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2006-06

「架橋」アーカイブ

 立花です。雑誌「架橋」のバックナンバーも稀少になりつつあります。これらの作品群が読者を持たないのは非常に残念ですので、学生諸君・その他の人たちの協力を得て、徐々にですがここに記録して行きたいと思っています。まずは、第7号が完成しました。「会録」などを見ていますと、懐かしい名前も見当たり、「読む会」の歴史を強く感じます。誤植等がありましたら、御一報下さい。またご意見などもドシドシお寄せくだされば幸いです。
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「架橋」第7号 あとがき

    あ と が き

△在日朝鮮人作家を読む会が発足したのは一九七七年暮れで、その例会がことしの八月で一〇〇回に達した。途中、講演集会や猪飼野訪問、望年会などがはさまっているが、基本は゛在日朝鮮人によって書かれた本を読む”という行為である。小説、詩といった文学作品にかぎらず、手記、評論、ルポなども含まれる。世代的にも一世のものから二・三世のものまで多岐にわたっている。近年、活発に展開されている在日朝鮮人の思想・生き方を読むという側面も強い。日本人が在日朝鮮人ときちんと付き合っていくうえで、「在日」の生き方と思想を正確に認識することは、非常に大切だと思う。
△読む会では、望年会の折にちょっとした余興を行なっている。その年一年間に取り上げたテキストの人気投票である。以下にその結果を紹介する。
 一九八三年。金蒼生『わたしの猪飼野』と竹田青嗣『〈在日〉という根拠』が票を分け合って同点トップ。三位が金石範『火山島』で四位は高史明『少年の闇』李恢成『サハリンへの旅』が同票。
 一九八四年。一位=鐘真『見果てぬ夢』雑感ノート・二(『架橋』5)、二位=劉竜子「夏」(同)、三位=金時鐘『光州詩片』、四位=李正子歌集『鳳仙花のうた』、五位=金賛汀『抵抗詩人・尹東柱の死』と飯尾憲士『隻眼の人』。
 一九八五年。一位=尹東柱『空と風と星と詩』、二位=磯貝治良「イルボネ・チャンビョク」(『架橋』6)、三位=李起昇『ゼロはん』、四位=宗秋月詩集『猪飼野・女・愛・うた』、五位=金泰生『旅人伝説』と鐘真『見果てぬ夢』雑感ノート・三(『架橋』6)
 以上であるが、これらの結果から「読む会」の゛傾向”を判断できるかどうかは、保証の限りにあらず! です。さて、ことしはいかがなりましょうか。
△『架橋』7をお届けします。執筆者の顔ぶれが前号と変りばえせず、ちょっと淋しい気もしますが、それはそれで、この雑誌の現状ということになりましょうか。ただし、目下、鋭意創造中の何人かの仲間がおり、読む会の積み重ねからまだまだ豊富な作品が生まれてきそうなので、全然、悲観はしていません。
△日本社会の現状、そして在日朝鮮人と日本人を結ぶ今日のありようを見ると、「読む会」の仕事はまだまだこれからの感が深くします。読者のみなさん、ふだん着のままで会へどうぞ、『架橋』へどうぞ。                           (貝)

「架橋」第7号 〈はん〉の火

<はん>の火

磯(いそ) 貝(がい) 治(じ) 良(ろう)

 風が光彩をつよめると、海面はきらめきはじめ、潮のにおいが分厚い層をなして沖合から立ちこめてくる。波頭をわたってくる風は輝きをはらんで、ふくらむ。海がうねりだす午後だ。
 すると、陸では時間がけだるそうな表情を見せはじめる。返道と家並み、神社の森と火の見櫓、すべての風景が濃淡をうしない、輪郭をぼかして影のたたずまいに変わる。おんなたちおとこたちは、倦(あ)み疲れた姿態で、よどむ空気と媚びを交す。漁港のある町が、老人のような相貌を見せるときだ。
 <はん>がながい笹竹を振りまわしながら、鉄道線路のむこうから町へはいってくるのは、そんなときだ。踏切のはしっこに石地蔵が立っていたので、<はん>は地蔵堂のなかから現れたように見える。彼女はいつものように、ぼろ衣のいたるところに、数珠つなぎにされた空き缶や、目も鼻もないのっぺらぼうの土人形や、竹笛や、よれよれの赤い布帽子や、キセルや、ねずみの死骸をぶらさげて、はだしの足が地面を踏むたびピョンとおどけたはずみかたをする跛行でやってくる。精米所の建物が一軒立っているだけの一本道をずんずん歩いてきて、四つ辻にぶつかると、くるりと方向をかえて海辺への坂道をくだっていく。
 手にしている笹竹は、ねむった時間を攪拌するためのぶきだ。彼女は笹竹を振りまわすたびに、おおうッ、おおうッ、と野太い声をあげる。怒(いか)っているみたいだ。起きろ、起きろ。腐れるぞ。やいやいやい、もっともっと起きてろ。笹竹の振りまわされたあとに風が鳴り、空気が円弧をえがいてそのさきに無数の渦が舞う。風の渦が赤くみえるのは、ぼろ衣の赤い袖がひるがえるからだ。
 <はん>は、屋敷をつつむ森と酒蔵の白壁を通りすぎ、かまぼこ工場の角を曲って、漁港の見える位置へくる。漁港のむこうに銀白色にうねる海を見る。腹の虫がおさまったのか、笹竹をおろして埠頭の石垣にしゃがむ。湾を女陰の図形に裂いてのびる埠頭は、<はん>の場所だ。
 彼女が、波しぶきにあらわれる凸凹の石垣をわたっていくとき、ぼろ衣の裾からのぞく足は白い魚の跳ねているようにみえ、足どりは跛行ではない。はるか遠い位置からながめると、ぼろ衣の色彩だけが光に映えて、浮游する赤い風のかたまりだ。
 <はん>が石垣のうえにしゃがむのは、下半身のものを洗滌するためだ。脱糞する恰好の彼女の股間を波しぶきがひたすとき、彼女は、うねる海と交合する瞬間を感じているにちがいない。
 <はん>は、腰紐がわりの荒縄から竹笛を抜きとると、沖にむかって吹いた。ピューッ、ピューッと二度吹いて、それをくりかえした。「あれ、はんがまた笛を吹いて、鳥たちの真似をしとるがん」漁港ではたらく漁師たちは笑いあったが、笛の音をききわけるのは海鳥たちだ。鳥たちはかしましく啼きかわしながら、<はん>の空へ群れてくる。漁港のおんなたちおとこたちは、はんが鳥たちにねらわれとるがん、とおもう。海鳥たちの啼き声が激しいので屍肉にたかる飢えたものたちの鬨の声にきこえるからだ。
 たけだけしく光をはらんだ潮風が<はん>をめがけて殺到してくると、彼女は、粗(あら)く刈った髪を逆立て、沖合いをにらみつける。もっと吹け吹け、吹けー。怒張した眼がふとい声を吐きだしている。すると、漁港のおんなたちおとこたちは、はんがまた悪態をつきはじめるでなん、と目くばせしあい、仕事じまいまでのひと働きに精を出す。<はん>が石垣から去ると、おんなたちおとこたちも魚網をたたみ、帰りのしたくにとりかかる。
 <はん>が坂道をかえっていく。笹竹は風の渦をつくらない。ゆるやかな弧をえがいて空(くう)を舞うだけだ。彼女がいまは怒っていないと知って、子どもたちがどこからともなくあらわれた。かれらはたちまち軍団をつくり、<はん>の前ではねたり、跡をつけたり、おもいおもいに趣向をこらして反応をうかがう。彼女がいっこうに反応を示さないので、子どもたちは声を上げはじめる。「ほーい、ほい」「やっちゃ、やっちゃ」子どもたちのはやし立てる声を無視する<はん>は彼女だけの思い入れで笹竹の舞に没頭して、坂道をのぼっていく。子どもたちは苛立ち、はやしことばが卑猥になる。「おめこ、おめこ」「まっかっかっか」「ひらいた、ひらいた」「見たがん、見たがん」
 製飴工場の職人が幹し板を道ばたに積みながら<はん>と子どもたちを眺めていた。子どもたちのなかに<わし>がいた。
 二時間ほどまえ<はん>があらわれた、あの四つ辻へきたとき、お付きの番頭(ばんと)はんを従えて駅のほうからやってくる<あのひと>と出っくわしてしまった。子どもたちの声がぴたりとやんだ。かれらは息をのんで二人を見つめた。<はん>と<あのひと>が出会うと、きまって町の時間を止めるようなことがおこる。
 造り酒屋の旦那衆で町の土地の三分の二を所有している<あのひと>は、歩くとき猫背が落ちないようにゆっくりゆっくりと足をはこんでくる。<はん>に気づくと、まるい黒縁眼鏡のおくで表情をしかめる目つきをした。たちまち<はん>の躰が鼠をねらう猫の姿勢でまるくなった。子どもたちは胸を高鳴らせた。<わし>の胸も音を立てはじめた。
 二人が鼻つきあわせる距離に近づいたとき、しかけたのはもちろん<はん>だった。彼女は通せんぼするように<あのひと>のまえにはだかり、舌をぺろりと出してみせる。芥子の花みたいに赤くそまった舌を鼻さきへつきたてると、<あのひと>が身をのけぞらせる。
 <はん>は<あのひと>のにおいを嗅ぐまねをしながら二、三度廻った。笹竹の空気を打つ音が鳴った。<あのひと>は尊大にしていた。<はん>はそれが気にいらないらしく、ぼろ衣の裾を挑発するようにもものところまでたくしあげてみせた。その恰好のまま、躰を宙にはねた。数珠つなぎの空き缶がけたたましく鳴った。つぎに躰をはねあげたとき、彼女は<あのひと>が鼻の下にたくわえたちょび髭をひっぱった。<あのひと>は尊大にしていた。<はん>が小さな躰をさらにまるめ、はずみをつけて飛びあがった直後、<あのひと>の帽子が彼女の頭にのった。<はん>が笹竹を振りまわして<あのひと>のまわりを疾(はし)りまわった。空気が鋭く裂ける音を、子どもたちはきいた。おこるぞ、おこるぞ、いまにおこるぞ。子どもたちは胸のうちで唱和した。<わし>も胸のうちで唱和した。
 番頭はんが<はん>に飛びかかった。<はん>の躰は地面にたたきつけられた。番頭はんが笹竹をひったくると、<あのひと>に恭々しく手渡した。<あのひと>は下あごに力こぶをつくって笹竹をふりあげ、異様な掛け声とともに<はん>に打ちおろした。肉のかたまりを打ちすえる鈍い音が、まえの音を追っかけるようにつづいた。<はん>の躰からはねかえってくる手ごたえに満足したのか、<あのひと>の表情に満面の喜びが満ち溢れている。
 あれは血だなん・・・・・・子どもたちはおもった。<はん>の耳たぶのうしろから肉が裂けたような流れかたで赤いものが吹きだしている。あれは血だなん。<わし>もそうおもった。
 <あのひと>のひたいに大粒の汗がうかんでいた。四つ辻の東側にある製材工場の材木置場では、角材に尻をおろしたおとこが地下足袋の小はぜをはめながら、四つ辻の出来事を眺めていた。

 はんにはジンツウリキがあるのかなん。子どもたちはおもった。<わし>もそうおもった。
 <あのひと>に打ちのめされた翌日、彼女はいつものとうり、地蔵堂から抜けでてくるふうに踏切のむこうから町へあらわれた。四つ辻へむかってくる姿は、地面を踏むたび、ぴょんとはねて、蝶のようだ。
 きょう<はん>が着ているのは、かつて背広とズボンであった名残りをとどめるぼろ衣だ。小柄な彼女には不釣合な大きさなので、風をいっぱい入れた布袋があるいてくるようだった。背広の襟あたりをみると、きのう<あのひと>に打たれて血をながしていたはずの首すじの破れ皮膚は、あとかたもなく消えている。
 四つ辻までくると<はん>は、笹竹で町のねむりを起こしながら、海への道を疾(はし)る。やいやいやい、もっと起きろ、起きろ、起きてろ、腐れてしまうぞ。漁港を女陰の図形に裂く石垣のうえにしゃがみ、下半身のものを洗い浄(きよ)める。竹笛を吹いて海鳥たちを呼びあつめ、沖合にむかって怒鳴りちらす。機嫌をなおして町へもどってくる。
 <はん>は四つ辻へきて、<あのひと>と出会わなかったので、くるりと方向をかえた。きっと、火の見櫓へいくんな。子どもたちは目くばせで言いあって、彼女のあとについていく。<わたし>もおなじ気持でついていく。井戸掘りの竹はんが長屋の路地口に立って、タバコをふかしながら一団を眺めていた。はんが火の見櫓のほうへいけば、見物(みもの)だぞ。
 火の見櫓は、薬屋と糸繰り工場(こうば)がはすに向かいあう辻の角に立っている。火の見櫓の下は子どもたちが遊ぶ空き地になっている。かれらの予想は的中した。
 <はん>が空き地のまんなかに立つと、子どもたちは彼女を囲んで地面に尻をおろした。<わし>も尻をおろした。子どもたちはいっせいに拍手した。まえに手を拍つのを忘れたら、彼女が機嫌をそこねて見物(みもの)を中止してしまったことがあるからだ。
 数珠つなぎの空き缶がガラガラと鳴りだした。<はん>は目をむいて空を睨み、躰の回転をはやめていく。空き缶の音がいっそうにぎやかになる。はんはよく目がまわらんもんだなん。子どもたちは以心伝心で驚嘆しあう。<わし>も驚嘆する。<はん>の躰が独楽のようになった。<はん>の独楽があまりはやく回転するので、子どもたちの目はだまされてしまう。独楽が地面に屹立して停止しているようにみえる。すると、まわりの空気が回転する独楽のなかにいっせいに吸いこまれ、空き缶の音がぴたりとやんで、風の切られる澄んだ音だけが響いた。気色のええ音だなん。子どもたちの顔がそう呟いている。<わし>もうっとりとした気持になった。
 <はん>の独楽が回転をゆるめ静止したとき、子どもたちはためいきとともに盛大に拍手した。糸繰り工場のおやじが糸ぼこりで化粧したような白い顔を明り窓からのぞかせ、眺めていた。
 <はん>は第二幕の見物(みもの)にとりかかった。子どもたちは地べたに尻をおろしたまま、ズボンのポケットに手をつっこみ、さぐりあてた十円硬貨をにぎりしめる。<はん>は笹竹で彼女のズボンのももをたたく。左あしがピョンとはねた。もう一方のももをたたく。右あしがピョンとはねた。右あしと左あしがかわるがわる跳ねて、<はん>の下半身があやつり人形みたいに踊りだす。子どもたちの視線は<はん>のふしぎな下半身の動きに吸いつけられてしまう。
 かれらが脚のほうに気をうばわれているあいだに、<はん>の上半身でも騒動がはじまった。右手と左手がいさかいをはじめたのだ。右手が、笹竹をもつ左手に猛然とつかみかかっている。左手から笹竹をうばおうとしているらしい。両手はしばらく争ったすえ、左手が右手をもぎはなし、笹竹で打ちすえる。右手はたじろがず左手に逆襲し、笹竹をうばいとろうとする。左手は再度、右手を撃退し、笹竹でめった打ちに打ちすえる。両手の攻防は際限なくつづくかとおもわれる。子どもたちは笑いをこらえていたが、とうとう我慢しきれずにどッと声をあげた。かれらがどんなに笑っても<はん>の機嫌をそこねないことを、子どもたちは知っていた。<はん>も声を立てて笑った。
 左手と右手が攻防をくりかえしているあいだ、下半身はとんだりはねたり気ままにふるまっていた。<はん>の顔は手あしの騒動に知らんふりをしている。<はん>の首は胴体と別々に生きとるのかなん。子どもたちは笑いころげながらもふしぎにおもった。
 左手と右手の喧嘩はようやく終った。仲なおりしたのではない。右手が力つきてぐったりとうなだれ、左手におそいかかる気力を喪失してしまったからだ。下半身の騒動もしずまった。笹竹に打たれた右手の甲は、垢にまみれた皮膚に血をにじませている。<はん>は、敗北した右手には冷淡だった。にじんだ血を舌さきでペロリとなめてやっただけだ。そのうえ、傷ついた右手に仕事まで命じる。右手は屈辱をこらえて、子どもたちの前をひとめぐりしなければならない。子どもたちはポケットのなかでにぎりしめていた硬貨を右手にわたしてやる。<わし>も、右手がきたときわたしてやった。薬屋の店さきで、白い服をつけた主人が眼鏡をはずしたりかけたりしながら、空き地のほうを眺めていた。
 もし只見の子どもがいると、<はん>の見物(みもの)はここでおしまいになるが、きょうは全員が代償を払った。おまけがつくぞ。子どもたちは息をはずませた。
 <はん>は火の見櫓の梯子に手をかけ、背をまるめると、さっと身をひるがえした。野性の猿みたいに敏捷だったので、またたくまに火の見櫓のてっぺんにたどりつく。<はん>はそこで見事な宙返りを二度もくりかえした。子どもたちは火の見櫓を見あげ、喉を鳴らせた。<わし>も固唾(かたず)をのんだ。薬屋の店さきにいた白い服が、空き地のほうへ近づいてきたのは、そのときだった。
 白い服がゆっくりと梯子をのぼっていく。半鐘が冴えた音で一つ鳴った。火の見櫓のうえで、<はん>が海の方向を睨みすえ、つぎを打つ姿勢のまま身がまえている。はんはなにをしとるのかなん。はよう鐘をたたかな、くすり屋につかまるがん。子どもたちは苛立った。<わし>も気が気ではなかった。<はん>がたてつづけに半鐘を三つ打ち、その余韻がひびいているうちに、白い服は火の見櫓にたどりついた。
 白い服が<はん>のぼろ背広の襟首をつかんだまま梯子をおりてくるのを見て、子どもたちはため息をついた。はんはどうしてあばれんのかなん。<はん>はこれも見物(みもの)のうち、というふうに梯子をおり、地面にうずくまった。風をはらう笹竹の音が鳴って、鈍い音がはねかえった。笹竹をもつ白い服の顔がすこしひきつり、眼鏡がずりさがっている。目に満足感があふれている。空気をさく笹竹の音と鈍い擦過音が、たてつづけに鳴った。笹竹のうなりが大きくなってくると、白い服の荒い息づかいがきこえた。くすり屋はあのひとの真似をしとるのかなん、と子どもたちはおもった。<わし>も、くすり屋があのひとの真似をしているようにおもった。
 子どもたちと<わし>は、硬貨一枚を払った見物(みもの)をしまいまで見とどけようと、一所懸命に<はん>と白い服を見ていた。

 <はん>の年齢を正確に知る町の者(もん)はいなかった。はんはまだむすめだげな、という者もあったが、<わし>が母親にたずねると、さぁ、いくつかなん? 町にあらわれてから十年ほどになるけど、ちっとも年をとっておらんなん、と答えた。
 <はん>はおとこの声を出したり、おとこの身なりをするのが好きだったので、はじめ町の者はみな、性別を判じかねたという。おんなとわかったのは、町にあらわれるようになって半年ほどのち、赤児を生んだという噂がたったからだ。
 噂は海辺から町へやってきた。漁港ではたらくおんなたちおとこたちが、女陰のかたちをした埠頭でしゃがむ<はん>を見た。彼女は波しぶきを浴びて長いあいだ石垣のうえにしゃがんでいた。日昏れになっても、血の色にそまった海を睨みすえて動かない<はん>の姿は、そこにあった。はんは岩になったなん。おんなたちおとこたちはそう言いかわして、夕暮れにかげった道を家路に急いだ。
 その夜、海辺にちかい家の漁師が、潮鳴りをつんざく海鳥に似た声を、なんどもきいた。噂はその漁師の話からうまれた。あれは海鳥じゃなく、赤児の泣き声だったげな。<はん>がしゃがんでいた埠頭の石垣は波にあらわれていたのに、翌朝、赤い花びらのかたちがそこに残っていたという者もいた。<はん>はいつもだぶだぶのぼろ衣をきていて腹のせりだしたのなど目につかなかったのに、はんの腹は蛙みたいだったなん、と確信をもっていう者もいた。そして、沖合の埠頭を夕焼けがそめるのを見て、あれは、はんの血だなん、といいかわした。
 噂がひとしきりひろがって、町がそれに倦(あ)んできたころ、噂に水をさす者が出てきた。はんが生んだというのなら、赤児をどうしたのかなん? 毎日、町にくるのに連れとらんに。それをきいたおとこは、やけっぱちみたいに言った、きまっとるが、そりゃあ、海だ、海だ。
 となり町の海岸に死んだ赤児がうちあげられたのは、そんなころである。屍体は異形にふくらみ、脱色して、腐乱しかかっていた。砂浜にむらがったおんなたちおとこたちは、赤児のからだが鮮烈な海辺の光に焼かれていまにも形をくずしていくのではないかとおもった。
 突然、風がうなり、光がゆらいだ。野太い声をはきちらして<はん>がかけてきたのだ。<はん>は赤児の首あたりをむんずとつかむと、よこざまにかかえて走りだした。おとなたちが、あとを追いかけた。子どもも<はん>のあとを追いかけた。彼女が脇目もふらずにめざしたのは、<あのひと>の屋敷だった。<はん>は、鬱蒼とした森のなかへずかずかはいっていくと、躰をかがめ、ひと声吠えて躍(おど)りあがった。その瞬間、赤児の屍体が空(くう)を飛び、<あのひと>の屋敷のうちへ落ちて、鈍い音を立てた。
 <はん>はくるりときびすを返し、どこかへ去ってしまった。
 そんなことがあってのちも、町のおとなたちは<あのひと>と<はん>のあいだを穿鑿(せんさく)することは禁忌にしていた。子どもたちだけが、赤んぼは<あのひと>と<はん>がつるんで生まれた子かもしれんなん、とひそかにささやきあった。
 <はん>が、女陰の図形をした漁港の石垣にしゃがんで下半身のものを浄(きよ)めるようになったのは、それからのことだった。

 はんが死んどるぞー。子どもたちが海辺の神社であそんでいたとき、ひとのおらぶ声がきこえた。子どもたちが埠頭へかけつけてみると、石垣のうえに布くずみたいな赤いぼろ衣が波にあらわれていた。海はいつになく荒れて、波頭をうねらせている。ぼろ衣からはみだした<はん>の顔はずぶぬれで、髪が藻屑みたいに石垣のうえでゆらいでいる。<はん>の躰はわざとらしく波うちぎわにずるけそうに転っているので、波がひくたびに海面へさらわれていくようにおもえる。子どもたちはおそるおそる<はん>の顔をのぞいた。彼女の顔に血の気はなく、蒼白な皮膚のなかにドングリ眼だけを見ひらいて、子どもたちを睨んでいる。はんは死んどる。子どもたちは息をのんだ。<わし>も、はんが死んどる、とおもった。
 子どもたちはいっせいにかけだし、漁舟のもやい場へ走った。はんが死んどるんな。眼をあけたまま死んどるんな。子どもたちは叫んだ。手ぬぐいで頬っかむりしたおんなが顔をあげたが、すぐ筵のうえの小魚を両手でさばきはじめた。漁舟で帆をたたんでいるおとこが、麦わら帽子の下の日焼けした顔に白い歯をのぞかせている。はんが死んどるんな。まっさおの顔して死んどるんな。子どもたちは悲痛な声をあげて叫んでまわった。二、三人のおんなとおとこが仕事の手を休めて立ちあがり、子どもたちのあとについてきた。
 埠頭にむかうあいだ、子どもたちは<はん>の様子をわれさきに喋った。<わし>も興奮して口をぱくぱくさせた。おとなたちはニヤニヤうす笑いをうかべて聞いていた。
 石垣のうえに波にあらわれるぼろ衣をみたときおとなたちは笑うのをやめた。ぼろ着の胸のあたりに、のっぺらぼうの土人形が<はん>のまねをしてぐったりとぶらさがっている。麦わら帽子のおとこがゴムぞうりのさきで<はん>の顔を二、三度つついた。
 死んでいた<はん>が、むっくりと起きあがった。
 町の者(もん)たちは、<はん>が死んだふりをするのが好きなことを知った。町にしばらく死者の出ない日がつづくと、そろそろ、はんの死に芝居が見れるなん、と挨拶がわりにする。
 <はん>は埠頭のさきだけでなく、道ばたや家の軒さきで死んだふりをすることもあった。それが死に芝居とわかっていても、子どもたちはそれも<はん>の見物(みもの)の一つだとおもい、たいそうに騒いでふれてまわる。おとなたちは、もうとりあわない。すると<はん>はいつまでも死に芝居をつづけた。
 夕がた、漁港から帰るおんなたちが、道ばたに寝ころがっているぼろ衣を見て、はんがまたやっとる、と言いながら通りすぎる。夜が白みはじめ、漁からもどってきたおとこたちがそこを通りかかると、<はん>は頭に露をためて寸分たがわぬ恰好で横たわっている。はて、こんどこそほんものか、とおんなたちおとこたちが見にくると、<はん>は思い入れたっぷりの所作でむっくりと起きあがる。
 そんなとき<わし>はおもった。はんは死んだふりじゃなくて、ほんとうは生きかえるのが好きかもしれんなん。
 町でひとが死ぬと、<はん>はすばやく死者のにおいをかぎつけて弔いの場所にあらわれ、眼をかがやかせて立ちまわる。<わし>の家の祖父(ぢい)が、酔って便甕に落ち死んだ日も、そうだった。
 四人のおとこたちに担がれた坐棺を先頭に、葬列が、海辺からのぼってくる光をあびて丘の墓地へむかっていた。鉄道にかかる陸橋をわたろうとしたとき、風の音を切りさいて鉄路わきの土手を疾駆してくる赤いぼろ衣があった。
 <はん>は野辺送りの列に追いつくと、笹竹をふりかざし、そのまわりをめぐりながら、ついてくる。ぼろ衣にぶらさげた数珠つなぎの空き缶が、乾いた音をたてる。葬列が橋をわたって三つ又道を右に折れ、潅木道を丘へのぼっていくと、<はん>はいっそう元気をだし、厳粛な表情で坐棺を担ぐおとこたちを笹竹ではやす。ほぉ、ほぉ、ほッと奇嬌な声を喉からはきだし、葬列のまわりをめぐる。はんは葬いをからかっとるのかなん。<わし>は、<はん>が沈みきった行列に腹を立て、意地悪をしているとおもった。
 坐棺を担いだ葬列が丘の墓地にさしかかると、<はん>は底抜けにはしゃぎだし、踊りだす。祭りの日の浮かれ踊りみたいだなん。
 坐棺はふとい松の木の根かたにおろされた。昨夜のうちにふかい穴が掘られていて、便甕に落ちて死んだ祖父(ぢい)のからだは棺ごと土葬される。腐乱して白骨になった祖父は一年後に掘りだされ、骨片が<わし>の家の墓石におさめられる。松の木は、土葬場所の目じるしでもある。
 坐棺が穴の底におさめられるとき、<はん>は呪いとも歓喜とも想像しがたい叫びを丘の斜面にはきちらし、踊りまくった。数珠つなぎの空き缶が、祭りの朝のふれまわりみたいに鳴った。はんはぢいの目をさまさせるつもりかなん。あんなに騒いだら、ぢいの魂がまいもどってくるがん。
 その夜、<わし>の父(とう)が葬いの酒を飲みながら言った。「死んだ人間の肉は栄養がたっぷりあるでなん。来年、祖父(ぢい)を掘りだすときにゃ、坐棺のまわりに松の根が、そりゃあ見事にびっしりと張りめぐっとるが。松の木のやつ、ぢいの屍肉を棺の外から餓鬼みたいにくらってやがる。だから根の張りぐあいは坐棺のかたちをしとる」
 父(とう)は酒の酔いで赤くそまった顔ににごった油汗をにじませている。
<わし>はおそるおそるたずねた、
「犬がぢいをほじくりに来(こ)やへんかなぁ」
 父は手の甲で口のまわりをぬぐいながら自信満々に言う、「なーに、はんがおるで大丈夫。はんが野犬を追っぱらってくれるがん」
 <わし>の目のなかに、一つの情景がパッと浮んできた。地を嗅ぎ、屍臭をあさって丘にあつまってくる野犬の群れ。笹竹を振りかざし、野太いおとこの声をはりあげて野犬の群れにおそいかかっていく赤い風。闇のなかで。光のなかで。
 <わし>はおもった。葬列のときも、土葬のときも、はんがあんなにいたずらしたのにおとなたちが怒らなかったのは、そのためだったのだなん。

