで」
 羽山先生は野球のグラブのように大きな手を、面倒くさそうにひと振りして言った。
「安本支配人、まかせた」
 安本支配人は返事もせずに部屋を出ていった。否応なく、私の出番だ。重たく沈み込んだ気分を四肢ごとソファから引き剥がすと、私はそいつをマホガニー卓子のまえまで運んでいった。強烈な一喝は覚悟の上だ。
 羽山先生は、派手なチェック模様のネクタイをゆるめながら、怪訝そうな視線を私にむける。お前は、なぜ、おれのまえにおるのか? 羽山先生の鋭い目は、そんな一種、実存的な問いを突きつけているようでもある。
「時の歩みは、たしかに、人間の能力を超えているようで。報告、おくれてすみません」
「桐山さん、文学青年の真似はやめとけ。用件だけ言ってくれ」
 羽山先生はそう言いながら背広を脱ぐ。いつも三つ揃いのスーツをテレビドラマの二枚目刑事のように決めている羽山先生が、ネクタイをゆるめたり、上衣を脱いだりするのは、かんばしくない兆候だ。
「鎮魂碑建立の予定は光復節、八月十五日です」
 なんだ、そのことか、と言うふうに、羽山先生はそっぽを向いた。けさの電話は、夢だったのだろうか。
「いしぶみの揮(き)毫(ごう)は、ソウルの有名な先生に依頼済みで」
「市民課長が直接、ソウルへ行って承諾を得てきたそうだな。桐山さん、事務局長のあんたが同行しなかったのは、なぜか」
「韓国語ができませんので」
「市民課長は、朝鮮語、できるのか」
 羽山先生はそっぽを向いたまま言った。
 私が二の句をつげられずにいると、羽山先生は不意にこちらに顔をむけた。
「きょうから一か月、ラマーンを張ってくれ」警察とは犬猿の仲のはずの羽山先生は、なぜか、ときどきポリス語を話す、「夜八時から閉店まで。あくまでも客として店にいてくれ。軍資金ははずむ」
 事情をのみこめずにいる私の鈍感さに、羽山先生は苛立ってくる。
「安本支配人の目付け役だ。あれは、頭にくると見境もないことをする」
「安本さんは大丈夫でしょう。先生をたしなめていたくらいだから」
「だから、心配なんだ。あれの言うこと、することは、逆だとおもえば間違いない」
 私の返事も待たず、羽山先生は卓子のうえの受話器を取った。二階の安本支配人に、五十万円持ってくるよう、告げている。


 原色のレーザー光線が、広いフロアーを四方八方から乱射している。年代不詳の地獄絵図だ・・・・・・赤提灯派の私は、四日前、はじめてラマーンを訪れたとき、めくるめくイリュミネーション・ライトを浴びて乱舞する男たち女たちの情景を見て、思ったものだ。
 セピア色の驚きも、二日目にはたちまち消え失せた。ロックの凄まじい喧騒に半端な酩酊気分を引っ掻き廻されながら、私はいま、三人連れの客に気をとられている。私のボックスから左側斜(はす)向(む)かいの壁際。私が羽山先生の命令で張り込みをはじめた夜から、彼らは毎日、同じ席にいる。陣取っている、という感じはない。年代不詳の地獄絵図にも登場せず、ボトルの減り具合だけが気がかりといった風情で、ほとんど言葉も交さない。緊張さえしている感じ。さては無銭飲食か。最初の夜、私は疑ったくらいだ。
 ところが、この三人組、揃いも揃って風貌も体つきもなかなか屈強だ。水割りのグラスを握る手は、まぎれもなく労働者諸君のもの。ことに中心的存在と見える男の手は、思わず目をうばわれるほどの頑強さだ。泥土の臭いが鼻をついてきそうな身なりは、土木工事の現場から、忽然、絢爛の異界へまぎれこんだともみえる。
 張り込みの目当てである安本支配人の動きは、四日の間、微塵も感じられない。そのかわり、ラマーンというこの店、胡散臭いにおいがぷんぷんと臭う。探偵物とはまるで縁のない私でさえ、そのにおいには即座に気づいた。十四、五人はいるだろうか、東南アジアから来たにちがいない女たち。十五、六歳の少女の姿も目立つ。彼女たちがひっきりなしに客と連れ立って姿を消す。一時間ほどすると、娘は衣裳に疲憊の影をまつわらせて現われ、客は表情に淫猥の名残を漂わせてもどってくる。そういえば、ラマーン(当時は別の名前だったらしいが)を経営する小森ら一味が、賣春防止法と労働基準法違反で挙げられたのは一年ほど前。店の看板だけを取っ換えてラマーンをオープンしたのは、数か月前だ。
 とすると、あの三人組は変装した刑事か? それにしては、変装ぶりが周囲に違和感をあたえすぎる。それに、あの拳銃を握るには大きすぎる分厚い手。
 私は、意に反して探偵気分になっている自分に気づく。酔いのせいか。
 ロックの喧騒がひときわ爆発して、ピタリと止んだ。イリュミネーション・ライトだけが乱れ飛び、閉店を告げるアナウンス。私は立ち上がった。三人組の動作に合わせて。
 三人組を尾行するタイミングで、彼らのあとから会計をすます。一万圓札二枚を払い、四五〇円の釣銭を受け取るのに手間取ったが、店を出たとき、三人組は二〇メートルほど先にいた。ネオンの消えた裏通りで、一列横隊に肩を並べ、立ち小便をしている。距離を置いて、私も立ち小便をする。私のそれが済んでも、三人組のうち中心人物らしき男の放尿は続いている。手の大きさにふさわしく巨根の持ち主なのか。
 ながい放尿を終えて、男たちはジャンパ-やら作業服やらのポケットに両手をつっこみ、背をまるめて歩き出す。数十メートルと行かないうちに、三人組の姿が裏通りから消えた。闇のなかにぼんやり浮かんでいるおとなのおもちゃの店。その角から路地へ曲がった瞬間、ひとの体にぶつかり、左右から腕を摑まれた。
「ほぉ、あんた何者だ」
 と、正面に立ちはだかった中心人物。意外な待ち伏せに、私はうろたえる。
「曲者(くせもの)じゃないよ。ふつうの市民」
屈強な風貌なのに妙に間伸びして垂れさがった男の眉毛をみて、私は少し安心する。
「ふつうの市民が、なんでおれたちを尾行する」
「理由を聞かれても、困る。ただの出来心・・・・・・」
 私は心底、返答に窮している。
「おまえ、ラマーンでもおれたちの様子うかがっとったろ」
 私の右腕に激痛がはしった。腕を摑んでいる男が、言葉と同時に握力をつよめたのだ。顔の三分の二がマルクス鬚でおおわれたこの男、上背は私の鼻先ほどなのに、肩幅が異様に広い。
 出会いがしらに私の左腕をつかんだ野球帽の男は、路地の角からラマーンのほうを窺っている。
「私服か」と、垂れ眉毛の男。
「まさか。あんたたちこそ・・・・・・」
 垂れ眉毛とマルクス鬚は、顔を見合わせて笑う。意外と邪気のない笑い。
「ほぉ、ポリ公とは不倶戴天の敵」垂れ眉毛の男が笑いを噛み殺す風に言う、「れっきとした日雇労働者」
「なら、私と同志だ。じつは、ラマーンには警察が出入りしている。客を装って。ただし、内偵のためではない。支配人の小森は、連中にフィリピンの娘をあてがって、賣春の接待をしている。私の目的は、その真相をつかんで、週刊誌に書くこと」
 私は、安本支配人から聞きかじった情報を喋る。週刊誌云々は勿論、出鱈目だ。
「あんた、トップ屋か」と、垂れ眉毛男。
「本意ではない。賣れない小説書きの、哀しい業」
「ほぉ、おれたちは手を結べるかもしれん」
 垂れ眉毛男がそう言ったとたん、私の右腕に激痛がはしった。マルクス男が、委員長、油断は禁物、とたしなめると同時に握力をこめたのだ。
「出て来たぞ!」
 突然、裏通りを窺っていた野球帽の男が叫んだ。
 三人組は、路地を表通りのほうへと駆け出した。何か、始まるぞ。私は直感し、彼らのあとを追った。
 表通りに、街路灯に照らされてポンコツのワゴン車が止まっていた。三人組が乗り込んだとき、私の上半身も後部座席に滑り込んでいた。マルクス鬚が私の上半身を排除しようとする。私は渾身の力で抗う。抗いながら、ジャンパーの内ポケットから名刺を取り出し、右手で高々とかざす。左手はマルクス鬚の作業服の襟首にしがみついたまま。
 朝鮮人半田空襲犠牲者鎮魂碑建立実行委員会事務局長
 桐山二郎
 助手席の垂れ眉毛男が、名刺をライターの火で照らし、読み上げた。
 車は夜の市街を走り抜け、五分ほどで小さな公園の端に止まった。道路をへだてた反対側に、灯りを消した民家が並び、その一角にそこだけ部屋に明かりの点るアパートらしき建物がある。明かりは二階の部屋全部に点っている。三人組の目標は、その建物らしい。
 ワゴン車のなかで待つあいだ、三人の男たちを、どこか浮き立つような緊張が領した。緊張感は、私の四肢にも浸透してきた。
 一時間ほどすると、部屋の明かりが申し合わせたように消えた。間もなく、アパートの外郭にしつらえられた軽量鉄骨の階段を、男が二人、降りてきた。通りでタクシーを拾うと、二人の姿は消えた。
 運転席の野球帽と私を残して、垂れ眉毛男とマルクス鬚はワゴン車を出、脱兎のごとく通りを突っ切った。二人連れの男が降りてきた階段を、垂れ眉毛とマルクス鬚が背を屈め、這い上がる姿勢で昇って行く。思わず詰めた息が全部吐き出される暇もなく、影が三つ凄まじい勢いで階段を駆け降りてきた。三つの影を、別の影が追って、階段を駆け降りる。通りをこちら側へ駆け抜けるとき、三つの影は一つになり、垂れ眉毛とマルクス鬚に両側から手を引かれているのは、パジャマ姿の少女。三人は雪崩を打つように車内へ飛び込んで来た。間髪を入れず、ワゴン車は発車した。
「驚いたなぁ。まさか見張りが残っとるとは気がつかなかったもんなぁ」
 車が走りだしてしばらくすると、マルクス鬚が浮き浮きした声で言った。
「組合事務所へ行くのか」
 運転席の野球帽が訊ねた。
「駄目だ」垂れ眉毛が応じた、「見張りのやつ、おれたちのこと知っとるようだ」
「そう、そう、叫んだぞ」と、マルクス鬚、「ササニチローのオオニシだなー」
「ほぉ、どうしよう」
「困った」
「ほぉ、困った」
 おれの出番だ。何者かが私に啓示をあたえた。
「妙案がある。駅前銀座の方向へ行って・・・・・・」
 私は野球帽に指示した。
「マリア、コマッタ」
 マルクス鬚と私のあいだに小柄な身を沈めて男たちの会話を聞いていた少女が、怯えたふうに呟いた。
「大丈夫、マリア。心配イラナイヨ」
 垂れ眉毛男が、妙なアクセントで言った。


 マリア救出劇から五日たった。私は相変らずラマーンの張り込みをつづけている。目的はあくまで安本支配人の動向。例の三人組は、勿論、姿をあらわさなくなったが、私の面は、ラマーンの連中に割れていない。
 あの夜、ポンコツ式ワゴン車は、羽山事務所をめざした。とりあえず、事務所の三階にある羽山会の道場に落ち着き、安本支配人に相談した。安本支配人はラマーン一味に一泡吹かせたことをおおいに愉快がり、羽山先生に直談判してくれた。木下女史の店にあずけるがいい。羽山先生は、意外とあっさりと私の伝言を了解してくれたという。
 例の三人組はといえば、日雇労働者の組合員とかで、その組織はアジアから日本へ働きに来た娘や労働者たちの人権問題にとりくみ、情報をキャッチしては救援運動をしている。例の救出劇もその一環で、フィリピンから来た娘たちがラマーンで賣春を強要されたり店の男たちから暴行を受けているという、客からの通報があったのだという。計画では、見張りが引き上げた隙をねらって全員の救出をはかるつもりだったが、思わぬミスのために、マリア一人を救い出すのが精一杯だった。私が垂れ眉毛男から聞いた真相は、大体、そんなところだ。
 三人組は最近、マリアが働く木下栄子女史のクラブ・リムヂンへ日参の様子だ。
「桐山さん、ですね」
 喧騒のフロアー・タイムが終って、さて、腰を据えて飲むとするか。豪気にキープしたナポレオン・コニャックに手を伸ばしたとき、私の名前を呼ぶ声がした。振り向くと、黒い革ジャンパーを着たサングラスの男が長身を屈めるようにして立っている。
 革ジャン男は、私のボックスへ接客にきたフィリッピン女性を手仕種で払うと、口もとに薄い笑いを浮かべて言った。
「マリアは元気にしていますか」
 私は驚き、その拍子に思い出した。十日ほどまえ、羽山事務所で安本支配人からこっぴどく追い出された男、小森だ。あのときの情景を目に浮かべて、私は落ち着いた。
「マリア? 何のことか」
 私はナポレオン・コニャックを味わうように口にする。
「ま、いいでしょう」小森は私の斜向かいに腰掛けると、作り声になった、「そんなことより、桐山さんの顔を拝見するのは三十数年ぶり。桐山さんは私を知らないでしょうねぇ。私はよく覚えてますよ。羽山先生やソッテさん、カンスーさん、それにクラブ・リムヂンの木下さん、そう、あの当時のエイコさん。錚々(そうそう)たる顔ぶれと一緒に、肩で風切って街を行く桐山さんの姿は、憧れだったなぁ。おれたちもいつかはあんなふうになりたい。ま、いわばチンピラ二軍のおれたち仲間は、そう思って遠くから眺めていたもんですよ。おかげで何回も警察の厄介になりましたがね、こんな店の一軒も持てる身分になりました。なつかしいなぁ。この気持、わかりますか、ジロ吉さん」
 これは、まずいな。小森の猫撫で声を聞きながら、私は思う。三十数年まえの思い出をくすぐられて、その気になりはじめている自分に気づいたからだが、それだけではない。この男、おれを懐柔して、何かを聞き出そうとしている。マリア救出劇におれが一枚噛んでいることを知っている以上、すでに相当のネタを摑んでいるにちがいない。長居は無用。逆探知するほどの自信はおれにはない。
「なつかしい話を聞かせてくれて、感謝。その話は、またの機会に聞くよ。思い出ばなしには、往往、棘があるからな」
 私は悠然という言葉を頭のなかに書きながら、立ち上がる。
 意外なことに、小森は引き止めなかった。

 クラブ・リムヂンは、この小都市では唯一の歓楽街・とんぼ小路にあった。同じく木下栄子女史が経営するラブホテル・金剛山もとんぼ小路の一角にあって、夜目にも絢爛と装飾された五階建ての偉容を屹立させている。
 私は、クラブ・リムヂンの手前でタクシーを降りた。リムヂンの前に巨大な外車が止まっていたからだが、タクシーを降りると同時に発車した外車の後部座席に二人の後姿を見て、おやッと思った。座席をおおうような男の巨躯と、隣にちんまりと掛ける華奢(きゃしゃ)な少女。
 店内にはいると、奥まった広いボックス席はほぼ満タンなのにそこだけ閑散としたカウンターで、安本支配人が一人、手持ち無沙汰に掛けている。彼の眼のまえのウィスキー・グラスは水と氷の色をしている。百戦錬磨の安本支配人も、アルコール苦手症だけは相変らずだ。
 奥まったボックスのさらに壁際の席に、噂どうり、垂れ眉毛男ら三人組がいる。私たちは目顔で挨拶する。マリアの姿は見あたらない。
「桐山さん、どんな風の吹きまわしで。まだ、ラマーンの時間のはずだが」
 隣り合せに掛けた私に、安本支配人は薄色付き眼鏡のむこうから皮肉な視線を向ける。
「ラマーンの時間? なんのことか」
「とぼけなさんな、だれかの見張り番、羽山先生の特命」
 なんだ、先刻、承知だったのか。それはそうにちがいない。鼻効き、目効きの安本支配人のことだ。
「ところで、マリアのこと、ラマーンの小森は気づいてるんじゃないかな」
「それがどうした」言うなり、安本支配人はボックス席のほうを顎でしゃくった、「ラマーンの若い者(もん)が来とるよ。あちらさんから動き出したら、そのときは勿怪(もっけ)のさいわい」
 なるほど。私はウィスキーのロック割りをぐいッと飲み、感心する。
「マリアは?」
 窓際のボックス席でわびしげに身を寄せ合っている三人組を思い、訊ねる。
「羽山先生とお食事に」
 安本支配人は、あからさまに皮肉をこめる。
 外車の二人連れは、やっぱり羽山先生とマリアだった。それにしても、羽山先生がなぜマリアを連れて食事に?
 怪訝そうな私の顔を見て、侮(あなど)るように安本支配人は言う。
「なんも知らんのか、おまえ。鈍(どん)なやつ、昔とちっとも変っとらん。羽山先生はマリアにご執心」
 安本支配人の言葉使いが、がらりと変る。水と氷にウィスキーをたらしたような水割りにさえよってくると、安本支配人の意識のなかで、二人の関係は、三十数年まえのそれに変る。
 私は慎重に訊ねる。
「それ、どういうこと?」
「そのうち、わかるさ。鈍なやつ」
 安本支配人から二度までも駄目を押されて、私は気分を害した。その場を早々に退散し、マリア救出劇以来はじめて顔を合わす三人組の席へ移る。安本支配人の動向調査のために羽山先生から与えられた軍資金で、三人組にボトル一本ふるまう。三人組と陽気に乾杯する。そんな私たちの様子を、満席の客にまぎれて窺っているパンチパーマの男二人。
 ははん、あれがラマーンの若い者(もん)か・・・・・・そう思った瞬間、二人の男は黒っぽいスーツにつつまれた無駄のない体を敏捷にひるがえし、席を立った。私は身構える。だが、彼らが足早にむかったのは出口のほう。いつの間に現われたのか、あたりを睥睨して立っている羽山先生の傍を、二人は身を屈める姿勢で去っていった。
 急に、不協和な空気が店内をおおう。羽山先生がボックス席の一つにその巨躯をどっかと据えたときには、客たちは潮でも干くようにあらかた消えていた。
「桐山サン、羽山センセ呼ンデル」
 マリアが、木下女史からの借り物かとおもわれるだぶだぶの赤いドレスをたくしあげながらやって来て、言った。
「オーニシサンタチモ、ドーゾト言ッテル」
 背後で三人組に告げるマリアの声が明るい。
 グループ客用の広いソファ席の中央に、きょうも派手なチェック柄の三つ揃いスーツを見事に着こなす羽山先生。その隣りに、羽山先生のふところにはいってしまいそうな感じの、小柄で、あどけないマリア。向かい合わせて、赤地のポロシャツに粋なブレザー・コートの安本支配人と、着古しジャンパーの私。サイドの席に、土木作業現場から直行といった風態の、垂れ眉毛男、マルクス鬚、野球帽の三人組。卓子のうえにはボトルやらつまみ物やら賑やかに並んでいるが、なにやら、かしこまった雰囲気。これから羽山先生の講議でも始まりそうな気配だな。そうおもったわたしの予感は、見事、的中した。
「諸君、わしは最近、ある真実を発見した。どえらい発見、と言ってもいい。それが何か、わかるかね」
 開口一番、謎めいた言葉を吐くと、羽山先生は安本支配人、私、三人組の顔を順ぐりに平等な間合いを置いて眺め廻した。晴天の霹靂みたいな問いに答えられようはずもないが、それ以前に、諸君! の一声に度肝を抜かれた。
 私たちの沈黙に苛立つかと思いのほか、羽山先生は満足そうにほくそ笑みさえした。
「わしとマリアは、한(ハン) 팔(パル)자(チャ)、ひとつの運命だ。わしはそのことを発見した。この意味、わかるかね」
 羽山先生はふたたび一人ひとりの顔に問いかけ、私たちは依然、沈黙。マリアにも羽山先生の言葉が理解できるはずはなく、彼女は羽山先生の彫り深く頑強な顔を怪訝そうに見上げている。
 羽山先生は、みずから納得するふうに深く頷き、くりかえす。
「わしとマリアは同じ境遇。同胞と言い代えてもいい」
 口説き文句にしては手が込んでいるな。我田引水もはなはだしい。私は腹のそこで呟く。安本支配人も鼻白んでいるらしく、薄色眼鏡の奥で苦笑している。
 羽山先生は意に介せず、グラスのウィスキーをストレートで飲み干すと、手仕種で私たちにも促す。五本の手が、鎖を放たれたようにいっせいに卓子に伸びる。
「諸君、わしの話を聞いてくれ。マリアはなぜ日本へ働きに来たか。この娘(こ)の父親は、マニラから程遠くない島で漁師をしていた。海は美しく、魚介類の宝庫だ。島の漁師たちはなかなか民主的な漁業協同組合を運営していて、裕福とはいえないまでも日々の糧に事欠かない暮しをしていた。マリアも幼いときから母親を手伝い、弟や妹の世話をしながら幸せに暮していた」
 羽山先生の口吻は、昔ばなしでも読み聞かせる調子になっている。
「ところが、だ。ある日のこと、その島へ日本人がやってきた。諸君は、背広を着た皇軍兵士という言葉を知っとるかね。ふん、知らない? 商社マンだよ、イトチューとか、マルベニとか、ミツビシとか、の。やつらは漁民たちの横面を札束ではったおして、海の利権を巻き上げた。ブルドーザーで家ごとぶっ潰す地上げ屋の手口だ。トロール船で海の幸を根こそぎ乱獲して、たちまち海は死に絶えてしまった。そうして背広の皇軍兵士が略奪してきた缶詰を、諸君は毎日、食しておる」
 羽山先生は、一同をひとわたり睨(ね)め廻した。
「漁場を失ったマリアの父親は、どうしたか。職を求めてマニラへ出稼ぎに行くが、家族に仕送りをするほどの仕事はない。そのうち便りさえ届かなくなる。父親の消息がぷっつり途絶えて数か月、マリアはけなげにも、じゃぱゆきさんになる決心をした。フィリピンでは、家族の暮らしをささえるのは長女の役目だ」
 羽山先生は、そこでウィスキーをぐいッと飲む。マリアが差し出したボトルのほうへグラスをむけながら、鋭い視線を正面に注ぐ。
「安本支配人、そう、アン・ソクテ君、わしがマリアと한 팔자だと言った意味、わかってくれたかね」
 安本支配人は、なんのことか、と言いたげに、きょとんとしている。
「鈍(どん)なやつ。わしが한(ハン) 팔(パル)자(チャ)ということは、きみとマリアも한 팔자ということだ。きみのアボヂ、オモニのことを思え。わしら조(チョ)선(ソン)사(サ)람(ラム)は、なぜ異邦の地におるのか。倭(ウェ)奴(ノム)のやつらに土地をうばわれ、暮しをうばわれ、アボヂ、オモニがこの地へ流浪してきたからではないか」
 羽山先生の屈強な形相が、おどろしく怒張し、彼はウィスキーをぐいッと飲む。
「わしのアボヂは祖国の北辺の地から貨物列車で搬(はこ)ばれてきた。テンノウヘイカノタメ、内地イクという日本語だけ教えこまれてな。あっちこっちの鉱山(ヤマ)や鉄道工事でこき使われたすえに楢島航空機のトンネル工場へほうり込まれ、挙句のはて、アメリカ野郎の爆撃で犬死に、だ。ソクテ君、きみのアボヂは八十歳まで生きのびたが、コノ怨ミ、イツノ日、晴ラスカを口癖に泥酔した挙句、糞がめに落ちて死んだ。運命(パルチャ)は一つ。わしのアボヂ、きみのアボヂ、恨(ハン)の人生のどこに違いがあるか」
 羽山先生が天を仰いだときだった。
 突如、薄暗いリムヂンの店内を一陣の風が吹き抜けた。あふれんばかりの香水のかおりが、私たちを包む。一瞬、あたりに閃光がひらめいたかのようだ。
「そのとおりッ。恨(ハン)の人生のどこに違いがあるか」
 耳を裂く声に振り向くと、京劇のヒロインかと見まがう厚化粧に絢爛たるいでたちの木下女史が立っている。
「わたしのハルモニの팔(パル)자(チャ)もおなじ。恨(ハン)の人生のどこに違いがあるか」木下女史が、クツまですっぽり隠れてしまう深紅のドレスふうスカートをたくし上げて、羽山先生と斜並び(三人組と向い合せ)のソファにビヤー樽型の体躯を据えたとき、威風が私たちを払う、「ハルモニが日本へやってきたのは、우(ウ)리(リ) 나(ナ)라(ラ)がチョッパリどもに乗っ取られるより、もっと前。ハルモニは十歳ちょっとの頃から済(チェ)州(ヂュ)島(ド)の海に潜っていたの。チェヂュの海は、あわび、さざえ、たこ、魚がいっぱい、いっぱい。チェヂュの海女(あま)は世界に名だたる神わざ、名人芸の持ち主ばかり。チェヂュの海の岩盤みたいに一家をささえる大黒柱。ところが、だ・・・・・・」木下女史の口吻は、突然、男のそれに変わる、「ある日、チョッパリどもが、靴も脱がずに、ひとの海へどやどやとはいってきよった。機械船に潜水器具をいっぱい積んで。それからというもの、海のめぐみを一切合財、取れや、うばえや、あッという間に荒らしまくった。ハルモニたちチェヂュドの海女はどうなったか。おいッ、そこの三人組、わかるか」
 不意の一喝に、垂れ眉毛男、マルクス鬚、野球帽は、息をのむ。
「糞ッ、故(コ)郷(ヒャン)追われて、仇のくにへ流れて来たってわけだ」
 木下女史はデコレーション・ケーキみたいに飾った顔を怒張させ、マニキュアもあざやかな指をついと伸ばした。羽山先生のグラスを取ると、いっきに飲む。
 間髪を入れず、羽山先生が言う。
「한(ハン) 팔(パル)자(チャ)の意味、わかったか。マリアたちは、だ。木下社長のハルモニ、わしやソクテ君のアボヂが百年も五十年も前にそうだったと同じように、いまくにを追い出されて日本へ来とる。いつの日か、マリアの娘が、息子が、わしたちと同じ運命を生きないとは、誰が言いきれるか」
「誰が言いきれるか。한(ハン) 팔(パル)자(チャ)」
 羽山英雄と、その後援会副会長でもある木下栄子女史の呼吸は、誂えたように合った。
 二人は私たちを圧するふうに睨み廻す。これはいったい、なんとしたことか? 私の目に映る安本支配人も三人組も、子どもみたいに体を短縮させている。おれの体もじわりじわりと、そんな感じ。いや、これは違うぞ。羽山先生と木下女史の体のほうが、むくむくと膨張しているらしい。屈強な面貌と京劇女優の、あの巨大さを見よ。おれの目は尋常ではない。さきほどから羽山先生に合せてウィスキーの一気飲みをしてたのが、たたってきたか。
「桐山事務局長」羽山先生のむきだしの目玉が私に向けられて、ピタリと止まった、「わしは、八月十五日の鎮魂碑除幕式に、フィリピン、タイ、スリランカ、バングラデシュ、チャイナ、エトセトラのくにから来とる娘たちをいっぱい招待するぞ。うん、ウリナラから来とる娘たちは勿論だ」
 もうろうとしはじめた私の頭に、羽山先生の言葉ははいってきそうでいて、散ってしまう。
「わしは、秋の総選挙でなんとしても黒野忠義を倒したい。やつは、マリアたちをこのくにへ入れない、働かせない、住まわせない、三ない法律の元凶だそうではないか。マリアたちを追っ払う法律を先頭立って振り廻しているそうではないか。ゆるせん! マリアたちは奪われたものをうばい返しに来とるだけだというのに・・・・・・」
 痛ッ! おぼろな意識のままに羽山先生の声を聞いていた私は、突然、頬に一撃をくらって正気にもどった。横合いから飛んできた平手打ちは、木下女史のものだった。
「は、羽山先生、あ、あなた、ほんとに、帰化しとるんですか」
 正気にもどったはずなのに、私の口をついて出た言葉は、前後の脈絡もなかった。
「たわけッ。帰化? それがどうした。嘘も方便。정(チョン)신(シン) ふむ、精神の問題だわ」
 羽山先生の一喝と同時に、私はふたたび、横合いから強烈な平手打ちを喰らった。


 ながい梅雨が、明けた。延延とつづくかとおもわれた私の頭脳曖昧模糊症も、これで晴れるだろうか。
 クラブ・リムヂンでの夜、木下栄子女史から強烈な平手打ちを二発も喰らって、私の目は覚めたかにみえた。事実、あれから数日間は、朝鮮人半田空襲犠牲者鎮魂碑建立委員会事務局長の仕事にも、それなりに専念した。せっせと市役所に足をはこび、市民課長や担当職員と打ち合せをし、旧楢島航空機地下工場のあった飯盛山の山裾に鎮魂碑の建立地を確保し、整地作業の手続きも終えた。有力者からの寄附金集めにも歩いた。市民宣伝のためのパンフレットを作成するにあたって、市長や市会議長、南北双方の民族団体代表の挨拶文を集め、建立委員会委員長・羽山英雄先生の挨拶文を代筆した。建立委員会の堅物どもを説得して、除幕式のプログラムに、韓国、フィリピン、タイから働きに来ている男女を招き「アジア民族文化祭」をおこなう企画も了解させた。
 ところが、いよいよ快調にゴールをめざすかにみえた矢先の、梅雨入りだった。私の頭脳および四肢は、ふたたび曖昧模糊症に逆戻り。ながい梅雨のあいだ、アルコール性無能力症に陥りつづけた。
 だからいま、ソウルの国宝級書道家によって揮毫された碑文が、地元の彫石師の手で着々と製作され、すでに整地なった飯盛山裾に出現する日も間近な段階となったのも、結局は市役所の連中の働きに負うところ大である。碑には、旧楢島航空機朝鮮人強制連行犠牲者鎮魂碑と刻まれ、裏面には四十八名の犠牲者の氏名に一九九一年八月十五日建立、揮毫者の銘が付される。
 アルコール性無能力症の私が一か月余ものあいだ、羽山先生の一喝を喰らうこともなく無為をかこつことができたのは、ひとえに秋にひかえた総選挙のおかげである。羽山先生は票獲りのための工作に奔走している。
 羽山先生が、安本支配人を通じて、唯一きびしく私に指示したのは、ラマーン一味の動向を監視すること。つまり、安本支配人の動向監視から、小森――花木組――黒野忠義ラインの情報収集に役割が変更された。
 羽山先生がラマーン一味の動向に並並ならぬ関心をよせている理由は、痛いほどわかる。一か月余のあいだに、先生のマリアによせる古典的なプラトニック・ラブは、いよいよ病膏肓(こうこう)に入る、の観を呈していたからだ。総選挙前哨戦の超多忙を省(さ)いて、先生は日に一度は必ずリムヂンを訪れ、マリアをねぎらう。フィリピンの田舎にいる家族のために、先生が多額の生活費を仕送ってやった、という噂もある。
 羽山先生がそれほどまでマリアに心うばわれたのは、なぜか。あの屈強な面貌と巨躯から有無を言わせず放出されるマグマの情熱だ。情熱の噴流に圧倒されながらも、私にいかんともしがたいのは、隠密の情報収集という役柄への苦手意識。あわせて、重い症状の頭脳曖昧模糊症。窮余の一策、いつの間にか私は、その役割を例の三人組に任せてしまっている。
 長梅雨のあいだ、私が唯一、きちょうめんに続けたことといえば、一升瓶を右手にぶらさげ、左手には知り合いの焼肉店で融通してもらったキムチや豚足、烏賊フェ、ユッケなどの袋をぶらさげて、町外れの朴龍寿さんの家を訪ねることだった。朴さんを相手に酒を飲むだけが目的ではない。朴さんはしだいに、幼い頃の思い出や日本へ来てからの体験を、断片的にではあるが、口にするようになっている。さりとて、強制連行の生き証人である朴さんの話をダシに一篇の小説でも書いてやろうという下心は、いまのところ、ない。ともかく、朴さんが生きてるあいだに聞いておかなくては・・・・・・言葉の一つ一つを、おれのなかの記録ノートに記しておかなくては・・・・・・
 きょうも朴龍寿さんを訊ね、酒を汲み交し、記憶の断片を辿りたどり話す強制連行の様子を聞き、九時には寝む朴さんの家を辞して、アパートへ帰ったところだ。
 アボヂが日本へ働きに行ったのが、わしの八歳のときだった。わしはそれからずっと、オモニを助けて野良仕事に出とった。まだ幼い妹と弟の、父親がわりさ。端(タン)川(チョン)の田舎で、一家支えて、十九歳になったあの時には、いっぱしの百姓さ。あれは、秋のはじめ、稲の穫り入れ時期だった。いつものようにオモニと二人、野良に出とると、遠い道をオンボロのトラックがやってきた。荷台には、もう何人かの若者たちを載せて。トラックはあぜ道の間近にとまって、腰にサーベルをさげた駐在と面の書記らしき男が運転台から降りて来よった。リョンス、逃げなさい! オモニは、何か、直感したにちがいない。突然、叫んだ。ところが、わしときたら、なんのことかもわからず、立ちつくしたまま二人の男が近づいて来るのを見とった。アイグ、あのときのボンヤリめが、わしの人生、狂わせよった・・・・・・
 朴さんの話に向き合えば、おれの曖昧模糊症は梅雨空もろとも晴れるだろうか。そんなことを思っているとき、不意に電話が鳴った。
「ジロ吉」
 電話の声は、安本支配人だ。ふむ? きょうはいきなりジロ吉呼ばわりか。いささか機嫌をそこねながらも、ただならぬ気配を直感した私の脳天を、つぎの言葉が直撃した。
「三人組がらちされた。マリアもいっしょだ」
 らち? なんのことか。疑問は一瞬にすぎなかった。拉致!
「花木組のしわざ・・・・・・」
 安本支配人の言葉が切れるまえに、私は受話器を置くと、部屋を飛び出した。
 街路灯のない、川沿いの道を走り、橋を渡る。古い家並みを抜けて、ようやく広い通りへ出る。十分ほどもうろついて拾ったタクシーで駅前の羽山事務所へ。
 羽山事務所のビルは一階から三階までどの部屋も明かりを消している。ここが空(から)とすれば、リムヂンのほかに当てはない。
午後十時まえ、歓楽街とんぼ小路は取って付けたようにはなやいでいる。リムヂンへ駆け込むと、客の姿がなく、異様な雰囲気。奥まったボックス席のソファに、木下女史、安本支配人、それに吉本土建の吉本社長が、揆(はかりごと)をめぐらす態で掛けている。羽山先生の姿は見えない。
 吉本社長が分厚く四角張った顔を頷(うなず)かせ、木下女史が彼女の隣りへ手招きする。
「こうなった原因はおまえだ」私がソファに掛けるなり、安本支配人が人差し指を突きつけ、切口上に言う、
「なんで、あの三人組にラマーンの偵察をやらせたか。軽薄者(もん)め」
 非はこちらにある。しかしだ、顔を合せるなり、軽薄者め、とはなにごとか。
 朴さんと汲み交した酒が逆流してきたか、私もつい気色ばむ。
 苦笑しながら二人を制したのは、吉本社長だ。三十数年まえグループの知恵者で唯一人、悠容せまらざる風格の持ち主であったカンスーこと吉本光秀。
 吉本社長が両(ヤン)班(バン)ふうの所作で安本支配人と私を制したのをひきとって、木下女史がいきさつを説明する。
 例の垂れ眉毛男・マルクス鬚・野球帽の三人組は、ラマーン一派の動向を偵察するうち、そのバックである花木組の組織実態をつかむ。花木組はマニラの闇組織と提携して賣春目的で女性たちを日本へ送りこませ、人身賣買をおこなっている。パスポートの偽造工作にもからんでいるらしい。賣春のためとは知らずに働きに来た女性たちは、倉庫を改造したモンキー・ボックスまがいの室に二十四時間監視体制で寝食し、名古屋市内だけでなく岐阜、一宮、岡崎、豊橋方面の夜の街へ“派遣”される。彼女たちの数人から、三人組が所属する救援団体にSOSがはいった。三人組はそのことをマリアに話す。マリアは、自分も救出活動の手助けをしたい、と頼む。三人組は断るが、マリアは、わたしだけが幸わせを享受する事はゆるされない、姉妹たちのために尽すのが神の思し召し、と言って同行の意思を曲げない。三人組は英語もタガログ語も得手ではない。救出活動にマリアが貴重な役割をはたすだろうと判断して、彼女の主張をのむ。三人組とマリアは、きょうの早暁、二台のワゴン車を駆って、名古屋港の外れにある工場倉庫へと向った。
 三人組の計画は、ラマーン――花木組ラインに察知されていたらしい。闇の知多道を突っ走り、湾岸道路にはいって臨海工場地帯を抜けたところで、二台のワゴン車は数台の黒塗り33ナンバーに包囲された。三人組とマリアの姿が数台の外車とともに消えるのは、あッという間の出来事だった。二台のワゴン車は道路端に放置されていた。
「花木の野郎、なめた真似しよって。奴が尾羽打ち枯らしとった頃、弟分みたいに面倒見てやったのに、いまごろになって羽振りを笠に着よって」
 木下女史の話を苛苛しながら聞いていた安本支配人が、吐き捨てた。
「これも、なかなか、時代の流れというもんだ」
 吉本社長が他人事のように言う。
「なにが時代なもんか。とにかく、おれに任せてくれ。花木のやつに貫禄の違いちゅうもんを教えてやる」
 安本支配人の口吻は、いまにも匕首(あいくち)ふところに飲んで駆け出しそうな勢いだ。
「おれが、なんとかする」私の口から柄にもないセリフがついて出た、「ソッテの言う通りだ。原因はおれにある。花木とかいう奴、どこの馬の骨かは知らんが、落し前、きっちりつけたる」
「ジロ吉、あほ、か。おまえに何ができる。へたに出しゃばって、へまでもしてみろ、何もかもぶちこわしだ」
 私の言葉が終るか終らぬうちの、安本支配人の一撃だった。
「とにかく、問題は羽山先生よ。マリアがいなくなったと知ったら、何事が起こるか」
 私と安本支配人のやりとりを無視するふうに、木下女史が思案気に呟いた。
 木下女史のひとことで、さすがの安本支配人も押し黙った。総選挙はあと三か月後だ。鎮魂碑の除幕式も二週間ほどのちに迫っている。どんなにささやかな波風も立ててはならない時期だ。
 いよいよ収拾のつかなくなっている、羽山先生のマリアへの想い。いまここでマリアが花木組に拉致されたと知ったら、羽山先生は阿修羅王に変身するだろう。花木の首が血をふいて吹っ飛ぶことまちがいない。いや、花木の首だけでは納まらないかもしれぬ。ひょっとして、黒野忠義の・・・・・・
 四人は重苦しい沈黙に落ちた。
「そろそろ、羽山先生がお出ましの時間よ」
 沈黙をやぶったのは、木下女史。吉本社長、安本支配人が同時に腕時計を見る。時計を持たない私も、思わず視線を左手首にやる。
「ふーむ、羽山先生か・・・・・・、四、五日のことなら、わしがなんとかたぶらかしておこう。そのあいだに、マリアと三人組を連れもどすことだ」
 吉本社長が確信ありげに言ったときだった。リムヂンの室内になまあたたかい風が吹き込み、入口を巨大な影がおおって羽山先生が現われた。


 ふむ。ハムレットいずれを選ぶ道ふたつ
 市役所の玄関をはいるとき、二日酔いの酒で濁った頭に、くだらない一句が唐突に浮かんだ。
 昨夜の朴龍寿さんはいつになく能弁だった。飲むほどに、故郷で覚えたという朝鮮語の歌まで出て、私もすっかり乗せられた。ぶらさげていった一升瓶が底をついても歌はやまず、朴さん秘蔵の濁(タク)酒(ペギ)をたっぷり相伴にあずかった。アパートに帰って、ぶっ倒れるように万年床へもぐり込んだのは、十二時すこしまえだったか。前後不覚に寝入って、目を醒ましたのは、正午過ぎ。洗顔もそこそこに部屋を出た。
 指折り数えてみれば、マリアと三人組が拉致されて五日目。安本支配人から、おまえの出る幕ではない、指一本、動かすではない、と釘を刺されているとはいえ、無為の時間に甘んじている自分が、情ない。意識せざる胸の深層に澱(おり)となってたまった憂鬱が、つい深酒にはしらせる。四、五日のことなら、と吉本社長が請負った羽山先生たぶらかしの期限も切れる。
 なにかしなければ・・・・・・アリバイをもとめて市役所を訪ねた、というわけだ。
 市民課の職員たちは窓口で来訪者と応対したり、書類を繰ったり、忙しそうにしているが、課長と鎮魂碑建立委員会の実務を担当している課員の姿はみえない。
「除幕式の件で飛び廻ってますよ。鎮魂碑が完成したとかで、羽山先生が朝一番で見えられて、いっしょに出かけたまま鉄砲玉」
 市民課長の所在を訊ねた私に、管理係長は答えた。慇懃な物言いとはうらはらに、あからさまに顔をしかめて。無能な事務局長のおかげで仕事のしわよせがきてテンテコ舞い、えらい災難ですわ、ということか。それとも、私の体から発散されているアルコールの異臭に堪えられなくてか。たぶん、両方だろう。
 それにしても、羽山先生がいっしょとは・・・・・・事務局長・桐山二郎だけが蚊帳の外でウロウロしていたとなれば、花木や黒野の首どころか、おれのくびもあぶない。
「除幕式まであと一週間、事務局長さんも大変ですね」
 管理係長の皮肉を背に、私は市役所を出た。鎮魂碑が建立される飯盛山の方向へむかっていた気持が通りでタクシーを拾う段になって、変った。
 不意の啓示だった。桐山二郎よ、別の道を急げ! その命令が何者によって発せられたのか、皆目、解らなかった。ただ、宿酔によって弛緩した私の全身を、その声は電撃のようにつらぬいて、目覚めさせた。
 タクシーを拾うと、いったん、川べりのアパートへもどる。六畳間の隅に積んであるダンボール箱を開け、ぎっしり詰った雑誌のあいだから札を摑み出し、ズボンの尻ポケットにねじ込む。有り金の全部だ。
 待たせてあったタクシーに乗り、羽山事務所へむかう。安本支配人はいない。安本錫泰が支配人を兼任しているパチンコ富士へタクシーを走らせるが、そこにも彼の姿はない。
 とんぼ小路の入口でタクシーを乗り捨て、クラブ・リムヂンへいく。午後三時くらいか。この時間にリムヂンが開いているはずがない。未練たらしく何度もドアーを叩いたすえ、あきらめて立ち去る。
 薄色眼鏡の奥で皮肉に笑う安本支配人の顔が目に浮かびはじめたのは、とんぼ小路に立って、あてどを見失いかけたときだ。閑散とした真昼の歓楽街に一匹の黒い猫。そいつが横切ったと思ったのは錯覚だった。掠めたのは、私のなかの不吉な予感だった。
 あった。大海原のまんなかで、一本の藁。
 絢爛たるネオンは消えているとはいえ、五階建ての偉容を白昼堂々と屹立させるホテル金剛山が、間近にあった。
「木下社長は?」
 フロントの前に立つなり訊ねる私を、顔見知りのマネージャーは蒼白な顔で見た。
「安本さんは来てないか」
 たたみかける私の言葉に、マネージャーは驚きの表情をいっそうあらわにした。
「桐山さん、ご存知ないんで? 安本支配人が花木組にやられて、市民病院へ担ぎ込まれたんです。社長はそちらへ」
 愕然とする自分を叱咤して、私は、金剛山を飛び出した。タクシーを拾い、市民病院へ。
 病院の玄関をはいると、待合ロビーに殺気立つ雰囲気を醸して三人組の姿があった。どの顔も、青痣や擦り傷なまなましく尋常でない。私に気づくなり、三人組みは駆けよってきて、取り囲む。血とも垢ともつかぬ異臭がぷーんと鼻をつく。
「安本支配人は?」
 三人の衣服に付着した血痕を眺めながら、私が訊ねる。
「手術中」
 垂れ眉毛男が急(せ)きこんで答える。
「いのちには別状ないらしい」
 横合いから興奮気味のマルクス鬚。野球帽は、ボクサーのフットワークみたいな所作を繰返している。
 マリアはどうしたんだろ・・・・・・不審に思う私に、垂れ眉毛男が事情を語った。
 安本支配人が単身、徒手空拳で花木組の事務所に乗り込んだのは、きょうの正午前だった。階上の部屋に監禁されていた三人組にも、見張り番たちの緊張した様子から不穏な空気は伝わってきた。しばらくすると、突然、階下で凄まじい音が起こった。床を蹴る、机を放り投げる、体が入り混ってぶつかり合う、怒声が飛ぶ、あらゆる音が一つになったような大音響だ。見張りの若い衆たちが顔色を変えて、飛んでいく。その隙に、三人組も部屋を抜け出し、階下へ。
 三人組が事務所へ飛び込んだときには、すでに修羅場は峠をこそうとしていた。花木は見事に割られた額から血を吹き出し、壁に背をもたせ、両脚を長長と床に投げ出すといった恰好で伸びていたが、安本支配人も七、八人の男たちに木刀などで四方八方から攻められ、グロッキー状態。その安本支配人を、三人組は火事場の馬鹿力を揮(ふる)って救い出し、タクシーで市民病院へ担ぎ込んだ、というわけだ。
 安本支配人は、花木との話し合いで三人組とマリアを取り戻すつもりだったらしい。かつてはこちらが兄貴分として可愛がってやった花木のこと、安本支配人には成算があった。ところが、事務所に乗り込んだ安本支配人が話を切り出すなり、花木は、おまえ、どこの馬の骨か? この辺では見かけない三下だが、と言って、鼻先でせせら笑ったのだ。
 タクシーで病院へ運ばれるあいだ、安本支配人は意識朦朧のなかで譫言(うわごと)のように花木を毒づきつづけたという。
「ほぉ、マリアは助け出せなかった。花木の事務所じゃなくて、工場倉庫のモンキー・ボックスに閉じ込められているからな」
 垂れ眉毛男が、口癖の間投詞とともに、無念そうに言う。
「よし、これからモンキー・ボックスへ行こう」私は、とっさに決心した、「花木がやられたからには、マリアたちを救い出すのは容易なはずだ」
「マリアのほうは大丈夫、羽山先生が乗り出したから」
 横合いからマルクス鬚。
 なぬッ? 羽山先生が乗り出した? 尋常ならざる予感に、私は顔から血の気がひいていくのを感じる。
「安本さんがこうなった以上、ほぉ、羽山事務所へ連絡しないわけにはいかなかった」垂れ眉毛男が悩ましげに言う、「羽山先生が吉本社長や木下さんといっしょに病院へ来て、さっき出かけたところ」
 それを先に言わんかい! 私は病院を飛び出した。駐車場でお迎え待ちをしているタクシーを強引に説き伏せて、知多道路を北へ。
 予備知識をたよりに、名古屋港の南端にある工場倉庫を探すこと一時間。タクシーの運転手がそろそろ顎を出しかけた矢先に、モンキー・ボックスは見つかったが、女たちの暮しの残骸もなまなましいそこに人っこ一人いない。
 羽山先生たちが救い出したか、花木組の連中がいちはやく別の場所へ連れ去ったか。詮索する余裕もなく、ともかく羽山事務所へ向かう。
 羽山事務所の三階、根性一徹と墨書された額縁が掛かる道場に、マリアはいた。そして、彼女と同じ年恰好の、十数人の娘たち。
「桐山サン、大変デス。羽山センセガ、黒野サンヲ・・・・・・」
 私の顔を見るなり、マリアが怯えきった表情で訴えた。
 羽山先生が、黒野忠義を・・・・・・私のうちで何かが閃めき、次の瞬間、私は合点した。
 萎えていく脚で辛うじて階段をふみ、羽山事務所を出る。ふたたびタクシーをもとめて駅前広場へ。
 なぜだ。羽山先生は、なんだってまた、黒野忠義のもとへ向かったのか。鎮魂碑の除幕式を一週間後にひかえた、この時に。総選挙まで、あと二か月と迫った、この時に。黒野忠義がラマーン一派と花木組を操っていると早合点したか。マリアによせる想いが、それほどに深かったか。安本支配人の一件に血迷ったか。
 それとも、国会議員10期、保守党の大物、黒野忠義が、不倶戴天の政敵というわけか。いや、もっと別の、血と骨髄に滾(たぎ)る恨(ハン)が、爆発したか・・・・・・
 タクシーを走らせるあいだ、堂堂めぐりの自問に苛立ちつづけた私の目に、徒(ただ)事ならぬ状景が飛び込んできた。予感は的中したのだ。道路の前方には、タクシーのゆくてを拒んで何台ものパトカーが停まっている。そのはるか向こう、豪壮な屋敷を遠巻いてロープが張られ、警察官や報道陣の人だかりが見える。
 風のうめきに似た声が、唐突に私の耳もとをおそったのは、その光景を目にした瞬間だった。
 アイグー、痛いよー、オモニ、足が痛いよー、腕が痛いよー、オモニ、背中が痛いよー、머(モ)리(リ)가(ガ) 아(ア)파(パ) 頭が痛いよー
 アイグー、배(ペ)가(ガ) 고(コ)팠(パッ)어(ソ) お腹(なか)すいたよー、お腹すいて、死にそうだよー、オモニ、帰りたいよー、고(コ)향(ヒャン) 가(カ)고(ゴ) 싶(シ)어(ポ) くに帰りたいよー
 桐山さんよ、あれから四十六年というのに、子どもたちの声がわしの耳から消えん。わしは일(イル)본(ボン)(日本)へ連れられてきて四年、二十三歳になっていたが、あの子たちは数えでまだ十五歳だった。負け戦(いくさ)が目のまえにせまって、人手が底をついて、あんな幼い子たちまで連行してきた倭(ウェ)奴(ノム)野郎を誰がゆるせるか。桐山さん、誰がゆるせるか。
 わしは、あの子たちの名前も、よく憶えとる。なんで忘れることができよう。ソンシック、チョリ、ペードギ、あの三人の子はおとなにまじって、朝の七時から夜八時まで工場のトンネルを掘らされ、ときには鞭を見舞われ、土を運びつづけた。上半身は裸かで、足ははだしで。背中には汗、指の根っこには血、たっぷり滲(にじ)んどったわ。
 めしといえば、白飯二分に麦八分が、小さいドンブリに一杯ずつ。味噌汁に、臭(くさ)くて食えないたくあん二切れ、鰯の干物一本。
 それで、あの子たちが寝言に叫ぶのは、アイグー。腹へったよー、背中痛いよー、足痛いよー、頭痛いよー。
 アイグー、監督こわいよー、モッコ重いよー、鶴嘴もてないよー、暗いよー、ウェノム憎いよー、死にそうだよー、オモニ、鳥になりたいよー、蝶になりたいよー、故郷(くに)へ帰りたいよー。
 あー、ソンシガー、チョリヤー、ペードガー。幼な子のように寝言で泣いておった、あの三人が、日本、戦争に負けた日、우리나라(ウリナラ)解(ヘ)放(バン)の日、なんと叫んだか。あのわっぱどもが、おとなたちの先頭に立って踊りまくりながら、なんと叫んだか、桐山さん、知っとるかね。
 解(ヘ)放(バン)、万(マン)歳(セー) 独(トン)立(ニプ)、万(マン)歳(セー) 해방 만세 돈립 만세
 桐山さん、わっぱどもが最初に叫んだのは、腹いっぱい食べたいよー、でもなかった。日本人、殺せー、でもなかったよ。
 朴龍寿さんの声は、地底からか、濁酒の酔いの底からか、四十六年の時の涯(はて)からか、さらに続く。
 旧楢島航空機朝鮮人強制連行犠牲者鎮魂碑の除幕式には、羽山英雄の逮捕にかかわらず、勿論、実施されることになった。
 羽山先生が黒野邸に乗り込んだときの状況を粗述すると、ほぼ以下のようである。吉本社長と木下女史が、羽山先生に同行した。不測の事態を防ぐためにである。選挙の事前活動のため不在がちな黒野忠義氏は、折悪しく在宅していた。応接に出た黒野氏に対して、羽山先生は、ラマーン一味や花木組との繋がりを糾(ただ)した。黒野氏は、当然、否定する。しばらく腹の探り合いがつづくうち、突然、黒野氏の口から決定的な言葉がついて出た。
 羽山さん、あなたは帰化をして、光栄ある日本国民になることができた。そのうえ、国政選挙に打って出ようとしておられる。分を正しくわきまえるべきではありませんか。それなのに、わが国の法律を破って不法滞在している連中に肩入れをなさる。わたしに言わすれば、そもそも、あなたがたこそ、本来、日本に住めない方々なのですよ。
 黒野氏が言い終わらないうちだった。羽山先生の巨躯が応接間のソファから宙に踊り上がった。次の瞬間、ボクシングのグローブのような拳が飛んで、黒野氏の体はビア樽みたいに横倒しになった。吉本社長と木下女史が防ぎ止める余裕もなく、あッという間の出来事だった。堂堂たる肥満体、顔の色艶も脂ぎってあざやかな黒野氏とはいえ、いかんせん、七十八歳の老齢。奇しくも安本支配人と同じ市民病院に運ばれたが、意識不明のまま三日後、他界した。
 羽山先生が、みずから潔く警察へ出頭したのは(地元の警察署ではなく、県警本部へ)、言うまでもない。
 一方、花木組とラマーン一味はといえば、賣春防止法違反、労働基準法違反、出入国管理および難民認定法・外国人登録法違反教唆などの疑いで、入院中の花木組長はじめ小森ら主だった人物が検挙された。
 マリアたちの退去強制処分も、後日に延(の)ばされている。吉本社長、木下女史の奔走のおかげだが、事件の被害者として警察が彼女らに事情聴取を求めていること、名古屋地方入国管理局が折からラッシュ状態を呈しているオーバー・スティ外国人の対応に追われて天手古舞であること、などもその理由である。
 マリアたちは、それで今日の鎮魂碑除幕式に参加できる、というわけだ。
 羽山事務所は、フィリピン女性たちや三人組、木下女史、朴龍寿さんらの顔で賑わっている。
 さぁ、除幕式に出掛けよう、というとき、吉本社長こと姜(カン)光(グァン)秀(ス)が考え深げに、私に言った。「李(リー)の骰子(さいころ)も、振り出しに戻ったというわけだ。また、新しい目を追うだろうさ。日本人の顔をしようとした、そもそもの始まりが、ボタンの掛け違いだった。うむ、邪道だった」





会    録
第142回(1990・2・25)趙南斗「遠来の客」(『民濤』9号)
                報告者・磯貝治良      参加者 8 名
第143回( 3・18)『架橋』10号合評会 PART1
                 報告者・成眞澄       参加者10名
第144回( 4・22)『架橋』10号合評会 PART2
                報告者・劉竜子       参加者11名
第145回( 5・13)宗秋月「華火」 金蒼生「三姉妹」 
          イー・カンオン「夜の方舟」(『民濤』10号)
報告者・加藤建二      参加者 7名
第146回( 6・10)卞元守宅焼肉マダンに参加
                              参加者 5名
第147回( 7・29)梁石日『アジア的身体』
                報告者・加藤誠       参加者 8名
第148回( 8・19~20)長野県奈川村・歌と遊びのマダン
                              参加者 4名
第149回( 9・23)成美子『歌舞伎町ちんじゃら行進曲』
                報告者・卞元守       参加者 12名
第150回(10・14)金石範『故国行』
                報告者・聖哲       参加者 8名
第151回(11・25)趙南哲詩集『樹の部落』
                報告者・文重烈       参加者 10名
第152回(12・23)一年をふりかえり91年を望む集い
                              参加者 12名
第153回(1991・1・13)つかこうへい『娘に語る祖国』
                報告者・成眞澄       参加者 9名
第154回(2・17)尹健次『弧絶の歴史意識』
                報告者・磯貝治良      参加者 名






    あ と が き
▼在日朝鮮人作家を読む会の発足は1977年12月15日なので、まる13年が経った。ことし(1991年)2月の例会で154回を数える。読書会が中心なので、文学関係を中心に在日朝鮮人(韓国籍、朝鮮籍、日本籍の別なく民族全体の呼称)の手になる本を140冊ほど読んだことになる。ほかに講演会などの企画が十数回はさまっている。
▼ここ1年ほどの「読む会」周辺の動きを記す(例会については会録を参照してください)。
まっさきに記したいのが、마당 놀이패 녹두(マダン ノリペ ノクトゥ)の結成と活動。直訳すれば、広場遊び集団・緑豆となるが、アクチュアルな題材のオリジナル台本で演じるマダン劇に四(サ)物(ムル)ノリ(四種類の朝鮮の民族楽器による演奏)などをジョイントした表現のグループである。昨年6月30日、外国人登録法拒否90共同行動の集会で旗上げ公演したのを皮切りに、エコロフェスティヴァル(豊橋)、あるすの会(名古屋の外国人労働者救援組織)の結成三周年記念集会、日雇労働者の笹島夏まつり、子どもの権利条約と反外登法運動をドッキングした人間宣言集会などで上演してきた。
「緑豆」は風物(プンムル)。魂振(ホンヂン)、놀(ノ)이(リ)판(パン)などの民族文化活動グループと90共同行動、「読む会」の有志が共につくったもので、愛知における“民族文化祭”の実現が目標。
いま一つのトピックニュースは、石川県在住の会の仲間、渡野玖美さんが、小説集『五里峠』で第一回日本海文学大賞(中日新聞北陸本社主催)を受賞した事。ちなみに賞金は百万円。
▼『架橋』11にも嬉しい企画がある。文重烈さんのハングルによる詩・歌詞八編を発表し、日本語の対訳を掲載できたことだ。この形式は『季刊 三千里』『在日文芸 民濤』『季刊 青丘』などに先例はあるが、本誌としては初めて。しかも、原詩、訳ともに仲間のもので、これは編集人として念願だった。 
『闇のゆくえ』の金成根さんは大阪・生野在住で、『架橋』には初登場。詩一篇の加端忠和さんは石川県在住。
津田悠司さんの「さまよえるオランダ人」は、前号作「俺たちの旅」の連作で、次号に書きつがれる。磯貝の「羽山先生が怒る」は“羽山先生シリーズ”PART3。
▼恒例の望年会で選ばれた、1990年度テキスト人気投票のベスト6は得票の順に、金石範『故国行』渡野玖美『五里峠』趙南哲詩集『樹の部落』梁石日『アジア的身体』磯貝治良「羽山先生が哭く」津田悠司「俺たちの旅」
                       (貝)


「架橋」アーカイブ

架 橋 10                 1990 春

目   次

○10-1(小  説) 羽山先生が哭く ………………… 磯貝治良
○10-2(小  説) 俺たちの旅 ……………………… 津田悠司
○10-3(エッセイ) レクイエム 美空ひばり ……… 朴燦鎬
○10-4(エッセイ) 金徳寿君との再会 ……………… 加端忠和
○10-5(エッセイ) 韓国の愛人 ……………………… 渡野玖美
○10-6(小  説) 雨森芳洲の孤独 ………………… 賈島憲治
○10-7 会録
○10-8 あとがき

 羽(は)山(やま)先生が哭(な)く
磯(いそ) 貝(がい) 治(じ) 良(ろう)

 平坦な灌木林を抜けると、道は急に勾配をつよめた。あたりがいっそう薄暗くなったのは、山崖の斜面が屹立してきたためだけではなかった。灌木がさらに鬱蒼として、道の痕跡さえ消えかかっている。灌木の茎を払う音が、ひときわ小気味よく響いて、そのたびに樹液の匂いが鼻をついてくる。
「あった! あれですよ」
 韓(ハン)成徳(ソンドク)が、鎌を振りかぶったままの姿勢でふりむいた。
 右手前方に、木洩れ陽が射して淡く黄色い暈(かさ)のような光の空間が見えた。その数メートル先に、山崖をうがった半円形の穴が黒い口を開いている。
 韓成徳が鎌を縦横にふるって躰を踊らせるのにつられて、私も急勾配の道を駆け昇った。
 壕の入口は幅三メートルくらいか、周縁が粗雑なコンクリートで固められていた。放置された四十数年のあいだに、山陵の重圧で崩落したものか、あるいは土砂が流れ込んだものか、ひとの丈に満たないほどの高さに埋まっている。
「とても信じられないなぁ、これが地下工場の入口だなんて」
 韓成徳は呆れたふうな口調で言い、カメラのシャッターを何度も押した。
「敗色濃厚の時期に掘ったんだから、破れかぶれだったんじゃないの。当事者たちだって、これで軍需工場の機能を果たすとは信じていなかったと思うよ」
 私は、戦争という得体の知れないメカニズムがしゃにむに行きついた滑稽な光景を思い浮かべた。
 韓成徳が大柄な体を屈めて壕の中へはいるのに、私も従った。数メートルとすすまないうちに、外から差し込む光はすっかり途切れて、壕の中は闇だった。背中の汗がひいていくほどの冷気。韓成徳がかざす懐中電灯の明かりは、弱々しく前方を照らした。
 私たちは窮屈な姿勢でゆっくりとすすんでいった。韓成徳が電灯の明かりをしきりにコンクリートの壁や天井に這わせる。そこに何かの痕跡、ハングル文字のひとつも刻まれていないか探っているのにちがいない。三十メートルほど進んだところでコンクリートの舗装が途切れ、不意に背丈が立つほどの窪みに出た。
 何かをさぐるように電灯の明かりを前方へ注いでいた韓成徳が、頓狂な声を上げた。
「埋まっている」
 崩壊した土塊がわずかな隙間をのぞかせて行く手をふさいでいる。あっけない結果に、二人はしばらく言葉が出なかった。
「こんな工事のために、わが同胞が千人も朝鮮から連れられてきて働いていたんだ」
 韓成徳が憮然と言った。四囲をかこまれた壕の中で、その声は響きを失っていた。

 楢島航空機地下軍需工場ハ半田市乙川大字七本木池字上池ノ飯盛山ニ位置シ、昭和十九年十一月中旬頃ヨリ建設工事ガ始メラレタ。翌昭和二十年七月二十四日、米軍艦載機ニヨル大空襲ニヨリ工事ガ中断サレルマデノ八カ月間地下壕ノ延長一〇〇〇米ニ至ルモ、ツイニ操業ニハイタラナカッタ。同工場ノ建設ニハ北朝鮮ノ最北端・羅津、沿海州ニ近イ端川、興南ナドカラ徴用サレテキタ朝鮮人約一二〇〇名ガ従事シタ。コレラ朝鮮人徴用工ノウチ四十八名ガ七月二十四日ノ大空襲ニヨリ死亡シ、多数ガ負傷シタ。

 半田市史編纂室発行のパンフレットには、敗戦後まもなく楢島航空機の関係者が記した資料の文章が引用されていた。パンフレットには地下軍需工場一帯の略図も載っており、数か所の壕入口に●印が付されていた。
 韓成徳と私は、壕を出たあと、●印をたよりになおも一時間ほど山林の道を歩き回ったが、他には一か所も発見できなかった。歳月の経過によって崩落してしまったか、地形が変化したか、あるいは私たちに探査の能力が欠けているのか。
 アパートの隣室に住む韓成徳が、パンフレットを片手に、身重の新妻を伴って私の部屋を訪ねてきたのは、昨夜十時過ぎだった。
 彼は諮問押捺を拒否して外国人登録法違反の廉で起訴され、名古屋地方裁判所から最高裁判所まで六年間にわたって裁判をつづけていた。ところが今年、昭和天皇が死んで大赦令が発せられ、最高裁で免訴の判決が言い渡された。一本気な彼は、免訴を不服として、今度は彼が原告となり、日本国を相手どって国家賠償を請求する訴訟を起した。私がこの隣人と急激に親しくなったのは、そのことがテレビや新聞で報じられてからのことである。それまでは、敬して遠ざかる、の関係を保ってきたのが、彼の並々ならぬ気骨に度肝を抜かれ、断然、魅せられてしまったのである。以来、何かを思いつくと直情的に行動にうつす彼に付き合わされることが多い。今回の地下工場探査も有無を言わせぬ気迫であった。
 韓成徳と私が山を下りて、道端に駐車した車に戻ると、後部座席では、彼の新妻・朴(パン)明(ミョン)姫(ヒ)が妊婦服の中に抱えた西瓜にでも手を添える姿勢で心地よさそうに眠っていた。
 道路をへだてたグラウンドでは、主婦らしきチームのソフトボール大会が開かれている。真新しい揃いのユニホームが、初秋の陽差しを浴びて、まぶしいほどだ。審判員も本職並みの服装をととのえている。応援席から、陽気すぎるほどの歓声が上がる。地下壕の探査中、山林のしじまをぬってしきりに聞こえていたのは、この歓声らしい。朴明姫は、夢の中で歓声でも聞いているのか、眼尻のあたりにあどけない微笑を浮かべている。
「きょうのところは、帰りますか」
 韓成徳は、心残りな様子で、灌木におおわれた飯盛山の方向を振り返った。南側の山裾一帯が開けて住宅地になっているのを、私はあらためて眺めた。 
 韓成徳が車を発進させると、私は言った。
「途中で降ろしてくれる?」
「ここは桐山さんの故郷でしたね。どこか、寄るんですか」
 韓成徳の言葉に、私は返事をためらった。
 しばらくして、彼は突然、声を上げた。
「判った。羽(は)山(やま)先生に会うんでしょ」
 私は仰天した。一年ほどまえ、羽山英雄を主人公にした小説を雑誌に発表して、それを韓成徳は読んでいる。そんな予備知識があったとしても、あまりにも見事に的中したからだ。
 正直なところ、韓成徳といっしょに羽山英雄と会うのは気がすすまない。羽山英雄から彼の立志伝を書くことを強制的に約束させられてから、一年以上が経っているのに、まだ一行も手つかずのままになっている。羽山英雄に会うのは、その弁解が目的で、どんな強烈な大目玉をくらうか、まったく気が重い。
 それは私が醜態をさらせばすむことで、まぁ、よしとしよう。しかし、羽山英雄と韓成徳が対面するとなると、これは大いなる不安だ。まるで水と油の二人が出会えば、何事が起こるか・・・・・・
「桐山さん、ぼくを一度、羽山先生に会わせてください」
 韓成徳は私の心配など意に介せず、あっさりと言ってのけた。
 若いのに似合わず、「わが同胞は・・・・・・」という言葉が口癖の彼は、すでに「わが同胞」との新たな出会いに興味津々であるらしい。
「面白いわねぇ、わたしも会いたいわ」
 私は驚いて後部座席を振り返った。いつのまに目を醒ましたのか、朴明姫が身を乗り出している。
 私は、腹をくくって、車の方向を指示した。

 羽山英雄事務所のビルは、市の中心街、私鉄駅の目の前にあった。三階建てのそのビルは、駅前からT字型にひろがる繁華な通りの枝分かれの角にあって、一階から順に「羽山英雄事務所」「羽山商事」「羽山会」と巨大な電光飾の看板が出ていた。
 車を降りた私たち三人は、派手に彩色されたビルの壁を見上げ、意味もなく顔を見合わせた。羽山英雄に会うのは一年余まえの「羽山先生を励ます集い」の奇妙な邂逅以来であり、事務所を訪ねたのは初めてである。立志伝執筆の件もある。私は否応なく緊張を覚えた。
 事務所はソファーが幾つか三十人くらいは十分に掛けられそうに整然と並べられ、壁際の法律書が並ぶ書棚と正面の豪華なテーブル・椅子があるくらいで、広々としていた。私の目を惹いたのは、そのテーブルの背後、正面の壁面に掛けられた額縁入りの写真だった。口髭をたくわえた羽山英雄が破顔一笑している。
「金融のことなら二階」
 テーブルの前で週刊誌を眺めていた初老の男が、顔も上げずに言った。
 私たちが、何のことか、と顔を見合わせていると、男は椅子から立ってきた。
 定年退職をして数年を経た元地方公務員といった印象の男は、意外と鋭い視線で三人を眺め回す。韓成徳と私はGパンをはき、彼は黄色いセーター、私はよれよれのジャンパーを着ている。そして、妊婦服にドッジボールほどのお腹(なか)をかかえた、少女の雰囲気がぬけきらない朴明姫。男の視線が三人の足もとへとどく。私と韓成徳は、山歩きで泥土にまみれたスニーカーをはき、朴明姫は真っ白いバレーシューズ。
「羽山、先生に、お会い、したい、のですが」
 私の口吻はポンコツ車のエンジンみたいにノッキングした。男の目つきはいよいよ険をおびる。
「どなたで?」
「桐山です。羽山先生とは旧知の・・・・・・」
「あぁ、桐山さん。先生から聞いています。高名な、作家の、あぁ、桐山先生」
 男の表情はたちまち和んだ。それにひきかえ、私の胸はたちまち逆立った。秘書か、貸元代理か知らないが、この男までが私の名前を知っており、そのうえ高名な作家などと誤解しているとしたら、羽山英雄が立志伝執筆の件を誰彼なく吹聴している公算が大である。
「さぁ、どうぞ、どうぞ。先生は間もなく帰ります。商工会議所のほうから、十分ほど前に電話がありましたから」
 三人は、できるだけ隅のほうのソファーに腰を下ろした。羽山は十五分ほどして現れたが、そのあいだに階上からは、角刈りの中年男、サングラスをはめて三つ揃いのスーツを着た男、髪を黄色に染めた若者、事務服の娘と、多士済々な風体の人間が降りてきて、初老の男から耳打ちの指示を仰いでは戻っていった。
「よぉ、桐山君」
 羽山英雄は磊落に声を掛け、いっせいに腰を浮かせた三人を制すると、正面の椅子に巨軀を下ろした。相変わらず濃紺のスーツをあざやかに着こなしている。
 手招きされるままに彼のテーブル脇にあるソファーへ移って、私は韓成徳と朴明姫を紹介した。韓成徳が握手を求めようとして差し出しかけた手をすぐ引っ込めた。私が、韓成徳は指紋押捺を拒否して六年間も裁判をつづけてきたこと、こんどは大赦を不服として日本国を訴えていることなど説明したとき、羽山英雄は韓成徳をジロリと眺めたきり、何も言わなかった。日本籍に帰化している羽山英雄には指紋押捺は義務づけられていない事実を、私は思い出した。
「一席もうけるとしよう」
 羽山英雄は、しばらく待つよう、三人に言い、初老の男にあれこれ命じた。
「先生、きょうは社員ミーティングの日ですが・・・・・・」
 初老の男が怯ず怯ずと口を挟んだ。
「おまえ、やっとけ」
 羽山英雄が一喝した。