 漁港のある町は、海辺に沿ってひとが横臥するかたちをしていた。町には事件や騒動がめったにおこらない。その体型からして、おんなたちおとこたちが眠りの時間をむさぼってくらすには、うってつけだった。それに町がねむっていることを<あのひと>が望んでいる、と<わたし>はおもう。<あのひと>が笹竹で<はん>を打ちすえるのは、彼女のいたずらに腹を立ててではなく、<はん>が町を眠りから目ざめさせるのではないかと怖れているからだ。なにしろ<はん>は事件や騒動のたねをいっぱい連れて歩いとるみたいだから。
 <あのひと>の屋敷が祭りのように着飾った日、海から吹いてくる風は<あのひと>の機嫌をとるみたいにおとなしく、のどかな光にたわむれていた。道ばたの草や花は可憐に咲き、屋敷をつつむ森は青々と濃いにおいを放っていた。その森のなかの玉砂利の道に沿って、紅白の幕が張りめぐらされている。
 午(ひる)をすぎると、町のおんなおとこたちが屋敷のまえの広い道路をうずめはじめ、空気がすこし動きだした。役場の職員がおんなたちおとこたちを指図して、道路の片側に整列させている。井戸掘りの竹はんが酒に酔っていて、ふらふらと道のまんなかへはみだしていくので、交番に頭を五、六発ゲンコで殴られ、はっぴの襟首をつかまれてどこかへ連れ去られていった。爆笑がおこった。
 はんはまだかなん。爆笑の渦のなかで、子どもたちはそのことに気をとられていた。来れば、風が鳴るで、すぐわかる。<わし>は急(せ)く気持をおさえた。
 来たぞ、来たぞ。二百メートルもさきの四辻までとどくおんなたちおとこたちの列からどよめきが走った。子どもたちは首をのばしたり飛びあがったりして、坂道のうえを見た。来たのは黒塗りの車で、もったいぶった走り方で、ゆるゆると降りてくる.車は森の入口でとまったが、角ばった帽子に黒い服を着た運転手が乗っているだけだ。おんなたちおとこたちの鼻から牡牛のしわぶきみたいな吐息がもれた。
 黒塗りの車が屋敷のなかに消えると、ぶたたび、ひときわ大きいどよめきが四つ辻のほうから走ってきた。色どりさまざまな車が何台も坂のうえにあらわれ、一台ずつ通過するたびにそこで拍手と歓声がおこった。どこか卑猥なひびきのまじる歓声は、しだいに森の入口のほうへおりてくる。車は七台もつづいていた。森の入口で順ぐりにとまり、二番目の車からギンギラギンに飾った着もので着ぶくれしたおんながおりた。おんなは女形みたいな厚化粧をしてうつむいたままなので、角隠に邪魔されてどんな顔なのか見当もつかない。それでも見物のあちこちに嘆声がもれ、よだれみたいにそれがつづく。
 厚化粧のおんなは、番頭に先頭され、吊り橋をわたるような歩きかたで、玉砂利の道を屋敷へはいっていった。はよ来んと、間に合わんがな。子どもたちは気が気ではなかった。<わし>も、きょうの見物(みもの)はおあづけかなん、と落胆する。
 七台の車が全部、森のなかへ消えると、整列させられていたおんなたちおとこたちの秩序がくずれて、ワーッと森のまえの道路に群らがってきた。子どもたちは<はん>の見物(みもの)をあきらめるかわりに、祝い餅をたくさん取ってやろうと、人だかりの最前列に陣どった。
 四角ばった黒服を着たおとこが三人、神妙な顔つきで朝礼台みたいなものをささえもって、屋敷のほうからあらわれ、森の入口へ置き、それを護衛するように立った。あそこのうえから餅をほうかるのかなん。漁師の倅のタケやんが、はねるみたいな声を出して言った。<わし>はタケやんの汚れたシャツからプンプンとただよう魚の腐ったにおいを嗅いだ。
 おんなたちおとこたちの平伏するような声がおこった。<あのひと>が、四角ばった黒服のおとこたちに付きそわれて、屋敷のほうから森の外へ出てきた。玉砂利をふむ<あのひと>があらわれたからには、<はん>はきっと来るんな。<わし>は切れかけた希望の糸がつながったように、期待に胸をおどらせた。
 <あのひと>がすこしよろけ、四角ばった黒服のおとこたちにささえられて壇上にのぼった。おんなたちおとこたちの平伏するような声が、歓声にかわってどよめいた。<あのひと>は壇上で、傾いた躰を立てなおしたが、演説をするでもなく、祝い餅を投げるでもなく、白い手袋をはめた右手を操り人形みたいにふるだけだった。それも右手を耳のあたりでとめて、動作を節約しているふうな振りかたをしている。それだけのことがながながとつづくあいだ、おんなたちおとこたちは一所懸命、拍手したり声援をおくったりした。
 来るぞ、来るぞ。子どもたちはおとなたちの騒ぎそこのけで、<はん>が来ることだけをねがった。はんはきっと来るんな。<わし>はその瞬間を全身で待った。
 風を切る鋭い音が走った。石がひとつ、どこからか飛んできて、<あのひと>の首すじをかすめた。かすめただけなのに<あのひと>の眼鏡が吹っとんだ。おんなたちおとこたちの騒ぎがピタリとやんだ。やっぱり来た!子どもたちは叫んだ。<わし>も胸のうちで叫んだ。
 尖(とが)った風の音が、午さがりの光を裂いて走り抜けた。空き缶の音がけたたましく鳴り、笹竹をふりかざした赤いぼろ衣が群衆のなかへおどりこんできた。どの方向から来たのか見当もつかなかったが、赤いぼろ衣は密林の四足獣のような敏捷さでおどりこんできて、壇上の<あのひと>に殴りかかった。<わし>は驚嘆し、目をむいて見た。笹竹が円弧状に空(くう)を走り、しなった状態のまま<あのひと>の頬を裂いた。透明な音は一回鳴ったきりだった。
 <わし>は、黒服の三人が<はん>を地面に組み伏せているところを見た。
 <あのひと>の躰はおもむろに伸びあがり、のろのろと前のめりに傾いた。緩慢な動作だったが、ふりおろされた笹竹はヒューッと鳴った。<はん>は地面に仰向けに倒れたまま<あのひと>のほうを睨みすえていたので、笹竹は彼女の顔面をまともに打った。笹竹の風を切る音がヒューッヒューッヒューッと鳴って、骨のきしむ音が三度した。<はん>のひたいのまんなかが十文字に裂けて、血が吹いた。敗れた皮膚のめくれ目からねずみの赤児みたいな桃色のやわらかいものがのぞき、血はそこから飛びちった。血は<あのひと>のズボンの裾にすこしと、<はん>のぼろ衣にたくさんふりかかった。それはぼろ衣と同じ色だったのでいっそう映(は)えて、<はん>をつつむ空気が赤い人型にそまった。子どもたちは、きょうの見物(みもの)はすごいなん、とおもった。きょうの見物は一番だなん。<わし>もそうおもった。
 おんなたちおとこたちは固唾をのんで<あのひと>のつぎの一撃を見まもった。<あのひと>が笹竹をふりあげようとしてすこしよろめいた刹那、<はん>は跳ねおき、脱兎のようにかけだした。ぼろ衣はひるがえり、空き缶を鳴らして<あのひと>の屋敷のほう、森のなかへ消えた。はんは逃げたのじゃないぞ、あのひとの森のなかへはいったのだから。<わし>は森の濃いにおいを嗅いで、そうおもった。
 風が光彩をつよめると、海面はきらめきはじめ、潮のにおいが分厚い層をなして沖合から立ちこめてくる。波頭をわたってくる風は輝きをはらんで、ふくらむ。海がうねりだす午後だ。すると、町は倦(あ)みつかれた姿態で眠りはじめる。
 それでも<はん>は、<あのひと>のむすこの婚礼がすんで五日たっても六日たっても、姿をあらわさなかった。<わし>は、どこか遠くで笹竹が風を切る音をきいたようにおもうことがあった。夜、納戸の部屋でふとんにくるまって眠っているとき、潮騒にまじって赤児の泣き声をきいたようにおもうこともある。笹竹の鳴る音も、赤児の泣き声も、海のほうからきこえてきた。<わし>は現実とも空耳ともつかぬそれを信じて、<はん>が来なくなって歯の抜けたあとのように空虚な日々をたえた。
 はんはあのひとにつかまって殺されてしまったかもしれんなん。<わし>はそんな不安を打ち消して、自分に言いきかせる。あの密林の生きもののように敏捷なはんがつかまるはずがない。はんはきっとあのひとの屋敷の森にひそんで、機会をうかがっているにちがいない。
 町のおとなたちのあいだに、まことしやかな風聞がながれていた。森のなかへはいった<はん>は、樹木の枝をつたいわたりながら、そこを寝城に二晩ほどかくれていた。三日目に、十人ほども動員されて捜索にあたった<あのひと>の屋敷の黒服たちが発見したとき、彼女は大きな欅の枝の高いところにひそんでいたという。
 半日ほども森のなかを逃げまわって、とらえられた<はん>は、番頭から百タタキの仕置きをうけ、屋敷の格子牢にいれられた。それから毎日、百タタキにあっている。牢の床や壁は血の色にそまってしまったが、<はん>はまだ死んではいないそうだ。
 噂の出どころは<あのひと>の酒蔵(さかぐら)で働く職人たちの口ということだったか、根拠はない。むしろ風聞は、町のおんなたちおとこたちの願望の色合が濃かった。海がうねり、町がまどろむ午さがり、漁港ではたらくおんなたちおとこたちは、<はん>が下半身のものを浄めるためにしゃがみこんでいた埠頭のさきを眺め、はんは来とらんなん、きょうも町は無事だがな、と胸をなでおろした。
 町のおんなたちおとこたちの噂ばなしには附録がついた。<はん>は十年ほど昔にも<あのひと>の屋敷の牢に閉じこめられていたことがある。ある日、忽然と鉄道線路のむこうから町にあらわれた日、あれは鎖を解かれて牢から放された日だったのだという。はんはなんであのひとの屋敷に飼われとったのかなん。あのひとの家の血すじの者(もん)かなん。
 町の者(もん)がそんな言葉をささやき交して、町の祭礼をあと数日にひかえたころだった。
 はんが来たぞー。<はん>は笹竹をふりかざし、踏切わきの地蔵堂からぬけだすように町へあらわれると、これまでどおりの仕種で四つ辻を曲がり、海のほうへ坂道を疾(はし)った。起きろ、起きろ、腐れるぞー、もっともっと起きてろ。おとこの声で怒鳴りながら漁港の埠頭へいくと、石垣のうえにしゃがみ、波しぶきで下半身のものを洗い浄め、坂道へもどってきた。
 子どもたちは<はん>の顔をしげしげと眺め、ふしぎにおもった。あのときの血がうそのようだった。<あのひと>の息子の婚礼の日、笹竹で打たれて十文字に裂けていたひたいの傷があとかたもなく消えている。子どもたちは<はん>のあとについて坂道をのぼっていく。みんなでいっせいにぼろ衣に鼻をくっつけ、犬のまねをしてクンクンとにおいを嗅いでみたが、血のにおいはしなかった。
 はんが百タタキに合ったというのはうそかもしれんなん。壁も床も血にそまったあのひとの屋敷牢にいれられとったという噂も、あやしいもんだなん。子どもたちは落胆と安らぎのまざりあった不思議な気持で<はん>のあとについていく。<はん>は笹竹で空中に光と風の輪をつくり、坂道をのぼっていく。道ばたでは、飴屋の職人がドラム缶をたわしで水洗いしながら、<はん>と子どもたちを眺めていた。
 <はん>は四つ辻に来るたびに占いでもするように躰をクルクルと三回まわして、通りすぎた。ぼろ着につりさげた数珠つなぎの空き缶が乾いた音を立て、笹竹と風のあらそう音が鳴った。子どもたちも<はん>をまねて、いっせいに躰を回転させた。材木置場で、マル通の作業帽をかむったおとこが、鳶口に躰をもたせかける姿勢でそれを見ていた。
 駅舎と墓地の方角へと分かれる四つ辻へ来たとき、<はん>は三回まわって東へ折れた。映画館のまえで、漁師あがりの用心棒の甲はんが映画の看板に背をもたせ、せったばきの足を交叉させる恰好でタバコをはすにくわえて立っている。両腕を手首のところでぶらぶらさせながら、うす笑いをうかべている。<はん>は甲はんに近づいて、笹竹をふりかざした。甲はんは<はん>の躰から発散される悪臭にたえ、うす笑いをつくっていたが、突然、顔じゅうを真っ赤にして笹竹をうばいとり、<はん>の躰をたてつづけに打った。<はん>がいつもぼろ衣にぶらさげているきせるを甲はんの鼻の穴につっこんだからだ。甲はんはひとしきり<はん>を打擲すると笹竹をかえした。
 <はん>はなにくわぬ顔で町はずれへむかう赫土道をのぼりはじめる。道路沿いの土手で、木の根につながれた二頭の山羊が、頭ですもうをとっていた。<はん>はときどき蛙が跳ぶまねをした。子どもたちも蛙跳びのまねをした。赤はだの崖が両側からせまっている切り通しを抜けると、レンガ工場の煙突のむこうに埋立地がひろがっている。右手の下のほうに、北浦湾に面した漁師家の集落がある。
 <はん>は、野草でいっぱいの細い道を歩きながら、ときどき野花のくびを笹竹でたたき落とした。神社の森のほうへ行くつもりだなん。子どもたちは予想を立てた。途中に避病院と呼ばれる伝染病施設の古い建物があった。傾きかけた木造建は壁も屋根も灰色がかって、ひっそりと陰気な空気をただよわせている。庭に黒々と枝葉をはりめぐらした巨木が一本立っていて、年老った管理人が曲った腰をさらに折りまげて、落葉を掃いている。
 <はん>は老人のほうへ走りよっていった。四つんばいになって老人の足もとを嗅いだ。鼻を鳴らして老人のまわりをうろついていたかとおもうと、交尾する犬の恰好をまねてみせた。老人は知らんふりをして落葉をかきあつめていたが、ふいにほうきを地面に投げすてた。<はん>の手から笹竹をもぎとった。<はん>がはだしの足で土人形をふんづけ、唾をペッペッと吐きかけはじめたときだ。老人はすさまじく歪めた表情とはうらはらに、弱々しげな動作で笹竹をふりおろし、よろけた。老人は一度だけ<はん>を打って、笹竹を返した。あのおじいさんはなぜ怒ったのかなん。はんが土人形をふみつけたのが気にいらんのかなん。子どもたちは納得できない気持だった。<わし>もけげんにおもった。
 <はん>と子どもたちが神社の森へ近づいたとき、太鼓の音がきこえてきた。太鼓の音は鬱蒼とした森のなかから吠え立ててくるようにひびいた。森がゆれているようだった。祭りの稽古をしとる。子どもたちは胸をときめかせた。<わし>も、さきほどの不可解な気持が晴れるのを感じた。
 <はん>は太鼓の音にさそわれるように森のなかへはいっていった。丈高い樹々の枝葉が生きものみたいにふるえ、木もれ陽に小さくきらめいている。あたりに立ちこめる濃いにおいを断(た)ちさくように、鳥が梢のうえで啼いた。薄暗くかげって静まりかえった樹々のあいだで、物音だけが透き通ったひびきを立てた。<はん>は落葉におおわれて消えてしまっている道をすばしっこく歩いた。子どもたちは一列になって<はん>のあとについていく。<はん>の足音が背後のほうできこえたようにおもえたとき、子ども達の足音もうしろのほうからきこえた。うしろのほうから、落葉をふむいくつもの足音が一列につらなってきこえてくる。<わし>もそんな感じがした。
 森のなかに祠があった。祠のまえの小道を抜けると、神社の境内に出た。拝殿わきの社務所の軒下に筵(むしろ)をしいて、はっぴを来たおとこたちが大太鼓、小太鼓を打ちならしている。<はん>と子どもたちは、かがり火を焚くために積まれた薪の山の近くに立って、おとこたちを眺めた。おとこたちも、太鼓を打つ手を休めず、<はん>と子どもたちを見た。
 太鼓の音に浮かれて<はん>が踊りだした。数珠つなぎの空き缶が太鼓の音に不協和音をはさんだ。<はん>は卑猥な所作で腰をふり、薪の山のまわりをめぐっている。<はん>につられて彼女のあとのぞろぞろついていた子どもたちが、驚きの声をあげた。わー、はんがねずみをくわえとる。腰ひもがわりの荒縄にぶらさがっていたねずみの屍骸が、いつのまにか<はん>の口にくわえられていた。
 薪の山を何回かまわったとき、子どもたちは薪に火がつけられたのかと錯覚した。<はん>の口から赤いものが吹きだし、顔一面に照り映えたからだ。赤いものは<はん>のがんじょうな歯で食いちぎられたねずみの血だった。<はん>は四肢を躍(おど)らせて、血まみれのねずみを空中高く投げた。ねずみは太鼓を打つおとこたちの鼻さきをかすめて、筵のうえに落ちた。太鼓の音がピタリとやんだ。
 おとこたちはバチを置いて<はん>のほうへ歩いてきた。屈強なおとこたちは、あっさりと彼女を地べたに踏んづけ、順ぐりに笹竹で殴った。<はん>の躰からはねかえってくる音は、太鼓のそれとはすこしも似ていなかった。おとこたちはひととおり<はん>を殴ると、笹竹を返した。<はん>はむっくりと起きあがり、血の色にそまった口から野太い声を吐きちらして走りだした。
 <はん>は神社の石段をかけおり、広場をかけぬけて海辺の道を漁港のほうへ疾った。子どもたちがあとを追う。<わし>も、風を切りさく笹竹の音と空き缶の音を追う。ふたたび鳴りだした太鼓の音がさらにあとから追ってくる。起きろ、起きろ、腐れるぞ、もっともっと起きてろ。<はん>はおとこの声でおらびながら海辺の道を疾る。道で出会いがしら、おんなたちおとこたちに笹竹をふりあげながら。足音がだんだんふえてきたなん。子どもたちは背後から追ってくる足音の変化に気づいた。
 <はん>が女陰の図形をした漁港の埠頭についたとき、海は夕昏れの気配だった。沖合から海面を這ってくる翳(かげ)りは、陸に近づくほど濃くなり、漁港を薄やみでつつむ。空の高みでだけ、夕陽の残照が雲をそめている。影をまとった鳥たちがそれをついばんでいた。
 <はん>は石垣のうえにしゃがむと、下半身のものを波しぶきで浄め、竹笛を吹いた。鳥たちの影が<はん>の空へ群がってきた。まがまがしい啼きごえが漁港に満ちた。
 おんなたちおとこたちが埠頭をふさぐかたちで横に並んで<はん>のほうへ近づいてきた。数十人にもふえたおんなたちおとこたちは、タバコをくわえたり、腕ぐみしたり、ズボンのポケットに両手をつっこんだりしているが、どの顔も仮面をかむったような表情をしている。いつもの様子と、ちょっとちがうなん。子どもたちは異様な雰囲気を感じとった。
 おとなたちは目くばせして、<はん>におそいかかった。節くれだった手が<はん>のぼろ衣をつかみ、はぎとった。<はん>は笛を吹くことをやめた。裸かにされた<はん>の上半身を、おとなたちが順ぐりに笹竹で打ちはじめた。笹竹が手から手へわたるうちに、<はん>の背にみみずが何匹も這いだした。おとなたちは黙々と笹竹をふりおろしつづける。何匹ものみみずが裂けて血が吹きだし、沈む瞬間の陽の光が血の色に溶けた。鳥たちが激しく羽ばたいて飛びかい、悲痛に騒ぎ立てている。きょうの見物(みもの)はあのひとの息子の婚礼のときと、ええ勝負だなん。子どもたちは胸のところで大きな音が鳴っているのをききながら、<はん>の背を見た。異様なほどに白い肌に描かれた血の紋様は、あざやかな入墨みたいだ、と<わし>はおもった。
 おとなたちは打ち疲れると、こんどはおまえたちの番だと、誰かが怒鳴った。子どもたちはおそるおそる<はん>の背に笹竹をふりおろした。<わし>も<はん>の背を一回打った。子どもたちが打ちおえると、おとなたちは、どッと笑った。これで、きょうも町は無事だなん。おんなたちの誰かが言った。あのひとも安泰だでなん。おとこたちの誰かが言った。<はん>の背からながれだした血が、石垣のうえをぬらし、波にさらわれて海へ溶けこんでいくのを<わし>は見た。

 あすが祭りの日というときになっても、<はん>は町に姿を見せなかった。<わし>はなんども同じ夢を見た。あのとき<はん>の血は波にさらわれて石垣のうえから海へながれこんでいたが、<わし>が夢に見たのは<はん>の血ではなく、ぼろ衣につつまれた彼女の躰だった。夜、激しくなった波にのまれて、<はん>の躰がぼろ衣のように石垣から海へさらわれていく。<わし>は夢の話を誰にもしなかったが、子どもたちは言いあった、はんはこんどこそ死んだかもしれんなん。
 子どもたちは、海が満ち潮になると、漁港の埠頭へ行った。ある日、<はん>の姿によく似た大きな白い雲が水平線から浮かんできたのを見たが、彼女の死体は流れつかなかった。<はん>が町へ来るときあらわれる鉄道線路のほうにも行ってみた。踏切わきの地蔵堂の手まえで、子どもたちの足はすくんだ。鉄道線路は、漁港のある町と異域との境界線だったので、子どもたちは隣り町へ行くことは禁忌にしていた。線路のむこうに、野良と森と茅ぶき小屋が見えた。黒々とした森の影におおわれて一軒だけ立っている小屋は、線路のむこうの陰鬱な風景と似合っていた。子どもたちの目に、ひとが住んでいるようには見えなかった。
 子どもたちは鉄道線路の手まえできびすをかえし、町へもどった。
 祭りの日、その季節にはめずらしく強い風が吹いた。夜明け頃から吹きはじめ、祭りの進行とともに激しくなった。まるで海の主(ぬし)が機嫌をそこねて腹立ちを町にぶっつけているような風だった。砂塵がつむじを巻いて町なかを走りぬけ、<あのひと>の屋敷の森も、神社の森も、怒ったようにゆれて獰猛に吠えた。
 神社へのぼる高い石段まえの広場に、五台の山車(だし)が勢揃いし、あやつり人形の踊りを披露している。あやつりが早よ終らんかなん。子どもたちは興奮の予兆に胸をおどらせていた。五台の山車のあやつりがひととおりすむと、山車は潮のひいた浜辺へつぎつぎと引きおろされる。祭りが最高潮に燃えるときだ。<わし>もそのときを胸おどらせて待った。
 石段は観衆で埋まり、そのうえの境内からは太鼓のひびきがひっきりなくきこえてくる。それは高くなったり低くなったり、風にあおられて、ときどきよじれたりしてひびいてくる。石段と広場で幟旗がひきちぎれそうにはためき、大きな音を立てている。境内に張られた天幕も、風をはらんでふくらんでいる。天幕のなかには、赤や紫地の派手な刺しゅう飾りの祭りかんばんを着たおとこたちが陣取り、そのまんなかに<あのひと>がいた。
 おんなたちおとこたちの歓声がどよめいた。最後の山車があやつりを終えたのだ。子どもたちは、祭り酒に酔ったおとなたちの声に負けじと、声をはりあげた。山車のまわりに群がっていた子どもたちは、おとなよりさきに浜辺へ走った。山車がギシギシと軋む音を立てて、ゆっくりと動きだす。梶棒に肩をいれたおとこたちが野卑な声をはりあげ、夜の秘めごとをうたいこんだ音頭を歌う。綱引きの連中が、あれはええな、よーいな、よーいと合の手をいれる。歌と囃子は、強い風に巻かれ、いっそう野卑にひびく。
 子どもたちは、広場から浜へおりる泥道の側壁によじのぼって、まず東の山車が凄まじい勢いで浜へ引きおろされるのを見た。山車は横倒しにならんばかりに傾き、前のめりになり、悲鳴をあげて浜辺へ突進した。山車が引きおろされるたびに、おんなたちおとこたちは歓声をあげ、子どもたちはヤンヤとはやしたてた。<わし>も喉が痛くなるほど声をはりあげた。半裸のおとこたちは顔を泥まみれにし、これでもかこれでもかと、浜辺で五台の山車を引きまわした。
 祭りは終った。終ってみると子どもたちは、ふと忘れ物でもした気持になった。酔っぱらったおとこたちが道ばたにころがって寝息をたてているのは、祭りのあとのいつもの情景だったが、なにか変だなん、と<わし>もおもった。ことしの祭りは歯が抜けたみたいだったなん。<はん>のいない祭りだった。毎年、<はん>はまるで祭礼をとりしきるふうにふるまって、手品みたいにつぎからつぎへと見物(みもの)をくりだした。祭りがはねるときなど、とっておきの見物(みもの)を披露して、子どもたちを楽しませてくれたものだ。その<はん>があらわれなかったからには、やっぱり死んだのだ。<わし>は悄然とその日の夕昏れをむかえた。風は夜になっても吹きやまず、海のほうから吠えつづけた。
 夜更けたころ、<わし>は夢のなかでひとの声をきて目をさました。雨戸が風に鳴っていた。さめた耳に、誰かが怒鳴りながら外の道を走っていく声がきこえた。<わし>はそれが自分を呼ぶ声のようにおもい、納戸の部屋をそっと抜けだし、家の外へ飛びだした。真っ暗な道に人影はなく、道ばたの木々が大きな人間の姿みたいに黒くゆれていた。丈高い樹影のむこうに薄明かりがただよっている。夜空に星がいっぱいまたたいていたが、かすかな明るみはずっと下のほうからひろがってきている。<わし>は驚いて、目を見はった。海辺のほうが赤くそまって闇の色を溶かしている。
 火事だんなー、海のほうが燃えとるがん。<わし>は家のなかにむかって叫ぶと、暗い路地を走りだした。路地の家は暗く、寝しずまっている。おんなたちは祭りに浮かれて疲れ、おとこたちは酒に酔いつぶれて、丸太ん棒みたいになっているらしかった。海が燃えとるがん、海が火事だんなー。<わし>は路地を走りぬけながら、なんども叫んだ。路地を出た。角の天理教の家で雨戸のすきまから明かりがもれていたが、ひとの起きだしてくる気配はなかった。
 材木置場のある四つ辻まできたとき、火の手は意外に近く見えた。火柱は高くのぼり、風に巻かれて分厚くなびいている。火事は海じゃないなん。<わし>は坂道を走った。海辺へ下る坂道は闇のなかに白っぽくぼやけた輪郭でつづいているばかりで、人影がない。
 火の音が、風にはこばれてきこえてきた。飴(あめ)工場(こうば)の四つ辻へきたとき、<わし>の足がすくんだ。<あのひと>の屋敷の森から火柱が立ちのぼり、森じゅうが風の音を吐きだしながら赤くゆれている。火の音が栓でも抜くようにはじけるたび、火柱は別の方向から立ちのぼり、巨大な刷毛で撫でるように空にひろがる。<わし>は立ちすくんだまま、躰をふるわせ、焔の乱舞に目をうばわれていた。あのひとの屋敷が火に巻かれてしまうがん。星の光が消されてしまうほど、空は赤かった。森のなかで<あのひと>の屋敷の番頭たちが騒いでいる様子は感じられなかった。
 町のおんなたちおとこたちが集まってきたときには、消防団も手がつけられない火の勢いだった。火の声は風のうなりと競い合って吠え立てた。焔が思う存分に四肢を伸ばしたり振りまわしたりするのを、おんなたちおとこたちは驚嘆の表情で眺めていた。そのとき、警防団のかんばんを着たおとこたちが、海辺のほうから息を切らせて駆けつけてきた。神社の森も燃えとるんな。かんばんを着たおとこは興奮して告げた。火をつけたのは、はんのやつだ。はんは生きとった。別のおとこが行った。はんが火の棒をふりまわして町のとおりを走っているのを、この目でちゃんと見た。他のおとこが手柄話でも報告するふうに言った。はんは風みたいに走っていて、あッと叫ぶまもなく闇のなかへ消えてしまったので、手も足も出なかった、と警防のおとこたちは言いあった。
 この森に火をつけたのも、はんかなん。<わし>がそうおもったときだった。火の見櫓の半鐘が鳴りだした。その音をきいて、おんなたちおとこたちははじめて、いままで半鐘を鳴らす者がいなかったのをいぶかしがった。半鐘の音は風にあおられて、けたたましく鳴ったり、遠のいたり、乱調な鳴りかたをしている。森の火は、半鐘の音に元気づいて、さらにはげしく燃えさかった。火柱が夜空に高く舞いあがり、花火のようにひろがるとき、どこかで見たようなかたちをしとるなん、と子どもたちはおもった。<わし>も、夜空に浮かぶ焔のかたちに目をうばわれた。あれははんの死んだ赤んぼにそっくりだなん。別の方向からひときわ高く立ちのぼった火柱が、風にあおられて伸びたり縮んだりし、夜空でかたちをむすんだ。埠頭の石垣にしゃがんで竹笛を吹く<はん>の姿を<わし>は連想した。その姿の足もとのほうから崩れてひろがってゆく火の屑が、<はん>の下半身を浄める波しぶきのようだった。
 火勢にあおられて風がいっそう元気を出しているふうだった。焔たちは風に舞って踊りだした。跳ねあがった。走った。回転する。はんが踊っとるみたいだなん。<わし>は度肝を抜かれて、夜空に舞う焔に見惚れた。はんの火はすごいなん。
 半鐘の音が、せわしなく高くなった。誰かを呼んでいる音だった。おんなたちおとこたちが、啓示でもうけたふうに駆けだした。子どもたちもあとを追って走りだした。飴工場のまえを駆けぬけ、材木置場の四つ辻を東に曲がった。道は暗かったが、空のほうは森の火に照りはえて明るみがさし、火の見櫓のうえで半鐘をうつ白い姿がはっきりと見えた。火の見櫓が近づくと、おんなたちおとこたちは走るのをやめて、歩きだした。子どもたちと<わし>もそのあとを歩いた。おんなたちおとこたちは、棒を手にした警防の者(もん)のあとについてゆっくりとした足どりで、火の見櫓の下へ群がってきた。何人かのおとこが道の小石を拾って、にぎりしめた。
 <はん>は白い襦袢を着ていたので、火の見櫓のうえで白い姿をしていた。白い襦袢は風に吹かれて、夜闇になびいた。おんなたちおとこたちは押し黙ったまま、黒い人だかりになって火の見櫓の下に群がった。
 <はん>は町じゅうに急を知らせるように、半鐘を打ちつづけている。白い姿が夜空にいっそうくっきりと浮びあがった。はんはやっぱり、祭礼の日にとっておきの見物(みもの)を披露したなん。<わし>は心のうちで呟いて、火の見櫓を見上げた。警防の者(もん)が二人、その火の見櫓の梯子をのぼっていくのが見えた。

「架橋」第7号 思い出の朝鮮人たち

思い出の朝鮮人たち (二)

      渡(わた) 部(なべ) 一(かず) 男(お)

   「マリ子」という女
 戦地での思い出である。
 それは、朝鮮人女性との擦れ違い、のような淡い恋の追憶である。一九四三年(昭和十八年)、日米決戦の戦局は、アッツ島の日本軍守備隊玉砕から約半年になる頃、ここ中国の華北戦線は、まだ平穏であった。処は歴史で有名な「邯鄲(かんたん)の夢枕(ゆめまくら)」の古蹟がある河北省は邯鄲の街での出来事である。
 ここには兵団司令部の外に、各部隊の本部があった。私の所属する部隊本部も街中(まちなか)にあり、無線通信手として勤務していた。
 前線と違い後方なので治安状態も良い。可也(かなり)の日本人と朝鮮人も居住していた。日本の国策会社や商社の社員、飲食店関係の人、軍関係に従事する人等々、また日本人及び朝鮮人の経営する食堂や料理店が数軒あった。
 大陸特有の暑い夏も終り、厳しい勤務から解放される楽しみに日曜外出があった。交代で外出するのである。
 本部より左程、遠くない処に朝鮮人経営の食堂があった。屋号を「日の出食堂」と言う。その食堂には若い女性の従業員が四、五人いた。その中に丸顔で年頃、十七、八歳ぐらいか「マリ子」という女がいた。
 純情で可憐な乙女であった。呑み助グループの気の合う戦友と外出のたびに、日の出食堂へ繰り込むのである。今日も例のメンバーで、その食堂へいく。皆、ほどよく、ほろ酔い気分になると、嫌(いや)な上官の悪口やら色気話から唄となる。当時、戦地で流行(はや)っていた小畑実の「勘太郎月夜唄」である。
 私がいつも、その唄を歌うので勘太郎という綽名(あだな)を付けられてしまった。その名付親は「マリ」ちゃん、である。そこで本日より○○上等兵は、マリ子部隊長より勘太郎上等兵と命名されました。謹んで申告致します、てな事になり、いくらか嬉しくもあり、気を良くした訳である。
 それからというものは、病み付きとなり、外出が待遠しく、その日が来れば脇目もふらず「日の出食堂」へ一直線。戦友も気を利かせて必ず私の隣に「マリ」ちゃんを座らせるのである。
 戦友の盃が「マリ」ちゃんを通じて廻ってくる。彼女が勘太郎サアーン、十八番の唄をと指名である。いい気分で又、歌うのであった。帰営、門限ぎりぎりまで飲み、千鳥足で帰隊したものであった。
 それから半年位過ぎた或る日の事だった。その日は勤務であり、無線室にて電鍵のキーを叩いていた時である。日曜外出から帰隊した戦友が顔中、血だらけで無線室へ入ってきた。アッ、どうしたんだ。彼が言うには、ある飲屋で他部隊の兵隊三、四人のグループに袋叩きにされたと言う。酒の上の喧嘩である。
 いづれにしても、数人で一人を痛めつけるという事は以(も)ての外(ほか)である。相手の兵隊は自動車隊の連中との事。戦友が殴られッ放しでは腹の虫がおさまらない。熱血漢である勘太郎上等兵の血は逆流するのである。ヨシ、来週の日曜外出には敵(かたき)を討ってやろう。幸いに通信班長は同年兵である。無理に頼んで外出許可を取り、その日を待った。相手の自動車隊は胸に黄色の識別マークを付けているので見分けはつく。
 待った外出日が来た。例の呑み助グループは揃って営門を出る。馴染みの「日の出食堂」へ繰り込むのである。
 相棒の戦友が、今日は別に酒一升、奢(おご)れと言う。それは「マリ」ちゃんとの事をもてはやすのである。「マリ子」が恥じらい乍ら調理場の方へ隠れると戦友が引っぱり連れてくる、という事で、酒盛は続くのである。惚れた弱み、とはこの事か。兵隊の俸給は知れたものだ。無けなしの金、痛いが気前を張る。
 頃合いをみて戦友の敵討、決行を打ち明けると、戦友も「マリ子」も「止めとけ」と制止するのである。何しろ気の荒い自動車隊の連中である。返り討ちに合うぞと脅(おど)すのであるが、彼女の手前もあり、引き下る訳にはいかない。勘太郎の名がすたる、匹夫(ひっぷ)の勇かもしれないが一矢(いっし)でも報(むく)いれば、それでよい訳だ。
 日の出食堂より少し離れた処にも別の食堂があり、自動車隊の連中が馴染みにしている店のようである。一寸様子を見てくると言って外へ出、その食堂をのぞき見ると、いた、いた。黄色のマークを付けた下士官が、ちびりちびりと一杯やっている。相手に不足はないぞ。中に入り、話があるので外にきて貰いたい、と言う。彼は胡散(うさん)くさい顔で出てきた。飲食中、誠に申訳ないが、実は俺の相棒の戦友が貴隊の兵隊に袋叩きにあった。その為の挨拶をさせてもらう訳であると身構えた。彼は、何処の部隊の兵隊か知らぬが、朕(ちん)の上官に対し刃向い、侮辱する気か、と突っかかってきた。
 そりゃそうだろう。いい気分で一杯やっているのに兵隊風情(ふぜい)に水を差されたのだ。こちらも一杯入っている、何を小癪(こしゃく)な、底辺の兵隊は明日知れぬ命、何が朕(ちん)だと、持ち前の叛骨精神に火がついたのである。兵を見下げた、その態度が許せない。身体は小さいが相撲で鍛えた根性があり、自信はあった。暫く揉み合っていたが、取っ組み合うと同時に投げ飛ばし、意気揚々と帰隊したのであった。相棒達は一足先に帰隊していた。
 それから二日位の後に、自動車隊から抗議の申し入れがあり、その兵隊を出せと言ってきた。部隊と部隊の人事問題に発展したようだ。歩兵部隊の符号は胸に白糸で縫い付けてあり、その下部(かぶ)の白布に氏名が明示してある。それを揉み合っている時に見て取ったようだ。困った事になったな、と思っていると、わが部隊の准尉さんが、その件は俺が話を付けてやる。任せとけ。文句があるなら電話では話にならん。直接部隊本部まで出向いて来いと取り合わなかった。
 相手の人事係は、上官侮辱で憲兵隊へ訴えると言っていたようであるが、何しろ酒の上の喧嘩である。憲兵隊としても一々取り合っていられない訳である。結局、自動車隊の面子(めんつ)もあり、その兵隊を中隊復帰させるという事で一件落着したようだ。やれやれ、助かった訳である。それから暫くして、中隊に復帰させられた。
 又、敵情の最も悪い前線の山頂にある「トーチカ」守備に飛ばされ、悶々(もんもん)の日を送っていた。要するに隊内罰をくった訳である。これで「マリ」ちゃんと会う事も出来なくなった。私の一件が、その後も「日の出食堂」や部隊本部でも話題となっていると、戦友から便りがあり「マリ」ちゃんも淋しがっている、と書いてあった。
 その間、敵襲も何回かあった。
 ある日の夜、敵襲があった時の事である。隊長が「トーチカ」から出るな、と言われていたが、切ない思いもあり、敵弾に当ってもよい、と討(う)って出た事もあった。言ってみれば、やけくそ、である。
《敗戦後、戦地から六年振りで日本に帰って来て知ったのであるが、「マリ」ちゃんとの間を取り持ってくれた戦友は、昭和二十年六月、戦死したとの事。彼とは特に気が合い、同じ通信班の軍鳩(ぐんきゅう)通信手であった。心から冥福を祈る》
 やけくその勤務から五ケ月程経った頃、私に南方方面に転属の命令が来たのである。一九四四年(昭和十九年)の七月頃であった。大陸戦線の戦局は、ビルマ方面の敵の重要拠点である「インパール」攻略寸前のニュースあり、又、在中国のアメリカ空軍基地覆滅(ふくめつ)と、中国とベトナムを結ぶ大陸打通作戦、いわゆる一号作戦が開始された。その作戦要因としての転属、つまり消耗品という兵隊の運命である。ささやかな送別会もそこそこに、山頂のトーチカを出発したのであった。母隊を離れ、道の部隊へ行くのは、不安で誠に残念であるが、ひょっとすると、「マリ」ちゃんに会えるかもしれないぞ。集合場所が邯鄲の部隊本部である。思慕の情、一縷(いちる)の望みで、本部に向った。
 久し振りでの戦友に別れをつげ、部隊副官に申告して懐かしの衛門を出る。衛門脇の楊柳(ようりゅう)も送ってくれる如く、夏風に吹かれ揺れている。早く会いに行けと言っている様だ。
「マリ」ちゃんの面影が浮んでは消えていく。邯鄲発の指定列車には少し時間があった。一目でもよい。彼女に会って出発したい。時計を見ながら「日の出食堂」へと足は急ぐ。
 午後三時頃であった。店には顔馴染の女は居たが、彼女は今いないよと、留守である。では彼女に宜敷く伝えてくれと頼んで、駅に戻った。駅舎も、プラットホームも、強い日差に耐えている。熱い鉄路は力強くそれを支えるように、彼方に走っている。
 発車時刻は迫ってくる。邯鄲の街ともこれでお別れだ。再び来ることはないだろう。ぼんやりと車窓より外を見る。発車五分前である。兵隊達がプラットホームで誰かを見送っている。その時である。窓外に頼んだ女と、「マリ」ちゃんが居るではないか。
 誰を送りに来たのか、と問えば俺を送りに来たと言う。感激の余り目頭(めがしら)がうるむ。まさか会えるとは夢想だにしなかったのに、頼んだ彼女の義理堅い好意、水商売の日本の女なら、果して来てくれるかな。大陸に来ている日本人の女は、兵隊を見下げ、馬鹿にしていた。それに比べると、朝鮮人の女性は親切で、情が深い。儒教で培われた民族的土壌から生れた美徳であろう。
 ガラン、ガラン。発車の鐘が鳴っている。哀調の音(ね)は、引き裂かれ、哀愁を掻きたてる鐘の音(ね)であった。ガタン、と列車は動き出した。速度を早め、吐く黒い煙は後方へ逆流してゆく。熱い胸は、切なく震えている。手を振っている彼女達の姿も、速度と共に、小さく消えていく。車窓から身を乗り出し、手を振りながら別れたのである。
 よくぞ送ってくれた。ありがとう。心置きなく出発したのであった。
 あれから四十余年になる。その後、彼女は、どうして居るのか。心やさしい彼女の幸福を神は守ってくれるであろう。年齢も六十歳に近いと思う。良き主婦、よきオモニ(母)になっている事であろう。行き摺りの人か、擦れ違いの儚(はかな)い恋か。
 もしかして、片思いだったかもしれないが、生あらば幸多かれと祈る。
 四十余年前の忘れ得ぬ、思い出の人であった。

「架橋」第7号 丸山静氏への手紙

   丸山静氏への手紙
 たいへん無沙汰をいたしております。先々月でしたか、病気の報に接し、心配していましたが、回復の様子なので安堵いたしております。
「イルボネ チャンビョク」についての批評、拝読しました。懇切な紹介もさることながら、容赦ない批判には、どういうわけか、言葉のきびしさ以上に、何か暖かいものを感じてしまい、胸に響きました。ずいぶんと丸山先生の肉声に接していなかったという思いと、おそらく私の文学的停滞にたいする苛立ち、なにをモタモタしているのかという叱咤の声とが、甦ってきたからでしょうか。かつていろいろと示唆を受けたことの一つ一つ、先生の文学にたいする言及の一行一行が、この小さな批評文の背後にふくらんで聞こえた、と感じました。〈文学の再生〉という普遍的かつ現代的な要請にもとずいた批判として、痛くこたえました。
 にもかかわらず、書き手として、それをそのまま飲むことはできないという、衝迫めいたものが、私のなかにあります。たぶんそれは、普遍的な作品評にたいして、一箇の作品の特殊・固有な〈顔〉ないし〈事情〉を守らなくてはならないといった気持のようです。この特殊・固有な〈顔〉ないし〈事情〉から発しなくては、「イルボネ チャンビョク」は普遍的な領域に包まれることはないだろうという予感があるからです。
 丸山先生は、「政治的に困難な問題をそのまま文学に持ち込み・・・・・・」と批判しています。私にはこの作品がそのようなものには、どうしても思えません。たしかに、在日朝鮮人は存在そのものが政治的にならざるをえない――という意味では、作中崔星子が遭遇する困難は〈政治的〉でしょうが、作中彼女が出会った出来事、彼女が強いられた人生、そしてそこで経験する内面生活(葛藤と意思と選択)は、要約した言い方をすれば、在日朝鮮人二世三世が置かれた、あるいは彼女・彼らを取り巻く境遇と経験の典型だろうと思います。
 もちろん在日二、三世世代の彼女・彼らのすべてがあのような苛酷な出来事に遭遇し、あのような内面生活をいま実際に経験しているというわけではありませんが、日常の表相をめくれば、あのような境遇は、彼女・彼らの現実の、人生の、生存状態の真相であり、あのような内面生活もまた真相であると思います。そのよってきたるもとが、くにから切断されて日本で生きざるをえないこと、民族がふたつに断ち裂かれていることなど、個人の心次第ではどうにもならないさまざまな条件によるのでしょうが・・・・・・
 したがって、私がこの小説でそのまま持ち込んだものがあるとしたら、「政治的に解決困難な問題」ではなく、在日朝鮮人二、三世世代の人間的実存にかかわる問題だと思っています。ましてや「政治的な運動」の領分ではありません。そもそもこの小説の〈文体〉のどこが政治的でしょうか。にもかかわらず先生の目にそのように映ったとしたら、小説の特殊・固有の〈顔〉ないし〈事情〉を捨象して、〈政治〉と〈文学〉を一般論で二元対立させ、〈文学〉をいつくしむ思いが強いからでしょうか。
 丸山先生は、星子と北山の作中関係を「二律背反的哲学、『民族』とか『祖国』という観念に金縛りされて・・・・・・」と批判しています。そして「カラスになったぼく」(東海文芸展望において「イルボネ チャンビョク」とともに紹介されている作品)の父さんの「からすは、りっぱなとり族だ」という考えにいたく感興を覚えています。そこに「本当の『ヒューマニズム』」を見ています。
 そのことをふえんして星子と北山の関係に置き代えると、朝鮮人(星子)も、日本人(北山)も、りっぱなにんげん族だ――ということになり、それが「本当の『ヒューマニズム』」ということなのでしょうか。
 日本人とか朝鮮人とか、国境とか民族とか、そんなことにこだわるのはおかしい。同じ人間なのだから――民族差別が言挙げされるとき、よく言われる俗論です。一見、正論のようにも聞こえます。しかし、星子が置かれた、在日朝鮮人であることによる決定的に困難な状態と、日本人北山の関係をそのような〈ヒューマニズム〉に解消しきれないところに、朝鮮人と日本人の特殊・固有な間柄があるのではないでしょうか。日本人作者・私が、その特殊・固有の間柄をあっさりと飛びこえて、朝鮮人も同じりっぱなにんげん族だと言ってすますなら、たちどころに星子の境遇・内的経験を文学的にも現実的にも葬り去ってしまうことになり、いわゆる同化を飲むことにもなるのではありませんか。〈ヒューマニズム〉が陥穽〈おとしあな〉になりかねません。
 星子=朝鮮人と北山=日本人の関係性は、「本当の『ヒューマニズム』」からさえ隔てられたところで、回復されなくてはならない。丸山先生のいう「終末論的なペシミズム」のどん底で対峙し合い、そこから突き抜けて差し込んでくる光を見出すほかにない、そう思います。
 しかし、突き抜けた明るさが、「本当の『ヒューマニズム』」といったモラルの範形では手に入らないとしたら、出口のない関係性そのものの追求が、文学のパン=場になるのではないでしょうか。政治的な解決とか「運動」としての解決とかに還元されるものでなく、文学のパン=場である以上、人間と人間の関係性そのものの回復が問われていると思います。作者にとって「憂さ晴らし」をする必要など毛頭ありません。「本当の『ヒューマニズム』」ではなく、〈本当の関係性〉の発見、回復が、ひとまずいま、文学の次元として私をとらえているものです。丸山先生の言う「主題の積極性」とか「日本の障壁」とかは、そのために避けて通ることができずに描かれるべくして描かれたものであって、それを認めよとか、直視せよとか、作者が錦の御旗あるいは有無を言わせぬ大義のごとくふりかざしているように受けとめられたとしたら、心外というほかありません。
〈民族〉とか〈祖国〉とかの゛観念”についていえば、それらは文学のパン=場において関係性を回復するための仕掛けではないでしょうか。現実には〈民族〉とか〈祖国〉とかは、在日朝鮮人にとって゛観念”ないし゛理念”であると同時に、それとのかかわり方が彼女・彼らの在日の生き方をきびしく左右している以上、それはめしのように暮し向きの問題であり、゛観念”にあらざるものです。そのような朝鮮人にとっての〈民族〉とか〈祖国〉とかが照らしだしたのが、北山の口にする「日本(社会)」とか「日本人」です。
 丸山先生は「二十年の歳月が経過しているのに、すこしも人間として成熟してゆかない」と批判しています。しかし、星子の環境と人生は、さまざまな出来事に遭遇しつつ、十歳のときには考えられもしなかった、在日朝鮮人のそれに変化していくし、それに促されて彼女の内面生活と意思も進展していきます。北山のほうも、星子=朝鮮人との関係をいくらかはせっぱつまったものにしていきます。
「成熟」ということが、私のなかでいまひとつ明確な像をむすびませんが、たぶんそれは、作者私の文学的深化、発展の不足と重ね合わせての評言であろうと、勝手な判断で噛みしめ、反芻しています。
「ソホクレスでもシェークスピアでもよい、スタンダールでもドストエフスキーでもよい・・・・・・」以下の結語の叱咤は、ほとんど丸山先生の肉声を聞く思いで読みました。おおやけの批評文のなかでのこのような言い廻しは、ちょっと乱暴にすぎて気にかかりますが、たしかに私自身が自戒とするところでもあります。
 最後に、丸山先生は提言の対象を「磯貝たちは・・・・・・」という言い方で示していますが、「イルボネ チャンビョク」という作品は、なにかの文学エコールとか政治エコールとかとは関係のない作品であることを、断っておきます。
 以上、勝手な書き手の言い分を(非常に狭い視野から)ながながと書きつらねました。いま、私の全身を丸山先生の批評の全体がおおうようにしてつつみ、ちぢこまった手足をひらかせようとしているのを感じます。そんな実感に励まされて、ひとまずペンを置きます。
 暮々もお体をご自愛なされるよう、祈っております。
  一九八五年七月二十日
 丸山静様                               磯貝治良