 黒塗りの高級外国車が海辺の町に着いたのは、夕陽が水平線に没しようとする頃。沖合い一面、真っ赤に染まって波面をきらめかせ、島影さえが淡く紅がかかって見えた。潮の香りまでが燃え立っている。
 車が、洒落た料理旅館の前に止まったとき、後部座席にいた私は何気なくドアーの把手に手を掛けた。間髪をいれず、運転手が飛んできて外から開いた。そのとき、四〇歳がらみの運転手の左頬に鋭利な傷跡があるのに、はじめて気づいた。
「羽山先生、お待ちしておりました」
 出迎えた女将に案内された二階の部屋は、窓を開けると潮騒の音が聞こえた。
「そうか、地下工場の跡がまだ残っておるか」
 羽山英雄が茶をすすりながら独言ちるふうにうなった。途中、車の中で楢島航空機地下工場探査のことを話したときも、何度も繰り返した言葉だ。
「で、その、フールト・・・・・・」
「フィールドワークです」
 韓成徳が言った。
「うん。その、フールトワークの目的は何なのかね」
「地下工場の建設現場にはわが同胞が千二百人も働いていました。そのうちの半分近くが強制連行されてきた若者たちです。強制労働の実態、証言、これを資料にまとめて発表したいと思っています」
 羽山先生の表情は、韓成徳の堅い話を聞くうち、不機嫌そうだ。
 韓成徳の目はいよいよ輝いてくる。さらに話をつづけるまえに、すでに目の輝きがうるみはじめ、口もとが皺々になりはじめている。無類に涙腺が弱いのだ。彼のオモニいわく「ソンドギは涙の川を渡って生まれてきた」
 私は、彼と隣り合わせて下座に座っている朴明姫と顔を見合わせた。他の場合なら、二人で、ソンドギが泣く、泣く、とか言ってすますところだが、ここはそうはいかない。
「強制労働させられていたわが同胞が、四十八名、殺されました。半田大空襲の日に・・・・・・」
 韓成徳の目から涙が一筋、こぼれた。
 私は、三人を左右に従えるように上座に座っている羽山英雄の顔を窺った。不機嫌な表情に変化は読みとれない。
「それで」韓成徳は、鼻から伝わる口の中の塩辛いものに喉を詰まらせたのか、一拍置いて言った、「わが同胞の鎮魂蔡を催したいのです。四十五年ぶりに、アボヂ、ハラボヂたちの恨(ハン)を解いて差し上げたいのです」
 私は羽山英雄の表情を注視しているうち、心が落ち着かなくなってきた。ここは一番、よし、分かった、羽山英雄がひと肌ぬごう、と豪快に胸を叩くか、露骨に不愉快な表情を浮かべて韓成徳を睨みつけるか、予測されるのは二つに一つである。なのに、羽山英雄は憮然と腕組みしたままだ。
 料理と銚子、ビールが揃った。仲居を先導してきた番頭らしき法被の男が、羽山英雄に丁重な挨拶をしたが、普段の羽山先生とちがうぞ、といった怯えた表情を見せて早々に退(さが)った。
「さぁ、話はそれくらいにして、飲(や)ってくれ」
 羽山英雄が促し、まず韓成徳にビール壜のあたまを向けた。韓成徳は畏って左手指をコップの底に添え、受けた。
 私は焦った。卓のまんなかに厳かに置かれた鯛の活作り。この世に生をうけて五十二年、初めて目にするほど立派な姿であるのに、涎よりさきに油汗が出そうな気分。結構な歓待の揺り戻しが怖い。酒がはいってからでは、揺り返しはマグネチュードどれほどになるか。
「羽山先生・・・・・・」思い切って口を開いた、「実は、イの一番にお断りしなければならないのですが、例の件、羽山英雄伝の件・・・・・・」
 酌を受けながら言いよどむ私に、羽山英雄は怪訝な表情を向けた。
「約束して一年以上経つのに、全然、書けないのです」
「あぁ、あのこと。申し訳ないが、あの約束はなかったことにしてくれ。おれは過去を振り返らないことにした。前を向いて生きる、それこそ、羽山英雄にふさわしい。自伝など、めめしい奴の出すものだ」
 羽山英雄は事もなげに言うと、ビールを飲み干した。
 喉にささっていた魚の骨がどこかへ吹っ飛んでしまった。猛然と食欲がよみがえり、私はビールはそこそこにコップ酒に切りかえた。料理が減り、酒がすすむうち、座の雰囲気は急激に変容した。
「ソンドギ君、きみは気骨のある若者だ。日本国家に楯つくところが、なんとも言えん。権力と果敢にたたかう、これが本物の根性だ。タイシャキョヒ、大赦拒否、これが、いい。最高だ。きみは、わが民族のチャンピオンだよ。おれの若い頃、そっくりだ。愉快、愉快」
 羽山英雄が軽口をたたきはじめたので、私は驚いた。韓成徳の「わが民族」までが彼にうつったらしい。
 羽山先生、おれの若い頃とそっくりはないでしょ。あんたは土地の親分を日本刀で切り殺して刑務所へはいり、やがて暴力団組長、実業家もどき、国会議員候補者、落選、となった。韓成徳君は指紋押捺拒否、大赦拒否。それとこれと味噌糞にするとは何事か。
 喉もとまで出かかったが、もちろん私は言わなかった。その言葉が口をついて出るには、私の頭脳はまだ明晰すぎた。私は、コップに三分の二ほどの酒を弾(はず)みをつけて飲み干した。
「ぼくらは在日を生きなくてはなりません。在日を生きるとは、たたかうことです。そして、まっとうに朝鮮を生きるのです。ところが・・・・・・」
 韓成徳は、酒を飲んでも、堅(かた)い。彼の目にふたたび涙が浮かび、口もとが皺々になっている。
「ところが、わが在日は、帰化の波に負けそうです」
 まずい! 羽山英雄の前で帰化の話はまずい。
 私の心配ははずれた。
「ソンドキ君、羽山事務所へ来てくれんか。きみのような若い右腕が、おれには必要だ」
 羽山英雄の言葉に、私は度肝を抜かれた。韓成徳も当惑したらしい。何か弁明しようとしたが、不意に遮られてしまった。
「面白い、賛成」
 鈴を振るような朴明姫の声が響き渡った。
「よし、決まった」
 羽山英雄が大きな手を拍った。
 韓成徳も私も、コップを運ぶ気力を失い、箸を持つ力も萎えてしまったのに、あたらしい料理と酒が運ばれてきた。
 舞台の場が転換したように座が沈んでいき、潮騒の音が急に耳を打ちはじめた。
 瞬間の静けさを確かめるように、羽山英雄は私たち三人の顔を眺め、ゆっくりと口を開いた。
「桐山君、ソンドギ君、それから・・・・・・」
「ミョンヒさんです」
 私が言った。
「うん、そうだ。おれの親爺はだな、あの楢島航空機で働いていたのだ。強制連行ではなかったが、飯場の親方に連れられて信州の松本から徴用されてきていた。そして、B29の爆撃にあって、死んだ。四十八人の一人だ。おれは十歳だった」
 私たち三人は息を呑んで羽山英雄を見つめた。彼は瞑目していた。
 韓成徳が思いつめた声で言った。
「羽山先生、力を貸してください。ぼくたちといっしょにアボンニムの鎮魂祭をやりましょう」
 羽山英雄はしばらく応えなかった。突然、両眼を見開くと、意外に静かな口調で言った。
「過去にこだわって、何が生まれるというのか。おれの前には未来だけがある・・・・・・」


 翌日の正午前、韓成徳、朴明姫、私の三人は、半田市役所のロビーにいた。
 昨夜は結局、羽山英雄だけが高級外国車で帰り、私たち三人は彼の計らいで海辺の料理旅館に泊まることになった。韓成徳はかなり酩酊しており、羽山英雄事務所へ戻ったとしても、そこから名古屋まで車を運転していくのは無理だった。
 ――羽山先生、鎮魂祭には行政と旧楢島航空機の関係者にも参加させ、協力させなくてはなりません。戦後責任をきっちりとらせるためです。資金も必要です。鎮魂祭は毎年おこないたい、いずれは慰霊碑も建てたい。羽山先生の助けが要るのです。
 羽山英雄が帰るまぎわまで、韓成徳はよく粘った。
 羽山英雄はといえば、おれは過去を振り返るようなめめしい男ではない、すべてを明日(あす)に賭ける――の一点張り。屈する気配はなかった。
 彼が、めめしいという言葉を繰り返したとき、朴明姫が、「女性差別!」と抗議したが、羽山英雄は、なんのことか、というふうにキョトンとしていた。
 ――アボジの霊を鎮めることが、なぜ過去を振り返ることですか。行政や侵略者どもに謝罪させるのは、今日のため、将来のためではないですか。
 韓成徳が追い打ちをかける。
 私はといえば、羽山英雄の頭の中が、明日のこと、そう、国会議員への出馬の件で一杯なのを知っていたので、へたに嘴を入れることができなかったのだが、別れぎわになって、突然、閃いた。
 ――羽山先生、選挙は半年後に迫っています。鎮魂祭の実行委員長をお願いしますよ。
 私はそれ以上言わなかったが、彼は敏感に察したらしい。表情がはっきりと動いた。しかし、返答はなかった。実行委員長として一大イベントを打つことの宣伝効果と、もしかして朝鮮人リ・スウンを世間に宣伝しかねない逆効果とを、秤にかけていたのか。
 私たち三人は、今朝、出迎えに来た外国車で羽山英雄事務所へ戻り、羽山英雄に昨夜の礼を言い、名古屋へ帰るつもりだった。突然、韓成徳が、市役所へ寄ろうと言ったのは、彼の車に乗り込んでエンジンをかけた時。彼は、あまりうまが合わないらしい長兄の経営するスクラップ工場で働いているのだが、そこを二日間も休むことになる。私はひそかに心配したのだが、「賛成!」という朴明姫の一声ですべてが決まった。
 三人が市民相談室といった趣の小部屋に通されたのは、窓口で用件を告げてから二十分近くも経ってからだった。
 応対にあたったのは市民課の管理係長と窓口で用件を伝えたときの課員だった。差し出された名刺を見ると、韓成徳がいきなり注文を出した。
「事はたいへん重要です。市長に会えませんか」
 係長と課員は驚いたふうに顔を見合わせ、一拍置いて係長が応えた。
「市長との面会には事前の了解が必要でして」
「事前に了解をとらなくては会えないのですか。地方自治法の何条?」
 韓成徳はGパンの尻ポケットから手帳を取り出して、メモの構えをとる。
「どなたか議員の先生の紹介でもあれば、助かるのですが」
「それは、地方自治法何条?」
 指紋押捺を拒否して役所との交渉には手馴れているらしく、韓成徳の切っ先は鋭い。初体験の私は、幕開けからして波瀾ぶくみの雰囲気に、わくわくする。立場も忘れて、野次馬気分がうごめきはじめたらしい。
「生憎、市長は所用で出掛けていまして」
 係長は方向転換した。
「嘘ばっかり。それがほんとうなら、最初からそう言えばいいのに」
 朴明姫が口を挟んだ。彼女にそんなつもりはないはずだが、大きなお腹のせいで踏ん反り返った姿勢になっている。係長は困惑の表情を浮かべ、彼女の鈴を鳴らすような声がいったいどこから出てくるのかというふうに妊婦服をしげしげと見た。一瞬の沈黙をとらえて、彼は気を取りなおしたらしい。
「課長を呼びます」
 それで手を打ちましょう、とは言わなかったが、係長は若い課員に耳打ちした。課員は、韓成徳らの反撃の機会を封じ込める素早さで、室を出ていった。韓成徳は憮然と腕組みしたまま待った。ここは深追いしない戦術らしい。
 市民課長は、数分と待たずに来た。いくらか人生に疲れた雰囲気の係長とは対照的に、こちらは勢力旺盛、柔道選手みたいに胸が分厚く、肩幅も広い。短髪の生え際と眉毛のあいだが特徴的に狭く、すでに半禿げ症状を示している係長より若く見える。
「用件は伺いました」課長はのっけから高飛車な口吻で私たち三人を大胆に眺めまわした、「地下工場の件は楢島航空機と韓国の方々との雇用関係の問題です。空襲で亡くなった方々の問題はアメリカさんの問題で、いずれも戦争中の事故であって、われわれが爆弾を落としたわけではありません。したがって、行政が関与できる問題ではない、というのが私の見解です。国策の結果だったという観点から、強いて言えば、国へ持ち込む問題でしょう」
 韓成徳は呆気にとられたふうでもあったが、ただちに切り返した。
「戦争中? 国策? 冗談じゃない。これは半田市で起こったことですよ。その証拠に、あんたたち、半田空襲の犠牲者のために毎年、慰霊祭を開いているでしょう。日本人の死者は慰霊しても、朝鮮人はほっとけと言うのか」
 韓成徳の顔に悔しさの表情がありありと浮かび、目が赤くにじみはじめた。
「あれは半田市民の慰霊祭です」
 課長は平然と言う。
「半田市に住む朝鮮人は、住民じゃないのか。税金だって払っているじゃないか」韓成徳は拳で目の前のテーブルを打った、「ぼくたちのアボジやオモニは、日帝時代に、無理矢理、日本国民にさせられていたんだ」
 課長は、仏頂面をして口を噤んだが、かすかに皮肉な笑みを浮かべると、意想外なことを口にした。
「カン・セイトクさん、あなたは指紋押捺を拒否して裁判に掛けられていましたね。いまは名古屋のほうの区役所で外国人登録の切替そのものを拒否しておられますね。さらに、昭和天皇のご崩御にともなう大赦にも異議を唱えて、国を訴えておられますね」
「それが何なんだ。不逞鮮人とでも言うつもりか」
 韓成徳が裂帛(れっぱく)の気迫で課長を睨みすえた。
「カン・セイトクって誰のことですか。そういう名前のひと知りませんよ」
 朴明姫が皮肉った。
「課長、何が言いたいんだ」私も、もはや野次馬気分を楽しんでいる場合ではなくなった。三十年まえ、羽山英雄らのあとにくっついて半田の町を肩で風切っていた頃の血が騒ぎはじめたらしい、「脅かしのつもりなら、ただじゃ済まん」
 課長は口を噤んでしまった。韓成徳の気迫に気押されたようだが、木偶の棒みたいに黙りこくっていた私の、意外な態度も多少の効果は発揮したらしい。
 韓成徳が執拗に弁明を迫ったが、課長はこれまでの饒舌を豹変させて押し黙ったままだ。膠着状態がつづくのは、目に見えていた。
 私は室を出た。事態の打開には、羽山英雄の助けを借りるほかない。多少の荒療治は避けられないかも知れないが、国政選挙への出馬をまえにまさか暴力沙汰にも及ぶまい。私は市役所の玄関の公衆電話から、ままよ、と羽山英雄事務所へ電話を入れた。彼は運良く事務所にいた。
 一部始終を説明すると、羽山英雄はぶっきらぼうに応えた。
「羽山英雄の人生訓は、きのう、何度も話したとうりだ。おれの出る幕でもあるまい」
「そこをなんとか」私は懇願した、「ソンドギはなかなかのインテリだから、腕力をふるうような男じゃない。しかしおれは、ひょっとしたら、あの課長の野郎を・・・・・・」
 私の言葉が終らないうちに、受話器は激しい勢いで音を立てて置かれた。意識はしなかったが、私は羽山英雄の俠気をくすぐろうとしたようだ。姑息な腹のうちを見透かして、彼は激怒したのだろうか。
 室にもどると、膠着状態はいっこうに変転していなかった。沈黙の睨み合いが数分つづくと、韓成徳は険しい口調で弁明を求める。課長は、私は、事実をお伝えしたまでで、他意はありません、ましてや差別する気など・・・・・・聞き取りにくい言葉を口の中で呟いて押し黙ってしまう。彼の顔は堪え性もなく蒼褪め、係長と課員のそれはすっかり引きつれている。
 午後の業務の始まりを告げるチャイムが鳴った。私は意を決して言った。
「ソンドギ君、出直すことにしよう」
 韓成徳と朴明姫が、示し合わせたように、軽蔑をあらわにした目つきで私を見た。
 その直後である。室の外で何かを哀願する人の声が聞こえ、それを吹き払うように一陣の風が巻き起こって、羽山英雄の巨軀が現れた。
「市長はおるか」
 羽山英雄はいきなり、まさに割れ鐘のような声を上げた。課長と係長と係員が機械仕掛よろしく棒立ちになった。
 羽山英雄は返事も聞かず、私たち三人を促して室を出た。羽山英雄を先頭に私たちが庁舎内を抜けるとき、机に向って業務に励んだり三々五々私語を交わしている職員のあいだに、異様な緊張感が走った。それは羽山英雄の登場が彼らにもたらす、習性化された恐怖かともおもえた。
 羽山英雄は、変容した庁舎内の雰囲気を無視して、靴音はげしく階段を上がり、二階の廊下を突き当たった室のドアーを開いた。市長室のその椅子に小柄な初老の男がいた。


 羽山英雄の登場によって、事態は呆気ないほどに打開された。市長は、鎮魂祭の後援を簡単に約束したのだ。というよりも、羽山英雄の有無を言わせぬ迫力に了解させられた、というのが私の印象だった。市長は、羽山英雄の不倶戴天の敵である国会議員・黒野忠義の一派であるらしく、羽山英雄の申し入れを跳ねつけることで逆に巻き起こるであろう波風を避けた。それが市長の計算であるらしい。
 市長のお墨付きによって、事はトントン拍子に進展した。鎮魂祭の時期は二か月ほどのちの十一月中旬。場所は、楢島航空機地下工場のあった飯盛山に近い、私立雁宿公園を市が提供する。雁宿公園には七本木池があり、朝鮮の風習にのっとった鎮魂の儀式を執り行うには好適である。
 朝鮮人半田空襲犠牲者鎮魂祭実行委員会の市側責任者は市民課長。実務担当者として課員二名が当たる。資料作製、市民への広報、鎮魂祭の運営などは市が責任をもって行い、当日は市長、市会議長はじめ市当局者を大挙、出席させる。旧楢島航空機関係者に協力させるための折衝は、市民課長自身が当たる。鎮魂祭実施と準備にかかる費用は、一切、市が負担する。
 私は、心の中で快哉を叫んだ。手をこまねいていても、鎮魂祭は実現したも同然ではないか。
 ところが、肝心の韓成徳がいまひとつ憂愁の表情を浮かべている。原因は、事がトントン拍子に運んだ理由自体にあった。われわれ三人の力及ばず、彼にとっては世辞にも尊敬すべき人物とは言いがたい羽山英雄の、不純な(と彼は思っているらしい)圧力によって、市当局にうわべだけ屈服させた。当局ははたして「わが同胞」への責任を心底、認識しているのか、鎮魂祭の意義を理解しているのか。彼の憂鬱の原因はそこにあった。
 しかしそのことは、市が実行によって誠意を示すことで、ひとまずはよしとしよう。問題はわが方にある。鎮魂の儀式は「わが民族」の伝統にのっとったものでなくてはならない。
 死者の霊魂を呼びもどし、祭壇まで誘う、降神クッ
 神に祈願を捧げる歌ピナリ
 死者の恨(ハン)を解き、霊魂を慰める舞いサルプリ
 死者の霊たちが恨を解き、遊び楽しんでいけるようにと演奏する農楽四(サ)物(ムル)ノリ
 最後に、霊たちが黄泉(よみ)の国へ旅立っていくための黄泉送クッ
 熾烈な習練を必要とする鎮魂クッの儀式を、誰に頼めばよいのか。ことに至難の芸、難問はサルプリの舞い、サムルノリの演奏だ。
 韓成徳の表情がいよいよ深く憂愁に沈んでいったとき、羽山英雄が膝を打った。
「ソンドギ君、心配無用、われわれが演(や)ればよろしい」
 韓成徳、朴明姫、私は、指揮棒に促されたわけでもないのに、一斉に彼を見た。
「ぴったりな奴(の)がおる。木下栄子(えいこ)女史! あれは初級から民族学校へ通っていた。チョッパリの高校生野郎を刺して少年院へはいるまでは・・・・・・ウリハクキョでは勉強のほうはからきしだったが、歌と踊りは抜群だったらしい。同級生の吉本社長が語り草にしとったわ。間違いない。ピナリとサルプリは木下栄子にやらせよう」
 三十年まえ飛び蹴りの名手だったリ・ヨンヂャ、いまはホテル金剛山と会員制クラブ・リムジンのオーナーで羽山英雄講演会の副会長でもある。
 狐につままれた気分で聞いている私たち三人に、羽山英雄は事もなげに続けた。
「厄介なのはサムルノリの奏者だが、これも大丈夫。チャンゴはソンドギ君、きみ。プクは安本支配人にやらせよう。ケンガリは言うまでもなく吉本社長。さて、残るは、チンだが、これは不肖、羽山英雄がつとめよう。よしっ、オールスターキャストは決まった」
 私は思わず唸った。
 杖鼓は韓成徳。鼓は三十年まえ無類の喧嘩っぱやさで鳴らしたソッテこと、パチンコ富士の支配人・安本錫泰。小鉦が、三十年まえグループの知恵袋だったカンスーこと、吉本土建の社長・吉本光秀。そして大鉦が、その総帥であったリーこと、羽山英雄先生。まるでだるま一家ファームチームの再現ではないか。
 ふーッ・・・・・・唸り声は溜息に変わった。しかし、異議を挟む余地はなかった。鎮魂祭実行委員長・羽山英雄先生みずから四(サ)物(ムル)ノリの一翼を担うというのだ。差し出口を挟む勇気など、私にあろうはずはない。
 私は、恐る恐る韓成徳の顔色を窺った。彼自身、チャンゴの腕はまずまずであるとはいえ、あとの四人に至芸を伝授するほどの域ではない。四人は、彼にとって海のものとも山のものとも知れない存在なのだ。
 韓成徳の意外な反応が私を驚かせた。
「その線で行きましょう。われわれの力でやり遂げることに意義があります。指導してくれる先生を、ぼく、知ってますから、頼んでみます」
 何事も自力更生を旨とする彼の意にかなったらしい。
「やったー」
 歓声を上げたのは、朴明姫である。こちらに回ってくるのではと、ビクビクしていたおはちが、あちらへいったので喜びの声を上げたのか、いや、そうではあるまい。彼女は慾張りにも、歌と踊り、伽耶琴まで習っており、身重でなければ、みずから名乗り出たところだろう。順調にいけば、鎮魂祭の日あたりに生まれる。
 早くも感涙を目頭ににじませている韓成徳を横目に見て、私はひとまず安心した。
 ところが次の瞬間、私は驚愕した。
「桐山君、事務局長はきみ」
 間髪を入れず起こった拍手の音に、異議を唱えようとする意欲は気押されてしまった。私は、韓成徳と朴明姫の顔を恨めしく眺めやるしか術がなかった。


 鎮魂祭の稽古は、羽山英雄事務所のビル三階、「根性一徹」と墨書された額のある、広々とした和室で始まった。四物ノリの練習が始まると、韓成徳は、長兄が経営するスクラップ工場を潔く辞めてしまった。直情型性格の彼は、あとさきのことは視界にないらしい。とりあえず鎮魂祭までのあいだ、羽山事務所に勤めて四物ノリの稽古に励むというのだ。
 先生は、李(リ)銀(ウ)任(ニム)という、その道では名の知れた女性。韓成徳からの依頼に、初めは二の足を踏んでいたが、彼の熱意にほだされて引き受けてくれた。
 私はといえば、李銀任先生の激烈な指導のもとに悪戦苦闘する五人を脇目に、事務局長の仕事に専念、と言いたいところだが、すっかり勝手が替わってしまった。三十年まえのジロ吉こと、売れない小説書きの桐山二郎は、羽山先生から分に過ぎる手当てと活動資金をはずんでもらい、普段の○貧ぐらしが嘘のよう。
 そのうえ、厄介な仕事は全部、市の担当者がこなしてくれるので、暇を持て余して夜は赤提灯に足をむける機会がめっきり増えた。唯一、それらしい仕事は犠牲者の名簿作製くらいだが、これも原資料が楢島航空機関係者の手もとにあったので、それに「旧楢島航空機朝鮮人徴用工空襲犠牲者名簿」という長たらしい表題を付して印刷屋へ出せば済んだ。一九四五年八月十五日、日本の敗戦と同時に工場長の命令一下、朝鮮人労働者に関する資料一切が焼却されたという話だったので、作業は難航するかと予想したのだが、運よく名簿の写しを当時の労務担当員が保存していた。
 名簿には「殉職者氏名」と出身地、遺族氏名と本人の続柄が記されていた。
 羽山順日、咸鏡南道三水郡館楽面寺泉寺一二
 遺族・羽山錦玉(妻)
 羽山英雄の父上の項である。四十八名全員が創氏改名になっている。それを本名に復元して犠牲者名簿を作ろう、と強硬に主張したのは、言うまでもなく韓成徳である。創氏のほうは本名を判断できるものが多かったが、改名のほうはほとんど復元不可能であり、調査の時間もない。創氏改名をそのまま載せることで、日帝の植民地政策のなまなましい実態を伝えよう。涙を飲んで、創氏改名のままの名簿を作成することにした。
 ほかに私が有り余る時間を利用して行なったことといえば、当時の強制連行、強制労働の体験者を探し出し、生き証人から歴史の証言を聞き取ることだった。これは本業の取材と一石二鳥。いまはすでに七〇歳をこえる老人が、時に怒りに咽(むせ)び、時に過酷な境遇を揶揄し、語りつづける言葉は、私の胸に沸々と記録への意思をたぎり立たせた。
 意外であったのは、網走刑務所の囚人の話だった。楢島航空機地下工場の建設には網走から連れられてきた受刑者たちが働かされていたという。私はその話を羽山英雄には伝えなかった。彼は、三十三年まえ、二十二歳の時、地場やくざの親分を日本刀で危(あや)め、送られたさきの網走で厳寒の冬を幾度も過ごした。
 ともかく、事務と名のつく仕事はからきし苦手な私だが、準備段階に限っていえば、事務局長の職をどうやら無難に切り抜けた。というよりも、実行委員会の役職を名目だけでもわが方で握ろうという羽山英雄や韓成徳の思惑には沿うことができた、と言うべきか。
 一方、鎮魂祭儀式の稽古は何度も危機に見舞われたらしい。なにしろ、韓成徳は別として、四人が四人揃いも揃ってズブの素人であることは仕方ないとして、有名(なうて)の個性派,能書き屋、唯我独尊、一国一城の主(あるじ)、偏屈、自己主張の権化なのだ。さしもの李銀任先生も手こずったらしい。
 難問の最右翼は木下栄子女史。筋のよさには李銀任先生も舌を巻くものがあるが、先生の指導に何かにつけ楯突く。ウリハクキョで覚えたノレ(歌)はそんなお経みたいなもんじゃない。金日成(キミルソン)将(チャン)軍歌(グンガ)が目にはいらぬか。わたしの得意なチュム(踊り)はそんな巫女踊りじゃない。もっと優雅な芸術舞踊だ。
 ところが、日を経るにつれて、そんな木下女史がみるみる変容していった。ビナリの韻律、サルプリの静と動、神秘と幻想、恨(ハン)と解放感。すっかり、その世界に囚われ、化身していった。李銀任先生は、彼女の素質に目を瞠った。
 木下栄子の変容に厄払いされたふうに、安本支配人のプク、吉本社長のケンガリ、羽山先生のチンも、めきめき上達し、韓成徳をふくむ四物ノリは見事に調和していった。
 李銀任先生は、鎮魂祭の日をまえに、太鼓判を押した。そして誰言うともなく、当日の演者はすべて本名で出演することになった。羽山先生は李英雄=リ・スウン、吉本社長は姜光秀=カン・グァンス、安本支配人は安錫泰=アン・ソクテ、そして木下栄子女史は李栄子=リ・ヨンヂャ。
 いよいよ本番という数日まえ、稽古場に顔を出した私は、ある発見をした。羽山会の道場であったその部屋から「根性一徹」と墨書された陳腐な額が消えていたのである。


 晩秋の陽差しは、めくるめくほど透明に輝いて、鎮魂祭のマダン(広場)に降り注いでいる。七本木池を渡って吹き抜けていく風が、陽光を燦(きら)めかせた。
 マダンに設えられた祭壇には供物がにぎやかに飾られ、拝礼用の茣蓙が敷かれている。日本人参列者のためには香が用意されている。供物の果物がひときわ色鮮やかに映えた。
 祭壇から少し離れて左右には、市章の印刷された大きなテントが二張ずつ張られ、すでに参列者が詰めている。左側のテントには、市長、市議会議長、助役はじめ、市の関係者が揃っている。韓成徳、朴明姫、私の三人が要請に言ったとき大いにやりあった、角刈り頭の市民課長の顔も見える。
 右側のテントには、民族組織の役員が打ち並んでいる。羽山英雄と市民課長の奔走が功を奏して、北の総連系、南の民団系、双方が列席した。組織とは関係のない地元の朝鮮人、日本人も、予想をこえて参加しており、テントの中の椅子に座りきれない人びとが、あちらこちらに立っていた。民族衣装のアジュモニ(婦人)の姿も、ちらほら混じっている。
 飯盛山から吹く風が、楽器の音を運んできた。ゆったりとした、荘重な響きだ。
 七本木池で行われていた降神クッが終わったらしい。幟をかかげた司祭役の老人に従って、白いパヂ・チョゴリを着けた四人の奏者たちはチン(大鉦)を先頭に一列に並び、灌木も疎らな丘陵の道を下ってきた。彼らが、それぞれの楽器を奏しながらマダンへはいってきたとき、私は目を瞠(みは)った。その表情に浮かぶ厳粛さは、生まれ変わりとしか思えなかった。
 七本木池に降神した四十八人の霊魂は、無事、祭壇に誘(いざな)われた。
 事務局長・桐山二郎は、式次第のメモを片手に、マイクの前に立った。鎮魂式の開会を宣言したまではよかったが、あとが出てこない。なまじっか余裕を示そうとして、張りつめた雰囲気の参列者を眺めまわしたのがいけなかった。用意していた挨拶の言葉が影も形もなく雲散霧消してしまった。この場の緊張に加え、昨夜、寝つかれないままに寝酒のアンコールを繰り返したのが、追い打ちをかけたのだ。窮余の一策、私は咄嗟に、実行委員長・羽山英雄先生の名前を呼んだ。
 一メートル九〇センチ、九〇キロ、堂々たる体軀をパヂ・チョゴリに包んだままの姿で、羽山先生は、四十五年振りにアボヂや他の同胞の鎮魂祭が実現したことに、感謝の意を述べた。終始、謙虚であった。私は胸を撫でおろした。白状すると、国会議員選挙への立候補の弁を滔々とぶち上げるのではないかと、気が気ではなかったのだ。そのことには一言半句も触れることなく、犠牲者への鎮魂の言葉で挨拶はむすばれた。
 来賓挨拶にたった市長と市会議長の言葉は、見事なほどに内容空疎なものだった。「朝鮮・韓国の方々」という冠頭句をやたらに使い、馬鹿丁寧な口吻ばかりで、焦点ボケ。私は、開会あいさつもろくすっぽできなかったわが身は棚に置いて、眉をひそめた。
 二つの民族組織の役員が挨拶を終えると、突然、マダンに一陣の風が巻き起こった。白衣を陽光に燦めかせ、風を裂いて、一人の巫女が祭壇の前に粛然と立った。

  住みなれた故郷を離れ 玄海灘を渡り
  水陸万里ひっぱられ 過酷な労働 過酷な暮らし
  山や川は同じだというのに 故郷のそれとは違って見える
  ひもじく疲れはてた我が身 思うのは故郷のゆりかご
  錦(クム)繍(ス)江(カン)山(サン)三(サム)千(チョル)里(リ) 無(ム)窮(グン)花(ファ)は満開だろうか 恋しい 恋しい
  異国で死にゆく我が運命痛恨 我が胸中 心残り
  陽が落ち 夜は更け 夢枕には父母兄弟の面影
  わらべのころ遊んだ野山は 変わらぬか
  私の青春消え失せ 前途は途絶えたが
  祖国に再び帰れぬ我が運命 なぜだ 教えてほしい
  涙も血も汗も出るだけ出たよ 
  空腹の身はすりきれ あぁ父母兄弟逢いたい

 巫女は哀切に詠(うた)い、時に激越に、時に静止の美しさを保ち、マダンを旋回する。長くひろがったチマの裾が風を孕んで豊かにふくらみ、地を払う。指先の所作、顔の表情ひとつひとつが、死者と交歓する。リ・ヨンジャ女史の舞いは、妖艶でさえあった。
 突然、歌調は、死者の胸中をつづる悲惨なものから一転し、兄弟の訪問を歓喜する躍動に変わった。

  来たよ来たよ ようやく来たよ ようやく来たよ
  私を探しに ようやく来たよ 我が身は散り散りに飛び
  我が魂は有るとも無いとも
  四十余星霜 過ぎし日に やっと私をたずねて来たよ
  無情な歳月は 流水の如く流れ流れて
  生きている時に 逢えていたなら よかったが
  来たよ来たよ ようやく来たよ 兄弟に相逢したから
  つかえたハン(恨)を解けよ チュム(踊り)を踊ってみよう
  オホートゥンドゥン楽しいな オホートゥンドゥン楽しいな

 巫女の舞いは雀躍し、マダン狭しと激しく、大きく旋回する。手にした長い白布がナビ(蝶)のように飛び舞い、純白のチマの裾、チョゴリの袖が、風を呼び、光を弾(はじ)く。
  オホートゥンドゥン楽しいな 
オホートゥンドゥン楽しいな
 死者の恨(ハン)は解かれた! リ・ヨンヂャ女史の体は地を抱き、ピタリと静止して、サルプリは終わった。リ・ヨンヂャ女史のピナリはすべて朝鮮語であった。
 マダンは寂然として、咳(しわぶき)ひとつなかった。私の背をコツコツ小突いて促す者がいる。私は夢から醒めた心地で、事務局長・桐山二郎に戻った。
 焚香の時間である。私は慌てて、マイクにむかった。
 参会者の列は二列に延々と続き、朝鮮人参会者は茣蓙に立ち、両手両腕の所作とともに跪(ひざまず)き、朝鮮式の礼拝をした。日本人参会者は焼香した。
焚香が終わると、間も置かず、四物(サムル)ノリの奏者がマダン中央に登場した。白衣に身を包んで地に座した四人は、祭壇にむかって右からチン(大鉦)の李英雄先生、チャンゴ(杖鼓)の韓成徳青年、ケンガリ(小鉦)の姜光秀社長、プク(鼓)の安錫泰支配人。
 四物ノリの演奏は、チンの先導によって、ゆったりと荘重に始まった。ケンガリが冴えた音を光の中に放ち、チャンゴが澄んだ響きを空にひびかせる。プクは無垢な響きを地に這わせ、チンが野趣な合(あい)の手をのんびりと入れる。飯盛山の樹々の間に間にも、七本木池の水面にも、悠久の時間がたゆたっているようだ。
 悠々とした江(かわ)の流れが延々と続くかと思った刹那、楽調は徐々に速まり、一転した。ケンガリの冴えた音は、間断することなく、光を裂き、チャンゴの響きは風を巻く。プクが地塵を払い、チンは荘重に空をつらぬく。音と、風と、光の中で、四物(サムル)は一体となった。
 私は、身も心も解かれる心地で、白昼夢の中に遊んだ。不思議な世界であった。音と風と光の中で、死者の霊たちはひとの姿をして、酒を酌み交わし、農(ノン)夫(プ)歌(ガ)を歌い、肩踊りに興じていた。そこは村のマダンか。
 どれほどの時が経ったろうか。眼をひらくと、四人の奏者たちの、汗に光り、紅潮した顔が迫ってきた。安支配人と姜社長は恍惚の境だ。韓成徳の顔は、すでに汗と涙でバケツの水をかぶったよう。そして、李先生は・・・・・・
 私は、羽山英雄の顔を見た瞬間、息をのんだ。韓成徳の涙は予想通りとしよう。ところが、어(オッ)떻(トッ)게(ケ) 했(ヘッ)다(タ)고(グ)? どうしたというのだろう。羽山先生の頬を大粒の涙がとめどもなく伝っているではないか。


 鎮魂祭は終わった。
 雁宿公園のマダンから七本木池へ通じる丘の道を、怨念を解き放たれた霊たちが、
 今日はここで一日休み
 明日はあそこで一日休み
 オルサー チョルサー 帰って行こう
 ウリコヒャン(わが故郷)へ帰って行こう
 と、農楽隊の월(ウォル)산(サン)가(ガ)の歌に送られて、参会者の列に送られて、黄泉(よみ)の国へ旅立って行く。
 ちょうどその時刻、新しい生命が誕生していた。朴明姫が病院の産室で男の子を産んでいたのだ。

   付記 作中に引用した歌ピナリは、在日韓国朝鮮民族文化研究会「風物魂振(プンムルホンヂン)」の崔徳任さんが作詞作曲したものの日本語訳です。


 俺たちの旅
津(つ) 田(だ) 悠(ゆう) 司(じ)

 隣の部屋でナンバが、ウォークマン貸してくれ、と大声で言った。
待てよなぁ、これボクのだぞ、と返事をして、テープが再び戻ると尾崎豊の「シェリー」を聴いた。
 ナンバは襖を開けて横たえていた大きな体を捻らせて、ボクに手を伸ばした。チラッと横目でそれを見てボクは眼を閉じた。尾崎の曲はいいなぁ、感動するよ。シェリーやさしく俺を叱ってくれ、そして強く抱き締めておくれ、お前の愛が全てを包むから――。
「音楽なんて、いつでも聴けるだろう、頼むから貸してくれよ。俺は一生の問題を今、抱えているんだぞ。早く貸せ」
 ナンバの催促で仕方なしに、電話台の下に置いてあったプレイボーイを手に取って、ウォークマンを渡した。
 ボクとナンバは二年半前から同居している。会社の寮ではない。民間アパートでだ。ホモではないか、と或る友人から真面目に四十五分間も問い詰められた事もあるが、ホモではなかった。
 昔、テレビドラマで「俺たちの旅」を視て、影響され、いつかは友達と一緒に暮らそうと決心していたのだ。
「ススム、うまく録音できとるよ。バッチリだ。ウフフフフフフフ」
  プレイボーイのグラビア写真の、ピンクと白のストライプでフリルのついたパンティーをはいた女の子に、ナンバの不気味に笑う声が蛇の様に絡み付いて、不快になった。
「ヨッシ、できた。おいススム、テープの内容、ノートに写したから、ウォークマン返したる。その前にこのテープ聴かせてやるよ」
 ナンバは嬉しそうに耳からヘッドホンを外すと、ボクに渡した。グラビア写真の女の子に、ナンバの蛇の様な笑い声が絡み付いているのが、まだ頭の内側にシールみたいに貼付いていたが、ナンバの嬉しそうな顔を見ていると、お湯を掛けたシールの様に不快なものが徐々に剥がされていく感じがした。

――ここだけの話だよ。
――なんです?
――君、集会に度々行っているんだろう。
――どうして?
――いや、ちょっとそんな噂を耳にしてね。
――誰がそんな事を?
――噂だよ、ウ・ワ・サ。
――ボクが採用試験に落ちたのは、そういう事なんですか。
――ここだけの話だよ。ところで君、どこのセクトなの。実は僕なんかも昔はね、学生運動なんてやっててね、『マル経』出身なんだけどね、いやいや、つい昔を思い出しちゃったね。若かったんだよね、でも楽しかったねぇ。君はどこのセクトなの。
――集会なんて行ってないですよ。クビなんですか。
――集会行ってるんだろう。集会なんて行く性格の持ち主をうちの会社にはおけないんだねぇ。
――レッドパージですか。
――採用試験に性格テストもあったでしょう。君、それ不合格なんだよねぇ。コンピュータがちゃんとはじいているんだよね。君がいると会社潰れちゃうのよ。潰れちゃったら六百人の従業員はどうなるの。大変だなぁ。私には、六百人の従業員を守る義務があるんだよね。一人より六百人なんだな。正社員になれなくて残念だったね。でも試用期間は本当に助かったよ。ご苦労だったね。
――本当に採用してもらえないんですか。
――ダメだねぇ。

 どうして最初に試用期間中にテストがあると言わなかったですか、それに・・・・・・ナンバが喋っている途中で、ボクはレコダーのストップボタンを押した。なかなかうまく録音できてる、上出来、上出来。

 ナンバが会社から試験をやらされてクビだと言われたのは二週間程前だった。その当日は、半分涙顔で、政治活動も辞めて、今度こそ真面目に会社勤めをやろうと一生懸命に頑張ってたのによぉ、クビだって、ああ畜生、と帰宅早々、ボクに言った。ボクは前日の試験で悪い予感がしたが、それが見事に的中した。ナンバは、絶対に撤回させてやる、と言ってその方法を思案した。兎に角、試験やるって四カ月前の面接で言ってないんだから不当だよ、とボクが意見すると、ナンバは証拠だよ、そうだ、人事と面談して盗聴してやる、ああ、でも駄目だ、金が・・・・・・。
 ナンバは貧乏だった。盗聴を思い付いた後、ボクを不気味な顔で見て、ウォークマンを買ってくれ、とせがんだ。それを拒否すると、「俺が貧乏なのは俺の所為じゃぁない。確かに職を転々としたけど、それは世の中が悪人ばかりで俺に会社を変えさせようとする意志を持たせるからだ。俺の所為じゃぁないんだよ。だからウォークマン買ってくれ」
 結局、ナンバのへんな理屈で、ボクは買わされてしまった。
 再びボクは「シェリー」を聴く為にウォークマンの開閉部を開けると、ガラスの部分が、窓から入ってくる光でキラキラと輝いた。まるで盗聴が成功した今のナンバのようだ。



 駅の改札口を出て階段を降り雑踏の中に入っていくと、何処からかボクの名前を呼ぶ声がして振り向いた。
 ススム君だろ、と二メートル程離れた所から、再び名前を呼びながら人の間を縫うようにして、ボクの前に立ち止まった。何処かで見たような顔だが、思い出せない。男はニキビの多い油顔で、夏だというのに長袖を着てネクタイまでしている。何処かのセールスマンだろう。
「いやぁ、浅野だよ。ほら高校時代野球部だった浅野だよ。覚えてるだろ。君は体操部のススム君だろ」
 ボクは高校時代、体操部で有名だった。帰宅部同然のクラブを県大会出場まで盛り上げたホープだったからだ。練習も毎日、血の出る様な日が続き、級友の小野田という左翼まがいな奴から、お前は右翼だ、部活に励む奴など学校の手先、文部省の手先、国家の手先だ、と言われた事もある。
「思い出した。すまん、すまん。こんなところで何しとるの、確か家は瀬戸だろう」
「ケ・イ・サ・ツ。車上荒らしを張ってる」
 浅野は、バス停に立つ四十歳ぐらいの男を一度見ると、ゆっくり、しかもはっきりとそう言った。
 ボクは警察が大嫌いだ。三年前に深夜パトロール中の警察官が、バイクでツーリング途中、すかいらぁく駐車場で仮眠していたボクを懐中電灯で照らして起こし、職務質問した。疲れて寝ていたのにだ。
 ムッとしたボクはそれに応じなかった為、口論に成ってヤクザみたいなデブの警官の方を蹴とばした。ヤクザみたいなデブは、パトカーに乗り込み、もの凄い勢いでボクの方に走り出し、ボクの前で急ブレーキを掛けて、まるで暴走族のいやがらせみたいな事を何度も繰り返した。ついにボクは憤慨して、パトカーのボディーを蹴ってやった。ヤクザみたいなデブは、キングコングみたいに怒り狂って手錠をボクに掛けようとした。
 ツーリングで一緒だった、九州出身の鉄の様な筋肉を持った友人のトクヤンが、デブの腕を掴んで低い調子で強く、
「何ですか、これは」
 と言って、デブは正気にもどり助かった。その時からお巡りさんは、ボクに嫌われたのだ。
 浅野は友人だった。部は違うが、練習熱心な点では同じで、学校の廊下で会った時や、便所で小便の最中に横に立った時などは、クラブの話をよくした。その友人がクズの警察官に成ってしまっていたのだ。バッカ野郎と言いたかった。
 浅野はボクの顔を見てニコニコしている。
「警察かぁ、そりゃぁ立派に成ったもんだ」
 浅野は再びバス停に立っていた男を見た。
 仲間だろうか。
 男はボクに軽く頭を下げると浅野の横まで歩いて来た。
「高校時代の友人かね。もう七時だから張り込みも終わるか。いいよ、そこの居酒屋で酒でも飲んでこいや。私も少ししたらそっちに行くよ。今日は私がおごるよ」
 ボクと浅野は居酒屋にはいるとカウンターの角の席に座った。
 一年半前にボクは政治活動を辞めていたが、少し警戒はしていた。ナンバも、四カ月前に辞めたばかりだったからだ。黙秘、黙秘と十回心の中で呟いた。
 浅野は色々注文した。さっきの四十ぐらいの男が十分後に店に入ってきた。
 ボクは無口にただ酒を飲んだ。しかしただの酒はうまかった。四十男は、山本と名乗った。ボクと同じ出身校だと言い、青山先生はまだいるかねとも言った。ボクは酒だけを飲んだ。
 浅野と山本はテレビに目をやると、画面に映っている歌手をみながら、あの子は昔不良だったとか、お尻に犬にかまれた跡があるとか、自動車運転試験所で筆記試験を三回も落ちたバカだとか、つまらない事ばかり言った。一時間半程、二人の話は続き、ネタがつきると浅野が、プロ野球のチケットがあるから送ってあげるよ、だから住所教えてよ、と言って、酒に酔っていたボクは無言のまま、住所だけを書いた。
 アパートに帰るとナンバに山本と浅野の事を喋った。するとナンバはこう言った。
「公安だよ。そりゃぁ公安だぜ。そういえば会社の人事も言ってたよ。俺が集会行ってるって噂を聴いたってさぁ。山本がたれ込んだんじゃぁねぇのか。よくあるんだよこういう事ってさぁ。極左潰しだよ。経済的な土壌をなくしてく事がね。権力の常套手段だ。山本って奴、俺がセクトから脱けたの知らないんじゃないか」
 山本はその日を境に週に二回以上やって来た。ボクと会う事によってナンバを間接的に刺激しているのだろう。なんて陰険な奴だろ。ヨーロッパの拷問器具のような奴だ。
 ナンバは、セクトから脱けたんだから好きなようにさせとけよ、と言って楽観的だ。会社の件は試験の不当性をみとめさせる事に焦点をあてているからいいのだそうだ。
 山本は、週二回ではなく毎日やってきた。暑いとボクが言えば扇風機を持って、映画が見たいと言えば、チケットを持って、ビデオテープと言えば、なぜかトルストイ原作、オードリ・ヘップバーン主演の「戦争と平和」を持って、女の話をすれば、「セーラ服に注射器」というナマのノーカットエロビデオまで持ってきた。喉から手が出る程欲しかったが、差し詰めそれだけは断った。
 ナンバはボクに、俺の所にもこないかなぁ、と言った。
 山本はボクにとって楽しい訪問者だったのだ。
 しかし三週間も過ぎると、元々警察嫌いも手伝って、山本と会うのがイヤになった。それでも山本は来たから、公安だろう、と見切りを付ける為に言ってやった。山本は少し驚いたが、すぐに真面目になってこう言った。
「君達は若い。若いから正義心が強いのはよく解る。だが、世の中にはルールがある。ルールの中で生きるのが正しい人間なのだ。過激派はルールを守らん。君達は人間のクズだ。ルールを守らぬ人間は、不良品なのだ」
 ボクはうんざりして、次の日から電車通勤から車通勤に変えて山本がボクに会えないようにした。



 熱い土曜日の朝は、ボクの身体をねっとりとした汗で包んだ。目を開けて天井をしばらく見た。外から蝉の鳴く声と小学生の声が聞こえてくる。ミーンミンミンミー。
「歩道から出るなよ。おいお前、出るなって言ってるだろう」
 六年生のガキだろう、偉そうに。ボクの前でもう一度、そう言ったら殴ってやるぞ、と心の中で呟くと昨夜の電話の事を急に思い出した。浅野からの電話だ。山本と最近ボクが会っていないから、高校時代の友人の浅野をパイプ役で使ったのだろう。誰が山本となんか会うものか。山本は公安とボクにバレでもまだボクを騙そうとしている。本名が伊藤稔だって事も、電話番号だって調べたんだ。それを知らずにまだ山本で通そうとしている。
 小学生の声がいつの間にか聞こえなくなった。部屋の中は、ナンバの寝息と扇風機のモーターの音が、外の蝉の声でグルグルと回り出した。まるで洗濯機の中にいるようだ。
 目覚まし時計が、突如鳴る。セットした時刻か。隣の部屋からナンバの大きな欠伸をする声がした。
 起き上がって、ボクは洗面所の鏡を見た。ボクの顔ではないような気がする。顔全体が2㎝程浮腫んでいるのだ。ブサイクになった自分の顔を見ていると、昨夜の電話の事をまた思い出した。
 ススム君?
「どなたですか?」
 浅野だよ。野球部の浅野。
「ああ、警察の浅野か。なんだよ」
 こないだの酒はおいしかったよ。どう、また飲まない。
「ボクは忙しいんだよ。悪いけど・・・・・・」
 いいじゃないか。そうそう山本さんがさぁ、一緒にプロレスを観に行こうって言ってた。
「ボクは今、忙しいんだよ、本当に」
 そう、じゃぁまた電話するよ。
 ボクはその後に山本は伊藤稔って名前だろう、と言おうとしたが言えなかった。
 なぜか解らぬが言えず、電話を切ると急に胸がムカムカし、電話機の中に浅野がいる様な気がして、床に叩き付けた。電話機はにぶい音をたてて罅がはいった。
 鏡の中にいる自分は、昨夜壊した電話機のような顔をしている。
 なぜ、「伊藤稔」と調べてあるって言ってやらなかったんだろ。山本はボクたちの事を平凡社百科事典ぐらいに調べ上げているのに。 
 顔に泡をたてて、髭ソリでシェービングしてスッキリさせると、なぜ言わなかったのか解った。
 浅野は友達だったからだ。「伊藤稔」と言えば、たちどころに浅野は自分の嘘がバレて、良心の呵責を感じるだろう。己を嘖む姿を想像しただけでも、ボクまで気分が悪くなる。人が苦しんでいるのを見て楽しがるのは、西洋の拷問器具の様な山本ぐらいだろう。
 ナンバが起きて来た。ナンバは起きると、まず便所に入る。鏡に映ったナンバをみているとおかしくて、口から笑いが洩れた。あいつと二年半も暮らしているが、いつも一日の始まりは便所だ。ずっと変わらない。三分二十秒から四十秒の間に用を足すのだ。
 ボクはハミガキを口に入れて、浅野の事をまた考えた。友達なのになぜ浅野の事なんかで胸をムカムカさせなくてはならないんだろう。友達は普通、ボクを笑わせたり元気づけたりするはずだ。口の中のねっとりとしたものをハミガキがとってくれる様に。
 ナンバは便所にはいってボクを笑わせてくれる。いつもと同じナンバがそこにいるからだ。笑わせてくれるというより安心感をボクに与えてくれるのかもしれない。
 浅野は――。そうだ浅野は、もう昔と違う。野球部の浅野じゃないんだ。夜の七時半まで一人で残って練習を続けてた浅野じゃない。あいつは三年前にボクが大嫌いになった、ヤクザみたいなデブの警察と同じだ。ボクを騙し続けようとする不倶戴天の畜生だ。
 口の中にたまったハミガキ粉を洗面器に吐き出すと、鏡にナンバがにっこりと微笑みかけてくるのが映った。
「おはよう。うかない顔しているね」
「浅野の事、思い出しちゃって」
「あんな奴、気にするなよ。俺はあいつの事、空気みたいだと思ってる」
「空気?」
「普段気にも止めない、関係ない奴って事」
 ナンバは冷蔵庫を開けると玉子を二個取り出して、朝飯作ってやるよ、と言った。たまには喫茶店でモーニングにしようよ、ボクがおごるからさぁ、と言うとサンキューと言って頷いた。
 喫茶店に入ると口唇のむくれたウェイトレスが不機嫌な顔で、何になさいますか、と訊く。
 モーニングね、と顔を合わさないようにナンバが雑誌に目をやりながら注文すると、ウェイトレスはさっと後に振り返ってカウンターの方へ歩いて行った。ナンバは、腰の線がクッキリと浮き出たライトブルーのスカートに目をやりながら、
「後ろから見れば美人なんだがなぁ」
 と言った。ウェイトレスはナンバの声が届いたのか、一瞬こちらを見て何か呟いてさっさと歩いて行った。ボクもあの不機嫌な顔を見て深くナンバに頷いて首を下げた。
 世の中には、真正面にいきていくと不幸な人が大勢でる。真実は必ずしも美しいとは限らないのだ。チャールズ・ダーウィンがビーグル号でアフリカの南端へ行き、真裸のフエゴ人に赤い布を渡したら、フエゴ人は首にまきつけて装飾したそうだ。装飾は自分を美しくし、他人も楽しくさせる。
 ダーウィンは赤い布を渡すのに何日もかかった。それは真裸のフエゴ人が怖かったからだ。フエゴ人は赤い布を渡されるまでダーウィンに恐れられていた不幸な人間だったのだ。
 幸福な人間とは、相手が自分を見て笑ってくれる事だ。つまり自分がキラキラと輝いていなければならない。
 ウェイトレスは、むくれた口唇を歪ませて、カウンターの傍からこちらを睨んだ。
 ボクは、そんな不愉快な顔ばかりしていると一生お前は不幸だぞ、とコーヒーを啜りながら心の中で呟いた。

 窓ガラスに赤い回転灯が反射したのに気づくと大きなサイレンを唸らせた。 
 喫茶店は交差点の一角に立っていたから、ボクは多分、信号無視かなんかでパトカーに追跡されたのだろう、と考えた。
「俺、会社辞めようと思うんだ」
 辞めるって、じゃ今やってる解雇撤回の件どうするんだ。
「それがね、弁護士の方に相談すると、撤回は中々と難しいらしいよ。法廷の方に突入しちゃう恐れがあるんだって。十年単位らしいよ。仮に勝っても、気狂いになってしまう例が多いんだよ。並みの精神消耗じゃぁないもんね。抗議文は何回か会社に出したり、ビラを労働者にバラまいてやるって、圧力かけてんだけどね。弁護士が言うには、勧奨退職の方がね、手っ取り早く決まっていいんじゃないかなって言うんだよ」
 じゃぁ、退職金っていうか、そんなもの貰えるの。
「一応、要求額は言ってあるんだけど、会社側は中々とそれに応じないんだ。あともう一押しなんだけどなぁ」
 いくら要求したの?
「退職金合わせて三・百・万」
三百万! ボクは思わず大きな声が出てしまった。辺りの客がこちらを一斉に向く。カウンターの不愉快な顔のウェイトレスも皿を片付けながらボクを見た。
三百万って言ったって会社は何て言ってんの。
「四十万円だって。だって俺四カ月しか働いてないもんな」
 でも四十万貰ったってお前の人生メチャメチャだよ。自立して商売も出来ないよ。
「そうだよなぁ。あぁどうしよう、解らないよ、いっそのこと旅に出ようかなぁ」
 旅かぁ、ボクは溜め息をついて煙草に火をつけた。天井に煙りはゆっくり昇って、店内のわずかな気流で右へ左へと揺れ動いている。ナンバの今の心境のようだ。



「何言ってんのよぉ」
 窓の向こうから若い女の声が響いた。ボクはガラス窓ごしに頬をあてて声のした方を見ようとした。どうしたんだろうね。
 ナンバは椅子を後に引いて外のよく見える入口の方に顔を向け、さっきのパトカーがバイクを止めて何かやってるぞ、と言った。
 姉ちゃん免許証見せなよ、可愛い顔した姉ちゃん、そんなに暴れると逮捕するぞ。
 男は太い大きな声で、しかも半分酔った様な口調で怒鳴っている。
 おい、ちょっと見てくるわ。ボクは席を立ち入口の方へ走って店を出ようとした。
「お客さん、料金の方がまだです」
 口のむくれたウェイトレスがボクを呼び止め、踵を返して慌てて五百八十円をレジの横に置いて店を出た。
 警察の一方のハゲ頭が若い女の腕をグッと掴んで、姉ちゃんのお尻可愛いぜぇ、お尻を触らせてくれたら許してやるからさぁ、とニヤニヤ笑いながら言う。 
 パトカーの中に黒いサングラスをかけたマッカーサーの様な顔した中年男がいるが、若い女とハゲ頭の様子を無視して道路の傍にある、水着をつけた女がコカコーラを片手に持って笑っている大きな看板ポスターの方に視線をやっている様だ。
「やめてよぉ、私、信号無視なんてしてないわ。ちゃんと青だったじゃない。何するのよ、この変態」
 姉ちゃんそんなに怒るなよ、いいから触らせろ。ハゲ頭は若い女の尻に手を伸ばして指を立てて掴んだ。
 ボクが警察の前に着くとハゲ頭は、何だお前は、と声を張り上げた。ボクがハゲ頭から若い女を引き離すと、マッカーサーの様な男がパトカーの中から飛び出してきてこん棒をボクに振り上げた。こん棒は空中で一瞬静止すると、ちょうどジェットコースターがコースの最上点から加速度的に落ちる様に、もの凄い勢いでボクの頭上目掛けて落ちて来た。
 こん棒は黒い大きな壁となって、ボクの前でどんどん拡がり始めた。このまま黒い大きな壁がすっかりボクを包むと、何も抵抗出来なくなって、やがて生暖かい世界がボクの前に現れるだろう。そこは、狂気と猜疑と平和の入り混じった、権力が支配した彼らのユートピアだ。
 大きな壁の隙間から若い女の声が叫ぶ。
「やめてぇぇぇぇ」
 ボクは一瞬、以心伝心なる大きなきらめきが、全身の中を走るのを感じて心の中で叫んだ。(ナンバはボクの親友だ。そしてこの女もボクの親友だ!)
 驚くほどの素早さで壁から身をかわすと、空振りしたマッカーサーの様な男は、地面にこん棒を叩きつけた。
 こん棒は地面にあたると木琴の様な軽やかな音をたてて、男の手から離れて転がった。
 ボクは前のめりになったマッカーサーの様な男の肩を蹴り上げて、もう一人のハゲ頭に飛び蹴りをくらわした。
 ハゲ頭は背中をのけ反らせて、腰を押さえて地面を転げ回る。
 ボクはバイクのハンドルを握ってまたがった。
「君も早く乗って」
 若い女は頷くと後に素早くまたがりエンジンを唸らせた。クラッチレバーを握り、アクセルをひねってエンジンを七千回転し、しっかり捕まってろよ、とボクは若い女に言って、バイクを走らせた。
「こら!! 貴様ら何処へ行く」
 サングラスを掛けたマッカーサーの様な男が、こん棒を拾って追い掛けてくるのがバックミラーに映っている。
「こら待て、何処に行くんだ」
 ボクは後を振り向き、大きな看板ポスターに目をやった。水着の女は、まるでボク達に笑い掛けているようだ。
 小学校の運動会の時の事を急に思い出した。クラス対抗リレーの事だ。ボクは走る事が嫌いだった。それは苦手であったという事もあるが、なによりも競争というものをいつも強いられていたからだ。ボール投げや高跳び競技は、他人と同時に行う事はない。いつも一人で行う競技だ。走る競技は、例えばクラス対抗リレーとか、スポーツテストですら一人ずつ走らずに、二人ないし三人ぐらいで走る。他人はいつもボクに一つの命令を投げ掛けてくる。
 お前は俺より速く走るな、という具合にだ。
 走る競技を嫌っていたボクは、不幸にもリレーの選手に選ばれたのだ。それも一番走者だ。スタートラインに立つと、心臓が破裂しそうなくらいに鼓動が鳴り響き、あまりの緊張に小便を洩らしそうだった。競争者は無言の声をボクに投げつける。お前は俺より速く走るな。ボクはその無言の声に一つの恐怖を覚える。そしてボクが見る全ての有形物は、角張った世界となり、木すらも針の様な鋭い殺意を持ったものに見えてくる。お前は俺より速く走るな、でなければお前を殺す。ボクは逃げたかった。何処にだろう。辺りをキョロキョロ見回した。応援席で、ブルマー姿の似合う女の子はボクに笑って手を振った。ボクも無理に笑顔をつくって手を振った。
 彼女だけは丸い優しい存在だ。その時、ボクはある事に気が付いた。人間が走るのは、競争する為ではない。自分が行くべき道に向う為だ。ボクが行くべき道は、あのブルマー姿の似合う彼女の笑顔だ。

 コカコーラの水着の女は、あの時の彼女の顔にそっくりだ。
 こら待て、バックミラーの中で小さな点になってみえる警察は、声だけをボクに伝えてくる。バイクは一直線に何処かに向かった。固い空気の壁を引き裂き何処かに向かっていく。
 こら待て、何処に行く。コカコーラの水着の女はもう見えない。
 後に乗っている若い女がバックミラーに大きく映った。ボクは彼女に笑ってみた。即座に彼女は笑う。警察の声がまだ余韻となって聞こえる。こら待て何処に行く、ボクは彼女の映ったバックミラーを見ながら、余韻の声に答えた。
「旅だ。俺たちの旅だ」



 これから何処まで行くの? 若い女はボクの腰をしっかり抱きしめながらそう言った。ボクはとても愉快な気持ちでボードレールの詩の一節を詩った。
 恋人よ、並んで泳ぎ、ひたすらに、ただまっしぐらに、僕の夢想の天国へ、逃げて行こうよ!
 若い女はよりいっそう強く抱きしめ、ボクの体の細胞の一つ一つが女の力を全身に伝えていく。女はもうボクの体の一部の様な気がした。


「おい、ススム何処行ってたんだ。お前が全然戻って来ないからさぁ、俺お前の残してったコーヒー飲んじゃったぜ」
 アパートに戻るとナンバは、心配そうにボクの顔を伺った。
「海まで行って来た。あの若い女とね」
 女の名前はイー・ソンミといった。ソンミの体温がまだボクの体の中で動いているのが解る。
 電話が鳴り響いた。受話器を取ろうと手を掛けると、電話機のヒビに気が付き浅野の事を思い出して手を離した。お前出ろよ、ボクはナンバにそう言って、テレビをつけた。
 ナンバは、テレビは消せよ、と言いながら受話器を取った。
 ブラウン管に黒人のヘビー級チャンピオンが映った。アサヒ、ス-パードライ、と黒人のヘビー級チャンピオンが言って、次のコマーシャルに変わる。
「オヤジさんからだよ」
 ナンバは受話器をボクに差し出しながら、体を捻らせてテレビを消した。
 オヤジから電話はよくかかってくる方だが、いつも同じ事ばかり言ってくる。親というものは、そういうものかもしれない。
「もしもし」
 ススムか、元気でやっているか。
「元気でやってるよ」
 会社は真面目に行ってるか。
「行ってるよ」
 政治活動は行ってへんやろうな。
「行ってないよ」
 彼女はできたんか。
「できたよ」
 オヤジは一度咳払いをしてから再び同じ事を訊ねた。
「できた。イー・ソンミって言う名前だよ」
 イー・ソンミ、そりゃあ朝鮮人やないか。政治活動辞めたと思うたら今度は朝鮮人かいな。お前は本当にまともやないなあ。
 電話の向こうのオヤジの顔を想像すると、腹がたってきて、コマーシャルの黒人ヘビー級チャンピオンに殴られればいいと思った。
「そんな話だったら電話もう切るよ」
 ちょっと待たんかい。パパの話をよう聴け。いいか、パパはどんな気持ちでお前をここまで大きくしてきたんか解るか・・・・・・。
 オヤジは大阪で生まれ二十三歳に名古屋に来た。したがって当然関西訛だ。オヤジが関西弁で説得したって漫才にしか聞こえない。ボクはオヤジの怒った事をあまり覚えていない。
 関西弁だから、仮に怒ったとしても冗談にしか聞こえず覚えていないのだろう。今のオヤジは怒っているのだろうか。よく解らない。ただ、アカン、とか、えらい事してくれた、とか、ダメや、を話の語尾に入れてボクをとがめているのだけが解る。
 オヤジのつまらない説教を聞いているうちにソンミの事を思い出そうとした。白糸の滝の様な涼しい長い髪、切れ長でいつも水平線を見ている様な詩的な目、ほんのり赤く、水彩絵の具で描いた様な口唇、複雑な稜線をもつ柔らかい不思議な肌、丸い小さなお尻、体温――。体温はどんな感じだっただろうか。ヒンヤリ冷たかったのか、全身を毛布で包むように暖かかったのか、いったいどんな感じだったのかが急に思い出せなくなって、さっきまで体中をグルグル動き回っていた、あの感覚がなくなってイライラした。一生懸命思い出そうとしたが、やはり思い出せなくて、もしかしたらソンミなんて本当は何処にも居ない様な気がしてきて、悲しくなってきた。オヤジの声まで遠くから聞こえてくる様で寂寞とした原っぱに一人で立っているかの様だ。
 ボクは、寂寥の思いから抜けたくて早く電話を切りたくなり、その口実を考えた。
「もう小便がしたいから悪いけど切るよ」
 話の最中になんや、ススムは。
「さっきから我慢してたんだ。それじゃぁね」
 電話を切ってから、今日ソンミから教えてもらった電話番号を思い出して、プッシュボタンを続けざまに押した。
 最後が6だったのか4だったのかを忘れてしまって、いったん受話器を置いた。
 何を焦っているのだろうボクは。
 ひと呼吸おいて再び最後が6の方を押した。発信音が二回鳴るとソンミが出てホッとした。番号が合っていたからではない。ボクのうちに失いかけていたソンミがちゃんと居たからだ。声を聞くと急に体の中にソンミの体温が甦った様な感じがした。ボクは一人ぼっちじゃないんだな。
 ナンバは会社への新たな抗議文を隣の部屋で、団扇を扇ぎながら額を汗で濡らして書いている。時折、ペンを置いて溜め息を洩らして、しばらくしてからまた書く。
「今日は本当に大変だったねえ」
「ううん、楽しかったわよ。私、外人登録証持ってなかったから、免許証見せれなかったし――。それに私、信号無視なんてしてないのよ。でも楽しかったわ。また会いたいな」
 ソンミは助かったとは言わずに楽しかったと言った。そうだ、小学校の運動会の時もそうだった。手を振ってくれた女の子も運動会が終わった後片付けの時にボクの所に来て、楽しかったわ、と照れて言った。どうして、と訊くと、ボクが手を振り返してくれたから応援に夢中になれた、と言った。彼女が後で言っていた事だが、彼女の母親は恐ろしいくらい教育熱心で、行きたくもない塾やピアノ教室や水泳教室に通わせているのだそうだ。その為に学校に友達の居ないかわいそうな女の子なのだ。彼女にとってボクは笑顔を返してくれた唯一の存在だったらしい。そういう存在が、一生懸命に走る姿はキラキラと輝いていたに違いない。ボクに出来る事は彼女の前で夢中に走る事なのだ。
「ボクも会いたいな」
 ボクはそれから十五分程、色々な冗談をとばして彼女を笑わした。彼女が即座にボクに反応する。電話機は、彼女の声でいっぱいに詰まっていて小刻みに震えているかの様に感じられた。
 受話器を置いて隣の部屋のナンバを見た。ナンバは苦しんでいる。自分の道を探す為に。


 三週間後、会社から帰宅したボクはビックリした。毎日食卓の上に載っている惨めなラーメンのドンブリの代わりに、ケーキやビールやケンタッキーフライドチキンが並べてある。
「おいおい、今日はなんだよ。お前の誕生日だったんか」
「会社に勝った」
「え?」
「会社に勝ったんだ。会社が不当解雇を認めたんだ。弁護士がさぁ、俺の事ほめてくれた。抗議文がかなり効いたんだって。会社の人事さぁ、俺の前で顔色一つ変えなかったクセに、本当は凄くビビっていたんだって。極左やっててよかったなぁ。俺なんて高校の時、赤点ばっかり採っていた出来損ないなのにな。極左に、ビラに、抗議文こんだけ揃ってたら、そりゃ会社もビビるよなぁ。バカだねぇ。要求額そのまんまくれたもんね。今日はお前に言いたくって。わかるだろう。喜びは皆のものだもんね」
「でも、昨日までのお前半分死人だったよ。いっつも溜め息ばっかしついてさぁ」
「山あり谷ありっていうだろう」
「ケーキうまそうだなぁ。ボクもこんなの食べるの久々だよ」
 ボクは一度でいいから、ケーキを手で掴んで食べたかった。食べるというより、むさぼるという方がいいかもしれない。
 ナンバもボクも大食家だ。大食家が二人揃ってそこに大きなケーキがあれば、後は欲求に任せろだ。ボク達は、食べた食べた。全部食べた。
 ステレオかけた。大音量で、ブルーハーツのトレイントレインを、昔流行ったビューティフルサンデーを、すべてがボク達の為の曲の様にアパート全体を震わせる。近所の赤ん坊が泣く。もっと泣け、もっと泣け。元気に泣いてみろ。
 ステレオから夜の十二時を知らせる時報が鳴って、ようやくボクらは我に返った。
 ベランダに腰掛けて、遠くの家の灯りを見つめた。道路を滑って行く様に車が走っている。
「公安の山本や浅野は今頃何してんだろうなぁ」
 ナンバは煙草を吸いながら、エロ本でもみてセンズリ込いているんだろう、と言った。ボクもそんな気がした。
 ボク達のアパートは高台に建っていたから、街の家々が見渡せる。点々と光る家の灯りや車のヘッドライトは、まるで電子回路のプリント盤の上を電気が走っているかの様だ。人間はこうしたプリント盤の上で生きている。夫婦ゲンカや車の事故や酔っぱらいや色々な事や、ものがそれぞれにあるのだろうが、この整理されたプリント盤の上ではビクともしない。電子回路はいつも規則正しく作動している無機質な生暖かい世界だ。
 山本も浅野もその中で倖せそうにセンズリを込いているのだ。
「俺、大学行くよ。労働者なんてもうイヤだ」
 ナンバは遠くを眺めながら独り言の様に呟いた。
「大学?」
「勉強してさぁ、自分に力をつけるんだ。一人でも生きて行ける様にな」
 何か一人で、ある事を決心しているかの様にジッと体を固くして動かない。ナンバの道はきっと開けたのだろう。
 なぁ、お前この間、旅にでも行きたいって言ってたよなぁ、大学行くって試験いつなんだ? 十一月なんだよ。じゃぁ試験終わったら、ボク、会社三週間ほど休むから旅行に行こうよ。
 何処にだよ?
 飛行機が黒い夜空を音だけ響かせ飛んでいる。R・シュトラウスの『ツァラトゥストラかく語りき』の冒頭の様に。

 ソンミとキスをしたのは、九月の土曜の夜だった。その日、ボクはソンミに、旅行に行こう、と言った。彼女はネパールに行きたいと言った。ポカラという日本の軽井沢の様な所があって、そこからトレッキングでダンプスという低い山に登ってアンナプルナを見たいと言った。昔、北海道のニセコ・アンヌプリにある山小屋で働いていて、よく似た名前の山がネパールにあるというのを山小屋の労働者仲間から聞いたのだそうだ。

 今ボク達は東名高速道路を成田に向かって走っている。ナンバは、成田から行くのは気が引ける、と言ったが、ボクは三里塚闘争より意味があるのだ、と強く言って、勝手に自分達を正当化した。本当はソンミと一緒に行ける事に、一番意味があったのだ。
 ソンミは昨日まで会社で残業を晩くまでやった。ネパールへ行く為だ。その為に微熱を出して毛布にくるまって後の座席で寝ている。
 日の出間際の薄暗い東名高速を、ソンミのかすかな寝息の音を吸い込んでいく様に車は走る。
 東京に着いて首都高速にはいるとソンミが起きた。
「あら、ここは? ごめんね、私、眠っちゃった」
「もうちょっとだよ」
 ナンバは後ろを振り向いて、ソンミにお茶のはいったコップを渡した。車の中にお茶の香りが漂ってくる。
 ボクは父親や、公安の山本や、浅野や、ナンバが働いていた会社の人事の事を彷彿と思い出していた。アイツらは、このお茶の香りの優しさをきっと知らないだろう。金属の様な人間には一生、このお茶の香りを楽しむ事は出来ない。
「ああ、おいしいお茶。ナンバさん有り難う。もうじきネパールに行けるわね」
 成田に着くと機動隊がデパートのマネキンの様にいっぱい立っていた。ソンミは、何よこれ、と少々驚き、車窓に顔を近づけて言った。お茶の香りを知らない奴らさ、とボクは答えた。
 ナンバが外を指さして、あそこに車を止めよう、と言うとボクはそれに従った。車を降りると冷たい風が頬を刺す。
 ソンミは空き地に立つ砦を指さして、何あれ、と言う。ナンバが、第四インターの砦だ、と言う。ボクは近くにあった自動販売機からアイスクリームを三つ買って来た。
 空港に大きな飛行機がいくつか並んでいる。まるで海に居るイルカの様だ。白くピカピカと輝いたイルカ。
「ねぇソンミ、きっとあれだよ、ボク達を乗せる飛行機」
「まぁ、本当だわ。ねぇ大きいわねぇ」
 ボク達三人はイルカの様な飛行機を眺めながらアイスクリームを舐めた。









     レクイエム 美空ひばり
          朴(パク) 燦(チャ) 鎬(ノ)