「架橋」第7号 批評と手紙

批評と手紙
  ――「イルボネ チャンビョク」をめぐって――


『架橋』6に掲載された磯貝治良「イルボネ チャンビョク」について、朝日新聞文化欄の東海文芸展望に丸山静氏の懇切な批評がありました。それにたいし作者から丸山氏宛てに゛返信”のかたちで手紙が送られました。批評と手紙を併せて以下に掲載します。
 このような扱いにはまったく他意はなく、評者にとって作者からの反応が得られないのは一つの不幸であろうし、作者にとってもそれに応えるのが゛礼儀”である。その二つの理由によるものです。さらに、二つの文章をネタにして小説をめぐる論議に読者のどなたかが参加してくれるということにでもなれば、それは楽しく意味あることに思えます(編集者から)

   丸山静氏の批評
 まず、磯貝治良の「イルボネ チャンビョク(日本の壁)」(「架橋」六号)。題名の示す通り、これは、「在日朝鮮人」問題と真正面から取り組んだ力作である。
 主人公崔星子(チオエ・ソンジャ)は、日本海岸のある村で、日本人夫婦の養女、花村星子として育ってきた。しかし、一九六〇年、彼女が十歳のとき、二十歳の兄は、祖国統一学生戦線に参加するため、ひそかにこの国を脱出して韓国へ渡った。別れに臨んで、兄は妹に、お前が「二十歳になったとき、ソンジャは兄さんのいるおまえのくにに来るんだよ、そのとき、ぼくたちのくには、世界で一番よいくにになっているさ」と言い残し、岸壁にハングル文字で、「四・十九万歳、祖国統一」と刻み込んでいった。
 以来、彼女のうちには、祖国=「おまえのくに」という意識、自分はパンチョッパリ(半日本人)であってはならず、どこまでもチョソンサラム(朝鮮人)だ、という意識が強く成長していった。そして二十歳になるのを待ちかねるように、単身、兄のいるはずのその「くに」に渡っていった。けれども、そこに待ち伏せていたのは、予想だに出来なかったことである、彼女は女性として言うに言えない屈辱を受けて、ポンと日本へ投げ帰された。
 しかし、この体験は、それ以上に、いままで自分がどんなに自分の「くに」を知らずにいたかという、痛烈な自己批判を呼び起こし、そんな自分の無知を断罪するかのように、ある集会でその体験をみんなの前で告白した。そして、それがきっかけで在日朝鮮人の運動にも加わり、北山という日本人の運動家とも知り合うようになった。
 しかし、やがてあの光州事変が勃発(ぼっぱつ)するというように、「くに」の情勢がいよいよ緊迫してゆくにつれて、彼女は、パンチョッパリ、日本国籍のままでいることが、事実上、いかに祖国=「くに」の親たち、同胞たちを裏切っていることになるかという、自責の念に耐えられなくなり、「無籍者」になるという恐るべき危険を冒しても、花村の籍を抜き、一切を「祖国に賭(か)け」ようとする。そしてそれを決行し、その興奮と動揺のうちに、北山と肉体的に結ばれるが、やがて大村収容所に収監されることになる。
 私たちは、この作品をどう評価すべきであろうか。作者はおそらく、この「主題の積極性」を認めよ、崔星子たちを取り囲んでいる「日本の障壁」を直視せよ、と言うだろう。よろしい、私はそれを百パーセント認めよう。しかし、この作品の暗いペシミズムはどこから生じてくるのだろうか。
「在日朝鮮人の問題」は、多分、今日わが国の最も重要にして困難な政治問題の一つであろう。しかし、それを政治的な「運動」として解決してゆくことと、文学的にそれを取り扱うことの間には、おのずから次元の相違がある。作者磯貝はこの点についての自覚が依然として不徹底であり、政治的に解決困難な問題をそのまま文学に持ち込み、そこで憂さ晴らしをしているようなところがあり、終末論的なペシムズムはそこから流れ出してくるのだろう。
 けれども、現在の私たちにとって、なおも「文学」というものが存在し得るとすれば、さしあたってどうにもならぬ現実をなんとかして変えてゆくための、さまざまな方向や手段の模索、試行錯誤的な実験の場、そしてあり得る解決の《モデル》を作り出してゆく場として意外には存在し得ないであろう。
 たとえば、磯貝の作品のなかでは、ソンジャも北山も、日本人対朝鮮人といった二律背反的な哲学、「民族」とか「祖国」という観念に金縛りにされて、彼らの言動は、つねに衝動的、突発的であり、直線的、単線的であって、二十年の歳月が経過しているのに、すこしも人間として成熟してゆかない。ソホクレスでもシェークスピアでもよい、スタンダールでもドストエフスキーでもよい。磯貝たちはもう一度初心にたちかえって、文学作品というものを読み直してみるとよい。
(「朝日新聞」名古屋本社版一九八五年七月十日付夕刊)

「架橋」第7号 岬をめぐる旅

岬をめぐる旅

       松(まつ) 本(もと) 昭(あき) 子(こ)

       1
 佐和子は改札口を出てから数歩も行かないうちに、じゃあね、とだけ言い残して妹の麻衣子と別れた。タクシーに乗ろうと駅舎の外へ出る。引きも切らず来てはそそくさと走り去るタクシーの流れを前にして、流れがこれでいったん滞りそうだなと思いながら、担いできたスキー板を手に持ちかえ、ほどなく開いたドアの奥へ身を屈めた。板の尖端を計器盤まぢかまで押しやり、自身の体はルックザックもろともどさりと客席へ投げこんだ。
 雪山でスキーに明け暮れたあとの呆けた状態のままもう一晩だけぐっすり眠りたい。明日は明日にまかせて・・・・・・。もう着いた? まだ着かない? 着かないとしたら、遅すぎる。着いたとしたら、速すぎる。
 走行距離と時間。時間と速度。佐和子の計器類はどこか弛んでいる。乗物の進行に身を任せてきた長い午後のせいなのか、静止したままさらに遠くへ運ばれていこうとする惰性がはびこって佐和子を受身にしている。
 着いたとしたら・・・・・・降りなくては。
 佐和子は惰性をふっきろうと努めながら料金を払い、礼をのべ、荷物を降ろした。
 もう十一時すぎかしら。すぐお風呂へ行かなくては。そのようにして一週間の休暇を終えるとしよう。
 佐和子はようやく時間の方へもどってゆく。アパートの階上にある部屋の戸口へと荷物を運びあげる。化粧袋のなかで紅筆やヘアピンとごちゃまぜになっている小さな鍵をとり出し、薄いベニヤ板のドアを開ける。
 ふいに、暗がりに潜んでいた小動物が寒天状の空気をぶるっとふるわせた。
 手さぐりで蛍光灯の紐を引き、室内を照らす。一週間の不在を託つそらぞらしい空間の浮上と無機質なベルの残響。
 荷物を運び入れるまで待ってほしいというものだわ。
 佐和子がそうしているあいだも、それは等しい間隔をおいて二度三度と催促する。さらに度重なるにつれ響きは督促の趣きを呈し、非難がましい主調を帯びてくる。
 問題は、いまだ放棄するつもりのないものを放棄させられることだ。
 いましばらくは面と向きあうのを避けていたかったところの現実の方へ押しもどされてゆく。佐和子は机上の砂時計をひょいとひっくりかえした。
 このようにして休暇は終れりか。
 逃げるわけじゃない。逃げられるわけがないじゃないか。ただいま帰りましたとだけ言おう。それからこうだ。
 麻衣子ならもうすぐそちらに着きますから安心なさって下さい。あぁそれから明日が土曜日だってこと忘れていませんからどうかご心配なく。ではおやすみなさい。
 しかし今夜、相手は容易に引き退ろうとしない。
「そうなん。それはよかったこと。母さん夜も眠れんくらい心配しとったんやわ。吹雪も雪崩ものうてほんとによかったこと。そうなん、よかった、よかった。それでね。ところでね。ちょっと頼みがあるんやけど聞いてもらえんもんやろか。それがね、さっそくなんやけど、明日なんやけど、ちょっと連れてってもらえんもんやろか。大学病院ていうたら佐和ちゃんのいる所の近くやからと思うて。実はなあ・・・・・・」
 嫋々たる声は際限なく続く。何千里のかなたからくぐもった訴状を送りつけてくる声だけの実在。
 暖房の効いた列車を降りてまもなく、タクシーに乗り継いで来たとはいえ、そろそろ体が冷えてきた。部厚いセーターだの靴下だの窮屈なスラックスだの早く着がえさせてほしいな。
「時間と場所だけ言って下さい。迎えに行きますから。明日は忙しいから待たせるかもしれませんけれど」
 夜更けて、外はかえって生暖かい。佐和子は歩いて数分の浴場へいそぐ。
 望むと望まないとにかかわらず、明日というものはすでに今日のうちに始まるものらしい。
 この晩い時刻にしばしばここで逢うおばさん。素裸の彼女と笑みを交わす。
 彼女についてわたしが知っているのは、胸から突き出ているさつま芋の乳房と鏡もちのように脹らんでいる腹回り。そして天衣無縫な湯水の使い方。給湯の栓をいっぱいに開け放しておいてからなみなみと汲みあげ、これでもかとくりかえしぶち空ける。小さな家庭用の浴槽ならとっくに使い果してしまいそうな分量だ。水ははじけ、表皮はバラ色に染ってゆくが、濡れる気配もない。
 ざっぶどどどどど。落下音を聴きながら、佐和子は肩まで浸って目を閉じた。受話器を置いたあとも耳奥にもこる不快な残響はいきおい、消滅してゆくかに思えた。
 部屋にもどり、明かりを点け、明かりを消し、ようやく使い慣れた枕に頭を落とす。
 体はほどけ、寝具との境界もあいまいに溶けてゆく。濾紙に濾されてゆくようだ。
 しかし、溶け消えまいとする意識の残滓は仄暗い箱の底で頑なに滞っている。
 ふたたび姿なく現われ、枕辺を徘徊するくぐもる声にむかって、佐和子は異議申立てを試みる。
――ひとつ。あなたの暗い身の上話は聞かされたくない。くる日もくる日も炒ったそら豆で空腹を凌いだという話よりは、風呂場の窓をあけると深い御山の夜気を吸った山ゆりの匂いがあなたの鼻先をくすぐったという美しい逸話の方を憶えていたいのです。幼くして母親に死なれたその後のあなたの苦労話とわたしとどんな関係があるのですか。十やそこらで生れ故郷を後にして奉公に出たなどという話はうんざりです。あなたの湿っぽく貧乏くさい越し方のもろもろのエピソードはわたしを鼓舞することから程遠いのです。
ひとつ。憐れむような眼差しをわたしに向けないで下さい。たしかにわたしはすでに長すぎる間、考えあぐねている。行くべき道を決めかねているところの偏屈で要領の悪い、あなたにすれば出来の悪い娘であるかもしれない。あなたはあのことを苦にしているにちがいない。卒業の年、世話好きの教授がブロマイドのような写真を幾枚もわたしに示して
゛どうやぼくに任せといたら。悪いようにはせんで。郷里へ帰ったらすぐに釣書を書いて送りなさい”と言って下さったあのいいお話をわたしがすげなく断ったことを。物心つかないうちからあなたはわたしの裏切りを許さない気迫で言ったものだ。誰の御蔭で大きくしてもろたのか、胸に手を当ててよく考えてみな、と。すると、あなたの海よりも深い慈愛によって育まれたわたしには思い悩み、迷う資格もないというのですか。わたしがわたしの人生を選びとることをわたしに禁じないで下さい。
ひとつ。わたしに幸せを望まないでほしいのです。あなたという犠牲のうえにわたしの人生を築いてそのうえ幸せな人生を築くようにとわたしに強要しないで下さい。他人の犠牲のうえに築かれる幸せな人生というものをわたしは信じることができないばかりでなく、そういうものを欲していないのです。それを言えばあたかもわたしがのろわれた人生を好む変態じみた猟奇小説の主人公であるかのようにいう。あなたはわたしに幸せをのぞむことでわたしを不幸にする。あなたの願望はわたしによって実現されることはないでしょう。
ひとつ。あなたのものをわたしに継がせようとしないで下さい。珊瑚の簪(かんざし)、べっ甲の櫛、瑪瑙(めのう)の笄(こうがい)、翡翠(ひすい)の帯締わたしはありがたがりはしない。ルビーの指輪、エメラルドの、ダイアの輝く石たちもみなあなたのものだ。装身具にはあなたの苦しみや悲しみがいっぱい詰っている。よしそれらが今に生きていてあなたを悲の淵に置いていたとしてもそれもまたあなたのものだ。わたしは受けとることができない。あなたは不幸者を一刻も早く見限って、かつてあなたがそれらを得るために骨身を削ったように、もう一度、何よりもまずあなたの悲しみや苦しみをそっくりあなた自身の希望へと変えることに骨身を削って下さい。いただいても鬼子は受領証は認めない。麻衣子が受けとるというならむろん留めはしない。
ひとつ。あなたはまたしてもわたしを憐れむのだろうか。悲しそうに嘆くのだろうか、もし面と向ってこんなわたしの胸の内を明かせば。わたしにはあなたと訣別する勇気が必要だ。それもまた手を施すすべもなくあなた次第だとなれば、わたしに何を成就することができようか。あなたはわたしを引き止める係留の綱をへその緒のように絶たねばならない。それはいたみをともなう両者にとって辛い作業だ。わたしはそれを今はもう承知している。これ以上の手出しは許さない。必要なとき振りかえるのはわたしだ。そのときあなたがそこにいないと知って驚き嘆く勝手をこんどはわたしに許さない、と心に決めた。わたしはあなたから遠去かる ―― いたみの閃光。
 その瞬間、予期した閃光は体をつらぬくことなく、にぶくゆるい角度で逸れて消えた。沖へ漕ぎ出すためにほどけた四肢を集めるいとまを与えもせずに。
 意識の残滓は明瞭な体のかたちを意識した。あくまであるがままの体のかたちを見い出した。
 異議申立てが後ろめたさの裏返しのような自己正当化であったとすれば、暗闇の証明の下で威張って見せた剛毅の面構えは肥大した白昼の自我の、もっとも脆弱な部分だった。
 佐和子は上半身を起して目覚し時計を足許に置きかえる。
 だからいやなのよ。寝付けやしない。 
 さきほどまで明日であった日が今日になっている。明日が今日に繰りあがった今この辺りでは、ひとつ眠ればやってくる今日とふたつ眠らなければやってこない明日とが、向きあった鏡面に重々と互いの姿を映しあっている。
 合せ鏡のはざまで佐和子はこちらから赴くまでもなく確かな実相でむこうからやってくるはずの、日曜日の、明瞭なかたちへと想いを移した。
 その他の日々に較べてそれは、なんとかっきりといた輪郭で截りとることのできる一日だろう。

 土曜日の夜までに実家へ帰っておくことを怠りさえしなければ、日曜日の朝はすんなりと始まってくれる。家業の手伝いくらい気楽なものはない。゛勝手に恋人をこさえた″麻衣子はもう仕方がないと諦めて佐和子に跡を継がせたがっている父とうっかり口をきくことで芋ヅル式に出てくる厄介な家庭の事情に触れさえしなければ、安息日を仕事に費やすくらいわけはない。
 仕事の手順は解り切っている。゛うちには盆も正月もない。年中無休は昔からのことやのにちかごろでは使用人の方が強うなってしもて日曜は休むようになってしもた″と母のいう昨今の情勢の余波をうけて、無給アルバイターは出発する。ヴァンの荷台に卸しの品物を積むと、私鉄K鉄道に並行して走る国道を南へと下ってゆく。道に迷うことはない。沿線の主要な駅の、たいていは寂れている方の裏側にまわって、たいていは倉庫の片隅にあるところの納品場所へと向かう。
 そこは特急電車の社内で移動販売をする売子たちの詰所でもある。積まれて満艦飾になったワゴンが並んでいる。たいていの場合、出番を待つ彼女たちの賑やかな会話とけたたましくはじける笑い声、入り交じる嬌声に気負されて、佐和子は商品の点検をだれに頼んだものかと迷うことになる。手と口を同時に使う彼女たちの特技に割りこむのは至難のわざだ。制服の白い襟元から安物のオーデコロンと汗のにおいがただようあの娘はこれ以上余分な仕事はしたがらないだろう。手鏡をのぞきこんでいる娘は容易に顔を上げてくれないだろう。゛おうい甘栗の検品、早ようしたれやあ″と運搬係の男から声がかかると、ひとりくらいは気立てのいい子が立ってきて、話の合い間に袋の数をかぞえてくれることになる。すかさず納品書を出して受取印かサインをもらうこと。そうしないとまた待たされることになる。事務机に向っている別の男に納品書B・Cを渡してまた次の駅を目指す。
 直接、プラットホームの売店までダンボール箱をかかえてゆく駅もある。鈴鹿おろしが小屋を吹き抜けるころとちがって売店のおばさんはもっと口を緩めるにちがいない。きっとひとこというだろう。゛このまえはあんたと違とったがどっかへ行っとったん? スキー? ふうん、若い人らはええね″そしてまた一から毎度おなじみの話を繰返すだろう。手と口を交互に動かす彼女の場合、それだけ余分に手間どることになる。困るのはあのセンサク好きと干渉ヘキだ。
「あんたは店員さんとちがうやろ。なんか雰囲気がちがうもんな。あー、あの奥さんの娘さんか。それであんたふだんは何しとんの? 勤めとる? どこに? へぇー、学校(がっこ)。そんなええとこに勤めとって、ふうん、あんた偉いのやねえ。休みやのに配達に走り廻るやなんて。孝行な娘さんもって楽々軒の旦那さんも幸せやね。このごろあんまり見かけんけど元気にやっといなはる? 若いころは芸者衆に気前のええとこ見せて奥さん泣かせてやったけど、もうなんちゅうても年齢(とし)やもんなあ。そうすっとあんたと妹さんとどっちが跡取ることになっとんの? もう婿さんも決まっとんのやろ。決まっとらなおかしはなあ」
 堂々と覇者のように振舞う彼女の前で、玉ねぎの皮みたいに剥がされ、顕わにそして矮小になってゆく自分の姿。歴史の年表のように過去の事実だけをずらりと並べて、身上書と履歴書の解釈と行使は持主自身に任せることにしないか。将来についてはお互い干渉せず尊重しあうことにしないか。不覊不可侵条約を結ばないか。
「納品書にサインお願いします」
「なんやもう帰るの。ゆっくりしてっていいのよ。けどやっぱりなんかこう雰囲気がちがうもんやね、先生(せんせ)ともなると同じジーパン穿いとっても」
 この類のセリフを聞かされると不当な差別を受けた気になるのだがわたしはだれに訴えればいいのだろう、と佐和子はきまって煩しく思う羽目になる。
 売子たちの嬌声に心乱されるわたし。それにあの屈託のない笑い声。あの年頃にもなかったあれと同じ声でいつわたしが笑ったことがあるだろう。プラットホームの小屋で売れ残りの週刊誌をめくって過ごす人生も屈託なく笑いころげられる人生もそれ自体得がたい尊いものだ。本気でわたしはそう思っている。けれどもわたしがどう思おうと彼女たちはわたしを同じようには見てくれない。それにこの前、倉庫の狭い通路で通りがかりにわたしの尻をさわったくせにあわてて手を引っこめた男がいたっけ。゛なんや麻衣ちゃんとちがうのか。よう似てるなあ。さすが姉妹やなあ″なんていったりして。
 ゛うちの手伝いなんかいやならあっさり断われば。要は姉ちゃんに相手がいないからあかんのやわ。ぐずぐずしてるからあかんのやわ″いまいましい麻衣子。
゛だから女に学問なんか要らんといったじゃないか。おまえの躾がなっとらん″と母を責めるいまいましい父親(オヤジ)。
 だからこうしてできるだけ協力してるつもりやわ、とは言ってみても、教師は聖職者だなどというデマなら笑いとばせるが、教育労働者と呼ばれたらどうしよう。どこに労働者と名のるにふさわしい労働の実体があるのか自信はない。
 運転中はそんなこんなが頭をかすめすぎるだろう。だけどハンドルを握ったら安全第一でいかなくちゃ。でも二進法でぐんぐん桁をましてゆくこの単純明快さ。これもやっぱり捨てがたい。タンク・ローリーなんかこわくなーい。スピード、アップ!
 この辺り、光る海が見えても海じゃない。栄えているのはボッタリした海苔の佃煮のような重油のヘドロたちだ。見たければ目を閉じて見よう、白砂青松。お日さまも隠してしまう黄色い煙と臭う風。窓を閉めよう。焼き栗の甘いにおいが台なしだ。
 かの地からほんとにようこそ日本へ。
 正真正銘、中華人民共和国からの輸入品だというのに゛ほんとに外地もんか″とからむ客がいる。そんな人のためには小粒で渋皮がこんなにきれいにはがれる栗は内地じゃ採れないわ、ほらっ、て実演してあげる。すると゛じゃあ密輸品だろ″だなんて的はずれなことをいう。登録商標にある天津の名も滋養豊富な自然食品の味もご存じないらしい。少なくともかつての侵略者たちなら身に覚えのあるはずだが、たいていは晩い帰宅のいいわけに手土産の要る酔いどれどもだ。酔ってる暇があるなら一刻も早く日中国交回復に針孔(メド)をつけてもらいたいわ、おじさま。国交回復は日本人民の願い。実現したら安くておいしい甘栗をもっとたくさん売ってあげる。なのに、去年秋の「佐藤・ニクソン共同声明」ときたら、米国の大統領が北京訪問の秘策を練っている折も折、防衛の概念を台湾省にまで拡げてみせたのよ。この軍国主義の思想を貫徹せんとするわが外交に中国は公益を制限する報復措置をとってきたの。ご存じ? あおりを食って輸入契約は不成立。入荷量は極端に減らされ、現物は今や貴重品扱い。在庫は秋まで保たないの。関連業者は青息吐息。もうすぐうちの商売もあがったり。゛ほんまにもう佐トはんがシソーを変えんことにはどもなりまへんで。佐トはんはシソーを変えんとあきまへん″て本店の社長はんは怒っているわ。だからこのところ社長はんの「もうかりまっか」も吉川(きっかわ)はんの「ま、ぼちぼちでんな」も迫力がないけれど、そんなことは無給アルバイターの関知しないところだ。だってきょうはわたしの安息日なんだもん。
 佐和子は先を急ぐだろう。国道を南へ下って行けばいい ――
 佐和子はいつの間にか眠っていた。
 なかなかやってこないと思っているうちはなかなかやってこなかった眠りの方へ連れ去られていた。目覚めているうちは頭上にうっ陶しくかぶさっている網が、幼いころ吊ってもらった蚊帳のようにあまやかな表情でかぶさっていても彼女はもうそれを意識することがなかった。
 だが、明瞭なかたちと佐和子がいう明後日の行程にはまだ残りがあった。
 現実に手に取ることのできる明瞭な世界に今はおぼろげにしか見えない世界を対峙させて、おぼろげな世界を明瞭の世界以上に鮮明にしてみせること。
 こっちだって楽じゃない。だけど私はこっちへ行く。これはわたしの選択だ、とそう思うあとから二者択一によりかかり切れない、ひとつの体をふたつに引き裂くような感情が湧いてくる。
 この宙に浮いたような、糸の切れた凧みだいだと自分でも思う不明瞭な自分の輪郭に、今すぐ黒々とした終止符(ピリオド)をつけてやれたらどんなにスカッとするだろう。じっさいには行けども行けども疑問符ばかりが増してくる。
 きのうのことだって、またひとつ、容易に打ち消すことのできそうにない黒々とした疑問符じゃないか、と思う羽目になる行程がまだ残っていた。
 佐和子は悔っていた。次々と納品場所へ向うとき揉みくちゃにされながら車を走らせることになろうとは予想していなかった。
 その昔、母が十年かけて北上してきた道。奈良の山奥から奉公に出て、熊野から宇治山田へ、津へと伊勢路を北上し、父との縁で現在の北勢の小さな街に落ち着くまで十年かかっている。今、下ってゆくには半日の行程だ。
 もういっぺん吉野の山桜が見たいもんやわ、死ぬまでに。春毎にこぼすグチなら今年もやりすごすことになるだろう。だが、やりきれないのはあの声だ。
 どんなに恐ろしかったか。もういやや。もうあんなことは二度といやや。バラバラと降ってきて・・・・・・。
 あの光景は一生忘れないといわんばかりに爬虫類の黒い眼が光る。
 一九四四年七月サイパンが落ち、米軍は十一月からサイパンを基地に本土空襲を開始した。十二月七日東南海地震が近畿地方を激しく揺るがした。天災を天罰と受けとめた民も少なくなかったこの地方だが、まだ被害の片づかない翌年一月、空からの攻撃にさらされはじめた。米軍B29の編隊は熊野灘から侵入し尾鷲の上空で結集した。攻撃はB29のほか艦載機による機銃掃射も加わりじりじり北上する爆撃下、県下の各都市はつぎつぎ焼野原と化していった。農村、漁村地帯も例外ではなかった。
 中国大陸は北支へ出征していた兵士の存在を佐和子は知らなかった。父の顔を知らなかった。
 ポツダム宣言受諾一ヶ月前のことだ。嫋々たる声が語るのは。
 航空機用ベアリングの70%を生産していたベアリング工場をはじめM重工業、Y重工業その他いくつかの工場を狙われて市街地の91%が焼け全人口の65%が罹災したときのことだ。一回目は真夜中の焼夷弾攻撃、二回目七月二十四日は正午前だった。
 バラバラと降ってきた。バラバラと隙間がないくらい落ちてきた。あんたをひっつかんであとは憶えとらん。あの御方が貨車の下へ押しこんでくれなんだら、わたしもあんたもどうなっとったか。いのちはなかったやろな。

       2
 哀れっぽく縋りつかれるくらいなら、限られた用件に関するかぎり乞われるがままに従うのがわたしの主義だ、と他の仔細は一切省いて、どこかのだれかを見舞うのに付添ってほしいという母の頼みだけを佐和子は承諾したつもりだった。
 約束の場所へは送れて着いた。会議が長引いたからだ。
 母の奥目は石垣のすきまから眼だけ光らせる爬虫類のそれに似ているので雑踏のなかでもすぐに見分けられる。
「お昼ごはんまだなんやろ」
「いいから早く用をすませましょう」
 大学病院の長い塀に沿って並んで歩いたのだったが、いったん石門の通りすぎてしまうと母は娘の先に立って建てこんだいくつかの病棟をずんずん抜けていった。とある建物の昇降口へきたとき彼女は抱えていた大仰な包みのどこかからスリッパを二足取り出し、娘の足元にも置いた。娘が脱ぎすてたパンプスは懐か腕(かいな)か袂かに納まるような印象で包みのどこかへ仕舞いこまれた。
 消毒薬の匂いが鼻孔の奥へ流れこむ。嗅ぐまいと鼻先であさく息をする。そのつど匂いが鼻をつく。息をとめる。まえよりもいっそう深く吸いこんでしまう。
 長い廊下のずっとむこうに白い細工物が現われ、繰り人形のような足どりでみるみるこちらへ近づいてきた。看護婦だったが、母は会釈しただけで案内も乞わず、ずんずん先へ行く。両側の窓枠は完璧な遠近法で迫りつつあるが、窓のむこうの動静は例外なく嵌めこまれた曇りガラスで遮られ不透明に暈かされている。
 母はもう、とある部屋へ入ってしまった。佐和子は母の影を追い、遅れてその部屋に入り、後ろ手に引戸を閉めた。
 どのくらいのあいだそこにつっ立っていたろう。遠くから呼ぶ声がする。
 ベッドと木箱とが交互に並んでいる。木箱はあれそっくりの形状だが蓋はなく高さはあれの半分くらいしかない。
 わたしをここまで誘き出した声がまたしてもわたしの名を呼んでいる。
 「あんたもここへ来て挨拶せんか」
 その語尾をかるく持ちあげる抑揚は後じさりしたい佐和子の気持をかるくするどころかかえって逆撫でる。
 いたぶられるこの気持をもってしてはあの木箱に屈むことはおろか、近づくことなどできはしない。
 「佐和ちゃんもっとこっちへ・・・・・・」
 声色は下名の響きを露わにした。誘き寄せられ爬虫類の凝視に呑みこまれそうな瞬間、さあ、と位置を譲られ、佐和子は木箱の縁へ押しやられた。そのようにして、仰むけに固定されているその人を、佐和子はついに認めた。ああ、あの人だ、というふうに。
 彼は何か言いたそうにする。
 彼? そうなのだ。彼とわたしの間には歳月が横たわっている。歳月は二度とふたたびわたしをして彼をおじさんとは呼ばせまい。
 彼はどこか指し示したかったのだろうか、腕を挙げたそうにするが、じっさいには手首の先で指がかすかに動いただけだった。
 半ばは生きんと抵抗し、半ばはもうひとつの方向へ赴きつつある過程の、逐一具体的な様相のサンプルを見せつけてくる。人間の最後の正当な権利を行使するにしては穏やかすぎる抵抗だ。ここでは生は悉く死によってその諸相を映し出されている。容易に決着のつかない綱引きが静かに進行している。
 なんというありさまだろう。やっぱりわたしの来るところではなかったじゃないか。
 こんにちわあ、といったような快活な女性の声がした。ややあって入口付近から順に患者の腋下に体温計を挟みながら看護婦がやってきた。彼女のおかげで佐和子はそこを離れることができた。
「おそかったでしょ、キムさん。ごめんなさいね。今日は特別、先生たちがいろいろと忙しかったものだから回診が遅れたの」
 先生(ドクタ)はあわてずさわがずのっそりと姿を現わした。もう見馴れた光景だとでもいうのだろうか。
 やがてキムさんと呼ばれた彼の箱へも近づいて、悠揚と躓づいた。キムさんの手の甲に掌を重ねる。
 キムさんは黙示でも授けられるかのようにうっすらと開けたままで閉じ忘れていた瞼を閉じた。そのまま永い眠りに就いてしまっても不思議ではないような閉じ方だ。
 医師の顔を見ただけで患者はそのようにも眠ってしまうものだろうか。キムさんの脈さえまともに計ろうとしなかった先生(ドクタ)にどんな秘鑰(ひやく)が備わっているというのだろう。二人はなにか共通の親密な絆を手繰り寄せあっている、そんな宥和な雰囲気をそこに感じたのだが、それ以上は深追いせず、それよりも午後のそれほど晩くない時刻だというのに部屋全体におおいかぶさってくる寂静を破りたいいっ心で、佐和子は思わず口をきいた。
「さっきは何ておっしゃったのかしら」
 母は窓の外へほらあの、と手をかざした。遠い空のかなたでも指し示すかのような仕草だったがそこには向かいの病棟の灰色の壁があるきりで、かざした手のはるか下の方に飼育箱がひとつ、金網に木洩れ陽をうけていた。
「うさぎを見ておいでって。あんたのこといつまでも子供やと思っていなさるんやわ。よおかわいがってもろたもんやからね。おじさんに負ぶってもらわな昼寝しようとせんかったし」
 看護婦は順に体温計をぬきとり目盛を読んでは記録していった。仕終えると先生(ドクタ)を従者のように促して忙しなく部屋を出ていった。母はキムさんを眺め、眺めてはハンカチを目頭に当てていたが、やがて小声を押しだした。
「ほんならな」
 ほんならなはサヨウナラだ。サヨウナラはサヨウナラバ。そうするより他に仕方がないならばそうであるより他に仕方がない、さようであるならば。
 佐和子はよその国のことばで呟いた。生な感情にじかに触れることを忌み嫌う彼女の性向は、こんなときにももうひとつの表現を対応させて現実とのあいだにクッションを置こうとする。無くて七癖のひとつにすぎないけれど、たかだかそれだけのこととはいえ、ごく稀に対置法でぴたりと収まったときには何かが判明したような気分になれる。
 病室を出てから先立って歩いたのは佐和子の方だった。昇降口でスリッパをぬぎ捨て、取返した靴を穿き、急ぎ足で門の外へ出る。
「先に帰っておいて下さい。まだ仕事がありますから」
 怪訝そうな顔にはかまわずタクシーを止め、佐和子は母を押しこんだ。
 はじめひとつの小さな呟きだった゛ほんならな” ひとつの音が共鳴し、反響(エコー)が反響(エコー)を呼んでいまにも破裂しそうなくらい外へと拡がってゆく。
 埃が舞っている。春風に埃が舞いあげられる。
 まだ仕事がありますから、だって?
 為すべき仕事は他に思いつかなかった。生温かい旋風の圏外へ一刻も早く逃れ出ること以外には。
 厚ぼったいスーツの上衣を脱ぎすてたい。もう長い塀に沿って歩きたくない。どこへも帰りたくない。
 その場で道路を横切った。病院の対面になる公園へと、長々しい生垣がふととぎれる狭いすきまを見つけて侵入する。木立の合い間をぬって歩く。
 だだっ広い公園のことだ。繁茂する木はあまたある。しかしあまたある木々のどれがわたしの求める、一本の樹であろうか。どのようにして見分けられるというのだろう。欲しいのは一本の樹だ。わたしは今すぐその樹が欲しい。あまたある木々の一本一本をたずね歩かねばならないとしたら、わたしの旅は途方もなく長いものになるだろう。
 立木のとぎれた箇所には花壇が、花壇にはパンジーの群が、群には春風が。春風はパンジーたちの花弁をなびかせている。花たちは春風を受けている。
 生温かい風のなかを素裸で泳いでいた。
 佐和子は身ぶるいをおこしスーツの襟を立てボタンを全部きっちりと掛けた。
 あのむこうの木立の方へは迂回路はとらない。最短距離はこれだ。
 佐和子は、かかとの高い靴で、花壇の花々を踏みしだいてゆく。
〈わたしの旅は・・・・・・途方もなく・・・・・・長い旅になるだろう〉だって?
 迷妄だ。そんなはずはない。
 わたしを実現することのできるいちばんの近道は――ここからもっとも遠く、近づくにもっとも困難な方法にある。
 喉に渇きを覚えた。
 旋風の圏外へ、ガード下にある岬をめざして、公園のはずれへと、直線に歩く。
 岬は奥へ入るほど自然の採光が明るい。嵌殺しのガラス窓いっぱいに公園のこんもりした木立が見渡せる。
 佐和子はいうもそうするように窓ぎわの席に腰を下ろした。彼女がグラスの水を飲み干してまもなく、白衣の男がドアを押して入ってきた。
 彼女は彼の方へするともなく会釈した。なせなら、彼女がたった今気付いたことに彼は以前からたびたびこの岬で見かけるようになっていた人だからであり、それだけならば今になって会釈する理由はなかったが――佐和子はフラッシュ・バックで溢れそうになった――たった今気付いたことに彼はあの病室へ回診に来た先生(ドクタ)だったからだ。
 かれが白衣のままここへ来たのはきょう初めてだわ。わたしは男の顔を憶えるのが苦手だ。現にあそこで見かけたときにはよくここで逢う人だとはまるで気付かなかった。
 かれは患者の前に現われたときののっそりした動きではなく、まるで待たせてしまったデイトの相手に近づくような自然な足どりでごくすんなりとかの女の前に来て坐った。
 するとかれは病室でわたしを見かけたときすでにわたしを認めていたのだろうか。
 佐和子は空のグラスをあおり、底の氷を口の中へすべらせた。ガリッと氷を砕いた。細かな氷片が溶けてゆく。
 かれとかの女は名のりあった。しかしかの女にはかれの名を正確に聞きとることができなかった。聞き糾すことはためらわれた。
 悪い癖で“Pardon”とやることを今は差し控えるべきときなのだ。要するにかれはキムなんとかだ。ドクタ・キムだ。
「キム?」
 かれの名を聞き返したのではない。先生(ドクタ)はのっそりと患者に近づいた。そえにしても彼、キムさん(その名を知ったのも今日はじめてだ)の箱に躓づいた瞬間の、なんといえばいいのだろう、ごく稀な親和感――
「するとあの方は・・・・・・」
「そうです。ぼくの父です」
「アボジ・・・・・・だったのですか」
 かれはゆっくりと眼差しの矢をつがえ、かの女の眼を射抜いた。それから不意に視線をはずした。
 苔むした公園の石垣、その上の生垣、青垣のむこうの濃緑の立木。
 かれはまさぐるように目線を這わせ一本一本を鑑別してゆく。とある一本の裸木にかれは新しい矢をつがえる。的に目を凝らす。根元から少しずつ目を這わせ、丈高い梢へと向かう。太い幹は先へと伸び、先端のしなやかな枝は支流へと拡がってゆくほど毛細血管の繊細な模様を描いている。虚飾なくそそり立つ裸木。ついに、その背後の、そこだけはそうであるにちがいない冬の空へと眼差しの矢を放った。
「アボジはよくわたくしを負ぶって寝かせて下さったそうです。お昼休みをさいて下さったのでしょうか。お布団よりもアボジの背中の方が気持よかったのでしょう、きっと」
「父はもう永くありません。母と二人の妹は三年前の秋、共和国へ帰国しました。その後中断している帰還事業が今すぐ再会されたとしても動かすわけにはゆきません。父はおそらく二度と祖国の土を踏むことはないでしょう。しかし遺骨となってでも家族と再会させたい。むろんぼくはそうします」
 佐和子は黒褐色の液体を流しこむ。一本の樹に巡り合った瞬間に、濃い、絶望に似た感情がかの女の空洞を過ぎってゆく。どこか知らない深い縁に滴り落ちて、溜る。「やはり母はきょうが初めてではないんですね。昨晩おそく電話をかけてきてなんだかもう強引にわたくしを引っ張ってゆくっていう感じでした。でもどうして今ごろになってキムさんにわたくしを会わせたかったのでしょう。父には詳しく話していないはずですし、キムさんとそれほど深いおつき合いはしていなかったように思いますけど」
「われわれの間のいくつかの出会いはいくつかの、いや無数の偶然から成る必然であるといえます。現に今朝もし医学部でおきている紛争の交渉が長引かなければぼくは午前中にいつも通り回診を終えていたでしょう。したがって父を介してあなたと会うこともなかったでしょう。たとえばまた、あなたのオモニが強引にでもとにかくあなたを連れてこられなかったならば、あなたとぼくとはこの岬に居合わせながら永久に言葉を交わすことはなかったでしょう。たとえばまた・・・・・・たとえばまた・・・・・・」
 会話は頭上の高架線を走ってくる電車の轟音と振動にたびたび遮られたのだったが、その日の最後にかの女はこう言った。
「あなたとわたくしがこれまでの習慣を変えようとしないかぎり来週もまたこの岬でお会いすることになりますね。きのうまでは偶然居合わせた他人として、そしてこれからはどういえばいいのでしょう」
 いっしょに岬を出た。
 医学書専門の書籍店と医療器械を扱う店とに挟まれているそこを出てしばらく歩いたときまたしても頭上から轟音が降ってきて、かれとかの女の交わすさようならを打ち消していった。
 かれの白衣をつけた後ろ姿が大学病院の長々しい塀に沿って遠去かる。
 佐和子は折よく来たバスの方へ駈けよりそれに乗る。バスの行き先はちょうど週末ごとに実家へ帰るための経由点と一致していたにもかかわらず途中でバスを降りた。土曜日の晩い午後、繁華街のひと混みを抜けて裏通りの映画館へ潜りこむ。

 機関銃を打ちまくる矢つぎ早やのセリフ。のべつ幕なしに叩きつけあう会話。目まぐるしく入れ変わる映像。しばらくは茫然と息をひそめてスクリーンを見つめるだけだった。氾濫し錯乱し交錯するイメージ。眼がチカチカする。連続を絶つイメージの重複。ナレーションは論理を挽回しようとやっ起になるが陰画の世界にちりばめられた言葉は世界を再び構築できるか。
   ・・・・・・すなわち言葉の境界は世界の境界であり
   ・・・・・・私の言葉の境界は私の世界の境界だ。話
   しながら、私は世界を限定している・・・・・・
゛するとあの方は”
゛父です”
゛アボジだったのですか”
 驚愕したのはかの女の方だ。アボジと反射的に吐いてから口をついて出たことばにかの女は不意の一撃をくらう。
 いつどこでこのことばを憶えたのだろう。気紛れにめくる月々の文芸雑誌あたりから拾ったものとみえる。すこしばかりエキゾチィックな風合いのちょっと気取ったアクセサリーとして小物入れにそれとなく仕舞っておいたものだろうか。かの女の部屋を開ける小さな鍵は、誤って、途方もなく大きく重い扉にさしこまれた。しかもあたかも扉が開きそうな錯覚にかの女を陥れた。
゛あの方はあなたの”
゛母です”
゛オモニですね”
 ことばだ。果実だ。ことばの果実だ。ことばが果実をかじったのだ。内実の詰ったことばほどおびただしい果汁を滴らせるものだ。滴る果汁はことばの果肉のいたみだ。
   論理的かつ神秘的な死がこの境界を取り払う
   とき、そして質問も解答もなくなるとき・・・・
   すべてはおぼろげになるだろう。
゛もっと近くへいらっしゃい。憶えている? あのおじさんだよ”
何を思いおこせばいいのだろう。脊椎カリエスに蝕まれているこの人の背中でわたしが午睡をむさぼったという三歳の時をか。どこのだれだか問わず知ろうとせず一切を不問に付して過ごしたそれからの二十数年をか。それとも、母とわたしのいのちの恩人たるこの人のそのときとそれからの今にいたる歳月をか。
 そもそもの始まりにおいて何がおこったといえばいいのだろう。
   しかし偶然に物がふたたび鮮明になるならば、
   それは意識の出現とともでしかあり得ない。
   その結果、すべては結合しあうのだ。

 あれから外へ出たとき外は暗くなっていた。
 今夜はいったいどうしたことだろう。踏みはずしそうな時間の不連続線上を歩いているみたいだ。気分はふわふわ把えどころなく浮ついているのに体は熱っぽくふるえている。発熱しそうな寒気を抱えて路上をさまよったあげく、明瞭なかたちの明日に備えて帰るべき処へは帰らず、アパートの一室へ舞いもどったものとみえる。
 記憶の細部は、いや記憶自体があいまいだ。
 わたしがひとりで歩いた時間帯にわたしのアリバイを提供することができるのはわたしひとりしかいない。
 昼間、あれほどかの女を脅かしたキム老人の面影は跡形もなく消えている。ドクタ・キム? もともとかれは名なしの幻影だ。
 嘘のようにかき消えた出来事の、衝撃の余震を抱えてかの女は夜の巷を彷徨したのだ。
 小刻みにふるえる体を抱えてわたしはひとりここにいる。わたしはひとり取り残されたのだ。言葉によって論理づけられた世界においては゛その結果すべては結合しあうのだ”とすれば、ひとり取り残されているわたしは結合しあうすべての内側に組み入れられ損ってしまったのだ。

       3
三月三十一日七時二十一分。
 福岡行日航旅客機ボーイング727「よど」は定刻より約十分遅れて羽田空港を離陸。上空は晴れ。気温七度、視界良好。風速七ノット。羽田空港管制塔より高度、コースの指示。各種計器の点検。すべて順調に上昇。うららかな春の空へと舞い上がった。
 その昔、地続きだったと聞けば、大陸の母体からむりやり引き剥がされ今もって胎児のままあえかなるへその緒を海に沈めている日本列島だが、いかなる天変地異によるものだろうか、鋭い地形はむしろ原始時代の鏃(やじり)を想わせる。
 眼下に富士山頂が見える。
 突如、鏃を握んで木乃伊(ミイラ)と化した胎児の腸(はらわた)を蹴破り、腐ったへその緒を喰いちぎり、怪鳥のごとく飛び出した鬼子があった。
「よど」は一瞬にして恐怖の密室に変った。
 同旅客機は同7時31分ごろ富士山南側を飛行中、同乗の自称赤軍派学生九人に乗取られた。乗取り犯は機長を日本刀で脅し北朝鮮へ向かえと命じた。
 事の起りは、大陸の付録といおうか、虫垂のように突起した岬、朝鮮半島は北半部を目指せとする鬼子の狂愚がそれであった。
「福岡着陸に決定。スカイジャックは爆弾を保持。失敗の場合は自爆するといっている」7時31分日航大阪空港所航務課に石田機長より無線通信が飛びこんだ。
 日本航空史上初の旅客機乗取り事件は乗客の安全を第一にただちに陸海空一体の警備網を敷くところとなった。
 8時59分福岡空港に着陸。「燃料補給を早くしろ」「警察を近づけるな」乗客・乗員は機内にかんづめ状態。日航機は時間をかせいだが「給油を開始しないと爆破させる」との脅しに10時55分ゆっくりと給油を開始した。こどもとつれの親、韓国人は降ろす、との犯人の意向で1時35分爆弾を持った赤軍派が立つ入口から23人が降ろされた。乗取り後約6時間、じりじりと強まる緊張下で必死に続いた説得や引延ばし工作を破って「よど」の巨体は滑走路をすべり出した。機長の判断による発進。涙声の家族。「離陸させたら承知しない。北朝鮮へ連れて行かれたらいつ帰れるかわからない」と悲痛な叫びがあがる。厳戒態勢の航空自衛隊、機動隊、私服捜査官、一切の包囲の網を突破し、1時59分機体は浮上。上空へ吸込まれていった。滑走路にがっくりひざを折り祈る姿もあった。
 機長にはひそかな計画が与えられていた。「韓国上空を避けて日本海を北上、38度線を越えてから機種を西に向け平壌に入れ」インタホンを通じ専門用語で伝えられたものだった。「よど」は地上の怒号・狂号を虚しく蹴散らして北の空へと機影を没した。
 日航機は2時30分韓国東海岸浦項上空に達し、さらに北上を続けた。これに対し韓国空軍F5Aジェット戦闘機数機が飛立ち、2時38分38度線を越えたところで日航機を西南方に誘導し始めた。39度線上にある平壌へ向かうには不自然な転針である。以後、日航機は朝鮮半島を分断する軍事休戦ライン沿いに西に飛び続けた。2時52分「順調に飛行を続ければ15時05分ころ平壌に達する」との無線連絡を入れ、3時03分突然、機首を南に向けた。急旋回の謎を航跡に残し、3時10分韓国領へ入る。「平壌着陸15時16分の予定」との交信どおり同時刻に、しかし着陸したところはソウル郊外金浦国際空港であった。
 同空港は事前に韓国旗を下ろし平壌の飛行場のように偽装され、北朝鮮の軍服で変装した韓国軍空挺部隊の精鋭三十人がにせの歓迎プラカードを持って出迎えた。
 犯人たちは降りる準備をしはじめた。その様子は乗客たちに浮きたつような動きを伝えた。が、ドアをまさに開けようとした直前、リーダーの男が叫んだ。「違う。外車や米軍機がいる」「ラジオから英語の放送が流れている」「米軍のトラックが走っている」迎えに来たバスに機上からリーダーが「ここはソウルですね」と鎌をかけた。バスの運転手はつられて「そうです」そのとき韓国側のアナウンスが告げた。「ここは朝鮮人民共和国です。歓迎します。すぐ降りてきて下さい」学生側は擬装に気づき、機外に降りるのを拒否。機内にろう城。平壌に見せようとする韓国側の苦心の工作は失敗に終った。
 北朝鮮を亡命先とする日航機が十分な外交ルートの了解もなく韓国に着陸することは、ただでさえ複雑微妙な国際問題となりがちな事件を対立の火中に放りこむことになる。その理屈が日本政府にわからなかったはずはない。日航機と乗客・乗員は金浦空港で南北朝鮮対立の網の目にしっかりとからまれることになった。「よど」の車輪が金浦空港に着いたその瞬間から事件は、犯人に対する説得と日韓政府の外交折衝という二つの顔をもつことになり、百余人の安全をかけた時間は容赦なく経過しはじめた。
 エンジンを止めてから空気は悪くなる一方。「窒息しそうだから早く飛ばせてくれ」と機長は管制塔に伝えてくるまでになった。しかし乗客・乗員計百十五人は気密機内で夜を明かさねばならなかった。
 日韓両国関係者が「一般乗客を降ろしてほしい」と繰返し説得しているにもかかわらず乗取り犯は二日目の夜になってもこの働きかけを拒否しつづけた。長時間にわたる監禁によって百余人の乗客の体力、気力が限界に迫っているため、政府は決断を迫られることになった。
 北朝鮮は一日、日赤本社への返電で飛行安全と帰国の保証を表明していた。一方、犯人たちはだまして金浦空港に着陸したと硬化した態度を崩さず、乗客はジュラルミンのオリに監禁されたまま二晩目を明かした。
 韓国のイニシアチブで着陸させたとの立場を公表している韓国政府は乗取り犯の学生が乗客をソウルに降ろさぬ以上、同機を北朝鮮へ飛ばせるわけにはいかないという態度を崩していない。これに対して、不測の事態を避け、あくまでも人命の安全をはかろうとする日本政府は二日未明の段階で、乗客ぐるみの北朝鮮行きもやむなしとする考えに傾いてきたが、人命の安全が厳しい対立関係にある分裂国家の深刻な政治問題とからんで日韓両国政府は苦悩の色を深めていった。
 二日午後4時30分福岡空港の乗客家族旅団は佐藤首相、朴韓国大統領にふたたび電報を送る。「ただちに平壌へ出発させよ」
 韓国政府はギリギリの時点までソウル解決を諦めないとする強い態度をとった。人質を放すまいとする犯人学生と国の威信をかけた韓国政府の主張との板ばさみのなかで、乗取り後58時間が経過した午後5時05分乗客の身代わりとして人質になる提案を出した山村次官の声は必死だった。
「日本の運輸政務次官が誠意をもってお願いしているのです。どうかよく考えて下さい」この申入れに対して乗取り犯は山村氏の身元保証に社会党代議士阿部氏が立ち会うことを逆提案した。犯人から「アベ先生」と指名をうけた氏は大臣室で大任を依頼され羽田へ急行した。
 機内では犯人たちが一人一人自己紹介をし人生観や世界観を語っていた。わかりにくい「世界革命理論」に乗客の一人が注文した。「日本には万葉集というすばらしい古典があるのだからもっとわかりやすく説明してくれ」
 三日0時48分阿部代議士が特別機でソウルに到着。金山駐韓大使、山村次官と協議に入る。75時間が経過した10時すぎ阿部氏・山村氏「よど」に近づく。操縦席の窓越しに犯人と直接交渉。山村次官の身柄と引替えに全乗客を機外に出すことが合意に達した。しかしパイロットの交代を犯人らはゆずらず乗員釈放の交渉はまとまらなかった。
 午後2時20分「みなさんとお別れだ。パーティをしよう」犯人の一人が詩吟「べん声しゅくしゅく・・・・・・」とひとうなり。機内に奇妙ななごやかさが流れた。「世界のプロレタリアートのために最後までがん張りたい。皆さんにはご迷惑をかけた。日本を愛するゆえの行動と理解してもらいたい」
 乗取られてから79時間ぶり、2時38分と3時08分乗客九十九人とスチュワーデス四人の計百三人は政務長官一人と交代に救出された。
 韓国では北のことを「北韓傀儡」と呼ぶ。一日には早早と日航機の北行き阻止を訴えるデモさえ行われた。共産国家とくに北朝鮮に対する警戒心の根強さは、この六月からは釜山と下関の間にフェリー・ボートも就航するという、日韓両国人の交流が深まりつつある現在、韓国人をしてこう言わせている。「日本の人たちはまだまだわかっていない。だから危機感もなく何かにつけて甘い。私たちは朝鮮動乱で現実に経験したのです。北の占領下でこの目で見、ハダで感じたのですよ。暴力と統制の恐ろしさ、もう絶対にいやですよ」
 乗客の救出という一つのヤマは過ぎたが、日本、韓国、北朝鮮をめぐるさらに複雑な政治状況のなかでこんどは外交問題に発展しそうな要素が出てきた。
 韓国側が主導権を握っていた゛引延し作戦”は見事功を奏した。しかし、韓国世論は日本が利用するだけ利用して結局は乗取りを成功させたことに「そむかれた韓国の善意」(大韓日報の見出し)という日本への悪感情を表明した。「擬装とはいえ国旗まで降ろしたことは国家の威信を傷つけた」「韓国が北行きに反対しているため事態が進展しない、日本人はこう思っているのではないか」「きびしい情勢の中で、韓国政府が乗客を降ろせば北へ行ってもよいといっているのは、日本に対するせめてもの誠意なのに」と疑惑を深め、残念がる韓国人も多かった。
 6時04分身代わり人質山村次官、交代を認められなかった石田機長ら乗員三人と犯人九人の乗る「よど」は北朝鮮に向かって出発した。
 日韓間友誼による協力を袖にして「よど」の針路はふたたび岬の北半部へとめぐる迂回路。狂気ふりかざす逃亡迷児の言いなりに、終には鬼子の狂悖が成就するまで、迷妄が目的を遂げるまでの怪鳥のゆくえをめぐってが、その顛末であった。
 この「旅客機拉致事件」について言うならば、朝鮮民主主義人民共和国はそれとなんの関係もなく、またありえない。われわれはその旅客機にどんな人が乗っているのか、その旅客機の「拉致者」という日本の青年たちがなぜわが国にくるといっているのか、まったく知らない。われわれは彼らを客として招いたこともなければまた彼らを歓迎するといったことはさらにない。旅客機事件について人道主義的立場からその安全を保証してほしいとの要請があったがゆえ、これに好意的な回答を与えたまでである――と朝鮮中央通信は論評を下した。
 6時30分の平壌放送は朝鮮赤十字中央委員会が日赤あてに打った電報を伝えた――日本当局は日本領内の板付空港で解決できず、南の金浦飛行場でも解決しないまま、飛行機をわが領内に送り込もうとしている。これは日本当局が自分ですべきことをわれわれに押しつけ、われわれの手をかりて犯罪者を逮捕しようというものだ。これはわれわれがトロツキストや犯罪者を受入れることを望んでいるかのような印象を作り出そうとする策動である。こうした状態ではこれ以上わが方の当該機関はこの事件に関与することを望まない。
 7時ごろ軍事休戦委員会の北朝鮮代表から国連軍側代表を通じて伝えられたところによると「わが方は状況が変化したので保証することはできない」との簡単な回答があった。山村次官の身代わり人質により乗客全員が金浦空港で救出された事態をさすとみられる
゛状況が変化した”もとでは共産側は日本政府側の機体、乗員の即時返還要請どおりの内容を゛保証することはできない”とのべたものとみられる。
「まだ赤十字同志で純人道的問題として話し合える道があると思う」と日赤の木内外事部長は語った。
 日本時間四日午前2時10分入電による朝鮮中央通信は、日航機が三日午後北朝鮮の領土に飛来したことを報じた。同通信は「われわれは日赤などへの回答で同機の安全保証についてわれわれの当該機関からの回答を受取らなかったことを明らかにした。それにもかかわらず日本当局は前もっての通知もわれわれの同意もなしに、突然、共和国北半部に着陸させるためその領土に同機を送った」とのべた。
 朝7時。平壌放送は「よど」が北半部領域に来るまでの経緯を詳しく伝えた。
「(略)百余人の乗客を乗せたまま共和国北半部へ飛行することを強硬に主張する学生とこれを阻止しようとする日本軍国主義者たち、それに南朝鮮かいらいの間では四日間も交渉が行われた。そのあげく日本軍国主義者らと南朝鮮かいらいは結局乗客を全員おろし、その代りに人質として山村政務次官という者を乗せ、学生らと一緒に共和国北半部へ送ることにした。一方、日本外相愛知はこの左翼学生が共和国北半部領域に入る場合、当然彼等の引渡しを要求するようになるだろうと語った。(略)日本反動当局はわが方に事前通告をせず、われわれの同意も得ずに三日夜共和国北半部領域に同機を送りこんだ。この飛行機事件の全般的経緯は大きな疑いをもたらしており、ことにある種の政治的謀略にわが国を引きずり込もうとする意図がうかがえる」
 午後6時新聞社は平壌放送を傍受した。「朝鮮中央通信社は委任によって次のように声明する。(略)日本当局は、日本領内で当然自分たちの出来ることをせずに、また自分たち自身が学生を共和国北半部に送り込みながらも、いまとなってわれわれの手でいわゆる犯人を捕えてほしいという。これこそ言語道断であり、日本軍国主義者ならではあえてすることのできない恥知らずな盲動である。われわれは断じて日本警察の役割を代って果すことはできない。(略)いま日本では飛行機を拉致して来た学生がトロツキストで不良一味であり、社会主義諸国と朝鮮民主主義人民共和国に反対するものであるなど、いろいろとりざたしているが、われわれは彼らを全然知らないし、また彼らを招いたことも、歓迎するといったためしもない。しかし、いったん日本の学生たちがわが国の領内にはいってきたし、また彼ら自身が日本に帰らないといっている以上、われわれとしては彼らを送り返すわけにはいかない。わが国の当該機関はこれらの学生に対し必要な調査活動を行い、適切な措置をとるであろう。これはわれわれのやるべきことであり、日本当局が関与すべき性格の問題ではない」とした上で同声明は最後に結んだ。「国際法と国際慣例を尊重している朝鮮民主主義人民共和国の人道主義的措置に従い、日本航空会社所属の旅客機ボーイング727とパイロットおよび人質として連行されてきた日本の運輸政務次官は四月四日午後、朝鮮民主主義人民共和国北半部の領内を発つであろう」
 この平壌放送でいっきに元気づいた日本政府は「公式通告」を待たずに四日夕の記者会見で保利官房長官の談話を発表した。「暴徒によって乗取られた「よど」がやむを得ず平壌に着陸せざるを得なくなり北朝鮮当局に多大の迷惑をかけたのは政府としてはなはだ遺憾である。それにもかかわらず政府と国民の願望を理解し人道的見地からすみやかな送還措置がとられるという情報に接し、北朝鮮当局に深い謝意を表明する」
 その文面はもちろん通り一ぺんの゛外交辞令”ではなく、異例といえるほど丁重をきわめたものだった、とA新聞「記者席」欄は書いている。記者から「具体的に北朝鮮になにかするのか」と問われた保利氏はしばし天井を仰いでから静かに言った。
「心をこめてこの談話を書きました。これほど心をこめて書いたことはありません」

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 佐和子は机に片肘をついていた。
 成績簿、項目別に仕分けた書類のファイル、個人調査簿、小口の色褪せた学習参考書などが堆く、机の向こう半分を占めている。その手前に、シクラメンが一鉢、埃っぽい辺りを払うかのように白い生気を発散させている。
 長い一週間だった。それにもましてこの五日間は――
 佐和子の関心はあるひとつの出来事にむかっていた。中心に向かって神経を集中しようとするのだが、不可解なものを解きほぐそうと焦るあまり、核心を包む堅い外皮に跳ね返され、たちまち方々に散ってしまう。思考の乱反射にいくども眩んだ。
 出来事の核心へと入りたい衝動は、それでもまだ、消えずにあった。
 誰も彼もが口にする゛人道主義”。振りかざす錦の御旗の下にはさまざまな思惑が渦巻いている。゛人道主義”が普通の真理ではないこと。ひとつしかないのは真実ではなく事実の方だ。しかも真実にしろ事実にしろ思考の取り持つ情報整理だけでは判明しなかった。
 思考ではなく、未だ外気に触れたことのない純粋で無垢な何かが自分の中にある、と佐和子は感じていた。明るみに出したいのはそれだった。
 事件の一連の流れは新聞・テレビによる報道でおおよそ見当がつく。しかし知りたいのは外からやってくるニュースではなかった。発生の日からこれで五日目を迎える長丁場の事の成行きを受けとめる自分のなかにあるもの、それは純粋で無垢などころではない、醜いこだわりであるかもしれなかった。たとえそうだとしても、それはうやむやに消滅させてはならない性質のものだと思えた。
 関係各方面の受けとめ方といい、反応といい、主張するところ、賭ける意気込み、解決方法に対する対処の仕方といい、それぞれに異なっている。東と西、北と南、海のむこうとこちらとで゛人道主義”の衣装をまとった外交という政治的駆引きが暗躍している。あるいはあらゆる壁のむこうとこちらとでと言い換えてもよかった。