     1
 一九八九年六月二十四日は、朝から雨でした。時期的にちょうど梅雨の盛りなので、雨が降っても不思議ではないのですが、四、五月に「はしり梅雨」が降り続いたせいでしょうか、今年は梅雨入りが遅れていたようです。
 この日は土曜日。思わず〈あの時も、雨の土曜日だったんだなあ〉と、おかしな感慨にとらわれました。あの時とは、三十九年前のこの日のことで、祖国の中部では雨が降りしきり、翌朝未明に六・二五朝鮮動乱が勃発したのでした。
 眠い目をこすりながら『朝日新聞』にざっと目を通し、次に『毎日新聞』を手に取ってびっくりしました。一面トップに、美空ひばりの死が報じられているではないか。その数カ月前に見た新聞写真で、そんなに長くはないだろうと感じていましたが・・・・・・。
 それからしばらくの間はロクなニュースがなかったらしく、マスコミは、まさに「ひばり狂想曲」という言葉がぴったりとする程、ひばり一色でした。
 ひばりの死から三週間後、妻の実家で『中日新聞』の「指紋押なつで傷ついた心」と題する社説を読み、思わず絶句してしまいました。同紙の社説はリードがあることで異色なのですが、このひばりの本文は、次のような奇抜な出だしで始まっていたのです。

 都はるみさんの血を吐くような告白をテレビで聞いた。美空ひばりさんが亡くなった日の追悼番組の中でだ。
「私は父が韓国人です」と語り出し、ヒット曲「北の宿から」が日本レコード大賞に輝いた時「韓国人の血をひく者に日本と名のつく賞をやるべきではない」と言った人がいた。傷ついた心を慰めてくれたのがひばりさんだった、という思い出話だった。悔し涙をぬぐおうともせず、一語一語をかみしめるように語る迫力に、司会者も周りも言葉のない数分間だった。

 この社説は、このあと「立場は少し違うが、指紋押なつ拒否事件が問うているものは、この悔し涙が裁判官の心にどう映るかだった」と続くのですが、その当否はともあれ、意表を衝く出だしではありました。
 ある女性週刊誌の広告に、はるみがひばりを「人生の師」と慕っていたという見出しがありましたが、恐らくこのことでしょう。このエピソードは、私にとっていささか意外なことでした。何年前のことだったでしょうか、ひばりがNHK紅白歌合戦の司会を担当した折、はるみの出番にだけ「次はこの方です」と、名前も曲名も紹介しなかったので、はるみが大変傷ついたという記事を読んだことがあるからです。
 残念ながら私は、ここ三十年近く、紅白をまともに見たことがないので、問題の場面は目撃していませんが、当時、スポーツ紙などがはるみの無念を書き立てました。その記事を目にした時、反射的に私は、はるみが朝鮮人であるが故のイジメだと勘ぐったものでした。韓国人であることを明らかにした日の出の勢いの後輩歌手に対し、出自を明らかに出来ない先輩歌手が、故意にイヤガラセをしたのではないかと。はるみの「涙の告白」を知った今、その私見は訂正しなければならないでしょう。
 ただ、ひばりの四十九日が過ぎてはるみにインタビューしたという、『サンデー毎日』(89年8月20日号)の「ひばりさんだけが歌手じゃあない」という記事で、はるみがひばりの「慰め」について次のように語っているのが印象的でした。

  私と同じ問題を抱えていたのかどうかわからなかったけど、ひばりさんも人間関係や家族のことで悩んでいるんだなあと。だから、ほかの誰から励まされるより、ひばりさんに言われたことで勇気がわいてきた。・・・・・・(傍点は筆者)

     2
  丘のホテルの赤い灯も・・・・・・

 ひどい反りのため、大きく波打って回転するSPレコードから、こましゃくれた少女の歌声が聞こえてくる。七月半ば過ぎ、大須観音の境内で開かれた蚤の市で手に入れた、ひばりの初ヒット曲『悲しき口笛』です。二葉あき子の『恋のアマリリス』、照菊の『五木の子守唄』と、三枚合わせて二千円で買いました。ひばりのレコードを買ったのはこれが初めてですが、これも供養のつもりだと言えば、ファンは怒るでしょうか。
『恋のアマリリス』は『青い山脈』のB面。映画『青い山脈』(初版)の背景に繰り返し流れていたテーマソングで、感情を抑えた唱法が快い。『五木の子守唄』は一九五〇年代半ば頃から全国に普及した民謡です。その隠れた功労者はキングの照菊だと思っていましたが、編曲が余りに流行歌的で、むしろB面の『稗搗節』の方に好感が持てました。
 さて、ひばりの『悲しき口笛』ですが、なんとも形容のし難い唱法です。確かにうまいとは言えるのですが、大人ぶろうと背伸びしているような気がしてなりません。一家(母親?)の期待を一身に背負ったような健気さとでもいうのでしょうか、年齢に似合わない不気味さを感じるのも、やはり先入観のせいか・・・・・・。リバイバルソング『恋の曼珠沙華』の〈しゃあげー〉の部分で見せた、あの種のイヤラシイうたいまわしがないのが救いです。
 蚤の市に出掛けた日、その前にMデパートで開かれていた中古レコード市で、鄭京和のLP数枚と、マリア・カラスのオペラとアリア集、マリオ・デル・モナコのイタリア民謡集、マリアン・アンダーソンの黒人霊歌集を買い求めました。アンダーソンについては、三十年程前に来日した折の新聞記事を読んだだけの知識しかありませんでしたが、その数日前に無性にレコードが欲しくなり、夢にまで見た矢先のことでした。
 こうした世界でも超一流の演奏者のレコードに耳を傾けると、何かしら心が洗われるように感じます。クラシック音楽には全く疎いのですが、鄭京和のバイオリン演奏には、文字通り鬼気迫るものを感じてゾクゾクしましたし、「黄金のトランペット」といわれたモナコのテノールからは、輝く太陽と青く澄みきったイタリアの海と空を想像し、アンダーソンの深みのある唱法には人間愛を感じました。そしてカラスのアルバムにある「カラス語録」を読んで、彼女が如何に細部に亙るまで研究を深めていたかを知らされ、世紀のプリマ・ドンナも、天才によってのみ生み出されたのではないことを認識させられました。
 勿論、彼ら世界的アーチストとひばりを比較しようというのではありません。ひばり死後のマスコミの、異常とも言える「ひばり讃歌」にいささかヘキエキしていた身には、それこそ一服の清涼剤と感じられたわけです。
 ひばりが、焼跡世代の記憶に強く残るヒット曲を多く出し、高度成長時代に至る節目節目に数々のヒット曲を残したということは事実です。そして晩年、長い闘病の後に「不死鳥」のようにカムバックしたことは、特記すべきことでしょう。彼女の功績は、そういったことだけでも十分に評価できると思います。
 死者に鞭打つことはないでしょうが、神格化するのも、逆にひいきの引き倒しです。彼女の人格を讃える記事を読んでも、それは人間として普通のことをしているものばかりです。むしろ、それらをオーバーに記述することにより、女王然として傲岸に振舞った所作などに寛容になってしまうのは、いささかどんなものだろうかと考えてしまいます。
 歌唱にしても然りです。彼女の優れた才能として挙げられている、楽譜は読めなくても天才的音感でたちどころにマスターし、作者の意図した以上の表現をするという点など、まさに驚異です。でも、二オクターブ以上出るという音域など、一流プロ歌手としては当然の資質であって、それを大袈裟に讃えること自体が情けないことです。提灯持ちで有名な司会者の「(昔と)同じキーでうたってますよ」という発言に至っては、如何に病み上がりとはいえ、五十二歳という若さで世を去った歌手に対して、却って失礼というものです。今では七十代、八十代の歌手も結構いますし、東海林太郎は何度もガン手術で死線を超えながら、七十代になってもキーは下げませんでした。
 音楽評論家の中村とうようは、ひばりについて「この人の持って生まれた天性は、稀有のものだ。外国の大歌手たちの少女時代の録音もずいぶん聴いたが、レコードになっている限りでは、十代でひばりさんをしのぐ歌唱力を示した人は皆無だと思う」と手放しで評価しつつ、物質的な豊かさを達成するなかで規格からはみ出した生き方を白眼視する風潮が強まり、歌謡の歩みもそれと軌を一にして、特にひばりにその風圧が大きく作用した結果、家族の結束による自己防衛の姿勢を固めさせることになり、十代の頃の柔軟で多様で開放的だった彼女が演歌調の様式に閉じこもり、日本的な狭い幅の中で表現力を追い求めるほかなくなって、言葉の壁を超えて世界に聴衆をもつ真の大歌手になるはずの人だったと信じていたが、そうならなかった、としています。(89年6月24日付『朝日』夕刊)
 非常に学問的な分析ですが、地下のひばり母娘は、苦笑いしながら、さぞ満足していることでしょう。しかし実際は、芸能界、興業会に君臨するのを無上の喜びとしていたようですし、その気になれば世界への雄飛も、自らの意志で挑戦し得た筈です。ひばりを高く評価し、その素質を惜しむあまりの発言なのでしょうが、現実はもっとシビアだったと思います。病に倒れたり時流に容れられず埋もれた才能は、枚挙にいとまがありません。チャンスを呼び込み、モノにするのも実力のうちとするならば、それも彼女の限界だったのではないでしょうか。片想いの相手に、ないものねだりをしているような印象を受けます。

     3
 こういうようなことを考えていた折、知人からいただいた韓国日報社が発行する『週間女性』(89年7月9日号)の表紙に、「韓国系、日歌謡女王・みそら、五十二歳の一生」という見出しがありました。本文は見開き二頁の記事で、彼女は一九三七年に韓国人の父と日本人の母との間に生まれた、というのです。そして、このことは韓国では三十年前から知られていて、彼女は一九八六年一月十二日、「父の国」韓国のロッテホテルで、趙容弼らトップ歌手との共同リサイタル形式の初公演を持ち、喝采を浴びた、とあります。
 韓国公演の件は知りませんでしたが、「三十年前から知られている」という点については、恐らく韓国紙の特派員が日本で聞いて仕入れていったのでしょう。

 私は美空ひばりの名を最初に聞いたのは、一九五一年春のことでした。小学二年生への進級を機に転校した先の教室で、級友が得意気にうたっていたのです。曲名は覚えていませんが、親しみやすいメロディーだと思いました。彼女が朝鮮人だと親から聞いたのは、それからしばらく後のこと。父親がそうだとのことでした。三十七、八年前のことですから、件の韓国の『週間女性』の記事より、十年近く早くから言い伝えられていたことになります。
 いずれにせよ、彼女の出現以後、芸能人、スポーツマンで父親が余りに疎外されていたり、「戦死」などで死なされていたりするのを見ると、反射的に「朝鮮人なのでは?」と疑ってみる習性がついてしまいました。デビュー直後の都はるみ然りですし、五木ひろしや横綱の玉の海、三重の海などは、地元の同胞が自慢気に語っていたものです。
 韓国の『週間女性』の記事が出てしばらく後、それを見て驚いたという人から問い合わせがあったとして、『週間文春』(89年8月10日号)が「『美空ひばりの父は韓国人』はどこまで本当か」という記事を掲載しました。内容は『週間女性』を引用しながら韓日の歌謡関係者や特派員、商社マンなどを取材し、コメントを求めたものですが、全体的に「韓国人説」が不利な内容となっています。「あんなに歌がうまい歌手が日本人であるわけがない」というのが主たる根拠だというのでは、無理もないでしょう。そんな次元では、ひばりの父親・韓国人説を耳にして、出身地だという栃木県まで出掛けて調査し、農家の四男だとつきとめたという竹中労の証言に、太刀打ち出来る道理がありません。
 ともあれ、父親の本名や(韓国内の)出身地が明示されない限り、「ひばり韓国人説」は説得力を欠くでしょう。
 ただ、『週間文春』で気になることが一つあります。金田正一とおぼしき日本に帰化したある著名な野球評論家が、ひばりとの付き合いについて「ひばりはオレのことを、オッパと呼んでくれるんや」と語ったといわれるという部分です。オッパとは妹から見て兄さんという意味で、これは初耳でした。
 金田については、こんな思い出があります。小学校四年生の頃だったでしょうか、当時のスポーツの花形は野球と大相撲で、それぞれひいきの選手や力士がいたものでした。ある日、金田のファンの歯科医の息子が級友から「金田は朝鮮人だぞ」とからかわれ、「ウソだ、ウソだ」とベソをかいていたのです。私も彼が同胞だとは聞いていましたが、側で黙って見ていました(今思うと、からかった本人も朝鮮人なのでは、という気もします)。
 当時人気絶頂のひばりは、斯界トップの力道山、金田と雑誌などで一緒に取材されることも多く、公私にわたって親しかったようです。奇しくも三人とも、在日同胞の間ではみな朝鮮人といわれていましたし、事実、力道山、金田はともに本名が金氏でした。
 その頃活躍していた同胞歌手に小畑実がありました。一九五〇年代初め、彼は三年連続して人気投票第一位を占めており、ひばりとともに、男女とも朝鮮人歌手が人気トップに立ったと、一世たちは大喜びしていたものでした。
 一九五七年に歌謡界を引退した小畑は、ラスベガスでホテルを営んでいると伝えられました。その彼が何年かぶりで日本に戻ってきた時の発言だったと記憶しています。『毎日新聞』か『中日新聞』かのインタビューを受けて「ひばりちゃんが大歌手になったのが、何よりも嬉しい」といった意味のことを言っていました。小畑とひばりは専属レコード会社を異にしており、小畑がとりたてて彼女の成長を喜ぶ理由はなかったので、よけい印象に残っているのです。かつてテノールの永田絃次郎が、「小畑実君も朝鮮人だよ」と言ったのを聞いた人がいるそうですが、そこにはやはり、同族意識があったのではないかと思っています。
 現在も、芸能界やスポーツ界では多くの在日同胞が活躍していますが、「朝鮮人、韓国人でも、実力さえあれば、ひばりや金田、張本みたいに成功できるんだ」と、彼らを目標にし、励みにして頑張ってきた人も多いし、そう聞かされてきた人も多い筈です。前出の『サンデー毎日』での都はるみの含みのある発言にしても、どこかでそれを耳にしていたことを匂わせているような気がします。

     4
 89年9月19日号『女性自身』は、「生前発掘スクープ・美空ひばりさんに果せぬ夢が」とのサブタイトルで、「ああ、父の故郷、韓国で歌いたかった!」という記事を載せています。ひばり母娘と二十五年の交際があった鈴木正文という人が、ひばりの父が韓国人であることを、生前のひばり自身も認めていたと証言しているというものです。そして「それだけに、ひばりさんはお父さんの故郷・韓国で歌いたいという夢を、ずっと持ちつづけていたんです、それが果せず亡くなった。本当に残念なことでした」と語り、一九八七年八月にソウルの世宗文化会館でコンサートが行われる予定になっていたとしています。これは実現しなかったが、その後ソウル五輪を機に、その前夜祭ともいうべき「第一回国際アジア歌謡祭典」が企画され、ひばりは日本代表としてうたうことになっていたところ、「ひばりさん自身が下見のために、韓国に渡ることが決まった矢先の4月。福岡で緊急入院するという思わぬ事態になって・・・・・・」と、その人は絶句したとのことです。
 この記事が「ひばり韓国人説論争」に終止符を打つ決定打になるかどうかは判りませんが、これに反論する記事は(私の知る限り)まだ目にしていません。それにしても、これが事実だとすると、韓国の『週間女性』が報じた、一九八六年一月十二日の「ロッテホテルでの初公演」とは、一体何だったのでしょう。

 私は別にひばりファンでもないし、歌手としては、むしろキライだったのですが、昔から「ひばりは朝鮮人だ」と聞かされていたので、一種の親近感がありました。
 彼女の生涯に思いをめぐらせる時、歌手として「女王」と呼ばれていたとはいえ、そこにも典型的な在日同胞家庭の歴史を見る思いがします。同時に、これまで多くの在日同胞青少年たちに、日本人の青少年が彼女に懐いたそれより、遙かに大きな夢と希望を与え続けたことについて、言い知れない感慨を禁じ得ません。

 虫の声がもの悲しく聞こえる秋の夜長。グラス片手に『悲しき口笛』をハミングしながら、彼女の冥福を心から祈ってこの原稿を終えます。
〈一九八九年十月二十五日〉

〈追記〉十一月六日、個性派といわれる異色の同胞俳優が世を去った。今は下関に帰り、家業を継いでいる東学舎の仲間の鄭君が、「オモニが彼のオムツを取り替えたんだってさ」と言っていた、その彼・松田優作、三十九歳。惜しんでも余りある才能だった。合掌。





     金徳寿君との再会
          加(か) 端(ばた) 忠(ただ) 和(かず)

金徳寿(仮名)君との再会が意外にも早くやって来た。それは彼のおじいさんの思いもよらぬ急な死であった。
 彼とは是非とも会って見たかった。
 彼と私は錦城中学校の同級生である。おじいさんの死、この事がなければおそらく彼と会う機会はなかったのではなかろうか。彼のおじいさんとは最晩年の五年間という短い付き合いであった。
 知り合った時は三年前におばあさんに先立たれて一人暮らしであったが、高齢にもかかわらず元気そのもので、とても九十歳の老人には見えなかった。とにかく九十五歳の今日まで長生きして下さったからである。
 今までの私では彼と会って話をするということは考えられない事であった。それが彼のおじいさんと知り合う事によって忘れかけていた少年の頃の彼とのかかわりが呼び起こされ、私の心の中にある彼との大きな隔たりが縮まって来たのであった。
 彼は在日韓国人である。机を並べた同級生であるが一緒に遊んだ事もなく、友達という意識もなかった。ただ一年間同じクラスであっただけで、そればかりか、私の中学校生活の一番いやな思い出を作ったのが彼であった。
 だから彼のことを思い出したくもなかった。それに私の朝鮮人ぎらいを決定的にしたのも彼であった。
 私は一九四五年敗戦の年に生まれた戦後育ちであるが、朝鮮人に対する嫌な見方が家庭や周囲の影響から小さいこの私にも先入観としてしみついていた。
 私の通っていた南郷中学校は小規模校で二年生の時、隣の錦城中学校に合併された。一学年二十人余りの学校から何百人というマンモス校にとまどいを感じ、性格的にも溶け込むのに大変だった。どのクラスにも一人や二人の朝鮮人の子がいた。
 私のクラスに金徳寿君がいた。学校生活に慣れない内に私や女子を含めた何人かが金君のいじめに会った。
 この町自体、北陸石川県の人口一万人余りの周囲を農村に囲まれた小さな田舎町であるが、それでも旧十万石の大聖寺藩の城下町の為か、隣の村から来た私は田舎もの扱いされ、ザイゴー(在郷)のもんがザイゴーのもんがと呼ばれ、いろいろな形でいじめられた。
 彼は私を憎んでいるとしか思えなかった。どうしていじめるんだろうと、ともかく近よらないように目を合わさないようにしていた。学校へ行くのがいやで仕方なかった。親にも先生にも話す勇気がなくだまっていた。
 そんな時に錦城中の生徒の中で数人の人が朝鮮へ帰るというニュースが入って来た。新潟から朝鮮への何年か続いた本国帰還が始まったのであった。いま思えば彼は帰らなかったが、カバンの中に朝鮮語のテキストが入っているのを見た事があった。
 朝鮮語って変な字やなあ、○や□の、と文字までを軽蔑の目で見た。初めて見たハングル文字であった。
 いつ帰ってもよい準備なのか、民族を取り戻す為なのか、識学学級に通っていたのだと思う。体育館でお別れ会があり、何人かの人が帰っていった。
 彼は帰らなかった。
 金君はなぜ帰らんのか、朝鮮人はひとの国におらんとなぜ早く帰らんのかと、彼さえおらなければどんなによいかと、ひとり腹の中でつぶやいていた。
 一年間が終わり三年生になり、クラス替えがあった。クラス発表の時、自分のクラスの中に彼の名前がなく安心した。三年生も一緒だったらどうしよう、一年間そればかりが気になっていただけに本当にうれしかった。あの時の気持ちは今も忘れない。彼との一年間の同席で私の朝鮮ぎらいが決定的になってしまった。
 それから何年たっただろうか。私も結婚し自分の子供が学校へ通うようになり、そのような事も昔の事になってしまっていた頃、今から七、八年前、お寺の聞法会で人権・差別の問題に触れ、そこで全然知らなかった戦前の日本とアジアの国との関係を知り、金君はじめ私たちの村や町、日本の国に韓国、朝鮮人がどうして多く住んでいるのかを知って、大変なショックを受けた。
 私は金君が川口という日本名を使っているのは差別からのがれる為、朝鮮人という事をかくす為、朝鮮人自ら日本名を名乗っていたと思っていたし(創氏改名)、朝鮮人がどうして日本に住むようになったのかはこの年になるまで全く知らなかった。また、知ろうともしなかった(強制連行など)だから彼等は勝手に日本に渡って来たものとばかり思っていた。
 そこで私は身近に住んでいるこの人達も本当にそうなんだろうか、どうして日本に渡って来たか、どうしてここに住むようになったのか、この目で確かめたかった。そうしてたずねたのが金君のおじいさんであった。
 彼は中学校を出てから大阪に住んでおるとの事であった。
 おじいさんの家へ何度も遊びに行き、おじいさんに触れているうちに、彼の少年時代を取りまく日本の社会や家庭生活の環境によって起きる彼の行為が分かるような気がして来た。彼に是非会いたくなった。とにかく会って、今も心の隅に残っているわだかまりを解きほぐせるのではないかと思った。一方的に彼の方に責任が、非があると思い込んでいた私だっただけに。
 その思いが彼のおじいさんの死によって実現したのである。
 葬式にお参りさせていただいた時、彼の顔はすぐにわかった。
「金君、私は中学校の時の同級生の加端というんですが覚えておりますか」
 彼は首をかしげた。
「あなたと同じ川上先生(仮名)のクラスの」と言うと、「そう言えば」と金君はいった。
 昔の面影は全くなかった。まるで人が変わったように温和でもの静かな人になっていた。今の彼からはあの頃の彼を見出す事はできなかった。
 彼は全然覚えてもいない同級生がどうしてここに来ているのか、どうしておじいさんと付き合いがあったのかと不思議そうな様子であった。
 とにかく、じっくり話し合いたかった。忙しい中であるが私の家へ来てほしいとお願いをした。
 翌日、私の家へ快く来てくれた。もしかしたら来てくれないのではと思っていただけに本当にうれしかった。初めて彼と話す事が出来たのである。
 思い出したくもなく顔を見るのもいやだった金君が今、私の前にいるのである。おじいさんとの付き合いのいきさつや昔の事を話し合った。
 彼は私の妻のいる前でポツリ、ポツリと語ってくれた。
「俺はな、あんた達をいじめたけどな、それ以上に上級生達にいじめられてな、チョーセン、チョーセンと言われてな」
「家は貧しくて沢山の兄弟でな、毎月の学校の集金も持って行けなかった。それだからな、小遣いもほしいので金持ちの家の子に無心もしたのや」
「家へ帰るとな、ボロを積んだリヤカーの後押しをさせられてな、それが一番苦痛で友達に顔を見られんように下を向いて押したんや。くやしいやら、はじらいや何んやかんやら・・・・・・」
 彼の話を聞いていて小学校の頃を思い出した。
 リヤカーを引いてボロ買いに村に入って来たおばさん。今にして思えば三十代から四十代の若い母親だったのだ。私ら村の子供はリヤカーの後からチョーセン、チョーセンとチョーセン呼ばわりして石を投げるなど、からかっておばさん達を怒らせた。彼は自分の母親もこんな目にあっているのを目にした事と思う。
 私の家は農家で乳牛を飼っていたので、学校から帰ると毎日のように草刈りや、春や秋には田んぼの手伝いが当たり前だった。同じように手伝いをさせられたが家の為になっているという、うれしさもあった。友達と遊べないという辛さもあったが、彼みたいに手伝いをして恥ずかしいという辛さを経験した事がなかった。
 当時彼がいじめられていたという事は知らなかったし、彼の生活環境なども全く知らなかった。まして、そんな悩みを持って苦しんでいたとは全く知らなかった。
 彼は自分の苦しみのはけ口を私達をいじめるという形で処理していたのでは。
 私は自分の悩みを訴える事もなく、ただ腹の中で辛さを押さえていたが、私なりにはけ口があった。自分よりもひどくいじめられている子や自分より成績の悪い子を見て、あの子よりはまだましだと他人を踏み台にして変な所で安心していた。
 また彼を、何といっても所詮、朝鮮人やないかという捨てぜりふで見ていた。そうでもしなかったら学校へ行けなかった。彼は決して強い人間ではなかったのである。
 また私は他人からみればおとなしい、まじめな人間に見えたかもしれないが、決してそんな人間でなく彼以上にみにくい、汚い心を持った人間だった。
 当時彼は先生から注意を受けていたようだが、クラス全体の問題にもならなく、まして学校の中の問題として取り上げられなかった。いじめるにしてもいじめられるにしても民族差別から来ていたのだと思う。
 私の中には朝鮮人に対する言ってはならないタブー感があった。学校教育の中でもそうであったのではないかと思う。実際、授業の中で日朝関係の歴史や民族差別などについて教わらなかった。だから、この年になるまで朝鮮人の側に問題があるものと思って来た。
 ところが私達日本人、私の方に問題があるという事を遅まきながら知ったのである。その頃はまだそんな時期になっていなかったのかも知れないが、戦前の過ちをきちっと教えていたならば私の朝鮮人に対する見方は少しは違っていたと思う。
 金君のおじいさんの死が縁で、やはり同級生の李清子(仮名)さんに最近三十年ぶりに会った。
 彼女が朝鮮人だという事はそれまで知らなかった。おとなしいが明るい気さくな子であった。
「加端君、私は今も会いたくも見たくもない男の子がおるんよ。小学校の時、皆んなの前ではずかしめを受けた屈辱感は今も忘れられないのよ。それ以来、ただ朝鮮人であることがはずかしくてね、そのまま大人になったの。私も朝鮮人がなぜいじめられたり差別を受けるのか、学校はもちろん両親も教養がなかったから無知だったのか教えてくれなかったので最近まで知らなかったの」との彼女の言葉に驚いた。
 彼女の、朝鮮人である事がはずかしい事と思っていたと言った言葉が、私の胸を刺した。本当に日本の戦後の欠落した教育が悔やまれる。
 私は金君に会って、四十数年の心の中にあった重みが少し軽くなったような気がした。早く忘れたい気もするが、私は金君との少年時代のかかわりを一生忘れる事は出来ないだろうし、金君も李さんもまた朝鮮人として受けた痛みを決して忘れないと思う。
 踏まれたものはもちろん、また踏んだものも決して忘れてはならない。
 三十年ぶりの再会になったが、はじめて彼に逢ったのだと思う。
 金君との長い時間を経た再会であった。


 次の詩は、今年の夏に感じた事と娘の韓国への修学旅行から帰った時に感じた事を書いたものです。

無 窮 花
背戸の片隅に今年も咲いた白い花 
   真夏に咲き始めるこの白い花
   身体の不自由であった妻の父がくれたこの白い花
   昔も今も白、ピンク、紫色と村のあちこちに咲いている 
   屋根雪に折れても折れても咲き続けてきた根強い花
   毎日次から次へと咲き続ける
   焼肉屋のカウンターの上にもこの白い花
   ママさんこの花、何んていうの
   私の国の国花、ムクゲよ
   えっ これがムグンファ?
   今日まで名も知らなかった
   隣国のこの白い花、ムクゲ
   私達の国の支配になってから自由に咲けなくなった無窮花
   それでも人々の胸の中に咲き続けた
   伐られても折られても咲き続ける
   私の心の中にも咲かせたいムクゲ、無窮花、ムグンファ、白い色

     遠い日のクツ
   ただいまっ の声
   高校生の娘が修学旅行から帰ったのだ
   妹と弟が玄関へとび出して行った
   おかえり、ねえちゃんおみやげは
   茶の間に入るやさっそく店開き
   はい、これ
   わあ、かわいい
   うれしそうな妹の顔
   それはブランコに遊ぶ民族衣裳のお人形
   お父さんにも見せてっ
   手にして、あっと心の中で叫んだ私
   チマ・チョゴリの裾からかわいいクツがのぞいている
   新雪を蹴っての学校からの帰り道
   誰から言い出したんだろうか
   おまえのクツ チョウセングツやチョウセングツや
   違うわい、おまえの方こそ
   長ぐつの先に蹴った雪が小牛の角のようにとんがってついている
   つま先のこの雪を比べては、からかい興じた遠い日

   このくつだったのか
   一度も見た事のない朝鮮グツなのに
   チョウセングツと言われるのが嫌だった
   チョウセンと名の付くすべてのものを蔑み嫌っていた私
   こんな心を持ったまま大人になった私
   子供たちには見せられない私の心
   私の心の中では
   まだまだ近くて遠い隣国
   韓国、朝鮮
   私の顔をじっと見ている机の上の韓国人形
   私の心の中をのぞいている





     韓国の愛人
          渡(わたり) 野(の) 玖(く) 美(み)

一九八八年第五十二回国際ペン・ソウル大会に参加のためのツアーの誘いがあったのは、六月であった。韓国へはいずれ行かなくてはならないと思っていたのだが、その機会が思いもかけないところから舞い込んだのである。六泊七日の旅、だが実は飛行機の出発時間の関係で、前後二日間は大阪泊まりで八泊九日の長旅となっている。家のことも仕事もすべて放り投げて出かけて行くことには、かなりの決断が要った。
 大阪空港で大韓航空機に乗り込むと、スチュワーデスが口々に、アンニョンハシムニカ、と声をかけた。私も小声ながら、アンニョンハセヨ、と答えることができ、そこから韓国への第一歩が始まった。
 オリンピックを数日後に控えた(八月二十八日)その日の、金浦空港での入国チェックは厳しく、M氏はボディチェックにかかり、S氏は職業でひっかかった。旅行業者がパスポートに会社員と書いてあり、会社名はどこかと尋問され、新聞社名を言うと、ジャーナリストは会社員ではないのに何故だと、拗こく言われて閉口したという。私の職業欄は何故か詩人となっていた。
 金浦空港からホテルのバスで約四十分、オリンピック競技場の説明や、ソウル市内を流れる韓江、六三ビルなどの説明を聞きながらペン大海の会場でもあるシェラトン・ウォーカヒルホテルへと向かう。沿道には真っ赤なカンナが咲き誇っていた。カンナと無窮花が、そしてまだ咲いてはいないがコスモスが市内中にあふれている。韓江には、三十か四十か五十か、赤、青、黄など色とりどりのウィンドサーフィンが帆をあげて、川というよりも湖のようにゆったりと水をたたえた風景は大陸だなあ、と思わせてくれる。ビルが立ち並び、民家らしき建物は一軒も目に入ってこない。ビルはほとんど高層アパートであるとのことだ。高いビルほど高級なのだそうだ。
 第一日目は歓迎パーティ。その会場での出会いが私の翌日からの韓国旅行を方向づけてしまったのである。詩人、児童文学研究者、大学教授という肩書きの李在徹氏と偶然に話をし、すっかり親しくなってしまった。
 李在徹先生は、二日目のパーティの後、私に「渡野さんが好きだから」と耳もとでささやき、市内観光案内をしてあげると約束した。S氏と大阪から来ているK氏も誘ったのだが、K氏は他のメンバーと市内観光に行く約束があり、結果的には私とS氏のふたりだけになった。当日は李在徹先生は大学の講義はないのだと言った。
 彼が運転するのだとばかり思っていた私たちは、運転手付きの国産車でホテルへ迎えに来たので驚いた。六年前に胃ガンで胃を切除してからは、運転手を雇っているのだ。運転手の給料は三十万ウォンくらいだと言う。日本円にすると六万円くらいだろうか。ハンドルは左側にあり、李在徹先生が助手席に乗り、彼の後ろに私、運転手の後ろにS氏が乗った。市内観光ガイドをひととおり読んでいたので、何処へ行くのかと興味津々でいると、車は静かな丘へ登っていった。
 そこは墓地であった。
 私は墓場が好きだ。処女喪失も墓場だった。だが、選りに選ってソウルまで来て、案内を請うたわけでもないのに墓地へ連れてこられるとは、と私は不思議な気持ちで雑草の中にぽこりぽこりとある土饅頭とぽつんぽつんと建っている墓石を眺めた。私の生まれは能登半島で、朝鮮半島に近い。私は日本人だがきっと前世は朝鮮民族だったろうと信じている。目に見えない糸にたぐり寄せられて、私は今ここに立っているのだ、と思った。涙が胸の底からせぐりあがってきた。
 両班(貴族階級)は独自の墓地を持っているが、常民(平民)は共同墓地で、そこは後者なのだと李在徹先生は四十年ぶりで話すのだという日本語で説明してくれた。
 年配の韓国人は日本語を流暢に話す。日本の植民地時代の産物で、名前も言語も奪い取ってしまった過去の歴史に胸が痛んだ。日本語が上手ですね、と言うと、六十歳だから、と笑って答えた韓国人がいた。
 私の顔は韓国人好みというのか、たくさんの韓国人に親しげに話しかけられた。韓国人だと思い込みべらべらと話しかけ、私がきょとんとしていると、胸の名札を見て、「イルボンサラン」と納得するのだ。わたしと李在徹先生が話していると、隣席の日本人夫婦(有名な作家)が、「日本語で話していますね」と不思議そうに私たちを見て、名刺を差し出した。私は日本人です、と言って自分の名刺を渡しても、その夫婦は納得のいかない顔をして私たちを見比べた。
 韓国人に間違えられる事はいたる所で起こった。水(ス)原(ウォン)の民族村観光の時だった。蝉がおかしな声で鳴いていた。かすれた途切れ途切れの泣き方で、観光客にサービスしすぎたのだろうと私たち一行は笑いあっていた。何組かの一行が入り混じって歩いているなかに、韓国のおばあさん一行があった。そのひとりのおばあさんが、私の横へ来て並んで歩きながら、しきりに話しかけ、そのうち、メーミ、メーミと言い、変な蝉の鳴き声の真似をした。蝉のことはメーミというのだな、と私は納得し、おばあさんと私は同時に笑いあった。あとの言葉は全く理解できてないのだとは、そのおばあさんは思ってもみなかっただろう。わたしの韓国語の理解度は挨拶程度だ。
 車から降りて、案内された墓がふたつあった。ひとつは、反戦詩を書き続け投獄され、そして死後評価されたという詩人のもので、萬(マ)海(ネ)韓(ハン)龍(ヨン)雲(ウン)先生の墓碑名が刻まれていた。李在徹先生が私費で建立したのだそうだ。真新しい立派な墓だ。墓石の後ろに功績が漢字まじりのハングル文字で刻んである。
 もうひとつは、韓国の児童文学の先駆者方(バン)定(ジョン)煥(ファン)のものだ。日本の児童文学者巌(いわ)谷(や)小(さざ)波(なみ)を尊敬していたので、筆名は小(ソ)波(バ)といった方定煥の墓は、背の低い落ち着きのある白い石でできていた。三十三歳の若さで病死したらしい。あたりに野菊が可憐に咲いていた。韓国は土地がやせているので太い木などはなく、墓地といえども、うっそうとしておらず、丘のようでソウル市街が一望できる。最近はデートコースにもなっているとか。
 李在徹先生との交流を月間韓国文化に知らせたことが契機になって、日本の児童文学者・田坂常和氏が、李在徹先生の著書「児童文学概論」、「世界児童文学事典」の別冊「韓国現代児童文学略史」を翻訳し、それを骨子として「韓国児童文学の系譜」を連載するようになった。月刊韓国文化の中に、毎月、李在徹先生の名前を見、たまに写真などが載っていると、あのソウルでの日々がつい昨日のことのように思われる。
 墓地を後にすると、李在徹先生は、自宅に食事の用意をしてあるからと、運転手に命じ私たちを自宅まで案内してくれた。ソウル市内ではアパート住まいが普通で一軒家は珍しいのだと説明を受けた。高い塀と鉄の門がまず目についた。割と小さな玄関のすぐに、小さなテーブルと椅子がある。李在徹先生が奥に向かって大声で呼ぶと、小柄な飾り気のない楚々とした夫人が現れて、にこにこと笑った。S氏は大きな声で、「こんにちは。お邪魔します」と言った。私は、「アンニョンハシムニカ。チョウム ペッケスムニダ」と挨拶した。ソウル三日間で、私もいくらか韓国語が口から出るようになってきたのだ。
 一九三一年生まれの李在徹先生は満五十六歳だ。二人の息子と二人の娘がいて、娘はすでに嫁ぎ、息子のひとりは文学者でもうひとりは大学生だという。大学生の息子さんがいて挨拶した。李在徹先生はすべての部屋を案内してくれた。二階がふたりの息子の部屋だった。日本の家屋と著しく違うところはひとつひとつの部屋が狭いことだ。四畳半か六畳くらいの部屋がいくつもあり、狭苦しい。李在徹先生の部屋は二間をひと続きにして一間としてあり、客が多いのでこうなったのだと説明された。書庫のような部屋があり、そのなかには古い日本の本も混ざっていて、文学は日本の本で学んだと言うのがうなずけた。日本の文学者では石川啄木が好きだと言い、
  東海の小島の磯の白砂に
  われ泣きぬれて
  かにとたわむる

  大といふ字を百あまり砂に書き
  死ぬことをやめて
  帰り来れり

 と「一握の砂」にある詩を暗誦した李在徹先生は少年のようにはにかんだ。
 次の日、水原の民族村を訪ね、昔の韓国の家屋を見たが一室一室は両班の家でも狭く、それはどうやらオンドルを使うためのように推察された。
 食卓を囲んで私たちは座った。六畳ほどの部屋で、奥さんの嫁入りのときの調度品だという螺鈿のたんすが二方に並んでいた。種々の韓国の家庭料理が食卓いっぱいにあふれていた。私とS氏の前には銀製の箸が置いてあった。銀は毒に触れると変色するので、来客用として最大の歓待を意味するのだ。つまり毒物は盛ってありません、敵意はありませんということなのだろう。李朝時代の王室では、すべて銀製の器を使用していたらしい。日本の将軍がお毒見役を置いていたのと同じ理屈なのだ。
「ヨボ、ヨボ! マジュアン」
 李在徹先生が台所へ向かって叫んだ。叫んだという表現は大袈裟ではなく、実に大きな声だった。何度も同じ言葉を繰り返していたが、台所では忙しいのか何の応答もない。いらいらしたらしい李在徹先生は、立って行った。立って歩きながら、再び、ヨボ! と言った。
「韓国でも“女房”と呼ぶのかい? 渡野君」
 S氏が楽しそうに、目を大きく見開いて言った。好奇心にあふれているときの彼の表情である。唇を少しとがらせている。
「いいえ。おい、ぐらいの意味でしょう。S氏も家では奥さんを、おういと呼ぶでしょう。あとの、マジュアンというのは何でしょうね、ちょっとわからない」
 そんな会話を交わしていると、李在徹先生が戻ってきた。そして再び、
「ヨボ、ヨボ! マジュアン」
 と叫んだ。台所へ行ったのではないらしい。小用だったのだろうか。
 奥さんが味噌汁を運んできた。日本の味噌汁とはちょっと趣を異にしている。具汁だが、玉ネギが入ってごってりした感じだ。
「マジュアン!」
 李在徹先生が言うと、奥さんは笑いながら台所へ去り、一本の果実酒を持ってきた。その果実酒の名前が「マジュアン」だった。韓国産の白ワインである。適当な渋味があり、甘味をおさえた口あたりの良いワインだ。李在徹先生は胃癌で胃を手術して以来、禁酒しているとのことであったが、グラスにいっぱいのマジュアンを口にして私たちを歓待してくれた。
 かつて、李家の客人は彼の好物であるマジュアンをおみやげに持参した。客人の買物のために李家の近所の食料品店にマジュアンが置いてあった。だが次第に禁酒を知った人たちは酒を持参しなくなり、その店にも今ではマジュアンを置いていないのだと奥さんが笑いながら話してくれた。韓国感覚では高級酒なので、どこにでも売っていなく、酒場でもあまり置いていない。三、四千ウォンだがナイトクラブでは一万六千ウォン以上もする、と李在徹先生は面白そうに笑った。日本円の五分の一とすると、一万六千ウォンは三千二百円だからそんなに高いとも思えないが、おかかえ運転手の給料が三十万ウォン、約六万円というから、それだけ全体的物価が安いのだ。
 食卓の上には、すきやき風の鍋もの、キムチ、豆御飯、薬(ヤッ)飯(パン)、ナムル、果物、草もちなどがあふれんばかりに並べられた。私たちは談笑しながら、それらのご馳走を食べ、マジュアンを飲んだ。
「渡野先生は、確か始めのパーティのときに夫は韓国人でしたと私に言いましたが、本当ですか」
 李在徹先生が私の顔をくい入るように見つめて言った。S氏はびっくりした顔をして私を見た。いつの間にそんなことを話し合ったのだ、と言いたげだった。
 貴女は韓国を好きですか、と言う李在徹先生の問いに対して、興味があると答えたところ、何故かと言われて、言わずもがなのことを口走ってしまったのだった。
「私はそのことを聞いて心が痛みました。同国人が貴女を不幸にしているのは恥ずかしい。私が代わりに謝ります。だからその意味で今日は自分の家へ招待したのです。その男は悪い奴だ」
 李在徹先生は、とつとつとした日本語でそんなふうに言ったので、私はびっくりしてしまった。涙がこぼれそうになった。在日韓国人の女性に、朝鮮の子を育ててくれてありがとうと言われたことがあったが、李在徹先生も同じ意味のことを言った。私こそ前夫(在日韓国人)を不幸にしているのにと、李在徹先生の怒りがおもはゆかった。
 外で大きな声がする。同じ言葉を連呼しているようだ。
「あれは何ですか」
 私が質問した。
「ははん? ヨボ、ヨボ!」
 台所へ立った奥さんを、李在徹先生はまたもや呼んだ。奥さんの説明によると調理済み食品、つまりそうざいのようなものを売り歩く声だそうだ。
 帰りの車の中で、助手席に座った李在徹先生は後ろを向きっぱなしの状態で、能弁だった。文学をはじめ韓国の現状など多岐にわたって情熱的に語った。
「今こうして私たちがいることが本当の友好なのですよ。あんなに大騒ぎしてパーティを繰り返していても仕方がないのです。ところで、渡野さんはどんなことで生計をたてているのですか」
 原稿料で生活していないことを見抜いている李在徹先生の質問だった。
「四千ウォンの酒を一万六千ウォンで売る仕事です」
 私は笑って答えた。
 韓国最後の日、さよならパーティの後、私と李在徹先生はふたりだけでホテル内のディスコクラブで過ごした。韓国ではディスコが盛んで、老いも若きも体をゆすって踊り狂う。五十六歳の彼と私も激しいリズムにのって、汗だくになるほど踊り、マジュアンを飲んだ。私が彼のグラスに酒を注ぐと、言った。
「韓国では妻かほんとうに愛しあっているひとしか酒を注がないのです。店のボーイが注いでくれるのを待っているのが普通です。日本では今貴女がしたようにするのが普通なのだと思いますが、私はとても嬉しい。初めのパーティのとき、夫が韓国人だったと言ったことにも興味を覚えましたが、ほんとうは違うのです。S氏の分の料理を運んできた貴女が私の分の料理と酒も持ってきてくれましたね。初めてです。韓国の女性はそんなことはしないのです。それで好感を持ったのです」
「はあ、そうですか」
 私はどぎまぎしてしまった。私の行為は、彼にとって妻か恋人のすることだったのだ。
「韓国の愛人、日本の愛人になりましょう」
 愛人という言葉にどれほどの意味が含まれているのかわからない。日本語の愛人とは意味が多少違うらしい。だがドキッとする言葉だった。私は曖昧に笑うしかなかった。
「渡野さんはいつも笑ってごまかしている。面白くない。そういうのを韓国では笑いを売ると言います。私は本気で言っているのです。私は五十六歳、胃を手術して、あと何年の生命なのか。お互いに若い間にもう一度逢いましょう。きっとですよ。文学する人は恋をなくしては駄目です」
 韓国の愛人は私の手を強く握った。
 翌朝、お土産にと愛用のタバコ「バラ」と「マジュアン」をホテルに届けてくれた。
 この文章を書きながら、むしょうに韓国の愛人に会いたくなった。






     雨森芳洲の孤独
           賈(か) 島(とう) 憲(けん) 治(じ)

       1
 元禄一一年(一六九八)七月一九日、対馬藩士雨森芳洲は藩主宗義真から朝鮮佐役を命ぜられた。義真は元禄五年に隠居し、その子義倫が跡を嗣いだが、元禄七年に義倫が江戸で死亡したため、義真の四男義方が跡を嗣いだ。しかし、義方が一三歳の幼少のため義真が再び国政を見ていた。
 当時、対馬藩は朝鮮貿易において公貿易では対馬藩から朝鮮に産しない銅・鑞・丹木を輸出するかわりに、朝鮮政府から木綿を輸入していた。私貿易では朝鮮商人の商う生糸・人参を輸入するかわりに、日本の貨幣である慶長銀を輸出していた。元禄八年、江戸幕府は金銀の極印の古くなったこと、近年諸国の金銀の産出が少なくなり、世間通用の金銀も次第に減少してきたことを理由に品位八割であった慶長銀から品位六割四分の元禄銀に改鋳を断行した。このため、対馬藩は最初のうちは貿易の悪化を恐れて慶長銀を調達して朝鮮へ輸出していた。しかし、慶長銀が不足する事態となり、元禄十年三月、対馬藩は元禄銀の慶長銀に対する品位の不足分を取り決め、その分を加給するから元禄銀をもって交易したい旨を朝鮮側に通告した。
 そこで、朝鮮側は漢城(ソウル)で元禄銀の銀・銅の吹き分けをしたところ、元禄銀の品位は六割二分であったとして、慶長銀に対して二割九分の歩増しをすれば了承すると答えてきた。これに対して、対馬藩では府中(厳原)でも吹き分けてみたところ、元禄銀の品位はやはり六割四分であるから、慶長銀に比べて加給するにしても二割五分が妥当であるので、朝鮮側の言うように四分も余計に加給することが出来ないと反論した。
 元禄一一年三月、朝鮮側は東萊府で吹き分けたところ、品位六割三分であったので、二割七分の加給ならば、元禄銀でもよいと言って来た。対馬藩は不満ではあったが、やむなくこの結果で決着を図ることになった。しかし、突然に朝鮮側は今度は対馬藩主宗義真の書契(文書)を渡さねば元禄銀による取り引きは出来ないと言ってきたのである。対馬藩と朝鮮商人との間の私貿易においてこれまで対馬藩主の書契というような外交書簡を出すのは前代未聞であったが、対馬藩にとって私貿易の収益をこれ以上下げては大きな損失であったので、義真の書契を出すことになった。
 朝鮮佐役となったその日、登城していた芳洲は早速、藩家老樋口孫左衛門に呼ばれた。樋口は芳洲に元禄銀は日本で広く使用されているので、貴国朝鮮でも使用されねば他に使用する銀貨はないから関係諸官を通じて貴国の商人に使用するように告げてもらいたいという内容の書契の下書きを作成するように命じた。芳洲の作った書契の案文は幕府の命により京都五山から派遣されている以酊庵の輪番僧に見られてから、朝鮮方の清書役によって清書された後、東萊・釜山両令へ提出されることになっていた。
 樋口は苦々しい顔つきになり、こう付け加えた。
「朝鮮の施設が昨日府中に参った。明日、代表の訳官二名が訳官及び商人等の書いた約定書を勘定所へ持って参るによって、そなたはこれに立ち合い外交事務に支障なき様に取り計らえ。朝鮮人は元禄銀の吹き分けの技術が下手なのを認めず、わが藩はこれで一〇〇両につき二両ずつ損をすることになった。朝鮮人はどんなことでもすぐに文句をつける。こちらに些細な過失でもあればしめたとばかりに執拗に突け込んでくるところがあるから、朝鮮人にくれぐれも侮られぬように心せよ」
 訳官及び商人等の約定書というのは、朝鮮と日本との商品売買において、今後は元禄銀一〇〇両ごとに二七両を加給するとの旨を記した文面に同意した訳官や商人たちの代表が連名捺印した証文のことである。この約定書を朝鮮側の代表である二人の訳官と勘定所との間で取り交わそうというのである。
 対馬では金勘定がすべてだなと芳洲はふいに思った。芳洲が対馬に赴任したのは26歳の時であったから、すでに五年が経っていた。そのうち一年間は長崎の唐人屋敷で中国人に中国語を学ぶために出向し、帰ってきて小川加賀右衛門の娘しのと結婚し、最近長男の顕之充が誕生したばかりであった。
 芳洲は次第に対馬藩の実状が分かってくるにつれて、実際の対馬藩と江戸表で使い捨てる銀は年三千貫と言われ、西国一の長者と評判であった対馬藩とはあまりの相違にいつも驚かされた。対馬藩の分限は一〇万石と言っている。しかし、以前は一万一八三七石と武鑑に載せられていたのを、寛文一一年(一六七一)に江戸勤めの大浦忠左衛門が高木彌次右衛門をつかって武鑑の版元に交渉し、金で板木を彫り替えさせ一〇万以上の家格に釣り上げたのが真相であった。西国一の長者と言うのはまったくの見掛け倒しであった。確かに馬廻(上士)は豊かではあるが、大小姓(中士)、さらに御徒士(下士)の生活ときたら、あまりの困窮ぶりに唖然とするばかりであった。家老樋口孫左衛門が「藩の御納戸には銀1万貫あるから対馬は安泰じゃ」といつも豪語している一方で、侍たちは奉公の隙には山へ薪を切りに行ったり、海へ魚釣りに出かけたりして少しでも家計の足しにしていた。城の不寝番を仰せつけられるのを望む者が多くいるのも、実は不寝番には衣食が支給されるため夕飯は妻子に食べさせることが出来るからであった。
 ここでは仁・義・礼・智の儒教の徳目よりも金、金、金で、すべて利が何よりも先行していた。まず藩主義真公が利を好む心が深く、勘定所の役人たちも金が搾り取れるところは民百姓どころかたとえ乞食からも搾るというような過酷さで、貪欲な商人も顔負けであった。対馬藩では学問は無用だとまで芳洲は思った。藩校である小学校は芳洲が対馬に赴任した7年前に創立されていたが、小学校は一日おきに開かれているだけであった。指南役は一人で学生は四〇人もいなかった。彼らの中に漢文を解する者はほとんどいなかった。藩全体に学問に身を入れようという雰囲気がまるでなかった。金儲けのすべさえ知っておればいいので、文字はいらなかった。実際に侍であっても文字を読めなくてもさして恥じる気配もなかった。
 芳洲は対馬が江戸から遠く離れた絶海の孤島であることは承知していたが、これほどひどい所とは思いもしなかった。なんという所へ自分は仕官してしまったのか、芳洲はおのれが学んできた朱子学が対馬では役に立たないだろうという暗い予感に襲われて空恐ろしくて身が震えた。利に目が眩み、仁・義・礼・智を知ろうとしなければ、侍は勿論のこと、百姓、職人、商人まで徳義を重んじないのは当然のように思われた。御法度は守られなくても少しもかまわず、上に立つ者が御法度を守らないから下の者も御法度を守らないという有り様であった。悪い御法度ならそれは速やかに改められるべきなのに改められもせず、次から次へと新しい御法度が出るばかりで、人々はその御法度も今に廃れるだろうと高をくくり、これを対馬法度と呼んで嘲笑っていた。芳洲の眼には対馬藩はそれこそ無秩序と混乱そのものとしか見えなかった。
 翌日、芳洲は義真公の書契の下書きを作成し以酊庵へ持って行った。その後、衣冠を整えるため家へ帰ってから、勘定所へ向かった。勘定所は藩の出納を取り仕切り、貿易、用度営繕、米蔵を管理していた。分掌として作事方、銀方、賄方、送使方、米蔵、道川方の六課があった。送使方が特に朝鮮貿易品の販売送付について権限をもっていた。勘定所にはすでに裁判高勢八右衛門とともに訓導朴僉知、別差鄭判事の訳官及び朝鮮商人の三十名が到着していた。
 約定書の受領の儀式には対馬藩側は阿比留右衛門を筆頭に添勘定、調役、手代の役職にある者と、通詞二名、そして朝鮮佐役の芳洲が立ち合いの下に行われた。まず勘定役阿比留と朴、鄭の訳官が二度揖をして座った後、鄭判事から芳洲が約定の証文を受け取り、ひととおり目を通してから、その場で漢文で書かれていた文面を日本文に訓読して読み上げた。芳洲が読み終わると、「間違いはござりませぬか」と訳官二人の方を顧みて確認すると、朴僉知が「相違ない」とはっきり言ったので、芳洲はほっと安堵の息をついた。二人の訳官に訓読のしかたが正しくないと指摘されるのではないかと一瞬懸念したからだ。そこで、芳洲は添勘定に約定書を渡し、それを阿比留に手渡した。阿比留はもう一度約定書の文面にある「毎壱伯両、増価弐拾柒両式」という箇所をちらりと見て、「約定書はただ今確かにお受け取り申した。これで二か年にわたって貴国と対馬藩との間に懸案であった元禄銀による交易問題は円満に解決した。これもすべて訓導朴僉知、別差鄭判事、並びに金内禁氏をはじめとする朝鮮商人の方々のわが藩に対する変わらぬご厚誼と御隣好の賜物と存ずる。恐れながら主君宗義真さまにおかわりして厚く感謝の意を申し上げる。お役目まことに大儀でござった」と労をねぎらった。そうして、「殿さまからの書契も近日中に出来上がるであろう。しばらく府中を見物なさってゆっくりしていってくだされ」と言って、やっとにっこりと笑った。
 その晩、府中にある料亭望月楼で朝鮮の使節一行を歓迎する宴が芸者を多数呼んで盛大に開かれた。全員に杯が三巡杯してから勘定役阿比留と芳洲が二人で交互に朴僉知、鄭判事、金内禁に酒を注いだ。添勘定、調役、手代たちは一行を面白がらせようと芸者の真似をしたり、上半身着物を脱いで裸になり猿のごとく飛びはねたり転がったりして、色々の姿態を呈して見せた。これに応えて朴と鄭が対馬の民謡を対馬弁で上手に歌ってみせたので、対馬人々はみなすこぶる喜んで拍手喝采した。この後、一行の側に侍り酒を注いでいた艶やかな着物姿の芸者が次々と美しい舞踊を披露した。今度は朝鮮の一行が感激していっせいに歓声をあげた。朴が「踊りはよいから一緒に食べましょう」と勘定所の役人に言ったので、勘定所の者たちは今まで手もつけずにいた目の前のたくさんの料理と酒をめいめい食べたり飲んだりした。
 勘定役阿比留が客を最上に接待するしきたりとして一番早く席を外した。その後、朝鮮人と芸者が宴席から立ち去った。芳洲が気が付いた時にはいつの間にか宴席には芳洲と朴僉知の二人のみになっていた。芳洲は珍しく酒ですっかりいい気分になり、このまま朝まで飲み続けるのだと思っていると、朴僉知はきょろきょろあたりを見回し、急に真顔になって詰め寄った。芳洲は朴の髪に白い毛が何本か混じっているのを見て、朴が少なくとも自分より十歳は年上のはずだと感じた。
「雨森さん、われわれ朝鮮人にとってある日、突然に慶長銀がなくなるってことはどうしても信じられないのです。なぜなら、慶長銀は慶長六年(一六〇一)に豊臣秀吉によって造られてからずっとそれこそもう一〇〇年近くも流通してきた貨幣でしょ。それが急に消えてしまうというのは、正直言って対馬藩がわれわれを欺して慶長銀を隠匿しているのではないか。純度の高い慶長銀を隠し、純度の悪い元禄銀をわれわれに摑ませその差益を稼ごうという奸計ではないかと心底疑いましたよ」
 芳洲はかぶりを振り、断固とした表情で言った。
「いや、いや、これまでわが藩としては出来るかぎり慶長銀を日本の各地にある対馬屋敷で調達して貴国へ輸出してきたのですが、ついにどうしても集まらなくて、こうした事態に陥ってしまったのです。藩が元禄銀を千載一遇の好機と考えてこれによって大儲けを企むなんてことは毛頭考えてはいません。むしろ元禄銀は藩にとり迷惑も迷惑、大迷惑なのですから」
「そうですか。われわれが憂えるのは幕府がやがて一〇年もしないうちに、さらにもっと純度の悪い銀貨を造るのではないかということです。それでなくとも、元禄銀では清国側は生糸を売ることは出来ぬと拒絶しているのですから、これ以上朝鮮商人を泣かせないでほしいものです」
「万一そうなればわが藩と貴国の交易にとりまた新たな紛争の種となりましょう。いったい質の悪い貨幣ばかり増発してどうしようというのでしょうか。これでは物価が高騰するばかりです」
夜も更け、さっきまで嬌声や三味線の音で喧しかった別棟の宴席も静かになった。部屋は開け放っているのに、芳洲はなぜか汗が出てくるようなむし暑さを感じた。
「いずれにせよ、日本は恐ろしい国ですね。日本では昨日まで使っていた貨幣と異なり、一夜明ければ今日は三割近くも価値が下落した一両でもやはり同じ一両として支障なく通用するのですからね。自分たちがみすみす損をしていると分かっているのに、お上に不平不満も言わず唯唯諾諾と元禄銀を使用しているのは、われわれ朝鮮人にはまったく不可解でなりません。日本国内では以前のまま混乱もなく整然と秩序を保っているのでしょ。本当に大君の命令ひとつで日本人全部が素直に服従するところが恐ろしい気がします」
「いいえ、決してそうではありません。毎年幕府が古今銀の回収を出しても応じないばかりか、贋金が出回り贋金造りの犯罪者が何百人と出ている有り様です。町人たちは元禄銀のために怨嗟の声をあげています。わが藩として迂闊なことは元禄銀が貴国と清国の交易に悪影響を及ぼすなどとは思いもよらなかったことです。ただ貴国との関係悪化のみを恐れて、慶長銀を調達してその場凌ぎをしてきたのがそもそもの間違いなのです。もっと迅速に対処すべきでした。ちょっと失礼」
 芳洲はそう言うや、静かにすっくと立ち上がった。さっきから一匹の大きな緑色に光る黄金虫が外からやって来て部屋の中をうるさい羽音を立てながら忙しく輪を描いて飛び回り、障子や屏風にこつんこつんとぶつかったりしていた。芳洲は今し方行燈にぶつかり畳の上に落ちてもそもそ這っている黄金虫をすばやくつかむと、窓まで言って外へ思い切り投げつけた。朴は芳洲を見やりながら言った。
「雨森さん、今回の貨幣改鋳の一件で日本人の本性がはっきりと知らされたように思われます。この様子では徳川綱吉公の御命令があれば、壬辰・丁酉倭乱の時と同様、わが国に日本人が一丸となって侵略してくるのではありませんか。倭乱を起こした豊臣秀吉ひとりがはたして極悪人と言えるのか、もしかしたら日本ではいつでも豊臣秀吉が再度出現するのではありませんか」
 芳洲は畳の上に放り出されていた団扇を二本持って来て、朴に一本手渡した。そうして、また胡座をかいて座ると自分の顔に向けてぱたぱたと扇いだ。
「いいや、豊臣秀吉は二度と現れてたまるものですか。わが雨森一族の祖先は豊臣秀吉によって皆殺しに合いました。拙者はかろうじて生き残った子孫の一人ですが、こうして日本の最果ての対馬島まで流れてくる巡り合わせになったのも、元はと言えば豊臣秀吉によってわが先祖が近江国雨森の里を追い払われたからです。豊臣秀吉が天下を取っていた間、雨森という名を知られまいとして世間に背を向けて生きねばならなかった一族が、徳川の時代になったからといって急に日が当たる筈もなく、雨森家を再興することもかなわず、どんなに惨めな思いで暮らしてきたか、わが父親であった人が繰り返し拙者に語ったものでした。豊臣秀吉と聞くだけで歯ぎしりしたくなります。秀吉に対する怨みは百年経っても、決して忘れることは出来ません。豊臣秀吉の亡霊が再び現れたなら、ずたずたに切り刻んでやりたいほどです」
「そうですか。あなたの一族も豊臣秀吉によって過酷な被害を受けた犠牲者でしたか。豊臣秀吉は両国にとって悲惨な戦禍をもたらした不倶戴天の敵でした。なんとしても二度と豊臣秀吉を出現させてはなりません」
「徳川幕府が一貫して貴国を敵視する政策をとってこなかったことは、秀吉なき後、今日までの両国の友好関係をみればお分かりになるでしょう。元禄銀は貴国を苦しめるためにとった経済政策ではなかったことはどうか分かって下さい」
「われわれは今回の交渉の妥結で安心する訳にはいきません。幕府が元禄銀の使用をやめ一国も早く元の慶長銀のごとき良質の銀貨に戻されるようにお願いしたいのです。逆にもっと悪質の銀貨に改鋳しようと画策される場合には貴藩からも強く反対していただきたいのです」
「分かりました。元禄銀よりも品位の劣る銀貨を政府が再び造らないように、藩を通じて幕府に必ず申し伝えます。それでなくとも、元禄銀の使用のため、現に良質の人参が貴国より対馬藩に入荷せず尾人参ばかりでは病気の治療もかないません。憂うべきことは仕込み人参が多くなっていることです。わたしたちが銀に鉛銅を大分混ぜて銀だと言って渡してもあなたたちは受け取らないのと同様、人参の中に鉛鉄を混ぜた人参は人参ではなく偽薬ですので、何の役にも立たぬ人参をわたしたちは受け取れません。悪人参については厳しく罰していただきたい」
「朝鮮人参の名を汚すような人参を日本に輸出しては朝鮮の恥となります。東萊府にその点についてよく話しておきます」
 芳洲は眼が細く釣り上がり浅黒い顔をした朴と話をしてみて、朴が日本人を信じるどころか深く猜疑していることをしみじみ知らされた。そうして、日本人と朝鮮人との付き合いが交易の上の損得勘定としての付き合いであるかぎりは、両者の信頼関係はいつまでも回復せず、「誠心の交わり」は出来ないだろうという危惧の念がおこるのを感じた。