 毎年、入学式の当日は式後に職員が一堂に会して、学長の挨拶と方針を聞いたあとなごやかに会食を行うのが慣例になっていたが、今朝になって急にそれが延期と発表された。理由は不明だったがもっと以前から判っていたことと推測される。式は教務主事が代行してすませたが、職員に対する新年度の方針演説だけは、勤務時間を無視して職員を待機させてでも今日じゅうに行う意向であるらしい。
「まことに恐縮ですが、本日、学長は外部で会議のためご到着が遅れております。もうしばらくお待ち下さい。部活で体育館その他部室へおいでになるのは結構ですが、放送が入りましたら至急、職員室へおもどり願います」
 退勤まぎわに教務主事から指示が出されて小一時間経ったころまたも同じ内容の指示がくりかえされた。
 ――遅いわねえ、来るならもっと早く来ればいいのに。
 ――雲の上は毎日が日曜日だそうだから貴重な土曜日に足止めされる者の気持は分からないんでしょうよ。
 ――ゴルフの帰りで大変なんだから多めに見てあげて下さいな。道が混んでますからね。
 ――学長は外部で会議じゃなかったの。
――学長だなんて勿体つけるのよしましょうよ。校長でいいんじゃない、高校なんだから。
――いえ、そういうわけにもいかないんですよ。敬称というものはより高い階位でお呼びするのが常識でありまして。
――あーらちっとも知らなかった。
――氏は短大の学長でもあられますから。
――その短大だけどさ、あんな大きいのおっ立てちゃって学生集まるのかしらね。こっちは相変らずすし詰め教室でしょ。敷地買収につぎこんだ費用も学舎建設資金もみーんな高校から流用したって、と思わない。
――それじゃこっちはウ飼のウじゃない。せっせと貢がされてるってわけね。
姦しい言挙げの中心に中條とも子がいた。彼女の作為による過剰ぎみの演出には、今夏までには少なくとも過半数を組織して組合結成を達成したいとする熱意がこめられている。天下の形勢有利とみた外部中執からのゴーサインはすでに出ている。中條は未組織の職場から個人単位で加盟する外部の組織にいち早く属し、自ら校内の分会長を務め、一人二人と仲間に引き入れた者のうち一の瀬礼子に書記長候補の白羽の矢を立てている。気難しがり屋の一の瀬は意識的に控え目を保っていたく用心深く表立つのを避けている。
「それにしても遅いわねえ、ヘイカのオデマシ」
 中條とも子はそう言いながら、机にへばりついてばかりで芝居に加わろうとしない吉川佐和子の方へやってきて、肩ごしにささやいた。
「ファッショだな」
 中條が仲間と見た者へふりまく合言葉である。反感を買う場合があっても彼女は気にしない。
「吉ちゃんきょうは出られるんでしょ」
 佐和子はふりむかずに首を横に振った。
「あらまただめなの。きのう頼んだのに。じゃあ忘れずに礼子さんに鍵渡しといてよ」
 佐和子が頷いたのを確かめてから中條は会議室の方へ歩いていった。非公然で活動している分会の会議に部屋を提供してきた吉川が先週、先々週と二度つづけて欠席したことで今後、欠席の場合は理由を明らかにすること、一の瀬礼子に部屋の鍵を預けることがとりきめになっていた。
 佐和子はちらっと小さな鍵を思い浮かべはしたが、それよりもきのうと言われて、昨日教務主事が言ったことを思い出していた。
 乗客は昨日まで金浦空港で四日三晩機内に閉じこめられたままだった。膠着状態が続いた末、ようやく身代り人質と交代に乗客救出の見通しがたったころだった。
「あっは、ふん。そりゃなんですよ。あんなところへ行ったら、もうなんですよ。そりゃもう、二度と帰ってこれませんからな。行かせちゃだめです。そうじゃありませんか、足立先生。いかがです?」
 水を向けられた足立一平は、生徒から゛ベトコン”の異名をとっている色黒の顔をいっそう赤黒くして口ごもった。
 七年前、教師になりたてのころは、若い気負いもあったのか悪びれもせず、安保のデモの渦を゛ぼくはこの辺で見ていたんだ”と過ぎた昔の新聞の切抜きを持ち出しては女生徒の関心を惹いていたものだったが、同じ社会科担当の中條とも子との仲が噂されていた五年前、ある事件が彼にふりかかった。
 担当教科のうち彼が受持った科目で彼が出題した試験問題のひとつに、世界各国の通称や略称を正式の国名で書きなさいという設問があった。足立としてはどんな故意も含めた覚えはなかったが、その中に「北朝鮮」の名があったことで、それを目ざとく見つけた同じ教科の先輩が足立の揚げ足をとるつもりで試験問題を揶揄の対象にした。同僚間の足の引張りあいなら日常茶飯事である。当初きっぱりと反論していればほんのかすり傷ですむはずだった。それを怠っているうちに教務主任から、出題者の意図は云々とやられるに及んで事は大きくなり、足立はひるんだ。
 当時、日韓条約締結を目前にして、分断されている国家の一方とだけ条約を交わすという不条理に条約阻止を叫ぶ反対派を、強権で封じ込め、動きを阻止しようとする態勢が優位ななか、一般の風潮もそれを是とする方向へ傾いていた。
 日本国政府が条約批准を交わそうとしている大韓民国をさしおいて未承認国の北鮮だけを取りあげるのは不穏当ではないか。一方的な統一を武力で謀ろうとする北だけを強調し、共産主義の脅威も知らない生徒に北への協調を助長するような言動は歴史教育に政治を持ちこむことになる。ひいては教育の中立を冒しひいては混乱を招きひいては―。年功序列の地位を利用し、優位な態勢の尻馬にのって個人的感情や敵意で他者を陥れる巧妙なわなが至る所に待ちうけていた。互いの意見の相違を蹴落としの手段にすりかえる。
「略称を正式の国名に書きかえるだけの試験問題のどこが悪いの。そんな理屈にもならない干渉はつっぱねなさいよ」
 中條とも子は足立に発破をかけた。また彼女自身、教科会議でも憤然とそれを問題にした。が、多勢に無勢で鼻も引っかけられなかった。当の足立は、正式の教員免許を持たず仮免を年ごとに更新しなければならないわが身上を慮った。
 毅然とした態度さえとれば擦過傷さえ残さないはずだった。ところが足立は傷を抱いて後生大事に温めてしまった。古傷は事あるごとに痛む。彼の姿勢は上層部のご機嫌をうかがい圧力を逸らす方へとしだいに傾いていった。中條とも子との噂も絶えてひさしい。
 ――いかがですか、足立先生。
 鎌をかけているなと足立は感じたが、とっさには適当な返事を思いつかなかった。あいまいな相槌でその場をつくろい、さも用ありげに席を立った。入学式の式場設営も新入生受入れのための煩雑な準備もすんだので、あとはてんでに残りの雑務に精を出したりひと息いれたりしているときだった。
 足立は新聞を取りにゆく振りをして休憩用のソファがる一角へ来た。そこには一ちゃん中さんと呼びならわしている一の瀬と中條、それに吉川佐和子とが休憩していて、衝立がわりの私物用ロッカーで隔てられてはいるが筒抜けに聞こえて主事の声を三人三様に聞いていた。
「うっかり物をいうと踏絵にされちゃうからな」
 足立は一ちゃんの方へ低声で言った。三十代半ばで結婚歴のない一の瀬礼子は無言のまま、淑やかな手つきで彼にコーヒーを注いでやった。趣味にヴァイオリンを弾く彼女の細く白い指先が優雅にポットのふたをおさえていたあいだ、それを見るともなく見ていた佐和子は、そのすぐあとに足立が中さんから告げられたこともまた、上の空で聞いていた。
「足立君、はっきりしてほしいわ。どうするつもり? 意思統一の問題もあるし、あしたの分会にはちゃんと出るべきよ。会食のあとですぐに始めるから。場所は吉川さん宅」
 ぷふうーっとタバコの煙を吐き出しながら中條とも子はきのうそう言ったのだった。
「吉川先生」
 急に太い声に呼ばれて佐和子が「はいっ」と顔を上げると加藤教諭の丸顔が斜め向こうからにゅうっとのぞいていた。年間行事のひとつである夏期合宿の日程が決ったので彼はさっそく水泳訓練に付き添う監督の人選に手をつけている。
「お願いしますよ。なにしろ宿泊がともなう行事は女性に嫌われますからね、今から確保しておかないと。先生なら今年も大丈夫でしょう」
 佐和子は山岳部の顧問から富士登山の付添いも頼まれている。毎夏、山から帰るとすぐ海へ引張られ、職員の研修旅行、英語科の補修授業、演劇部の指導そして生活指導部主催の街頭補導とつづくので休暇中も休日は無いに等しい。ほぼ半数に当る女性の教員はたいてい早や目に手を打って休日を確保する。海難事故を引合いに出して責任の所在の明らかでないものには参加できないというのが海浜学校の付添いを断わるさいの理由だった。せっかくの休みだもの子供といっしょに遊びたいわとでも言ってくれさえすれば回ってきた仕事なら快く引受けられるものをこれでは同性のよしみは台なしだ、とかねがね佐和子は思っていた。けれどももし佐和子が返事を渋ろうものなら「いいじゃないすか、先生はおひとりでしょ。ご亭主がさみしがるわけじゃなし」と一蹴されるに決っている。
 加藤教諭はひと声かけたら決定したも同然とばかり、もう佐和子の返事を待たなかった。類は友を呼んで三々五々雑談の環ができているなかへ人選表を片手に出向いていった。
 ――楽しみだなあ、吉川先生の水着姿。生徒とくらべて遜色がない。ワハハハハ。
 ――そうだ、今年は水着姿でコンテストでもやったらどうかね。菊花女子学園に因んでミス菊花賞てのはどうですかな。アハハハハ。どうせうちの生徒に受験勉強なんかやらせたって勝ち目はありませんからな。いっそよその私立みたいにもっと派手に芸能界へ進出をはかった方が得策ですよ。
 ――そのとおりじゃ。すらっとして結構かわいい娘がいるでよ。
 ――ぼくなんか授業中かわい子ちゃんばっかり当てたりして、ウェヘヘヘヘ。
 ――堅いこといって規則づくめで縛ったって、どうせ制服ぬいだら何やっとるか知れたもんじゃない。娘が傷つくから親は訴えてこないが相当、荒れてますよ。表面にでてこないだけでね。
 ――クラブ活動でしぼれば非行なんておこるスキがないんだがなあ。だからさあ、おれはクラブにもっと金を出してくれといいたいんだ。仕込んでやればバレーや卓球で成績を上げるくらいはできる。韓国と交流試合でもやれば親善交流とかなんとか新聞にぱっと名が出る。本校の名が挙がる。一石二鳥三鳥ですよ。
 ――それはいいアイディアですね。こういうことはね、他校に先がけてまだ珍しいうちにやらんと意味ないです。ひとつ学長に話してみますか。本校の名を世にしろしめすチャンスですからな。
 ――そうそう、どうです。こんど村上先生がA中から引き抜いてこられた張春子。あれなんか背丈はあるしテニスよりバレーに回してもらえませんかなあ。もう一人B中から推薦で入ったやつは何ていうんです? 金田? なんだこれもサンゴクジンか。多いなあ。
 ――まだいるはずですよ。
 ――ええんかなあ、こんなに入れて。面倒みきれないって就職の田中さんがぼやいてたがなあ。
 ――いやあ高卒女子は今や引張りだこですよ。とくにうちは普通科の看板あげてるけど中身は商業科並みで珠算と簿記やらせてるから企業の受けは抜群。就職率一〇〇%の宣伝に嘘はありませんや。
 ――ちがうちがう。あちらさんのことですよ。昨年、三年になっても名前を変えたがらんやつがいて往生したんだって。そのくせ就職はさせろってごねるんだから無茶ですよ。
 ――そういうことは総務の方で入学時にしっかりチェックやっといてもらわんといかんなあ。授業料免除で引抜く特待生の場合はとくに。
 交わされている雑談は書類の堆い隔壁のむこうから佐和子の耳殻めがけて集中しひんぴんと鼓膜を打ってくる。拒もうとする前に耳は音を拾ってしまう。それが人の会話であれば否応なくそれは意味を帯びてしまう。
 佐和子は頬杖をつかないように努力しながら姿勢を保っている。
 ここに坐ってこんなことを考えている自分がおかしいのか、もともとここがいるべき場所ではなかったのか。
 中條とも子はひとりラジオをつけっ放しにしてテレビのある会議室に陣取っていた。
 ルポライターをやって三十になるまでには著作の一冊くらいは持ちたいわ。ベトナムも面白そうね。著名な評論家を父に持つ彼女の口癖である。「寸叉峡」のときもいち早くテレビをつけた彼女だった。
 日本航空史上初のハイジャック事件に当初、ほおっと息をのんだ世間は、乗客の全員救出が成功した今となっては急速に関心を失った。試合の結果がわかってしまうと早々と席を立つ飽きっぽい観客みたいなものである。かえって、これまで人命のためにすべてを犠牲にして犯人のいうなりになってきた外国の方が日本の型破りなやり方に注目した。離陸防止や擬装工作を大きくとりあげた。人質交替についての報道、反響はなおさらである。
 ニューヨーク特派員三日発――何とかして福岡からの離陸を食いとめようとした日航の努力、ソウル空港でのトリック、犯人とのかけひき、米国の新聞は事件の進展を刻々と伝えた。人質の交換という方法はこれまで世界に例のないやり方だ。犯人との長い交渉もはじめてだ。日本や韓国政府はよくやったではないか。むしろ称賛に値する。乗客の安全を考えればあれ以外に方法があったか。
 パリ三日発――山村次官の犠牲的行動は全フランス人を驚かした。「私たちの国の大臣にこのような勇気のある人がいないことを絶対保証します」とある婦人は断言した。フランス・ソワールの紙面では有名なコラムニストが劇的に語った。「日本の一学生グループが乗客を閉じこめた狭い獄舎に突如として一つの声が響きわたった。――もし諸君が乗客を自由にするなら私が諸君の所へ行くぞ。たちまち数時間のうちに、ムッシュ・ヤマムラは暴力の荒れ狂うこの宇宙で最も有名な人物となった。それは彼が暴力にこたえるのにヒューマニズムの姿勢でこたえたからである」同紙は一面の社説でも大変なほめようである。「彼は現代の英雄だ。ムッシュ・ヤマムラは暴力が支配する状況の中にあって、最も称賛されるべき行動を示した。人道主義をもってテロリズムにこたえたからである。一九七〇年四月二日いわゆる市民社会の歴史上初めて、支配階級の一人が被支配階級のための犠牲になるという快挙があらわれた」と持ちあげた。ル・モンドは多くを語らずロベール・ギラン特派員の警告的な意見を載せている。「これは現在の日本政府に有利な作用を及ぼすかもしれない。なぜなら佐藤首相らは日本はまったく危険な世界の中心にあり、中立と非武装という幻想の中で生きることはできないのだぞ、と国民に繰り返し説いてきたからである」
 愛知外相は「よど」が北朝鮮で対空砲火をうけたという未確認情報をもとに「北朝鮮は日航機を受入れないだろう」と言明し、韓国に着陸させた理由のひとつにしていたが、その見方は北朝鮮の公式声明で完全にウラ目に出た。また、日航の「人命第一」の原則に対して政府筋から「北へやるのはまずい」との意向が伝えられていたことは公然の秘密とされている。しかも、ついに平壌入りした今となっては、「よど」の機体と山村次官と乗員三名とがいつ返還されるか、いつか返還されるものかどうか。疑心暗鬼が根を張っていた。大きな声ではばからず物がいえる人々のあいだではそれだけが話題性のある、辛うじて価値あるニュースとして生き残っていた。
 ――身代り人質とはうまい手を打ったもんだな。これで山村次官はオトコをあげたわけだ。日本男子ここにありってよお。こりゃ桃太郎の現代版てとこですかなあ。
 ――いやあ桃太郎さんなら凱旋しますがなあ、しかしィあそこへ行ったら二度と戻れやせん。まそれくらいの覚悟はしとるでしょう。
 ――しかしこれだけ人命尊重をいいたて人道主義を前面に押し出してきたんだから北鮮も簡単には手が出せんでしょう。問題はいつ帰れるかだが、こりゃ難しい。ちょっとやそっとでは無理だな。
 ――大韓航空機だってずいぶんかかっているからね。そう簡単には返さんでしょ。世界の注目を浴びている事件なんだからそこを利用して日本政府はもっと強く出なきゃいかんですよ。あちらも学生らとの関係否定にやっきになっとるがこっちも釘をさしとかんとだめだ。仮にも犯人を泳がせたなんて流言の出んようにせんと。
 ――トロキスト集団なんて受け入れるところなんかあるもんか。
 吐き捨てるように入ったのは佐和子のま向いの席でむこう向きに背中を見せている足立一平だった。彼のセリフは他のだれのセリフともぶつかり合うことなくその場の雰囲気に吸いこまれていった。
 ノートルダム寺院の鐘を模した時鈴(チャイム)が鳴った。平日ならば午後の授業が一コマ終る時間である。
 佐和子はいつのまにか頬杖をついていた。
 自信たっぷりに賭け事の予想を占うようなにわか評論家の評論を小耳にはさむたびに、胸にざわめくものがある。かれらの物言いは人それぞれのまともな精神の営為から出ているとは思えない。不正確な情報の断片を鵜呑みにし、それぞれの生理感覚の付き合わせで生じてくる生理現象として、欲求のおもむくままあたりかまわず排泄するかれらの言葉は汚物さながらだ。
 頭のなかではしきりに何かが蠢いていたが思考の連鎖は繋がりかけてはほどけてしまう。
 思考も、想像も、かき乱されている。生活も? ひとりぐらしに生活と呼べるほどの形式などあるはずもなかったが、ぐずぐずしているうちに時間に追い越されてゆくような生活に、いつかは、そして本当のところは一刻も早く決定的な審判を下してやりたいと、猶予の期間に対して自己の意思で下すであろう裁定をおそれつつ心待ちしていた。その一方で自己の選択にためらいも覚えていた。
 わたしほど妥協しやすく影響されやすく修身の教科書に忠実な輩はいない。「期待される人間像」の鑑だ。だからこそ見えた、これは現実との裂け目である、と呟いてみる。
 わたしなら、心配しないでほしい。わたしなら、おそれないでほしい。まるで人畜無害だ。欲しているのはスカッとしたくてハッシと打ってみたい、黒々としたピリオドなのだから。
 思想なんてありはしない。生きる希みと現実との相剋があるだけだ。他の誰かをオニにして排斥して止まない人間の暗い部分、それは人間の弱い部分だというなら、我にも彼にもある弱い部分をこそ明るみに出して光の中へと消滅させるべきではないのか。オニはわたしの中に棲んでいると。わたしなら、大手を振ってこう言える。もともとわたしに思想なんてありはしないと。しかしそれでもなお抱くおそれは、この情感の不安もまた、゛いくつかの、いや無数の偶然から成る必然”なのであろうか。
 あー。これはゲームだ。ゲームをやっているのだ。
 佐和子はため息をつきそうになって、やめた。
 何が起こり、どんな経過を踏まえて次の段階へ向かい、いかに展開しようとしているのか。虚と実とがよじれ合わさっている。あるのは与えられた現実だけだというわけか。
 佐和子は坐ったまま腕を高く突きあげて、ノビをした。ついでにうえを見ると、毎日、葦の髄からのぞいている職員室ののっぺりした天井が見えた。
 長い五日間だった。それにもましてきょうの一日は――
 ふと机上のシクラメンに動きを感じた。むこうから誘うような華やいだ姿に映る。
 にょきにょき伸びてきた茎の先で白い花は外へ外へと反りくりかえっている。この咲きようは――そういえば、羽ばたき飛び立つときの水鳥に見てとれる。平たい葉っぱの陰にもまだたくさんの蕾、水鳥の予備軍が犇めいている。そこだけみずみずしい生気の漲ぎる圏内に、佐和子は彼女を思い出した。
 ちょうど四週間前のことが力を得て甦ってくる。あれ以来のことを佐和子は反芻した。
 卒業式を明後日に控えた土曜日、職員室ははれて教師との打ちとけたおしゃべりを楽しみ、ついでに記念のサインももらっちゃおうという女生徒でごったがえしていた。机のまわりに黒山の人だかりができている。佐和子も囲まれていた。
 彼女は鉢植えを持って現われた。
 二千名近い女生徒が犇めくマンモス校である。名前と顔とが一致するのはせいぜい授業に出るクラスの生徒に限られる。彼女の場合、佐和子が一年次のクラスを受持った。
 運動クラブでの過度な練習がたたって体をこわした子である。特待生であることが余分に負担を強いた。無理をしているうちに内臓をいためた。成長期にそんなケースは少なくない。秋ごろから入院、退院をくりかえし、出席日数不足のため一年次の終りには進級が危ぶまれた。担任の佐和子は各教科の担当者に平身低頭で補充授業をたのみ、春休みも彼女を出校させて不足分を補い、それでも不足する分は数字の操作で辻褄を合わせた。書類上の時間数さえそろえば問題は表面に出ない。重要なのは書類上の数字だった。
 佐和子は彼女の顔と名前を憶えていた。
「お世話になりました」といわれたとたん目に熱いものが寄ってきた。裸のつき合いなどという代物は大の苦手。生な感情をぶつけ合うのは動物的、本能的でどこか卑猥。けれどもあのときは、お世話になりましたなんてどう訳すんだろうと七癖のひとつを行使する余裕がなくて不覚にもそうなってしまった。
 それから彼女は余分なおしゃべりを省略してさっとサイン帳を差し出した。
 またこれか。年々歳々、少女趣味まるだしのサイン帳とありきたりの文句との狎れ合い。よくもまあ飽きもせず、と思う反面、わたしときたら五年もここにいて贈る言葉ひとつ持ち合わせがない、とふがいなさに卑下したくなる気持も手伝った。佐和子は彼女がもたらした白い花をクロッキーにしてページを埋めることにした。
「あなたの名前どこに入れようか、このへん? このへん?」
 落着きのいい箇所をここと決めてコンテを下ろそうとしたとき、彼女の手が突っかかる勢いで佐和子の手を払った。
 どうしたの、と顔を見上げるスキを与えず、ちがうってそんなはずはないのに、と訝がるいとまも与えず、彼女は群をわけて職員室を出てしまった。
 あっという間の出来事だった。二人三人と連れ立って来る子が多いのに彼女はひとりで来たらしく呼びとめる友だちは見あたらなかった。佐和子は順を待つ他の生徒の求めに応じて、サイン帳に彼女たちの似顔絵を描いていった。元気でね、と言って渡した。彼女たちの前途に掛値なしに言ってやれるのはそれだけだ。
 制服の汐が引いたあと置き去られたサイン帳を繰ってみた。
「希望と前進」「いつも明るくいつも心に太陽を」「失敗は成功のもと」「いかなる時にも挫けない勇気を持て」「従順と素直」「根性ひとすじの道」「人から愛される人になれ」
 彼女は先生たちから自署入りの達筆でこんな言葉を贈られていた。佐和子がひるむ思いでさがした彼女の名はどこにもなかった。
“Look before you leap” Kenji Okada というのがあった。辞書には「ころばぬ先のつえ」と訳されているあれだ。「跳ぶまえに見よ」とはいかにもケンジ君らしい。
 当節、若い活力を注ぐには魅力の乏しい教員職だけに定年退職後に公立から回ってくるご老体が多いこの職場に、岡田先生は昨年れっきとした新卒で入ってきた。たちまち生徒の人気の的になりご満悦である。「もう生徒ったら若いオトコなら何でもいいんだから」と中條とも子をして嘆かせる始末だった。民主主義的歴史教育の実践、集団主義を重んじる実践による明るい明日のための要求実現のために、ルポライターの夢を犠牲にしてこのくすんだ職場にとどまっている彼女にはがまんがならなかった。
 バレンタインデーのプレゼントが一番多かったのも岡田先生だった。大もてに気を良くしていたがそのうちのひとつを開けてびっくり玉手箱。彼が誓っていうには見たこともないハート印のゴム製品だった。
「ぼっぼくは、こんなもの使ったことありません。だいいちぼくは独身です。どっ童貞です。ぶっ侮辱です」
 岡田先生は送り主を厳重に処分してほしいと生活指導部へ訴えた。
「年ごろの娘がよくやるいたずらですよ。先生のお気持も分からんではないが、そこはひとつ大人になって勘弁してやってはいかがです」
 指導部会で長老たちはなだめたが、高潔の士は訓戒どころではおさまらない。プレゼントの送り主は訓戒のほかに停学三日間を言い渡された。
「そうですかあ、先生は童貞なんですかあ」
 歌舞伎役者のように整った顔立ちのケンジ君は口をへの字に曲げて頷いた。足立が吹き出しそうになった。
「足立先生はマイカーを乗り回して結構、楽しんでおられるようだが、先生近ごろの若い子はどうです?」
 処罰を決めたあとは授業終了を告げるチャイムが鳴るまでたいていはこんな漫談に花が咲く。佐和子は長い楕円型のテーブルの端っこからケンジ君のプロフィールをスケッチしていた。゛アナクロニズムの時よ止まるな、君はこっけいすぎる”と鼻先に落首を入れた。
「吉川先生、こんなことは記録せんでええんだよ」
 指導部長の永井教諭が記録係の佐和子に冗談を飛ばした。
「はい、心得ております」
 あられもない雑談、裸の王様たちのあられもない姿、みんな記録に残してやるとも。
「何年何組のあれは処女じゃないな、どう見ても。鑑定する方法はないもんですかねえ、リトマス試験紙みたいなのがあれば便利なんだがなあ」
「妊娠してれば見分ける方法はあるんですよ。蛋白が出ますから。だけど外から見ただけじゃねえ。そんな方法は今のところ、裸にしたって・・・・・・あっはっは」
 街頭補導に出て非行生徒を捕えるのに人一倍熱心なベテランの竹取先生が女太夫のような声をあげた。
「足立先生もフィアンセに気をつけていらっしゃらないと・・・・・・」
 竹取先生から注意を受けた足立は苦笑した。
 その四・五日前生徒の母親と名のる人から娘のことで話があると足立に対して゛脅迫”の電話があったばかりだった。永井教諭は足立を出さず「そんな言いがかりには応じられない。どこにそんな証拠があるか」とえらい剣幕の一場を演じて電話の相手を一蹴した。
 足立は永井教諭に借りを作った。所属している合唱団の練習が忙しいのを表むきの理由に、それまでも欠席がちだった分会から身を退いた。分会では数少ない男性だけになんとか引き止めたいところだったが、足立は一ちゃんと中さんに弁解した。
 あのなかにはトロツキストがいるからな。
 分会の中でも外でも、それは通用する弁解だった。彼はひとつの選択をしたにすぎないが、どんな選択だろうと、した選択はしたのだった。
 とうとう佐和子は実行するしかないひとつの考えに追いつめられた。
 この何の変哲もないサイン帳がどうしてこうもわたしの胸をさわがせるのだろう。ケンジ君は「跳ぶまえに見よ」とのたまうけれど、lookとleapを矢印で入れ替えとこうか、そんな誘惑をおさえかねるわたし。それにしても彼女の名を入れようとすれば・・・・・・。
 結局、クロッキーの余白に彼女の名を添えることができたのは、卒業式の当日、担任に伝言をたのんで彼女を来させ、本人の口から名前を聞き出したからだった。
 はんなりした性格の彼女は一昨日のことに大してこだわる様子もなく、佐和子が気抜けするほどあっさりとサイン帳を受けとった。
 彼女はこの花みたいに七百余名の水鳥とともにいっせいに飛び立っていった。
 その通りなのだが、と振りかえる佐和子はその先にこだわらずにいられない。
 前触れもなく手を振り払われたことの以外さと一瞬であれ、彼女がそのとき込めたあの凄まじい力の意外さとが佐和子をその先へと導いてゆく。
 卒業生が巣立ったあとも一・二年生の学年末試験の採点、クラス毎、学年毎に出す五段階評価の割出し、年間通しの成績処理、通知表への記入、学籍簿への記載など、忙しかった。
 ある放課後、佐和子は図書室へ仕事を持ちこんで、出席簿の欠席日数だの欠席事由だのを調べていた。
「吉ちゃんここにいたの」
中條とも子が入ってきて大きなテーブルの向いに坐った。
「職員室は息苦しくて仕事がはかどらないものね。いつも背中見られているような気がして。だけどここも安全地帯じゃないわよ。主事が購入希望図書の申込み用紙にも目を光らせてるっていうから。あなたも気をつけないと狙われるわよ。吉ちゃんじゃない、あの本、図書へ入れたの」
 中條は同じ装丁の大型本が十巻ほど並んでいる書架の方をあごでしゃくった。それは五年前、自著の歴史教科書に対する検定を憲法違反として国に賠償要求の訴訟を起した歴史学者が監修した日本史で、公立では不採用とすることが暗黙のうちに了解されている代物だった。
「専門教科の範囲にしておいた方が無難じゃない。足立君も言ってたし。詩集なんかは礼子さんが選ぶからっていってたわよ」
 教科の範囲に制限していたら「芸術」に美術を取り入れていないこの学校では美術全集ひとつ揃える人がいなくなるだろう。百科事典さえない貧弱な図書室に昨年やっと司書が来て、わずかだが予算もついた。購入希望のあった図書を入れるのも没にするのも司書の役目だ。
「そんなことはこちらから自己規制しなくてもいいんじゃないですか」
 言い合っているうちに仕事がはかどらなくなってしまった佐和子は手を休めて、あれ以来気になっていた彼女のことを中條にかいつまんで話し、意見を求めた。
「中條さんは彼女が朝鮮人だって前から知ってました?」
「さあ、受持ちクラスにちょくちょくいるのは知ってるけど。三、四年くらい前だったかなあ、共和国へ帰ろうかどうしようかって相談されたことがあるわ。もう帰れなくなりそうだからって。歴史的経緯から言えば、帰るのが当然でしょうね。いづれにしても生きてゆくのに他力本願じゃどうしようもない。だけど最近そんな話し聞かなくなったわ。難題よねえ。五年前には足立君がつぶされた例もあるし」
「でも彼女はなぜわたしに? そのへんが腑に落ちないんです」
 佐和子は、とも子さんのように歴史に詳しいわけでもなく、贈る言葉ひとつ自信をもって書けないわたしにはとっかかりさえない難題だ、といいたかった。
「それは、あなたが期待されているせいよ。あなたの教育実践が彼女を動かしたと見るべきね。本名宣言、すばらしいじゃない。吉川先生はもっと自信をもって進むべきだわ」
「ちょっと待って下さい。これはそんな美談じゃないと思うんです。彼女にとってもわたしにとっても。こちらから彼女に働きかけたことは一度もないし、彼女だって・・・・・・本人が名のらなければそれですんでゆく。担任までしたことのあるわたしが本人の口から聞き出さなければならなかった。これは相当いびつなんじゃないかと思うんです」
 中條とも子は彼女が本名を告げたという部分だけを拡大解釈して、ひとつの喜ばしい事件のように言う。とも子さんの「教育論」のフィルターを通すと゛本名宣言はすばらし教育の賜物である。教育指導のすばらしい成果であり、すばらしい教育効果をあげた教育者はすばらしい”となってしまう。
 決して美談じゃない。もろもろの自称からひとつの事件を抽出するとひとつの出来事としてたちまち他から切り離され、問題の関連性が見えなくなる。本名宣言がそんなにすばらしいならその前に、本名そのものがすばらしいはずではないか。すると、それまで彼女を通名で呼んではばからなかったわたしたちの行為はどうなるのか。本名を呼べば呼んだで、本人が名のれば名のったで彼女に襲いかかってくる困難はどうなるのか。
「あなたの言いたいことは分るけれど今すぐには解決しそうにないわ。今、外の問題はベトナムで忙しいでしょ。あなたがやりたいなら一応、上げてみてもいいけど。上げても下りてくるまでにそういうのは時間がかかるのよ。それに、ねっ。今は職場にとって一番大事な時期でしょ。まだ口外しないでほしいけど五月旗上げ予定、決定よ。だからもう秒読みの段階まできているの。早くきちんと組織化してみんなでまた安保をたたかいましょうよ。そのなかで、そういうこともおいおい・・・・・・そういうことでさ」
 そういうなかで、そのなかで。あれを言われると、佐和子はいつも自分の意思らしいものが゛そのなかで”に吸収され解消されていってしまいそうなおぼつかない気分にさせられる。
「わたしが言いたいのはちょっとちがうんですけど、どう言えばいいのかしら・・・・・・」
 言い淀む佐和子を制して、中條とも子は言った。
「結局、こういうことじゃない。おこがましい言い方だけど、あなたもわたしも救われているのよ」
 あのとき、中條とも子は事もなげに言った。そのとき、佐和子はそれに強い反発を抱き、反射的にちがう、と思った。救われているんじゃない。免れているだけだ、と。しかしその先はよく分からなかった。わたしが言いたいのはちょっとちがうんだけど、と言ってそのままにしてしまった話の、その先の方にこだわった。こだわりは今も持ち越している。
 つまり、組織拡大を最優先して組合結成を急ぎ、旗上げ成功の暁にはおいおいそれにも取組もうというわけか。
 意外な考えの発展に、まさかと驚き、佐和子は自分を疑った。
 中條とも子への個人的で感情的な反発なら以前からあった。節分の豆まきみたいに撒き散らす゛ファッショだな”は煩わしくて仕方がない。ベトナム解放戦線支援のカンパを募るのにディエンビエンフーの勝利から説きおこすくどくどしさ、裏会合の妙に形式ばったやり方、指令はいつもどこからか下りてくる。奥に控えて姿を見せない覆面の上という秘密っぽい存在。団交がもてるようになったところで賃上げ要求にはまっ先に反対するだろう゛教育専科”の一の瀬礼子を書記長候補に祭りあげて仲間うちで唯我独尊の態度をとりあい、自分たちだけで感激しているような趣きがある。
 何をそんなに頷きあっているのだろう。目を皿にしたって今のわたしに肯うことのできる対象なんかひとつもありはしない。
 中條とも子は今日で発生以来五日目になるよど号ハイジャック事件にも興味津々である。事件そのものよりも、事件に関心のある自分に周囲の関心を惹きつけることに関心があるみたいだ。テレビのある会議室と職員室をこまめに往復している。大っぴらに言う乗取り犯批判の口調は彼女が批判的な足立一平のそれと奇妙に一致している。
 佐和子はシクラメンを見つめながら、こだわりの先の方を追った。
 わたしたちは救われているのよ。
 それはいい気な考えだ。しかし、中條とも子との間にたとえ考え方の相違はあるにしろ、彼女が告げたかったであろう、ちがいます、のひと言の前には、救われているわたしたちの世界は成立しようがない。中條とも子と言い争ってみたところでその解釈の方法はさぐりようがない。
 こちら側のああかこうかの観念の操作などいかほどの作用も及ばないところで、彼女はこの学園で三年を過ごした。この学園が受け容れることのできる名前で彼女が過ごしたところの三年間は、彼女にとってうそいつわりの三年間だった、と言うことはいともた易い。しかし、彼女が誰なのかを佐和子が知らないでいたその三年のあいだも、彼女はむこう側からこちら側を見ていたのだ。むこうから見えるこちらの世界が虚構であることを彼女はすでに知っていた。
 なるほど佐和子は彼女を朝鮮人として差別しなかった。なぜなら彼女を差別するための根拠をまだ知らなかったから。しかし、その間も彼女が朝鮮人であることに変わりはない。したがって、差別している自分を知らなかっただけだと言い換えることもできる。
 佐和子の手を振り払ったとき彼女が言いたかったであろう「ちがいます」のひと言はこちら側のうそいつわりを際立たせる。
 彼女はひと言でこちら側の世界の虚構を暴いたのだ。こちら側の拠って立つ足場はとうの昔にはずされていたのだ。
 佐和子ひとりが迂闊だったわけではない。中條とも子ひとりが不謹慎だったわけではない。救われているのよ、と言えるのはどっぷりと温い湯に浸っていられる、救われている者の言い草だ。
 こちら側の確固たる現実とみえていたものは、もうひとつの現実を突きつけられて、瓦解した。
 在日朝鮮人、それは朴華純(パクハスン)のことだ、と佐和子はようやくにして思う。
 ノートルダム寺院の鐘を模した時鈴(チャイム)が鳴っている。平日ならば一日の最後の一コマが終るころである。
 開け放しの窓から渡ってきた春の風が白い花影をそっと風下に流して通りすぎた。
 朴華純はどこへ飛び立っていったのだろう?
 空が見える。ぽっかり浮んだ雲の上に一対の人形が見える。黒いタキシードと白いウェディングドレスに盛装した二人は蒼穹の奥間から下界を見下している。
 佐和子はあわてて目を伏せた。
 だからいやなのだ。こんな晴れた日にうっかり空を見上げるのは。
 時鈴が鳴り終ったとき、放送の入りを告げる別のチャイムが鳴った。
「先生方、大至急、職員室へお戻り下さい」
 女子事務員の声で三度同じ内容がくりかえされた。
 大股で会議室から出てきた中条とも子は佐和子の肩を背後からぐいとひと揉みして通りすぎた。佐和子が顔をあげ振りかえったときには、書類の山のむこうに沈んだ中條の姿はもう見えなかった。
 式の当日早々、体育系のクラブでは新入生もまじえて猛練習を開始する。出払っていたクラブ顧問たちがどやどやと戻ってきて、職員室は活気づいた。
 ややあって学長が中央の席にこじんまりした体を据えた。
 まだあちこちで空席が目立つ。集まらないのではなく、幼児をかかえている女性の教員が待ち切れずに早退したのだった。
 主事は、だれだれはやんごとない理由でお先に失礼したのでお許し願いたい、と恐縮しながら前置きし、異例の遅い職員会議が始まった。
 オコトバを賜るだけの会議である。
 開口一番、私学経営の危機を強調した上、全職員一丸となって努力されたい、との由。入学金・学費の大幅値上げについては一切触れず、募集時に公表した定員を百名も上回る無茶な水増し採用については、公立を落ちた者に便宜をはかるのは私学の勤めであり、私学だからこそ融通のきく、取れる措置であり、この特権を生かして生徒急増期に当る今こそ当学園発展のために規模拡大を計らねばならない、との由。
「また申し添えますが、定員上乗せ分につきましては、先生方および事務員の全職員へ給与等で還元することをお約束いたします」
 食い扶持がかかってますからな、と新入生の頭数を気にしていた木下教諭の一段と大きい拍手。ほかにもパラパラと賛同の拍手が聞こえた。
 本校の教育目標については従来どおり何ら変わりはないが、とるべき各方針については教師間に意見の相違は絶対にあってはならない、との由。
「たとえて言いますれば、一つの家庭で両親がそれぞれに勝手な意見を押しつけた場合、迷うのは子供であります。学園というところも家庭と同じであります。従いまして教育の大本を同じくして、生徒を惑わす余分なトラブルの原因となるものは極力これを避けねばなりません。先生方はこの点、特に一致ご協力願いたいのであります」
「異議なーし」
 ものの数分で終った。
 あまりのあっけなさに、主事でさえあわてた。学長は気を利かしたつもりだったかもしれないが、主事は、会食の予定をはずした上に長時間待機させた職員への手前、以上をもちましてとも言えず、とっさの機転をきかせて、予定になかったにもかかわらず生活指導部から報告があると付け加えた。
 生活指導部長永井教諭はよいこらしょ、と立ちあがり、学長へ深々と一礼した。部厚い指導部記録簿をとりあげ、ページをさばきながら、ここ一ヶ月余りのあいだにおこった非行の補導事例を一つ一つ報告しはじめた。
 が、報告書は表の書式をとっているので永井教諭は口調をととのえるのに四苦八苦している。事例の多さといい、老眼鏡を上げ下げしてのしどろもどろの読み方といい、これならたっぷり時間がかかるだろう。それは指導部会の席上、佐和子が記録係としていつも記録しているものである。
「去る三月○日私服で盛り場を徘徊したAに家庭謹慎を命じたところ、えーえー、本人の反省を認めて二日目に謹慎を解くもえーえー、Aは前科が多く今後とも要注意でありまして・・・・・・Bは他校男子生徒が運転するバイクに同乗し暴走中、検問に遭い、職務質問に対する態度が悪く、警察から連絡があったものでありましてェBは余罪が多く情状酌量の余地なしと認めて無期停学といたしました。えー申し添えますが今後、Bとの接触は指導部が一括して行いますので担任にはBとの個人的接触はつつしんでもらいたい。(生徒に甘く非行を軽く見ると評判のBの担任に釘をさしたものと思われる)つぎに下校途中、喫煙中を婦人警官に補導されたCを中心とするグループには他校の生徒も入っておりシンナー吸引をそそのかされた可能性もあります。非行のグループ化は最近とみに目立つ傾向でありまして・・・・・・エーつぎはD子の場合、D子はお好焼屋で知り合った年上の社会人男性と長期にわたり付合っておりィ、・・・・・・発覚した時すでに、すでにねんごろの間柄になっておりィ、本人には何ら改悛の情は認められず、指導部はいったん退学処分の結論を出すに至りましたがあ、えー、実はこの生徒、父親の方は知る人ぞ知る財界の大物でありましてェ、そちらの関係で、停学一週間にとどめました。すでにオンナになっているD子には厳重な監視と厳格な態度でのぞむことが必要でありまして・・・・・・昨年夏休み中、行方不明になって以来、休学届の出ていたEは最近になり喫茶店マスターと駆け落ちし同棲していた事実がつかめました。学業放棄ということですがえー、ただしEの前途に傷のつかぬよう退学処分以前に自発退学を勧めたところ親もこれを了承しましたので即刻、手続きをとらせた次第であります。
F子の場合・・・・・・G子の場合・・・・・・永井教諭の下が少しずつなめらかに回りはじめるにつれ、一件一件の報告からは「近代女性育成」の大看板の下からはみ出した彼女たちの悲鳴が高鳴ってくる。
盛り場徘徊、未成年者喫煙、私服外出、無断アルバイト、無断旅行、それにおどろおどろしい不純異性交遊という語彙。佐和子には記録簿にはじめてあの語彙を見つけたときのゾッとする感じが今もある。記すたびに抵抗を覚える。
その抵抗感は、指導部会が持たれるたびに、非行生徒のとった行為に相応の処罰を決めたあと時間つぶしに交わされるあられもない雑談のなかで、揉みくちゃにされながらも、いっこうに衰えてくれない。
ま向いの席にいる足立さんはどんな気持でこの報告を聞いているだろう。永井教諭の報告はまだ続いている。「最後に」と彼は急に声を張りあげ、そして急に声を落とした。
「これは別件といいますか、本来ならば報告の必要のないものでありますが、先月、飛び込み自殺が一件、本校の生徒でありました。(だれなの? だれか知ってる? とささやきあう声)私共生活指導部の不徳のいたすところではございますが、幸い卒業後でありましたので本校の名を伏せるよう新聞社に依頼いたしました。その際二・三の先生方には非常にご尽力いただきましたのでこの場をお借りしてお礼申し上げます。またこういうことは口外無用の原則があることもひと言申し添えます。以上」
 永井教諭が腰を下ろすやいなや事務長直属の主事がすかさず中央に歩み出て教務主事の指名を待たずにマイクを握った。
「えー事務からもひとつお願いします。毎年、新年度に申し上げているわけでございますが、クラス担任の先生方、お忙しい時期に誠に恐縮でございますが、新入生の場合、家庭調査書をよーくお調べ願いたいのであります。と申しますのはサンゴクジンが紛れ込んでいるやもしれませんので、その点どうかおひとつお見落としのないように願います。また戸籍抄本又は謄本は来週中に事務へも各一部提出していただくことになっておりますので申し添えます。以上」
「ではこれをもちまして本日の・・・・・・」
 教務主事は会議の終了を告げた。
 いっせいに立ち上がったので、学長が引きあげるのを総立ちで見送る格好になった。