       2
 芳洲が朴僉知と夜を徹して酒を飲み交わした日から四日が経った。ぎらぎらと光る真夏の太陽は夕方になっても勢いを衰えず、府中の城下町は海が近いのに海が凪いでいるため、まるで蒸し風呂に入っているような蒸し暑さであった。芳洲は歩いているだけで背中と額に汗が気持ち悪いほど噴き出た。
 芳洲は宗氏の居城である棧原屋形を出て馬場筋通りに並んだ立派な庭園を構えた武家屋敷の前まで来ると、半分白髪の痩せた長身の男がよろよろとした足取りで物陰から近寄って来た。夏の羽織袴を着け刀を二本挿しているが身形は薄汚くて、年は五十半ばは過ぎている感じである。男はすでに大分酒を飲んでいるらしく、時々しゃくりをする。
「雨森さんでしょう。わしは栗木文之進と申します。わたしはあなたをよく知っていますよ。へっへへへ」
 芳洲は血色の悪い青ずんだ相手の顔を訝しげに見た。男は悪びれている様子もない。
「怪しい者じゃありません。これでもわしは藩から通詞を仰せつかっています。実はあなたの朝鮮佐役のご就任をお祝いさせていただきたくてね。いかがです。ちょっと一杯やりませんか。お若いのに朝鮮佐役に抜擢されるなんて実に羨ましい。なんでもちょっと前には長崎まで勉強に行っておられたとか、やはり江戸から見えたお方は違いますね。出世が早い。やがては朝鮮頭役は間違いないでしょう。めでたいですね。大いに祝わなくては。なに、わしのなじみの居酒屋がすぐ近くにありますから、そこで今日は祝宴と参りましょう。さあ行きましょう」
 男は芳洲の返事も聞かずに芳洲の腕をつかんだままどんどん歩き出した。
 芳洲が朝鮮佐役に任命されてから、急に何かと接近して来る者が多くなった。昨晩も芳洲の家へ梅野屋と有田屋が来て金子を包んだ紫色の布をさし出した。
「今度雨森さまが朝鮮佐役の御役に就任なさったお祝いとして三百両をさし上げたいのでお受け取り下さい」
 芳洲は驚いて「そのようなお金は受け取れぬから、即刻持って帰るように」と言うと、二人はまったく意外だというように顔を見合わせた。
「わたしどもはこれから雨森さまに色々とお世話にならねばなりませぬから、この金をお持ちしたのでございます。今後はあなたさまの御恩に報いるために毎年わずかですが、百両をさし上げたいと存じます。あなたの前任者にもこのようにさせていただきましたから、何も遠慮なさる必要はありません」
 芳洲はこの言葉に思わずかっと目をむき顔を真っ赤にした。
「前任者の場合は知らぬが、この金は受け取れぬ。この金を受け取れば賄賂を受け取ったことになるし、あなたたちも拙者に賄賂を送ったとして厳しい処罰を受けねばならぬがそれでも構いませぬか」
 梅野屋と有田屋はとんと合点がいかないといった顔つきで帰って行った。彼らは三百両の金が賄賂だという意識もなかったし、前任者も賄賂とも考えずに平気で受け取っていたのである。芳洲はこうした賄賂が公然と行われている事実に呆れ返った。
 芳洲は栗木文之進に引っ張られるようにして居酒屋『春駒』へ入った。中には町人たちががやがや騒いで酒を飲んだり飯を食べたりしている。
「あなたのような馬廻の方には不似合いな場所ですが、わしら御徒士の者にはここは桃源郷みたいなものです。さあ、周りを気にせずどんどん飲みましょう。この世の憂さを晴らすのは酒が何よりです。おおい、酒だ。酒を持って来い」
 栗木は大きな声で右手を振り上げて奥の調理場へ向かって叫んだ。『春駒』の亭主がお盆に徳利を二本載せて現れ、「栗木さん、酒代は随分溜まっているのにいつになったら支払ってくれるのですか。それにもう出来上がっている様子なのに、まだ飲み足らないのですか」
と困惑したように問い詰めた。栗木は急にむっと不機嫌な面持ちになり「今晩は借金の話はよせ。こちらは雨森東五郎とおっしゃる二百石取りのお侍。本当ならこんな汚い居酒屋にはお入りにならないのだが、わしが無理やりお連れしたのだ。ただ立っていないでひとつ御挨拶でもしたらどうだい」
「へえへえ、雨森さま、今後ともよろしく御贔屓の程をお願いします」
 亭主はあわてて愛想笑いをし、ぺこぺこお辞儀すると調理場の内へ入ってしまった。
 芳洲は徳利を取り栗木の持つ杯に酒を注いだ。
「栗木殿、あなたは通詞とおっしゃったが、それでは朝鮮語が堪能であられる訳ですね。拙者は朝鮮佐役を拝命したのを切っ掛けに朝鮮語を学びたいと存じています」
「親爺が通詞であったから、通詞となったにすぎません。堪能という訳じゃありません。雨森さん、わしが通詞となった若い頃ですが、あの頃はいい世の中でしたよ。今の草梁の倭館じゃなくて釜山浦豆毛浦に倭館があった頃ですがね。わしら通詞だけじゃありません。町代官などは一人で五〇貫目ほども儲けていたし、町代官の手代の者にしてもそれぞれに金儲けが出来たのです。まして商売も請負礼をもらえば気楽に出来ました。朝鮮の商売人もどんどん増えてね。朝鮮へ渡らない者にしても、対馬でそれぞれ似合いの商売がちゃんと成り立ったんですよ。ところがお上が交易の利益をすべて藩の方で吸い上げようとなされてからはまるっきり干上がっちまったんですよ。昔は朝鮮とお国の者同士が自由気ままに往来していたのですが、今は商人の数も厳しく制限されてすっかりやりにくくなってしまいました。当時、通詞はみないい身形をしていましたよ。こんな着た切り雀の惨めな恰好じゃなかったです。だから、誰もが通詞になりたがりましてね。大勢の通詞がいたものです。今ではめったに通詞になろうなんて者はいませんよ。二人扶持の俸禄で妻子を合わせて五人家族がどうして食べていけるのですか。子供たちはどんどん成長していくのに、いつまで経っても二人扶持のまま。これまでついぞたった一合の米の御加扶持もないのですからね。今は夏ですから裸同然の恰好でもいいが、一体冬になったらどうしたらいいのですか。あなたなどはわしの十倍もの俸禄をもらっていなさるから、わしの悩みはお分かりにならんでしょう」
 栗木はそう言いながら、芳洲に酌をした。
「腹を空かして泣き喚く子供たちの顔、髪を振り乱し子供に喧しく叱りつける女房の顔を酒を飲んですっかり忘れ去りたいのです。女房は胸を患っていて、たえずごほんごほんとおかしな咳ばかりしています。可哀想ですが、ある様子では長くはもたんでしょう。ああ、もう何もかも、家族のことも自分のことさえも煩わしくてたまらんのですよ。あれらのことを考えるだけで家へ帰りたくないのです。ね、雨森さん、頼みますから、このわしと一緒にわが家へ帰ってくれませんか」
 栗木は白菜の漬物に箸をつけていたのを急にやめ、芳洲の顔を懇願するように見つめた。
「いいですよ。拙者でよければ喜んでお供しましょう。これから朝鮮方ではあなたにもお世話にならねばなりません」
「ほう、さようですか。わしでもあなたのお役に立てますか。よろしい。わしでよければ大いにお使い下さい。でもね、その際には酒を、酒をたっぷり飲ましてくださらないとね。わしは米の飯よりもこの酒の方がいいのです」
 栗木は徳利をつかむと、手酌で盃に酒を注ぐや、酒をぐいと飲み干した。
「ついでと言っちゃ何ですが、あなたの朝鮮佐役就任を祝ってわしに金を貸してくれませんか。いや、恵んでくれなんてことを言ってるんじゃありません。栗木文之進は乞食じゃない。これでもちゃんとした侍ですからね。今お持ちの分だけで結構です。ちゃんといつか必ずお返ししますからね。これでも金儲けをする気なら、すぐにも手に入れることは出来るのです。今もいい金蔓があるとさる高貴なお方からお誘いも受けているのですがね。あまり気が進まないものですからね。お上はわしら二人扶持、三人扶持の暮らし向きについてまるで無頓着でいらっしゃるが、雨森さん、あなたならわしらを可哀想だと哀れんでくださるでしょう」
 栗木は痩せて尖った喉仏をごくりと鳴らし、今にも泣き出しそうに目をしょぼしょぼさせた。
 栗木はまだ飲み足らない様子であったが、芳洲は頃合と見て、亭主を呼んで酒代を払った。『春駒』の外へ出ると、栗木はさすがに酔いが足に来てよろよろともたつくので、芳洲は栗木の右肩を後ろから抱え込むようにしてゆっくりと町の通りを歩いた。夜になっても蒸し暑くて、これでは今晩もよく眠れぬだろうと芳洲は思った。栗木は俯いてぶつぶつ独り言をつぶやいて歩いていたが、ふと立ち止まり芳洲に向かって深々とお辞儀をした。
「いやあ、今晩はすっかり御馳走になりました。雨森さん、あなたっていい人ですね。江戸からいらっしゃった人はわしらみたいな御徒士に言葉もかけてくださらないのに、あなたは違いますね。わしとお酒も付き合ってくださるし、お金まで貸してくださる。飲んだくれのわしを突き飛ばしたりなさらずにですよ。わしは子供たちに溝の中に四、五回後ろから突き飛ばされたこともあります。先日も道端に酔い潰れて寝込んでしまったところ、棒切れで背中を無茶苦茶叩かれました。背骨にひびが入ったのかまだ背中が時々痛みます。馬廻の侍の子供の仕業ですよ。御徒士や町人の子供はそんなひどいことはしませんがね。子供たちから馬鹿にされているわしを雨森さんは嫌がりもなさらず家まで付いて来てくださる。あなたのようないい人はめったにいませんよ。いいですか。是非とも家の者に会ってやって下さい。二十人扶持の馬廻のあなたをお連れしたら、家の者はみんなびっくりしますよ。へっへへへ。まず第一に女房のまつが驚くでしょうて。それとも、やはり子供たちの方が大騒ぎするかな。なんといっても朝鮮佐役のお偉方がわしらの住まいにいらっしゃるなんてことはめったにあるものじゃありませんからね」
 芳洲は栗木の嬉しそうな笑いに対馬藩が侍であっても身分の差別が厳しいため、家中の者が互いに反目しあい一つにまとまっていないのを感じた。
 月明かりの中に、狭い路地にある二人扶持の御徒士の住む古びた家並みが見えて来た。馬場筋通りの南から北へ並んでいる歴代の藩の重臣の屋敷は枯山水の趣向を凝らした石庭や一匹何両もする鯉が泳ぐ池を構えていたが、裏通りにある御徒士の家は石垣に囲まれた家で、軒先に小さな畑が作られ野菜が植えられていた。その内の一軒の屋敷の前で栗木は立ち止まり、身だしなみを正し家の中へ入った。
 芳洲は今の前に立っていると、
「お米はどうなされたのですか」
 と言う女の声がし、後は急に咳こむ音でよく聞こえなかった。「父ちゃん、お米は」と言う男の子の声が続いておこった。
「藩の米蔵へ行って、切米の前借を頼んだが断られたのだ。毎度のことで何度も認める訳にはいかんと言われてな」
「今まで子供たちはあなたのお帰りを楽しみに待っていたのに、今晩も米の御飯を食べられないって訳ですの。あなたは何時だって自分ひとりお酒を召し上がっていい気分でしょうが、この子たちのことをもっと考えてくれてもいいじゃありませんか」
 女はとうとう啜り泣きはじめた。すると、「父ちゃん、お米が食べたいよ」と拗ねたような子供の声がまたした。「竹二郎、うるさい」と今度はもう一人の男の声がして、竹二郎と呼ばれた子が叩かれたのか、たちまち「うわっ」と火が点いたような泣き声がおこった。
「梅太郎も竹二郎も静かにしなさい。米の御飯はちゃんと食べさせてやるから落ち着くのだ。金はここにあるから、ゆき、この金を持って米屋まで行って米を一升買って来い。ついでに塩味噌もな」
 栗木の子供たちを諭す声がすると、子供の泣き声はすぐにおさまった。
「父上、今晩は米の御飯が食べられるのですか」
「そうだ」
「うあい、白御飯だ。兄ちゃん、白御飯だって」
 家の中で二人の男の子が大喜びをしてはしゃぎ回って騒いでいる。子供たちはよほど米の御飯を食べたかったと見える。
「ゆき、何をしている。急いで一走り行って買ってきておくれ」
「はい」
 はっきりと元気な声がしたかと思うと、がらっと裏口の障子戸が開き、家の中から若い女が飛び出してきた。あまりの突然に軒先の暗がりに立っていた芳洲にあやうくぶつかりそうになり、「あっ」と叫んで地面に転がった。芳洲は「うっ」と言って腹を押さえて痛がっている娘の手を取り、立ち上がらせた。娘は自分で着物に付いた汚れを手ではたきながら言った。
「すいません」
「いや、こちらの方こそ申し訳ないことをした。お怪我はなかったですか」
 娘はちょっと笑って頷いた。薄明かりの中でよく分からないが、一七、八才ぐらいの丸顔の瞳の大きく光る娘であった。栗木が家の中から現れた。
「雨森さん、娘のゆきです。朝鮮佐役の雨森様だ。ご挨拶をせい」
 娘はあわててぴょこんと頭を下げてお辞儀をすると、そのまま夜の道を駈け出していった。娘の後姿がたちまち暗闇に消えて見えなくなると、栗木は嘆息をついた。
「恥ずかしい話ですが、あの子も近く身売りしなければなりません。口入れ屋が来てね、器量がよいから京や大坂へ行けばいい稼ぎになると女房に言い聞かせているありさまで。わしらが食べていくには止むを得ません。むさくるしい所ですが、まあ中へお入り下さい」
 栗木は玄関口に立ったまま家の奥へ呼びかけた。
「まつ、お客さまをお連れした」
 破れた唐紙障子がすっと開き、栗木の妻のまつがぼうぼうに乱れている髪の毛を両手で撫で付けながら現れた。一目芳洲の風体を見るとどぎまぎして玄関口に跪き、「ようこそいらっしゃいました」と言ってお辞儀をした。女は目鼻筋が通った美しい顔をしていた。芳洲はまつが肺病でかなり悪い状態であることを以前自分が医者の卵であった経験からすぐに見抜いた。
「まつ、安心しろ。この方は雨森さまと言って朝鮮佐役になられたお方だ。ゆきの旦那として連れて来た訳じゃない」
 その言葉を聞き、まつはほっと安堵したのか急ににこやかに笑おうとしたが、どうしたことかごほんごほんと咳こんだので慌てて口を手で押さえてお辞儀をして中へ引き籠もってしまった。
 栗木は玄関の右側にある小さな座敷へ招じ入れた。行燈の灯をともすと部屋があかるくなり、使い古びて黒ずんだ畳が目についた。芳洲の耳の辺りを足の長い蚊が何匹もぶんと飛び回る音がした。対馬の蚊は江戸の蚊に比べて、体も大きくて挿されるといつまでも痛かった。「失礼なことを申しました。お許し下さい。まつはあなたがゆきをめかけにしたいために参られたと勘違いしたのです。どうか気を悪くなさらないで下さい。御覧のように床の間の掛け軸も文机も質へ入れてしまってありませんが、実はあなたにお見せしたい物があるのです」
 栗木はそう言って部屋の脇床の地袋を開けて中から大きな木箱を取り出して来た。木箱の蓋を開けると、中に紙を束ねて白糸で綴じた分厚い帳面のような冊子が四十部ほどしまいこんである。栗木は満面に笑みを浮かべ、一番上の一冊を取り上げ、横を向いて冊子の上の埃を口でぷうと吹き飛ばした。そうしてまた冊子をぱたぱたはたいてから芳洲に渡した。表紙には「隣語須知」と太字であり、その横に「天文」と細字で書いてあった。中を覗くと、「바람 パラム 風」「하늘 ハヌル 空」「구름 クルム 雲」「빗 ピッ 光」と朝鮮語が初めに書かれ、その次に片仮名で発音を示し、その下に漢字で意味が記してある。一見して、朝鮮語と日本語で書かれた単語集であることはすぐに理解した。栗木はまた別の「商売」と細字で書かれた一冊を芳洲に渡した。
「값은 얼맙니까? カプスンオルマムニカ 値段はいくらですか」「더 싸게 해 주세요 トサゲヘジュセヨ 値引きをしてくれませぬか」
 こちらは朝鮮語の文例が挙げてあり、その下に発音と訳が日本語で書かれている。
「これはあなたが作られた朝鮮語の文例集ですね」
 芳洲は思わず唸った。
「これらは亡くなった父が書き残した物と、それからこのわたしが若い時から少しずつ書き溜めた物です。もし、あなたが朝鮮語を勉強なさりたいのなら、どうかお使い下さい。あなたに使っていただければわしも嬉しいのです」
「それは有り難い。こんな立派なお仕事をあなたがこつこつなさっていたことは藩の者は知らないのですか」
「いや、こんな仕事をしたって何の得がありますか。わしら通詞はただ朝鮮との外交や交易が円滑に運ぶように相手の言い分をお国に伝え、お国の言い分を相手側に伝えればそれで十分。それ以外は余計なことを言わないように朝鮮方からきつく仰せつかっています」
「拙者は中国語はなんとか話せるようになりましたが、朝鮮語は残念ながらまだ全然と言っていいほど分かりません。栗木殿、拙者の朝鮮語の師匠になってくださらぬか。勿論、指南していただいた御礼はお支払いいたします」
「わしをあなたの師匠にですって。御冗談でしょう。こんな飲助を師匠にしてはあなたが恥をかきますよ。大通詞の青山甚四郎さまにでもお頼みなさった方があなたの御身分にふさわしいですがね」
「いいえ、あなたに頼みたいのです。是非ともあなたに朝鮮語の手解きをしていただきたいのです」
 芳洲は居ずまいを正し、栗木の前に頭を下げた。栗木はこれを見てうろたえて言った。
「何をなさるのですか。馬廻の方がわしら御徒士に頭を下げなさってはいけません。それにあなたはわしの上役なのですからね。いえね、わしみたいなただの通詞に雨森さまがそこまでしなさるのが嬉しくてね。辱ないことです。わしがあなたに朝鮮語をお教え申し上げても本当にご迷惑にならないのですか」
「栗木殿、あなたに教えていただければまことに有り難い。通詞たちは拙者が上役に当たるためか、拙者に朝鮮語を教えるのを敬遠しているようなのです。どうかあなたも拙者を上役だと思わないで、ただの韓学徒として教えてほしいのです」
「分かりました。そこまで雨森さまがおっしゃるのなら、喜んでやらせていただきましょう。そうと決まれば、まずあなたにわしの弟子たちを引き合わせましょう。わしの息子たちですよ。梅太郎、竹二郎、こちらへ入って来なさい」
 さき程から唐紙の隙間からこちらを覗いていたらしく、栗木の声で男の子が二人唐紙をすぐに開けて入って来た。二人は芳洲に向かって正座してから礼をした。
 栗木が息子たちを紹介した。
「長男の梅太郎十二才、二男の竹二郎八才です。この二人にも朝鮮語の初歩を教えているところです。中国語でも同じでしょうが、言語は小さいうちから教えた方が上達が著しいのです。今では朝鮮語は面白いからもっと教えてくれろとせがむほどですが、肝腎のわしの方がいつも酒に酔い潰れてしまって、この子たちに叱られているありさまですわ。雨森さまもおまえたちと一緒に朝鮮語を学びたいとおっしゃるのだ」
「うわあっ、あなたも朝鮮語を勉強なさるの。兄ちゃん、ヒョンジェ(兄弟)がもう一人出来たね。兄ちゃんが一番弟子、竹二郎が二番弟子だから、雨森さんは父ちゃんの三番弟子だね」
「竹二郎、言葉を慎まぬか」
 梅太郎ははしゃいでしゃべる竹二郎を叱りつけた。竹二郎には兄に叱られて急にしょんぼりしてしまった。
「梅太郎殿、まあよいではないか。竹二郎殿がおっしゃるとおり拙者が今日から父上の三番弟子になった雨森東五郎でござる。よろしく頼みますぞ。あなたたちのような可愛い兄弟子が出来てこんなに楽しいことはありません。はっははは」
「雨森さん、本当はね、あなたは四番弟子ですよ」
 竹二郎はおかしくてたまらぬといった顔でくすくす笑いながら言った。
「えっ、まだ他に兄弟子がいるのですか」
「うん、そうだね、兄ちゃん」
 竹二郎は大きな目を輝かせて兄を見た。
「竹二郎、またおまえは余計なことを言う」
「だって、兄ちゃんは一番弟子じゃなくて、二番弟子じゃないか」
 小さな体の竹二郎が大きな図体の梅太郎にまけまいと精いっぱい言い張った。芳洲は兄弟の言葉のやりとりを見ていて、吹き出しそうになった。
「雨森さん、実はね、姉のゆきが朝鮮語をかなりしゃべれるのです。あの子は小さい時から物覚えが早くてね。以前はよくわしが朝鮮の訳官を家へ連れて来ることがありましたから、その影響を受けたのでしょうか、朝鮮語に興味をもちはじめ、訳官から教えを受けたりしていたのです。あの子が男子であれば通詞になれたのに、女子であるばかりにそれも出来ないのが恨めしく思います」
「そうですか、ゆき殿が朝鮮語を話せるということなら、ゆき殿も拙者の兄弟子ということになりますな。はっははは」
「雨森さん、この子たちが望むなら将来は通詞になってくれてもいいと考えています。通詞になるには、言葉好き、稽古好き、生まれつきの三つが必要です。誰でも向くものではありません。わしなどは小さい頃、朝鮮語を覚えるのが嫌でたまらず、通詞であった親爺に逆らってばかりいて、よく殴られました。親爺は酒も煙草もやらないそれこそ堅い一方の人でしたが、体が弱くてね。女房のまつと同じく胸が悪かったのです。いつも体に熱があると言っていましたが、勤めはめったに休みませんでした。真面目だけが取り柄で、梲が上がらない、最後まで二石二人扶持のままでした。わしは一人息子でしたのでわがままに育てられ、親爺のそうした生き方によく反発したものです。それで親爺と喧嘩をしてはその憂さばらしに酒や博打を覚えたという訳です。親爺の形見を整理していると、親爺の書き物が何冊も出てきて、親爺が朝鮮語の単語を書き集めていたことを初めて知りました。一言も口に出して言いませんでしたが、親爺は通詞であることに誇りをもっていたのだとわしはその時知りました。それ以来、わしも朝鮮語の単語や文例を書き集めるようになったのです」
「そうですか。実は拙者の父は医者でしたので、拙者を医者にしたかったのですが、医者になるのがどうしても嫌で修行中の一二才の時に父の反対を押し切り医家を飛び出してしまいました。こうして儒者になってみると、自分の跡継ぎをなくした父はどんなに無念に思っていただろうと今にして分かるようになりました。その時はどんなに両親に説得されても人間の生死に携わるのが嫌で嫌でたまらず一日も我慢できなかったのです。人の病気を治す医者よりも天下国家の病患を治すために儒者になる方が男子一生の仕事としてやり甲斐のあることだと不遜にも考え儒者になったのですが、今思えばまことに幼稚な料簡でありました。あのまま医者になって多くの病人を救う仕事をしていた方がどんなに世の中の役に立った生き方であったかと思われます。今では子供には出来たら医者になってほしいと考えているのですから、本当に皮肉なものです」
「わしはこの子たちが通詞に向くなら通詞になればいいと思っているのです。通詞では貧乏な暮らししか出来ませんから、無理強いはせぬつもりです。むしろこの子たちには府中にいるよりも他国へ出てよい仕事先を求めた方がよいように思うのです」
 芳洲は御徒士の身分の者であればあるほど栗木のように自分の子供の将来への不安と失望を根深くもっているのだろうと容易に想像できた。そうして子供が一人前に成長すれば対馬で生活できないため仕方なく諸国に流浪していかねばならない現実に藩がどんな対策も取っていないことに歯ぎしりするほど苛立つのだった。
 勝手口で米と味噌塩を買って戻ったらしいゆきの声が聞こえた。竹二郎がそれを聞きつけ、すばやく立ち上がり唐紙を開け放しにして出て行った。
「うわあっ、本当に米の御飯だ。よし腹いっぱい食べるぞ。嬉しいなあ。友達の家に触れ回ってくるよ」
 竹二郎が大はしゃぎする声がして、たちまち戸外へ飛び出していったようだ。家の前の通りで「白御飯だ、白御飯だ」という大きな声がする。
「これ、竹二郎、そんなこと触れ回らなくても」
 母親のまつが竹二郎の後を追い駆けて行く声が「ごほん、ごほん」という咳とともに家の前でする。
「父上、お盆と正月が一度に来たような騒々しさですね」
 梅太郎は嬉しそうに笑った。栗木は寂しそうに梅太郎をちょっと顧みてから、芳洲に言った。
「折角ですから、わしらと一緒に晩御飯を食べていってくださらぬか。ゆきが急いで御飯の用意をしますから遠慮なさらずにどうぞ」
「いや、家の者があまり遅くなると心配するから今晩はこれでお暇しよう」
 芳洲は立ち上がり、そのまま玄関へ出た。玄関先の暗い野菜畑で鳴いていた蟋蟀の鳴き声が急にぴたりと止まった。ゆきも玄関へ出てきて「さぞお腹もすかれたでしょう。御飯を召し上がっていって下さい。味噌汁もすぐに出来ますから」と食事を勧めた。
「今度参った時に是非御馳走になりましょう。その日まで楽しみにしておきますよ」
 芳洲はゆきに丁重に断った。そうして、栗木に向かって言った。
「拙者も朝鮮語の勉強を少しずつ始めたいと存じますので、あの単語集をいつか拝見させてください。ではさらば」
 芳洲は三人と別れて通りへ出ると、竹二郎が母親のまつと一緒に帰ってくるのに出会った。まつは芳洲に会釈し、竹二郎は「雨森のおじさん、さようなら」と手を上げて言った。芳洲も手を上げて、「竹二郎殿、さらば」と言った。
 芳洲はわずかなお金を栗木に貸しただけなのに、栗木の家族の者があんなに喜んでくれるのが不思議でならなかった。娘のゆきが近く身売りせねばならぬと栗木は言っていたが、そこまで困窮している藩士が身近にいるのにどうして藩が家臣のために救済措置をとらないのか、それは明らかに家老たち取り巻き連中に耳に快いお世辞ばかり聞かされているため、藩士がどんなに苦しんでいるのかさっぱり分かっておられないのではないかと思えてならなかった。

       3
 芳洲は栗木文之進の家を訪れる暇もなく日が経った。朝鮮方の役所でも彼に会わなかった。芳洲は自分の起草した書契が出来上がり、近く朝鮮へ使節を派遣する準備を整えねばならなかった。その上、町奉行所より大掛かりな朝鮮人参の密貿易があったという知らせがあったのでよけいに多忙となった。
 奉行所の調べによれば、朝鮮人参を売ったのは現在府中の使者屋に宿泊している朴僉知たち使節の中の朝鮮商人であり、朝鮮人参を買ったのは藩の幹部であり、梅野屋と有田屋の商人もこれに加わっているという。この両者の仲介者として藩の通詞二名が関わっているから、朝鮮方の捜査協力を求めたいとのことであった。容疑者の通詞の一人は瀬尾徳兵衛であった。彼はすでに罪の発覚を恐れ、昨日自宅の物置小屋で首を吊って死んでいた。もう一人の通詞はあろうことか、栗木文之進の名が挙がっていた。芳洲は思わず全身の血が逆流するような戦慄を覚えた。これから朝鮮語の勉強を教えてもらうことになっていた栗木がなんということだろう。栗木はどんなに貧乏をしても悪事が出来るような男ではない。これは何かの間違いではないか。芳洲は栗木が密貿易の一味に加わるとはどうしても信じられなかった。しかし、栗木はこの数日中に奉行所から告発を受けることになっていた。栗木が罪状を認めれば梅野屋と有田屋だけでなく藩の幹部の名前まで明らかになるから極めて慎重に取り調べよとの朝鮮頭役からの指示であった。芳洲は明日、栗木の出頭を求めて直接事の真相を聞き質さねばならぬことになった。いざとなれば朴僉知と鄭判事に朝鮮商人全員に銀貨を隠し持っていないか持ち物の検査を要請しなければならなかった。
 夕方に激しい雷雨が襲来した。土砂降りに降りつづける府中の至る所に凄まじいほど青い閃光を放つ稲妻が盲滅法走り回り、耳の鼓膜を突き破るほどけたたましい破裂音を立て雷が落下した。
 ようやく夕立の雨が止み涼しくなった夜更けに、一人の女が芳洲の屋敷に尋ねて来た。女は栗木の娘のゆきであった。芳洲はゆきを奥座敷へ通し対座した。ゆきは深く礼をして夜中に突然訪問した失礼をまず詫びた。ゆきの顔は緊張して青ざめていたが、ほんのりと薄化粧をしており唇には紅もさしていた。目は異様に妖しく光り輝いている。
 芳洲は不審気に尋ねた。
「あなたをここへ寄こしたのはもしかしてお父上の言い付けですか」
「いいえ、私一人の考えで参りました」
 ゆきはかぶりを横に振り平然と言った。
「さようですか。しかし、お父上が関わられた事件のことで参られたのなら、このままお帰りになられた方がよろしいでしょう」
「是非ともあなた様に私の話を聞いていただくまで帰れません。父は潜商に関わった疑いがかけられています。どうか父を助けてほしいのです」
 ゆきの顔にはすべて話を聞いてもらうまで梃でも動かぬという悲壮な決意がにじみ出ていた。
「お父上の命請いに見えたのですか」
「はい。父の命が助かるのなら、私の命がなくなろうとも覚悟は出来ています。ですからあなたさまのお力を貸してほしいのです。父が潜商の手引きをしたとの疑いですが、これは御家老樋口孫左衛門さまの御命令でやむなく行ったことでございます」
「なんだって、栗木殿が御家老樋口様の命令により潜商を働いたと言われるのですか。そんな馬鹿か」
 芳洲は容疑者として挙がっている藩の幹部とは実は家老樋口孫左衛門だとゆきからたった今知らされ、呆然としてしばらく二の句がつげなかった。こんなことがあってよいのか。いや絶対にあってはならぬことだと芳洲は憤怒のあまり膝の上に握りしめていた二つの拳をぶるぶる震わせた。芳洲が激しく動揺したのに反し、ゆきはあくまでも冷静であった。
「まことでございます。父は御家老のおっしゃることに逆らうことが出来なかったのです。なぜなら、同じ通詞の瀬尾様と父とが断れば通詞をやめさせると脅かされたからです。そうして、通詞なら誰でもやっていることだから心配せずともよい。たとえ罪が露顕しても決して悪いようにはせぬと約束なさったのです。このことは、わが家にお見えになった瀬尾様と父が互いに朝鮮語で話しているのをたまたま耳にして知りました。それにいつでしたか、弟の竹二郎が病気になった時、朝鮮人参を御家老からいただいた御恩があったので、どうしても断れなかったのです」
 ゆきはここまで言うと苦しげに顔を歪めた。
「それが真実とすれば家老こそ栗木殿を悪事に誘い込んだ張本人ではないですか」
 ゆきは事件の概要を知ったうえで、ここへ来たのは明白であった。芳洲に洗い浚い話してなんとしても自分の父親を救わねばならないという思い詰めた表情であった。
「どうか父の命をあなたさまのお力で助けて下さい。父はあたしが身売りをすることに耐えられなくて前金として五両を受け取ってしまったのです。借金の返済のためすでに二両はありませんが、これが残りの三両です。父の手文庫から持って参りました」
 ゆきは膝の上にしっかりと摑んでいた赤色の布の包みから三両の小判を取り出した。芳洲は困惑したように金貨を見た。
「お父上を救いたいというお気持ちはよく分かります。しかし、その三両を拙者の所へ持参なさってどうしようというのですか。まさかその汚れたお金を握らせて拙者に潜商の一件に目を瞑れとおっしゃるのですか」
「いえ、滅相な。私どもはあなたさましか頼れるお方がいないのです。もし元通り五両あれば罪が許されるのなら、なんとしてでも、この身を売ってでも用立てて参ったでしょうが、今はお金はまるでないのです。どうか後生です。あたしはどうなっても構いませぬから、父の命を助けていただきたいのです」
 ゆきはそう言うと、何を思ったのか、芳洲に擦り寄り目の前の芳洲の手を摑み自分の胸にぐいと引き寄せた。
「雨森さま、あなたさまに差し上げるのはこの身しかありませぬ。どうか、ゆきを哀れとおぼしめして御慈悲を賜りとうございます」
 芳洲は一瞬、ゆきの哀願する顔をあまりに目近に見たので、ひどく狼狽してゆきを思わず知らず激しい勢いで前へ突き飛ばした。
「やめなさい。そんなことをしてお父上は喜ばれるとお思いか」
 ゆきは「あっ」とつぶやいて畳の上に伏した。そうして、おのれの突飛なふるまいが今になってにわかに恥ずかしくてたまらぬというように白い顔を急に耳元まで真っ赤にし「わあっ」と声を揚げた。
「父が生きてくれさえしたらあたしはどうなってもいいのです」
 と泣き喚きながら、悔しくてたまらぬと言わんばかりに畳をどんどん右手の拳で叩きつづけた。
「潜商は死罪と決まっています。ああ、こうなる前に何とかならなかったのですか。拙者がもっと金子をあなた方に用立てていればこんなことにならずに済んだのですか」
「父は五両あれば借金は少しは返せるし、当分の間は家族を飢えさせることもなく過ごせるとそれだけしか頭になかったのですわ。通詞の中には潜商の仲間となっている者もいるが、安心しろ、わしは何があっても潜商には手を貸さぬ。わしが罪を犯せばわしは処刑されるばかりかおまえたちまで卑しい拝領奴となり対馬で惨めな生涯を過ごさねばならぬ。そんな目におまえたちを合わせるものかと口癖のように言っていた父が、とうとうこんなことをしてしまうなんて。本当に貧乏な暮らしに精も魂も使い果たしてしまったせいですわ。貧乏が、貧乏が恨めしい」
 ゆきは自分の顔を何度も畳に擦り付けながら嗚咽した。
「なんにしても一番悪いのは人の弱みに付け込んだ家老樋口孫左衛門である。ゆき殿、どうぞお父上に家老が潜商の張本人であることを証言してもらえませぬか。そうすれば潜商の一味を一網打尽に捕らえることが出来るのです」
 芳洲のこの言葉にゆきはしゃくりあげていた顔をきっと上げて芳洲を睨み付けた。
「雨森さま、どうあっても父を死なせようというお考えなのですね。先刻、父の所へ家老の使いの者が見えて、あなたさまが父の罪を不問に付せば潜商の一件はなかったことになるだろうとおっしゃっていましたのに」
 芳洲は苛立ったように叫んだ。
「いや、潜商の事件をうやむやにすることは断じて出来ませぬ。潜商をなくさねば藩に人参がますます入りませぬ。実際、藩の貿易より密貿易の方に上人参が流れていることは明らかなのです。のみならす、その人参の代金である銀は日本にとって限りのある資源なのです。その銀が潜商により際限もなく大量に流れ込んでいるのを見捨てておくことは出来ぬのです。潜商の禍根を断ち切らねば藩の経済は成り立たぬのです。まして藩の執政たる樋口が潜商を犯し腐敗していては藩がいつまでも改革されぬのは当然です。なんとしても樋口たちの罪を告発しなければなりません」
「雨森さま、あなたにとって人の生命よりも御法度がそんなにも大切なのですか。あなたの学問には御慈悲というものがこれっぽっちもないのですか。朝鮮商人のために潜商の取り引きの通詞をしただけで死刑になるのはあまりに過酷な御法度とはどうしてお思いになりませぬか。父が人を殺害したならば死刑というなら止むを得ませぬが、潜商で死刑になるというのは間違った御法度ではありませぬか」
 芳洲は執拗に言い迫るゆきを見て、ゆきがもはや一七、八の小娘とはどうしても思えなかった。自分を守るために、ゆきは芳洲に対し、いや自分の父を殺そうとする者すべてに対してたとえわが身一人でも頑強に戦うことをやめない堅固な意志をもっていた。芳洲はゆきのそうした一歩も退かぬ態度になぜか心が大きく動かされるのを感じた。
「ゆき殿、あなたの言い分はよく分かりました。こんな夜更けまで若い娘が他人の家にいてはつまらぬ誤解を招く元です。あなたの願いについては今晩じっくりとよく考えてみますから、今日のところはもうお引き取り下さい」
 芳洲はうめくような声を出して立ち上がった。ゆきはそれでも立ち退くわけにはいかぬというように芳洲を見上げ、何か言おうとして口をぴくぴく震わせた。しかし、何も言わなかった。やがて諦めたのか、ゆきは帰って行った。

       4
 翌朝、庭先に餌を求めてやって来た雀たちのうるさい囀りの声で芳洲は目を覚ました。目を開けると、夏の朝の日差しで真っ白な障子紙がまぶしく光り輝いて目が痛かった。一晩あれこれ考えてよく眠れなかった芳洲は、栗木文之進の潜商の一件はなかったことにしようと今は心に決めていた。ゆきの父を必死に守ろうとする一途な美しさに打たれたからである。と同時に御法度に従い栗木を罪人にすれば栗木は処刑されるばかりかゆきたち遺族の者は拝領下女、拝領下男として辱められる運命となることがあまりに哀れに思えたからである。貧しい御徒士の家族をさらに痛めつけることにどんな意味があるのだろう。無意味なことは明らかであった。むしろ栗木をして潜商にまで追いやらしめたものこそが厳しく断罪されねばならなかった。責任の大部分は家老樋口孫左衛門にあり、彼に教唆され潜商の罪をやむなく犯した栗木は被害者であると芳洲には思えたのである。
 芳洲は遅い朝飯をとり朝鮮方へ向かう途中に、町衆や女子供が何かがやがや騒ぎながら府中の港の方へ駆け出してゆくのを見た。何事かと通りがかりの男を止めて聞くと、「港に男の死体が上がった」と言った。商売がうまくゆかなかった老夫婦が身をはかなんで海へ飛び込んで心中したのはまだ五日ほど前のことであった。また身投げかと芳洲は暗い心持ちになった。芳洲は役所へ着いて、この溺死体が実は栗木文之進の死骸であることを知らされた時には、愕然として暫時は言葉も出なかった。奉行所の調べでは死体には外傷もなく酒好きの栗木のことだから、酔っぱらって港の埠頭から足を滑らして海へ落ち溺死したものと断定していた。しかし、芳洲は栗木がどうして港へ行かねばならなかったのか、たとえ酔っていたにしても栗木が海へ落ちて死ぬなどというのはどう考えても釈然としなかった。もしかしたら、栗木は自分に司直の手が及ぶのを恐れて自殺したのかも知れないと思った。いや、本当は家老樋口孫左衛門の手の者に口封じのために真っ暗な海へ突き落とされたのかも知れないという疑念がおこった一瞬、芳洲はああ、とりかえしがつかぬ失策を犯したと感じた。栗木の身を保護すべきであったのにそれをしなかったのは大きな手抜かりであったと悔やまれてならなかった。栗木が死んで家老樋口孫左衛門は大喜びしているに違いなかった。家老樋口孫左衛門の顔がふいに目の前に浮かんだ。いつであったか、ある時、芳洲の所へ樋口が近付いてきてこう言った。
「雨森殿、貴殿も楊弓をやりませぬか。大殿も殊の外楊弓が好きでいらっしゃってね。それで楊弓の会を作っているのじゃが、明日その会があるから、貴殿もよければ楊弓をして遊びませぬか。楊弓は子供の遊びとお考えかもしれぬが、結構やってみると面白いもの。勿論、大殿もお見えですから、こうした会に出て大殿の覚えをよくしておかれた方が貴殿の出世も早いというものじゃ。楊弓の会の後は、わたしの屋敷で振る舞いがあります。明日は有田屋が料理、酒、菓子などご馳走をいっぱい屋敷へ持ち込んでくれるとのことじゃ。それに有田屋が大坂から来た座頭や浄瑠璃語りも呼んでくれますから、さぞかし楽しい宴会になりますよ。是非とも雨森さん、貴殿のお越しを待っていますからな」
 翌日、芳洲は風を引いたため急に頭痛がするので楊弓の会も振る舞いも遠慮する旨の手紙を下男に家老の屋敷へ持たせて行かなかった。家老の誘いを拒絶した者はめったにいなかったにちがいない。それ以来、家老樋口孫左衛門は仕事以外は芳洲にいっさい話しかけてくることはなくなった。芳洲にとってそれが一番よかったのである。
 芳洲はゆきの嘆き悲しむ顔をちらと思い浮かべ胸が鋭く痛んだ。そうして、昼になるのを待ち切れず、栗木文之進の家へ向かった。家の前まで来ると、御徒士の女房や子供たちが大勢集まって野次馬のごとく栗木の家の内部を覗いている。突然、「きゃあ」と叫んで家の前から一目散に道端へみな逃げ出した。茶碗が、三つ四つ外に向かって投げられたのだ。それでもすぐにまた人の群は出来て、また家の中で面白いことが始まらぬかとお互いにがやがやしゃべり合いながら見つめている。
 芳洲は人混みを分けて、栗木の家の玄関に入った。見ると、開け放たれた座敷で栗木の妻まつが柩の中に入った栗木の亡骸を引きずり出すのをゆきが必死にやめさせようとしている。梅太郎と竹二郎も死体の両腕を摑んでいるまつの手を引き離そうと後ろから武者振りついている。ゆきが芳洲に気がつき「母が父を離そうとしないのです」とたまらなくなって叫んだ。梅太郎と竹二郎はいい時に芳洲が来てくれたとばかりに「母上を、母上を助けてくだされ」と今にも泣き出しそうな顔つきで芳洲にすがりついた。ゆきが母親の手を死体から引き離そうとすると、まつは急にゆきの手をつかみ大きな口をあけてがぶりと噛みついた。ゆきは「ああ」と叫んで転がった。芳洲は半狂乱になっているまつを見て、「ゆき殿、母上のしたいようにさせてあげなさい」と言った。まつにどうしてそんな力があったかと思われるほど恐ろしい力で柩を畳の上に横倒しにすると、ごほん、ごほんと咳き込みながら柩の中から遺体をずるずると抱くようにして引きずり出した。溺死して体全体がぶくぶくむくんだように膨張した栗木よりもむしろまつの方が青ざめて痩せているために哀れを催した。まつは夫の頬を撫で、頭を撫で、髪を撫でながら「あなたが密貿易をしたなんて言うのは嘘でしょ。嘘だとちゃんと言って」と栗木の耳元に口をつけ囁いた。まつは自分の耳を栗木の唇にぴったり押し当てて声を聞きつけようとしたが、栗木が何も答えないためについに腹を立て、黙ったまま横たわっている栗木の方を両手で揺さぶりはじめた。それでも何も言わないので栗木の白い経帷子を着た胸をこぶしでぱんぱん叩いた。しかし、栗木は仰向けのまま動きもしなかった。まつは頭をかしげ少しの間栗木の顔をじっと見つめた。やがて、今度は栗木のつむった目蓋を自分の両手の指先で開けて目の玉を覗こうとした。芳洲はついに側に近づきまつの手を後ろから摑んだ。まつは芳洲を顧みて、「何をする。邪魔をするな」とぎらぎらした目でにらみつけて叫んだ。
「お内儀、しっかりなされ。栗木殿は亡くなられたのだ」と優しく言うと、まつはぽかんとした顔つきで芳洲をながめた。
「うちの人が亡くなったって。あたしを置いて死んだのかい。あたしを置いて死んだなら、ああ、なんてこった。これからどうして食っていくのさ。うちの人がいなくなったら食べていくことも出来やしないそうだ。ねえ、あんた、あんたならあたしを食べさせておくれだね。ね、食べさせてくれるね」
 まつは芳洲の胸蔵を摑み激しい勢いでしがみついた。ゆきがまつにとりすがって言った。
「母上、しっかりしてください。この方は朝鮮佐役の雨森さまですよ。先日、家に参られたあの雨森さまですよ」
 まつは芳洲の顔を穴のあくほど見つめた。
「雨森だと。おまえはゆきに気があるのやろ。一度見ただけでおまえの魂胆は分かっているわ。ゆきにすでに手を出したのやろ。あたしはよく知っているぞ。昨晩も夜遅くかえってきたからきつい折檻をしてやったわ」
 まつはからからとおかしそうに笑った。芳洲はその言葉に驚き、ゆきの顔を見ると左目の下に殴られたような青い痣があった。
「それなのに、ちょっと目を離すとすぐに家に男を入れやがって。この色気違いめ。まだ懲りぬか。今度こそ思い知らせてやるわ」
 まつは突然、ゆきの長い黒髪を両手で鷲づかみすると、ずるずると引きずり回し畳の上へ叩きつけた。そうして、倒れ込んだゆきの背中に馬乗りになると、ゆきの頭をこぶしで目茶苦茶に殴りつけた。ゆきは一言も呻き声をあげずに耐えていた。あっけにとられていた梅太郎と竹二郎はあわててゆきの上に股がっている母親を引きずり下ろした。まつは押し倒されて後ろへひっくり返った。しかし、すぐに起き上がってきて芳洲にひしと抱きついた。「いっひひひ、ゆきよりもこのあたしはどうだい。あたしの方がずっと美しいからね。試してみてもいいのだよ。本当はあんたがあたしのことがはなから好きだってことはとっくに知っていたのさ」
 ゆきはにたにた笑いながら、髪にさしていた櫛を次々に抜き髪を振り解きはじめた。そうして今にも着物を脱ごうとして帯に手をやった。
「母上、やめて下さい」
 跪いて俯いていたゆきは急に躍り上がり、母の首っ玉にかじりついて両手でかたく抱き締めた。まつは思わず後ろへよろけて、ゆきの顔を驚いたように見やり、「ああ」と恐ろしい悲鳴を出してぱたんと気を失って倒れた。梅太郎と竹二郎はびっくりして母にすがりつき、急いで夜具を引いてまつを寝かせた。
 芳洲は栗木の死骸を両腕で抱きかかえ柩の中に丁寧に入れた。思わず涙の玉が二つ両眼からこぼれそうになった。
「母上は栗木殿の突然の死に気が動転なさったのですから、きっとすぐによくなられますよ」
 芳洲がそう言ったのをまるで聞いていたかのように、まつは夜具からがばとはね起きて虚ろな目つきでつぶやいた。
「明日からあたしたちは往来へ物請いに出かけねばならないわね。あたしはごほんごほんと咳をして、袖請いをし、ゆきは町に立って体を売らねばならぬ。そうして、梅太郎も竹二郎もよそさまの店からかっぱらいをして来なくてはならないのだわね。ああ、たまらない。そんなことをするくらいなら、死んだ方がまし」
 まつは最後まで言い終わらないうちに口からごぼごぼと鮮血を噴き出した。血が喉につかえるのか、まつは顔を苦しそうにしかめ喉を両手で激しくかきむしり、そのまま仰むけにひっくり返った。口から血がどくどくと溢れ出て夜具は一面真っ赤になった。そうして、まつは突然に事切れた。あまりにあっけない死に方であった。「母上」「母上」と梅太郎と竹二郎は血だらけになったまつに取り縋り泣き叫んだ。ゆきは事のあまりの急変ぶりにまるで雷に打たれたように呆然として声も出なかった。芳洲にしても死んだ栗木の跡を追うように妻のまつが今また亡くなるとはまったく合点がゆかなかった。棺を二つも出さねばならぬという思いが脅迫観念となり芳洲に目眩を覚えさせた。
 芳洲は家の前まで出ていって、御徒士の妻たちに栗木の妻が今亡くなったことを伝えると、女たちはうあっと泣き叫び、まつの亡骸のところへ駆け込んだ。女たちはまずまつの血で汚れた体を清め、新しい着物を着せかえねばならないと言うので、芳洲は梅太郎や竹二郎とともに家の外へ追い出された。そうこうしていると、町奉行所の大柄の体つきの役人が四人やって来た。梅太郎も竹二郎も彼らの顔を見ると怯えて芳洲の背後に隠れた。
「栗木文之進は潜商の嫌疑があった者である。死骸を奉行所で引き取る。また残された家族のものは奴とならねばならぬから今から引き立てる」
「拙者は朝鮮佐役の雨森東五郎と申す者だ。亡き栗木殿は潜商の嫌疑があったとのことだが、いまだ真相は明らかではない。まして、今また母者が亡くなったところだ。不幸がたび重なっている最中に、残された三人の姉弟を奴にするため連行することはいかなる料簡か。三人は拙者が預かっているから、奉行所に立ち戻りかように報告されよ」
 芳洲は顔を真っ赤にして激怒したので四人の役人はほうほうの体で退散して行った。
 翌日、栗木文之進夫妻の葬式は生前付き合いのあったわずかな御徒士たちとその妻子らの参加のもとに栗木の家で寂しく行われた。親類縁者は死んだ栗木が潜商の罪に問われたことで自分たちが係わり合いになるのを恐れ葬式にも出席しなかった。芳洲はゆきや梅太郎や竹二郎はこれから奴にならねばならないのかと思うと自然と暗い顔つきにならざるを得なかった。
 葬式があった翌日の朝であった。芳洲の屋敷の門前に紙で包まれた荷物が置いてあるのを妻のしのが見つけた。しのは気味悪がったが、芳洲は「心配はない」と言って包みの中を開けた。見ると、亡くなった栗木がこつこつ書き集めていた朝鮮語の単語の綴りであった。全部で一二冊あった。綴りの一冊にゆきの書簡が挟んであった。初めに両親の葬式の世話になった御礼が述べられ、父は誤って海に落ちて死んだのではなく家老の配下に港まで呼び出され殺害されたのだと書いてあった。父の仇を討ちたいがそれもかなわぬ。ただ自分たち三人の姉弟は拝領奴となって対馬で生きていくことだけはなんとしてでも出来ぬからあなたさまのご迷惑になるとは存じていますが、逃亡するのでどうかお許し下さいと最後に記していた。芳洲は念のため栗木の屋敷へでかけてみたが、やはりゆきたち三人の姿は消えていた。隣の家の者に尋ねると、朝気付いたときにはすでに三人はいなかったので、きっと夜中に家を出たのであろうと答えた。芳洲は栗木の知り合いに姉弟の立ち回りそうな所を尋ねたが、杳として行方は分からなかった。奉行所は大勢の役人を繰り出しあちこち探索したが、やはり発見できなかった。ついには奉行所は芳洲が三人を逃がして匿っているのではないかと疑い芳洲の屋敷まで二度も捜査に来た。
 町奉行所田崎権左衛門は初めゆきたち三人の逃亡を幇助したとして芳洲の責任を追及する構えであったが潜商の嫌疑のあった家老樋口孫左衛門、梅野屋、有田屋の摘発はどうなったのかと芳洲が詰問すると、田崎は毛虫のような太い眉をぴくぴくしかめて突然声高に「潜商のあの一件はなかったことになったのだ。通詞の栗木が死んだため朝鮮商人の逮捕が出来なかったからだ」と吐き捨てるように言った。芳洲は少しも納得がいかなかったので、田崎に食い下がった。
「潜商は死んだ栗木一人の罪にして、家老たちの罪を問わないのは一体どういう料簡ですか。奉行所は金と権力に弱いから、いつだって小さい雑魚ばかりつかまえて大魚を逃がしていると城下の者たちが噂しているのを御存知ないのか。これでは上から下まで御法度を守らないのは当然ではないですか」
 田崎はいかにも不愉快だというように額に青筋を三本立ててむっとした顔つきになった。
「ええっ、馬鹿馬鹿しい。一体あなたは何者ですか。江戸から見えてまだ朝鮮佐役になられて日も浅いから老婆心ながらお教えしましょうか。対馬で生きていくには対馬の仕来りを踏まえてもらわねば一日としてやっていけませんよ。おのれ一人だけ偉そうにさも高みから見下すように利口ぶったことをおっしゃっても誰ひとりとしてあなたに同意する者はいませんからね」
「拙者は御主君に今度の件について上申書を提出するつもりです。家老樋口孫左衛門の弾劾は勿論、貴殿の奉行としての職務怠慢もしっかり書く覚悟ですから、あとから自己弁護につとめても間に合いませんよ」
 田崎権左衛門は青二才にまけてたまるかというような侮蔑の色を露骨に顔に見せた。
「はっははは。いいですよ。大いにやりなさい。江戸好きな大殿にあなたが気に入られているなんていい気になっているととんでもない目に合いますよ。かえって泣きを見るのはそっちの方ですよ。対馬は江戸からやって来た者によって思いどおりになるなんてことは全くありませんからね。雨森さん、あなたはね朝鮮佐役として朝鮮往来の文書を掌っていればいいのです。余計な事に首を突っ込まぬ方が身のためですよ」
 田崎は憎々しげに芳洲を睨みつけると、「あなたとはもう話すことはありませぬからさっさとお引きとり下さい」と言い放った。結局、芳洲のゆきたち三人の逃亡幇助の罪は不問に付された。

       5
 芳洲は家老樋口孫左衛門たちの潜商の一件を事細かに記した上申書を一晩で書き上げた。翌日、芳洲は親友の陶山庄右衛門の意見を求めるために彼の家を訪れた。
 一匹の油蝉が陶山の庭のひょろ長い松の木にとまりけたたましく鳴いていたが、急にじじっと言うや飛び去ってまた今は静かになった。夕暮れが迫り涼しくなって来た。奥座敷に招じられて芳洲は陶山の妻から出された冷えた麦茶も飲まずに陶山の顔を見守った。家老樋口孫左衛門罷免の上申書を一心に読んでいる陶山の額に深い皺が刻まれ、そこにじっとりと汗がにじんでいた。陶山はやっと上申書を読み終わり、ふうっと深い嘆息をついた。「雨森君、きみが今血気にはやって御主君義真公にこの上申書を提出したところで、どうなるというのか。かえって御勘気を蒙り加島兵助氏と同じ目に合うだけだ。それでもこれを出して加島兵助氏の無念をもう一度君が演じようというのか」
 芳洲は陶山の口から意外にも加島兵助の名前を出されて、刹那ぎょっとたじろいだ。加島兵助は名を成白、如軒と号した対馬府中の人であった。彼は対馬藩の領地である肥前田氏の郡奉行となり、さらに藩の大目付役となるのを辞退したけれどもかなえられないので、藩政改革のため言上書を藩主義真公に提出した。
 ところが、これが義真公の怒りにふれたため、加島氏は伊奈村に十一年間謫居し、昨年元禄十年五月に五十二才で病死した。彼の屋敷は欠所となり、加島の子孫は諸国へ流浪していた。
 芳洲はこの言上書の写しを陶山からひそかに借り受けて読んだ。言上書には、藩が海水に濡れた朝鮮米を「濡れ米」というと、下値になるので「ほてじめり」と虚名を付けて商人に押し売りしたこと。漂着した唐船が対馬で物品を取りそろえた時に普段よりも高値で売り、唐船の貨物の白糸を代金にして無理やり売らせたので、江戸ばかりか清の国まで対馬藩の恥をさらけ出したこと。義真公が城内に野菜を作らせて地銭を取ったばかりか、自ら海へ出て魚を取り、それを魚の商人に売り払うので彼らが藩の御台所に出入りするなど、百石取りの小身侍でもしないことをしたこと。米蔵役が家中の扶持切米の出目を多くするため、忠功だとして一斗につき一升ずつ米の支給を減らし家中の者を困らせていること。義真公は朝鮮国に倭館の移転を求めたが、新館はかえって不便となっただけで朝鮮人数十万人を労役に駆り出し、普請夫数百人が死んだことについて、朝鮮人は甚だしく恨んでいること。家老樋口孫左衛門の知行三分の二をもらったならば、今よりも善政ができると下々の者が悪口を言っていることなど幾多の事実を列挙し、現在の藩政を厳しく批判していた。
 芳洲は加島兵助を知り、対馬藩にこれほど立派な忠義の人がいたのかと感涙にむせた。芳洲は加島兵助に一目会って話をしたいと思い伊奈村まで出かけて行ったが、加島兵助は流刑囚であるがゆえに会うことは許されなかった。
 芳洲は食い下がるように言った。
「いや、ここで引き下がっては拙者が日頃書物を読んできたことが嘘になります。御家老樋口を罷免しなければ藩政は改革できぬばかりか、このままでは対馬藩はこの先、栄螺の殻と同じで尻すぼみになることは日を見るより明らかではありませんか」
「加島氏が流謫にあったために、藩にとっていかに大きな損失となったか君は御存知ないのですか。私自身、加島氏が大目付役に就任なさった直後にああした上申書を出されようとは夢にも思わなかった。後日、伊奈村で蟄居していた彼の元へ手紙でどうしてあそこまで行く前にこの私に一言相談してくれなかったのかと加島氏を激しく詰ったこともある。なるほど、彼の言上書の時弊三十四ケ条はすべて嘘偽りはなかった。けれども、御主君義真公に賢能を見分ける力がないと言い切り、藩の御家老樋口孫左衛門殿を無能呼ばわりすれば、そのままではすまないのは分かり切ったことではないか。『人の悪は殿様、次に御年寄ども諸役人の悪より申し上げ、少なくとも御政事のためにまかりなることを申し上げます』と加島氏は断じて言う。だが、その結果はどうか。結局は加島氏は正気を無くしたと処断されてしまった。藩政は改まったかといえば、少しも改まらなかった。君が指摘するように対馬藩は旧態依然のままだ。加島氏の言上書はまったく顧みられなかったのだ。それだけに、もしあの場にこの私がいれば彼の言上書をなんとしてでも提出させはしなかったものをと今でも悔やまれてならぬ。
 雨森君、対馬藩は改革を進めていかねば生き残れぬ。田畑も少なく山ばかりの島をどうしたら豊かにできるのか。朝鮮貿易に頼っていれば安泰という御時世ではもはやない。天和二年(一六八二)にやって来た通信使の訳官の中には、自分たちが朝鮮からやって来るお陰で対馬藩は江戸までの往復の道中に諸大名から差し入れが沢山あるから、それで暮らしを立てているなどとまったくいい加減なことを言う者もいた。通信使が来るたびに幕府に頭を下げて膨大な借金をし通信使の接待をせねばならぬ対馬藩の苦労が分かっていないのだ。藩の幹部連中にしてもそうだ。派手な通信使の行列に浮かれはしゃぎ、その陰で対馬の民百姓がいかに重税に呻吟し、貧しい生活に追いやられているかを知ろうともしない」
「陶山さん、あなたもそのようにお考えならば拙者が上申書を出すことにどうして賛成してくださらぬのか。あなたも私と一緒になってなぜ藩政を改革しようとなさらぬのか」
「君は言うべき時に言わないのは卑怯だとおっしゃるのだろう。しかし『論語』にもあるではありませぬか。『子游曰く、君に事えてしばしばすればすなわち辱めらる。朋友にしばしばすればすなわち疎んぜらる』と。時節の到来を待つのです。幸いなことに、君は儒者として義真公の若君、義方さま、方誠さまの教育係を仰せつかっておられる。藩主となる若君を君の教育によって立派に育て上げることが肝要ではありませぬか。若君が名君となられれば藩の繁栄につながるし、ひいては民百姓の幸福をもたらすのですから、今は若君の教育に力を傾けられるべきです。君が江戸から参られた儒者としての任務はそこにこそあると信じます」
 芳洲は「江戸から参られた儒者」という陶山の言葉に一瞬鞭でぴしっと身が弾かれたような痛みを覚えた。
 元禄二年(一六八九)、芳洲が師の木下順庵の推挙により対馬藩に禄二百石で士官することになり、四月に江戸の藩邸で義真公に初めて対面した時に、義真公はこう言った。
「そちが雨森東五郎か。大名である楽しみは何か分かるか。大名である楽しみは贅沢三昧ができることよ。そちを江戸からの儒者として採用するのもわしの贅沢の一つでな。はっははは」
 芳洲は義真公にただそれだけしか言われなかったが、自分を雇うことが大名の贅沢の一つという言葉の意味がその時はよく分からなかった。真文役はどの藩でも普通二百石で召し抱えられている。まして西国一の金持ちという評判の対馬藩にとって二百石はそれほどの大金には思えなかった。しかし、やがて次第に分かってきた。このことは加島兵助が上申書の中でいみじくも書いていた。「対馬藩の侍で嫡子の外は召し抱えられないため庶子や末子などは流浪せざるを得ず、継ぎたくない家を継ぎ、なりたくない養子になって奉公しています。それでも召し抱えられていない者がたくさんいて流浪していますので、他国の侍を召し抱えられないで、庶子や末子を召し抱えられたならば、その者は勿論、その父兄親類まで辱なく存じ、忠勤を尽くすことは間違いございません。儒者・軍者・槍使い・能・拍子などの御用にも対馬藩の侍を採用なさったならば、よろしいかと存じます。お国の生まれの者すべて他国の者に劣り申すはずはございませんから、いかような仕事にも採用なさいますようにお願い申し上げます」
 加島兵助が衷心より述べたとおり、藩主が遠い江戸から儒者・軍者・槍使い・能・拍子などを連れて来なくても、対馬藩の庶子や末子の中から教育によってどんな仕事にも養成できるはずであった。それなのに、義真公は加島兵助の忠言をうるさいものと激怒し、高いお金を使って江戸から儒者である自分を呼び寄せたのである。だから、芳洲が初めて棧原屋形へ登城した時に、侍たちが自分をなぜあれほど冷やかな白い眼で見たのか今でははっきりと知ることができた。江戸から来たというだけで自分たちの及びもしない高額の俸禄を得ている儒者・軍者・槍使い・能・拍子などを対馬藩の家中の者は怨み憎んでいたのだ。江戸から来た者が対馬に居つかないで、ただちょっと面白半分にやってきて、他国にもっと稼ぎのいい口があればたちまち対馬を見捨てて去って行くことに憤慨していたのだ。
 芳洲はこうした事情が分かってくると、自分が禄二百石であるに対し、一一才も年長の陶山庄右衛門が禄百六十石であることに胸が痛んだ。陶山はこのことに気にしていないようであったが、陶山の働きぶりは芳洲より俸禄が多くても決して不思議ではなかっただけに切ない思いがした。
「陶山さん、拙者が儒者であるからこそ義真公の怒りを恐れて言うべきことを言わなくては義にもとり、勇気がないことになります。たとえ罰せられても加島兵助氏の後につづいてはじめて儒者たる使命を果たすことになるのです」
 陶山は芳洲の手をむんずとつかみ、思い詰めた顔つきになった。
「君を私の親友であった加島兵助の二の舞にしたら、私は一体どうしたらよいのか。君をわが藩に推挙していただいた木下順庵先生に会わせる顔もない。それこそ切腹せねばならない。いいですか。加島氏が藩の財政経済がこのままでは立ち行かぬと憂え、藩の執政が悪性をしていると身を賭して批判しても御家老たちは自分たちが間違いを犯していることに少しも思い当たらなかった。むしろ、加島氏がどうして利を求めることがよくないと言うのかよく分からなかった。加島氏が御家老自らが率先して万人の憂いに先立って憂い、万人の楽しみに遅れて楽しめというのは、御家老にとってまったく気違いの戯言としか思えなかったのです。それは恐れ多くも義真公にしても同様なのでしょう。義真公は幼年時代から殿の御守役の御家老たちにそう教えられ育てられてまいられたから、殿様である御自分が民百姓の気持ちを知るなどとはまったく夢みたいな話なのです。不幸なことは御家老たちしか義真公にとってお話相手がいらっしゃらなかったことです。なるほど、加島氏が言ったごとく『依怙贔屓はやめよ』『贅沢はやめよ』というのはまことに正論だが、義真公にとってそれをやめたらもはや殿様ではなくなってしまうとお考えなのです」
「対馬では国を思い、君を思う人物は結局は排斥される運命なのでしょうか。加島氏が忠義者でなければ伊奈村に幽閉されずにすんだのです。誰もが口では国のため君のためとおためごかしに言うけれども、実際は自分が可愛いばかりで、この先国がどうなろうが君がどうなろうがお構いなしなのでしょう。加島氏が真実国のため君のためを思って言上書を提出して罰せられても、彼のために彼を庇い弁護する者は一人もいなかったのですからね」
「恥ずかしい限りですが、私も加島氏を救うことが出来なかった一人です。その点、侍と違って民百姓は偉いものですね。加島氏が郡奉行をしていた肥前田代の民百姓たちは彼の仁政を慕い、正祖の他に毎年百五十石の御礼米をお上に届けてくるのですからね。昨年、加島氏が亡くなった際の葬式にも祭祀料をわざわざ届けてきました。民百姓は仁政をとった加島氏の恩はいつまでも忘れません。私は彼ら民百姓のために、そして対馬のために作物を食い荒らす猪や鹿を対馬から退治しなければならないと思っています」
 芳洲は陶山の言うことに素直に納得できなかった。義真公の怒りを恐れ、この上申書を出さないのはどうしても保身のために言を憚ったことになると思わないわけにいかなかった。しかし、一方では陶山の言うように上申書を提出してもただ破棄されるだけで、わが身が流謫となりどこか片田舎に幽閉されてむなしく朽ち果てるのも甲斐がないようにも思えた。これまで自分が学んできた朱子学は対馬ではまったく有用の学ではないように思われて深い絶望を感じた。
 芳洲はなぜかふと陶山と同じ年齢の同門の新井白石のことが思い浮かんだ。そうして、新井白石が甲斐藩主の徳川綱重公に仕えているのがたまらなく羨ましい気がした。なぜなら、徳川綱重公は優れた藩主として対馬まで鳴り響いていたからである。将軍綱吉公には後継の男子がいないため、もしかしたら綱重公が次の将軍になられるかもしれないという噂まで伝わっていた。新井白石は今は御書物吟味を務めていたが、彼の帝王学は着々と実を結んでいるに違いなかった。彼に比べて自分が対馬藩のような小藩に仕えたのは大きな誤謬であったと慨嘆にたえなかった。

       6
元禄一四年一二月、芳洲は宗義真の退休を告げる「退休参判使」に加わり、朝鮮へ初めて渡った。藩主義倫がやっと元服し一六才になったので、義真の隠居報告を朝鮮側に正式にするための使いであった。参判使の正官(正使)は樋口佐左衛門、都船主(使者方)は芳洲、封進押物(進上輸送係)は永野左五右衛門であった。その他に正官の付人一八名が従った。使節の船団は府中港に帰る時には必ず朝鮮米を積んで来るので「御米漕船」と呼ばれた千石級の船が四艘で、それぞれに乗組員七〇名が配置されていた。
 退級参判使はまず草梁の倭館の中にある西館に入った。そこから、正官樋口佐左衛門以下二一名は倭館の北側に接する宴大庁まで行列をして出向いた。途中、道路が凍っているためあちこちで日本人が滑って転倒し、その度に案内する朝鮮人がげらげら笑った。芳洲の駕篭を担いでいた従者も氷に足を取られて引っくり返ったので、芳洲は駕篭から下りて寒さに震えながら歩いた。指や耳がちぎれるような寒さであった。宴大庁の中は温突で部屋が暖房してあったのでとても温かく、日本人はみなやっと生き返った心地になった。式典は、都の漢城(ソウル)からわざわざやって来た接慰官、礼曹参判、礼曹参議、東萊府使、釜山僉使に対して、参判使が渡海の挨拶を行う「茶礼儀」から始まり、対馬島主義真が隠居を告げる書契(文書)が提出された。この時に義真から朝鮮国王粛宗に献上品とともにその目録が備えられ、進上された。彩画掛硯一備、大和真朱(朱紅)六個、金屏風一双、赤銅累三盥盤(手洗い)二部、水晶笠緒二緒、黒漆華箋厘(文箱)四箇、黄漆掛硯二箇、彩画掛硯一脚、彩画一尺、匳鏡(蒔絵入り鏡箱)一面、紋紙五〇〇斤が献上品であった。これらはすべて日本の工芸品であった。
 これに対して、接慰官李声発は義真公の御隠居に際し、還暦を過ぎてますます御壮健でなによりですとお祝いの言葉を述べた。朝鮮側は書契とともに接慰官、礼曹参判、礼曹参議、東萊府使、釜山僉使の名で回賜という返礼の品を義真に送った。芳洲はすべて朝鮮側の贈答品目と数量を一つ一つ丹念に記録した。人参二〇斤、虎皮八張、豹皮二張、白綿紬(つむぎ)一四〇疋、白苧布(日本の照布)一四〇疋、黒麻布(黄麻布)五〇疋、白木綿二五〇疋、黄毛筆二六〇本、新墨二六〇笏、花席五〇張、四張付油屯三五部、花硯五面、各種紙二二〇巻、大厚油紙五〇張、各種扇一一〇本、柄栢子七斗、胡桃一〇斗、房栢子二五〇顆、黄栗二石、各種魚九〇尾、清酒一〇瓶であった。これらはすべて朝鮮の国産品であり、対馬藩により貿易商品として日本各地で販売される物であった。
 芳洲は対馬島からの献上品があまりに貧弱であるに対し、朝鮮側からの回賜品の豊富さに驚いた。のみならず、朝鮮側が自分たち使節に対し熱烈に歓待してくれることにもびっくりした。そうして、対馬人が草梁倭館へ行くのをどうしてそれほど喜ぶのかよく分かった。なぜなら、倭館へ来れば、対馬人に対して食事は無論、米などの食糧、渡航手当て、船の修理資材まですべて支給されるからである。だから、朝鮮側から繰り返し度々苦情が出るほど、対馬人が飲食の接待を受けたいため倭館に用もなくいつまでも滞在しつづけたり、回賜品をもらいたいために理由もなくむやみに使船を対馬から出したりするのであった。
 芳洲は対馬へ朝鮮人が商売のため来ても糧米炭柴を与え馳走を与えることもないのに、朝鮮に渡った対馬の使いに対しては朝鮮側が御馳走をする理由は『宋史』に胡人が開市のため中国へ来た時には遠方から来た人を安んずるということで駅馬を与え、食糧を用意したと記されていたので、朝鮮もこの中国の例に準じて対馬人を優遇しているのだろうと思った。また『中庸』には「大国は小国を恤れむ」という言葉があるから、朝鮮側は自らを大国として位置づけ、小国の対馬島をあわれむ気持ちから対馬人を接待しているのだろうとも考えた。とすれば、朝鮮人が対馬人を厚遇するのは、実は客人としての敬意というよりも対馬人は朝鮮国を荒らした倭寇の子孫であると今もみなし、胡人のごとく乱暴なふるまいをさせないためであり、対馬島を小国として見下げている反映に他ならないと思った。そう思うと欣然として朝鮮側から出される御馳走に手をつけ飲み食いしている対馬藩士たちの無邪気さに急に腹が立ってきた。これでは乞食根性丸出しではないか。こうした優待を受けているから、訳官たちから「対馬島は朝鮮の慶尚道から米を送っているから生きていけるだけで、米を送らなければたちまち飢え死にしてしまう」とか「対馬島はもとは慶尚道の鶏林の内にあったものだ」と蔑まれるのだと思った。なるほど、歴史の上から見ても対馬島が朝鮮の属国であったことは一度もない。しかし、今の対馬のあり方を見ていれば、朝鮮国なしに自活できるだろうか。事実は対馬島は朝鮮の慈悲を受けて活きているのであり、朝鮮の厄介になっているのは明らかであった。これでは対馬島が日本と朝鮮との間の誠心の交わりを結ぶ仲介役を全うすることは容易ではないと芳洲はつくづく思い知った。
 「茶礼儀」が無事に終了した。芳洲が西館で館守や代官たちと茶礼儀が首尾よく終わった事を喜び祝杯を上げていると、訓導の朴僉知が訪ねて来た。朴は久闊を叙した後、「三年前の夏に府中でお世話になったお礼をしたいので、今晩は是非私の家で泊まって下さい」と言った。倭館の南側の坂の下にある自宅へ芳洲を誘いに来たのであった。芳洲は喜んで朴の招待を受け入れた。
 倭館の林の中に住みつく数知れない烏の群がぎゃあぎゃあ鳴きながら天高く舞い上がった。空に凍りついたようにちいさく縮んだ月が出ていた。朝鮮の月は対馬で見る月よりもなんだか冷え冷えと青白く光って見えた。芳洲はさっきまで朝鮮酒を飲んで体がぽかぽかしていたのに、今は冴えた冬の月を見ているだけで急に酔いもすっかり醒めて体が冷えてしまうのを感じた。眼下に黒ずんだ夜の海が見えて来た。遠く沖に漁火がいくつもかすかに瞬いている。
 芳洲は提灯を持つ手を寒さでぶるぶる震わせて朴に言った。
「対馬でもよく海を見るのですが、こうして冬の海を見ると、なんだかとても悲しくなるのですよ。子供みたいなことを言うとお笑いでしょう」
「いええ、そうでもありません。あなたはお寂しいのでしょう」
 朴僉知は真っ白い息を吐いた。
「ああ、寂しいですね。たった一人故郷を離れて遠く朝鮮の釜山まで今来ていると思うと、もう故郷に永久に帰れぬように思われ、たまらなく寂しいのです。父母の墓は京都の報恩寺にあるのですが、対馬にいては盆暮れに墓参りすることも出来ませぬ。そのため、墓の周りには芒や雑草がいっぱい枯れたまま残り、まるで無縁墓みたいになっているでしょう。生前父の言うことを聞かぬ親不孝者でしたが、死んだ後もせめて年に一回の墓参りさえもできぬ親不孝者だから、こんな寂しい思いがするのでしょうか。みんなから見捨てられ背を向けられているような孤独感にとらわれてね。自分を分かってくれる者がこの世の中に誰もいないような思いに襲われるのです。対馬では自分の周りがみんな敵ばかりに見え、おまえたちに負けてたまるもんかと一生懸命に強がっているのですよ。ちょっとでも弱みや隙を見せたらすぐにやっつけられるような気がしてね。あなたが聞かれたらおかしいでしょう。同じ日本人が日本人を敵だなんて思うのはよくお分かりにならんでしょう」
「分かります、朝鮮人だってやはり同じですよ。出身地によって互いに憎悪や反感を抱いたりするものがいますからね」
 うなずいた朴の声は穏やかな調子だった。
 二人は倭館の出入り口を通り、坂道をゆっくり下りはじめた。底冷えのする潮風が吹き上げてくるので、思わず芳洲は歯をがちがち鳴らした。
「拙者は対馬人ではないから何をするにしてもうさんくさく見られ、拙者のやることに一つとして同意してくれないのです。今の対馬は捩じ曲がっているように思えてなりません。だから、邪な状態を正さねばならないと考え、少しでもとどめようとしてあれこれ言ったりやったりしても誰も賛成してくれないのです」
「雨森さん、あなた一人で対馬をどうするなんてことは言うまでもなく出来ないことでしょう。まして両国の過去には不幸な歴史があっただけに両国の煩わしい関係はなくなるものではありません。けれども、あなたのような人がいてくだされば両国の間の友好は保つことは出来ます」
「こんな拙者に日本と朝鮮の間の誠心の交わりを結ぶ手助けが本当に出来るでしょうか。
対馬島に礎を築くことが出来ずに日本と朝鮮の掛け橋をかけることは出来ぬように存じます」
「あなたが対馬島にいるのがどうしても堪えられないとお思いなら、わが朝廷に仕えていただけませんか。喜んでお迎えしたいのです。わが国では実力のある者は科挙によって昇進してゆけます。あなたのような方が一小藩の記室のままではあまりに残念です。実を申しますと、わが朝廷に仕官している日本人は何人もいますから決して御心配はいりませんよ」
 朴は芳洲を励ますように微笑んで見せた。
「有り難いことをおっしゃる。しかし、あなたのお言葉に甘えてはなりません。今は朝鮮佐役として両国の善隣友好のために同士を増やしていかねばならないと存じます。また、貴国の言葉を一日も早く学んでもっと貴国の文化や歴史を知らねばなりません」
 芳洲は気力を奮い起こして言った。
「それはよいお考えですね。あなたは中国語をすでに修得しておられるのですから、朝鮮語を学ぶのは容易でしょう」
「よい師匠がいれば上達が早いのでしょうが、なかなかよい指南役がいないのが残念です」
「あなたによい指南役を紹介するためにあなたをここまでお連れしたのですよ。あなたもよく御存知の人です。私の家で相手はあなたのおいでを首を長くして待っています」
 朴はなんだか意味ありげに愉快そうに笑った。芳洲はこれまで対馬にやって来て会った訳官を何人か思い浮かべたが心当たりはなかった。
 芳洲は朴に伴われて朴の家の入口を通り、家の中に入った。家は凹の字形であり、真ん中は大きな瓶がいくつも並べられた庭となっていた。月明りに白色の美しい寒菊が何本か鉢植えにして置いてあるのがほのかに見えた。
「息子の嫁が台所にいますから、まず声をかけて下さい。私は酒を近くで買って来ますから」
 と朴は言うとそのまま家の外へ出て行った。芳洲はおかしなことだとふと思ったが、体の芯まですっかり冷え切っていたので、とにかく早く火に当たりたくて台所の戸を「御免」と言ってすばやく開けた。竈の上に煮えたぎる鍋から白い湯気がもうもうと立っている中に、大根を俎板の上で切っていた女がちらりとこちらを振り向いた。朝鮮女は包丁を置き、懐かしそうに「雨森さま」とつぶやき歩み寄った。芳洲はぎょっとして自分の耳を疑ったが、確かに女は自分の名前を呼んだように思えた。芳洲は凝然と立ちすくんだまま、女の顔をまじまじと見た。朝鮮服や髪形のために頭が混乱したが、以前どこかで見た覚えがあるような顔に見えた。たちまち芳洲の口から自分でも驚くような突拍子もない声が吐き出た。
「ゆき殿」
 この言葉が引き金となり、芳洲にすがりつき見上げた女の大きな眼から涙がぽろぽろと玉のようにこぼれた。芳洲はちょっと間、馬鹿みたいに言葉も忘れゆきの顔を見つめていたが、今はゆきをひしと抱き寄せた。突然、おのれの脳裡にゆきが二人の弟とともに父母の葬式の後、訳官朴僉知の船に助けを求めて乗り込み、ここまで逃げのびて来たのだという想念がおこり胸がかっと熱くなるのを感じた。




会    録
第129回(1989・1・29)『在日文芸 民濤』のつどい
                話・李恢成         参加者50名
第130回( 2・26)磯貝治良「在日朝鮮人文学のアイデンティティ」
         (『民濤』5号)報告者・蔡孝        参加者13名
第131回( 3・26)『架橋』9号合評会 PART1
                報告者・高見卓男      参加者12名
第132回( 4・23)『架橋』9号合評会 PART2
                報告者・磯貝治良      参加者10名
第133回( 5・28)『民濤』6号 小説特集
                報告者・卞元守       参加者 9名
第134回( 6・25)李良枝『由熙』
                報告者・成眞澄       参加者12名
第135回( 7・16)梁石日『族譜の果て』
                報告者・磯貝治良      参加者 9名
第136回( 8・20~21)長野県奈川村・歌と遊びのマダン
                              参加者 9名
第137回( 9・17)金学鉉『民族・生・文学』
                話・金学鉉         参加者16名
第138回(10・22)金靜美「東アジアにおける王政の廃絶について」
          磯貝治良「天皇制と文学」(『民濤』)7号
                報告者・磯貝治良      参加者 9名
第139回(11・26)「韓国では〈在日文学〉をどう読んでいるか」(『民濤』8号)
                報告者・文重烈       参加者 6名
第140回(12・17)一年をふりかえり90年を望む集い       
                報告者・全員        参加者13名
第141回(1990・1・21)渡野玖美『五里峠』
                報告者・磯貝治良      参加者15名




    あ と が き
▼昨年1月7日に裕仁天皇が死んで、元号のうえでは「昭和」は終った。昭和天皇と朝鮮との関係をさまざまに再考する一年だった。植民地侵略の責任にとどまらず、こんにちの天皇制を頂点とする単一民族幻想が、在日朝鮮人との、アジアの人びととの、世界の人びととの共生をいかに阻害しているか。そのあたりの事情を、「天皇制と文学――朝鮮をめぐって」(『在日文芸 民濤』7号)「なぜ“大赦”拒否訴訟か」(『新日本文学』’90新年号)などで書いた。このテーマはすぐれて文学のものではないだろうか。
▼最近、「読む会」の仲間にめでたい話題が多い。韓基徳・朴裕子さんに二世・萬海君誕生。「ニムの沈黙」で有名な民族詩人・宗教思想家である韓龍雲の号と同名である。誕生日は8月15日(朝鮮が日本の植民地支配から解放された日、光復節)、ちなみにアボジ基徳氏の誕生日は3月1日(あの独立宣言運動の日)。
「読む会」を出会いの場として結ばれた金成美・井上幸一君にも二世・もも(모모)ちゃん誕生。
劉竜子さんが念願の居酒屋「酒幕」を名古屋・大須にオープン。
遠路、石川県から参加する渡野玖美さんが、処女小説集『五里峠』(近代文藝社)を上梓。岐阜の卞元守さんの次女・朝華さんが結婚。
▼恒例の望年会で選ばれた、89年度テキスト人気投票のベスト4は、梁石日『族譜の果て』(立風書房)磯貝治良「羽山先生と仲間たち」(『架橋』9)賈島憲治「雨森芳洲の憂鬱」(同)金在南「暗渠の中から」(『民濤』6)でした。
▼10号は記念特集を、との思いがなくはなかったが、ささやかな形になりました。
                       (貝)





12月例会の御案内

 2006年12月(第337回)例会は下記のとおりです。

日時 12月17日(日)午後1時30分~5時
    (会場の都合で第3日曜日ですのでお間違いなく)

会場 名古屋YWCA(電話052-961-7707 地下鉄「栄」下車、5番出口を出て錦通りを東へ約150メートル。愛知芸術文化センターの道路を隔てた南側)

テーマ 〈在日〉文学と巫俗(1)宗秋月

報告 浮葉正親さん

テーマ報告形式に模様替えして11月はその第1弾でした。立花さんの報告は知の持ちネタを駆使して重厚な内容でした。まずは幸先よし。

12月も期待十分。皆さん、こぞって参加を!

テーマ報告は2月まで予定が立っていますが、さらにさらに、ぜひ手を挙げてください。

なお、4月は金石範『地底の太陽』〈集英社〉をテキストに読書会形式を挟む予定です。

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磯貝治良

磯貝治良

「在日朝鮮人作家を読む会」へようこそ!