 もしそれができるなら、佐和子は生徒たちをひとり残らずそれぞれ一片の書類と化して処理してしまいたかった。学籍簿、学業成績書類一式、家庭調査書、素行記録、健康管理個票、なにもかも統計にして数字で表わしてしまえばはみ出しはなくなり、仮りにあったとしても、統計上の数字から異種の記号をつまみ出してしまえばすむのだ。不覚にも涙を流す機会が残存することは管理の手落ちである。管理が不徹底だからこうなるのだ。どこまで管理は徹底して個人を踏みつぶしてゆけるだろうか。五年前に辞令を押しいただいた瞬間からつきつめればそれが、与えられた最終的任務であったように思われてならない。不断にそれをやれと命じられているようなものだ。もしそれがわたしにできるなら、わたしはそれをやるだろうか。そんな問はこっけいだ。わたしはすでにそれをやってきた。できるとは資格か能力か。実業界での実力の世界みたいに言うのは明らかに誤りだ。それがやれること自体が誤りだろう。ここに居坐りつづけたのはなぜだろう。ほんとにかすかな望みに愚かな望みを繋いできたものだ。何を望んできたのだろう。
 目新しい環境での最初の一年間はともかくとして、二年目からは何事も慣例どおりに滞りなくすませるだけが最高の善とされる、判で押したような年間行事の踏襲があるだけだった。問題は山積していたが、あたかも無為という自然態に抗してはならないかのように、時間割表の桝目に埋没して当てがわれた時間数だけをこなしてゆけば、事足りた。
 問題はそんなところにあるのではなかった。時間割表からはみ出した外に、教科書から、教室からはみ出した外に、問題はあった。
 佐和子は白い生気の圏外へ放り出された。
 もはやこちら側の世界の瓦解以上に明白なものはない。永井教諭や事務主事が述べたてているあいだ、佐和子は、こちら側の世界が音をたてて崩れてゆく瓦礫の音を聴いていた。
 堅牢な外皮の内側に入りこんだのではなかった。蹴破って外へ飛び出たのでもない。現実の内側がぬるりと外にまくれて裏返しになったのだ。現実そのものになにひとつ変化はおきていなかった。
 長い一日だった。それにもましてきょうの午後は――
 しかもまだ午後は終っていなかった。
 ひとつの中心になる核とは思想なのか思考の方法なのか、行動なのか行動を提起する自分なのか。このわからなさが佐和子の存在をあやふやにし、影をうすくしている。
 土曜日の午後。それが何だろう。岬をめざして公園を抜け、公園のはずれへ行けばいい。あの窓ぎわの席に坐りさえすればいい。それからのことは、一週間前のきょう、かれ、ドクタ・キムが言ったように、無数の偶然からなる必然が決定を下してくれるだろう。わたしに対して事を運んでくれるだろう。わたしはそこでもまた決して手を汚しはしない。事の成行きを見守る傍観者の地位からすべり落ちることもないだろう。
 佐和子は席を立った。ロッカーへハンドバッグを取りにゆき、化粧袋の中から小さな鍵を取り出した。一の瀬礼子は席にいなかったが、校内にはいるはずだ。佐和子はメモ用紙にくるんでS・V・Pと上書きした鍵を彼女の机上に置いた。それから休憩コーナーの隅にある流しへ何か器を、とさがしに行った。が、やかんもポットも庶務係のおばさんにきれいに片づけられた後だった。
 佐和子は一つだけ残っていた湯のみ茶碗で三度四度と水を汲み、シクラメンの根元を充たしていった。
「ずいぶん永く保っているね」
 ま向いの席から佐和子のすることを見ていた足立一平が声を掛けた。
「ええ」
 ままごと遊びにひとり興じているところを見つかったようで、佐和子はバツが悪かった。
 だけど、と佐和子は思った。わたしが知っている足立さんは、花の水遣りに興味を持つような彼ではない。この狂おしく水を吸いあげる植物についてベトコンと共有できるものは何もない。まして朴華純は彼とは無縁だ。語り合う相手として彼を想定したことはなかった。
「君がスキーに行ってるあいだ、おばさん毎日水遣ってたよ。ぼくが頼んだから」
「おばさんには帰ってすぐにお礼を言いましたけど、そうだったんですか」
「いっしょに出ないか」
 佐和子は断わった。これ以上遅れたくなかった。お先に、と言って席を離れた。その日の勤務状況がひと目でわかる名札板の前へ行って小さな板ぎれにぶら下がっている自分の名前を裏返した。
 校門を出て歩いて行った。佐和子は何も考えずに歩いていた。かかとの高い靴を穿いて歩くことに専念していた。うしろからクラクションが鳴るまでは。
 車は狭い道いっぱいに停まった。
「乗らないか、吉川さん」
「すぐそこまでだからいいです」
「話があるんだ」
 佐和子は彼の隣に坐った。ハミングしているご機嫌なベトコン。
「足立先生ご結婚まぢかだそうですね」
「ああ」
 所属するアマチュア合唱団で「ピオネールは木を植える」を歌っているあいだに芽ばえた恋は「第九」練習中に歓喜の歌と燃えあがり、発表の舞台本番で頂点に達した。結婚式でカタルシス。愛の巣はぽっかり浮んだ雲の上。やがてまもなくカタストロフとなるかどうかは、神のみぞ知る。演劇部顧問はシニカルなシナリオを思い浮かべながら、促した。
「話って何ですか」
足立のハミングがやんだ。
「分会じゃぼくのことよく言ってないだろう。一ちゃんと中さん何か言ってなかったか?」
「別に聞いていません。ご自分でお決めになるしかないんじゃないですか」
「ちがうんだ。君はどう思う、ぼくのこと。忌憚のないとこ聞かせてくれないか。・・・・・・正直いって参っているんだ」
 ゛キタンナク言うけど”それは足立が彼のいう過激派をなじるとき決って付ける枕詞だった。足立一平は今初めて、自分自身に向けてキタンなく言えと言っている。
 吉川佐和子ははげしい昂りを覚えた。
 わたしが足立さんにキタンナク物を言うことはありえない。たとえ彼が組合へ入ってきても、わたしは彼に心を開くことはないだろう。キタンナク言えというからにはまず心を開くことのできる関係が前提だ。相手がだれだろうとキタンナクいえる間柄ならどんなにいいだろう。
 車はひと走りで路地を通り抜けた。もう公園の入口まで来ている。
「ここで降ろして下さい」
 車は道端に停った。
「君は知っているんだろ。あの白いなんとかって花を持ってきたやつ、君はあいつをよく知っていたんだろう? 吉川さんだろ、サイン帳に本名なんか書いたの」
 佐和子は足立を振りかえった。浅黒いだけで表情の乏しいベトコンの貌がゆっくりと向き直り、崩れて歪んだ。
「こんどのこと正直いっておれも辛いんだ。頼む。人に言わないでくれ。あいつもバカだよ、飛び込むなんて・・・・・・」
 公園のこんもりした木立が前方に迫ってきた。佐和子はからみついてくる風のなかを泳いでいた。
〈白い花、サイン帳、本名、あいつ・・・・・・〉花びらがひとひらひとひらガクを離れてゆくスローモーションの映像を見ていた。〈バカだよ〉とつぜん最後の切片が疾風に吹きちぎられて飛んだ。
 ほんとうに恐ろしい考えが閃いたのはしかし、それからだった。
 なぜ足立さんがそれを?
 佐和子は花壇の前で大きくつんのめった。花たちを踏んづけた。踏んでも踏んでも踏みたりない。跣で踏みしだいた。ひとつ残らず踏んづけてやる。
 空を抱くような格好で佐和子は大きく両手を拡げた。

 ――吉川さん何かあったのかしら。こんな時機に三回も連続欠席じゃこの先ちょっと不安ネ。
 ――スキーから帰ってから少し変よ。彼女、観察の要ありネ。
 ――この部屋、学校に近いし便利でいいわ。合鍵つくって自由に使わせてくれないかしら。
 ――彼女まだそこまで行ってないんじゃないかしら。そんなこといったら彼女のことだから私有財産の没収だとかなんだとかってわめくんじゃない。
 ――あー早く旗上げしたいわネ。いつまでも日陰の身じゃ。
 ――だけど過半数とるなんて夢のまた夢みたい。きょうも康代さんたらヴァージンにペニスをヴァーペレンだなんてはしゃいだりして。あんな人も取りこまなきゃいけないかと思うと泣けちゃうわ。
 ――なにそれ?
 ――ほら、あの゛べ平連”のもじりよ。
 ――足立君はもう諦めた方がいいわね。
 だれかの座布団の下でガガッググッとにぶい音がした。
 ――なにこれ? 壊れちゃったわ。おもちゃの砂時計みたい。
 ――さあそれじゃはじめるわよ。いっぱい下りてきてるから。えーとまず先週まとめた三本の柱からね。
 ・・・・・・・・・・・・
 分会は終っただろうか。まだ使用中だろうか。自分の部屋に電話をするのははじめてだ。ベルが鳴っている。仄暗い箱の底で寒天状の空気をふるわせて。

 午後五時すぎ山村運輸政務次官と石田機長らは帰国に先立ち、平壌で記者団と会見していた。共同記者会見は平壌国際ホテルで行われた。
 ――共和国北半部の許可なしに領空にはいり着陸したことは、国際慣例からみてどうか。
 ――四日間も金浦空港に乗客をとどめ、不安と苦痛を与えたのは、人道主義と矛盾しないか。
 ――国交関係のない国にくるほど勇気ある山村氏はなぜ朴一味を説得しなかったのか。
 ――学生らと共和国側は関係のないことを認めるか。
 席上、朝鮮側から最後に「日航機と山村氏ならびに乗組員を日本に送り帰す」ことを明らかにした朝鮮中央通信の声明が読み上げられた。
 翌朝「よど」は平壌-東京間を二時間で飛び午前九時十分羽田空港に、無事帰着した。
 二点間の距離を速度で表わす地図がある。三十一日出発以来一二二時間にわたった「よど」の航跡ほど風変わりな地図を想起させる旅がまたとあろうか。

       5
 いつごろからだったろうか。かの女が土曜日の午後になると岬に足を向けるようになったのは。かれがそこに現われるようになったのも同じころだったろう。
 しかし過去のおぼろげな記憶をたどるよりも重要なことは、その日初めてかの女はかれに出会った、そのことだ。そしてさらに重要なことは、かの女がかれと出会うに至った経緯のことだ。
 もしもこの奇妙奇天烈な巡り合いについて語ろうとするならば、ありとあらゆる神経を集めて、注意深くそうしなければならない。いかなる無知からも偏見からも免れてある日こそその時機にふさわしい。
 かの女はそうするにふさわしい時機を心して待つだろうか。それとも意思をおこして自らその時機をたぐりよせるだろうか。

 ――ドクタ・キム、わたくしにも帰りたいところがあります。タンポポの綿毛みたいに風に吹かれて飛んでいきたいのです。誓います。どこに着陸しようと文句はいいません。ぜいたくな夢でしょうか。
 ――ぜいたくかどうかではありません。あなたひとりにとってではなく人類にとってそれはすでに失われた夢でしかない。あらかじめ失われた夢を追っていては絶望的になるだけです。
 ――でもどうしてもといったら・・・・・・
 ――歴史の歯車を逆に回転させることはできません。いかなる場合も現時点に原点を求めるべきです。掌にのる小さな分度器を考えて下さい。角度は先へ行けばゆくほど拡がります。たとえわずかな誤差といえども原点で方位を違えれば誤差はひらく一方です。そうなればわれわれは途方も無く長いたびをへめぐらなければならなくなるでしょう。
 ――わたくしは今すぐ欲しい、のです。今すぐこの手にすべてを。それがわたくしのすべてです。

 かれとかの女の目前で春の岬をへめぐった船影が遠のいてゆく。なし崩しの春。
 かの女の旅を背後から動かす欲望がかれらに向かってかの女に言わしめることがある。
 ――祖国建設に甘い夢は通用しない。額に汗して働くことをおすすめする。一日千里を馬のように駆けて甘い夢を砕くがいい。どんなに辛い労働であることか思い知るがいい。働いて老いて死んでゆくがいい。それこそが君たちに必要な学習だ。そうしてこそ鬼子らしく鍛えるがいい、君たち自身の理論を。
 黒々としたピリオドを打たねばならない。岬をめぐる春の小さな誤差の旅に。
 だが、旅の終りに這いのぼってくるこのにぶいいたみは赤いピリオドの来襲だ。
 この岬では充ちてくる汐までが赤い。窓ぎわの椅子の白いカバーを染めてゆく。鉛錘のように垂れ、滴り落ちて、淵に溜る。
 何を求めていたのだろう、うららかな春の空に。
 見なさい。嵌殺しのガラス窓のむこうに、あの一本の樹を、その背後の冬の空を。
 だが、外はもうまぎれもない新緑の季節だ。

   〈付記〉作中、左記の資料を参照、引用、借用させていただいたことをお断りします。
    『三重県の歴史』県史24(西垣・松島著、山川出版社)。ゴダール全シナリオ集Ⅲ『彼女について私が知っている二、三の事柄』ナレーション14。『朝日新聞』一九七〇年四月三日号社説および「よど号事件」関連記事。――作者

「架橋」第7号 会録

会  録

第87回(1985・6・30)成允植「オモニの壺」
                    参加者10名
第88回( 7・28)「架橋」6号批評会 PART1
          報告者・鐘真   参加者15名
第89回( 8・25)「架橋」6号批評会 PART2
          報告者・山中将幹  参加者13名
第90回( 9・22)金纓「チマ・チョゴリの日本人」
          報告者・劉竜子   参加者11名
第91回(10・27)金泰生「旅人伝説」
          報告者・磯貝治良  参加者 4名
第92回(11・24)李起昇「ゼロはん」
          報告者・西尾斉   参加者12名
第93回(12・21)一年をふりかえり86年を望む会
          報告者・劉竜子   参加者13名
第94回(1986・1・19)高史明「悲の海へ」
          報告者・田中康照  参加者14名
第95回( 2・16)金容権・李宗良編「在日韓国朝鮮人」
          報告者・原科浩   参加者10名
第96回( 3・16)飯尾憲士「開聞岳」
          報告者・磯貝治良  参加者 7名
第97回( 4・20)元静美「ウリハッキョのつむじ風」
          報告者・劉竜子   参加者 6名
第98回( 5・18)金鶴泳「凍える口」
          報告者・加藤建二  参加者 7名
第99回( 7・ 6)在日朝鮮新人作品選「狂った友」
          報告者・鐘真   参加者 7名
第100回( 8・10)100会記念“奈良を訪ねて”
                    参加者12名

「架橋」第7号 「見果てぬ夢」雑感ノート4

『見果てぬ夢』雑感ノート(四)
――采浩の人物像について 下

 (ペエ) 鐘(チョン) 真(ジン)

[四] 「朝鮮人になる」ということ
 朝鮮人に生まれついたものが『朝鮮人になる』ということ、この一見何でもないように見えることばの中に、李恢成文学のきわだった独自性の一端が示されている。

これは、李恢成の三十四歳のときの作品『われら青春の途上にて』を評した小林勝のことばである。小林勝は、おのれの中にある朝鮮植民者としての侵略性とその裏返しの罪障感との葛藤に、自虐的なまでに苦悩しながら日本人のモラルを問い続けた作家として知られている。日帝時代、朝鮮植民者の日本人は百人が百人とも、朝鮮人の頭上に暗雲のような優越感と抑圧感を居坐らせていた。なのに彼は被抑圧者の朝鮮人に逆に劣等感と恥辱感を抱いた。その精神構造のパラドックスに、彼の睥睨すべからざる人間的感性と良識が見える。歴史と風土に鍛えられた朝鮮民族の土着的なものの凄みのまえでは、小林勝は自身が卑小に見えたのである。それは日帝権力が「不逞鮮人」とおびえたのとは全く異質の、人間感情の深奥からくる戦慄であった。
 率直に言って私は日本に対しては偏見的朝鮮人だから、日本人には希望も幻想も抱かない。にも拘らず小林勝のような日本人に出会うと、うれしいというか凄いというか、妙に複雑な気持になってしまう。小林勝的タイプの日本人は支配層の中には絶対に居ない。彼はほんのひとにぎりの野人派に属するにすぎない。が、そこから発する光は足許の日本人よりも、部外者の在日朝鮮人に大きな影響を与えてしまいそうである。小林勝は、私たちにとって左右の対面のちがいはあるにしても鏡みたいな存在であるかもしれない。彼はマジョリティの異民族社会の一角に生きる異端少数者の屈折した意識構造の洗礼者である。在日朝鮮人のそれとの真摯なる近似形を所有した稀有の日本人として、私たちは彼を記憶するだろう。彼が李恢成文学は「朝鮮人になる」ための文学だと言ったとき、奪われた朝鮮を取り戻そうとする在日朝鮮人二世の文学に、ちょうど殺人者ラスコリーニコフが娼婦ソーニャによって浄化されていったように、まぶしいものを感じたのではないだろうか。
 それはさておいて、李恢成が四十歳を越えて書いたこの『見果てぬ夢』の作中人物、朴采浩と趙南植の鮮烈な生き方と思想を見たとき、彼は「朝鮮人になる」ための模索を一貫して追求している文学者であることを改めて思い知る。李恢成は初期の作品で、差別と偏見の日本人社会で人間的にゆがんでしまった「半日本人(パンチョッパリ)」が、民族的誇りに目覚めながら「朝鮮人になる」ための自意識をつかんでいくみちすじを取り付かれたように描いてきた。この『見果てぬ夢』では、人間的かつ民族的自立と主体性をもつに至った人物が、さらに鋭く踏み出して祖国の統一と民主化に積極的に現実参与しようとする物語が描かれる。「在日」する境遇で自己存在の地点を定める民族的なものの発見と認識が、「朝鮮人になる」ための思想的展開の第一段階とするなら、それの第二段階は、分断克服の民主化と統一事業に献身する人間像の創造と形成ということになるのだろうか。李恢成の次のことばはそれを語っている。

  分断された南北の人間としてではなしに、統一朝鮮人像を、この時代に生きるわれわれ若い世代でしっかり堅持して、そうした渾然一体とした人間像に対する創造力を発揮しなければならない。 (傍点は)

 従来の李恢成の民族同一性の思想は、すでに獲得できた自己変革の立脚点を基盤にして、こんどは祖国と民族の丸ごとの社会変革へと弁証法的発展を見せ、行動的にも具体的な南の革命運動を担うという使命的意志が溶接されていくのである。
 疎外されている辺境的な「在日」する境遇を、日常身辺の小さな事件を切実に切り取ることで、矛盾を象徴的にあぶり出す在日朝鮮人文学の有効性を、もちろん李恢成は否定しているわけではない。しかしそれらを執拗に描くことは、『見果てぬ夢』作品化前後から李恢成文学の主要なテーマではなくなったようである。李恢成の行動的民族同一性の思想は、いまや太いベクトルになって一直線に祖国の反体制民主化運動に向かっている。李恢成は七二年の訪韓を契機にして、祖国の民主化の戦いに関する文章を矢次早に発表した。
「北であれ南であれ わが祖国」の統一朝鮮思想を掲げ、苦闘している韓国の民主回復の抵抗運動に単に声援を送るだけでなく、より尖鋭に政治問題にも行為者としてコミットしていった。幾十星霜も「歳月の侮蔑」にさらされ続けてきた祖国分断の現実をどのように受けとめるのか、どのように克服するのか、いつになったら「侮蔑」を断ち切る刃を振りあげるのか。李恢成は韓国の民主化運動を分断止揚の直接的エネルギーの昂揚と爆発だととらえている。彼は海外に住む同胞、在日朝鮮人としての特殊性と自由を武器にしてそれに全身的に呼応しようとしている。そのことが民族文学者の自己に課せられた責任だと固く決意している。『約束の土地』、『追放と自由』あたりから彼の作品特質も明らかに変容が見られる。文学題材が私小説的世界から歴史の実在性をふまえた虚構性の強い世界へと拡がり、登場人物も作者の近似した分身像から時代開示の運命を背負う典型像へと深化されていく。その視点も過去をふり返ることから現在そのものを直視し未来へと見据えられていくパノラマ的様相を呈してくる。
 真正なる「朝鮮人になる」ためという彼の文学の中心的思想とテーマは、『見果てぬ夢』では「在日」する同胞を越え、「本土育ち(ポンドペギ)」にもそしてすべての異郷朝鮮人にも訴え得るものとして、明らかに同胞の海へ漕ぎ出ていこうとするものがある。彼が提示する朴采浩と趙南植の人物像は、李の思想的文学的成果の所産であるところの行動的民族同一性の具体的形象であると言ってよい。「朝鮮人になる」という主題追求は、在日朝鮮人の枠組から民族文学の範疇へと拡大され進化していくのである。おそらくこの統一朝鮮人像の意図は、分断時代の歴史と現実が要請する真実性に深く合致するものとして、民族に受け容れられるのではないだろうか。
 いまここで『見果てぬ夢』が必ずしも歓迎されていない一部の新世代の、その彼等が活発に展開している新しい「在日」する論についてすこしふれてみたい。
 多くの新世代の思想感情の根っ子にあるのは、「欣然と帰ってゆく祖国がない」という帰属意識の空洞である。ここでいう「祖国」とは地勢学上の朝鮮半島のみを指さないのは断るまでもない。彼等には呼称としての民族の外被はあっても、個体史の上にどう刻みつけようとしても民族実体が身近に見えてこない。この祖国喪失感から「在日」する境遇を思想的にどう位置づけていくのか。彼等の真剣な思索行為はある意味で、三十六年の日帝支配と四十年の朝鮮分断の不幸不遇の総つけの一端を支払わされているものだと言えるだろう。彼等は時々、先輩世代の思想は祖国一体論であり民族一辺倒であるときめつける。そして既成思想からは新世代層の意識の中心部は救済できないのだと言う。彼等の迷走する方向感覚のいらだちと忿懣やるかたない異議申立てがある切実感をもって確かに伝わってくる。彼等の「在日」する論が時代の重みをもってこうしていま急浮上してきている。彼等が社会的発言のマスを形成するまでに世代成熟したこともあるが、「朝鮮人になる」という主体性獲得の道が長い分断固定状況下で一層困難になってきている現実を何よりも物語っている。
 彼等の中心的論点は二つである。民族秩序につながる価値基準から解脱したい。もうひとつは、「在日」している現状を借りものではなく自前のものとしてとらえたいという思考である。これら二つの論点の当然の帰結として、独立王国的発想が生まれ「在日」する人間としての帰属性と自由を高く掲げようとするのである。彼等は根茎としての日本的なものの依拠に動かしがたい事実の重みを添加しようとする。彼等の「在日」する論は、財産としての民族的なものの価値に疑問を投げかける。日本生まれの一期生的世代にとって奪回と復元の対象実体であり理念的支柱であった民族的なものの全能性を否定しようとする。裏返して言えば、彼等における民族的なものの退化退歩現象が進んでいると言えなくもない。それは航路のない海図を引っ張り出して出帆するに似て、いつか「日本」という海溝の渦に巻きこまれる危険を感じさせる。その行きつく先を想像したとき、二重三重に暗然とならざるをえない。「日本」という曳き船につながれてどうにか難波はまぬがれるが、もうそのときは自己操舵装置は半分錆びついてしまったということにならないかと怖れる。宇宙大飛行したが実はその時空間は、釈迦の掌の中でしかなかったという孫悟空にはなってほしくない。慠然と胸を張る彼等の自己主張的な「在日」する論が、日本的秩序に支配される自己撞着的回路を止揚しない限り、再び岩に閉じこめられる孫悟空になる怖れが多分にある。そんな彼等が民族的な磁場からはなれて「在日」独自志向に漂うのも、世代の推移につれ多数意見として定着する傾向にあるから、事は厳粛かつ重大である。日本的なものに比重がよりかかるこの跛行的発想が、単なる形而上の問題だけでなく、めしをくうという生活基盤の問題に密接にからんでいるだけにまた複雑である。先輩世代は民族的責任の立場から、彼等のためにやらなかったこと、出来なかったこと、これからしなければならないこと、それらを言論を総動員して緊要に言わなければならないだろう。分断矛盾の落とし子的混迷の様相がここにあり、その克服は全同胞的課題であるからである。
 ともあれ彼等の主張は、既成世代の思想や言説に鋭い再検討と批判の矢を投げかけている。しかし一期生的世代が、「日本」の政治的文化的経済的影響を受けながら、あの悪魔に影を売った男の、自分が自分でない境遇を、民族的なものを軸にして克服してきた、それぞれの主体性獲得の道を彼等は軽視している。「民族」と「日本」の相関図において格闘のすえ、「民族」に普遍的真実を探ってきた経緯を誤解している。こうした民族世代の全体財産とも言うべき思想的営為には、もはや継承し学ぶべきものは少ないと彼等は言う。果たしてそう言い切れるかどうか。それに加えて分断止揚の統一朝鮮への志向性と視点が彼等にとってはさほど重要性を帯びてこないと言う。これは明らかに彼等の思想的欠陥だと言ってよい。それはそれとして、若い世代によってたとえ否定的角度からであれ、自己存在の根本義において「民族とは?」「祖国とは?」「日本で生きることとは?」といま洗い直されてきたことは意義深いことである。百家争鳴、甲論乙駁、同胞社会でこの種の論議が沸騰するかぎり、やがて論議はそれぞれの渦と支流を集めて本流に到るだろう。ちょろちょろの湧き水でよい、各々自身そうなぞえることで、いつかはねあがりも混沌も錯迷も併せ呑む同胞の海の包摂に出会うことができるはずである。
 「在日」する朝鮮人二世の私が、祖国と民族の概念をなんらかの方法で肉体化しようとしたとき、私なりに種々の標的を定めてきた。そのときの恰好のしかも特大の標的のひとつがこの『見果てぬ夢』であった。私の力量では『見果てぬ夢』のエッセンスを語り尽くすことはできないが、優れた文学作品のもつ支配律がおのずと私自身に命じるものがあるはずである。現下では私たちの主体性問題は常に分断の悪魔性によって翻弄されている。『見果てぬ夢』に言及することは、それに抗する私の戦いだという想いがある。そんな意味でこの雑文も小さなたたき台位にはなるだろう。なかでも采浩と南植のふたりの存在は、その生きざまその思想その行動において、分断時代に生きる「朝鮮人とは?」を問題提起的な人物形象として差し出されており、それに言及する意義は小さくないと考える。彼等ふたりの鮮烈な朝鮮人としての人格の輝きに同胞(はらから)としてこだわるような興奮なり共感なりをもってほしい。たとえそれが異議と反発でもかまわない。もし感じないとしたら、その者の差し出す「在日」する論など、暴言と言われようが私はまともに聞く耳をもてない。南植や采浩を身近かに引き置いて考えることは、言ってみれば自身の生き方と存在根拠を検証するひとつの作業を試みることと同義ではないだろうか。統一民族的な新生こそが海外に住むものであれ、本国に生きる者であれ、民族形成史のなかで主体的な自己位置の確立を保証してくれる、と采浩らは言う。この考えと生き方は彼等固有の特殊なものだろうか。采浩らほどの傑出したスケールとダイナミックな人間的枠組みは稀有である。しかし彼等の思想と行動は朝鮮人として生きるうえで、一般的かつ基本的な問題を多く含んでいる。
 李恢成の思想的立場と作品世界は新世代からは必ずしも支持されていないと先に言った。むしろ民族磁場からの独立云々を主張する彼等の「在日」する論と李恢成は対極にあると見做されている。しかし彼等とて『見果てぬ夢』の中心人物の采浩と南植には注目せざるをえないだろう。「朝鮮人になる」というテーマが新しい「統一朝鮮人像」として容認されるか拒否されるか、彼等によって徹底的に掘り下げてほしい。在日同胞社会の地盤沈下は、いま内堀は日本的なもので埋められ地ならしされ、外堀は民族的なものの軽視と枯渇で乾上っている。

  歴史の現場、歴史の中の民族の生のみが彼の本籍地だ。

 これは政治的にきびしい状況下の南の中から出てきた高銀(コウン)のことばだが、「在日」する状況にもそのまま当てはめてよい。「在日」する状況から民族的なものを捨象したところで一体何が残ると言うのか。現代の民族史の中で民族的なものの最大の集中表現である、南の分断止揚の民主主義運動、民族統一運動、民衆伝統運動につながらないところで、どんな新たな「在日」する思想を創造しようと言うのか。それは土台を無視した空中楼閣のようなものではないだろうか。好む好まざるに拘らず私たちには負性であれ呪縛であれ、民族に依拠している。そこからエネルギーを吸引し抽出する作業を通してしか正鵠は得られない。疎外と差別の「在日」する状況も分断と独裁の祖国状況も、民族をバネにしてしか克服再生できない。他の何物にもそれは代替できないのである。私はそう考えている。
 在日朝鮮人二世の非転向の政治犯徐(ソ)勝(スン)・俊植(ジュンシク)兄弟のことが想起される。海外同胞として祖国の民主化と統一のために何が出来るか、何をなすべきか。彼等ふたりはそう自ら問い自ら心に決めて祖国の南の地に赴いた。その真正の「朝鮮人になる」という意志と生き方は、不条理にも軍事独裁政権の反共国是の人身御供にされた。その運命は分断時代の民族矛盾を一身に背負う象徴的存在となった。李恢成は『見果てぬ夢』を書くうえで、徐兄弟の物語から「なかんずく多くの示唆を受けた」とあとがきに書いている。公開された『徐兄弟・獄中からの手紙』(岩波新書)には、彼等の何物にも侵されない驚くばかりの高貴で美しい人間の尊厳とその思想が横溢している。外からの圧力を内的な力に変えるものが思想の力と言うなら、彼等ほど強靭な思想の持主はいない。彼等ふたりの歴史的位置は、解放後の米軍政から李、朴、全と続いた反共独裁政治のもとで、暴力と恐喝と人権抑圧を強いられた民衆受難の現代史の一環としてとらえられている。徐兄弟の受難と獄中抵抗は、分断時代の最も尖鋭な人民の反権力闘争のひとつである。また分断を拒否し民族合同を志向する統一運動の典型的な表現と見ることもできる。加えてもうひとつある。分断下の在日朝鮮人の主体性問題を問うとき、政治的文化的打擲を克服して本源的存在の民族を奪回していく人間的自立の物語でもある。
 権力の拷問と懐柔の淵にありながら、彼等ふたりは常に来たるべき春の予兆を強調し続ける。それが出来たのは、自民族に対する限りない深い信頼と歴史真実の必然性がわが身にあるというゆるぎない信念であった。獄窓にありながらも圧迫に屈しないどころか逆に彼らの精神はますます光り輝いていく。その精神の偉大性、純粋性、前進性はまさにあの鉄と邪気をたべる不(プル)可殺伊(ガサリ)である。「不思議な虫」としか言いようがない。同時に彼等は同胞と家族に対して神々しいまでの深い愛情を示す。それに反比例するように、悲痛の自己運命への怨嗟と悲壮心は低くなるばかりである。これは一体何に由来するのだろうか。成員としての個人のよりどころがどこにあるのか、彼等はそれを常に念頭に置く。その際立った聡明な知性と謙虚な魂の表白は、信じるものに生きる人間の限りない精神の奥行きを見せてくれる。失うこと即ち得ることという精神勝利と悟達の境地は、彼等の内にある「積極的民族主義」の血脈とは無関係ではないだろう。
 彼等は、「在日」する同胞二世が祖国の民主化と統一運動に参加した嚆矢であると言えよう。徐兄弟の言う「積極的民族主義」の思想は、日本で生まれ育った者が意志的に民族として生きる自己の生の存在証明であり、到達点であった。そして生きることの全テーマを確固たる目標として差し出した決意でもあった。「在日」することも朝鮮、という彼等の秀れて自生的な民族知性のまえでは、日本的境遇も日本的情緒も桎梏の果てに、民族の力に転化されていくだけである。朝鮮人の人間解放は、祖国と民族の統合と不可分の関係にある。そう徐兄弟が考え行動したとき、彼等は「統一朝鮮人像」としての輪郭によってすでに縁どられていたのである。
 在日朝鮮人二世の趙南植は言うまでもないが、朴采浩をも「朝鮮人になる」人間像と見ることはちょっと唐突かもしれない。が、その実そうでない。ここでは「朝鮮人になる」とう概念と志向は何度もふれたように、祖国統一と民主化をめざし、分断時代を止揚する役割をもつ革命人間としての人格を要求されている。だから李恢成は、民族分断の条件と状況を具体的に克服できる知と勇をもつ人物として、時代の要請と念願のまえに采浩らを登場させたのである。作家精神で祖国(もちろん政治的意味から海外同胞も含む)の現実に向い合い未来展望に立ったとき、冷徹に歴史把握しようとすればするほど、常に一定の覚悟と決意を前提にして行動する采浩的人物の真実性が、抜き差しならぬ必然性を帯びて浮上してきたわけである。
 [五] 近代自我の克服
 断っておくが、私は理論的な知的冒険としての文学論を展開しようとしているのではない。いずれ俊秀の人が出てきて、『見果てぬ夢』の本格的な作品の意義づけや解釈方法を必ずやってくれるだろう。またやってもらわねばならないだろう。作品のもつ時代性がそれを要求している。私はあくまでも民族の一読者として実感的感想を述べるだけである。民族の一読者だと言ったが、厳密に言うなら、日本的風土と情緒を丸ごと抱えこんでいる在日朝鮮人二世としての実感的読み方ということになる。実感的読み方が文学批評として力が弱いどころか、むしろ誠実な読み方の一つであるといういささかの自負もある。しかしこの秀れた文学作品『見果てぬ夢』を全体的にも細部的にも、新たな光の輝きを与えるあのダイヤの研磨技術でもって論評できないのはざんねんである。思うことの十分の一も表現できない、また鋭く作品把握できない自分の力不足が恨めしい。肩の力を抜いて、と一方では自分に囁くのだが、所詮無器用、なんとも締まらない文章のところてんで、よくぞ「雑感ノート」と銘打ったものである。
 私は常に『見果てぬ夢』を自分の事情に引き置いて読む作業を貫いてきたつもりである。言いかえれば、私という一個の人間の重量と枠組が規定する感度でしか読む能力の無い男である。明度の低い短眼レンズと暗箱でできた原始的なカメラ、それが私である。しかし私は被写体『見果てぬ夢』を何とか自分のフィルムに写し撮ってみたい。いや被写体がそう私に命じるのである。だがその被写体は、私のフィルムの枠から大きくはみ出し、何枚写しても写し切れない。強烈な個性と生き方を持つ采浩と南植は、私にとってある種の分光器みたいなものであった。私の中にあるものが否が応でも白日にさらけ出され、そして微細に比較されてしまう。自分の欠陥や傾向に向き合わされ、次に眼に焼き付けられてしまう。卑小で軟弱な自分が、采浩の前に引きずり出され裁かれるような憂き目を味わうことになる。そうした自己省察作業を抜きにしてはこの『見果てぬ夢』を読めなかった。ある意味でそれは民族的なものと日本的なものの私における闘争でもあった。私は『見果てぬ夢』を踏み台にして「統一朝鮮人像」の思想にぐーと近づきつつある自分を感じている。
 一般的に小説の普遍性は、まず読まれることによって成立し、次に読者がそれぞれもつ価値観に従ってそれを享受し、同時に千の批判と感想を浴びるというその自由さの中にあると思われる。作品の自律性と読者の自律性のぶつかり合いは、感動という精神高揚の上昇気流を発生させるだろうし、逆に退屈だけでなく不興や反発などの反作用を及ぼすこともある。興味深く読むか読まないかは読者の絶対の印象にゆだねられている。つまり小説は各人の価値観に異質的に働きながら批判対象たることを自ら望む。厳密に概念規定されている論理学や哲学体系とちがって、小説は人間の精神の自由が公認されている限り、どんな読み方をされても一向に差し支えない。空に浮かぶ雲を見て、私たちは「母の顔に似ている」とか「像の親子づれのようだ」とか、そのイメージの自由な連想を楽しむ。しかしもし雲自体を全くちがう物体のたとえば鉄塊そのものだと言ったとしたらどんなものか。そのように小説への批判と感想は読者の自由な権利と言えども、おのずから作品が限定する範囲というものがある。その範囲の逸脱は避けるべきなのである。しかしその範囲の線引きをどこにもってくるか、これまた読者の自由な批評の中にあるから事は微妙である。
『見果てぬ夢』は、未完の朝鮮革命の論理と倫理の創造をめざす小説である。未だ開かずの扉になっている歴史の新秩序、喜怒哀楽を全体の奉仕に重ねる人間の価値、そのふたつを求めて孤独な戦いに挑む人物たちの物語である。とてつもなく壮大な夢に現実打開の歴史の必然性を見据えた若き獅子たちの記録でもある。その作品主張は当然ながら激越で普通人の価値観や神経感情にある後進性と激しくぶつかり合うものが準備されている。そういう意味で読者との格闘も現実変革の思想小説がもつ宿命的ダイナミズムの一つであろう。革命の論理と精神の権化たらんとする采浩の人物像が、自己世界の不可侵性を守ろうとする現代人によって、どこかうそっぽい人物だと冤罪を科せられるのも、そこに理由がある。
 采浩はいわゆる近代意識の源基と見做されてきた自我なるものとの葛藤の中で、絶えず自己爆発をくりかえし、憂鬱と呻吟のすえ、人間的解脱をとげるといった私小説的人物ではない。私小説では人物は、自我の確立、自己世界の防衛、それも体験と情感を何よりも固執する方向で自己完成化させていく。私小説の読者は日常身辺の告白や観察といった自我追求文学の回路に馴れる余り、采浩のように、変革期の歴史的現実がそれ自体もつ劇的展開を主体的に生きようとする人物に対しては、個人と無縁の英雄かスーパーマンが演じる物語だと見てしまうかもしれない。それは単に想像力が乏しいだけでなく、自我が限定してしまう世界観の偏狭性のためだと思われる。自己の属する社会と伝統、自己を自己たらしめる空間と時間の因果のひろがりに対して、能動的な関係を否定してきた日本文学愛好者の落し穴がここにある。日本文学に、自己露出から自己精神の開示という過程で、社会や歴史に眼を注いできた作品が全然なかったというのではない。しかしそこでは社会改造劇はせいぜい間接話法で語られてきたにすぎない。
『見果てぬ夢』では、采浩の人物像のテーマの重点はあくまでも自己内部の自己運動的変革よりも、社会変革に連動して動員される自己個人の捨象に、より多く置かれている。采浩は人格の内部外部の統一を革命の論理と倫理で武装しようとしている人間である。何よりも際立っているのは、行動も感情もおのれの意志のコントロールタワーで「革命の利益のために」と命令を下していることである。彼は神経衰弱とか小心翼々などとはおよそ無縁な骨太な人物である。彼にあっては人間的展開とは、個人の論理秩序の隠遁的な完成、或いはわけ知り顔の和解になんかあるはずがない。あくまでも支配権力が強制する敵対矛盾に真正面から立ち向い、民族独立と民衆解放の真正なる統一社会の建設と現実をめざす、その革命への信仰にしかない。
 卓抜した知識と思念の力をもつ知識階級の才能は、事物の全的で同時に微細な分析や説明に長けている。人間の内面世界にくいこむことで、人間存在の意味を問うという哲学にも知識階級は厖大な思惟と経験を重ねてきた。かたわら自己を軸にして内省してきた反面個人に属した喜怒哀楽を容認対象として、一人称化して普遍的意識の権利を与えてきた。個としての存在体の独立を常に命題として優位に置いてきた。その結果、社会性と人間性を対立また転倒の位置関係に置き代えてきた。極端な場合、特に日本小説がそうだが、「社会的に生きる」ことよりも「人間的に生きる」ことが社会摂理の公認を得られると自己解釈してきた。民族の存在体のまえでは、個人は全体に奉仕することではじめて屹立できるのだと言い、個人に属するものを第二義的に考える采浩の論理と倫理は従来の個偏重の思想とどうしても相容れない。
 朝鮮文学にも本格的近代小説の嚆矢と言われた李光洙の『無情』『有情』が、自我の解放をテーマにしたそうした種類に属する作品としてある。彼は恨五百年の封建秩序の呪縛と重圧から脱出しようとする新時代の男女の自由恋愛を描いた。それなりの旧時代否定の功績はあったが、民族独自の人物形象に成功したとは言い難い。人物は日本的西欧的教養と意識をもった朝鮮生まれの擬似近代人であり、どうひいきめにみても普遍的民族イメージを代表する者とは言えない。長い外圧と内圧の鉄鎖の下では、朝鮮民族は余暇や有閑といくばくかの相関関係にある西洋的近代の自我空間の伝統は、はじめから民族的資質としては稀薄であった。むしろ自我解放よりも民族解放をめざす抵抗像に独自の民族特性が豊かにあった。
 采浩のように全体への献身のために、知識と思念の力を武器にして全身全霊、社会矛盾に戦う人物は、朝鮮抵抗史の中では全く新しいタイプの人物だが、その抵抗像は民族伝統からはみ出るものではない。采浩の存在が違和感でもって迎えられたとしたらそれは不当というものだろう。
 ちょっとここでわき道にそれるが、李恢成と安岡章太郎の、七九年十月号『群像』上の対談(『風よ海をわたれ』同時代社所収)をのぞいてみたい。この対談は『見果てぬ夢』について長大に語られているだけに興味深い箇所が随所にある。その一部。

 李 だから、朴采浩という人間を書く場合に、なにも、あいつは倒すべき相手だから(五星財閥の義父についての認識が話題になっていた-)サッと横を向くとか、そうなればこれは朴采浩の欠陥かもしれません。
 安岡 そうそう。だから欠点として書かなければいけない。
 李 それをぼくは、何も弁護なんてしてませんよ。
 安岡 おまえはしているよ。
 李 そういうふうにあなたが勝手に思っている。
 安岡 いや、そうじゃない。それはオレの直観でそう思う。君は朴采浩をさまざまにほめあげるわけ。
 李 そういうところもありますね。
 安岡 あれはいけないのよ。彼を批判しているのは、残念ながらKCIAだけなんだよ。オレが読んで、こいつは批判しているなと思ったのは、KCIAの尹、戦争でもって自分の肋骨をえぐられているやつ。オレが見たところ、あいつだけが批判しているんだよ。変なインポをからかう女、スパイのような、あんなのは批判も何もしていないよ。あれじゃダメなんだ。
 李 なるほどなあ。安岡さんが朴采浩的タイプをひどくきらうのは、よくわかるような気がしますけれども、いやがるのは、そういう意味で非常によくわかりますね。
 安岡 あんなものはしょうがないもんね。
 李 いやあ・・・・・・。わかってきましたけれども、ぼくは決して彼をスーパーマンとしてなんか描いていませんよ。
 安岡 もちろんスーパーマンであり得ないさ。
 李 あり得ないですよ。
 安岡 けれども、人格的に非常に高いとか、そういうことをいっているわけだよ。あんなもの高かねえや、低くもないけれども。

 さらに安岡は語る。「最大の不満は、主人公朴采浩の性格が、どうもぼくにははっきりしなかった。つまり人物像が希薄なんだよ」「だからぼくは、あの朴采浩なる人物はダメな人間としてとらえざるをえないな。そういう意味でリアリティーのない人間だというふうにぼくは思ったよ」と。対談の中から朴采浩についてまとめ的なふたりの発言をひろってみる。李「朴采浩には欠陥があるのです。でも欠陥をのりこえようとしてああいうふうに生きざるをえない人間というものをどうみるかという視点、その共感がほしいしかきたかった」。安岡「どうすればあいつがもう少し人間的な厚みをもって出てくるかというのが課題だな」。
 そのほか安岡は語る。土着の社会主義について、「ただ思いつきをいっている程度のものだろう、あれでは」とか、「歴史ということを頭の中に浮かべているように書けているとは、ぼくには思えなかったんだな」。土着の社会主義も片なしである。ただ、土着の社会主義に対比して、それを浮き彫りする背景として、土着の民族資本の発達史を、その五星財閥の物語についてもっと描くべきだという不満に対しては、李恢成も素直に同意する。安岡は、五星の義父との関係についても、采浩はそのなんらかの影響下にあるはずだから、そこが突っ込み不足だとも批判する。そして安岡は采浩をプチブルだときめつけ、李が「どうして朴采浩の生き方がプチブルなんですかね。プチブルならどうしてああいう思想が出てくるのですかね」とただす。安岡は「そこが現在の君の欠陥といいたいわけ。プチブルだからってそういう思想は出てくるよ」。李「要するに、そういう階層的なものから抜け出して、一つの進んだ考え方、この社会を改革していくための思想を彼はもとうとしているといいたいのです」。と、まあこういった調子でふたりは噛み合わない。それに、金芝河の『五賊』は、「あれは単なる落書きみたいなもの」とか「祖国の統一なんてありっこないからな」、「朝鮮は分断されたままだよ。片っ方はソ連、片っ方は米国・・・・・・」と、彼一流の毒舌は一刀両断然である。
 安岡章太郎といえば、日帝時代の朝鮮に生まれ、そこで成長し、自らの植民者の体験を思想的に整理した作家だということになっている。彼は被差別部落問題や在日朝鮮人問題にも精通し、どちらかといえば反権力姿勢を濃くし、民衆と庶民の真情に深い理解を持っている。そう一般に見られている高名な作家である。
 この対談は文学の先輩と後輩という関係で、きわめてざっくばらんに語られている。安岡の歯に衣着せぬ表現、べらんめえの威勢よさ、奥の間までずかずかはいりこむ無遠慮さなど、役者的あくの強さで無礼と節度のきわどいところで李恢成に対する友情を保っている。この対談はふたりの人間がにじみ出ておもしろい。李恢成はときどき絶句する。だんまりをきめこむ。恐らくそのときは苦虫を噛みつぶしたような顔をしていたのだろう。これは私の想像だが、「なんでこのおっさん、わかってへんのやろ。ああ、これが日本の物書きの相場かいな」と心中思っていたかもしれない。ほんとは李恢成がそれほど品性下劣であるはずもなく、そう露骨に思うほど単純ではないだろう。李恢成は言うまでもなく謙虚で賢明な文学紳士である。祖国状況の文学体験から、何よりも文学は表現と批評において自由は守られねばならぬと彼は考えている。いずれにしろ安岡の不満は朴采浩に集中する。安岡のために言おう。彼は大まじめだったのである。安岡の近代小説観からすれば、采浩の人物像については承服しがたい不自然さが眼についたわけである。だからこそ問題なのである。
 加賀乙彦や五味川純平、中里喜昭らも『見果てぬ夢』をめぐって李恢成と対談している。彼等は第三世界的視点と韓国の民族文学の潮流について熱い関心を持っている。朝鮮民族はいま最も尖鋭な民族矛盾の状況下で、民族統一と民主主義のために戦っている。それは世界新秩序の建設という歴史的実験に挑戦する秀れて先進的な偉業でもある。そういう認識を彼等はもとうとしている。『見果てぬ夢』の価値をそうした民族的るつぼの中から出た収穫だととらえる。少なくとも日本的秩序の枠組みを打つものとして存在する「挑戦的なもの」の際立った文学表現として、『見果てぬ夢』を取りあげようとしている。それは日本人にとって謙虚に学ぶべき種類のものだと考えている。文学者としての朝鮮認識もさることながら、加害者日本人の民族責任の思想とは別の、朝鮮民族に対して人間的尊厳と節度をもっている。それはちっぽけなことかもしれないが、私たちにとっては最大の関心事である。私たちは日本人に向い合うとき、必要以上に過敏なリトマス試験紙をもつ。それは動物的嗅覚と言っていい位、鋭く日本人の朝鮮観をかぎとろうとするものである。
 話は流れてしまったが、安岡の近代小説的発想の奥には、いまだ剔抉できない朝鮮蔑視思想があるのではないだろうか。近代主義の顔をした、その実個人自我思想の後進性が、安岡に見られるように、『見果てぬ夢』を見当はずれに読ませてしまったのではないのだろうか。こうした読み方は何も安岡ひとりに限るまい。日本人知識層の本質の底部にある慠りがそうさせるのかもしれない。安岡の欧米文学に感応する水々しい感性は、朝鮮人文学に向けられたとたんに想像力と理解力がしぼんでボケてしまう。なぜだろう?
 [六] いびつな精神土壌の克服
 貧しい患者からは診療費を取らぬといったがために、同業者や警察から苦しめられた仁徳の医者の話をきいたとき、南植は思ったのだった。「この国では献身的であることは危険なことなのだ」と。これは南植のことばだが、采浩のそれと見做してよい。

  社会道徳の中に、人間が人間のために尽すことが却って訝しむ奇怪な風土が生じてしまっているからではないのか。そういう過酷な精神風土、敗北した美徳の中で人間の価値が侵され、゛人並みにやるしかない”という諦観や絶望が人間の精神に蔦のように絡みついているせいではないのか。そして蔦に絡まれた精神はこの国の文化にも蔓延して暗い魂のジャングルをつくっていく・・・・・・。これは怖ろしい人間の希望への冒瀆なのだ。この精神の暗闇を変えることなしにどうして心の人間解放があり得るだろう。

 人間の希望や性善を純粋に受け容れないゆがんだ猜疑心と邪しまな打算に染まった管理と恐怖が支配するこの国。正なるもの、美なるもの、善なるものが本来の価値そのままに数えられる社会をめざして采浩と南植は捨て石になろうとしている。朴采浩をモラルを基底にした人物形象、それも分断時代から統一時代を生きる「統一朝鮮人像」の知識階級のそれと読んだとき、その問われるモラルとは、人間の価値がそのまま価値として平凡に素直に認められないという、この「非人間的な苛酷さが埋まってしまっている精神的土壌」を変革するためのモラルということだろう。
 「いびつな精神土壌」は一体どこから来たのか。「歳月の侮蔑」の中で醜くゆがんでしまった症候群(シンドローム)的なものもあれば、それを許してきた伝統的民族の後進性があげられよう。民族形成史のうえでしみとなり垢となったこれら反モラル的欠陥、たとえば「恨(ハン)」に象徴されるうしろ向きの隠忍自重の、辛抱、辛抱の体質、哀号と怒りは大噴火しても理念化できない一過性の激情、既成の価値秩序に手もなく頭を垂れる負け犬のような事大主義、一族郎党の利益固守に明け暮れる、反対派は皆殺しの陰険で姑息な党派性などがある。これら民族的短所は、人間の価値を踏みにじり民族の英気の芽を摘んできた。こうしたこの国の病理と意識構造、民族の絶対性の裏にへばりついたその虚偽性、それらを変革するありうべきモラルの体現者として采浩は形象されている。当然ながら采浩的人物は現有秩序と既成の精神土壌から露骨な拒否と反撃を浴びるだろう。それは新しいモラルの建設者として避けることのできない時代の宿命と言える。現に日本に住む私たちでさえ、采浩ほど高みに昇れないのは言うまでもないが、采浩に心動かされながらもそのあまりに厳しいモラルの追求にいささかの不協和音を洩らさずにはおれない。最も私たちの場合、その因は民族的短所というよりは、日本的情緒とあの近代自我により多く侵されているためのようではある。
 ところで民衆の先達としての知識人は今まで何をしてき、今は何をしているか?
 日帝時代、多くの知識人が民族的節操を曲げ、゛皇道支配”のちょうちん持ちになりさがり、自民族に弁解のしようのない破廉恥な民族叛逆者になった歴史的事実がある。いま祖国の南の地で同じように強権に媚を売り、その民衆支配のお先棒を担ぐことで、自らの保身に汲々としている、一部の知識人が居る。民族の危機を訴え、民衆を啓蒙する自覚した知的花郎(ファラン)としての役割を、そうした知識人は放棄していると言われても仕方ない。権力の侍女となった似非(えせ)非知識人にはどんなことがあってもなりたくない、なってはいけないと采浩は固く心に決めている。たとえそこまで汚れていなくても沈黙と無抵抗で終始することは、権力の横暴を黙認しその助長を助けることになる。彼等には日帝時代の反省もなければ禊もない。知識人は日帝時代の苦い体験を生かして、是は是、非は非と、民族と民衆の側に立って知的武器としての思想と思念に自らを駆り立てるべきなのである。四・一九世代が、日帝時代の残滓を払拭せよ、その精神的遺産を精算せよ、と思想提起したのは、皇民誓詞の世代に根強くからまっている奴隷根性が、民族の新秩序建設の不成就の真因の一つと見たからである。解放後、日本の新帝国主義をバックに次々と独裁政権が居坐ってきた一端の責任は、知識支配層が暗々裡にそれを受け入れてきたその迎合性と後進性にある。采浩はこれら旧世代の愚かで卑怯な知識人には絶対になりたくないのである。
采浩は西欧的知性の合理主義と朝鮮の伝統的抵抗英雄の不可殺伊の統合の化身だとくりかえし言ってきた。しかも彼は新しい民族秩序と人間の価値基準の創造をかかげる四・一九世代でもある。彼は光復の波、アメリカ軍政下の教育、六・二五の避難の旅と、分断の不遇と悲運が次々と生じたその渦中で幼少時代を送った。彼は日本的要素を払拭できずに意識分裂し、日帝秩序を踏襲し、分断状況に自らの保身を重ねてきた皇民誓詞世代ではない。四月革命の中核的役割を果たした歴史的事実に見られるように、四・一九世代は分断克服の積極的理念として、自生的民族統一思想を高くかかげている。思想的文学的枠組みの基底を四月革命の経験に置く金芝河や高銀や黄(ファン)暎(ソギョン)がそうであるように、四・一九世代の知識人には「統一朝鮮人像」に近いイメージがある。彼等は何度逮捕されても、行動する知識人としての自らの民族の先鋒の位置を高く押しあげるばかりである。

  抒情詩人は感傷ではなく、民族に、歴史に全身を投げ出す予言者であるべきだと思います。讃美の人であるよりは、批判の人であることを望み、静かな夜の瞑想よりは、真昼のまっただ中で血の声を叫ぶことを望みます。

 これは民族詩人高銀の言であるが、「抒情詩人」をそのまま「知識人」と置き代えればよい。
 何度も言うように、采浩の人物像は、ありうべき理想像としてよりは、民族形成史の中で分断克服の時代的使命を背負った、そうしたモラルを体現した必然の息子として、現に生きなければならないんだという強い主張をこめて、李恢成は彼を登場させた。だから采浩は突出した英雄像としてではなく、あくまでも革命をめざす自覚と行動の知識人の先鋒的役割をもつ普遍的人物の範形として、作者は浮き彫りさせようとした。従って采浩に象徴される新モラルの創造的人間は、民族統一と民衆解放を標榜する南の民族文学のリアリズムとロマンチシズムに合致する。采浩的人物は作者の想念のためをそそぎこんだ典型像ではあるけれども、分断朝鮮で命賭けの革命運動を進める人士の中に厳然と生きている。采浩の人物像は単に彼自身の個別性を越えて、現実に民主化と統一の事業に邁進する朝鮮民族にとっては、ありうべき民族的イメージとして包含されるものである。采浩と歴史英雄との民族系譜の関係はすでに前稿で言及した。采浩の人物創造それ自体が秀れて民族文学と言ってよい、と私は考える。なぜなら民族文学の本質は、創造と抵抗の等質性にあるからである。白楽晴(ペンナッチョン)は言う。

  分断時代の文学の思想を一言で言えば、統一の思想である。統一をなしとげるのに必要なすべてに対する認識であり、省察であり、統一を阻害するあらゆるものに対する反省と否定である。

 白楽晴の「統一思想」を体現する者が、李恢成のめざす「統一朝鮮人像」である。それは究極のところ、『見果てぬ夢』創作動機の最大の眼目であるところの分断克服の論理と倫理、それの創造をめざす人物が持たねばならないモラルということになる。こうしたワンコリアの論理倫理は、民主的統一をめざす者にとって、「民衆哲学の原理」になるものだという予感を李恢成は持っているのである。
 「統一朝鮮人像」としての采浩と南植は、革命事業のためには自らもつ人格も生命も家庭もすべてを犠牲にすることも辞さない人間である。むしろ意志的に個人利益を排除しようとさえする。個人に属するものをどれだけ克服できるかで、自分の革命精神の多寡さえ計量しようとする。彼等は個人感情や個人事情を整理しようとする意志のほかに、思想と科学的武装で固める論理の力をも、人格の最も重要な部分として自らにきびしく課す。昔も今も朝鮮革命家にとって一つのアキレス腱は、論理力不足であった。采浩はそう厳粛に受けとめている。高龍との議論で采浩はこう語る。

  「私はひとつだけ誠実な態度を持しているつもりです。それは論理には論理で応えるという態度です」
 そして知識人の多くは、
 「残念なことに感情家が多くて、卓を叩いて激越な心情を吐露した揚句の果に男泣きしたりする。しかしそれで終ってしまっています。でもそういう感傷的な身勢打鈴によって知識人の役割は担えぬでしょうし・・・・・・。必要なのは人間の条理を踏まえた論理です」

采浩は南植の逮捕で、組織の危急について弁護士殷錫糊(インソクホ)と協議したときにも次のように語る。

「われわれはいまは慌てず、焦らず、騒がず、人間を作っていく時機(とき)なんだ。慎重に大胆にだ。正義心の強い、誠実で、愛国心があって、何よりも自分で物を考えることのできる人間。何もはじめから社会主義者って人間はいないからね。論理(ロゴス)で考える人々をふやし、科学的な判断と思想を抱く人間を獲得し、その思想を普及させていく。そしてさまざまな同志や同調者が各分野に根づくことだ」

最も多数でありながら受動的で後発的な底辺民衆層は別にして、日帝時代から従来の進歩的人士と言えば大体こうである。徒らに長きせるで大地を叩いて恨み節をうなる両班(ヤンバン)、読書人(ソンビ)が、革命の大儀よりもおのれの見識や党派の正当化作業に狂奔するぬけがらのような「独立運動家」か、ボルシェビーキの基地から発せられる指令や言説にただ忠実たらんとする理論家か、火砲のテロにしか抵抗思想を表現できなかった不遇の革命家などである。歴史の制約と旧思想の悪弊があったとはいえ、悲憤慷慨、権謀術数、教條妄従、暗殺潜行のどのタイプも、朝鮮革命の指導的役割を担えなかった。誰も抵抗と解放の民族理念と論理を、全民族的結集の旗の下に構築できなかった。解放後も全体として踏襲するこれらの革命家のパターンを采浩は人間的に克服しようとしている。彼が描く同志像と同志戦略は、こうした欠陥を克服しようとする人間的集団である。歴史に内在する無限に豊富な現実から、采浩は革命実践の哲学論理と志向論理を築きあげ、それを行動基準の方策にしようとしている。
唯一思想の原則に妄従する政治人間、意志と思弁を捨てた上意下達の官僚人間、研究室に閉じこもり定義と概念を解説する学者人間、小市民意識の事なかれの見て見んふりの生活人間、物欲と権勢欲のわが身よければすべてよしの経済人間、抵抗に代えて頽廃と享楽と呪詛に身をしずめるやぶにらみの人生人間、階級観念が欠落して民衆地盤に根をおろせない貴族人間、そうした種類の人間の生き方を采浩は徹底的に批判するだけでなく超克しようとする。そのためにきびしく激しく意志的に自己統制と自己建築を課そうとする。これは彼の倫理的課題であった。前述したように、朝鮮革命の思想と行動の中にあった種々の民族的障害、たとえば族閥と出身に固執する党派性、朝鮮的展開の度量を怠った指導原理に対する妄信性と非科学性、中国の八路軍に見るようにきびしい規律で人間改造しなかった没精神性と非人格性、これら民族の意識構造の内部矛盾と後進性を打つことは、采浩にとっては言ってみれば論理的課題であった。
情実よりも信念と知性に生きる男、個人としての人間的欲望を限りなく全体の欲求に合致させる男、合理的科学思想と志向を現実変革の論理にする男、こうした采浩的人物は、李恢成が時代命題の解決の糸口をたぐろうとしたとき、必然的に創造されねばならないものだった。同時に情理や因習に密着して生きてきた古い朝鮮人像のアンチテーゼとしての積極的意義もある。
このように統一の中身を構築していかなければならない「統一朝鮮人像」の形象は、単なる想像上の虚構人物でよいはずがない。民族歴史の正当な継承性と現実変革のリアリティーを抱保する、ありうべき人物として形象されなければならない。たとえ理想像と現実像の齟齬からくるうそっぽさを感じるとしても、典型像の意図のまえでは重大な瑕瑾ではない。私はそうふんでいる。「統一朝鮮人像」の価値は、現実変革のエネルギーとイムパクトに全人格が奉仕するその知と勇の生きざまにある。
思うに論理的倫理的に生きるとは、一体どんな生き方なのか? 自ら律する思想根幹や道徳秩序に抵触しないという平穏かつ無抵抗的な生き方ではなく、その向背にかかわるときに踏み留まり、さらには前進させる自己闘争的な狷介な姿勢と行為ではないだろうか。采浩は自らの論理倫理を、朝鮮民族の近代現代の革命行為が生んだ思想経験を土台にして、それを「政治哲学次元」にまで接続していく作業と過程にくっつけていった。民族の歴史の意味と民族の連続革命の意味を追求し、民族の存立を支えるための歴史的教訓と歴史的総括をつかんでいこうとした。采浩の生き方と思想はそうした哲学の意志的な実践者であることを自ら証明しようとしたものである。彼自身にその哲学の忠実な下僕たらんとして同時に革命家の典型像たらんと命じたのである。彼の生き方が求道的で禁欲的で、すべては革命第一の利益と戦術のだめにと、その精神に奉仕するのは必然の成行きなのである。彼の次のような言葉は、その哲学の実践者としての認識から出たものである。
「中途半端な思想の持主はいざとなれば逃げ出す」
「自分の思想に確信をもっている人間が殉教者になる」
「深刻な現場に生きている矛盾した人間の実状から出発しないと、われわれは涙を流してもその人々は救えない」
[七] 田圃に入らずして
「もし南植が、故郷の人々を避ける理由が『迷惑をかけたくない』というだけなら、いつまで経っても君はその人々を変えられないよ。いいかい、田圃に入らずしてどうして田植えができるんだ?『革命』をやるとか言う人々が自分の家族や親戚をそっとしておいて、口では『革命勢力』を保存しておくと言いながら、実際には何もせずに『へその緒』で庇っている。こういうタイプの革命家こそ、他人に向っては大事変が迫っているとか言って宣伝煽動する。こんなことだから、統一も長びくんだ。どういう意味でも身近かな人々の中でわれわれの思想に同調し、支持してくれる人間をつくり出さなくてはならない。もちろん決して無理はしてはいけないが、いずれにせよ故郷に行く必要があるんじゃないのか」

南植の父は解放直後の頻発した人民蜂起に身を投じた過去をもつ。父は玄界灘をポンポン船で、船底にどぶねずみのように折り重なって命賭けで日本に密航してきた。父は故国では立派な赤野郎(パルゲエイン)なのである。韓国では現実に参加したが最後、国事に関係したが運の尽き、死ぬまで生命は脅えねばならなかった。五百年の封建政治以来、一族郎党に罪科の係累が及んだ風土は、独裁政権下でますます強化されていく。刑罰の連鎖作用は家族親族に恐慌を強いている。有形無形の脅迫と恫喝で平安たるべき人間の魂が荒野に投げ出されている。父のことで故郷の祖母や叔父はいまだに辛い目に会っている。南植はそんな理由で父の故郷を訪ねることをずーと避けていた。南植のそんな逡巡に采浩がぶっつけたことばである。
その後、南植は農村の叔父の家を訪ねたときの印象を、わざわざ日本から獄中面会にきたかつての同級生小池克彦に語る。

 「面会が終ったら、韓国の農村を見ていってほしい。・・・・・・穂波が一面に波打っていてどこも黄色い世界や・・・・・・。穂波を渉ってくる風の匂いが何ともいえない。きっと、きみはこの国が好きになるよ」

南植は観念的な祖国観から「田圃」という現場主義に身を投じることで、農村、稲穂、風の匂いと目線が地を這い、五感が農村、風土、民族と自然に感応していった。「田圃に入れば蛭にも吸いつかれるけどね」と新たな苦難と苦痛は増すが、それとて革命家の現実認識を深めてくれるものである。「田圃」から得た発見と手応えは喜びも苦しみも共々、南植の思想に新たな創造性と発展性を産み出してくれた。
「田圃に入らずして」、「へその緒で庇うな」、「身近かな人々」の三つは采浩の革命実践のときの規範の柱である。「田圃に入らずして」は、研究室や在家で理論や教理をひもとくよりも現場に足を運べ、とその決意と実践を促すことばである。「へその緒で庇うな」は、どこか逃げ道を用意して半身で構えている革命家の個人感情をたしなめている。「身近かな人々」の同調と支持を求めることができないでどうして民衆に受け容れられる革命勢力の拡張ができるかと説いている。いずれも孤絶と中傷にさらされている革命家が民衆の理解を得るための第一歩ではないかと言っている。この三つの範形を通じて采浩がいかに革命人間として心と志向と生き方をきびしく自分のものにしようとするのかを、読者は作品で読むことになる。
南植が清渓川(チョンゲチョン)のどぶ川に入って腐臭の死体を捜そうとするのも、采浩が国土統一院をやめて高麗大の教壇に立つのも、金大中事件のとき、氏は国内に留まるべきだと主張したのも、北の秘密党員と何回も出会うのも、そして事前の情報を得たにも拘らず亡命しないで敢えて牢獄の鎖につながれたのも、言ってみれば土着の社会主義者采浩なりの「民衆の中(ブ・ナロード)へ」のきびしいまでの実践原則を守ったにすぎなかった。そこで具体的にどう切り結んでどうかいくぐっていくか、革命家の価値が試されていたわけである。統一と民主主義の民族的テーマも分断克服の民族的悲願もそこを通らないことには一歩も近づけないのである。どれもすべて革命の現場という観点から一貫している。彼には個人的関心の産物の保身のためなどという小さな発想はどこを探してもない。迷いがあるとしたら革命に有利かどうかを計るときだけである。
「田圃に入らずしてどうして田植えができるんだ」という理屈はきわめて単純明快な論理である。それは同時に地雷を伏せた危険地帯に足を踏み入れる勇気と細心さを要求する。実践活動の戦略の妥当性のほかに個人に属する種々の葛藤との衝突もある。しかし朝鮮革命の徹底的な実践者であらねばならぬというこうした采浩の認識は、具体的な事件と葛藤の局面でいつも不動の指針として提示され機能しようとするのである。
采浩ははじめて南植を同志として強力に入韓をすすめたときにも、同様の論理をくりひろげている。

  「私たちはあの土地で苦しみ、悩み、沈黙し、抵抗し、血を流している民衆への想像力を失っては、人間的自由を得ることができないと思うんだよ」

采浩は南植に眼を朴正熙(パクチョンヒ)だけでなく、韓国の民衆に注ぐべきだと語る。革命家の同胞感覚とは民衆と共に苦しみ共に生きるその姿勢と、そこに注がれる視点によって肉付けされ、それが民衆の支持を受けるのである。当時、韓国政権は積極的に共産圏と招待外交をすすめ、また朝総連の組織の人々にも祖国墓参団の名目で訪韓の機会を与えていた。朴正熙(
)がこうした政略的な秋波を送っているのをとらえて、「向うの出方を利用して」南に入るべきだと采浩は語る。当時、朴政権を孤立させるためには、絶対に仕掛け訪韓を拒むという政治論理が反朴体制の在日朝鮮人韓国人のあいだでは力をもっていた。自分自身は訪韓して「寝返った」と言われても構わないが、と南植は真剣に問い返す。

「私はごらんの通り躊躇しています。これは冒険主義じゃないかと・・・・・・。困難な境遇で反朴運動をしている良心的な民団組織の人々に害をもたらし、その結束を妨げるという結果さえ生む可能性があるのです」

采浩は在日朝鮮人は朝鮮民族という全体の環の一部だというあの「円の思想」を持ち出して、在日同胞の質的役割にふれて革命の主人公は「どこで生れたかは問題じゃない」と主張する。そして別の動機から日本の招待を欣然と受けた呂(ノ)運(ウン)享(ヒョン)や、蔣介石の査証(ビザ)で中国に出かけたアグネス・スメドレーの故事を引用して、統一したら変えると公言する統一する者の主体の欠けた「熟柿主義者ってのはつまらん」と吐き捨てる。

「私は同志をもとめている。・・・・・・自分の行動に責任をもち、時代の運命に誠実で多感な困難を怖れず孤独にも耐えられる人間が必要なのだ。どうか、じっくり考えてほしい」

采浩と南植は意見の一致を見、南植は祖国の懐に赴く決心をするのである。こうして南植は「田圃に入らずして」は統一と民主化の仕事はできないのだという政治的信条をもって韓国に行くための下準備とその偽装工作に入っていく。思い入れよりも具体的行動を、掛け声よりも現場へと、暴風雨に晒されている朝鮮革命運動という帆船の乗組員になっていく。南植はその決心を親しい友人にも両親にも誰にも打ち明けなかった。自分の本心を晒け出さなかったために、落後したとか、堕落したとか、非難と軽蔑の眼差しを浴びる。そのとき采浩は南植の心の中の淋しさをのぞいて冷徹に注意を促した。

「これからも転向者扱いされていいじゃないか。むしろ有難い話さ。きみは『転向』したんだ。しっかり『転向』していてくれよ。革命家の中には犬にもシッコをかけられないような憂き目に遭いながら地下活動をしている人もいる。立派な『転向者』じゃないか」

個人主義的な安逸の小世界の自己満足など、およそ革命家には縁がない。それを捨て切ったぎりぎりの所で革命の大義に生きることができる。表面上の敗残者の顔などむしろ恰好の仮面であるわけである。思想的にも精神的にもそうふっ切れてこそはじめて地下運動家としての苦しい戦いに身を投じることができる。
 「在日」であれ「本国」であれ祖国の民主化運動になんらかの行為を起こそうとすれば、やはり勇気と犠牲と骨肉をからませた痛苦の愛国心が要求される。高見の見物主義では到底、祖国を動かすベクトルの素因子にもなれない。それは火中の栗を拾う危険と同居しており、残酷な運命を背負っていかねばならない。危機一髪のどたん場を何度もすり抜け、終には幽閉のお姫様を救出するハッピエンドの冒険劇ではないのである。成功の報酬はおのれの歴史を創造するという矜持と革命の正当性への確信にしかない。あとに続く時代の為に光明と希望のひとすじの糸にでもなればよいという崇高な犠牲精神だけである。
采浩は「在日同朋画家」孫敬南(ソンキョンナム)を訊ねて日本へ入るときにも、この「田圃に入らずして」の思想が彼の行動基準の根底を支えていた。

「靴底に土をつけて飛び込んでいった方がよい。危険を避けなくてはならないけれど、その方が収穫は大きいだろう。もし自分が頭でっかちになっておれば、それを洗ってくれるのは、同朋の真実なのだ」

 采浩はこうひとりごちる。数年前までは朝総連の活動家だった孫敬南と秘密裡に出会うことは、お互いの立場上非常に剣呑なことだった。ひとりの同志を得るために充分な準備とふさわしい環境を考えると言っても、状況は常に制限付きである。大胆で細心に決断を下さねばならない。それも行き当たりばったりでなく行動の原則性をもたねばならない。采浩の現場主義は監視の眼をかいくぐらなければならないだろうし、ときには判断の誤りもあろう。ひとたび過ちを犯せば革命に重大な影響を及ぼしてしまう。かと言って「ぎりぎりのところまで進み出ないことには、大したことはできない」のである。「田圃に入らずして」の思想は、革命家が何はともあれ実地に飛びこみ現場に踏み留まる基本的な戦略なのである。

 「よくてもわるくても、この地を自分たちの力で変えていくべきじゃないのか。意識分子が、困難なときにこの国を見捨てたら残された民衆はどうなるんだろう」

 四月革命の輝かしい戦果が、元日本帝国陸軍に忠節の一軍人にかすめとられた。その直後の弾圧旋風で采浩の同志たちは獄につながれ或いは発狂したりした。ある友人がこの地を逃れて北に行こうと誘ったとき、采浩はこう言ったのだった。
彼は北へは行かなかった。しかし軍事政権の攻撃で座礁した四月革命の歴史の敗北感と懐疑心から、采浩は一年ばかりヒッピーまがいのヨーロッパの旅に出た。ドイツでマルクスの墓を訪ね、フランスでアルジェリアの学生に出会い、イギリスでアイルランドの民族主義者の家に泊ったりした。転々としながらも、「時代が要求する課題は自分が担わねばならぬ」と自身に言い聞かせて、結局自分の国に帰ってきた。多感であればあるほど青年は事物の本質を嗅ぎわけていくものである。他国の民族抵抗運動家との出会いで、「田圃に入らずして」の思想を再認識させられたのである。「祖国が待っている」というあの革命家の帰巣本能によって自身が強く命ぜられたのである。四月革命の挫折以来、民族の逼塞状況が激化すればするほど、逆比例するように「田圃に入らずして」の思想は彼の革命実践の不動の政治的信条に加重されていくのである。
 ひとりのカリスマ的独裁者の狂気の専制支配と自己陶酔的な維新政治によって、民主勢力とその抵抗思想が他力依存志向に変質させられたり、自己撞着的な条件付闘争に修正させられたりした。金大中事件のとき、金大中個人の人権を重視して「原状復帰」「出国」がさかんに言われた。それに強く反対した采浩の論理の根底にあったのがこの「田圃に入らずして」の思想であった。かれにとってはこの「田圃に入らずして」は、物事は現実から出発しなければならないという現実直視と、どこにも逃げ場はない、ここでしか戦わざるをえないのだという現場参与の象徴的ことばである。

 「勿論、私は一人の人間の生命を尊重しないということではない。そこは誤解しないで戴きたいものだ。しかし人間には肉体的生命があると同時に政治的生命もある。私が金大中氏に望みたいのは、民衆政治家として彼がこの困難な時機に、民衆と苦楽を共にしてほしいということだね」

 政治家には「亡命」の特権はあるが、三千五百万の民衆には「亡命」の自由はない。激しい反朴運動が盛りあがったとき、肝腎の民衆政治家が居ないのであれば「三・一運動のときの苦い記憶を人々は思い出すハメになるだろうね。あのときは、いざというときになって指導者が腰くだけになったので民衆は大きな犠牲を払った」のである。そのうえ「国民こそ自分にとって良心の根源だ」とのべる金大中自身にとっても辛いジレンマにならないかと采浩は心配する。金大中事件を民主主義回復運動の一環ととらえ自身に引きおいて考えるのは、「自説の正当性を主張するよりもその結果に責任を自覚しようとする」采浩の革命家のモラルからも当然であった。
 のちに逮捕の危機が迫ったとき、彼は充分に時間的余裕があったにも拘らず国外脱出よりも敢えて最も過酷な下獄の道を選んだ。真向から権力者と抵抗者の鮮明対決の闘争に入るのは、民衆と共生共苦を重ねる以外には革命家の生きる場所はないというごくごく単純明快な論理による。
 金芝河は民衆を次のように説明した。

  勤勉であり、愚かに見えて豊かな天の知恵をそなえ、力なく無気力に見えながらじつは偉大な力と強い意志を秘め、粗野であるが隣人に対して人間らしいあたたかい愛情をもち、堂々と誇り高くたぎる力にみちた姿・・・・・・。

こうした「力強く立ち上がり圧制をくつがえす偉大な民衆」に采浩は愛と信頼を持ち続けている。その憧憬と確信があるからこそ、「俺は亡命が嫌いだ。地べたにへばりついてでも祖国に残るだろう」と狂おしいまでにも「田圃に入らずして」のこの地に執着したのである。このように采浩は自分が遭遇する重大転機の度毎に、この「田圃に入らずして」の思想で情勢判断を下し、また自身の身のふり方、進むべき道を決断していった。金衝(キムヂョン)泌(ピル)総理に政治家のエリートコースで権力中枢に君臨できる政務秘書官にならないかと懇請されたときも、同じ思想から学生を指導する大学の教壇を選択した。仮装して朴政権の最奥部に潜びこんで行動の制限を受けるよりは、組織の仕事のために自由な時間を確保できる場所で働くことが要求されていたからである。そのとき、采浩は進退を同志たちと慎重に相談した。政務秘書官を「承諾するためには拒絶以上の意味がなくてはならなかった」からである。采浩は自分の行動の一つ一つを、自分自身の本質、つまり革命の目的と結びつけるその方途の中に常に模索していた。彼にとっては何処が革命現場か、いつもそれが問題であった。
〔八〕へその緒で庇うな
真実と正義のためには身を滅しても貫き通すという積極的熱気には、従来から温存されてきた調和や充足を乱してしまう。当然のことながら家族や身内さえも傷つけ巻きこんでしまう。采浩にとってずーと先の達成されるべき民族の理想を生きることの意味にした以上、眼前の個人的なものは文字通り統一という神殿に捧げられたいけにえである。「身近かな人々」である家族を「へその緒で庇うな」という采浩の思想は言うまでもなく変質的な被虐趣味のためでもなく、遊侠の徒の仁義とかのねじれた英雄主義のためでもない。
朝鮮民族の不幸の最大原因に日帝時代の被支配と被抑圧がある。そしていまは国土の分断と民族の分裂がある。これらの歴史的状況が朝鮮民族にとって、人間が仕合せな生活を営むための最小の単位ともいうべき家庭家族の存在を常に脅してきた。日帝時代に土地を奪われ、肉親を奪われ、ふるさとを奪われ、家族の離散と家庭の破壊の悲運に見舞われなかった朝鮮の「家」は一軒もなかったと言って過言ではない。采浩の父朴秋嶺(パクチュリョン)は解放後、ソウル駅の大歓迎の群衆の中へ放浪の中国大陸から帰り着いた。何十年ぶりかで出会う出迎えの妻の顔も見忘れ、「お迎えごくろうさまです」と神妙な顔付きで言った。家族邂逅の一つのエピソードにすぎないが、なんとも苦い。この夫婦は再会できたことだけでも幸運であった。同族殺傷の朝鮮戦争では、さらにその悲劇は無辜の民を襲い地獄絵図さながらに繰り返された。統一革命党の羅道卿と羅景利兄妹は朝鮮戦争の孤児である。解放直後から獄窓にある朱老人とその差入れに通う老妻も戦争で愛息を失った。そして現在は李、朴、金とファッショ独裁反共政権のパルゲェイン狩りの嵐が吹きに吹き荒れ狂っている。彼等にとって家族団欒は遠い禁断の夢になってしまった。いまだに天井らや地下に身を潜めていなければならない。趙南植一家、南植の従弟の海石一家、そして采浩と玲淑と燦(チャン)は分断政治の暴圧のためにその愛する肉親を囚われ家庭生活の平和を台無しにされている。そして人間としての正当な欲求やささやかな安息すらも抑えこまれてしまっている。反体制分子として世間の白い眼にも堪えていかねばならない。
民族の独立と平和と幸福は民衆のそれと同一のものであり、同時に家族のそれを支えるものであり、さらには個人ひとりひとりのそれでもある。家族家庭というものが民族の底辺を構成し、家族家庭の集積集合が民族を支えている。そうした視座と発想はあたりまえすぎることだが、この『見果てぬ夢』の作品意図の一つでもある。李恢成には家族の群像を描き出すことで民族の全体像を浮びあがらせる、或いは民族そのものを象徴化していく作風がある。どの作品でも作中人物が家族世界という揺籃を出たり入ったりしながら、人間存在ないしは民族存在の意味を問うという手法がとられている。李恢成の作品が家庭小説だと一部で言われるゆえんである。この『見果てぬ夢』でも、采浩や南植らの革命をめざす主人公たちの戦いを常に家族の切実で熱い愛情と葛藤にからませて作品構成している。家族の平安を妨害し破壊している下手人は誰か、愛する肉親を奪う犯人は誰か、そこを常に下敷きに引いている。家族から遊離した個人は誰も居ない。その単純な事実を李恢成は先ず書こうとしている。それがリアリティーというものだろう。李恢成文学の平明さと親しみ易さは、この家族を軸にした作品世界にもその秘密があるように思われる。
老境にある父朴秋嶺は革命の大義の途上で、さまざまな悲惨な光輝、醜悪な謀略の実体を数限りなく甜め見てきた。革命が必ずしも「正義とか理想、道徳によって作動するものでなく」、また「聡明な青年ほど理想を信じ、政治に真実を賦与しようとして、犠牲者の数に入ってきた」のもその眼で血が吹き出すような思いで眺めてきた。いま父は革命の光と影を悲痛と慙愧の心でなんとか回想記に染めあげようと筆をとっている。死んでいった同志たちがそのときの姿そのままで語りかけてくるという夢幻の境地に耽るときもある。その父が采浩に贈りたい詩があると言って蘇東坡の詩を口ずさんだ。

人家養レ子愛二聡明一
我為二聡明一誤二一生一
但願生レ児愚且魯
無レ災無レ害到二公卿一

 詩に託して愚かでもいい、長生きしてほしいと言うのである。かつて父は「青酸カリを飲もうが青龍刀を呑もうが、思ったことを言える人間でなくてはならない」と諭してくれたことがあった。その父がある直観にもとづいていまこう言っている。革命の中にある荒涼とした非理を経験した父だから、息子にはこの業苦の道を歩ませたくないのだ、そう采浩は父の胸中を洞察する。しかし「采浩はそのとき黙っていた。それが父にたいする愛情でも批判でもあった。親の盲目の愛に悲しみをおぼえていた」のである。「へその緒で庇うな」の思想は骨肉の情愛が深ければ深いほど冷徹さを増すようである。
 独立運動家として長い闘争歴の中で、いちどたりとも節操を曲げなかった父でさえ、いまこうして老年が弱気を誘ったとはいえ、父子の情に負けようとしている。革命家の先達と尊敬する父だけに、通俗的な喜怒哀楽の欲求を革命の大義のために抑えてほしかったと采浩は心中深く思う。自分はもう「感情を折りたたんで」しまっているのである。最後の最後まで個人を捨象したあのきびしい公的感情で父は息子を見守ってほしかったのである。
 采浩のこの個人感情を拒否した冷徹さはそのまま息子燦にも向けられている。非合法の地下運動に身を捧げ、生活の即物的快楽と平和を捨てたその父の運命を幼い息子も甘受すべきだと采浩は考えている。その酷薄と悲運の中から憤怒を爆発させて世界矛盾を感得してほしいと欲している。しかし一方では子どもは時代を受け継ぐ世代であり、社会の病弊から手厚く守られ救われなければならない存在だと熱い思い入れを抱いている。采浩は言う。

 「未来は子供たちのものだ」
 「子供たちは現代が人間に強いてくるあらゆる病気から解放されるべきだ」
 「子供は別だ。出来ることなら、子供は暴力から守りぬきたい。・・・・・・かといって子供の運命を口実にして、やることをやらないってことはあり得ないのだ」

 統一のための理念を模索し、統一のために生死を賭けるのが、分断時代に生きる采浩や南植であるなら、統一事業を完成させ見守っていく者は後代の若者であり子供である。采浩がわが子燦に格別の愛情を注ぐのは、ひとり父親としての情をこえて後代に期待する考えであり、どこか魯迅の「子供を救え」の思想に相通じる。だから政府の要職を捨てて大学の副教授となって学生たちを指導しようともした。韓国の学生階級の革命の先導としての歴史的役割もさることながら、後代にかける夢が大きいからである。また革命的家族愛の思想からも、民族の成分を形成していく新しい世代に家族離散などの悲劇を、それが民族を引き裂くひとコマであるからには絶対味わせたくないと、采浩は考えている。革命にまつわる犠牲に子供をまきこむのは、「フロの湯を流そうとして赤ん坊まで流す」ことにならないか。自身は統一のために死ぬ世代と認めても、子供まで戦闘死の隊列に並べることはできない。子供の時代には、朝鮮革命の大道が広く長く通じていて真の解放と独立の果実がたっぷり賞味できる状態にしておきたいというのが、采浩の夢想である。革命家にとって夢想が希望であり希望が確信につながっていく。分断が強いる病理と精神破壊が大人たちを支配している。反動と強権、抑圧と脅迫のまえで多くの大人は沈黙と隷従の徒になっている。それにくらべて子供の汚れを知らない純一性、疲れを知らない活力は無限大の可能性を秘めている。それは防衛して大きく育てていかねばならないものである。だが独裁と分断の柵に囲まれたこの国の政治の貧困は、子供といえども容赦なくその精神枯渇の檻に閉じこめようとしている。しかし矛盾自体が鍛えてくれる力というものもある。子供をいつまでもガラスのケースに飾っておくわけにはいかない。かと言って徒らに風説に晒し危険な防波堤の上に立たせる必要もない。だが現実の「歳月の侮蔑」はもっと非情で苛酷である。人間の甘い夢をいとも感嘆に打ち砕くことを知っている采浩は、革命家の息子ゆえに燦が出くわす運命をすでに予感している。

  統一とは、この国の民百姓がいちずにねがう心の病いなのかもしれなかった。だが、歳月の侮蔑に逆らおうとする者には、次の世代にも病気は容赦なく襲いかかってくる。

 だから采浩は、父の「愚かでもいい、長生きしてくれ」というやさしさに哀しみを覚えたのである。父のやさしさは結局「歳月の侮蔑」に身を預けることになるのである。「へその緒で庇うな」は、革命家は決して個人の喜怒哀楽の感情によって行動を律すべきでないという痛苦と冷徹を覚悟した洞察と実践を求める思想ことばなのである。
〔九〕感情を折りたたんでいた
 朴采浩と南宮弼宇(ナムグンピルウ)は四月革命のあとで、南北学生会談を推進しようとして意気軒昂に動いたことがあった。その弼宇が政府機関の国土統一院に勤める采浩に久しぶりにある酒幕(チュマク)で出会った。

「不思議な晩だわ。死んでしまったと思っていた両班が生きとったとは!いいか、君をちらっと見かけたから何年ぶりかで話しかけるのはそれでも昔の友情の賜物なんだ。・・・・・・が、それも今晩かぎりさ。いいか、今度どこかで見かけられたら『糞爆弾』でもくらわんように精々注意してくれ」
 そう叫んで弼宇は外に消えた。
 朴采浩はその後姿を深追いもせず、心の中で《きれいだな》と思いつつ、いきり立つ職員の腕を抑えただけである。彼はもう感情を折りたたんでしまっていた。
 
かつての同志の誤解すら、革命の利益のことを考えて今さらながら采浩は解こうとしなかった。彼は感傷に浸る甘えや自虐に酔いしれる心境人間からとうに「感情を折りたたんで」訣別していたのである。彼は感情に左右されない冷徹な生き方をひたすら守ることを決意していた。革命する者の思想と行動の規範に個人的感情を捨てることの一章をすでに設けていたのである。

革命に寄与するか否かを基準として物事を判断し、行動する生活態度を彼は身につけていた。《革命》のために必要あるならば、生活上の外被をまとうことはさして問題ではなかった。・・・・・・こうした環境が彼に微塵もの感傷性をゆるさなかった。自然と懐が深くなった。めったに本心を明かさぬ慎重さと磊落さを兼ね備えた。剛気であるかと思えば細心である。常に二つの手を使い分ける生活をしていた。

朴采浩も《権力》をもとめていた。だが、自己の栄華や立身出世とは縁もゆかりもないところからその《権力》を志向していた。革命の利益になるのなら、彼は何でもやってのける肚をきめている。そのための仮装(カジャン)は《必要悪》であった。
 小盆を全世界に見立ててピンセットで砂や小石や木切れの各材料を細かく積みあげていろとりどりに彩色して配列して超ミニの坪庭的風景を制作する空間芸術がある。それを何と呼ぶのか知らないが、そのこじんまりした雰囲気は私たちの情緒や発想に似ている。野生味がなく奥行きがなく立体感がないという点で。日常性を重視する小市民意識、歴史や政治よりも目先が関心の物欲型生活態度、深層心理に意味付与をおく個我思想、それらを小乗的にこねくりまわすのが、小盆の上の小細工のように思えてならない。日常瑣事と想像力を同化してしまっている私たちの感性からは、この「感情を折りたたんだ」采浩的人物はちょっと把握しきれないのではないのだろうか。むしろ共感よりも嫌悪を、真実性よりも虚偽性を、人情味よりも非人間性を、それも甚だしい程度で感じるかもしれない。
 人間であるからには誰もが当然個人感情をもっている。しかも個人感情は影のように切り離すことのできないものとしてある。唯一目的のために個人に属する幸福や喜怒哀楽の感情を意志の力で捨象できるかどうか。そんなことをじくじく考えるのが私たちの相場である。南宮弼宇の胸ぐらをつかんで「俺の魂が死んでいるのとでも思うのか」と思いのたけをぶちあけたい衝動を押える采浩には、革命の使命と責任に全精力と全感情を傾注しようとする革命家としての人物統一があると見たい。
 個人感情を捨象した革命的生き方を自らに強制するのは、なにもひとり采浩や南植だけではない。革命家として人間である以上、身辺の喜怒哀楽の激情に身を預けたい衝動に衝かれることがある。北の秘密工作員高龍の場合とて同じである。彼は南の実情をじっくり理解しようとして自分の足でソウルの街なかを歩きめぐる。高龍とは金日成の主体思想一辺倒の硬直した教条主義者の多い北の者の中で、采浩にはじめてほんとの共産主義者を見つけたような希望と尊敬の念を抱かせた男である。
 現在、北の体制は国家意志だけが浮上して民衆意志は少しも反映しないどころか、その所在の断片さえうかがうことはできない。統一思想も金日成一色で塗りつぶされて民衆思想は不毛である。不毛というよりは「偉大なる元首」という固い表層膜で覆われて芽を出す余地がない。しかし李恢成は硬直した公式主義者ばかりじゃない、「真者(ジンジャ)」も居るんだと言って高龍を登場させた。金日成思想に埋没されているふうに見えてその実、離れがたい同族感情と社会主義思想の真正なる朝鮮的展開を考える人物の存在を李恢成は紹介した。こうした人物が北にも居ることはあたりまえと言えばあたりまえなのだが、体制に絶対服従と奉仕とで忠誠度と人格能力を計られ、自由で大胆な発想を抑えこまれているところでは、現実に彼のような人物の存在を知ることはむつかしい。李恢成は北への是々非々の冷静な批判的立場を貫きながらも、一方ではその豊かな想像力とその鋭い直視力で、また社会主義思想そのもののうちにある科学としての真実性から、希望と信頼を抱かせるマルキシストをよく形象したのである。
 その高龍が南に秘かに入ってきたとき、朝鮮戦争以来、三十八度線で引き裂かれた老いた母を二十何年ぶりかで訪ねようとする場面がある。母懐かしさと親不孝がいやがうえにも邂逅の情をかきたてる。彼は母のいる里に夢中で車を走らせる。しかしその一歩手前で親子の情愛に溺れてしまいそうになった自分の行為の無謀さにはっと眼がさめる。

  あやふく、自分は誘惑に勝ったのだ。この南の地で危険を冒して自分を守ってくれている同志たちの信任を裏切らずにすんだのであった。自分には、いま肉親に会う権利はない。・・・・・・いまこの瞬間、自分はこの南の祖国にいながら、おなじソウルの空の下で夜を過ごしながら、母や弟たちと会うこともなく明日は発っていかねばならないのである。断腸の思いであった。夜の更けていく音を彼はじっと堪えてきいていた。

 人間の繊細な感情とか弱い面を無視してただ勇ましい英雄だけを登場させたら、それは決して民族文学としてよく形象された作品ではないだろう。白楽晴は言う。

  激しい作家精神に立つ強烈な歴史意識をもった作品であればあるほど、人間は不義に抗拒し歴史を創造したいという巨大な戦いの意志であるとともに、そのようなことを実行する主体はやはりすべての人間的弱点を備えた人間であるという認識をはらむのではないでしょうか。

 どんな人間にも勇と怯、決断と逡巡が同居している。だから不可能の壁に挑む人間の行為にはさまざまの人間の価値のドラマが生れる。成就への困難を引き受け、物神の暴力に抵抗し、英雄的気慨で犠牲を怖れず、驚くほど至潔で高貴な人間の一面がその人間的弱点をくぐりぬけて磨かれていくのである。
 状況が要求するとき即座に勇気と決断の意志的選択ができる回路を自らもつ采浩は、はじめから人間的弱点を止揚した男ではない。彼の個人的特長は歴史と現実が鍛えたものであり、彼自身の思想と感性がそれに激しく反応して築かれていったものである。

「人間は誰しも生きることを望んでいるよ。革命家といえども人間なのだから。いやもっとも単純に生と歓びを愛している人間だからこそ未来まで生きていたいのじゃないのか」
 誰にしろ、革命をめざすものは、悲惨な光景に遭遇しなくてはならないのだ。しかもそれは革命の性格ではなく、反革命のもつ非人間性によって強いられた悲劇の反映なのだ。こういう悲劇から人間を解放するために革命の論理と倫理が存在している。時代が悲劇的な様相を帯びている限り、個々人の涙を拭うために革命家の役割がある。

 張りつめた綱渡りの戦いの毎日を送っているからこそ、采浩は平凡な生活と小さな欲求に潜む人生の価値を最もよく知る人間であるのかもしれない。だが革命家は人間的開放をつよく求めれば求めるほど、個人に属する慰安や快楽から遠く離れていかねばならないという宿命がある。祖国の統一と民主化のためには、自らを人間的平和に浸って生きていく権利も余裕も捨てなければならない背理が横たわっている。采浩はその宿命と背理を無自覚的に生きるのではなく、強い意志の力で革命に生きるものの使命感として認識していった。彼は状況の困難な胃袋に身を投じ、それをくいやぶって出てくる獅子身中の虫なのである。対岸から冒険する人間ののんきな批評など入る余地がないほど采浩は阿修羅然としている。過度の意識分裂と人格喪失に陥り、肥大化した欲求不満と精神の放縦を背にし個人感情に支配されている現代人の傾向からは、恐らく采浩は単にまばゆい存在というだけでなく、実在感を認めがたい別世界の住人に見えるだろう。
 私たちでさえささやかな良心と正義の気概をもって社会参与することがある。たとえば指紋押捺拒否のデモで、無関心と冷笑の眼差しの街頭を連ねたり、光州虐殺の指弾大会で怒りのこぶしを突きあげたりする。でもめったに官憲に暴行されたり逮捕されたりする身の危険はない。せいぜい当局にマークされ、隠しカメラでパチパチ撮られ多少の薄気味悪さを覚悟するだけでよい。悲憤慷慨してもおひらきのあとは、親しい仲間とまるで宴のように寄り集い呑んで食らう酒盛りの儀となる。どのみち平和と安全の風景はくずれない。私たちは厳格な意味で采浩の思念と行動に体験移入できない。とても実感などできないのである。かと言って采浩の人物像を真剣に論評しようとするとき、ただ敵わんと脱帽するわけにもいかない。ひとはすべて自らの立場で物言う権利がある。要は共感できる心とそれぞれの場所からできることをしようとする水々しい精神の問題である。
 現代人の属性の最大のもののひとつ、自己懐疑心をもたないと言うことで采浩は際立っている。おのれの論理に対する自信、革命の持つ歴史の必然への予見、統一を築く世代の自認、革命の捨石たらんとする殉教心、平然と「転向者」になる勇気、いずれにも采浩には迷妄がない。従って彼は自己存在の根拠をゆさぶられるようなうしろ向きの懐疑にぶつかることがない。人間的弱点あるいは分裂した自己矛盾をかかえこみながら、悪戦苦闘、正義と邪悪、真実と虚偽のきわどいところで踏み留まろうとする苦悩型の人間ではない。じゃ、彼における人間的弱点とは何か?革命のために全思想、全人格、全生命、全時間を捧げることのできる彼のその生き方自体が、ある意味で彼の人間的弱点と言ったらどんなものか。個人の喜怒哀楽を完全に捨象できない人間存在を全的には容認しようとしない、その鉄壁の論理倫理の慠りの中に彼の人間的弱点があるのではないだろうか。時には死病にまでこうじる人間の懐疑心とその周辺情念に自ら同情と洞察を禁じた如く、他人にも禁じようとした。これは、人間観察においても革命の論理と倫理を駆使しなければならない采浩にとっては、自己撞着的な人間的欠陥に思えるのだがどんなものだろうか。
 李恢成がこの小説で、民族形成史の新秩序を引き受け時代の先づけを創っていく人物を形象しようとしたときから、采浩のその欠陥は予想されていたにちがいない。当然ながら李恢成の中にあるマルクス主義の論理体系から生れる理想的知識人はリベラリストとしての教養人ではない。また個人尊重の美学追求に執念をもやす自己陶酔型の文人趣味でもない。彼等はより巧妙な解説者や表現者であっても自らは何者にも献身しない。李恢成の関心は資本主義の矛盾、強権政治の被民主性、既存秩序の非人間性、それらを突いていくと同時に自らの中にある階級的浮遊性を清算できるプロレタリアートの側に立つ実践的知識人にあった。画一化や合理化を嫌い、意味付託に抗するあの孤高を好む知的貴族は、群衆の中の無事なひとりとして安全な場所を守りたいという内に向う保身の変形存在にすぎない。知的道楽者、知的放蕩者には自己を民衆民族に同一化する作業よりもせいぜい自己美学にしか興味がない。李恢成が描いた采浩はちがう。采浩の存在は、分断と分裂、権力集中と自由抑圧の南北の政治状況で、いまいかに生きるべきかそして戦うべきかという現代的課題と、いかなる社会をめざしいかなる人間をつくっていくかという将来的課題を模索する責任と自覚の知識人の典型としてある。それは民族の未来創造の公的財産としてのありうべき知識人像としてある。また共感を呼び志気を奮い立たせ範に擬せられる魅力と資質を備えた人物としてある。それだけに采浩のきびしい論理と倫理ゆえに導かれる彼の人間的欠陥は、人間を総体的に描かなければならない文学としてそれなりに描く必要があったと思われる。「人間的厚みに欠ける」という安岡章太郎の評言はこの限りにおいては正しい。もっとも南植も采浩を「人間臭さが欠ける」と言っている。このことは采浩の全体像を見るうえで興味深いところなので引用してみる。同時にふたりの「統一朝鮮人像」の柔と剛の対比を見ることにもなる。

  彼の人物的特徴は、あの強靭な意志や冷厳な情熱、明晰な判断力と大胆な行動といったものであった。それらの資質が彼の魅力であることはまちがいない。それは革命家が備えるべき資質としては立派だが、何処となく人間臭さが欠けているところに疑問が残るのだった。彼の個人的資質に人間への愛情が希薄というわけではない。むしろ階級的愛情は人一倍つよい人間だが、彼のように革命にすべてを従属させる人間に避けられない生き方が、非情などこか行き過ぎた判断を自他に下す場合があると考えられる。

この南植の采浩観は大方の読者のそれに近いと思われる。南植はもうひとりの同志的結合をした魅力ある人物、牧師金致烈(キムチヨル)と比較して言う。

朴采浩は慎重かつ大胆な人間だとすれば金致烈は野放図であり楽天的でさえあった。

南植はソウルの清渓川のスラム街で住民に献身的に奉仕する金致烈との出会いのあと、赤裸々に自分の内面をさらけ出すことができた。金致烈が魂の救済に手を貸す宗教者だと言うこともあるが、南植は彼のまえでは肩の力を抜くことができた。そのわけは威圧感を与えない開けっぴろげの性格と遠慮を溶かしてしまう包みこむような暖かさと、何よりもどこにでも足を突っこむ金致烈の気張らない泥くさい生き方にあった。金致烈にはどこを探しても高踏的な貴族趣味はなかった。相手に垣根をとり払わせてしまうあの「安心できる人間」の雰囲気があった。采浩が頭で考えたあとで行動する知識人としたら、致烈はからだで行動したあとで頭で考える知識人であった。手のうちを全部見せてそのくせ呑みこんでしまう無手勝流の、あの歴史の試練を生きた民衆の悠然とした構えが彼にはあった。朴采浩には圧倒されるような畏敬の念を抱いても、南植は青春の胸に秘めたあの呵嘖の根を引きずるようなくらい性的経験などはとても話せない。金致烈にはそれを素直にしゃべり、すーと懐に身を預けられる兄貴みたいなところがある。最も采浩に近い南植でさえどこか窮屈さを強いる采浩は、その威圧感が他の人物にも等しく感じられている。羅道卿は「相手の自由な発想や禁忌(タブー)の精神を感じさせぬずうずうしいばかりの活力」と采浩にある種の嫉妬心を抱く。羅景利は「あくのつよいその態度に反発心を禁じえないのだった。悪くいうと、まったく隙がない」と言う。采浩の同志や理解者ですら采浩の人間を尊敬しても、その生き方にいくばくかの抵抗感をもたざるをえない。あまりにもきびしく緻密に革命の論理と倫理に徹するその生き方に誰もが威圧感を感じたのである。
〔十〕采浩の性的不能
論理の原則性や法則性を根っからもたない私が、批評の基準などもあるはずがなく、こんにゃくのようにのらりくらり「雑文」をここまで書いてきた。気が付いたらこんなにも長くなってしまい、改めてまとめ方が下手だわいと恥じ入りまた驚いている始末である。いままで私はなんとも手ごわい英雄然とした采浩に挑発されて、私の精神の土庫奥深く眠っていた何ものかがうずき出すというふしぎな興奮と感慨を味わい、それをだらだらと書いてきた。総じて采浩讃歌に終始している。大体が私の考察、いや感想は、采浩のくり出すパンチを一方的に浴びるまるで受身的追認の作業であった。せめて一矢を報いる私の攻撃はまるでなかった。これから言おうとすることはその一矢になるかもしれない。これを言うことは私の采浩への友情であり、同時に采浩を神格化しないわが健全なる精神の証しにもなる。さあ采浩の金縛りの術から逃れ出られるかもしれないぞ。
采浩の人物像を肯定しようとしてきた意図に反し、しかも揚げ足とりになる危険があるかもしれないが、采浩の性的不能についてどうしてもふれておきたい。個人に属する欲求や葛藤を第二義的に考える采浩が、神経の精神のストレスから肉体的生理的障害を受けるという事実と、夫婦愛の肉体的交感を革命のまえでは瑣末なことだと切り捨てる態度とがどうしても承服できないのである。
どうして李恢成は采浩を性的不能者と設定したのか。意志と理性の力であの極限の肉体的苦痛の電気拷問にも音をあげなかった采浩がどうしてインポなのか。凡庸でない超弩級の意志と理性で革命の論理と倫理を築きあげようとする采浩が心因性の性的不能者? ありえない話である。革命精神の権化、難局にたじろがない超人的な不屈の魂、決して視線をはずさない睥睨した態度、核心を突いてくる不敵で挑戦的な言動、私情や我欲を拒否した心のうち、しかも明解な論理の刃で裁断する知性、まるで不遜と尊大と核心と意志が衣服をまとっているような采浩がである。不能の原因は糖尿病に加えていわゆる「革命病」又は「インテリ病」だと言う。革命宣言の構想、地下運動の財源の捻出、獄中同志の救援活動そして家庭問題、それらがたとえ采浩に極度の精神的神経的圧迫を加えたにしてもである。彼のからだと心に打撃を与えられるのは物理的な生命破壊の力しかないはずである。采浩はすべてに強い男でなければならないのである。読者の思い入れがそうだというのではなく、采浩がその個別性を越えて民族の共有財産的な人物だから、そうあってほしいのである。金芝河が描いた朝鮮民衆のシンボル、五体をちぎられ、眼をくりぬかれ、耳と鼻をそぎおとされても「ズシン ズシン」と日夜ソウル中に不気味な音を響かせて権力者を震撼させた『音の来歴』の農民のようにである。彼はイメージとしては不死身の生命体でなければならない。物権のまえでも精神的ストレスのまえでも、常に強靭な肉体力と精神力の持主でなければならない。それを困難と重圧の中で実践してきた男である。革命の論理と倫理を掲げた采浩が女性関係において貞潔を乱してはならぬと性的不能に閉じこめたわけでもあるまい。采浩の人間的側面の一部として性的不能をもってきたとしたら、それはやはりおかしい。それにたとえ性的不能であってもセックスは瑣末なことだと切り捨てるのはどうか? 采浩らしくない。

「こんなものたいしたことじゃないよ。人生の目的のないときにはセックスは最大のものになるが、何かやることがあるときは、エトセトラの一つでしかないんだ」

玲淑(ヨンスク)が不安と淋しさから采浩を求めたとき、采浩は軽蔑したように冷やかに言う。「あなたってもう神様ですものねえ」と惨めな気持をかくすよう玲淑は精一杯の皮肉を吐く。玲淑は采浩が夫としての機能をなくしたことよりも、こうして性的なものを無価値だと、つまり自分の心奥の葛藤をのぞこうとしないその慠慢さに異議をはさまずにはおれなかったのである。
采浩をとりまく三人の女性、五星財閥の末娘の玲淑、六・二五の戦災孤児で統革党の女性党員の羅景利、KCIAとアメリカの二重スパイの文淑(チョムンスク)らは、貞淑、怜悧、妖艶の三者三様の女性的魅力をもっている。彼女等と采浩の交渉は幕間劇のようなもので、必ずしもこの小説のテーマではないが、采浩の女性観は彼の革命人間としての抜き差しならぬ関係があると考えるならじっくりと眺めてみる必要があるかもしれない。個人の喜怒哀楽を革命の祭壇に祀りあげてしまった采浩には、恋愛も肉欲もすでに無縁である。しかも彼は性的不能だから女性を性的に愛することはできない。その采浩が初めて心動かし「性的にいい女」だと思った女性が居る。羅景利である。
羅景利は「指令で動く」兄道卿とちがって自分の頭で物を考えようとする柔軟さと謙虚さをもった活動的な女性である。危険な地下工作にも大胆に的確に冷静にやってのける。そして女性の魅力を隙のない身粧いと理知的な瞳の中に宿している。ある日、北の後継者問題にからませて朴采浩と羅景利は金日成の主体思想についてじっくりと意見を交した。

言い終ったとき、朴采浩は非の打ちどころのない完璧な自分を感じた。・・・・・・。彼は羅景利の顔を穴のあくほど見つめた。彼女もまた暗くこもった顔をしていた。全身から抜けていく力を必死に防ごうとしているのが感じられた。その顔はどこかしら神々しいほどに美しかった。・・・・・・朴采浩は非常に優しい気持になって彼女を眺めた。なぜか男女が性交を共有したあとに打ち溶けるあの神聖な落着きさえ顔に漂い出ている気がした。一瞬にせよ、そんな気分に染ったのは彼自身をおどろかせた。それは淫(みだ)らなものではなく、最も自然で本能的な感情の昂揚がもたらす臨場感さえ伴っていた。完全に、彼は人間として幸福であった。

美しい場面である。采浩も普通人の感性をもつことが確認できてほっとした場面でもある。こんなふうに采浩が女性を眼のまえにして自己陶酔に沈んでいくのは珍しい。采浩が自分自身に驚いた以上に私たちも驚く。彼は性的不能だけど性的情緒不能ではなかったのである。これが妻玲淑に向って、革命のまえではセックスなどつまらんと言った同じ采浩とは思えない。一瞬にせよ、あの性的恍惚を感じ幸福感に耽ったのだから。当然のことながら、個人の喜怒哀楽を革命のまえに捨てようとしたが、采浩は自らの人間的感情を滅却したわけではないことを示している。捨てようとするのとはじめからないのとは根本的にちがう。でもここには少なくとも采浩の中に自己撞着がある。この自己撞着こそが采浩の人間的欠陥だとする作者の計算がここにあるのかもしれない。もし采浩が玲淑の性の悩みを共有する優しさを示していたなら、そして玲淑が求めていたのは単なる肉欲のためでなく、采浩の愛と夫としての存在を確める行為であったことを理解していたら、羅景利に精神的性交を果した采浩の行為を認めるのに私は少しも吝かではない。
采浩だが、彼のその性観念は決して古くないのである。
統一革命党の李文奎(イムング)が闘争中に妻の妹と男女の特殊関係に陥った。それはお互いにしか頼る者が居ないという極限状況下が生んだ惨酷な運命としか言いようがなかった。朴政権はこれみよがしに「共産共妻。共産主義者ってのは、女を共有する思想だからああなんだ」とそれを道徳的退廃だと宣伝した。采浩はそれが話題になったとき、「仮りに女関係があったとしてもいいじゃないですか。革命家といえども人間ですからね。・・・・・・むしろ李文奎に深い人間的なものさえ感じる」と言って羅道卿を驚かす。羅道卿は「一夫一婦制は大切にしませんと。こういうことをおろそかにしていると、女の件で敵につけこまれるのです」と非難気味に言う。「いや、私が最も排斥するのは儒教的な倫理道徳で人を縛ることです。何も私はブルジョア的な性道徳を奨励しているわけではない」と采浩は淡々と答える。単純な一夫一婦制のルールの道徳規範で男女の関係をしばれば人間に対する形式主義に陥ってしまう。選択できない状況や運命に出会ったときの人間の内面世界の必然性こそ問われるべきだと言う。「革命家の場合だって同じことです。雲の上で暮らしているわけでもあるまいし、無色透明な生き方をしているわけでもないんですから」。
たしかに采浩の考え方には非の打ちどころがない。男女空間の交渉や感情や葛藤が運命のいたずらに支配されることがありうるということに理解と同情を示す。男女問題に関しても必ずしも石部金吉ではない。むしろ采浩の性観念は柔軟で反封建的で新鮮でさえある。だがひとたび自分の身のうえに置きかえたとき、その考えはとたんに男女の愛を禁欲的、無価値的なものに見做してしまう。男女の愛は、陽なたにほしたふとんを小さな引き出しの中に押しこめられないように、外部的力で制御できないところがある。
大体が采浩は女を感情によってではなく論理によって愛する男と思われる。歴史の進歩をとめてきた朝鮮人の論理的欠如を克服しようとする采浩が、愛のかたちにおいても女性美よりも論理美(そういうものがあるとして)を重視するのは認めよう。そんな愛の形があっても一向に構わない。ただ普通の人にとって異性愛は、理屈をこえた生理的本能的性欲と無関係でない場合が多い。たとえプラトニックラブであってもその憧憬する女性の性的魅力にほとんど心奪われるものである。イブが完全な肉感美を誇り女としての優美で繊細な魅力をふりまいても、采浩は決して禁断のりんごの実をとろうとしないだろう。たとえ心動かされてもりんごをたべる最後の男になるだろう。采浩はあの知性も理性もかなぐり捨てて抗しがたいパッションに包まれて本能の雄になるなんて絶対にありえない。もし采浩の本能の扉を開けるものがあるとすれば、女身の肉体的官能美よりは論理の服をきた頭脳明晰な理知美なのかもしれない。景利にあのエクスタシーを感じたのも采浩の論理の波長に景利のそれが響き合ったからである。
「人生的享楽を断念してしまった男」でしかも性的不能者の采浩には、素顔をかくした鉄仮面のような無機的な冷たさがある。いっとき上司であった張室長が采浩に「いっぺん地べたにおりてきて、この妓生(キーセン)を抱いてみい」といったのは采浩を皮肉る面罵のことばだったが、妙に小気味よかった。采浩が女性を愚弄するなどありえるはずもなく、しかし人間的にどこか女性に対して一線を画して敬すれど近づけずといった雰囲気を、俗物なりに張室長は嗅ぎとったのである。俗っぽく言えば采浩の女嫌いは感心したことじゃない。女は男にとって無限に開かれる世界への道先案内人であったりする。たとえそうでなくても場合によっては、女は男の人生目標の大半を占めるときがある。また他の大目標とも共存しそれをサポートする存在たりうるものである。采浩には基本的に女を同伴者と見る思想が欠けているように思われる。
人間のあらゆる表情と行為は性欲の変形であり、人間の意識下の性欲願望が人格を形成するとフロイドは言った。言うまでもなく男女の愛は、動物としての雄と雌が意識的無意識的にかかわらず、性欲志向の微妙な感情と本能のぶつかり合いが精神と肉体を支配する一般的なドラマである。
『静かなドン』のグレゴリーは奔流のような激しい情事にそのつど全生命を傾け、何度も不倫をくりかえす。肉欲の本能を抑えられない野蛮人のように。これは帝政ロシアの底辺の家畜的な農奴から階級としての農民へと人間回復しようとする時代の意志でもあった。赤軍と白軍、革命と反革命のあいだをピンポン玉のように行ったり来たりするグレゴリーにとっては、男女の愛の媾合と革命の修羅もいわば同心円上のふたつの点みたいなもので、ぬきさしならぬコザック農民の時代性と階級性を帯びたものであった。『赤と黒』のジュリアンは貞淑な貴婦人と奔放な令嬢のふたりを熱愛する。青年特有の上昇欲が野心と理想を天秤にかけて振幅する。それは青年が異質な恋愛対照との交渉を通してフランス革命の新秩序と旧秩序に出会っていく歴史のドラマであった。いずれも共通しているのは革命の文脈の中で男女の愛を描きながら、人間の多面性と社会矛盾の問題性を浮き彫りにしていることである。
私は何も采浩にこのふたりのように恋多き男になれと言っているのではない。彼が自制的な生き方の中で男女の愛にも禁欲的倫理的であるのは一向に構わない。私はむしろそれを支持さえする。彼は彼なりの愛のかたちで革命のダイナミズムの中で女性に出会っていけばよい。だが何も性的不能の条件をつけて采浩の対女性の世界を狭くする必要はどこにもない。李文奎事件で人間中心主義の性道徳観を示すのも、羅景利にはじめて心動かし忘れていた性的刺激を思い出すのも、女幻の術で籠絡しようとする文淑の誘惑をはねつけるのも、玲淑のうずく官能を肩すかしするのも、いずれも性的問題に反応する采浩の人間性が、是非は別にしてにじみ出てきたものである。それは采浩のめざす革命の論理と倫理の文脈に結びついていくものである。采浩自身「神さまでいるのはもうごめんだ」と言わせて苦笑させるような問題ではないのである。

6月例会のお知らせ

 6月〈第331回〉例会を下記のように行ないます。

日時 6月25日〈日〉午後1時30分~5時
会場 名古屋YWCA
 (地下鉄「栄」駅5番出口より徒歩5分
   052-961-7707)

テキスト 梁石日『異邦人の夜』(毎日新聞社)

報告者 中島和弘
 
奮ってご参加ください。      磯貝治良

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